地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 春になると、「住みたい街ランキング」という見慣れた言葉がニュースに現れる。2026年の首都圏版でも、横浜、大宮、吉祥寺、恵比寿、東京と、聞いただけでそれぞれの風景が浮かぶ街が上位に並んだ。横浜なら港と夜景、吉祥寺なら井の頭公園と商店街、恵比寿なら洗練された飲食店というように、人気の街には名前だけで物語を始められる強さがある。しかし、その華やかな順位表を眺めていると、一つの素朴な疑問が残る。まだそこに住んでいない人が「住みたい」と思う街と、すでにそこで毎日の生活を送っている人が「ここは暮らしやすい」と感じる街は、本当に同じなのだろうか。

 旅行したい場所と長く暮らしたい場所が必ずしも同じではないように、住んでみたい街と住んで満足する街も同じとは限らない。横浜に憧れるとき、私たちは海辺の景色や街の華やかさを思い浮かべるが、横浜に暮らす人が毎日経験しているのは夜景だけではなく、朝の電車に乗り、食料品を買い、病院へ行き、雨の日には駅まで歩き、夜になれば家へ帰るという無数の生活である。街への憧れは一枚の写真からでも生まれるが、住み心地は何千回もの平凡な一日から作られていく。

「住みたい」と「住んで満足」は、似ているようで別の質問である

 最初に区別しておかなければならないのは、「住みたい街」と「住みここち」が、同じ街の価値を二つの方法で測っているわけではないということである。2026年のリクルートによる首都圏の「住みたい街」調査では、20歳から49歳までの9000人に、これから住むならどこに住みたいかを尋ねており、横浜が9年連続で1位、大宮が2位、吉祥寺が3位となった。そこでは、回答者が実際にその駅の近くで暮らした経験を持っている必要はなく、街について知っていること、聞いたこと、抱いている印象を含めた「未来への選好」が順位として表れている。

 これに対して、大東建託の2026年「街の住みここちランキング」は、現在その地域に住んでいる人自身に、今住んでいる地域を全体としてどう評価するかを尋ねている。「大変満足」を100点、「満足」を75点、「どちらでもない」を50点、「不満」を25点、「大変不満」を0点として平均し、首都圏自治体版では2022年から2026年までを中心とする約25万1000人の回答を集計している。片方が「これから手に入れるなら」という選択であるのに対し、もう片方は「すでに使い続けている生活環境をどう感じるか」という評価であり、似た言葉を使っていても、測定している心理は最初から異なっている。

 商品の世界に置き換えれば、住みたい街ランキングは店頭で商品を見たときの魅力に近く、住みここちは何年か使った後の使用感に近い。もちろん魅力的に見える商品が実際にも優れていることはあるが、広告で目を引く特徴と、毎日使うときの便利さが完全に一致する必要はない。街についても、おそらく同じことが起きている。

上位に入る街はかなり重なる。それでも順位は驚くほど違う

 では、実際にはどの程度一致しているのだろうか。同じ調査主体で条件をなるべく近づけるため、大東建託の2026年版について、「住みたい自治体」と「住みここち自治体」を比べてみると興味深い姿が現れる。

 首都圏居住者が選んだ「住みたい自治体」の上位には、港区、世田谷区、渋谷区、鎌倉市、文京区、さいたま市大宮区、新宿区、横浜市中区、杉並区、目黒区などが並ぶ。一方、実際の住民による「住みここち」の上位には、中央区、文京区、武蔵野市、横浜市都筑区、港区、浦安市、横浜市西区、渋谷区、目黒区、国立市が並んでいる。二つを眺めると、まるで別世界というほど違うわけではなく、むしろ有名な人気地域のかなりの部分が、実際の住民からも高く評価されていることが分かる。

 上位20だけを単純に照合すると、港区、世田谷区、渋谷区、鎌倉市、文京区、杉並区、目黒区、武蔵野市、横浜市西区、品川区、中央区、さいたま市浦和区の12自治体が共通しているので、表面上は12を20で割った60%が重なることになる。ただし、この数字には小さくない注意点があり、「住みたい自治体」は全国の自治体を選択対象にしているため、上位20には北海道札幌市と福岡県福岡市も含まれている一方、「住みここち首都圏版」には最初からその二都市が入る余地がない。比較可能な首都圏の18自治体だけを分母にすれば、12自治体の重なりは約66.7%となるため、「6割程度」という印象より、上位グループそのものにはかなりの共通性があると見る方が適切である。

 ところが、顔ぶれが重なることと、順位まで似ていることは別の問題である。「住みたい」1位の港区は「住みここち」では5位、2位の世田谷区は13位、4位の鎌倉市は20位となる一方、「住みここち」1位の中央区は「住みたい」では17位、2位の文京区は5位、3位の武蔵野市は12位であり、さらに「住みたい」5位のさいたま市大宮区は「住みここち」では40位まで下がる。

 この違いをもう少し数理的に見るため、「住みたい」上位20のうち首都圏内で比較できる18自治体について、二つの順位をスピアマンの順位相関係数で試算すると、値は約マイナス0.04となり、ほぼゼロに近い。ただし、これは「住みたい上位」という条件ですでに選び出した18自治体だけを使った計算なので、首都圏全体について「住みたい順位と住みここち順位には相関がない」と一般化することはできない。それでも、上位集団の構成員はかなり重なるのに、その内部で1位、5位、20位と並べたときの順序はほとんど同じにならない、という特徴を理解するには有効である。

 つまり、「人気の街は実際には住みにくい」という単純な物語も、「人気の街なら当然住みやすい」という物語も、どちらも数字を十分には説明していない。より正確なのは、外から魅力的に見える街は実際の住民からも高く評価されやすい一方で、憧れの強さと暮らした後の満足度の強さは、同じ物差しでは並んでいないということだろう。

偶然だけでは説明しにくい重なりと、その先にある別の問題

 上位の街がこれだけ重なること自体にも意味はある。仮に、住みここちランキングに現れる自治体から無作為に街を選ぶという極端に単純化した世界を考えれば、「住みたい上位」に入った街が偶然これほど多く「住みここち上位」にも集まることは起こりにくい。もちろん現実の街はくじ引きで選ばれているわけではなく、人口規模、交通利便性、住宅市場、知名度などが互いに関係しているため、この計算を正式な因果関係の証明として使うことはできない。それでも、二つのランキングが完全に無関係な現象ではないことを示す補助的な見方にはなる。

 交通が便利で、商業施設があり、医療や教育へのアクセスが良く、公園や文化施設が整っている地域は、外から見ても魅力的であり、実際に住んでも便利である可能性が高い。街のブランドが完全な幻想なら二つのランキングはもっとばらばらになってよいはずだが、現実にはかなり重なる。問題はブランドが嘘なのではなく、ブランドが街の一部分だけを非常に明るく照らすことである。

人は街そのものより、「街について知っている物語」を選ぶ

 たとえば「吉祥寺に住みたい」と答える人が、吉祥寺駅から徒歩12分の住宅地で火曜日の午後7時に食料品を買う自分まで想像しているとは限らない。井の頭公園、商店街、カフェ、中央線、新宿へのアクセス、長年にわたって雑誌やテレビで語られてきた「吉祥寺らしさ」が一つの映像となり、その映像に対して一票を投じていることもあるだろう。

 横浜には港と海、大宮には交通結節点としての便利さ、鎌倉には古都と海というように、人気の街には短い言葉へ圧縮できる物語がある。そして「どこに住みたいか」と突然問われたとき、人は知らない街を選ぶことができないので、名前を聞いた瞬間に何かを思い出せる街ほど候補になりやすい。その意味で住みたい街ランキングには、住宅環境そのものだけではなく、知名度、観光イメージ、メディアへの登場頻度、過去のランキングによって蓄積された評判まで入り込んでいる可能性がある。

 一度「住みたい街」として知られれば、翌年もその名前を思い出す人が増え、その順位がまた街のブランドを補強する。ランキングとは街の人気を測定する鏡であると同時に、ときにはその鏡に映った像をさらに大きくして社会へ返す装置でもある。

カリフォルニアに住めば、人は幸せになるのか

 この問題を考えるうえで興味深い研究がある。心理学者デイヴィッド・シュケイドとダニエル・カーネマンは1998年、米国中西部と南カリフォルニアの学生を対象に、住んでいる場所と生活満足度の関係を調べた。実際に回答した人々の生活満足度には大きな地域差が見られなかったにもかかわらず、別の地域に住む人の幸福を予想させると、カリフォルニアに暮らす人の方が幸せだろうと考える傾向が現れた。

 その理由として注目されたのが、判断するときに目立つ特徴へ意識が集中する「フォーカシング・イリュージョン」と呼ばれる現象である。カリフォルニアと聞けば温暖な気候が思い浮かび、その特徴が実際の日常生活全体に占める割合以上に大きく見えてしまう。ところが、現実の生活満足度は気候だけで決まるわけではなく、人間関係、仕事、経済状態、健康、日々の出来事など、多くの要素からできている。

 もちろん、米国の学生を対象とした研究から「横浜や吉祥寺の人気も同じ心理現象で説明できる」と断定することはできない。しかし、海のある街、公園のある街、おしゃれな街、交通の便利な街という目立つ特徴を見たとき、それが「そこで送る生活全体の良さ」へ拡張されて認識される可能性を考えるうえでは、非常に示唆的である。

 行動経済学では、選択するときに対象へ与える価値と、実際に経験したときに感じる価値を区別する考え方もある。ただし、「住みたい街」をそのまま選択時の効用、「住みここち」をそのまま経験時の効用と呼ぶのは正確ではない。住みここち調査も、瞬間瞬間の快・不快を測っているのではなく、現在住んでいる地域について後から総合評価してもらう調査だからである。それでも、選ぶ前に目立つものと、暮らした後に重要になるものが必ずしも同じではないという考え方は、二つのランキングのずれを理解する手掛かりになる。

暮らしを決めるものほど、写真には写りにくい

 住む前には、駅のブランド、都心までの時間、大型商業施設、公園、街並みといった特徴が目につきやすい。しかし生活が始まれば、満足を左右する材料はもっと細かくなる。食料品を買う店まで何分か、夜道は歩きやすいか、病院へ行きやすいか、電車は混みすぎていないか、住宅費に納得できるか、近隣との距離感は心地よいかという、広告の写真にはほとんど写らない条件が毎日の生活へ入り込んでくる。

 住宅満足度について多くの先行研究を整理した研究でも、居住満足は一つの要因だけから生まれるのではなく、都市計画や住宅環境、周辺の社会的環境、住民自身の属性など複数の要因に左右されることが示されている。したがって、「東京まで30分だから住みやすい」「大型商業施設があるから満足度が高い」という一つの数字だけで、暮らし全体を予測することは難しい。

 むしろ街の価値を作っているものの多くは、長く暮らすほど重要になるのに、街を選ぶ瞬間には目立たない。駅から家までの道がわずかに歩きやすいこと、必要な診療科の病院が近くにあること、深夜になるときちんと静かになること、近所に特別おしゃれではないが毎週使える店があることは、観光案内には載りにくいが、数年分の暮らしを積み重ねれば無視できない差になっていく。

人気の街には「期待」という見えない荷物もあるのか

 ここで、もう一つ考えたくなるのが期待の効果である。何も知らずに移り住んだ街で良い店や美しい散歩道を見つければ、それは思いがけない喜びになるが、長年「理想の街」として紹介されてきた場所へ移れば、同じ条件があっても「この街なら当然だ」と受け取るかもしれない。人気の街には住宅価格や家賃だけではなく、高くなった期待という見えない荷物が付いている可能性がある。

 ただし、ここはデータから断定できる話ではない。住みたい街で順位が高いのに住みここち順位が低い理由が、事前期待の高さであることを今回のランキングは証明していない。住宅費が高いこと、混雑が激しいこと、繁華街に近いこと、人口密度、住宅面積など別の条件が影響している可能性もあり、期待の高さはあくまで説明候補の一つにすぎない。

 それでも、「人気の街だから実際にも満足するはずだ」という考えと、「期待しすぎたから必ず失望する」という考えの両方を避ければ、街を見る目は少し冷静になる。ランキングは理由まで教えてくれないのであり、順位の後ろには必ず、別の変数が隠れている。

「住みここち」も、街の客観的な性能表ではない

 ここまで読むと、「それなら住みたい街ランキングより住民満足度を信じればよい」と考えたくなるが、そこにも罠がある。住みここち調査に回答している人は、研究者によって無作為にその街へ配置された人々ではなく、多くの場合、自分や家族の事情に合わせて住む場所を選び、現在もそこに住み続けている人たちである。

 海が好きな人は海辺を選び、都市生活を好む人は都心を選び、静かな住宅地を求める人は繁華街を避けるので、住民満足度には「街そのものの性能」だけではなく、その場所を好む人がそこを選んだという自己選択の影響が含まれる。また、強い不満を持った人ほどすでに転居している可能性もあるため、現在残っている住民だけを調べれば、街と比較的相性の良い人が多くなることも考えられる。

 したがって、「住みここち1位の街は、誰にとっても日本で最も住みやすい街だ」と読むことはできない。より正確には、「現在その地域に住んでいる回答者と、その地域との組み合わせにおいて高い満足が観測された」と読むべきであり、この違いは小さいようでいて、ランキングを利用するときには極めて重要である。

「住み続けたい街」を見ると、さらに別の風景が現れる

 この違いを考える材料が、2026年9月1日に公表されたリクルートの「住み続けたい街ランキング」にある。これは、現在住んでいる街について「今後も住み続けたいか」と住民自身に尋ねた調査で、駅では鵠沼が1位、千駄ケ谷が2位、赤坂が3位となった。

 ここで面白いのは、同じリクルートが同じ2026年に公表した「住みたい街」の上位が横浜、大宮、吉祥寺、恵比寿、東京だったことである。同じ会社の調査であっても、「これから住むならどこか」と「現在の街にこれからも住み続けたいか」では、上位の顔ぶれが大きく変わる。調査会社が違うから結果が違うという説明だけでは済まず、質問そのものが違えば、私たちの中から引き出される「よい街」の姿も変わることが分かる。

 これは、どちらか一方が正しく、もう一方が間違っているという話ではない。「住みたい」は街が外部の人にどれほど魅力的な未来を想像させるかを映し、「住み続けたい」はそこで生活している人が現在の暮らしを手放したくないと思う程度を映している。似たような日本語の裏側で、二つは別の時間を見ているのである。

本当に面白いのは、「人気なのに住み心地が悪い街」を探すことではない

 ランキングを二つ並べると、どうしても「住みたいでは上位なのに、住みここちでは低い街」を見つけ、その落差を面白がりたくなる。しかし、地域分析としてより興味深いのは反対側にあるのかもしれない。つまり、住民には非常に高く評価されているのに、全国的な知名度を持つ「憧れの街」としてはあまり語られない場所である。

 住み心地を作る条件は、しばしば説明すると地味である。駅前に巨大な商業施設がなくても、食料品を買う店が近く、交通がほどほどに便利で、住宅地は静かで、医療機関へ行きやすく、散歩する道があり、住宅費が生活に見合っていれば、人はかなり快適に暮らせる。しかし、「午後10時を過ぎると静かになる」「毎日の買い物に困らない」「駅から家まで歩きやすい」という特徴は、海や高層ビルほど鮮やかな一枚の写真にはならない。

 有名になるには、街を一言で説明できる象徴が必要なのかもしれないが、暮らしやすさには必ずしも象徴は要らない。「行ってみたい」と思わせる力と、「ここから動きたくない」と思わせる力は、似ているようで少し違うのである。

街の価値は、検索する前より住んだ後の方が複雑になる

 結局、「住みたい街ランキング」と実際の住民満足度は、まったく一致しないわけでも、同じものでもない。自治体の上位にはかなりの重なりがあり、外から評価される街には実際にも生活上の利点があることがうかがえる一方、その順位の並びは大きく変わり、駅単位や「住み続けたい」という別の質問へ移れば、さらに違う街が浮かび上がる。

 これはランキングが不正確だからではない。むしろ、私たちが「よい街」という一つの言葉の中に、知名度、憧れ、交通、住宅、日常の便利さ、愛着、費用、静けさ、人間関係といった異なる価値を押し込めているためである。質問を少し変えただけで順位が動くのは、街の価値が一つの尺度には還元できないことの表れでもある。

 住みたい街ランキングが映しているのは、まだ暮らしていない人が思い描く未来であり、住みここちが映しているのは、すでにそこで暮らしている人が振り返る現在である。そして住み続けたい街が映しているのは、その現在を未来にも持っていきたいかという意思である。同じ街を見ながら、三つのランキングは違う時間を測っている。

 未来の街には、海があり、公園があり、おしゃれな店があり、便利な駅がある。しかし現実の日常には、スーパーのレジがあり、雨の日の歩道があり、朝の混雑があり、夜道の明るさがあり、診察を待つ病院の椅子がある。そして人が何年、何十年と暮らすのは、広告の中の休日ではなく、その名もない平日の方である。

 だから住む場所を考えるとき、本当に知りたいのは「みんながどこに住みたいと思っているか」だけではない。その街を選んだ人が、数年後にもそこを選び直したいと思うのか、その理由を見なければならない。

 華やかなランキング表の下には、数字になりにくい問いが残っている。その街は、休日に一度訪れたくなる街なのか、それとも、雨の火曜日にもここで暮らしていたいと思える街なのか。

 住みやすさというものの正体は、おそらく後者の中にある。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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数字で比較するサービスを見る

 地方創生について語るとき、人口ほど分かりやすい数字はない。転入者が何人増えたのか、社会増減がプラスになったのか、若い世帯が何世帯移住してきたのか。自治体の成果を説明するときにも、町の将来を予測するときにも、人口はほとんど共通通貨のように使われている。

 それは当然でもある。人がいなければ町は成り立たないし、人口が減れば税収、消費、労働力、学校の児童数、公共交通の利用者まで、多くのものが縮小していく。だから人口を重視すること自体は間違っていない。

 しかし、人口3000人の町が3100人になったとき、その町は本当に100人分だけ強くなったと言えるのだろうか。反対に人口が3000人のままだとしても、買い物を支える店が一軒増え、住宅修繕を頼める事業者が残り、訪問介護を担う人が現れ、地域外から仕事を受注する小さな会社が数社生まれたなら、その町は以前より暮らしやすく、経済的にも持続しやすい場所になっている可能性がある。

 ここから、人口減少時代の地方について少し違った問いが生まれる。移住者を100人増やすことと、地域を支える事業者を10人増やすことでは、どちらが町にとって大きな効果を持つのだろうか。

 もちろん、「100人」と「10人」をそのまま比較して答えを出すことはできない。これは実証研究によって確定している比率ではなく、地域経済の構造を考えるための思考実験である。重要なのは人数そのものではなく、その人たちが地域の中でどのような所得、雇用、消費、生活サービスを生み出すのかという点にある。

人口が増えても、そのお金が町に残るとは限らない

 移住者100人には、当然ながら経済効果がある。住宅を借りたり購入したりし、食料を買い、車を利用し、医療を受け、電気や水道を使い、税金を払う。子育て世帯なら学校や保育サービスを利用し、働く世代なら地域企業の人手不足を補うこともある。

 かつて政府が日本版CCRC(Continuing Care Retirement Community・継続的ケア付き高齢者居住共同体)構想を検討した際には、単身高齢者100人が一人当たり月約15万円を消費すると仮定した場合、年間約1億8000万円の消費需要が生じるという試算も示された。

 ただし、これは高齢者移住を想定した当時の政策上のモデルであり、現在の一般的な移住者100人にそのまま当てはめられる数字ではない。それでも、100人という人口増加が一定規模の需要を生み出すこと自体は理解できる。

 問題は、その1億8000万円がそのまま地域所得になるわけではないことである。町内のスーパーで食品を購入しても、商品が町外の卸売会社から仕入れられていれば、売上の多くは町外へ流れる。住宅ローンの利息は都市部の金融機関へ支払われ、電気通信料金は全国企業へ送られ、日用品をインターネット通販で購入すれば、その支出も町の外へ出ていく。休日には隣の市の大型商業施設へ出掛けるかもしれない。

 そうすると、その人は人口統計上では確かに町民であっても、消費のかなりの部分は町の経済を通過して外へ流れていく。ここで人口とは別の数字が重要になる。それは、「地域に入った所得のうち、どれだけが地域の中に残るのか」という数字である。

地域経済は「人口の数」だけではなく「お金の流れ」でできている

 環境省が行っている地域経済循環分析では、地域経済を生産、分配、支出という流れで捉える。地域の企業がどれだけ付加価値を生み、その所得が住民や企業へどのように分配され、それがどこで使われるのかを見ることで、地域から所得が流出しているのか、それとも地域内で循環しているのかを分析する。

 この視点に立つと、地方創生の見え方は大きく変わる。人口100人を増やすことは、町という器に新しい水を注ぐことに似ている。しかし器の底に大きな穴が開いていれば、水を注ぎ続けても十分にはたまらない。地域内に商店がなく、住宅修繕を担う企業もなく、仕事もなく、日常生活の多くを町外の企業に依存しているなら、住民の所得は地域外へ流れ続ける。

 一方、地域で必要とされる商品やサービスを供給する事業者が増えれば、その穴の一部を塞ぐことができる。さらに地域外へ商品やサービスを販売する企業が生まれれば、今度は町の外から所得を引き込む管ができる。

 ここに、人口と事業者の決定的な違いがある。人口は主として需要を生み出すが、事業者はその需要を所得や雇用へ変換し、場合によっては地域外から新しい所得を持ち込む装置にもなる。

一軒の店がなくなっても、人口統計には何も起きない

 海辺の小さな町を想像してみる。そこで唯一の鮮魚店が閉店したとしても、翌日の住民基本台帳には何の変化もない。町の人口は昨日と同じ3000人である。

 しかし暮らしは確実に変わる。魚を買うために隣町まで車を走らせる住民が増えるかもしれないし、せっかく隣町まで来たのだから、野菜も酒も日用品もそこで買うようになる場合もある。つまり、一軒の鮮魚店がなくなったことで、魚以外の消費まで町外へ移動する可能性が生まれる。

 さらに、高齢になって自動車を運転できなくなった人にとっては、これは単なる店の閉鎖ではなくなる。「魚をどこで買うか」という問題が、やがて「この町で生活を続けられるか」という問題へ変わるからである。

 もっとも、鮮魚店が一軒閉店すれば必ず他の消費まで町外へ流れる、と科学的に断言できるわけではない。住民の行動は交通条件、年齢、通販利用、他店舗の存在などによって変わる。ここで重要なのは、店舗一軒が持っている価値が、その店の売上高だけでは測れないということであり、人口統計には表れない生活機能が地域には存在しているという点である。

事業者一人は、必ずしも「一人分」ではない

 住民一人が基本的には一人分の生活需要を持って町に加わるのに対し、事業者は複数の住民の需要を束ね、それを所得や雇用へ変えることがある。

 例えば、小さなパン屋が開業したとする。経営者一人が移住してきただけなら、人口は一人増えただけである。しかし、そのパン屋が二人を雇い、近隣農家から食材を仕入れ、町内の電気工事店に設備修理を依頼し、近くの宿泊施設へパンを納めるようになれば、一つの事業が複数の経済関係を作る。

 さらに観光客がそのパンを買えば、地域外から所得が入ってくる。一人の事業者が地域の中に作るものは、一人分の消費だけではなく、人と企業を結び付ける取引関係である。そして、その取引関係が別の取引関係とつながることで、町の中に経済の網ができていく。

 中小企業庁の小規模企業白書でも、小規模事業者は単に雇用や付加価値を生み出す主体としてだけではなく、人口の少ない地域で商業や生活サービスを維持する存在として位置づけられている。これは人口減少地域では特に重要であり、大きな売上がなければ成立しない事業よりも、小さな需要で成り立つ事業の方が、小さな町に残ることができる場合があるからだ。

 ただし、ここには逆の側面もある。小規模事業者は売上規模が小さいため地方に立地できる一方、売上が少し減っただけでも経営が苦しくなる場合がある。人口減少によって顧客数そのものが減れば、小さな店ほどその影響を強く受ける可能性があるため、小規模事業者が地方を無条件に救うわけではない。人口と事業は、互いに支え合う関係にある。

では、10人の事業者なら何でもよいのか

 ここが最も重要なところである。事業者を10人増やせば、それだけで移住者100人より地域に大きな効果を生むわけではない。

 人口3000人の町に似たようなカフェが10軒増えたとしても、町民が飲むコーヒーの量が突然10倍になるわけではない。新しい店に客が移れば既存店の売上が減り、地域全体の需要が増えていないのであれば、売上が事業者間で移動しただけで、町全体としての所得はほとんど増えないこともあり得る。

 経済学では、こうした現象を置換効果として考える。特に人口減少地域では市場そのものが縮小しているため、新規事業者が増えたことと地域経済が成長したことを同一視することはできない。

 では、どのような事業者なら意味が大きいのだろうか。例えば、それまで町外の事業者へ支払っていた住宅修繕を引き受ける会社ができれば、外へ流れていた支出の一部を町内に残すことができる。地域の農産物を加工し、都市部へ販売する会社が生まれれば、町の外から所得を獲得できる。

 さらに、高齢者の買い物配送、空き家管理、移送サービス、訪問介護など、これまで十分に存在しなかったサービスを提供する企業が生まれれば、単なる経済活動を超えて地域の生活機能そのものを維持できる。つまり、事業者の価値は数ではなく、その事業がどこから所得を得て、どこへ所得を流し、どの生活機能を支えているかによって変わるのである。

「経済効果」と「生活を支える効果」は同じではない

 ここで、もう一つ区別しておかなければならないことがある。地域にとっての「効果」とは、そもそも何を意味するのかという問題である。

 地域内総生産が増えることを効果と考えることもできるし、住民所得や雇用、自治体税収が増えることを重視する考え方もある。しかし人口減少地域では、それだけでは十分ではない。高齢になっても買い物や通院ができ、家が壊れたときには直してもらえ、日常生活を続けられるという「暮らしの維持」もまた、地域にとって重要な効果だからである。

 同じ事業者でも、この物差しによって評価は変わる。地域外へ製品を年間数億円販売する会社は、地域所得や雇用への影響が大きいかもしれないが、高齢者の日常生活を直接支えるわけではない。一方、小さな移動販売事業は地域内総生産への影響こそ小さいかもしれないが、自動車を運転できない高齢者にとっては、その町で生活し続けるための重要な基盤になる。

 つまり、地域を強くすることと、暮らしを守ることは重なり合いながらも完全には同じではない。人口減少地域では、この二つを同じ物差しだけで評価すると、金額には表れにくい重要なサービスを見落としてしまう。

 したがって、事業者10人と移住者100人を比べる場合も、単純な経済波及効果だけでは不十分である。所得、雇用、地域内循環を見ると同時に、買い物、医療、介護、交通、住宅維持といった生活維持効果まで含めて考えなければ、本当の地域への影響は見えてこない。

それでも移住者100人には大きな価値がある

 ここまで読むと、「人口政策より事業者支援の方が優れている」という話に見えるかもしれない。しかし、そう単純ではない。事業には顧客が必要であり、人口が減り続ければ、地域住民を主な顧客とする商売は市場そのものを失っていく。

 若い世帯を中心に100人が移住してくれば、住宅、飲食、小売、教育、保育、交通、修繕など、多くの需要が長期間にわたって生まれる可能性がある。町内企業で働けば人手不足の改善にもなるし、テレワークなどによって地域外から所得を得ている人が移住すれば、その所得を地域へ持ち込み、町内で消費することにもなる。

 この場合、移住者は単なる消費者ではない。地域外所得を持ち込む存在でもあり、場合によっては新たな事業を起こす人になることさえある。だから、「移住者」と「事業者」を完全に別のものとして比べることにも限界があるのであり、両者は本来、一つの地域経済循環の中に存在している。

「人口を増やせば店が増える」という順序を疑ってみる

 従来の地方創生には、暗黙のうちに一つの順序が想定されてきた。人を呼べば消費が増え、消費が増えれば店が増え、その店が雇用を生み、さらに町の魅力が高まるという流れである。

 理屈としては自然である。しかし人口減少が急速に進む小さな自治体では、この順序が成立するまで待つことができない場合がある。人口が十分に増える前にスーパーが撤退し、ガソリンスタンドがなくなり、建設業者が廃業し、交通事業者まで撤退すれば、町は生活する場所として少しずつ不便になっていく。

 「人口が少ないから店がなくなる」という関係だけなら、人口を増やせば解決できるように見える。しかし現実には、生活サービスが減ったことで町の利便性が低下し、その結果として移住先に選ばれにくくなるという逆方向の力も働き得る。もっとも、移住先の選択は仕事、住宅価格、自然環境、教育、医療、家族関係など多くの条件によって決まるため、店舗数だけで移住者数が決まるわけではない。それでも、生活に必要なサービスが存在することが、移住先として選ばれる条件の一つになることは十分に考えられる。

 さらに問題なのは、人口減少とサービス縮小が互いを強める循環が生まれることである。人口が減れば店を維持する需要が小さくなり、店が減れば暮らしの利便性が下がり、それがさらに人口流出を促す可能性がある。こうして人口減少が単なる人数の変化ではなく、生活サービスの連鎖的縮小へ移行すると、町の衰退は徐々にではなく、ある段階から急に深くなることも考えられる。

 そうであるなら、人口を増やしてから店を増やすのではなく、人口がまだ一定程度残っているうちに生活を支える事業を維持するという政策にも合理性が生まれる。それは移住政策を諦めることではなく、むしろ将来の移住者が選ぶことのできる町を先につくっておくという発想である。

100人と10人を比較するなら、人数ではなく機能を見る

 最初の問いに戻ろう。移住者100人より地域を支える事業者10人を増やした方が効果は大きいのか。

 科学的に言えば、この問いに一般的な答えは存在しない。100人の所得、年齢、職業、消費行動が異なるのと同じように、10事業者についても業種、売上、雇用人数、仕入先、顧客構成は大きく異なるからである。

 例えば100人の移住者が、一人平均年間300万円の所得を地域外から得ているなら、単純計算では年間3億円の所得が地域へ持ち込まれる。その多くが地域内で使われるなら、町への影響はかなり大きい。

 反対に、10の事業者がそれぞれ地域外へ年間5000万円の商品やサービスを販売しているなら、売上規模だけでも合計5億円になる。さらに地域内で人を雇い、地元企業から仕入れ、そこで得た所得が再び町内で消費されるなら、その経済的影響は最初の5億円だけでは終わらない。

 したがって、どちらが大きいかは100と10という人数では決まらない。決めるのは、地域の外からどれだけ所得を持ち込み、その所得が地域の中にどれだけ残り、さらにどれだけ次の取引へつながるのかという構造である。

 しかも生活サービスについて考えれば、金額だけでも結論は出ない。一人の医師、一軒のスーパー、一人の介護事業者、一軒のガソリンスタンドが失われたことで、人口数千人の暮らしが変わることもある。この意味では、一人の事業者が一人分をはるかに超える地域機能を担うことは十分にあり得るのである。

地方創生の成績表を変えてみる

 経済産業省と内閣官房が提供するRESAS(Regional Economy Society Analyzing System・地域経済分析システム)でも、地域を見るための数字は人口だけではない。産業構造、事業所、従業者、消費、観光など、複数の指標を組み合わせて地域経済を見ることができる。

 2026年には市区町村単位の状況をまとめて確認する地域経済総合分析も追加され、地方を人口だけで評価しないためのデータ環境は以前より整ってきた。そうであるなら、地方創生の成績表そのものも変えてよいのではないだろうか。

 人口が20人増えた町を成功とし、20人減った町を失敗とするだけでは、町の実態を十分には表せない。人口が減っていても、地域外から所得を獲得する事業が育ち、町外へ流れていた修繕費が町内企業へ回り、買い物や交通を支える新しいサービスが成立しているなら、地域の持続可能性は以前より高くなっているかもしれない。

 逆に人口が増えていても、仕事、買い物、医療、教育の大部分を町外に依存し、所得がほとんど地域内に残らないなら、人口統計ほど地域経済は強くなっていない可能性がある。つまり、これからの地方創生では「何人増えたか」という数字だけでなく、その人口によって、あるいは事業によって「町の中で何ができるようになったのか」を見る必要がある。

地域を支える10人とは誰なのか

 結局、移住者100人より事業者10人の方が大きな効果を持つ条件は、かなり限定して考える必要がある。地域内の既存需要を奪い合うだけの10事業者なら、100人の移住者がもたらす新しい需要の方が大きい可能性がある。

 しかし、地域外から所得を獲得する事業者、これまで町外へ流れていた支出を地域内へ戻す事業者、地域住民を雇用する事業者、地元企業から仕入れる事業者、そして生活に欠かせないサービスを担う事業者が10人増えるのであれば、その影響は単純な10人分にはとどまらない。その10人によって、数百人の暮らしや複数の地域企業が支えられる場合もあるからである。

 さらに、「この町なら高齢になっても買い物ができる」「家が壊れても直してもらえる」「働く場所がある」という安心が生まれれば、それは既存住民の転出を抑える要因の一つになるかもしれない。そして、その生活環境が次の移住者にとって町を選ぶ理由の一つになる可能性もある。

 そう考えると、事業者政策と移住政策は競争相手ではなくなる。事業者を育てることが移住できる環境をつくり、移住者が増えることが事業の顧客や働き手を増やす。人口と事業が互いを支える循環が生まれたとき、初めて「人口増」と「地域経済の強化」が同じ方向を向く。

 地方創生で本当に増やすべきものは、人口だけではないのかもしれない。町の中で誰かが困ったとき、「それなら、ここでできます」と答えられる人が何人いるのか。食べること、移動すること、働くこと、家を直すこと、老いることを、地域の中でどこまで支えられるのか。

 人口表には、その数字は載っていない。しかし人口が減っていく時代には、その見えない数字こそが、町があと何年「普通に暮らせる場所」であり続けられるかを決めていくのではないだろうか。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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不動産情報を眺めていると、ときどき時間が二十年ほど巻き戻ったような価格の住宅に出会う。

土地付き一戸建て、500万円。

都会で暮らしてきた人なら、最初は何かの間違いではないかと思うかもしれない。500万円なら、自動車一台とそれほど変わらない。月6万円の家賃を30年間払い続ければ2160万円になるのだから、500万円で家を買えるなら、どう考えても買った方が得ではないか。そんな計算が頭に浮かぶのも自然なことである。

しかも、この500万円という数字は、外房では空想の価格ではない。2026年8月時点のいすみ市では、大原に498万円、岬町中原に500万円、岬町榎沢に450万円、高谷には520万円の中古戸建てが確認できる。もちろん、それがいすみ市の中古戸建住宅全体の平均的な価格だという意味ではない。築年数が古い、建物が小さい、駅から離れている、あるいは何らかの修繕を必要としているといった条件を伴う低価格帯の住宅である。

この記事でいう「500万円の中古住宅」とは、まさにそうした家を想定している。

ここでいう500万円の住宅は、中古戸建て全体の平均的な価格を意味するものではない。外房など人口減少地域で実際に見られる、築年数が古い低価格帯の戸建住宅を想定したモデルケースである。

問題は、この500万円という数字を、私たちは家の「値段」だと思ってしまうことである。

実は、それは30年間続く住宅費の入口に書かれた数字にすぎない。

500万円の家を買った日から、もう一つの時計が動き始める

スーパーで500円の商品を買えば、500円を払ったところで取引はほぼ終わる。自動車でさえ購入後に維持費はかかるものの、最後には廃車にして所有を終わらせることができる。

住宅は少し違う。

家を買った瞬間、そこから新しい支払いの時計が動き始める。

登記をしなければならない。不動産会社の仲介で購入すれば仲介手数料が発生することがある。不動産取得税も条件によって生じる。古い家なら、鍵を受け取った翌日からそのまま30年間暮らせるとは限らず、給湯器、台所、浴室、トイレ、床、屋根、外壁などのどこかに手を入れる必要が出てくる。

特に低価格の住宅では、購入価格が安いからといって諸費用まで同じ割合で安くなるわけではない。

現在、800万円以下の「低廉な空家等」の売買では、一定の場合、不動産業者が依頼者一人から受け取る仲介手数料について税込33万円を上限とする特例が設けられている。500万円の住宅に33万円なら、それだけで購入価格の6%を超える。

一方で、中古住宅には不動産取得税の軽減制度もある。千葉県では2026年4月1日以降に取得した自己居住用中古住宅について、床面積や耐震性能など一定の条件を満たせば軽減を受けられる。つまり実際の取得費は、築年数や建物の状態、取引方法によってかなり違ってくる。

そこで今回は、個別物件の正確な見積もりをするのではなく、取得時の仲介、登記、税、各種手続きなどをまとめて70万円程度と置く。

すると500万円の家は、まだ一度も修理をしていない段階ですでに570万円になっている。

しかし、本当に大きなお金が動き始めるのは、その後である。

中古住宅を買うということは、家の「過去」も買うことである

築35年の中古住宅を買ったとする。

購入者にとっては、その日が住宅所有の1日目である。しかし家にとっては35年目のある一日にすぎない。

ここに中古住宅を考えるときの大きな錯覚がある。

新築を買って30年間住むなら、建物は0歳から30歳になる。ところが築35年の家を買って30年間住めば、最後には築65年になる。

自分が30年間しか使っていなくても、屋根は65年間雨を受けているかもしれない。外壁も65回の夏と冬を経験することになる。給排水管や床下、柱、基礎も同じ時間を過ごしている。

国土交通省が示す木造戸建住宅の維持保全計画の例でも、住宅は建てた後そのまま放置することを前提としていない。基礎などは5年ごとの点検例が示され、屋根では20年程度で全面的な葺き替えを検討する例、外壁では15年程度で全面補修を検討する例などが示されている。

つまり家というものは、一度完成したら30年間そのまま存在する商品ではない。

少しずつ部品を取り替えながら、同じ家であり続けるものなのである。

中古住宅なら、その交換時計がすでに途中まで進んだ状態で手渡される。

だから500万円で買った家に、その後いくらかかるかは、売買価格だけを見てもほとんど分からない。

そこで、30年間の未来を三つに分けて考えてみよう。

最初の未来~大きな故障に恵まれた「低修繕ケース」

最も幸運な場合から考えてみる。

500万円で購入した家の状態が比較的よく、購入後に必要な修繕が小さかったとする。入居時の修繕は50万円程度で済み、30年間を通じた小規模修繕を120万円、屋根や外壁などの比較的大きな修繕を150万円、給湯器や住宅設備の交換を150万円程度に抑えられたとしよう。

さらに30年間の固定資産税を120万円、住宅に関する保険を90万円、突然の故障などに備える予備費を60万円とする。取得時諸費用70万円も加える。

この場合、30年間で住宅に投じる総額は約1310万円になる。

500万円だった家が1310万円になるのだから、それでも購入価格の2.6倍ほどである。

ところが360か月で割ると、月あたり約3万6400円になる。

この数字だけを見るなら、低価格中古住宅はかなり強い。

月6万円の賃貸住宅なら30年間の家賃だけで2160万円になる。それに対して1310万円で30年間住めるのであれば、途中で家の価値がかなり下がったとしても、経済的には持ち家に魅力がある。

おそらく、格安中古住宅を購入して成功したと感じる人が経験しているのは、この世界に近い。

しかし、これは家が比較的健康だった場合の話である。

築古住宅を購入するとき、誰もがこの未来を選べるわけではない。

二つ目の未来~家が普通に老いていく「標準ケース」

もう少し現実の時間を家に流してみよう。

購入後、浴室や給湯器などに手を入れ、入居時の修繕に200万円かかったとする。その後30年間の間に、細かな故障や補修で200万円、屋根や外壁などの大きな修繕で300万円、給湯、水回り、住宅設備などの更新に250万円が必要になったとする。

固定資産税を30年間で180万円、保険を120万円、予期しない修理への予備費を120万円として、購入価格500万円と取得時諸費用70万円を加える。

総額は約1940万円になる。

これは購入価格の約3.9倍である。

月額に直すと約5万3900円となる。

ここまで来ると、月6万円の賃貸住宅とかなり近づいてくる。

もちろん、この二つは単純には比較できない。

賃貸の2160万円は家賃だけであり、更新費用や家財保険などが別にかかる場合がある。一方、持ち家にも今回の計算には含めていない家具・家電、庭木管理などが発生することがある。

さらに決定的に違うのは30年後である。

賃貸住宅に2160万円を支払っても、通常その住宅は自分の財産にはならない。しかし持ち家なら、30年後にも土地と建物が残る。

だから標準ケースなら、「500万円の家が1940万円もかかった」と考えるだけでは公平ではない。

30年間住んだうえで、最後に何が残るのかまで考えなければならない。

ところが地方の住宅では、その「最後に残るもの」が必ずしも財産とは限らないところに問題がある。

三つ目の未来~修繕が重なった「高修繕ケース」

中古住宅の怖さは、何か一つが壊れることではない。

古い家では、同じ時期にいくつもの設備が寿命を迎えることがある。

屋根を直した翌年に給湯器が壊れ、その数年後には外壁が傷み、そのあとに浴室や配管に問題が現れる。人間の老化と同じで、一つの部位だけが時間から取り残されるわけではないからである。

そこで高修繕ケースでは、入居時に400万円の修繕が必要だったとする。30年間の細かな修繕を300万円、屋根や外壁などの大規模修繕を500万円、給湯、水回り、住宅設備の更新を350万円とする。

さらに固定資産税240万円、保険150万円、想定外の補修に備える予備費250万円を見込み、購入価格500万円と取得諸費用70万円を加える。

30年間の総額は約2760万円となる。

月額では約7万6700円である。

500万円だった家が、30年後までの支出で2760万円になる。

ここまで来ると、月6万円の家賃を30年間支払った2160万円を上回る。

しかも、この2760万円には住宅ローンを使った場合の金利を含めていない。耐震補強が必要になった場合の大規模工事も含めていない。浄化槽など個別設備の大規模な問題、災害による損害、最後に建物を解体する費用も含めていない。

したがって、状態の悪い築古住宅では3000万円を超える世界も十分あり得る。

しかし、そのことは500万円の中古住宅が危険だという意味ではない。

むしろ重要なのは、500万円という販売価格からは、1310万円の未来も2760万円の未来も見分けられないということである。

500万円の家には三つの値段がある

今回の計算を振り返ると、同じ500万円の家でも30年間の総額は大きく変わった。

状態がよく修繕が少なければ約1310万円、標準的に修繕が続けば約1940万円、大きな修繕が重なれば約2760万円である。

差は1450万円にもなる。

興味深いのは、購入価格が500万円であることは三つのケースでまったく同じだという点である。

つまり中古住宅では、購入価格そのものよりも、「これから壊れるもの」の方が最終的な住宅費を左右する場合がある。

500万円の家と700万円の家を比較して、500万円の方が200万円安いから得だと考える。しかし700万円の家では屋根と水回りがすでに更新されていて、500万円の家では数年以内に両方を直さなければならないとしたら、最終的には700万円の家の方が安いかもしれない。

安い住宅を探しているつもりで、私たちはしばしば「安い購入価格」を探している。

しかし本当に探すべきなのは、「安く30年間住める家」なのである。

この二つは似ているようで、まったく違う。

固定資産税も「500万円の1.4%」ではない

ここでもう一つ、よく誤解される数字を整理しておきたい。

いすみ市の固定資産税率は1.4%である。しかし500万円で住宅を購入したから、毎年500万円の1.4%である7万円を払うという意味ではない。

いすみ市によれば、固定資産税は土地や家屋などを評価して価格を決定し、その価格を基に算出された課税標準額に税率1.4%を掛けて計算する。原則として固定資産評価額が課税標準額になるが、住宅用地などでは特例措置が適用された後の額が課税標準になることがある。したがって、中古住宅をいくらで買ったかだけでは実際の固定資産税額は決まらない。

また、古い建物では建物部分の評価額が低下していくことがある一方、土地は残る。

今回、30年間の固定資産税を120万円から240万円と幅を持たせたのは、このためである。

これは実際のいすみ市の特定物件について税額を推計した数字ではなく、30年間の総費用を考えるためのモデル値である。実際に購入を検討する場合には、売主や不動産会社から固定資産税の課税明細などを確認して計算する必要がある。

住宅費の計算で大切なのは、精密そうに見える一つの数字を作ることではなく、何がその数字を動かすのかを理解することである。

そして30年後、築65年の家が残る

500万円で築35年の家を買った人が30年間そこに住めば、家は築65年になる。

その日まで大切に直してきたのだから、当然それなりの価値が残ると思いたくなる。

しかし不動産の価値は、住宅にいくら修繕費を投じたかだけでは決まらない。

買いたい人がいるかどうかによって決まる。

ここで人口減少地域の住宅問題が現れる。

30年後、人口が現在より減り、周囲にも空き家が増えていたとする。中古住宅を探す人より、売りたい住宅の方が多い地域になれば、自分の家だけが希望価格で売れるとは限らない。

300万円で売れるかもしれない。

100万円かもしれない。

あるいは値段を下げても買い手が現れないかもしれない。

これは「資産価値が下がる」という言葉だけでは十分に表現できない。

地方住宅の30年後にとってもっと重い問題は、値段ではなく「市場から退出できるか」ということである。

自動車なら、古くなれば廃車にできる。

家は建物を壊すことはできても、土地まで消すことはできない。

土地を所有している限り、管理の問題は残る。

だから地方で中古住宅を購入するとき、最初に考えるべき質問は、

「この家を買えるか」

だけではない。

「30年後、この家を誰かに渡せるか」

まで含めなければならないのである。

安い中古住宅が悪いわけではない

ここまで読むと、500万円の中古住宅を買うこと自体が危険だという結論に見えるかもしれない。

そうではない。

今回の低修繕ケースなら30年間の総額は約1310万円で、単純な月額換算なら約3万6400円である。住宅の状態がよく、自分の生活に適した場所にあり、長期間住むのであれば、これは十分に合理的な住宅選択になり得る。

むしろ問題なのは、安い中古住宅を「500万円の買い物」と理解することである。

本当は500万円で一つの建物を買っているのではない。

これから30年間続く、屋根、外壁、配管、給湯器、税金、保険、庭、土地、そして最後の処分までを含んだ長い時間を買っている。

だから家を見るときには、価格欄だけを見るのでは足りない。

屋根はいつ直したのか。外壁はいつ補修したのか。給湯器は何年使っているのか。雨漏りはないか。床下に問題はないか。水道管や排水はどうなっているのか。

それらは住宅の「状態」を確認しているように見えるが、本当は未来の請求書を読んでいるのである。

500万円の値札の横には何も書かれていない。

しかし、その家の中には、すでに次の300万円、次の100万円、次の50万円の支払い時期が隠れているかもしれない。

「安い家」ではなく「30年間安く住める家」を探す

今回の試算には大きな幅が生まれた。

低修繕なら1310万円。

標準なら1940万円。

高修繕なら2760万円。

同じ500万円の中古住宅を起点にしても、30年間ではこれほど違う。

だから「500万円の家は30年間でいくらかかるのか」という問いに、一つの正解はない。

むしろ答えは、

およそ1300万円台で済む可能性もあれば、2000万円前後になり、状態次第では2700万円を超えることもある

という幅で考えるべきなのである。

そしてこの計算から、もう一つ重要なことが見えてくる。

中古住宅で200万円値切ることより、購入前に300万円の修繕を避けられる家を見つける方が、家計に与える効果は大きいことがある。

だから本当に中古住宅を安く買う方法とは、最も安い販売価格を探すことではない。

価格と建物状態と将来の修繕を一緒に見ることである。

家の値札には未来が印刷されていない

不動産広告には、価格が書かれている。

500万円。

土地面積も、建物面積も、築年月も、間取りも書いてある。

しかしそこには、

「8年後に給湯器を交換する可能性があります」

とも、

「12年後に外壁を補修するかもしれません」

とも、

「20年後に屋根へ大きなお金が必要になるかもしれません」

とも書かれていない。

まして、

「30年後、この土地を欲しい人がいるかどうかは分かりません」

とは、どこにも書かれていない。

それでも、そのすべてが住宅の価格の一部なのである。

500万円という数字は間違っていない。

ただし、500万円だけを見ていては、その家の本当の値段は見えない。

今回のモデルでは、500万円の中古住宅が30年間で約1310万円から2760万円まで広がった。

つまり住宅購入で最も重要なのは、「いくらで買ったか」ではなく、「その家と30年間付き合うために、結局いくら払ったか」なのかもしれない。

安い家とは、値札の数字が小さい家ではない。

30年後まで住み終えたとき、初めて安かったと言える家である。

中古住宅を探すとき、私たちは今日の家を見に行っているように思っている。

しかし本当は、その家の30年後を見に行っているのである。

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