地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 昼どき、いつもの店の前を通ると、入口には人が並んでいる。以前なら扉を開けて、「今日は何がある」と尋ねれば済んだ店なのに、いつからか旅行鞄を持った人が列をつくり、駐車場には県外ナンバーの車が並び、料理が運ばれるたびに店内のあちこちでスマートフォンが持ち上がるようになった。店は繁盛しているのだから、町にとって喜ばしい光景のはずである。

 ところが、昔からその店を使ってきた地元の人は、その列を見て通り過ぎることがある。店は以前より有名になり、客は増え、売上も伸びているかもしれないのに、近所に住む人ほど入りにくくなっているとすれば、そこには単なる「人気店の成功」では片づけられない変化が起きている。

 経済的には成功しているのに、地域の日常からは少しずつ遠ざかっていく店。そのような店を、私たちはいつまで「地域の店」と呼ぶことができるのだろうか。

「地元の店」は、住所だけでは決まらない

 そもそも「地元の店」とは何だろう。町内に店舗があり、そこで商売をし、地域の人を雇い、地域に税金を納めているなら、それだけで地元の店だと考えることはできる。しかし、私たちが日常会話の中で「あそこは地元の店だ」と言うとき、そこには所在地以上の意味が含まれているように思える。

 学校帰りに寄った店、仕事の途中で昼食を取る店、顔を出せば店主がこちらを覚えている店、親が通い、自分も通い、いつの間にか子どもまで連れて行くようになった店。そうした店は商品や料理を売っているだけではなく、地域の日常生活の中に組み込まれている。特別な日に目的を持って訪れる場所ではなく、特別ではない日に何となく立ち寄れることこそが、その店の地域性を支えている。

 観光客にとって店は「目的地」になることがあるが、住民にとって店は「生活の途中」にある場合が多い。この違いは小さいようでいて重要で、旅行の目的として訪れた店なら多少待ってでも入りたいと考える人がいる一方、仕事や買い物の途中で食事をする住民にとっては、長い待ち時間が続けば別の店や自宅での食事へ切り替える方が合理的になる。

 同じ店を前にしていても、観光客と住民では、その店に払える時間の意味が違うのである。

満席という現象を、少し数理的に考えてみる

 一軒の店には、収容できる人数に限界がある。座席数だけではなく、厨房の処理能力、駐車場、店員数、営業時間まで含めれば、一日に受け入れられる客の量には必ず上限がある。

 その範囲内で地元客と観光客が共存しているうちは、大きな問題は起こらない。ところが観光客が急増し、店が受け入れられる人数を需要が上回り始めると、誰かが待つか、時間をずらすか、別の店へ行かなければならなくなる。

 ここで重要なのは、観光客が必ず地元客より待ち時間に強いということではない。旅行の日程が詰まっている人なら、むしろ待ち時間を嫌う場合もある。ただし、その店そのものを旅行の目的として訪れている人は、近所で日常的に昼食を取る住民よりも、長い待ち時間や多少高い価格を受け入れることがある。

 反対に住民には、別の飲食店へ行く、自宅で食べる、スーパーで買うといった代替手段がある。そのため混雑が繰り返されれば、「今日はやめておこう」が何度も積み重なり、やがて最初からその店を選ばなくなる可能性が生まれる。

 問題の核心は、観光客が来ること自体ではない。地域の店が受け入れられる量を需要が超え、その状態が日常化することにある。

店は同じ場所にありながら、別の客のための店へ変わる

 需要が変われば、商売の側がそれに適応するのは当然である。遠くから来る客が増えれば予約を受け付けるようになり、人気の料理を中心にメニューを組み替え、仕入れや人件費の上昇に応じて価格を見直すこともある。地域で昔から食べられていた料理が「名物」として売り出され、観光客が動く時間帯に合わせて営業方法が変わることもあるだろう。

 これらを一つずつ見れば、経営者として不合理な判断ではない。むしろ、限られた席と人員で経営を続ける以上、需要の強い客に合わせることは自然である。

 しかし、その合理的な判断がいくつも積み重なると、店は以前と同じ建物、同じ看板、同じ料理を残しながら、少しずつ別の性格を持つようになる。そこに住む人が日常的に使う店から、その土地を訪れる人が非日常を体験する店へと、役割が移っていくのである。

 地域性というものは、店の住所には残っていても、利用者との関係から失われることがある。

店は繁盛したのに、住民の選択肢は減ることがある

 観光振興を評価するとき、客数や宿泊者数、観光消費額は分かりやすい数字である。何万人が訪れ、いくら使ったのかを測れば、地域にどれほどのお金が入ったのかをある程度把握できる。

 しかし住民の暮らしを測ろうとすると、それだけでは足りない。以前は昼休みにすぐ入れた店へ入れなくなったのか、休日になると駐車場が埋まるようになったのか、日常的に食べていた料理が観光商品として高くなったのか、住民が別の場所へ移動するようになったのかという変化は、観光客数の増加だけを見ても分からない。

 ただし、一軒の人気店が観光客で混雑したからといって、町全体の生活利便性が低下したと結論づけることもできない。周囲に新しい飲食店が増え、住民の選択肢が以前より豊かになっているなら、地域全体ではむしろ利便性が高まっている可能性もある。

 したがって、本当に知りたいのは一軒の店が混んでいるかどうかではなく、地域全体で住民が利用できる店がどのように変化しているかである。観光客向けの店が増える一方で日常的な食堂や商店が減っているのか、それとも観光需要によって新しい店が生まれ、住民にも新しい選択肢が増えているのか。この二つでは、同じ「観光客が増えた町」であっても意味はまったく異なる。

常連客は、売上だけでは測れない

 もちろん、観光客が増えたからといって、それだけで店が地域から奪われたと考えるのも正しくない。観光客が来なければ経営を続けられなかった店もあるだろうし、旅行者の消費によって従業員を雇い、設備を更新し、後継者へ商売を引き継げるようになった店もあるかもしれない。外から入るお金が地域の店を存続させ、その結果として地元住民も店を利用し続けられるのであれば、観光は地域性を壊すどころか、それを守る力にもなり得る。

 そこで考えたいのが、観光客と常連客が店にもたらすものの違いである。観光需要は季節や流行、天候、交通事情などによって大きく変動することがあるが、地元の常連客が比較的安定して利用している店では、その需要が閑散期を支える基礎になる可能性がある。ただし、これもすべての店に当てはまるわけではなく、住民需要そのものが少ない観光地では、観光客なしでは成立しない店も当然存在する。

 それでも常連客が店にもたらすものは売上だけではない。店主と客が顔を知り、近所の出来事が自然に話題となり、特に約束をしていなくても誰かと会うことがある場所は、商業施設であると同時に小さな交流空間でもある。

 その機能は売上高には表れない。しかし地域にとっては、店の椅子一脚が単なる座席以上の意味を持つことがある。観光客で満席になるということは、その椅子が埋まるというだけではなく、場合によっては、そこにあった地域の日常が別の場所へ移動していくことでもある。

「本物の地域」を求める人が、本物を変えてしまう逆説

 ここには観光の面白い逆説がある。旅行者が人気店を訪れる理由の一つは、その店に「地元らしさ」を感じるからである。

 観光客向けに作られた店ではなく、地元の人が本当に通っている店へ行きたい。昔から食べられている料理を食べたい。観光地化されていない路地を歩きたい。そうした欲求は、作られた観光地ではなく、その土地の日常そのものに価値を見いだしている。

 ところが、その価値を求める人が急激に増えれば、価値の源だった日常そのものが変化する可能性がある。静かな路地を歩きたい人が増えれば路地は静かではなくなり、地元客しかいない店へ行きたい人が増えれば、そこは地元客しかいない店ではなくなる。

 もちろん、観光客が増えれば必ず地域らしさが失われるわけではない。外から来る人との交流によって、住民自身が地域の価値を再発見することもあれば、観光による収入によって祭りや伝統的な商売が存続する場合もある。

 つまり観光には、地域文化を変える力と残す力の両方がある。そのどちらが強く現れるかは、観光客の人数だけではなく、地域の受入能力、店の経営形態、住民との関係、観光収入が地域内でどのように循環するかによって変わる。

観光客と住民は、本当に奪い合うしかないのか

 旅行者は魅力的な店へ行きたい。店は客を増やして経営を安定させたい。自治体は観光消費を増やしたい。そして住民は、これまで利用してきた店を無理なく使い続けたい。

 一見すると、これらの希望は衝突しているように見える。しかし、必ずしもゼロサム、つまり一方が得をすればもう一方が同じだけ損をする関係ではない。

 店の座席や人員に余裕があれば共存できるし、営業時間を分散させたり、予約方法を工夫したり、周辺の別店舗へ客を誘導したりすることで、地域全体の受入能力を高められる場合もある。また、一軒の人気店だけに客が集中せず、町全体へ需要が分散すれば、観光によって新しい店が生まれ、それが住民の選択肢を増やすこともあり得る。

 したがって問うべきなのは、「観光客を受け入れるか、住民を守るか」ではなく、観光客が増えても地域の日常を維持できる仕組みをつくれるかどうかである。

 そこを考えず、単純に客数だけを増やし続ければ、どこかで地域の受入能力を超える。反対に、外から来る人を過度に遠ざければ、店の経営や地域経済そのものが弱くなる可能性がある。必要なのは人数の最大化ではなく、地域が無理なく受け入れられる範囲を探すことである。

「地域の店」を数値で考えるなら

 「まだ地域の店と呼べるのか」という問いは、実際には「はい」か「いいえ」で答えられるものではない。

 地域性には濃淡があるからである。

 たとえば、その店を利用する客のうち地元住民がどの程度いるのか、住民が無理なく払える価格が維持されているのか、日常利用に耐えられる待ち時間なのか、昔からの常連客が残っているのか、観光シーズン以外にも営業を続けているのか、住民同士が自然に交流できる場所として機能しているのかを見ることで、店と地域との関係はある程度測ることができる。

 反対に、地元客の比率が下がり、価格が住民の日常利用から離れ、予約なしでは入れず、閑散期には営業しない店へ変わったなら、その店は所在地こそ地域内にあっても、機能としては観光施設へ近づいていると考えることができる。

 これは店の良し悪しを決める評価ではない。観光客中心の店には観光客中心の店として地域経済を支える役割がある。しかし、「町に店が何軒あるか」だけではなく、「その店を誰が、どのように使っているか」まで見なければ、地域の暮らしやすさは分からないということである。

「地域の店」を守るとは、観光客を締め出すことではない

 では、地元の店を守るために、観光客を制限すればよいのだろうか。おそらく、それほど単純な話ではない。

 地域の店が外から来た人を受け入れることは、地域が閉じないためにも重要である。旅先で偶然入った小さな店で土地の人と言葉を交わした経験が、その土地全体への印象を決めることもある。観光客と住民が同じ空間にいること自体は地域文化を弱めるものではなく、むしろ地域の文化を外へ伝える機会にもなる。

 問題になるのは、どちらか一方がもう一方を完全に押し出してしまうときである。

 観光客だけになった店は、地元に存在する観光施設へ近づいていく。一方で、地元客しか受け入れない店は、外から来た人に閉じた空間になる。住民の日常と旅行者の非日常が同じ場所で少しだけ交わり、互いに相手の存在を邪魔だと感じずに済む状態こそ、「地域の店」としてもっとも豊かな姿なのかもしれない。

 ただし、その調整を店側の善意だけに任せるべきではない。店には家賃も人件費も仕入れ費用もあり、「地域のためなのだから安く売れ」「常連客を優先しろ」と外から要求するだけでは、経営そのものが続かなくなる。地域性を守るという美しい言葉が、商売する人にだけ負担を押しつける仕組みになれば、それは長続きしない。

 観光による利益を地域全体で受け取りながら、住民の日常も失わない仕組みをどうつくるか。その設計こそが、本来は地域政策の仕事なのだろう。

店の椅子から、町の変化を見る

 地域分析というと、人口、高齢化率、所得、観光客数、商業統計といった大きな数字を思い浮かべやすい。しかし町の変化は、ときに一軒の店の入口にできた十人の列の方にはっきり現れる。

 その列を見て、「人気が出てよかった」と思う人がいる一方、「もう自分が気軽に行く店ではなくなった」と感じる人もいる。どちらか一方だけが正しいわけではなく、その二つの感情が同時に生まれるところに、観光地化の複雑さがある。

 そして、その一軒だけを見て町全体を判断するのではなく、同じ変化が周囲の店でも起きているのか、新しい店が増えているのか、住民がどこへ移動したのかまで追っていけば、入口の行列は単なる人気の証拠ではなく、地域構造の変化を読み解く手掛かりになる。

 町は一種類の人だけのものではない。昔から暮らす住民がいて、移住してきた人がいて、商売をする人がいて、別荘を持つ人がいて、ときどき訪れる旅行者がいる。その境界が曖昧になっていくほど、「誰のための町なのか」という問いにも、単純な答えはなくなっていく。

 だから「地域の店」であるかどうかも、店がどこに建っているかだけでは決められないのだろう。その店が地域の日常の中にまだ居場所を持っているか、近所の人が特別な予定を立てなくても利用できるか、観光シーズンが終わり旅行者の姿が消えた冬の夕方にも、店と地域をつなぐ関係が残っているかというところに、本当の境界線がある。

 観光客で満席になること自体が問題なのではない。むしろ気にすべきなのは、満席の店の前を通り過ぎた地元の人が、そのうち「今日は混んでいるからやめよう」とさえ思わなくなることである。何度も諦めているうちに、その店を自分の日常の選択肢から静かに外し、店の側もまた、いつしか地元の人が来なくなったことを特別な変化とは感じなくなる。

 店の住所は変わらない。看板も昔のままで、名物料理も残っている。それでも、店と町との関係だけが少しずつ変わっている。

 「地域の店」が失われる瞬間とは、必ずしもシャッターが下りたときではないのだろう。

 店は今日も満席で、以前より繁盛している。その店の前を、昔からそこに住んでいる人だけが立ち止まらずに通り過ぎていく。地域の変化というものは、統計表の数字が動くより前に、案外そんな何気ない景色の中に現れているのかもしれない。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 町から店が一軒消えるとき、その変化はたいてい静かに始まる。ある日突然、商店街全体がなくなるわけではなく、最初は高齢になった店主が店を閉め、しばらくすると衣料品店のシャッターが下り、その数年後には本屋や靴店がなくなっている。それでも食品店やコンビニエンスストアが残っているうちは、町の生活は以前とそれほど変わっていないように見えるが、最後に日常の買い物を支えていた店まで閉じると、住民は初めて、その町がいつの間にか別の生活圏へ変わっていたことに気づく。

 では、店が成立しにくくなる人口には境界線があるのだろうか。人口5000人ならまだ大丈夫で、4000人を割ると危険になるのか、それとも人口1000人の町でも小売業は十分成立するのか。この問いには、実は参考になる公的統計がある。ただし、その数字をそのまま「店舗経営の採算人口」と読んでしまうと、地域商業の実態をかえって見誤ることになる。

人口600人の自治体にも食料品店は存在する

 国土交通省は、三大都市圏を除く市町村について、人口規模と各種生活サービス施設の存在との関係を分析している。その結果を見ると、飲食料品小売業が存在する自治体の割合が50%を超える人口規模はおよそ600人、80%を超えるのはおよそ2200人とされている。コンビニエンスストアでは50%がおよそ2200人、80%がおよそ3800人となり、さらに総合スーパーでは50%がおよそ4万7500人、80%がおよそ6万2500人にまで上昇する。スポーツ用品店や男子服店など購入頻度の低い専門店も、食品店やコンビニエンスストアよりかなり大きな人口規模を必要とする傾向が示されている。

 もっとも、この数字には重要な注意が必要である。国土交通省が示しているのは、ある人口規模の自治体のうち、その業種の事業所が一つ以上存在する自治体の割合であって、「人口600人いれば食品店が黒字になる」「人口3800人いればコンビニエンスストアの採算が取れる」という意味ではない。600人という数字は、人口600人程度の自治体でも半数程度には何らかの飲食料品小売業が存在していたという統計上の境目であり、店舗経営に必要な損益分岐点を示したものではないのである。

 さらに、この施設立地確率の分析には2014~2015年前後の経済センサスや商業統計などが用いられているため、現在の出店基準そのものを表した数字でもない。その後、インターネット通販は一段と普及し、人件費や物流費も上昇し、ドラッグストアやコンビニエンスストアを取り巻く競争環境も変化した。したがって、600人、2200人、3800人という数字は、現在の企業が用いる最新の採算基準ではなく、全国の立地実態から人口規模と施設の存在との関係を捉えた目安として読むのが適切である。

店を支えているのは行政人口ではなく商圏である

 小売店を支えるのは、市役所の統計表に載っている人口そのものではない。実際にその店まで来て、商品を購入する人の数と、その人たちがそこで使う金額である。人口5000人の町に食品スーパーが一軒あったとしても、5000人全員がそこで買い物をするわけではなく、隣の市の大型店へ車で行く住民もいれば、通勤先で買い物を済ませる人もおり、宅配やインターネット通販へ消費が流れることもある。

 反対に、人口2000人ほどの町であっても、観光客が年間を通して訪れ、周辺地域からも買い物客が流入するのであれば、住民人口だけでは説明できない規模の商業が成立する可能性がある。この意味で、本当に重要なのは行政区域の人口ではなく、店舗が実際に取り込める商圏人口と購買力であり、そこには住民だけでなく観光客、通勤者、通過交通による需要が加わる一方、競合店舗や域外への買い物流出による減少も生じる。

 同じ人口3000人でも、住宅が一つの市街地にまとまっている地域と、山間部や海岸沿いに集落が広く分散している地域では、小売店にとっての市場の大きさは同じではない。前者では比較的短い距離の中に顧客が集まっているため、一店舗へ需要を集約しやすいが、後者では行政人口が3000人存在していても、どこに店舗を置いても十分な人数を近距離から集めにくい場合がある。そのため人口密度や住民の空間的な分布も、小売店の成立条件を考えるうえで重要な説明要因になる。

人口が減ると、店は一斉になくなるのではない

 人口減少地域を考えるときに興味深いのは、すべての業種が同じ人口規模で消えていくわけではないことである。国土交通省の分析では、飲食料品小売業がかなり小規模な人口でも存在するのに対し、スポーツ用品小売業の存在割合が50%を超える人口規模はおよそ8500人、80%ではおよそ1万7500人、男子服小売業ではそれぞれおよそ1万2500人と2万2500人まで大きくなる。

 この違いは、小売業の商品特性を考えれば理解しやすい。食料品は毎日のように購入されるため、一人の住民が一年間に生み出す需要が比較的大きいが、衣服やスポーツ用品を毎日買う人はいない。購入頻度が低ければ、一人当たりから得られる年間売上も小さくなり、その分だけ広い商圏から多くの顧客を集めなければ店舗を維持しにくくなる。

 ただし、この統計だけから「人口が減ると必ず専門店から順番に閉店する」とまでは断定できない。国土交通省の分析は、人口の異なる多数の自治体を比較した横断的な分析であり、同じ町を長期間追跡して、どの業種がどの順番で撤退したのかを調べたものではない。それでも立地確率を見る限り、専門性が高く購入頻度の低い店舗ほど、大きな人口規模を必要とする傾向があることは明瞭であり、人口減少の影響を受けやすい構造にあると考えることはできる。

 こうして地域商業の衰退は、「店がある状態」から突然「店がない状態」へ変わるのではなく、最初に購入頻度の低い商品の選択肢が少なくなり、その後、日常商品を扱う店舗同士の競争が減り、最後には食品や日用品を扱う店さえ一店舗しか残らないという形で進む可能性がある。人口減少とは、店がゼロになる現象より前に、住民が商品や店舗を「選べなくなる現象」として現れるのである。

一軒残っていることと、地域商業が安定していることは違う

 施設の「存在」を測る統計には、もう一つ見えにくい問題がある。町に食品店が一軒残っていれば、統計上は飲食料品小売業が「存在する自治体」に分類されるが、その店の経営者が高齢で後継者がおらず、設備更新も難しくなっているとすれば、店舗が存在していることと、その地域の買い物環境が長期的に安定していることは同じではない。

 人口減少地域では需要の縮小と経営者の高齢化が同時に進むことがあり、既存店が閉店したあとに、新しい事業者が参入するとは限らない。人口が小さく将来の市場縮小が予測される地域ほど、新規出店する側から見た投資回収の不確実性も大きくなるため、現在一店舗が存在しているという事実だけでは、将来もその店舗機能が維持されるとは判断できない。

 しかも、人口5000人の町でスーパーが二店舗から一店舗になる場合と、一店舗からゼロになる場合では、店舗数としてはどちらも一店舗減少だが、住民生活に与える影響は大きく異なる。二店舗が一店舗になれば選択肢は失われるものの町内で買い物はできるが、一店舗がゼロになれば、食品を購入するという日常行為そのものに自動車や公共交通、宅配など別の移動手段が必要になるためである。

 この意味で、店舗数と生活利便性の関係は単純な比例関係ではない。最後の一店舗が失われる影響は、その前の一店舗が失われる影響よりはるかに大きくなり得る。

「買える町」と「買いに行かなければならない町」の境界

 小売店の減少が深刻なのは、それが単に商業の問題ではなく、地域で生活できる条件そのものを変えてしまうからである。農林水産政策研究所は、食料品店まで500メートル以上離れ、かつ自動車を利用できない65歳以上の人を食料品アクセス困難人口として推計しており、2020年には全国で約904万人、65歳以上人口のおよそ4人に1人に相当するとされた。

 2015年の推計と比べると約9.7%増えているが、この数字については注意も必要で、2020年推計では対象店舗にドラッグストアが加わるなど使用データや条件に変更があるため、単純な時系列比較はできない。それでも、高齢化が進む日本社会において、店舗までの距離と自動車利用の可否を組み合わせた「買い物への到達しやすさ」が重要な政策課題になっていることは確かである。

 これは、地域の買い物問題を人口だけでは捉えられないことも示している。人口が比較的多くても、店舗が市街地の一か所に集中し、自動車を運転できない高齢者が周辺集落に多く住んでいれば、生活上の買い物環境は厳しい。一方で人口が少なくても、住民がコンパクトな地域に暮らし、徒歩圏内に店舗があれば、数字から想像するほど不便ではない場合もある。

高齢化すると同じ人口でも商圏の性質は変わる

 人口規模が同じでも、その年齢構成が変われば地域の小売市場は同じではない。人口5000人の町が十年間で4500人になった場合、人口減少率だけを見れば10%だが、その間に子育て世帯や現役世代が大幅に減少し、高齢者の割合が上昇していれば、必要とされる商品や交通手段、来店頻度など小売需要の構成そのものが変化している可能性がある。

 ここで、「高齢者が増えるほど小売需要が小さくなる」と単純化することもできない。食品、医薬品、宅配サービスなど高齢者人口の増加によって需要が維持される分野もあり、反対に自動車利用が難しくなれば遠方の大型店舗より近隣店舗への需要が強まる場合もある。しかし、小規模な近隣需要が店舗の人件費、物流費、設備費などの固定的な負担を十分に支えられるとは限らず、店を必要とする住民が多いにもかかわらず、経営としては成立させにくいという矛盾が生じる。

 人口減少地域の小売問題が難しいのは、単に需要がなくなるからではなく、需要の総量、需要の場所、住民の移動能力、商品の種類が同時に変化するからである。

あえて境界線を考えるなら「2000~4000人」は注意すべき人口帯である

 それでは最初の問いに戻ろう。地域の小売店は人口何人を下回ると成立しにくくなるのかという問いに、一つだけの数字で答えることはできない。それでも、地方自治体における基本的な買い物機能という観点から国土交通省の立地確率を見ると、人口2000~4000人程度は一つの注意すべき人口帯として捉えることができる。

 飲食料品小売業の存在割合が80%を超える人口規模がおよそ2200人である一方、コンビニエンスストアでは50%を超える規模がおよそ2200人、80%を超える規模がおよそ3800人となっている。そのため、人口4000人を大きく上回る地域では基礎的な小売機能が比較的存在しやすいのに対し、2000人前後まで人口が小さくなると、食品店やコンビニエンスストアといった日常的な買い物機能でさえ、地域条件による差が大きくなると読むことができる。

 ただし、この2000~4000人という数字は、国が定めた「小売店の限界人口」でも、企業の採算基準でもない。複数の施設立地確率を重ね合わせたとき、基礎的小売機能の存在が地域条件によって左右されやすくなる人口帯を、この記事の分析上の目安として示したものである。

 観光客が多い地域なら人口1000人でも複数の店舗が成立することはあり得るし、反対に人口1万人あっても住民の多くが近隣都市へ買い物に出てしまえば、中心市街地の商業が衰退することもある。したがって人口とは店の運命を決める数字ではなく、小売機能を維持する条件がどの程度厳しくなっているかを示す、一つの圧力計と考える方が実態に近い。

店がなくなると人口が減るのか

 地域商業については、人口が減ったから店が減るという一方向の関係だけでなく、店が減ることによって地域の暮らしにくさが増し、それが人口流出の一因になる可能性も考えなければならない。住宅を購入したり移住先を選んだりするとき、人々は住宅価格だけを見ているわけではなく、スーパーまでの距離、病院や学校へのアクセス、公共交通、自動車を運転できなくなった後の生活まで含めて居住地を評価する。

 ただし、「店舗が閉店したから人口が減った」と単純な因果関係を断定することはできない。人口減少地域では、雇用の減少、学校統廃合、公共交通の縮小、医療機能の低下、高齢化など複数の変化が同時に進むためであり、小売店の減少もそれらと共通する人口構造や経済条件から生じている可能性がある。

 それでも、買い物環境の悪化が生活利便性を低下させ、人口流出を促す一因になり得ることは、国の人口減少地域に関する政策分析でも懸念されている。人口減少が店舗撤退を促し、店舗撤退を含む生活サービスの低下が地域の魅力を弱め、それがさらなる人口流出につながるという循環は、少なくとも十分に想定すべき構造である。

人口5000人の町に大型店を呼ぶことが正解なのか

 人口減少地域では、「新しいスーパーを誘致できないか」という議論が起きることがある。しかし人口5000人の町が将来4000人、3000人へ縮小していくと予測されているとき、店舗面積と品ぞろえの大きさだけを求めれば、その店が必要とする売上規模と地域人口との間に、次第に大きな隔たりが生じる。

 そこで重要になるのは、「現在と同じ形の店をどう残すか」という発想から、「住民が必要な商品を買える状態をどう残すか」という発想への転換である。小規模店舗と宅配を組み合わせる方法、移動販売車が集落を巡回する方法、買い物バスや乗合交通を利用する方法、既存店舗が配達機能を持つ方法などは、いずれも従来型の大型店舗をそのまま維持するのではなく、人口密度が低下した地域で商業機能だけを別の形へ組み替える試みと考えることができる。

 人口が減少しても、食料や日用品を必要とする人がいなくなるわけではない。問題は、その需要が一つの店舗を維持できるほど一定の場所に集まらなくなることであり、そこに人口減少地域の小売問題の核心がある。

最後の店が閉まる前に、町はすでに変わっている

 人口減少を語るとき、私たちは1万人が9000人になった、5000人が4000人になったという人口そのものの数字に目を奪われやすい。しかし、住民が日常生活の中で経験する人口減少は、統計表の数字としてではなく、町から少しずつ選択肢が消えていく風景として現れる。

 三軒あったスーパーが二軒になり、二軒が一軒になり、衣料品を買うには隣町まで行くようになり、本や靴を買うにはさらに遠い都市へ出なければならなくなる。やがて自動車を運転できることが、その町で暮らし続けるための事実上の条件となり、運転できない住民にとっては行政区域の人口が何人残っているかより、最寄りの店まで何キロあるのかという数字の方が重要になる。

 地域の小売店が成立しにくくなる人口を考えることには意味があるが、本当に見るべきなのは「人口何人で最後の一店舗が消えるのか」という一点だけではない。人口6000人、4000人、3000人、2000人と縮小していく途中で、どの業種が成立しにくくなり、住民がどれだけ店舗を選べなくなり、日常の買い物のためにどれだけ遠くまで移動しなければならなくなるのかを見る方が、地域の変化をはるかに早く捉えることができる。

 町の商業が終わる日は、最後の店がシャッターを下ろした日ではない。そのずっと前から、住民が「この町では買えないから隣町へ行こう」と考える回数が少しずつ増え、町の内部で使われていた購買力が外へ流れ始めている。人口減少地域の小売問題とは、店がなくなる瞬間を探す問題ではなく、生活を支えていた選択肢がどのような順序で細くなっていくのかを見つめる問題なのである。

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 駅前に観光客が増え、休日になると飲食店の前に列ができる。海岸や観光施設の駐車場には県外ナンバーの車が並び、自治体の統計には前年を上回る来訪者数が記録され、「観光客過去最高」という言葉が広報紙や新聞を飾る。町は以前より賑やかになったように見えるのだが、そこで暮らしている人に話を聞くと、給料が上がったという実感は乏しく、商店街の空き店舗もそれほど減らず、若者の流出も止まっていない。

 人が増え、お金も使われているはずなのに、なぜ町に暮らす人の所得はそれほど増えないのだろうか。この疑問は、観光政策を考えるうえでかなり重要である。観光客数という数字は目に見えやすく、増減も分かりやすいため、自治体にとって目標に設定しやすい。しかし、観光客が町で使ったお金と、その町で暮らす人の所得として最終的に残るお金は、必ずしも同じものではない。

 観光客数が増えても住民所得が伸びない原因は一つではなく、地域の産業構造、生産性、季節性、雇用形態、人口構成なども関係する。そのなかでも、とくに見落とされやすい有力な原因の一つが、観光によって町に入ったお金が地域内に十分残らず、途中で地域外へ流れてしまうことである。

観光客が使った1万円は、町の所得1万円ではない

 旅先で1万円を使ったとしよう。宿泊代、昼食代、土産物代、交通費などとして支払われたその1万円を、私たちはつい「地域に1万円落ちた」と考えてしまう。しかし、その1万円すべてが地域住民の所得になるわけではない。

 たとえば宿泊施設が地域外の企業によって所有されていれば、利益の一部は地域外の本社へ移る可能性がある。レストランが町外から食材を仕入れていれば、その代金は町の外へ出ていき、土産物店の商品が遠方の工場で製造されていれば、販売された場所はその町でも、生産によって生まれる所得の多くは別の地域に帰属する。また、そこで働いている人が町外から通勤していれば、支払われた賃金の多くは町外の家計へ持ち帰られる。

 つまり、観光客の支出は町に入った瞬間にすべて住民所得へ変わるのではなく、仕入れ、賃金、利益、設備投資などに分かれながら、それぞれ別の場所へ流れていく。その過程で地域住民の賃金や地元企業の利益になった部分が、初めて地域に残る所得として意味を持つ。

 この違いがあるため、観光客数や観光消費額だけを見ても、町がどれだけ豊かになったのかは分からない。

「売れている町」と「稼いでいる町」は同じではない

 商品が1000円で売れたからといって、その1000円すべてが店の所得になるわけではない。商品を仕入れる費用があり、光熱費があり、設備費や輸送費があり、それらを差し引いたあとに、その事業によって新しく生み出された価値が残る。

 経済では、この新しく生み出された価値を付加価値として考える。さらに重要なのは、その付加価値が誰に分配されるのかということであり、従業員への賃金として地域住民に渡る場合もあれば、企業所得として地域外の本社や所有者に渡る場合もある。

 このため、町の観光関連売上が増加していても、地域住民の所得が同じ割合で増えるとは限らない。売上高が大きくても地域で生み出される付加価値が小さかったり、その付加価値のかなりの部分が地域外へ流出したりすれば、町の表面的な賑わいと住民の所得には大きな差が生まれる。

 大型観光施設ができ、来場者数が急増した町を想像すると分かりやすい。駐車場は満車になり、周辺道路には車が増え、自治体が発表する観光客数も大きく伸びる。しかし、施設を所有する企業、商品の仕入れ先、広告会社、予約を仲介する事業者などが町外にあり、地域に残るのが現場従業員への賃金の一部だけであれば、町全体として得られる所得は見た目ほど大きくないかもしれない。

 町には観光客がいる。売上も立っている。それでも豊かになった実感が弱いとすれば、町で生まれた売上と、町に残る所得との間に距離がある可能性を疑う必要がある。

本当に重要なのは、お金が地域内で次の所得を生むかどうかである

 同じ100万円の観光消費でも、その経済効果は地域によって異なる。違いを生む一つの要因が、最初の観光需要によって生まれた所得が、地域内の取引を通じてさらに別の所得を生むかどうかである。

 たとえば地元の旅館が地元農家から野菜を購入し、その農家が地域の商店で買い物をし、商店主が町内の事業者へ仕事を依頼すれば、最初に観光客が支払ったお金から生まれた所得が、別の取引を通じて次の所得を生み出していく。よく「お金が地域の中を何周するか」と表現されるが、同じ紙幣が物理的に何周もするという意味ではなく、ある人の支出が別の人の所得になり、それが新たな需要を生む連鎖のことである。

 一方、宿泊施設が食材も備品も地域外から購入し、利益を地域外へ送り、従業員の多くも町外から通勤しているなら、観光客が支払ったお金から生まれる所得は早い段階で地域外へ移っていく。

 観光地の賑わいだけを見ても、この違いはほとんど分からない。人通りの多さや駐車場の混雑は、観光客が来たことは示してくれるが、その消費から生まれた所得が地域内でどこまで広がったのかまでは教えてくれないからである。

日帰り客100人と宿泊客100人では同じ「100人」ではない

 観光客数という数字には、もう一つ大きな弱点がある。それは、経済的にはまったく異なる旅行者を、すべて同じ1人として数えてしまうことである。

 海岸を散歩して飲み物だけを買って帰る人も、町に宿泊し、夕食を食べ、翌朝に地元の店で土産を買う人も、観光客数という統計では同じ1人になることがある。しかし、地域で使われる金額は大きく異なる。

 その意味では、「今年は観光客を10万人増やす」という目標にはかなり大きな曖昧さがある。10万人増えても、その多くが短時間滞在で消費額が小さければ、地域所得への影響は限られる。一方、観光客数がほとんど増えなくても、宿泊する人が増え、滞在時間が長くなり、飲食や体験などへの支出が増えれば、地域に生まれる所得は大きくなる可能性がある。

 ただし、宿泊客なら必ず地域への経済効果が大きいと考えるのも正確ではない。宿泊料金そのものが高くても、その施設が地域外資本で、食材、備品、人材、予約サービスなどを広く地域外に依存していれば、地域に残る割合は小さくなることがある。

 だから見るべきなのは、単純な宿泊客数でも消費額でもなく、その消費のうち、どれだけが地域の所得へ変わったのかというところまで含めた構造である。

観光客が増えれば、町には費用も発生する

 観光には収入だけではなく費用もある。観光客が増えれば、道路や駐車場の利用が増え、ごみ処理、公衆トイレ、清掃、観光案内、景観整備などの行政負担が増えることがある。繁忙期に交通渋滞が発生すれば、観光に直接関係のない住民も移動時間の増加という負担を受ける。

 もちろん、これらは観光そのものを否定する理由ではない。問題なのは、観光による追加的な所得と、観光客増加によって地域社会に発生する追加費用との関係である。

 観光関連企業には売上が入り、その利益の一部が企業や所有者へ帰属する一方で、道路整備やごみ処理などを自治体が負担するなら、利益を受け取る主体と費用を負担する主体が一致しない場合がある。その結果、町全体では観光客が増えていても、住民が享受する利益は限定的で、行政負担だけが大きく感じられることも理論上あり得る。

 だから自治体が観光政策を評価するときは、来訪者数や観光消費額だけでなく、観光によってどれだけ住民所得が増え、そのために行政や住民がどれだけ追加費用を負担したのかという費用と便益の両面を見る必要がある。

地産地消を増やせばすべて解決するわけでもない

 観光消費を地域内に残す方法として、地元産品の利用がよく提案される。宿泊施設が地元の魚を使い、飲食店が地元農家の野菜を使い、土産物を地域企業が製造すれば、観光消費から生じる所得が地域に残りやすくなるという考え方であり、その方向自体には合理性がある。

 しかし、地元から買えば必ず地域が豊かになるというほど単純でもない。

 地元農家が野菜を生産していても、肥料、燃料、農業機械などを地域外から購入していれば、その段階で所得の一部は外へ流れる。地域内の加工会社が魚を加工していても、包装材、設備、物流サービスを地域外へ依存しているかもしれない。また、地域内企業の商品が極端に高価で生産性も低い場合には、地域内調達を増やすことだけが地域全体の利益を最大化するとは限らない。

 そのため本当に見るべきなのは、「地元企業から買ったか」だけではなく、その企業がどこから仕入れ、誰を雇い、どこへ利益を再投資し、どの程度の付加価値を生み出しているのかという一段深い構造である。

 地域経済とは、店が何軒あるかという話ではなく、企業と家計の間にどのような取引の網が張られているかという問題なのである。

観光客が多いのに若者が出ていく町

 観光地として有名でありながら、若い世代が仕事を求めて都市部へ出ていく地域も珍しくない。この現象も、観光客数だけを見ていると理解しにくい。

 観光産業が多くの雇用を生んでいても、需要が特定の季節に集中し、労働時間や雇用期間が安定せず、付加価値が低いために賃金を上げにくい構造であれば、仕事の「数」が存在しても、若い世代がそこで長期的な生活を組み立てられるとは限らない。

 ただし、すべての観光業が低賃金で不安定だと考えるのも適切ではない。高付加価値の宿泊業や飲食業、体験型観光、専門的サービスなどによって高い所得を生み出している地域もあるため、問題なのは観光業そのものではなく、どのような事業構造を持つ観光産業なのかという点にある。

 地域に必要なのは、単に雇用者数を増やすことではなく、その仕事によって住民が安定して生活できる所得を得られることである。

観光客数より住民所得を見れば、政策の景色が変わる

 ここまで考えると、観光客数という指標そのものが無意味なのではないことも分かる。観光客数は地域への需要の大きさを知る重要な指標であり、観光政策を考えるうえで必要である。ただし、それは最終目標というより、途中経過を示す指標として扱った方がよい。

 その先に、1人当たり消費額、宿泊率、滞在時間、地域内調達率、地域住民へ支払われる賃金、地域企業に残る利益、さらに観光関連の行政費用まで並べれば、その町の観光が地域経済にどのような影響を与えているのかが見えやすくなる。

 さらに考え方を進めれば、「観光客1人が増えることで地域住民の所得はいくら増えるのか」という指標も考えられる。観光客数を2倍にしても地域所得がわずかしか増えない町と、観光客数はほとんど変わらなくても地域内調達や高付加価値化によって住民所得が大きく伸びる町とでは、後者の方が地域経済として効率的である可能性がある。

 こう考えると、観光政策の目的も変わってくる。大量の観光客を集めることそのものではなく、限られた観光需要から地域に残る価値をどれだけ大きくできるかという問題になるからである。

ただし、観光客が増えたから所得が増えなかったとは簡単には証明できない

 ここで一つ注意しておかなければならないことがある。ある町で観光客が20%増え、その同じ時期に住民所得が伸びなかったとしても、それだけで「観光客を増やしても所得は増えない」と結論づけることはできない。

 住民所得には、観光以外にも多くの要因が影響する。製造業の縮小、高齢化、人口減少、通勤構造の変化、年金所得、景気、物価などが同時に動いているため、観光客数と所得の単純な比較だけでは因果関係を判断できない。

 実際に特定の町について観光が住民所得へどの程度影響したのかを調べるには、観光消費額だけではなく、地域企業の仕入れ先、従業員の居住地、賃金、企業所得、域外への支払い、観光関連行政費などを調べる必要がある。さらに厳密に分析するなら、産業間の取引関係や時系列変化、他地域との比較も必要になる。

 したがって、「観光客が増えているのに住民所得が増えない町」には一つの原因だけがあるのではなく、地域外への所得流出、生産性の低さ、雇用の季節性、産業構造などが組み合わさっていると考える方が現実に近い。

 この記事で考えている地域内の所得循環は、そのなかでも特に重要でありながら、観光客数という分かりやすい数字の陰に隠れやすい問題なのである。

本当に強い観光地は、人が多い町なのか

 観光地の成功を写真に撮ろうとすると、私たちはどうしても人の多い場所を選ぶ。満員の海岸、行列のできた飲食店、観光バスが並ぶ駐車場には、誰にでも分かる活気がある。

 しかし、地域経済の強さそのものは写真には写らない。

 宿泊料金のうち、いくらが地域住民の賃金になったのか。食卓に出された魚や野菜を誰が生産したのか。土産物を誰が製造したのか。企業の利益はどこへ行き、そこで働く人はどこに住み、受け取った給料をどこで使ったのか。観光客が町を離れたあと、その日に町へ入ってきたお金から生まれた所得が、どの程度地域に残っているのか。

 この流れを追わなければ、観光が本当に地域を豊かにしているのかは分からない。

 人口減少が進む地方では、とくにこの視点が重要になる。観光客を無制限に増やすことができる地域は少なく、道路や駐車場、環境容量にも限界がある。しかし、同じ数の観光客から生まれる地域所得を増やす余地は残されている。

 地域の旅館が地域企業と取引し、地域企業が住民を雇い、そこで生まれた所得が再び地域の店や事業者へ向かう。その循環を少しずつ太くできれば、巨大な観光地ではない小さな町でも、観光を地域経済の力へ変えることができる。

 反対に、その循環が細いまま観光客だけを増やしていけば、町は以前より賑やかになっても、住民の暮らしはそれほど豊かにならないかもしれない。

 観光客が帰った夕方、駐車場から車が消え、賑わっていた通りが静けさを取り戻したとき、その日町へ入ってきたお金から生まれた所得のうち、どれほどが町に残っているのだろうか。

 観光政策を評価するとき、本当に数えるべき数字は、訪れた人の数だけではない。その人たちが帰ったあと、地域にどれだけの価値が残ったのかという数字なのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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数字で比較するサービスを見る

 地方経済を活性化する方法として、企業誘致ほど分かりやすい政策はない。工場が建ち、事業所の看板が掲げられ、新しい雇用者数が発表されれば、町が前へ進んでいるように見える。自治体にとっても「企業を一社誘致した」という成果は説明しやすく、新聞記事にもなりやすい。これに比べると、昔から町にある会社の在庫管理を改善した、製造工程を見直した、宿泊施設の予約管理を効率化したといった話は、どうしても地味に映る。

 しかし、地域経済にとって本当に重要なのは、新しい建物が何棟できたかではなく、その地域で新しくどれだけの付加価値が生まれ、そのうちどれだけが住民や地域企業の所得として残ったかである。この物差しで考え始めると、「大企業を一社誘致する」という政策とは別に、「すでに地域にある企業10社を強くする」という方法が見えてくる。

 そこで考えてみたい。自治体が企業誘致に大きな予算を使う代わりに、地元企業10社の生産性を2割程度高めることができたなら、地域経済への効果はどちらが大きいのだろうか。

 結論を先に言えば、地元企業支援が必ず勝つわけではない。ただし、企業誘致について私たちが普段見ている数字には、地域経済への本当の効果を表していないものがかなり含まれている。そのため、条件によっては、目立たない10社の改善の方が、地域に大きな所得を残す可能性がある。

売上高ではなく、地域で生まれた「付加価値」を見る

 最初に整理しておかなければならないのは、生産性を2割上げることと、売上高や付加価値がそのまま2割増えることは同じではないという点である。

 生産性とは、労働時間や人員、設備などの投入に対して、どれだけ大きな価値を生み出せるかという関係を示している。たとえば、同じ人数でこれまでより多くの商品を作れるようになれば生産性は上がるし、同じ仕事を短い時間で終えられるようになっても上がる。商品を高付加価値化して同じ労働時間からより多くの利益や賃金を生み出す場合も、生産性向上と考えられる。

 ところが、同じ人数で2割多く生産できるようになったからといって、地域経済に生まれる付加価値が必ず2割増えるわけではない。商品を買う人がいなければ生産量は増えないし、省力化によって従業員数を減らせば、企業の生産性が上がっても地域全体の雇用所得が同じ割合で増えるとは限らない。

 したがって、「地元企業10社の生産性を2割上げる」という政策を評価する場合、本当に見るべきなのは2割という数字そのものではなく、その結果として追加的にどれだけの付加価値が生まれたかである。

 たとえば10社への支援によって、業務改善、設備更新、商品高付加価値化、販路拡大などが進み、その結果として10社全体で年間2億円の付加価値が追加的に生まれたとしよう。この2億円が、企業誘致によって新たに地域へもたらされる付加価値と比較すべき数字になる。

 このように考えると、「売上20億円の企業を誘致した」というニュースだけでは経済効果を判断できないことも分かる。売上高には原材料費や外部企業への支払いなども含まれているからである。地域にとって重要なのは、その売上のうちどの程度が賃金、利益、地域企業への発注などの形で地域側へ残るかである。

大企業が来ても、売上高のすべてが町に残るわけではない

 仮に年間20億円を売り上げる工場が地方の町に進出したとする。その数字だけを見ると、地域経済に20億円の新しい市場が生まれたように感じる。しかし、工場が使う部品や原材料をほとんど地域外から購入し、設備の保守も地域外企業が担当し、利益の一部が本社へ送られるのであれば、20億円の多くは町を通過して外へ出ていく。

 逆に、売上高そのものはそれほど大きくなくても、地域住民を雇用し、地域企業から原材料やサービスを購入し、利益を地域内で再投資する企業なら、一円の売上が地域経済に与える意味は大きくなる。

 つまり、重要なのは企業が地元企業であるか全国企業であるかという名称ではない。地域内雇用がどれくらいあるのか、地域内調達率がどの程度なのか、利益がどこへ帰属するのか、従業員の所得がどこで消費されるのかという構造である。

 地元企業だから自動的に地域にお金が残るわけではない。地元企業でも原材料をすべて地域外から仕入れ、従業員が地域外に住み、利益を地域外へ投資していれば、経済効果は外へ流出する。逆に全国企業の工場であっても、地域雇用と地元調達を積極的に行えば、地域経済への寄与は大きくなる。

 この違いを無視して「地元企業は善、外から来た企業は悪」と考えると、地域経済の分析を誤ってしまう。

地域経済は「穴の開いたバケツ」に似ている

 地域経済を一つのバケツとして考えてみると、この問題は少し見えやすくなる。

 町には、観光客の支出、住民の給与、年金、企業売上、行政支出など、さまざまな経路からお金が流れ込んでくる。しかし、バケツの底には無数の穴がある。住民が地域外の大型商業施設で買い物をすればお金は外へ出るし、インターネット通販を利用しても同じことが起きる。企業が地域外の業者から商品や設備を購入すれば、企業活動によって得られた所得の一部は外へ流れる。

 企業誘致は、このバケツへ新しい太いホースを一本取り付ける政策だと考えることができる。大規模な企業が来れば大量のお金が地域へ入る可能性があるが、その企業の取引先、従業員、本社機能がほとんど地域外にあれば、入ってきた水もかなりの速度で外へ流れていく。

 一方、地元企業の生産性を高める政策は、既存のホースから入ってくる水を増やしながら、場合によってはバケツから流出する水を減らす政策に近い。

 たとえば地域の食品会社が製造工程を改善し、廃棄量を減らしながら売上と利益を伸ばしたとする。その会社が地元農家から材料を買えば農家の所得が増え、従業員の賃金が上がれば飲食店や小売店への支出が増える可能性がある。さらに、その飲食店が地域企業へ発注すれば、一度生まれた所得が再び地域内を移動する。

 こうした波及効果が大きくなるかどうかは、最初の企業の規模だけでは決まらない。地域の中で企業と企業、住民と企業がどれだけ結び付いているかによって変わるのである。

「10社」には一社とは違う強さがある

 一社の巨大企業と10社の地元企業を比較するとき、単純な付加価値の総額とは別に、地域経済の安定性という問題も出てくる。

 大企業を一社誘致し、その企業が町の雇用や税収の大きな割合を占めるようになれば、操業している間の経済効果は非常に大きい。しかし、本社の経営判断によって工場が閉鎖されたり、生産拠点が海外へ移されたりすれば、地域は一度に大きな雇用と所得を失う。

 これに対して、異なる産業の10社が少しずつ生産性を高める場合、経済基盤は複数の企業へ分散する。建設、食品、宿泊、医療・介護、物流、製造、情報サービスなど異なる需要に支えられた企業が強くなれば、一社の経営悪化が地域全体を直撃する可能性は小さくなる。

 ただし、「10社なら安全」と単純に考えることもできない。10社すべてが観光需要に依存していれば、観光客が急減したときには同時に経営が悪化するかもしれない。重要なのは企業数ではなく、地域の産業構造がどの程度分散されているかである。

 金融資産で考えれば、異なる10銘柄を持っていても、すべて同じ業種なら十分な分散にはならないのと同じである。

改善の知識は、自然には広がらない

 地元企業10社を支援するもう一つの利点として、改善の知識が地域企業へ広がる可能性が考えられる。

 ある会社が在庫管理を改善し、別の会社が業務のデジタル化によって作業時間を減らし、さらに別の会社が販売データを使って商品構成を改善する。その方法が企業間で共有されれば、最初に直接支援した10社を超えて効果が広がる可能性がある。

 ただし、この効果を過大評価してはいけない。企業は競争相手でもあるため、成功した経営手法を積極的に他社へ教えるとは限らないし、ある企業で成功した方法が別の業種でも使えるとも限らない。

 つまり、企業間の知識波及は自動的に起こるものではない。共同研修、商工団体、地域金融機関、取引関係、人材交流など、知識が企業の境界を越えて移動する仕組みがあって初めて、10社への支援が地域全体への支援へと変わっていく。

生産性が上がれば雇用は減るのか

 生産性向上については、もう一つ注意しておく必要がある。機械や情報技術を導入して同じ仕事を少ない人数でできるようにすれば、一見すると雇用が減るように思える。

 実際、地域の需要がほとんど増えない状況で単純な省力化だけが進めば、必要な労働者数が減る可能性はある。しかし、生産性向上によって価格競争力や品質が改善し、地域外への販売が増えれば、企業そのものが成長し、結果として雇用や賃金が増える場合もある。

 したがって、生産性向上と雇用の関係は一方向ではない。

 人口減少地域では、この問題はさらに複雑になる。そもそも働き手が不足している地域では、人手を減らせる技術は必ずしも悪いものではない。これまで5人必要だった仕事を4人でできるようになり、余った一人が別の不足産業で働けるなら、地域全体では労働力を有効に使えることになる。

 これからの地方では、「何人雇用したか」だけでなく、「限られた労働力からどれだけの付加価値を生み出せるか」という視点がますます重要になっていくだろう。

企業誘致が圧倒的に有利になる地域もある

 ここまで読むと、地元企業の生産性を高める方が常に合理的に思えるかもしれないが、それも正しくない。

 人口数千人の町に数百人を雇用する高付加価値企業が進出し、その企業が地域住民を多く雇い、地域企業から商品やサービスを調達するなら、その効果は既存企業10社の改善を大きく上回る可能性がある。

 企業誘致の重要な役割は、地域外から新しい需要を持ち込むことにある。

 地域内だけで商品やサービスを売り買いしていても、人口が減り続ければ市場そのものが縮小する。そのため地域経済を維持するには、製造業、観光、情報サービス、農産物販売などを通じて地域外から所得を獲得する必要がある。

 その意味では、「企業誘致か地元企業支援か」という二者択一そのものが少し乱暴なのである。

 本当に重要なのは、地域外から所得を獲得できる企業を増やしながら、その所得が地域内に残る仕組みをつくることだ。新しく誘致した企業でもよいし、昔からある地元企業が地域外市場へ進出してもよい。地域経済から見れば、どちらも「外から所得を稼ぐ企業」である。

企業誘致の効果を過大評価する原因

 企業誘致を評価するときには、さらに見落とされやすい問題がある。

 それは、「その企業は補助金がなくても来ていたのではないか」という問題である。

 たとえば自治体が企業に5億円相当の補助や税優遇を行い、その会社が工場を建設したとする。その後、100人の雇用が生まれたとしても、その100人すべてを政策の成果と考えてよいとは限らない。

 その企業が物流条件、土地価格、人材、取引先などの理由から、補助金がなくても同じ場所へ進出していたなら、自治体は本来支払う必要のなかった5億円を支払ったことになる。

 政策評価では、「政策を実施した後に何が起きたか」だけを見るのではなく、「政策を実施しなかったら何が起きていたか」と比較しなければならない。

 地元企業支援でも同じである。補助金を受けた企業の売上が増えたとしても、その企業が自力で同じ設備投資を行っていたなら、増加分のすべてを政策効果として数えることはできない。

 ここで重要になるのが「追加性」である。政策がなければ起こらなかった変化だけが、本当の政策効果になる。

自治体が見るべきなのは「一円当たりの追加効果」

 こうして考えると、企業誘致と地元企業支援を比較する物差しも変わってくる。

 企業誘致によって年間3億円の地域所得が増え、地元企業支援では年間2億円しか増えなかったとする。総額だけを見れば企業誘致の勝ちである。

 しかし、企業誘致のために工業団地、道路、上下水道、補助金、税制優遇などへ10億円を投入し、地元企業支援では研修、設備改善、販売支援などへ1億円しか使っていなかったなら、政策としての評価は逆転する可能性がある。

 さらに、効果の持続期間も考えなければならない。

 誘致企業が5年後に撤退する場合と、地元企業の経営能力が10年、20年にわたって残る場合では、同じ年間2億円、3億円でも価値は違う。一方で地元企業への補助金が単なる設備の買い替えに終わり、企業の競争力がほとんど変わらないなら、地元企業支援であるという理由だけで評価することもできない。

 政策名ではなく、公的資金を一円投入したことで、政策を行わなかった場合と比べて、地域内の付加価値や住民所得がどれだけ追加的に増え、その効果が何年間続いたのかを見る必要がある。

企業を呼ぶ町より、企業が強くなる町

 地方自治体にとって、企業誘致が魅力的なのは理解できる。成果が目に見えるからである。

 工場が完成すれば写真を撮ることができるし、新規雇用100人と発表することもできる。それに比べれば、町工場の段取り時間が20%短縮されたことや、旅館の客室単価が8%上がったこと、運送会社の空車走行が減ったことはニュースになりにくい。

 しかし、地域経済を長期的に支える力という意味では、こうした小さな改善が重要になる可能性がある。

 特に人口が減る地域では、新しい労働者を大量に確保することそのものが難しくなる。これまでと同じ人数でより大きな付加価値を生み出せる企業を増やし、そこから生まれた所得が地域で再び使われるようにすることは、人口増加とは別の地域成長モデルになり得る。

 さらに、地元企業が生産性を高めれば、それ自体が企業誘致の条件にもなる。優秀な協力企業があり、人材が育ち、物流が効率化され、地域金融機関や商工団体に企業支援の能力があれば、外部企業にとっても進出しやすい地域になる。

 つまり、地元企業を強くする政策と企業誘致政策は、本来対立するものではない。

 企業が育つ地域だからこそ、新しい企業も来やすくなる。その意味では、既存企業の生産性向上は、遠回りに見えて実は企業誘致の基礎をつくる政策でもある。

「10社の生産性を2割上げる方が得か」への答え

 では最初の問いに戻ろう。

 企業誘致より、地元企業10社の生産性を2割上げた方が地域経済への効果は大きいのだろうか。

 この問いに一般的な数字だけで「はい」と答えることはできない。企業誘致によって大きな地域外需要が入り、地域住民の雇用が増え、地元調達も増えるのであれば、企業誘致の方が圧倒的に大きな効果を生むことがある。

 一方、誘致のために大きな公的費用を負担し、企業の仕入れや利益の多くが地域外へ流れ、しかも補助金がなくてもその企業が進出していたのであれば、政策としての純粋な効果は見かけほど大きくない。

 逆に、地元企業10社への比較的小さな支援によって、付加価値、賃金、地域外売上、地元調達が増え、その効果が長く続くのであれば、地元企業支援の費用対効果が企業誘致を上回ることは十分に考えられる。

 したがって、本当に比較すべきなのは「一社対10社」でも「誘致対地元企業」でもない。

 政策を実施しなかった場合と比べて、どれだけの付加価値が追加的に生まれ、そのうちどれだけが地域の住民や企業に帰属し、地域内で再び使われ、その効果がどれだけ長く続き、そのために自治体がいくら負担したのか。そこまで計算して初めて、二つの政策を同じ物差しで比較できる。

地方経済の成長は、大きな看板だけでは測れない

 人口が増えていた時代には、新しい工場を建て、働く人を増やし、住宅を増やすことが地域成長の分かりやすい姿だった。しかし、人口が減り、働き手も減っていく時代には、成長という言葉そのものを少し変えて考えなければならない。

 一万人の町を一万一千人にすることだけが成長なのではない。一万人の町が九千人になっても、一人当たりの付加価値が高まり、企業の利益が安定し、賃金が上がり、地域外から所得を稼ぎ、それが町の中でもう一度回るのであれば、その地域経済は以前より強くなっている可能性がある。

 企業誘致には、大きな一発を狙う魅力がある。しかし、地域経済は一発の成功だけでできているわけではない。

 町の中で長く営業してきた企業が少し効率よく働けるようになり、これまで捨てていた材料を減らし、少し高く売れる商品をつくり、地域外の顧客を増やし、その利益から賃金を払い、地域企業へ仕事を発注する。その変化は工場の完成式典ほど目立たないが、地域経済の足腰を強くするという意味では、むしろ本質的かもしれない。

 地方経済を変えるのは、遠くからやって来る巨大企業だけではない。昔から町に灯っていた10軒の明かりを、それぞれ少しずつ明るくすることによって、町全体が以前より明るくなることもある。

 だから企業誘致のニュースを見るとき、本当に知りたい数字は「何人雇用されるのか」だけではない。その企業から地域に最終的にいくら残るのか、そして同じ公的資金を地元企業へ使ったなら、地域にはいくら残ったのか。

 人口減少時代の地域経済政策は、そろそろその比較を始める段階に来ている。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 地方創生について語るとき、人口ほど分かりやすい数字はない。転入者が何人増えたのか、社会増減がプラスになったのか、若い世帯が何世帯移住してきたのか。自治体の成果を説明するときにも、町の将来を予測するときにも、人口はほとんど共通通貨のように使われている。

 それは当然でもある。人がいなければ町は成り立たないし、人口が減れば税収、消費、労働力、学校の児童数、公共交通の利用者まで、多くのものが縮小していく。だから人口を重視すること自体は間違っていない。

 しかし、人口3000人の町が3100人になったとき、その町は本当に100人分だけ強くなったと言えるのだろうか。反対に人口が3000人のままだとしても、買い物を支える店が一軒増え、住宅修繕を頼める事業者が残り、訪問介護を担う人が現れ、地域外から仕事を受注する小さな会社が数社生まれたなら、その町は以前より暮らしやすく、経済的にも持続しやすい場所になっている可能性がある。

 ここから、人口減少時代の地方について少し違った問いが生まれる。移住者を100人増やすことと、地域を支える事業者を10人増やすことでは、どちらが町にとって大きな効果を持つのだろうか。

 もちろん、「100人」と「10人」をそのまま比較して答えを出すことはできない。これは実証研究によって確定している比率ではなく、地域経済の構造を考えるための思考実験である。重要なのは人数そのものではなく、その人たちが地域の中でどのような所得、雇用、消費、生活サービスを生み出すのかという点にある。

人口が増えても、そのお金が町に残るとは限らない

 移住者100人には、当然ながら経済効果がある。住宅を借りたり購入したりし、食料を買い、車を利用し、医療を受け、電気や水道を使い、税金を払う。子育て世帯なら学校や保育サービスを利用し、働く世代なら地域企業の人手不足を補うこともある。

 かつて政府が日本版CCRC(Continuing Care Retirement Community・継続的ケア付き高齢者居住共同体)構想を検討した際には、単身高齢者100人が一人当たり月約15万円を消費すると仮定した場合、年間約1億8000万円の消費需要が生じるという試算も示された。

 ただし、これは高齢者移住を想定した当時の政策上のモデルであり、現在の一般的な移住者100人にそのまま当てはめられる数字ではない。それでも、100人という人口増加が一定規模の需要を生み出すこと自体は理解できる。

 問題は、その1億8000万円がそのまま地域所得になるわけではないことである。町内のスーパーで食品を購入しても、商品が町外の卸売会社から仕入れられていれば、売上の多くは町外へ流れる。住宅ローンの利息は都市部の金融機関へ支払われ、電気通信料金は全国企業へ送られ、日用品をインターネット通販で購入すれば、その支出も町の外へ出ていく。休日には隣の市の大型商業施設へ出掛けるかもしれない。

 そうすると、その人は人口統計上では確かに町民であっても、消費のかなりの部分は町の経済を通過して外へ流れていく。ここで人口とは別の数字が重要になる。それは、「地域に入った所得のうち、どれだけが地域の中に残るのか」という数字である。

地域経済は「人口の数」だけではなく「お金の流れ」でできている

 環境省が行っている地域経済循環分析では、地域経済を生産、分配、支出という流れで捉える。地域の企業がどれだけ付加価値を生み、その所得が住民や企業へどのように分配され、それがどこで使われるのかを見ることで、地域から所得が流出しているのか、それとも地域内で循環しているのかを分析する。

 この視点に立つと、地方創生の見え方は大きく変わる。人口100人を増やすことは、町という器に新しい水を注ぐことに似ている。しかし器の底に大きな穴が開いていれば、水を注ぎ続けても十分にはたまらない。地域内に商店がなく、住宅修繕を担う企業もなく、仕事もなく、日常生活の多くを町外の企業に依存しているなら、住民の所得は地域外へ流れ続ける。

 一方、地域で必要とされる商品やサービスを供給する事業者が増えれば、その穴の一部を塞ぐことができる。さらに地域外へ商品やサービスを販売する企業が生まれれば、今度は町の外から所得を引き込む管ができる。

 ここに、人口と事業者の決定的な違いがある。人口は主として需要を生み出すが、事業者はその需要を所得や雇用へ変換し、場合によっては地域外から新しい所得を持ち込む装置にもなる。

一軒の店がなくなっても、人口統計には何も起きない

 海辺の小さな町を想像してみる。そこで唯一の鮮魚店が閉店したとしても、翌日の住民基本台帳には何の変化もない。町の人口は昨日と同じ3000人である。

 しかし暮らしは確実に変わる。魚を買うために隣町まで車を走らせる住民が増えるかもしれないし、せっかく隣町まで来たのだから、野菜も酒も日用品もそこで買うようになる場合もある。つまり、一軒の鮮魚店がなくなったことで、魚以外の消費まで町外へ移動する可能性が生まれる。

 さらに、高齢になって自動車を運転できなくなった人にとっては、これは単なる店の閉鎖ではなくなる。「魚をどこで買うか」という問題が、やがて「この町で生活を続けられるか」という問題へ変わるからである。

 もっとも、鮮魚店が一軒閉店すれば必ず他の消費まで町外へ流れる、と科学的に断言できるわけではない。住民の行動は交通条件、年齢、通販利用、他店舗の存在などによって変わる。ここで重要なのは、店舗一軒が持っている価値が、その店の売上高だけでは測れないということであり、人口統計には表れない生活機能が地域には存在しているという点である。

事業者一人は、必ずしも「一人分」ではない

 住民一人が基本的には一人分の生活需要を持って町に加わるのに対し、事業者は複数の住民の需要を束ね、それを所得や雇用へ変えることがある。

 例えば、小さなパン屋が開業したとする。経営者一人が移住してきただけなら、人口は一人増えただけである。しかし、そのパン屋が二人を雇い、近隣農家から食材を仕入れ、町内の電気工事店に設備修理を依頼し、近くの宿泊施設へパンを納めるようになれば、一つの事業が複数の経済関係を作る。

 さらに観光客がそのパンを買えば、地域外から所得が入ってくる。一人の事業者が地域の中に作るものは、一人分の消費だけではなく、人と企業を結び付ける取引関係である。そして、その取引関係が別の取引関係とつながることで、町の中に経済の網ができていく。

 中小企業庁の小規模企業白書でも、小規模事業者は単に雇用や付加価値を生み出す主体としてだけではなく、人口の少ない地域で商業や生活サービスを維持する存在として位置づけられている。これは人口減少地域では特に重要であり、大きな売上がなければ成立しない事業よりも、小さな需要で成り立つ事業の方が、小さな町に残ることができる場合があるからだ。

 ただし、ここには逆の側面もある。小規模事業者は売上規模が小さいため地方に立地できる一方、売上が少し減っただけでも経営が苦しくなる場合がある。人口減少によって顧客数そのものが減れば、小さな店ほどその影響を強く受ける可能性があるため、小規模事業者が地方を無条件に救うわけではない。人口と事業は、互いに支え合う関係にある。

では、10人の事業者なら何でもよいのか

 ここが最も重要なところである。事業者を10人増やせば、それだけで移住者100人より地域に大きな効果を生むわけではない。

 人口3000人の町に似たようなカフェが10軒増えたとしても、町民が飲むコーヒーの量が突然10倍になるわけではない。新しい店に客が移れば既存店の売上が減り、地域全体の需要が増えていないのであれば、売上が事業者間で移動しただけで、町全体としての所得はほとんど増えないこともあり得る。

 経済学では、こうした現象を置換効果として考える。特に人口減少地域では市場そのものが縮小しているため、新規事業者が増えたことと地域経済が成長したことを同一視することはできない。

 では、どのような事業者なら意味が大きいのだろうか。例えば、それまで町外の事業者へ支払っていた住宅修繕を引き受ける会社ができれば、外へ流れていた支出の一部を町内に残すことができる。地域の農産物を加工し、都市部へ販売する会社が生まれれば、町の外から所得を獲得できる。

 さらに、高齢者の買い物配送、空き家管理、移送サービス、訪問介護など、これまで十分に存在しなかったサービスを提供する企業が生まれれば、単なる経済活動を超えて地域の生活機能そのものを維持できる。つまり、事業者の価値は数ではなく、その事業がどこから所得を得て、どこへ所得を流し、どの生活機能を支えているかによって変わるのである。

「経済効果」と「生活を支える効果」は同じではない

 ここで、もう一つ区別しておかなければならないことがある。地域にとっての「効果」とは、そもそも何を意味するのかという問題である。

 地域内総生産が増えることを効果と考えることもできるし、住民所得や雇用、自治体税収が増えることを重視する考え方もある。しかし人口減少地域では、それだけでは十分ではない。高齢になっても買い物や通院ができ、家が壊れたときには直してもらえ、日常生活を続けられるという「暮らしの維持」もまた、地域にとって重要な効果だからである。

 同じ事業者でも、この物差しによって評価は変わる。地域外へ製品を年間数億円販売する会社は、地域所得や雇用への影響が大きいかもしれないが、高齢者の日常生活を直接支えるわけではない。一方、小さな移動販売事業は地域内総生産への影響こそ小さいかもしれないが、自動車を運転できない高齢者にとっては、その町で生活し続けるための重要な基盤になる。

 つまり、地域を強くすることと、暮らしを守ることは重なり合いながらも完全には同じではない。人口減少地域では、この二つを同じ物差しだけで評価すると、金額には表れにくい重要なサービスを見落としてしまう。

 したがって、事業者10人と移住者100人を比べる場合も、単純な経済波及効果だけでは不十分である。所得、雇用、地域内循環を見ると同時に、買い物、医療、介護、交通、住宅維持といった生活維持効果まで含めて考えなければ、本当の地域への影響は見えてこない。

それでも移住者100人には大きな価値がある

 ここまで読むと、「人口政策より事業者支援の方が優れている」という話に見えるかもしれない。しかし、そう単純ではない。事業には顧客が必要であり、人口が減り続ければ、地域住民を主な顧客とする商売は市場そのものを失っていく。

 若い世帯を中心に100人が移住してくれば、住宅、飲食、小売、教育、保育、交通、修繕など、多くの需要が長期間にわたって生まれる可能性がある。町内企業で働けば人手不足の改善にもなるし、テレワークなどによって地域外から所得を得ている人が移住すれば、その所得を地域へ持ち込み、町内で消費することにもなる。

 この場合、移住者は単なる消費者ではない。地域外所得を持ち込む存在でもあり、場合によっては新たな事業を起こす人になることさえある。だから、「移住者」と「事業者」を完全に別のものとして比べることにも限界があるのであり、両者は本来、一つの地域経済循環の中に存在している。

「人口を増やせば店が増える」という順序を疑ってみる

 従来の地方創生には、暗黙のうちに一つの順序が想定されてきた。人を呼べば消費が増え、消費が増えれば店が増え、その店が雇用を生み、さらに町の魅力が高まるという流れである。

 理屈としては自然である。しかし人口減少が急速に進む小さな自治体では、この順序が成立するまで待つことができない場合がある。人口が十分に増える前にスーパーが撤退し、ガソリンスタンドがなくなり、建設業者が廃業し、交通事業者まで撤退すれば、町は生活する場所として少しずつ不便になっていく。

 「人口が少ないから店がなくなる」という関係だけなら、人口を増やせば解決できるように見える。しかし現実には、生活サービスが減ったことで町の利便性が低下し、その結果として移住先に選ばれにくくなるという逆方向の力も働き得る。もっとも、移住先の選択は仕事、住宅価格、自然環境、教育、医療、家族関係など多くの条件によって決まるため、店舗数だけで移住者数が決まるわけではない。それでも、生活に必要なサービスが存在することが、移住先として選ばれる条件の一つになることは十分に考えられる。

 さらに問題なのは、人口減少とサービス縮小が互いを強める循環が生まれることである。人口が減れば店を維持する需要が小さくなり、店が減れば暮らしの利便性が下がり、それがさらに人口流出を促す可能性がある。こうして人口減少が単なる人数の変化ではなく、生活サービスの連鎖的縮小へ移行すると、町の衰退は徐々にではなく、ある段階から急に深くなることも考えられる。

 そうであるなら、人口を増やしてから店を増やすのではなく、人口がまだ一定程度残っているうちに生活を支える事業を維持するという政策にも合理性が生まれる。それは移住政策を諦めることではなく、むしろ将来の移住者が選ぶことのできる町を先につくっておくという発想である。

100人と10人を比較するなら、人数ではなく機能を見る

 最初の問いに戻ろう。移住者100人より地域を支える事業者10人を増やした方が効果は大きいのか。

 科学的に言えば、この問いに一般的な答えは存在しない。100人の所得、年齢、職業、消費行動が異なるのと同じように、10事業者についても業種、売上、雇用人数、仕入先、顧客構成は大きく異なるからである。

 例えば100人の移住者が、一人平均年間300万円の所得を地域外から得ているなら、単純計算では年間3億円の所得が地域へ持ち込まれる。その多くが地域内で使われるなら、町への影響はかなり大きい。

 反対に、10の事業者がそれぞれ地域外へ年間5000万円の商品やサービスを販売しているなら、売上規模だけでも合計5億円になる。さらに地域内で人を雇い、地元企業から仕入れ、そこで得た所得が再び町内で消費されるなら、その経済的影響は最初の5億円だけでは終わらない。

 したがって、どちらが大きいかは100と10という人数では決まらない。決めるのは、地域の外からどれだけ所得を持ち込み、その所得が地域の中にどれだけ残り、さらにどれだけ次の取引へつながるのかという構造である。

 しかも生活サービスについて考えれば、金額だけでも結論は出ない。一人の医師、一軒のスーパー、一人の介護事業者、一軒のガソリンスタンドが失われたことで、人口数千人の暮らしが変わることもある。この意味では、一人の事業者が一人分をはるかに超える地域機能を担うことは十分にあり得るのである。

地方創生の成績表を変えてみる

 経済産業省と内閣官房が提供するRESAS(Regional Economy Society Analyzing System・地域経済分析システム)でも、地域を見るための数字は人口だけではない。産業構造、事業所、従業者、消費、観光など、複数の指標を組み合わせて地域経済を見ることができる。

 2026年には市区町村単位の状況をまとめて確認する地域経済総合分析も追加され、地方を人口だけで評価しないためのデータ環境は以前より整ってきた。そうであるなら、地方創生の成績表そのものも変えてよいのではないだろうか。

 人口が20人増えた町を成功とし、20人減った町を失敗とするだけでは、町の実態を十分には表せない。人口が減っていても、地域外から所得を獲得する事業が育ち、町外へ流れていた修繕費が町内企業へ回り、買い物や交通を支える新しいサービスが成立しているなら、地域の持続可能性は以前より高くなっているかもしれない。

 逆に人口が増えていても、仕事、買い物、医療、教育の大部分を町外に依存し、所得がほとんど地域内に残らないなら、人口統計ほど地域経済は強くなっていない可能性がある。つまり、これからの地方創生では「何人増えたか」という数字だけでなく、その人口によって、あるいは事業によって「町の中で何ができるようになったのか」を見る必要がある。

地域を支える10人とは誰なのか

 結局、移住者100人より事業者10人の方が大きな効果を持つ条件は、かなり限定して考える必要がある。地域内の既存需要を奪い合うだけの10事業者なら、100人の移住者がもたらす新しい需要の方が大きい可能性がある。

 しかし、地域外から所得を獲得する事業者、これまで町外へ流れていた支出を地域内へ戻す事業者、地域住民を雇用する事業者、地元企業から仕入れる事業者、そして生活に欠かせないサービスを担う事業者が10人増えるのであれば、その影響は単純な10人分にはとどまらない。その10人によって、数百人の暮らしや複数の地域企業が支えられる場合もあるからである。

 さらに、「この町なら高齢になっても買い物ができる」「家が壊れても直してもらえる」「働く場所がある」という安心が生まれれば、それは既存住民の転出を抑える要因の一つになるかもしれない。そして、その生活環境が次の移住者にとって町を選ぶ理由の一つになる可能性もある。

 そう考えると、事業者政策と移住政策は競争相手ではなくなる。事業者を育てることが移住できる環境をつくり、移住者が増えることが事業の顧客や働き手を増やす。人口と事業が互いを支える循環が生まれたとき、初めて「人口増」と「地域経済の強化」が同じ方向を向く。

 地方創生で本当に増やすべきものは、人口だけではないのかもしれない。町の中で誰かが困ったとき、「それなら、ここでできます」と答えられる人が何人いるのか。食べること、移動すること、働くこと、家を直すこと、老いることを、地域の中でどこまで支えられるのか。

 人口表には、その数字は載っていない。しかし人口が減っていく時代には、その見えない数字こそが、町があと何年「普通に暮らせる場所」であり続けられるかを決めていくのではないだろうか。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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