地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 人口が減れば、暮らす家族の数も減り、住宅は余り、町は次第に静かになっていく。人口減少という言葉から、私たちはそんな風景を思い浮かべることが多い。ところが、千葉県で起きている変化を統計から読み解くと、必ずしもそのような単純な縮小では説明できない現実が見えてくる。人口が減っているにもかかわらず、生活を営む世帯の数は増え続けているのである。

 2026年9月29日に公表された2025年国勢調査の確報によると、千葉県の人口は625万7,225人となり、2020年の628万4,480人から2万7,255人減少した。1920年に始まった国勢調査で、千葉県の人口が前回調査を下回ったのは初めてである。ところが、同じ5年間に世帯数は277万3,840世帯から288万8,950世帯へ、11万5,110世帯も増加していた。人口が0.43%減少する一方、世帯数は4.15%増加するという、一見すると矛盾する動きが起きていたのである。

 人口が減っているのに、なぜ世帯が増えるのだろうか。新しい住民が都市部へ集まっているからなのか、高齢者の1人暮らしが増えたからなのか、それとも家族の暮らし方そのものが変わったからなのか。さらに考えてみると、同じ住宅に住んでいても、世帯だけが増える場合があるという問題にも行き当たる。世帯数の増加を単純に新しい住宅や家族の増加と考えてしまうと、実際の生活の変化を見誤る可能性があるのである。

人口は減った。しかし、暮らしの単位は増えていた

 今回の国勢調査について、最初に確認しておきたいことがある。「千葉県の人口が初めて減少した」という表現は、国勢調査の前回比で初めて減少したという意味であり、千葉県の人口が歴史上、一度も減少したことがなかったという意味ではない。毎月の人口移動などを基に推計する千葉県毎月常住人口調査では、2011年にも年間の人口減少が確認されている。したがって、2025年の結果は、5年ごとに実施される国勢調査という統一した基準で、長く続いてきた人口増加が初めて減少へ転じたことを示している。

 また、2026年5月に公表された千葉県の速報値では人口625万8,512人、世帯数287万5,923世帯とされていたが、その後の調査票の精査を経て、9月29日に確報値が公表された。本稿では確報値を使用し、速報値と混在させないこととする。調査時点が同じであっても、速報と確報では人口や世帯数が異なる場合があり、増減率や地域間比較の精度を保つためには同じ集計段階の数値を用いる必要があるからである。

 それでは、人口と世帯数が反対方向に動く理由は何だろうか。その答えを考えるには、人口と世帯が異なるものを数えていることを理解しなければならない。人口は地域に暮らす人の数であるのに対し、世帯は生活を営む単位を数えるものであり、1人で構成される世帯も、夫婦2人の世帯も、親子4人の世帯も、それぞれ1世帯として数えられる。つまり、人口が同じであっても、以前より少人数の世帯に分かれるようになれば世帯数は増加するのである。

 例えば、親子3世代が一緒に暮らしていた家庭から子どもが独立し、別の住宅で生活するようになれば、家族全体の人数が変わらなくても世帯数は増える。また、夫婦2人で生活していた人々が別々に暮らすようになった場合にも、人口と世帯数の関係は変化する。ただし、こうした例は世帯数が増える仕組みを説明したものであり、千葉県で実際に何世帯が独立や離婚などによって増えたかを示すものではない。そこには、もう1つ見落としやすい世帯の仕組みがある。

1つの住宅に住んでいても、2つの世帯になることがある

 世帯数の増加を考える際に、見落としてはならないのが「世帯分離」という現象である。世帯が増えると聞くと、新しい住宅を借りたり、購入したりして、別の場所に暮らす人々を思い浮かべるかもしれない。しかし、世帯は住宅と必ずしも1対1で対応しているわけではない。同じ住宅で生活していても、生計を別にすることで、統計上は複数の世帯として扱われる場合がある。

 総務省統計局が実施する国勢調査では、原則として住居と生計を共にする人々の集まりを1つの世帯としている。例えば、親夫婦と成人した子どもが同じ住宅で暮らしていても、生活費を共にしていれば通常は1世帯となるが、親夫婦と子どもがそれぞれ独立した生計を営んでいる場合には、別々の世帯として扱われる。このように、住宅そのものが1戸のままであっても、そこに暮らす人々の生計が分かれることによって、世帯数が増える場合があるのである。

 ここで重要なのは、「同じ住宅」と「同じ建物」が必ずしも同じ意味ではないということである。国勢調査では、親夫婦と子夫婦が同じ建物に住んでいても、それぞれの居住部分が完全に仕切られ、独立した出入口や台所、トイレなど住宅として必要な条件を満たしていれば、別々の世帯として扱われる。この場合、外観上は1棟の建物であっても、住宅の戸数としては2戸に分かれている場合がある。

 これに対して、居住部分が独立した住宅としての条件を満たさず、住宅1戸を共用していても、親世代と子世代の生計が完全に分かれていれば、国勢調査では別世帯として扱われる。したがって、同じ建物で2世帯が暮らすという状態には、1棟の建物の中に独立した住宅が2戸存在する場合と、1戸の住宅を複数の世帯が共用する場合があり、住宅需要を考える際には両者を区別する必要がある。

 例えば、親夫婦2人と成人した子ども1人が1戸の住宅で生計を共にしていた場合は3人で1世帯となるが、その後、子どもが同じ住宅に住み続けながら独立した生計を営むようになれば、親夫婦の2人世帯と子どもの単独世帯として数えられる場合がある。人口は3人のままであり、住宅も1戸のままだが、世帯数は1世帯から2世帯へ増える。反対に、親世代と子世代のために住宅として独立した居住部分を2戸設けた場合には、世帯数だけでなく住宅戸数の把握にも違いが生じ得る。

 こうした仕組みを考えると、世帯数が増えたことを、そのまま新しい住宅を必要とする世帯が同じ数だけ増えたと解釈することはできない。住宅を新たに構えて独立した世帯と、住宅1戸を共用しながら生計を分けた世帯では、住宅需要への影響が異なるからである。世帯数の増加という統計の背後には、人々が住む場所を変えるという変化だけでなく、同じ場所に住み続けながら生活の単位を変えるという変化も含まれ得るのである。

住民票の世帯分離と国勢調査は、同じものを数えているのか

 さらに注意したいのは、世帯分離という言葉が、住民基本台帳上の行政手続きとしても使用されていることである。例えば千葉市では、住所を変更せず、同じ世帯の一部が新しい世帯をつくる場合に、世帯変更届による世帯分離の手続きを行う仕組みがある。親子などが同じ住所に暮らしながら、住民票上の世帯を分けるというものであり、住所の移動を伴わずに世帯の構成だけを変更することになる。

 世帯分離は社会保障制度との関係でも関心を集めることがある。介護保険制度では、介護保険施設の食費や居住費などの負担軽減について、世帯の住民税課税状況が要件の1つとなるため、世帯を分けることが負担区分に影響する場合がある。ただし、これは全国共通の介護保険制度に関する仕組みであって、千葉県独自の制度ではない。また、負担軽減の可否は世帯の課税状況だけで決まるものではなく、本人や配偶者の所得、預貯金等の資産要件なども関係する。別世帯となった配偶者についても判定対象になる場合があり、世帯分離をすれば必ず介護保険の負担が軽くなるという理解は正しくない。

 ここで問題になるのが、住民基本台帳と国勢調査では世帯の把握方法が同じではないという点である。住民基本台帳上の世帯数は住民票の記録に基づいているのに対し、国勢調査では実際にどこに住み、誰と生計を共にしているかという居住と生活の実態を基準に世帯を把握する。そのため、住民票上で世帯分離の届出を行ったという事実だけで、国勢調査の世帯数が自動的に増えるわけではない。反対に、住民票上の世帯が同じであっても、国勢調査の基準では別々の世帯として扱われる場合もある。

 したがって、千葉県の国勢調査で世帯数が11万5,110世帯増加したことを、住民票上の世帯分離の届出が同じ数だけ行われた結果だと考えることはできない。実際の生計の分離が世帯数の増加に寄与している可能性はあるものの、その規模を明らかにするには、世帯構成の変化や住宅の居住状況などをさらに詳しく分析する必要がある。住民基本台帳上の世帯分離件数が分かったとしても、その件数をそのまま国勢調査の世帯増加数へ当てはめることはできないのである。

 世帯分離は人口減少と世帯増加を考えるうえで重要な仕組みだが、今回の国勢調査の集計結果だけでは、それが全体の世帯増加にどの程度寄与したのかを数量的に確定することはできない。重要なのは、世帯数が増えたという事実と、その世帯がどのような経緯で形成されたかという問題を区別することである。

平均世帯人員が0.10人減ると、数字はどう変わるのか

 人口と世帯数の関係を数理的に確認するには、1世帯当たり何人が暮らしているのかを調べると分かりやすい。千葉県の総人口を総世帯数で割ると、2020年には約2.27人だったものが、2025年には約2.17人へ減少している。平均すると0.10人の減少にすぎないが、約289万世帯に及ぶ県全体の数字として見ると、この変化は大きな意味を持つ。

 この関係を別の角度から見るため、人口1,000人当たりの世帯数を計算してみよう。2020年には約441世帯だったものが、2025年には約462世帯へ増えている。言い換えれば、同じ1,000人が暮らしていても、以前より多くの世帯に分かれて生活する構造になっているということである。ここには、単独世帯の増加だけでなく、家族からの独立や同じ住宅内での生計の分離なども関係している可能性がある。

 さらに、2020年の平均世帯人員が2025年も変わらなかったと仮定してみる。2025年の人口625万7,225人を2020年の平均世帯人員で割ると、必要な世帯数は約276万1,810世帯となり、2020年より約1万2,030世帯少なくなる計算である。ところが、実際には288万8,950世帯が存在しており、仮定した世帯数を約12万7,140世帯も上回っている。

 つまり、2020年の平均世帯人員を固定するという条件の下では、人口減少による約1万2,030世帯の減少方向の効果を、平均世帯人員の縮小による約12万7,140世帯の増加方向の効果が上回り、差し引き11万5,110世帯の増加になったと整理できる。ただし、この約12万7,140世帯という数字は、実際にそれだけの世帯が新しく形成されたことを意味するものではなく、2020年の平均を基準にした反実仮想の計算結果である。また、人口と平均世帯人員の変化をどの順序で計算するかによって、それぞれの要因への寄与の配分は変わるため、実際の世帯形成の原因を直接示す分析ではない。

 ここで、統計上のもう1つの区別も必要になる。国勢調査では、通常の住宅などで生活する一般世帯と、社会福祉施設や病院などの施設等の世帯を区別している。2025年の千葉県では一般世帯が288万1,044世帯、施設等の世帯が7,906世帯であり、先ほどの2.17人という値は総人口を総世帯数で割ったものである。一方、一般世帯に限定した平均世帯人員は2020年の2.22人から2025年には2.12人へ減少している。住宅や家庭の生活規模を分析する際には一般世帯の平均人員を使い、人口と総世帯数の数理的な関係を分析する場合とは指標を区別する必要がある。

 こうした区別を踏まえても、結論は変わらない。千葉県では人口が減少する一方で、1世帯当たりの人数が小さくなるという変化が進んでおり、その結果として世帯数が増えているのである。ただし、平均世帯人員は人口と世帯数から求められる指標であり、その縮小は世帯構造の変化を数理的に表したものであって、独立した原因を直接特定したものではない。実際の理由を高齢化、独立、世帯分離、婚姻状態の変化などに何%ずつ配分できるかは、別の問題として残されている。

単独世帯が12万8,865増えた。その意味は何だろうか

 それでは、実際にどのような世帯が増えているのだろうか。2025年国勢調査の結果を一般世帯の家族類型別に見ると、単独世帯が113万2,305世帯に達しており、2020年から12万8,865世帯増加している。増加率は12.8%で、人口全体が減少していることを考えると、大きな変化である。

 ここで、単独世帯という言葉の意味を正確に理解しておく必要がある。単独世帯とは、世帯員が1人である世帯を指す。一般には1人暮らしの世帯と説明されることが多いが、必ずしも住宅1戸に1人だけが住んでいることを意味するわけではない。例えば、親と同じ住宅に住んでいても生計を別にしている成人の子どもや、友人と住宅を共用しながら生計を別にしている人は、国勢調査の基準ではそれぞれ単独世帯として扱われる場合がある。

 つまり、単独世帯の数は、生活を共にする世帯員が自分1人だけであるという世帯の構成を示すものであり、その住宅に他の人が住んでいないことまで示しているわけではない。住宅1戸を1人だけで使用する場合と、住宅1戸に複数の単独世帯が存在する場合では、必要な住宅戸数も居住環境も異なる。この区別は、今回のように世帯数の増加と住宅需要を関連付けて考える際には、特に重要になる。

 注目したいのは、一般世帯全体の増加が11万3,383世帯だったのに対し、単独世帯だけでは12万8,865世帯増えていることである。同じ一般世帯という区分の中で比較すると、単独世帯以外の世帯は差し引き1万5,482世帯減少した計算になる。家族のいる世帯がすべて減っているという意味ではなく、核家族世帯など増加している類型も存在するが、全体としては単独世帯の増加が一般世帯数の純増を上回っているのである。

 単独世帯の割合も大きくなっている。国勢調査の家族類型別集計では、家族類型が不詳の世帯を除いた一般世帯に占める単独世帯の割合は39.7%となっており、ほぼ5世帯に2世帯が単独世帯という水準に達した。なお、不詳世帯を含む一般世帯全体を分母として計算すると約39.3%となるため、39.7%という公式値を読む際には、その集計条件にも注意が必要である。

 この変化から、千葉県で生活の単位が小さくなっていることは確かだが、それをそのまま単身者向け住宅の需要増加数に置き換えることはできない。実際に別の住宅で生活を始めた人と、住宅を共用しながら生計を分けた人では、住宅需要への影響が異なるからである。単独世帯数の増加が住宅市場にどの程度影響したかを明らかにするには、世帯構成に加えて、住宅の居住形態や1住宅当たりの世帯数を詳しく調べる必要がある。

単独世帯の増加を、高齢化だけで説明できるだろうか

 単独世帯が増えたと聞くと、まず高齢者の1人暮らしを思い浮かべる人が多いかもしれない。実際、千葉県の2025年国勢調査では、65歳以上の人がいる一般世帯は114万6,507世帯となり、そのうち37万3,199世帯が単独世帯だった。65歳以上の単独世帯は2020年より5万370世帯増加しており、高齢者を世帯員とする単独世帯が拡大していることは明らかである。

 しかし、単独世帯全体の増加数12万8,865世帯から、65歳以上の単独世帯の増加数5万370世帯を差し引くと、7万8,495世帯が残る。これは65歳未満の単独世帯の純増に相当し、単独世帯増加数の約61%を占める。高齢者の単独世帯が増えていることは確かだが、それだけで千葉県の単独世帯の増加を説明することはできず、65歳未満の人々の生活単位にも大きな変化が生じているのである。

 ただし、この7万8,495世帯という数字を、若者の独立や未婚者の増加によって新しく形成された世帯の数と解釈することはできない。2020年から2025年の間には、人々の加齢、転入や転出、結婚や離婚、同居や別居、死亡などによって世帯の構成が変化しているため、2時点の集計結果だけでは、それぞれの要因が何世帯分の増加に結び付いたかを特定できないからである。

 進学や就職に伴う独立、結婚しない期間の長期化、単身赴任、離婚後の生活、親世代と子世代の生計の分離などは、単独世帯を増やす可能性のある要因として考えられる。しかし、それらが千葉県でどの程度寄与したのかを明らかにするには、年齢別の単独世帯数、婚姻状態、住宅の所有関係、人口移動、世帯分離の実態などを組み合わせた検証が必要になる。

 それでも、今回の調査から読み取れる重要な事実がある。千葉県の世帯構造の変化は、高齢化という1つの現象に還元できるものではなく、より幅広い年齢層で生活単位の小規模化が進んでいるということである。駅に近い集合住宅の1戸を1人で使用する人と、親世代と同じ住宅を共用しながら生計を分ける人では、住まい方も生活環境も異なるが、いずれも統計上は単独世帯として数えられる場合がある。その違いを理解しないまま、単独世帯の増加を単純に評価することはできないだろう。

出生数より死亡数が多い。それでも人口が増える年がある

 世帯数が増えている一方で、そもそも千葉県の人口が減少へ転じた背景には何があるのだろうか。人口の増減を考える際には、出生と死亡による自然増減と、転入や転出などによる社会増減を分けて見る必要がある。千葉県では出生数より死亡数が多い自然減が続いているものの、県外などからの人の流入による社会増が、その減少を補う年もある。

 千葉県毎月常住人口調査による2024年の人口動態では、出生数が3万5,587人、死亡数が7万5,235人で、自然減は3万9,648人に達していた。一方、転入や転出などによる社会増は4万1,078人となり、自然減を上回ったため、年間の人口は差し引き1,430人増加している。出生と死亡だけを見れば大幅な人口減少になる年であっても、人の移動によって人口が維持される場合があることを示す数字である。

 ただし、2024年の年間人口動態と、2020年から2025年の国勢調査人口の増減は、対象期間も把握方法も異なるため、そのまま結び付けて計算することはできない。2024年の数値は人口変動の仕組みを理解するためのものであり、国勢調査における5年間の人口減少数を直接分解したものではない。この区別を踏まえれば、千葉県の人口は自然減と社会増という反対方向の力を受けながら変動していると理解できる。

 2025年の国勢調査では、日本人人口が2020年との比較で10万5,346人減少した一方、外国人人口は7万8,078人増加し、24万425人となっている。外国人人口が県人口に占める割合は3.8%に達し、千葉県の人口構成を考えるうえで無視できない規模となった。なお、これらの増減数には2025年と同じ不詳補完方法で再集計した2020年の数値が使用されており、日本人・外国人の別が不詳の人口も存在するため、両者の増減を単純に足し合わせても人口総数の増減と完全には一致しない。

 外国人人口の増加が人口減少を緩和する方向に働いていることは確認できるが、それを単独世帯数の増加と直接結び付けることはできない。外国人住民についても、単身で住宅を使用する人、家族と暮らす人、複数人で住居を共用しながら生計を別にする人など生活形態はさまざまであり、人口の増加数だけから世帯構造を推定することは不適切である。

 ここまで見てくると、人口が減少する理由と世帯数が増加する理由は、必ずしも同じではないことが分かる。人口は出生、死亡、転入、転出などによって変化するのに対し、世帯数はそれらに加えて、人々がどのように生活を共にするかによっても変化する。人口と世帯の動きが一致しなくなっている背景には、こうした異なる仕組みが重なっているのである。

市川市では人口が減り、世帯が7,650増えた

 千葉県全体の変化を理解したところで、市町村別の数字に目を向けてみよう。2025年国勢調査では、県内54市町村のうち人口が増加したのは県北西部の12市であり、残る42市町村では人口が減少していた。しかし、人口が減少した自治体で必ず世帯数も減少しているわけではなく、人口と世帯数が反対方向へ動く地域が存在している。

 その典型が市川市である。2020年の人口49万6,676人は2025年に49万4,354人となり、5年間で2,322人減少した。一方、世帯数は24万2,970世帯から25万620世帯へ7,650世帯増加している。人口が0.5%程度減少するなかで世帯数は約3.1%増えており、総人口を総世帯数で割った平均世帯人員は約2.04人から約1.97人へ縮小した。人口が減少している都市でも、生活単位の小規模化が進めば世帯数が増加することを示す例である。

 同じような変化は松戸市にも見られる。2020年から2025年に人口が1,858人減少した一方、世帯数は8,720世帯増加した。市原市では人口が9,627人減りながら世帯数は2,093世帯増え、茂原市でも人口が3,211人減少する一方、世帯数は686世帯増加している。東京都心への通勤圏に位置する都市だけでなく、房総半島の内陸側にも同様の現象が生じており、人口減少と世帯増加の組み合わせが特定の都市だけに限られないことが分かる。

 一方、流山市では人口と世帯数の両方が増えている。2020年の人口19万9,849人は2025年に21万5,086人となり、5年間で1万5,237人、7.6%増加した。世帯数も8万3,115世帯から9万1,215世帯へ増加しているが、その増加率は約9.7%と人口増加率を上回っており、平均世帯人員は約2.40人から約2.36人へ縮小している。

 市川市では人口が減りながら世帯数が増え、流山市では人口も世帯数も増えている。それでも、平均世帯人員が縮小しているという点では共通しているのである。このことは、世帯の小規模化が人口減少地域だけに起きる現象ではなく、人口が増加している都市にも広がっていることを示している。

 もっとも、これらの自治体で世帯数が増加した理由を、単独世帯の増加だけで説明したり、住民票上の世帯分離が増えたためだと断定したりすることはできない。実際の背景を明らかにするには、年齢別人口、世帯の家族類型、住宅の居住形態、人口移動などを組み合わせて分析する必要がある。特に、同じ建物で暮らす人が増えたとしても、それが住宅1戸の共用なのか、建物内に独立した住宅が複数存在する状態なのかによって、住宅利用の実態は異なる。人口増減率という1つの数字だけでは、都市の生活構造の変化を十分に説明できなくなっているのである。

外房4市町では、人口と世帯の減り方が大きく違う

 県北西部から房総半島の外房地域へ目を向けると、別の姿が見えてくる。いすみ市、勝浦市、御宿町、大多喜町では、2020年から2025年に人口だけでなく世帯数も減少している。しかし、その減少率を比較すると、人口の減り方に比べて世帯数の減少は小さく、ここでも世帯の小規模化が進んでいることが分かる。

 いすみ市では人口が3万5,544人から3万2,463人へ3,081人減少し、5年間の減少率は8.7%となった。一方、世帯数は1万4,484世帯から1万4,218世帯へ266世帯減少しただけで、減少率は約1.8%にとどまる。人口は約9%減少しているのに、世帯数は約2%しか減っておらず、平均世帯人員は約2.45人から約2.28人へ縮小している。

 勝浦市でも同様の傾向が確認できる。人口は1万6,927人から1万5,101人へ減少し、減少率は10.8%だったが、世帯数は8,192世帯から7,872世帯へ約3.9%減少したにすぎない。平均世帯人員は約2.07人から約1.92人となり、総人口を総世帯数で割った値は2人を下回っている。これは一般世帯に限定した平均人員とは異なる指標だが、2020年と2025年で同じ計算方法を用いることによって、地域内で生活単位が小さくなっている傾向を確認できる。

 御宿町では人口が6,874人から6,332人へ7.9%減少したのに対し、世帯数は3,092世帯から3,053世帯へ39世帯、約1.3%の減少にとどまった。大多喜町でも人口は8,885人から7,784人へ12.4%減少したが、世帯数の減少率は約6.9%だった。人口の減少率には自治体ごとに差があるものの、人口と世帯数の減少速度が一致していないという点では共通している。

 この4市町を合計すると、2020年の人口6万8,230人は2025年に6万1,680人となり、5年間で6,550人、約9.6%減少している。一方、世帯数は2万9,169世帯から2万8,310世帯へ859世帯、約2.9%の減少にとどまる。平均世帯人員も約2.34人から約2.18人へ縮小しており、人口が約1割減った地域であっても、生活を営む世帯の数はそれほど減っていないという特徴が見えてくる。

 さらに、長南町では人口が7,198人から6,691人へ507人減少したにもかかわらず、世帯数は2,636世帯から2,662世帯へ26世帯増加している。人口減少と世帯増加という現象は、人口規模の大きい都市だけでなく、比較的小規模な町でも起こり得るのである。

 外房地域のこうした変化を、単に高齢者の1人暮らしが増えた結果と考えることはできない。親世代と子世代の生活単位の変化、若年者の転出、配偶者との死別、同じ住宅内での生計の分離など、複数の要因が重なっている可能性がある。例えば、地域の人口が減少しても、残された家族がそれぞれ独立した生計を営むようになれば、世帯数は人口ほどには減らない場合がある。しかし、そのような変化が実際にどの程度起きているのかを確認するには、世帯の家族類型や居住形態をより詳しく調べる必要がある。

 ここで重要なのは、外房地域の人口減少が、必ずしも生活する世帯の同じ割合での減少を意味しないことである。人口が減少しても住宅や生活の単位は相対的に多く残り、それぞれが少人数で暮らす方向へ変化している可能性がある。ただし、世帯が多く残ることと、使用されている住宅の戸数が同じように維持されることは別の問題であり、住宅1戸当たりの世帯数や居住形態を確認しなければならない。この現象は、地域の住宅政策や行政サービスを考える際にも無視できない問題になる。

世帯が増えているのに、空き家も増えるのはなぜか

 世帯数が増加するということは、それだけ住宅の需要が増えているのではないかと考えたくなる。しかし、千葉県の住宅事情を見ると、ここにも単純には説明できない数字が存在する。2023年の住宅・土地統計調査によると、千葉県の住宅総数は319万1,100戸で、空き家は39万4,100戸、空き家率は12.3%となっている。

 2018年の空き家数は38万2,500戸だったため、5年間で1万1,600戸増えたことになる。ただし、空き家率は2018年の約12.6%から2023年の12.3%へ低下しており、空き家の戸数は増えたものの、住宅総数に占める割合は下がっている。この違いは重要であり、空き家数が増えたことだけをもって、住宅全体の空き家化が同じ速度で進んでいると判断することはできない。

 さらに、空き家39万4,100戸の中には、賃貸用や売却用の住宅、別荘などの二次的住宅も含まれている。これらを除いた「その他の空き家」は15万8,500戸で、2018年から1万4,100戸増加している。空き家の総数だけでなく、利用目的による区分を確認することによって、地域に残された住宅がどのような性質を持つのかを考えることができる。

 なお、住宅・土地統計調査は標本調査に基づく推計統計であり、国勢調査とは調査年も調査対象も世帯の定義も異なる。そのため、2023年の住宅総数と2025年の国勢調査世帯数を単純に差し引いて空き家数を算出することはできない。また、住宅・土地統計調査でも、住宅1戸に2世帯以上が暮らす場合を想定して、主世帯と同居世帯を区別している。これは、住宅戸数と世帯数が必ずしも一致しないことを理解するうえで重要な区分である。

 ここでも、「住宅」と「建物」を区別する必要がある。例えば、1棟の建物の中に住宅として独立した住戸が2戸あれば、建物は1棟でも住宅は2戸として数えられる場合がある。一方、住宅としては1戸であっても、内部で複数の世帯が生計を別にして暮らしている場合には、住宅戸数と世帯数が一致しない。住宅の供給量を分析する際には、建物の棟数、住宅の戸数、実際に居住する世帯数を混同してはならないのである。

 この点で、世帯分離という現象は住宅需要を考えるうえで重要な意味を持つ。住宅1戸で生活している親子が別々の生計を営むようになり、国勢調査で別世帯として扱われる場合には、世帯数が増えても住宅は1戸のままである。反対に、独立した住宅へ移り住んで新しい世帯を形成した場合には、世帯数の増加とともに住宅への新たな需要が生じることもある。両者を区別しなければ、世帯数の増加を住宅不足や住宅需要の拡大へ直接結び付けてしまう危険がある。

 さらに、住宅は県内のどこにあっても同じ価値を持つわけではない。交通機関、医療機関、商業施設、仕事先などとの位置関係によって、居住地としての利便性が変わる。単独世帯が駅に近い住宅を求めていても、離れた地域にある空き家がその需要をそのまま満たすとは限らない。家族で暮らしていた住宅が1人で使うには広すぎたり、古い住宅の改修費用が大きかったりすれば、住宅が存在していても利用が進まない可能性がある。

 ただし、こうした住宅需要と供給の不一致は説明上の仮説であり、今回の県全体の統計だけで千葉県の空き家増加の原因別割合まで明らかになるわけではない。実際にどの地域で住宅が不足し、どこで余っているのかを評価するには、住宅の立地、築年数、所有関係、居住状況、世帯の年齢構成などを組み合わせた分析が必要になる。

 人口が減ったから住宅を減らせばよいという判断も、世帯数が増えたから新築住宅を増やせばよいという判断も、どちらも十分ではない。世帯数は生活単位の数を示すものであって、住宅の必要戸数を直接示すものではないからである。

人が減っても、行政の仕事は同じ割合で減るとは限らない

 人口と世帯数の変化は、住宅だけでなく、自治体の行政サービスにも関係してくる。人口が減少すれば行政サービスの対象者も減り、支出も小さくできると考えるのは自然かもしれないが、現実の行政需要は人口だけで決まるものではない。住民への通知や相談、生活支援、防災情報の伝達などには世帯単位の対応が必要となるものもあり、地域に暮らす人の数が減っても、対応すべき世帯数は同じ割合で減るとは限らないのである。

 例えば、いすみ市では2020年から2025年に人口が約8.7%減少したのに対し、世帯数の減少率は約1.8%だった。人口に比例する行政需要が減少する一方、世帯単位で発生する事務や情報伝達の対象はそれほど減っていない可能性がある。ただし、行政業務の多くは人口と世帯数だけでなく、個人の状況、施設配置、業務の効率化などによっても変わるため、この数字だけから行政職員の必要人数や行政費用の増減を計算することはできない。

 ここでも、国勢調査と住民基本台帳の違いに注意する必要がある。住民票上の世帯分離が行われれば、住民基本台帳に基づいて世帯単位で処理する行政事務に影響する場合がある一方、国勢調査で別世帯と認定されたことが、そのまま行政手続き上の世帯の変更になるわけではない。世帯を単位として扱う制度であっても、住民基本台帳、税制度、介護保険、各種給付制度などでは判定の基準が異なる場合があるため、統計上の世帯数の増加を行政事務量の増加へ直接換算することは適切ではないのである。

 さらに、住宅や道路が広く分散している地域では、人口が減っても生活基盤の維持に必要な空間が同じ割合で小さくなるとは限らない。道路、橋、水道施設、公共施設などは住民が一定数減少したからといって直ちに廃止できるものではなく、利用人口や施設配置によって1人当たりの維持管理負担が変化することも考えられる。そのため、行政需要を評価する際には、人口1人当たりの費用だけでなく、道路1キロメートル当たりの沿道人口、住宅が分布する面積当たりの世帯数、施設の利用者数など、地域の条件に合った指標を用いる必要がある。

 高齢者の単独世帯の増加も、行政サービスを考えるうえでは重要になる。千葉県では65歳以上の人がいる一般世帯が114万6,507世帯あり、そのうち37万3,199世帯が単独世帯である。ただし、単独世帯だからといって、住宅1戸に完全に1人だけで暮らしているとは限らず、家族などと住宅を共用しながら生計を分けている場合もあり得る。したがって、単独世帯という数字だけで日常的な見守りの有無や支援の必要性を判断することはできない。

 高齢者が単独世帯を形成しているというだけで支援を必要とするわけではないが、病気や災害などが発生した場合に、同じ世帯に他の構成員がいないことによって支援上の課題が生じる可能性はある。特に医療機関や公共交通へのアクセスが限られる地域では、年齢や世帯構成だけでなく、実際に誰と住宅を共用しているか、利用できる交通手段があるか、近隣に支援を求められる人がいるかといった生活の実態を確認する必要があるだろう。

 ただし、単独世帯が増えたこと自体が行政費用を増加させると断定するのも適切ではない。世帯が小規模になることで必要な対応が増える分野も考えられる一方、人口減少や業務の効率化によって負担が軽くなる分野もあり得る。費用への影響を評価するためには、実際の業務量、施設運営費、人件費などを用いた検証が必要であり、世帯構造の変化はその分析に加えるべき重要な条件の1つなのである。

世帯数が増えた理由を、どこまで数字で説明できるのか

 ここまで人口減少、単独世帯の増加、世帯分離、住宅需要、行政サービスとの関係を見てきたが、改めて考えたいことがある。千葉県の世帯数が増加した理由を、現在の統計からどこまで明らかにできるのだろうか。

 人口が減少する一方で平均世帯人員が小さくなり、結果として世帯数が増加したことは、国勢調査の数字から直接確認できる。また、一般世帯の増加を上回る単独世帯の増加が生じていることや、65歳以上だけでなく65歳未満の単独世帯も増えていることも確認できる。これらは推測ではなく、統計によって裏付けられた変化である。

 しかし、平均世帯人員が縮小した原因を、家族からの独立、婚姻状態の変化、配偶者との死別、同じ住宅内での生計の分離、住民票上の世帯分離などに分け、それぞれ何世帯分の増加に寄与したかを示すことは、現在確認した集計結果だけではできない。住民基本台帳上の世帯分離件数を調べたとしても、それが国勢調査上の世帯増加にどの程度対応するかは別途検証する必要がある。

 さらに、住宅との関係を分析する際には、世帯と住宅の対応を調べることが欠かせない。住宅1戸に1世帯が暮らす場合、住宅1戸に複数の世帯が暮らす場合、同じ建物の中に独立した住宅が複数存在する場合では、住宅の供給と利用の実態が異なる。また、単独世帯という分類も、その人が住宅を1戸占有していることを意味しないため、世帯数や単独世帯数の増加を住宅需要へ換算する場合には、居住形態の違いを考慮する必要がある。

 例えば、住宅1戸の中で生計の分離が実際に増えていたとしても、どの年齢層で、どの程度発生しているのかは、平均世帯人員の変化だけでは分からない。反対に、若い世代が独立した住宅へ移り、単独世帯として生活するようになった場合には、住宅需要や人口移動にも異なる影響が現れる。どちらも世帯数を増加させる方向に働く可能性があるが、その社会的な意味は同じではないのである。

 この違いを明らかにするには、国勢調査の家族類型別・年齢別の世帯数に加え、住宅の居住形態、1住宅当たりの世帯数、住民基本台帳の世帯異動、人口移動などの情報を組み合わせて分析する必要がある。ただし、異なる統計は対象や定義、調査方法が必ずしも一致していないため、単純に数値を足し合わせたり、差し引いたりするだけで原因を特定することはできない。

 世帯数が増えたという結果は明確であっても、そのすべての原因が判明したわけではない。この区別こそ、人口統計を地域政策へ活用する際に欠かせない視点なのである。

人口減少率だけで、地域の将来を判断できるのか

 人口減少について議論するとき、何人減ったか、何%減少したかという数字が注目されることが多い。人口推計は自治体の将来を考えるための重要な資料だが、それだけで地域の生活環境まで評価できるわけではない。同じ人口減少率の自治体であっても、世帯数や平均世帯人員の変化が異なれば、住宅、交通、医療、介護、防災などに求められる対応も異なってくる可能性がある。

 例えば、人口が減っても世帯数がほとんど減らない自治体では、少人数で暮らす世帯が増えているかどうかを調べる必要がある。一方、人口と世帯数が共に急減している地域では、住宅の利用状況や公共施設の需要、住民の居住分布などを併せて確認することが重要になる。人口が減ったという同じ現象であっても、暮らし方の変化と地域空間の変化が異なれば、必要な政策も同じにはならないのである。

 千葉県内の地域を分析する場合、人口増減率に世帯増減率と平均世帯人員の変化を重ねるだけでも、人口統計から得られる情報は豊かになる。さらに、年齢別の単独世帯の割合、高齢者のみで暮らす世帯の割合、住宅の空き家率、医療機関までの距離、公共交通の運行状況などを組み合わせれば、人口減少が具体的にどのような生活上の課題へつながる可能性があるのかを考えやすくなる。

 そこに、世帯分離や同居形態という視点を加えることも重要になる。世帯数が増えていても、住民が新たに住宅を構えているとは限らず、既存住宅の中で生計の単位が変化している場合もあるからである。住宅需要を考える場合には実際に使用されている住宅の戸数や居住形態を確認し、行政サービスを考える場合には制度上どのような世帯区分が用いられているのかを確認する必要がある。人口と世帯数だけでは見えてこない違いが、政策の評価を左右するのである。

 もっとも、こうした指標を増やせば自動的に政策の正解が見つかるわけではない。例えば、単独世帯の割合が高い地域でも、交通が便利で生活サービスが充実していれば、少人数での生活を続けやすい環境が整っている可能性がある。反対に、単独世帯の割合がそれほど高くなくても、住民が広い地域に分散していたり、交通や医療へのアクセスが限られていたりすれば、別の課題が生じることも考えられる。重要なのは、数字の大小だけで地域の優劣を判断するのではなく、その数字がどのような生活環境の下で生じているのかを調べることである。

 人口減少の対策を考えるとき、人口を増やすことだけを目標にすると、すでに地域で暮らしている人々の生活の変化を見落とすおそれがある。転入者を増やす政策と、少人数で暮らす住民の生活を支える政策は対立するものではなく、地域の実情によっては両方が必要になる。人口増加を目指すこと自体が間違いなのではなく、それだけでは自治体の将来を十分に評価できないということである。

減っているのは人の数、変わっているのは暮らしの形

 千葉県の人口が国勢調査で初めて減少したという事実は、長く続いてきた人口増加の歴史が転換点を迎えたことを示している。しかし、その隣にある世帯数の増加という数字を見れば、千葉県の地域社会が単純に小さくなっているわけではないことにも気付く。人口が減っていても、暮らしの単位は増えることがあり、その背景には単独世帯の増加や世帯規模の縮小という、人口総数だけでは表れない変化が存在している。

 2020年から2025年の5年間で人口は2万7,255人減ったが、総世帯数は11万5,110世帯増え、一般世帯のうち単独世帯は12万8,865世帯増加した。高齢者の単独世帯が増えているだけではなく、65歳未満の単独世帯も増加しており、生活単位の小規模化が幅広い年齢層に及んでいることが分かる。こうした変化は人口の増加する流山市にも、人口が減る市川市や茂原市にも、人口減少が速く進む外房地域にも、それぞれ異なる形で表れている。

 そして、世帯数を考えるうえでは、同じ住宅に暮らしながら生計を分けるという世帯分離の仕組みも忘れてはならない。国勢調査で世帯数が増えたという事実は、新しい住宅に移り住む人々だけが増えたことを意味するものではなく、住む場所を変えずに生活の単位が変化した場合も含まれ得る。また、単独世帯は住宅1戸に1人だけが住むことを意味するものではなく、同じ建物と同じ住宅も異なる概念である。こうした統計上の定義を理解することによって初めて、世帯数という数字が何を示しているのかを正確に捉えることができる。

 人口減少と世帯増加が同時に起きていることは、統計上の矛盾ではない。人口は人の数を示し、世帯は生活を営む単位を示しているため、両者が異なる方向へ動くことは十分にあり得る。問題は、これまで人口の増減を中心に考えてきた地域政策が、こうした生活単位の変化をどこまで捉えられているかということである。

 世帯数が増えているからといって、その地域の暮らしが豊かになっているとは限らず、人口が減っているからといって、住宅や行政サービスの必要性が同じ割合で小さくなるわけでもない。世帯の人数だけでなく、生計の独立、住宅の利用状況、家族との関係、生活サービスへのアクセスなどを併せて見ることによって初めて、地域で暮らす人々の現実に近づくことができるのである。

 千葉県の人口減少を伝える数字の背後には、家族で暮らす生活、住宅を1戸使用して1人で暮らす生活、同じ住宅を他の人と共用しながら生計を別にする生活など、さまざまな暮らし方が存在している。そして、その変化は都市部の集合住宅にも、房総半島の戸建て住宅にも、それぞれ異なる条件の下で表れている。これからの地域社会を考えるうえで問われるのは、人口を何人増やせるかということだけではなく、人々の暮らしの単位が変化する社会に、住宅や交通、医療、行政サービスをどのように適応させていくかということだろう。

 人口が減ったのに世帯数が増えたという数字は、千葉県の暮らしが新しい段階に入りつつあることを示している。人口の増減だけを追う時代から、人々がどのような単位で暮らし、その生活を地域がどのように支えているのかを考える時代へ。今回の国勢調査は、その転換を読み解くための重要な手掛かりを示しているのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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駅前を見ただけでは、その町の現在は分からない

 地方の町を訪れ、駅を降りた瞬間に「ずいぶん寂れた町だ」と感じることがある。駅前広場には人影が少なく、かつて銀行や衣料品店、食堂などが並んでいた商店街にはシャッターを下ろした店舗が目立ち、少し歩いただけでは日用品を買う店さえ見つからない。ところが、そこから数km離れた国道や主要県道へ出ると風景は一変し、大型スーパー、ドラッグストア、ホームセンター、家電量販店、衣料品店、飲食店、携帯電話ショップ、ガソリンスタンドなどが並び、広い駐車場には絶えず車が出入りしていることがある。

 かつて駅は「町の玄関」であり、その周囲が町の中心であることはほとんど疑われなかったが、現在の地方都市では、行政上の中心地と住民が日常的に利用する生活の中心地が一致しない場合が珍しくない。駅前だけを見れば衰退しているように見える町でも、数km離れた幹線道路沿いでは盛んに消費活動が行われており、この違いを理解するには、単純に「地方の人口が減ったから」と考えるだけでは十分ではない。

 重要なのは、人口が何人いるかだけではなく、その人々が毎日どのように移動し、どこを通り、どこで時間とお金を使っているのかということである。町の商業は人口分布だけで決まるものではなく、人の移動経路によって形を変えるため、地方の駅前と国道沿いの明暗は、日本人の生活様式そのものが変化してきた結果として捉える必要がある。

鉄道の時代には駅が人の流れを独占していた

 鉄道が主要な交通手段だった時代には、駅前が栄える理由は非常に明快だった。通勤する人も、学校へ通う学生も、買い物に出る人も、遠方へ出かける人も駅を通り、朝から夜まで一定量の人の流れが生まれていたため、その途中に商店、食堂、銀行、映画館、旅館などが立地すれば自然に客を取り込むことができたのである。

 鉄道そのものに商業を繁栄させる特別な力があったわけではなく、駅前が強かった最大の理由は、多くの人がそこを必ず通過していたことにある。その意味では、駅は巨大な交通装置であると同時に、人を集約する装置でもあった。

 ところが自動車が家庭へ普及すると、この構造が徐々に崩れていった。自宅から勤務先へ車で向かい、帰宅途中にスーパーへ寄り、ドラッグストアで日用品を買い、子どもを迎えに行ってから帰宅するという生活であれば、1日の間に駅前を1度も通らないことも珍しくなく、駅が不便になったというより、住民の生活経路そのものから駅が外れていったのである。

地方では、自動車が生活の中心的な交通手段になった

 この変化は印象論だけではなく、国の交通統計にも表れている。国土交通省が行った2021年の全国都市交通特性調査では、地方都市圏の通勤者が利用する代表的な交通手段のうち自動車が75.6%を占め、鉄道は4.2%だった。一方、三大都市圏では自動車が35.2%、鉄道が37.6%となっており、地方都市と大都市では日常生活を支える交通手段が大きく異なっている。

 2021年は新型コロナウイルス感染症の影響を受けた特殊な年でもあるため、この数字だけを使って地方都市全体を説明することはできないが、それ以前の調査でも地方都市における自動車利用の増加傾向は長期的に確認されている。したがって、地方の商業構造を考えるうえでは、「駅から何分か」という距離よりも、「自動車でどれだけ入りやすいか」「日常の移動経路上にあるか」という条件の重要性が高まったと考える方が現実に近い。

 車で買い物をする世帯にとっては、駅前商店街を歩いて複数の店を回るより、スーパー、ドラッグストア、衣料品店、飲食店などが集まった場所へ車で行き、短時間で用事を済ませる方が便利な場合が多い。雨の日でも荷物を長く持ち歩く必要がなく、米、飲料水、トイレットペーパー、灯油などの重い商品やかさばる商品も運びやすいため、車を利用する生活と郊外型店舗の形態は非常に相性がよいのである。

人口が増えた以上の速度で市街地が広がった

 商業の郊外化を考える場合には、交通手段だけでなく、住宅がどこに建てられてきたのかも重要になる。日本の地方都市では高度経済成長期以降、既存の駅前だけに住宅が増えたわけではなく、郊外へ向かって一戸建て住宅地や団地が広がり、市街地そのものが横方向へ拡大してきた。

 国土交通省の分析では、県庁所在地について1970年から2010年までの変化を見ると、人口は約2割増加した一方で、DID(Densely Inhabited District・人口集中地区)の面積は2倍以上へ拡大している。つまり人口が2倍になったわけではないのに、人々が暮らす市街地の面積は大きく広がったのであり、これは地方都市が次第に低密度で広い都市へ変わってきたことを意味している。

 その結果、駅から徒歩圏に住むことが必ずしも一般的ではなくなり、郊外住宅から職場、学校、病院、商業施設へ自動車で移動する生活が成立した。そこで幹線道路が整備されれば、その道路沿いに店舗が進出し、店舗が増えれば周辺の利便性が高まり、さらに住宅が立地するという相互作用が生まれるようになる。

 もっとも、ここには単純な一方向の因果関係があるわけではなく、住宅が増えたから店舗が進出した場合もあれば、大型店の進出によって周辺の居住価値が上昇した場合もあり、道路整備という第3の要因が住宅と店舗の双方を呼び込んだ場合もある。したがって、「住宅が増えたから国道沿いが栄えた」と一方向に説明するより、住宅、道路、商業施設が互いに影響しながら現在の都市構造を形成したと考える方が科学的には正確である。

駅前の土地と郊外の土地では、店を造る条件が違う

 国道沿いの商業施設が増えたもう1つの理由は、土地の使いやすさにある。歴史の長い駅前には、細かく分割された土地、小さな店舗、住宅、狭い道路などが複雑に入り組んでいる場合があり、そこへ数千平方mの売り場と数百台規模の駐車場を備えた施設を造ろうとすれば、多数の土地所有者との調整や建物の移転などが必要になることがある。

 これに対して郊外では、まとまった農地、工場跡地などを利用できる場合があり、大きな敷地を確保しやすい。そこへ店舗と平面駐車場を一体的に整備し、幹線道路から直接出入りできる構造にすれば、自動車利用者にとって使いやすい店舗を造ることができる。

 もちろん、すべての駅前で土地が細分化され、すべての郊外で土地を容易に取得できるわけではなく、区画整理が進んだ駅前もあれば、郊外でも農地転用や土地利用規制によって開発が難しい地域があるため、この違いはあくまで一般的な傾向として理解する必要がある。それでも、国が既成市街地の再整備において敷地の共同化や集約化を重要な課題としていることからも分かるように、既存中心市街地の土地を大型商業施設向けに再編するには、郊外の未利用地を開発する場合とは異なる難しさがある。

国道は現代の「駅前通り」になった

 こうして考えると、国道沿いが栄える現象は、昔の駅前商店街とは全く異なる出来事ではないことが分かる。人が集まる交通経路の近くに商業施設が集積するという原理は変わっておらず、人の移動手段が鉄道から自動車へ変わった結果、商業の立地場所も駅前から道路沿いへ移動したのである。

 ただし、国道沿いの店舗をすべて同じものとして扱うこともできず、研究では、広域交通を利用する人を相手にする「通過交通型」のロードサイド商業と、周辺住宅地の住民の日常需要を支える「地域生活型」のロードサイド商業が存在することが示されている。

 幹線国道沿いに並ぶガソリンスタンド、ファミリーレストラン、ホテルなどは、地域住民だけでなく遠方から来る交通を取り込む可能性がある一方、住宅地に近い道路沿いのスーパーやドラッグストアは、その地域で暮らす住民の日常生活に密着している。この2つを区別すると、「なぜ人口の少ない町にも大きな店舗が成立する場合があるのか」が理解しやすくなる。

店の客は、その町の住民だけではない

 大型店舗の経営を考える場合、行政区域の人口だけを見ても十分ではなく、ある町の人口が3万人だったとしても、その店舗へ隣の市町村から車で15分、20分、30分程度で来られるのであれば、実際の潜在顧客は町内の3万人だけではない。

 商業施設が成立するかどうかは、単純化すれば「商圏内に何人いるか」「そのうち何人が来店するか」「どの程度の頻度で利用するか」「1回の買い物でいくら使うか」という組み合わせによって決まる。そのため、自治体人口が少なくても、複数の市町村から交通が集まる国道沿いであれば、比較的大きな商圏が形成されることがある。

 また消費者が店を選ぶときには、距離だけでなく、売場面積、品ぞろえ、価格、営業時間、駐車場、道路からの入りやすさ、周辺店舗の集積などが同時に影響するため、駅前の店の方が直線距離では近くても、駐車場を探す必要があり、複数の店を歩いて回らなければならないのであれば、数km離れた大型商業施設の方が利用しやすいこともある。したがって、商業施設にとって重要なのは単純な距離ではなく、消費者が感じる総合的な移動負担と店舗の魅力度との関係なのである。

「大型店は安いから強い」だけでは説明できない

 郊外型店舗の競争力については、価格の安さだけが注目されがちだが、それだけでは現在の消費行動を十分に説明できず、大型店舗が提供している大きな価値の1つは、商品そのものではなく「時間」である。

 かつての商店街では、魚は魚屋、肉は肉屋、薬は薬局というように、店を移動しながら買い物をすることが普通だったが、スーパーやショッピングセンターでは食品、日用品、衣料品などを同じ場所で購入できる。さらに周辺にドラッグストア、100円ショップ、飲食店、クリーニング店などが集積すれば、1回の外出で複数の用事を処理できる。

 特に共働き世帯や子育て世帯では、買い物に使える時間そのものが限られているため、30分や1時間で複数の用事を終えられることには大きな価値があり、その意味で郊外型商業施設は「商品を売る場所」であるだけでなく、「生活に必要な時間を節約する場所」でもある。

駅前の衰退は、人口減少だけでは説明できない

 地方の駅前商店街が衰退した理由として最もよく挙げられるのは人口減少だが、人口だけでは説明できない地域も多い。同じ自治体の中で駅前の店舗が閉店する一方、国道沿いには新しいドラッグストアやスーパーが開業しているのであれば、地域内の消費そのものが完全に消滅したわけではなく、消費される場所が変わった可能性を考える必要がある。

 実際、地方都市を対象とした都市地理学や都市計画学の研究では、郊外への住宅地拡大、大型商業施設の進出、自動車利用の増加とともに、中心市街地の商品販売額や歩行者通行量が低下した事例が報告されており、駅前商業の衰退と郊外商業の成長が同時に起こり得ることが確認されている。

 ただし、「地方経済が駅前から国道沿いへ移動した」とだけ表現するのも正確ではなく、実際には人口減少によって市場そのものが縮小している地域もあり、所得の変化、インターネット通販の普及、周辺自治体への消費流出なども影響している。そのため、地方都市で起きていることは、地域経済全体の縮小と、残された消費の場所が中心部から郊外へ移動する現象とが、同時に進んでいる場合があると考える方が適切である。

国も「郊外への無秩序な拡散」を問題としてきた

 国道沿いへの大型店舗進出は市場の力だけで自由に進んできたわけではなく、日本の都市計画制度とも深く関係している。特に1990年代から2000年代にかけて、大型商業施設が郊外へ進出し、中心市街地の空洞化が各地で問題となったことから、国は都市機能の無秩序な拡散を抑える方向へ政策を転換した。

 2006年の都市計画法改正では、床面積1万平方mを超える店舗、映画館、アミューズメント施設などの大規模集客施設について、立地できる地域が従来より制限された。これは国自身が、商業施設をはじめとする都市機能が郊外へ無制限に広がれば、道路、公共交通、行政サービスなどを効率的に維持することが難しくなると認識したことを意味する。

 一方、大規模小売店舗立地法は、既存の小規模商店を大型店から直接保護する法律ではなく、大型店の立地によって生じる交通、駐車場、騒音など、周辺の生活環境への影響を調整する制度である。そのため、大型店舗の立地については「中心市街地を守る制度」と「生活環境を調整する制度」を区別して考える必要があり、地方商業の変化は市場原理だけでなく、時代ごとの都市政策にも左右されてきたのである。

自動車社会は便利だが、高齢化すると弱点も現れる

 国道沿いに商業施設が集まる都市構造は、自動車を自由に利用できる住民にとって非常に便利であるが、この仕組みには、多くの住民が自分で車を運転できるという大きな前提がある。

 自宅からスーパーまで数km、病院までさらに数km、市役所や銀行も別方向にあるという地域では、車を運転している間は便利でも、高齢になって免許を返納すると生活の自由度が急激に低下する可能性がある。徒歩では遠く、鉄道駅も近くなく、路線バスの本数も少なければ、郊外型の便利さがそのまま不便さへ変わることもある。

 この問題を背景として、国は現在「コンパクト・プラス・ネットワーク」という考え方を進めており、これは住宅、医療、福祉、商業、行政などの都市機能を一定の拠点へ誘導し、それらを公共交通で結ぶことで、人口減少と高齢化が進んでも生活サービスを維持しようとする考え方である。

 ただし、この政策がそのまま「昔の駅前商店街を復活させる」という意味ではない。鉄道駅が生活拠点になる地域もあれば、病院、市役所、バスターミナルなどを中心として新しい拠点が形成される地域もあり、人口規模や交通網によって最適な形は異なるため、高齢化によって駅前が再び重要になる可能性はあるものの、かつての商店街がそのまま復活するとは限らないのである。

国道沿いが栄えていても、地域経済が強いとは限らない

 ここでもう1つ注意したいのは、国道沿いに多くの店が並び、駐車場が車で埋まっているからといって、その自治体の経済が健全であるとは限らないということである。大型チェーン店の売上が好調でも、仕入れや利益の一部が地域外へ流れることがあり、周辺の小規模商店が減少している可能性もあるうえ、その店舗が隣接自治体から多くの利用者を集めているのであれば、駐車場の混雑だけを見ても、その町の住民所得や人口動向までは分からない。

 反対に、駅前に人が少ないからといって、その町全体の経済活動が消滅しているとも限らないため、駅前という1地点から都市全体を判断するのではなく、住宅地、幹線道路、商業施設、病院、行政施設などを含めて、人とお金がどのように移動しているのかを見る必要がある。

駅前から国道沿いへ~変わったのは町ではなく「人の流れ」である

 地方で駅前より国道沿いの方が栄えている町がある理由を一言で説明すれば、商業の中心を決める「人の流れ」が変わったからである。しかし、その背景には単なる自動車の普及だけではなく、市街地の郊外化、住宅地の拡大、幹線道路の整備、大きな土地を利用しやすい郊外の条件、商圏の広域化、買い物時間を短縮したい消費者の行動、そして都市計画制度の変化が重なっている。

 鉄道中心の時代には駅が人を集約し、その人の流れに沿って商業が集まったが、自動車中心の地方都市では、人々は駅を経由せず、住宅地から職場、学校、病院、スーパーなどを直接結ぶようになり、その移動経路となる国道や主要県道の沿道に商業施設が集積したのである。

 その意味では、国道沿いの商業地は昔の駅前と正反対の存在ではなく、人が通る場所に店が集まるという原理自体はほとんど変わっておらず、人が通る場所だけが駅前から道路へ移動したと考えることができる。

 地方の町を訪れたとき、静かな駅前だけを見て「この町は衰退した」と判断するのは早く、数km先の国道へ出れば、夕方にはスーパーの駐車場へ車が集まり、ドラッグストアでは日用品が売れ、飲食店では家族が食事をしているかもしれない。その光景もまた、その町の現在である。

 そして国道沿いを走っていて、大型店舗の看板が突然連続して現れる場所に出会ったなら、そこを単なる郊外の商業地と見るだけでは少し足りない。その道路には通勤、買い物、通院、子どもの送迎、外食という住民の日常生活が重なっており、現代の地方都市では、駅前のロータリーよりも国道の交差点の方が、その町の暮らしの中心を雄弁に語っている場合があるのである。

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 地方の人口減少を語るとき、私たちはどうしても「住んでもらう」という発想から離れにくい。移住者を増やし、若い世代を呼び込み、子どもの数を増やして地域を維持するという筋書きは分かりやすいが、日本全体の人口が減少している以上、すべての町が同時に定住人口を増やすことはできず、しかも仕事、学校、医療、人間関係まで都市側に築いている人に対して、生活の中心そのものを地方へ移してくださいと求めるのは、本人にとってかなり大きな決断になる。

 しかし、「住民になってもらわなければ意味がない」という前提を外してみると、地方と都市の関係は少し違って見えてくる。月に2度来る人、週末だけ滞在する人、春から秋にかけて頻繁に訪れる人、仕事は都市に残したまま地方にも住まいを持つ人は、住民票を基準にした人口統計には十分現れないかもしれないが、実際には食料を買い、ガソリンを入れ、飲食店を利用し、住宅を維持し、ときには草刈りや修繕を地域の誰かに頼んでいる。

 その1回1回の支出は小さい。それでも、1度だけ訪れて帰る観光客とは違い、同じ人が翌月も、半年後も、数年後も戻ってくるのであれば、そこには「反復される需要」が生まれる。二地域居住の経済的な意味を考えるとき、まず見るべきなのは地域を劇的に変える一人の移住者ではなく、何度も来て少しずつお金を使う人がつくる、小さいけれど繰り返される市場なのである。

「一人増える」より「何回来るか」

 人口政策では「何人住んでいるか」が重要になるが、商売の側から見ると、それだけでは十分ではない。重要なのは、地域を利用する人が1年間に何回来て、そのたびにどれくらいの支出を行い、その支出のうちどれだけが地域内の事業者に届くかということである。

 たとえば説明のための仮定として、ある二地域居住者が月に2回町を訪れ、1回の滞在で食料、外食、燃料、日用品などに5,000円を地域内で使うとする。この場合、1年間の支出は24回掛ける5,000円で12万円となり、同じ程度の利用をする人が百人いれば、年間の地域内支出は1,200万円になる。

 もちろん、これは二地域居住者の全国平均を示した数字ではなく、あくまで経済の仕組みを考えるための仮定である。また、1,200万円の支出がそのまま地域住民の所得として残るわけでもない。スーパーで買った商品の仕入代金は地域外へ出ていき、ガソリンや家電も地域外で生産されていることが多いため、地域で支払われた金額と地域に残る所得は区別して考えなければならない。

 そこで重要になるのが、地域内で発生した支出のうち、どれだけが地域の人件費、利益、地域内仕入れとして残るかという割合である。同じ1,200万円の支出でも、ほとんどの商品を外部から仕入れている店に流れる場合と、地域の人が提供する草刈り、修繕、清掃、飲食、農産物販売などに流れる場合とでは、地域経済への影響はかなり違ってくる。

 二地域居住者の人数だけを数えても、地域への影響は十分に分からない。「何人いるか」に加えて、「年間何回来るか」「1回いくら使うか」「その支出を地域内でどれだけ受け止められるか」を見る必要があり、この三つを分けて考えると、地方における二地域居住の経済的な意味がかなり見えやすくなる。

観光客とも住民とも違う「半分知っている客」

 観光客は、その土地をまだよく知らないため、有名な観光施設や検索で見つけた飲食店を利用しやすい。一方、長く住んでいる住民は地域をよく知っているため、生活上の支出をできるだけ効率的に済ませようとすることが多い。二地域居住者はその中間に位置し、何度も町を訪れるうちに観光客ではなくなるが、完全な日常生活者にもならないという特徴を持つ。

 最初は評判の店を探して歩いていた人が、何度も通ううちに気に入った魚屋やパン屋を見つけ、帰宅前には同じ直売所で野菜を買うようになることがある。その行動が毎月繰り返されれば、1回限りの観光消費ではなく、ある程度予測できる反復需要に変わっていく。

 ただし、ここには注意も必要である。地域に慣れた人が必ず高い商品を買うとは限らず、土地を知るほど安い店や便利な店を選ぶようになることもあるため、二地域居住者は価格を気にしない優良顧客になると単純に考えるべきではない。それでも、店の商品や店主との関係に愛着が生まれれば、価格だけでは説明できない反復利用につながる可能性があり、地域の小さな商売にとって重要なのは、1度に大きな金額を使う客を探すことより、何度も戻ってくる客との接点を失わないことである。

人が来ても、買える場所がなければ消費は生まれない

 二地域居住者が増えれば、その人数に比例して地域の売上も増えると考えたくなるが、現実はそれほど単純ではない。地域に欲しい商品やサービスを提供する店がなければ、食料を都市から持ってきたり、インターネット通販を利用したり、隣の市まで買い物に出たりするため、地域に人が滞在していても、その消費が地元の事業者には届かない場合がある。

 つまり、二地域居住者が持ち込む購買力と、その購買力を地域で受け止める供給力は別の問題であり、「人を呼ぶこと」と「地域でお金を使ってもらうこと」の間には一段階がある。飲食店が閉まる時間が早すぎる、必要なものをどこで買えるのか分からない、住宅の修理を頼める事業者を探せないといった小さな不便が積み重なれば、せっかく地域に持ち込まれた需要は外へ流れてしまう。

 だから二地域居住を経済政策として考えるのであれば、人数を増やすことだけを成果にしてはいけない。重要なのは、外から持ち込まれた需要を地域の商いがどれだけ捕まえられるかであり、その意味では店の存在、営業時間、サービス情報、注文のしやすさ、支払い方法といった、一見地味な条件の方が、華やかな移住促進イベントより実際の消費に直結することがある。

「住んでいない時間」が新しい市場になる

 二地域居住の経済が興味深いのは、飲食や買い物だけではない。むしろ地域にとって特徴的なのは、「そこに住んでいない時間」があるために、定住者とは違ったサービス需要が生まれることである。

 家を持てば草は伸び、湿気はたまり、排水溝には葉が入り、台風のあとには屋根や雨戸が気になる。毎日住んでいる人なら自分で確認できることでも、月に数回しか訪れない人には確認すること自体が難しく、そこで誰かにお金を払って任せる理由が生まれる。

 たとえば月に1度の換気や簡単な清掃、庭の状態確認、郵便物の確認、台風通過後の外観点検、冬期の水道確認、設備の異常確認などは、1件ごとの仕事として見れば小さい。しかし、二地域居住者が一定数集まる場所では、こうした仕事を定期的に束ねることで、一つのサービスとして成立する可能性がある。

 ここで大切なのは、何でも代行する便利屋を始めれば成功するということではない。地方では顧客同士の距離が離れていることが多く、1件3,000円の仕事のために片道30分かけて移動すれば、それだけで採算が崩れてしまうことがあるため、小さな需要を商売にするには、その需要を地理的に束ねなければならない。

地方の商売では「顧客数」より「顧客密度」が効く

 二地域居住者向けサービスの成否を考えるうえで、人数以上に重要になるのが顧客密度である。百人の顧客が広い町全体に散らばっている場合と、同じ百人が一つの住宅地や別荘地に集中している場合では、売上の総額が同じでも利益は大きく異なる。

 1日に十軒を回れる地域と、1日に三軒しか回れない地域では、1件当たりの料金が同じでも事業者の収益性は変わるため、地方の生活サービスでは「市場人口が何人いるか」という問いだけでは十分ではない。「1時間で何人の顧客に会えるか」「1回の移動で何件処理できるか」という視点が必要になる。

 このため二地域居住者を対象とする小規模サービスには、町全域を広く取りに行くより、二地域居住者が比較的多い住宅地や別荘地など、狭い範囲にサービスを集中させる方が向いている。人口減少地域の新しい商売では、大規模な市場を探すことより、散らばっている小さな需要を採算の取れる密度まで束ねられるかどうかが重要になるのである。

「歓迎します」だけではお金は動かない

 二地域居住や関係人口を推進するとき、自治体や地域団体は交流会、イベント、移住相談会といった人間関係をつくる施策を考えやすい。しかし、人と人がつながることと、その地域で継続的な経済活動が生まれることは同じではない。

 二地域居住者が本当に困るのは、住宅に着いたら庭が荒れていたとき、夕方に食料を買える場所が分からないとき、壊れた網戸を誰に頼めばよいのか分からないとき、台風のあとに屋根が心配だが遠くにいて確認できないときである。こうした問題は一つ一つが小さいため行政課題として目立ちにくいが、商売の視点で見ると、小さいからこそ全国企業が参入しにくく、地域の個人事業者や小規模事業者が扱える余地が残っている。

 町が二地域居住者を増やしたいのであれば、「この町を好きになってください」と呼びかけるだけでは十分ではない。「困ったときには誰に頼めるのか」「何をどこで買えるのか」「留守中に何を任せられるのか」が分かる仕組みを整えることで、地域に持ち込まれた購買力が実際の商売へ変わりやすくなる。

月3,000円のサービスは商売になるのか

 二地域居住者向けの小さなサービスを考えるとき、売上と利益を分けて考える必要がある。仮に一人から月3,000円を受け取り、百人の顧客がいれば、月間売上は30万円、年間売上は360万円となる。

 しかし、ここから車両費、燃料費、保険、通信費、消耗品、決済費用、広告費、移動時間などを負担しなければならないため、360万円すべてが所得になるわけではない。二人分の生活を支える専業事業として考えれば十分な規模とは言いにくいが、一人で運営する小規模事業、副業、あるいは造園、清掃、修繕、不動産管理など既存事業の追加サービスとして考えるなら、意味を持つ可能性がある。

 ここでも重要なのは、1件当たりの売上を無理に高くすることではなく、同じ移動の中で複数の顧客を回れるかどうかである。月3,000円という小さな支払いでも、百軒が狭い地域に集まれば事業になる可能性がある一方、十軒ずつ十地区に散らばれば、同じ売上でも移動費によって利益が消えることがある。

 地方で新しい商売を考えるとき、「何人買ってくれるか」だけを見るのではなく、「その人たちはどこにいるのか」という問いを加える必要があるのは、このためである。

二地域居住は、必ず地域を豊かにするわけではない

 二地域居住には経済的な可能性があるが、それを無条件に地域にとって良いものだと考えるのも危険である。外部から住宅需要が増えれば、地域によっては土地や住宅の価格を押し上げ、地元で暮らす若者やサービス業従事者が住宅を取得しにくくなる場合もある。

 とくに住宅供給が少なく、観光需要の強い地域では、二地域居住や別荘需要が地元住民の住宅需要と競合する可能性がある一方、空き家が多く、住宅需要が弱い地域では、使われなくなった住宅を維持し、固定資産の価値を保つ方向に働くこともある。同じ二地域居住でも、住宅が不足している地域と空き家が余っている地域では意味がまったく異なるため、一つの成功例を全国へそのまま当てはめることはできない。

 また、地域内に十分な店や事業者がなければ、二地域居住者が持ち込んだ支出の多くが地域外へ流れる可能性もある。したがって、二地域居住そのものを経済効果と考えるのではなく、住宅市場の状況、地域の商業構造、顧客密度、地域内で供給できるサービスの種類まで含めて考える必要がある。

地方に必要なのは「大当たり」ではない

 人口減少地域で新しいビジネスを考えるとき、全国から顧客を集められる商品や、急成長する事業が理想として語られやすい。しかし、そのような事業が生まれる確率は高くなく、地方の小さな経済では、すでに地域を利用している人たちの未処理の需要を見つけ、少額でも繰り返し購入してもらう方が現実的な場合が多い。

 一人の顧客から年間数万円しか得られなくても、その顧客が百人、二百人と一定の範囲に集まり、しかも翌年も利用し続けるなら、1度きりの大型契約とは違った安定性が生まれる。市場が小さいことは弱点だが、その市場が小さすぎるため大企業が入りにくく、地域の小規模事業者には競争が少ない市場として残る場合もある。

 ただし、その小さな市場を見つけるには、「地方だから何か需要があるだろう」と考えるのではなく、誰が、何に困り、何回必要とし、いくらなら払い、どの地域に集まっているのかまで確かめる必要がある。二地域居住者という言葉そのものが商機なのではなく、その人たちが繰り返し経験する具体的な不便の中に商機があるのである。

「町を救う人」にしない

 地方政策では、人に役割を背負わせすぎることがある。移住者には自治会活動への参加を求め、若者には地域を変えることを期待し、起業家には雇用創出を期待するうちに、二地域居住者にも「地域を活性化してくれる人」という役割が与えられかねない。

 しかし、月に2度やって来る人は、その町を救うために来ているわけではない。海が好きだから来る人もいれば、小さな畑を楽しみたい人もいて、都会とは違う静かな時間を過ごしたいだけの人もいる。その人に地域貢献を要求する必要はなく、町へ来て、食事をし、必要なものを買い、家の手入れを地域の誰かに頼み、また都市へ戻っていけばよい。

 その往復が何年も続けば、一人の生活の中にその町が組み込まれていく。住民票はなくても、いつものスーパーがあり、いつもの飲食店があり、頼めば来てくれる職人がいて、道ですれ違えば挨拶する人がいるという関係が生まれれば、それはもはや単なる観光ではない。

 町の側から見れば、その人が使う1回数千円のお金は小さい。しかし、その数千円が年に20回、30回と繰り返され、同じような人が百人、二百人と存在すれば、それは一つの市場になる可能性がある。ただし市場になるかどうかを決めるのは人数だけではなく、来訪頻度、支出額、地域内で支出を受け止める割合、そして顧客同士の距離である。

 人口減少の町を一気に反転させるほどの力は、二地域居住にはないだろう。しかし、それは弱点ではない。人口減少の時代に必要なのは、すべてを元に戻す巨大な政策だけではなく、減っていく需要の隙間に小さな需要を差し込み、それを地域の商いへ変える仕組みでもある。

 二地域居住者は町を救わなくてもいい。月に何度かやって来て、昼を食べ、野菜を買い、ガソリンを入れ、伸びた草を刈ってもらい、壊れた雨戸を直してもらい、また翌月戻ってくる。その何でもない往復の中で、一つの店の売上が少し増え、一件の仕事が生まれ、使われなくなるはずだった住宅がもう少し長く維持されるなら、それだけでも地域経済にとって意味がある。

 地方の未来は、必ずしも劇的な人口増加によって始まるとは限らない。ときには、住民でも観光客でもない人が月に数回来るという、統計では見えにくい生活の往復から、小さく、静かで、それでも繰り返される経済が始まるのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 地方の町を歩いていると、ときどき時間から取り残されたようなものに出会う。庭先には最近ほとんど動いていない軽トラックがあり、道路沿いには何年もシャッターの上がらない倉庫があり、大きな住宅には子どもが独立したあとの部屋がそのまま残っている。それらは壊れているとは限らず、価値がなくなったとも限らないのだが、現在の暮らしや経済の中では役割を失い、ただ静かにそこに置かれている。

 人口が増え、消費も拡大していた時代なら、新しい商売を始めるときに店舗を借り、車を買い、設備をそろえることは自然な選択だった。しかし人口が減り、地域の市場そのものが縮んでいく時代には、同じ方法をそのまま採用することが合理的とは限らない。まだ売上が一円もない段階から家賃や設備費を負担すれば、商売が軌道に乗る前に固定費だけが積み上がるからである。

 そこで、発想を少し反対側から始めてみたい。新しい設備を買って商売を作るのではなく、すでに町の中にあるのに使われていないものを、別の仕事へ移すことはできないだろうか。

人口減少の町には「不足」と「余剰」が同時に存在する

 人口減少地域について語るとき、病院が足りない、店が減った、交通が不便になった、人手が足りないという「不足」に目が向きやすい。しかしその反対側では、住宅、部屋、車、倉庫、店舗、農機具、駐車場など、かつて人口や産業を支えるために用意された資産の一部が余り始めている。

 住宅については、この変化がすでに大きな数字になって現れている。2023年の住宅・土地統計調査では、全国の空き家は約900万戸、空き家率は13.8%に達し、賃貸用、売却用、別荘などを除いた空き家だけでも約386万戸に上る。もちろん、空き家と軽トラックや倉庫を同列に数えることはできず、地方に使われていない軽トラックが何台あり、利用可能な倉庫がどれほどあるかを示す全国統計が十分にそろっているわけでもない。それでも、既存の資産が利用されないまま残るという現象が拡大していること自体は、単なる印象論ではない。

 ここで重要なのは、こうした資産を「宝の山」と呼んでしまわないことである。使われていないものに潜在的な価値があることと、その価値を実際に売上へ変えられることは別の問題であり、むしろその間にある条件を一つずつ確認していくところから商売は始まる。

軽トラックは、小さな店になるのか

 たとえば、農作業を縮小したため月に数回しか動かさなくなった軽トラックがあるとする。中古車として売却すればそこで役割は終わるが、別の見方をすれば、商品や道具を積んで移動できる小さな事業所でもある。

 固定店舗の場合、基本的には客が店まで来なければならず、周辺人口が減れば商圏内の顧客数も減る。一方、移動する商売では、月曜日は集落A、火曜日は集落B、水曜日は集落Cというように複数の小さな需要を一つの事業者が束ねることができるため、一つの集落だけでは成立しない商売が、複数地域を巡回することで成立する可能性が生まれる。

 これは机上の発想だけではない。高齢化や単身世帯の増加、地域の小売店の廃業などによって食料品の購入に不便を感じる人の存在は、国も食品アクセスの問題として認識しており、全国の多くの自治体で移動販売などの対策が行われている。

 ただし、ここで「軽トラックがあれば移動販売ができる」と考えると危ない。島根県雲南市で長期間続いている移動販売の事例でも、事業開始当初には一日に100戸以上を回って売上が3,000円程度しかない日があり、半年ほどかけて顧客の需要を把握し、販売ルートや商品構成を改善している。現在では複数台の車両で事業を継続できているが、その背景には一台ごとの販売目標、顧客需要、商品原価、巡回経路を細かく管理する経営がある。

 つまり、移動できること自体が利益を生むのではない。店舗の家賃という固定費を小さくできる代わりに、燃料費、車両整備費、移動時間、人件費という別の費用が発生するため、「動けば客が増える」のではなく、「移動に要する費用よりも大きな利益を生む需要を一つのルート上に集められるか」が問題になる。

商売になるかどうかは「人口」より需要密度で決まる

 この違いは、簡単な数字にすると見えやすい。

 仮に一日の移動、人件費、車両費などとして1万7,000円程度が必要で、販売する商品の粗い利益率を30%と考えた場合、その費用を回収するだけでも一日約5万7,000円の売上が必要になる。一人の客が平均2,000円購入するとすれば、およそ29人の購入者を一日の巡回経路で確保しなければならない。

 もちろん実際の経費や利益率は業種によって大きく異なるので、この数字自体が基準なのではない。大切なのは、人口が何人いるかだけで商売の成立性を判断できないということである。人口5,000人の町であっても、そのうち30人が一定の距離と時間の中で継続的に購入してくれれば成り立つ仕事がある一方、人口2万人の地域でも客が広く散らばり、一人当たりの購入額が低ければ採算は取れない。

 したがって、地方の小さな商売で本当に測るべきものは、単純な人口ではなく、「一定時間、一定距離の中で、料金を払う意思のある客を何人集められるか」という需要密度なのである。

軽トラックから考えるのではなく、不便から考える

 この順序を間違えると、遊休資産活用は失敗しやすい。余っている軽トラックを見つけてから「これで何を売ろうか」と考えるのではなく、先に町の中で誰が何に困り、どの程度ならお金を払うのかを探し、その解決手段として軽トラックが使えるかどうかを考えるほうが合理的である。

 買い物へ行くのが難しい人がいるのなら移動販売が候補になり、重いものを運べない人がいるのなら運搬サービスが候補になり、庭や空き家の片づけに困っている人がいるのなら道具を積んだ生活支援サービスが候補になる。しかし困っている人がいることと、料金を払う人がいることもまた同じではないため、「困っていますか」という質問だけでは事業性を判断できず、「この内容なら、いくらまでなら継続して支払うか」というところまで確かめる必要がある。

 町の中の不便と支払意思を先に探し、そのあとに余っている資産を組み合わせる。この順番を守るだけでも、「車はあるが客はいない」「倉庫を借りたが商品が売れない」という失敗をかなり減らせる。

倉庫には、町の人口とは別の可能性がある

 農機具が減って半分以上空いている納屋、廃業した商店の倉庫、家業をやめたあとの作業場なども、外から見れば古い建物にすぎないが、事業を始めようとする人から見ると別の意味を持つことがある。

 商品の保管、通信販売商品の梱包、工具の収納、農産物の仕分け、小規模な修理や加工などには、必ずしも人通りの多い一等地の店舗は必要ない。都市部に比べて低い費用で利用できる倉庫が見つかれば、それは地方で事業を行う一つの強みになり得るが、地方なら必ず安いというわけではなく、立地、建物の状態、電力設備、道路への接続条件などによって価値は大きく変わる。

 ここで面白いのは、倉庫を使った事業では、必ずしも町の住民だけを客にする必要がないことである。インターネットを通じて全国へ商品を販売する仕事であれば、事業所が人口一万人の町にあっても、市場そのものが一万人に限定されるわけではない。

 人口減少地域の商売には、大きく分けて地域内の需要を取りに行く仕事と、地域にある低コストの資産を利用して地域外から売上を持ってくる仕事がある。前者では需要密度が大きな制約になるが、後者では物流費、送料、仕入れ、生産性などのほうが重要になるため、同じ遊休倉庫でも事業モデルによって価値はまったく異なる。

空き部屋は「空いている」のに市場へ出てこない

 住宅の空き部屋は、さらに興味深い。

 子どもが独立し、夫婦二人で大きな住宅に暮らしている家庭では、二階の一室や二室をほとんど使っていない場合がある。それなら、その部屋を事務所や教室に使えばよいと考えたくなるが、現実にはそれほど簡単ではない。

 空き家に関する国の調査でも、使用目的の明確でない空き家の所有者の約4割は、今後も物置を含めて空き家として所有しておく意向を示している。つまり、物理的に空いていることと、経済活動のために他人へ貸せることは同じではない。

 住宅の一室であれば、玄関、トイレ、駐車場、騒音、防犯、家族の生活時間、事故が起きた場合の責任など、倉庫以上に多くの問題が発生する。そのため所有者から見れば、月に数千円や一万円程度の収入を得るために生活上の不安を抱えるくらいなら、使わないままにしておいたほうがよいという判断も十分合理的である。

 それでも利用頻度を抑え、利用者を限定すれば使える可能性は残る。毎日不特定多数が訪れる店舗ではなく、予約制の相談室、少人数の教室、事務作業をする場所などであれば、所有者側の負担を小さくできる場合がある。しかし飲食、宿泊、福祉、医療など、法令や安全基準が関係する用途では、単に部屋が空いているだけでは事業を始められず、建物の用途、安全設備、許認可、保険などを個別に確認しなければならない。

「無料だから安い」という錯覚

 遊休資産を利用する商売には、もう一つ注意すべき点がある。それは取得価格と利用コストを混同しないことである。

 長期間動かしていない軽トラックなら、車両そのものが無料でも車検、タイヤ、バッテリー、修理、自動車保険などに費用がかかる。古い倉庫なら家賃がほとんどなくても、雨漏り、照明、電気設備、防犯、清掃、害虫対策などが必要になるかもしれず、住宅の空き部屋なら利用者の安全確保や家族との生活動線を整えるための改修が必要になる場合もある。

 したがって、遊休資産の本当の価値は「無料で使えること」ではない。新品を購入したり、通常の店舗を借りたりする場合に比べて、事業開始時の固定費と撤退時の損失をどこまで小さくできるかにある。

固定費を下げる意味は、損益分岐点を下げることにある

 ここは、小さな商売を考えるうえで最も重要な部分かもしれない。

 商売には、ほとんど売れなくても発生する固定費と、売上に応じて増える変動費がある。利益がちょうどゼロになる売上を損益分岐点売上高といい、おおまかには「固定費を限界利益率で割った金額」で考えることができる。

 仮に店舗を借りて始める事業の固定費が月18万円、売上から商品の仕入れなどを引いた限界利益率が35%なら、損益分岐点となる売上は月約51万円になる。一方、遊休倉庫や既存設備を利用して固定費を月6万円まで下げられれば、同じ35%の限界利益率なら損益分岐点は月約17万円まで下がる。

 これは単なる節約ではない。月51万円売らなければ生き残れない商売と、月17万円で損益が均衡する商売では、必要となる地域人口も顧客数もまったく違う。

 実際、小規模企業は大企業や中規模企業に比べて損益分岐点売上高が低く、人口の少ない地方でも商圏を支え得る一方、売上高に対する損益分岐点の割合は高く、売上が少し減っただけでも赤字になりやすいという弱点を持っている。つまり「小さく始めれば安全」というほど単純ではなく、固定費を抑えることと同時に、売上が少し減っても耐えられる余白を残す必要がある。

本当の商品は、倉庫や部屋ではないかもしれない

 ここまで考えると、もう一つ違う商売が見えてくる。

 軽トラックを使いたい人と、ほとんど使わなくなった軽トラックを持っている人。荷物を置きたい人と、倉庫の三分の一だけ余らせている人。週一回だけ相談室を使いたい人と、住宅の一室を持て余している人。その両者が同じ町にいたとしても、お互いの存在を知らなければ何も起こらない。

 そこで価値を持つのが、遊休資産そのものではなく、それを安心して使える状態に変える仕組みである。

 ただし、ここでも「マッチングすれば商売になる」と飛躍してはいけない。遊休資産が市場へ出ない理由には、所有者と利用者の信頼関係だけでなく、相続、権利関係、建物の老朽化、改修費、将来自分で利用する可能性、税金、事故責任、感情的な抵抗など多くの事情がある。したがって、遊休資産が動かない原因を単純に「貸し手と借り手を結ぶ人がいないから」と説明することはできない。

 しかし裏返せば、誰が、何のために、いつ、どの範囲を利用し、破損した場合はどうするのかという条件をあらかじめ整理し、所有者の不安を減らすことができれば、これまで市場へ出なかった小さな余剰が利用可能になる可能性はある。

「全部借りる」から「必要な分だけ使う」へ

 従来の不動産市場では、倉庫なら倉庫一棟、店舗なら店舗一室、住宅なら住宅一戸という単位で貸すことが一般的だった。しかし人口が減り、事業規模も小さくなる地域では、その単位自体が大きすぎることがある。

 月五万円の店舗を一軒借りるほどではないが、週に一日なら使いたい人がいる。倉庫を一棟借りるほどではないが、棚二列分なら必要な人がいる。軽トラックを所有するほどではないが、毎週水曜日だけ必要な人がいる。

 大きな需要が減る社会では、需要を諦めるのではなく、利用単位を小さくすることで市場そのものを作り直せる可能性がある。部屋一室、倉庫の一角、車を一日という単位へ細かく分けることで、「借りるほどではない」と市場から消えていた需要が表面に出てくるからである。

 ただし、小分けにすればするほど予約管理、鍵の受け渡し、清掃、保険、契約、料金回収といった管理費用は相対的に重くなる。そのため、細分化そのものが利益を生むのではなく、その管理コストをどこまで低くできるかが事業性を左右する。

最初から立派な「事業」にしない

 地方で新しい商売を考えるとき、多くの失敗は需要を確認する前に形を整えすぎるところから始まる。店名を決め、看板を作り、車を買い、店舗を改装し、広告を出してから客を探すという順番では、客が来ないことが分かった時点ですでに多くの資金を使っている。

 遊休資産を利用する最大の意味は、ここを逆転できることにある。軽トラックが使えるなら週一日だけ試し、倉庫なら一角だけ借り、空き部屋なら月二回だけ利用してみる。その結果、客が何人来たのか、一人当たりいくら払ったのか、再び利用した人が何人いたのか、移動や準備に何時間かかったのかを記録し、数字が合わなければ大きな損失を抱える前にやめる。

 人口減少地域では、大きく当てることより、大きく外さないことのほうが重要になる場合がある。遊休資産とは、その意味で単に安い設備なのではなく、少ない資本で商売の仮説を試すための実験装置なのである。

町に眠っているのは「資産」ではなく「組み合わせ」かもしれない

 地方の町には、人口減少という厳しい現実がある。だからといって、使われていない軽トラックを一台見つけたところで人口が増えるわけではなく、空き倉庫を開けたところで突然大きな市場が生まれるわけでもない。

 それでも、人口減少によって生まれるものは不足だけではない。住宅が余り、部屋が余り、車が余り、仕事に使われなくなった場所が増える一方で、高齢化によって買い物、運搬、片づけ、移動、生活支援など新しい不便も生まれている。

 この「余っているもの」と「足りなくなったもの」が同じ町の中に存在するところに、小さな商機がある。

 ただし両者を結んだだけでは商売にはならず、そこには支払意思、需要密度、利益率、移動距離、改修費、管理費、所有者の意思、安全性という条件が立ちはだかる。その数字を一つずつ確認して、それでも利益が残るときに初めて、眠っていた資産は事業資産へ変わる。

 だから、地方に眠る資産を「宝の山」と呼ぶ必要はない。実際には使えないものも多く、使えても儲からないものもあり、所有者が貸したくないものもある。それでも、新しい店舗を建て、新しい車を買い、新しい設備を一式そろえることだけが商売の出発点ではないと分かれば、町を見る目は少し変わってくる。

 庭先に止まっている軽トラックも、シャッターの下りた倉庫も、使われなくなった二階の部屋も、それだけでは一円も生まない。しかし、その近くに料金を払ってでも解決したい不便があり、その不便を低い固定費で解決できる方法があり、客を一定の密度で集められるなら、それまで経済から外れていたものが、もう一度仕事の中へ戻ってくる可能性がある。

 人口が増えない町で次の商売を探すことは、何もないところから画期的な商品を発明することだけではない。すでに町の中に存在しながら、需要と結びついていないものを見つけ、それをなるべく小さな費用で試し、数字を確かめながら仕事へ変えていくこともまた、新しい商売をつくる方法なのである。

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 地方を歩いていると、ときどき時間だけが置き去りにされたような家に出会う。雨戸は閉じられ、庭木は少しずつ道路へ枝を伸ばし、かつて家族が出入りした玄関には人の気配がない。朝になればカーテンが開き、夕方には台所の明かりがともった家だったはずなのに、人が住まなくなった瞬間から、その家は生活を支える場所ではなく、固定資産税、草刈り、修繕、見回りといった費用や手間を所有者に要求する存在へと変わっていく。

 「空き家は負債だ」という言葉には、それなりの根拠がある。総務省の2023年住宅・土地統計調査では、全国の空き家は約900万戸に達し、空き家率は13.8%と過去最高になった。賃貸用や売却用、別荘などを除いた空き家も約385万戸に上り、もはや一部の過疎地域だけの特殊な問題とは言えない。さらに国土交通省の空き家所有者に関する調査を見ると、維持管理に年間数万円から十数万円以上を支出している所有者も珍しくなく、建物を使っていなくても費用は消えないという現実がある。

 売ろうとしても買い手がつかず、貸そうとしても借り手が現れず、解体しようとすればまとまった費用が必要になる。相続した所有者が遠方に住んでいれば、年に何度か様子を見に行くだけでも時間と交通費がかかり、屋根や外壁が傷めばさらに出費が増える。適切に管理されない状態が続き、自治体から一定の勧告を受ける段階に至れば、土地に対する固定資産税の住宅用地特例が受けられなくなる可能性まであるため、「何もしない」という選択にも費用とリスクがある。

 それでも、一つ考えてみたい。売れない家は、本当に「何の価値もない家」なのだろうか。

売却価格と利用価値は、同じものではない

 不動産の世界では、どうしても売却価格が価値の中心に置かれる。三千万円で売れる家と三百万円でも買い手がつかない家を比べれば、前者のほうが市場価値が高いことは疑いようがない。しかし、市場でいくらの値段がつくかということと、その場所が誰かの役に立つかということは、本来別の問題である。

 駅から遠く、築年数が古く、住宅としては人気がなくても、雨をしのげる屋根があり、荷物を置ける床があり、車を止められる土地があり、電気や水道が残っているなら、そこにはまだ機能が残っている。住宅として一千万円で売れないからといって、物を保管する場所としても、短時間作業する場所としても、まったく価値がないとは限らないのである。

 ここで重要なのは、「一戸建て住宅」という一つの完成品としてだけ建物を見ないことである。家には住むという機能のほかにも、物を保管する、作業する、車を置く、雨を避ける、短時間滞在する、誰かと会うといった複数の機能が重なっている。住宅市場では評価されなくなった家であっても、そのうち一つの機能だけなら誰かの不便を解消できる可能性がある。

 経済的に言えば、資産全体の市場価値が低いことと、そこに含まれる個々の機能の利用価値がゼロであることは同義ではない。売れないことと、役に立たないことは違うのである。

「家一軒」を売ろうとするから難しくなる

 地方の空き家問題では、「どうすればこの家を売れるか」「移住者に貸せないか」という議論が繰り返される。それ自体は必要だが、人口が減り、世帯数も縮小している地域では、住宅の供給数に対して居住需要そのものが足りないことがある。そのような地域で広告だけを工夫しても、すべての空き家に新しい居住者を見つけることはできない。

 そこで、「一軒の家を一人の新しい住民に使ってもらう」という発想から少し離れてみる。乾燥していて鍵が掛かる一室なら、資材や季節用品を置く場所として使えるかもしれない。車庫や庭に余裕があれば、道具や自転車などの保管場所として価値を感じる人がいる可能性もある。静かな部屋が残っていれば、毎日ではなく週に一度だけ仕事をする場所を欲しがる人がいるかもしれない。

 ただし、ここでは「いるはずだ」と決めつけてはいけない。月三千円なら借りる人がいる、月五千円なら物置として需要があるという数字は、全国どこでも通用する法則ではない。地域によって人口構成、所得、住宅の広さ、土地価格、道路事情、既存の貸倉庫の有無が異なるため、小さな利用需要が実際に存在するかどうかは、その地域ごとに調べなければならない。

 したがって、ここで述べる小口利用は「すでに成立している普遍的な市場」ではなく、「検証する価値のある仮説」と考えたほうがよい。

月三千円の価値を探す

 空き家活用という言葉には、ときに大きな成功を期待させる響きがある。古民家を改修して人気店にする、宿泊施設に変える、観光拠点にするといった事例は目を引くが、日本に存在する膨大な空き家のすべてを、そのような華やかな施設に変えることは現実的ではない。

 そこで考え方を変え、その家から月十万円を生み出せるかではなく、まず月三千円、五千円、一万円を払ってでも使いたい人がいるかを調べてみる。

 月三千円なら年間三万六千円、月五千円なら年間六万円、月一万円なら年間十二万円になる。これは不動産投資として見れば小さな数字だが、すでに所有していて、売却も難しく、維持費だけが発生している空き家なら意味は変わる。

 たとえば年間八万円の維持管理費がかかっている家から年間六万円の利用料が得られれば、それだけで負担のかなりの部分が軽くなる。ただし、ここから鍵の交換、保険、修繕、契約、清掃、募集、見回りといった追加費用が発生するため、六万円の収入がそのまま六万円の利益になるわけではない。

 空き家の小口利用を数理的に考えるなら、見るべきなのは単純な家賃ではなく、年間利用料に利用者が担う管理による費用削減を加え、そこから追加修繕費、保険料、募集費、契約費、管理費、空室による損失を差し引いた後に、どれだけ所有者の経済状態が改善するかである。

 つまり、この仕組みの成否を決めるのは「いくらで貸せるか」だけではなく、「一件の利用を成立させるための追加コストをどこまで小さくできるか」なのである。

一万円を稼がなくても、五千円損失を減らせればよい

 ここでは、空き家を収益物件に変えることだけを成功と考える必要はない。毎月一万円かかっていた負担を五千円まで減らせれば、所有者の家計は毎月五千円、年間では六万円改善する。

 これは一見地味だが、すでに売却が難しい資産を持っている人にとっては重要である。不動産投資では、物件価格に対してどれだけ賃料収入を得られるかが注目されるが、既存の空き家の場合、目的を「利益最大化」ではなく「負のキャッシュフローを縮小すること」と定めてもよい。

 たとえば利用者が定期的に出入りするため建物の異常に早く気づけるようになり、庭の一部を管理してくれ、さらに少額の利用料まで支払ってくれるなら、その経済効果は賃料だけでは測れない。空き家を立派な収益物件に変身させなくても、「負債としての速度を緩める」ことには十分な意味がある。

安ければ借りる、とは限らない

 ただし、月額料金を下げれば需要が必ず生まれるわけではない。

 月千円の物置でも、自宅から車で三十分離れているなら利用者にとって本当に安いとは言えない。往復の燃料代がかかり、一時間近く時間を使い、荷物を取りに行くたびに移動しなければならないからである。

 利用者が感じる実質的な負担は、月額料金だけではなく、交通費、移動時間、出入りのしにくさ、駐車のしやすさ、建物の安全性などを合わせたものになる。経済学的には、こうした金銭以外の負担まで含めて利用を判断するため、地方では価格以上に「距離」が需要を左右する場合がある。

 したがって、「安くすれば使う人が現れる」という単純な話ではない。その場所から何分圏内に利用候補者が存在し、その人が何のために、どの程度の頻度で場所を使うのかまで考えなければならない。

空き家の数より、困っている人の数を見る

 ここで、空き家活用を考えるうえで重要な逆転が起きる。

 多くの空き家対策では、「この地域には何軒の空き家があるか」という供給側の数字が先に語られる。しかし、商売として考えるなら、本当に知るべきなのは「場所がなくて困っている人が何人いるか」である。

 空き家が百軒あっても、利用したい人が一人しかいなければ市場はほとんど成立しない。一方、空き家が十軒しかなくても、周辺に資材置き場を求める小規模事業者や、趣味の作業場所を探している人、季節用品を保管する場所を欲しがる人などが一定数存在すれば、小さな市場が成立する可能性はある。

 国土交通省の空き家所有者に関する調査でも、賃貸や売却を考える所有者にとって、建物の傷みと並んで「借り手や買い手の少なさ」が大きな課題となっている。これは、空き家が存在すること自体が市場をつくるのではなく、その地域に有効な需要が存在して初めて取引が成立することを示している。

 空き家問題を商機として見るなら、空き家の戸数を数えるだけでは足りない。需要があり、支払う意思があり、現実的な距離の中に利用者がいて、さらに契約や管理の費用を支払っても収支が成立するかどうかまで確認する必要があるのである。

高額な改修から始める危うさ

 空き家再生の成功例として紹介される建物には、美しいものが多い。古い梁を生かした天井、広い土間、しゃれた照明、磨かれた木の床が写真に映れば、「空き家が生まれ変わった」という物語は分かりやすい。

 しかし、事業として見るなら、美しいことと採算が取れることは別である。

 市場価値が三百万円程度しかない地域の住宅に五百万円を投じて改修しても、それだけで物件価値が八百万円になるとは限らない。さらに店舗や施設として使うなら、改修費を回収できるだけの利用者と売上が必要になる。

 他の条件が同じなら、地域住民を主な顧客とする事業では、人口三千人の町と人口三十万人の都市で潜在的な顧客数には大きな差が生じる。ただし、観光客が大量に訪れる地域や、インターネットを通じて地域外から売上を得る事業などでは、地域人口だけでは需要を判断できないため、人口規模だけで事業性を決めることも危険である。

 だからこそ、地方の空き家では「きれいにする前に使い道を確かめる」という順番が大切になる。

 誰が使うのか分からないまま数百万円を投じるのではなく、「現在の状態ならいくらで使うか」「床を直せば使うのか」「電気があれば十分なのか」と利用候補者に確かめてから、必要な部分だけに資金を投じる。利用者が求めていない設備まで整えないことで、需要が外れた場合の損失を小さくすることができる。

 人口が減る地域で重要なのは、建物を豪華にすることではなく、需要が確認できるまで大きな固定費を抱えないことである。

空き家を商売にするのではなく、困りごとと結びつける

 ここに、小さな商機が生まれる可能性がある。

 所有者の側には、「売れない」「貸せない」「管理が面倒」という問題があり、利用者の側には、「倉庫を一棟借りるほどではないが少し場所が欲しい」「週に一度だけ作業できる場所があれば助かる」といった小さな需要が存在するかもしれない。

 この二つは、従来型の不動産市場では出会いにくい。月数千円程度の契約では、現地確認、募集、問い合わせ対応、契約書作成、鍵の受け渡しなどにかかる手間に対して、一件当たりの収益が小さくなりやすいからである。

 そのため、「大手企業には商売にならない」と単純に断定するより、従来型の仲介手数料を中心とした仕組みでは、小額契約ほど取引コストの比率が高くなりやすいと考えたほうが正確である。

 逆に言えば、契約や管理を標準化し、一人の担当者が近接した複数物件を扱い、一件当たりの管理時間を十分に減らせるなら、小さな需要を束ねる事業が成立する余地はある。ただし、これは理論上の可能性であり、実際に利益が出るかどうかは、地域ごとの物件密度、利用者密度、移動時間、管理時間などを測定しなければ判断できない。

「仲介すればよい」ほど簡単ではない

 もう一つ、空き家を使った小規模事業を考える際に忘れてはならないのが法制度である。

 空き家所有者と利用者を結びつけ、建物の貸借について反復継続して有償で代理や媒介を行う場合、その事業形態によっては宅地建物取引業法の対象となり、宅地建物取引業の免許が必要になる。

 したがって、「地域の空き家を見つけて利用者を紹介し、手数料を受け取ればよい」というほど単純ではない。実際に事業化するのであれば、宅地建物取引業者と連携するのか、自ら免許を取得する必要があるのか、あるいは別の契約構造にするのかを専門家と確認しなければならない。

 また、住宅として使われてきた建物を作業場、店舗、教室、宿泊施設などに変える場合には、用途や規模、場所によって建築基準法、都市計画法、消防関係法令、衛生関係の規制などが関係する場合がある。市街化調整区域のように土地利用に強い制約がある地域もあり、「空き家だから自由に使える」と考えるのは危険である。

 小さな商売であるほど、法律まで小さくなるわけではない。

「使わないほうがよい空き家」も確実に存在する

 ここまで読むと、どの空き家にも工夫すれば使い道があるように感じるかもしれない。しかし、現実には活用しないほうがよい家もある。

 構造上危険な建物、雨漏りや腐食が著しい建物、車両が入れない土地、権利関係が複雑な物件、相続人が多数存在して意思決定できない住宅などでは、小規模利用であっても費用やリスクが利用価値を上回る可能性が高い。

 仮に年間六万円の利用料が得られても、安全確保のために数十万円の修繕が必要なら、短期間では収支が合わない。さらに数年後に大規模修繕や解体が必要になるなら、利用を続けることで問題を先送りしているだけになることもある。

 空き家を活用すること自体を目的にしてはいけない。使う価値がある家は使い、使わないほうが合理的な家は撤去も含めて判断するという区別が必要である。

「家」ではなく、地域に余った場所として見る

 人口が増えていた時代には、土地も住宅も不足していた。家を建てるには土地を買い、事業を始めるには店舗を借り、商品を保管するには倉庫を契約しなければならず、場所そのものが希少な資源だった。

 ところが人口が減る地域では、その関係が少しずつ逆転する。人よりも場所のほうが余り始める。

 これは地域経済にとって深刻な問題である一方、場所を必要とする新しい仕事から見れば条件の変化でもある。都市では高い家賃が障害となって試せなかった小さな事業でも、場所の利用コストを極端に低くできれば試験的に始められる可能性がある。

 ただし、ここでも「空き家があるから何かを始める」という順番では弱い。まず地域にどのような不便があり、人が何に対してお金を払っているのかを調べ、その不便を解決するために場所が必要になったとき、初めて空き家を候補にすべきである。

 「空き家があるからカフェをやろう」ではなく、「継続的な需要が存在し、その需要を満たすには安い場所が必要だから空き家を使う」と考える。空き家を起点に商売を考えるのではなく、需要を起点に空き家を使うのである。

小さく使うという技術

 人口が減る社会では、すべての建物を現役の住宅として維持することは難しい。売れる家と売れない家の差は広がり、行政がすべてを買い取ることも、民間企業がすべてを再生することもできない。

 そうなると必要になるのは、「価値のある家を探す技術」だけではなく、「価値が大きく失われた家の中から、まだ残っている機能を拾い出す技術」ではないだろうか。

 一軒の住宅を一つの商品として見るのではなく、部屋、庭、車庫、屋根のある空間、電気の使える場所、短時間滞在できる空間という機能の集合として見る。その中の一つだけが地域の誰かの不便を解決するのであれば、完全に役割を失う前に、もう一度だけ使われる可能性が生まれる。

 もちろん、その仕組みが大きな産業になる保証はない。月数千円の利用者を探し、建物を確認し、安全性を確保し、契約を整え、所有者と利用者の間を調整する仕事は、手間の割に利益が小さい可能性がある。需要が薄い地域では、どれほど効率化しても採算が取れないこともある。

 それでも、空き家問題のすべてを「高額改修して再生するか、解体するか」という二択で考える必要はない。その間には、数年だけ使う、一室だけ使う、月に数回だけ使うという広い中間領域が残っている。

売れないことと、役に立たないことは同じではない

 空き家の前を通ると、私たちはつい、その家がいくらで売れるのかを想像する。しかし、百万円でも買い手が現れない家に市場価値がほとんどないことと、その場所が誰の役にも立たないことは同じではない。

 市場は、大きな需要を見つけることには向いているが、一人が月三千円だけ支払いたいという小さな需要を拾うことは必ずしも得意ではない。しかも、その需要が本当に存在するのかどうかは地域ごとに確かめなければならず、利用料よりも管理費や移動費が大きくなれば、事業としては成立しない。

 だからこそ、空き家活用に必要なのは希望的観測ではなく、小さな実験である。利用候補者が本当にいるのか、いくらなら払うのか、何分離れると利用しなくなるのか、年間の管理コストはいくらなのか、最低限の修繕にはいくら必要なのかを確かめ、その数字が合った物件だけを使えばよい。

 誰かの倉庫になり、誰かの作業場所になり、誰かが月に数度訪れる場所になる。それだけで空き家問題そのものが解決するわけではないし、老朽化した建物をいつまでも残す理由にもならない。役割を終えた建物はいずれ解体しなければならない。

 それでも、解体されるまでの十年間に、何の役割もないとは限らない。

 かつて家族の暮らしを支えた家が、最後には誰かの工具を雨から守る屋根になり、小さな仕事を始める部屋になり、所有者の維持費を年間数万円だけ軽くする場所になる。その程度の使われ方であっても、経済的な意味は残る。

 空き家の未来を考えるとき、私たちは「再生」か「解体」かという鮮やかな答えを求めがちである。しかし、人口が減っていく社会で本当に増えていくのは、その二つの間にある灰色の領域なのかもしれない。

 立派に生まれ変わらなくてもよいし、大きな利益を生み出さなくてもよい。ただ、実際の需要を確かめ、安全と法律を守り、投じる費用より得られる効果が大きい間だけ、小さく使う。

 人口減少社会で必要になるのは、すべての空き家を蘇らせる技術ではない。使える家と使えない家を冷静に分け、残された小さな価値を過大評価も過小評価もせず、最後まで使い切る技術なのではないだろうか。

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