地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 診療所から車で片道30分、診察に20分をかけ、さらに30分かけて戻ってくる。仮にそのような患者が1人いたとすれば、医師は20分の診察のために合計80分を費やすことになる。病院の診察室なら何人もの患者を診られる時間だが、患者が自宅で医療を受けるためには、その時間の多くを移動に使わなければならない。しかも、診察が終わった医師の仕事はそれで終わるわけではなく、診療記録を残し、必要な薬を調整し、看護師や介護職員との連絡を行いながら、次の患者への対応を考えなければならない。

 高齢になって通院が難しくなっても、住み慣れた家で医療を受けられる。在宅医療という言葉には、医療を患者の暮らしに近づける温かさがある。しかし、人口の少ない地域ほど自宅での診療を必要とする人がいる一方で、人口が少なく、住宅が離れているからこそ、その医療を提供することが難しくなるという矛盾を抱えている。

 人口減少によって病院や診療所を維持できなくなれば、医師が患者の家へ行けばよい。そう考えることは自然だろう。だが、診療所に患者が集まる仕組みと、医師が患者を訪ねて回る仕組みでは、時間の使い方も人員配置も異なる。医療の場所を病院から自宅へ移すことは、単に診察する場所を変えることではなく、地域の医療を支えてきた経済性や効率性を根本から組み替えることなのである。

医師が家まで来てくれる社会は、どこまで実現したのか

 在宅医療というと、医師が急な依頼を受けて患者の家へ駆けつける姿を想像するかもしれない。しかし、制度上は、計画に基づいて定期的に患者を診る訪問診療と、患者の求めなどに応じて臨時に行う往診を区別している。この違いは単なる名称の問題ではなく、定期的な訪問ならば診療の順序を組み、近くの患者を続けて訪ねることで移動時間を短縮できるのに対し、突然の往診では同じような効率化が難しくなるという、医療提供体制そのものに関わる問題である。

 厚生労働省の2023年医療施設調査によると、同年9月に在宅患者訪問診療を実施した一般診療所は18,906施設で、一般診療所104,894施設の18.0%だった。実施件数は149万8,229件となっており、訪問診療を実施した診療所1施設当たりに換算すると79.2件である。病院についても2,904施設が訪問診療を実施し、23万7,601件の実績があった。全国では既に多くの医療機関が訪問診療を提供しており、在宅医療は一部の例外的な診療方法ではなく、医療提供体制の重要な部分を占めるようになっている。

 ただし、ここで示した施設数と実施件数は2023年の調査結果であり、2026年現在の施設数や訪問件数を表すものではない。また、実施件数は2023年9月の1か月間の延べ件数であり、年間の実績でも患者の実人数でもない。1施設当たり79.2件という平均値についても、訪問診療を中心に運営する診療所と、通常の外来診療を続けながら一部の患者を訪問する診療所を含んだ値であるため、個々の施設の診療能力を直接示しているわけではない。

 さらに重要なのは、全国の実施件数が増えても、それだけで人口減少地域の医療が充実したとはいえないことである。都市部では近くの住宅を続けて訪問できる一方、集落が点在する地域では、同じ件数の訪問に何倍もの移動時間を必要とする場合がある。全国の診療件数を積み上げた数字には、その医療がどこまで届いているのかという地理的な問題が隠れている。

同じ在宅医療でも、1軒ずつ訪ねる医療と施設を訪ねる医療は違う

 訪問診療の統計を読む際に、もう1つ区別しなければならない問題がある。それは、患者が個人の住宅で暮らしているのか、高齢者向けの住宅や施設で生活しているのかという違いである。どちらも医師が患者の生活の場を訪ねるという意味では共通しているが、医師の移動時間や診療の効率性は大きく異なる。

 例えば、10人の患者がそれぞれ離れた住宅で生活していれば、医師は基本的に10か所を訪問する必要がある。ところが、同じ建物に10人の患者が暮らしている場合には、建物までの往復移動を共有できるため、患者1人当たりの移動時間を短縮できる可能性がある。もっとも、同じ建物内でも診療時間や診療記録の作成が不要になるわけではなく、患者ごとの病状や医療上の必要性に応じた対応が求められる。

 日本の診療報酬制度でも、個人宅を中心とする在宅時医学総合管理料と、一定の施設入居者等を対象とする施設入居時等医学総合管理料が区別されており、患者の居住形態や同一建物で診療する患者数などによって評価が異なる。在宅医療を経済的に分析する場合、こうした制度上の違いを無視して、すべての訪問を同じ収益構造として扱うことはできない。

 この区別を人口減少地域へ当てはめると、さらに難しい問題が見えてくる。高齢者が一定の施設に集まって暮らしている地域では訪問診療の移動効率を高めやすいが、住み慣れた個人宅で暮らし続けることを希望する高齢者に同じ効率性を求めることは難しい。医療の提供効率を優先するほど、患者の居住場所を集約した方が合理的になる可能性がある一方、それが本人の暮らし方の希望と一致するとは限らないのである。

 したがって、在宅医療の普及を評価するときには、訪問診療件数の総量だけでなく、個人宅と施設等の患者構成、患者1人当たりの訪問回数、移動距離などを分けて検討する必要がある。医療機関から遠く離れた1軒の住宅まで診療を届けられるかという問題は、施設に集まる患者を効率的に診察できるかという問題とは、必ずしも同じではない。

高齢化率が上がるほど、患者が増えるとは限らない

 人口減少地域の医療を考えるとき、しばしば高齢化率の高さが問題になる。住民の40%が65歳以上という地域があれば、医療や介護の需要は今後も増え続けるように感じられる。しかし、ここには統計上の落とし穴がある。高齢化率が上昇することと、高齢者の人数が増加することは、同じではない。

 国立社会保障・人口問題研究所が2023年に公表した地域別将来推計人口では、2020年から2050年までの推計対象期間について、65歳以上人口が2020年に最大となる市区町村は845、対象となる1,728市区町村の48.9%を占めている。この集計は2023年12月時点の市区町村区分に組み替えたものであり、将来人口は一定の仮定に基づく推計値だが、多くの地域ですでに高齢者人口がピークを迎えている可能性を示している。

 例えば、人口10,000人、高齢者4,000人の地域では高齢化率は40%となる。その後、人口が7,000人に減少し、高齢者も3,500人に減ったとすれば、高齢化率は50%に上昇するが、実際の高齢者数は500人減少している。このような地域では、高齢化率だけを見ると医療需要が増大しているように感じられるものの、高齢者人口の絶対数だけを見れば、需要の基盤となる人口は縮小していることになる。

 ただし、65歳以上人口が減少しているからといって、訪問診療の需要も同じ割合で減るとは限らない。75歳以上や85歳以上の人口構成、慢性疾患の状況、要介護度、通院手段の有無、独居高齢者の割合などによって、訪問診療を必要とする人の比率は変化する。高齢者全体の人数が減少していても、通院が難しい高齢者の割合が増えれば、訪問診療の必要量が維持されたり、増加したりすることも考えられる。

 さらに、住民が減少しても、住宅や集落が人口と同じ割合で狭い範囲に集約されるわけではない。人口が10,000人から7,000人に減ったからといって、道路の延長が自動的に30%短くなることはなく、残された住民が以前より離れた場所に点在する可能性もある。患者の絶対数が減っても移動距離は短くならず、むしろ患者1人当たりの移動負担が増えるという問題が生じ得るのである。

 ここに人口減少地域の在宅医療が抱える本質的な難しさがある。医療機関の経営を支える患者数は減少する一方、残る患者へ医療を届けるための時間と費用は、必ずしも減少しない。高齢化率の高さばかりを問題にしていると、この経営上の矛盾を見落としてしまう。

人口密度が低い地域では、訪問診療は本当に少ないのか

 人口密度と訪問診療の関係については、実際の統計を用いた研究も存在する。2026年に公表された日本の農村医学分野の査読付き研究では、2019年の全国47都道府県のデータを使用し、65歳以上人口1,000人当たりの医師による訪問診療件数と、人口密度や医療提供体制などの関係が分析されている。

 この研究では、人口密度と訪問診療件数の相関係数が0.631となり、人口密度が高い都道府県ほど、65歳以上人口当たりの訪問診療件数も多いという正の関連が認められた。さらに、在宅療養支援診療所・病院の数や高等教育を受けた人の割合などを考慮した重回帰分析でも、人口密度の標準化偏回帰係数は0.311であり、統計的に有意な関連が確認されている。

 これは、人口が集中している地域ほど訪問診療を提供しやすい可能性を示す結果であり、人口減少地域の医療を考えるうえで重要な知見といえる。しかし、人口密度と訪問診療件数に相関があることは、人口密度の低さが直接の原因となって訪問診療を減少させていることを証明するものではない。医療機関の分布、地域の所得水準、患者の健康状態、利用意向、交通条件なども影響し得るため、単純な因果関係として解釈することはできない。

 また、47都道府県という大きな地域単位で得られた結果を、そのまま個々の市町村や集落に当てはめることにも限界がある。同じ県内でも、都市部と山間部では患者の分布や道路条件が大きく異なる場合があり、都道府県全体の平均値から小規模地域の医療環境を直接判断することはできないからだ。

 それでも、この研究が示す人口密度と訪問診療件数の関係は、在宅医療が単に医師数や高齢者数だけで決まるものではなく、人々がどのように地域に分布して暮らしているかという地理的な条件とも関わっていることを示唆している。人口減少地域の在宅医療を考えるには、人口統計に道路網や移動時間を重ねた分析が必要なのである。

医師の1日は、道路の上でどれほど短くなるのか

 それでは、患者の住宅が分散していることによって、訪問診療の供給能力はどれほど変化するのだろうか。ここでは実在する医療機関の経営実績ではなく、移動時間による影響を理解するための単純な数理モデルを考えてみたい。

 医師の勤務時間を1日8時間とし、そのうち診療記録の作成や関係者との連絡、調整などに1時間を充て、残る7時間、すなわち420分を訪問診療と移動に使用すると仮定する。また、患者1人当たりの診察時間を20分とし、移動時間には診療所を出発してから帰着するまでの移動を訪問件数に配分した平均値を用いる。

 患者の住宅が比較的近く、1件当たりの平均移動時間が10分であれば、診察20分と合わせて30分が必要となり、420分で理論上14件の訪問が可能になる。ところが、住宅が離れていて平均移動時間が30分になれば、1件当たり50分を要するため、同じ420分で完了できる訪問は最大8件となる。診察時間も医師の勤務時間も変わらないのに、平均移動時間が20分増えるだけで、1日の訪問可能件数は14件から8件へ約42.9%減少する計算である。

 診察と移動を合わせた時間に占める移動の割合も、平均移動時間10分の場合は33.3%だが、30分の場合は60%に上昇する。医師が患者を診察する時間よりも、道路上で過ごす時間の方が長くなるという状況は、医療サービスを必要とする患者にとっても、限られた医師を活用したい地域にとっても重要な問題である。

 ただし、これはすべての訪問が予定どおりに進み、420分を診察と移動に使えるという理想化された上限計算である。実際には、診察が長引く患者もいれば、予定外の往診、家族への説明、医療機関への連絡なども発生するため、計算上の最大件数を毎日継続できるとは限らない。さらに、訪問診療だけを専門に行う医師と、外来診療や病棟診療を兼務する医師では、訪問に充てられる時間そのものが異なる。

 また、患者密度の低下が移動時間に与える影響は、地域によって異なる。例えば、面積100平方キロメートルに訪問診療の対象者が120人いる地域では、対象者密度は1平方キロメートル当たり1.2人となるが、対象者が80人に減れば0.8人となり、密度は33.3%低下する。しかし、この変化だけから移動時間が何分増えるかを求めることはできない。患者が幹線道路沿いに暮らしている場合と、複数の谷や山を隔てた集落に分散している場合とでは、同じ密度でも移動条件が異なるからである。

 訪問診療の効率性を正確に分析するには、行政区域の人口密度だけでなく、診療所の位置、患者の住所分布、道路に沿った移動時間、訪問順序などを組み合わせて評価する必要がある。面積当たりの患者数は地域の特徴を把握する入口にはなるものの、それだけで医師の必要数や訪問可能件数を決定できるわけではない。

訪問できることと、経営が成立することは同じではない

 ここまでの計算は、医師がどれだけの患者を診察できるかという供給能力の問題である。しかし、記事の題名にある「在宅医療は成立するのか」という問いに答えるには、もう1つ、経営面の問題を考えなければならない。患者を訪問することが物理的に可能であっても、その診療を続けるための収入が人件費や運営費を下回れば、事業として長期間維持することは難しくなるからだ。

 訪問診療の収入は、診察ごとの診療報酬だけでなく、患者の病状、訪問回数、医学管理の内容、医療機関の施設基準、患者の居住形態などによって変化する。一方、支出には医師や看護師などの人件費、事務職員の給与、車両費、燃料費、医療材料費、建物の維持費、情報管理費などが含まれ、夜間や休日の対応体制を設ければ、さらに人員配置上の負担が生じる。

 経営の仕組みを理解するために、ここでも仮定計算を考えてみよう。ある訪問診療事業について、医師や事務職員の人件費、施設維持費などを含む月間固定費が150万円であり、医学管理料などの収入を訪問回数に配分した1件当たりの平均収入が15,000円、燃料や消耗品など訪問件数に応じて増加する追加費用が3,000円だと仮定する。この場合、1件増えるごとに固定費の回収へ充てられる金額は12,000円となり、月間固定費150万円を賄うには、150万円を12,000円で割った125件の訪問が必要になる。

 仮に月15日を訪問診療に充て、1日14件を訪問できれば月210件となり、訪問件数に対応する収入から追加費用を差し引いた金額は252万円で、固定費150万円をさらに差し引くと102万円が残る。これに対して、移動時間が長くなり1日8件しか訪問できなければ月120件となり、同じ計算では固定費を6万円下回る。診察内容や1件当たりの収入を同じと仮定しても、移動条件の違いによって損益が変わることが分かる。

 もちろん、ここで使用した150万円、15,000円、3,000円という金額は実際の診療報酬や医療機関の平均経営費を示すものではなく、損益分岐点の仕組みを説明するための仮定である。訪問件数に応じて費用が増える部分と増えない部分を分けた単純なモデルであり、実際には患者ごとの診療報酬の違いや、医師の勤務形態、看護体制、夜間対応の費用などを個別に算定する必要がある。

 このモデルで重要なのは、患者が少ないことだけが採算性を悪化させるわけではないという点である。同じ患者数であっても、患者が集まって住んでいる場合と広い地域に分散している場合とでは、診療に必要な労働時間が異なる。また、診療報酬上の収入が一定であっても、訪問に必要な移動時間や人員配置の条件が違えば、事業として成立する患者数の下限も変わる。

 人口減少地域では、潜在的な患者数が少ない一方、移動時間が長く、夜間対応のために一定の人員を確保しなければならないこともある。訪問診療に伴う費用を十分に回収できない地域が生じる可能性があり、そうした場所では、個々の医療機関の経営努力だけではなく、広域的な医療機関の連携や公的な医療確保策を検討する必要が出てくる。

 ただし、経営上の採算が取れないことと、地域に在宅医療を提供する価値がないことは、まったく別の問題である。医療は住民の生命や健康に関わる社会的基盤であり、通常の事業収益だけで十分に評価できない部分がある。だからこそ、在宅医療の成立条件は、医療機関の収益性、継続的な人員確保、患者の安全性、住民の医療へのアクセスという複数の側面から考えなければならない。

医師が来ても、暮らしを支える人がいなければ

 ところが、医師が必要な患者を訪問でき、診療所の経営も維持できたとしても、それだけで在宅医療が成立するわけではない。診察を受けた後の患者が、その家で安全に暮らせるかどうかは、医師の診療だけでは決まらないからである。

 薬を処方されても適切に服薬できない場合や、食事、排せつ、清潔保持、移動などの日常生活に支援が必要な場合には、訪問看護や介護サービスが重要になる。医療機器を使用しながら療養する患者には、機器の管理や衛生材料の確保、状態の変化に応じた医療的な判断も求められる。医師が月に数回診察するだけでは、患者の生活全体を支えることはできない。

 さらに、訪問看護師や介護職員にも移動時間の問題がある。医師の訪問だけを効率化しても、訪問看護ステーションや介護サービス事業所が遠方への訪問を継続できなければ、在宅療養の負担は家族へ集中する。人口が少ない地域ほどサービス利用者の密度も低くなりやすく、複数の専門職が同じ住宅を別々に訪ねる仕組みでは、地域全体の移動負担が大きくなる可能性がある。

 そこで考えられるのが、医師、看護師、薬剤師、介護職員などの間で患者の状態や訪問予定を共有し、それぞれの専門性を生かしながら支援を調整する方法である。もっとも、すべての訪問を同じ日にまとめれば効率的になるとは限らず、患者の状態を継続して観察する必要がある場合には、訪問の間隔を適切に確保しなければならない。業務の効率性を高めることと、必要な医療や介護を減らしてしまうことは区別する必要がある。

 また、家族の介護力を当然の前提として在宅医療を組み立てることにも限界がある。仕事をしながら介護を担う家族や、高齢者同士で介護する世帯では、日中の見守りや夜間の対応が大きな負担になる。独居高齢者の場合には、日常的な家族の支援を前提にできず、医療と介護だけでなく、生活支援や地域での見守りなどとの連携が必要になる場合もある。

 住み慣れた自宅で過ごすという本人の希望を尊重することは大切だが、その希望を実現するために家族が過重な負担を負わなければならないのであれば、在宅医療の仕組みとして十分とはいえない。患者本人の希望、医学的な安全性、家族の負担、地域のサービス供給能力を総合して判断することが求められる。

2026年の診療報酬改定は、人口減少地域を救えるのか

 こうした課題に対し、国の制度も変化している。2026年度の診療報酬改定では、質の高い在宅医療の推進を掲げ、重症患者への対応、在宅での看取り、医療機関同士の連携などについて評価や算定要件が見直された。これは全国の公的医療保険制度に関わる改定であり、特定の都道府県や市町村だけの独自施策ではない。

 注目したいのは、地域の医療機関が連携して在宅医療を支える方向が強められていることである。1つの診療所だけで24時間の対応体制を維持することは、医師の人数が限られる地域では難しい場合があるため、医療機関同士の情報連携や、複数の医療機関による時間外対応の仕組みを適切に評価することには意味がある。

 特に、へき地診療所については、在宅時医学総合管理料などの施設基準が見直され、所定の条件を満たす場合には、在宅医療を担当する医師がその診療所の常勤医師でなくても算定できるようになった。具体的には、対象となるへき地診療所の医師が、緊急時の連絡体制や24時間診療体制の確保において連携するへき地医療拠点病院などでも勤務している場合が想定されている。

 この仕組みは、医師を十分に確保できない地域で、複数の医療機関が役割を分担することを制度面から支えるものと理解できる。ただし、すべての人口減少地域の診療所へ自動的に適用されるわけではなく、対象となるへき地診療所の定義や医師の勤務条件、連携体制などの要件を満たす必要がある。人口が減少しているという理由だけで特例を利用できる制度ではない。

 一方、2026年度改定では、在宅時医学総合管理料や施設入居時等医学総合管理料における月2回以上の訪問診療の評価についても見直しが行われた。対象となる算定区分では、月2回以上の訪問診療を行う患者などに占める重症度の高い患者等の割合について、原則として所定の方法で2割以上という基準が設けられたが、患者数などによる例外的な取扱いも定められている。

 これは月2回以上の訪問診療そのものを禁止する制度ではなく、該当する医学管理料の算定要件を見直すものである。患者の病状や医療上の必要性を踏まえて訪問頻度を決めることが重要であり、診療報酬上の評価と患者に必要な医療を混同してはならない。

 また、医師と薬剤師が患者宅を同時に訪問して服薬状況や残薬などを確認し、処方内容を調整する取組についても新たな評価が設けられた。こうした仕組みは、患者の生活状況を踏まえた薬物療法を進めるうえで意味があり、専門職同士が協力するための制度的な支援ともいえる。ただし、対象患者や算定回数、個人宅への訪問に関する条件などが定められており、無条件に利用できるものではない。

 これらの改定は、限られた医療資源を有効に活用するための制度的な改善と評価できる。しかし、診療報酬上の要件が緩和されたり、連携に対する評価が充実したりしたからといって、医師や看護師が直ちに増えるわけではない。制度上は連携できる仕組みが用意されていても、実際に協力できる医療機関が遠く離れていたり、夜間に対応できる人員が不足していたりすれば、期待した効果は十分に得られない可能性がある。

 人口減少地域に必要なのは、制度を利用できることと、地域で実際に医療を提供できることを分けて考える視点である。診療報酬改定は重要な条件の1つではあるものの、それだけで在宅医療の地理的・人的な制約を解消できるわけではないのである。

病院を減らせば、在宅医療で医療費を節約できるのか

 在宅医療の普及は、病院への入院を減らし、医療費を抑える政策として語られることがある。確かに、入院を必要としない患者が適切な在宅医療を受けられれば、入院に伴う医療資源の使用を減らせる可能性はある。しかし、それをもって在宅医療が常に入院医療より安価であると結論づけることはできない。

 医療費を比較するには、患者の病状や重症度をそろえたうえで、訪問診療、訪問看護、薬剤、医療材料、救急搬送、必要に応じた入院などを含めた費用を考える必要がある。さらに、社会全体の負担を評価するなら、家族が仕事を休む時間や介護に費やす労力も無視できない。公的医療保険の支出が減少しても、その分の負担が家族や介護サービスへ移っているだけなら、社会全体の費用が減ったとは限らないからだ。

 また、入院と在宅医療は単純な代替関係ではない。急性期の治療、専門的な検査や手術、病状が急変した際の対応には、病院の機能が不可欠となる。退院後は在宅で暮らし、状態が悪化したときには必要に応じて入院できるという関係が成立してこそ、在宅医療は安心して利用できる選択肢になる。

 医療機関が遠い地域で在宅医療を普及させる際には、この関係が特に重要になる。自宅で療養できるという説明が、実際には入院先を確保しにくいことの言い換えになってはならない。在宅医療は患者の希望と医学的な適切性に基づいて選択されるべきものであり、病床不足や医療機関の撤退を補うためだけの制度ではない。

 もし政策の目的が医療費の抑制にあるなら、同程度の重症度の患者について、一定期間の医療費と介護費、再入院の状況、患者の生活の質、家族の負担まで含めて比較する必要がある。一方、政策の目的が住み慣れた地域で生活を続けられることにあるなら、費用の削減だけを成功の条件にするのは適切ではない。医療費が少なくなることと、患者にとって望ましい医療が実現することは、必ずしも一致しないのである。

自宅で亡くなる人が増えれば、在宅医療は成功なのか

 在宅医療を評価するうえでは、人生の最期をどこで迎えるかという問題も避けて通れない。厚生労働省の2025年人口動態統計(確定数)によると、日本国内で発生した日本人の死亡数は158万9,533人だった。この数字は、国内で発生した外国人の死亡を含むすべての死亡数という意味ではないが、日本で毎年非常に多くの人が人生の最終段階を迎えていることを示している。

 しかし、自宅で死亡した人の割合を、そのまま在宅医療の成果と解釈することには問題がある。自宅で亡くなったという事実だけでは、医師や看護師の支援を受けながら本人の希望どおりに看取られたのか、十分な支援を受けられないまま亡くなったのかを区別できない。また、施設や病院で最期を迎えた人の中にも、本人の意思に沿った適切な医療を受けた人がいるため、死亡場所だけで医療の質を評価することはできない。

 重要なのは、患者がどの場所で亡くなったかという結果だけではなく、最期まで必要な医療や介護を受けられたか、本人の意思が尊重されたか、痛みや苦痛を十分に緩和できたかという過程である。これらを評価するには、死亡場所別統計だけでなく、医療・介護サービスの利用状況や本人の意向など、異なる情報を組み合わせる必要がある。

 人口減少地域では、病院までの距離が遠いことが、結果として自宅で過ごす時間を長くする場合も考えられる。しかし、そのような地理的条件による結果と、十分な在宅医療が整備されたことによる結果を同じものとして扱うことはできない。自宅で最期を迎えることを選べる社会と、自宅以外の選択肢が乏しい社会では、その意味が根本的に異なるのである。

人口減少地域に必要なのは、病院の代わりではなく医療の新しい配置である

 それでは、人口が減り続ける地域で在宅医療を維持するためには、何が必要なのだろうか。その答えを考える手がかりは、国が進める医療提供体制の整備にも見いだせる。

 第8次医療計画では、在宅医療に必要な機能として、退院支援、日常の療養支援、急変時の対応、看取りが位置付けられている。これは、医師が定期的に患者宅を訪問する仕組みだけでなく、病院から自宅へ戻る段階から日常生活を支える仕組み、病状が急変したときに必要な医療へつなぐ仕組み、人生の最終段階を支える仕組みまでを、一体として整備しようとする考え方である。

 こうした体制を整備するには、行政区域の人口や高齢化率だけでなく、訪問診療を必要とする人がどこに住み、どの医療機関がどの程度の時間で到達できるのかを把握することが重要になる。例えば、75歳以上人口1,000人当たりの訪問診療実施医療機関数や、医師1人当たりの担当患者数、訪問1件当たりの平均移動時間などを確認できれば、施設数だけでは分からない地域差が見えてくる。ただし、訪問診療を実施する施設であっても診療規模は異なり、医師の人数についても常勤と非常勤、外来との兼務などの違いがあるため、単純な人数比較だけで供給能力を判断することはできない。

 さらに、地域内の対象患者数に加えて、患者1人当たりの訪問頻度や緊急対応の必要性を把握することも欠かせない。比較的病状が安定した患者が多い地域と、頻繁な医学的管理を必要とする患者が多い地域とでは、同じ患者数であっても必要な医療資源が異なる。患者数だけではなく、患者ごとに必要な診療時間と移動時間を積み上げて、地域全体の医療需要を評価することが求められる。

 そのうえで、訪問診療を担当する医師の診療圏を実際の道路網に沿って設定し、診療所や病院の配置、訪問看護ステーションの活動範囲、介護サービスの提供区域との関係を調整していく必要がある。市町村の境界は行政事務の単位として意味を持つが、医師の移動や救急搬送にとって、必ずしも合理的な区切りになるとは限らない。地域の医療資源を有効に活用するには、必要に応じて行政区域を越えた連携を考えることが重要になる。

 もっとも、診療経路の効率化にも限界がある。訪問順序を工夫することで移動距離を短縮できても、診療中の医師が別の集落で発生した急変に直ちに対応できるわけではなく、夜間や休日まで含めた体制を維持するには複数の医師や医療機関による協力が必要になる。災害によって道路が使えなくなった場合や、停電によって在宅医療機器の使用が難しくなった場合の対応も考慮しなければならない。

 医療機関の配置を考える際には、単に最も多くの患者を効率的に診察できる場所を選ぶだけでなく、遠方の住民にも必要な医療を届けられるかという公平性を検討する必要がある。患者が集中する地域に医療資源を集約すれば効率性を高められる可能性があるが、集落の端に暮らす住民にとっては、医療へのアクセスがかえって悪化する場合もあるからだ。

 ここで求められるのは、効率性と公平性のどちらかを単純に選ぶことではなく、限られた医療資源の下で、地域全体の医療をどう維持するかという現実的な調整である。都道府県が策定する医療計画と、市町村が策定する介護保険事業計画などとの整合を図り、医療と介護の実際の供給能力を確認しながら、継続可能な体制を構築していくことが必要になる。

最後の1軒まで医療を届けることは、誰の責任なのか

 人口減少地域の在宅医療には、簡単には解決できない問題が残る。患者の数が少なければ、医療機関の経営は不安定になりやすい。一方で、患者が少ないという理由だけで遠方への訪問を断れば、その地域に住む人は必要な医療を受ける機会を失う可能性がある。医療機関の経営効率と、住民が医療を受けられることの間には、必ずしも一致しない部分がある。

 通常の事業経営であれば、採算の取れない地域から撤退することは合理的な判断になり得る。しかし、医療は住民の生命と健康を支える社会的基盤であり、その供給を個々の医療機関の採算性だけに委ねることには限界がある。すべての地域に同じ規模の病院や診療所を配置することが難しくても、必要な医療へつながる仕組みをどう確保するかという課題は残る。

 もっとも、公的な支援を行えば、どの地域でも同じ水準の在宅医療を維持できるとは限らない。患者の数が極端に少なく、診療圏が広く、協力できる医療機関も遠い地域では、通常の訪問診療の仕組みだけで24時間対応を実現することが困難な場合もある。そのような地域では、広域的な医療機関の協力、へき地医療の支援体制、入院を受け入れる病院との連携などを、実際の人員と移動条件に基づいて検討する必要がある。

 同時に、在宅医療の供給能力が不足している場合には、それを住民へ正確に伝えることも重要である。医療機関が存在することと、必要なときに訪問診療を受けられることは同じではなく、平日の定期訪問に対応できても、夜間の急変や看取りへの対応が難しい地域も考えられる。住民が在宅療養を選択する際には、利用できるサービスの範囲と限界を理解したうえで、必要な支援体制を確認できることが望ましい。

 病院ではなく自宅で診る時代へ。その言葉が意味するのは、病院が不要になる未来ではない。通院が難しくなった人のところへ医療が向かい、病状が悪化したときには必要な病院へつながり、日常生活では看護や介護が支えるという、医療の新しい関係である。

 田畑の向こうに住宅が点在し、集落をつなぐ道だけが長く延びる地域では、患者の家を訪ねる時間を簡単に短縮することはできない。住民の数が減っても、その道の先で暮らす人の医療上の必要性まで消えるわけではなく、限られた医師や看護師の時間をどう使うかという問題は、人口減少が進むほど難しくなる可能性がある。

 人口減少地域で在宅医療が成立するかどうか。その答えは、高齢化率の高さでも、診療所の数だけでも決まらない。患者がどこに暮らし、どれだけの医療を必要とし、医師や看護師がどの程度の時間で訪問できるのか。さらに、その体制を維持するための費用を誰がどのように負担し、急変時にはどの病院が支えるのかという条件によって、成立する地域もあれば、従来の仕組みだけでは維持が難しい地域もあるだろう。

 病院のベッドを減らすことと、自宅で安心して療養できる人を増やすことは、同じではない。在宅医療を広げること自体を目的にするのではなく、患者が必要な医療を受けられ、希望する場所で生活を続ける選択肢を持てることを目指すべきである。

 そして、最後に問われるのは、訪問診療が何件増えたかという数字だけではない。集落の奥に残る1軒の住宅まで、必要な医療を届ける仕組みを地域社会が維持できるかどうかである。その問いに向き合うことが、人口減少社会における在宅医療の本当の課題なのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 夜の町で救急車のサイレンを聞くと、その音は遠くから近づき、やがてどこかへ消えていく。都市に暮らしていれば、その救急車が町を離れたあとにも別の車両がどこかで待機しているように感じるかもしれない。しかし、人口の少ない地域では事情が異なる。一台の救急車が患者を乗せて遠くの病院へ向かった瞬間、その地域の救急対応能力が一時的に低下し、次の救急要請には離れた消防署から別の車両を向かわせなければならないことがある。

 人口減少時代の地域医療を考えるとき、病院や診療所の数、医師や看護師の人数には比較的目が向きやすい。しかし、救急車がどこに何台あり、その一台がどれほどの人口と土地を担当しているのか、さらに出動した救急車が再び次の患者に対応できるまで何分かかるのかは、普段の生活ではほとんど意識されない。119番へ電話すれば救急車は来るものだという感覚が強く、救急車そのものを一つの有限な地域資源として見る機会が少ないからだろう。

 ところが、救急車という資源には、きわめて単純でありながら避けることのできない制約がある。一台の救急車は同時に二つの場所へ行くことができず、一人の患者に対応している間、その車両と救急隊は原則として別の患者には対応できない。この当たり前の事実を出発点にすると、救急車の配置は単なる台数の問題ではなく、人口、面積、道路網、高齢化、救急需要、病院までの距離、そして時間が絡み合う地域構造の問題として見えてくる。

「人口2万人に1台」という数字だけでは測れない

 日本には救急自動車の配置について一定の目安がある。総務省消防庁の「消防力の整備指針」第13条では、人口10万人以下の場合、おおむね人口2万人ごとに救急自動車1台を配置することを基準としている。人口10万人を超える場合には5台を基礎とし、10万人を超える人口についておおむね5万人ごとに1台を加えるという考え方である。

 例えば人口2万人であればおおむね1台、人口6万人であればおおむね3台、人口10万人であればおおむね5台、人口20万人であればおおむね7台という計算になる。ただし、これは実際の地域で必要とされる台数を機械的に決定するものではない。指針は、昼間人口、高齢化の状況、救急出動の発生状況などを勘案することとしており、制度そのものが人口だけでは救急力を測れないことを前提としている。

 また、この基準は全国の住民に一定時間以内の救急車到着を保証するものでもない。人口2万人に1台という数字を満たしていても、出動が重なれば近隣からの応援が必要になり、道路条件が悪ければ到着時間は長くなる。つまり、配置基準を満たしていることと、救急対応能力に十分な余裕があることは、別の問題なのである。

 同じ人口2万人でも、数十平方キロメートルの平坦な市街地に住民が集まっている地域と、山間部や海岸沿いの数百平方キロメートルに集落が散らばっている地域では、一台の救急車が提供できるサービスの水準は異なる。また、働く世代や子育て世帯の多い地域と、高齢者の割合が著しく高い地域でも救急需要は変わってくるため、「人口2万人に1台」という数字は安全性の限界値ではなく、救急体制を考えるための出発点に近い。

本当の限界は「二件目」が発生したときに見える

 救急車1台が何人を支えられるかを考えるとき、年間の出動件数を365日で割って一日の平均件数を求めるだけでは、本当の余裕は分からない。救急要請は規則正しい時刻表に従って発生するものではなく、午前中に一件、午後に一件、夜間に一件というように均等に分散してくれるわけではないからである。

 ある地域で一日に三件の救急要請が発生するとしても、それぞれが十分な間隔を空けていれば、一台の救急車で対応できる可能性は高い。しかし、そのうち二件が同じ時間帯に重なれば状況は一変する。一台目がすでに出動していれば、二件目には近隣の消防署などから別の救急車を向かわせる必要がある。応援車両が近くにいれば到着時間への影響が小さい場合もあるが、離れた場所からの出動になれば、その距離が患者の待ち時間を延ばす要因となる。

 ここには、交通量や通信設備の混雑にも共通する性質がある。設備の使用率が低い間は多少の需要増加にも対応できるが、能力の上限に近づくほど、わずかな需要増加によって待ち時間や対応不能の確率が急激に高まりやすい。救急車も同じで、「平均的には処理できている」という状態と、「要請が重なっても十分に対応できる」という状態は異なる。

 救急体制に必要なのは、平均的な一日を問題なく処理できる能力だけではなく、偶然二件、三件と救急要請が重なったときにも、地域全体として対応を維持できる余力である。この余力がどの程度あるかは、単純な人口当たり台数からは見えにくい。

数理モデルで見る救急車1台の限界

 救急車の配置を数理的に考えるとき、参考になるのが待ち行列理論である。待ち行列理論とは、利用者や仕事が不規則に発生する状況で、処理能力、混雑、待ち時間などの関係を分析する数学的手法であり、救急車の配置や出動体制を研究する際にも応用されている。

 ここで、人口規模とは独立した仮想的な地域を考えてみよう。この地域では救急要請が一日平均3件発生し、一件の対応によって救急車が平均90分間、次の要請に対応できなくなるものとする。救急要請は時間的に独立して不規則に発生し、地域内の車両がすべて使用中の場合には、別の地域の救急車が担当すると仮定する。

 この条件で、救急車が使用中となる確率をアーラン損失モデルによって計算すると、地域内に救急車が1台しかない場合、救急要請が発生した瞬間にその車両が使用中である確率は約15.8%となる。一方、同じ需要に対して救急車を2台配置すると、2台とも使用中となる確率は約1.46%に低下する。

 この結果は、救急車が1台から2台になれば救急サービスの供給能力が単純に2倍になるだけではなく、同時出動によって地域内の車両が不足する確率を大きく減らせることを示している。ただし、これは一定の仮定に基づく数理モデルの結果であり、実際の自治体で同じ確率になるという意味ではない。救急要請の時間帯別の偏り、救急車の配置場所、近隣地域との相互応援などによって結果は変わる。

 さらに注目すべきなのは、一件当たりの拘束時間である。同じ一日平均3件という需要でも、一件当たりの拘束時間が60分であれば、1台体制で使用中となる確率は約11.1%だが、90分では約15.8%、120分では20.0%となる。出動件数が増えなくても、一件の対応に必要な時間が長くなるだけで、次の救急要請に地元の救急車が対応できない確率は上昇するのである。

 もっとも、この確率は患者に救急車が派遣されない確率でも、必ず到着が遅れる確率でもない。あくまで地域内の全車両が使用中となる確率であり、その際に別の救急車がどこから、何分で到着できるかは別途評価する必要がある。また、昼間に救急需要が集中する地域では、一日平均に基づく計算よりも、特定の時間帯の混雑が深刻になる可能性がある。

 このように救急車の能力は、単に何件の出動を処理できるかという件数の問題ではなく、一件にかかる時間と、次の要請が重なる確率によって左右される。救急車1台の限界を考えるうえで、平均出動件数と同じくらい重要なのが、使用中となる確率なのである。

面積が広がれば、一台の救急車は別の存在になる

 人口だけでは捉えにくいもう一つの制約が、地域の広さと道路条件である。人口2万人が駅を中心としたコンパクトな市街地に暮らしているのであれば、消防署から多くの住民のもとへ比較的短時間で到達できる。しかし同じ2万人が山間部や海岸線沿いに数十キロメートルにわたって散在している地域では、一台の救急車が同じ人口を担当していても、実際に提供できる救急サービスは大きく変わる。

 さらに重要なのは、地図上の直線距離と救急車が実際に走る距離が一致しないということである。山を越える道路、川を渡る橋、細い生活道路、曲がりくねった海岸道路、積雪、観光期の渋滞などが加われば、地図では数キロメートルしか離れていない集落でも、時間の上では遠い場所になる。

 仮に救急車が平均時速30キロメートルで10分間走ったとしても、進める距離は単純計算で約5キロメートルにすぎない。しかも実際の救急では、119番通報の受理、住所や状況の確認、出動指令、出動準備、交通信号や一般車両への対応、住宅の特定などが加わるため、消防署を中心に半径何キロメートルという円を描くだけで、安全に対応できる範囲を決めることはできない。

 人口密度が低いことは、地域によって救急活動の効率を低下させる要因となる。ただし、人口密度と到着時間が必ず反比例するわけではない。面積が広くても住民が幹線道路沿いに集まっていれば比較的短時間で到達できることがあり、面積が小さくても山や川によって道路が限られていれば移動時間は長くなる。また、人口減少によって遠隔地の居住者が減れば、地域全体の平均到着時間が短くなる可能性もある。

 問題は、人口が減少しても自治体の面積が縮むわけではなく、道路が短くなるわけでも、山や川がなくなるわけでもないことである。居住する集落が分散したまま人口が減少すれば、救急体制を維持するための地理的負担が大きく残り、少ない住民のために広い地域を守る必要が生じる。人口減少そのものよりも、人口減少後に住民がどこに残るのかという居住分布が、救急サービスの効率を左右するのである。

病院まで運ぶ時間が地域から救急車を奪う

 救急車の能力を考えるうえでもう一つ見落とされやすいのが、救急車の仕事は患者の家へ到着したところで終わらないという点である。救急隊は現場へ到着したあと、患者の状態を確認し、必要な処置を行い、搬送先を選定して病院へ向かい、医療機関へ患者を引き継ぐ。その間、原則として別の患者に対応することはできない。

 総務省消防庁の2024年の全国統計では、119番通報から救急車が現場へ到着するまでの平均時間は約9.8分だった。一方、通報から患者を医師へ引き継ぐまでの病院収容所要時間は平均約44.6分である。私たちが「救急車が来るまでの時間」として意識する10分前後の時間よりも、その後の現場活動や搬送などに使われる時間のほうが長いことが分かる。

 ただし、この44.6分は救急車が次の出動に対応できるまでの全拘束時間ではない。医師への引き継ぎが終わったあとにも、病院からの引き揚げ、車内や医療資器材の整理、補充、移動などが必要になる場合がある。一方、必ずしも消防署へ帰るまで次の出動ができないわけではなく、病院からの帰路や移動中に新たな出動指令を受ける運用もあるため、帰署までの時間と再出動できない時間も厳密には区別しなければならない。

 参考になるのが東京消防庁の統計である。2024年の東京消防庁管内では、119番入電から帰署または帰所するまでの救急活動平均所要時間は109分30秒だった。これは全国平均ではなく、東京消防庁管内の活動状況を示す数字であり、地方部の拘束時間をそのまま推定できるものではない。しかし、医師への引き継ぎまでの時間だけで一件の救急活動全体を評価することが不十分であることは理解できる。

 消防署から患者宅まで10分で到着できる地域でも、そこから受け入れ可能な病院まで40分かかれば、救急車は長時間にわたってその地域を離れる可能性がある。逆に病院が近い地域でも、救急外来が混雑していたり、必要な診療科の受け入れが難しかったりすれば、搬送先の選定や医師への引き継ぎに時間を要することがある。

 したがって、救急車の能力を評価するには、消防署から患者宅までの時間、現場活動時間、病院までの搬送時間、医師への引き継ぎに要する時間、そして次の出動が可能となるまでの時間を分けて考える必要がある。近くに消防署があるから安心だとは限らず、その救急車が患者をどこまで運ばなければならないのか、どの時点で再び出動できるのかまで見なければ、地域の救急力を正確には評価できない。

人口が減っても救急需要は同じ割合では減らない

 人口減少地域では、一見すると人口が減れば救急車の必要台数も減らせるように思える。しかし、この考え方には人口構成を見落とす危険がある。救急需要は単純に人口の総数だけで決まるものではなく、年齢構成、疾病の発生状況、介護施設の配置、住民の健康状態などによって変化するからである。

 2024年に救急車で搬送された人のうち、65歳以上の高齢者は63.3%を占めた。2025年の速報値でも、高齢者の搬送人員は426万5,047人で、搬送人員全体の63.1%に達している。高齢者は若年層と比較して救急搬送される割合が高いことから、総人口が減少していても高齢者の割合が上昇すれば、人口一人当たりの救急需要が増える可能性がある。

 例えば人口2万人だった町が1万5千人になったとしても、その減少の中心が若者や働く世代で、高齢者人口がそれほど減っていないのであれば、人口が25%減ったからといって救急出動も25%減るとは限らない。転倒、急病、循環器疾患、呼吸器疾患などに伴う救急要請が一定程度残れば、救急車一台にかかる負荷は人口減少率ほど軽くならない可能性がある。

 この関係は、数理的にも説明できる。地域全体の年間救急需要を推計するには、年齢階層ごとの人口に、それぞれの救急搬送率を掛け合わせ、その結果を合計する方法が考えられる。年齢階層別の人口と搬送率が分かれば、単純に総人口の増減率を使うよりも、人口構造の変化を反映した需要推計が可能になる。

 ただし、高齢化が進む地域では必ず救急出動が増えると断定することもできない。高齢者人口そのものが減少する地域では、搬送率が高くても救急需要の総数は減る可能性があり、在宅医療や介護体制、疾病予防、救急車の利用行動などによっても結果は変わる。さらに、2025年の全国の救急出動件数は速報値で768万6,235件となり、2024年の771万8,380件から約0.4%減少している。長期的な需要増加傾向と、個々の年における増減は区別して考える必要がある。

 人口減少社会では、利用者の総数が減少しても、一人当たりのサービス需要や、一件のサービスを提供するために必要な時間と費用が同じ割合で減るとは限らない。救急車は、この人口減少時代の構造的な問題が分かりやすく現れる公共サービスの一つといえる。

救急車一台とは、一台の自動車ではない

 では、救急車を増やせば問題は解決するのかというと、話はそれほど簡単ではない。救急車を動かすには救急隊員が必要であり、24時間365日の運用を考えれば、一台の車両を購入して消防署の車庫へ置いただけでは、一台分の救急力を増やしたことにはならない。

 消防法施行令第44条では、救急隊は原則として救急自動車1台と救急隊員3人以上で編成することとされている。ただし、一定の条件を満たす場合には2人編成が認められるほか、過疎地域や離島では所定の実施計画に基づき、救急隊員と准救急隊員を組み合わせる制度もある。したがって、全国すべての救急車が例外なく同じ人数で運用されているわけではない。

 仮に3人の救急隊員を常時配置する場合、必要な勤務時間は年間で合計2万6,280人時となる。これは3人に24時間と365日を掛けた値であり、年間2,080時間勤務する職員に換算すると、約12.6人分の労働量に相当する。ただし、この計算は常時配置に必要な労働時間を示すものであり、実際に13人の専任職員が必要という意味ではない。勤務形態、他の消防業務との兼務、休暇、訓練、交替要員などによって、実際の人員配置は変わる。

 救急車を運用するには救急隊員だけでなく、救急救命士などの専門人材、通信指令、車両整備、医療資器材、教育訓練、病院との連携など、多くの仕組みが必要になる。救急車の台数を増やす政策を考える際には、車両購入費だけでなく、長期にわたる人件費や運用費、専門職員を継続的に確保できるかどうかまで評価しなければならない。

 実際、2025年4月1日時点で全国の消防本部が保有していた救急自動車は、非常用を含め6,727台だった。一方、設置されている救急隊は5,485隊である。両者の数が異なることからも、保有車両数がそのまま常時出動可能な救急車の数を意味するわけではないことが分かる。

 人口減少地域では、この人員面の制約が今後さらに重要になる可能性がある。住民人口が減るだけでなく、消防職員や救急救命士として働く世代そのものも減少するからである。救急車一台を維持するとは、自動車一台を所有することではなく、一年中いつでも救急サービスを提供できる組織を維持することなのである。

救急車は市町村の境界だけで動いているわけではない

 救急体制を地域単位で評価するとき、忘れてはならないのが消防行政の広域化である。日本の消防は市町村を基本単位としているが、実際には複数の市町村が共同で消防組織を運営する形態も広く採用されている。

 2025年4月1日時点で、救急業務を実施している全国1,690市町村のうち、1,114市町村は一部事務組合または広域連合による実施形態だった。したがって、ある町に救急車が一台しか配置されていないとしても、その町の救急対応能力が一台分に限られるとは限らない。同じ消防組織に属する近隣の署所から別の救急車が出動することもあり、地域全体で出動体制を調整できる場合がある。

 ただし、広域消防であれば必ず安心というわけでもない。隣接する消防署に救急車が配置されていても、その車両がすでに出動していれば、さらに遠くからの応援が必要になる。また、広域化によって組織管理や車両運用の効率が向上しても、救急車が実際に走る道路の距離まで短くなるわけではない。

 このため、地域の救急力を測る際には、市町村内の救急車台数だけでなく、消防本部全体の配置状況、近隣署所との距離、出動指令の仕組み、応援車両の到着時間まで含めて評価する必要がある。ある地域に一台しかないことよりも、その一台が出動したとき、代わりに何台の救急車がどこから対応できるのかが重要なのである。

都市は「件数」、地方は「距離」に追われる

 2024年には全国で約772万件の救急出動があり、2025年4月時点では全国に5,485の救急隊が設置されていた。異なる時点の数値を使った単純な概算ではあるが、一隊当たりの出動件数は年間約1,400件、一日平均では4件弱となる。ただし、この計算は全国の出動件数を救急隊数で割ったものであり、個々の救急隊の実際の出動件数や勤務負担を示すものではない。

 救急需要は時間的にも地理的にも均等に発生するわけではなく、都市と地方では一件の出動が持つ意味も異なる。都市部では人口や昼間人口が多いために救急要請が集中しやすく、短時間に複数の要請が重なれば、多くの救急車を配置していても不足することがある。一方、人口の少ない地方では出動件数そのものが少なくても、患者宅までの距離や病院までの搬送距離が長く、一件の要請によって救急車が長時間拘束される可能性がある。

 都市の救急車は「数」に追われ、地方の救急車は「距離」に追われるという表現は、両者の特徴を捉えた比喩といえる。ただし、都市部でも搬送先の選定や交通渋滞によって長時間拘束される場合があり、地方でも観光期や感染症の流行、熱中症の増加などによって救急要請が集中することはある。件数と距離は都市と地方を完全に分ける要素ではなく、どちらの地域でも両方を評価しなければならない。

 最終的には、都市でも地方でも同じ問題に行き着く。それは、救急要請が発生した瞬間に、対応できる救急車がどこにあり、何分で患者のもとへ到着できるのかという問題である。

平均到着時間だけでは地域の安全性を測れない

 救急体制を評価する際に広く使われるのが、119番通報から現場到着までの平均時間である。全国平均や自治体別の平均時間は地域間比較の一つの手掛かりになるが、平均値だけで地域の救急対応能力を判断することには限界がある。

 例えば、ある地域で救急車の平均到着時間が10分だったとしても、ほとんどの地域に10分前後で到着できる場合と、市街地では5分以内に到着する一方、山間部では20分以上を要する場合とでは、住民が受ける救急サービスの水準は異なる。しかし、この二つの地域の平均値が同じになる可能性はある。

 そこで重要になるのが、到着時間の分布である。平均到着時間に加えて、全出動の90%が何分以内に到着しているのかを示す90パーセンタイル値や、95%が何分以内に到着しているのかを示す95パーセンタイル値を調べれば、到着時間が長い事例を含めた地域の実態を把握しやすくなる。

 さらに、消防署から10分以内、15分以内、20分以内で到達できる地域に、それぞれ何人が暮らしているのかを調べることにも意味がある。これらの時間は救急活動の安全を保証する全国一律の境界ではなく、地域の到達状況を比較するための分析区分である。実際の救命可能性は傷病の種類や重症度、現場での応急手当、医療機関への到着時間などにも左右されるため、一定時間以内の到着率だけを安全性そのものとみなすことはできない。

 また、救急車がすべて使用中だったために最寄りの車両以外が出動した割合や、その際にどれほど到着時間が延びたのかも重要な指標になる。平均到着時間が短くても、出動が重なったときの追加待機時間が長い地域では、救急体制の余力が小さい可能性がある。

行政区域ではなく「時間の地図」を描く

 ここまで考えると、「救急車1台が人口何人、面積何平方キロメートルを担当できるのか」という問いそのものを少し変えたほうがよいことが分かる。重要なのは自治体全体の人口や面積だけではなく、救急車が住民のもとへ何分で到達でき、患者を病院へ搬送し、再び次の要請に対応できる状態へ戻るまで何分かかるのかという、時間を中心とした地域構造である。

 例えば、消防署から10分以内で到達できる地域には何人が暮らしているのか、15分を超える地域には何人いるのか、さらに20分以上かかる集落がどこに残されているのかを調べれば、単なる行政区域の地図とは異なる地域の姿が見えてくる。そこに救急要請の発生件数、高齢者人口、道路状況、医療機関の位置を重ねれば、救急体制の地理的な弱点をより具体的に把握できる。

 さらに、最寄りの救急車が使用中の場合を想定し、二番目に近い車両や三番目に近い車両が何分で到着できるかを調べることもできる。平常時の最短到着時間だけでなく、一台が使えなくなった場合の到着時間を比較すれば、救急体制がどの程度の余裕を持っているかを把握しやすくなる。

 近年では、過去の救急需要や時間帯別の発生傾向を分析し、救急車の待機場所を調整する手法も研究されている。救急車の台数を増やさなくても、需要が集中しやすい場所へ車両を移動させることで、到着時間を短縮できる可能性がある。ただし、一部の地域への配置を厚くすれば、別の地域の対応能力が低下する場合もあるため、地域全体の到達時間や応援余力を評価する必要がある。

 地図に描くべきなのは、市町村境界や消防署の位置だけではない。救急車が到着するまでの時間、病院までの搬送時間、出動可能な車両が失われたときの追加時間という、複数の「時間の地図」を重ねることが重要なのである。

人口2万人でも安全な町と危うい町がある

 人口2万人に救急車一台という目安が同じでも、地域条件が変われば救急体制の余力は大きく変わる。人口密度が比較的高く、道路網が整い、受け入れ可能な病院が近く、高齢化率も相対的に低く、近隣消防署との応援体制が充実している地域であれば、一台当たりの担当人口がある程度多くても対応力を維持できる可能性がある。

 一方、人口が少なくても広い地域に集落が分散し、病院までの距離が長く、高齢化率が高く、隣接する救急隊も遠いのであれば、人口規模の割に救急対応が難しくなる場合がある。住民人口が少ない観光地では、連休や夏季などに滞在人口が急増することもあり、住民基本台帳上の人口だけで救急需要を予測すると、実際の利用状況との間にずれが生じる可能性がある。

 この違いは人口密度だけでも説明できない。面積が広くても道路網や救急車の配置が適切であれば到達時間を短縮でき、面積が小さくても地形や道路の制約によって移動時間が長くなる場合がある。さらに、地域の医療機関がどのような患者を受け入れられるのかによって、搬送先の選択肢や搬送時間が変化する。

 したがって、救急車一台を評価するためには、人口、面積、年齢構成、道路網、救急需要、医療機関、観光客、近隣自治体との連携といった複数の条件を、最終的には到着時間、搬送時間、拘束時間、出動可能確率などの指標へ変換して考える必要がある。

救急車が町を離れたあとに何が残るのか

 地域の救急体制を考えるとき、重要なのは救急車が配置されているかどうかだけではなく、その一台が出動したあとにどのような対応能力が残されているかという視点である。

 一台しかない地域でその救急車が病院へ向かえば、次の救急要請には近隣の救急隊による対応が必要になる。二台あれば一台が残る可能性があるが、その一台も出動すれば同じ問題が起きる。ただし、実際の消防活動では、近隣署所や広域の指令体制によって別の救急車を派遣できる場合があるため、地元の車両が使用中であることが、直ちに救急サービスの停止を意味するわけではない。

 ここで評価すべきなのは、地域内に何台の車両が残っているかという数字だけではない。次の要請に対応できる救急車がどこにいるのか、どの程度の時間で到着できるのか、さらに近隣地域でも同時に救急要請が発生した場合に対応を維持できるのかという、広域的な出動余力である。

 これは防災や電力供給にも共通する問題といえる。普段の需要を満たしているだけでは十分ではなく、一部の設備や資源が使えなくなった場合にも、システム全体が機能を維持できるかどうかが重要になる。救急車についても、平均的な出動件数を処理できることと、複数の出動が重なっても対応を維持できることは区別しなければならない。

 また、救急車を増やすことだけが改善策とは限らない。消防署間の応援体制を見直すこと、救急車の待機場所を調整すること、医療機関との搬送調整を改善すること、病院からの再出動を円滑にすることなどによって、同じ台数でも対応能力が改善する可能性がある。ただし、その効果は地域の道路網や医療資源、出動実績によって異なるため、個別の検証が必要になる。

 地域の救急力とは、平常時に何台あるかだけではなく、一部の車両が使用中となった場合にも、住民への対応をどれほど維持できるかという能力として考えたほうが実態に近い。

地域の救急力をどう評価すべきか

 これからの人口減少地域で救急体制を検証するのであれば、単純な救急車の配置台数だけでなく、少なくとも四つの視点から分析することが望ましい。

 第一は、救急需要の規模と構造である。年間出動件数、一日当たりの平均件数、時間帯別の発生件数、年齢階層別の搬送率、季節変動を調べることで、救急要請がいつ、どの地域で発生しやすいのかを把握できる。特に高齢化が進む地域では、総人口の増減だけでなく、年齢階層別人口と実際の救急搬送率を組み合わせて考える必要がある。

 第二は、救急車が一件の対応に費やす時間である。現場到着までの時間、現場活動時間、病院までの搬送時間、医師への引き継ぎ時間、再出動可能となるまでの時間を分けて分析すれば、救急車が長時間拘束される原因を把握しやすくなる。特に受け入れ可能な病院が遠い地域では、一件当たりの拘束時間が救急車の出動可能性を左右する重要な要素になる。

 第三は、地理的な到達能力である。消防署からの直線距離ではなく、実際の道路を使った移動時間を基準として、住民の居住地点までの到達時間を分析する必要がある。平均時間だけでなく、90パーセンタイル値や95パーセンタイル値、一定時間以内に到達できる人口の割合を確認すれば、地域内に残る到達時間の格差を捉えやすくなる。

 第四は、救急車が使用中の場合の対応能力である。最寄りの救急車が出動している割合、他の署所からの応援出動率、二番目に近い救急車の到着時間、複数の車両が同時に出動する確率などを調べることで、通常時には見えにくい救急体制の弱点が明らかになる可能性がある。

 ただし、これらの指標を正確に算出するには、消防本部が保有する出動記録や時間帯別の運用情報などが必要になる。公表されている統計だけでは十分な分析ができない場合もあるため、実際の地域分析では消防行政がどの程度の情報を公開できるかという点も重要になる。

 さらに、救急車の到着時間を短縮することと、救急医療の結果を改善することは同じではない。患者の救命や後遺症の軽減には、疾病の種類や重症度、早期の応急手当、医療機関の受け入れ能力、適切な治療開始までの時間などが関係する。地域の救急体制を評価する際には、救急車の運用効率だけでなく、住民が適切な医療へつながるまでの過程全体を考える必要がある。

救急車1台の限界は、人口ではなく「時間の余白」にある

 結局のところ、「救急車1台は人口何人、面積何平方キロメートルまで担当できるのか」という問いに、全国共通の一つの数字で答えることはできない。

 制度上は人口2万人程度に一台という目安が存在するが、人口2万人が狭い市街地に集まって暮らしている場合と、広い地域に分散して暮らしている場合では、一台の救急車が提供できるサービスの水準は異なる。さらに、高齢化が進めば人口当たりの救急需要が高まる可能性があり、病院までの搬送距離が長ければ一件の出動による拘束時間も長くなりやすい。二件目の救急要請が重なれば、一台しかない体制の弱さが表面化する場合もある。

 ただし、救急車の限界を単純に時間だけで表すことにも注意が必要である。救急要請は不規則に発生するため、地域に残された安全の余裕を「あと何分」という一つの数字で測ることはできない。数理的には、必要なときに救急車が出動可能である確率、一定時間以内に到着できる確率、他地域から応援を受ける場合の追加到着時間など、複数の指標で評価することが適切である。

 それでも、これらの指標に共通するのは、住民が救急医療へつながるまでに必要な時間と、救急車が次の患者に対応できる状態へ戻るまでの時間である。人口が生み出す需要、地理が生み出す距離、一件の救急活動が消費する時間、そして複数の要請が重なる確率が組み合わさるところに、その地域固有の救急対応能力の限界が生まれる。

 深夜、遠くで聞こえていた救急車のサイレンが次第に小さくなり、やがて町の外へ消えていく。その瞬間、町の人口も面積も変わらず、道路も建物も昨日と同じ場所にある。しかし救急医療という視点から見れば、地域で直ちに対応できる救急車が一台減ったことによって、次の救急要請に対応するための余力は一時的に小さくなっているかもしれない。

 人口減少時代に問うべきなのは、救急車が何台置かれているかという数字だけではない。その一台が町を離れたあと、地域全体としてどの程度の救急対応能力を維持できるのか、次の救急要請に何分で対応できるのか、そして住民が暮らす場所によってその時間にどれほどの差があるのかという問いである。

 人口統計にはほとんど表れない、その「時間の余白」を測定可能な指標として捉えることができれば、病院数や医師数、救急車の保有台数だけでは見えなかった地域の課題が明らかになるだろう。救急車一台が守れる人口と面積の限界を考えることは、単に救急車を何台配置するかという問題ではなく、人口減少が進む地域で、どのように住民の安全と医療へのアクセスを維持していくのかという、地域社会全体の将来を考えることなのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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数字で比較するサービスを見る

 空き家を見ると、私たちは反射的に「誰かに住んでもらえないか」と考える。自治体は移住希望者とのマッチングを進め、不動産会社は売却や賃貸の可能性を探り、所有者もできることなら住宅としてもう一度使ってほしいと考える。しかし、人口減少が続く地域で、増え続ける空き家の一軒一軒に新しい住民を探すという発想には、限界がある。人口が減少しても、単身世帯の増加などによって世帯数が増える場合はあり、住宅需要が人口と同じ割合で減少するわけではない。それでも、住宅の供給量、建物の品質、立地、世帯構成、地域の所得水準などが需要と一致しなければ、住宅として再利用できない建物は残り続ける。

 総務省の2023年住宅・土地統計調査によると、日本の空き家は900万2,000戸に達し、住宅総数に占める割合は13.8%となった。このうち、賃貸用、売却用、別荘などの二次的住宅を除く空き家は385万6,000戸である。ただし、これらは住宅の戸数を数えた統計であり、900万棟の独立した建物が存在するという意味ではない。共同住宅の空室も含まれ、385万6,000戸についても、事業用途へ転用できる建物の数を示しているわけではない。

 実際には、老朽化が進んだ住宅、相続や所有権の整理が終わっていない住宅、給排水設備が傷んだ住宅、道路条件が悪い住宅などが含まれている。住宅として利用する場合には問題にならなかった段差や出入口の幅、耐震性、防火設備などが、不特定多数の住民が利用する施設へ転用するときに障害になることもある。したがって、空き家の数が多いことを、そのまま利用可能な地域資源の豊富さと解釈することはできない。

 それでも、これほど大量の住宅が地域の中に存在している以上、「もう一度、誰かが住めるか」という問いだけで建物の価値を判断する必要はないのではないだろうか。これから人口減少地域で問題になるのは、住宅の余剰だけではなく、住宅で暮らし続けるために必要な生活機能の縮小だからである。

 近所の診療所がなくなり、スーパーが閉じ、バスの本数が減り、訪問介護の職員が長い距離を移動するようになり、働く場所も町の外へ移っていく。家は残っているのに、その家で生活するために必要なサービスが遠ざかっていく。もちろん、高齢者向け住宅やバリアフリー住宅など、地域によっては住宅そのものの不足も起こり得る。しかし、住宅ストックの余剰と生活サービスの不足が同時に存在する地域では、空き家問題を住宅政策だけで考えることには限界がある。

 そこで検討したいのが、空き家を住宅以外の地域インフラとして利用する可能性である。診療を受けるための場所、荷物を受け取るための場所、介護予防や生活相談の場所、地域に住みながら仕事を続けるための場所として、既存の住宅を活用できないだろうか。ただし、空き家の再利用を先に決めるのではない。地域に必要な機能を明らかにした結果として、適切な場所に利用可能な空き家が存在するなら、それを選択肢に加えるという考え方である。

人口は少しずつ減っても、暮らしは少しずつ不便になるとは限らない

 人口減少という言葉からは、町が毎年少しずつ小さくなっていく姿を想像しやすい。しかし、実際の生活サービスは人口と同じ割合で滑らかに縮小するわけではない。人口が2割減ったからスーパーが2割小さくなり、診療所が診療時間を2割減らし、バスの利便性が2割低下するというようには動かない。商店や医療機関、公共交通には、それぞれ採算、人材確保、利用者数などの条件があり、それを維持できなくなれば、一つの店舗、一つの診療所、一つの路線という単位でサービスが失われることがある。

 経済学的に考えれば、この現象には固定費と需要の関係がある。例えば商店では、利用者が減っても家賃、設備維持費、一定の人件費などが残るため、売上が減少するほど採算が悪化する。人口規模が小さい地域ほど各種生活サービスが立地しにくくなる傾向は、国土交通省の人口規模と生活サービス施設の存在確率に関する分析とも整合する。ただし、特定の人口を下回った瞬間に必ず店舗や診療所が閉鎖されるという、全国共通の臨界点が存在するわけではない。

 実際の施設の存続には、経営者の年齢、競合施設、地域所得、道路網、隣接都市との距離、補助制度、人材確保などが関係する。そのため、人口が比較的少なくても生活サービスが維持される地域がある一方、それほど人口が少なくなくても施設の撤退が起こる地域がある。それでも、人口が連続的に減少していく一方でサービスは施設単位で失われるため、住民から見た生活環境は、階段を一段落ちるように変化することがある。

 徒歩5分の商店が閉まれば、車で20分のスーパーまで買い物に行かなければならなくなるかもしれない。近所の診療所がなくなれば、隣の市まで通院する必要が生じる場合もある。もちろん、宅配、移動販売、オンラインサービスなどが代替手段になることもあるが、それらが十分に整備されなければ、施設の撤退は住民の移動時間や生活負担を増加させる。高齢化によって運転や長距離移動が難しくなる時期と、生活サービスが遠ざかる時期が重なれば、「家はあるのに暮らし続けることが難しい」という状態が生まれる。

 ここで空き家の意味が変わってくる。空き家とは単なる「余った住宅」ではなく、町の中にすでに配置されている建物でもある。住宅として利用されていた以上、電気、水道、道路などの基盤が存在する場合が多く、住宅地の内部やその周辺に位置している。ただし、設備の劣化や建築上の制約を考えれば、そのまま事業用途に転用できるとは限らない。それでも、新しく土地を取得して建物を建設する以外の選択肢として、既存の住宅を評価する意味はある。

 住民を空き家に連れてくることが難しいなら、生活サービスの一部を住民の近くに残された空き家へ持ってくることはできないだろうか。

病院を建てることと、医療への距離を縮めることは同じではない

 医療について考えてみる。人口数千人の地域に新しい病院を建設し、医師、看護師、検査職員、事務職員などを常駐させることは、多くの場合、財政面や人材確保の面から現実的ではない。しかし、住民にとって本当に必要なのは病院という建物そのものではなく、必要なときに適切な医療へ到達できることである。

 オンライン診療の普及は、医療機関への移動を減らす一つの方法になる。ただし、オンライン診療では触診や一部の検査ができず、得られる診療情報には限界があるため、対面診療との適切な組み合わせが欠かせない。また、高齢者の中には通信機器の操作が難しい人もおり、自宅に通信環境がない人もいる。このような条件を考えると、自宅と医療機関の中間に、オンライン診療を受けるための小規模な場所を設けることには一定の意味がある。

 制度面では、2026年4月1日から施行された改正医療法によって、「オンライン診療受診施設」が新たに法的に位置づけられた。この施設は、オンライン診療を行う医師などが勤務する医療機関等に対し、患者がオンライン診療を受ける場所を業として提供するものであり、診療所とは異なる制度上の位置づけを持つ。設置者は、原則として施設の設置後10日以内に、所在地を管轄する都道府県知事等へ届け出る必要がある。従来の診療所を開設する場合とは異なる仕組みが整備されたことで、既存施設をオンライン診療の受診場所として活用する可能性は広がった。

 例えば、比較的状態のよい空き家に通信設備とプライバシーを確保できる空間を設け、医療機関と連携してオンライン診療を受ける場所として利用することが考えられる。通信機器の操作を支援する人員を配置できれば、自宅でオンライン診療を受けることが難しい住民にとっても選択肢が増える。別の時間には健康相談や保健指導、介護相談の場所として利用する方法も考えられるが、具体的な運営形態によって必要な手続や設備基準は異なる。

 ただし、オンライン診療受診施設という制度ができたからといって、普通の住宅に通信機器を置くだけで医療サービスを自由に提供できるわけではない。診療を担当する医師や医療機関の責任、患者のプライバシー、通信の安全性、施設の衛生管理、緊急時の連絡体制などを整える必要がある。また、受診を補助する人が医療従事者でない場合、採血や注射などの医療行為を自由に行えるわけではなく、業務内容に応じた法的な区別が必要になる。

 さらに、受診場所を自宅の近くに設けても、すべての患者にとって利便性が高まるとは限らない。自宅で問題なくオンライン診療を利用できる人には新たな拠点が不要な場合もあり、外出そのものが難しい人には訪問診療や訪問看護などの方が適していることもある。したがって、空き家を利用した受診拠点の効果は、医療機関までの距離だけではなく、実際の受診可能性、診療の質、待ち時間、緊急時の対応などを含めて評価する必要がある。

 空き家が病院の代わりになると考えるべきではない。病院まで患者が移動しなければならない場面を減らし、適切な医療へつながるための選択肢を増やすことが目的である。医療施設そのものを地域に残すことと、医療へのアクセスを地域に残すことは、よく似ているようで同じではない。

物流では最後の数キロメートルが重くなる

 物流にも似た構造がある。人口が少なくなれば地域内で取り扱う荷物の総量は減少する可能性があるが、家と家との距離が自動的に縮まるわけではない。住民が広い範囲に点在したまま人口だけが減れば、一個の荷物を届けるための移動距離や時間が相対的に増え、車両や運転手を効率よく利用することが難しくなる場合がある。

 過疎地域における配送先の分散、積載効率の低下、運転手不足などは、国の物流政策でも課題として扱われている。共同配送や貨客混載、配送拠点の集約などが検討されているのも、従来と同じ方法で各事業者が個別に配送を続けることが難しくなる地域があるからである。この延長に、空き家を小規模な地域物流拠点として利用する発想を置くことはできる。

 例えば、住宅地の入口や幹線道路に近い空き家を複数事業者の荷物の受取場所とし、宅配ロッカーを設置する方法が考えられる。地域内の最終配送を共同化したり、買い物支援や高齢者への配達と組み合わせたりすることも考えられる。将来、自動配送車やドローンによる配送の実用範囲が広がった場合にも、安全な受け渡しや荷物の保管を行う場所が必要になる可能性はある。ただし、新しい配送技術の普及時期や費用対効果には不確実性があり、それを前提として施設を整備することには慎重でなければならない。

 重要なのは、空き家を配送拠点にすれば必ず効率が上がるわけではないということである。配送事業者が一度拠点に荷物を集めるために新しい移動が必要になれば、その分だけ作業時間が増える。住民が荷物を受け取るために車で移動するようになれば、配送事業者の費用は減っても、地域全体の移動時間や燃料消費は増える可能性がある。高齢者や自動車を利用できない住民にとって、受取拠点が新たな負担になることも考えられる。

 また、単なる荷物の受取場所と、有償で貨物を運送する事業、他人の物品を寄託されて保管する営業倉庫では、適用される制度や必要な手続が異なる。建物の用途、保管する荷物の種類、車両の出入り、近隣住民への影響なども確認しなければならない。そのため、物流拠点として価値を持つのは、車両が安全に出入りでき、荷物の管理が容易で、周辺住民や配送経路から利用しやすいような、条件の整った一部の空き家だろう。

 物流では建物の立派さよりも、地図上の位置と配送経路の方が重要になる場合がある。ただし、その位置が本当に有利かどうかは、配送事業者の費用だけではなく、住民の受取負担まで含めた地域全体の効率で判断する必要がある。

介護施設ではなく、介護につながる場所を増やす

 介護も、人材不足が進むほど地理的な条件が重要になる。仮に訪問介護の職員が利用者宅まで30分移動し、サービスを提供した後、さらに30分かけて次の利用者宅へ移動するなら、その一時間は職員の労働時間であっても、利用者に直接介護サービスを提供する時間ではない。人口密度が低く、利用者が広い範囲に点在する地域では、こうした移動が事業運営上の負担になる。

 もちろん、訪問介護をすべて集約型のサービスに置き換えることはできない。訪問介護には、自宅で生活する人をその生活の場で支えるという固有の役割があり、外出できない人ほど支援を必要としている場合もある。したがって、移動効率の改善を理由に訪問サービスを減らせば、かえって必要な支援から取り残される人が生まれる危険がある。

 一方で、健康相談、介護予防、軽い運動、地域交流、日常的な生活相談などは、必ずしも専門職が一軒ずつ訪問して実施する必要はない。住民が安全に通える場所があれば、一定の機能をまとめて提供する方法が考えられる。厚生労働省が推進している住民主体の「通いの場」や、介護予防・日常生活支援総合事業の考え方とも、この方向性は整合する。

 そこで、住宅地の中にある比較的状態のよい空き家を、介護予防や健康相談、地域交流などの小規模な拠点として利用する余地が生まれる。例えば、週に数日は体操や交流活動を行い、別の日には保健師や介護支援専門員などが相談に応じる場所にする。利用者が徒歩で通える位置にあり、段差やトイレなどの問題が解消されていれば、大規模施設とは異なる役割を果たす可能性がある。

 ただし、住民が自由に集まる交流施設と、介護保険制度に基づく指定サービスを提供する事業所は同じではない。後者にはサービスの種類に応じた人員、設備、運営上の基準があり、住宅を改修するだけで介護保険サービスを実施できるわけではない。また、通いの場が整備されても、身体機能が低下して外出できない人や、他者との交流を避けている人には支援が届かない可能性がある。

 そのため、空き家を使った地域拠点は、訪問介護や送迎、見守りなどを代替するものではなく、それらと組み合わせるものとして考えるべきだろう。孤立の防止や生活相談へのアクセス改善まで含めれば、「近くに安心して行ける場所がある」ということも、地域の生活基盤の一部なのである。

空き家から仕事が生まれるのではなく、仕事を続けられる条件をつくる

 仕事の分野では、空き家活用という言葉からサテライトオフィスや共同作業スペースを思い浮かべる人も多い。実際、既存住宅や空き店舗を改修して仕事の場にする取り組みは各地に存在する。しかし、空き家をきれいに改修し、高速通信を整え、机や会議室を設置すれば、それだけで新しい仕事が生まれるわけではない。

 地域に利用者がいなければ、使われていなかった住宅が、使われていない共同作業施設に変わるだけである。施設の開設件数や整備費用を成果として扱うと、実際に仕事が継続できるようになった人が何人いるのか、地域内の所得が増加したのかという本来の問題が見えなくなる。

 それでも、地域に会社員、自営業者、二地域居住者、移住者、学生などが一定数存在するなら、一人ひとりが自宅に十分な仕事環境を整えるより、オンライン会議ができる個室、複合機、高速通信、打ち合わせ場所などを共同利用する方が合理的な場合はある。住居内に静かな作業場所を確保できない人や、家庭生活と仕事を分けたい人にとっても、近隣に利用可能な作業場所があることには価値がある。

 ただし、その効果を地域経済の活性化として評価するなら、単なる施設利用者数だけでは不十分である。利用者が既存の仕事場所から移動しただけなのか、新たな仕事を地域外から獲得したのか、地域内で働き続けられる人が増えたのかを区別する必要がある。利用料金による収入が施設の運営費をどの程度賄えるか、利用者が減少した場合にも維持できるかという検証も欠かせない。

 空き家が仕事そのものを生むのではなく、地方に住みながら仕事を続けるための不便や制約を減らす。この違いは重要である。施設を作ることを目的にすると利用者不在の事業になりやすいが、すでに存在する需要を確認し、その需要を支える設備として空き家を選ぶなら、政策としての合理性が生まれる。

一軒の家を、一つの用途だけに固定しない

 人口の少ない地域では、もう一つ難しい問題がある。診療だけ、介護だけ、物流だけ、仕事だけでは、それぞれの利用量が小さく、一つの建物を維持できない可能性があることである。施設には利用者がいない時間帯にも一定の維持費が発生するため、単一用途では稼働率が低くなる場合がある。

 ここから、多用途化という発想が出てくる。午前中には介護予防や健康相談を行い、午後にはオンライン診療を受ける場所として利用する。別室を仕事や行政手続きの支援に使い、玄関付近には宅配ロッカーを設置する。週に一度は保健師や介護支援専門員が訪れ、別の日には地域活動を行う。そのような利用方法が実現すれば、一つの建物が複数の生活機能を地域につなぐ接点になる。

 経済学では、複数のサービスを共同で提供することによって、それぞれを単独で提供する場合より総費用が小さくなる現象を「範囲の経済」と呼ぶ。例えば、二つのサービスが建物、通信設備、管理業務、光熱費などを共同利用することで、別々の施設を維持するより費用を減らせるなら、範囲の経済が働いていることになる。

 しかし、用途を増やせば必ず効率化するわけではない。医療には患者のプライバシーや衛生管理が必要になり、物流には荷物の保管と安全管理が求められる。介護予防の利用者には段差やトイレへの配慮が必要であり、仕事場には静かな環境や情報管理が求められる。用途によって入口や利用時間を分けたり、防火設備を追加したりする必要が生じれば、複合化によって運営費がかえって上昇する可能性がある。

 また、医療相談の隣で荷物の積み下ろしを行えば騒音やプライバシーの問題が生じるかもしれない。高齢者が集まる場所と、車両が頻繁に出入りする場所を同じ敷地に設けることが安全上適切とは限らない。施設ごとの管理責任が曖昧になれば、事故やトラブルへの対応も難しくなる。

 したがって、目指すべきなのは「何でも一つの家へ詰め込む」ことではなく、相性のよい機能を組み合わせることである。介護予防と地域交流、行政相談と仕事場、物流の受取拠点と買い物支援など、必要な設備や利用者の行動が共通する組み合わせには可能性がある。人口減少地域で問われるのは、施設をどれだけ大型化できるかではなく、一つの場所を無理なく、どれだけ有効に利用できるかなのである。

空き家の用途変更には、法律と建物の安全性という壁がある

 空き家を地域インフラとして利用する構想には、制度上の制約もある。住宅として使用されていた建物を、診療、介護、物流、事務所、地域交流などの用途へ変更する場合には、建築基準法、都市計画法、消防法などの関係法令を確認しなければならない。建物の規模、用途、所在地、改修内容によって必要な手続は異なり、住宅として利用できていた建物が、そのまま事業用施設として利用できるとは限らない。

 制度面では、2023年12月に施行された改正空家法により、「空家等活用促進区域」の仕組みが設けられた。この制度では、市区町村が一定の区域を設定し、空き家の活用を進めるため、接道規制や用途規制の合理化などを図ることができる。ただし、区域を設定すればすべての用途変更が自由になるわけではなく、具体的な建物や事業内容に応じた確認が必要である。

 さらに、2025年4月に施行された改正建築基準法では、従来と比べて建築確認の対象となる建物や工事の範囲が見直された。例えば、2階建ての木造住宅などで主要構造部の大規模な修繕や模様替を行う場合には、建築確認が必要になることがある。古い住宅を大幅に改修して事業施設へ転用する場合には、工事費だけでなく、法令への適合に必要な費用や手続も考慮しなければならない。

 加えて、空き家の所有者が死亡して相続登記が行われていなかったり、複数の相続人が共有していたりする場合には、長期利用契約を結ぶこと自体が難しいこともある。災害リスクも無視できない。浸水や土砂災害の危険が高い建物を、避難が難しい高齢者の活動拠点や医療の受診場所にすることが適切とは限らない。停電や通信障害が発生した場合の対応も、施設の機能に応じて考える必要がある。

 つまり、空き家の転用可能性は、建物が物理的に残っていることだけでは判断できない。所有権、用途規制、耐震性、防火性能、バリアフリー、災害リスク、改修費などを確認し、予定するサービスを安全かつ継続的に提供できるかを判断する必要がある。

空き家の価値は、いくらで売れるかだけでは決まらない

 ここまで考えると、空き家政策で重要なのは改修技術だけではなく、どの建物を選ぶかという問題であることが見えてくる。

 全国の900万戸を超える空き家を、すべて住宅や地域施設として再利用する必要はないし、それは現実的でもない。老朽化が激しく、道路条件が悪く、災害リスクが高く、所有権も複雑で、周囲にほとんど住民が残っていない建物まで、公費を投じて再生する合理性は乏しい。住宅として再利用する建物、地域の活動拠点へ転用する建物、解体して土地の別の利用を検討する建物など、条件に応じて選別する必要がある。

 一方、住宅地の中央にあり、主要道路から入りやすく、駐車スペースがあり、比較的少ない費用で改修でき、周囲に一定数の住民が暮らしている空き家なら、住宅としての市場価格以上の公共的な価値を持つ可能性がある。

 例えば、駅から遠く、不動産市場では人気のない住宅でも、周囲500メートルに多くの高齢者が暮らし、診療所や商店への移動が難しい地域なら、生活相談や介護予防の拠点として重要な場所かもしれない。ただし、500メートルという直線距離だけでは、実際に利用できるかどうかは判断できない。急な坂道、歩道の有無、交通量、河川や鉄道による分断などによって、高齢者が安全に到達できる範囲は大きく異なる。

 そこで必要になるのが、地理情報システムを用いた施設配置の分析である。空き家の位置だけではなく、高齢者人口、住民分布、道路、公共交通、医療機関、商店、物流ルート、介護事業所などを同じ地図上に重ねる。さらに、実際の道路経路を使って徒歩や自動車による所要時間を計測し、どの場所にどの機能が不足しているのかを分析する。

 例えば、新たな相談拠点を設けることで、住民一人ひとりの移動時間がどの程度変化するかを推定し、それぞれの年間利用回数を考慮して地域全体の時間短縮効果を求める方法がある。もっとも、移動時間の短縮だけを成果と考えることはできない。サービスの質が低下したり、利用できる専門職がいなくなったりすれば、距離が短くなっても生活が改善したとは限らないからである。

 空き家の価値を「この家はいくらで売れるか」だけではなく、「この場所を利用することで、住民の移動負担や生活上の不便をどの程度減らせるか」という尺度で見る。そのうえで必要な費用とサービスの質を評価することが、住宅政策とは異なる視点になる。

空き家より公民館や移動サービスの方が合理的な場合もある

 ここで注意したいのは、地域に生活サービスの不足が見つかったとしても、その解決方法が必ず空き家の転用になるわけではないということである。

 例えば、すでに利用率の低い公民館や集会所が存在する地域なら、そこを多目的に活用する方が合理的かもしれない。オンライン診療の受診場所が必要なら、既存の公共施設や郵便局などを利用する方法も考えられる。買い物支援では、地域内に新しい受取拠点を設けるより、移動販売や配送サービスを充実させる方が効果的な場合もある。

 医療や介護でも同じである。固定的な拠点を維持するより、専門職が一定の日程で地域を巡回したり、既存施設へ送迎したりする方が、少ない費用で多くの住民を支援できる場合がある。人口密度、道路網、利用頻度、対象となる住民の身体状況によって、最も合理的な方法は変わる。

 国土交通省が進めてきた「小さな拠点」という政策も、人口減少や高齢化が進む地域で、生活サービスや地域活動の機能を一定の場所に集め、周辺集落との交通手段を確保しながら生活圏を維持することを目指している。空き家を多機能の地域拠点として利用する発想は、こうした既存政策と共通しており、まったく新しい概念というわけではない。

 むしろ重要なのは、「小さな拠点」を必ずしも新築施設や大規模な公共施設に限定せず、既存の住宅ストックも候補として評価できないかという点である。ただし、既存の公民館、空き店舗、公共施設、移動サービスなどと比較し、空き家の転用が費用や利便性の面で優れている場合に選ぶべきである。

 空き家が存在するから空き家を使うのではない。生活サービスを維持するうえで、空き家が最も合理的な選択肢になり得る場合に利用するのである。

改修費500万円の施設は、本当に安いのか

 空き家活用では、新築に比べて改修費が安く済むことが利点として語られやすい。しかし、建設費や改修費の比較だけでは、施設の経済性を判断できない。

 仮に、空き家の初期改修費が500万円、年間運営費が300万円、使用期間が10年、割引率が年2%という施設を考えてみる。残存価値をゼロとし、年間運営費が一定であると仮定すれば、改修費を10年間の年額に換算した金額は約56万円となり、年間運営費と合わせた年額換算総費用は約356万円になる。これはあくまで計算方法を示すための仮定であり、実際の施設の費用を示すものではない。

 この施設の年間延べ利用件数が800件なら、年額換算総費用を単純に利用件数で割った金額は約4,450円となる。利用件数が2,000件なら約1,780円まで下がるが、逆に利用件数が少なければ、1件あたりの負担は大きくなる。もちろん、この数字は施設費用を機械的に配分したものであり、実際の利用料金や社会的な便益を表しているわけではない。

 現実には、改修後の修繕費、設備更新費、通信費、光熱費、保険料、人件費、建物所有者への賃料などを計算する必要がある。専門職がサービスを提供するなら、その人件費や移動費も含めなければならない。補助金によって自治体や利用者の直接負担が減ったとしても、施設の整備と運営に社会全体として必要な費用が消えるわけではない。

 さらに、年間356万円で運営できるとしても、それだけでは政策として有効とは判断できない。既存の公民館を利用すれば年間150万円で同等のサービスを提供できるかもしれないし、移動サービスを充実させた方が多くの住民の生活を改善するかもしれない。比較すべきなのは、空き家の改修費と新築費だけではなく、同じ生活課題を解決できる複数の手段について、長期的な総費用と住民が得られる便益を比べた結果である。

 経済的には、移動時間の短縮、医療や介護へのアクセス改善、就業継続、社会的孤立の防止などによって得られる便益と、施設の整備・運営に必要な費用を比較することになる。ただし、孤立の防止や安心感のように、金銭的な価値へ換算することが難しい効果もある。その場合には、無理に一つの金額へ換算するのではなく、費用と複数の成果指標を併せて評価する方法が適切だろう。

「空き家を使う」ことを目的にすると失敗する

 空き家政策を考えるうえで、重要なのは目的と手段の順序である。自治体が空き家を見つけ、「せっかくあるのだから何かに使えないか」と用途を考え始めれば、本来の目的が曖昧になる。補助金を利用して交流施設や仕事場を整備しても、その地域に必要な機能でなければ、利用者が集まらず、運営費だけが残る可能性がある。

 本来は、どの地域で、どの生活サービスが不足しているのかを先に調べる必要がある。医療へのアクセスが悪いのか、買い物が難しいのか、介護予防の活動場所が不足しているのか、仕事を続けるための環境が整っていないのかを明らかにする。そのうえで、サービスを提供する方法として、既存施設の共同利用、訪問型サービス、移動販売、送迎、新築、空き家転用などを比較する。

 さらに、拠点が必要と判断された場合には、利用者の分布、交通条件、建物の安全性、改修費、運営費、管理主体などを調査する。空き家を利用するなら、所有者との契約や法令上の手続も必要になる。重要なのは、建物の確保と同時に、誰がサービスを提供し、誰が運営責任を負うのかを決めることである。

 施設を整備する前に、小規模な試行事業を行う方法も考えられる。例えば、既存の集会所を一定期間利用して健康相談や共同配送を試し、実際の利用者数、費用、住民の満足度、運営上の問題などを調べる。その結果、継続的な需要が確認され、既存施設では対応できない理由が明らかになった場合に、空き家の改修を検討する方が失敗の危険を抑えられる。

 空き家は目的ではなく、候補となる資産の一つである。この順序に立てば、「空き家対策」と呼ばれていたものは、住宅政策だけではなく、医療、介護、物流、交通、地域経済を横断する施設配置の問題へ変わっていく。

最大の課題は、建物よりも運営を続ける仕組みにある

 空き家を地域拠点へ転用する場合、改修費や建築上の制約が大きな障害になることはある。しかし、建物を整備できたとしても、その場所を10年、20年と運営し続けられるかどうかは別の問題である。

 補助金を利用すれば改修費を確保できるかもしれない。開所した当初は話題になり、見学者が訪れるかもしれない。しかし、鍵を誰が管理するのか、清掃を誰が行うのか、通信費や電気代を誰が負担するのか、機器が故障したとき誰が対応するのか、事故や個人情報の漏えいが発生した場合には誰が責任を負うのかといった問題が整理されていなければ、施設は長続きしない。

 人口減少地域で不足しているのは建物だけではない。医療職、介護職、運転手、物流人材、事務職員、地域活動を支える人材そのものが不足している地域もある。建物を増やしても、そこに配置できる人がいなければ生活サービスは増えない。複数の機能を組み合わせる場合には、各事業者の責任分担や費用負担を明確にする必要もある。

 地域住民のボランティアによって施設を支える方法にも限界がある。地域活動への参加には大きな意義があるが、継続的な管理業務を無償の善意だけに依存すれば、担い手の高齢化や負担の集中によって運営が不安定になる可能性がある。住民参加を前提とする場合でも、必要な経費を確保し、特定の個人に負担が集中しない運営体制をつくる必要がある。

 反対に、既存の医療機関、介護事業所、物流事業者、地域団体などが共同利用し、常駐職員を必要としない運営方法を構築できれば、小規模な拠点にも成立の余地がある。ただし、常駐職員がいないことと、管理責任者が不要であることは同じではない。通信障害、施設の安全管理、利用者の急変などに対応できる体制は、提供するサービスに応じて確保しなければならない。

 建物を再利用できるかどうかだけではなく、運営する人材と財源を継続的に確保できるかどうか。この問題を解決できなければ、空き家を改修する事業は、数年後に使われなくなった施設をもう一つ増やすだけになりかねない。

成功を判断するのは、空き家の再利用件数ではない

 空き家を地域インフラへ転用する政策を実施するなら、その効果をどのように測定するかも重要になる。

 空き家の再利用件数や施設の利用者数は、事業の実施状況を把握する指標にはなる。しかし、それだけでは地域の暮らしが改善したかどうかは分からない。例えば、オンライン診療の受診場所を整備した場合には、必要な診療を受けるまでの時間、受診の継続状況、対面診療への適切な接続などを確認する必要がある。物流拠点であれば、荷物一個あたりの配送費だけでなく、住民が受け取りに必要とする時間や費用も評価しなければならない。

 介護予防や地域交流については、活動への参加者数だけでなく、外出が難しい人への支援が届いているか、孤立の防止に寄与しているかを調べる必要がある。仕事場として利用する場合には、施設の稼働率に加えて、仕事の継続や地域内所得への影響を確認することが望ましい。

 さらに、施設の開設前後を比較するだけでは、その変化が空き家転用によって生じたものかどうかは判断できない。人口構成や交通条件が変化したり、別の支援制度が始まったりすれば、空き家とは無関係に住民の生活が改善することもある。可能であれば、条件の近い非導入地域との比較を行い、政策そのものの効果を検証する必要がある。

 また、利用者が増えたとしても、地域の一部の人にしか恩恵が届いていない可能性がある。公共的な事業として実施するなら、費用対効果だけでなく、自動車を利用できない人、低所得者、身体機能が低下した人などへの影響も考える必要がある。

 政策の成功は、何軒の空き家を再利用したかではなく、必要なサービスに到達できる住民がどの程度増えたか、生活上の負担がどの程度減ったか、その改善を合理的な費用で継続できるかによって判断するべきである。

空き家を減らすことより、暮らしの距離を縮める

 人口が減少する町では、病院、商店、介護事業所、公共交通を現在とまったく同じ配置のまま維持し続けることは難しい。利用者が減れば、施設一か所あたりの採算は悪化し、一人あたりの維持費が上昇することもある。人材不足が重なれば、建物が存在していても必要なサービスを提供できなくなる可能性がある。

 しかし、施設の現在の形を残せないことと、生活サービスそのものを失うことは同じではない。

 大きな施設を町のあちこちに残す代わりに、適切な場所へ小さな接点を置く。住民を毎回遠方まで移動させる代わりに、情報、荷物、専門職などを住民の近くへ届ける。オンラインと対面を組み合わせ、配送と買い物支援を重ね、介護予防と地域交流を同じ場所で行う。そのような方法で生活機能の一部を維持できるなら、すべてのサービスについて従来と同じ規模の施設を持ち続ける必要はないかもしれない。

 ただし、地域の機能を小規模な拠点へ分散させればよいという単純な話でもない。診療や介護では一定の集約によって専門職や設備を効率的に利用できる場合があり、物流でも配送ルートの集約が重要になる。どの機能を集約し、どの機能を住民の近くへ分散させるかは、それぞれのサービスの特性に応じて考える必要がある。

 そのとき、新しい建物を次々と建設するのではなく、すでに町の中にある空き家のうち、条件のよいものを利用できる可能性がある。

 窓が閉じ、庭に草が伸び、人が住まなくなった一軒の家を見たとき、そこに失われた人口だけを見る必要はない。その場所が医療へのアクセスを改善するかもしれず、荷物を受け取る場所になるかもしれず、高齢者が歩いて行ける相談場所になるかもしれず、町を離れずに仕事を続けるための場所になるかもしれない。

 もちろん、すべての空き家にその役割があるわけではない。利用できない住宅も多いだろうし、利用できても費用が見合わない住宅もある。既存の公民館や公共施設の方が適している場合もあれば、固定的な拠点を置かずに移動サービスを充実させる方が合理的な地域もある。だから必要なのは「空き家は地域の宝の山だ」という楽観論ではなく、人口、立地、需要、建物の状態、改修費、運営費、代替手段を比較し、使う建物と使わない建物を冷静に分けることである。

 人口減少社会で本当に守るべきなのは、建物の数でも、施設の数でもない。住民が必要な医療につながり、食料や荷物を受け取り、適切な介護や生活支援へアクセスし、可能な限り住み慣れた地域で働き、暮らし続けられることである。

 空き家をどう埋めるかではない。空き家を利用することで、切れかけている暮らしのつながりを、どこまで維持できるか。

 その順序で町を見直したとき、900万戸を超える空き家がすべて有効な資源に変わるわけではない。それでも、その中の限られた一部は、人口減少時代の地域に必要な生活機能を置くために、すでにそこに存在している「場所」になる可能性がある。

 空き家問題を解決するために、地域インフラへの転用を進めるのではない。地域インフラを再設計し、必要なサービスの配置を検討した結果として、適切な空き家が存在するなら利用する。その発想の転換こそが、空き家政策を単なる住宅対策から、人口減少社会における地域の生活基盤の再設計へとつなげるのではないだろうか。

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 山あいの集落に、決まった曜日になると一台の診療車がやって来る。公民館の前に車が止まり、地域の高齢者が順番を待つ。巡回診療という言葉から連想されるのは、いまでもそんな風景かもしれない。それは医療機関の少ない地域を長く支えてきた仕組みでありながら、一方では「病院へ行けない人に最低限の診療を届けるもの」という印象もまとっている。

 しかし、2026年の医療技術と通信環境を前提に、この巡回診療をもう一度考え直してみると、別の姿が見えてくる。超音波診断装置や心電計は小型化し、少量の検体で結果を得られる検査装置も実用化されている。通信技術の進歩によって、患者のいる場所と専門医のいる場所が同じでなくても、一定の診療情報を共有しながら医療を提供できるようになった。電子処方箋や診療情報の電子的な共有も整備が進み、2026年4月にはオンライン診療が医療法上に明確に位置付けられ、巡回診療についても行政手続の見直しが行われた。

 そうなると、問いは「巡回診療を残すべきか」というところにはとどまらない。昔からある巡回診療を、現在の医療技術と制度によってどこまで別の医療システムへ進化させられるのか、という問いに変わってくる。

 本稿では、その仕組みを便宜上「巡回型高度診療体制」と呼んでみたい。ただし、これは現在存在する正式な制度名称ではなく、大型病院をそのまま車輪の上に載せるような構想でもない。現実的なのは、病院が持っている機能のすべてではなく、そのうち「患者の状態を把握し、必要な診療や検査、次の受診先を適切に判断する機能」の一部を地域へ運ぶという考え方である。

 もっとも、技術的に実現できることと、医学的に安全であること、法律上実施できること、さらに経済的に合理的であることは、それぞれ別の問題である。巡回診療の高度化を論じる際には、この四つを混同しないことが重要になる。

高度化とは、巨大な医療機器を積み込むことなのか

 高度な巡回医療と聞けば、CT(Computed Tomography・コンピュータ断層撮影)装置や高度な検査設備を積んだ巨大な診療車を想像するかもしれない。実際、海外ではCTを搭載したMSU(Mobile Stroke Unit・脳卒中専用移動診療車)が運用されており、脳卒中が疑われる患者のもとへ診断機能を運び、現場で画像診断を行って血栓溶解療法を早く始める取り組みが行われている。

 2021年に発表された米国の大規模な比較研究では、血栓溶解療法の適応がある患者について、発症から治療開始までの時間の中央値が、移動型脳卒中診療車では72分、通常の救急医療では108分だった。つまり、治療開始が中央値で36分早くなっている。さらに、論文発表後の訂正を反映した結果では、90日後に日常生活上の障害がほとんどない良好な機能的予後を示した患者の割合が、移動型診療車群で53.5%、通常救急群で45.5%となり、8.0パーセントポイントの差が報告されている。

 この研究は、高度医療の一部を患者の側へ移動させることによって、治療開始時間や患者の予後を改善できる場合があることを示している。ただし、脳卒中は治療開始までの時間が予後に強く関係する疾患であり、この結果を高血圧、糖尿病、慢性心不全などを中心とする一般的な巡回診療へそのまま当てはめることはできない。また、比較研究で確認された改善が、すべての地域で同じ程度に得られるとも限らない。

 CTを搭載すれば、車両重量、電源設備、放射線防護、医療機器の保守、操作する医療従事者の確保など、多くの問題が生じる。一日に数人しか診療しない地域へ高額な設備を配置すれば、固定した医療機関に設置する場合より利用効率が低下する可能性もある。技術的に可能だからといって、社会システムとして合理的とは限らないのである。

 そこで「高度」という言葉を、機械の値段や大きさから切り離して考える必要がある。高度な巡回診療とは、高価な装置をできるだけ多く搭載することではなく、地域で取得できる診療情報を充実させ、その情報を適切な医療判断につなげる仕組みとして捉える方が現実的ではないだろうか。

「とりあえず病院へ」の前にできること

 例えば、高齢者が巡回診療で「このところ少し息切れがする」と訴えたとする。従来型の小規模な巡回診療であれば、問診、聴診、血圧測定などを行い、異常が疑われれば精密検査のために病院を受診するよう説明することが考えられる。それは適切な医療判断の一つだが、患者から見ると、症状の原因が十分に分からないまま遠方の病院へ向かわなければならない場合もある。

 そこに心電図、血中酸素飽和度の測定、携帯型超音波診断装置、POCT(Point-of-Care Testing・患者のそばで行う臨床現場即時検査)などが加わると、診療に利用できる情報が増える。心不全、不整脈、呼吸器感染症、貧血などの可能性を検討する材料が得られ、必要に応じて心電図や超音波画像を離れた医療機関の医師へ送ることもできる。

 例えば、心不全が疑われる患者では、肺に水分が貯留していることを示唆する所見を、肺の超音波検査によって評価できる場合がある。2025年に公表された38研究、計6,783人を対象とする統合解析では、肺超音波による心不全診断について、感度92%、特異度90%という結果が報告された。感度とは病気のある人を陽性と判定できる割合であり、特異度とは病気のない人を陰性と判定できる割合である。

 ただし、この数値を巡回診療車の診断精度としてそのまま使用することはできない。研究間には患者の状態、検査方法、実施者の技術などに大きな違いがあり、診療現場で同じ性能が再現されるとは限らない。また、肺超音波によって心不全に関連する肺の所見を評価することと、心臓超音波検査によって心臓の収縮機能や弁の状態を評価することは、目的も必要な技術も異なる。

 携帯型超音波診断装置は、十分な訓練を受けた医療者が適切な目的で使用すれば有用な補助的検査になり得るが、専門医による正式な画像検査や総合的な診断を完全に置き換えるものではない。重要なのは、巡回車の中で確定診断まですべて終えることではなく、従来より多くの情報を持った状態で、次の行動を判断できるようになることである。

検査機器が増えても、病気の見逃しはなくならない

 ここで注意しなければならないのは、診断能力が向上することと、重大疾患を見逃さなくなることは同じではないという点である。どれほど性能の高い検査であっても、偽陽性と偽陰性が存在する。偽陽性とは実際には病気がないのに陽性となることであり、偽陰性とは病気があるのに陰性となることである。

 先ほどの肺超音波検査の感度92%、特異度90%という数値を使って、仮に検査対象者1,000人のうち100人が心不全だった場合を考えてみる。この数値がそのまま適用できると仮定すると、心不全の100人のうち92人が陽性となる一方、8人は陰性と判定される。また、心不全ではない900人のうち90人が陽性となり、810人が陰性となる。したがって、陽性と判定された182人のうち、実際に心不全であるのは92人であり、陽性的中率は約50.5%となる。

 これは仮想的な計算であり、実際の巡回診療における患者構成や検査性能を示したものではない。しかし、検査の感度や特異度が高くても、対象集団における病気の割合によって検査結果の解釈が大きく変わることを示している。特に、病気の割合が低い集団では、陽性と判定された人の中に偽陽性が相当数含まれることがあり、逆に検査が陰性でも重大な疾患を完全に否定できるわけではない。

 巡回型高度診療体制を導入する場合、こうした限界を踏まえた診療手順が必要になる。強い胸痛、重度の呼吸困難、意識障害、著しい低酸素状態などが認められる患者では、携帯型検査の結果を待つことによって救急搬送が遅れてはならない。診療車で対応できる範囲、直ちに救急搬送すべき状態、専門医へ相談すべき条件を明確にし、現地の医療者が判断に迷った場合の連絡体制も整えておく必要がある。

 したがって、巡回診療の高度化を評価する指標は、検査件数や診断の的中率だけでは不十分である。重大疾患の見逃し、搬送の遅延、受診後の予期しない入院、短期間での再受診なども確認しなければならない。高度化とは、単に診断に使える機器を増やすことではなく、患者をより安全に適切な医療へつなぐ判断能力を高めることなのである。

専門医を配置するのではなく、専門医につなぐ

 地方医療が抱える難問の一つは、専門医の配置である。循環器内科、脳神経内科、皮膚科、眼科などの専門医を、人口数千人規模の地域へそれぞれ常勤配置することは、患者数や人材確保の面から難しい。人口減少が進むほど、専門医を地域ごとに配置する方式の維持はさらに困難になる可能性がある。

 しかし、専門医の身体を常に地域へ置くことができないからといって、その専門知識へ地域住民がアクセスできない状態を当然と考える必要はない。通信技術を利用すれば、現地の医療者が取得した検査結果を専門医が確認したり、必要な場合に患者と専門医がオンラインで診療を行ったりすることが可能になる。

 日本国内でも、こうした仕組みを取り入れた医療車両の導入が始まっている。鹿児島県薩摩川内市では、2025年4月に「走る診察室」と呼ばれる医療MaaS(Mobility as a Service・移動サービスを医療提供に組み合わせた仕組み)の運行が始まり、医療機関へのアクセスが難しい地域へ日常的な医療を届ける取り組みが行われている。また、高知県では2022年12月に大井田病院へ医療車両が導入され、遠隔聴診器、携帯型心電計、超音波診断装置、通信設備などを搭載した診療環境が整備された。

 これらの取り組みは、医療機器と通信環境を備えた車両によって、住民の生活圏に診療機能を近づけることが技術的に可能であることを示している。ただし、車両が導入されたという事実と、患者の健康状態が改善したこと、さらには事業の費用対効果が優れていることは別である。実際にどれだけの患者が利用し、どのような疾病を診療し、受診負担や健康状態がどの程度変化したかについては、継続的な評価が必要になる。

 それでも、ここから見えてくる方向性は重要である。巡回診療車を一人の医師が乗って地域を回るだけの「移動する診療所」から、地域と複数の医療機関を結ぶ「移動する医療接続拠点」へ発展させられる可能性があるからだ。

 同じ車両であっても、ある日は循環器専門医に心電図や超音波画像を送り、別の日には皮膚病変の画像を皮膚科医へ送り、慢性疾患患者については地域のかかりつけ医と基幹病院が検査結果を共有することが考えられる。もちろん、すべての診療科がオンライン診療に適しているわけではなく、触診や処置、精密な身体診察が必要な場合には対面診療が欠かせない。

 また、専門医が画像を確認して現地の医師へ助言することと、専門医自身が患者にオンライン診療を行うことは、医療上も制度上も同じではない。診断や治療の責任を誰が負うのか、必要な場合に誰が対面診療を実施するのか、遠隔側の医師の時間をどのように確保するのかをあらかじめ定めておかなければならない。

 人口数千人の町に五人の専門医を常勤させることと、必要に応じて五人の専門医へ相談できる体制を整えることでは、必要な人材や費用の構造が異なる。地方の医師不足を人員配置の均等化だけで解決しようとするのではなく、適切な医療判断へアクセスできる機会をどのように確保するかという視点も必要になるだろう。

2026年の制度改正は何を変えたのか

 巡回型高度診療体制を考えるうえで、2026年は制度面でも重要な節目となった。2026年4月1日から、オンライン診療に関する規定が医療法上に施行され、オンライン診療の定義や実施に関するルールが整備された。また、患者が医療機関から離れた場所でオンライン診療を受けるための「オンライン診療受診施設」が医療法に位置付けられた。

 これにより、一定の条件を満たす施設を利用して、患者が遠隔地の医師からオンライン診療を受ける制度的な枠組みが明確になった。公民館や郵便局など、従来の医療機関とは異なる場所を医療アクセス確保のために活用することも想定されている。

 ただし、オンライン診療受診施設の制度が整備されたことと、すべての巡回診療車が自動的にその施設として認められることは同義ではない。施設の設置に関しては所在地などの届出が必要であり、移動する車両を複数の集落で利用する場合には、その具体的な運用方式が制度上どのように扱われるかを確認しなければならない。オンライン診療受診施設として運用するのか、既存の医療機関による巡回診療として運用するのかによっても、適用される手続きが異なり得る。

 さらに重要なのは、2026年3月27日に厚生労働省が「巡回診療の医療法上の取り扱いについて」を改正したことである。従来、巡回診療では実施場所などを記した計画の提出が求められていたが、改正後は、実施主体が診療実績を記録し、行政の求めに応じて提出できる体制を確保する旨をあらかじめ申し出た場合、実施場所を町や字などの「地区」単位で記載できるようになった。

 また、既存の病院や診療所が、その所在地と同じ都道府県内で条件を満たす巡回診療を行う場合には、新たな診療所の開設手続きを必要としない取扱いが示されている。ただし、巡回診療の必要性、実施主体、既存医療機関の通常診療に支障を生じさせないことなど、満たすべき条件は存在する。巡回診療車であれば無条件に手続きが簡略化されるわけではない。

 この見直しは、複数の集落を巡回する医療機関にとって、実施計画の作成や変更に関する行政上の負担を軽減し得るものと考えられる。しかし、行政手続が簡素化されたことと、医師や看護師が行える医療行為の範囲が広がったことは別であり、診療報酬が自動的に増えるわけでもない。

 看護師が医療機器を操作する場合には、医師の指示や適切な教育、安全管理などが必要になる。遠隔の医師による診療についても、オンライン診療に関する指針や必要な届出、保険診療上の算定要件などを確認しなければならない。法律上実施できる医療と、公的医療保険によって費用を回収できる医療を区別することは、事業の持続可能性を検討するうえで欠かせない。

 2026年の制度改正によって、巡回型高度診療体制の実現を検討しやすい環境が整いつつあることは確かである。ただし、それは構想のすべてが一つの制度で認められたという意味ではなく、複数の法制度を適切に組み合わせるための条件が以前より明確になってきたということである。

医療までの距離は、道路の長さだけではない

 地方医療について語るとき、「病院まで三十キロ」「救急病院まで車で四十分」という表現がよく使われる。しかし、住民にとって意味があるのは地図上の距離だけではなく、必要な医療に到達するまでの時間と負担である。

 病院が十キロ先にあっても、自動車を運転できない高齢者が一日に数本しかないバスを使わなければならないなら、その病院は生活上かなり遠い。反対に、病院が三十キロ離れていても、定期的に巡回する医療車両で初期診察や検査を受け、必要な患者だけが予約された病院へ向かえるなら、医療への実質的なアクセスは改善する可能性がある。

 この視点から見ると、巡回型高度診療体制の役割は「病院の代替」ではなく、「地域で対応できる医療と、病院で対応すべき医療を適切に振り分ける入口」にある。血圧の薬をもらうために半日を使い、慢性疾患の定期検査のために家族が仕事を休んで送迎し、症状の程度が分からないため遠方の医療機関へ出かける。患者の時間だけでなく、家族の時間、自家用車の費用、交通サービスの運営費まで含めれば、通院には社会全体として多くの資源が投入されている。

 巡回診療によって、こうした移動の一部を地域内で完結させられる可能性はある。症状の初期評価が充実すれば、精密検査が必要な患者を早めに見つける一方、医学的に安全な範囲で長距離通院を減らすことも考えられる。

 ただし、巡回診療が普及すれば必ず通院回数や医療費が減少するとは限らない。これまで受診機会が乏しかった住民が新たに受診するようになれば、地域全体の受診件数が増える可能性がある。また、巡回診療によって病気が早期に発見されれば、病院での精密検査や治療につながる患者が増えることも考えられる。

 その結果、医療費や通院回数が増えたとしても、直ちに政策の失敗とは評価できない。必要だった医療を受けられなかった人が適切な診療を受けられるようになること自体に、公衆衛生上の価値があるからだ。医療費を減らすことと、医療アクセスを改善することは、必ずしも同じ方向へ動くわけではない。

 したがって、巡回型高度診療体制の効果は、単に病院への通院件数が減ったかどうかではなく、必要な医療を受けられる住民が増えたか、重大な病気の発見や治療が適切に行われたか、患者と家族の負担がどの程度変わったかという複数の観点から評価すべきである。

令和の巡回診療は孤立した診察室でなくなる

 従来の巡回診療には、診察場所と医療情報が分離してしまうという構造的な弱点があった。診療車が地域に来ても、患者の過去の検査結果は病院にあり、薬の情報は薬局にあり、以前どのような病気を診断されたかは患者本人の記憶に頼ることもあった。診察する場所だけを患者の近くへ動かしても、その場に必要な情報がなければ診療能力には限界がある。

 現在は、オンライン資格確認を通じた一定の診療情報や薬剤情報の参照、電子処方箋、オンライン服薬指導などの仕組みが整備されつつある。これらを適切に組み合わせることができれば、巡回診療車で患者を診察し、参照可能な過去の情報を確認し、必要な処方や薬局との連携につなげる流れを構築できる可能性がある。

 もっとも、医療情報の電子化が全国で完成したわけではない。厚生労働省が公表した2026年6月時点の電子処方箋の導入率は、医療機関と薬局を合わせた全体で41.3%だった。施設別では薬局が90.5%に達している一方、病院は20.9%、医科診療所は29.5%、歯科診療所は10.7%にとどまっている。

 この数値は、オンライン資格確認等システムを導入した施設を基礎とする集計であり、すべての医療施設を分母にした単純な割合とは限らない。また、施設別の導入率を単純平均したものでもない。薬局では電子処方箋の導入が大きく進んでいるものの、処方箋を発行する医療機関側では普及の途上にあることが分かる。

 さらに、電子処方箋が利用できることと、診療録、画像、検査結果などの医療情報が医療機関を越えて全面的に共有されていることは別である。情報の種類によって参照可能な範囲は異なり、患者の同意や利用するシステム、医療機関側の整備状況にも左右される。

 したがって、巡回型高度診療体制を構築する際には、全国どこでも医療情報が完全に共有されているという前提を置いてはならない。情報を電子的に参照できない場合には、診療情報提供書やお薬手帳、患者への確認など、従来の方法を組み合わせて必要な情報を確保する体制も必要になる。

 また、診療車と病院、薬局を通信で結ぶ場合には、個人情報保護と情報セキュリティーも重要になる。患者情報の誤送信、不正アクセス、通信障害、機器故障などへの対策を講じ、通信が途絶えた場合にも患者の安全を確保できる手順を用意しておかなければならない。

 こうした課題を踏まえても、医療情報の接続性が巡回診療の価値を左右することに変わりはない。巡回車にどれだけ高価な医療機器を積み込むかよりも、既存の病院、診療所、薬局との間で必要な情報を安全かつ確実に共有できるかという点が、診療体制全体の能力を決める重要な要素になるのである。

病院はなくならない。それどころか、むしろ重要になる

 医療技術の進歩について語ると、議論はしばしば「それなら病院はいらなくなるのではないか」という方向へ飛躍する。しかし、巡回診療が高度化しても、病院の役割がなくなることはない。

 急性心筋梗塞に対するカテーテル治療、脳卒中に対する高度画像診断や血管内治療、手術、輸血、人工呼吸管理、集中治療などは、十分な設備と多数の医療職が存在する医療機関でなければ実施できない。また、オンライン診療では対面診療より得られる情報が限定されるため、必要な場合に対面診療へ移行できる体制が求められる。

 したがって、巡回型高度診療体制は病院をなくす仕組みではなく、病院の機能をより適切に利用するための仕組みとして考えた方がよい。地域で安全に対応できる患者には生活圏で診療を提供し、精密検査や高度な治療を必要とする患者は病院へつなぐ。この役割分担が成立すれば、患者が必要な医療機能へ到達する経路を改善できる可能性がある。

 ただし、巡回診療によって病院の負担が必ず減るわけではない。巡回診療で新たに病気が発見されれば、病院への紹介が増える場合もある。また、病院側には、遠隔診療への対応や巡回診療から紹介された患者の受け入れなど、新たな業務が生じる可能性もある。

 重要なのは、病院の患者数を機械的に減らすことではなく、病院でなければ提供できない医療と、地域で安全に提供できる医療を適切に分担することである。巡回診療と病院は競争相手ではなく、制度と運営を適切に設計すれば、互いの機能を補完する関係になり得る。

最大級の課題は、稼働率と運営の持続可能性である

 巡回型高度診療体制は、技術的にはすでに実現可能な要素を多く持っている。必要な医療機器や通信技術が存在し、国内でも医療車両を活用した取り組みが始まっている。しかし、技術的にできることと、十年、十五年にわたって持続可能な医療提供体制になることは同じではない。

 診療車を購入し、最新の医療機器を搭載することは、資金が確保できれば実現可能である。難しいのは、その車両を日常的に使い続けることである。医師や看護師を誰が確保するのか、車両を誰が運転するのか、医療機器を誰が管理し、故障時には誰が修理するのか、通信が途切れた場合にどう対応するのか、遠隔側の専門医が診療に参加する時間をどのように確保するのかという問題が続く。

 なかでも、持続可能性を左右する重要な課題の一つが稼働率である。患者が一日に数人しかいない地域へ、医療職と高価な機器を積んだ車両を一日かけて走らせれば、一人当たりの診療コストは高くなりやすい。反対に、一定数の患者を継続的に診察でき、複数の集落を効率的に巡回できるのであれば、同じ設備でも費用を分散させることができる。

 この関係は、簡単な数理モデルによって確認できる。一人当たりの診療コストは、年間固定費を年間診療件数で割り、そこへ一件当たりの変動費を加えることで概算できる。年間診療件数は、一日の平均診療件数に年間診療日数を掛けた値である。

 仮に、車両、医療機器、人件費、通信費、管理費などを含む年間固定費を3,000万円、年間稼働日数を200日、患者一人当たりの検査試薬や医療消耗品などの変動費を1,500円とする。この場合、一日5人を診察すると年間1,000件となり、一件当たり総費用は31,500円になる。一日10人なら16,500円、15人なら11,500円、20人なら9,000円、30人なら6,500円となる。

 これらは実際の国内事業の費用を示す数値ではなく、稼働率が一人当たり費用に与える影響を確認するための仮定である。現実には、診療件数が増えると医療従事者の追加配置や車両の増車が必要になり、固定費も一定とは限らない。また、医療内容によって検査費用は大きく異なるため、この計算結果だけで事業の採算性を判断することはできない。

 さらに、一日に何人診察できるかには時間的な制約がある。仮に一日の勤務時間を480分とし、集落間の移動、準備、片付け、記録などに150分を使うとすれば、直接診療に充てられる時間は330分になる。一人当たり20分を要する診療では理論上16人程度、30分を要する診療では11人程度が目安となる。検査待ちや患者の状態によっては、さらに少なくなる可能性がある。

 看護師による検査や医師による診療を並行して進めれば、処理能力を高められる場合もある。しかし、遠隔医師の診療時間、検査装置の数、患者の移動能力、通信環境などが制約となることもある。したがって、一日20人、30人を診察できることを当然の前提として事業計画を立てるのは適切ではない。

 巡回型高度診療体制においては、患者数だけでなく、診療内容、必要な医療職の人数、車両の移動時間、利用できる診療時間を同時に考える必要がある。最新医療機器の性能よりも、限られた時間と人員をどのように配分するかという運営設計が、事業の継続可能性を左右するのである。

診療コストが安ければ、優れた医療制度なのか

 巡回型高度診療体制の費用対効果を評価する場合、一人当たりの診療コストだけで判断してはならない。既存の診療所、訪問診療、通院支援、デマンド交通などと比較し、同じ予算でどのような医療成果が得られるかを調べる必要がある。

 例えば、巡回診療一件当たりの総費用が9,000円であっても、それによって減らせる通院の社会的費用が一件当たり5,000円にとどまるなら、通院負担の削減だけで巡回診療の費用を正当化することは難しい。一方で、それまで医療を受けられなかった住民が受診できるようになり、病気の早期発見や慢性疾患の管理改善につながるのであれば、通院費用の削減額だけでは測れない価値が生まれる。

 ここで重要なのは、誰にとっての費用を比較しているのかという点である。自治体にとっての費用は補助金や事業委託費が中心になる一方、医療機関にとっては人件費、車両維持費、医療機器費用などと診療報酬収入の関係が問題になる。患者にとっては自己負担額、交通費、移動時間が重要であり、家族にとっては送迎や付き添いに要する時間も負担になる。

 また、自治体から医療機関へ支払われる補助金は、自治体にとって支出である一方、医療機関にとっては収入となる。社会全体の費用を計算する際に、この金額を双方で重複して費用計上すれば、実際より費用を大きく見積もってしまう。したがって、自治体財政、医療機関経営、患者負担、社会全体という異なる視点を整理したうえで比較する必要がある。

 経済的な合理性を評価するには、巡回診療を導入した場合と、導入せずに既存の診療体制を維持・改善した場合を比較することが重要になる。単に巡回車の年間運営費を計算するだけでは、他の方法より優れているかどうかは判断できない。

 また、医療政策において費用が安いことは重要だが、それだけが目的ではない。医学的な安全性を損なったり、受診が困難な住民を対象から外したりして費用を削減しても、望ましい医療制度とは言えない。限られた資源の中で、医療の質、安全性、公平性、患者負担をどのように両立させるかが問われるのである。

患者の家まで行けばよいとは限らない

 巡回診療というと、医療者が患者の自宅まで訪ねていく姿を理想と考えがちだが、それが必ずしも最も効率的とは限らない。人口が広く分散した地域で一軒ずつ患者宅を訪問すれば、診療時間より移動時間の方が長くなることがある。

 そこで、集会所、公民館、既存の福祉施設などを診療拠点として活用し、周囲の住民が比較的短い距離を移動して診療を受ける方式が考えられる。診療車は複数の集落を巡回し、専門医は都市部や基幹病院からオンラインで参加する。この組み合わせによって、医療職と患者双方の移動負担を小さくできる場合がある。

 ただし、一般の公共施設を診療場所として使用する場合には、医療法上の取扱いに加え、衛生環境、プライバシー、患者の安全、施設の利用条件などを確認する必要がある。また、医療車両に必要な設備が整っていても、患者の乗降が困難であったり、車いすでの利用に対応できなかったりすれば、実際の利用は制限される。

 この問題は、数学的には施設配置問題や車両経路問題として捉えることができる。住民の分布、道路網、移動時間、診療に必要な時間、車両の運行可能時間などを条件として、診療拠点の場所や巡回順序を決める最適化問題である。

 しかし、単純に地域全体の移動時間を最小化すればよいわけではない。例えば、百人の住民の移動時間をそれぞれ十分短縮できたとしても、自動車を利用できない少数の高齢者が診療を受けられなくなるのであれば、その配置が医療政策として望ましいとは限らない。

 したがって、巡回診療の配置を考える際には、移動時間や費用の最小化に加えて、一定以上の医療アクセスをすべての対象住民に確保するという条件が必要になる。独居高齢者、障害のある人、公共交通を利用できない人などについては、送迎サービスや訪問診療を組み合わせる方法も検討すべきである。

 この発想に立つと、巡回診療は医療だけの問題ではなくなる。デマンド交通、福祉送迎、公共施設配置、薬剤配送などと組み合わせて考えた方が効率的な場合もあるからだ。人口減少地域では、医療、交通、介護、物流を別々の事業として設計するだけでなく、住民の生活を支える一つの地域インフラとして捉える視点が必要になる。

どの町にも導入すればよいわけではない

 巡回型高度診療体制は、全国の人口減少地域を一つの方法で救える仕組みではない。既存の病院まで短時間で到達でき、住民の通院手段も確保されている地域であれば、高価な診療車を新しく導入するより、タクシー券やデマンド交通を充実させた方が合理的かもしれない。

 一方、高齢化率が高く、公共交通が乏しく、複数の集落が一定の範囲にまとまり、基幹病院への通院に長時間を要する地域では、巡回診療によって医療アクセスが大きく改善する可能性がある。ただし、その場合も、どれだけの患者が実際に利用するか、必要な医療職を確保できるか、年間の運営費がどの程度になるかを確認しなければならない。

 導入前には、車両購入費だけでなく、年間の診療件数、医療職の稼働時間、車両の償却費、通信費、機器保守費、保険診療による収入、自治体の負担額などを総合的に計算する必要がある。さらに、同じ予算を既存診療所への支援、訪問診療、通院支援、無料送迎などへ投入した場合の成果も比較すべきである。

 2026年に公表された農村地域の移動診療所に関する文献レビューでは、34件の文献が検討され、医療アクセスの改善、予防医療の提供、慢性疾患管理などに一定の可能性が認められた。一方で、研究の質にはばらつきがあり、長期的な健康改善、費用対効果、事業の継続可能性については、より厳密な検証が必要とされている。

 このことは、移動診療が無意味であることを示しているのではない。医療アクセス改善の有望な手段でありながら、どの地域で、どのような方式を用いれば最も優れた成果が得られるかについては、まだ十分な答えが出ていないということである。

 とりわけ、巡回車、携帯型検査、看護師、遠隔専門医、電子処方箋、薬剤配送を一体化した体制について、日本の人口減少地域で固定診療所や通院支援より必ず費用対効果に優れることまで科学的に確立されているわけではない。各要素の技術的有効性が示されていても、それらを組み合わせた医療システム全体が優れているとは限らないのである。

 ここを曖昧にすると、最新設備を搭載した診療車を導入すること自体が政策の目的になってしまう。導入時には先進的な取り組みとして注目されても、数年後には患者数不足や人員不足によって稼働日数が減り、結果として十分に活用されない可能性もある。

 新しい医療提供体制を評価するのであれば、車両を導入したかどうかではなく、五年後にも住民の必要に応じて利用され、医療の安全性と質を確保しながら持続できているかを見るべきだろう。

成功を判断するには、どのようなデータが必要なのか

 巡回型高度診療体制の実際の効果を検証するためには、導入後の患者数や車両稼働率を集計するだけでは不十分である。少なくとも、医療アクセス、患者の健康状態、医療安全、患者と家族の負担、運営費用、継続可能性を分けて評価する必要がある。

 医療アクセスについては、診療を必要としてから実際に受診するまでの日数や、交通手段がないために受診を控えた住民の割合などが指標になる。診療の質については、慢性疾患の管理状況、精密検査が必要と判断された患者の受診完了率、治療の継続状況などを確認することが考えられる。医療安全については、重大疾患の見逃しや救急搬送の遅れ、予期しない入院などを把握する必要がある。

 患者負担については、病院への往復移動時間、交通費、家族の送迎時間などを測定する。運営効率については、一日当たり診療件数、医療従事者の実働時間、車両の移動時間、機器故障による休止日数などを記録する。こうした数値を継続的に取得することで、巡回診療がどの部分で成果を上げ、どの部分に改善の余地があるかを検討できる。

 ただし、導入前後の数値を単純に比較するだけでは、政策の効果を正確に推定できない場合がある。例えば、巡回診療の導入と同じ時期に地域の診療所が閉鎖されたり、公共交通が縮小されたりすれば、受診件数や患者負担はその影響も受ける。また、人口の高齢化や疾病構成の変化によって、医療需要そのものが変わる可能性もある。

 したがって、科学的な効果検証を行うには、導入地域と条件が近い非導入地域を比較する方法や、複数地域へ段階的に導入して変化を比較する方法などが考えられる。その際には、年齢構成、基礎疾患、人口密度、医療機関までの所要時間、既存の医療資源などの違いを考慮しなければならない。

 また、費用対効果だけでなく、住民間の公平性も確認する必要がある。利用件数が多い集落に診療車を集中させれば、一人当たり費用は低くなるかもしれない。しかし、その結果、交通手段のない小規模集落の住民が医療から取り残されるのであれば、地域医療政策として十分とは言えない。

 必要なのは、事業全体の効率性を高めながら、医療を必要とする住民が最低限確保されるべき診療機会を失わないようにすることである。巡回型高度診療体制を地域政策として評価する際には、この効率性と公平性の両立が重要になる。

「診療所を残す」という発想から離れてみる

 地方医療では、長い間「病院を残すか」「診療所を残すか」という議論が繰り返されてきた。住民にとって、地域から医療施設がなくなることへの不安は大きく、建物が存在すること自体が安心感にもなってきた。

 しかし、人口減少がさらに進めば、建物を残すことと医療を残すことが一致しなくなる地域も増えてくる。診療所が存在していても、医師が週に一度しか来られないのであれば、実際に提供できる医療機能は限定される。一方、固定した診療所がなくても、定期的に診療車が訪れ、必要な検査を実施し、かかりつけ医や専門医につながり、必要な場合には基幹病院への受診調整まで行えるのであれば、住民が利用できる医療機能が充実する場合も考えられる。

 ただし、固定診療所には継続的な診療、地域住民との関係構築、急な症状への対応など、巡回診療では代替しにくい役割もある。巡回診療車が週に数回訪れることと、地域に常時利用できる医療機関が存在することは同等ではない。特に、診療車が来ない日の急病や、継続的な医学的管理を必要とする患者への対応を考えると、巡回診療だけで地域医療を完結させることには限界がある。

 したがって、固定診療所を維持するか、巡回診療へ転換するかという二者択一で考える必要はない。既存診療所を中心に巡回診療を補完的に導入する方法もあれば、複数の自治体や医療機関が共同で車両を利用する方式も考えられる。地域の人口規模、疾病構成、医療機関の配置、交通条件によって、望ましい組み合わせは異なる。

 重要なのは、建物があるかどうかだけで医療の充実度を判断しないことである。住民が必要なときに、必要な医療機能へ、安全かつ継続的にアクセスできるかという観点から、地域医療全体を評価する必要がある。

医療をどこに置くかから、医療機能をどう配置するかへ

 人口減少地域における医療提供体制の設計は、医療施設の配置だけを考える問題ではない。限られた医療職、設備、財源、交通手段、通信環境をどのように組み合わせるかという、地域全体の資源配分の問題である。

 医師をすべての集落へ常勤配置することが難しい場合でも、看護師や医療機器を必要な場所へ移動させ、遠隔の医師や専門医と接続することで、一部の診療機能を補える可能性がある。ただし、そのためには、現地で実施できる医療行為、遠隔診療が適切な患者、対面診療を要する患者、直ちに救急搬送すべき患者を明確に区別する必要がある。

 また、地域ごとに人口密度や道路網、公共交通、医療機関までの所要時間が異なるため、同じ車両を導入しても成果は同じにならない。ある地域では固定診療所を維持する方が合理的であり、別の地域では巡回診療とオンライン診療の組み合わせが適しているかもしれない。さらに、患者を医療機関へ運ぶ方が効率的な地域もあれば、医療機能の一部を患者の近くへ移動させる方が合理的な地域も考えられる。

 この違いを判断するためには、人口や高齢化率だけではなく、住民の疾病構成、実際の受診行動、交通手段、医療機関の診療能力、医療従事者の確保状況などを調べる必要がある。地域の人口が何人以下になれば巡回診療へ切り替えるべきかという、全国共通の単純な基準を設けることは難しい。

 同じ人口規模であっても、住民が狭い範囲に集中している地域と、広い山間部に点在している地域では、診療車の移動効率が大きく異なる。また、基幹病院までの移動時間が短い地域と、道路事情によって長時間を要する地域では、巡回診療の必要性も変わってくる。

 そのため、巡回型高度診療体制の導入判断には、地域ごとの統計や地理情報を用いた数理的な分析が不可欠になる。医療機関までの所要時間、人口分布、予想診療件数、車両の運行経路、必要な医療職数を組み合わせ、固定診療所や通院支援などの代替案と比較することで、初めて合理的な政策判断に近づくことができる。

昭和の巡回診療が、令和になって別の意味を持ち始める

 巡回診療そのものは決して新しい発明ではない。むしろ、医療機関が不足する山間部や離島で、長年にわたって利用されてきた医療提供の形である。それが、携帯型医療機器、高速通信、オンライン診療、医療情報の電子化という新しい技術と結びつくことで、別の可能性を持ち始めている。

 かつての巡回診療は、医療機関のない場所へ医師を運ぶ仕組みだった。これからの巡回診療では、必ずしも医師の身体だけを運ぶ必要はない。検査装置を運び、利用可能な患者情報を参照し、必要な専門医へ接続し、処方や薬局との連携を進め、それでも病院でなければ対応できない患者を適切な医療機関へつなぐ。一台の車両がすべてを行うのではなく、一台の車両が離れた場所に存在する医療機能を結び付けるのである。

 そこに「巡回型高度診療体制」という考え方の現実的な姿がある。技術的な要素の多くはすでに存在し、制度上の環境も以前より整ってきた。国内でも、それらを組み合わせた実践が始まっている。したがって、この構想そのものを単なる空想と考える必要はない。

 ただし、実現可能であることと、優れた地域医療政策になることは同じではない。実際に導入する場合には、診療の安全性、医療職の確保、患者数、稼働率、費用、診療報酬、住民間の公平性など、多くの条件を検証しなければならない。特に、巡回診療によって病院受診を減らすことだけを成功と考えるのではなく、それまで十分な医療を受けられなかった住民へ適切な診療機会を提供することも成果として評価する必要がある。

 どの地域なら固定診療所より合理的なのか。人口密度がどこまで低下すると成立しにくくなるのか。一日に何人診察すれば運営費用を適切な水準に抑えられるのか。何台の車両で何集落を担当するのがよいのか。看護師が現地に配置される方式と医師が同乗する方式では、どのような条件で費用や診療の質が変わるのか。

 こうした問いに対する答えは、最新医療機器のカタログには載っていない。地域ごとの人口、年齢構成、疾病構成、道路網、医療機関までの所要時間、公共交通、医療従事者数などを使い、制度的な条件と医学的な安全性を踏まえて初めて検討できる問題だからである。

 巡回型高度診療体制は、単なる医療技術の話ではない。人口減少社会で、限られた医療資源をどこに固定し、どこを動かし、どこを通信で結ぶのかという地域設計の問題である。

 これまで地域医療では、「病院をどこに残すか」が大きな問いだった。しかし、これからは、その問いに加えて「必要な医療機能を、住民の生活圏までどのように届けるか」を考える必要がある。施設を残すことと医療を確保することが必ずしも一致しなくなる地域では、建物の数だけではなく、住民が実際に利用できる診療機能の質と到達しやすさが重要になる。

 その際、巡回診療は固定医療機関を安易に置き換えるための手段であってはならない。病院や診療所が担うべき役割を維持しながら、従来の医療提供体制だけでは十分に対応できない地域の弱点を補う仕組みとして設計することが必要である。

 古くから日本の山間部や離島を支えてきた巡回診療は、人口減少の時代になって、新しい医療技術と制度を組み合わせるための重要な選択肢になりつつある。ただし、その価値を決めるのは、車両の新しさでも搭載機器の多さでもない。住民が必要とする医療を、安全に、適切な費用で、長期にわたり届けられるかどうかである。

 医療をどこに置くかではなく、医療機能をどこまで動かし、どう結び付けられるのか。その問いに対して、地域ごとの実証データと数理的な検証によって答えを探していくことが、令和の巡回診療を一時的な先進事例で終わらせず、持続可能な地域医療へ発展させる条件になるのではないだろうか。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 地方で老後を暮らすことを考えるとき、医療機関までの距離は生活の持続可能性を左右する重要な条件になる。スーパーなら多少遠くてもまとめ買いができ、役所なら手続きの頻度そのものを減らすこともできるが、定期的な治療が必要になれば、医療機関までの距離は単なる地図上の数字ではなく、生活時間、交通手段、家族負担まで含めた日常生活の条件になる。

 例えば、自宅から透析施設までの距離が片道30kmだったとする。一般的な維持血液透析は週3回行われることが多いため、自分で通院するなら往復60kmを週3回、1週間で180km移動することになる。これを年間52週として計算すると、60km×3回×52週=9,360kmとなり、透析通院だけで年間9,000kmを超える移動になる。

 この数字だけを見ると、「もし将来透析が必要になったら、この地域では暮らせないのではないか」と感じても不思議ではない。ただし、透析医療の通院は通常の外来通院とは少し事情が異なり、距離だけから生活可能性を判断すると、実態を見誤る可能性がある。

 現在の透析医療では、医療機関による患者送迎が広く行われている。日本透析医会が2023年に行った調査では、回答した822施設のうち70.9%が施設負担による患者送迎を実施していた。また、患者側を対象にした2021年度の調査では、透析施設の送迎を利用して通院している患者は24.8%だった。

 ただし、この70.9%という数字を「全国の透析施設の約7割が送迎している」とそのまま一般化することはできない。この調査の回答率は約21%であり、送迎に積極的な施設ほど回答しやすかった可能性など、回答施設と非回答施設の性質が異なる非回答バイアスを完全には排除できないからである。そのため70.9%は全国の正確な実施率というより、「回答施設の中では送迎がかなり一般的だった」と読む方が統計的には適切である。

 一方、患者調査で送迎利用者が24.8%だったことと、施設調査で送迎実施施設が70.9%だったことは矛盾しない。送迎を実施している施設でも、全患者が送迎車を利用するわけではなく、自家用車、家族送迎、公共交通、タクシーなどを使う患者もいるからである。

 こうした実態を考えると、「施設まで30km」という数字の意味も変わってくる。自分で週3回、片道30kmを運転する生活と、自宅付近まで透析施設の送迎車が迎えに来る生活では、同じ30kmでも本人や家族の負担は大きく異なる。本人が運転しなくてよいのであれば、高齢になって自動車を手放した後でも、透析施設への交通手段が維持される可能性がある。

 地方では、近所の眼科や診療所へ行くためには家族の自動車が必要なのに、それよりはるかに遠い透析施設には病院の送迎車が来るという、一見すると逆転した状況が起こり得る。公共交通が弱い地域ほど、透析施設の送迎車が事実上の医療交通として機能していることがあるからである。

 しかし、ここで注意しなければならないのは、片道30kmが決して軽い通院距離ではないということである。北海道を対象に行われた透析通院に関する調査では、「医療機関まで片道30km以上、または片道1時間以上」を通院困難地域の一つの基準として設定している。つまり30kmという距離は、医療アクセス研究の上でも無視できない通院負担として扱われる程度の距離であり、「送迎があるから問題にならない」と考えるのも適切ではない。

 北海道の調査では、通院困難地域から透析施設へ通う患者の交通手段として、自家用車のほか病院送迎、自治体による送迎、タクシー、公共交通などが使われていた。通院が難しいことを理由として転居した患者や、治療方法を変更した患者も確認されている。このことからも、片道30kmは「絶対に生活できない距離」ではない一方、「何の対策もなく通える距離」とも言えないことが分かる。

 送迎車が利用できれば本人の運転負担は減るが、30kmという距離そのものが消えるわけではない。患者は車を運転しなくても、移動に必要な時間は残る。むしろ複数の患者を順番に迎えながら施設へ向かう送迎車の場合、自家用車で直接施設へ行くより乗車時間が長くなることもある。

 維持血液透析は一般的に週3回行われ、1回の治療時間は4時間前後になることが多い。週3回なら年間の透析回数は概算で156回となり、治療時間だけでも4時間×156回=624時間になる。これは24時間換算で約26日分である。

 さらに往復の移動や待ち時間が加わる。仮に往復移動が合計1時間なら年間156時間、2時間なら312時間となり、治療時間と合計すると年間780~936時間になる。24時間換算では約32~39日分に相当し、これに送迎車の待ち時間、乗降、他の患者宅への立ち寄りなどが加わる場合もある。

 したがって、片道30kmの問題は単なる運転距離ではなく、生活時間の問題として評価する必要がある。月曜、水曜、金曜に透析を受ける人なら、その3日は透析を中心に生活を組み立てることになる。施設が近ければ治療の前後に買い物や家事を行いやすいが、移動時間や待ち時間が長くなれば、透析日は実質的に「治療の日」として一日のかなり大きな部分を使うことになる。

 海外の大規模な透析患者調査でも、透析施設までの移動時間が長い患者ほど、健康関連生活の質が低い傾向が報告されている。死亡リスクとの関連を示した観察研究もあるが、この種の研究では年齢、病状、居住地域など別の要因も影響するため、「長距離通院そのものが死亡リスクを上げる」と単純な因果関係まで断定することはできない。それでも、通院時間が患者の生活負担と無関係ではないという点は、臨床的にも社会的にも妥当である。

 この問題は年齢を重ねるほど重要になる。65歳で透析を始めた時点では自分で30km先まで運転できたとしても、75歳、80歳となれば、夜間や雨天時の運転が難しくなったり、視力や判断力の変化から自動車を手放したりする可能性が高くなる。

 そこで透析施設の送迎が重要になる。本人が運転できなくなっても送迎車が利用できれば、透析生活を続けられる可能性は大きくなる。家族が週3回往復60kmを送り迎えしなくても済み、高齢の配偶者が患者を送って数時間待ち、再び迎えに行くといった負担を避けられる場合もある。

 その意味で透析施設の送迎は、単なる「病院の親切なサービス」と考えるより、地方の高齢者を医療につなぎ続ける生活インフラの一つと見る方が実態に近い。ただし、ここには重要な制度上の問題がある。

 透析施設による無料送迎は、全国の患者に法律上当然に保障された医療給付ではない。診療報酬によって全国一律に送迎費用が給付されている制度でもなく、多くの場合、医療機関が自ら車両、人件費、燃料費、保険料、維持費などを負担して実施している。

 日本透析医会の調査では、送迎患者1人当たりの費用について月平均約2万4,000円という試算も示されている。ただし、この数字には調査方法上の限界があり、全国一律の正確な原価を示すものではない。それでも、患者にとって無料であっても、送迎自体が無料で運営できるわけではないことは明らかである。

 車両を購入し、燃料を入れ、保険や点検費用を負担し、運転手を確保しなければならない。患者が施設周辺に集中していれば効率よく複数人を送迎できるが、広い地域に少人数が分散して暮らしていれば、一人を迎えに行くための走行距離と拘束時間は大きくなる。

 例えば10人の患者が施設から5km以内にまとまって暮らしている地域と、同じ10人が30km四方に散らばって暮らしている地域では、患者数が同じでも送迎に必要な車両の走行距離、燃料、運転手の拘束時間は大きく異なる。したがって透析送迎の持続可能性を考える場合、単なる患者数だけでなく、患者がどれほどの密度で分布しているかという地理的条件が重要になる。

 人口が減れば透析患者も必ず同じ割合で減るとは限らない。高齢化率、糖尿病や高血圧などの基礎疾患、治療成績、新規導入患者数などの影響を受けるからである。しかし人口密度が低下し、患者が広い地域に点在するようになれば、少人数の患者を送迎するために長距離を走らなければならなくなる可能性は高い。

 日本の慢性透析患者数は近年、減少に転じている。2021年末には約34万9,700人だった患者数が、2022年には約34万7,500人、2023年には約34万3,500人、2024年には約33万7,400人となり、3年連続で減少した。

 一方で、全国の透析収容能力が患者数と同じ速度で縮小しているわけではない。2024年の全国調査では、透析装置の台数には減少がみられるものの、同時に透析できる人数や最大収容能力については大きく減少していない指標もある。このため、「患者数が減っているから、近いうちに透析施設も同じ割合でなくなる」と単純に考えることはできない。

 今後は小規模施設の再編や機能分担が進み、一定規模の施設がより広い地域の患者を受け入れる形になる可能性もある。ただし、これは現在全国一律に進んでいると断定できる現象ではなく、人口動態や医療法人の経営状況、地域医療政策によって異なる将来シナリオの一つとして考えるべきである。

 もし施設の集約が進めば、患者から施設までの平均距離が伸びる地域も出てくる可能性がある。そのとき距離を補う役割を担うのが送迎であり、病院という建物だけでなく、患者の家と病院を結ぶ交通手段まで含めて医療提供体制として考える必要が出てくる。

 ただし、現在送迎があることと、10年後や20年後にも同じ条件で送迎を利用できることは別問題である。人口減少が進む地域では、医療スタッフだけでなく送迎車の運転手を確保することも難しくなる可能性があり、燃料費や車両費、人件費が上昇すれば、施設側が現在と同じ送迎範囲を維持できるとは限らない。

 そのため、老後の移住先や居住継続の可能性を考える場合、「現在送迎しているか」だけでなく、「どの地域まで送迎しているのか」「利用条件はあるのか」「自宅送迎なのか集合場所方式なのか」「車椅子対応が可能なのか」「将来もサービスを続ける方針なのか」といった点まで確認する方が現実的である。

 同じ「透析施設まで30km」の地域でも、自宅前まで送迎車が来る場合と、自力で施設まで行かなければならない場合では、生活条件はまったく異なる。地図上では同じ30kmでも、実際の生活上の距離は交通手段によって大きく変わる。

 さらに、平常時には送迎によって問題なく通院できても、台風、大雨、大雪、地震などの災害が起きれば状況は変わる。倒木や冠水によって道路が使えなくなれば、いつもの送迎ルートを通れなくなり、大きく迂回しなければならない場合や、そもそも送迎車が患者宅まで到達できない場合も考えられる。

 透析は買い物や通常の外来受診のように、「今日は行けないから数日後にしよう」と簡単に延期できる治療ではない。そのため透析医療では、大規模災害時にどの透析施設が稼働しているのかなどの情報を共有する災害時情報ネットワークが整備されている。

 ただし、情報ネットワークが存在することと、患者一人一人が実際に代替施設で透析を受けられることは同じではない。代替施設に空きがあるのか、道路が通行できるのか、患者をそこまで運ぶ車があるのか、施設に電力や水が確保されているのかなど、複数の条件がそろわなければ実際の治療にはつながらない。

 したがって、災害に強い地域とは単に自宅から最寄りの透析施設が近い地域とは限らない。通常利用している施設が使えなくなったとき、別の透析施設へ行ける経路があり、そこまで患者を運ぶ手段があり、代替施設にも受け入れ余力がある地域の方が、医療の継続性という意味では強い場合がある。

 こう考えると、老後の透析生活を評価するときには、一つの施設までの距離だけを見るのでは不十分である。最寄りの透析施設がどこにあるのか、その施設が自宅周辺まで送迎しているのか、さらにその施設が利用できない場合に次の透析施設がどこにあるのかという、少なくとも三つの条件を一つの地図の上で考える必要がある。

 そしてここまで考えると、「透析施設まで片道30kmの生活は成立するのか」という問いへの答えも見えてくる。片道30kmは透析通院として決して短い距離ではなく、実際の調査でも通院困難を評価する一つの基準として扱われている。しかし、それだけでその地域での生活が成立しないと判断することも適切ではない。

 自宅が送迎区域に入り、無理のない時間で施設まで行くことができ、施設の受け入れ能力が安定しており、さらに災害時の代替施設や交通経路が確保されているのであれば、片道30kmであっても透析生活が成立する可能性は十分にある。一方で、送迎がなく、自家用車以外の交通手段も乏しく、代替施設も遠い場合には、30kmという距離は老後の生活にとってかなり大きな制約になり得る。

 したがって問題は「30kmは遠いか近いか」という二者択一ではない。30kmという明確な負担を、交通、医療、人員、道路、施設の受け入れ能力といった地域システムによって、どこまで吸収できるかという問題である。

 迎えに来る車があるのか、その車を運転する人がいるのか、施設は安定して患者を受け入れられるのか、道路が使えない日には別の経路があるのか、そしてその仕組みを10年後にも維持できるのかというところまで見なければ、老後の医療アクセスは評価できない。

 地図の上では、病院は30km先にある。しかし毎週決まった日に送迎車が来て、無理のない時間で施設まで連れて行ってくれるのであれば、その30kmは必ずしも生活を断念しなければならない距離ではない。逆に、病院が10km先にあっても、そこへ行く交通手段がなければ、高齢になったときには非常に遠い病院になり得る。

 距離とは道路の長さだけでは決まらない。そこへ人を運ぶ仕組みがあるか、その仕組みが長期的に持続できるかによって、同じ30kmでも生活上の意味は大きく変わる。

 人口減少が進む地方で残すべきものは、透析施設という建物だけではないのだろう。患者の家々と施設の間を月曜日にも、水曜日にも、金曜日にも往復する送迎車、その車を運転する人、道路、災害時の代替施設までを含めて一つの地域医療として考える。その視点に立って初めて、「透析施設まで片道30km」という数字を、老後の生活の中で正しく評価できるのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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