地方の人口減少を語るとき、私たちはどうしても「住んでもらう」という発想から離れにくい。移住者を増やし、若い世代を呼び込み、子どもの数を増やして地域を維持するという筋書きは分かりやすいが、日本全体の人口が減少している以上、すべての町が同時に定住人口を増やすことはできず、しかも仕事、学校、医療、人間関係まで都市側に築いている人に対して、生活の中心そのものを地方へ移してくださいと求めるのは、本人にとってかなり大きな決断になる。
しかし、「住民になってもらわなければ意味がない」という前提を外してみると、地方と都市の関係は少し違って見えてくる。月に2度来る人、週末だけ滞在する人、春から秋にかけて頻繁に訪れる人、仕事は都市に残したまま地方にも住まいを持つ人は、住民票を基準にした人口統計には十分現れないかもしれないが、実際には食料を買い、ガソリンを入れ、飲食店を利用し、住宅を維持し、ときには草刈りや修繕を地域の誰かに頼んでいる。
その1回1回の支出は小さい。それでも、1度だけ訪れて帰る観光客とは違い、同じ人が翌月も、半年後も、数年後も戻ってくるのであれば、そこには「反復される需要」が生まれる。二地域居住の経済的な意味を考えるとき、まず見るべきなのは地域を劇的に変える一人の移住者ではなく、何度も来て少しずつお金を使う人がつくる、小さいけれど繰り返される市場なのである。
「一人増える」より「何回来るか」
人口政策では「何人住んでいるか」が重要になるが、商売の側から見ると、それだけでは十分ではない。重要なのは、地域を利用する人が1年間に何回来て、そのたびにどれくらいの支出を行い、その支出のうちどれだけが地域内の事業者に届くかということである。
たとえば説明のための仮定として、ある二地域居住者が月に2回町を訪れ、1回の滞在で食料、外食、燃料、日用品などに5,000円を地域内で使うとする。この場合、1年間の支出は24回掛ける5,000円で12万円となり、同じ程度の利用をする人が百人いれば、年間の地域内支出は1,200万円になる。
もちろん、これは二地域居住者の全国平均を示した数字ではなく、あくまで経済の仕組みを考えるための仮定である。また、1,200万円の支出がそのまま地域住民の所得として残るわけでもない。スーパーで買った商品の仕入代金は地域外へ出ていき、ガソリンや家電も地域外で生産されていることが多いため、地域で支払われた金額と地域に残る所得は区別して考えなければならない。
そこで重要になるのが、地域内で発生した支出のうち、どれだけが地域の人件費、利益、地域内仕入れとして残るかという割合である。同じ1,200万円の支出でも、ほとんどの商品を外部から仕入れている店に流れる場合と、地域の人が提供する草刈り、修繕、清掃、飲食、農産物販売などに流れる場合とでは、地域経済への影響はかなり違ってくる。
二地域居住者の人数だけを数えても、地域への影響は十分に分からない。「何人いるか」に加えて、「年間何回来るか」「1回いくら使うか」「その支出を地域内でどれだけ受け止められるか」を見る必要があり、この三つを分けて考えると、地方における二地域居住の経済的な意味がかなり見えやすくなる。
観光客とも住民とも違う「半分知っている客」
観光客は、その土地をまだよく知らないため、有名な観光施設や検索で見つけた飲食店を利用しやすい。一方、長く住んでいる住民は地域をよく知っているため、生活上の支出をできるだけ効率的に済ませようとすることが多い。二地域居住者はその中間に位置し、何度も町を訪れるうちに観光客ではなくなるが、完全な日常生活者にもならないという特徴を持つ。
最初は評判の店を探して歩いていた人が、何度も通ううちに気に入った魚屋やパン屋を見つけ、帰宅前には同じ直売所で野菜を買うようになることがある。その行動が毎月繰り返されれば、1回限りの観光消費ではなく、ある程度予測できる反復需要に変わっていく。
ただし、ここには注意も必要である。地域に慣れた人が必ず高い商品を買うとは限らず、土地を知るほど安い店や便利な店を選ぶようになることもあるため、二地域居住者は価格を気にしない優良顧客になると単純に考えるべきではない。それでも、店の商品や店主との関係に愛着が生まれれば、価格だけでは説明できない反復利用につながる可能性があり、地域の小さな商売にとって重要なのは、1度に大きな金額を使う客を探すことより、何度も戻ってくる客との接点を失わないことである。
人が来ても、買える場所がなければ消費は生まれない
二地域居住者が増えれば、その人数に比例して地域の売上も増えると考えたくなるが、現実はそれほど単純ではない。地域に欲しい商品やサービスを提供する店がなければ、食料を都市から持ってきたり、インターネット通販を利用したり、隣の市まで買い物に出たりするため、地域に人が滞在していても、その消費が地元の事業者には届かない場合がある。
つまり、二地域居住者が持ち込む購買力と、その購買力を地域で受け止める供給力は別の問題であり、「人を呼ぶこと」と「地域でお金を使ってもらうこと」の間には一段階がある。飲食店が閉まる時間が早すぎる、必要なものをどこで買えるのか分からない、住宅の修理を頼める事業者を探せないといった小さな不便が積み重なれば、せっかく地域に持ち込まれた需要は外へ流れてしまう。
だから二地域居住を経済政策として考えるのであれば、人数を増やすことだけを成果にしてはいけない。重要なのは、外から持ち込まれた需要を地域の商いがどれだけ捕まえられるかであり、その意味では店の存在、営業時間、サービス情報、注文のしやすさ、支払い方法といった、一見地味な条件の方が、華やかな移住促進イベントより実際の消費に直結することがある。
「住んでいない時間」が新しい市場になる
二地域居住の経済が興味深いのは、飲食や買い物だけではない。むしろ地域にとって特徴的なのは、「そこに住んでいない時間」があるために、定住者とは違ったサービス需要が生まれることである。
家を持てば草は伸び、湿気はたまり、排水溝には葉が入り、台風のあとには屋根や雨戸が気になる。毎日住んでいる人なら自分で確認できることでも、月に数回しか訪れない人には確認すること自体が難しく、そこで誰かにお金を払って任せる理由が生まれる。
たとえば月に1度の換気や簡単な清掃、庭の状態確認、郵便物の確認、台風通過後の外観点検、冬期の水道確認、設備の異常確認などは、1件ごとの仕事として見れば小さい。しかし、二地域居住者が一定数集まる場所では、こうした仕事を定期的に束ねることで、一つのサービスとして成立する可能性がある。
ここで大切なのは、何でも代行する便利屋を始めれば成功するということではない。地方では顧客同士の距離が離れていることが多く、1件3,000円の仕事のために片道30分かけて移動すれば、それだけで採算が崩れてしまうことがあるため、小さな需要を商売にするには、その需要を地理的に束ねなければならない。
地方の商売では「顧客数」より「顧客密度」が効く
二地域居住者向けサービスの成否を考えるうえで、人数以上に重要になるのが顧客密度である。百人の顧客が広い町全体に散らばっている場合と、同じ百人が一つの住宅地や別荘地に集中している場合では、売上の総額が同じでも利益は大きく異なる。
1日に十軒を回れる地域と、1日に三軒しか回れない地域では、1件当たりの料金が同じでも事業者の収益性は変わるため、地方の生活サービスでは「市場人口が何人いるか」という問いだけでは十分ではない。「1時間で何人の顧客に会えるか」「1回の移動で何件処理できるか」という視点が必要になる。
このため二地域居住者を対象とする小規模サービスには、町全域を広く取りに行くより、二地域居住者が比較的多い住宅地や別荘地など、狭い範囲にサービスを集中させる方が向いている。人口減少地域の新しい商売では、大規模な市場を探すことより、散らばっている小さな需要を採算の取れる密度まで束ねられるかどうかが重要になるのである。
「歓迎します」だけではお金は動かない
二地域居住や関係人口を推進するとき、自治体や地域団体は交流会、イベント、移住相談会といった人間関係をつくる施策を考えやすい。しかし、人と人がつながることと、その地域で継続的な経済活動が生まれることは同じではない。
二地域居住者が本当に困るのは、住宅に着いたら庭が荒れていたとき、夕方に食料を買える場所が分からないとき、壊れた網戸を誰に頼めばよいのか分からないとき、台風のあとに屋根が心配だが遠くにいて確認できないときである。こうした問題は一つ一つが小さいため行政課題として目立ちにくいが、商売の視点で見ると、小さいからこそ全国企業が参入しにくく、地域の個人事業者や小規模事業者が扱える余地が残っている。
町が二地域居住者を増やしたいのであれば、「この町を好きになってください」と呼びかけるだけでは十分ではない。「困ったときには誰に頼めるのか」「何をどこで買えるのか」「留守中に何を任せられるのか」が分かる仕組みを整えることで、地域に持ち込まれた購買力が実際の商売へ変わりやすくなる。
月3,000円のサービスは商売になるのか
二地域居住者向けの小さなサービスを考えるとき、売上と利益を分けて考える必要がある。仮に一人から月3,000円を受け取り、百人の顧客がいれば、月間売上は30万円、年間売上は360万円となる。
しかし、ここから車両費、燃料費、保険、通信費、消耗品、決済費用、広告費、移動時間などを負担しなければならないため、360万円すべてが所得になるわけではない。二人分の生活を支える専業事業として考えれば十分な規模とは言いにくいが、一人で運営する小規模事業、副業、あるいは造園、清掃、修繕、不動産管理など既存事業の追加サービスとして考えるなら、意味を持つ可能性がある。
ここでも重要なのは、1件当たりの売上を無理に高くすることではなく、同じ移動の中で複数の顧客を回れるかどうかである。月3,000円という小さな支払いでも、百軒が狭い地域に集まれば事業になる可能性がある一方、十軒ずつ十地区に散らばれば、同じ売上でも移動費によって利益が消えることがある。
地方で新しい商売を考えるとき、「何人買ってくれるか」だけを見るのではなく、「その人たちはどこにいるのか」という問いを加える必要があるのは、このためである。
二地域居住は、必ず地域を豊かにするわけではない
二地域居住には経済的な可能性があるが、それを無条件に地域にとって良いものだと考えるのも危険である。外部から住宅需要が増えれば、地域によっては土地や住宅の価格を押し上げ、地元で暮らす若者やサービス業従事者が住宅を取得しにくくなる場合もある。
とくに住宅供給が少なく、観光需要の強い地域では、二地域居住や別荘需要が地元住民の住宅需要と競合する可能性がある一方、空き家が多く、住宅需要が弱い地域では、使われなくなった住宅を維持し、固定資産の価値を保つ方向に働くこともある。同じ二地域居住でも、住宅が不足している地域と空き家が余っている地域では意味がまったく異なるため、一つの成功例を全国へそのまま当てはめることはできない。
また、地域内に十分な店や事業者がなければ、二地域居住者が持ち込んだ支出の多くが地域外へ流れる可能性もある。したがって、二地域居住そのものを経済効果と考えるのではなく、住宅市場の状況、地域の商業構造、顧客密度、地域内で供給できるサービスの種類まで含めて考える必要がある。
地方に必要なのは「大当たり」ではない
人口減少地域で新しいビジネスを考えるとき、全国から顧客を集められる商品や、急成長する事業が理想として語られやすい。しかし、そのような事業が生まれる確率は高くなく、地方の小さな経済では、すでに地域を利用している人たちの未処理の需要を見つけ、少額でも繰り返し購入してもらう方が現実的な場合が多い。
一人の顧客から年間数万円しか得られなくても、その顧客が百人、二百人と一定の範囲に集まり、しかも翌年も利用し続けるなら、1度きりの大型契約とは違った安定性が生まれる。市場が小さいことは弱点だが、その市場が小さすぎるため大企業が入りにくく、地域の小規模事業者には競争が少ない市場として残る場合もある。
ただし、その小さな市場を見つけるには、「地方だから何か需要があるだろう」と考えるのではなく、誰が、何に困り、何回必要とし、いくらなら払い、どの地域に集まっているのかまで確かめる必要がある。二地域居住者という言葉そのものが商機なのではなく、その人たちが繰り返し経験する具体的な不便の中に商機があるのである。
「町を救う人」にしない
地方政策では、人に役割を背負わせすぎることがある。移住者には自治会活動への参加を求め、若者には地域を変えることを期待し、起業家には雇用創出を期待するうちに、二地域居住者にも「地域を活性化してくれる人」という役割が与えられかねない。
しかし、月に2度やって来る人は、その町を救うために来ているわけではない。海が好きだから来る人もいれば、小さな畑を楽しみたい人もいて、都会とは違う静かな時間を過ごしたいだけの人もいる。その人に地域貢献を要求する必要はなく、町へ来て、食事をし、必要なものを買い、家の手入れを地域の誰かに頼み、また都市へ戻っていけばよい。
その往復が何年も続けば、一人の生活の中にその町が組み込まれていく。住民票はなくても、いつものスーパーがあり、いつもの飲食店があり、頼めば来てくれる職人がいて、道ですれ違えば挨拶する人がいるという関係が生まれれば、それはもはや単なる観光ではない。
町の側から見れば、その人が使う1回数千円のお金は小さい。しかし、その数千円が年に20回、30回と繰り返され、同じような人が百人、二百人と存在すれば、それは一つの市場になる可能性がある。ただし市場になるかどうかを決めるのは人数だけではなく、来訪頻度、支出額、地域内で支出を受け止める割合、そして顧客同士の距離である。
人口減少の町を一気に反転させるほどの力は、二地域居住にはないだろう。しかし、それは弱点ではない。人口減少の時代に必要なのは、すべてを元に戻す巨大な政策だけではなく、減っていく需要の隙間に小さな需要を差し込み、それを地域の商いへ変える仕組みでもある。
二地域居住者は町を救わなくてもいい。月に何度かやって来て、昼を食べ、野菜を買い、ガソリンを入れ、伸びた草を刈ってもらい、壊れた雨戸を直してもらい、また翌月戻ってくる。その何でもない往復の中で、一つの店の売上が少し増え、一件の仕事が生まれ、使われなくなるはずだった住宅がもう少し長く維持されるなら、それだけでも地域経済にとって意味がある。
地方の未来は、必ずしも劇的な人口増加によって始まるとは限らない。ときには、住民でも観光客でもない人が月に数回来るという、統計では見えにくい生活の往復から、小さく、静かで、それでも繰り返される経済が始まるのである。


