地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

病院を増やせなくても、通院の負担を減らす仕事はつくれるか

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 人口が減る地域で医療の問題を考えると、議論はどうしても「病院が少ない」「医師が足りない」というところから始まる。確かに、それは間違っていない。しかし、人口そのものが減少し、医師や看護師の確保も難しくなる地域で、新しい病院や診療所を次々につくることは現実的ではない。建物だけを用意しても医療は成立せず、医師、看護師、検査技師、医療事務などを確保し続けなければならない以上、患者数が減り続ける地域では経営そのものが難しくなるからである。

 では、病院を増やせない地域では、住民の通院負担を減らすこともできないのだろうか。そこで発想を少し変えてみると、病院そのものを増やすこととは別の市場が見えてくる。病院へ行くことが大変なのであれば、病院を近くにつくることだけを考えるのではなく、患者が病院へ行き、診察を受け、薬を受け取り、家に帰るまでの一連の過程に存在する負担を減らせばよいのである。

 地方の高齢者にとって、通院とは診察室で医師と話している十数分だけを意味しない。予約日を確認し、保険証や診察券を準備し、家族に送迎を頼み、病院へ移動し、診察まで待ち、検査を受け、診察が終われば薬局へ行き、ときにはその外出に合わせて買い物まで済ませて帰宅する。本人が自動車を運転できなくなれば、その一連の行動は突然難しくなり、道路上の距離は変わっていないのに、病院だけが急に遠くなったように感じられる。

 実際、高齢者の医療アクセスを扱った研究では、病院の数や医師数だけでなく、交通手段、運行時間、家族への依存、予約のしにくさなどが受診を妨げる要因になることが繰り返し指摘されている。したがって、地域医療の問題を「医療資源が足りない」という一つの問題だけとして見るのではなく、「医療資源は存在しているが、そこへ到達するまでの生活上の摩擦が大きい」と捉えることには、十分な合理性がある。

通院の問題は、交通だけではない

 そこで思いつきやすいのが、高齢者を病院まで送迎するサービスである。しかし、通院負担を送迎だけの問題として捉えると、見落とすものが多い。高齢者本人が困っているのは、自宅から病院までの数キロメートルだけではなく、予約日を忘れないこと、必要な持ち物を揃えること、時間どおり家を出ること、診療が何時に終わるか分からないこと、薬局まで移動することなどを含めた一連の段取りだからである。

 例えば、利用者に前日に連絡して翌日の受診を確認し、当日は病院まで同行し、受診後には薬局や買い物へ寄り、帰宅したことを離れて暮らす家族へ知らせる。こうして考えると、医療行為そのものではないが、通院を成立させるためには欠かせない仕事が数多く残されていることが分かる。

 重要なのは、こうした仕事の多くは医師や看護師でなければできないものではないという点である。医療そのものを提供するのではなく、既存の医療へ人をつなぐ仕事であれば、小さな事業者にも関与できる余地が生まれる。ただし、ここで「困っている人がいるから市場がある」と短絡してはいけない。必要とされるサービスが存在することと、それに十分な料金を払う人が存在すること、さらにその料金で事業者が利益を残せることは、まったく別の問題だからである。

「必要とされる」と「商売になる」は違う

 地域ビジネスを考えるとき、最も危険なのは、社会的に必要なものは必ず事業になると思い込むことである。通院に困っている高齢者が多く、そのうち相当数が送迎や同行を希望していたとしても、それだけでは民間事業として成立することを意味しない。

 調査によっては、高齢者の多くがドア・ツー・ドア型の移動支援を利用したいと答えている一方、支払ってもよい金額として実費程度を挙げる人が多いことも報告されている。利用したいという意思は存在しても、人件費、車両費、保険、予約管理などを含めた十分な料金を支払う意思があるとは限らないのである。

 この違いは大きい。事業を成立させるためには、「困っている人が何人いるか」だけでなく、「そのうち何人が有料サービスを利用するのか」「一回当たりいくらまで払えるのか」「月に何回利用するのか」まで調べなければならない。

 したがって、通院支援を新規事業として考えるなら、高齢化率や人口だけを眺めていても不十分である。実際に住民がどの医療機関へ通っているのか、家族送迎がどの程度使われているのか、タクシー料金を負担に感じているのか、自治体の交通支援がどこまであるのかを確認し、そのうえで初めて市場の大きさを推定できる。

この仕事の採算を壊すのは、距離だけではなく「時間」である

 通院支援事業を考えると、まず燃料代や走行距離に目が向きやすい。しかし、実際に採算を大きく左右するのは、むしろ人員が何時間拘束されるかである。

 例えば、一人の利用者から三千円を受け取り、病院への往復と付き添いに三時間半かかったとする。仮に人件費を一時間千五百円と考えれば、人件費だけで五千二百五十円になり、そこへ燃料、車両の減価、保険、予約管理などが加わる。これでは一人を一回送迎するだけでは赤字になりやすく、一人当たりの料金を大幅に引き上げるか、一回の運行で複数人をまとめなければ採算は取れない。

 ところが、複数人を同じ病院へ運べば必ず効率化できるとも限らない。ある利用者は三十分で診察が終わり、別の利用者は検査が追加されて二時間かかることがあるため、診療終了時刻のばらつきによって車両とスタッフが長時間拘束されるからである。

 つまり、通院支援事業の経営を難しくするのは距離だけではない。診療終了時間を予測しにくいという「時間の不確実性」が、稼働率を下げるのである。

 この問題を小さくするには、サービスをすべて付き添い型にしないという発想が必要になる。予約確認だけをする利用者、出発時刻を電話で知らせる利用者、病院まで同行する利用者、帰宅確認だけを家族へ知らせる利用者というように、必要な支援を分けることができれば、一人に数時間付き添うモデルよりも効率は上がる可能性がある。

「患者」だけを顧客だと考えない

 ここで、もう一つ重要な視点が出てくる。

 サービスの利用者が高齢者本人であっても、料金を支払う人まで本人である必要はない。地方に暮らす高齢の親を、東京や千葉市など離れた地域で暮らす子どもが心配しているケースは少なくない。家族が仕事を休んで通院に付き添えば、交通費だけでなく、休暇や移動時間という見えないコストも発生する。

 この負担を考えれば、「親を病院まで送るサービス」よりも、「親が予定どおり病院へ行き、無事に帰宅したことまで確認できるサービス」に価値を感じる家族が存在する可能性がある。

 ただし、ここでも可能性と事実を混同してはいけない。家族が心配していることは確認できても、その家族が月額いくらまで支払うのかについては、地域や所得、親子関係によって大きく異なる。したがって、遠方の子世代を支払者とするモデルは有望な仮説ではあるが、本当に事業になるかどうかは、実際の聞き取りや小規模な実証によって確かめる必要がある。

 むしろ、このような検証を行わずに料金を決めることの方が危険である。月三千円なら利用者が多いが採算が取れず、月一万円なら採算は取れるが契約者がほとんどいないということも十分にあり得る。必要なのは、利用人数と料金の両方を同時に考えることである。

医療情報を扱わない方が、かえって事業はつくりやすい

 家族向けのサービスを考えると、「診察結果まで報告してくれれば便利だ」という話になりやすい。しかし、ここには慎重さが必要である。

 病歴や診療内容は個人情報の中でも特に慎重な取扱いが求められる情報であり、本人の同意なく第三者へ伝えるべきものではない。さらに、付き添い事業者が医師の説明を解釈して家族へ伝えるようになれば、単なる生活支援の範囲から離れてしまう危険もある。

 したがって、事業を安全に設計するなら、「病院へ到着した」「受診が終わった」「薬局へ寄った」「自宅へ戻った」といった生活上の事実だけを共有し、診断名や医師の説明そのものは本人または医療機関から家族へ伝えてもらう方がよい。

 医療の代わりをしないからこそ、この仕事は成立しやすくなる。病気を判断する仕事ではなく、必要な医療へ確実につながれるよう支援する仕事と定義した方が、利用者にも事業者にも分かりやすい。

送迎サービスを始めればよい、というほど簡単ではない

 さらに、日本でこの仕事を考えるなら、法律上の整理も避けられない。

 自家用車に利用者を乗せ、運送の対価として料金を受け取る場合には、道路運送法との関係を確認する必要がある。単に自分の車で高齢者を病院へ送り、料金を受け取ればよいというものではない。

 一方で、一定の条件のもとで自治体や非営利団体などが行う自家用有償旅客運送という制度があり、また、運転そのものとは別に実態のある付き添いや生活支援サービスについて料金を受け取る形が考えられる場合もある。ただし、「送迎料金」という名称を「付き添い料金」に変えればよいという単純な話ではなく、実際にどのようなサービスを提供しているのかによって判断される。

 したがって、通院支援事業を考えるなら、最初に車を買うのではなく、最初に事業の範囲を決めるべきである。既存のタクシー会社と連携し、自分は予約、同行、待ち時間の支援を担当する方法もあるし、自治体や地域交通との連携を前提にする方法もある。

 新しい事業とは、必ずしもすべてを自社で抱えることではない。既に存在する交通と医療をつなぐ役割に徹する方が、小さな地域事業としては現実的な場合もある。

オンライン診療が広がれば、この仕事はなくなるのか

 オンライン診療の普及によって、通院そのものが減る可能性はある。しかし、それによって通院支援が不要になるとは考えにくい。

 オンライン診療では画面越しに医師と話すことはできても、採血、画像検査、処置など、医療機関へ行かなければ受けられないものは残る。また、高齢者の場合には、スマートフォンやタブレットの操作、予約、通信接続、決済などが新たな障壁になることもある。

 すると、将来の通院支援は「病院まで運ぶ仕事」だけではなくなるかもしれない。普段は自宅でオンライン診療の接続を支援し、必要な検査があるときだけ病院への移動を支援するようになれば、利用者の通院回数そのものを減らしながら必要な医療を維持できる。

 ここでも重要なのは、医療そのものを提供しようとしないことである。専門家に代わるのではなく、専門家へつながるための障害を取り除くのである。

地方の商機は、大きな不足より「小さな摩擦」にある

 地方の新規事業を考えると、どうしても「病院がない」「スーパーがない」「公共交通がない」という大きな問題に目が向く。しかし、小さな事業者がそれらを丸ごと解決することは難しい。

 ところが、生活の中で人を苦しめているのは、大きな不足だけではない。雨の日には病院まで行けない、診察が何時に終わるか分からないので迎えを頼みにくい、薬局まで歩くのがつらい、遠くの子どもに毎回頼むのは気が引けるといった、一つ一つは小さく見える不便が積み重なることで、生活全体の自由度は低下していく。

 この一つ一つの不便を経済学的に見れば、「摩擦」と考えることができる。

 施設そのものを増やすには大きな資本が必要だが、施設と利用者の間にある摩擦を減らすことなら、小規模な事業でも可能である。人口が減る社会では、施設そのものを増やす事業より、既存施設を使いやすくする事業の重要性が高くなる可能性がある。

ただし、成立する地域と成立しない地域がある

 このモデルがどこでも成り立つと考えるのも危険である。

 利用者が広い地域に一人ずつ散らばっていれば、移動時間だけで採算が悪化する。家族送迎が十分に機能している地域では、有料サービスへの需要は小さいかもしれない。自治体の無料送迎や病院の送迎車が充実している地域では、民間事業者が料金を取って参入する余地も小さくなる。

 一方で、高齢者が比較的まとまって居住し、主要な通院先がいくつかの病院に集中し、子ども世代が地域外へ出ている地域では、条件は変わる。一定の範囲に利用者が集まっていれば移動効率は高まり、同じ病院へ通う利用者をある程度まとめることも可能になる。

 事業成立を左右するのは、単純な人口規模ではなく「顧客密度」である。

 例えば高齢者が一万人いる市町村でも、広大な地域に分散していれば支援コストは高くなる。一方、高齢者が千人しかいなくても、一つの住宅地に集中し、同じ病院へ通っているなら、小規模サービスが成立する可能性はむしろ高くなる。

 人口統計だけでは、この違いは見えてこない。

最初に調べるべきなのは病院数ではなく、人の動きである

 この事業を本当に検討するのであれば、地域の高齢化率だけを調べて終わるべきではない。

 住民がどの医療機関へ通っているのか、一か月に何回通院するのか、何曜日に集中しているのか、現在どのような交通手段を使っているのか、送迎している家族はどこに住んでいるのか、現在の交通費はいくらなのかを調べる必要がある。

 そのうえで、例えば百世帯に聞き取りを行い、「月三千円なら利用する」「五千円なら利用する」「一万円でも家族が払う」といった支払意思を確認すれば、初めて売上の推定ができる。

 さらに、その利用者の自宅と病院の位置を地図上に置けば、走行距離や一日の対応件数も推定できる。

 ここまで行えば、「高齢者が多いから需要があるはずだ」という曖昧な発想から、「一日平均何件を対応でき、月に何件の契約があれば固定費を回収できるか」という経営判断へ進むことができる。

病院を一軒建てることはできなくても

 人口減少地域で、新しい病院を一軒つくることは容易ではない。しかし、既にある病院を使いやすくする仕事なら、規模の小さな事業者にも可能性はある。

 その仕事は、単なる送迎ではないかもしれない。予約確認、付き添い、交通手段の手配、薬局への移動、オンライン診療の接続支援、家族への帰宅確認などを組み合わせた「通院管理サービス」のような形になる可能性もある。

 ただし、需要があることだけを理由に始めてはいけない。料金を払う人が存在するのか、待ち時間を含めても採算が合うのか、道路運送法上どのような形なら実施できるのか、医療情報をどこまで扱わない設計にできるのかを、一つずつ確認しなければならない。

 それでも、この市場を考える意味はある。

 人口が減る社会では、病院も商店も銀行も行政窓口も、住民のすぐ近くに置き続けることが難しくなる。しかし、施設が遠くなることと、生活まで不便なままにしておくことは同じではない。

 施設を増やすことが難しくなるほど、施設と人との間を埋める仕事の価値は高くなる。

 地方の新しい商機とは、必ずしも巨大な産業を生み出すことではない。以前なら家族や地域のつながりの中で自然に処理されていた小さな不便が、人口減少、高齢化、家族の分散によって少しずつ処理できなくなっていく。その隙間を見つけ、無理のない価格と仕組みで引き受けられるかどうかを考えることが、新しい商いの出発点になる。

 病院を増やすことはできなくても、病院までの距離を生活の中で短くすることはできる。

 そして人口減少時代の地域ビジネスでは、おそらく、その「距離を縮める仕事」の方が、これから重要になる。

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