地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 地方の町で暮らしている人に、その土地の魅力を尋ねると、ときどき不思議な答えが返ってくる。「ここには何もないですよ」。海があり、山があり、昔から続く道があり、古い商店が残り、季節になれば祭りがあり、夜になると都会ではめったに経験できない暗さが訪れるにもかかわらず、住民はそれらを一つずつ検討した末に「価値がない」と判断しているわけではなく、ごく自然な口調で「何もない」と言う。

 ところが、その町を初めて訪れた人が同じ景色を見ると、まったく違う反応をすることがある。海辺で長い時間を過ごし、何でもない路地を写真に撮り、小さな食堂を面白がり、古い建物の前で立ち止まる。住民が何の意識もなく通り過ぎるところで、外から来た人が足を止めるのである。

 この食い違いは、単なる感性の違いとして片づけるには惜しい。むしろそこには「地域の価値とは誰が決めるのか」「価値はどのように測定できるのか」という、地域分析の本質的な問題が潜んでいる。ただし、住民が気づいていない価値を外部者が発見するという物語を、最初から事実として受け入れてはいけない。住民は価値を知っていても重視していないのかもしれず、訪問者が高く評価するものを、住民が別の理由から低く評価している可能性もある。

 重要なのは、住民と訪問者の見方が本当に異なるのか、その違いがどこに生じ、何によって説明できるのかを、先入観に頼らず確かめることである。

「何もない」は、事実ではなく比較の言葉である

 そもそも「何もない」という言葉を文字どおり受け取ることはできない。人が暮らしている以上、本当に何もない町など存在せず、その言葉の背後には多くの場合、暗黙の比較対象が隠れているからである。

 大型商業施設がない、映画館がない、大学がない、夜遅くまで営業する店が少ない、電車の本数が少ない、有名な観光施設がないというように、都市的な機能を「あることが普通」と考えれば、それらが少ない町は確かに「何もない」ように見える。しかし、人口十万人の都市と人口数千人の町を店舗数や娯楽施設数だけで比較しても、その結果には人口規模の違いが大きく反映されるため、それだけで地域の魅力や生活の質を評価することはできない。

 もっとも、人口が少ないから必ず施設が少ないとも限らない。観光客が多く集まる町や周辺地域の商業拠点になっている町では、人口規模に比べて店舗が集積する場合もある。施設の多さや少なさを論じるなら、人口だけでなく、周辺地域からの利用者、交通条件、観光需要、住民の年齢構成なども考慮する必要がある。

 逆に、交通量の少ない道路、建物のない海岸、人工照明の少ない夜、人影の少ない散歩道、広告看板のない景観は、都市的な尺度では不足として扱われても、別の尺度に置き換えれば希少な環境になる。経済学では、人によって好みや重視する条件が異なることを選好の異質性として考えるが、地域の価値についても同じことが言える。

 ただし、人が少ないことは静けさという便益を生む一方、商店や公共交通を維持するための利用者が少ないという不利益も生み得る。同じ地域特性であっても、何を重視するかによって評価は変わるのであり、地方に何もないのではなく、都市が価値として数えているものが少ないだけなのかもしれない。

毎日見る景色は、価値を失うのではなく「背景」になる

 住民が自分の町の魅力を語りにくい理由の一つとして、人間の認知の性質が考えられる。同じ刺激を繰り返し受けることで、その刺激への反応が弱まる現象は心理学で「馴化」と呼ばれる。毎日見ている海や山、古い町並みが次第に注意を向ける対象ではなく、生活の背景へ変わっていくことは十分に考えられる。

 ただし、馴化が起こることと、その対象の価値を低く評価することは同じではない。人間には、繰り返し接することで親しみや好意が形成される単純接触効果も知られており、長年暮らした土地だからこそ、外部者には分からない愛着を抱くこともある。毎日は意識して眺めなくても、その風景が失われると分かったときに初めて、自分にとっての重要性を強く認識する場合もあるだろう。

 したがって、心理学的に馴化という現象が確認されているからといって、ある町の住民が地域の価値を過小評価していると結論づけることはできない。馴化は住民と訪問者の評価が異なる理由の候補にはなるが、その違いが実際に存在することの証明ではない。

 重要なのは、住民の評価と訪問者の評価が同じであると仮定する理由もなければ、必ず違うと仮定する理由もないということである。実際、観光地を対象にした研究では住民と訪問者の認識が異なる例がある一方、両者の地域イメージが比較的よく似ている例も報告されている。住民だから価値に気づかず、外部者だから価値を発見できるという単純な構図は、研究によって一般的に証明されているわけではない。

 だからこそ、住民と訪問者の評価がどこで一致し、どこでずれているのかを測る意味が生まれる。住民が高く評価し、訪問者も高く評価する場所は、両者に共有された地域資源である可能性がある。一方、住民の評価は低いのに訪問者だけが強い関心を示す場所があれば、その違いが何によって生じているのかを調べることで、地域の新しい側面が見えてくるかもしれない。

「魅力がありますか」と聞くだけでは、町は十分に見えてこない

 町の魅力を調べるとき、最も簡単なのはアンケートである。「この町の良いところは何ですか」「満足していますか」「他人に勧めたいですか」と尋ねれば、評価を数値として集計できる。しかし、人間が口で答えることと実際に行動することは必ずしも一致しない。

 経済学には、実際の選択行動から人々の選好を推定する顕示選好という考え方がある。地域の場合にも、魅力があると回答したかどうかだけでなく、どこまで歩いたのか、どこで立ち止まったのか、何を撮影したのか、どこに長く滞在したのか、何にお金を使ったのか、そして再び訪れたのかを見ることには意味がある。

 ただし、行動が観測できれば、その理由まで分かるわけではない。ある海岸に四十分いた人が、その景観を気に入っていたとは限らず、同行者を待っていたのかもしれないし、電車の時刻を調整していたのかもしれない。単に疲れて休憩していた可能性もあれば、別の場所へ移動する手段がなかったという事情も考えられる。

 滞在時間は価値そのものではなく、行動上の関与を示す一つの手掛かりである。それでも、異なる日に調査しても特定の場所で滞在が長く、その場所を高く評価する人も多く、再訪意向や実際の再訪行動にも一定の関連が見られるのであれば、その場所に何らかの魅力が存在するという仮説は検討に値する。

 もっとも、複数の指標が同じ方向を示したとしても、それらが完全に独立した証拠とは限らない。景観への関心が強い訪問者は、長く滞在し、写真も多く撮り、高い評価を付ける可能性があるため、三つの指標が一致していても、実際には一つの共通した要因が反映されている場合がある。

 科学的に重要なのは、複数の数字が一致したという事実だけではなく、それらがなぜ一致したのか、別の説明が成り立たないかを検討することである。

写真を撮ったからといって、好きだとは限らない

 同じことは写真撮影にも言える。写真が多く撮られる場所は視覚的に人を引き付けている可能性があるが、それだけで好まれているとは限らない。美しいから撮る場合もあれば、珍しいから撮る場合もあり、奇妙だから撮る場合もある。事故や混雑のような否定的な出来事が撮影を増やすことさえある。

 インターネット上の投稿件数や口コミ数も同じである。投稿が多いことは、その場所が一定の関心を集めている手掛かりにはなるが、好意的に評価されている証拠とは限らない。また、投稿する人と投稿しない人では、年齢、情報機器の利用習慣、旅行目的などが異なる可能性もあるため、投稿件数を訪問者全体の評価として扱うことにも注意が必要である。

 さらに、観光客が撮影した写真には、その場所へ実際に行けた人だけが含まれる。公共交通の便が悪く、訪問すること自体が難しい場所では、景観に魅力があっても写真が少なくなる可能性がある。反対に、駅の近くや駐車場のある場所は、アクセスの容易さだけで撮影数が増えることもある。

 したがって、写真撮影数、滞在時間、再訪、消費額などは、それぞれ異なる角度から地域を見る観測指標として扱うべきである。写真が多いのに再訪が少ない場所であれば、一度見れば満足する珍しさが特徴なのかもしれないし、景観への評価は高くてもアクセス条件や周辺施設に問題があるのかもしれない。

 測定とは一つの数字を見つけることではなく、複数の方法から得られた結果を比較し、それぞれの限界や背景にある要因を検討しながら、説明の妥当性を高めていく作業なのである。

無料だから価値がない、という錯覚

 地域の価値が見えにくくなるもう一つの理由は、価格が付いていないことである。海を見るために料金を支払う必要がなければ、海岸の価値は町の売上高に直接現れず、静かな道を歩いても料金はかからず、夜空を眺めても領収書は発行されない。

 風の音、潮の匂い、遠くまで見渡せる景色、昔から続く路地といったものは、そこに存在していても会計帳簿にはほとんど現れない。しかし、価格が付いていないことと、経済的価値が存在しないことは同じではない。

 環境経済学では、市場で直接取引されない自然環境や景観、レクリエーション資源などの価値を非市場価値として扱い、人々の行動や回答からその大きさを推定する方法が発展してきた。その一つが移動費用法であり、訪問に必要な交通費や時間などと訪問行動の関係から、対象となる場所の利用価値を推定する。

 例えば、人は景色を見るために交通費を払い、静かな場所で過ごすために宿泊費を払い、人の少ない場所へ行くために時間を使う。目的地そのものに入場料がなくても、そこへ行くために費用や時間を負担していることは、その場所への選好を考える手掛かりになる。

 ただし、ある人が東京から百五十キロ移動して海岸を訪れたとしても、その移動費のすべてを海岸の価値として計上できるわけではない。旅行中に複数の観光地を巡っている可能性があり、移動自体を楽しんでいたかもしれず、別の目的地へ行く途中で立ち寄っただけという場合もある。

 厳密な移動費用法では、移動距離だけで価値を決めるのではなく、移動費用と訪問回数の関係などから需要を推定し、その需要に基づいて利用者が得る便益を評価する。また、宿泊費や飲食費などの地域内消費額は実際に支出された金額であり、それによって訪問者が得た満足や便益そのものを表しているわけではない。

 地域の経済効果を考える場合にも、売上高が増えたことと、地域全体の純粋な便益が増えたことは区別しなければならない。観光客が増えれば清掃、交通対策、施設維持などの費用も発生し得るため、価値を金額で表そうとするほど、何を測っているのかという定義が重要になるのである。

「存在しないもの」にも、価格が付くことがある

 さらに面白いのは、地域では「あるもの」だけでなく、「ないもの」にも価値が生じることである。自動車の騒音が少ない、人工照明が少ない、人混みがない、高層建築物がない、巨大な広告看板がないといった状態は、通常の地域統計では資産として数えられにくい。

 ところが、住宅価格などを分析すると、騒音の少なさ、眺望、緑地への近さといった環境条件が価格差に反映される場合がある。経済学では、住宅価格を土地や建物の広さ、築年数、交通条件、周辺環境などの属性に分け、それぞれの属性と価格との関係を推定するヘドニック価格法という考え方が用いられている。

 厳密には「存在しないもの」そのものに価格が付くのではなく、騒音や混雑などが少ないという環境条件に対して、人々が便益を感じ、支払意思を持つ場合があるということである。ただし、住宅価格には所得水準、交通利便性、土地利用規制、学校や医療機関へのアクセスなど多くの要因が影響するため、静かな地域の住宅価格が高かったとしても、その差のすべてを静けさの価値と解釈することはできない。

 そう考えると、「何もない」という言葉は妙に面白くなる。大都市では騒音があり、人が多く、照明が明るく、店舗が密集していることが利便性を生む一方で、静けさ、暗さ、人の少なさ、空間の余白といったものを得にくくしている。都市では希少になった条件が、地方では日常の中に残されている場合がある。

 ただし、それらの魅力が住宅価格や観光需要を押し上げたとしても、住民全員が利益を得るとは限らない。住宅価格の上昇は持ち家の所有者にとって資産価値の上昇につながる可能性がある一方、借家に住む人や移住を希望する人にとっては居住費の負担増加になることもある。地域の価値が発見されることと、その利益が地域社会に公平に配分されることは別の問題なのである。

しかし、「不便」を無理に「価値」と言い換えてはいけない

 ここまで読むと、「地方は何もなくても素晴らしい」という結論に進みたくなる。しかし、そこで止まらなければならない。店がないことを静けさと言い換え、公共交通がないことを自由と言い換え、医療機関が遠いことを自然豊かな暮らしと言い換え始めれば、それは分析ではなく美化になる。

 特に住民にとって、買い物、通院、教育、移動の不便は生活条件そのものである。自家用車を運転できる人にとって問題にならない距離でも、高齢者や障害のある人、子ども、運転免許を持たない人にとっては大きな負担になる場合がある。旅行者が二泊三日で楽しむ不便さと、住民が毎日背負う不便さは同じではない。

 人の少ない町を観光客が「静かで素晴らしい」と感じていても、住民は人口減少によって商店、学校、公共交通が維持できなくなることを心配しているかもしれない。同じ風景が一方には癒やしとして見え、もう一方には地域社会の縮小として見えるのである。

 したがって、「この場所には価値があるか」という一つの問いだけでは不十分である。「誰にとって価値があるのか」「誰にとって負担なのか」「その価値は一年中存在するのか」「利用者が増えても維持されるのか」「利益と費用は誰に帰属するのか」まで考えなければならない。

 地域価値は一つの絶対値ではなく、その場所を利用する人、そこで暮らす人、季節、時間帯、生活条件によって異なる評価を持つ。観光客にとって魅力的であることは、住民にとって暮らしやすいことを保証しないのである。

価値は、発見した瞬間から壊れ始めることもある

 さらに厄介なのは、地域資源が成功すると、その成功によって価値が失われる場合があることである。誰も知らない静かな海岸が評判になって大勢の人が訪れるようになれば、「人が少ない」という魅力は薄れ、古い路地が写真映えすると知られれば撮影者が増えて住民の日常生活と衝突する。静かな食堂が人気店になれば、従来から利用していた地元住民が入りにくくなることさえある。

 これは、利用者の増加によって混雑や環境負荷が生じ、利用者自身や周辺住民が受ける便益が低下するという問題である。観光客の増加が地域の売上高を押し上げても、騒音、交通混雑、ごみ処理、自然環境への負担などを考慮すると、地域全体の利益が必ずしも同じ割合で増えるとは限らない。

 つまり、地域資源とは地下に埋まっている鉱物のように、見つければそのまま価値が増えるものではない。むしろ「知られていないこと」「混雑していないこと」「地域の日常が保たれていること」そのものが価値の一部になっている場合がある。

 そうなると、地域活性化の目的も「すべてを有名にすること」でよいのか疑問が生じる。訪問者数を最大化すること、観光消費額を増やすこと、地域住民の暮らしを守ること、景観や文化を次世代へ残すことは、常に同じ方向を向いているわけではない。

 持続可能な観光政策では、訪問者の満足度や経済効果だけでなく、住民生活、環境保全、地域資源の維持を含めた管理が重視される。地域の価値を発見することと、それを最大限利用することは別の問題であり、場合によっては過度に宣伝しないことも合理的な選択になり得るのである。

「住民未認識価値」は、本当に測れるのか

 では、この記事のテーマである「住民自身が価値を感じていないもの」を、本当に数字で測ることはできるだろうか。

 例えば、町の中に十か所の候補地点を設定し、それぞれについて住民と町外から来た人に同じ質問を行い、「この場所に魅力を感じる」という項目を七段階で評価してもらったとする。ある海岸について住民の平均評価が六・〇、訪問者が六・二だった場合、この場所は両者から高く評価されており、評価差は〇・二ポイントである。

 一方、古い路地について住民が二・八、訪問者が五・六だった場合、評価差は二・八ポイントになる。この路地は海岸よりも評価の絶対水準が低い可能性があるものの、住民と訪問者の評価が大きく異なるという点では、地域研究として興味深い対象になる。

 ただし、ここで最も注意すべきなのは、評価差が大きいことと、住民が価値を認識していないことを混同してはいけないという点である。

 住民は、その路地の景観的な魅力を十分に理解しているかもしれない。それでも、道幅が狭く、自動車の通行に不便であり、建物の維持管理にも費用がかかるため、総合的な評価を低くしている可能性がある。また、観光客が好む雰囲気を理解していても、撮影者が増えることによる生活への影響を心配しているかもしれない。

 反対に、訪問者は、古い建物や曲がりくねった道を新鮮で魅力的だと感じていても、その場所を日常的に利用する場合の不便や維持管理の負担までは知らないことがある。

 つまり、住民の評価が低く、訪問者の評価が高いという結果だけでは、「住民は価値に気づいていない」とは結論づけられない。それは単に、住民と訪問者が異なる条件や目的で同じ場所を評価している結果かもしれないのである。

 科学的な研究としては、最初に測るべきものを「住民未認識価値」と決めつけるのではなく、「住民と訪問者の評価差」として定義する方が正確である。そして、その評価差が本当に認識不足から生じているのか、選好の違いなのか、生活上の負担なのかを追加の調査で明らかにしていく必要がある。

「知らないこと」と「評価しないこと」を区別する

 住民が地域資源を認識していないかどうかを測定するためには、魅力の評価とは別に、認知そのものを調べなければならない。

 例えば、最初に「この町で特徴的だと思う場所を挙げてください」と自由回答で尋ね、その後に具体的な地点の写真を提示し、「この場所を知っていますか」「どのような特徴があると思いますか」「景観として魅力を感じますか」「保存する価値があると思いますか」といった質問を行う方法が考えられる。

 ここで重要なのは、景観としての魅力、日常生活での快適さ、歴史的な価値、保存の必要性などを、一つの質問にまとめないことである。ある場所について「観光客には勧めたいが、自分が毎日通るには不便だ」と考える住民がいたとしても、それは矛盾した評価ではない。異なる側面を区別して評価しているのであり、むしろ地域の価値を多面的に理解している可能性がある。

 さらに、場所の歴史や景観の特徴に関する情報を提示する前後で評価が変わるかを調べることもできる。ただし、情報を与えた後に評価が上がったとしても、その変化が情報によるものなのか、繰り返し質問された影響なのか、調査者の期待を読み取った結果なのかを区別する必要がある。

 より厳密に調べるなら、回答者を無作為に二つの集団に分け、一方には場所の背景情報を提示し、もう一方には提示せず、両者の評価変化を比較する方法が考えられる。こうした比較によって、情報提供が評価に与える影響を推定しやすくなる。ただし、情報を与えた直後の評価変化が、長期的な認識の変化や実際の行動につながるとは限らない。

 このように、場所の存在を知っているか、どのような特徴を認識しているか、その特徴をどう評価しているか、情報によって評価が変わるかを段階的に測定して初めて、「住民が十分に認識していない価値」という仮説を検証することができる。

平均評価の差は、統計的にどこまで信用できるのか

 住民と訪問者の評価を比較するとき、平均値の差は分かりやすい指標である。しかし、平均値だけを比較して結論を出すことはできない。

 例えば、住民の平均評価が三点、訪問者が六点だったとしても、それぞれの回答者が五人しかいない場合と、百人ずついる場合では、結果の確かさが異なる。また、住民の評価がほぼ全員三点前後に集中している場合と、一点から七点まで大きく分かれている場合では、平均値が同じでも地域内部の意見の構造は異なる。

 統計学では、このような違いを考慮するため、平均値に加えて標準偏差などのばらつきを示す指標を用いる。また、平均差を回答のばらつきで標準化した効果量を求めれば、単なる点数差だけでは分かりにくい集団間の違いを評価できる。

 ただし、効果量が大きいことと、その推定が精密であることは別である。回答者数が少なかったり、標本の選び方に偏りがあったりすれば、得られた効果量は不安定になる可能性がある。そのため、標本数、回答のばらつき、信頼区間などを併せて確認し、推定結果にどの程度の不確実性があるのかを示す必要がある。

 さらに、七段階評価は本来、順序を表す尺度である。「一」と「二」の差が「五」と「六」の差と心理的に同じ大きさだとは限らないため、平均値を計算すること自体が直ちに誤りというわけではないものの、その解釈には注意が必要である。実際の調査では、平均値に加えて中央値や回答分布も確認し、必要に応じて回答の順序性を考慮した統計モデルを使うことが望ましい。

 また、十か所の地点についてそれぞれ統計的検定を行えば、実際には差がない場所であっても、偶然に差があるように見える結果が生じることがある。仮に十か所すべてで本当の評価差が存在せず、各検定が独立で、有意水準を五%とした場合、少なくとも一か所で偶然に有意な結果が出る確率は約四〇%になる。

 これは、十か所を調べれば必ず四〇%の確率で間違えるという一般的な意味ではなく、一定の仮定を置いた場合の計算例である。しかし、調査地点を増やし、その中から差が大きい場所だけを選ぶほど、偶然の結果を重要な発見と誤認する危険があることは理解しておく必要がある。

 したがって、分析では複数の検定による誤判定の増加を考慮するとともに、統計的に差があるかどうかだけでなく、その差が地域の実態を理解する上でどの程度重要なのかを検討しなければならない。

同じ質問でも、同じものを測っているとは限らない

 住民と訪問者に同じ質問をすれば公平に比較できるように思えるが、必ずしもそうではない。

 例えば、「この路地は魅力的ですか」と尋ねられたとき、住民は「毎日利用する生活道路として魅力的か」を考え、訪問者は「旅行中に散策する場所として魅力的か」を考えるかもしれない。質問の文章が同じでも、回答者が頭の中で評価している対象が異なれば、平均値の差をそのまま価値認識の差として解釈することは難しい。

 心理測定では、異なる集団で同じ質問が同じ概念を測っているかという問題が重要になる。住民と訪問者の比較でも、評価尺度の意味が両者で一致しているかを確認する必要がある。

 そのため、調査では「景観として美しいと思うか」「散策する場所として魅力があるか」「日常生活で利用しやすいか」「歴史的な価値があると思うか」「保存する必要があると思うか」といった質問を分けることが望ましい。

 さらに、同じ写真を提示して評価させれば、両者が同一の景観を見ているという条件をある程度そろえることができる。ただし、写真だけでは音、匂い、風、周辺の雰囲気、歩きやすさなどを十分に伝えられないため、現地での評価とは別の測定になり得る。

 住民が低く評価した理由を知るには、点数だけではなく、なぜその点数を付けたのかという自由回答や聞き取りも重要である。数値で差を発見し、その理由を言葉で確かめ、必要に応じて再び数値で検証するという往復が、地域の理解を深めるのである。

誰を調査するかによって、町の価値は変わって見える

 統計的な分析で見落としやすいのは、住民と訪問者では、そもそも調査に参加するまでの条件が違うということである。

 訪問者は、その町へ来ることを選んだ人である。海辺の風景に魅力を感じない人や、交通の便が悪いと考えて訪問をやめた人は、現地で実施する観光客アンケートには含まれない。そのため、現地を訪れた人の評価が高かったとしても、町外の人全体が同じように評価しているとは限らない。

 さらに、古い路地に立ち寄った人だけにアンケートを行えば、その路地に興味を持った人が多く含まれる可能性がある。長く滞在する人は、短時間で通過する人よりも調査員に声をかけられやすい場合もあり、調査方法そのものが回答結果に偏りを生むことがある。

 住民についても同様である。長年その町で暮らしている人と最近移住してきた人、海の近くに住む人と内陸に住む人、自家用車を利用できる人とできない人では、地域を見る条件が異なる。調査に積極的に応じる住民だけを対象にすれば、地域への関心が高い人の意見に偏る可能性もある。

 したがって、住民と訪問者の平均点を単純に比較する前に、回答者の年齢、居住年数、訪問目的、訪問回数、交通手段、調査場所、調査時間帯などを把握する必要がある。可能であれば、調査対象を適切な方法で抽出し、属性の違いを考慮した分析を行うことが望ましい。

 ここで注意したいのは、属性を調整したからといって、すべての偏りが取り除かれるわけではないという点である。観測できない好みや経験が評価に影響している可能性も残るため、住民と訪問者の差が確認できても、その原因を一つに特定するには追加の検証が必要になる。

すべてを一つの「地域価値指数」にまとめてはいけない

 地域の魅力を数字で測り始めると、住民評価、訪問者評価、滞在時間、写真撮影数、再訪意向、消費額、移動距離などを組み合わせ、一つの地域価値指数にしたくなる。例えば「地域価値指数七十三点」と表示すれば、一見すると精密で比較しやすい指標に見える。

 しかし、一時間の滞在と写真十枚をどの比率で足せばよいのかという問題がある。滞在時間を重視するか、消費額を重視するか、住民の保存意向を重視するかによって、順位は大きく変わり得る。その重みを分析者が十分な根拠なく決めれば、指数は客観的に見えても、実際には分析者の価値判断を強く反映したものになる。

 もちろん、複数の指標を統合すること自体が常に誤りというわけではない。目的を明確にし、重み付けの根拠を示し、重みを変えた場合にも結論がどの程度安定しているかを確認すれば、総合指標が役立つ場合もある。ただし、地域の魅力そのものが多面的である以上、一つの点数で完全に表現できると考えるべきではない。

 むしろ、最初の段階ではそれぞれの指標を別々に残した方がよい。住民評価は地域内部の認識を、訪問者評価は訪問した人の認識を、滞在時間は行動上の関与を、写真撮影は視覚的な関心を、再訪は継続的な選好の一側面を示す。消費額は市場で実現した支出を示すが、その場所が生み出した便益の総額を意味するわけではない。

 そして、それぞれの指標が一致する場所だけでなく、矛盾する場所にも注目する必要がある。住民評価は高いのに訪問者評価が低い場所があれば、住民だけが知る歴史的な意味や生活上の役割があるのかもしれない。訪問者評価は高いのに再訪率が低い場所があれば、一度の訪問で満足する特徴があるのかもしれず、アクセスや宿泊環境が再訪を妨げている可能性もある。

 重要なのは、数字を一つにまとめることではなく、異なる数字がなぜ一致し、なぜ一致しないのかを説明することなのである。

町の魅力を探すのではなく、「認識のずれ」を探す

 こう考えると、地域調査の目的そのものが変わってくる。従来のように「町で最も魅力的な場所はどこか」を探すだけでは、有名な海岸や神社、観光施設が上位に並ぶだけかもしれない。

 しかし、「住民評価と訪問者評価の差が大きい場所はどこか」「その差は何によって生じるのか」と問いを変えれば、これまで観光資源として扱われてこなかった場所にも調査対象が広がる。住民も観光客も六点を付ける有名観光地より、住民が三点、訪問者が六点を付ける何でもない路地の方が、評価差を研究する対象としては興味深い場合がある。

 ただし、評価差が大きい場所が、必ずしも優れた観光資源であるとは限らない。訪問者の評価が高くても、道路が狭く安全上の問題があったり、住宅地であるため私生活への影響が大きかったり、訪問者の受け入れに適していなかったりすることがある。

 また、その場所の評価差が本当に住民の認識不足によるものなのか、それとも住民と訪問者の利用目的や利害の違いによるものなのかを見極める必要がある。特に、住民が価値を知った上で保存や観光利用に慎重な姿勢を取っている場合、それを「地域の魅力に気づいていない」と解釈することは適切ではない。

 研究としての目的は、差が大きい場所を見つけて観光地に変えることではない。差が存在するなら、その理由を明らかにし、住民にとっての意味と外部者にとっての意味を比較することで、地域資源の性質を理解することにある。

外から来た人が場所を発見し、住民が時間を与える

 さらに面白いのは、外部者と住民が見ているものが異なるからこそ、その二つを組み合わせることで場所の意味が深まる場合があることである。

 外から来た人が古い路地を見て「雰囲気がある」と感じても、その人にはその路地がなぜその形をしているのかまでは分からない。ところが、そこで住民に尋ねれば、「昔はここを子どもたちが通学していた」「この先に店が並んでいた」「祭りの日にはここに人が集まった」と話し始めるかもしれない。

 訪問者は景観の新鮮さに目を向け、住民は生活の記憶や歴史的な変化を知っている場合がある。もちろん、すべての住民が地域の歴史に詳しいわけでも、すべての訪問者が表面的な景観しか見ていないわけでもないが、両者が持つ情報や経験には違いがあり、その違いを重ねることで場所の理解が深まる可能性がある。

 例えば、訪問者が魅力を感じた古い道について、住民への聞き取りから、かつての商店街の構造や祭礼の経路、地域の産業との関係が明らかになるかもしれない。その情報が新しい魅力を生むこともあれば、保存すべき理由や利用を制限すべき理由を明らかにすることもある。

 だから「住民は価値が分かっていない」と言うのは、この関係をあまりにも単純化している。住民は外部者とは別の価値を見ている可能性があり、その知識や記憶そのものが地域を理解するための重要な情報なのである。

実際に地域で調査するなら、何から始めるべきか

 ここまでの考え方を実証研究として発展させるなら、最初から町全体の価値を一つの指数で測定しようとするより、少数の地点を対象に予備調査から始める方が現実的である。

 例えば、千葉県の御宿町、勝浦市、いすみ市、大多喜町などを念頭に置く場合でも、最初は一つの地域を選び、海岸、古い路地、商店街、農村景観、住宅地の周辺など、性質の異なる十地点程度を候補に設定する方法が考えられる。ただし、十地点という数に統計学的な必然性があるわけではなく、調査目的、地域の広さ、地点ごとの特徴、調査に必要な労力によって決めるべきである。

 まず、住民と訪問者への聞き取りによって候補地点を整理し、どのような魅力が語られているのかを確認する。次に、地点の認知度、景観評価、生活上の利便性、保存意向などを分けて調べ、住民と訪問者の評価がどの程度異なるかを分析する。その際、回答者数や回答のばらつきだけでなく、年齢、居住年数、訪問目的、交通手段なども記録し、必要に応じて統計的に調整する。

 さらに、現地での滞在時間や歩行経路、再訪の有無などを調べれば、主観的な評価と実際の行動との関連を検討できる。ただし、位置情報や写真、行動記録には個人情報やプライバシーの問題が生じ得るため、調査目的を明確にし、必要に応じて参加者の同意を得るとともに、個人を特定しない集計や適切なデータ管理を行う必要がある。

 また、予備調査の結果から評価差の大きい場所が見つかっても、それだけで大規模な観光施策に進むべきではない。訪問者が増えた場合の交通、安全、環境、住民生活への影響を考慮し、行政、住民、地域事業者などの意見を確認する必要がある。

 この調査の価値は、新しい観光名所を発見できるかどうかだけで決まるものではない。住民が高く評価しているのに訪問者には知られていない場所、住民と訪問者の評価が一致している場所、評価は高くても観光利用に適していない場所などが明らかになることも、地域政策にとって重要な成果になる。

新しい観光資源を「作る」前に、すでに人が立ち止まっている場所を見る

 自治体が地域活性化を考えると、新しい名物、新しいイベント、新しい施設、新しいキャッチコピーを作ろうとすることがある。もちろん、新しい施設や事業が必要な場合もあるが、その前に、すでに存在している地域資源がどのように認識され、利用されているのかを調べることには意味がある。

 行政が観光地と呼んでいないのに写真を撮る人がいる場所、住民は何とも思っていないのに訪問者が長く歩いている通り、積極的に宣伝していないのに繰り返し訪れる人がいる店が存在するなら、そこには行政統計や既存の観光案内だけでは捉えきれていない特徴があるかもしれない。

 ただし、人が立ち止まっているという事実だけで、その場所に新しい観光需要があると断定することはできない。交通上の理由で立ち止まっているのかもしれず、短期間の流行や偶然の出来事によって注目が集まっている可能性もある。行動の背後にある理由を調べ、異なる時期や条件でも同じ傾向が確認できるかを検証する必要がある。

 そして、仮に新しい魅力が確認できたとしても、すぐに看板を立て、駐車場を造り、大勢を呼び込む必要があるわけではない。現状を保存すること、静かな環境を維持すること、住民の歴史的な記憶を記録すること、限られた人数だけが利用できる形を検討することも選択肢になる。

 地域資源の価値を政策に結び付けるときには、訪問者数や消費額を増やす効果だけでなく、維持管理の費用、住民負担、地域社会への利益の配分、将来にわたる持続可能性を考える必要がある。

 地域分析とは、何かを売り出すためだけに行うものではない。地域の現状を把握し、何を守り、何を変え、何を変えない方がよいのかを判断するためにも行うものなのである。

「何もない」という言葉は、調査の終点ではなく出発点である

 結局、「何もない」という言葉は、その町の客観的な状態をそのまま説明しているわけではなく、その人が何を「あるもの」として数え、何を重要だと考えているかを示している可能性がある。

 大型店を価値と考えれば大型店のない町は何もないように見え、静けさを価値と考えれば交通量の少ない町は豊かな場所になり、夜の明るさを便利さと考える人もいれば、夜の暗さを希少な環境だと考える人もいる。同じ町でも評価の尺度を変えれば景色は変わるが、尺度を変えることによって不便や生活上の問題まで消えるわけではない。

 だから地域分析に必要なのは、「この町には素晴らしい価値がある」と最初から宣言することでも、「住民は自分の町の良さを分かっていない」と説教することでもない。住民と訪問者は本当に違う評価をしているのか、違うならどの場所でどの程度違うのか、その違いは認識不足によるものなのか、それとも好み、利用目的、生活条件、負担の違いによるものなのかを、一つずつ確かめていくことである。

 そのためには、評価点だけでなく、回答のばらつき、調査対象者の属性、質問の意味、標本の偏り、実際の行動との関係を検討しなければならない。複数の指標が一致したときには、その背後にある共通の要因を調べ、結果が一致しなかったときには、どのような違いが数字に表れているのかを考える必要がある。

 そして調査の結果、住民と外部者の評価がほとんど同じだったとしても、それは失敗ではない。「住民は自分の町の価値に気づいていない」という思い込みの方が間違っていた可能性を示す、重要な研究成果になる。

 反対に、住民の評価が低い場所で外部者だけが立ち止まり、高く評価し、繰り返し訪れていることが分かれば、「なぜ、この場所なのか」という新しい問いが生まれる。ただし、その答えが必ずしも住民の認識不足であるとは限らない。外部者が新しい価値を発見したのかもしれず、住民が別の価値や費用を重視していたのかもしれない。

 「何もない町」は、本当に何もないのだろうか。その答えは、町の中だけを眺めていても、外から訪れる人の感想だけを聞いていても、十分には見つからないのかもしれない。住民の視線と外から来た人の視線を重ね、その一致とずれを数字で確かめ、さらに言葉や行動によって理由を検証していくことで、初めて見えてくるものがある。

 地域の価値を測るということは、住民が知らなかった魅力を外部者が教えることではない。それぞれ異なる経験、条件、利害を持つ人々が同じ場所をどう評価しているのかを理解し、なぜその違いが生まれるのかを明らかにすることである。

 そして、その結果を観光振興に使うのか、景観保存に使うのか、住民生活の改善に使うのか、あるいはあえて何も変えないという判断に使うのかは、測定結果とは別に考える必要がある。

 町の価値は、数字を付けた瞬間に決まるものではない。数字によって今まで見えなかった違いを発見し、その理由を考え、地域の将来について判断する材料を増やすことに、測定の本当の意味がある。

 だから「何もない」という言葉が出たときこそ、地域分析を終えるときではない。そこが調査の始まりなのである。

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 地方を歩いていると、住宅は残っているのに、人の姿をほとんど見かけない集落があります。空き家が増え、子どもの声が聞こえなくなり、かつて何十世帯も暮らしていた場所に十数世帯しか残っていない地域もあります。集落の人口減少は、ある日突然起こるものではなく、長い時間をかけて進んでいきます。しかし、そこに暮らす人々が担ってきた地域の共同活動は、人口の減少と同じ速度で衰えるとは限りません。

 では、集落はいったい何世帯まで減ると維持することが難しくなるのでしょうか。この問いに「20世帯」「10世帯」と一つの数字だけで答えることはできません。集落によって年齢構成や地理的条件、道路や水路の管理方法、自治会の仕組み、周辺集落との関係が異なるからです。同じ10世帯でも、比較的若い住民が多い集落と、高齢者だけで暮らす世帯が多い集落では、地域活動を維持する能力に大きな差が生じます。

 ただし、農林水産省などの調査からは、集落の規模が小さくなるにつれて共同活動の実施率が低下し、特に総戸数9戸以下の農業集落では、農用地の保全などを含む集落活動が急激に弱まる傾向が確認されています。また、総戸数4戸以下、集落人口9人以下、高齢化率50%以上といった小規模化・高齢化の条件下では、活動の維持が一段と難しくなることも指摘されています。

 もっとも、これらは農業集落を対象とした統計的な傾向であり、全国すべての集落が同じ戸数で維持困難になることを意味しているわけではありません。重要なのは、家が何軒残っているかという数字だけではなく、地域を支える人材がどの程度残り、必要な共同活動をどこまで継続できるかという問題です。

集落は住宅の集合ではなく、共同活動によって支えられている

 普段、私たちは集落を住宅が集まった場所として見ています。しかし、集落が生活共同体として機能するためには、住宅が存在するだけでは足りません。道路脇の草刈り、水路や側溝の清掃、ごみ集積所の管理、自治会の運営、防災活動、祭礼、共同施設の維持、高齢者の見守りなど、目立たない仕事が年間を通じて発生しています。

 農林業センサスで把握される農業集落も、農業生産の場であるだけでなく、地域住民が社会生活を営む基礎的な地域社会として位置づけられています。実際、農業集落では農道や水路の管理、環境美化、共有財産の管理、福祉・厚生などが寄り合いの議題となっています。農業を営む世帯が少なくなっても、農地や水路を含めた地域環境の維持には、農家だけでなく非農家の協力が必要になる場合があります。

 ここで人口減少の問題を考えると、住民が減少する一方で、地域が管理する道路や水路の延長、土地の面積、共同施設の数などは、必ずしも同じ割合で減少するわけではありません。100世帯で行っていた仕事を50世帯で引き継ぐことになっても、必要な作業量が半分になるとは限らず、残った住民の負担は相対的に増加します。

 つまり、集落を維持するうえで問題になるのは、単に人口や世帯数が減ることではなく、地域で必要とされる仕事量に対して、それを担う人員や能力が不足していくことです。人口がまだ一定数残っていても、活動の担い手が確保できなくなれば、集落の機能は先に低下する可能性があります。

30世帯が20世帯になった場合、何が変わるのか

 例えば、30世帯の集落が20世帯まで減少した場合を考えてみます。この段階で集落が直ちに維持できなくなるとは限りません。地域活動に参加できる住民が十分にいれば、自治会長や会計、防災担当などの役職を分担し、草刈りや清掃などの共同作業を継続することも可能でしょう。

 しかし、仮に30人で担当していた年間の作業量が変わらず、参加者が20人に減少したとすると、一人当たりの平均作業負担は単純計算で1.5倍になります。人口が減っても管理対象となる道路や水路がほとんど変わらなければ、少ない人数で従来の仕事を引き受けなければなりません。

 さらに、人口減少と高齢化が同時に進めば、負担の増加はそれ以上になる可能性があります。20世帯が残っていても、健康状態や仕事、介護などの事情によって共同作業に参加できる世帯が10世帯しかなければ、実際の活動はその10世帯を中心に行われることになります。

 このため、「20世帯あれば大丈夫」と判断することはできません。反対に、20世帯を下回ったからといって、直ちに集落機能が失われるわけでもありません。20世帯という数字には、全国共通の維持可能性の境界として確立された根拠があるわけではなく、あくまで役割分担や作業負担を考えるための一つの例として扱う必要があります。

10世帯前後が重要な警戒点とされる理由

 農林水産省は、集落の総戸数が9戸以下になると、農用地の保全などを含む集落活動の実施率が急激に低下する傾向があるとしています。このため、10世帯前後という規模は、地域運営を考えるうえで一つの警戒点になります。

 ただし、ここでいう9戸以下は、農業集落の総戸数を基準にした区分です。また、統計で示されているのは戸数規模別の活動実施率の違いであり、9戸と10戸の間に必ず明確な断絶が存在することを証明したものではありません。集落の維持能力が、10戸を下回った瞬間に急変するという意味ではないのです。

 それでも、10世帯程度になると役割分担の余裕が小さくなることは、具体的な例から理解できます。仮に10世帯のうち4世帯が健康上の理由などで共同作業への参加が難しく、さらに2世帯が仕事や介護などの事情で継続的に参加できないとすれば、日常的な活動の中心を担えるのは4世帯程度になります。

 この4世帯で自治会の運営、防災、環境美化、共同施設の管理などを分担する場合、同じ住民が複数の役職を兼ねたり、短期間で同じ役割を繰り返し担当したりする必要が生じます。中心的な役割を担ってきた住民が病気や転出によって参加できなくなれば、それまで維持できていた活動が継続困難になる可能性もあります。

 もちろん、実際には自治会の役職数を減らすことや、行事を簡素化することもできます。したがって、小規模化によって必ず活動が停止するわけではありませんが、従来の運営方法をそのまま続けられる余地は小さくなります。

 10世帯前後という数字の意味は、集落の存続限界を示すことではなく、従来型の共同運営が持続できるかを点検する契機になることだと考えられます。

総戸数4戸以下では、共同活動の維持がさらに難しくなる

 集落の規模がさらに小さくなると、住民同士が協力する意思を持っていても、必要な作業を担う人員そのものが不足する可能性が高まります。

 農林水産政策研究所の2021年の研究では、総戸数4戸以下、集落人口9人以下、高齢化率50%以上といった小規模化・高齢化の進んだ農業集落で、寄り合いや農業用用排水路の保全などの活動が急激に弱まる傾向が示されています。また、総戸数4戸以下の農業集落の約7割は、農業生産の担い手が存在しない「担い手不在集落」に該当するとされています。

 ここで注意したいのは、農業の担い手が存在しないことと、地域活動を行える住民が存在しないことは同じではないという点です。農業経営を担う人がいなくても、非農家の住民が自治会活動や環境美化を続けている集落は考えられます。農業生産の維持能力と生活共同体としての維持能力は、関連していても区別して評価する必要があります。

 さらに、農林水産政策研究所が2023年に公表した分析では、2020年時点で環境美化・自然環境保全活動が行われていない農業集落の割合は、農家戸数4戸以下の集落で33.3%、農家戸数20戸以上の集落で12.1%でした。その差は21.2ポイントであり、活動が行われていない割合を比較すると、農家戸数4戸以下の集落は20戸以上の集落の約2.75倍になります。

 ただし、この分析で用いられているのは農家戸数であり、非農家を含む総戸数ではありません。農家が4戸しか残っていない集落でも、非農家を含めれば相当数の住宅や住民が存在する場合があります。したがって、農家戸数4戸以下の統計を、そのまま一般的な4世帯以下の集落の維持困難率と解釈することはできません。

 それでも、小規模化した集落ほど共同活動の実施率が低下するという傾向には、実務的な意味があります。例えば5世帯のうち、継続的な草刈りや水路清掃に参加できる人が2人しかいない場合、その2人が地域の共同作業を長期間担い続けることは難しくなるでしょう。

 この段階では、住民の努力や協力だけで問題を解決することには限界があります。集落だけで必要な活動を完結させるのではなく、周辺地域や行政、関係団体との役割分担を検討する必要性が高まります。

農家戸数と総戸数を混同してはいけない

 集落の維持可能性を考える際、統計上の重要な注意点があります。それは、農家戸数、総戸数、集落人口がそれぞれ異なる指標であるということです。

 農家戸数は農業を営む世帯の規模を示す指標であり、総戸数は農家以外の世帯を含めた集落の規模を示します。一方、集落人口は住民の人数を表すため、一世帯当たりの人数によって同じ総戸数でも人口規模は変わります。さらに、農業集落の区域と自治会の区域は必ずしも一致しないため、農業集落の統計を自治会運営の実態に直接対応させることにも注意が必要です。

 例えば、農家が3世帯、非農家が17世帯ある集落は、農家戸数では3戸ですが、総戸数では20戸です。この地域で農業用水路の管理が難しくなっていても、自治会の清掃活動や防災活動には一定数の住民が参加しているかもしれません。反対に、農家戸数が比較的多くても、高齢化や労働力不足によって共同作業の継続が難しくなっている場合も考えられます。

 したがって、統計を使って集落の維持可能性を議論する場合には、何を基準に集落の規模を区分しているのかを明示しなければなりません。特に、農業集落を対象とした調査結果を住宅集落や自治会全般の問題として紹介するときには、対象となる組織や活動の違いを踏まえた説明が必要です。

2025年農林業センサスは何を示しているのか

 農林水産省は2026年6月、2025年農林業センサスの農業集落調査結果の概要を公表しました。この調査は、農業集落における共同活動や地域資源の保全状況などを把握するため、5年ごとに実施されているものです。

 調査結果によると、過去1年間に寄り合いを開催した農業集落の割合は、2020年に比べて4.2ポイント低下しました。それでも、回答のあった全国約12万6千集落のうち、約11万3千集落が寄り合いを実施しており、全体では約9割に相当します。

 寄り合いの開催回数にも変化がみられます。2020年は年間6~11回の集落が最も多かったのに対し、2025年は年間3~5回の集落が最多となりました。この結果は、農業集落の多くで寄り合いという仕組みが残されている一方、開催頻度には減少傾向がみられることを示しています。

 ただし、開催回数の減少をそのまま集落機能の低下と判断することはできません。会議の効率化や行事の整理によって開催回数が減っている可能性もあり、実際にどの活動が継続され、どの活動が停止したのかを確認する必要があります。

 さらに注目すべきなのは、地域資源の保全活動について、農地、農業用用排水路、森林、河川・水路の保全に取り組んでいない農業集落の割合が、2020年より低下していることです。つまり、寄り合いの開催割合や頻度が低下している一方で、地域資源の保全活動が全国一律に衰退しているわけではありません。

 また、保全活動を実施している農業集落のうち、他の集落と共同で保全する割合は低下し、単独の集落で保全する割合が上昇しました。この結果は、集落間の共同化が必ずしも全国的に拡大しているわけではないことを示しています。ただし、共同保全の割合が低下した理由については、地域条件や対象となる活動の変化なども含めて分析する必要があり、集落間の連携そのものが有効でなくなったと結論づけることはできません。

 このように最新の調査結果を踏まえると、人口減少によって集落機能が一方的に失われていくという単純な説明では不十分です。活動の種類によって変化の方向や程度が異なるため、農地保全、自治会運営、防災、生活支援などを分けて検討する必要があります。

同じ10世帯でも維持能力が異なる理由

 集落の維持能力を決めるのは、世帯数だけではありません。特に重要なのは、住民の年齢構成、健康状態、就業状況、地域内で必要とされる作業量、周辺地域との協力関係です。

 例えば、40~60歳代の住民が中心となっている10世帯と、80歳代の住民が中心となっている10世帯では、草刈りや側溝清掃などの身体的負担が大きい活動について、担い手の確保状況に違いが生じる可能性があります。ただし、高齢者であっても健康状態や技能によって十分に活動できる人はいるため、年齢だけで参加能力を判断することは適切ではありません。

 また、住宅が一か所にまとまっている集落と、山間部に数キロメートルにわたって住宅が散在している集落では、必要な移動時間や道路・水路の管理負担が異なります。集落面積が広く、管理対象の施設が多い場合には、比較的多くの世帯が残っていても、一世帯当たりの負担が大きくなることがあります。

 周辺集落との関係も重要です。農林水産政策研究所の分析では、農家戸数4戸以下の農業集落であっても、2020年に農業用用排水路の保全活動を実施していた集落の割合は63.5%でした。また、保全活動を実施している集落のうち、他の農業集落と共同で保全している割合は49.2%となっています。

 この結果は、農家戸数の少ない集落でも保全活動を継続している例があり、その中で周辺集落との共同保全が重要な役割を果たしていることを示唆しています。ただし、共同保全によって活動が維持できたという因果関係の強さまで、この集計だけで確定できるわけではありません。

 したがって、小規模な集落だから必ず維持できなくなるという関係は成立しません。 同じ世帯数でも、地域の条件や組織運営の方法によって維持能力は大きく異なります。

集落の維持能力を数理的に考える

 集落の持続可能性をより具体的に考えるためには、単純な人口や世帯数だけでなく、地域活動に参加できる人数と必要な作業量を比較する方法が有効です。

 まず、実働世帯率を次のように定義します。

実働世帯率=地域活動に参加可能な世帯数÷全世帯数

 例えば、30世帯のうち24世帯が活動に参加可能であれば、実働世帯率は80%です。一方、15世帯のうち6世帯しか参加できなければ40%になります。世帯数に実働世帯率を掛ければ、地域活動を担える世帯数を求めることができます。

 ただし、この指標には限界があります。一世帯から参加する人数や、年間に活動できる時間、作業技能、機械の保有状況などは世帯ごとに異なります。実働世帯数が同じでも、実際に提供できる労働量が同じとは限りません。

 そこで、もう一段進めて、年間に必要な作業時間と住民が提供できる作業時間を比較することを考えます。

作業充足率=(住民が提供できる作業時間+外部支援による作業時間)÷年間に必要な作業時間

 例えば、ある集落で草刈り、清掃、共同施設の管理などに年間240人・時間の作業が必要だとします。活動可能な住民が6人で、一人当たり年間20時間の作業ができる場合、住民が提供できる作業量は年間120人・時間となり、外部支援がなければ作業充足率は50%です。

 一方、別の集落では活動可能な住民が8人で、それぞれ年間30時間の作業ができるとします。この場合、年間240人・時間を確保できるため、必要作業量が同じであれば、計算上の作業充足率は100%となります。

 この例から分かるのは、総世帯数が多いことと、必要な共同作業を維持できることは必ずしも一致しないという点です。世帯数が少なくても、参加可能な住民が多く、必要な作業量が比較的小さければ、地域活動を維持できる場合があります。

 もちろん、これは維持能力を考えるための試算であり、行政が定めた公式指標ではありません。草刈り機の操作や水路の点検、防災活動には固有の技能や安全上の条件があり、単純な作業時間だけで評価できるものではありません。また、年間の合計時間が足りていても、作業が必要な日に参加者が集まらなければ活動を実施できません。

 したがって、実際の集落を評価する際には、年間作業時間に加えて、作業ごとの必要人数、技術を持つ人材、費用負担、実施時期、事故防止対策なども確認する必要があります。

高齢化によって集落機能は人口以上の速度で変化する可能性がある

 人口減少と高齢化は関連していますが、集落の維持能力に与える影響は同じではありません。人口の減少が緩やかであっても、これまで中心的な役割を担ってきた住民の健康状態や生活環境が変化すると、地域活動を維持する能力が比較的短期間で低下することがあります。

 例えば、人口が毎年1%ずつ減少する集落を考えると、単純な人口規模の変化は緩やかに見えます。しかし、地域の草刈りや水路管理を担っていた数人が高齢化によって活動を続けられなくなれば、人口の減少率が小さくても、必要な作業を担当できる人数は大きく減る可能性があります。

 また、集落内で特定の技能や機械を持つ住民が限られている場合、その住民が活動から離れることで、共同作業全体の継続が難しくなることも考えられます。こうした問題は、総人口や平均年齢だけを見ていても十分には把握できません。

 農林水産政策研究所が示す小規模化・高齢化と共同活動の低下との関係も、こうした構造的な問題と整合しています。ただし、統計上の関連が確認できることと、高齢化だけが活動低下の原因であることは別の問題です。地形条件、産業構造、移動手段、行政支援の状況なども同時に影響している可能性があります。

 集落の将来を予測するためには、人口や世帯数の将来推計だけでなく、地域活動を担う住民が今後何年程度活動を続けられるのか、後継者が確保できるのかといった点も調べる必要があります。

住民が担う仕事と行政が管理すべき仕事は同じではない

 集落の維持を考えるうえでは、道路や水路、共同施設などの管理責任を整理することも重要です。地域住民が草刈りや清掃を行っているからといって、その施設の維持管理について法的な責任をすべて住民が負っているとは限りません。

 例えば、市町村道の道路管理者は原則として市町村であり、県道については原則として都道府県が管理主体となります。また、農業用水路には土地改良区や市町村などが管理する施設があり、施設ごとに管理主体や維持管理の仕組みが異なります。私有地についても、所有者等の責任や条例上の取り扱いを確認する必要があります。

 一方、自治会による清掃や環境美化、防災活動などは、地域住民の協力によって実施されることがあります。自治会は原則として任意加入の組織であり、地域に居住していることだけで、すべての住民に自治会活動への参加義務が生じるわけではありません。

 このため、集落の共同活動が維持できなくなった場合には、単純に行政に作業を引き継いでもらえばよいという問題にはなりません。まず、その作業の法的な管理主体が誰なのか、住民が自主的に担ってきた活動なのか、行政との協定などによって行ってきた作業なのかを区別する必要があります。

 さらに、行政や民間事業者へ作業を移す場合には、予算、人員、契約、作業の安全性などの問題が生じます。住民による無償の共同活動を有償の業務に置き換えれば、地域の負担は軽減されても、自治体や利用者の財政負担が増える可能性があります。

 したがって、集落機能を維持するためには、住民の努力だけでなく、法制度上の責任分担と費用負担を明確にし、どの仕事を住民自身が続け、どの仕事を関係機関と分担するのかを検討する必要があります。

外房地域では集落の維持能力をどう判断するべきか

 御宿町、いすみ市、勝浦市、大多喜町などの外房地域を考える場合にも、集落が何世帯まで減少するかという問題だけでは十分ではありません。実際には、人口がゼロになるより前に、地域活動の一部が維持できなくなる可能性があります。

 例えば、自治会の役員を引き受ける人が見つからない、草刈りの参加者が集まらない、道路脇や空き地の管理が難しくなる、高齢者の見守りを近隣住民だけでは続けられないといった問題が考えられます。ただし、これらが外房の各集落でどの程度発生しているのかについては、個別の調査によって確認しなければなりません。

 外房地域には、海岸沿いの住宅地、農村部、丘陵地の小規模集落など、地理的条件や居住形態の異なる地域が存在します。同じ世帯数でも、住宅の集積状況、道路や水路の管理負担、周辺集落との距離、行政サービスへのアクセスなどによって維持能力は異なります。

 また、農業集落と自治会の区域が一致していない場合や、農家以外の住民、移住者、二地域居住者などが存在する場合も考慮する必要があります。住民登録上の世帯数だけでなく、日常的に居住している人がどの程度いるのか、実際に共同活動へ参加しているのは誰なのかという情報が重要になります。

 農林水産省は、2025年農業集落基準による集落別統計や集落境界データを公表しています。こうした資料を利用すれば、外房地域における農業集落の規模や農家戸数などを把握し、過去の統計と比較することができます。

 ただし、自治会役員の確保状況や草刈りの実働人数、年間の共同作業時間、管理対象の施設量などは、農林業センサスだけで把握できるわけではありません。各自治体の資料や自治会への聞き取りなどを組み合わせることで、初めて地域の実情に近い分析が可能になります。

 外房地域においても、全国統計に基づく一般的な傾向と、個々の集落で実際に確認された事実を区別しながら、維持可能性を判断することが必要です。

集落の維持を判断するために必要な指標

 これまでの研究や統計を踏まえると、集落の維持可能性を判断するためには、少なくとも世帯規模、実働人口、共同作業の負担、外部支援という四つの側面を確認する必要があります。

 第一に、総戸数と集落人口だけでなく、農家戸数、年齢構成、実際の居住状況を把握することです。住宅が残っていても空き家であれば日常的な活動の担い手にはならず、世帯数が同じでも住民の人数や年齢によって活動能力は異なります。

 第二に、共同活動に参加できる人数と時間を把握することです。自治会に加入している世帯が何世帯あるかという情報に加え、草刈り、清掃、防災などの活動ごとに、継続的に参加できる住民が何人いるのかを確認する必要があります。

 第三に、道路や水路、共同施設などの管理負担を把握することです。同じ10世帯でも、管理対象となる施設や土地の面積が異なれば、必要な作業量は変わります。人口や世帯数だけでなく、維持すべき対象の規模を調べなければ、実際の負担を比較することはできません。

 第四に、周辺集落や行政、関係団体からどの程度の支援を受けられるかを把握することです。集落内に十分な担い手がいなくても、周辺集落との共同作業や外部委託などによって維持できる活動はあります。ただし、支援体制そのものにも人員や費用の制約があるため、将来にわたって継続できるかどうかを確認する必要があります。

 これらを組み合わせれば、「何世帯以下になったら危険か」という単純な判断から、「現在の世帯数と活動能力で、どの機能をどこまで維持できるか」という、より現実的な評価に近づくことができます。

集落の維持能力を三つの段階で考える

 一般的な地域を考えるために、20世帯、10世帯、5世帯という三つの規模を例として整理することはできます。ただし、これは全国統計から厳密に算出された三段階の危険基準ではなく、地域運営を検討するための便宜的な区分です。

 20世帯前後の集落では、住民の参加状況や管理対象の規模によっては、従来の自治会運営や共同作業を継続できる可能性があります。一方、活動できる住民が限られている場合には、役員の兼務や共同作業の負担増加が問題になるため、この段階から活動内容や役割分担を見直すことに意味があります。

 10世帯前後の集落では、農林水産省が示す総戸数9戸以下の農業集落における活動実施率の低下傾向を踏まえ、従来の共同活動を維持できるかを慎重に確認する必要があります。特に、役員の確保、年間作業量、活動の後継者、周辺集落との連携状況などが重要になります。

 5世帯前後まで減少した集落では、活動を担える人数によっては、集落単独で多くの機能を維持することが難しくなる可能性があります。ただし、研究で示されている総戸数4戸以下の活動低下傾向と、5世帯という例示的な区分は同じものではありません。また、維持が困難になる活動の種類や程度は、集落ごとに異なります。

 このように三つの段階で考える場合にも、世帯数そのものを集落の存続可能性の判定基準にするべきではありません。世帯数は維持能力を点検するための入口であり、最終的な判断には、実働人数や必要作業量などの具体的な情報が必要です。

集落を残す方法は人口を元に戻すことだけではない

 人口減少対策というと、移住者を増やすことが最初に考えられます。新しい住民が増え、地域活動に参加する人が確保されれば、集落の維持能力が高まる可能性はあります。しかし、日本全体の人口が減少する中で、すべての小規模集落を移住によって再び数十世帯の規模に戻すことは、現実的には容易ではありません。

 そこで重要になるのが、従来は一つの集落で担ってきた活動を、複数集落や行政、関係団体と分担する仕組みです。例えば、農道や水路の管理を周辺集落と共同で行うことや、自治会の事務作業を簡素化すること、専門的な作業を事業者に委託することなどが考えられます。

 農林水産省では、農地や水路などの共同保全活動を支援する多面的機能支払交付金や、条件不利地域での農業生産活動などを支援する中山間地域等直接支払制度が設けられています。また、農用地保全、地域資源の活用、生活支援などを複数集落で補完する農村型地域運営組織の形成も推進されています。

 ただし、これらの制度には対象区域や活動内容、組織形態などの要件があるため、自治会の仕事がすべて支援対象になるわけではありません。また、広域化すれば必ず問題が解決するわけでもなく、複数集落を取りまとめる人材や運営費用、新たな役割分担が必要になります。

 2025年農林業センサスでは、地域資源を他の集落と共同で保全する割合が2020年より低下していました。この結果を踏まえると、共同化が自然に進んでいると考えることはできません。集落間の協力が必要であっても、それを実現するためには、住民同士の合意形成や具体的な運営体制の整備が求められます。

 重要なのは、集落の規模をかつての状態に戻すことだけを目標にするのではなく、人口や担い手が減少した状況でも必要な生活機能を維持できる仕組みへと変えていくことです。

問題は「何世帯残るか」ではなく「何世帯で何を維持するか」

 「集落は何世帯まで減ると維持できなくなるのか」という問いに対して、農業集落の統計から一つの目安を挙げるなら、総戸数9戸以下という規模は重要です。農林水産省の分析では、この規模の農業集落で共同活動の実施率が急激に低下する傾向が示されています。また、総戸数4戸以下など小規模化がさらに進み、高齢化が重なる場合には、共同活動の維持が一段と難しくなる可能性があります。

 しかし、これらの数値は、すべての集落に共通する絶対的な限界ではありません。集落の維持能力は、世帯数や人口だけでなく、住民の健康状態、参加可能な人数、必要な作業量、管理施設の規模、周辺集落との協力、行政による支援などの組み合わせによって決まります。

 人口30人の集落でも、地域活動を継続的に担える人が3人しかいなければ、共同活動の維持は難しくなる可能性があります。反対に、人口15人の集落であっても、活動可能な住民が比較的多く、必要な仕事量が小さく、周辺地域との協力体制が整っていれば、維持できる機能は増えるでしょう。

 さらに、集落の人口減少と共同活動の低下は、必ずしも一方向の関係ではありません。人口減少が地域活動の担い手不足を招く一方で、生活環境や地域の共同機能が低下することで、住民の転出や定住意欲の低下につながる可能性も考えられます。ただし、こうした因果関係の強さを判断するには、同じ集落を継続的に調べ、人口構成や活動状況の変化を分析する必要があります。

 これから人口減少が進む地域で問われるのは、「この集落を何世帯まで残せるか」という問題だけではありません。むしろ重要なのは、「少ない世帯数になったとき、どの活動を住民自身で維持し、どの活動を周辺集落や行政、関係団体と分担するのか」という問題です。

 集落は、最後の住民がいなくなった日に突然その機能を失うわけではありません。住民が暮らし続けていても、草刈り、水路管理、自治会運営、防災、見守りなどの活動が、部分的に縮小したり停止したりする可能性があります。一方で、活動内容の整理や外部との連携によって、小規模な集落でも必要な機能を維持できる場合があります。

 したがって、地方の将来を分析する際には、人口や世帯数の推移だけでなく、集落が担ってきた機能のうち、何が維持され、何が弱まり、何を外部と分担する必要があるのかを具体的に把握することが重要です。

 そのためには、草刈りや水路管理、防災、見守り、自治会運営といった活動について、それぞれの実施状況、担い手の充足状況、外部支援の有無などを継続的に確認することが考えられます。こうした項目を個別に把握すれば、単純な世帯数だけでは見えない集落の維持能力を、より客観的に評価できるようになります。

 集落の将来を考えるうえで本当に重要なのは、消滅までの世帯数を予測することではなく、人口が減少しても、そこで暮らす人々に必要な生活環境と地域機能を、どのような仕組みで維持していくかを考えることなのです。

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 地方で暮らしていると、ガソリンスタンドが生活を支える重要なインフラであることを、日常的に意識する機会はそれほど多くありません。自動車で買い物や通院に出かけ、仕事へ向かい、農業や建設業、配送業などで使用する車両に燃料を入れる。冬には暖房用の灯油を購入する家庭もあり、地域によっては燃料の配送サービスも欠かせません。こうした生活や経済活動は、必要なときに燃料を購入できることを前提として成立しています。

 しかし、人口減少が今後も続き、自動車の燃費改善や電動化が進めば、地方のガソリンスタンドを取り巻く経営環境は大きく変化します。利用者が減り、販売量が減少する一方で、設備の維持費や人件費、安全管理に必要な費用まで同じ割合で減るわけではありません。需要が小さくなっても一定の固定費が必要な事業である以上、地方ほど経営を継続する条件が厳しくなる可能性があります。

 ここで重要なのは、電気自動車が普及すればガソリンスタンドが不要になるという単純な話ではないことです。むしろ、ガソリンや軽油を必要とする車両が一定数残っているにもかかわらず、それらに燃料を供給する店舗が採算の問題から先に撤退してしまう可能性があります。地方の生活環境を2056年までの約30年間という長期で考えるとき、問題の中心になるのは、燃料需要が完全になくなるかどうかではなく、需要が減少する過程で地域の燃料供給体制を維持できるかどうかです。

ガソリンスタンドはすでに30年以上減少している

 日本のガソリンスタンドは、将来になって突然減り始めるわけではありません。資源エネルギー庁の統計によると、全国の給油所数は1994年度末の6万421か所をピークに減少を続け、2023年度末には2万7414か所、2024年度末には2万7009か所となりました。さらに、2026年8月に公表された2025年度末の集計では2万6412か所となり、前年度末から597か所減少しています。

 1994年度末から2025年度末までの31年間で減少した給油所は3万4009か所に達し、減少率は約56.3%となります。全国の給油所数は、最も多かった時期の半分以下にまで縮小したことになります。ただし、これらの数字は法律に基づく登録上の給油所数であり、すべての店舗が通常どおり営業していることや、地域住民が営業時間内に利用できることまで保証するものではありません。

 減少の理由を電気自動車の普及だけに求めることはできません。人口構造の変化、ガソリン車の燃費向上、燃料需要の減少、販売競争の激化、経営者の高齢化、後継者不足、人手不足、設備更新費用の負担など、複数の要因が長期間にわたって影響しています。電気自動車が本格的に普及する以前から給油所数は大幅に減少しており、今後の電動化は、すでに進行している構造変化に新たな要因が加わるものと考えるべきでしょう。

国の予測でもガソリン需要の減少は続く

 給油所数の減少と同時に確認しておきたいのが、国内の燃料需要そのものの変化です。経済産業省が2026年4月に公表した「2026~2030年度石油製品需要見通し」では、国内のガソリン需要は2024年度実績の約4364万キロリットルから、2030年度には約3915万キロリットルへ減少すると予測されています。6年間で約10.3%の減少となり、政府もガソリン需要の縮小が続くと見込んでいます。

 ただし、石油製品の需要がすべて同じ速度で減少するわけではありません。同じ見通しでは、2024年度から2030年度にかけて、軽油の需要は約4.9%、灯油の需要は約23.2%減少するとされています。乗用車の燃料として使われるガソリン、物流や建設機械などに使われる軽油、家庭や事業所で消費される灯油では、需要を決める要因が異なるためです。

 この違いは、地方のガソリンスタンドの将来を考えるうえで重要です。ガソリンの販売量が減少しても、軽油を使用する事業用車両や農業機械などの需要が残る地域では、燃料販売の構成が変わる可能性があります。一方、灯油配送を重要な収益源としている店舗では、暖房設備の電化や住宅性能の改善などによる灯油需要の減少が経営に影響するかもしれません。給油所の存続可能性を判断するには、ガソリンだけでなく、軽油、灯油、その他のサービスを含めた収益構造を確認する必要があります。

 もっとも、これらは全国の需要見通しであり、個別の市町村にそのまま適用できるものではありません。観光地では地域外から訪れる自動車の給油需要があり、農業や物流の比重が高い地域では住民人口だけでは説明できない燃料消費が存在します。全国平均の需要減少率を、そのまま外房の各自治体の需要減少率とみなすことは適切ではありません。

人口減少と燃費改善が重なると需要はどう変わるのか

 地域のガソリン需要を数理的に考える場合、基本になるのは、自動車の利用台数、1台当たりの年間走行距離、燃費、そしてガソリンを消費しない電動走行の割合です。利用台数が減り、走行距離が短くなり、燃費が改善すれば、ガソリンの販売量は減少します。電気自動車の普及やプラグインハイブリッド車の電動走行が増えれば、さらに需要を押し下げる要因となります。

 ここで注意すべきなのは、人口減少と自動車台数の減少を、それぞれ独立した要因として単純に掛け合わせてはいけないことです。人口減少によって自動車の利用台数が減る場合、その影響はすでに車両台数に含まれています。両方を別々の減少要因として計算すると、同じ効果を二重に数えるおそれがあります。また、地方では一人当たりの自動車保有台数が高い地域もあり、人口減少率と自動車台数の減少率が一致するとは限りません。

 仮に、ある地域で現在3000台の自動車が利用され、1台当たり年間1万2000キロメートル走行し、平均燃費が1リットル当たり15キロメートルだとします。この場合、年間のガソリン消費量は240万リットルになります。30年後に利用車両が2000台へ減少し、年間走行距離は変わらず、ガソリンを使用する車両の平均燃費が20キロメートルまで改善し、走行距離全体の30%が電気などによるガソリンを消費しない走行へ移行したと仮定すれば、年間のガソリン需要は84万リットルとなります。

 この仮想例では、自動車の利用台数は約33%の減少ですが、ガソリン需要は65%減少します。もちろん、これは外房の実際の将来予測ではありません。自動車の保有率や走行距離、電動化の進展、平均燃費などの仮定を変えれば、計算結果も大きく変わります。それでも、車両台数の減少に燃費改善や電動化が重なると、地域の人口減少率を上回る速度でガソリン需要が縮小する可能性を示しています。

 反対に、公共交通の縮小によって自動車への依存度が高まれば、人口が減少しても一人当たりの走行距離が増える可能性があります。地方の燃料需要を将来推計するには、人口だけを使った単純な予測では不十分であり、地域の交通環境や産業構造まで考慮する必要があります。

2035年にガソリン車がなくなるわけではない

 政府は2035年までに、乗用車の新車販売に占める電動車の割合を100%にする目標を掲げています。しかし、この電動車には、電気自動車だけでなく、ハイブリッド自動車、プラグインハイブリッド自動車、燃料電池自動車も含まれています。ハイブリッド自動車はガソリンを使用するため、2035年以降にガソリンを使用する乗用車が新車として販売されなくなるという意味ではありません。

 さらに、新車販売の構成が変化しても、道路を走る自動車が直ちにすべて入れ替わるわけではありません。自動車は購入後も長期間使用されるため、過去に販売された車両は2040年代以降も一定数残ると考えられます。また、トラック、農業機械、建設機械、二輪車、発電機などは、それぞれ用途や技術的条件が異なり、乗用車と同じ速度で電動化が進むとは限りません。

 将来の技術進歩によって電池の性能が大幅に向上したり、脱炭素燃料の利用が広がったりする可能性もありますが、30年後の燃料別車両構成を現時点で正確に予測することは困難です。したがって、2056年になっても地方にガソリンや軽油の需要が残る可能性は十分に考えられる一方、その需要が現在の何割になるかを断定することはできません。

 ただし、液体燃料の需要が残ることと、それを販売するガソリンスタンドが存続することは別の問題です。燃料を必要とする人が一定数存在していても、販売量が店舗の経営を維持する水準に達しなければ、民間事業者は営業を継続できなくなる可能性があります。

ガソリンが売れていても店舗が維持できない理由

 ガソリンスタンドの経営では、燃料販売量が減少しても、設備の維持管理費、人件費、光熱費、保険料、安全管理費などが同じ割合で減るわけではありません。特に地下タンクや配管、給油設備には法令に基づく安全対策や点検が必要であり、設備の老朽化が進めば補修や更新の費用も発生します。販売数量の少ない店舗ほど、こうした費用を燃料販売による利益で回収することが難しくなります。

 例えば、ある給油所の年間固定費を1000万円、燃料販売以外の事業から得られる年間の限界利益を100万円、燃料1リットル当たりの限界利益を15円と仮定すると、固定費を回収するためには年間60万リットルの燃料販売が必要になります。これは説明用の仮定であり、実際の給油所の利益率や採算水準を示すものではありませんが、販売量が一定水準を下回ると経営が成立しにくくなる構造を理解するには有効です。

 先ほどの仮想地域で、現在240万リットルの需要を3店舗が均等に分けているとすれば、1店舗当たりの年間販売量は80万リットルです。しかし、30年後の需要が84万リットルまで減少すると、3店舗では1店舗当たり28万リットル、2店舗でも42万リットルにしかならず、仮定した損益分岐点を下回ります。一方、1店舗に需要が集約されれば84万リットルとなり、経営が成立する余地が生まれます。

 もちろん、実際には店舗ごとに立地条件、販売価格、仕入れ条件、設備費用、その他の収益が異なり、需要が均等に配分されるわけでもありません。店舗が閉鎖されれば利用者が地域外へ流出する可能性もあり、残った店舗にすべての需要が移るとは限りません。それでも、燃料需要が減少する過程では、すべての店舗が同じように小さくなるのではなく、撤退と集約が進む可能性があります。

 さらに、経営者の引退や地下タンクなどの設備更新は、店舗の存続を判断する重要な節目となります。日々の営業で一定の利益を得ていても、大規模な設備更新に必要な投資を回収できないと判断すれば、経営者は廃業を選択するかもしれません。そのため、給油所の減少は毎年一定の速度で進むとは限らず、設備更新や事業承継の時期に閉鎖が集中する可能性もあります。

「町に一軒しかない」状態では問題の性質が変わる

 資源エネルギー庁は、市町村内の給油所数が3か所以下である地域を、給油所過疎の重要な対象として扱ってきました。2026年8月に公表された「新たな地域燃料流通に関する研究会」の中間とりまとめでは、さらに、居住地から15キロメートル以内に給油所が存在しない地域を含む市町村も、給油所過疎の対象として明確に位置付けています。

 給油所が3店舗から2店舗になる段階では、住民生活への影響が限定的に見える場合もあります。しかし、2店舗が1店舗になると、地域の燃料供給は特定の事業者に大きく依存することになります。唯一の店舗が設備故障や従業員不足で休業したり、経営者が引退して廃業したりすれば、住民は自治体の外まで燃料を購入しに行かなければならないかもしれません。

 競争環境にも変化が生じます。都市部では複数の給油所から価格やサービスを比較できますが、選択肢が限られる地域では価格競争が弱まりやすくなります。一方、燃料価格が高ければ必ず不当な利益が生じているというわけではありません。販売量が少なく配送費や固定費の負担が大きい地域では、都市部と同じ販売価格では採算が成立しない場合があります。

 この段階になると、給油所は単なる民間の小売店舗ではなく、地域の生活と経済活動を支える基礎的な供給施設としての性格を強めます。利用者が少ないからといって簡単になくせるものではなく、かといって利用者が少ないまま従来の店舗数を維持すれば、事業者の経営負担が大きくなるという難しさがあります。

外房の給油所は現在どのような状況にあるのか

 外房の将来を考えるために、勝浦市、いすみ市、大多喜町、御宿町の状況を確認してみます。2024年6月付で公表された石油販売業界の市町村別資料によると、登録給油所数は、いすみ市が18か所、勝浦市が8か所、大多喜町が6か所、御宿町が3か所で、4市町の合計は35か所でした。

 この時点ですでに御宿町は、市町村内の給油所が3か所以下という基準に該当しています。ただし、これは2024年当時の登録数であり、2026年現在の営業店舗数や営業時間を示したものではありません。また、御宿町内の店舗が減少した場合でも、住民が必ず遠方まで給油に行くとは限りません。町境に近い地区では、勝浦市やいすみ市の給油所を利用できる場合があるためです。

 一方、大多喜町のように山間部を広く抱える地域では、行政区域内に複数の店舗が残っていても、住宅地から最寄りの給油所まで相当な距離がある可能性があります。勝浦市やいすみ市でも、沿岸部と内陸部では道路網や店舗の分布が異なります。そのため、単純に市町村の人口を給油所数で割った数字だけでは、住民の利便性を正しく評価できません。

 御宿町のように比較的面積が小さく、隣接自治体との往来が可能な地域と、大多喜町のように広い山間部を抱える地域では、同じ給油所数でも住民生活への影響が異なります。外房全体の燃料供給を考えるなら、自治体ごとの店舗数だけでなく、店舗の所在地、営業時間、販売する燃料の種類、道路網、実際の移動距離を組み合わせて分析する必要があります。

2050年の外房人口は約44%減少する推計

 外房の燃料需要を長期的に考えるうえで、人口減少は無視できません。国立社会保障・人口問題研究所が2023年に公表した地域別将来推計人口によると、勝浦市、いすみ市、大多喜町、御宿町の2市2町の総人口は、2020年の6万8230人から2050年には3万7912人へ減少すると見込まれています。30年間で約44.4%の減少です。

 自治体別に見ると、いすみ市は3万5544人から2万218人へ、勝浦市は1万6927人から8815人へ、大多喜町は8885人から4498人へ、御宿町は6874人から4381人へ減少する推計です。減少率はそれぞれ約43.1%、47.9%、49.4%、36.3%となり、どの自治体でも大幅な人口減少が予測されています。

 ただし、これは2020年の国勢調査を基準に一定の仮定を置いて算出された将来推計であり、2050年の人口が必ずこの数字になるという意味ではありません。また、2050年の推計をそのまま2056年の人口予測として扱うこともできません。移住や出生、死亡、転出入の状況が変化すれば、実際の人口は推計値から離れる可能性があります。

 それでも、外房の人口規模が今後数十年間で大幅に縮小する可能性を示している点は重要です。地域全体の人口が減れば、自動車の利用者数や燃料購入者数も減少する方向に働きます。一方、観光客の来訪や業務用車両の利用、公共交通の変化などによって、燃料需要が人口と同じ割合で減るとは限りません。

 また、高齢化も給油所の立地を考えるうえで重要な要因です。自動車を運転できる高齢者であっても、遠方への運転や夜間の移動が負担になる場合があります。人口が少なくなるだけでなく、長距離移動が難しい住民の割合が高まる地域では、給油所までの距離が生活上の問題として一層重要になる可能性があります。

ガソリンスタンドが何軒あるかより、何キロ先にあるか

 地方の生活インフラを評価する場合、施設の総数と住民の利用しやすさは必ずしも一致しません。行政区域内に給油所が存在していても、住宅地から遠く離れていたり、営業時間が限られていたりすれば、実際の利便性は低くなります。反対に、自治体内の給油所数が少なくても、隣接自治体の店舗が近くにあれば、日常生活への影響は小さい場合があります。

 仮に、近くの給油所が閉鎖されたことで、給油のために往復20キロメートルの追加走行が必要になったとします。燃費が1リットル当たり15キロメートル、ガソリン価格が1リットル180円なら、追加燃料費は約240円になります。さらに、平均時速35キロメートルで移動すれば、約34分の移動時間が増える計算です。これは説明用の仮定であり、実際には買い物や通院の途中で給油することもあるため、追加の移動距離が常に20キロメートルになるわけではありません。

 しかし、燃料費だけでなく時間や移動の負担を含めて考える必要があることは明らかです。高齢者にとっては運転時間の増加が負担になることもあり、農業や配送などで頻繁に燃料を補給する事業者にとっては、給油のための移動が生産性の低下につながる可能性があります。

 地域分析では、居住地から最寄りの給油所までの道路距離を計測し、それぞれの地区の人口を考慮した平均距離を求める方法が有効です。ただし、平均値だけでは、特に遠方に住む人の不便さが見えなくなる場合があります。そのため、最寄り店舗まで15キロメートル以上ある地区の人口、店舗が1か所閉鎖された場合の追加移動距離、高齢者人口、営業時間、公共交通による代替可能性などを合わせて評価することが望まれます。

 国の研究会でも、最寄りの給油所までの道路距離が15キロメートル以上となる地区を含む市町村が、全国で291自治体存在するという状況が示されています。給油所までの距離が問題になる地域は、将来初めて現れるわけではなく、すでに各地に存在しています。

災害時にはガソリンスタンドの価値がさらに高まる

 地方の燃料供給を考える際、平常時の経営採算だけでは評価できない理由があります。それは災害時の燃料供給です。大規模停電や道路寸断が発生した場合、救急車、消防車、自治体の災害対応車両、復旧工事車両、発電機などに燃料が必要になります。停電が長期化すれば、医療施設や福祉施設、通信設備などの非常用電源を動かすための燃料供給も重要になります。

 資源エネルギー庁は、自家発電設備を備え、停電時にも給油を継続できる給油所を「住民拠点SS(Service Station・サービスステーション)」として整備してきました。2026年3月31日時点では、全国で1万4215か所が住民拠点給油所となっています。こうした施設は、平常時の販売拠点であると同時に、非常時には地域の燃料供給を支える役割を担います。

 もっとも、自家発電設備を設置していれば、どのような災害でも給油を継続できるわけではありません。給油設備の損壊、燃料在庫の不足、道路の通行止め、配送体制の混乱などが発生すれば、店舗が存在していても必要な燃料を供給できなくなる可能性があります。災害対応力を評価するには、給油所数や非常用電源の有無だけでなく、燃料の備蓄量、補給経路、設備の耐災害性、関係機関との協力体制も確認する必要があります。

 房総半島では、2019年の台風第15号によって広範囲の停電が発生した経験があります。こうした地域では、平常時には販売量が少ない給油所でも、非常時には重要な供給拠点となる場合があります。経営効率だけを優先して店舗数を減らした結果、災害時の燃料供給能力まで低下するのであれば、社会全体として別の負担が発生する可能性があります。

 ただし、災害対応のためにすべての給油所を現在の形で維持することが最善とは限りません。重要な拠点への設備投資、燃料備蓄、配送体制の強化、緊急車両への優先供給など、複数の対策を比較し、限られた財源で地域の供給力を確保する必要があります。

国も給油所の維持を地域政策の問題として捉え始めている

 給油所の減少が全国で続くなか、国も燃料供給を民間事業者の経営判断だけに委ねることの難しさを認識しています。経済産業省は2026年8月、「新たな地域燃料流通に関する研究会」の中間とりまとめを公表するとともに、自治体向けの「過疎地におけるガソリンスタンドの維持に関するガイドライン」を策定しました。

 この中間とりまとめでは、給油所過疎地に該当する自治体の約6割が問題を認識している一方、実際に対策を実施している自治体は約1割にとどまるという課題も示されています。地域の燃料供給が重要であることは理解されていても、事業者の経営に行政がどこまで関与すべきか、どのような方法で維持するかという具体的な対応は、十分に進んでいない状況がうかがえます。

 国は2026年度、最寄り給油所までの距離がおおむね15キロメートル以上となることなどを基準として、全国50か所程度の給油所を「地域インフラSS」の候補として選定し、自治体や石油販売事業者などによる地域の燃料供給計画づくりを支援する方針を示しました。これは、給油所の維持を個々の事業者だけの問題ではなく、地域全体で検討すべき課題として位置付ける動きといえます。

 もっとも、給油所が3か所以下になったからといって、自治体にその店舗を維持する法的義務が発生するわけではありません。公的な支援を行う場合には、生活への必要性、代替店舗までの距離、災害時の役割、事業者の経営状況、自治体の財政負担などを検証し、支援の対象や方法を合理的に判断する必要があります。

最後の一軒を残すには、どのような方法があるのか

 地域の燃料需要が減少するなかで、従来と同じ経営方法を続けるだけでは維持が難しい給油所も出てくると考えられます。その場合、営業時間の調整、複数事業者の共同運営、設備の省力化、他業種との複合化、燃料配送の効率化、公設民営方式など、地域の条件に応じた対応が必要になるでしょう。

 例えば、一定の需要を一つの店舗に集約することで販売量を確保できれば、従来より経営が安定する可能性があります。人手不足が主な原因であれば、省力化設備や運営方法の見直しによって営業を継続できる場合もあります。また、自治体や地域の公共的な事業者が継続的に燃料を購入する仕組みは、店舗の需要を安定させる一つの方法となり得ます。

 一方で、自治体が設備を所有し、民間事業者が運営する公設民営方式には、初期投資や更新費用を地域の財政で負担するという問題があります。公的資金を投入する以上、その店舗が地域にとってどれだけ必要なのか、代替手段が存在するのか、他の公共サービスとの優先順位をどう考えるのかという検証を避けることはできません。

 地方の給油所を維持する政策では、すべての店舗を救済することと、地域に必要な燃料供給を守ることを区別する必要があります。既存店舗を維持するより、配送体制を確保した方が効率的な場合もあれば、周辺の住民や事業者にとって不可欠な場所にある店舗を維持する方が合理的な場合もあります。重要なのは、個々の店舗の存続そのものではなく、地域全体として必要な燃料を確保できる仕組みを残すことです。

30年後のガソリンスタンドは地域エネルギー拠点になるのか

 今後の給油所の役割を考えると、従来のガソリンや軽油の販売に加えて、電気自動車の充電、灯油配送、自動車整備、災害対応、地域商店などを組み合わせた施設へ変化する可能性があります。人口が減少する地域では、単一の事業だけで採算を確保することが難しくなり、複数のサービスを提供することで収益機会を増やそうとする動きが生じると考えられます。

 ただし、事業の複合化が必ず経営改善につながるわけではありません。電気自動車は自宅や目的地で充電できるため、ガソリン車と同じ頻度で給油所を利用するとは限りません。また、急速充電設備には導入費用や受電設備の整備、電力契約、維持管理費などが必要であり、利用者が少なければ投資を回収できない可能性があります。

 灯油配送や液化石油ガスの販売なども、それぞれ異なる設備、配送体制、安全管理が必要になるため、単純に事業を増やせば利益が増えるというものではありません。地域エネルギー拠点として成立させるには、地域の需要、利用者の移動行動、投資額、人員配置などを具体的に検証する必要があります。

 また、将来の給油所がすべて同じ形になるとも限りません。人口の多い幹線道路沿いでは従来型の給油所が残り、人口の少ない地区では営業時間を限定した小規模な供給拠点や、配送機能を中心とした施設が必要になるかもしれません。地域の産業構造や道路事情によって、適切な施設の規模や機能が異なると考える方が現実的です。

外房では、給油所の将来をどのように分析すべきか

 外房の給油所問題を具体的に分析するためには、まず現在営業している店舗の位置と機能を正確に把握する必要があります。登録上の店舗数だけでなく、実際の営業状況、営業時間、ガソリン・軽油・灯油の取扱状況、配送サービスの有無、災害対応設備などを整理することが出発点となります。

 そのうえで、地区別の将来人口や高齢者人口、自動車の利用状況、農業・建設・物流などの産業活動、観光客の流入、道路網などを重ね合わせ、燃料需要と供給施設の配置を分析する必要があります。特に重要なのは、給油所が1か所閉鎖された場合に、どの地区の住民が何キロメートル余計に移動しなければならなくなるかという点です。

 さらに、2030年、2040年、2050年という複数の時点について、燃料需要の減少が緩やかな場合、中程度の場合、急速に進む場合という複数の条件を設定すれば、地域ごとの供給体制がどの程度維持できるかを比較できます。ただし、人口推計だけで店舗の将来数を算出することはできません。実際の経営採算には店舗ごとの販売量、利益率、固定費、設備更新費用、後継者の有無などが関係するため、それらの情報がなければ閉鎖時期や残存店舗数を正確に予測することは困難です。

 また、給油所の配置は市町村の境界だけで決めるべきものではありません。勝浦市、いすみ市、大多喜町、御宿町は道路によって生活圏がつながっており、住民の移動や事業者の活動も自治体の境界を越えています。地域全体で供給拠点をどのように配置すれば住民の移動負担を抑えられるかを考えることが、将来の燃料供給政策では重要になるでしょう。

30年後も残るのではなく、残す必要がある地域が出てくる

 今後30年間で、地方のガソリンスタンドがさらに減少する可能性は高いと考えられます。人口減少や燃費改善、電動化によって燃料需要が縮小するという基本的な方向性は、これまでの統計や政府の需要見通しとも整合しています。ただし、需要の減少と店舗数の減少が同じ割合で進むとは限らず、どの地域で何店舗が残るのかを現在の情報だけで断定することはできません。

 ある地域では店舗の集約によって残った給油所の経営が安定するかもしれませんが、別の地域では需要が小さくなりすぎて、最後の一店舗を民間事業だけで維持することが難しくなる可能性があります。その場合には、自治体や地域の事業者が連携し、設備投資の支援、共同運営、配送体制の整備などを含めて、必要な燃料を供給する方法を検討しなければならなくなるでしょう。

 重要なのは、ガソリン車が完全になくなるまで給油所が自然に残るという保証はないことです。車両が残っていても、販売量が採算水準を下回れば店舗は撤退する可能性があり、住民はより遠くまで燃料を購入しに行かなければならなくなります。公共交通が十分ではない地方ほど自動車への依存度が高いにもかかわらず、人口減少によって燃料供給の維持が難しくなるという構造的な問題が存在しています。

 30年後の地方で問われるのは、ガソリンスタンドという名称の店舗が現在と同じ数だけ残っているかどうかではありません。ガソリンや軽油を必要とする住民や事業者が、生活や経済活動を継続できる距離と費用で燃料を確保できるかどうかです。さらに、災害時にも地域に必要な燃料を供給できる体制を維持できるかという問題もあります。

 人口が減少しても、地域の道路や住宅が直ちになくなるわけではありません。救急、消防、介護、配送、農業、建設などの機能も、地域社会が存続する限り一定の需要が残ります。自動車の電動化が進んだとしても、その移行期間に必要となる燃料供給をどのように確保するかは、地方にとって避けられない課題です。

 水道、医療、スーパー、公共交通などと同じように、給油所もまた、利用者が減ったからといって単純に廃止できる施設ではありません。一方で、すべてを従来どおり維持することも現実的ではなくなっていきます。どの施設を、どの場所に、どの規模で残すべきかという判断が、地域政策として重要になるでしょう。

 地方のガソリンスタンドの30年後を考えることは、石油産業の将来だけを考えることではありません。人口が減少する地域で、限られた住民と財源によって、どこまで現在の生活圏を維持できるのかという問題です。

 そして外房でも、給油所が一軒減ったという出来事を、単なる店舗の閉鎖として捉えるだけでは不十分になる時代が近づいています。これから必要になるのは、閉鎖が決まってから対応を考えることではなく、地域の将来人口、燃料需要、給油所の採算、住民の移動距離を継続的に確認し、供給が途絶える前に必要な対策を検討することです。30年後の地方に残すべきものは、現在と同じ数のガソリンスタンドとは限りません。しかし、必要な燃料を、必要な場所で、無理のない負担で購入できる仕組みは、地域社会を維持するために残していかなければならないのです。

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