地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 人口が減る地域で医療の問題を考えると、議論はどうしても「病院が少ない」「医師が足りない」というところから始まる。確かに、それは間違っていない。しかし、人口そのものが減少し、医師や看護師の確保も難しくなる地域で、新しい病院や診療所を次々につくることは現実的ではない。建物だけを用意しても医療は成立せず、医師、看護師、検査技師、医療事務などを確保し続けなければならない以上、患者数が減り続ける地域では経営そのものが難しくなるからである。

 では、病院を増やせない地域では、住民の通院負担を減らすこともできないのだろうか。そこで発想を少し変えてみると、病院そのものを増やすこととは別の市場が見えてくる。病院へ行くことが大変なのであれば、病院を近くにつくることだけを考えるのではなく、患者が病院へ行き、診察を受け、薬を受け取り、家に帰るまでの一連の過程に存在する負担を減らせばよいのである。

 地方の高齢者にとって、通院とは診察室で医師と話している十数分だけを意味しない。予約日を確認し、保険証や診察券を準備し、家族に送迎を頼み、病院へ移動し、診察まで待ち、検査を受け、診察が終われば薬局へ行き、ときにはその外出に合わせて買い物まで済ませて帰宅する。本人が自動車を運転できなくなれば、その一連の行動は突然難しくなり、道路上の距離は変わっていないのに、病院だけが急に遠くなったように感じられる。

 実際、高齢者の医療アクセスを扱った研究では、病院の数や医師数だけでなく、交通手段、運行時間、家族への依存、予約のしにくさなどが受診を妨げる要因になることが繰り返し指摘されている。したがって、地域医療の問題を「医療資源が足りない」という一つの問題だけとして見るのではなく、「医療資源は存在しているが、そこへ到達するまでの生活上の摩擦が大きい」と捉えることには、十分な合理性がある。

通院の問題は、交通だけではない

 そこで思いつきやすいのが、高齢者を病院まで送迎するサービスである。しかし、通院負担を送迎だけの問題として捉えると、見落とすものが多い。高齢者本人が困っているのは、自宅から病院までの数キロメートルだけではなく、予約日を忘れないこと、必要な持ち物を揃えること、時間どおり家を出ること、診療が何時に終わるか分からないこと、薬局まで移動することなどを含めた一連の段取りだからである。

 例えば、利用者に前日に連絡して翌日の受診を確認し、当日は病院まで同行し、受診後には薬局や買い物へ寄り、帰宅したことを離れて暮らす家族へ知らせる。こうして考えると、医療行為そのものではないが、通院を成立させるためには欠かせない仕事が数多く残されていることが分かる。

 重要なのは、こうした仕事の多くは医師や看護師でなければできないものではないという点である。医療そのものを提供するのではなく、既存の医療へ人をつなぐ仕事であれば、小さな事業者にも関与できる余地が生まれる。ただし、ここで「困っている人がいるから市場がある」と短絡してはいけない。必要とされるサービスが存在することと、それに十分な料金を払う人が存在すること、さらにその料金で事業者が利益を残せることは、まったく別の問題だからである。

「必要とされる」と「商売になる」は違う

 地域ビジネスを考えるとき、最も危険なのは、社会的に必要なものは必ず事業になると思い込むことである。通院に困っている高齢者が多く、そのうち相当数が送迎や同行を希望していたとしても、それだけでは民間事業として成立することを意味しない。

 調査によっては、高齢者の多くがドア・ツー・ドア型の移動支援を利用したいと答えている一方、支払ってもよい金額として実費程度を挙げる人が多いことも報告されている。利用したいという意思は存在しても、人件費、車両費、保険、予約管理などを含めた十分な料金を支払う意思があるとは限らないのである。

 この違いは大きい。事業を成立させるためには、「困っている人が何人いるか」だけでなく、「そのうち何人が有料サービスを利用するのか」「一回当たりいくらまで払えるのか」「月に何回利用するのか」まで調べなければならない。

 したがって、通院支援を新規事業として考えるなら、高齢化率や人口だけを眺めていても不十分である。実際に住民がどの医療機関へ通っているのか、家族送迎がどの程度使われているのか、タクシー料金を負担に感じているのか、自治体の交通支援がどこまであるのかを確認し、そのうえで初めて市場の大きさを推定できる。

この仕事の採算を壊すのは、距離だけではなく「時間」である

 通院支援事業を考えると、まず燃料代や走行距離に目が向きやすい。しかし、実際に採算を大きく左右するのは、むしろ人員が何時間拘束されるかである。

 例えば、一人の利用者から三千円を受け取り、病院への往復と付き添いに三時間半かかったとする。仮に人件費を一時間千五百円と考えれば、人件費だけで五千二百五十円になり、そこへ燃料、車両の減価、保険、予約管理などが加わる。これでは一人を一回送迎するだけでは赤字になりやすく、一人当たりの料金を大幅に引き上げるか、一回の運行で複数人をまとめなければ採算は取れない。

 ところが、複数人を同じ病院へ運べば必ず効率化できるとも限らない。ある利用者は三十分で診察が終わり、別の利用者は検査が追加されて二時間かかることがあるため、診療終了時刻のばらつきによって車両とスタッフが長時間拘束されるからである。

 つまり、通院支援事業の経営を難しくするのは距離だけではない。診療終了時間を予測しにくいという「時間の不確実性」が、稼働率を下げるのである。

 この問題を小さくするには、サービスをすべて付き添い型にしないという発想が必要になる。予約確認だけをする利用者、出発時刻を電話で知らせる利用者、病院まで同行する利用者、帰宅確認だけを家族へ知らせる利用者というように、必要な支援を分けることができれば、一人に数時間付き添うモデルよりも効率は上がる可能性がある。

「患者」だけを顧客だと考えない

 ここで、もう一つ重要な視点が出てくる。

 サービスの利用者が高齢者本人であっても、料金を支払う人まで本人である必要はない。地方に暮らす高齢の親を、東京や千葉市など離れた地域で暮らす子どもが心配しているケースは少なくない。家族が仕事を休んで通院に付き添えば、交通費だけでなく、休暇や移動時間という見えないコストも発生する。

 この負担を考えれば、「親を病院まで送るサービス」よりも、「親が予定どおり病院へ行き、無事に帰宅したことまで確認できるサービス」に価値を感じる家族が存在する可能性がある。

 ただし、ここでも可能性と事実を混同してはいけない。家族が心配していることは確認できても、その家族が月額いくらまで支払うのかについては、地域や所得、親子関係によって大きく異なる。したがって、遠方の子世代を支払者とするモデルは有望な仮説ではあるが、本当に事業になるかどうかは、実際の聞き取りや小規模な実証によって確かめる必要がある。

 むしろ、このような検証を行わずに料金を決めることの方が危険である。月三千円なら利用者が多いが採算が取れず、月一万円なら採算は取れるが契約者がほとんどいないということも十分にあり得る。必要なのは、利用人数と料金の両方を同時に考えることである。

医療情報を扱わない方が、かえって事業はつくりやすい

 家族向けのサービスを考えると、「診察結果まで報告してくれれば便利だ」という話になりやすい。しかし、ここには慎重さが必要である。

 病歴や診療内容は個人情報の中でも特に慎重な取扱いが求められる情報であり、本人の同意なく第三者へ伝えるべきものではない。さらに、付き添い事業者が医師の説明を解釈して家族へ伝えるようになれば、単なる生活支援の範囲から離れてしまう危険もある。

 したがって、事業を安全に設計するなら、「病院へ到着した」「受診が終わった」「薬局へ寄った」「自宅へ戻った」といった生活上の事実だけを共有し、診断名や医師の説明そのものは本人または医療機関から家族へ伝えてもらう方がよい。

 医療の代わりをしないからこそ、この仕事は成立しやすくなる。病気を判断する仕事ではなく、必要な医療へ確実につながれるよう支援する仕事と定義した方が、利用者にも事業者にも分かりやすい。

送迎サービスを始めればよい、というほど簡単ではない

 さらに、日本でこの仕事を考えるなら、法律上の整理も避けられない。

 自家用車に利用者を乗せ、運送の対価として料金を受け取る場合には、道路運送法との関係を確認する必要がある。単に自分の車で高齢者を病院へ送り、料金を受け取ればよいというものではない。

 一方で、一定の条件のもとで自治体や非営利団体などが行う自家用有償旅客運送という制度があり、また、運転そのものとは別に実態のある付き添いや生活支援サービスについて料金を受け取る形が考えられる場合もある。ただし、「送迎料金」という名称を「付き添い料金」に変えればよいという単純な話ではなく、実際にどのようなサービスを提供しているのかによって判断される。

 したがって、通院支援事業を考えるなら、最初に車を買うのではなく、最初に事業の範囲を決めるべきである。既存のタクシー会社と連携し、自分は予約、同行、待ち時間の支援を担当する方法もあるし、自治体や地域交通との連携を前提にする方法もある。

 新しい事業とは、必ずしもすべてを自社で抱えることではない。既に存在する交通と医療をつなぐ役割に徹する方が、小さな地域事業としては現実的な場合もある。

オンライン診療が広がれば、この仕事はなくなるのか

 オンライン診療の普及によって、通院そのものが減る可能性はある。しかし、それによって通院支援が不要になるとは考えにくい。

 オンライン診療では画面越しに医師と話すことはできても、採血、画像検査、処置など、医療機関へ行かなければ受けられないものは残る。また、高齢者の場合には、スマートフォンやタブレットの操作、予約、通信接続、決済などが新たな障壁になることもある。

 すると、将来の通院支援は「病院まで運ぶ仕事」だけではなくなるかもしれない。普段は自宅でオンライン診療の接続を支援し、必要な検査があるときだけ病院への移動を支援するようになれば、利用者の通院回数そのものを減らしながら必要な医療を維持できる。

 ここでも重要なのは、医療そのものを提供しようとしないことである。専門家に代わるのではなく、専門家へつながるための障害を取り除くのである。

地方の商機は、大きな不足より「小さな摩擦」にある

 地方の新規事業を考えると、どうしても「病院がない」「スーパーがない」「公共交通がない」という大きな問題に目が向く。しかし、小さな事業者がそれらを丸ごと解決することは難しい。

 ところが、生活の中で人を苦しめているのは、大きな不足だけではない。雨の日には病院まで行けない、診察が何時に終わるか分からないので迎えを頼みにくい、薬局まで歩くのがつらい、遠くの子どもに毎回頼むのは気が引けるといった、一つ一つは小さく見える不便が積み重なることで、生活全体の自由度は低下していく。

 この一つ一つの不便を経済学的に見れば、「摩擦」と考えることができる。

 施設そのものを増やすには大きな資本が必要だが、施設と利用者の間にある摩擦を減らすことなら、小規模な事業でも可能である。人口が減る社会では、施設そのものを増やす事業より、既存施設を使いやすくする事業の重要性が高くなる可能性がある。

ただし、成立する地域と成立しない地域がある

 このモデルがどこでも成り立つと考えるのも危険である。

 利用者が広い地域に一人ずつ散らばっていれば、移動時間だけで採算が悪化する。家族送迎が十分に機能している地域では、有料サービスへの需要は小さいかもしれない。自治体の無料送迎や病院の送迎車が充実している地域では、民間事業者が料金を取って参入する余地も小さくなる。

 一方で、高齢者が比較的まとまって居住し、主要な通院先がいくつかの病院に集中し、子ども世代が地域外へ出ている地域では、条件は変わる。一定の範囲に利用者が集まっていれば移動効率は高まり、同じ病院へ通う利用者をある程度まとめることも可能になる。

 事業成立を左右するのは、単純な人口規模ではなく「顧客密度」である。

 例えば高齢者が一万人いる市町村でも、広大な地域に分散していれば支援コストは高くなる。一方、高齢者が千人しかいなくても、一つの住宅地に集中し、同じ病院へ通っているなら、小規模サービスが成立する可能性はむしろ高くなる。

 人口統計だけでは、この違いは見えてこない。

最初に調べるべきなのは病院数ではなく、人の動きである

 この事業を本当に検討するのであれば、地域の高齢化率だけを調べて終わるべきではない。

 住民がどの医療機関へ通っているのか、一か月に何回通院するのか、何曜日に集中しているのか、現在どのような交通手段を使っているのか、送迎している家族はどこに住んでいるのか、現在の交通費はいくらなのかを調べる必要がある。

 そのうえで、例えば百世帯に聞き取りを行い、「月三千円なら利用する」「五千円なら利用する」「一万円でも家族が払う」といった支払意思を確認すれば、初めて売上の推定ができる。

 さらに、その利用者の自宅と病院の位置を地図上に置けば、走行距離や一日の対応件数も推定できる。

 ここまで行えば、「高齢者が多いから需要があるはずだ」という曖昧な発想から、「一日平均何件を対応でき、月に何件の契約があれば固定費を回収できるか」という経営判断へ進むことができる。

病院を一軒建てることはできなくても

 人口減少地域で、新しい病院を一軒つくることは容易ではない。しかし、既にある病院を使いやすくする仕事なら、規模の小さな事業者にも可能性はある。

 その仕事は、単なる送迎ではないかもしれない。予約確認、付き添い、交通手段の手配、薬局への移動、オンライン診療の接続支援、家族への帰宅確認などを組み合わせた「通院管理サービス」のような形になる可能性もある。

 ただし、需要があることだけを理由に始めてはいけない。料金を払う人が存在するのか、待ち時間を含めても採算が合うのか、道路運送法上どのような形なら実施できるのか、医療情報をどこまで扱わない設計にできるのかを、一つずつ確認しなければならない。

 それでも、この市場を考える意味はある。

 人口が減る社会では、病院も商店も銀行も行政窓口も、住民のすぐ近くに置き続けることが難しくなる。しかし、施設が遠くなることと、生活まで不便なままにしておくことは同じではない。

 施設を増やすことが難しくなるほど、施設と人との間を埋める仕事の価値は高くなる。

 地方の新しい商機とは、必ずしも巨大な産業を生み出すことではない。以前なら家族や地域のつながりの中で自然に処理されていた小さな不便が、人口減少、高齢化、家族の分散によって少しずつ処理できなくなっていく。その隙間を見つけ、無理のない価格と仕組みで引き受けられるかどうかを考えることが、新しい商いの出発点になる。

 病院を増やすことはできなくても、病院までの距離を生活の中で短くすることはできる。

 そして人口減少時代の地域ビジネスでは、おそらく、その「距離を縮める仕事」の方が、これから重要になる。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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数字で比較するサービスを見る

 人が住まなくなった家は、ある日突然、廃屋になるわけではない。昨日まで誰かが開けていた雨戸が閉じたままになり、庭の草が少しずつ伸び、郵便受けには広告が重なっていく。数か月ならまだ「留守の家」に見えるが、一年、二年と時間がたつにつれて、家は不思議なほど早く町の風景から浮き始め、誰も住んでいないことが、外から見ても少しずつ分かるようになっていく。

 空き家問題というと、私たちは老朽化した建物や倒壊の危険、雑草、害虫、防犯といった問題を思い浮かべる。しかし商売という視点から見るなら、建物が壊れてから解体する仕事だけを見るのでは少し遅い。家がまだ使える状態にありながら、そこへ定期的に足を運び、異常がないか確かめる人がいなくなるという「管理の空白」が、空き家が生まれた瞬間から始まっているからである。

 この空白は、単純に人口が減ったから生じるのではない。より重要なのは、住宅と所有者の生活圏が離れていくことである。

空き家900万戸の時代に起きていること

 2023年の住宅・土地統計調査によれば、日本全国の空き家は900万戸、空き家率は13.8%となり、いずれも過去最高となった。賃貸用や売却用、別荘などを除き、明確な使用目的を持たない空き家も385万戸に達しているため、もはや一部の過疎地だけに起きている特殊な現象ではなく、日本の住宅市場そのものが大量の「使われない家」を抱える時代に入ったと考えた方がよい。

 さらに重要なのは、その家がなぜ空き家になったのかという点である。国土交通省の調査では、空き家の取得理由の過半数を相続が占めており、親が亡くなり、地方の実家を都市部に暮らす子どもが受け継ぐというケースは、珍しい例ではなく空き家発生の中心的な経路になっている。高齢になった親が施設へ入り、それまで暮らしていた家だけが残る場合もあれば、転勤や住み替えを契機に「いずれ使うかもしれない」と考えながら住宅を手放さない場合もあり、こうして人と住宅の関係は完全に切れるのではなく、細い糸でつながったまま遠距離になる。

 もっとも、日本の空き家所有者の大半が東京や大阪など遠く離れた地域に住んでいるわけではない。調査では、空き家まで徒歩圏内または交通機関などを利用して一時間以内という所有者が全体の四分の三程度を占めるため、「空き家の持ち主はみな遠隔地にいる」と考えるのは正しくない。その一方で、一時間を超える距離に住む所有者も二割を超え、管理上の問題として「遠方に住んでいるため往訪が難しい」と答える人も二割程度存在していることから、遠隔管理の市場は空き家所有者全体ではなく、その中に存在する一定の層を対象とする市場だと考える方が現実に近い。

 ここに、普通の地域ビジネスとは少し違う構造が現れる。一般の小売業や飲食業なら、店の近くに住んでいる人が顧客になるため、人口が減れば客も減り、人口密度が下がれば商売は難しくなる。しかし空き家管理では、サービスを受ける建物は地方にありながら、料金を払う人は県外や都市部に暮らしている可能性がある。

 つまり、家は地域に残り、財布は地域の外へ移動する。この関係が成立するなら、人口減少地域にありながら町外の人から地域へお金を呼び込む、少し変わったサービス市場が生まれることになる。

誰がお金を払うのか

 空き家の隣に住む人が雑草や防犯を心配しているからといって、その人が毎月の管理料を払うわけではない。自治会が困り、自治体が対応に追われていても、通常の民間サービスとして継続的に料金を負担する主体になるとは限らないため、この商売を考えるとき最初に確認すべきなのは、「困っている人は誰か」ではなく、「その困り事を解消するために実際にお金を払う人は誰か」ということである。

 もっとも有力なのは、やはり所有者本人か、その家を事実上管理している家族である。ただし、ここでいう所有者は、積極的に家を保有したい人ばかりではない。「売るか残すか決められない」「兄弟で話がまとまらない」「親の家なので気持ちの整理がつかない」「年に何度も様子を見に行くのは大変だ」といった事情を抱えながら、結論を先送りしている人も少なくない。

 実際の支払者が名義上の所有者本人とは限らないところも重要である。高齢の親名義の住宅を遠方の子どもが管理していたり、兄弟のうち一人が代表して維持費を負担していたりすることもあるため、このサービスの本当の顧客は「家を所有している人」というより、「その家を気にし続けなければならない人」だと考えた方が分かりやすい。

 東京から地方の実家を見るために何時間もかけて往復し、交通費を払い、休日を一日使う。その負担を年に数回繰り返している人にとって、月に数千円という費用は単なる住宅維持費ではなく、自分が現地へ行かなくても誰かが代わりに確認してくれる状態を買うための料金になる。

 ただし、ここで注意しなければならない。困っていることと、お金を払うことは同じではない。

「困っている人」は多いが、「お金を払う人」はまだ少ない

 空き家所有者への調査では、「管理の作業が大変」と感じる人は三割前後、「遠方に住んでいるため往訪が難しい」とする人も二割程度存在しているため、管理負担という問題そのものは明確に存在している。しかし現実には、空き家の管理を所有者本人や親族が行っている割合が非常に高く、不動産会社、建設会社、管理専門業者などへ主な管理を委託している割合は数%程度にとどまっている。

 この数字は、遠隔住宅管理という商売を考えるうえで極めて重要である。空き家900万戸という数字だけを見て、「巨大な市場がある」と考えるのは危険であり、900万戸がそのまま900万件の顧客になるわけではない。むしろ現状は、管理に困る人はすでに存在する一方で、その困り事を有料サービスへ置き換える習慣がまだ十分には形成されていない市場なのである。

 空き家所有者の中には、親族に頼めば済むと考える人もいれば、自分で年に数回見に行けばよいと判断する人もいる。また、管理費そのものを負担に感じている人も少なくなく、調査でも管理費用の負担を課題とする回答が二割程度あるため、「月五千円なら誰でも払う」という発想は成り立たない。

 だからこそ、この商売では空き家所有者全体を狙うより、料金を払う合理的な理由が強い人を探す必要がある。遠距離に住み、往復の交通費が高く、仕事や介護などで時間を取りにくく、将来的には売却や再利用を考えている人にとっては、外部委託の価値が大きくなる一方、自宅から十分程度の場所に空き家があり、本人が元気で月に一度見に行けるなら、有料管理サービスを利用する理由は弱い。

 需要は空き家の数だけでは決まらない。距離、時間、所有者の年齢、資産価値、交通費、家族構成、そして家を今後どうするつもりなのかという条件が重なったとき、初めて支払意思が生まれるのである。

売るのは「見回り」ではなく「現地に目がある状態」

 遠隔住宅管理というと、玄関を確認し、窓を開け、郵便物を整理し、庭を眺めて帰るだけの仕事に見える。作業そのものを並べれば高度な技術ではなく、それだけなら近所の知人に頼めば済むため、毎月料金を払って専門業者へ依頼する理由は弱い。

 商品になるのは、その確認を一定の基準で繰り返し、遠方の所有者に「今月も異常はなかった」と見える形で証明するところまで含めたときである。毎回同じ場所から建物を撮影し、外壁、屋根、窓、庭、郵便受けなどの変化を記録し、大雨や台風の後には必要に応じて臨時確認を行い、異常が見つかれば写真とともに知らせる。そして修繕が必要なら地域の事業者へつなぐところまで仕組みにすれば、それは単なる見回りではなく、所有者に代わって住宅と地域との関係を維持するサービスになる。

 遠隔地にいる顧客には、サービス提供者が本当に現地へ行ったのかを直接確認できないという問題もあるため、この商売では技術力と同じくらい「証拠」が重要になる。撮影日時の分かる写真、一定形式の報告、前月との比較、異常時の記録が蓄積されれば、所有者は離れた場所にいながら家の変化を時間の流れとして把握できる。

 考えてみれば、ここで売られているのは住宅の見回り作業そのものではない。数十キロ、数百キロ離れた町に、自分の代わりに一組の目が存在するという状態なのである。

月額五千円は高いのか、安いのか

 遠隔住宅管理の市場では、屋外巡回を中心とした簡易なサービスなら月額数千円程度、室内換気や通水などを含むサービスではそれより高い料金設定が実際に存在しているため、月額五千円程度という価格は現実離れした水準ではない。

 しかし、価格が市場に存在することと、多くの人がその価格を払うことは別問題である。空き家所有者の年間維持管理費を見ると、五万円未満という世帯もかなり多いため、月額五千円なら年間六万円となり、それだけで現在の年間管理費を超えてしまう所有者もいる。したがって、月五千円という価格は「安いから売れる」のではなく、所有者自身が現地へ行く場合の交通費や時間、精神的負担と比べて初めて価値が生まれる価格だと考えるべきである。

 たとえば往復の交通費が一回一万円かかり、一日を使って年に六回確認している人なら、交通費だけで年間六万円になるため、月五千円の管理サービスには十分な比較対象が生まれる。一方、自宅から車で十五分のところに空き家がある人なら、年間六万円を払う合理性はかなり小さい。

 ここでも結局、「空き家であること」より「所有者と空き家との距離」が重要になる。

月額五千円の商売は、本当に利益になるのか

 需要が存在すると分かったところで安心することはできない。必要とされることと、利益が出ることは別だからである。

 月額五千円で三十軒契約すれば月十五万円、百軒なら月五十万円になるため、売上だけを見ると地域の小規模事業として成り立ちそうに見える。しかし、三十軒が同じ住宅地に集まっている場合と、山間部や沿岸部に一軒ずつ散らばっている場合とでは、同じ十五万円でも利益はまったく違う。

 一軒の確認作業が二十分で済んだとしても、次の家まで三十分走れば、仕事の中心は住宅管理ではなく移動になってしまう。仮に人件費や車両費を含めて一時間当たり三千円程度の経済コストが発生すると考えれば、移動、確認、写真撮影、報告作成まで一軒当たり一時間前後で処理できなければ、月額五千円という料金では十分な利益を残しにくい。

 反対に、同じ地区に十軒、二十軒と契約が集まり、数分の移動で次の家へ行けるなら採算は大きく改善する。つまり、この商売では顧客数以上に顧客密度が重要であり、一軒獲得することより、同じ巡回経路の中で二軒目、三軒目を獲得することの方が経営上の価値が高い。

 人口減少地域で商売をするとき、最大の敵になるのは需要不足だけではなく、需要が薄く広く散らばっていることである。遠隔住宅管理は、この「密度の経済」を無視すると、契約が増えるほど忙しいのに利益が残らないという状態になりかねない。

基本料金だけで何でも引き受けてはいけない

 もう一つ注意すべきなのは、月額料金の中にどこまで作業を含めるかである。庭木が伸びた、雨樋が外れた、蜂の巣ができた、台風の後に屋根を確認してほしい、室内を清掃してほしいといった依頼まで基本料金に含めてしまえば、少数の手間のかかる住宅によって利益が簡単に消えてしまう。

 そのため、定期巡回、外観確認、写真報告などを基本料金とし、草刈り、清掃、災害後の臨時確認、修繕手配などは別料金とする方が合理的である。月額料金は安定した収入の土台となり、追加作業は必要が発生したときだけ料金を受け取る仕組みにすれば、所有者にとってもサービス内容が分かりやすく、事業者側も過剰な負担を抱えにくい。

 さらに、定期的に家を見ているからこそ小さな異常を早く見つけることができ、その結果として清掃、庭木管理、修繕、解体、不動産売却といった地域の別の仕事へ需要をつなぐこともできる。遠隔住宅管理そのものだけで大きな利益を狙うより、住宅に関する地域サービスの入口になる事業として考えた方が、経済的には強い可能性がある。

最大の難関は、空き家を見つけることではない

 空き家そのものを見つけるのは、それほど難しくない。町を歩けば、雨戸の閉じた家、伸びた庭木、使われなくなった駐車場が目に入る。しかし、その家の前に「私は東京に住んでいます。月五千円なら管理を頼みたいです」と所有者の連絡先が書かれているわけではない。

 ここに、この商売の面白さと難しさが同居している。仕事をする場所は地域なのに、営業すべき相手は地域の外にいる場合があるからである。

 したがって、遠隔住宅管理で本当に難しいのは巡回作業そのものではなく、遠方の所有者と出会う仕組みをつくることである。地域の不動産会社、相続に関わる専門家、工務店、解体業者などとつながり、家が空き家になる段階でサービスの存在を知ってもらえれば、何年も放置された後で所有者から連絡が来るのを待つよりはるかに効率がよい。

 しかも遠隔地の顧客ほど、価格だけで業者を選ぶことは難しい。知らない町の知らない事業者へ家の状況確認を任せ、ときには鍵を預けることもある以上、会社の規模よりも、誰が訪問するのか、何を確認するのか、どのように報告するのか、異常時にどう対応するのかが明確でなければならない。

 地域密着という言葉だけでは足りない。地域にいるという強みを、遠くにいる顧客にも見える形へ翻訳することが必要なのである。

管理し続けることが目的ではない

 空き家管理会社にとって最もありがたい顧客は、何十年も空き家を持ち続け、毎月管理料を払ってくれる人のように見える。しかし、社会全体から考えれば、それが望ましい状態とは限らない。

 空き家には、いつか出口が必要になる。再び住むのか、貸すのか、売るのか、取り壊すのか、その判断を永遠に先送りすることはできない。所有者調査でも、今後も空き家のまま所有する意向を持つ人が一定割合存在する一方、売却や除却を考えている人も少なくないため、遠隔住宅管理は「空き家を永久に保存するサービス」ではなく、所有者が次の判断をするまでの時間を安全に管理する仕事だと考えた方がよい。

 毎月の写真が数年分残っていれば、建物がどの程度傷んできたのかも見える。「そろそろ大きな修繕が必要になりそうだ」「維持費を考えると売却を検討した方がよいかもしれない」と判断する材料になり、必要になれば不動産、建築、解体など、それぞれの専門事業者へつなぐこともできる。

 遠隔住宅管理の本当の価値は、空き家を空き家のまま維持することではなく、「放置」と「処分」の間に存在する数年間を、管理可能な時間へ変えることにある。

制度の変化も「放置するだけ」を難しくしている

 空き家は個人の財産なので、使わなくても所有者が自由に放置してよいように見える。しかし現在の制度では、適切に管理されない空き家について行政から指導や勧告を受ける可能性があり、一定の条件では住宅用地に認められている固定資産税などの特例から外れることもある。

 もちろん、空き家になっただけで直ちに税負担が増えるわけではないため、「空き家を持っていると固定資産税が上がる」と単純化するのは正しくない。それでも、所有者に対して適正管理を求める制度が強化されている方向そのものは明確であり、「何もしないで放置する」という選択のコストは以前より重くなっている。

 この変化は遠隔住宅管理という商売を自動的に成長させるものではないが、所有者が家の状態を定期的に確認する理由の一つにはなるだろう。

空き家900万戸は、市場900万件ではない

 地域ビジネスを考えるとき、大きな数字は魅力的に見える。空き家900万戸と聞けば、その一%だけでも九万件の市場になると考えたくなるが、現実はそれほど単純ではない。

 近くに住んで自分で管理できる人、親族へ頼める人、費用を払いたくない人、ほとんど資産価値のない住宅を所有している人まで含まれているため、空き家戸数から直接市場規模を計算することはできない。遠隔住宅管理の顧客になりやすいのは、距離が遠く、管理負担が重く、ある程度の資産価値が残り、将来的な売却や活用を考えている所有者など、いくつかの条件が重なった層である。

 だから、この事業の可能性を判断するには、「町に空き家が何軒あるか」だけでは不十分であり、その所有者がどこに住んでいるのか、どれくらいの頻度で管理しているのか、現在いくら維持費を払っているのか、管理を外注する意思があるのか、さらに管理対象住宅がどの程度まとまって存在しているのかまで見なければならない。

 商機とは、困り事の数ではなく、困り事と支払意思と採算性が同じ場所で重なったところに生まれる。

人口が減るからこそ増える仕事もある

 人口が減る町では、商売も減ると考えたくなる。実際、多くの小売店や飲食店にとって人口減少は厳しい。しかし人口減少によって、反対に増える仕事も存在する。人がいなくなれば家が残り、子どもが町を離れれば親の住宅との距離が広がり、かつて家族が無償で担ってきた管理を、誰かが代わりに引き受けなければならなくなるからである。

 ここで興味深いのは、この市場では「そこに住んでいる人の数」と「顧客になり得る人の数」が一致しないことである。一万人の町に管理対象となり得る住宅が二百軒あり、その所有者が全国各地に散らばっているなら、その町は人口一万人の市場であると同時に、町外に暮らす所有者へサービスを販売できる市場でもある。

 もっとも、その二百軒すべてが顧客になるわけではなく、実際に料金を払う人はその一部だろう。それでも、地域内の所得だけを奪い合う商売とは違い、地域外から管理料を受け取り、そのお金を地域の巡回、清掃、修繕、庭木管理、不動産、解体などへ循環させる可能性があるところに、この事業の特徴がある。

 地方に足りないのは、いつも顧客とは限らない。困り事は地域に存在しているのに、お金を払う人が遠く離れた場所にいるため、両者がまだ出会っていないだけなのかもしれない。

 夕方、誰も帰ってこない家の前を通れば、そこには「空き家が一軒ある」としか見えない。しかし商売の目でその家の向こう側を想像すれば、遠く離れた町で「そろそろ一度見に行かなければ」と気にしている誰かがいる可能性がある。その人が欲しいのは、新しい住宅設備でも豪華なサービスでもなく、自分がいない町で、自分の代わりに家を気にしてくれる人である。

 空き家が増える町で生まれる新しい商売は、家を管理する仕事のように見えて、実は住宅と所有者の間に生まれた「距離」を埋める仕事なのかもしれない。そして、その距離に本当にお金を払う人がどれだけいるのかを冷静に見極めることこそ、この商売を単なる思いつきから事業へ変える最初の条件なのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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「この町の人ですか」と聞かれたら

 週末になると東京を離れ、海辺の町へ向かう。そこに小さな家を持ち、近所のスーパーで食料を買い、顔なじみになった食堂で昼を食べ、ときには伸びた草を刈る。春になれば祭りを見に行き、台風が来れば自分の家だけではなく、近所の様子まで少し気になる。それでも住民票は東京にある。

 この人を、その町の「住民」と呼んでよいのだろうか。行政制度から見れば、答えは簡単ではない。住民基本台帳では生活の本拠となる住所を基礎として住民が登録され、国勢調査では住民票の所在地とは別に、普段住んでいる場所を基準として人口が把握される。国勢調査では原則として3か月以上住んでいる場所、または3か月以上住むことになっている場所が調査対象となり、二つの住居を持つ人については、普段寝泊まりする日数の多い住居で調査する扱いがある。いずれも、一人を二つの自治体に同時に常住人口として計上する仕組みではない。

 ところが、町の日常を眺めると、その区分だけでは説明しきれない人がいる。その人は年に一度訪れる観光客よりも頻繁に町へ来て、同じ店で買い物をし、住宅を維持し、ときには地域の人間関係にも入り込んでいる。しかし、生活のすべてをその町へ移したわけではない。行政上は地域外に住所を持つ人であっても、実際には地域の消費、労働、社会活動、住宅需要の一部を担っている場合がある。

 ここでは、そうした人たちを少し大胆に「第三の住民」と呼んでみたい。もちろん正式な制度用語ではなく、法律上の住民資格を新たに与えるという意味でもない。地域との関係を、住民票の有無だけでは十分に説明できないという問題を考えるための比喩である。

 人口が減っていく日本では、こうした人の存在が地域の将来を考える一つの手がかりになるかもしれない。ただし、人口統計に表れにくいからといって、その人たちが必ず地域を豊かにするわけではない。何をもたらし、何を必要とし、地域側にどのような負担が生じるのかを、冷静に考える必要がある。

すべての自治体が人口を増やすことはできない

 地方創生について語ると、長いあいだ「人口をどう増やすか」という問いが中心に置かれてきた。移住相談会を開き、住宅取得に補助金を出し、子育て支援を充実させ、都市から若い世帯を呼び込もうとする。しかし、日本全体の人口が減少している以上、すべての自治体が同時に人口を増やし続けることは数学的に成り立たない。

 同じ時点、同じ人口の定義で全国の自治体人口を合計すれば、日本全体の人口になる。したがって、全国人口が減少しているときに、すべての自治体の人口だけが増加することは不可能である。もちろん出生、死亡、海外との人口移動があるため、個々の自治体の人口増減を単純なゼロサムゲームと呼ぶのは正確ではない。それでも国内の自治体が移住者の獲得を競う場合、ある自治体への転入は、多くの場合、別の自治体からの転出を伴う。

 ただし、この数学的な制約から、移住政策が無意味だという結論は導けない。人口が集まることで企業活動の効率が高まったり、公共交通や医療サービスを維持しやすくなったりする可能性がある一方、人口の集中によって住宅費や混雑などの問題が生じることもある。人口移動の効果は単なる人数の増減だけでは評価できず、移動した人の生活、仕事、所得、地域社会への影響まで含めて考える必要がある。

 問題なのは、地方創生を「住民票を何人獲得したか」という競争だけで評価してしまうことである。人口減少が続く社会では、移住者を増やす努力とともに、住民票を移さなくても地域との継続的な関係を持つ人を増やすという発想が重要になる。

 東京で働きながら長野でも暮らす。大阪に住みながら和歌山の小さな町へ毎月通う。都市に住民票を置いたまま、房総や伊豆、瀬戸内で生活の一部を過ごす。これは人口を一方の地域から他方へ完全に移すというより、一人が持つ時間、消費、関心、労働、社会関係の一部を複数の地域に配分する暮らし方である。

 二地域居住の新しさは、別荘を持つことそのものではない。人間の生活や地域との関係が、一つの自治体の人口だけでは十分に表現できないという事実を、改めて政策の課題として浮かび上がらせているところにある。

二地域居住者は実際にどれだけいるのか

 二地域居住が地域政策として注目されるようになった背景には、実践者が一定数存在するという調査結果がある。国土交通省が2022年に全国の18歳以上を対象として実施したインターネット調査では、主な生活拠点以外に滞在する地域がある人などを基礎に、二地域居住等を実践している人は約701万人、18歳以上人口の約6.7%と推計された。

 約701万人という数字だけを見れば、非常に大きな市場が存在するように感じられる。しかし、この数字を年間の相当日数を二つの住居で暮らす人の数と、そのまま読み替えることはできない。調査には幅広い滞在形態が含まれており、住宅の所有形態、滞在頻度、生活の実態によって地域への関わり方は大きく異なる。また、インターネット調査による推計であり、すべての対象者を直接数えたものでもない。

 似た概念に「関係人口」がある。これは、移住や単なる観光とは異なり、特定の地域と継続的かつ多様な関わりを持つ人を指す。国土交通省が2025年6月に公表した2023年度の調査結果では、全国の18歳以上の関係人口は約2,263万人、全体の約22%と推計されている。ただし、関係人口は二地域居住者より広い概念であり、地域活動に参加する人や、遠隔地から継続的に地域を支援する人なども含まれるため、この数字を二地域居住者数として扱うことはできない。

 この関係人口調査では、実際に地域を訪れる「訪問系」の人の年間訪問日数について、2日から7日が約49%、8日以上が約31%だった。つまり、特定の地域と継続的に関わっていても、年間の滞在日数がそれほど多くない人もいる。月に何度も訪れる人と年に数日だけ訪れる人では、地域経済や日常生活への影響が同じとは限らない。

 さらに、二地域居住者が全国で増えていると断定するには、同じ定義、同じ調査方法で継続的に測定された時系列データが必要である。異なる年の調査で人数が変わっていても、対象年齢や調査方法、二地域居住の定義が違えば、その差を増加率として解釈することはできない。

 したがって、現時点で重視すべきなのは、二地域居住者が何百万人いるかという数字そのものよりも、その内訳を明らかにすることである。地域に何日滞在し、どのような活動をし、いくら消費し、どの程度継続して関わっているのか。全国の推計人口だけでは、個々の町にとっての意味は十分に分からない。

住民票だけでは測れない関係を制度はどう扱うのか

 二地域居住をめぐる国の政策も変化している。2024年11月には、改正された「広域的地域活性化のための基盤整備に関する法律」が施行され、二地域居住を促進するための制度が整備された。法律上は「特定居住」という考え方が用いられ、自治体が促進計画を策定する仕組みや、住まい、仕事、地域との交流を支援する法人の指定制度などが設けられている。

 これは、単に都市から地方へ人を呼び込むだけではなく、二地域で生活するための環境を整える方向へ政策が広がっていることを示している。住居を確保できても仕事がなければ暮らし続けられず、働く場所があっても交通や地域との関係に問題があれば継続は難しい。そのため、住宅、就労、交通、地域交流などを組み合わせて支援することが課題となる。

 さらに、2026年には「ふるさと住民登録制度」の具体化が進んでいる。この制度は、住所地以外の地域に関心を持つ人や、継続的に関わる人を登録し、その関係を可視化しようとする仕組みである。2026年3月に公表されたガイドラインでは、幅広い関心層を対象とする「ベーシック登録」と、地域での担い手活動など、より深い関わりを対象とする「プレミアム登録」という二つの区分が示されている。

 ただし、これは住民票を二つ持つ制度ではない。登録しただけで住所地が変わるわけでも、その地域の地方選挙に参加する権利が得られるわけでもない。また、ふるさと住民登録の対象となる人がすべて二地域居住者であるとは限らない。地域に住宅を持たなくても、継続的な活動や支援を通じて関わる人がいるからである。

 この制度の意義は、人と地域との関係を住民票とは別の形で把握しようとする点にある。一方で、登録者数が増えたことだけを成果とすれば、従来の移住者数を競う政策と似た問題が生まれる。登録した人が実際に地域を訪れたのか、活動を継続しているのか、地域側にどのような効果と負担が生じたのかを確認しなければ、制度の実質的な成果は評価できない。

観光客とは違うお金の使い方

 観光客は地域にとって重要な存在である。宿泊し、食事をし、土産を買い、観光施設を利用する。ただし、その関係は一時的であることが多い。気に入った町でも、次の旅行では別の場所へ行くかもしれない。

 二地域居住者の消費は、これとは少し性格が異なる。毎月のように訪れるようになると、土産物店よりスーパーマーケットを利用する機会が増え、観光客向けの店だけでなく町の定食屋へ入り、住宅があれば修繕を頼み、庭があれば草刈りが必要になる。家具や日用品を買い、場合によっては車を整備し、家の設備が故障すれば地元の業者へ連絡するなど、日常生活を維持するための支出が発生する。

 つまり、消費の性格が「非日常を楽しむための支出」から「その場所で暮らし続けるための支出」へ少しずつ広がっていくのである。観光では季節や行楽需要に左右されやすい消費が、生活のための継続的な需要へ変わる場合もある。

 ただし、ここで注意しなければならないのは、二地域居住者が増えれば、その分だけ地域経済が豊かになるとは限らないことである。通信販売でほとんどの商品を購入し、地域では都市資本のチェーン店だけを利用する場合、地元事業者への直接的な売上は限定される。もっとも、チェーン店であっても地域の従業員に賃金が支払われたり、地元から商品を調達したりすれば一定の経済効果は生まれる。逆に、地元経営の商店でも、仕入れの多くを地域外に依存していれば、売上のすべてが地域内に残るわけではない。

 したがって見るべきなのは、二地域居住者の人数だけではない。その人が一年に何回来るのか、一回の滞在でいくら使うのか、どの事業者へ支払うのか、その売上のうちどれだけが地域の賃金や利益になるのかという組み合わせである。

人が来れば地域経済は豊かになるのか

 ここで、簡単な計算を考えてみたい。ある町に二地域居住者が100人いて、それぞれが年間12回訪れ、一回当たり8,000円を地域内で使うとする。この場合、年間の消費総額は960万円になる。もし、その半分が地元事業者への支払いであれば、直接的な売上は480万円である。

 しかし、この480万円を地域の利益と呼ぶことはできない。事業者は売上から商品仕入れ、光熱費、設備費などを支払い、その一部は地域外へ流れる。地域の経済活動によって新たに生み出された付加価値を考えるには、売上高だけでなく、中間投入や域外への支払いを区別する必要がある。

 さらに、最も重要なのは、その消費が本当に追加的に発生したものなのかという点である。二地域居住者が利用した飲食店の席が、もともと利用するはずだった観光客の席を置き換えているなら、売上全体が増えるとは限らない。逆に、観光需要が少ない平日に来店し、空いている施設やサービスを利用するなら、既存需要を圧迫せずに売上を増やせる可能性がある。

 このように、二地域居住の地域経済効果を測る際には、消費総額、地元事業者の売上、地域内で生み出された付加価値、二地域居住がなかった場合と比較した純増効果を区別する必要がある。人数に平均消費額を掛けるだけでは、地域経済への本当の貢献は分からない。

 近年は銀行取引などのデータを用いて、二地域居住者と考えられる人の経済行動を分析する試験的な調査も行われている。ただし、都市と地方の間で資金が移動したことと、地域で実際に消費が行われたこと、さらに地域内で付加価値が生まれたことは同じではない。取引データを使う場合も、対象者の選び方や取引の性質を確かめなければ、地域全体の経済効果を過大評価する可能性がある。

 二地域居住者が増えることは、地域に新しい需要が生まれる可能性を意味する。しかし、その可能性が実際の所得や雇用の増加につながるかどうかは、地域の産業構造と事業者の対応によって決まる。

「救世主」と呼んだ瞬間に話がおかしくなる

 二地域居住者が地域で消費するのだから、人口減少地域にとって歓迎すべき存在だという結論は魅力的である。しかし、ここで話を終えると地方創生の記事としては都合がよすぎる。

 地域に人が来れば、便益と同時に費用も生まれる。人気の高い地域では住宅需要が高まり、空き家の活用が進む一方で、住宅価格や家賃を押し上げる可能性がある。海外のセカンドホーム地域でも、住宅需要の増加と供給制約が重なることで、地元住民が住宅を確保しにくくなる問題が研究されてきた。

 ただし、日本のすべての二地域居住地域で同じ現象が起きるとは限らない。空き家が多く、住宅需要が弱い地域では、二地域居住者の購入によって老朽住宅の改修が進み、建設業や住宅管理業への需要が生まれる場合もある。一方、住宅供給が少なく、交通の便がよい地域では、限られた住宅を地元住民と二地域居住者が競い合う可能性がある。

 ここで重要なのは、住宅価格の上昇を一律に利益とも損失とも評価できないことである。住宅所有者には資産価値の上昇という利益が生まれても、賃貸住宅に住む人や、これから住宅を購入する若年世帯にとっては負担が増えることがある。地域全体の経済規模が拡大しても、その利益が誰に配分されるかによって住民生活への評価は変わる。

 行政サービスについても同じである。二地域居住者が道路、水道、ごみ処理、公共施設などを利用すれば、利用状況に応じて行政費用が発生する。年間の滞在日数が少なくても、週末や大型連休に利用が集中すれば、ごみ処理や交通施設の需要が一時的に高まる場合がある。地域の財政負担を評価するには、年間平均の滞在者数だけでなく、季節や曜日による利用の偏りも考慮しなければならない。

 さらに、二つの生活拠点を行き来するための交通も無視できない。国土交通省の関係人口調査では、地域への主な交通手段として自家用車を挙げる人が多い。自動車移動が増えれば、交通混雑、駐車場需要、燃料消費、温室効果ガスの排出などが増える可能性がある。一方で、長期滞在によって一日当たりの移動回数が減る場合や、鉄道などの公共交通を利用する場合もあるため、環境負荷は移動距離、交通手段、滞在日数、二つの住宅のエネルギー消費を合わせて評価する必要がある。

 二地域居住を歓迎するか拒むかという感情論ではなく、誰に利益が生まれ、誰が費用を負担するのかを確かめることが重要なのである。

住民票がなくても税と行政負担は発生する

 二地域居住者は住民票を置いていないのだから、行政サービスを利用するだけで地域に税金を払っていないという見方がある。しかし、これは制度の実態を正確に表していない。

 例えば、住宅を所有していれば、通常、その所在地の自治体に固定資産税を納める。また、住所地以外に自分や家族が居住できる家屋敷を持つ人には、一定の要件のもとで、個人住民税の均等割が課税される場合がある。これは一般に「家屋敷課税」と呼ばれ、固定資産税とは別の制度である。建物を所有していなくても、一定の要件を満たす賃貸住宅などが対象になる場合がある。

 房総地域でも、大多喜町は住所地以外に家屋敷を持つ人への均等割課税について案内している。つまり、住民票がないという理由だけで、その地域に対して税負担がないと判断することは適切ではない。

 もちろん、固定資産税や家屋敷課税があるからといって、二地域居住者によって追加的に発生する行政費用がすべて賄われるわけではない。道路や上下水道などには利用人数が少なくても維持するための固定費があり、利用者が増えることで追加費用が発生する場合もある。反対に、既存設備に余裕があれば、利用者が増えても追加費用がそれほど増えない場合もある。

 自治体財政の観点では、税収や使用料などの追加収入と、行政サービスに必要となる追加費用を比較する必要がある。また、地域の商店の売上が増えても、その増加分がそのまま自治体の税収になるわけではない。地域経済の利益と自治体財政の利益は、分けて考えるべきものである。

 さらに、地方選挙への参加など、住民としての権利は原則として住所に基づく制度と結びついている。二地域居住者が地域で長く生活していても、住民票を移していなければ、その自治体の地方選挙に参加できない場合がある。地域に関わっていても、意思決定に直接参加できる範囲には制度的な限界がある。

 住民票がない人を単純に「ただ乗り」と呼ぶことも、納税しているから完全な住民と同じだと考えることも正確ではない。重要なのは、実際にどのような負担と貢献があり、どのような権利や行政サービスが認められているかを区別することである。

地域側が救世主を求めすぎる危険

 もう一つ厄介なのは、地域側が二地域居住者に「せっかく来たのだから地域のために働いてほしい」と期待しすぎる場合である。草刈りを手伝ってほしい、祭りにも出てほしい、自治会にも関わってほしい、空き家再生にも協力してほしい、地域産品も買ってほしいという期待が積み重なれば、第二の生活拠点を持ったはずの人が、別の場所でも義務に追われることになる。

 もちろん地域活動への参加を望む二地域居住者もいる。しかし、すべての人がより深い関係を求めているわけではない。自然の中で過ごしたい人もいれば、仕事に集中したい人、家族と静かに暮らしたい人、地域活動に積極的に参加したい人もいる。地域との距離を自分で選べることそのものに価値を感じている人もいるだろう。

 国土交通省が2022年に実施した二地域居住等の実践者への調査では、メリットとして「心身を休めて健康の維持や増進につながった」と回答した人が28.5%だった一方、「地域貢献ができたことに喜びを感じた」と回答した人は5.2%だった。これは複数回答による調査であり、実際に地域活動へ参加した人の割合を直接示したものではない。しかし、二地域居住者が地域に求める価値が、地域貢献だけではないことを考える材料にはなる。

 同じ調査では、移動の負担をデメリットとして挙げる人もいた。二地域で生活することは、一つの地域に住む場合よりも移動、住宅管理、生活費などの負担が増えやすい。そこに地域活動への義務まで加われば、暮らし方そのものを続けにくくなる人が出てきても不思議ではない。

 したがって「地域に来た人は、いずれ地域活動の担い手になる」という前提を置くべきではない。むしろ、地域への関わり方に濃淡を認め、活動に参加する人にも参加しない人にも、それぞれ無理のない関係を認めることが重要である。

 また、地域側にも受け入れのための負担がある。外部から来た人に活動を説明し、役割を調整し、地元住民との関係を整えるには時間と労力が必要になる。地域貢献を期待するだけでなく、受け入れる側が無理なく対応できる仕組みを作らなければ、善意が新たな負担を生むこともある。

 地域側が救世主を求めすぎれば、その人に期待を集中させ、結果として地域との関係が続かなくなる可能性がある。この逆説は、二地域居住を考えるうえで見落としてはならない。

「住んでいるか」ではなく「どれだけ関わっているか」

 従来の行政人口では、地域との関係はどうしても「住民か、住民でないか」という二分法になりやすい。しかし実際の地域との関係は連続している。

 一年に一度訪れる人もいれば、毎月来る人もいる。年間数十日を過ごす人もいれば、半年近く滞在する人もいる。地元の店で買い物をするだけの人、農作業を手伝う人、地域の事業者に専門知識を提供する人、地域行事に参加する人、静かに自分の生活だけを送る人もいる。同じ「住民票がない人」でも、地域との関係の深さや性質はまったく違うのである。

 ただし、関係の深さを一つの数字で測ることも難しい。年間100日滞在していても地域内ではほとんど消費しない人がいる一方、年間10日しか滞在しなくても、地元企業の経営を継続的に支援している人もいる。滞在日数が多いほど地域活動への貢献が大きいとも限らず、地元で多額の消費をしているからといって地域の人間関係に深く関わっているとは限らない。

 したがって、地域との関係を評価するには、滞在日数、消費額、就労、地域活動への参加、継続期間など、複数の指標を組み合わせて考える必要がある。その際も、すべての人に同じ行動を期待するのではなく、関係の種類が異なることを前提にするべきだろう。

 ふるさと住民登録制度のような仕組みは、こうした関係を可視化する一つの手段になる。しかし、登録人数が多くても実際の訪問や活動につながっていなければ、地域との関係が深まったとは言い切れない。また、個人の訪問履歴や消費行動を把握する場合には、本人の同意や個人情報の適切な管理が必要である。

 私たちは買い物履歴や移動履歴を細かく分析できる時代に生きているが、人と地域との関係については、長いあいだ住民票や観光客数のような限られた指標に頼ってきた。二地域居住は、その尺度では十分に測れない生活の実態を、改めて考えさせる現象なのである。

本当に重要なのは「関係の反復」である

 地域にとって、一万人が一度だけ訪れることと、千人が毎月訪れることは同じではない。前者は年間一万回の来訪だが、後者は年間一万二千回になる。しかし違いは単純な延べ人数だけではない。

 毎月来る人なら、店員が顔を覚えるかもしれない。客も店の事情を知り、季節ごとの変化に気づき、閉店すれば惜しいと思い、知っている人が困っていれば少し気になるようになるかもしれない。地域側も、その人が来月また戻ってくることを想定して、商品やサービスを提供しやすくなる場合がある。

 経済学では、同じ相手と繰り返し関係を持つ状況を考える反復ゲームの理論がある。一回限りの取引では相手との将来の関係を考慮する必要が小さくても、繰り返し接触する場合には、信用や評判を維持することが協力的な行動につながる可能性がある。地域社会でも、継続的な接触を通じて互いの事情を理解し、信頼や協力関係が形成される場合がある。

 ただし、繰り返し会えば必ず信頼が生まれるわけではない。もともと親しい人がいるから頻繁に訪れるという、逆方向の関係も考えられる。また、訪問回数が増えたことで生活習慣や価値観の違いが表面化し、摩擦が生じることもある。反復訪問と信頼の間に関連が見られても、それだけで訪問が信頼を生み出したと断定することはできない。

 商売についても同じである。一度二万円使う観光客より、毎月八千円ずつ使う人の方が年間消費額は九万六千円になる。もちろん、毎回来ても地域内ではほとんど消費しない人もいるため、訪問回数だけを見ればよいわけではない。また、観光客でも同じ地域へ頻繁に戻ってくる人はいるため、反復性は二地域居住者だけの特徴ではない。

 それでも、地域ビジネスにとって、一回当たり消費額だけでなく、一人が一年を通してどれだけ利用し、翌年も利用を続けるかという視点は重要である。特に観光需要が季節に集中する地域では、観光客の少ない時期にも継続して訪れる人がいれば、事業者の売上変動を小さくできる可能性がある。

 人口減少地域では、一度に大量の人を呼ぶことより、少人数でも繰り返し戻ってくる人を増やす方が、事業の安定につながる場合がある。ただし、これは地域や業種によって異なるため、訪問頻度、消費額、季節性、継続率を実際に測定して判断する必要がある。

「第三の住民」が生むのは人口ではなく市場かもしれない

 二地域居住を地域ビジネスの側から見ると、さらに興味深いことが見えてくる。二つの生活拠点を行き来する暮らしには、一つの家だけで暮らす場合には少なかった不便が生まれるからである。

 都市の家を出るときには、地方の家が無事か気になる。地方へ着けば、しばらく使っていなかった家の換気や掃除が必要になる。庭は伸び、郵便物はたまり、台風が来れば屋根が心配になる。車を置いていなければ駅から家までの移動手段が必要になり、高齢になれば二つの地域を行き来すること自体が負担になる。

 こうした問題の一つ一つは、それだけでは大きな産業には見えない。しかし人口の少ない地域で新しい商いを考える場合、むしろこうした「小さくて、何度も繰り返す不便」に市場の種が隠れている。

 例えば、住宅の定期巡回、換気、清掃、庭仕事、設備点検をまとめて引き受けるサービスが考えられる。別々の業者へ依頼していた業務を一つにまとめれば、利用者にとって手間が減り、事業者にとっても巡回や作業の効率化につながる可能性がある。また、駅から住宅までの移動、到着前の食料品の準備、地域の商店や医療機関に関する生活情報の提供なども、繰り返し利用されるサービスになり得る。

 ただし、これらのサービスには制度上の制約がある。人を有償で運ぶ事業には、道路運送法などの関係法令に基づく許可や登録等が必要となる場合があり、単に需要があるからといって自由に営業できるわけではない。医療に関する支援についても、情報提供や受診先の案内と、医療行為そのものは区別しなければならない。また、住宅の鍵を預かり、留守中に立ち入るサービスでは、契約、損害賠償責任、個人情報保護、防犯対策などが重要になる。

 つまり、二地域居住者向けのサービスを考える場合には、地域に不便が存在することだけでなく、それを合法的かつ安全に解決できる仕組みが必要なのである。

「困っている」は「お金を払う」とは限らない

 新規ビジネスを考えるとき、最も危険なのは「困っている人がいるから売れる」と考えてしまうことである。

 利用者が困っていても、自分で解決できるならお金は払わないかもしれない。近所に頼める人がいれば、事業者へ依頼する必要を感じないこともある。月千円なら払ってもよいが、一万円なら使わない人もいるだろう。さらに、需要が存在しても利用者が広い地域に分散していれば、事業者の移動時間や人件費を賄えない場合がある。

 例えば、空き家管理に困っている人が100人いても、全員が月千円しか払う意思を持たなければ、月間売上は最大でも10万円である。実際には100人全員が契約するとは限らないため、現実の売上はさらに小さくなる可能性がある。

 一方、月額一万円の管理サービスを考え、契約者一人当たりの巡回や作業に必要な変動費が月三千円、事業の固定費が月25万円と仮定すると、一人の契約によって固定費の回収に充てられる金額は月七千円になる。この条件なら、36人以上の契約で月間の収支が黒字になる計算である。ただし、これは説明のための仮定であり、実際の人件費や移動距離、車両費、保険料、修繕対応などによって損益分岐点は変わる。

 特に重要なのは、顧客の密度である。住宅が近接していれば、一度の移動で複数の住宅を巡回できるため、一件当たりの移動費用を抑えやすい。反対に、契約者が町の各地に分散している場合には、契約件数が増えても移動時間が長くなり、十分な利益が残らない可能性がある。

 また、新たに会社を設立して専用車両や従業員を確保する場合と、既存の清掃業者や造園業者が巡回業務の一部として引き受ける場合とでは、必要な固定費が異なる。人口の少ない地域では、専業の新規事業よりも、既存事業者が複数の生活支援サービスを組み合わせて提供する方が採算に合う場合もある。

 したがって、二地域居住者向けのビジネスを見る場合には、潜在的な利用者数だけでなく、実際に契約する割合、利用頻度、支払意思額、顧客の分布、継続率、人件費、移動費、固定費を合わせて評価しなければならない。

 二地域居住は自動的に新しい市場を作るわけではない。しかし、従来の観光需要とは異なる、継続的な生活需要を生み出す可能性がある。地域の事業者がそれを採算の合う形で提供できるなら、小規模でも持続的なビジネスが成立する余地がある。

観光ビジネスとは発想そのものが違う

 観光ビジネスが「この町に何を見に来てもらうか」を考える産業だとすれば、二地域居住を支えるビジネスは「どうすればこの町で無理なく暮らし続けられるか」を考える産業になる。

 観光なら絶景、温泉、食事、イベントが商品になる。しかし二地域居住では、家の管理、移動、買い物、医療機関へのアクセス、日常生活の手間といった、これまで観光の魅力とは考えられなかったものが商品になる可能性がある。

 ただし、観光客と二地域居住者を完全に別の集団として区別することも適切ではない。毎月同じ地域を訪れ、決まった店で買い物をする観光客もいれば、地方に住宅を所有していても、年間に数回しか訪れない人もいる。住宅を所有せず、賃貸住宅や宿泊施設を継続的に利用しながら二地域居住を実践する人もいる。

 つまり、観光と二地域居住の間には連続性がある。観光をきっかけに地域を好きになり、訪問を繰り返し、その後に生活拠点を持つ人もいるだろう。一方で、観光客として何度も訪れることに満足し、住宅を持たない人もいる。すべての観光客を二地域居住者へ転換する必要はないし、すべての二地域居住者を移住者へ転換する必要もない。

 それでも、地域に滞在する目的が「楽しむこと」から「生活を維持すること」へ広がると、必要とされるサービスの性質が変わる。地域の魅力を伝える仕事に加えて、地域で暮らすための不便を解消する仕事が重要になるのである。

「たくさん来る町」より「何度も戻る町」

 これまで多くの地域政策は、とにかく人を呼ぶことに力を注いできた。観光客を呼び、移住者を呼び、企業を呼び、若者を呼ぶ。しかし二地域居住という現象を考えると、最初の一回来てもらうこと以上に、その人が二回目、三回目と戻ってくる理由を作ることが重要になる。

 美しい海があるから一度訪れる。しかし顔を覚えてくれる店があるからまた来る。安い空き家があったから家を買う。しかし留守中に面倒を見てくれる人がいるから暮らし続けられる。自然にひかれて地域を知るが、そこで自分に合った居場所ができれば、その町は単なる旅行先ではなくなっていく。

 ただし、地域への愛着だけで反復訪問が維持されるとは限らない。交通費が高くなれば訪問回数は減るかもしれず、仕事や家族の事情が変われば滞在する余裕がなくなることもある。二つの住宅を維持する負担が大きければ、生活の継続自体が難しくなる。したがって、「戻りたくなる理由」を作るだけでなく、「無理なく戻れる条件」を整えることが必要になる。

 地域にとっても、訪問者数を増やすことと、継続的な利用者を維持することでは施策が異なる。新しい観光客を呼ぶには情報発信や観光資源の整備が重要になるが、二地域居住者との関係を維持するには、住宅管理、交通、日常の買い物、生活情報、地域との適切な距離感が重要になる場合がある。

 人口減少地域では、観光客数や移住者数のような新規獲得の指標に加えて、再訪率、年間滞在日数、翌年の継続率、地域内の利用額などを見ることが重要になっていく。ただし、再訪率が高ければ必ず地域に利益が生まれるわけではないため、消費や行政負担との関係も合わせて評価する必要がある。

房総の町で考える「第三の住民」

 例えば、御宿町、勝浦市、いすみ市、大多喜町などの地域を考えてみたい。これらの地域には、海や里山、歴史的な町並みなど、それぞれ異なる魅力がある。一方で、地域ごとの交通条件、住宅事情、産業構造、観光需要は同じではない。

 海辺の住宅を求める人もいれば、里山の古民家で静かに過ごしたい人もいる。都市からの移動時間、鉄道や道路の利便性、買い物ができる場所、医療機関への距離などによって、二地域居住の実現可能性は変わる。したがって、房総という一つの地域名でまとめてしまうのではなく、自治体ごと、さらに地区ごとの条件を調べる必要がある。

 例えば、住宅需要が弱く空き家が多い地区では、二地域居住者による住宅取得や改修が地域の住宅維持に役立つ可能性がある。一方、需要が集中する地区では、住宅価格や賃料への影響を確認する必要がある。また、鉄道駅から離れた住宅が多い地域では移動支援への需要が考えられるが、利用者が広く分散していれば、通常の有償サービスだけでは採算が難しい場合もある。

 地域の事業者にとっては、二地域居住者がどこに何人いるかという情報だけでなく、どの時期に訪れ、どのような生活上の不便を感じ、何に対価を支払っているかを知ることが重要になる。ただし、個人の住宅所在地や行動履歴は私生活に関わる情報であるため、調査には本人の同意や適切な管理が必要である。

 このような情報があれば、地域の商店、住宅管理業者、清掃業者、造園業者、交通事業者などが、それぞれの需要に応じたサービスを考えやすくなる。ただし、地域ごとの潜在需要が小さい場合には、一つの業種だけで新規事業を成立させることが難しいため、既存の事業者同士が連携して複数のサービスを提供する方法も検討に値する。

 地域経済の将来を考えるとき、観光客の増加だけを目指すのでも、移住者の獲得だけを目指すのでもなく、地域外に生活の本拠を置きながら継続的に地域を利用する人との関係を把握することには意味がある。ただし、それが実際に地域所得の増加や生活環境の改善につながるかどうかは、個々の地域で確かめなければならない。

二地域居住の価値を測るなら

 二地域居住者が地域にとってどのような価値を持つかを冷静に考えるなら、地域に入ってくるものと、地域が負担するものの両方を見る必要がある。

 地域内での消費が増え、地元の事業者に仕事が生まれ、雇用や所得が増えれば経済的な利益になる。地域活動に参加する人が増えたり、住宅の維持管理が進んだりすれば、経済指標に直接表れにくい便益も生まれる。一方で、住宅価格の上昇、行政サービスの追加費用、交通混雑、環境負荷、既存住民との摩擦などが生じれば、利益の一部が相殺されることになる。

 したがって、地域への効果を一つの金額にまとめることには限界がある。地域経済については、追加的な消費、事業者の売上、地域内付加価値、雇用や所得の変化を見る必要がある。自治体財政については、追加税収や使用料収入と、行政サービスに必要な追加費用を比較する必要がある。さらに住民生活については、住宅の確保しやすさ、生活環境、地域活動の負担、住民の満足度などを別に確認しなければならない。

 研究として二地域居住の効果を検証する場合にも、二地域居住者が多い町と少ない町を単純に比較するだけでは不十分である。もともと交通の便がよく、自然環境や商業施設に恵まれた町には、二地域居住者が集まりやすい可能性がある。そのような町の経済状況が良好だったとしても、二地域居住者が経済を改善した結果なのか、経済条件のよい町に二地域居住者が集まったのかは区別できない。

 より厳密に調べるなら、二地域居住を促進する施策を始める前後の変化を観察し、人口構成、産業構造、観光需要、交通条件などが似た地域との比較を行う方法が考えられる。その際には、施策がなかった場合に地域経済がどのように変化したかという反実仮想を意識する必要がある。ただし、比較可能な地域を見つけること自体が難しく、施策以外の要因を完全に取り除くことも容易ではない。

 大切なのは、二地域居住者が増えたという事実と、それによって地域が豊かになったという結論を混同しないことである。地域への経済効果や社会的効果を把握するためには、人数だけではなく、滞在、消費、雇用、住宅、行政費用、住民生活を継続的に測定する必要がある。

救世主ではなく「少しずつ町を支える人」

 二地域居住者は地域の救世主なのか。

 おそらく、この問いへの答えは「救世主と考えない方がうまくいく」である。ただし、それは二地域居住者の価値が小さいという意味ではない。むしろ、特定の人に過大な期待をかけず、地域との多様な関わり方を認めることが、長期的な関係を維持するうえで重要だということである。

 一人の移住者に人口減少を止めてもらう必要はない。一人の二地域居住者に地域活動をすべて手伝ってもらう必要もない。ただ、その人が毎月数日滞在し、地域の店で買い物をし、必要なサービスに対価を払い、ときには誰かと会話をし、翌月もまた戻ってくる。それだけでも、同じような人が百人、千人と増えれば、町の経済や人間関係に変化が生まれる可能性がある。

 もちろん、百人、千人という人数だけでは地域の将来は決まらない。年間の滞在日数が短く、消費も少なければ経済効果は限定されるかもしれない。逆に、少人数でも継続的に地域の仕事を支えたり、地域で事業を営んだりする人がいれば、人数以上の影響を持つ場合がある。また、地域への利益が一部の事業者や住宅所有者に集中し、既存住民の負担が増える可能性にも目を向けなければならない。

 だからこそ、二地域居住を地域政策の新しい万能薬として扱うべきではない。人口減少を直接止める政策ではなく、人口減少のなかでも地域の経済活動や生活の基盤を維持するための、一つの選択肢として考えるのが適切だろう。

 住民票はない。しかし、この町がなくなったら困る。その自治体の地方選挙には参加できなくても、行きつけの店が閉まれば寂しい。生まれ育った場所ではない。それでも台風が来れば心配になる。そういう人の存在は、行政人口だけでは見えにくい地域との結びつきを教えてくれる。

 その人が一年に何日町へ来て、何を買い、誰と関わり、どのような不便を感じ、その不便にいくらなら払うのか。そして、地域側はその人との関係を維持するために何を提供し、どれだけの費用を負担しているのか。これらを実際に調べることができれば、地域経済の見え方は変わるかもしれない。

 観光客でもなく、完全な移住者でもない「第三の住民」を考えることは、結局のところ、これからの地域にとって「住む」とは何なのかを考え直すことである。住民票のある人だけが地域を支えているわけではなく、地域との関係のすべてを人口という一つの数字に置き換えることもできない。

 人口が減り続ける日本では、人を一つの場所に完全に囲い込もうとする地域政策だけでは、対応できない課題が増えていくだろう。一人の人生の一部分を継続的に受け入れ、その人が無理なく何度も戻ってこられる仕組みを持つ地域には、新しい可能性がある。

 ただし、その可能性を現実の地域活性化へ変えるには、地域外から来る人の希望だけでなく、地域に暮らす人の生活、事業者の採算性、行政の財政負担まで含めて、利益と費用を確かめる必要がある。

 二地域居住者は、地域の人口減少を止める救世主ではない。それでも、互いに無理のない関係を築き、地域に必要なものを対価とともに交換し、何度でも戻ってこられる暮らしが成立するなら、少しずつ町を支える存在になり得る。

 地域にとって本当に重要なのは、救世主を探すことではない。住民票の有無を超えて、その町と関わり続けたい人が自然に戻ってこられる条件を整え、その関係が地域にとっても持続可能なものになっているかを、丁寧に確かめていくことなのではないだろうか。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 駅前に観光客が増え、休日になると飲食店の前に列ができる。海岸や観光施設の駐車場には県外ナンバーの車が並び、自治体の統計には前年を上回る来訪者数が記録され、「観光客過去最高」という言葉が広報紙や新聞を飾る。町は以前より賑やかになったように見えるのだが、そこで暮らしている人に話を聞くと、給料が上がったという実感は乏しく、商店街の空き店舗もそれほど減らず、若者の流出も止まっていない。

 人が増え、お金も使われているはずなのに、なぜ町に暮らす人の所得はそれほど増えないのだろうか。この疑問は、観光政策を考えるうえで重要である。観光客数という数字は目に見えやすく、増減も分かりやすいため、自治体にとって目標に設定しやすい。しかし、観光客が町で使ったお金と、その町で暮らす人の所得として最終的に残るお金は、必ずしも同じものではない。

 観光客数が増えても住民所得が伸びない原因は一つではなく、地域の産業構造、生産性、季節性、雇用形態、人口構成、物価なども関係する。そのなかでも、特に見落とされやすい原因の一つが、観光によって町に入ったお金から生まれる所得が、地域住民に十分帰属していない可能性である。

 ただし、地域外へお金が支払われること自体が問題なのではない。地域外との取引が生産性を高め、結果として住民所得を増やす場合もある。重要なのは、観光客が使った金額だけでなく、その支出からどのような価値が生まれ、誰の所得となり、住民生活にどのような利益や負担をもたらしたのかを確認することである。

観光客が使った1万円は、町の所得1万円ではない

 旅先で1万円を使ったとしよう。宿泊代、昼食代、土産物代、交通費などとして支払われたその1万円を、私たちはつい「地域に1万円落ちた」と考えてしまう。しかし、その1万円すべてが地域住民の所得になるわけではない。

 例えば、宿泊施設が地域外の企業によって所有されていれば、利益の一部は地域外の所有者に帰属する可能性がある。レストランが町外から食材を仕入れていれば、その代金は町の外へ支払われ、土産物店の商品が遠方の工場で製造されていれば、販売された場所はその町でも、生産によって生まれる所得の多くは別の地域に帰属する。また、そこで働いている人が町外から通勤していれば、支払われた賃金は基本的に町外居住者の所得となる。

 もちろん、町外企業が経営する施設であっても、町内の人を雇い、地元企業から商品を購入し、施設の維持管理を地域内に発注していれば、町の経済に貢献する。反対に、地元企業が経営していても、仕入れや雇用の多くを地域外に依存していれば、売上ほどには住民所得が増えない場合がある。企業の所在地や所有者だけで判断することはできず、実際の取引や所得の帰属を調べる必要がある。

 つまり、観光客の支出は町に入った瞬間にすべて住民所得へ変わるのではない。企業の売上となった後、仕入れなどの支払いに充てられ、そこで生み出された付加価値が賃金や利益などに分配されていく。その過程で、地域住民に帰属する部分もあれば、町外の企業や家計に帰属する部分もある。

 この違いがあるため、観光客数や観光消費額だけを見ても、町がどれだけ豊かになったのかは分からない。

「売れている町」と「稼いでいる町」は同じではない

 商品が1000円で売れたからといって、その1000円すべてが、その店によって新しく生み出された価値になるわけではない。商品を仕入れる費用や原材料費、外部から購入したサービスなどの費用があり、それらを考慮しなければ、その事業が生み出した価値を把握することはできない。

 経済学では、生産活動によって新しく生み出された価値を付加価値という。基本的には、商品の販売やサービスの提供によって得られる産出額から、原材料や外部サービスなどの中間投入額を差し引いて求める。ここで注意したいのは、従業員の賃金や設備投資を、中間投入と同じように一律に差し引くわけではないということである。

 賃金は生み出された付加価値の分配先であり、設備投資は将来の生産に使用する資産の取得である。また、設備の使用によって価値が減少する部分は固定資本減耗として扱われ、粗付加価値には含まれる。したがって、企業の売上、付加価値、利益は、それぞれ異なる経済的な意味を持っている。

 さらに重要なのは、その付加価値が誰に分配されるのかということである。従業員への賃金として地域住民に渡る場合もあれば、企業所得として地域外の所有者などに帰属する場合もある。町内で生み出された付加価値が大きくても、それと同じ金額が町民の所得になるとは限らない。

 ここでは、地域内総生産、地域に帰属する所得、住民個人の所得という三つの概念を区別する必要がある。地域内総生産は、その地域の生産活動によって生み出された付加価値を表す。一方、地域に帰属する所得は、居住する人や企業などの経済主体への所得の帰属を捉えるものであり、地域住民が実際に受け取る給与などとは必ずしも一致しない。

 例えば、公的統計で使われる県民所得や市町村民所得には、雇用者報酬だけでなく、財産所得や企業所得も含まれる。これらは地域経済を分析するうえで重要な指標だが、住民一人ひとりの給与や家計収入そのものを示しているわけではない。また、公的年金などの社会保障給付も家計の生活を支える重要な収入であるが、生産活動から発生する所得とは区別して扱う必要がある。

 そのため、町の観光関連売上が増加していても、地域住民の給与や事業所得が同じ割合で増えるとは限らない。売上高が大きくても地域内で生み出される付加価値が小さかったり、その付加価値のかなりの部分が町外の経済主体に帰属したりすれば、町の表面的な賑わいと住民の所得には大きな差が生まれる。

1万円の観光消費から住民所得はいくら生まれるのか

 この違いを、簡単な数値例で考えてみたい。観光客が町内の宿泊施設に1万円を支払ったとする。説明を単純にするため、税金の影響などを省き、この1万円を施設の産出額として扱う。

 仮に、食材や備品、外部サービスなどの中間投入が6000円で、そのすべてを地域外から購入していたとする。残る4000円が、この施設で生み出された粗付加価値になる。さらに、その4000円のうち、町内に住む従業員への賃金が2000円、町外から通勤する従業員への賃金が1000円、町外の所有者に帰属する利益が800円、固定資本減耗が200円だったと仮定する。

 この場合、観光客の支出は1万円、施設が生み出した粗付加価値は4000円である。しかし、町内に住む従業員に直接支払われた賃金は2000円にとどまる。固定資本減耗の200円は設備の価値の減少を会計上表したものであり、その金額が直ちに地域外へ送金されるという意味ではない。

 もちろん、これは仕組みを説明するための仮想的な数字であり、実際の宿泊施設の費用構造を示すものではない。また、町内企業から仕入れを行っていれば、その取引先で新たな付加価値が生まれるため、地域全体への効果は変わってくる。税金や地域内での追加的な支出なども含めれば、分析はさらに複雑になる。

 それでも、この例から分かることがある。観光客が支払った金額、施設が生み出した付加価値、地域住民が受け取った所得は、それぞれ異なるということである。観光政策を評価するには、少なくともこの違いを意識する必要がある。

本当に重要なのは、お金が地域内で次の所得を生むかどうかである

 同じ100万円の観光消費でも、その経済効果は地域によって異なる。違いを生む一つの要因が、最初の観光需要によって生まれた所得が、地域内の取引を通じてさらに別の所得を生み出すかどうかである。

 例えば、地元の旅館が地元農家から野菜を購入し、その農家が地域の商店で買い物をし、商店主が町内の事業者へ仕事を依頼すれば、最初に観光客が支払ったお金から生まれた所得が、別の取引を通じて新たな所得を生み出していく。よく「お金が地域の中を何周するか」と表現されるが、同じ紙幣が物理的に何周もするという意味ではなく、ある人の支出が別の人の売上となり、そこから生まれた所得がさらに別の需要を生む連鎖のことである。

 一方、宿泊施設が食材も備品も地域外から購入し、利益が地域外の所有者に帰属し、従業員の多くも町外から通勤しているなら、観光客の支出から地域住民に直接帰属する所得は小さくなる可能性がある。

 こうした産業間の取引関係を分析する方法の一つが、産業連関分析である。観光需要が増えたとき、宿泊業や飲食業だけでなく、農業、漁業、食品加工、運輸、各種サービスなどにどの程度の生産が誘発されるのかを推計することができる。

 ただし、ここには注意点もある。経済波及効果として計算された生産額の合計は、住民所得の増加額と同じではない。取引の各段階で生じる売上を合計するため、原材料や中間製品の取引も含まれ、付加価値や賃金の増加とは区別する必要がある。

 また、産業連関分析は、産業間の投入構造が一定であることなどの前提に基づく推計である。実際には、人手不足で需要に対応できなかったり、仕入れ価格が上昇したり、増加した観光消費が別の消費を置き換えたりする場合もある。経済波及効果は地域経済の構造を理解するための有効な手段だが、政策によって住民所得が実際にいくら増えたかを直接証明するものではない。

 観光地の人通りや駐車場の混雑を見ても、こうした違いはほとんど分からない。観光客が来たことと、その消費によって生まれた所得が地域内でどこまで広がったのかは、別の問題だからである。

日帰り客100人と宿泊客100人では同じ「100人」ではない

 観光客数という数字には、もう一つ大きな弱点がある。それは、経済的には異なる旅行者を、同じ1人として数える場合があるということである。

 海岸を散歩して飲み物だけを買って帰る人も、町に宿泊し、夕食を食べ、翌朝に地元の店で土産を買う人も、観光客数の統計では同じ1人として扱われることがある。しかし、地域で使われる金額は大きく異なる。また、統計によって実人数、延べ人数、訪問地点ごとの入込客数などの定義が異なるため、数字を比較する際には、そもそも何を数えているのかを確認しなければならない。

 実際に千葉県が2026年3月に公表した2024年の観光入込調査確定値では、県外から訪れた日本人の観光目的の旅行者について、1人回当たり観光消費額は宿泊客が4万5871円、日帰り客が1万3795円と推計されている。宿泊客の消費額は日帰り客の約3.3倍であり、観光客数が同じでも、旅行形態によって消費規模に大きな違いがあることが分かる。

 ただし、この数値は千葉県全体の調査結果であり、県内のどの自治体でも同じ倍率になるわけではない。また、消費額が約3.3倍だからといって、住民所得への効果も約3.3倍になるわけではない。宿泊施設の仕入れ構造、従業員の居住地、利益の帰属先などによって、地域住民が受け取る所得は変わるからである。

 その意味では、「今年は観光客を10万人増やす」という目標には大きな曖昧さがある。10万人増えても、その多くが短時間滞在で消費額が小さければ、地域所得への影響は限られる。一方、観光客数がほとんど増えなくても、宿泊する人が増え、滞在時間が長くなり、飲食や体験などへの支出が増えれば、地域に生まれる付加価値や住民所得が大きくなる可能性がある。

 もっとも、宿泊客であれば必ず地域への経済効果が大きいと考えるのも正確ではない。宿泊料金そのものが高くても、その施設が地域外の企業によって所有され、食材、備品、人材、予約サービスなどを広く地域外に依存していれば、地域住民に帰属する所得の割合は小さくなることがある。

 だから見るべきなのは、単純な宿泊客数でも消費額でもなく、その消費からどれだけの付加価値が生まれ、住民所得へどの程度結び付いたのかというところまで含めた構造である。

観光消費額と経済波及効果は、住民所得の増加額ではない

 観光政策の成果を示す数字として、観光消費額や経済波及効果が使われることがある。これらは地域経済にとって重要な情報だが、数字の意味を取り違えると、観光が住民生活に与える影響を過大評価することになる。

 千葉県の2024年観光入込調査確定値では、県内の観光消費額は約2兆1355億円、産業連関表を用いて推計した経済波及効果は約2兆5871億円とされている。経済波及効果が観光消費額を上回るのは、観光に伴う直接的な需要に加え、関連産業への生産誘発などを推計しているためである。

 しかし、この約2兆5871億円は、県民が新たに得た所得の合計ではない。経済波及効果の中心となる生産誘発額には、中間投入を含む各産業の生産額が計上されているため、これをそのまま付加価値や賃金の増加額と理解することはできない。さらに、観光需要がなかった場合との厳密な比較によって実現した純増加額を示しているわけでもない。

 もう一つ注意すべきなのは、統計調査の方法である。千葉県の2024年の観光消費額や消費額単価などの推計では、それ以前の調査員による調査からインターネット調査へ方法が変更された。このため、千葉県自身が、対象となる推計結果について前年との単純比較はできないと説明している。

 公式統計であっても、集計方法や調査対象が変われば、数字の増減には実際の観光需要の変化だけでなく、統計上の要因が含まれる可能性がある。「観光消費額が増えた」「観光客が減った」という発表を評価するときには、調査方法、集計範囲、推計方法が同じ条件で比較されているかを確認する必要がある。

 また、観光消費額が物価上昇によって増加する場合もある。観光客が購入する商品やサービスの価格が上がれば、利用件数や提供数量が変わらなくても、名目上の観光消費額は増える可能性がある。観光の成果を正しく捉えるには、名目金額の変化だけでなく、物価の影響や実際の需要量も考慮しなければならない。

観光客が増えれば、町には費用も発生する

 観光には収入だけではなく費用もある。観光客が増えれば、道路や駐車場の利用が増え、ごみ処理、公衆トイレ、清掃、観光案内、景観整備などの行政負担が大きくなることがある。繁忙期に交通渋滞が発生すれば、観光に直接関係のない住民も移動時間の増加という負担を受ける。

 もちろん、これらは観光そのものを否定する理由ではない。観光客が増えることで飲食店や宿泊施設の売上が増加し、雇用や設備投資が生まれ、関連企業の取引が拡大する可能性もある。また、事業活動の拡大によって固定資産税や法人住民税などの税収が増える場合があり、制度や地域の条件によっては入湯税や宿泊税などが観光関連の行政需要を支える財源となることもある。

 ただし、観光による税収の増加と行政費用の増加が、必ずしも釣り合うわけではない。観光関連企業には売上が入り、その利益の一部が企業や所有者へ帰属する一方で、道路整備や清掃などの費用を自治体が負担するなら、利益を受け取る主体と費用を負担する主体が一致しない場合がある。

 さらに、観光による負担のすべてが行政の支出として現れるわけでもない。道路の混雑による移動時間の増加、騒音、自然環境への負荷、住宅や土地の利用をめぐる問題などは、住民や地域社会が直接負担する社会的費用になることがある。

 このように、観光政策の評価では、自治体の財政収支と地域社会全体の費用・便益を分けて考える必要がある。税収が増えて財政的には利益があっても、住民が受ける混雑や環境負荷が大きければ、地域全体の利益は限定的かもしれない。反対に、一定の行政負担があっても、雇用や所得、交通基盤の改善などを通じて、それ以上の社会的利益が生まれている可能性もある。

 重要なのは、観光による追加的な所得や便益と、そのために必要となる追加費用を比較することである。観光客数が増えたという事実だけでは、政策の費用対効果を判断することはできない。

観光客は多ければ多いほどよいのか

 観光客の増加による効果は、常に同じ割合で増えるとは限らない。観光客が少なく、宿泊施設や道路などに十分な余裕がある地域では、新たな観光客を比較的小さな追加費用で受け入れられるかもしれない。しかし、観光客が増えて宿泊施設や道路が容量の限界に近づくと、さらに観光客を受け入れるための費用が急激に増加する可能性がある。

 例えば、空いている駐車場に車が10台増える場合と、満車に近い駐車場へさらに10台が集中する場合とでは、周辺交通への影響は異なる。清掃やごみ処理についても、既存の体制で対応できる範囲を超えれば、人員の追加や設備の拡充が必要になる。

 経済学では、追加的に1人の観光客を受け入れることで得られる便益と、そのために発生する追加的な費用を比較することが重要になる。これを限界便益と限界費用の考え方で捉えることができる。

 観光客が増えるほど利益も増えるとは限らず、一定の水準を超えると、追加的な観光客から得られる利益よりも、混雑や環境対策に必要な費用の方が大きくなる場合がある。したがって、地域にとって望ましい観光客数は、必ずしも受け入れ可能な最大人数とは一致しない。

 人口減少が進む地域では、観光客を増やすことによって不足する需要を補う必要がある一方、労働力や公共施設の維持能力にも限界がある。だからこそ、人数の拡大だけではなく、混雑の少ない時期への需要分散、滞在時間の延長、付加価値の向上などを組み合わせた政策が重要になる。

地産地消を増やせばすべて解決するわけでもない

 観光消費を地域内に残す方法として、地元産品の利用がよく提案される。宿泊施設が地元の魚を使い、飲食店が地元農家の野菜を使い、土産物を地域企業が製造すれば、観光消費から生じる所得が地域に残りやすくなるという考え方であり、その方向自体には合理性がある。

 しかし、地元から買えば必ず地域が豊かになるというほど単純でもない。地元農家が野菜を生産していても、肥料、燃料、農業機械などを地域外から購入していれば、それらの取引に伴う支払いは外へ向かう。地域内の加工会社が魚を加工していても、包装材、設備、物流サービスを地域外へ依存しているかもしれない。

 また、地域内企業の商品が著しく高価であったり、必要な品質や供給量を確保できなかったりする場合には、地域内調達を増やすことだけが地域全体の利益を最大化するとは限らない。地域外との取引によって、より優れた設備、技術、商品、サービスを利用できれば、生産性が向上し、結果として地域住民の賃金や所得が増える可能性がある。

 例えば、町内の旅館が地域外企業の予約管理サービスを導入したことで予約率が上がり、従業員の業務負担が減り、収益性が改善する場合がある。飲食店が町外から質の高い食材を安定して仕入れることで、付加価値の高い料理を提供できるようになることも考えられる。地域外への支払いが発生していても、それ以上の価値が地域内で生み出されれば、住民所得の増加につながる可能性がある。

 これは、地域外との分業や取引によって得られる経済的な利益である。したがって、地域内調達率を無条件に最大化することが、最も望ましい政策とは限らない。

 本当に見るべきなのは、地元企業から買ったかどうかだけではなく、その企業がどの程度の付加価値を生み、誰を雇い、どこへ利益を帰属させ、どのような投資を行っているかという一段深い構造である。地域内外の取引を通じて、最終的に地域住民の所得や生活の質を高めることができるかどうかが重要なのである。

観光客が多いのに若者が出ていく町

 観光地として有名でありながら、若い世代が仕事を求めて都市部へ出ていく地域もある。この現象も、観光客数だけを見ていると理解しにくい。

 観光産業が多くの雇用を生んでいても、需要が特定の季節に集中し、労働時間や雇用期間が安定せず、付加価値が低いために賃金を上げにくい構造であれば、仕事の数が存在しても、若い世代がそこで長期的な生活を組み立てられるとは限らない。とくに、季節による収入の変動が大きい仕事では、年間所得の見通しが立ちにくく、住宅取得や子育てなどの生活設計にも影響する可能性がある。

 ただし、観光業がすべて低賃金で不安定だと考えるのも適切ではない。専門性の高い宿泊サービス、質の高い飲食、体験型観光、地域資源を活用した高付加価値の商品開発などによって、安定した雇用と比較的高い所得を生み出すことも可能である。問題なのは観光業そのものではなく、どのような生産性と雇用構造を持つ観光産業なのかという点である。

 さらに、若者の転出は所得だけで決まるわけではない。希望する職種の有無、教育機会、交通の利便性、住宅事情、医療や子育て環境など、複数の要因が関係する。観光産業が成長していても、働きたい職種が限られていたり、都市部への交通が不便だったりすれば、若い世代が地域外へ移る可能性は残る。

 そのため、観光客数の増加と若者の定住を直接結び付けて評価するのは危険である。地域に必要なのは、単に雇用者数を増やすことではなく、その仕事によって住民が安定して生活できる所得を得られ、将来にわたる生活の見通しを持てることである。

平均所得が上がっても、住民が豊かになったとは限らない

 観光が住民所得へ与える影響を考える際には、もう一つ見落としてはならない問題がある。それは、所得の平均値が上昇しても、住民全体の暮らしが改善したとは限らないということである。

 例えば、観光施設の経営者や不動産所有者の所得が大きく増加する一方で、そこで働く従業員の給与がほとんど変わらなければ、地域全体の平均所得が上昇しても、多くの住民は豊かさを実感できないかもしれない。また、観光需要の増加に伴って家賃や生活関連サービスの価格が上昇すれば、名目所得が増えていても、実際に購入できる商品やサービスの量が増えない場合がある。

 平均値は高所得者の影響を受けやすいため、地域の所得分布を把握するには中央値や所得階層別の変化も重要になる。非正規雇用者の年間所得、正規雇用への移行、労働時間、賃金の伸びなどを確認すれば、観光の成長がどのような住民に利益をもたらしているのかを詳しく把握できる。

 また、人口が減少している地域では、住民全体の所得総額が減少していても、人口の減少率の方が大きければ、1人当たり所得は上昇することがある。逆に、新たな雇用によって若い世代の転入が増えれば、地域全体の所得が増加しても、1人当たりの平均所得がそれほど変わらない場合もある。

 このため、地域経済の豊かさを一つの数字だけで判断することは難しい。住民所得の総額、1人当たり所得、所得分布、物価、雇用の安定性、生活費などを組み合わせて評価する必要がある。

観光客数より住民所得を見れば、政策の景色が変わる

 ここまで考えると、観光客数という指標そのものが無意味なのではないことも分かる。観光客数は地域への需要の大きさを知る重要な指標であり、観光政策を考えるうえで必要である。ただし、それは最終的な成果を示す数字というより、観光活動の規模を示す指標として扱った方がよい。

 その先に、1人当たり消費額、宿泊率、滞在時間、地域内調達率、地域住民へ支払われる賃金、地域企業の利益、観光関連の行政費用、住民満足度などを並べれば、その町の観光が地域経済や住民生活にどのような影響を与えているのかが見えやすくなる。

 実際、国の観光政策でも、観光消費額や経済波及効果だけではなく、観光事業者の平均給与額、持続可能な観光に対する住民満足度、月別来訪者数の平準化率などを評価する考え方が取り入れられている。観光の成果を単純な人数だけで測るのではなく、地域経済や住民生活への影響を含めて判断しようとする方向は、制度面でも進んでいる。

 ただし、指標を設定することと、観光政策によって住民所得が実際に増加したことを証明することは別の問題である。例えば、観光事業者の平均給与額が増加しても、それが観光政策の効果なのか、最低賃金の引上げや人手不足による賃金上昇なのかを区別しなければならない。

 さらに考え方を進めれば、「観光客が追加的に1人訪れることで地域住民の所得はいくら増えるのか」という指標も考えられる。観光客数を2倍にしても住民所得がわずかしか増えない町と、観光客数はほとんど変わらなくても地域の生産性や付加価値が向上し、住民所得が大きく伸びる町とでは、後者の方が観光需要を所得へ結び付ける効率が高い可能性がある。

 もっとも、この効率だけで政策の優劣が決まるわけでもない。観光客数の拡大によって雇用機会が増え、地域の交通機関や商業施設が維持される場合もあるからである。住民所得の増加、雇用の維持、生活の利便性、環境負荷など、複数の政策目標を総合的に評価する必要がある。

 こう考えると、観光政策の目的は単に大量の観光客を集めることではなく、観光需要を通じて、地域に暮らす人々の生活をどれだけ持続的に改善できるかという問題になる。

観光客が増えたから所得が増えなかったとは簡単には証明できない

 ここで一つ注意しておかなければならないことがある。ある町で観光客が20%増え、その同じ時期に住民所得が伸びなかったとしても、それだけで「観光客を増やしても所得は増えない」と結論づけることはできない。

 住民所得には、観光以外にも多くの要因が影響する。製造業の縮小、高齢化、人口減少、通勤構造の変化、景気、物価などが同時に動いているため、観光客数と所得の単純な比較だけでは因果関係を判断できない。また、公的年金などの社会保障給付を含む家計収入や可処分所得を分析する場合には、それぞれの統計上の定義にも注意が必要になる。

 例えば、観光客が増加して地域の宿泊業や飲食業の賃金が上昇したとしても、同じ時期に町内の製造業が縮小していれば、住民全体の所得は増えないかもしれない。この場合、観光が所得増加に貢献していなかったのではなく、観光によるプラスの効果が、別の産業のマイナスの影響によって相殺されていた可能性がある。

 反対に、観光客が増加した時期に住民所得も増加したとしても、その増加が観光によって生じたとは限らない。町外で働く住民の賃金が上がった場合や、観光と関係のない産業が成長した場合にも、同じような統計上の変化が起こり得る。

 実際に特定の町について観光が住民所得へどの程度影響したのかを調べるには、観光消費額だけではなく、地域企業の仕入れ先、従業員の居住地、賃金、企業所得、域外への支払い、観光関連行政費などを調べる必要がある。さらに厳密に分析するなら、産業間の取引関係や時系列変化、他地域との比較も必要になる。

 統計的な分析方法としては、観光客数や観光消費額と住民所得の関係を、人口構成、産業構造、景気などの影響を考慮して検証する方法がある。また、観光政策を実施した自治体と、類似した条件にありながら同じ政策を実施していない自治体について、政策前後の変化を比較する方法も考えられる。

 ただし、こうした比較にも前提条件があり、人口構成や産業構造、観光需要の変化が異なる地域を単純に比較すれば、誤った結論につながる可能性がある。加えて、観光客数などの統計は調査方法によって推計値が変わることもあるため、使用するデータの定義や精度を確認することが欠かせない。

 したがって、「観光客が増えているのに住民所得が増えない町」には、一つの原因だけがあるのではなく、地域外への所得流出、生産性の低さ、雇用の季節性、人口構成、産業構造などが組み合わさっていると考える方が現実に近い。この記事で考えている地域内の所得循環は、そのなかでも特に重要でありながら、観光客数という分かりやすい数字の陰に隠れやすい問題なのである。

小さな町では、何を調べれば観光の成果が分かるのか

 人口減少が進む小規模な自治体では、観光の経済効果を正確に把握することが容易ではない。観光客数や宿泊者数については一定の統計があっても、地域住民に支払われた賃金、企業利益の帰属先、町内企業への発注額などは、通常の公表統計だけでは十分に把握できない場合がある。

 例えば、千葉県の御宿町、勝浦市、いすみ市、大多喜町のように、海岸、自然、歴史文化、農水産物など異なる観光資源を持つ地域を比較する場合でも、観光客数の大小だけで経済的な成果を順位付けすることはできない。宿泊施設の構成、日帰り客の割合、町外からの通勤者、観光関連企業の所有構造、他産業との取引関係が異なれば、同じ観光消費額から生じる所得も変わるからである。

 実務的には、まず公的な観光統計と地域経済に関する統計を整理し、観光需要と産業構造の関係を確認することが考えられる。環境省が提供する地域経済循環分析などを活用すれば、地域の生産、分配、支出の構造を把握し、どの分野に所得の流入や流出が生じているのかを検討する手掛かりになる。ただし、こうした資料から観光産業だけの因果効果を直接読み取れるわけではない。

 次に、地域の宿泊施設、飲食店、小売店などを対象に、仕入れ先、従業員の居住地、年間の雇用状況、賃金、設備投資などを調査する方法がある。すべての事業者を調べることが難しければ、業種や事業規模に応じて標本を選び、地域の取引構造を推計することも考えられる。ただし、調査対象が一部の事業者に偏れば結果も偏るため、標本の選定や回答率には注意が必要になる。

 また、行政側では観光関連施設の維持管理費、清掃費、観光振興に関する支出、観光に関連する税収などを整理する必要がある。行政費用を観光客と住民のどちらがどの程度利用したかによって分けることは簡単ではないが、少なくとも観光振興の成果を来訪者数だけで判断するより、政策の費用と便益を具体的に検討できるようになる。

 さらに、住民所得への影響を評価するには、人口減少や高齢化による変化を考慮し、観光関連の雇用と給与がどの程度安定しているのかを確認することが重要である。住民の平均所得が変化したという事実だけでなく、観光産業で働く人の年間所得や雇用形態を把握することで、観光が実際の生活にどのような影響を与えているのかを検討しやすくなる。

 こうした調査には手間も費用もかかる。しかし、観光事業への補助金、公共施設への投資、イベントの開催などに継続して公費を投入するのであれば、その効果をできる範囲で検証することには十分な意味がある。調査によって正確な因果効果を完全に特定することは難しくても、少なくとも政策判断の根拠を改善することは可能である。

本当に強い観光地は、人が多い町なのか

 観光地の成功を写真に撮ろうとすると、私たちはどうしても人の多い場所を選ぶ。満員の海岸、行列のできた飲食店、観光バスが並ぶ駐車場には、誰にでも分かる活気がある。しかし、地域経済の強さそのものは、そうした写真には写らない。

 宿泊料金のうち、いくらが地域住民の賃金になったのか。食卓に出された魚や野菜を誰が生産したのか。土産物を誰が製造したのか。企業の利益は誰に帰属し、そこで働く人はどこに住み、受け取った給料をどこで使ったのか。さらに、観光客を受け入れるために自治体や住民がどれだけの費用を負担したのか。これらの流れを追わなければ、観光が本当に地域を豊かにしているのかは分からない。

 人口減少が進む地方では、特にこの視点が重要になる。観光客を無制限に増やすことができる地域は少なく、道路や駐車場、自然環境、働き手の確保にも限界がある。しかし、同じ数の観光客から生まれる付加価値を増やし、その成果を地域住民の所得や生活の改善につなげる余地は残されている。

 地域の旅館が地域企業と取引し、地域企業が住民を雇い、そこで生まれた所得が再び地域の店や事業者へ向かう。その循環を太くすることは、一つの有効な方向である。同時に、地域外の優れた技術やサービスを利用して生産性を高め、より安定した雇用や高い賃金を実現することも重要になる。地域内の取引だけにこだわるのではなく、地域内外の経済活動を通じて住民に帰属する価値を増やすことが求められる。

 反対に、そうした構造が改善されないまま観光客だけを増やしていけば、町は以前より賑やかになっても、住民の暮らしはそれほど豊かにならないかもしれない。観光施設の売上が増え、消費額や経済波及効果が大きくなっても、賃金が伸びず、働き方が不安定で、行政負担や生活費の上昇が大きければ、地域社会が得る利益は限られる可能性がある。

 もちろん、観光の価値は所得だけで決まるものではない。地域の文化や景観が維持され、交通や商業施設が存続し、住民が自分の町に誇りを持つことにも意味がある。ただし、経済振興を目的として観光政策を実施するのであれば、観光客数や消費額の増加を最終的な成果とみなすのではなく、それが雇用、所得、財政、住民生活にどのような変化をもたらしたのかを確かめる必要がある。

 観光客が帰った夕方、駐車場から車が消え、賑わっていた通りが静けさを取り戻したとき、その日町へ入ってきたお金から生まれた所得のうち、どれほどが地域に暮らす人々へ届いたのだろうか。そして、その所得を生み出すために、町はどの程度の費用を負担したのだろうか。

 観光政策を評価するとき、本当に数えるべき数字は、訪れた人の数だけではない。観光によってどれだけの価値が生まれ、その価値が誰に帰属し、地域住民の暮らしをどれだけ持続的に豊かにしたのかという数字なのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

弊社では、住まい・車・移住などの大きな選択を、 費用や将来条件をもとに数字で比較し、判断できる形に整理しています。

数字で比較するサービスを見る

 空き家を見ると、私たちは反射的に「誰かに住んでもらえないか」と考える。自治体は移住希望者とのマッチングを進め、不動産会社は売却や賃貸の可能性を探り、所有者もできることなら住宅としてもう一度使ってほしいと考える。しかし、人口減少が続く地域で、増え続ける空き家の一軒一軒に新しい住民を探すという発想には、限界がある。人口が減少しても、単身世帯の増加などによって世帯数が増える場合はあり、住宅需要が人口と同じ割合で減少するわけではない。それでも、住宅の供給量、建物の品質、立地、世帯構成、地域の所得水準などが需要と一致しなければ、住宅として再利用できない建物は残り続ける。

 総務省の2023年住宅・土地統計調査によると、日本の空き家は900万2,000戸に達し、住宅総数に占める割合は13.8%となった。このうち、賃貸用、売却用、別荘などの二次的住宅を除く空き家は385万6,000戸である。ただし、これらは住宅の戸数を数えた統計であり、900万棟の独立した建物が存在するという意味ではない。共同住宅の空室も含まれ、385万6,000戸についても、事業用途へ転用できる建物の数を示しているわけではない。

 実際には、老朽化が進んだ住宅、相続や所有権の整理が終わっていない住宅、給排水設備が傷んだ住宅、道路条件が悪い住宅などが含まれている。住宅として利用する場合には問題にならなかった段差や出入口の幅、耐震性、防火設備などが、不特定多数の住民が利用する施設へ転用するときに障害になることもある。したがって、空き家の数が多いことを、そのまま利用可能な地域資源の豊富さと解釈することはできない。

 それでも、これほど大量の住宅が地域の中に存在している以上、「もう一度、誰かが住めるか」という問いだけで建物の価値を判断する必要はないのではないだろうか。これから人口減少地域で問題になるのは、住宅の余剰だけではなく、住宅で暮らし続けるために必要な生活機能の縮小だからである。

 近所の診療所がなくなり、スーパーが閉じ、バスの本数が減り、訪問介護の職員が長い距離を移動するようになり、働く場所も町の外へ移っていく。家は残っているのに、その家で生活するために必要なサービスが遠ざかっていく。もちろん、高齢者向け住宅やバリアフリー住宅など、地域によっては住宅そのものの不足も起こり得る。しかし、住宅ストックの余剰と生活サービスの不足が同時に存在する地域では、空き家問題を住宅政策だけで考えることには限界がある。

 そこで検討したいのが、空き家を住宅以外の地域インフラとして利用する可能性である。診療を受けるための場所、荷物を受け取るための場所、介護予防や生活相談の場所、地域に住みながら仕事を続けるための場所として、既存の住宅を活用できないだろうか。ただし、空き家の再利用を先に決めるのではない。地域に必要な機能を明らかにした結果として、適切な場所に利用可能な空き家が存在するなら、それを選択肢に加えるという考え方である。

人口は少しずつ減っても、暮らしは少しずつ不便になるとは限らない

 人口減少という言葉からは、町が毎年少しずつ小さくなっていく姿を想像しやすい。しかし、実際の生活サービスは人口と同じ割合で滑らかに縮小するわけではない。人口が2割減ったからスーパーが2割小さくなり、診療所が診療時間を2割減らし、バスの利便性が2割低下するというようには動かない。商店や医療機関、公共交通には、それぞれ採算、人材確保、利用者数などの条件があり、それを維持できなくなれば、一つの店舗、一つの診療所、一つの路線という単位でサービスが失われることがある。

 経済学的に考えれば、この現象には固定費と需要の関係がある。例えば商店では、利用者が減っても家賃、設備維持費、一定の人件費などが残るため、売上が減少するほど採算が悪化する。人口規模が小さい地域ほど各種生活サービスが立地しにくくなる傾向は、国土交通省の人口規模と生活サービス施設の存在確率に関する分析とも整合する。ただし、特定の人口を下回った瞬間に必ず店舗や診療所が閉鎖されるという、全国共通の臨界点が存在するわけではない。

 実際の施設の存続には、経営者の年齢、競合施設、地域所得、道路網、隣接都市との距離、補助制度、人材確保などが関係する。そのため、人口が比較的少なくても生活サービスが維持される地域がある一方、それほど人口が少なくなくても施設の撤退が起こる地域がある。それでも、人口が連続的に減少していく一方でサービスは施設単位で失われるため、住民から見た生活環境は、階段を一段落ちるように変化することがある。

 徒歩5分の商店が閉まれば、車で20分のスーパーまで買い物に行かなければならなくなるかもしれない。近所の診療所がなくなれば、隣の市まで通院する必要が生じる場合もある。もちろん、宅配、移動販売、オンラインサービスなどが代替手段になることもあるが、それらが十分に整備されなければ、施設の撤退は住民の移動時間や生活負担を増加させる。高齢化によって運転や長距離移動が難しくなる時期と、生活サービスが遠ざかる時期が重なれば、「家はあるのに暮らし続けることが難しい」という状態が生まれる。

 ここで空き家の意味が変わってくる。空き家とは単なる「余った住宅」ではなく、町の中にすでに配置されている建物でもある。住宅として利用されていた以上、電気、水道、道路などの基盤が存在する場合が多く、住宅地の内部やその周辺に位置している。ただし、設備の劣化や建築上の制約を考えれば、そのまま事業用途に転用できるとは限らない。それでも、新しく土地を取得して建物を建設する以外の選択肢として、既存の住宅を評価する意味はある。

 住民を空き家に連れてくることが難しいなら、生活サービスの一部を住民の近くに残された空き家へ持ってくることはできないだろうか。

病院を建てることと、医療への距離を縮めることは同じではない

 医療について考えてみる。人口数千人の地域に新しい病院を建設し、医師、看護師、検査職員、事務職員などを常駐させることは、多くの場合、財政面や人材確保の面から現実的ではない。しかし、住民にとって本当に必要なのは病院という建物そのものではなく、必要なときに適切な医療へ到達できることである。

 オンライン診療の普及は、医療機関への移動を減らす一つの方法になる。ただし、オンライン診療では触診や一部の検査ができず、得られる診療情報には限界があるため、対面診療との適切な組み合わせが欠かせない。また、高齢者の中には通信機器の操作が難しい人もおり、自宅に通信環境がない人もいる。このような条件を考えると、自宅と医療機関の中間に、オンライン診療を受けるための小規模な場所を設けることには一定の意味がある。

 制度面では、2026年4月1日から施行された改正医療法によって、「オンライン診療受診施設」が新たに法的に位置づけられた。この施設は、オンライン診療を行う医師などが勤務する医療機関等に対し、患者がオンライン診療を受ける場所を業として提供するものであり、診療所とは異なる制度上の位置づけを持つ。設置者は、原則として施設の設置後10日以内に、所在地を管轄する都道府県知事等へ届け出る必要がある。従来の診療所を開設する場合とは異なる仕組みが整備されたことで、既存施設をオンライン診療の受診場所として活用する可能性は広がった。

 例えば、比較的状態のよい空き家に通信設備とプライバシーを確保できる空間を設け、医療機関と連携してオンライン診療を受ける場所として利用することが考えられる。通信機器の操作を支援する人員を配置できれば、自宅でオンライン診療を受けることが難しい住民にとっても選択肢が増える。別の時間には健康相談や保健指導、介護相談の場所として利用する方法も考えられるが、具体的な運営形態によって必要な手続や設備基準は異なる。

 ただし、オンライン診療受診施設という制度ができたからといって、普通の住宅に通信機器を置くだけで医療サービスを自由に提供できるわけではない。診療を担当する医師や医療機関の責任、患者のプライバシー、通信の安全性、施設の衛生管理、緊急時の連絡体制などを整える必要がある。また、受診を補助する人が医療従事者でない場合、採血や注射などの医療行為を自由に行えるわけではなく、業務内容に応じた法的な区別が必要になる。

 さらに、受診場所を自宅の近くに設けても、すべての患者にとって利便性が高まるとは限らない。自宅で問題なくオンライン診療を利用できる人には新たな拠点が不要な場合もあり、外出そのものが難しい人には訪問診療や訪問看護などの方が適していることもある。したがって、空き家を利用した受診拠点の効果は、医療機関までの距離だけではなく、実際の受診可能性、診療の質、待ち時間、緊急時の対応などを含めて評価する必要がある。

 空き家が病院の代わりになると考えるべきではない。病院まで患者が移動しなければならない場面を減らし、適切な医療へつながるための選択肢を増やすことが目的である。医療施設そのものを地域に残すことと、医療へのアクセスを地域に残すことは、よく似ているようで同じではない。

物流では最後の数キロメートルが重くなる

 物流にも似た構造がある。人口が少なくなれば地域内で取り扱う荷物の総量は減少する可能性があるが、家と家との距離が自動的に縮まるわけではない。住民が広い範囲に点在したまま人口だけが減れば、一個の荷物を届けるための移動距離や時間が相対的に増え、車両や運転手を効率よく利用することが難しくなる場合がある。

 過疎地域における配送先の分散、積載効率の低下、運転手不足などは、国の物流政策でも課題として扱われている。共同配送や貨客混載、配送拠点の集約などが検討されているのも、従来と同じ方法で各事業者が個別に配送を続けることが難しくなる地域があるからである。この延長に、空き家を小規模な地域物流拠点として利用する発想を置くことはできる。

 例えば、住宅地の入口や幹線道路に近い空き家を複数事業者の荷物の受取場所とし、宅配ロッカーを設置する方法が考えられる。地域内の最終配送を共同化したり、買い物支援や高齢者への配達と組み合わせたりすることも考えられる。将来、自動配送車やドローンによる配送の実用範囲が広がった場合にも、安全な受け渡しや荷物の保管を行う場所が必要になる可能性はある。ただし、新しい配送技術の普及時期や費用対効果には不確実性があり、それを前提として施設を整備することには慎重でなければならない。

 重要なのは、空き家を配送拠点にすれば必ず効率が上がるわけではないということである。配送事業者が一度拠点に荷物を集めるために新しい移動が必要になれば、その分だけ作業時間が増える。住民が荷物を受け取るために車で移動するようになれば、配送事業者の費用は減っても、地域全体の移動時間や燃料消費は増える可能性がある。高齢者や自動車を利用できない住民にとって、受取拠点が新たな負担になることも考えられる。

 また、単なる荷物の受取場所と、有償で貨物を運送する事業、他人の物品を寄託されて保管する営業倉庫では、適用される制度や必要な手続が異なる。建物の用途、保管する荷物の種類、車両の出入り、近隣住民への影響なども確認しなければならない。そのため、物流拠点として価値を持つのは、車両が安全に出入りでき、荷物の管理が容易で、周辺住民や配送経路から利用しやすいような、条件の整った一部の空き家だろう。

 物流では建物の立派さよりも、地図上の位置と配送経路の方が重要になる場合がある。ただし、その位置が本当に有利かどうかは、配送事業者の費用だけではなく、住民の受取負担まで含めた地域全体の効率で判断する必要がある。

介護施設ではなく、介護につながる場所を増やす

 介護も、人材不足が進むほど地理的な条件が重要になる。仮に訪問介護の職員が利用者宅まで30分移動し、サービスを提供した後、さらに30分かけて次の利用者宅へ移動するなら、その一時間は職員の労働時間であっても、利用者に直接介護サービスを提供する時間ではない。人口密度が低く、利用者が広い範囲に点在する地域では、こうした移動が事業運営上の負担になる。

 もちろん、訪問介護をすべて集約型のサービスに置き換えることはできない。訪問介護には、自宅で生活する人をその生活の場で支えるという固有の役割があり、外出できない人ほど支援を必要としている場合もある。したがって、移動効率の改善を理由に訪問サービスを減らせば、かえって必要な支援から取り残される人が生まれる危険がある。

 一方で、健康相談、介護予防、軽い運動、地域交流、日常的な生活相談などは、必ずしも専門職が一軒ずつ訪問して実施する必要はない。住民が安全に通える場所があれば、一定の機能をまとめて提供する方法が考えられる。厚生労働省が推進している住民主体の「通いの場」や、介護予防・日常生活支援総合事業の考え方とも、この方向性は整合する。

 そこで、住宅地の中にある比較的状態のよい空き家を、介護予防や健康相談、地域交流などの小規模な拠点として利用する余地が生まれる。例えば、週に数日は体操や交流活動を行い、別の日には保健師や介護支援専門員などが相談に応じる場所にする。利用者が徒歩で通える位置にあり、段差やトイレなどの問題が解消されていれば、大規模施設とは異なる役割を果たす可能性がある。

 ただし、住民が自由に集まる交流施設と、介護保険制度に基づく指定サービスを提供する事業所は同じではない。後者にはサービスの種類に応じた人員、設備、運営上の基準があり、住宅を改修するだけで介護保険サービスを実施できるわけではない。また、通いの場が整備されても、身体機能が低下して外出できない人や、他者との交流を避けている人には支援が届かない可能性がある。

 そのため、空き家を使った地域拠点は、訪問介護や送迎、見守りなどを代替するものではなく、それらと組み合わせるものとして考えるべきだろう。孤立の防止や生活相談へのアクセス改善まで含めれば、「近くに安心して行ける場所がある」ということも、地域の生活基盤の一部なのである。

空き家から仕事が生まれるのではなく、仕事を続けられる条件をつくる

 仕事の分野では、空き家活用という言葉からサテライトオフィスや共同作業スペースを思い浮かべる人も多い。実際、既存住宅や空き店舗を改修して仕事の場にする取り組みは各地に存在する。しかし、空き家をきれいに改修し、高速通信を整え、机や会議室を設置すれば、それだけで新しい仕事が生まれるわけではない。

 地域に利用者がいなければ、使われていなかった住宅が、使われていない共同作業施設に変わるだけである。施設の開設件数や整備費用を成果として扱うと、実際に仕事が継続できるようになった人が何人いるのか、地域内の所得が増加したのかという本来の問題が見えなくなる。

 それでも、地域に会社員、自営業者、二地域居住者、移住者、学生などが一定数存在するなら、一人ひとりが自宅に十分な仕事環境を整えるより、オンライン会議ができる個室、複合機、高速通信、打ち合わせ場所などを共同利用する方が合理的な場合はある。住居内に静かな作業場所を確保できない人や、家庭生活と仕事を分けたい人にとっても、近隣に利用可能な作業場所があることには価値がある。

 ただし、その効果を地域経済の活性化として評価するなら、単なる施設利用者数だけでは不十分である。利用者が既存の仕事場所から移動しただけなのか、新たな仕事を地域外から獲得したのか、地域内で働き続けられる人が増えたのかを区別する必要がある。利用料金による収入が施設の運営費をどの程度賄えるか、利用者が減少した場合にも維持できるかという検証も欠かせない。

 空き家が仕事そのものを生むのではなく、地方に住みながら仕事を続けるための不便や制約を減らす。この違いは重要である。施設を作ることを目的にすると利用者不在の事業になりやすいが、すでに存在する需要を確認し、その需要を支える設備として空き家を選ぶなら、政策としての合理性が生まれる。

一軒の家を、一つの用途だけに固定しない

 人口の少ない地域では、もう一つ難しい問題がある。診療だけ、介護だけ、物流だけ、仕事だけでは、それぞれの利用量が小さく、一つの建物を維持できない可能性があることである。施設には利用者がいない時間帯にも一定の維持費が発生するため、単一用途では稼働率が低くなる場合がある。

 ここから、多用途化という発想が出てくる。午前中には介護予防や健康相談を行い、午後にはオンライン診療を受ける場所として利用する。別室を仕事や行政手続きの支援に使い、玄関付近には宅配ロッカーを設置する。週に一度は保健師や介護支援専門員が訪れ、別の日には地域活動を行う。そのような利用方法が実現すれば、一つの建物が複数の生活機能を地域につなぐ接点になる。

 経済学では、複数のサービスを共同で提供することによって、それぞれを単独で提供する場合より総費用が小さくなる現象を「範囲の経済」と呼ぶ。例えば、二つのサービスが建物、通信設備、管理業務、光熱費などを共同利用することで、別々の施設を維持するより費用を減らせるなら、範囲の経済が働いていることになる。

 しかし、用途を増やせば必ず効率化するわけではない。医療には患者のプライバシーや衛生管理が必要になり、物流には荷物の保管と安全管理が求められる。介護予防の利用者には段差やトイレへの配慮が必要であり、仕事場には静かな環境や情報管理が求められる。用途によって入口や利用時間を分けたり、防火設備を追加したりする必要が生じれば、複合化によって運営費がかえって上昇する可能性がある。

 また、医療相談の隣で荷物の積み下ろしを行えば騒音やプライバシーの問題が生じるかもしれない。高齢者が集まる場所と、車両が頻繁に出入りする場所を同じ敷地に設けることが安全上適切とは限らない。施設ごとの管理責任が曖昧になれば、事故やトラブルへの対応も難しくなる。

 したがって、目指すべきなのは「何でも一つの家へ詰め込む」ことではなく、相性のよい機能を組み合わせることである。介護予防と地域交流、行政相談と仕事場、物流の受取拠点と買い物支援など、必要な設備や利用者の行動が共通する組み合わせには可能性がある。人口減少地域で問われるのは、施設をどれだけ大型化できるかではなく、一つの場所を無理なく、どれだけ有効に利用できるかなのである。

空き家の用途変更には、法律と建物の安全性という壁がある

 空き家を地域インフラとして利用する構想には、制度上の制約もある。住宅として使用されていた建物を、診療、介護、物流、事務所、地域交流などの用途へ変更する場合には、建築基準法、都市計画法、消防法などの関係法令を確認しなければならない。建物の規模、用途、所在地、改修内容によって必要な手続は異なり、住宅として利用できていた建物が、そのまま事業用施設として利用できるとは限らない。

 制度面では、2023年12月に施行された改正空家法により、「空家等活用促進区域」の仕組みが設けられた。この制度では、市区町村が一定の区域を設定し、空き家の活用を進めるため、接道規制や用途規制の合理化などを図ることができる。ただし、区域を設定すればすべての用途変更が自由になるわけではなく、具体的な建物や事業内容に応じた確認が必要である。

 さらに、2025年4月に施行された改正建築基準法では、従来と比べて建築確認の対象となる建物や工事の範囲が見直された。例えば、2階建ての木造住宅などで主要構造部の大規模な修繕や模様替を行う場合には、建築確認が必要になることがある。古い住宅を大幅に改修して事業施設へ転用する場合には、工事費だけでなく、法令への適合に必要な費用や手続も考慮しなければならない。

 加えて、空き家の所有者が死亡して相続登記が行われていなかったり、複数の相続人が共有していたりする場合には、長期利用契約を結ぶこと自体が難しいこともある。災害リスクも無視できない。浸水や土砂災害の危険が高い建物を、避難が難しい高齢者の活動拠点や医療の受診場所にすることが適切とは限らない。停電や通信障害が発生した場合の対応も、施設の機能に応じて考える必要がある。

 つまり、空き家の転用可能性は、建物が物理的に残っていることだけでは判断できない。所有権、用途規制、耐震性、防火性能、バリアフリー、災害リスク、改修費などを確認し、予定するサービスを安全かつ継続的に提供できるかを判断する必要がある。

空き家の価値は、いくらで売れるかだけでは決まらない

 ここまで考えると、空き家政策で重要なのは改修技術だけではなく、どの建物を選ぶかという問題であることが見えてくる。

 全国の900万戸を超える空き家を、すべて住宅や地域施設として再利用する必要はないし、それは現実的でもない。老朽化が激しく、道路条件が悪く、災害リスクが高く、所有権も複雑で、周囲にほとんど住民が残っていない建物まで、公費を投じて再生する合理性は乏しい。住宅として再利用する建物、地域の活動拠点へ転用する建物、解体して土地の別の利用を検討する建物など、条件に応じて選別する必要がある。

 一方、住宅地の中央にあり、主要道路から入りやすく、駐車スペースがあり、比較的少ない費用で改修でき、周囲に一定数の住民が暮らしている空き家なら、住宅としての市場価格以上の公共的な価値を持つ可能性がある。

 例えば、駅から遠く、不動産市場では人気のない住宅でも、周囲500メートルに多くの高齢者が暮らし、診療所や商店への移動が難しい地域なら、生活相談や介護予防の拠点として重要な場所かもしれない。ただし、500メートルという直線距離だけでは、実際に利用できるかどうかは判断できない。急な坂道、歩道の有無、交通量、河川や鉄道による分断などによって、高齢者が安全に到達できる範囲は大きく異なる。

 そこで必要になるのが、地理情報システムを用いた施設配置の分析である。空き家の位置だけではなく、高齢者人口、住民分布、道路、公共交通、医療機関、商店、物流ルート、介護事業所などを同じ地図上に重ねる。さらに、実際の道路経路を使って徒歩や自動車による所要時間を計測し、どの場所にどの機能が不足しているのかを分析する。

 例えば、新たな相談拠点を設けることで、住民一人ひとりの移動時間がどの程度変化するかを推定し、それぞれの年間利用回数を考慮して地域全体の時間短縮効果を求める方法がある。もっとも、移動時間の短縮だけを成果と考えることはできない。サービスの質が低下したり、利用できる専門職がいなくなったりすれば、距離が短くなっても生活が改善したとは限らないからである。

 空き家の価値を「この家はいくらで売れるか」だけではなく、「この場所を利用することで、住民の移動負担や生活上の不便をどの程度減らせるか」という尺度で見る。そのうえで必要な費用とサービスの質を評価することが、住宅政策とは異なる視点になる。

空き家より公民館や移動サービスの方が合理的な場合もある

 ここで注意したいのは、地域に生活サービスの不足が見つかったとしても、その解決方法が必ず空き家の転用になるわけではないということである。

 例えば、すでに利用率の低い公民館や集会所が存在する地域なら、そこを多目的に活用する方が合理的かもしれない。オンライン診療の受診場所が必要なら、既存の公共施設や郵便局などを利用する方法も考えられる。買い物支援では、地域内に新しい受取拠点を設けるより、移動販売や配送サービスを充実させる方が効果的な場合もある。

 医療や介護でも同じである。固定的な拠点を維持するより、専門職が一定の日程で地域を巡回したり、既存施設へ送迎したりする方が、少ない費用で多くの住民を支援できる場合がある。人口密度、道路網、利用頻度、対象となる住民の身体状況によって、最も合理的な方法は変わる。

 国土交通省が進めてきた「小さな拠点」という政策も、人口減少や高齢化が進む地域で、生活サービスや地域活動の機能を一定の場所に集め、周辺集落との交通手段を確保しながら生活圏を維持することを目指している。空き家を多機能の地域拠点として利用する発想は、こうした既存政策と共通しており、まったく新しい概念というわけではない。

 むしろ重要なのは、「小さな拠点」を必ずしも新築施設や大規模な公共施設に限定せず、既存の住宅ストックも候補として評価できないかという点である。ただし、既存の公民館、空き店舗、公共施設、移動サービスなどと比較し、空き家の転用が費用や利便性の面で優れている場合に選ぶべきである。

 空き家が存在するから空き家を使うのではない。生活サービスを維持するうえで、空き家が最も合理的な選択肢になり得る場合に利用するのである。

改修費500万円の施設は、本当に安いのか

 空き家活用では、新築に比べて改修費が安く済むことが利点として語られやすい。しかし、建設費や改修費の比較だけでは、施設の経済性を判断できない。

 仮に、空き家の初期改修費が500万円、年間運営費が300万円、使用期間が10年、割引率が年2%という施設を考えてみる。残存価値をゼロとし、年間運営費が一定であると仮定すれば、改修費を10年間の年額に換算した金額は約56万円となり、年間運営費と合わせた年額換算総費用は約356万円になる。これはあくまで計算方法を示すための仮定であり、実際の施設の費用を示すものではない。

 この施設の年間延べ利用件数が800件なら、年額換算総費用を単純に利用件数で割った金額は約4,450円となる。利用件数が2,000件なら約1,780円まで下がるが、逆に利用件数が少なければ、1件あたりの負担は大きくなる。もちろん、この数字は施設費用を機械的に配分したものであり、実際の利用料金や社会的な便益を表しているわけではない。

 現実には、改修後の修繕費、設備更新費、通信費、光熱費、保険料、人件費、建物所有者への賃料などを計算する必要がある。専門職がサービスを提供するなら、その人件費や移動費も含めなければならない。補助金によって自治体や利用者の直接負担が減ったとしても、施設の整備と運営に社会全体として必要な費用が消えるわけではない。

 さらに、年間356万円で運営できるとしても、それだけでは政策として有効とは判断できない。既存の公民館を利用すれば年間150万円で同等のサービスを提供できるかもしれないし、移動サービスを充実させた方が多くの住民の生活を改善するかもしれない。比較すべきなのは、空き家の改修費と新築費だけではなく、同じ生活課題を解決できる複数の手段について、長期的な総費用と住民が得られる便益を比べた結果である。

 経済的には、移動時間の短縮、医療や介護へのアクセス改善、就業継続、社会的孤立の防止などによって得られる便益と、施設の整備・運営に必要な費用を比較することになる。ただし、孤立の防止や安心感のように、金銭的な価値へ換算することが難しい効果もある。その場合には、無理に一つの金額へ換算するのではなく、費用と複数の成果指標を併せて評価する方法が適切だろう。

「空き家を使う」ことを目的にすると失敗する

 空き家政策を考えるうえで、重要なのは目的と手段の順序である。自治体が空き家を見つけ、「せっかくあるのだから何かに使えないか」と用途を考え始めれば、本来の目的が曖昧になる。補助金を利用して交流施設や仕事場を整備しても、その地域に必要な機能でなければ、利用者が集まらず、運営費だけが残る可能性がある。

 本来は、どの地域で、どの生活サービスが不足しているのかを先に調べる必要がある。医療へのアクセスが悪いのか、買い物が難しいのか、介護予防の活動場所が不足しているのか、仕事を続けるための環境が整っていないのかを明らかにする。そのうえで、サービスを提供する方法として、既存施設の共同利用、訪問型サービス、移動販売、送迎、新築、空き家転用などを比較する。

 さらに、拠点が必要と判断された場合には、利用者の分布、交通条件、建物の安全性、改修費、運営費、管理主体などを調査する。空き家を利用するなら、所有者との契約や法令上の手続も必要になる。重要なのは、建物の確保と同時に、誰がサービスを提供し、誰が運営責任を負うのかを決めることである。

 施設を整備する前に、小規模な試行事業を行う方法も考えられる。例えば、既存の集会所を一定期間利用して健康相談や共同配送を試し、実際の利用者数、費用、住民の満足度、運営上の問題などを調べる。その結果、継続的な需要が確認され、既存施設では対応できない理由が明らかになった場合に、空き家の改修を検討する方が失敗の危険を抑えられる。

 空き家は目的ではなく、候補となる資産の一つである。この順序に立てば、「空き家対策」と呼ばれていたものは、住宅政策だけではなく、医療、介護、物流、交通、地域経済を横断する施設配置の問題へ変わっていく。

最大の課題は、建物よりも運営を続ける仕組みにある

 空き家を地域拠点へ転用する場合、改修費や建築上の制約が大きな障害になることはある。しかし、建物を整備できたとしても、その場所を10年、20年と運営し続けられるかどうかは別の問題である。

 補助金を利用すれば改修費を確保できるかもしれない。開所した当初は話題になり、見学者が訪れるかもしれない。しかし、鍵を誰が管理するのか、清掃を誰が行うのか、通信費や電気代を誰が負担するのか、機器が故障したとき誰が対応するのか、事故や個人情報の漏えいが発生した場合には誰が責任を負うのかといった問題が整理されていなければ、施設は長続きしない。

 人口減少地域で不足しているのは建物だけではない。医療職、介護職、運転手、物流人材、事務職員、地域活動を支える人材そのものが不足している地域もある。建物を増やしても、そこに配置できる人がいなければ生活サービスは増えない。複数の機能を組み合わせる場合には、各事業者の責任分担や費用負担を明確にする必要もある。

 地域住民のボランティアによって施設を支える方法にも限界がある。地域活動への参加には大きな意義があるが、継続的な管理業務を無償の善意だけに依存すれば、担い手の高齢化や負担の集中によって運営が不安定になる可能性がある。住民参加を前提とする場合でも、必要な経費を確保し、特定の個人に負担が集中しない運営体制をつくる必要がある。

 反対に、既存の医療機関、介護事業所、物流事業者、地域団体などが共同利用し、常駐職員を必要としない運営方法を構築できれば、小規模な拠点にも成立の余地がある。ただし、常駐職員がいないことと、管理責任者が不要であることは同じではない。通信障害、施設の安全管理、利用者の急変などに対応できる体制は、提供するサービスに応じて確保しなければならない。

 建物を再利用できるかどうかだけではなく、運営する人材と財源を継続的に確保できるかどうか。この問題を解決できなければ、空き家を改修する事業は、数年後に使われなくなった施設をもう一つ増やすだけになりかねない。

成功を判断するのは、空き家の再利用件数ではない

 空き家を地域インフラへ転用する政策を実施するなら、その効果をどのように測定するかも重要になる。

 空き家の再利用件数や施設の利用者数は、事業の実施状況を把握する指標にはなる。しかし、それだけでは地域の暮らしが改善したかどうかは分からない。例えば、オンライン診療の受診場所を整備した場合には、必要な診療を受けるまでの時間、受診の継続状況、対面診療への適切な接続などを確認する必要がある。物流拠点であれば、荷物一個あたりの配送費だけでなく、住民が受け取りに必要とする時間や費用も評価しなければならない。

 介護予防や地域交流については、活動への参加者数だけでなく、外出が難しい人への支援が届いているか、孤立の防止に寄与しているかを調べる必要がある。仕事場として利用する場合には、施設の稼働率に加えて、仕事の継続や地域内所得への影響を確認することが望ましい。

 さらに、施設の開設前後を比較するだけでは、その変化が空き家転用によって生じたものかどうかは判断できない。人口構成や交通条件が変化したり、別の支援制度が始まったりすれば、空き家とは無関係に住民の生活が改善することもある。可能であれば、条件の近い非導入地域との比較を行い、政策そのものの効果を検証する必要がある。

 また、利用者が増えたとしても、地域の一部の人にしか恩恵が届いていない可能性がある。公共的な事業として実施するなら、費用対効果だけでなく、自動車を利用できない人、低所得者、身体機能が低下した人などへの影響も考える必要がある。

 政策の成功は、何軒の空き家を再利用したかではなく、必要なサービスに到達できる住民がどの程度増えたか、生活上の負担がどの程度減ったか、その改善を合理的な費用で継続できるかによって判断するべきである。

空き家を減らすことより、暮らしの距離を縮める

 人口が減少する町では、病院、商店、介護事業所、公共交通を現在とまったく同じ配置のまま維持し続けることは難しい。利用者が減れば、施設一か所あたりの採算は悪化し、一人あたりの維持費が上昇することもある。人材不足が重なれば、建物が存在していても必要なサービスを提供できなくなる可能性がある。

 しかし、施設の現在の形を残せないことと、生活サービスそのものを失うことは同じではない。

 大きな施設を町のあちこちに残す代わりに、適切な場所へ小さな接点を置く。住民を毎回遠方まで移動させる代わりに、情報、荷物、専門職などを住民の近くへ届ける。オンラインと対面を組み合わせ、配送と買い物支援を重ね、介護予防と地域交流を同じ場所で行う。そのような方法で生活機能の一部を維持できるなら、すべてのサービスについて従来と同じ規模の施設を持ち続ける必要はないかもしれない。

 ただし、地域の機能を小規模な拠点へ分散させればよいという単純な話でもない。診療や介護では一定の集約によって専門職や設備を効率的に利用できる場合があり、物流でも配送ルートの集約が重要になる。どの機能を集約し、どの機能を住民の近くへ分散させるかは、それぞれのサービスの特性に応じて考える必要がある。

 そのとき、新しい建物を次々と建設するのではなく、すでに町の中にある空き家のうち、条件のよいものを利用できる可能性がある。

 窓が閉じ、庭に草が伸び、人が住まなくなった一軒の家を見たとき、そこに失われた人口だけを見る必要はない。その場所が医療へのアクセスを改善するかもしれず、荷物を受け取る場所になるかもしれず、高齢者が歩いて行ける相談場所になるかもしれず、町を離れずに仕事を続けるための場所になるかもしれない。

 もちろん、すべての空き家にその役割があるわけではない。利用できない住宅も多いだろうし、利用できても費用が見合わない住宅もある。既存の公民館や公共施設の方が適している場合もあれば、固定的な拠点を置かずに移動サービスを充実させる方が合理的な地域もある。だから必要なのは「空き家は地域の宝の山だ」という楽観論ではなく、人口、立地、需要、建物の状態、改修費、運営費、代替手段を比較し、使う建物と使わない建物を冷静に分けることである。

 人口減少社会で本当に守るべきなのは、建物の数でも、施設の数でもない。住民が必要な医療につながり、食料や荷物を受け取り、適切な介護や生活支援へアクセスし、可能な限り住み慣れた地域で働き、暮らし続けられることである。

 空き家をどう埋めるかではない。空き家を利用することで、切れかけている暮らしのつながりを、どこまで維持できるか。

 その順序で町を見直したとき、900万戸を超える空き家がすべて有効な資源に変わるわけではない。それでも、その中の限られた一部は、人口減少時代の地域に必要な生活機能を置くために、すでにそこに存在している「場所」になる可能性がある。

 空き家問題を解決するために、地域インフラへの転用を進めるのではない。地域インフラを再設計し、必要なサービスの配置を検討した結果として、適切な空き家が存在するなら利用する。その発想の転換こそが、空き家政策を単なる住宅対策から、人口減少社会における地域の生活基盤の再設計へとつなげるのではないだろうか。

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