地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 地方の町を歩いていると、ときどき時間から取り残されたようなものに出会う。庭先には最近ほとんど動いていない軽トラックがあり、道路沿いには何年もシャッターの上がらない倉庫があり、大きな住宅には子どもが独立したあとの部屋がそのまま残っている。それらは壊れているとは限らず、価値がなくなったとも限らないのだが、現在の暮らしや経済の中では役割を失い、ただ静かにそこに置かれている。

 人口が増え、消費も拡大していた時代なら、新しい商売を始めるときに店舗を借り、車を買い、設備をそろえることは自然な選択だった。しかし人口が減り、地域の市場そのものが縮んでいく時代には、同じ方法をそのまま採用することが合理的とは限らない。まだ売上が一円もない段階から家賃や設備費を負担すれば、商売が軌道に乗る前に固定費だけが積み上がるからである。

 そこで、発想を少し反対側から始めてみたい。新しい設備を買って商売を作るのではなく、すでに町の中にあるのに使われていないものを、別の仕事へ移すことはできないだろうか。

人口減少の町には「不足」と「余剰」が同時に存在する

 人口減少地域について語るとき、病院が足りない、店が減った、交通が不便になった、人手が足りないという「不足」に目が向きやすい。しかしその反対側では、住宅、部屋、車、倉庫、店舗、農機具、駐車場など、かつて人口や産業を支えるために用意された資産の一部が余り始めている。

 住宅については、この変化がすでに大きな数字になって現れている。2023年の住宅・土地統計調査では、全国の空き家は約900万戸、空き家率は13.8%に達し、賃貸用、売却用、別荘などを除いた空き家だけでも約386万戸に上る。もちろん、空き家と軽トラックや倉庫を同列に数えることはできず、地方に使われていない軽トラックが何台あり、利用可能な倉庫がどれほどあるかを示す全国統計が十分にそろっているわけでもない。それでも、既存の資産が利用されないまま残るという現象が拡大していること自体は、単なる印象論ではない。

 ここで重要なのは、こうした資産を「宝の山」と呼んでしまわないことである。使われていないものに潜在的な価値があることと、その価値を実際に売上へ変えられることは別の問題であり、むしろその間にある条件を一つずつ確認していくところから商売は始まる。

軽トラックは、小さな店になるのか

 たとえば、農作業を縮小したため月に数回しか動かさなくなった軽トラックがあるとする。中古車として売却すればそこで役割は終わるが、別の見方をすれば、商品や道具を積んで移動できる小さな事業所でもある。

 固定店舗の場合、基本的には客が店まで来なければならず、周辺人口が減れば商圏内の顧客数も減る。一方、移動する商売では、月曜日は集落A、火曜日は集落B、水曜日は集落Cというように複数の小さな需要を一つの事業者が束ねることができるため、一つの集落だけでは成立しない商売が、複数地域を巡回することで成立する可能性が生まれる。

 これは机上の発想だけではない。高齢化や単身世帯の増加、地域の小売店の廃業などによって食料品の購入に不便を感じる人の存在は、国も食品アクセスの問題として認識しており、全国の多くの自治体で移動販売などの対策が行われている。

 ただし、ここで「軽トラックがあれば移動販売ができる」と考えると危ない。島根県雲南市で長期間続いている移動販売の事例でも、事業開始当初には一日に100戸以上を回って売上が3,000円程度しかない日があり、半年ほどかけて顧客の需要を把握し、販売ルートや商品構成を改善している。現在では複数台の車両で事業を継続できているが、その背景には一台ごとの販売目標、顧客需要、商品原価、巡回経路を細かく管理する経営がある。

 つまり、移動できること自体が利益を生むのではない。店舗の家賃という固定費を小さくできる代わりに、燃料費、車両整備費、移動時間、人件費という別の費用が発生するため、「動けば客が増える」のではなく、「移動に要する費用よりも大きな利益を生む需要を一つのルート上に集められるか」が問題になる。

商売になるかどうかは「人口」より需要密度で決まる

 この違いは、簡単な数字にすると見えやすい。

 仮に一日の移動、人件費、車両費などとして1万7,000円程度が必要で、販売する商品の粗い利益率を30%と考えた場合、その費用を回収するだけでも一日約5万7,000円の売上が必要になる。一人の客が平均2,000円購入するとすれば、およそ29人の購入者を一日の巡回経路で確保しなければならない。

 もちろん実際の経費や利益率は業種によって大きく異なるので、この数字自体が基準なのではない。大切なのは、人口が何人いるかだけで商売の成立性を判断できないということである。人口5,000人の町であっても、そのうち30人が一定の距離と時間の中で継続的に購入してくれれば成り立つ仕事がある一方、人口2万人の地域でも客が広く散らばり、一人当たりの購入額が低ければ採算は取れない。

 したがって、地方の小さな商売で本当に測るべきものは、単純な人口ではなく、「一定時間、一定距離の中で、料金を払う意思のある客を何人集められるか」という需要密度なのである。

軽トラックから考えるのではなく、不便から考える

 この順序を間違えると、遊休資産活用は失敗しやすい。余っている軽トラックを見つけてから「これで何を売ろうか」と考えるのではなく、先に町の中で誰が何に困り、どの程度ならお金を払うのかを探し、その解決手段として軽トラックが使えるかどうかを考えるほうが合理的である。

 買い物へ行くのが難しい人がいるのなら移動販売が候補になり、重いものを運べない人がいるのなら運搬サービスが候補になり、庭や空き家の片づけに困っている人がいるのなら道具を積んだ生活支援サービスが候補になる。しかし困っている人がいることと、料金を払う人がいることもまた同じではないため、「困っていますか」という質問だけでは事業性を判断できず、「この内容なら、いくらまでなら継続して支払うか」というところまで確かめる必要がある。

 町の中の不便と支払意思を先に探し、そのあとに余っている資産を組み合わせる。この順番を守るだけでも、「車はあるが客はいない」「倉庫を借りたが商品が売れない」という失敗をかなり減らせる。

倉庫には、町の人口とは別の可能性がある

 農機具が減って半分以上空いている納屋、廃業した商店の倉庫、家業をやめたあとの作業場なども、外から見れば古い建物にすぎないが、事業を始めようとする人から見ると別の意味を持つことがある。

 商品の保管、通信販売商品の梱包、工具の収納、農産物の仕分け、小規模な修理や加工などには、必ずしも人通りの多い一等地の店舗は必要ない。都市部に比べて低い費用で利用できる倉庫が見つかれば、それは地方で事業を行う一つの強みになり得るが、地方なら必ず安いというわけではなく、立地、建物の状態、電力設備、道路への接続条件などによって価値は大きく変わる。

 ここで面白いのは、倉庫を使った事業では、必ずしも町の住民だけを客にする必要がないことである。インターネットを通じて全国へ商品を販売する仕事であれば、事業所が人口一万人の町にあっても、市場そのものが一万人に限定されるわけではない。

 人口減少地域の商売には、大きく分けて地域内の需要を取りに行く仕事と、地域にある低コストの資産を利用して地域外から売上を持ってくる仕事がある。前者では需要密度が大きな制約になるが、後者では物流費、送料、仕入れ、生産性などのほうが重要になるため、同じ遊休倉庫でも事業モデルによって価値はまったく異なる。

空き部屋は「空いている」のに市場へ出てこない

 住宅の空き部屋は、さらに興味深い。

 子どもが独立し、夫婦二人で大きな住宅に暮らしている家庭では、二階の一室や二室をほとんど使っていない場合がある。それなら、その部屋を事務所や教室に使えばよいと考えたくなるが、現実にはそれほど簡単ではない。

 空き家に関する国の調査でも、使用目的の明確でない空き家の所有者の約4割は、今後も物置を含めて空き家として所有しておく意向を示している。つまり、物理的に空いていることと、経済活動のために他人へ貸せることは同じではない。

 住宅の一室であれば、玄関、トイレ、駐車場、騒音、防犯、家族の生活時間、事故が起きた場合の責任など、倉庫以上に多くの問題が発生する。そのため所有者から見れば、月に数千円や一万円程度の収入を得るために生活上の不安を抱えるくらいなら、使わないままにしておいたほうがよいという判断も十分合理的である。

 それでも利用頻度を抑え、利用者を限定すれば使える可能性は残る。毎日不特定多数が訪れる店舗ではなく、予約制の相談室、少人数の教室、事務作業をする場所などであれば、所有者側の負担を小さくできる場合がある。しかし飲食、宿泊、福祉、医療など、法令や安全基準が関係する用途では、単に部屋が空いているだけでは事業を始められず、建物の用途、安全設備、許認可、保険などを個別に確認しなければならない。

「無料だから安い」という錯覚

 遊休資産を利用する商売には、もう一つ注意すべき点がある。それは取得価格と利用コストを混同しないことである。

 長期間動かしていない軽トラックなら、車両そのものが無料でも車検、タイヤ、バッテリー、修理、自動車保険などに費用がかかる。古い倉庫なら家賃がほとんどなくても、雨漏り、照明、電気設備、防犯、清掃、害虫対策などが必要になるかもしれず、住宅の空き部屋なら利用者の安全確保や家族との生活動線を整えるための改修が必要になる場合もある。

 したがって、遊休資産の本当の価値は「無料で使えること」ではない。新品を購入したり、通常の店舗を借りたりする場合に比べて、事業開始時の固定費と撤退時の損失をどこまで小さくできるかにある。

固定費を下げる意味は、損益分岐点を下げることにある

 ここは、小さな商売を考えるうえで最も重要な部分かもしれない。

 商売には、ほとんど売れなくても発生する固定費と、売上に応じて増える変動費がある。利益がちょうどゼロになる売上を損益分岐点売上高といい、おおまかには「固定費を限界利益率で割った金額」で考えることができる。

 仮に店舗を借りて始める事業の固定費が月18万円、売上から商品の仕入れなどを引いた限界利益率が35%なら、損益分岐点となる売上は月約51万円になる。一方、遊休倉庫や既存設備を利用して固定費を月6万円まで下げられれば、同じ35%の限界利益率なら損益分岐点は月約17万円まで下がる。

 これは単なる節約ではない。月51万円売らなければ生き残れない商売と、月17万円で損益が均衡する商売では、必要となる地域人口も顧客数もまったく違う。

 実際、小規模企業は大企業や中規模企業に比べて損益分岐点売上高が低く、人口の少ない地方でも商圏を支え得る一方、売上高に対する損益分岐点の割合は高く、売上が少し減っただけでも赤字になりやすいという弱点を持っている。つまり「小さく始めれば安全」というほど単純ではなく、固定費を抑えることと同時に、売上が少し減っても耐えられる余白を残す必要がある。

本当の商品は、倉庫や部屋ではないかもしれない

 ここまで考えると、もう一つ違う商売が見えてくる。

 軽トラックを使いたい人と、ほとんど使わなくなった軽トラックを持っている人。荷物を置きたい人と、倉庫の三分の一だけ余らせている人。週一回だけ相談室を使いたい人と、住宅の一室を持て余している人。その両者が同じ町にいたとしても、お互いの存在を知らなければ何も起こらない。

 そこで価値を持つのが、遊休資産そのものではなく、それを安心して使える状態に変える仕組みである。

 ただし、ここでも「マッチングすれば商売になる」と飛躍してはいけない。遊休資産が市場へ出ない理由には、所有者と利用者の信頼関係だけでなく、相続、権利関係、建物の老朽化、改修費、将来自分で利用する可能性、税金、事故責任、感情的な抵抗など多くの事情がある。したがって、遊休資産が動かない原因を単純に「貸し手と借り手を結ぶ人がいないから」と説明することはできない。

 しかし裏返せば、誰が、何のために、いつ、どの範囲を利用し、破損した場合はどうするのかという条件をあらかじめ整理し、所有者の不安を減らすことができれば、これまで市場へ出なかった小さな余剰が利用可能になる可能性はある。

「全部借りる」から「必要な分だけ使う」へ

 従来の不動産市場では、倉庫なら倉庫一棟、店舗なら店舗一室、住宅なら住宅一戸という単位で貸すことが一般的だった。しかし人口が減り、事業規模も小さくなる地域では、その単位自体が大きすぎることがある。

 月五万円の店舗を一軒借りるほどではないが、週に一日なら使いたい人がいる。倉庫を一棟借りるほどではないが、棚二列分なら必要な人がいる。軽トラックを所有するほどではないが、毎週水曜日だけ必要な人がいる。

 大きな需要が減る社会では、需要を諦めるのではなく、利用単位を小さくすることで市場そのものを作り直せる可能性がある。部屋一室、倉庫の一角、車を一日という単位へ細かく分けることで、「借りるほどではない」と市場から消えていた需要が表面に出てくるからである。

 ただし、小分けにすればするほど予約管理、鍵の受け渡し、清掃、保険、契約、料金回収といった管理費用は相対的に重くなる。そのため、細分化そのものが利益を生むのではなく、その管理コストをどこまで低くできるかが事業性を左右する。

最初から立派な「事業」にしない

 地方で新しい商売を考えるとき、多くの失敗は需要を確認する前に形を整えすぎるところから始まる。店名を決め、看板を作り、車を買い、店舗を改装し、広告を出してから客を探すという順番では、客が来ないことが分かった時点ですでに多くの資金を使っている。

 遊休資産を利用する最大の意味は、ここを逆転できることにある。軽トラックが使えるなら週一日だけ試し、倉庫なら一角だけ借り、空き部屋なら月二回だけ利用してみる。その結果、客が何人来たのか、一人当たりいくら払ったのか、再び利用した人が何人いたのか、移動や準備に何時間かかったのかを記録し、数字が合わなければ大きな損失を抱える前にやめる。

 人口減少地域では、大きく当てることより、大きく外さないことのほうが重要になる場合がある。遊休資産とは、その意味で単に安い設備なのではなく、少ない資本で商売の仮説を試すための実験装置なのである。

町に眠っているのは「資産」ではなく「組み合わせ」かもしれない

 地方の町には、人口減少という厳しい現実がある。だからといって、使われていない軽トラックを一台見つけたところで人口が増えるわけではなく、空き倉庫を開けたところで突然大きな市場が生まれるわけでもない。

 それでも、人口減少によって生まれるものは不足だけではない。住宅が余り、部屋が余り、車が余り、仕事に使われなくなった場所が増える一方で、高齢化によって買い物、運搬、片づけ、移動、生活支援など新しい不便も生まれている。

 この「余っているもの」と「足りなくなったもの」が同じ町の中に存在するところに、小さな商機がある。

 ただし両者を結んだだけでは商売にはならず、そこには支払意思、需要密度、利益率、移動距離、改修費、管理費、所有者の意思、安全性という条件が立ちはだかる。その数字を一つずつ確認して、それでも利益が残るときに初めて、眠っていた資産は事業資産へ変わる。

 だから、地方に眠る資産を「宝の山」と呼ぶ必要はない。実際には使えないものも多く、使えても儲からないものもあり、所有者が貸したくないものもある。それでも、新しい店舗を建て、新しい車を買い、新しい設備を一式そろえることだけが商売の出発点ではないと分かれば、町を見る目は少し変わってくる。

 庭先に止まっている軽トラックも、シャッターの下りた倉庫も、使われなくなった二階の部屋も、それだけでは一円も生まない。しかし、その近くに料金を払ってでも解決したい不便があり、その不便を低い固定費で解決できる方法があり、客を一定の密度で集められるなら、それまで経済から外れていたものが、もう一度仕事の中へ戻ってくる可能性がある。

 人口が増えない町で次の商売を探すことは、何もないところから画期的な商品を発明することだけではない。すでに町の中に存在しながら、需要と結びついていないものを見つけ、それをなるべく小さな費用で試し、数字を確かめながら仕事へ変えていくこともまた、新しい商売をつくる方法なのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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数字で比較するサービスを見る

 山の斜面に沿うようにつくられた墓地へ行くと、墓石の新しさよりも、足元の草の伸び方に目が向くことがある。よく手入れされた墓の隣に、しばらく誰も訪れていないらしい墓があり、そのさらに隣には花立てだけが妙に新しい墓がある。墓地という場所は一見すると変化の少ない空間だが、よく見れば、そこには町の人口移動や家族構成の変化が静かに刻まれている。

 かつて墓は、そこに住み続ける家族が守ることを前提にできた。子どもが同じ町に残り、盆や彼岸になれば親族が集まり、誰かが草を刈り、誰かが花を替える。その役割はサービスとして購入するものではなく、家族の生活の一部として受け継がれていた。しかし人口が減り、若い世代が都市へ移り、結婚や就職によって家族が全国に散らばるようになると、この仕組みそのものが成り立ちにくくなる。

 ここで重要なのは、「墓を大切にしたい気持ち」が消えたわけではないということだ。問題になっているのは、気持ちではなく距離と時間である。東京で暮らす70代の夫婦が、房総半島や東北、九州の実家の墓まで年に何度も出かけることは簡単ではなく、本人が80代になれば、電車を乗り継ぎ、坂道を歩き、暑さの中で草取りをすること自体が負担になる。その子ども世代まで時間が進めば、墓の正確な場所や管理する寺院の名前さえ十分に知らないということも起こり得る。

 こうした変化から生まれたサービスの一つが墓参り代行である。依頼を受けた事業者が墓地へ行き、墓石を清掃し、草を取り、花や線香を供え、作業後の写真を送るという仕組みはすでに存在している。ただし、人口減少地域を新しい商いの視点から眺めるなら、墓参り代行は完成形ではなく、むしろ入口として考えた方がよい。

 なぜなら、遠方に住む家族が本当に困るのは、「今年の盆に墓参りへ行けない」という一回の問題だけではないからである。本当の不安は、この墓をこれから10年、20年、誰が見ていくのかという時間の問題にある。墓石が傾いていないか、雑草が周囲まで広がっていないか、寺や霊園から連絡が来ていないか、管理料の支払いはどうなっているのか、そして自分が亡くなったあと、この墓を誰が引き継ぎ、あるいはどう終えるのかまで考え始めると、必要になるのは単なる「墓参りの代理」ではなく、「離れた場所にある家族の墓を継続して見守る存在」へと変わっていく。

 ここから、墓参り代行の次に生まれるサービスが見えてくる。それは墓を掃除する仕事ではなく、墓の状態を継続して確認し、その変化を記録し、必要なときには次の対応へつなぐ仕事である。

 たとえば年に数回墓地を巡回し、墓石、外柵、花立て、雑草、周囲の樹木などを確認して写真を残す。台風や大雨のあとには、希望する顧客から追加依頼を受けて異常がないか確認し、修繕が必要であれば石材店や寺院への相談につなぐ。依頼者は遠く離れた自宅にいながら、自分の家の墓がどのような状態になっているのかを知ることができるため、このとき顧客が買っているのは「掃除そのもの」より、「知らない間に墓が荒れているかもしれない」という不安を減らす機能だと考えた方が近い。

採算を決めるのは、単価よりも移動と集約である

 このサービスを商売として見るなら、最初に注意しなければならないのは、墓参り代行が見た目ほど簡単に利益を残せる仕事ではないという点である。大掛かりな店舗や高価な機械がなくても始められる一方、地方の訪問サービスでは、作業時間そのものよりも「何も売上を生んでいない移動時間」が利益を削るからである。

 仮に、一件の簡易な現地確認を5,000円で引き受け、墓地まで片道30分、現地確認と軽い清掃に40分、写真整理と報告に20分、帰路に30分かかったとすると、一件の仕事に合計2時間を使うことになる。この場合、経費を差し引く前の時間当たり売上は2,500円であり、ここからガソリン代、車両費、清掃用品、通信費、保険、事務作業などを負担しなければならないため、5,000円という価格は、注文が入れば売上にはなるものの、それだけで十分な利益が残る水準とは限らない。

 さらに注意したいのは、5,000円という数字が墓参り代行全体の標準価格を意味するわけではないことである。簡易な現地確認なら数千円台も考えられる一方、草取り、墓石清掃、供花、線香、写真報告まで含むサービスでは、一件当たり1万円前後あるいはそれ以上の価格になることもある。そのため採算を論じるときには、「墓参り代行は一回5,000円である」と固定するのではなく、作業範囲によって価格も必要時間も変わるサービスとして考える必要がある。

 それでも、同じ墓地に複数の契約者が集まれば採算が改善するという考え方そのものは、数理的にかなり強い。先ほどの条件をそのまま使い、一件当たり現地作業と報告に合計1時間かかるとすると、一件だけなら往復移動1時間を含めて合計2時間必要になるが、同じ墓地で二件を処理すれば合計3時間、五件なら合計6時間となる。このとき一件5,000円なら、一件だけでは売上5,000円を2時間で割って時間当たり2,500円、二件なら売上1万円を3時間で割って約3,333円、五件なら売上2万5,000円を6時間で割って約4,167円となり、同じ墓地に顧客が集まるほど共通の移動時間を複数の契約で分担できる効果が現れる。

 ただし、この効果には明確な上限がある。一件ごとの作業時間そのものは消えないため、顧客数を増やせば時間当たり売上が無限に高くなるわけではない。先ほどの条件では、顧客数が増えるにつれて共通移動時間の影響が小さくなり、時間当たり売上は一件当たり単価である5,000円に近づいていくが、それを超えることはない。したがって、共通の移動時間だけが薄まり、個別作業時間は必ず残るという構造で考える必要がある。

 ここから、この商売で見るべき数字が変わってくる。単純な契約者数より重要なのは、一つの墓地に平均何件の契約が集まるのかという「墓地単位の集約度」である。人口が少ない町だから事業が成立しないとは限らず、町内にいくつかの大きな墓地があり、そこに都市部へ転出した家族の墓がまとまっているなら、一回の巡回で複数件を処理できる可能性がある。反対に、契約者が20人いても墓地が広い地域に散らばり、それぞれ長時間の移動が必要なら、契約者数だけを見て「顧客が増えた」と判断することはできない。

年間契約は安定には効くが、利益率まで自動的に高めるわけではない

 墓参りには季節性がある。盆や彼岸の前には依頼が集中しても、それ以外の時期には仕事が少なくなる可能性があるため、一件ごとの依頼だけを待つ経営では年間売上を読みづらい。そこで有効になるのが年間契約だが、年間契約には長所と同時に注意点もある。

 ここでは一例として、年四回の状態確認と年二回の簡易清掃を組み合わせ、年間六回訪問する契約を考えてみる。台風や大雨のあとの緊急確認まで定額料金に無制限で含めると年間の訪問回数が事前に読めなくなるため、災害後の特別確認は追加料金とした方が、事業者にとっても顧客にとっても料金体系が分かりやすい。

 年間料金を仮に3万円とすると、年間六回の予定訪問だけで単純平均すれば一回当たり売上は5,000円になる。ただし、四回の状態確認と二回の簡易清掃では作業量が異なるため、一回当たり5,000円という数字だけで採算を判断するのは適切ではない。年間全体で何時間の作業が必要になるかを見る必要がある。

 そこで、状態確認一回につき現地30分と報告15分の計45分、簡易清掃一回につき現地60分と報告15分の計75分かかると仮定する。年四回の状態確認には合計3時間、年二回の簡易清掃には合計2時間30分が必要になるため、一契約当たりの年間直接作業時間は合計5時間30分となる。

 事業者自身の労働時間を一時間2,000円で評価すれば、年間直接人件費は1万1,000円になる。さらに清掃用品などの年間消耗品費を1,500円と仮定すると、移動費を除いた一契約当たりの年間直接費は1万2,500円となる。

 次に移動を考える。一回の墓地への往復について、移動時間に相当する人件費と燃料・車両費を合わせて2,800円かかると仮定すれば、年間六回の訪問に必要な共通移動費は1万6,800円となる。ただし、この1万6,800円は同じ墓地に複数の契約者がいれば分担できる。

 一つの墓地に一件しか契約がない場合、一件当たり年間費用は1万2,500円に1万6,800円を加えた2万9,300円となり、年間売上3万円から差し引くと残るのは700円にすぎない。二件なら移動費を二件で分けられるため、一件当たり費用は2万900円、残額は9,100円となり、五件なら一件当たり費用は1万5,860円、残額は1万4,140円、十件なら一件当たり費用は1万4,180円、残額は1万5,820円となる。

 もちろん、この残額はそのまま事業者の利益ではない。ここから広告費、通信費、保険料、決済手数料、会計費用、車両の減価償却、契約管理などの間接費を負担する必要がある。それでも、この試算からは、一墓地一件では採算が極めて厳しく、同じ墓地に複数件の契約を集めることによって初めて事業としての余裕が生まれるという構造が見えてくる。

 重要なのは、これらの数字が墓参り代行業界の平均実績を示したものではなく、一定の条件を置いた感度分析だということである。実際の価格、作業時間、移動距離、車両費、清掃範囲によって結果は変化するため、この数字そのものよりも「どの変数が利益を左右するのか」を見ることに意味がある。

「100件で300万円」という数字だけでは、事業性は判断できない

 年間3万円の契約者が100件いれば年間売上は300万円になる。この計算自体は正しいが、その数字だけで事業が成立するかどうかは判断できない。

 同じ100件でも、十か所の墓地に平均十件ずつ集まっている場合と、百か所の墓地に一件ずつ散らばっている場合では、必要な移動回数がまったく違う。仮に一件当たり年六回訪問するとすれば、契約単位では年間延べ600件分の作業が発生するが、一回の巡回で平均五件をまとめて処理できれば、必要な墓地訪問は年間120回となり、月平均では10回程度になる。

 一方、一回の巡回で平均1.5件しか処理できなければ、600件分の作業を1.5件ずつ処理するため、墓地訪問は年間400回になる。同じ年間売上300万円でも、前者と後者では移動に必要な時間と車両費が大きく異なるため、事業の採算性もまったく違ってくる。

 そのため事業計画で本当に見るべきなのは、「100件集める」という数字ではなく、年間契約件数、年間訪問回数、一巡回当たり平均処理件数、平均移動時間、一件当たり作業時間を組み合わせた運営構造である。墓地単位で仕事をまとめられるなら比較的少ない契約数でも効率が上がるが、顧客が広域に散らばれば、件数が増えるほど忙しくなるのに利益が残らないということも起こり得る。

継続率は重要だが、高い更新率を当然視してはいけない

 この事業では継続契約が増えるほど新規営業の負担が下がるため、更新率は非常に重要な指標になる。しかし、「毎年九割程度の顧客が継続する」といった数字を、実績の裏付けなしに当然の前提とするのは危険である。

 たとえば年間継続率が90%なら翌年には100件中90件が残るが、80%なら80件、70%なら70件しか残らない。契約数を100件に維持しようとすれば、それぞれ年間10件、20件、30件の新規契約を獲得しなければならず、継続率が10ポイント違うだけでも営業負担は大きく変わる。

 したがって、高い更新率を実現できれば経営が安定するという方向性は正しいものの、「墓管理だから自然に更新率が高くなる」と考えることはできない。実際に何%が翌年も契約するのかは、事業を始めたあとに検証すべき重要な数字である。

 その意味で、この事業の本当の資産は清掃道具でも車でもなく、特定地域に積み上がった継続契約と、それぞれの墓について蓄積された記録である。毎回同じ角度から墓石を撮影しておけば、ひび割れや傾きの変化を確認でき、雑草の状態や補修履歴、寺院や霊園からの連絡事項まで残していけば、その事業者は単なる清掃業者ではなく、その墓の経過を最もよく知る外部管理者になっていく。

低価格競争を避けるには、「掃除」以外の価値が必要になる

 墓石を洗い、草を取り、花を供え、写真を送るだけなら、利用者から見た事業者の違いは小さくなり、最終的には価格競争へ向かいやすい。ところが、数年間の記録が残り、「昨年よりここに細いひびが増えている」「この時期は草が伸びやすい」「前回は石材店にこの補修を依頼した」といった情報まで蓄積されれば、サービスの価値は清掃作業そのものから離れていく。

 この差は大きい。安い業者が新しく現れたとしても、何年間も状態を記録し、自分の家の事情や寺院との関係を理解している事業者を簡単に変更するとは限らないため、継続性が生まれやすくなる。価格ではなく「自分の墓について誰が最もよく分かっているか」が選択理由になれば、地域密着型事業者が大きな会社に対して持てる優位性も見えてくる。

次の商機は、墓を売ることではなく、次の問題へつなぐことにある

 ただし、墓の管理だけで十分な市場規模を確保できるとは限らない。墓を自分で管理する人もいれば、寺院が管理サービスを提供している地域もあり、将来的に墓じまいが進めば管理対象そのものが減る可能性もある。そのため、「高齢化するから墓管理市場は必ず拡大する」と単純化するのは適切ではない。

 むしろ長期的には、墓を入口として家族が抱える別の問題へ自然につながっていくことに意味がある。墓を管理している顧客から、「実家も空き家になっている」「仏壇をどうすればよいかわからない」「子どもは墓を継がないと言っている」「墓じまいについて誰に相談すればよいかわからない」といった話が出てくれば、空き家管理、家財整理、墓じまいの準備、寺院や石材店への連絡補助など、別の困りごとが見えてくる。

 ここで大切なのは、自社ですべてを施工しようとしないことである。石材工事を自分で行う必要もなく、法律や税務に関する専門判断まで抱え込む必要もない。地域の石材店、寺院、行政書士など、それぞれの分野を担当できる人へつなぐ調整役になるだけでも価値は生まれる。小規模事業者が何でも自前で抱えれば、設備投資と固定費が増え、かえって採算を悪化させる可能性があるからである。

広告より、地域内の紹介経路が重要になる可能性が高い

 墓というものには、一般的な家事代行とは違う難しさがある。依頼者にとって墓は単なる石ではなく、家族の記憶や宗教観、感情と結びついているため、広告を見ただけで知らない事業者へすぐ任せるとは限らない。

 そのため、年間3万円の契約を得るために高額な広告費を使えば、初年度の利益がほとんど消えてしまう可能性がある。むしろ寺院、石材店、葬祭事業者、不動産事業者など、すでに地域で信頼を持っている人から紹介される仕組みの方が相性はよい。ただし、これらの事業者の仕事を奪うような入り方をすれば紹介は生まれないため、自分は現地確認や依頼者との連絡を担当し、専門的な施工や宗教的手続きは既存の専門家へ渡すという役割分担が必要になる。

「小さい市場だから儲かる」とは限らない

 人口減少地域の商機を考えるとき、「大企業には小さすぎ、一人で営むには十分な市場」という表現には魅力があるが、これは条件付きでしか成立しない。市場が小さいということは、大企業が参入しにくいという利点と同時に、そもそも十分な顧客が存在しないという欠点も意味するからである。

 したがって、小規模事業者に向く市場とは、単に人口が少ない市場ではない。一定の支払意思を持つ顧客が特定の墓地や地域にある程度まとまり、大手企業が店舗や人員を配置するほどの規模ではない一方、一人あるいは少人数の事業者には十分な売上が見込める場合に初めて、地域型のニッチ市場として成立する。

 この条件を満たすかどうかは、地域ごとに調べなければわからない。墓地の数、区画数、都市部へ転出した世帯の割合、寺院や霊園がすでに提供しているサービス、現在の管理状況、価格に対する支払意思などを確認しなければ、本当の市場規模は見えてこない。つまり、この事業は「高齢化している町だから成立する」のではなく、「困っている人が一定数いて、その人たちが一定の価格を払い、しかも効率よく訪問できる場所に集まっている」という複数の条件が重なったときに初めて成立するのである。

墓の記録は、やがて家族の記録へ変わっていく

 この仕事は、やがて「墓の状態を記録するサービス」から、「家族の記憶を整理するサービス」へ発展する可能性もある。墓石には亡くなった人の名前や年月日が刻まれているが、その人がどのような人物で、現在の家族とどのようにつながっているのかまでは残らない。親が亡くれ、叔父や叔母が亡くれ、墓について詳しく知る人がいなくなると、墓石だけが残り、そこに眠る人と現在の家族との関係がわからなくなることもある。

 そこで、墓の所在地、墓石の写真、刻まれている名前、建立時期、管理する寺院や霊園、親族関係などを整理し、家族へ渡すサービスが考えられる。これは華やかなデジタル事業ではないが、「父が元気なうちに実家の墓について整理しておきたい」と考える人にとっては現実的な価値を持つ可能性があり、家系図まで大げさに作らなくても、最低限の情報を冊子や電子データとして残すだけで、次の世代が困る可能性を減らすことができる。

 さらに時間が進めば、問題は「墓を守る」ことから「墓をどう終えるか」へ移っていく。墓じまいを考え始めても、寺院、霊園、石材店、行政、親族など複数の関係者が登場し、何から始めればよいのかわからない人は少なくない。遠方に住んでいれば現地で相談すること自体が難しいため、依頼者の代わりに現地を確認し、必要な作業を整理し、適切な専門家へつなぐ「墓の相談窓口」という役割も考えられる。

 ここまで来ると、この仕事は墓石の清掃業からかなり離れ、高齢社会における家族資産の遠隔管理へ近づいていく。空き家管理と墓地管理は一見すると別の仕事に見えるが、遠方にある家族の資産を定期的に確認するという点ではよく似ており、実家、墓、仏壇、寺院との連絡などをまとめて扱うサービスへ発展する可能性もある。ただし、それが実際に事業として成立するかどうかは、需要の存在だけではなく、顧客がどこまでお金を払うのかを確かめなければ判断できない。

人口減少は、「家族が無償でしていた仕事」が市場へ出てくる現象でもある

 人口が減少する地域では、店が減り、交通が減り、仕事も減っていくため、地域経済について語るとどうしても悲観的な話になりやすい。しかし人口減少とは、単に人が少なくなる現象ではなく、これまで家族の内部で無償に近い形で処理されていた仕事を担当する人がいなくなる現象でもある。

 親の様子を見る人がいなくなれば見守りサービスが必要になり、庭を手入れする人がいなくなれば草刈りサービスが生まれ、買い物へ行く人がいなくなれば配送サービスが必要になる。同じように、墓を守る人がいなくなれば、その役割の一部を地域の誰かが引き受ける余地が生まれるため、人口減少地域で新しい商売を探すときには、「まだ誰も思いついていない画期的な商品」より、「これまで家族が黙って引き受けていた仕事のうち、これから誰もできなくなるもの」を探した方が現実的なのかもしれない。

 ただし、そこに困りごとがあるからといって、すぐに市場になるわけではない。困っている人がいても、自分で解決する人、親族に頼む人、寺院へ相談する人、何もしない人もいるため、「困っている人数」と「お金を払ってサービスを買う人数」は一致しない。事業として成立するかどうかを判断するには、その間にある支払意思を確かめる必要がある。

 したがって、この墓管理サービスを「これから必ず伸びる市場」と断定することはできない。一方で、墓の承継や管理が難しくなる社会背景は現実に存在し、地理的に顧客を集約できれば採算が改善することも数理的には説明できるため、少なくとも検討に値する事業仮説ではある。

 十年後、地方の墓地を歩けば、今以上に空いている区画や管理されていない墓が目立つようになるかもしれない。しかし、その風景を単なる衰退として見るだけでは、地域でこれから必要になる仕事は見えてこない。誰も来なくなった墓の向こう側には、遠く離れた町でその墓を気にしながら、自分では簡単に行くことのできない家族がいる可能性がある。

 その距離を埋める仕事に商機があるとしても、成立条件は厳しい。高い料金をつければよいわけでも、契約数だけを増やせばよいわけでもなく、同じ墓地に顧客を集め、移動を減らし、年間契約を無理のない頻度で設計し、長く付き合える関係をつくる必要がある。それができなければ、墓参り代行は善意に近い便利屋仕事のまま終わる可能性があり、逆にこの条件を丁寧に積み上げることができれば、小さくても持続する地域サービスになる余地がある。

 墓地に生える一本の草は、人口減少そのものを表しているのではない。それは、これまで家族の中で処理されていた役割が、少しずつ担い手を失っていることを知らせる兆候である。その兆候を見て、「誰もいなくなる」と嘆くだけではなく、「では、この仕事を誰が引き受けるのか」と問い直したところから、過疎地の新しい商いは始まる。ただし、その答えは希望だけでは完成せず、需要、支払意思、移動時間、顧客密度、継続率という冷静な数字を通過して初めて、現実の事業へ変わるのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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数字で比較するサービスを見る

 午後7時を過ぎるころから、町の景色が少しずつ変わっていく。スーパーの駐車場から車が減り、ドラッグストアの看板が暗くなり、個人商店のシャッターが下りる。午後8時ともなれば、昼間にはそれなりに生活の気配があった通りが、驚くほど静かになる地域もある。都会から移り住んだ人なら、最初はその静けさを「地方らしい落ち着き」と感じるかもしれないが、牛乳を買い忘れた、翌朝のパンがない、帰宅が遅れて夕食を用意できなかった、子どもに必要な日用品が突然切れた、という瞬間に、その静けさは風情ではなく生活上の制約へ姿を変える。

 この問題を単に「地方には店が少ない」と考えるだけでは、本質の半分しか見えてこない。人口減少地域では店舗数だけでなく、住民が商品を必要とする時間と、商品を購入できる時間との間にずれが生まれている場合があるからである。言い換えれば、地理的な買物空白だけでなく、時間的な買物空白が存在する可能性がある。

 ただし、ここで慎重でなければならない。午後8時以降に店が閉まっているからといって、その時間帯に十分な購買需要が必ず存在するとは限らない。「買えない人がいる」ということと、「事業として採算が取れるほど買いたい人がいる」ということはまったく別だからである。

 それでも、この時間の空白を市場として測ってみる価値はある。

店が早く閉まるのには合理的な理由がある

 地方の店が早く閉店するのは、経営者の努力不足でも、サービス精神が足りないからでもない。午後8時、午後9時まで営業したとしても、その時間帯に来店する客が数人しかいなければ、人件費、照明、冷暖房、レジ管理、防犯、在庫管理などの追加費用を回収できない。人口が減少すれば商圏そのものが小さくなり、高齢化が進めば買物時間が昼間に集中する傾向も強くなるため、「夜は客が少ないから閉める」という判断には経済合理性がある。

 その一方で、店が早く閉まるようになると、住民も「夜には買えない」という前提で生活するようになる。昼間に買い物を済ませ、夜に必要なものが出ても我慢するようになり、やがて夜間の購買実績そのものが消えていく。その結果、店側には「夜には売れない」という数字だけが残るが、それが本当に需要の不存在を意味するのか、それとも供給がないため購買行動として観測されなくなったのかは分からない。

 ここには、地方の小さな市場を分析するとき特有の難しさがある。

「売れていない」と「欲しくない」は同じではない

 たとえば午後9時に牛乳が必要になった人がいるとする。しかし、町の店がすべて閉まっていれば、その人は商品を購入できない。翌朝まで我慢するか、別の商品で代用するか、遠方の店まで車を走らせることになるが、地域内の夜間売上として記録される数字はゼロである。

 このときゼロなのは、需要そのものではなく「観測された販売量」である。人が欲しいと思ったこと、買いたいと思ったこと、しかし買えなかったことは通常の販売データには残らない。

 この違いは重要である。

 しかし逆に、「売上が記録されていないのだから、隠れた巨大需要がある」と考えるのも誤りである。潜在需要が存在する可能性と、その需要が事業として十分な大きさを持っていることは別問題だからだ。

 したがって、「夜間需要は確実に存在する」と結論づけるのではなく、「供給されていないため観測できていない需要が存在する可能性があり、その規模を測定する必要がある」と考える方が科学的である。

商機になるかどうかは、客数だけでは決まらない

 夜間に数人の需要が存在すると分かったとしても、それだけで店を夜10時まで開けるべきだという結論にはならない。むしろ人口の少ない地域では、「何人来るか」と同じくらい、「何人来れば採算が合うのか」という損益分岐点の方が重要になる。

 仮に、夜間の客一人が千円の商品を購入し、その販売によって実際に事業者の手元に残る金額が二百円だったとする。夜間営業を維持する追加費用が一日五千円なら、二十五人ほどの利用客が必要になる。一方、人を配置せず、既存店舗の商品を無人受取設備で渡す仕組みにして追加費用を一日千五百円まで下げられれば、必要な利用客は八人程度になる。

 もちろん、これは実際の事業費を示した数字ではなく、構造を説明するための単純な例にすぎない。しかし、ここから重要なことが分かる。人口減少地域では、需要を大きくすること以上に、少ない需要でも成立するように固定費を下げることが事業成立の鍵になるのである。

 つまり、商機は「夜まで開いている店を作ること」ではなく、「夜まで人を置かなくても商品を受け取れる仕組みを作ること」にあるかもしれない。

営業時間を延ばすのではなく、販売と受取を分ける

 この考え方を進めると、夜間営業そのものを行う必要がなくなる。昼間にスーパーや商店で商品を準備し、夕方までに注文を確定し、住民が夜になってから指定場所で受け取る仕組みにすればよい。冷蔵品や冷凍品であれば適切な設備が必要になるが、店舗全体を夜まで営業させるより固定費を抑えられる可能性がある。

 重要なのは、商品の販売時間と受取時間を分離することである。

 従来の小売業では、客が店に来る時間に店員もいなければならなかった。しかし、注文、決済、商品の準備、受け取りを別々の時間に分ければ、人を常駐させる必要はなくなる。人口密度の低い地域では、この時間分離が採算性を大きく左右する。

 これなら既存商店とも競争しにくい。新規事業者が商品を大量に仕入れて在庫を抱えるのではなく、既存店舗の商品を夜でも受け取れるようにする仕組みを提供すれば、地域内の売上を奪い合うのではなく、これまで売上になっていなかった時間帯の需要を拾える可能性がある。

本当の競争相手は「翌朝まで我慢すること」

 夜間需要の商品を考えるとき、都会のコンビニエンスストアの品揃えをそのまま再現してはいけない。人口の少ない地域で数千種類の商品をそろえれば、販売量の少ない在庫が増え、廃棄と資金負担だけが大きくなる。

 むしろ考えるべきなのは、「夜になってから突然必要になりやすい商品」である。牛乳やパン、飲料、冷凍食品、簡単な夕食、紙おむつ、衛生用品、電池などには、計画的に購入する商品とは少し違った性格がある。昼間に買っておける商品であっても、人は買い忘れるし、予想外に消費することもある。

 こうした商品で重要なのは、競争相手が他店だけではないという点である。

 本当の競争相手は、「今日は買わずに明日まで待とう」という行動である。

 五百円の商品を買うために車で二十分走らなければならなければ、多くの人は諦めるかもしれない。しかし、家から数分の場所で受け取れるなら購入する人が出てくる可能性がある。地方では、商品価格そのものだけではなく、「今入手できること」「遠くまで行かなくてよいこと」が付加価値になる。

 ただし、その価値に住民がいくら支払うのかは実際に測らなければ分からない。

アンケートより重要なのは「本当に払うか」

 新しいサービスを考えると、「夜でも買い物ができたら利用しますか」と住民に尋ねたくなる。おそらく多くの人が好意的に答えるだろう。しかし、「利用したい」と「実際に千円を支払う」の間には大きな差がある。

 市場調査では、口頭で答えた希望よりも、実際の購買行動の方が信頼性が高い。

 そのため、この事業を検証するなら、大規模な設備投資をする前に小さな実験を行うべきである。数十世帯から百世帯程度を対象に一定期間、午後8時以降に何を必要としたかを記録し、その後、実際に予約販売や夜間受取サービスを試験的に始める。すると「利用したい人の割合」だけでなく、「実際に買った人の割合」「一人あたり購入金額」「何度繰り返し利用したか」「どの商品が売れたか」まで測定できる。

 この段階まで進んで初めて、「時間的な買物空白が商機であるか」を客観的に判断できるようになる。

配送は便利だが、必ずしも安くない

 夜間の買物問題を考えると、宅配すればよいという発想も自然に出てくる。しかし、ここには注意が必要である。

 仮に千円の商品を販売して、粗利益として二百五十円が残るとする。それを一件の家庭まで届けるために三百円の追加費用がかかれば、商品を売るほど五十円ずつ赤字になる。

 地方では住宅間の距離が長くなるため、配送コストが都市部以上に重くなることもある。したがって、夜間対応では一件ずつの個別配送より、地域ごとの受取拠点、決まった時間の巡回、複数世帯へのまとめ配送、既存配送網との共同運行などの方が経済的に成立しやすい。

 配送という言葉には便利な印象があるが、事業者から見れば、移動距離はそのまま費用になる。

 そのため「店舗を開けるより配送すれば安い」と単純化することはできない。

客が少ないなら、需要を束ねる

 人口の少ない地域で夜間の商品受取だけを事業にすると、利用回数が少なすぎる可能性がある。そこで考えられるのが、一つの設備や配送網に複数の生活サービスを載せる方法である。

 高齢者向けの日用品、共働き世帯向けの夕食、地域農産物、クリーニングの受け渡しなどを、同じ受取拠点や同じ注文システムで扱えれば、一つのサービスだけでは回収できなかった費用を複数の事業で分担できる。

 これは人口密度の低い地域に適した考え方である。

 ただし、何でも加えればよいわけではない。商品ごとに別の冷蔵設備が必要になったり、配送時間が増えたり、在庫管理が複雑になったりすれば、かえって費用が膨らむ可能性がある。

 したがって重要なのは、同じ設備、同じ車両、同じ注文システム、同じ顧客管理を共用できる需要だけを束ねることである。

 その条件を満たして初めて、複数サービスを扱うことが経営効率につながる。

「店がない」のは需要がない証拠ではない

 「もし夜間に大きな需要があるなら、すでに誰かが店を開いているはずだ」という考え方には一理ある。しかし、それだけで需要の不存在を証明することはできない。

 人口の少ない地域では、需要が存在していても、初期投資が大きい、人手を確保できない、事業者が需要の存在を知らない、採算性を測るデータがない、既存の商店が高齢化している、といった理由で新しい供給が生まれないことがある。

 したがって、供給されていない市場には二種類ある。

 本当に需要がなくて誰も参入しない市場と、需要はあるが従来の事業モデルでは採算が合わず、誰も参入できない市場である。

 新しい商機が存在するとすれば、後者である。

無人店舗にも魔法はない

 ここまで読むと、無人店舗や無人受取設備を置けば問題が解決するように見えるかもしれない。しかし、無人化しても費用がゼロになるわけではない。

 設備費、電気代、冷蔵・冷凍設備、防犯、決済手数料、補充作業、故障対応、清掃などは残る。利用者が一日に数人しかいなければ、設備費の回収に長い年月がかかる可能性もある。

 したがって、最初に調べるべきなのは「どの設備を買うか」ではない。

 午後8時以降に何人が何を必要としており、どの程度の頻度で利用し、便利さにいくらまで支払うのかを確かめることである。

 設備は、その数字が見えてから考えればよい。

全国展開より先に、一つの町で数字を取る

 営業時間の空白は、一つの町だけに存在する特殊な現象ではない。人口減少や小売店舗の撤退が進む地域では、似た問題が起きている可能性がある。

 そのため、一つの地域で成立した仕組みを別の地域へ展開できる可能性はある。

 しかし、ここでも注意が必要である。

 人口構成、車の保有率、既存店舗までの距離、高齢者の割合、観光客の数、通勤者の帰宅時間などは地域によって大きく違うため、一つの町で成功したからといって、全国どこでも同じように成立するとは限らない。

 それでも、注文、決済、受け取り、在庫連携といった仕組み自体を標準化できれば、地域ごとにすべてを一から作る必要はなくなる。

 新規事業として狙うべきなのは、全国に同じ商品を売ることではなく、「人口密度が低い地域でも成立する販売方式」を作ることなのかもしれない。

小さな不便だからこそ、大企業には入りにくい

 人口減少地域には、住民にとっては困るが、大企業には市場が小さすぎる問題が数多く存在する。

 夜間の買物も、その一つになり得る。

 一つの町で一日に十人しか利用しないサービスを、大企業が全国規模の事業として運営するのは難しい。しかし、店舗を持たず、既存商店と連携し、固定費を小さくした地域事業者であれば成立する可能性がある。

 ここでは事業規模の違いが重要になる。

 年間何十億円もの売上が必要な企業にとって魅力がなくても、地域内で月数十万円、百万円規模の売上を積み重ねる小規模事業者にとっては意味のある市場かもしれない。

 地方の新規ビジネスでは、「市場が小さい」という事実だけで可能性を否定するのではなく、「どの規模の事業者なら成立する市場なのか」を考える必要がある。

午後8時の暗さを、市場として測ってみる

 夜8時、町から店の明かりが消える。

 その景色を人口減少の象徴として眺めることもできる。商店が減り、営業時間が短くなり、生活の選択肢が少なくなっていることは事実である。

 しかし、明かりが消れたあとも、人々の暮らしは続いている。仕事から帰り、夕食を食べ、子どもを寝かせ、翌日の支度をする。その途中で牛乳がないことに気づき、明日のパンを買い忘れたことを思い出し、今日は料理を作りたくないと思うこともある。

 その一つ一つが商売になるとは限らない。

 むしろ、多くはそのまま我慢され、翌朝まで持ち越されるだろう。

 それでも、その中に一定の頻度で繰り返され、一定の金額を支払ってでも解決したい不便があるなら、そこには市場が存在する。

 重要なのは、最初から「商機がある」と信じることではない。

 どれほどの人が、どのくらい困っており、いくらなら支払うのかを小さく測定することである。そして利用者が少なくても成立するように、人を常駐させず、在庫を持ちすぎず、既存店舗を利用し、受取拠点や配送網を共用する。

 その数字が合ったときに初めて、「営業時間の空白」は商機になる。

 午後8時の暗さそのものに価値があるのではない。

 その暗さの中で、住民がどんな不便を何度も諦めているのか。それを感覚ではなく行動として測り、少ない需要でも成立する仕組みに変えられるかどうか。

 地方の新しい商売は、そこから始まるのかもしれない。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

有限会社アードレでは、住まい・車・移住などの大きな選択を、 費用や将来条件をもとに数字で比較し、判断できる形に整理しています。

数字で比較するサービスを見る

 町から店が一軒消えるとき、失われるのは看板一枚ではない。魚屋がなくなれば魚を買う場所が減り、文房具店がなくなればノート一冊を買うために車を走らせる距離が伸び、クリーニング店が閉じれば衣類を預ける場所がなくなる。銀行の支店が撤退すれば、これまで窓口で済ませていた用事を別の町まで出向いたり、慣れないスマートフォンやパソコンで処理したりしなければならない。人口の多い都市なら一つの店が消えても別の店が役割を代替するが、人口の少ない町では、一軒の撤退が生活を支えていた機能そのものを少しずつ剥がしていく。

 だからといって、昔あった店を昔と同じ形で復活させればよいわけではない。人口が減り、客数が減った結果として店が維持できなくなったのであれば、新しい看板を掲げただけで市場が元に戻るはずもなく、スーパー、書店、電器店、旅行代理店、銀行、宅配窓口と、それぞれの用途ごとに建物を構え、人を置き、光熱費を払い、設備を維持するという商業の形そのものが、人口密度の低下に耐えにくくなっていると考えた方が自然である。

 そこで発想を変える余地が生まれる。店の数を昔の水準に戻そうとするのではなく、残る一つの店が担う役割を増やせないかと考えるのである。

 食料品を売る店で宅配便を受け付け、コピーや印刷ができ、地元の商品を取り寄せられ、インターネット通販の商品を受け取れるようにする。さらに、その地域の実情に合うのであれば、高齢者がスマートフォンの基本操作を相談したり、地域交通の予約を頼んだり、住宅の修繕や草刈りをしてくれる事業者を紹介してもらったりする場所にもなる。何も巨大な商業施設を造る必要はなく、一軒の小さな店に、生活上のいくつかの入口を重ねるのである。

 ここでは、そうした店を「複合店」と呼んでみたい。

 複合店の価値は、何でも売ることにはない。むしろ、一つ一つでは商売にならないほど小さな需要を、一か所に集められることにある。人口の少ない町では、電球を買いたい人、荷物を送りたい人、コピーを使いたい人、スマートフォンの操作を相談したい人は、それぞれ確かに存在していても、一つ一つの需要は専門店一軒を維持できるほど大きくない。しかし、それらの需要が同じ場所に流れ込むなら、一つの店が複数の小さな市場を束ねることができる。

 過疎地の商売が難しいのは、需要が完全に消えてしまうからではない。多くの場合、需要が薄く、広く、ばらばらに散らばってしまうからである。

 米も買いたい、荷物も送りたい、コピーもしたい、スマートフォンの使い方も聞きたいという需要は残っている。それにもかかわらず、それぞれを別々の専門店として成立させるには客数が足りないのであれば、需要を業種ごとに切り分けるのではなく、一つの場所に集約する方が合理的になる。この考え方は単なる思いつきではなく、人口減少地域で生活サービスを維持する方法として、実際に各地で進められている「小さな拠点」の発想とも重なる。買い物、郵便、飲食、交通など複数の機能を一か所に集めようとする地域はすでに全国各地に存在しており、サービスの複合化そのものは現実の政策や地域運営でも使われている。

 経営の側から見ても、この仕組みには理屈がある。店を一軒構えれば、売上がゼロの日でも家賃や建物費、電気代、通信費、設備費などが発生するが、食品を売る仕事に宅配受付やコピーサービスを加えたからといって、建物の費用が二倍になったり、駐車場が三倍必要になったりするわけではない。同じ建物、同じレジ、同じ通信回線、同じ店員を複数の仕事で共有できれば、一つ一つのサービスが単独で店舗全体の固定費を背負う必要がなくなる。

 これは経済学でいう「範囲の経済」に近い。複数の商品やサービスを別々に提供するよりも、同じ設備や人員を使って一緒に提供した方が総費用を抑えられるなら、複合化には経済的な意味がある。

 ただし、ここには重要な条件がある。サービスを増やせば増やすほど利益が大きくなるわけではない。

 新しいサービスを始めるたびに専用設備を買い、在庫を増やし、店員に専門的な教育を施し、一件ごとに長時間の接客が必要になるのであれば、複合化によって浮く費用よりも、新しく発生する費用の方が大きくなる。したがって成功する複合店とは、十種類、二十種類の業務を無秩序に詰め込んだ店ではなく、すでにある場所、人、時間、設備を使って処理できる仕事を慎重に選んだ店である。

 複合化で本当に重要なのは、サービスの数ではない。同じ客、同じ場所、同じ設備、そして店員の同じ時間を、どこまで無理なく共有できるかである。

 例えば、店員が一日中休む暇もない店で新たな相談業務を始めれば、そのために人を増やさなければならず、人件費がそのまま上乗せされる。しかし一日のうち何度も客足が途切れ、店員に一定の待機時間がある店なら、その時間に宅配便を受け付けたり、短時間の操作支援をしたりすることで、新しく人を雇わずに追加収入を得られる可能性がある。

 ここに、小さな町の複合店を考えるうえで大切な視点がある。売上を増やすこと以上に、これまで使われていなかった時間や設備を売上に変えられるかどうかが重要なのである。

 仮に一日に三十人が来店し、月に二十六日営業する店なら、一か月の来店回数は約七百八十回になる。もしその店が月五万円だけ収支不足だったとすれば、すべての来店に均等に追加利益を求めるなら、一回来店当たり六十数円程度の利益増加で埋められる計算になる。しかし、実際に追加サービスを利用する人が来店者の四分の一しかいなければ、一件当たりに必要な追加利益は二百円を超える。

 そこへ接客時間が加わると話はさらに変わる。仮に一時間当たりの人件費を千三百円程度と考え、一件の相談に十分かかるなら、それだけで二百円を超える労働費用が発生する。したがって数百円の料金を取っても、追加で人を雇って対応するなら利益が残らない場合があり、反対に、店員の既存の待機時間を使えるのであれば、同じ売上でも採算は大きく改善する。

 複合店は、少額の売上を無数に積み上げれば必ず成功する魔法の仕組みではない。その成否を決めるのは、追加サービスから得られる収入から、そのサービスのために新しく発生する人件費、設備費、事務費などを差し引いた利益がどれだけ残るかであり、その利益が店舗全体の固定費をどこまで支えられるかである。

 この点を無視すると、「住民に喜ばれる店」と「事業として続く店」を取り違える。

 無料でスマートフォンの操作を三十分説明すれば住民には喜ばれるかもしれないが、その時間が毎日積み重なれば店側の負担になる。買い物代行で車を十キロ走らせ、数百円しか受け取らないのであれば、燃料費や車両費だけでなく移動時間まで考えた瞬間に採算が崩れる可能性がある。地域ビジネスでは、必要とされているサービスだから成立するのではなく、利用者がいくらまで払えるのか、一日に何件発生するのか、一件を処理するのに何分かかるのかという数字まで確認して、初めて事業になる。

 一方で、一つの場所に複数の用事を集めることには、売上を直接生む以上の効果も考えられる。宅配便を送りに来た人が牛乳やパンを買い、コピーを使いに来た人が飲み物を買い、商品の取り寄せを頼みに来た人がそのまま日用品も購入することがあれば、一つのサービスが別の売上を呼び込む。

 もっとも、この効果を当然のものとして見込むのは危険である。宅配受付を始めれば来店者が何人増え、その何割が商品を購入するのかは、地域人口、店舗立地、営業時間、競合店の有無などによって大きく変わるからだ。したがって「宅配を始めれば物販も伸びる」と決めつけるのではなく、実際に一定期間試して、来店数、併売率、一人当たり購入額がどう変化したかを測る必要がある。

 このように考えると、複合店は壮大な地方創生策というより、小さな実験を積み重ねる経営に向いている。

 最初から十種類のサービスを始める必要はない。宅配受付を加え、その利用状況を記録し、次に商品の取り寄せを加え、それでも店員の負担が大きくないなら別のサービスを試す。利用件数、売上、必要時間、追加費用を記録して、利益の残らない仕事はやめる。このように一つずつ検証していけば、地域ごとに異なる「採算の取れる組み合わせ」が見えてくる。

 そして複合店の役割をもう少し広げて考えると、「商品をたくさん置く店」というより、「町の小さな受付窓口」という姿が見えてくる。

 現在はインターネット通販や物流網が発達しているため、小さな店があらゆる商品を倉庫に抱える必要はない。注文を受け、商品が届いたら渡すだけでよいものもある。住宅の修繕も店員自身が直す必要はなく、地域の工務店や電気工事業者などにつなぐ役割であれば、在庫や大規模な設備を持たなくてもよい。

 高齢者から「庭木を切ってくれる人はいないか」「エアコンを掃除してくれるところを知らないか」「水道の調子がおかしいが、どこへ頼めばよいのか分からない」と相談を受け、適切な事業者につなげることができれば、店は商品を売る場所だけではなく、地域内の需要と供給を結ぶ場所へ変わっていく。

 ここで店が解決するのは、商品不足だけではない。「誰に頼めばよいのか分からない」という不便である。

 人口の多い都市なら、インターネットで検索すれば多数の業者が見つかるが、小さな町では検索結果そのものが少なく、近隣で実際に仕事を頼める事業者かどうかも分かりにくい。反対に、草刈り、清掃、電気工事、住宅修繕などを行う小規模事業者も、一軒ずつ顧客を探すために時間を使っている。

 この両者を地域の店が結びつければ、住民が事業者を探す手間と、事業者が顧客を探す手間の双方を減らせる可能性がある。

 さらに、複数の依頼をまとめることができれば、事業者側の移動効率も改善する。例えば、ある地区から草刈りの依頼が一件だけ届けば、往復の移動時間を考えると受けにくい仕事でも、複合店が同じ地区から五件をまとめて「火曜日にこの地区で五件あります」と渡せれば、一回の移動で複数の仕事を処理できる。

 人口密度の低い地域では、客を増やすことと同じくらい、移動一回当たりに処理できる仕事を増やすことが重要になる。複合店が地域の注文を集める場所になれば、住民には頼みやすく、事業者には移動効率がよく、店側にも受付や仲介による収入が残るという形をつくれる可能性がある。

 ただし、仲介業務には慎重さも必要になる。

 何を取り次ぐかによっては、資格、契約、個人情報の取扱い、事故が起きた場合の責任、紹介先の品質管理などを考えなければならない。店が単に連絡先を紹介するのか、正式に依頼を受け付けて料金まで集めるのかでも責任の範囲は変わるため、「地域の困りごとは何でも引き受ける」という曖昧な仕組みにするのではなく、どこまでが店の仕事で、どこからが専門事業者の責任なのかを明確にする必要がある。

 つまり、複合店は何でも屋になればよいのではない。小さな需要を集約しながら、専門的な仕事は専門家に渡す「接点」になることに価値がある。

 ここまで考えると、一つの疑問が残る。これほど合理的な仕組みなら、複合店をつくれば人口の少ない町でも簡単に商売が成立するのだろうか。

 答えは、そこまで単純ではない。

 生活サービスを一か所に集める仕組みは全国で実際に広がっているが、そのすべてが完全な民間事業として利益を出しているわけではなく、地域運営組織や自治体などが関わって維持されている例もある。移動販売や生活支援サービスでも、住民に必要とされながら、自治体などの支援がなければ収支が合いにくい事例は存在する。

 ここには、地方ビジネスを考えるうえで避けて通れない問題がある。社会的に必要であることと、民間事業として利益を出せることは同じではない。

 人が少ない地域ほど、一人当たりのサービス提供費用は高くなりやすい。十分な利益を取れば住民が利用できなくなり、料金を下げれば事業者が続けられなくなる。この境界線にあるサービスについては、行政や地域組織の支援を組み合わせる方が合理的な場合もある。

 したがって複合店を過疎地の万能策として語るべきではない。複合化には、一つ一つのサービスを単独で運営するよりも固定費を共有し、損益分岐点を下げられる可能性があるというのが、より正確な表現になる。

 それでも、この違いは小さくない。

 人口が少ないから何もできないのではなく、一つの商売だけでは成立しなくなった地域で、複数の小さな需要を束ねれば成立する仕事が残っている可能性があるからである。

 都市では市場規模が大きいため、一つの分野に特化し、専門性を高めることが競争力になる。しかし人口の少ない町では、専門化しすぎれば市場そのものが小さくなり、客を確保できなくなる。人口密度が低下するほど、「狭く深く」よりも「近くでいくつもの用事が済む」という価値が相対的に高くなる。

 昔の町には「よろず屋」があった。食料品から日用品まで、住民が必要とするものを店の棚にできるだけ多く置いていたが、現在の複合店は、それと似ているようで少し違う。

 これからの店が抱えるべきなのは、大量の商品ではないのかもしれない。

 注文、受取、相談、予約、仲介といった「機能」である。

 商品そのものは遠くの倉庫から運んでもよいし、専門的な作業は別の町の事業者が担当してもよい。しかし、住民が困ったときに最初に尋ねる場所まで遠くにする必要はない。

 人口が減る社会で、昔と同じ数の銀行、商店、行政窓口、専門店をそのまま残し続けることは難しい。それならば、建物や業種を残すことにこだわるのではなく、そこで提供されていた「生活機能」を取り出し、別の場所へ移し替えることを考えた方がよい。

 専門店がなくなっても、商品を注文して受け取れる場所があれば困らない人は多い。行政窓口が遠くなっても、必要な手続きの方法を教えてくれる場所が近くにあれば助かる。地域交通の営業所がなくても、乗車予約を受け付ける場所があれば利用できる人はいる。

 地域から建物が一つなくなったからといって、その建物が担っていた機能まで同じ割合で失われなければならないという決まりはない。

 そこに、小さな町の商機がある。

 もっとも、その商機は派手ではない。短期間で全国展開できる事業でも、一店舗で巨額の利益を上げる商売でもないだろう。一日に数件発生する小さな不便を拾い、既存の店、人員、設備を使いながら、一件数百円、数千円の利益を積み重ね、店舗全体の固定費を少しずつ支えていく。

 だが人口減少社会では、その「小ささ」がむしろ重要になる。

 人口が減れば、大量の客を集めることは難しくなる。しかし、一人の住民が抱える困りごとまで一つになるわけではない。食品も必要で、荷物も送り、家も修繕し、交通も使い、スマートフォンも操作しなければならないのであれば、一人の住民との取引を深くする余地は残る。

 これからの地方商業で問うべきなのは、「何人の客を新しく呼べるか」だけではない。

 一人の住民が日常生活の中で発生させる複数の需要を、どこまで一つの場所で受け止められるかという視点も必要になる。

 そして、それが本当に商売になるかどうかは、理念ではなく数字で判断しなければならない。利用者数、利用率、一件当たりの料金、処理時間、追加人件費、追加設備費、そして他の商品への購買波及を実際に記録し、小さく試しながら組み合わせを変えていく必要がある。

 複合店は、過疎地を救う魔法ではない。

 しかし、一つの専門店では採算が取れなくなった地域でも、複数の小さな需要と既存資源を組み合わせれば、新しい商売の形をつくれるかもしれないという点では、十分に検討する価値がある。

 日本全体の人口が減少していけば、現在の過疎地で起きていることは、一部の山間部や漁村だけの出来事ではなくなる可能性がある。商圏人口が減り、専門店が撤退し、生活のための移動距離が伸び、残った店や事業者に複数の役割が求められるという現象は、やがて地方都市や郊外住宅地でも珍しくなくなるだろう。

 そう考えれば、小さな町は衰退した市場であると同時に、人口減少社会の新しい商業モデルを、ほかの地域より早く試している場所ともいえる。

 店が減る流れそのものを止めるのは難しい。

 しかし、店の数が半分になったから、地域で利用できる機能まで半分にしなければならないわけではない。

 一軒の店が二つ、三つ、五つの役割を無理なく担い、なおかつ一つ一つの仕事について採算を確認しながら続けていけるなら、小さな町の商業を「店舗数」だけで測る必要はなくなる。

 これから価値を持つのは、商品を最も多く並べた店ではないのかもしれない。

 「あそこへ行けば、とりあえず相談できる。頼める。受け取れる。そして、必要なら誰かにつないでもらえる」

 住民からそう思われる場所をつくり、その信用と利便性を、無理のない料金と小さくても継続可能な利益へ変えていくことができるかどうか。人口減少によって店が消えていく時代だからこそ、一つの店に何を足せるかではなく、一つの場所にどの需要を重ねれば持続可能になるのかを考えるところに、小さな町の次の商売が隠れている。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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買い物に困る人がいるなら、それは商売になるのか

 夕方のスーパーで買い物かごをのぞけば、牛乳、豆腐、卵、野菜、総菜が入っている。どれも特別なものではないが、車を運転できる人にとって何でもないこの買い物が、車を手放した途端、一日の中で最も大きな仕事になることがある。最寄りのスーパーまで数キロあり、バスは一日に数本しかなく、タクシーを使えば買った食品より運賃の方が高くなる。人口減少と高齢化が進んだ地域では、こうした日常が少しずつ珍しいものではなくなっている。

 農林水産政策研究所が2020年の国勢調査などを基に推計したところ、店舗まで500メートル以上あり、自動車の利用が困難な65歳以上の「食料品アクセス困難人口」は全国で904万人、65歳以上人口の25.6%に達している。これは過疎地だけの問題ではないものの、店と住宅が離れ、公共交通も弱い地域ほど、買い物という日常行為が「移動できる人だけが簡単にできる仕事」へ変わりやすいことを示している。

 ただし、この904万人をそのまま「買い物代行の顧客候補」とみなすことはできない。地理的に店が遠くても家族が買ってくれる人もいれば、宅配を利用できる人もいるし、そもそも有料サービスにはお金を払いたくない人もいる。統計が示しているのは社会課題の大きさであって、市場規模そのものではないのである。

 それでも、買い物に困る人が一定数いることは間違いない。そこで思いつくのが買い物代行である。電話やメッセージで注文を聞き、スーパーで商品を買い、玄関まで届ける。困っている人がいて、自分には車があるのだから、商売としてこれほど分かりやすいものはないように見える。

 しかし、ここに地方の小さな商売を考えるときの厄介な罠がある。必要とされるサービスと、採算の取れるサービスは同じではない。

買い物代行が売っているのは、商品ではなく移動時間である

 仮に一回の買い物代行料を800円としよう。利用者から注文を聞き、スーパーへ向かい、商品を選び、会計を済ませ、家まで届けるまで45分かかったとすれば、一時間当たりの売上は約1,067円になる。これは利益ではなく、あくまで売上であり、ここからガソリン代、車両費、保険料、通信費、事務処理の時間などが差し引かれる。

 さらに重要なのは、事業者自身の労働時間にも価値があるということである。一時間働いて1,067円の売上しか生まれず、そこから車両経費まで支払うのであれば、地域に必要とされていても、事業としては長く続けにくい。

 都市であれば、同じマンションや近接した住宅へ短時間で何件も届けられるかもしれない。しかし過疎地では、一軒届けたあと次の家まで車で十分、十五分と走ることがある。この時間には商品もサービスも売れていないのに、人件費と車両費は発生している。つまり買い物代行の採算を壊しやすい最大の要因は、買い物そのものではなく、家と家の間に横たわる「売上を生まない移動時間」なのである。

 これは買い物代行に限らず、訪問型の生活支援サービス全般に共通する。困っている人が百人いるとしても、その百人が半径500メートル以内に暮らしている場合と、山や田畑を挟んで二十キロ四方に散らばっている場合では、市場としての性質がまるで違う。地方の商売では人口そのものより、一時間に何件の利用者へ接触できるかという顧客密度が採算を左右する。

 したがって「高齢者が多い町だから買い物代行が成り立つ」とは限らない。見るべきなのは高齢者人口だけではなく、実際に利用する人がどの範囲に何人いて、一人が月に何回利用し、一件当たりどれだけの粗利益を生み、それを一時間に何件積み重ねられるかである。

単発で一軒ずつ走るから、利益が消えていく

 買い物代行そのものが事業として成り立たないわけではない。料金が十分に高く、利用者が近い範囲にまとまり、複数世帯の注文を一度に処理できるのであれば、単独サービスでも成立する可能性はある。問題なのは、低料金の依頼を受けるたびに一軒ずつ走る形である。

 仮にスーパーまでの往復や店内での共通作業に20分かかり、一世帯ごとの商品選択、仕分け、配送、受け渡しに18分かかるとする。一世帯だけなら合計38分を使って売上800円だが、五世帯分をまとめれば、共通の20分を五世帯で共有できるため、110分で4,000円の売上になる。一時間当たりの売上は約1,263円から約2,182円へ上がる計算になり、同じ800円のサービスでも、注文のまとめ方によって採算構造は大きく変わる。

 ここに過疎地ビジネスの重要な特徴がある。売上を増やすために遠くの客まで集めればよいとは限らず、むしろ同じ地域で利用者を増やした方が一件当たりの移動時間が短くなり、利益が改善することがある。地方では「客数」だけではなく、「客同士の距離」が売上と同じくらい重要なのである。

一度の訪問に、一つしか価値を載せないという常識を捨てる

 さらに発想を変えてみる。買い物代行を「スーパーから食品を運ぶ仕事」と考えるから、800円なら800円だけで移動時間を回収しなければならなくなる。しかし、利用者が困っていることは買い物だけとは限らない。

 玄関まで食品を届けたとき、「電球が切れたけれど高いところに上がれない」と言われるかもしれないし、「スマートフォンに変な表示が出たので見てほしい」「役所から封筒が届いたが、どこを読めばいいのか分からない」と相談されることもあるだろう。介護、医療、法律相談、廃棄物運搬などには資格、許認可、専門的責任の境界があるため、何でも引き受ければよいわけではないが、暮らしの中には専門業者を呼ぶほどではなく、本人だけでは処理しにくい小さな仕事が数多く存在する。

 過疎地で考えるべきなのは、こうした仕事を一つずつ別のサービスとして増やすことではなく、一度の訪問ですでに発生している移動時間の上に、追加時間の少ない価値を重ねられるかということである。

 買い物を届けたついでに数分で電球を交換し、次回必要な日用品を確認し、スマートフォンの基本的な操作を手伝い、本人が希望するなら離れて暮らす家族へ「今日はいつも通りでした」と伝える。一度の移動に複数の価値が載れば、一件当たりの売上は増える一方で、移動時間そのものはほとんど増えない。

 ただし、この「複合化」も万能ではない。500円の追加料金を得るために五分余計に働くのであれば採算改善につながりやすいが、500円のために三十分余分にかかるなら、仕事を増やしたことで利益率が悪化する。大切なのはサービスの種類を増やすことではなく、追加される時間と費用に対して、どれだけ追加収益を得られるかという限界利益を見ることである。

「何でも屋」ではなく、「決まった道を回る商売」にする

 ここを間違えると、買い物、草取り、家具移動、スマートフォン相談、役所への同行まで何でも受け、朝から晩まで忙しいのに利益が残らない便利屋になってしまう。依頼が増えたのに儲からないという状態は、地方の生活支援サービスで最も避けたい形である。

 必要なのは、仕事を増やすことではなく移動を束ねることである。例えば毎週火曜日の午前は同じ地区を回ると決め、買い物の注文は前日までに受ける。スーパーで複数世帯分をまとめて買い、その地区を順番に訪問し、買い物の受け渡しと短時間の生活支援を行う。こうすれば「呼ばれるたびに走る商売」から「決められた道を回りながら売上を積み上げる商売」へ変わる。

 宅配便や移動販売の効率が、単に一個の荷物や一品の商品から高い料金を取ることで生まれているわけではないのと同じである。同じ地域へ向かう仕事をまとめ、移動という共通コストを複数の顧客で分けるから効率が上がる。小さな地域事業でも、この原理は変わらない。

「誰が使うか」と「誰がお金を払うか」を分けて考える

 もう一つ重要なのが、サービスを利用する人と料金を負担する人が同じとは限らないという点である。

 地方の実家に80代の母親が一人で暮らし、子どもは東京や大阪で働いている家庭を考えてみる。母親自身は買い物一回に千円を払うことを「もったいない」と感じるかもしれないが、遠方に暮らす子どもにとっては、毎週誰かが実家を訪ね、食品を届け、少し話をし、普段と違う様子があれば連絡してくれることには別の価値がある。

 このとき売っているものは、もはや買い物だけではない。「離れて暮らす親の日常が大きく崩れていないことを確認できる安心」が商品に含まれている。

 こう考えると、利用者は高齢者、直接の受益者は高齢者とその家族、支払者は遠方に暮らす家族という形もあり得る。地域内の所得だけを市場の上限と考える必要はなく、地域外に住む家族まで含めれば支払者の範囲は広がる。

 もっとも、「遠方の家族なら月数千円を払うだろう」と決めつけることはできない。実際に商売として始めるなら、月3,000円、5,000円、8,000円といった価格を提示したとき、何人が申し込むのかを調べなければならない。社会的に価値があることと、その価値に実際にお金が支払われることは別であり、ここでも必要性と支払意思を分けて考える必要がある。

単発利用を定期訪問へ変えると、商売の形が変わる

 買い物代行が不安定になりやすいもう一つの理由は、必要になったときだけ呼ばれることである。雨の日は注文が増え、体調がよい週には注文がなく、利用者が入院すれば突然利用が止まる。これでは翌月の売上を予測しにくい。

 そこで生活支援を定期訪問型にすると、事業の性格が変わる。例えば月に四回訪問する基本契約を設け、買い物の受け渡し、簡単な生活確認、短時間の日常支援をその範囲に含め、時間のかかる作業は別料金とする。価格は地域の所得、競合サービス、移動距離によって調整する必要があるが、重要なのは「一回の用事」を売るのではなく、「定期的に暮らしを支える関係」を商品にすることである。

 利用者側にも利点がある。電球一個を交換するためだけに業者を呼ぶのは気が引けても、「次に来たときに頼もう」と言える人が決まっていれば頼みやすい。提供側も毎週ほぼ同じ道を走るため予定が立ち、利用者が一定の地域に集まれば、一日に訪問できる件数も増えていく。

 人の暮らしを一日だけ見れば、困り事は偶然発生しているように見える。しかし一か月、一年という長さで眺めれば、食品は繰り返し必要になり、電球は切れ、庭には草が生え、家には小さな不具合が起こり、デジタル機器の操作にも迷う。単発ではばらばらに見える需要が、一人の暮らしの中では繰り返されているのである。

 そこに定期契約という形を与えることができれば、偶発的な小仕事の集まりが、ある程度予測できる継続収入へ変わる可能性が生まれる。

過疎地では、客を増やしすぎても儲からないことがある

 一般的な商売では、客は多いほどよいと考えがちである。しかし過疎地では少し事情が違う。北へ二十キロ、南へ十五キロ、山を越えて一軒、海沿いに一軒という具合に利用者が増えれば、売上と同時に移動時間まで増えてしまうからである。

 だから開業当初から町全域を商圏にする必要はない。むしろ狭い地域で十軒、二十軒と利用者を重ねられるかを考えた方がよい。一軒の利用者を獲得したら、その周辺に似た困り事を持つ人がいないかを見る。口コミで近所の利用者が増えれば、次の利用者までの距離が縮まり、一件増えるごとに運営効率が改善する地域が生まれる。

 その意味では、高齢者人口の多い自治体を探すだけでは不十分である。車を使えない高齢者が比較的まとまって暮らし、近くに競合する支援サービスが少なく、スーパーや公共交通までの距離に不便がある地域の方が、事業としては有望な場合がある。人口統計に加え、住宅地の形、道路、坂道、スーパー、病院、バス路線、宅配サービスの有無まで見なければ、実際の商圏は見えてこない。

 過疎地で恐れるべきなのは、人口が少ないことだけではない。顧客が薄く、遠く、ばらばらに存在することである。

商売になるかどうかは「困っている人の数」だけでは決まらない

 ここまで考えると、過疎地の生活支援ビジネスを評価するときに見るべき数字も変わってくる。単純な人口や高齢化率だけではなく、実際に利用する割合、一人当たりの利用頻度、一件当たりの粗利益、一時間に訪問できる件数、移動距離、継続率が重要になる。

 同じ高齢者千人の町でも、そのうち有料サービスを利用する人が二十人なのか百人なのかで市場は大きく違い、その百人が一か所に集まっているのか町中に散らばっているのかでも採算は変わる。さらに一人当たりの利用額が高くても、訪問に長い時間がかかれば利益は残らない。

 したがって、この事業を考えるときの本当の判断基準は「一件いくら取れるか」だけではない。一時間動いたときに、最終的にどれだけの粗利益を残せるかである。

 買い物代行800円だけで45分使うより、同じ地区で複数の注文をまとめ、一回の訪問に短時間の追加サービスを載せ、定期契約によって毎月の利用回数を安定させる方が、一時間当たりの収益は改善しやすい。ただし、それが本当に成立するかどうかは、机上の計算だけでは決まらない。実際の地域で料金を提示し、何人が利用し、どの程度継続するのかを小規模に試す必要がある。

「買い物」を入口にして、暮らし全体を見る

 これから人口減少が進めば、地域から店や交通が消えるだけではなく、これまで家族や近所の人が無料で引き受けてきた小さな仕事も、少しずつ担い手を失っていく可能性がある。若い家族は遠くに住み、近所の人も高齢になれば、「ちょっと車を出してくれないか」「ついでに買ってきてくれないか」という昔ながらの助け合いだけでは支えきれなくなる。

 その空白をすべて行政が埋めることは難しいだろうが、だからといって、困っている人がいる場所に自動的に商機が生まれるわけでもない。必要性がどれほど高くても、一件訪問するたびに赤字になる仕組みなら長く続かない。

 そこで必要になるのが、一つの困り事を一つの商品にする発想から離れることである。買い物、短時間の日常支援、生活状況の確認、遠方家族への連絡といった複数の価値を、一度の訪問へ無理なく重ねる。そのうえで訪問地域を狭くまとめ、移動時間を減らし、単発利用より継続利用を増やし、追加サービスについては「いくら売れるか」ではなく「何分追加され、いくら利益が増えるか」で判断する。そうして初めて、必要とされる仕事が続けられる商売へ近づいていく。

 スーパーの袋を玄関へ届けることだけを見れば、買い物代行は小さな仕事である。しかしその玄関の向こうには、車を手放した人の暮らしがあり、遠く離れた家族の心配があり、昨日まで誰かが無償で担ってきた小さな仕事が積み重なっている。

 過疎地で探すべき商機は、派手な新産業ばかりではないのかもしれない。昨日まで家族や近所の人が「ついでに」やっていたことが、今日は誰にもできなくなっている。その小さな空白を見つけ、一度の移動に複数の価値を載せ、誰がその価値にお金を払い、どれだけの頻度で利用し、どれほど近い範囲に顧客を集められるかを考える。

 人口が減る時代の商売とは、大量の客を集めることだけではない。少ない顧客の暮らしを少し深く理解し、一回走った道からできるだけ多くの価値を生み出すことである。「単発の買い物代行だけでは儲かりにくい」という事実は、地方に商機がないことを意味しているのではない。むしろ、地方では何を売るかだけでなく、どう束ね、どこで回り、誰に払ってもらうかまで設計しなければ商売にならないことを教えているのである。

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