地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

観光客、別荘居住者、定住者を合わせた実効人口という考え方は使えるか

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 人口2万人の海辺の市がある。

 冬の平日に歩けば、数字のとおりの市に見えるかもしれない。駅前にはそれなりの人通りがあり、スーパーも病院も学校も動いている。ただ、かつてに比べれば商店街の空き店舗が増え、郊外では空き家が目立ち始め、毎年公表される人口統計には前年より数百人少ない数字が並ぶ。折れ線グラフは緩やかに右下へ伸び、この市も人口減少の例外ではないことを静かに告げている。

 ところが八月の日曜日になると、同じ市の姿が変わる。

 海岸へ向かう幹線道路には車が連なり、スーパーの駐車場は埋まり、飲食店には行列ができる。普段は静かな別荘地にも明かりがつき、コンビニには観光客が増え、海岸周辺ではごみ箱や公衆トイレの利用が一気に増える。宿泊施設には県外ナンバーの車が並び、市内の人口が数万人単位で膨らんだように感じる日さえある。

 しかし、行政上の人口は2万人のままである。

 市役所の統計では2万人なのに、その日の市内には明らかにそれ以上の人がいる。

 では、この市の「本当の人口」は何人なのだろう。

 この問いから、「実効人口」という考え方を試してみたい。

 ただし、最初に重要なことを確認しておく必要がある。ここでいう実効人口は、国勢調査人口や昼間人口のように国が統一的な定義で公表している既成の統計指標ではない。本稿では、観光客や別荘居住者、二地域居住者が多い地域を分析するための仮説的な指標として、この言葉を用いる。

 そして、この指標の価値は、新しい人口の数字を一つ作ることよりも、「人口とは、そもそも何を数えているのか」という問いを私たちに返してくるところにある。

人口統計が市の実態を間違えているわけではない

 人口統計を批判するのは簡単である。

 国勢調査に観光客が含まれていないのだから、市の本当の姿が分からない、と言いたくなる。しかし、それは少し違う。

 国勢調査が基本的に把握しているのは、その地域を生活の本拠として暮らしている人である。住民票だけを機械的に数えているわけではなく、一定期間そこに常住しているかどうかを基準としている。

 行政を考えるうえでは、この数字は欠かせない。

 学校を何校維持するのか、介護や福祉の需要がどれほどあるのか、住宅政策をどう考えるのか。あるいは選挙や行政サービスの基礎をどこに置くのか。そのような問題について、三時間だけ海水浴に来た観光客と、市内に三十年間暮らしている住民を同じ一人として扱うことはできない。

 国勢調査には昼間人口という考え方もある。市外へ通勤・通学する人を差し引き、市外から通勤・通学してくる人を加えることで、昼間に市内で活動している人口を捉えようとする指標である。

 ところが観光地では、ここに大きな空白が残る。

 通勤や通学は捉えられても、観光、買い物、海水浴、レジャー、イベント参加といった不規則な移動は、通常の昼間人口では十分には表れない。

 別荘も同じである。

 別荘という建物が何戸存在するかは統計に現れる。しかし、その住宅に一年のうち十日しか人が来ないのか、毎週末二人が暮らしているのかでは、市への影響はまったく違う。

 つまり、既存統計が現実を誤って描いているわけではない。

 それぞれ別の現実を、別の目的で測っている。

 問題は、それらを重ね合わせたときに現れる「市全体が実際にどの程度使われているのか」を示す物差しが弱いことなのである。

人を数えるのではなく、市内で過ごされた時間を数えてみる

 そこで人口を、人間の頭数だけではなく、市内で過ごされた時間として考えてみる。

 人口2万人の市を想定する。

 単純化して、2万人全員が一年中市内で生活しているとすれば、一年間には730万「人日」の滞在が発生する。一人が一日その市にいれば、一人日である。

 もちろん実際には、住民も毎日24時間市内にいるわけではない。市外へ通勤する人もいれば、買い物に出る人も、旅行する人もいる。したがって、この730万人日という数字は厳密な実測値ではなく、考え方を示すための第一次近似である。

 そこへ別荘居住者が加わる。

 仮に市内に2000戸の別荘や二次的住宅があり、一戸につき平均二人が年間60日利用するとすれば、年間24万人日の滞在が発生する。

 さらに、宿泊観光客が年間100万人泊いると仮定する。

 一人泊は厳密には24時間の滞在を意味しないが、簡便な分析では一人泊を一人日程度の滞在量として近似することができる。

 加えて、年間150万人の日帰り観光客が平均6時間市内に滞在するとする。24時間を一日として換算すれば、約37万5000人日に相当する。

 すると、この市で一年間に発生する滞在量は、

 定住者による約730万人日、別荘居住者による約24万人日、宿泊客による約100万人日、日帰り客による約37万5000人日を合わせ、約891万5000人日になる。

 365日で割れば、およそ2万4400人である。

 行政上の人口は2万人だが、市内で実際に過ごされている時間量を一年平均に直せば、約2万4400人が常時存在しているのに近い人間活動を市が受け止めていることになる。

 ただし、この2万4400人を「本当の人口」と呼ぶべきではない。

 大切なのは数字そのものではなく、人口2万人という一枚の静止画を、年間約892万人日という一本の動画へ置き換えることである。

 すると、市の見え方が変わってくる。

別荘居住者は観光客なのか、それとも半分住民なのか

 実効人口を考え始めると、最も興味深い存在は観光客よりむしろ別荘居住者や二地域居住者である。

 年に一度だけ、市内のホテルに二泊する旅行者がいる。

 一方で、毎週金曜日の夜に別荘へ来て、日曜日の夕方まで生活する人もいる。夏には一か月近く滞在し、年間では100日以上を市内で過ごす人もいるだろう。

 住民票が別の自治体にあれば、どちらもその市の定住人口には入らない。

 しかし地域との関係はまるで違う。

 後者はスーパーで日用品を買い、水道を使い、ごみを出し、道路を走る。飲食店を利用し、病院を使うこともあるかもしれない。近隣住民と顔見知りになり、市内の催しに参加することさえある。

 市のインフラから見れば、その人がどこに住民票を置いているかより、年間何日市内に滞在し、どれだけサービスを利用しているかの方が重要な場面がある。

 ここで「関係人口」との違いもはっきりしてくる。

 関係人口は、定住者でも一回限りの観光客でもない、地域と継続的に関わる人々を捉えようとする概念である。二地域居住者もその典型である。

 しかし、関係人口と実効人口が測ろうとしているものは同じではない。

 関係人口が問うのは、その人と地域との関係の継続性や深さである。

 実効人口が問うのは、その人が地域の空間やサービスをどれだけ実際に使用しているかである。

 市外に住みながら、毎月その地域の商品を購入し、オンラインで地域活動を手伝っている人は、重要な関係人口になり得る。しかし、その人は市内の水道を使わず、ごみを出さず、道路渋滞にも加わらない。

 反対に、市との長期的な関係を持たない観光客でも、三万人が同じ日に訪れれば、道路、駐車場、公衆トイレ、ごみ処理には大きな負荷を与える。

 地域との「関係の深さ」と、地域内に「存在した量」は別の問題なのである。

平均2万4400人でも、夏には5万人いるかもしれない

 実効人口を考えるとき、もう一つ注意しなければならないことがある。

 先ほどの仮定では、年間平均の実効人口を約2万4400人とした。

 では、市役所は2万4400人を基準に道路や駐車場、水道、ごみ処理施設を整備すればよいのだろうか。

 おそらく、それでも足りない。

 冬の平日の昼間には、市内に1万7000人しかいないかもしれない。

 反対に、夏休みの日曜日には4万人、海水浴大会や花火大会の日には5万人、6万人が市内に滞在することもあり得る。

 年間平均が2万4400人でも、その市が実際に対応しなければならない最大人口は、その倍以上になる可能性がある。

 観光都市では、平均値より振幅の方が重要な場合がある。

 市には人口の呼吸がある。

 平日の午前には縮み、週末の午後には膨らむ。冬には小さくなり、夏には大きくなる。大きなイベントがある夜には一時的に中規模都市ほどの人を抱え、翌朝には再び人口2万人の市へ戻る。

 もし行政が年間平均だけを見れば、繁忙期には道路も駐車場もごみ処理能力も不足する。

 かといって、最大時の5万人を基準にすべての施設を造れば、一年の大半は過剰設備になる。

 したがって実効人口を政策に使うなら、年間平均だけでは足りない。

 通常期、繁忙期、最大時、そして季節変動まで見る必要がある。

 人口は一本の数字ではなく、時間とともに膨らんだり縮んだりする波なのである。

一つの市に、いくつもの人口が存在している

 さらに厳密に考えると、滞在時間だけでも十分ではない。

 同じ六時間市内にいた人でも、市への影響は違う。

 自動車で来た日帰り観光客は、道路と駐車場への負荷が大きい。ホテルに泊まる観光客は、宿泊業や飲食業に多くの需要を生む。別荘居住者は水道を使い、家庭ごみを出し、スーパーで食料品や日用品を買う。高齢の定住者は、医療や介護の利用頻度が高い可能性がある。

 したがって、単純な滞在時間だけで全員を同じように扱うと、政策判断には粗すぎる。

 そこで実効人口は、用途ごとに分けて考えた方がよい。

 道路について考えるなら交通実効人口。

 水道なら水道実効人口。

 ごみ処理なら廃棄物実効人口。

 商業市場なら消費実効人口。

 同じ人口2万人の市であっても、それぞれ違う数字になってよいのである。

 定住者、別荘居住者、宿泊客、日帰り客の人数に、それぞれの滞在時間と用途ごとの負荷の違いを重ねる。

 そこまでして初めて、実効人口は単に観光客を人口へ足して市を大きく見せるための数字ではなく、地域運営のための分析指標へ近づいていく。

人口2万人なのに、なぜ大きなスーパーが成立するのか

 この考え方は、地域経済を見るときにも役立つ。

 地方都市を歩いていると、人口規模から考えると不思議に見える市がある。

 人口2万人程度なのに大型スーパーが複数あり、飲食店が多く、ホームセンターやドラッグストアまで成り立っている。

 逆に、人口が同程度でも商業施設がほとんど残っていない市もある。

 もちろん原因は一つではない。

 周辺自治体からの流入、所得水準、道路網、競合店、年齢構成などが影響する。しかし観光地や別荘地では、定住人口だけから市場規模を推測すると、大きく外れることがある。

 人口2万人でも、週末には数千人の別荘居住者が加わり、年間250万人規模の宿泊客・日帰り客が訪れるなら、市内の商業は「2万人だけを相手にした市場」ではない。

 ただし、ここで一つ注意しなければならない。

 人が二倍滞在したからといって、地域経済への効果が二倍になるわけではない。

 観光客が地域外資本のホテルを利用し、全国チェーン店で買い物をすれば、支出の一部は市外へ流出する。別荘居住者が食料を自宅近くで購入して持ち込めば、長期間市内にいても地域消費は小さいかもしれない。

 つまり、

 人がいることと、お金が地域に残ることは同じではない。

 地域経済を正確に見るなら、まず滞在量を測り、次に消費額を見て、そのうちどれだけが市内企業や市民の所得として残ったのかを調べる必要がある。

 実効人口は地域経済そのものを示す数字ではない。

 しかし、市場を生み出す人間活動の大きさを測る入口にはなる。

「住民を100人増やす」以外の地域政策が見えてくる

 こう考えると、地方創生の見方も変わってくる。

 地方自治体では長い間、「移住者を何人増やしたか」が成果として重視されてきた。

 人口2万人の市で人口が毎年300人減るなら、行政として人口減少に危機感を持つのは当然である。

 しかし、300人の移住者を新たに獲得することは簡単ではない。

 移住は仕事、住宅、家族関係、学校、人間関係まで変える大きな決断だからである。

 そこで別の問いを置いてみる。

 すでに年間250万人の観光客や来訪者がいるなら、その人たちに平均してもう一時間長く市内にいてもらう方が現実的ではないか。

 1000人が一日長く滞在すれば、1000人日の人間活動が増える。

 別荘を年間30日しか利用していなかった世帯が60日利用するようになれば、新しい住宅を建てなくても、市内で生活が営まれる時間は増える。

 日帰り客の一部が一泊するようになれば、昼食だけで帰っていた人が夕食を食べ、宿泊し、翌朝も地域で消費する。

 人口一人を自治体同士で奪い合う地方創生から、人が地域で過ごす時間を増やす地方創生へ。

 これは移住政策を否定する話ではない。

 定住という一つの関係だけで地域の力を測らず、人と地域との間に存在する多様な関わりを政策資源として見るということである。

それでも観光客を人口として数えてはいけない

 一方で、実効人口には危険な使い方もある。

 人口2万人まで減った市が、

 「観光客を含めれば実効人口は2万5000人だから人口減少は大した問題ではない」

 と言い始めたら、それは統計による現実逃避である。

 定住者と観光客は同じ存在ではない。

 住民はその市で年を取り、子どもを育て、税を負担し、災害が起きても生活を続ける。

 観光客は地域経済を支える重要な存在だが、旅行先を変えれば翌年から来なくなる。

 別荘居住者も同じである。

 年間100日市内にいる人を、滞在時間の分析では100日分として数えることができる。しかし、その人を住民の約0.27人と考えることには意味がない。

 地域との関係は、時間だけでは表せないからである。

 したがって実効人口は、定住人口を置き換える数字ではない。

 二つを並べて見るべきである。

 「この市には何人が生活の本拠を置いているのか」。

 そして、

 「この市では年間どれだけの人間活動が行われているのか」。

 この二つを分けて見ることで、観光都市や別荘都市の姿が初めて立体的になる。

スマートフォンの時代だから測れる人口がある

 かつて、このような分析を行うのは簡単ではなかった。

 宿泊者数、道路交通量、鉄道利用者数、別荘戸数といった統計はあっても、人が何時に市へ入り、どこで過ごし、何時間後に出ていったのかを把握することは難しかった。

 しかし現在は状況が変わった。

 携帯電話の基地局情報やスマートフォンの位置情報などを匿名化し、統計処理することで、時間帯ごとの滞在人口や人の移動を推定できるようになっている。

 午前十時の市内には何人いるのか。

 午後三時にはどこへ人が集中するのか。

 海岸から駅へ人が移動する時間帯はいつなのか。

 平日と休日では滞在人口が何倍違うのか。

 冬と夏では、市の人口の波がどれほど変化するのか。

 以前なら感覚でしか語れなかったことを、数字として捉えられるようになりつつある。

 実効人口という発想が単なる空想で終わらない理由はここにある。

 国勢調査をやめる必要もなければ、住民票制度を変える必要もない。

 従来の人口統計の上に、人流というもう一つの層を重ねればよいのである。

人口2万人の市は、本当に2万人だけで動いているのか

 人口減少を語るとき、私たちは長い間、市から消えていく人を数えてきた。

 2万1000人が2万人になる。

 2万人が1万9000人になる。

 グラフの線が右下へ伸びるにつれて、市そのものが少しずつ小さくなっていくように見える。

 しかし現実の市を歩けば、そのグラフには描かれていない人たちがいる。

 金曜日の夕方に別荘へ向かう車がある。

 毎年同じ宿に泊まる家族がいる。

 夏休みの一か月を海辺で過ごす人がいる。

 都市部とこの市を往復しながら仕事をする人もいる。

 朝に来て、夕方には帰る観光客もいる。

 彼らは市民ではない。

 だからといって、市に存在していないわけではない。

 水道は彼らに水を供給し、道路は彼らの車を受け止める。店は商品を売り、ごみ処理施設は彼らが残したものを処理する。

 市というものを行政区域ではなく一つの生活システムとして見るなら、重要なのは「誰が住民票を持っているか」だけではない。

 「誰が、いつ、どれくらい、この市を使っているのか」。

 その問いが必要になる。

 もちろん、実効人口を計算しても人口減少は止まらない。

 出生数が増えるわけではなく、高齢化が解消するわけでもない。

 観光客の数字を加えて、定住人口の減少を見えなくしてはいけない。

 それでも、人口2万人という数字だけでは説明できない地域の現実がある。

 人口2万人の市を、本当に2万人だけが使っているのか。

 その問いを置くだけで、道路の価値も、水道の規模も、ごみ処理施設の能力も、小売市場の大きさも、観光政策の評価も違って見えてくる。

 人口減少時代の地域政策に必要なのは、人を数えることをやめることではない。

 定住人口、昼間人口、関係人口、交流人口、そして滞在時間から見た実効人口。

 それぞれを別の指標として並べ、同じ市を違う角度から見ることである。

 人口2万人という数字は正しい。

 しかし、その数字だけが市のすべてではない。

 夏の日曜日、道路を埋める車も、別荘にともる灯りも、ホテルの窓の明かりも、人口統計の外側にある現実である。

 実効人口という考え方が役立つとすれば、観光客を住民として数えるためではない。

 人口2万人という一つの数字の向こう側に、実際にはどれほど多くの「人間の時間」が流れているのかを見えるようにするためなのである。

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