地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 地方への移住を語るとき、私たちはどうしても「何人が移住してきたのか」という数字に目を奪われる。移住相談会に何人が参加したのか、移住支援制度を利用した世帯が何組あったのか、今年は前年より転入者が増えたのか。こうした数字は分かりやすく、成果としても示しやすい。しかし、本当に地域の将来を考えるのであれば、もう一つ確かめなければならない数字がある。数年前に移住してきた人たちが、その後もその地域で暮らしているのかという数字である。

 移住政策を評価するうえで、「何人来たか」と「何人残ったか」は本来切り離すことができない。仮に一年間に百人が移住しても、三年後に二十人しか残っていない地域と、一年間の移住者が五十人でも三年後に四十五人が残っている地域とでは、後者の方がその時点の居住者数は多くなる。移住者数だけを成果指標にすると、この違いは見えない。

 もっとも、「移住後三年」という期間そのものに、科学的に確立された特別な境界があるわけではない。三年を境に突然転出率が変化するという普遍的な法則が確認されているわけでもなく、地域や年代、世帯構成、仕事、住宅事情によって状況は大きく異なる。したがって三年という数字は、「ここを越えれば定着した」と考える境界ではなく、移住後の初期段階を継続して観察するための一つの実務的な期間と考える方が正確だろう。

 それでも移住後の初期数年間に注目する意味はある。引っ越した直後には新しい土地で暮らし始めたという高揚感があり、見慣れない風景や店、道さえ新鮮に感じられる。しかし季節が一巡し、日々の生活が繰り返されるようになると、旅行者の目には見えなかった町の姿が少しずつ現れてくる。そこで初めて、その場所が「訪れるには魅力的な町」であることと、「毎日暮らす場所として自分に合っている町」であることが同じではないと気づくことがある。

 移住前に人を引きつけるのは、美しい自然や広い住宅、静かな環境、低い住宅価格かもしれないが、移住後に生活を支えるのは、それだけではない。仕事を続けられるか、収入に無理がないか、買い物や通院に困らないか、交通手段を確保できるか、困ったときに相談できる人がいるかといった、華やかではない生活条件が長期的には重くなってくる。

 実際、移住や定住に関する研究では、仕事や収入、生活利便性、地域の人間関係、家族との関係、地域への愛着、将来への不安など、複数の要因が居住継続の意向と関係していることが繰り返し示されている。したがって、人が町を離れる理由を「交通が不便だったから」「人間関係になじめなかったから」と一つの原因に還元するのは適切ではない場合が多い。現実には、それぞれ単独なら耐えられる程度の不便や不満が重なり、その人にとって「ここで暮らし続けることの負担」が徐々に大きくなることが考えられる。

 例えば、買い物のために毎回車を出さなければならないことだけなら、それほど大きな問題ではないかもしれない。ところが、それに加えて通院にも長い移動が必要で、仕事の選択肢も限られ、知人も少なく、何か困ったときに誰へ相談すればよいのか分からない状態が続けば、一つ一つは小さかった不便が生活全体の負担として感じられるようになる。重要なのは、一つの欠点の有無ではなく、その人の生活条件と地域環境との組み合わせなのである。

 ここで注意しなければならないのは、人間関係を重視することと、地域との濃密な付き合いを求めることは同じではないという点である。地域行事や自治会活動に積極的に参加することを好む人もいれば、一定の距離を保ちながら静かに暮らしたい人もいるため、地域への参加量を増やせば定着率も高くなると単純に考えることはできない。

 むしろ重要なのは、必要なときに孤立しないことである。毎週会う友人が大勢いなくても、困ったときに相談できる人が一人いること、道で顔を合わせれば言葉を交わせる人がいること、自分のことを少し知っている人が地域の中にいることは、生活の安心感を大きく変える可能性がある。研究でも、単なる接触の回数だけではなく、助けを求められる社会的な関係が居住継続意向と関連することが示されている。

 ただし、人は人間関係だけに定着するわけではない。自然環境への愛着、気に入った景観、住み慣れた家、行きつけの店、季節ごとの風景、毎日の散歩道といったものも、時間とともにその土地への結びつきを作っていく。このような地域への心理的な結びつきは Place Attachment(プレイス・アタッチメント・特定の場所に対する心理的・感情的な愛着)と呼ばれ、人との関係だけでなく、環境や生活経験、記憶などが重なって形成されると考えられている。

 移住したばかりの頃には、その町はまだ「自分が選んだ場所」にすぎない。しかし、春になればいつもの道の花が咲くことを知り、夏には混雑する場所が分かり、冬には風の強い道を避けるようになり、店に入れば顔を覚えている人がいるようになる。そうした小さな経験が積み重なるにつれて、町は地図上の住所から生活の記憶を持つ場所へと変わっていく。

 ところが、こうした長期居住者の姿を見るときにも注意が必要である。長く暮らしている人ほど地域への愛着が強いという調査結果があったとしても、それだけで「長く住めば愛着が強くなる」とは言い切れない。もともとその地域に愛着を持ちにくかった人が早い段階で転出し、愛着を持った人だけが長く残っている可能性もあるからだ。

 これは Survivorship Bias(サバイバーシップ・バイアス・残った人だけを観察することで生じる偏り)の一つであり、移住研究では特に注意しなければならない。現在住んでいる移住者だけに「この地域の良いところ」を尋ねれば、すでに地域を離れた人の経験が調査から抜け落ちてしまうため、本当に定着しなかった理由を知るには、転出した人も含めて調べる必要がある。

 同じ問題は、移住前の情報提供にも関係する。自治体や地域が移住者を増やそうとすると、自然の豊かさ、住宅価格、子育て環境、静かな暮らしなど、魅力を前面に出したくなる。しかし、良い面だけを強調すれば、移住希望者が描く生活と、実際の生活との間に大きな差が生まれる可能性がある。

 人の満足度を考えるうえでは、Expectation–Disconfirmation(エクスペクテーション・ディスコンファメーション・事前の期待と実際の経験との差によって満足度が変化する考え方)が知られている。期待していた生活と実際の生活が大きく食い違えば、その地域が客観的に悪い場所でなくても、不満は大きくなり得る。

 だから移住前に必要なのは、町を良く見せることだけではない。交通の不便さ、医療機関への距離、仕事の選択肢、冬の気候、地域独特の生活習慣なども含め、そこで暮らす現実をできるだけ具体的に伝えることが重要になる。ただし、「欠点を知らせれば定着率が上がる」とまで断定することはできない。より正確には、生活の現実を事前に理解してもらうことによって、移住前の期待と移住後の経験とのずれを小さくできる可能性がある、と考えるべきだろう。

 移住者を増やすことだけを目的にすれば、このような情報提供は一見不利に見える。交通が不便だと説明すれば移住をやめる人がいるかもしれず、仕事の選択肢が限られることを伝えれば別の地域を選ぶ人もいるかもしれない。しかし、それは必ずしも失敗ではない。その地域の生活条件と合わない人が移住前に別の選択をするのであれば、移住後の大きなミスマッチを防いだとも考えられる。

 ここには Self-selection(セルフ・セレクション・自分の条件や希望に合う選択肢を自ら選ぶこと)の問題がある。移住者を無差別に増やすのではなく、その地域の生活条件を理解したうえで選ぶ人が増えれば、少なくとも移住前後の認識差を小さくすることはできる。ただし、それが実際に転出率をどの程度下げるかは、長期間にわたる追跡調査によって確かめなければならない。

 行政や地域による移住後の支援についても同じである。移住した直後に説明会を一度開いて終わるのではなく、半年後、一年後、二年後と生活状況を確認する仕組みは合理的に思える。生活を始めてから初めて分かる問題は多く、困難が深刻になる前に相談先につながることができれば、問題の一部を軽減できる可能性があるからだ。

 しかし、ここでも「定期的に連絡すれば転出が減る」と簡単に断定するべきではない。継続支援を行った人と行わなかった人を比較し、その後の転出率まで追跡しなければ、本当に支援が効果を生んだのか、それとももともと地域に定着しやすい人が支援を利用していただけなのかを区別することは難しい。

 移住政策を本当に科学的に評価したいのであれば、移住者への満足度調査だけでは足りない。必要なのは、同じ時期に移住した人たちを一つの集団として追跡し、半年後、一年後、二年後、三年後、さらに可能であれば五年後に何人が残っているのかを調べることである。

 このように同じ時期に移住した集団を Cohort(コホート・共通の時期や条件を持つ集団)として追跡すれば、単に「今年は何人移住したか」という数字から一歩進んで、「移住した人が何年後にどの程度残っているか」を測ることができる。例えば、一年後に九二%、二年後に八六%、三年後に七八%、五年後に七二%が残っているのであれば、どの時期に転出が多いのかを具体的に見ることができる。

 さらに、こうした分析には Survival Analysis(サバイバル・アナリシス・ある出来事が起こるまでの時間を分析する統計手法)を利用できる。医療研究では治療後に患者がどれくらいの期間生存したかを分析するために使われる方法だが、移住研究では「移住してから転出するまでの期間」と読み替えることができる。

 この方法を使えば、三年という数字を最初から特別扱いする必要はない。実際のデータを見て、一年目に転出が集中しているのか、二年目から三年目に増えるのか、それとも五年以上経過しても一定の割合で転出が続くのかを確認できる。そうなって初めて、「この地域ではどの時期に支援を重点化すべきか」という政策判断が可能になる。

 さらに年齢、世帯構成、仕事、収入、住宅形態、交通利便性、医療へのアクセス、相談できる人の有無、地域への愛着、移住前と移住後の期待差などを記録すれば、どの条件が転出と関連しているのかを統計的に調べることもできる。ただし、ある要因と転出の間に関連が見つかったからといって、直ちに原因と結論づけることはできない。移住者自身の性格や価値観、家族の事情、転職、介護、結婚、離婚など、地域側では変えられない要因も転出には関係するからである。

 したがって、どれほど優れた移住政策を実施しても、転出をゼロにすることはできない。親の介護で故郷へ戻る人もいれば、仕事の都合で都市へ転居する人もおり、家族構成の変化によって生活拠点を変える人もいる。地域政策の目的は「誰も出ていかない町」を作ることではなく、「本来なら避けることができた転出を減らすこと」に置く方が現実的である。

 そのためには、転出を一つの現象として数えるだけではなく、その背景を分類しなければならない。仕事の問題なのか、収入なのか、交通なのか、医療なのか、住宅なのか、人間関係なのか、それとも移住前に想像していた暮らしとの違いなのか。複数の理由が重なっている場合もあるため、一つの選択肢だけを選ばせるような調査では実態を捉えにくい。

 そして何より重要なのは、残った人だけではなく、離れた人に尋ねることである。移住政策について考えるとき、現在も住んでいる人へのアンケートは実施しやすい。しかし、本当に知りたいのは、なぜ町を離れたのかという情報でもある。その声がなければ、成功した移住だけを見ながら政策を考えることになり、町を去った人が経験した問題は数字の外側に残り続ける。

 移住者が定着したかどうかを判断する最後の要素は、補助金の額でも、イベントの回数でも、交流会への参加人数でもない。仕事を続けられる、生活上の不便に対処できる、困ったときに相談先がある、自分なりの距離感で地域と関われる、そしてこの土地でこれからも生活していけると思えることが重なった結果として、居住継続という選択が生まれる。

 だから移住政策を見るときには、「今年何人来たか」だけではなく、「数年前に来た人が今どうしているか」を確かめる必要がある。その人は今も暮らしているのか、残った人は何によって生活を支えられたのか、離れた人はどこで困難を感じたのかを追跡していけば、移住者を呼び込む広告だけでは見えてこない地域の本当の姿が見えてくる。

 人口減少が続く社会では、新しい人を呼び込むことは確かに重要である。しかし、蛇口から水を入れる量だけを競いながら、水槽からどれほど水が流れ出しているのかを測らなければ、本当に水が増えているのかは分からない。移住政策もそれと同じであり、転入者数だけを成果として見る段階から、移住後の残存率まで継続して観察する段階へ進む必要がある。

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 移住して三年以内に町を離れる人を減らすために必要なのは、三年間だけ手厚く支援することではない。三年という数字を一つの観察期間として使いながら、その間に何が起きているのかを丁寧に測り、仕事、生活環境、人とのつながり、地域への愛着、移住前後の期待のずれを複合的に見ていくことである。

 そして本当の成果は、移住者募集の広告を見た人数でも、移住相談会の参加人数でもない。数年前にやってきた人が、その土地で新しい季節を迎えながら、「ここでこの先も暮らしていけそうだ」と思えていることなのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 市町村の将来について話し合う会議では、しばしば一枚の人口グラフが議論の空気を決める。現在一万人の町が十年後には八千人になり、その先には六千人になるという右肩下がりの線を見せられると、この線を何とか上向かせなければならないという感覚が生まれる。移住者を呼び込み、若い世帯に住んでもらい、出生数を増やし、企業を誘致して働く場所をつくる。人口が減ることが問題なら、人口を増やすことが解決策になるという考え方は、確かに分かりやすい。

 もちろん、実際の自治体が文字どおり「人口最大化」だけを目的として動いているわけではない。2025年6月に政府が取りまとめた地方創生2.0基本構想でも、人口減少を正面から受け止め、人口規模が縮小しても社会や経済が機能するための適応策を進める方向性が示されている。また、住民の幸福や暮らしやすさを政策評価に取り込もうとする動きも広がっている。それでも、人口の増減が自治体の将来を語る際の非常に強い指標であり続けていることも事実である。「人口が増えた町」は成功しているように見え、「人口が減った町」は何かに失敗したように見える。この感覚は、自治体政策を考える私たちの中に深く入り込んでいる。

 そこで、一度だけ評価の物差しを入れ替えてみたい。人口をできるだけ減らさないことを中心に据えるのではなく、「その町で暮らす住民一人一人が得られる生活上の価値を、持続可能な範囲でできるだけ高くすること」を自治体経営の中心目標に置いたら、町の姿はどのように変わるのだろうか。

 ただし、この問いには慎重な検討が必要である。生活価値は人口のように一つの数字で簡単に表せるものではなく、住民によって求める暮らしも異なる。人口を増やす政策と生活価値を高める政策が対立するとは限らず、逆に人口減少が一定の水準を超えると、生活を支えるサービスそのものが成立しなくなる場合もある。したがって、人口最大化から生活価値最大化への転換とは、人口を軽視することでも、人口減少を無条件に肯定することでもない。自治体が何を最終的な成果と考えるべきかを、改めて検討することである。

人口一万人の町は、人口八千人の町より豊かなのか

 仮に二つの町があるとする。一方は人口一万人を維持しているが、病院まで車で四十分かかり、買い物にも自動車が欠かせず、高齢者が運転免許を返納すると日常生活そのものが難しくなる。空き家は増え続けているのに住宅地は広く分散し、道路、水道、公共施設を少ない利用者で支えている。

 もう一方の町では人口が八千人まで減っているものの、住宅や商業、医療、行政機能がある程度まとまり、日常の買い物には十五分程度で行くことができ、公共交通や乗合サービスによって自動車を運転できなくなっても生活を続けられる。医療へのアクセスも改善し、老朽化した公共施設は整理され、自治体財政にも一定の余裕が残っている。

 これは政策の違いを考えるための仮想例であり、人口を減らせば生活が改善するという因果関係を示すものではない。また、二つの町では年齢構成、地形、財政、産業などの条件も異なる可能性があるため、人口と生活条件の違いを単純に結びつけることもできない。しかし、この仮定から重要な問いが生まれる。人口の多い町と、日常生活の不自由が少ない町が必ずしも一致しないのであれば、自治体の成果を人口だけで評価してよいのだろうか。

 人口が多ければ税収や購買需要を確保しやすくなり、学校、病院、公共交通なども一定数の利用者がいるから成立する。地域産業を維持するためにも働く人が必要であり、人口が減り過ぎれば生活サービスの存続が難しくなる。この意味で人口は極めて重要である。しかし、その重要性は「人が多いほど無条件に良い」から生じているのではなく、人口が地域のサービス、経済活動、社会的なつながりを支える基盤になっているから生じている。

 そう考えると、人口は自治体経営の最終目的そのものというより、良い生活を成立させるための重要な条件であり、同時に住民生活の状態によって変化する指標でもあると理解した方が適切になる。

人口を最終目標から、生活価値を左右する政策変数へ

 人口を自治体経営の最終目標から外して考えるとしても、人口政策をやめる必要はない。むしろ、人口が地域社会に与える影響をより正確に把握しなければならなくなる。

 病院には一定の患者需要が必要であり、商店には売上を支える購買需要が必要になる。公共交通にも利用者が必要で、地域産業を維持するには働く人がいなければならない。人口の総数だけでなく、子ども、現役世代、高齢者の割合、世帯構成、所得水準、地域内の居住分布もサービスの成立条件を左右する。例えば、同じ人口八千人の町でも、現役世代が多い町と高齢者が大半を占める町では、医療需要、労働力、商業需要、財政負担が大きく異なる。

 また、病院や商店の成立に必要な人口規模は、市町村の境界だけで決まるものではない。隣接する自治体から患者や買い物客が訪れる地域では、町内人口が少なくても一定のサービスが成立する場合がある。逆に、人口が比較的多くても、所得水準、交通条件、人材不足などによってサービスが維持できないこともある。したがって、生活サービスに必要な人口を考える際には、市町村人口だけでなく、実際の診療圏や商圏、利用者の年齢構成、周辺地域との関係を把握しなければならない。

 さらに、人口と生活価値の関係は一方向ではない。人口が増えれば商業需要が拡大し、公共交通の利用者が増え、サービスの選択肢が広がる可能性がある。一方、人口減少によって商店が撤退したり、交通路線が廃止されたりすれば、住民の生活条件が悪化し、それが新たな転出を招くこともある。逆に、交通や医療などの生活条件が改善すれば、転出を抑制し、移住を促す効果が生まれるかもしれない。人口と生活価値は互いに影響し合う関係にある。

 ここで重要なのは、人口を単純な制約条件として固定してしまわないことである。人口は、地域サービスを成立させる条件であると同時に、政策によって変化し、その変化が再び住民生活に影響を与える変数でもある。政策の問いは「人口を何人まで増やすか」だけではなく、「どのような人口規模と人口構成なら生活機能を維持できるのか」「人口を維持する政策と、現在の生活条件を改善する政策のどちらに、どの程度の効果があるのか」という形へ変わっていく。

 人口一万人を一万一千人に増やす政策に多額の費用を投じるよりも、現在住んでいる一万人の通院時間を短くしたり、交通費を下げたり、生活必需品を購入できる場所を維持したりする政策の方が、住民生活に大きな効果を及ぼす場合もあり得る。しかし、反対に人口減少によって地域の主要なサービスが失われる直前であれば、人口や担い手の確保が優先課題になることもある。どちらが適切かは、人口の増減だけではなく、政策費用と住民生活への実際の効果を比較して判断する必要がある。

自治体の成績表が変わる

 自治体の目標が変われば、政策の成績を測る方法も変わる。転入者が何人増えたか、出生数がどれだけ増えたか、人口減少率がどれだけ改善したかという数字は引き続き重要だが、それだけでは自治体の成果を十分に説明できなくなる。

 代わりに重要になるのは、住民の日常生活そのものに近い数字である。病院まで到達するために必要な時間がどれだけ短くなったのか、高齢者が自動車を使わずに買い物できる割合がどれだけ増えたのか、子どもが保護者の送迎なしに学校や公共施設へ移動できる範囲がどれだけ広がったのか、住宅費と交通費を支払った後に手元へ残る所得がどう変化したのか、といった指標である。

 例えば、町内のバス利用者数が減っていたとしても、予約型交通への転換によって高齢者の通院可能性が改善しているのであれば、交通政策を単純な失敗とは評価できない。一方、公共交通の運行本数が増えても、実際には必要な時間帯に病院や商店へ到達できなければ、住民生活の改善につながっているとは限らない。行政が提供したサービスの量だけでなく、そのサービスによって住民が何をできるようになったのかを見る必要がある。

 近年は、こうした考え方に近い政策評価が実際に進められている。デジタル庁が推進する地域幸福度指標では、Well-Being(ウェルビーイング・身体的、精神的、社会的な良好さを含む暮らしの状態)の考え方を取り入れ、住民の主観的な満足度と、生活環境などに関する客観的なデータを組み合わせて地域の状態を把握しようとしている。人口や所得だけでは捉えられない、健康、住宅、安全、教育、地域の人間関係、自分らしい生き方などの側面を評価する方向性である。

 ただし、幸福度という一つの数字に政策評価を置き換えればよいわけではない。住民が高い満足度を回答していても、医療機関が遠く、公共交通が利用できず、災害への備えが不十分な地域はあり得る。反対に、生活設備が整っていても、孤立感や将来不安によって満足度が低い地域もある。客観的な生活条件と住民自身の評価を併せて確認することが重要である。

 そのため自治体の成績表には、人口や財政に加え、医療への到達可能性、買い物環境、交通負担、実質的な生活費、教育機会、住宅環境、安全性、生活満足度など、複数の指標が必要になる。人口という一つの数字で自治体を評価することから、住民生活を構成する条件を多面的に検証することへの転換である。

移住者二十人の意味まで変わる

 政策の評価軸が変われば、移住政策にも別の姿が見えてくる。

 人口を主な成果指標にすれば、二十人の移住者は基本的に二十人である。しかし、地域生活の維持という視点に立つと、その二十人が地域社会のどのような機能を支えるかによって、政策上の効果は異なる。例えば、医療従事者が不足している地域では、医師や看護師の確保が診療体制の維持に貢献する可能性がある。電気工事業者がいなくなる地域では、一人の技術者が住宅や事業所の設備維持に大きな役割を果たすこともある。食品店を引き継ぐ人、介護や福祉を担う人、地域交通を運営する人についても同様である。

 もちろん、医師が一人移住しただけで地域医療の問題が解決するわけではない。医療機関の設備、診療体制、他の医療従事者との連携、患者需要などが整わなければ、その人の専門性を十分に生かすことはできない。他の職種についても、事業の採算性や後継者の定着可能性まで考慮する必要がある。重要なのは、職業だけで人を評価することではなく、地域で不足している機能をどのような政策の組み合わせによって確保できるかという視点である。

 これは人間そのものに価値の高低をつける話ではない。住民の人格や権利は職業や経済的な貢献によって決まるものではなく、自治体には多様な人が暮らすことを前提とした公平な行政運営が求められる。そのうえで、特定の人材不足を解消する政策が地域全体にどのような効果をもたらすかを評価することには意味がある。

 その意味では、人口千人を増やす政策よりも、地域唯一の食品店一軒を存続させる政策の方が、ある町では多くの住民の日常生活を支えるかもしれない。ただし、食品店を維持する方法も直接補助だけとは限らない。移動販売、宅配、共同購入、近隣自治体との連携などを比較し、住民の利便性と事業の持続可能性を検証する必要がある。人口という数字では小さく見える変化が、生活価値という視点では大きな効果を持つこともあるのである。

町を小さくすることが、生活を大きくする場合もある

 生活価値を中心に置いた自治体経営では、町の空間的な形も変わる可能性がある。

 人口が減少しているにもかかわらず、住宅地、道路、水道管、公共施設などが人口の多かった時代と同じ範囲に広がったままであれば、少ない人数で広大な都市設備を支えることになる。人口密度が低下すると、公共交通は利用者を集めにくくなり、固定的なインフラ維持費を少ない住民で負担する構造が生まれやすい。

 この関係は簡単な数値例でも説明できる。ある公共サービスについて年間一億円の固定費が必要であり、さらに住民一人当たり年間一万円の変動費がかかると仮定する。人口一万人なら年間費用は二億円で、一人当たり二万円になる。人口が八千人に減っても固定費が変わらなければ、年間費用は一億八千万円となり、一人当たりでは二万二千五百円に増加する。人口が二割減少するだけで、一人当たり費用は一二・五%上昇する計算になる。

 もちろん、これは費用構造を単純化した説明用の仮定であり、実際の自治体では道路延長、施設数、老朽化の程度、利用者構成、委託方式などによって結果は異なる。それでも、人口が減れば行政費用も同じ割合で減るとは限らないことは理解できる。特に道路、上下水道、公共施設のように、利用者が減っても維持管理を直ちに縮小できない設備では、この問題が生じやすい。

 そこで、住宅、医療、買い物、行政サービス、交通拠点などを一定の地域へ少しずつ集めることができれば、移動距離を短縮しながら、公共交通や商業サービスを成立させやすくできる場合がある。国が進めてきた「コンパクト・プラス・ネットワーク」も、人口減少や高齢化を背景として、居住や都市機能の適切な集約と公共交通ネットワークの再構築を組み合わせる考え方である。

 ただし、町を集約すれば必ず行政費が下がり、住民生活が改善するわけではない。新しい施設の整備費、既存施設の廃止費用、住居の移転費用、交通体系の再構築費用などが発生することもある。住宅や土地に関する住民の権利、長年形成されてきた集落のつながり、地形、災害危険性なども無視できない。短期間の財政収支だけではなく、二十年、三十年という期間で必要となる費用や住民生活への影響を比較する必要がある。

 また、人口密度の低い農村部や中山間地域では、すべての機能を中心市街地へ集約することが合理的とは限らない。複数の生活拠点を維持し、それらを公共交通、移動販売、訪問医療、宅配などで結ぶ方法も考えられる。国が進める「小さな拠点」の考え方も、こうした地域の生活機能を維持する方向性を持っている。都市部、沿岸部、農村部、山間部では、適切な生活サービスの配置が異なるのである。

 町の地図が少し小さくなったとしても、その中で医療、商業、交通、行政サービスが以前より利用しやすくなるのであれば、地図上の縮小をそのまま生活上の衰退と呼ぶことはできない。一方、集約によって周辺集落の住民が取り残されるなら、それは生活価値を高める政策として十分とはいえない。人口減少社会では、「町が小さくなること」と「暮らしが悪くなること」を区別しながら、中心部と周辺部を含めた地域全体の生活条件を検証する必要がある。

「一人当たり最大化」には二つの重大な落とし穴がある

 ここまで読むと、人口の代わりに住民一人当たり生活価値を最大化すれば、自治体の目標が明確になるようにも見える。しかし、この考え方には重大な弱点がある。平均値が改善しても、すべての住民の生活が良くなったとは限らないからである。

 第一の問題は、平均値によって少数者の生活上の不利益が見えなくなることである。例えば、中心市街地の千人に対するサービスを改善する政策と、山間部に住む十人を支援する政策を比較すれば、利用者一人当たりの行政費用では前者が有利になる場合がある。障害のある人への支援や、医療・介護を多く必要とする高齢者へのサービスも、単純な費用対効果だけで評価すれば不利になりやすい。

 仮に多数の住民の生活を少し改善する代わりに、少数の住民の生活を大幅に悪化させたとしても、町全体の平均値は上昇する可能性がある。しかし、平均値が高くなったという理由だけで、その政策を成功と評価することには問題がある。地方自治体には、行政効率の向上とともに、住民の生活に必要な最低限のサービスや権利を守る役割があるからである。

 第二の問題は、住民の構成が変わるだけで平均値が上昇する場合があることである。例えば、生活価値を十点満点で評価する百人の町があり、九十人が八点、十人が三点だったとする。この町の平均点は七・五点になる。ところが、三点と評価していた十人が町を離れ、八点の九十人だけが残れば、平均点は八点に上昇する。町に残った九十人の生活は誰一人改善していないにもかかわらず、平均値だけは高くなってしまう。

 人口減少が進む自治体では、このような住民構成の変化による見かけ上の改善に注意が必要である。生活に不自由を感じる人ほど転出しやすい場合には、残った住民の満足度だけを調査しても、地域が抱えていた問題を正確に評価できないかもしれない。逆に、高齢化によって介護や医療を必要とする住民の割合が増えれば、行政サービスが改善していても平均的な生活満足度が低下する可能性もある。

 したがって、自治体の政策成果を測定する際には、平均値だけでなく、生活条件の悪い住民がどの程度存在するのか、地域間の格差がどう変化したのか、転出した人々がどのような理由で町を離れたのかを確認する必要がある。可能であれば同じ住民を継続的に調査し、生活条件が実際に改善したかどうかを追跡することが望ましい。

 最終的に必要なのは、平均的な生活価値を高めながら、もっとも条件の悪い住民が一定水準以下に落ちないようにする仕組みである。医療、交通、教育、買い物などについて、地域の事情に応じた最低限の保障水準を定め、その水準を守ったうえで全体の生活条件を改善する。そこまで考えると、自治体経営は単なる効率化ではなく、効率性と公平性をどのように両立させるかという政治的な判断を伴う問題になる。

そもそも「生活価値」は一つの数字にできるのか

 さらに難しい問題がある。生活価値というものを、本当に一つの数字として測ることができるのかという問題である。

 例えば、平均所得が五%上昇した一方で通院時間が十分長くなった町と、所得は変わらないものの医療へのアクセスが大きく改善した町を比較するとき、どちらの生活価値が高くなったと判断すればよいのだろうか。住宅費、健康、教育、自然環境、安全性、人とのつながりなどを一つの指数にまとめようとすれば、それぞれにどの程度の重みを置くか決めなければならない。

 しかし、「健康は所得の何倍重要なのか」という問いに、統計だけで唯一の答えを出すことはできない。そこには必ず価値判断が入り込む。若い子育て世帯と一人暮らしの高齢者では重視する生活条件が異なるかもしれず、同じ高齢者でも自動車を運転できる人とできない人では交通サービスの重要性が異なる。住民の価値観が多様である以上、一つの指標ですべての生活価値を正確に表すことは難しい。

 もちろん、複数の指標を統合した指数を作成すること自体は可能である。しかし、指数の作成方法や重みづけによって自治体の順位が変わる場合もあり、計算結果が客観的な数字であっても、その数字を作る際の価値判断まで客観的に決まるわけではない。むしろ大切なのは、どのような指標を重視し、どのような判断基準で政策を選ぶのかを住民や議会に明らかにすることである。

 また、指標の測定精度にも注意が必要である。人口や年齢構成については公的統計を利用できるが、生活満足度や移動の不自由さなどは住民調査に依存する場合が多い。例えば、四百人を単純無作為に抽出して割合を調べる場合、割合が五〇%前後なら、九五%信頼水準での標本誤差は概ねプラスマイナス五ポイントになる。集落別や年齢別に分ければ回答者数はさらに少なくなり、小さな変化を正確に捉えることが難しくなる。

 さらに、インターネット調査では、利用環境や回答能力によって参加者が偏ることもある。生活に困難を抱える住民ほど調査に回答しにくければ、調査結果が実際の生活条件を十分に反映しない可能性がある。調査方法、対象者、質問内容、実施時期をできるだけ統一し、客観的な行政データと組み合わせて検証することが重要になる。

 したがって、生活価値最大化という言葉は、一つの万能指数を作り、その数字だけを上げればよいという意味に理解すべきではない。人口だけでは見えなかった複数の生活指標を並べ、住民や議会が何を重視するのかを明らかにしながら政策を判断するための考え方として使う方が適切である。人口一万人という数字は誰が見ても一万人だが、「良い暮らし」とは何かについては社会的な議論が必要になる。その意味では、生活価値を中心に据える自治体経営は、人口目標よりも簡単になるのではなく、むしろ難しくなる。

人口が減ると自治体財政は必ず悪化するのか

 人口と生活価値の関係を考えるうえでは、自治体財政についても単純化を避けなければならない。

 人口が減少すれば、一般的には住民税などの税収や地域内の消費需要に下押し圧力がかかる。しかし、自治体の歳入は人口に比例して決まるわけではない。市町村には個人住民税のほかに固定資産税や法人関係税などがあり、地方交付税、国や都道府県からの支出金なども財政を支えている。普通交付税の算定でも人口だけでなく、面積などの測定単位や各種補正が用いられるため、人口が二割減少したからといって一般財源が必ず二割減少するわけではない。

 一方、歳出についても人口減少によってすぐに削減できる費用と、簡単には削減できない費用がある。住民数に応じて変化する行政事務の費用がある一方で、道路、橋梁、上下水道、公共施設などには固定的な維持費が必要になる。高齢化が進めば、人口が減少していても介護や福祉に関連する需要が増える場合がある。

 そのため、自治体財政の持続可能性を評価するには、人口総数だけでなく、年齢構成、課税所得、事業所の状況、地方交付税、社会保障需要、公共施設の更新時期、基金残高、地方債の償還負担などを組み合わせて分析する必要がある。人口が減っても財政運営を安定させられる自治体がある一方、人口が比較的維持されていても、大規模な施設更新や歳出増加によって財政的な制約が強まる自治体もあり得る。

 そもそも地方自治法は、地方公共団体について住民の福祉の増進を図ることを基本としている。人口を増やすこと自体が地方自治の最終目的として定められているわけではない。ただし、住民の福祉の増進と一人当たり生活価値の最大化が法律上同一の概念であるわけでもなく、後者は政策を分析するための考え方である。

 財政の観点から重要なのは、単純に行政支出を減らすことではない。限られた財源によって、どのような生活条件を、どの程度の期間にわたって維持できるかである。費用削減によって医療や交通へのアクセスが大きく悪化すれば、財政支出だけを見た効率化が、住民生活の改善と一致しないこともある。反対に、初期投資によって将来の維持費が抑えられ、生活サービスの安定性が高まる場合には、短期的な支出増加が長期的には合理的となる可能性もある。

市町村だけで完結しない生活価値

 生活価値を自治体経営の中心に据える場合、もう一つ重要になるのが行政区域を越えた視点である。

 私たちの日常生活は、必ずしも住んでいる市町村の中だけで完結していない。隣の市の病院を受診し、別の町のスーパーで買い物をし、他の自治体にある職場へ通勤する人も多い。救急医療、高度医療、公共交通、廃棄物処理、消防、介護人材の確保などは、複数の自治体が協力することで成立している場合もある。

 特に医療については、市町村人口だけで供給体制を判断することはできない。都道府県の医療計画や二次医療圏などの枠組みがあり、病院の役割や診療機能は周辺自治体を含めた医療需要、医療従事者、設備、交通条件などによって左右される。町内に病院が存在するかどうかだけでなく、必要な診療科を受診できるのか、救急時に適切な医療機関へ到達できるのか、退院後の在宅医療や介護につながるのかまで確認する必要がある。

 これは交通や商業についても同じである。町内にすべてのサービスを整備することが難しくても、近隣自治体との交通網が充実していれば、住民の生活上の選択肢を維持できる場合がある。反対に、町内の施設数が多くても、利用できる時間帯や交通手段が限られていれば、十分な生活価値を提供しているとは限らない。

 したがって、生活価値を中心に考える自治体経営では、「町内に何があるか」という視点に加え、「住民が必要なサービスを実際に利用できるか」という視点が重要になる。そのためには、市町村ごとの独立した施策だけでなく、自治体間の広域連携、民間事業者との協力、公共交通の再編などを組み合わせる必要がある。

人口減少と生活満足度の関係は、研究でどこまで分かっているのか

 生活価値を重視すれば人口減少を気にしなくてよいという考え方は、科学的にも適切ではない。

 2026年に公表された大阪公立大学の加登遼准教授による研究では、日本の中小規模自治体における人口変化と住民の生活満足度の関係が分析されている。この研究は、2024年の生活満足度調査に基づく五千六百四十五人のデータを用い、人口減少が進む地域で、住民の生活満足度をどのような条件が支えているのかを検討したものである。

 分析では、人口変化率が低い地域ほど生活満足度が低い傾向が統計的に確認された一方、人口変化率だけで生活満足度の変動を説明できる割合は約〇・五%にとどまった。この数字は、人口変化率と生活満足度の間に関連が認められても、人口の増減だけでは個人の生活満足度の違いをほとんど説明できないことを示している。ただし、この〇・五%は人口変化率だけを用いた単純な分析に関する数値であり、健康や所得などを含めた研究全体の説明力を示すものではない。

 さらに研究では、人口減少が進む地域において、現役世代では完全在宅勤務のように地域の雇用市場に依存しにくい働き方が、高齢者では介護費用に関する満足度が、生活満足度を支える要因になり得ることが示されている。人口減少が同じように進んでいても、経済的な機会や介護負担などの生活条件によって、住民が受ける影響が異なる可能性があるということである。

 ただし、この研究は一時点の調査データに基づくものであり、人口減少が生活満足度を低下させたという因果関係を直接証明したものではない。また、調査への回答者と回答しなかった人々の違いなども考慮する必要がある。人口減少と生活満足度に関連があることと、人口を増やせば生活満足度が必ず高まることは、同じ意味ではない。

 この研究が示唆するのは、人口減少を無害な現象と考えるべきではない一方、その影響を人口減少率だけで判断することも不十分だということである。人口が減少する地域でも、所得、働き方、健康、介護、住宅、交通、人とのつながりなどの条件によって、住民生活への影響は変わり得る。人口を増やす政策だけでなく、人口減少が続く環境で生活条件を維持・改善する政策にも、検討する意味がある。

政策を変えた効果は、どうすれば検証できるのか

 生活価値を自治体の目標に据えることと、その政策によって実際に生活が改善したことを証明することは別の問題である。

 例えば、ある町で公共交通を再編した翌年に住民の生活満足度が上昇したとしても、その上昇が交通政策によるものとは限らない。同じ時期に全国的な賃金上昇が起きたのかもしれず、県の道路整備によって通院時間が短縮されたのかもしれない。反対に、新しい政策の効果があっても、物価上昇や景気悪化によって住民の満足度が下がることもある。

 そのため、政策の効果を評価するには、実施前と実施後を比較するだけでは不十分である。地域条件が近い他の自治体との比較や、政策実施前から同じ住民を追跡する調査などを組み合わせることが望ましい。例えば、政策を実施した自治体と実施していない自治体について、政策導入前後の変化量の違いを比較する差の差法(Difference-in-Differences・政策を実施した集団と比較集団の変化の差から効果を推定する手法)などが考えられる。

 ただし、こうした分析方法にも成立条件がある。比較対象となる自治体が、政策を実施しなかった場合に似た変化をたどると考えられることなどが必要であり、自治体を二つ並べて数字を比較するだけでは因果関係を証明できない。また、政策導入を決めた理由そのものが、地域の状態と関係している場合にも注意が必要になる。

 実務的には、政策を始める前に、何を改善するための政策なのか、どの指標で成果を確認するのか、何年後に評価するのかを定めておくことが重要である。例えば、予約型交通を導入するのであれば、利用登録者数や乗車回数だけでなく、自動車を利用できない住民の通院可能性、買い物への到達時間、利用者負担、行政支出などを測定する。交通サービスの利用者数が増えたという結果と、住民の生活が便利になったという結果を区別するためである。

 同時に、政策効果が集落や年齢階層によって異なる可能性も検証しなければならない。中心市街地では便利になっても、周辺地域では不便になるかもしれない。高齢者には有効でも、通学する子どもには効果が小さい場合もある。政策の平均的な効果だけでなく、誰の生活がどの程度変わったのかを確認することが、生活価値を重視する自治体経営には欠かせない。

現在の住民だけ幸せなら、それでよいのか

 さらに時間という視点を加えると、もう一つの問題が現れる。

 例えば、自治体が積み立ててきた基金を大きく取り崩し、交通を無料にし、公共施設を増やし、行政サービスを充実させれば、現在暮らしている住民の生活満足度を短期間で高められるかもしれない。しかし、十年後に財政余力を失い、道路や上下水道の更新費を負担できなくなれば、その政策を長期的な成功と呼ぶことは難しい。

 逆に、短期的には支出が増える政策でも、老朽化した施設を計画的に更新し、交通や医療へのアクセスを維持することで、将来の住民生活を安定させられる場合もある。政策を評価する際には、当年度の財政収支や現在の生活満足度だけでなく、将来にわたる維持管理費、施設更新費、人口構成の変化、財源の見通しなどを考慮する必要がある。

 将来人口についても、単一の予測値だけに依存することは適切ではない。出生率、転入・転出、雇用環境などには不確実性があり、実際の人口は推計から外れることがある。人口減少が比較的緩やかに進む場合と、急速に進む場合の両方を想定し、それぞれの条件で公共サービスや自治体財政を維持できるかを確認する方が現実的である。

 また、自然環境や地域産業、人材の育成も将来世代の生活基盤に含まれる。現在の住民の生活を便利にするために自然災害の危険性を増大させたり、将来必要となる人材や施設更新への投資を先送りしたりすれば、将来世代に負担を残すことになる。生活価値の最大化には、現在の生活だけでなく、将来にわたり必要な選択肢を維持できるかという視点が欠かせない。

 したがって、自治体が目指すべきものは、現在の住民一人当たり生活価値をできるだけ高くすることだけではない。現在の住民の生活条件を改善しながら、将来世代にも一定の生活基盤を引き継げるようにすることである。未来から資源を借りて現在を豊かに見せる政策と、将来の負担を抑えながら暮らしを改善する政策を区別しなければならない。

人口減少そのものに問題がないわけではない

 ここで改めて確認しておきたいのは、生活価値を重視することと、人口減少を放置することは全く異なるという点である。

 人口が急激に減れば、税収、労働力、商業需要、医療、公共交通、教育など多くの分野に負担が生じる可能性がある。特に地域の若年人口や現役世代が減少すれば、人口総数の変化以上に地域産業や行政サービスの維持が難しくなることもある。子どもが減れば学校の統廃合が課題となり、働く人が減れば商店や介護施設の担い手も不足する。人口が一定水準を下回ることで、サービスの供給が段階的ではなく急激に失われる場合もある。

 このような地域では、人口減少を緩和する政策にも重要な意味がある。働く場所を確保し、子育て世帯が暮らしやすい環境を整え、若い世代が地域に残ることを選べるようにすることは、現在の住民生活だけでなく、将来の地域社会の持続可能性にも関わる。人口減少への適応策を重視することは、出生や移住、定住のための政策を不要にすることではない。

 ただし、人口を増やす政策にも費用があり、成果には不確実性がある。移住促進策によって転入者が増えても、その人々が長期間定住するとは限らず、住宅や公共施設への追加投資が必要になる場合もある。また、自治体間で人口を奪い合うだけでは、広い地域全体の人口減少を改善できないこともある。政策の成果を評価する際には、転入者数だけでなく、定着率、地域産業への影響、生活サービスへの効果、財政負担などを確認する必要がある。

 それでも重要なのは、「人口が減少した」という事実と、「町が悪くなった」という評価を完全に同一視しないことである。人口八千人の町が十年後に七千人になったとしても、その間に救急医療への到達可能性が改善され、高齢者が自動車なしで生活しやすくなり、空き家の管理が進み、子どもの移動環境が改善し、住民の生活費負担が軽減され、自治体の将来負担も抑えられたのであれば、その十年間を単純な失敗と評価することは難しい。

 反対に、人口が増加していても、住宅費や交通費の負担が増大し、医療や教育へのアクセスが悪化し、公共施設の更新費用が将来世代に先送りされているのであれば、人口増加だけを理由に政策が成功したと評価することもできない。

 人口は減った。しかし、暮らしやすくなった。この二つは理論上十分に両立し得る。ただし、実際に両立したかどうかは、人口の変化だけではなく、具体的な生活条件と財政の持続可能性を検証して初めて判断できるのである。

「人数を増やす自治体」から「暮らしを設計する自治体」へ

 人口減少が長期的に続く地域では、人口を増やす政策と同時に、人口が減った場合にも暮らしを維持できる設計を進めなければならない。人口が再び増加することだけを前提に道路、学校、病院、住宅、公共交通を考えるのではなく、人口が減少しても必要な機能を維持できる形に町そのものを組み替えていくのである。

 そのとき、自治体間の比較の仕方も変わる。人口十万人の自治体が人口九万人の自治体よりも住民生活の条件に優れているとは限らず、人口を何人獲得したかだけで政策の巧拙を判断することもできなくなる。むしろ、住民一人が日常生活でどれだけ多くの選択肢を持てるのか、病気や老化によって生活条件が変化しても住み続けられるのか、行政サービスを将来世代まで維持できるのかという点が、自治体を評価する重要な視点になる。

 もちろん、こうした評価は人口の増減を確認するよりも難しい。生活価値には主観的な側面があり、住民ごとに重視する条件が異なるうえ、人口構成や地域条件の違いによって指標の意味も変わる。財政支出を増やせばよいわけでも、効率化すればよいわけでもない。人口、生活条件、住民間の公平性、将来の財政負担などを同時に考える必要がある。

 実際の自治体経営では、まず地域の人口と年齢構成が今後どのように変化するのかを把握し、その条件で医療、交通、商業、教育、介護などの生活機能を維持できるかを確認することになる。次に、生活上の不自由がどこに集中しているのかを調べ、住民の生活条件を改善するための政策を比較する。その際には、現在の住民の平均値だけでなく、周辺集落や生活上の不利益を受けやすい住民への影響、転出者の状況、将来の財政負担まで考慮することが求められる。

 そして、政策を実施した後は、実際に住民生活が改善したのかを継続的に測定する必要がある。住民満足度が上がったという結果だけでなく、通院時間や買い物へのアクセスが改善したのか、生活費の負担が減ったのか、行政サービスを利用できない住民が減ったのかなどを確認する。さらに、それらの改善が政策によるものなのか、人口構成の変化や外部環境によるものなのかを区別することで、政策評価の精度を高めることができる。

 人口という数字には強い視覚的な力がある。一万人より九千人、九千人より八千人の方が、町そのものが小さくなったように感じられる。しかし、人間は人口表の中で暮らしているわけではない。朝起きて家を出て、仕事へ行き、買い物をし、病院へ行き、誰かと話し、家へ帰る。その一日の連続の中に自治体が存在している。

 スーパーまで十五分なのか四十分なのか、病気になったときに適切な治療へたどり着けるのか、運転免許を返納した後も自分の家で生活できるのか、子どもが成長して自分の進路を選べるのか、住み慣れた土地で老後を過ごしたいと思ったときにその選択が可能なのか。自治体の価値とは、本来そうした日常の条件が積み重なったところにある。

 だから自治体の目標を人口から生活価値へ移すということは、人口問題を無視することではない。人口を政策評価の唯一の中心に据えるのではなく、財政、交通、医療、住宅、教育、地域経済と相互に影響し合う重要な変数として扱うことである。人口が住民生活を支える一方、住民生活の条件も人口の将来を左右するという関係を理解しなければならない。

 そして最終的に目指すものも、単純な「住民一人当たり生活価値の最大化」だけでは足りない。人口規模と人口構成が地域サービスの成立条件に与える影響を把握し、財政、インフラ、環境などの長期的な制約を考慮しながら、住民全体の生活条件を改善することが必要になる。その際、地域間や住民間の格差を見落とさず、生活上の不利益を受けやすい人々の最低限の生活基盤を保障するとともに、現在の住民だけでなく、将来世代や転出者への影響も含めて評価することが重要である。

 効率性だけでもなく、公平性だけでもなく、現在だけでも未来だけでもない。人口の変化を正確に捉えながら、それらを同時に考える自治体経営である。

 人口減少時代に必要なのは、「どうすれば町をもっと大きくできるか」という問いだけではない。人口が減少しても地域の生活機能を維持できるのか、住民が必要なサービスを受けられるのか、限られた財源と人材の中で暮らしの選択肢をどこまで広げられるのかという問いも必要になる。

 小さくなっていく町の中で、一人の暮らしをどこまで豊かにできるのか。そして、その暮らしを次の世代にも残していけるのか。

 自治体の本当の成績表は、人口グラフの向こう側にあるのかもしれない。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 地方の人口減少対策という言葉から、多くの人がまず思い浮かべるのは「人を呼ぶこと」だろう。移住相談会を開き、住宅取得に補助金を出し、空き家を改修し、子育て世帯を歓迎する。自治体の広報には、都会から移り住んできた家族が笑顔で写り、「この地域を選びました」と語る。そうした姿は確かに明るいニュースであり、新しい住民を迎えること自体に意味がないわけではない。

 しかし、自治体庁舎の正面玄関から新しい住民を迎えているあいだにも、別の出口から、これまでそこで暮らしてきた住民が静かに出て行っているとしたらどうだろう。大学へ進学したいから地域を離れる若者もいれば、もっと大きな仕事に挑戦したいから都会へ出る人もいる。それは人生の選択であって、自治体が止めるべきものではない。

 問題は、それとは別の転出である。本当はここに住んでいたいのに、車を運転できなくなれば買い物が難しくなり、子どもが高校生になると通学が負担になり、診療所では対応できない病気になれば遠くの病院まで通わなければならない。配偶者を亡くして一人になった途端、それまで何とか成り立っていた日常生活が急に難しくなることもある。また、若い世代であっても、希望する仕事がない、十分な所得を得られない、子育てと仕事を両立しにくいといった事情から、住み慣れた地域を離れることがある。

 こうした人たちは、必ずしも地域が嫌いになったわけではない。ただ、その地域で暮らし続けるための条件が少しずつ失われたのである。人口減少時代の地域政策を考えるなら、ここには重要な問いが隠れているのではないだろうか。「どうしたら人に来てもらえるか」を考える前に、「なぜ今ここにいる人が、出て行かなければならないのか」を調べる。人口問題を見る方向を、少し反対側へ向けてみるのである。

人口は「来た人」だけで決まるわけではない

 人口の変化そのものは、実はそれほど複雑な話ではない。出生した人が加わり、死亡した人が減り、転入した人が加わり、転出した人が減る。国外との人口移動なども含め、これらの増減を集計した結果として、ある時点の人口が決まる。ところが地域政策の世界では、この四つの基本的な要素のうち、「転入」だけが目立つことがある。

 年間百人が移住した地域は成果を説明しやすい。だが、百人が転入しても百二十人が転出すれば、社会移動による人口増減は二十人の減少である。一方、年間三十人が転入し、百人が転出していた地域で、転出が七十人に減ったとすれば、社会減少は七十人から四十人へと縮小する。転入者が増えたわけではなくても、転出の減少によって人口減少が三十人分緩和されたことになる。

 他の条件が変わらなければ、転入を三十人増やすことと、転出を三十人減らすことは、その年の人口増減に対して同じ三十人分の効果を持つ。算数としては当たり前の話だが、政治や広報の世界になると、この二つは同じようには扱われない。

 その理由の一つは、新しく来た人には「物語」があるからだろう。東京から移住してカフェを始めた夫婦、海の近くで子育てを始めた家族、古民家を改修して事業を始めた若者には、写真があり、言葉があり、「地方創生」という言葉によく似合う印象的な場面がある。

 ところが、七十八歳の住民が今年も転居しなかったことには、ニュースらしい出来事がない。買い物の送迎サービスができたので、免許を返納したあとも同じ家で暮らせた。診療所へ行く方法が確保されたので、自治体外に住む子どもの家へ移らずに済んだ。統計上、その人にはほとんど何も起きていないように見えるが、人口減少社会では、その「何も起きなかった」という事実こそ、政策の成果なのかもしれない。

 もっとも、転入一人と転出回避一人の効果が、将来にわたって同じとは限らない。若い世代の転入には、その後の就業や出生を通じた人口構造への影響があり得る一方、高齢者の居住継続には、本人の生活の安定や地域社会との関係を維持する効果がある。居住期間、年齢、世帯構成によっても影響は異なる。したがって、一人という数の上での等価性と、長期的な人口・経済・福祉への効果は、分けて考える必要がある。

「住みたい地域」と「住み続けられる地域」は同じではない

 人口政策を考えるうえで、もう一つ大切な区別がある。「この地域に住みたいか」と「この地域に住み続けられるか」は、同じ問いではない。人はある地域を気に入っていても、交通、仕事、教育、医療などの条件によって、その地域から離れざるを得ないことがある。

 考えてみれば、これは不思議なことではない。海が好きだと感じている人でも、病院へ通えなくなれば海を離れるかもしれない。近所付き合いが心地よくても、子どもが学校へ通えなければ家族は転居を考える。地域への愛着がどれほど強くても、それだけでスーパーまでの距離が縮まるわけではなく、運転できなくなった高齢者の移動手段が自動的に確保されるわけでもない。

 内閣府の高齢社会白書で取り上げられている高齢者の生活環境や住み替えに関する調査でも、医療・介護へのアクセス、買い物や移動の利便性などは、住環境を考えるうえで重要な条件となっている。海外の農村地域を対象とした研究でも、地域サービスへの評価や地域への満足度が、居住継続の意向と結び付いていることが示されている。ただし、これらは主として生活環境と意向の関係を示すものであり、交通や買い物の支援を実施すれば、実際の自治体外への転出が何人減るかまで証明するものではない。

 また、住み替えと自治体外への転出も区別しなければならない。住み慣れた一戸建てから同じ町内の集合住宅へ移る人もいれば、地域内の高齢者向け住宅へ転居する人もいる。本人にとっては大きな生活上の変化であっても、自治体の人口統計には転出として表れない。このことは、住民の生活条件を人口移動だけで評価することの限界を示している。

 転出には、もっと別の場所で暮らしたいから出て行く移動と、ここで暮らしたいのに生活条件のために出て行く移動という、性質の異なる側面がある。ただし現実には、仕事、家族、住宅、交通、地域への愛着などが複雑に重なっており、一人の転出を単純にどちらかへ分類できるとは限らない。それでも、本人の積極的な希望による移動と、選択肢が狭められた結果としての移動を区別しようとすることには意味がある。

 自治体が人口政策として減らすべきなのは、人が地域を出る自由ではない。減らすべきなのは、「出たくないのに出なければならない理由」なのである。

若者と高齢者では、出て行かざるを得ない理由も違う

 住民の転出を考えるとき、高齢者の買い物や通院の問題だけを見ていては不十分である。若年層や現役世代の転出には、進学先、就職先、賃金水準、働き方、子育て環境など、別の条件が大きく関わっている。

 例えば、地域への愛着が強い若者でも、希望する専門分野を学べる学校がなければ進学のために地域を離れることになる。それ自体は問題ではないが、卒業後に地元へ戻りたくても、専門性を生かせる仕事や十分な所得を得られる職場がなければ、戻るという選択肢は現実的でなくなる。子育て世代にとっても、住宅価格や保育施設だけでなく、働き方、教育機会、通学時間、家族の将来などが居住地の判断に影響する。

 さらに、地域を離れる理由は、施設や仕事の不足だけとも限らない。内閣府による若者や女性の地方からの転出に関する調査では、進学・就職機会だけでなく、地域社会の人間関係や価値観、周囲からの干渉などが、地元を離れたいと考える理由になる場合も示されている。地域の人間関係は暮らしを支える資源にもなるが、人によっては負担や制約にもなるのである。

 これは、人口政策が道路、病院、商店、住宅といった物理的な条件だけでは完結しないことを意味している。本人の意思を尊重する地域社会であるか、性別や年齢によって進路や役割を決めつけられないか、働く場所や生き方を自由に選べるかといった条件も、住み続けられる地域を考えるうえで無視できない。

 したがって、「なぜ住民が出て行くのか」という問いには、年代別、性別、世帯構成別に異なる答えがあるはずである。高齢者にとって必要な政策が公共交通や生活支援であっても、若者には雇用や教育機会の充実が重要かもしれない。地域を離れる理由が違う以上、すべての世代に同じ人口政策を適用しても、十分な成果が得られるとは限らない。

人を呼ぶ政策は長所を探し、人が残れる政策は弱点を探す

 移住政策をつくるとき、自治体は地域の良いところを探す。海があります、山があります、魚がおいしい、土地が安い、都会まで二時間です、子育て環境が充実しています、といった具合に、「この地域を選ぶ理由」を一つずつ見つけていく。

 ところが、住民が出て行かなくてもよい地域をつくろうとすると、行政が見る景色はほとんど反対になる。なぜ七十五歳になると暮らしにくくなるのか。なぜ子どもが高校生になると通学や教育費の負担が大きくなるのか。なぜ配偶者を亡くした高齢者は自治体外の子どもの近くへ移るのか。なぜ働き続けたい人が希望する職場を見つけられないのか。こちらは地域の長所を集めるのではなく、生活の中に存在する障害を一つずつ見つけていく作業になる。

 この作業は、移住パンフレットほど華やかではない。しかし、人口減少地域に必要なのは、こうした問題を具体的に把握することではないだろうか。一日に数本しかない路線バスを昔と同じ形で維持することが難しいなら、予約制の乗り合い交通や既存の交通資源の活用を考える。スーパーそのものを残せないなら、配送や移動販売によって買い物の機能を確保する。すべての診療科を自治体内に置けないなら、地域の診療所、広域病院への交通、訪問診療、適切なオンライン診療などを組み合わせる。

 もちろん、こうした方法が必ず従来のサービスを代替できるわけではない。オンライン診療では対応できない病気や検査もあり、予約制交通が通勤や通学などの定時性を必要とする移動に適さない場合もある。配送サービスを設けても、本人が買い物に出かけることで得ていた交流の機会まで代替できるとは限らない。必要なのは、サービスの名称や形式を変えることではなく、その機能が住民の生活を実際に支えられるかを確認することである。

 大切なのは、過去に存在した施設やサービスをそっくりそのまま残すことではない。住民の生活が途中で行き止まりにならないように、必要な機能を持続可能な形で確保することである。

人口減少時代には「便利な地域」より「詰まない地域」が重要になる

 大都市と地方を、店の数や鉄道の本数、病院の数で競わせれば、地方が勝つことは難しい。人口が少ない地域に百貨店を何軒も置くことはできず、鉄道を十分間隔で走らせることも現実的ではない。すべての自治体に高度な医療機能を備えた総合病院を設置することも、医療従事者の確保や経営の持続可能性を考えれば難しい。

 しかし、便利さが少ないことと、暮らせないことは同じではない。スーパーが一軒しかなくても、その店へ行く方法があり、店が閉まった場合にも別の買い物手段があれば、日常生活を維持できる可能性がある。病院が自治体外にあっても、必要なときに無理なく到達できればよい。高校が自治体内になくても、安定した通学手段が確保されていれば、通学を理由に家族全員が転居しなければならない状況を避けられるかもしれない。

 反対に、車を運転できなくなった瞬間に、買い物、通院、銀行、行政窓口への移動が一斉に難しくなる地域は脆い。一つの条件が崩れただけで、生活全体が成立しなくなるからである。これは地域を一つのシステムとして見ると、より分かりやすい。

 安定したシステムには、何かが失われたときの代わりの経路がある。路線バスが縮小しても利用可能な乗り合い交通があり、自分で店へ行けなくても配送や訪問支援があり、地域の診療所だけで対応できない場合には、広域医療につながる仕組みがある。こうした複数の経路があれば、一つのサービスが失われても生活全体が直ちに行き詰まる危険を小さくできる。

 もっとも、複数のサービスを用意することには費用がかかる。利用者が少ない地域では、代替手段を増やした結果、行政負担が過大になる可能性もある。また、地形、道路状況、災害リスク、人口密度によって、利用できるサービスの組合せも異なる。したがって、すべての地域に同じ仕組みを導入するのではなく、必要性、利用実態、維持費用、緊急時の対応能力を比較しながら、地域に合った方法を選ぶ必要がある。

 国が進める地域包括ケアシステムや地域生活圏の考え方も、医療、介護、住まい、生活支援、交通などの機能を、必ずしも一つの自治体内だけで完結させず、関係機関や自治体の連携によって確保しようとする方向性を持っている。ただし、広域連携を制度として設けることと、実際に人口減少が緩和されたり、財政負担が軽減されたりすることは別である。定住自立圏を対象とした実証研究でも、人口維持や一人当たり歳出の削減について、期待された効果が確認されなかった事例が報告されている。制度をつくったことを成果とするのではなく、住民の生活にどのような改善が生じたかを評価しなければならない。

 人口減少時代の地域に求められるのは、何もかもそろった豪華な地域ではない。一つを失っても、別の道がまだ残っている地域である。言い換えるなら、「便利な地域」を競う前に、「詰まない地域」をつくる。この発想は、これからの地域政策を考えるうえで重要になってくるのではないだろうか。

では、一人を呼ぶより一人を残す方が安いのか

 ここまで読むと、「それなら移住者を呼ぶより、転出を防ぐ方が効率的なのだ」と結論づけたくなる。しかし、この点については慎重に考える必要がある。

 人口の算術だけを見れば、転入を一人増やすことと、転出を一人減らすことは、その年の人口に対して同じ一人分の効果を持つ。しかし、そのために必要な費用まで同じとは限らない。ある地域では、既存の車両や人員を活用した買い物支援、交通支援などによって、比較的小さな追加費用で複数世帯の居住継続を支えられるかもしれない。その場合には、移住希望者を募集し、広報費や住宅補助を投じるより効率的である可能性がある。

 一方、山間部などで少数の住民のために長い道路、水道、公共交通などを維持し続ければ、一人当たりの社会的費用が大きくなる場合もある。老朽化したインフラの更新費用や、医療・介護サービスを提供する人材の確保まで考えれば、現在の居住形態をそのまま維持することが、長期的に合理的とは限らない。そのような地域では、本人の意思と生活の質を尊重しながら、中心部への住み替え支援や近隣自治体とのサービスの共同利用を検討することにも意味がある。

 したがって、「転出を防ぐ方が必ず安い」という一般法則を置くことはできない。必要なのは、一人の移住者を追加的に増やすためにいくら使っているのか、一人の住民が望まない転出を回避できるようにするにはいくら必要なのかを、同じ期間と条件で比較することである。

 ここで重要なのは、政策費用を単純に利用者数で割らないことである。仮に年間六百万円の交通支援事業によって百人がサービスを利用したとしても、その百人全員が、事業がなければ転出していたわけではない。実際に政策がなかった場合と比較して、何人の転出を回避できたと考えられるかを推定しなければ、転出抑制の費用対効果は計算できない。

 また、政策の価値は、転出を回避した人数だけで決まるものでもない。交通支援によって通院が継続できた、外出の機会が増えた、家族の送迎負担が減った、孤立が緩和されたという成果には、それぞれ独立した価値がある。人口維持にはほとんど影響しなかったとしても、住民の生活の質を大きく改善した政策なら、福祉政策として十分な意味を持つ場合がある。

 自治体の財政負担と、住民や地域社会が受ける便益も区別しなければならない。住民一人が残ることによる地方税収、地方交付税などの財政上の影響、医療・介護・交通などの支出、地域内消費への波及は、年齢や世帯構成、制度によって異なる。さらに、自治体の収支には直接表れなくても、本人が望む生活を続けられること自体が大きな便益になる。社会的に合理的な政策と、自治体の短期的な財政負担が小さい政策が、必ず一致するわけではない。

 考えてみれば、人口減少対策の評価は、単に何人増えたか、何人残ったかだけでは不十分なのである。限られた財源によって、誰のどのような生活上の問題を、どの程度改善できたのかまで問う必要がある。

生活条件を改善すれば、転出は本当に減るのか

 ここで、科学的な検証としてもう一つ考えておきたいことがある。交通が不便な地域から住民が転出しているとしても、それだけで、交通を便利にすれば転出が減ると結論づけることはできない。

 例えば、公共交通が不便な地域では、雇用機会が少なく、商業施設が減り、人口の高齢化も進んでいるかもしれない。こうした地域で転出が多かったとしても、その原因が交通だけにあるとは限らない。仕事が減ったために住民が転出し、その結果として公共交通の利用者が減った可能性もある。あるいは、人口減少と交通の縮小が互いに影響し合っている場合もある。

 科学的に政策の効果を検証するなら、事業を実施した地域と、条件の近い地域を比較することや、事業実施前後の変化を継続的に観察することが必要になる。ただし、自治体ごとに人口構造、地理、雇用、医療環境などが異なるため、単純な比較では政策の効果を正確に分離できない。年齢構成や世帯構成などの違いを考慮し、政策がなかった場合に何が起きたかを可能な範囲で推定する必要がある。

 その結果、交通支援によって生活の利便性が改善しても、転出率には統計的に明確な変化が見られないこともあるだろう。しかし、それだけで政策が失敗したとは言い切れない。買い物や通院を続けられるようになったこと、外出の機会が増えたこと、家族の介護負担が軽くなったことなどは、人口移動とは別の成果だからである。

 逆に、転出が減ったとしても、それが政策の効果とは限らない。景気の悪化によって転居費用を負担できなくなった人が増えた場合や、住宅事情によって転居を断念する人が増えた場合にも、転出数は減少し得る。人口移動という結果だけを見ていては、住民の選択肢が広がったのか、狭まったのかを判断できないのである。

 したがって、この記事で提案する転出抑制政策は、その有効性が既に確立した万能の人口政策ではない。生活条件の改善によって望まない転出を減らせる可能性があるという、検証すべき政策仮説として位置付けるのが適切である。

「住み続けること」そのものを善にしてはいけない

 もう一つ注意しなければならないことがある。住民が地域に残ることを政策目標にすると、いつの間にか「転出しないことが望ましい」という価値観に変わりかねない。

 しかし、住み続けることそのものが幸福とは限らない。高齢者の居住をめぐる研究には、「住み慣れた地域で老いること」を重視する考え方がある一方、「移動したくても移動できず、その場所にとどまること」を問題とする考え方もある。同じ「地域に残った」という結果でも、自分の意思で残ったのか、それとも経済的事情や住宅事情、移動手段の不足によって動けなかったのかでは、意味がまったく違う。

 この地域が好きだから残った人と、引っ越す資金もなく、他に行く場所もなく残った人を、同じ政策上の成功として数えてはいけない。地域の人間関係に負担を感じながら、転居する機会がないために住み続けている人もいるかもしれない。人口統計だけを見れば、その人たちは地域に定着しているように見えるが、居住地の選択という意味では、むしろ自由が制約されている可能性がある。

 また、災害の危険性が高い場所や、医療・介護サービスへのアクセスを確保することが極めて難しい場所では、住み続けることだけを優先するのが適切とは限らない。安全性、本人の健康状態、生活費、家族関係などを考慮し、住み替えという選択肢を用意することも、住民を支える政策の一部である。

 目標は「住民を引き留めること」ではなく、住みたい人が住み続けられ、出たい人は自由に出られることにある。地域に人を縛り付けるのではなく、そこに居住することを一つの現実的な選択肢として残しておく。この違いは言葉の上では小さく見えるが、地域政策の目的を考えるうえでは決定的に重要である。

人口減少そのものを止められなくてもよい

 地方の人口問題を考えると、どうしても「人口を増やすか、少なくとも維持する」という結論へ向かいやすい。しかし、多くの自治体では、今後数十年間に人口そのものが減ることを完全に避けるのは容易ではない。

 理由は転出だけではない。高齢化した地域では、仮に転入と転出が同数になったとしても、出生数より死亡数が多ければ人口は自然に減っていく。出生年齢にある人口が少なく、高齢人口の割合が大きい地域では、人口構造そのものが将来の自然減に大きく影響する。国立社会保障・人口問題研究所の地域別将来推計人口も、こうした人口構造の変化を考えるための重要な基礎資料となっている。

 そうであるなら、人口が減ったという一点だけをもって地域政策を失敗と評価することが、本当に適切なのかを考え直す必要がある。

 例えば人口八千人だった自治体が七千人になったとする。それだけを見れば明らかな縮小である。しかし同じ期間に、高齢者が車を運転できなくなっても買い物や通院を続けられるようになり、子育て世帯が通学や教育の問題で家族ごと転居する必要が少なくなり、一人暮らしになった高齢者も必要な支援を受けて生活できるようになったとしたら、その地域は単純に「悪くなった」と言えるのだろうか。

 もちろん、人口が減っても生活条件が改善すれば、財政や地域経済の問題が消えるわけではない。住民が減れば、利用者数を前提に成り立っていた公共交通や商業施設の経営が難しくなる場合もあり、公共施設や上下水道などの固定費を少ない人口で負担することになる。働く世代の減少は、地域の産業や医療・介護人材の確保にも影響する。そのため、人口減少を無視してよいという話では決してない。

 それでも、人口が減ることと、住民の生活が必ず悪化することは同義ではない。行政が人口の維持に成功しなかったとしても、交通、医療、教育、住宅、地域の安全性などを改善し、住民の生活を支えられたなら、そこには別の政策成果が存在する。

 人口が減っていても、「ここで暮らし続けることができる人」の割合や、暮らしの選択肢は増えているかもしれない。ここには、人口という一つの数字だけでは捉えきれない地域の価値がある。

一軒の閉店から始まる連鎖

 人口減少地域で懸念されるのは、人が毎年少しずつ減ることだけではない。ある段階から、暮らしの条件そのものが連鎖的に失われる可能性があることだ。

 例えば地域から一軒の店がなくなったとする。車を使える人は少し遠くの大型店へ行くようになり、その結果、残った地元商店の客まで減るかもしれない。別の店も経営が難しくなり、そこまで閉店すると、車を持たない高齢者の生活はさらに不便になる。そのため自治体外の子どもの近くへ転居する人が増えれば、地域の人口が減り、サービスの利用者も減り、さらに別のサービスの維持が難しくなる可能性がある。

 ただし、現実の地域では、これほど一直線に物事が進むわけではない。一軒の商店が閉店した結果、残った商店へ客が集中することもあれば、新たな移動販売や配送サービスが参入することもある。人口減少が店舗閉鎖を引き起こす場合もあれば、雇用の減少が人口流出と店舗閉鎖の双方を生む場合もあり、原因と結果は複雑に絡み合っている。

 それでも重要なのは、地域のサービスが互いに独立して存在しているわけではないという点である。人口がある程度存在することで維持されていた商店や交通サービスは、利用者数が一定の水準を下回ると、採算が急に悪化する場合がある。人口そのものは毎年少しずつ減っているのに、商店の閉鎖や路線の廃止は、ある時点で突然起きることがある。

 こうした変化は、人口減少の速度と生活環境の悪化する速度が必ずしも一致しないことを意味している。ただし、どの程度の人口減少でサービス撤退が起きるのか、その影響が転出をどれだけ増やすのかは、地域ごとの利用実態や経営条件を調べなければ分からない。

 自治体が見るべきなのは、人口の増減だけではなく、地域の生活機能が維持できなくなる兆候である。商店の利用者数、公共交通の乗客数、医療機関への移動時間、介護人材の充足状況などを継続的に把握すれば、生活の条件が急速に悪化する前に対策を検討できるかもしれない。

 人口減少そのものをすぐに止められなくても、生活機能の喪失が連鎖する危険を減らすことは、行政が取り組める重要な課題なのである。

「何人いる地域か」ではなく「何歳まで暮らせる地域か」

 そこで、人口とは別の数字を考えてみたくなる。その地域では、人は何歳まで普通に暮らせるのか。車を運転できなくなっても生活できるのか、配偶者を失って一人になっても暮らせるのか、慢性疾患を抱えても通院できるのか、子どもが高校生になっても家族で住み続けられるのか。

 もちろん、誰もが同じ年齢で生活上の困難に直面するわけではない。七十歳でも自立して移動できる人がいれば、もっと若い時期から交通や医療の支援が必要な人もいる。重要なのは年齢そのものではなく、健康状態や家族構成、移動能力などが変化したとき、その地域で希望する生活を続けられるかどうかである。

 仮に、ある地域で七十歳になると生活が難しくなる人が多かったとして、その生活条件を改善し、八十歳になっても無理なく暮らせる人を増やせたなら、それは大きな政策成果だろう。百人の住民がそれぞれ五年間長く、自分の望む地域で生活できるようになったとすれば、合計五百年分の居住継続が実現したと表現することもできる。

 もっとも、この五百年という数字は、あくまで考え方を示すための単純な計算である。実際に政策効果を測るなら、事業がなかった場合の居住継続期間との差を推定しなければならない。また、本人の希望による転居や死亡によって観察が終了した場合をどのように扱うかによっても、評価は変わる。

 さらに、「実際に住み続けた期間」と「希望すれば住み続けられた期間」は同じではない。地域に住み続ける条件が整っていても、本人が新しい生活を望んで転居することはある。それを政策上の失敗とするのは適切ではない。居住可能性を評価するのであれば、実際に何年間住んだかだけでなく、その地域で暮らすという選択肢がどの程度確保されていたかも考える必要がある。

 こうした「居住可能な時間」は、現在のところ公的に確立された統計指標ではない。しかし、人口そのものとは別に、住民が希望する地域で無理なく生活を続けられる期間を測るという発想には、研究上の価値がある。

 地域の成功を、人間の頭数だけで測る必要はない。人口そのものを簡単には増やせない時代だからこそ、一人ひとりがどれだけ長く、自分の望む暮らしを続けられるかという別の尺度が必要になるのではないだろうか。

「何人が出て行かずに済んだか」をどう測るのか

 ここで現実的な問題がある。「何人が出て行かずに済んだのか」という数字は、通常の人口統計から直接読み取ることができない。

 総務省の住民基本台帳人口移動報告では、市区町村別の転入・転出の状況を把握できる。しかし、そこに記録されるのは実際に移動した人の数であって、「本当は住み続けたかったのに出て行った人」や、「支援があったため転出せずに済んだ人」の数ではない。

 例えば転出した住民に理由を尋ねたところ、「買い物が不便だった」「病院が遠かった」という回答があったとする。それは重要な情報だが、買い物や通院の条件が改善されていれば、本当にその人が転出しなかったかどうかまでは分からない。仕事や家族の事情など、別の理由も同時に存在しているかもしれないからである。

 逆に、地域に残った人へ「これからも住み続けたいか」と質問しても、それだけでは将来の転出を予測できない。住み続けたいと思っていても健康状態や家族関係の変化によって転居する人がいる一方、転居したいと思っていても経済的事情などから移動できない人もいる。

 したがって、自治体が本当に調べるべきなのは、単なる転入数と転出数だけではない。年代別、世帯構成別の転出率に加え、転出理由、居住継続の希望、買い物や医療への到達可能性、公共交通の利用実態などを、継続的に把握する必要がある。特に高齢者については、免許返納の前後で生活の状況がどう変わったか、独居になった後も必要な支援を受けられているかなどを調べれば、生活条件の問題が見えやすくなるだろう。

 また、政策を実施した自治体で転出が減ったとしても、それだけで政策の成果と断定することはできない。年齢構成、雇用情勢、住宅市場などの違いを考慮し、類似する地域の動向と比較することが望ましい。統計的には、事業実施前後の変化を比較する方法などが考えられるが、比較対象となる地域が適切であることや、政策以外の影響を十分に考慮できることが前提になる。

 そのうえで、人口減少対策の評価を、転入者数、転出者数、人口増減という従来の指標と、居住希望の実現、生活サービスへのアクセス、住民満足度、居住継続の選択肢といった指標の組合せで行うのである。

 ただし、調査項目を増やすだけでは行政の成果にはならない。住民への過度な調査負担や個人情報の問題にも注意しながら、既存の行政統計や調査結果を有効に活用することが望ましい。目的は立派な指標をつくることではなく、住民がどのような条件で生活に困り、その問題をどこまで改善できたかを知ることである。

住民が出て行かなくてもよい地域は、移住者にも選ばれるのか

 興味深いのは、こうした政策が移住促進と必ずしも対立しないことである。住民が長く暮らせる地域をつくることは、結果として移住希望者にとっても魅力になる可能性がある。

 移住希望者が知りたいのは、美しい海や安い土地だけではない。子どもが大きくなったらどうなるのか、親が高齢になったらどうなるのか、自分自身が年齢を重ね、車を運転できなくなったときに暮らせるのかといった、その土地で過ごす将来の生活条件も重要になり得る。

 移住とは、現在の風景だけを選ぶ行為ではない。その土地で過ごす十年後、二十年後の生活まで含めて選ぶことである。自治体の観光パンフレットに美しい夕日が載っていても、そこで生活するには車が不可欠で、高齢になると買い物も通院も難しくなるのであれば、移住希望者によっては慎重に判断する理由になるだろう。

 反対に、人口そのものは減っていても、既存住民が生活上の困難に直面したときに支援を受けられ、必要なサービスへ到達できる地域には、長期的な居住地としての安心感がある。その条件を移住希望者が重視するなら、住民の居住継続を支える政策は、移住先としての評価にもつながる可能性がある。

 もっとも、移住希望者の優先順位は一様ではない。仕事、所得、住宅価格、自然環境、教育環境、都市部へのアクセスなど、何を重視するかは年齢や世帯構成、移住の目的によって異なる。既存住民の生活条件を改善したからといって、それだけで移住者が増えるとは限らない。この点については、移住希望者の意向や実際の転入状況を調べ、効果を検証する必要がある。

 それでも、住み続ける人の生活を支えることは、決して内向きの政策ではない。移住者を呼ぶための魅力づくりと、既存住民が暮らし続けるための条件整備は、共通する部分が多い。人口減少時代の移住政策は、地域の長所を広報することに加え、長く安心して暮らせる条件を整えることにも目を向けるべきではないだろうか。

人を増やすことから、人の選択肢を守ることへ

 地方創生という言葉には、どこか成長の響きがある。人口を増やし、観光客を増やし、企業を増やし、税収を増やすことが成功として語られやすい。

 しかし人口そのものが減っていく時代に、増加だけを成功の基準にしてしまえば、多くの地域はどれほど暮らしやすくなっても、人口統計の上では「失敗した地域」になってしまう。

 もちろん、人口減少を放置してよいわけではない。働く世代が減れば地域経済や社会保障を支える人材の確保が難しくなり、公共サービスの維持にも影響する。移住促進や雇用創出、子育て支援が重要であることも変わらない。人口構造と財政の将来を見通し、必要な産業や生活機能をどう維持するかを考えることは、自治体にとって避けて通れない課題である。

 しかし、それらの政策と並行して、もう一つの尺度を持ってみてもよいのではないだろうか。この地域では、どれだけの人が自分の意思に反して出て行かずに済んだのか。車に乗れなくなっても暮らせるのか、病気になっても暮らせるのか、一人になっても暮らせるのか、子どもが成長しても家族で生活を続けられるのか、希望する働き方や生き方を選べるのかを見るのである。

 こうした条件を整えることが、必ずしも人口の増加につながるとは限らない。支援に費用をかけても、転出数が大きく変わらない地域もあるだろう。人口密度や地理的条件によっては、現在のサービスを維持することが難しく、住み替えや広域連携を含めた選択が必要になる場合もある。

 それでも、住民の生活上の制約を減らすことには、人口の増減とは独立した価値がある。公共交通や医療へのアクセスを確保することで、住民が望む生活を続けられるようになるなら、その政策は、人口統計に大きな変化が表れなくても意味を持つ。

 そして、地域に残ることを強制してはいけないのと同様に、行政の効率性だけを理由として転居を当然視することも避けなければならない。本人にとって何が重要なのか、どのような生活を望んでいるのかを確かめながら、地域全体の持続可能性との両立を探る必要がある。

 目指すべきなのは、人を囲い込む地域ではなく、出て行く自由を持ちながら、それでも出て行かなくてよい地域である。

 この視点に立てば、人口減少という現象そのものを消すことができなくても、人口減少によって住民の人生の選択肢まで狭くなることは、ある程度防げるかもしれない。

 地域の価値とは、何人を新しく集めたかだけで決まるものではない。そこに暮らしたいと思った人が、その願いを交通や買い物、医療や教育、仕事や生活環境といった事情だけで諦めずに済むことにも、確かな価値がある。

 これからの地方が競うべき数字は、人口だけではないのだろう。「この地域には何人いるのか」という問いに加えて、「この地域では、どれだけの人が、自分の望む暮らしを選び続けられるのか」と尋ねてみる。

 人口が減る時代だからこそ、その問いは、そこに暮らしている住民にとって、人口増加という目標以上に切実な意味を持つことがある。

 人口を増やすことは、地域を維持するための重要な手段である。しかし、地域を維持することの最終的な目的は、人口という数字を守ることではなく、そこに暮らす人々の生活と選択肢を守ることにあるのではないだろうか。

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家は、売れなくなっても消えてはくれない

 人がいなくなったあとにも、家は残る。屋根は雨を受け、雨樋には落ち葉が詰まり、締め切られた部屋では湿気が壁紙の裏へ入り込んでいく。持ち主が亡くなったからといって住宅まで一緒に消えてくれるわけではなく、むしろ人の生活が終わったところから、建物だけの長い余生が始まることがある。誰も住まない家にも時間は流れ、手入れをしなければ少しずつ傷みが進んでいく。

 日本の空き家政策では、これまで「どう使うか」が重要な問いになってきた。空き家バンクへ登録して移住者へ売る、中古住宅として流通させる、賃貸住宅や店舗、地域施設へ転用するなど、さまざまな取り組みが進められている。まだ十分に使える住宅を取り壊すより、次の利用者へ渡す方が経済的にも環境的にも合理的な場合は多く、こうした政策の必要性を否定する理由はない。

 しかし、人口が減り、住宅を必要とする世帯も減少していく地域では、使いたい人の数よりも、使われなくなった住宅の数が多くなることがある。住宅としての価値が残っていても、そこに住みたい人が現れなければ売買は成立しない。そこで空き家問題を売却や賃貸の仕組みだけで解決しようとすると、どれほど制度を整えても、次の利用者が見つからない住宅が残ってしまう。

 この問題を考えるとき、もう一つ必要になるのが、住宅を最後にどう処分するかという視点である。住宅は建てるときに費用がかかり、使っている間にも維持管理費がかかるが、役割を終えたときにも解体という支出が発生する。それにもかかわらず、住宅の取得時には建築費や住宅ローンが重視される一方で、数十年後の解体費用をどのように準備するかについては、制度的な議論が十分に進んでいるとは言いにくい。

900万戸の空き家は、すべて売れ残った住宅ではない

 総務省統計局の「令和5年住宅・土地統計調査」の確報によれば、2023年10月時点の全国の空き家は900万2千戸となり、総住宅数に占める空き家率は13.8%に達した。どちらも過去最高であり、空き家数は2018年から51万3千戸増加している。この数字だけを見ると、日本には膨大な数の売れ残った中古住宅が存在するように思えるかもしれない。

 しかし、900万2千戸の内訳を見ると、そのような理解が正確ではないことが分かる。賃貸用の空き家は443万6千戸、売却用は32万6千戸、別荘などの二次的住宅は38万4千戸であり、これらを除いた空き家は385万6千戸となっている。賃貸用住宅には入居者の交代に伴う一時的な空室も含まれ、別荘には日常的な居住者がいなくても利用されている住宅があるため、空き家という分類だけで管理不全や市場価値の喪失を判断することはできない。

 一方、賃貸用、売却用、二次的住宅を除いた385万6千戸は、2018年から36万9千戸増加している。この区分にも長期不在の住宅や取り壊し予定の住宅などが含まれるため、すべてを解体対象とみなすことはできないが、住宅として積極的に流通していない建物が増えていることは確認できる。政策として重要なのは、900万戸を一括して問題視することではなく、その中から再利用できる住宅、管理を継続すべき住宅、除却が合理的な住宅を適切に区別することである。

 さらに、人口減少社会では住宅需要の地域的な偏りが大きな問題となる。国立社会保障・人口問題研究所の2024年推計では、全国の一般世帯数は2030年ごろの約5,773万世帯をピークに減少へ転じ、2050年には約5,261万世帯になると見込まれている。これは全国の推計であり、すべての地域で同じ時期に世帯減少が始まるという意味ではない。都市部で世帯数が増える一方、地方ではすでに減少が進んでいる地域もあり、住宅需要の地域差を考える必要がある。

売るための制度には、買う人が必要である

 住宅市場が市場である以上、売却政策には必ず買い手が必要になる。人口が増えている都市や交通利便性の高い地域なら、古い住宅を改修して次の世帯へ引き継ぐ循環を期待できる。しかし、空き家が増えている背景そのものに人口減少や世帯減少がある地域では、空き家情報を充実させただけで住宅需要が増えるわけではない。

 例えば、ある地域で今後10年間に住宅として供給できる空き家が100戸発生し、同じ期間にそれらの住宅を購入または賃借する需要が10戸分しかなければ、仲介制度を改善しても100戸すべてを住宅として流通させることはできない。実際の住宅需要には、地元住民の住み替え、地域外からの移住、別荘利用、事業利用なども含まれ、住宅の立地や状態によって市場性も大きく異なるため、この例はあくまで需給関係を説明するための単純化である。それでも、供給される住宅に対して十分な需要が存在しなければ、流通政策だけで解消できない空き家が生まれるという基本構造は変わらない。

 しかも、住宅は自動車や家電製品のように、需要のある地域へ簡単に移動させることができない。土地と一体となった不動産である以上、住宅そのものの品質が高くても、人口減少が進む地域や生活利便性の低い場所では買い手が限られる。価格を下げれば必ず売れるとも限らず、買い手にとって改修費や将来の維持管理費が大きければ、建物価格がほとんど付かない住宅もあり得る。

 空き家バンクや移住支援制度には、潜在的な需要と供給を結び付ける役割がある。情報不足や取引費用の高さが原因で売れなかった住宅を流通させる効果は期待できるが、地域全体の住宅需要そのものが不足している場合には限界がある。したがって、空き家対策には住宅を市場へ戻す政策だけでなく、市場で引き受けられなくなった住宅をどう処分するかという政策も必要になる。

日本の空き家問題には、相続という構造がある

 空き家の多くは、不動産投資の失敗によって突然市場へ現れた住宅ではない。国土交通省が2025年8月に公表した「令和6年空き家所有者実態調査」によれば、調査対象となった空き家の57.9%は相続によって取得されたものであり、その相続空き家の7割超は1980年以前に建築されていた。また、相続によって取得された空き家について、人が住まなくなった理由を調べると、所有者などの死亡が58.3%を占めている。

 ただし、この調査は全国の空き家900万2千戸すべての所有者を直接調べたものではなく、住宅・土地統計調査の回答世帯から一定の条件で対象を抽出した調査である。そのため、相続による取得割合を全国の空き家総数にそのまま掛けて、全国の相続空き家数を確定することはできない。また、死亡が契機となった58.3%という数字も、相続空き家についての割合であって、空き家全体の割合ではない点に注意が必要である。

 こうした統計上の限界を踏まえても、相続が空き家発生の重要な契機になっていることは読み取れる。親が長年暮らした住宅を子どもが相続しても、子どもにはすでに別の生活や住まいがあり、親の家へ戻る予定がない場合がある。住宅は財産として引き継がれるが、その財産には屋根や外壁の補修、庭木の管理、固定資産税、そして将来の解体費用まで付いてくるため、相続人にとって必ずしも経済的な利益だけをもたらすものではない。

 とりわけ、築年数が古く、修繕費が大きく、住宅需要も少ない地域では、建物を相続しても積極的に活用する動機が弱くなる。土地には一定の資産価値が残っていても、建物については維持管理費や除却費を考慮すると、実質的な経済価値が非常に小さくなる場合がある。住宅を所有することは権利であると同時に将来の支出を伴う行為でもあり、相続によってその支出を負担する人が変わることが、空き家問題を複雑にしている。

解体費用は、空き家を処分しない理由の一つになっている

 住宅を解体しない理由として、費用が重要な障壁になっていることは所有者の回答からも確認できる。令和6年空き家所有者実態調査では、今後5年間程度、空き家として所有し続ける意向を持つ世帯に対し、その理由を複数回答で尋ねている。その結果、「物置として必要」が55.8%で最も多く、「解体費用をかけたくない」が47.3%、「住宅が古い」が37.0%、「更地にしても使い道がない」が34.8%、「取り壊すと固定資産税が高くなる」が28.2%となっている。

 理由を順位付きで尋ねた集計では、「解体費用をかけたくない」を第1位とした割合が14.2%、第2位とした割合が13.7%である。これらは複数回答の47.3%とは集計方法が異なり、単純に合算して解釈するものではない。それでも、解体費用を負担したくないという意向が、空き家を所有し続ける理由の一つになっていることは明らかである。

 ただし、ここから直ちに、解体費用を補助すれば47.3%の世帯が住宅を取り壊すと結論づけることはできない。調査が測定しているのは所有者の意向であり、実際の解体行動ではないうえ、物置としての利用や跡地の使い道、税負担など、複数の理由が重なっている場合もある。解体費用を無料にしても、家族の思い出や将来の利用可能性を考えて所有を続ける人がいる一方、解体費用の一部を準備できれば処分を決断する人もいるだろう。その違いを明らかにするには、費用負担と実際の行動との関係をさらに調べる必要がある。

 ここで注目したいのは、住宅の取得時点と処分時点の間に数十年という時間差が存在することである。住宅を使って便益を得た人と、その住宅を最後に処分する人が一致しない場合、解体費用が十分に準備されないまま次の世代へ引き継がれる可能性がある。住宅の最終処分という支出が、所有者の死亡や相続という時期の読みにくい出来事と重なって発生することも、問題を難しくしている。

住宅にも「最後の日」の費用を積み立てられないか

 そこで検討したいのが、住宅の所有期間中に将来の除却費用を準備しておく「住宅解体積立制度」である。住宅を建築または取得した段階から、将来の解体費用の一部を長期間にわたって積み立て、実際に解体するときにその資金を使えるようにする。相続や売却によって所有者が変わっても、原則として積立金を住宅とともに承継できる仕組みを設ければ、住宅を利用してきた期間に処分費用を少しずつ負担するという考え方が成立する。

 もちろん、このような制度が現在の日本で全国一律に導入され、その効果が実証されているわけではない。積立制度を導入すれば空き家問題が解決すると断定することもできず、ここから先は統計から直接導かれる事実ではなく、住宅の所有と処分に伴う費用負担のあり方についての政策仮説として考える必要がある。

 住宅の解体費用を将来の相続人へ任せるのではなく、その住宅を使っている期間から準備するという考え方には、経済学でいう費用の内部化という側面がある。住宅の利用によって利益を得る人が、その住宅を安全に処分するための費用についても一定の責任を負うことで、将来の所有者や地域社会へ負担を先送りする問題を小さくしようとするものである。

 ただし、積立によって将来の解体費そのものが安くなるわけではない。積立制度の基本的な効果は、まとまった支出を長い期間へ分散し、解体時の資金不足を軽減することにある。制度の管理費が発生すれば総費用が増える場合もあり、資金を長期間拘束することによる所有者側の負担も考慮しなければならない。それでも、ある日突然数百万円の支出を求められる状況と、何十年もかけて処分費用の一部を準備してきた状況とでは、所有者が選択できる対応が違ってくる可能性がある。

 制度の目的は住宅を積極的に壊すことではない。売れる住宅は売り、貸せる住宅は貸し、新しい用途が見つかる住宅は活用する一方で、住宅としての役割を終え、利用需要も見込めず、維持することが合理的でなくなった建物について、解体費用の不足だけを理由に処分できない状態を減らすことが目的なのである。

40年間の積立で、将来の解体費用は準備できるのか

 積立制度を考えるとき、実際にいくら積み立てればよいのかという問題は避けられない。例えば、年間3万円を40年間積み立てれば120万円、年間5万円なら200万円になる。これは利息や物価変動を考えない単純な計算であり、制度の基本的な仕組みを説明するには分かりやすいが、40年後の解体費用を十分に準備できることを意味するわけではない。

 仮に、現在200万円で解体できる住宅について、解体費用が毎年2%ずつ上昇すると仮定すれば、40年後の費用は約441万6千円となる。一方、年間5万円を40年間積み立てても、運用利回りがゼロなら200万円、毎年2%で複利運用できた場合でも約302万円にとどまる。この条件では、物価上昇率と運用利回りが同じ2%であっても、年間5万円の積立では必要な解体費用を賄えず、約140万円の不足が生じる計算になる。

 同じ条件で約441万6千円を40年間で準備するには、毎年末に約7万3千円を積み立てる必要がある。ただし、これは現在の解体費用を200万円、将来の費用上昇率と運用利回りをそれぞれ年2%と仮定した試算であり、実際の解体費用や将来の運用収益を予測した数字ではない。解体費用の上昇率が変われば必要な積立額も変わり、途中で住宅を解体することになれば積立期間も短くなる。

 現実の解体費用は、住宅の延べ床面積や構造だけでなく、重機が入れる道路の有無、隣家との距離、地形、廃棄物の運搬距離などによって大きく異なる。吹き付けアスベストなどの有害物質が見つかれば、調査や除去のために追加費用が発生する場合もある。こうした条件を考えると、全国すべての住宅に同じ積立額を設定する方法では、過大な負担となる住宅と、解体時に大幅な資金不足が生じる住宅が出てくる可能性がある。

 したがって、制度を設計するなら、建物の規模や構造、立地条件に応じた積立額の設定と、将来費用の見直しが必要になる。また、想定より早く解体する場合、住宅を長寿命化して使い続ける場合、災害で建物が失われる場合などにも対応できなければならない。積立金の運用方法についても、安全性と収益性を区別し、将来必要になる資金が大きく失われないようにすることが求められる。

家を壊しても、土地の問題が残る

 解体積立制度を考えるうえで、もう一つ見落とせないのが、住宅を取り壊した後の土地の扱いである。建物を除却すれば老朽化した住宅による倒壊や部材の飛散などの危険を減らせるが、土地そのものがなくなるわけではない。更地になった後にも、雑草や樹木の管理、境界の確認、固定資産税の支払いなどは残り、土地の需要が少ない地域では売却が難しい場合もある。

 とりわけ、住宅用地に対する固定資産税の特例は、所有者の判断に影響する。住宅が建っている土地では、原則として200平方メートル以下の小規模住宅用地に係る固定資産税の課税標準が固定資産評価額の6分の1、200平方メートルを超える部分の一般住宅用地では3分の1となる特例がある。住宅を取り壊して住宅用地ではなくなれば、通常はこの特例の対象から外れるため、解体後の税負担が増える可能性がある。ただし、実際の税額には負担調整措置などが関係するため、住宅を壊したら必ず固定資産税が6倍になるという理解は正しくない。

 空き家所有者実態調査で「更地にしても使い道がない」と回答した割合が34.8%、「取り壊すと固定資産税が高くなる」が28.2%だったことは、この問題を考えるうえで重要である。解体費用を準備できたとしても、解体後の土地を利用できず、税負担や維持管理費だけが残るなら、所有者が解体を先送りする可能性はある。つまり、積立制度だけでは除却を妨げるすべての要因を取り除くことはできない。

 政策として解体を促すなら、跡地をどのように管理し、どのような用途へ転換するかという問題も同時に考える必要がある。地域によっては駐車場や菜園、防災空地、隣接地への売却などが選択肢になり得るが、どの地域でも跡地利用の需要があるとは限らない。住宅の出口をつくることと、建物がなくなった後の土地の将来を考えることは、切り離せない課題なのである。

現在の空き家政策も「活かす」と「しまう」を重視している

 現在の日本に、住宅の除却を促す制度が存在しないわけではない。2023年12月13日に施行された改正空家法では、放置すれば「特定空家等」になるおそれのある住宅などについて、市区町村が「管理不全空家等」として指導や勧告を行えるようになった。勧告を受けた管理不全空家等の敷地については、固定資産税の住宅用地特例が解除される仕組みも設けられており、住宅が深刻な危険を及ぼす状態になる前から適切な管理や改善を促そうとしている。

 国土交通省も、空き家対策を「活かす」だけでなく「しまう」という言葉で説明している。売却や賃貸、用途転換によって住宅を活用する一方、老朽化などによって利用が難しくなった住宅については、解体して跡地を活用することも選択肢として示している。これは、住宅を残し続けることだけが空き家対策ではなく、役割を終えた住宅を適切に処分することも政策に含まれていることを意味する。

 除却への公的支援も存在する。2026年度の国土交通省の資料では、空き家再生等推進事業や空き家対策総合支援事業において、一定の条件を満たす除却などへの支援が示されている。例えば、対象事業で所有者が解体を実施する場合、補助対象となる費用について国が5分の2、地方公共団体が5分の2、所有者が5分の1を負担する枠組みが設けられている。

 もっとも、この負担割合は、一般の空き家なら全国どこでも所有者が費用の5分の1を支払うだけで解体できるという意味ではない。空家等対策計画の対象地区であることや、建物の状態、跡地利用などの要件があり、補助対象となる費用や上限額、自治体側の制度整備にも条件がある。実際にどの程度の補助を受けられるかは、住宅と自治体ごとの条件によって異なる。

 既存の公的支援と解体積立制度の違いは、費用を準備する時点にある。現在の補助制度が、政策上支援する必要が認められた除却に対して公費を投入する仕組みであるのに対し、積立制度は住宅を利用している時期から将来の処分費用を準備する。前者は一定の条件を満たす除却を支援し、後者は将来必要になる費用を時間の中へ分散させるものであり、両者は必ずしも対立する制度ではない。むしろ、積立金で賄いきれない費用や、特に公共的な必要性が高い除却を公的支援で補うなど、組み合わせて考える余地がある。

公費だけに頼る解体には、公平性と費用回収の問題がある

 危険になった住宅をすべて税金で取り壊せばよいという考え方もある。しかし、その方法を広く採用するなら、所有者間の公平性を考える必要がある。住宅を長年管理し、最後には自費で解体した人がいる一方で、管理を怠った住宅だけ公費で処分されるなら、適切に対応した人より放置した人が経済的に有利になる場合がある。そのような状況が一般化すれば、自分で費用を負担するより行政の対応を待とうとする誘因が生まれる可能性もある。

 ただし、ここで区別しなければならないのは、行政が解体することと、所有者の費用負担が免除されることは同じではないという点である。空家法に基づく行政代執行などでは、原則として所有者等に費用を請求し、徴収する仕組みが存在する。したがって、行政が危険空き家を取り壊したからといって、所有者が当然に解体費用を負担しなくてよいわけではない。

 一方で、所有者の資力が不足している場合や、所有者が不明で費用回収が困難な場合には、自治体側に負担が残る可能性がある。地域の安全を守るために行政が緊急対応を行うことには公共的な必要性があるものの、その費用を最終的に誰が負担するかという問題は別に残る。住宅を所有することによって得られる利益と、適切な管理や処分に必要な費用をどのように配分するかという視点が必要なのである。

 解体積立は、所有者に罰金を課すという発想とは異なる。将来必要になる処分費用を住宅の利用期間にわたって準備することで、費用負担が特定の相続人や自治体へ突然集中する事態を減らそうとするものである。ただし、積立義務を課すこと自体にも公平性の問題があり、低所得の所有者や高齢者、住宅需要の少ない地域の住民に過大な負担を与えない制度設計が求められる。

積立金を建物とともに引き継ぐ仕組みは簡単ではない

 住宅解体積立制度を実際に導入しようとすれば、積立金を誰が保有し、誰が管理するのかという法的な問題が生じる。日本の不動産制度では土地と建物が別個の不動産として扱われるため、資金を建物にひも付けるのか、土地にひも付けるのかによって仕組みが異なる。建物と土地の所有者が別である場合や、建物を建て替えた場合、相続人が複数いる場合などにも対応できなければならない。

 例えば、住宅が売却されたときに積立残高を次の所有者へ引き継ぐとするなら、その残高を住宅の売買価格にどのように反映させるかが問題になる。100万円の積立金がある住宅でも、買い手が住宅を100万円高く評価するとは限らず、将来の積立義務が残っていれば、その負担を購入価格から差し引いて考える可能性もある。積立金が存在することによる便益と、将来の負担が不動産価格へ及ぼす影響を、分けて検討する必要がある。

 さらに、積立金を所有者の一般財産から分離して安全に管理するなら、用途外の引き出しを防ぐ仕組みが必要になる。所有者が破産した場合、積立金を差し押さえられるのか、住宅が滅失した場合に残額をどう扱うのか、積立が不足した状態で売却されたときに誰が追加負担するのかという問題もある。現行の不動産登記制度だけで、積立金が建物の売買や相続に伴って自動的に承継されるわけではなく、確実な承継を実現するなら法制度上の整備が必要になる。

 将来の廃棄費用を事前に準備するという考え方自体は、他分野にも存在する。例えば、一定の事業用太陽光発電設備では、将来の廃棄等費用を確保するための積立制度が設けられている。ただし、住宅は所有形態や利用年数が多様であり、相続や建て替えも発生するため、他分野の仕組みをそのまま導入できるわけではない。住宅について実現するなら、既存制度との整合性を検討しながら、長期間にわたって資金を保全できる仕組みを構築する必要がある。

 加えて、すでに存在する古い住宅をどのように扱うかという移行問題も避けられない。新築住宅なら完成時から長い期間をかけて準備することができるが、築50年の住宅を所有する高齢者に突然高額の積立義務を課せば、住宅を処分できない人へ新たな負担を加える結果になりかねない。制度を導入するなら、新築住宅から段階的に始めるのか、既存住宅には任意積立や公的補助を組み合わせるのか、所得や建物の状態に応じた措置を設けるのかという慎重な判断が必要になる。

壊すことが、常に経済的にも環境的にも正しいわけではない

 住宅の解体を政策として考える場合には、費用負担だけでなく環境への影響も検討しなければならない。まだ十分に使用できる住宅を取り壊せば、建築時に投入された資材やエネルギーを利用し続ける機会が失われ、廃棄物の発生や運搬、処理による環境負荷も生じる。建設リサイクル法では、一定規模以上の解体工事について分別解体や再資源化が義務付けられているが、適切に再資源化したとしても、解体そのものに資源やエネルギーが必要なことは変わらない。

 一方、老朽化した住宅を維持し続けることにも費用や環境負荷があり、建物の状態によっては安全性の問題が生じる。修繕を重ねて長期間利用することが合理的な住宅もあれば、大規模改修に多額の費用をかけても十分な利用需要が見込めず、除却した方が社会的な負担を小さくできる住宅も考えられる。

 したがって、科学的には「古い住宅は壊すべきだ」「解体は環境に悪いから避けるべきだ」という一律の判断は適切ではない。建物の残存寿命、耐震性、改修費用、利用需要、解体費用、周辺環境への危険性などを比較し、建設から維持管理、最終処分までの環境負荷も含めて評価する必要がある。住宅ごとに異なる条件を無視して解体を促進するのではなく、維持、用途転換、除却のいずれが合理的かを判断できる仕組みが重要になる。

 その意味でも、解体積立制度は住宅を壊す方向へ所有者を誘導するための制度であってはならない。積立金の存在によって、本来なら活用できる住宅まで解体されるような仕組みは望ましくない。適切な条件の下で建物の再利用や安全な除却に資金を使えるようにすることも、制度設計上の検討課題になり得る。

積立制度の効果は、実際に検証しなければ分からない

 住宅解体積立制度には理論的に説明できる利点がある一方、導入した場合の効果については実証的な裏付けが必要である。解体費用を準備できるようになったとしても、所有者が実際に解体を決断するとは限らず、資金不足以外の理由で住宅を残し続ける可能性もある。反対に、解体資金が確保されることで早期に処分が進み、管理不全空き家の増加を抑えられる可能性も考えられるが、どちらの効果がどの程度生じるかは、制度を試さなければ判断できない。

 政策として検証するなら、まずは一定の地域や対象住宅において、任意参加の積立制度や解体費用の見積もり支援などを試行する方法が考えられる。その際には、積立金の残高だけを成果とするのではなく、所有者が住宅の将来について計画を立てた割合、売却や活用、除却に向けて行動した割合、実際の解体件数、積立不足額、管理不全空き家の発生状況などを継続的に調べる必要がある。

 ただし、制度に参加した所有者と参加しなかった所有者を単純に比較するだけでは、効果を正確に測定できない。もともと住宅の処分に関心が高い人ほど積立に参加する可能性があり、積立制度がなくても解体していた人が含まれるためである。制度を導入する地域と導入しない地域を比較する場合にも、人口減少率や住宅の老朽化、所得水準などの違いが影響するため、政策導入前後の変化を比較群との差によって検証する方法などが必要になる。

 また、制度を維持するための行政費用や管理手数料まで含めて評価しなければ、社会全体の経済的な効果は判断できない。積立制度によって解体時の資金不足が減ったとしても、その運営費用が大きければ別の方法の方が合理的な可能性がある。積立を義務化する制度だけでなく、任意積立、税制上の支援、既存の除却補助、相談体制の充実などを比較し、どの方法が少ない社会的費用で適切な住宅管理と除却につながるのかを検証することが重要である。

相続が始まる前に、住宅の将来を考えておく

 空き家問題が難しくなる理由の一つは、多くの家庭で住宅の将来について話し合う時期が遅いことである。令和6年空き家所有者実態調査では、相続空き家について、相続前に何らかの対策を行っていた世帯は23.0%にとどまり、77.0%では事前対策が行われていなかった。さらに、相続前の対策をしていなかった住宅では、活用や解体の意向がないまま空き家として所有していた割合が45.1%だったのに対し、対策をしていた住宅では29.4%となっている。

 この差から、相続前に話し合えば必ず空き家を減らせるという因果関係まで断定することはできない。もともと住宅の処分に関心が高い家庭ほど事前対策も行う可能性があり、立地や資産価値、家族構成なども影響していると考えられる。それでも、相続が発生してから初めて住宅の将来を考える場合には、家族間の意思調整や財産の整理、売却先の検討などを同時に進めなければならず、判断に時間がかかる可能性がある。

 国土交通省が日本司法書士会連合会などと共同で「住まいのエンディングノート」を作成したのも、住宅の将来を早い段階から考えるきっかけを提供するためである。そこでは、所有する土地や建物の情報を整理し、将来その住宅をどうしてほしいかを記録するとともに、家族が元気なうちから住宅の「活かし方」と「しまい方」を話し合うことが勧められている。

 住宅の将来について意思を残すことは重要だが、その意思を実行するための資金がなければ、売却や解体が難しくなる場合もある。住宅を引き継ぐ人へ建物の情報と所有者の希望を伝えるだけでなく、維持管理や処分に必要な資金をどのように確保するかまで考えておけば、相続人が判断する際の負担を軽減できる可能性がある。住宅のエンディングノートと住宅のエンディング資金は、別々の問題ではなく、住宅の将来を準備するための一連の課題として考えることができる。

「売るか、壊すか」ではなく、住宅に出口をつくる

 ここまで考えると、本当に必要なのは、空き家を売る政策をやめて、壊す政策へ切り替えることではないと分かる。住宅としての利用価値があり、買いたい人や借りたい人が存在するなら、市場へ戻す方が合理的な場合は多い。店舗や福祉施設、仕事場、地域拠点などへ用途転換できる住宅についても、改修費用と利用需要を踏まえながら活用の可能性を検討することが望ましい。

 一方で、住宅需要がなく、老朽化が進み、将来も利用される可能性が低い建物を、いつか誰かが買うかもしれないという期待だけで維持し続けることが合理的とは限らない。建物の状態が悪化すれば解体費用が増える場合もあり、近隣住民への危険や自治体の対応負担が生じる可能性もある。住宅を残すことによる利益と費用を冷静に比較し、利用する理由がなくなった住宅については、安全に処分できる選択肢を用意しておく必要がある。

 つまり、売却政策と除却政策は競争相手ではない。住宅として利用できる建物を市場へ戻す仕組みと、利用価値を失った建物を安全に処分する仕組みは、人口減少社会では相互に補完する政策として位置づけられる。そこに解体積立制度を組み込めるかどうかは今後の検証課題だが、住宅を建てるときから最後の処分までを一体として考える視点には意味がある。

 特に、人口減少が進む地方では、住宅の建設や取得を促す政策だけでなく、既存住宅の維持管理、売却、用途転換、除却、跡地管理までを含めた長期的な住宅政策が求められる。地域の人口や世帯数、住宅需要、道路条件、公共施設との位置関係などを分析し、どの住宅を残し、どの建物を活用し、どの住宅について除却を促すべきかを判断することが、これからの地域づくりの一部になっていくだろう。

家を建てる時代から、家の終わりまで考える時代へ

 日本では長い間、「家を持つ」ということには、財産を持つという意味が付いていた。住宅ローンを払い終えれば自分の資産になり、土地は残り、最後には子どもへ引き継ぐことができる。人口が増え、住宅需要が拡大していた時代には、こうした考え方が現実と一致する場面も多かった。

 しかし、人口が減る社会では、すべての家が同じ意味で資産になるとは限らない。売却価格がほとんど付かず、管理費と固定資産税がかかり、最後には解体費用まで必要になる住宅であれば、それは財産であると同時に将来の支出でもある。住宅の経済的な価値は建物そのものの状態だけで決まるのではなく、立地や利用需要、維持管理費、処分費用などを含めて判断しなければならない。

 これからの住宅政策も、住宅を建てるところだけで終わるわけにはいかない。人口が増えていた時代の地域づくりでは、道路を延ばし、宅地を造成し、住宅を建てることが発展の象徴だった。しかし人口が減少する地域では、既存の住宅や土地をどう維持し、どの施設を残し、利用されなくなった建物をどのように安全に処分するかという判断も重要になる。地域の将来を考えることは、新しく何かを増やすことだけでなく、すでに存在するものの役割を見直すことでもある。

 住宅解体積立制度は、そのための一つの政策仮説である。全国一律の義務制度が必要なのか、任意の積立や既存の補助制度を組み合わせる方が合理的なのか、現時点で結論を出すことはできない。制度の導入には法的な仕組みや資金管理、所有者間の公平性、住宅価格への影響など多くの課題があり、実際の効果についても検証が必要になる。

 それでも、住宅の最後に必要となる費用を、所有者が住宅を利用している時期から準備するという考え方は、人口減少社会の住宅政策を検討するうえで無視できない論点である。空き家をどう売るかという問題と同じくらい、どうしても売れず、再利用も難しくなった住宅を、誰がどのような費用負担で処分するのかという問題にも目を向ける必要がある。

 売れる家は次の人へ渡し、使える家は使い続け、新しい役割を持てる家は用途を変える。そして、どの選択肢も成立せず、住宅としての役割を終えた建物には、安全に処分するための資金と制度を用意する。この一連の仕組みが整って初めて、住宅の誕生から最後までを見通した政策に近づくことができる。

 900万2千戸という空き家の数字が問いかけているのは、どうすればもっと住宅が売れるのかということだけではない。私たちは住宅を建てるために住宅ローンを用意し、暮らしのリスクに備えて保険を考え、住宅を長く使うために修繕費を準備してきた。その一方で、住宅が最後に役割を終えたときの処分費用については、未来の所有者や相続人の判断に委ねてきた部分がある。

 人口が減っていくこれからの日本で必要なのは、空き家を売る制度を捨てることではない。売却や活用を進める制度の先に、どうしても利用できなくなった住宅を安全に処分できる出口をつくることである。

 家にも始まりがあるように、終わりがある。その最後の日の費用まで、家を所有するということに含めて考える時代が来ているのかもしれない。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

弊社では、住まい・車・移住などの大きな選択を、 費用や将来条件をもとに数字で比較し、判断できる形に整理しています。

数字で比較するサービスを見る

 地方の将来を語る資料を開くと、かなりの確率で最初に人口のグラフが現れる。現在何人が住んでいて、十年後には何人になり、若い世代を何人呼び込み、出生数をどこまで回復させるのか。右肩下がりの折れ線が描かれ、その傾きを少しでも緩くすることが地域政策の使命であるかのように話が進んでいく。人口が増えれば発展し、減れば衰退するという考え方は、自治体の将来計画だけでなく、地域を評価する私たちの感覚にも深く入り込んでいる。

 それは決して不合理なことではない。人が減れば商店の客は減り、公共交通の利用者も少なくなる。広い地域に道路や水道管が張り巡らされたまま住民だけが減れば、一人当たりで支えなければならない社会基盤の費用も重くなりやすい。学校、医療、介護、商業にも一定の利用者や働き手が必要であり、人口は地域の持続可能性を考えるうえで欠かせない数字である。しかし、人口が重要な数字であることと、人口そのものを町の最終目標にすることは同じではない。

 人口が増えた町は、本当にそれだけで良い町になったと言えるのだろうか。反対に、人口が減った町は、その減少率に応じて住民の暮らしまで悪くなったと考えてよいのだろうか。人口減少が日本社会の日常になったいま、地域政策の目的と成果を測る物差しそのものを、改めて考え直す必要がある。

人口という数字が、いつの間にか町の成績表になった

 人口が増えることを自治体が望むのには理由がある。若い世代が入り、子どもが生まれ、住宅が建ち、店に客が来る。労働力の確保や税収の面でも有利になる場合が多く、人口増加期の日本では、人口と地域の発展はかなり近い方向を向いていた。その時代には、人口は町の勢いを測る便利な指標であり、人口増加を前提として道路、学校、上下水道、住宅地などを整備することにも一定の合理性があった。

 ところが、日本全体の人口構造が変わった。総務省統計局が2026年9月24日に公表した人口推計によれば、2026年9月1日現在の日本の総人口は概算で1億2265万人となり、前年同月より54万人、0.44%減少している。同時に公表された2026年4月1日現在の確定値では、総人口は1億2283万8千人で、前年同月より55万9千人減少した。内訳を見ると、日本人人口は86万人減少する一方、外国人人口は30万1千人増加している。これらは2020年国勢調査を基準とする人口推計であり、今後の国勢調査結果によって改定される可能性はあるものの、日本人人口の減少と外国人人口の増加が同時に進んでいる状況を示している。

 さらに、国立社会保障・人口問題研究所の「日本の地域別将来推計人口(令和5年推計)」では、2020年を基準とすると、2050年の人口が2020年以上になる市区町村は77、集計対象1728市区町村の4.5%にとどまる。一方、1651市区町村、95.5%では2020年を下回り、約6割の市区町村で3割以上減少し、約2割では半数未満になると推計されている。これは出生、死亡、人口移動などについて一定の仮定を置いた将来推計であり、2050年の人口を確定する予言ではない。また、2020年と2050年の比較であるため、その間のすべての年に人口が減り続けるという意味でもない。それでも、日本の大部分の自治体が長期的な人口減少を想定して政策を考える必要があることは、この数字から十分に読み取れる。

 この社会で、すべての町が人口増加だけを成功の条件にしたら何が起こるだろう。出生率の改善や海外からの人口流入もあるため、自治体人口の増減を単純なゼロサムゲームとみなすことは正確ではない。しかし、国内の若者や子育て世帯の転入を人口対策の中心に置けば、全国人口が減少するなかで、限られた転入希望者を自治体間で競う側面は強くなる。その競争によって住環境や行政サービスが改善されることもあるが、ほとんどの自治体が長期的には人口減少すると推計されている社会で、人口増加だけを町の合格条件にすれば、多くの地域が生活環境を改善しても、人口の数字だけで失敗と評価され続けることになる。

 問題は人口対策をやめるかどうかではない。人口を何のために維持したいのか、人口を維持することで住民のどのような生活を守ろうとしているのか。その政策目的と手段の順序を問い直すことである。

人が減ることと、暮らしが悪くなることは同じではない

 人口1万人の町を想像してみる。町には病院があるものの、車を運転できない高齢者が通院するには家族の送迎が必要である。駅はあるが列車は一時間に一本しかなく、スーパーまで歩けば四十分かかる。行政手続きには役場へ出向かなければならず、高校生の通学にも家族の車が欠かせない。人口だけを見れば、一定の規模を持つ町であっても、住民が日常生活で利用できる選択肢は限られている。

 十年後、その町の人口が8000人になったとしよう。人口だけを見れば20%の縮小である。ところが、その十年間に予約型の乗合交通が整備され、診療所と基幹病院の連携が進み、日用品を自宅まで届ける仕組みが定着したとする。行政手続きの多くを自宅から行えるようになり、中心部では徒歩圏内に住宅、商業、医療などの機能がまとまり始めた。さらに、これらのサービスを無理のない費用で利用できるのであれば、人口は減少していても、そこで暮らす住民の生活は以前より便利になっている可能性がある。

 反対の町も考えられる。人口が1万人から1万500人に増えたものの、住宅地が郊外へ広がり、自動車がなければ生活できなくなり、中心部の商店が減り、道路や上下水道の維持範囲だけが広がったとしたらどうだろう。500人増えたという数字は人口政策の成果かもしれないが、それだけで住民生活が改善したと結論づけることはできない。もちろん、人口増加によって商業や公共交通の需要が増え、生活環境が改善する場合もあるため、人口増加自体を否定する必要はない。

 これらは実在する自治体の実績を示したものではなく、人口と生活品質の違いを考えるための仮想的な例である。しかし、そこから分かるのは、人口の増減と生活品質の変化を同じ指標で扱ってはならないということである。人口は町の規模や需要の基盤を教えてくれるが、そこで暮らす人がどのような一日を送れるのかまでは教えてくれない。人口と生活品質は無関係ではないものの、同じものでもない。この区別こそ、人口減少時代の地域分析に必要な視点である。

人口を「目的」から「条件」へ移してみる

 そこで、政策の順序を逆転させてみたい。町の最終目的を「人口を最大化すること」ではなく、「そこに暮らす人が、できる限り安心して生活を続けられる状態をつくること」と考えるのである。これは単なる理念ではなく、日本の地方自治制度とも整合する考え方である。地方自治法第1条の2第1項は、地方公共団体が住民の福祉の増進を図ることを基本として地域行政を担うと定めている。人口の維持や増加は正当な政策目標になり得るが、それ自体が地方自治体の法的な最終目的とされているわけではない。

 このように考えても、人口の重要性が失われるわけではない。人口は住民生活を支えるための重要な条件の一つになる。診療所には一定の患者数が必要であり、商店には一定の購買需要が必要である。公共交通には利用者が必要で、水道や道路にも維持費を負担するための財源が必要になる。ただし、その成立条件は人口何人という一つの数字だけでは決まらない。人口密度、年齢構成、所得、利用頻度、商圏の広さ、観光客や周辺地域からの利用、運営費、技術、行政支援などによって変わる。

 例えば、同じ人口5000人でも、住民が比較的狭い範囲にまとまって暮らす町と、広い山間部に分散して暮らす町では、商店や公共交通の運営条件が異なる。店舗の採算も自治体の人口だけで決まるのではなく、実際の利用者数、客単価、利益率、固定費、周辺地域からの集客などによって決まる。ただし、損益分岐点に近い事業では、わずかな需要減少が赤字への転落や撤退判断を左右することもある。人口規模を無視してよいのではなく、人口だけでサービスの存続可能性を判断することが不十分なのである。

 このように考えると、「人口1万人を守る」という目標の意味も変わる。なぜ1万人なのか。救急医療を一定時間以内に受けられる状態を維持するためなのか、商業を維持するためなのか、学校教育の選択肢を残すためなのか、あるいは上下水道の一人当たり負担を一定水準に抑えるためなのか。守りたい生活の条件が先にあれば、その実現に必要な人口規模や居住密度、財源、運営方法を検討することができる。ただし、すべての生活サービスについて必要人口を一つの数字として正確に逆算できるわけではないため、複数の人口シナリオを想定して検証することが現実的である。

 人口目標を捨てるのではない。人口目標より上位に、人口を維持する理由となる生活目標を置くのである。

人口が減ると、一人当たりの負担はどこまで増えるのか

 人口減少が地域財政に及ぼす影響を考えるときには、固定費と変動費の区別が重要になる。施設の管理費や設備の更新費には、利用者が多少減っても簡単には削減できない部分がある。例えば、年間の固定費が1億2000万円かかる公共施設を住民1万人で支えると仮定すると、一人当たりの固定費は年間1万2000円になる。同じ施設を人口8000人で支えれば1万5000円、5000人になれば2万4000円となり、固定費が変わらなければ人口の半減によって一人当たりの固定費は2倍になる。

 これは説明のための単純な計算であり、実際の自治体で人口が半減すれば住民の税負担が必ず2倍になるという意味ではない。公共施設の費用には利用者数に応じて増減する部分もあり、施設の縮小、統合、民間委託、自治体間の共同運営によって支出を変えられる場合がある。また、日本の地方財政には地方交付税制度があり、自治体の財源が住民の地方税負担だけで決まるわけでもない。それでも、人口が減少する一方で施設の規模や維持範囲が変わらなければ、財政運営上の負担が重くなりやすいという基本的な構造は残る。

 ここで重要になるのは、人口減少による費用増加を抑えるために、どのような方法でサービスを提供するかという視点である。ただし、施設の再編や公共交通の転換には初期投資や移行費用が必要であり、短期的には従来より支出が増えることもある。したがって、人口減少に対応した政策を評価する際には、導入費用だけでなく、将来の維持管理費や設備更新費を含めた長期的な費用と、住民が受けられるサービスの質を同時に比較する必要がある。

「何人いる町か」ではなく「何ができる町か」

 町の成績表を人口から生活品質へ広げるなら、評価の仕方も変わる。例えば、高齢になって運転免許を返納した翌朝を想像してみればよい。スーパーへ行く手段がなくなる町と、電話やスマートフォンで予約すれば乗合交通を利用できる町がある。同じ5000人の町でも、住民が持っている生活の可能性は異なる。ただし、予約型交通が存在するだけでは十分ではない。必要な時間帯に利用できるのか、予約が取れるのか、料金を負担できるのか、車いすなどを利用する人にも対応できるのかという条件まで確認して、初めて実際の利便性を評価できる。

 子どもが進学するときも、自宅から複数の学校を選べる地域と、一校がなくなれば長距離通学や転居が必要になる地域では、生活の条件が異なる。病気になった場合も、自治体の境界内に病院が一つ存在するという事実だけでは十分ではない。住民が実際に受診できるのか、どのくらいの時間で治療へ到達できるのか、夜間や休日にも対応できるのか、専門医療が必要になったとき次の医療機関へつながれるのかという方が、生活の実態に近い。

 つまり、地域の価値は施設が存在するかどうかだけでなく、住民が必要な機能へ実際に到達できるかによって測る必要がある。買い物ができる、移動できる、医療を受けられる、教育を選べる、働ける、人と会える。そして、一つの店、一つの交通手段、一つの医療機関が利用できなくなったときにも、別の方法へ切り替えられる。この最後の代替可能性は、人口だけではほとんど見えない。

 人口8000人で複数の生活手段を利用できる町と、人口1万5000人でも一つのサービスに全面的に依存している町を比較すれば、後者の方が一つの撤退によって住民生活が大きく変化する場合も考えられる。もちろん、代替手段を複数維持するには費用も必要であるため、すべてのサービスを重複して持つことが望ましいわけではない。それでも、町の強さを評価するうえでは、平常時の便利さだけでなく、サービスの中断や撤退に対して生活を継続できるかという視点が重要になる。

世界でも人口や経済規模だけでは測れないという考え方が広がっている

 この考え方は、人口減少に悩む日本の地方だけから生まれたものではない。OECD(Organisation for Economic Co-operation and Development・経済協力開発機構)の地域ウェルビーイングの枠組みでは、所得、雇用、住宅、健康、サービスへのアクセス、環境、教育、安全、市民参加とガバナンス、地域社会、生活満足度という11の領域から地域の生活を評価している。GDP(Gross Domestic Product・国内総生産)などの経済統計だけでは社会の状態を十分に把握できず、人々が実際にどのような生活をしているかを多面的に見る必要があるという考え方である。

 さらに、OECDが2025年5月19日に公表した「Shrinking Smartly and Sustainably: Strategies for Action(人口縮小に賢明かつ持続可能に対応するための行動戦略)」は、人口減少を前提とした地域政策を正面から扱っている。この報告書では、人口減少を緩和する政策と、人口が減少しても生活サービスや地域の持続可能性を守るための適応政策を組み合わせる必要性が示されている。従来の人口規模に合わせた社会基盤を維持し続けるのではなく、土地利用、住宅、公共サービスの提供方法、自治体間の連携、財政制度などを人口構造の変化に応じて見直すという考え方である。

 ただし、この報告書が人口減少地域なら必ず生活品質を改善できると証明しているわけではない。人口減少の速度、人口密度、地理的条件、財政、人材などによって対応できる範囲は異なる。それでも、人口減少を直ちに政策の失敗とみなすのではなく、人口構造の変化に適応しながら生活を支えるという考え方が、国際的な地域政策研究でも具体的に検討されていることは重要である。

 日本でも同様の方向が見られる。内閣府の「満足度・生活の質に関する調査」は、日本の経済社会を人々の満足度、すなわちWell-being(ウェルビーイング・身体的、精神的、社会的に良好な状態や生活の充実)の観点から多面的に把握し、政策運営に活用することを目的としており、2026年7月31日には「満足度・生活の質に関する調査報告書2026」が公表された。

 さらにデジタル庁は、地域幸福度指標を地域のまちづくりにおける共通指標として活用し、市民、行政、事業者などが共通の目標を持つための仕組みを進めている。そこでは医療・福祉、買物・飲食、住宅環境、移動・交通、教育、雇用・所得、地域とのつながりなど24カテゴリーが扱われ、アンケートによる主観指標と、公開統計などを利用した客観指標の双方が用いられている。ただし、主観指標と客観指標には調査方法や更新時期の違いがあり、年度によってデータの整備状況も異なるため、比較する際には指標の定義や調査対象を確認する必要がある。

 人口だけでは町を測れないという考えは、もはや抽象的な理念だけではない。政策評価の枠組みそのものが、何人いるかという人口規模や、どれだけ生産しているかという経済規模だけでなく、人々が実際にどのような生活を送っているかを重視する方向へ広がっている。

ただし、人口を忘れて幸福度だけ見ればよいわけでもない

 ここで反対側へ振れすぎてはいけない。人口目標を批判した結果、人口など減っても構わない、幸福度だけ高ければよいと考えてしまえば、別の単純化に陥る。人口減少には現実の制約があり、商店には売上が必要で、医療機関には患者と医療従事者が必要である。公共交通には利用者と運転手が必要であり、ごみ収集、訪問介護、水道、道路などにも人員と財源が必要になる。とりわけ人口減少と高齢化が同時に進む地域では、医療や介護の需要が必ずしも人口に比例して減るわけではなく、サービスを提供する側の働き手が不足する問題も深刻になり得る。

 また、遠隔診療や予約型交通、行政手続きの電子化などは人口減少への対応策となり得るが、すべての問題を解決できるわけではない。救急医療や手術、身体介護などには対面での専門的なサービスが必要であり、電子的な仕組みを利用できない住民への対応も欠かせない。予約型交通を導入しても運転手を確保できなければ運行できず、交通事業者が撤退すれば、行政が相応の費用を負担しなければサービスを維持できない場合もある。

 したがって、人口が減っても生活品質を改善できるということは、どのような人口規模でも従来と同じサービスを維持できるという意味ではない。人口減少の速度が速く、居住地が広範囲に分散し、財政や人材の制約が大きい地域ほど、サービスの維持は難しくなりやすい。人口減少を前提とした政策には可能性がある一方、その可能性が成立する条件と限界を冷静に見極める必要がある。

町の大きさが変わるのに、町の形だけ昔のままでよいのか

 人口が1万人から5000人になったとき、問題になるのは5000人になったことだけではない。1万人だった時代につくった道路、水道、公共施設、住宅地、交通体系を、5000人で同じように支え続けようとすることが、財政面でもサービス面でも難しくなる場合がある。人口規模が変わったにもかかわらず、社会基盤の配置や運営方法だけが変わらなければ、住民一人当たりの負担が増え、施設の更新やサービスの維持が困難になっていく可能性がある。

 国土交通省が進める「コンパクト・プラス・ネットワーク」の背景にも、この問題がある。人口が減少したまま市街地が薄く広がれば、医療、福祉、商業などの生活機能や公共交通を維持することが難しくなるおそれがあるため、生活拠点や公共交通沿線への居住と都市機能の緩やかな誘導を進め、必要なサービスへのアクセスを確保しようという考え方である。都市再生特別措置法に基づく立地適正化計画制度なども、住民生活と都市経営の持続可能性を考えるための制度として整備されている。

 ただし、施設や住宅を中心部へ集めれば、すべてが解決するわけではない。住民が長年暮らしてきた土地には、住宅だけでなく、仕事、家族、地域とのつながり、土地への愛着がある。生活拠点への移転を希望しない人もいれば、経済的な事情から移転が難しい人もいる。中心部の利便性を高める一方で、周辺集落の住民が従来より長い距離を移動しなければならなくなれば、町全体の平均的な効率が改善しても、一部の住民には不利益が生じる。

 したがって、施設の数を減らして効率化することだけを目的にしてはならない。学校を再編したうえで通学手段を充実させ、医療機関の役割を整理したうえで基幹病院との連携や送迎を組み合わせ、利用者の少ない固定路線を予約型交通へ転換することによって、生活の利便性が改善する場合もある。しかし、こうした再編によってサービスの利用が難しくなる人がいないか、移動時間や費用がどの程度変化するか、行政が将来にわたって必要な財源を確保できるかを検証しなければならない。

 ここで見るべきものは、単に何を残したかではなく、何ができる状態を残したかである。施設の数ではなく実際に利用できる機能を測り、直線距離だけでなく移動時間や交通手段を考え、人口の規模だけでなく住民生活を評価する。そうした見方をすれば、縮小と衰退は必ずしも同義ではなくなる。

町の境界を越えて生活を考える

 人口減少が進む小規模自治体では、すべての生活機能を一つの自治体の中に確保することが現実的でない場合もある。病院、商業施設、高校、専門的な介護サービス、雇用の場などは、もともと複数の自治体にまたがる生活圏の中で利用されていることが少なくない。自治体の人口や施設数だけを比較すると不利に見える町でも、周辺地域との交通やサービスの連携が整っていれば、住民の生活環境を維持できる可能性がある。

 例えば、千葉県の御宿町、いすみ市、勝浦市、大多喜町を考える場合も、自治体の境界内に何があるかだけで生活の便利さを判断することはできない。住民は通勤、通学、買い物、医療などの目的によって自治体の境界を越えて移動するため、生活の実態に即した分析には、周辺自治体を含む施設配置、道路や鉄道の接続、公共交通の運行状況、実際の移動時間を把握することが必要になる。

 ただし、周辺自治体に施設が存在することと、それを住民が利用できることは同じではない。自動車を運転できる人にとっては近い病院でも、公共交通を利用する高齢者にとっては到達しにくい場合がある。自治体間の連携を評価するなら、施設の共同利用や財政負担のあり方だけでなく、住民が実際に移動できる手段まで確認する必要がある。人口減少時代の生活政策は、一つの自治体の中だけで完結するとは限らないのである。

「人を呼ぶ政策」と「出て行かなくてもよい政策」

 人口増加を最上位目標から一段下げると、移住政策の見え方も変わってくる。移住相談会を開き、住宅取得補助を設け、子育て世帯への支援を充実させ、一年間で100人の転入を実現すれば、成果として分かりやすい。しかし、転入した100人が五年後にもそこへ住んでいるかは別の問題であり、その一年に既存住民が120人転出しているなら、町の課題はどうやって100人呼ぶかという視点だけでは解けない。転入者数だけでなく、転出者数、年齢構成、転入後の定住状況を併せて確認する必要がある。

 なぜ出ていくのかを見ることも重要である。ただし、その理由には就職、所得、進学、結婚、家族、住宅、医療、交通、子育てなど複数の要因が重なっており、生活環境を改善すれば必ず人口流出が止まるというほど単純ではない。地域内に十分な雇用機会がなければ、住環境が良好でも若者が進学や就職を機に転出することはあるし、転出そのものが本人の希望や人生の選択である場合もある。すべての転出を政策上の失敗とみなすことも適切ではない。

 それでも、現在住んでいる人が、この町では暮らし続けられないと感じる原因を減らすことは、人口流出を抑える条件の一つになり得る。運転できなくなっても暮らせる、家族が病気になっても生活が破綻しにくい、子どもの教育を理由に転居しなくてもよい、仕事の形が変わっても住み続けられる。こうした条件を増やしていく政策は、派手な転入者数として現れにくいものの、地域に住み続けるという選択肢を支える役割を持つ。

 もっとも、「何人が出て行かずに済んだか」を正確に測ることは簡単ではない。ある住民が転出しなかったとしても、政策がなかった場合にも同じ地域に住み続けていた可能性があるため、転出しなかった人数をそのまま政策成果とみなすことはできない。政策によって転出をどの程度防げたかを評価するには、政策を実施していない比較可能な地域との違いや、政策前後の転出率の推移などを分析する必要がある。

 人口減少社会では、何人呼んだかという数字に加えて、住み続けたい人が住み続けられる条件をどこまで整えられたかを考える必要がある。移住促進と定住支援は対立する政策ではなく、地域の生活環境を改善するという目的のもとで、相互に補完する関係として考えることができる。

100人増えた町と、1000人が便利になった町

 ここで二つの町を比べてみよう。一つの町は、一年間で移住者を100人増やした。もう一つの町では人口は増えなかったが、予約型交通を改善し、それまで自動車がなければ通院や買い物に苦労していた1000人の移動環境を改善した。人口だけを成果指標にすれば100人増えた町が上になるが、住民生活の改善を目的とするなら、どちらの政策成果が大きいかは簡単に決められない。

 100人の転入には、税収、地域経済、将来の担い手、地域社会の維持など、さまざまな効果があり得る。一方、1000人の移動環境改善には、通院、消費、社会参加、自立した生活など、幅広い効果が期待できる。しかし、人数だけでは両者を比較できない。1000人が年間に数分だけ便利になった場合と、100人が通院や買い物に深刻な困難を抱えていた状態から解放された場合では、生活への影響の大きさが異なる。また、それぞれの政策に必要な費用、効果が続く期間、対象者の年齢や生活条件も考慮しなければならない。

 行政の政策評価として比較するなら、単に恩恵を受けた人数だけでなく、一人当たりの改善の大きさ、政策の総費用、効果の持続期間、他の住民への影響などを検討する必要がある。必要に応じて費用便益分析や費用効果分析を行うことも考えられるが、人との交流や住み慣れた地域で生活を続けられる安心感など、金銭的な価値に置き換えにくい効果もある。

 どちらの町が優れているかを、ここで一つの数字から決めることはできない。しかし、決められないという事実そのものが重要である。人口という一つの数字だけでは、町づくりの成果を十分に評価できないからだ。

生活品質を一つの数字にすれば解決するのか

 人口だけでは町を測れないなら、代わりに幸福度72点のような一つの指数をつくればよいと考えたくなる。しかし、それでは人口という単一指標を、別の単一指標へ置き換えただけになる。医療を重視する人もいれば、仕事を重視する人もいる。子育て世帯にとって重要な条件と、80歳の単身高齢者にとって重要な条件も同じではない。医療、交通、所得、安全、教育、自然環境などをどのような比率で一つの点数へまとめるかには価値判断が入り、重み付けを変えれば自治体の評価順位が変わる可能性もある。

 さらに、生活満足度は客観的な生活条件だけで決まるわけではない。所得や医療環境が同じでも、個人の期待、健康状態、家族関係、価値観などによって回答が異なる。また、人口減少地域で平均的な満足度が上昇したとしても、必ずしも同じ住民の生活が改善したとは限らない。生活環境に不満を持つ人が転出し、残った住民の満足度が高かった結果として平均値が上昇する可能性もあるため、住民構成の変化と生活条件そのものの改善を区別する必要がある。

 アンケート調査には統計的な不確実性もある。例えば、住民から無作為に100人を抽出し、そのうち50人が生活に満足していると回答した場合、標本の満足割合は50%になる。しかし、単純無作為抽出などを仮定した95%信頼区間は概算で約40%から60%となり、自治体全体の満足割合まで正確に50%だと判断できるわけではない。実際の調査では回答率、年齢構成、回答しやすい人としにくい人の違いなども影響するため、数ポイントの変化をそのまま政策成果と評価することには慎重でなければならない。

 こうした問題を考えると、人口目標から生活品質目標へ移ることは、人口という一つの数字を捨て、幸福度という別の一つの数字を採用することではない。むしろ、町は一つの数字では測れないと認めることである。デジタル庁の地域幸福度指標も、自治体を単純に順位付けすることより、地域自身が特徴や課題を把握し、まちづくりに活用することを重視している。

 人口、所得、医療への到達時間、移動手段、買い物環境、住宅負担、教育機会、安全性、住民の満足度。それらを組み合わせ、どこが改善し、どこが悪化しているのかを見ることが必要になる。評価は少し面倒になるが、暮らしそのものが一つの数字で表せない以上、その複雑さを引き受けなければ、本当の意味で町を測ったことにはならない。

「暮らしやすくなった」をどうやって測るのか

 生活品質を自治体の政策目標にするなら、理念を掲げるだけでは不十分である。例えば、車を運転できない住民のうち、公共交通などを利用して買い物や通院ができる人の割合、一般診療や救急医療へ到達するまでの時間、子どもの通学時間、住宅と交通を合わせた生活負担、社会参加の機会などを具体的に測る必要がある。また、政策の前後で何が変わったかを確認できるよう、目標を設定する前に現状値を把握しておくことも欠かせない。

 医療を例にすれば、町内の病院数だけでなく、住民のうち何%が一定時間以内に医療機関へ到達できるかを調べる方が生活の実態に近い。ただし、一般診療、救急医療、専門医療では必要な条件が異なるため、それぞれを区別する必要がある。公共交通についても、路線数や便数だけではなく、実際に乗車できる時間帯、予約の取りやすさ、運賃、目的地への到達時間、乗り継ぎの負担などを確認することが重要になる。

 さらに、平均値だけを見ていても地域内の格差は分からない。例えば、町全体の病院への平均到達時間が30分から25分へ短縮されても、周辺集落では40分から60分へ延びている可能性がある。平均値が改善したことと、すべての住民の条件が改善したことは同じではない。政策評価では、平均的な住民だけでなく、移動に長い時間を要する住民、免許を持たない高齢者、障害のある人、低所得世帯などの状況を分けて確認する必要がある。

 また、指標の改善が政策によって生じたかどうかを確かめる視点も欠かせない。例えば、公共交通の利用者が増えた場合でも、運行改善の効果なのか、運転免許を返納した高齢者が増えたためなのか、燃料価格の上昇など別の要因によるものなのかは、その数字だけでは分からない。可能であれば、政策を実施していない地域との比較や、政策実施前からの傾向を分析し、人口構成や社会経済環境の変化も考慮することが望ましい。

 生活品質を測ることは、幸福度という抽象的な感覚を無理に点数化することではない。住民が実際に何をできるようになり、何ができなくなり、どの程度の費用や時間を負担しているのかを、可能な範囲で具体的に把握することである。人口だけに頼らない政策評価を実現するには、こうした測定方法を整えることが重要になる。

「人口目標」をなくすのではなく、その上位に生活目標を置く

 ここまで考えると、自治体の将来計画の書き方も変わってくる。従来の発想では、十年後の目標人口を決め、その人口を実現するために移住、子育て、産業、住宅などの政策を並べることが多い。これに対して、最初に十年後の住民生活をどのような状態にしたいのかを定め、その実現に必要な人口、財源、施設配置、公共交通、雇用環境などを考えるという順序がある。

 例えば、十年後も車を運転できない人が買い物と通院を続けられる町にする、必要な救急医療への到達条件を維持する、子どもが教育機会を失わないようにする、住宅と交通を合わせた生活負担を過度に増やさない、高齢になっても地域とのつながりを保てるようにする。こうした生活目標を具体化し、それを実現するためにどの程度の人口や財政規模が必要なのか、どの地域に施設や住宅を誘導するのか、何を維持し、何を統合し、どのサービスを別の方法へ置き換えるのかを検討する。

 もちろん、将来人口は政策によって自由に決められるものではない。出生、死亡、転入、転出はそれぞれ異なる要因によって動くため、人口が目標どおりに推移することを前提として生活サービスを設計すれば、実際の人口減少が予想より速かった場合に計画が成り立たなくなるおそれがある。そのため、人口が比較的緩やかに減る場合、想定どおりに減る場合、想定以上に減る場合など、複数のシナリオを用意し、それぞれの条件でも最低限必要な生活機能を維持できるか確認することが望ましい。

 人口政策と生活品質政策は対立するものではない。人口を増やすことによって生活サービスを維持できる場合もあれば、生活サービスを改善することによって転出を抑えたり、新たな住民に選ばれたりする場合もある。重要なのは、人口と生活品質が互いに影響し合うことを認識したうえで、人口増加だけを最終成果とせず、住民生活の改善と地域運営の持続可能性を同時に評価することである。

小さくなることと、貧しくなることは同じではない

 人口減少という言葉には、どこか敗北の響きがある。人口3万人だった町が2万人になり、六つあった学校が四つになり、商店が閉まり、公共施設が統合される。地図から何かが消えるたびに、町が少しずつ失われているように見える。その感覚を軽く扱うべきではない。学校にも商店にも、人の記憶があり、地域の歴史がある。効率だけで地域を切り分ければよいわけではなく、施設の統合や撤退によって失われる人間関係や地域文化も考慮する必要がある。

 それでも、残した施設の数だけで住民生活を測ることもできない。六校をそのまま維持した結果、どの学校も極端な小規模化に直面するなら、四校へ再編して通学環境や教育内容を充実させるという選択肢もある。ただし、少人数教育に固有の利点もあり、統合すれば必ず教育の質が高まるわけではない。学習環境、通学時間、教員配置、地域とのつながり、統合に必要な費用などを総合的に比較して判断する必要がある。

 公共交通についても同じである。利用者が極端に少ない固定路線を維持するより、運行方法を見直した方が便利になる場合はある。しかし、予約型交通への転換によって利用時間や利用対象が制限されるなら、従来の路線を必要としていた人が不便になる可能性もある。施設や路線を減らすこと自体を成果とするのではなく、その後に住民がどのような行動を取れるようになったのか、どのような不利益が生じたのかを検証することが大切である。

 何かが減ったから、必ず貧しくなったとは限らない。しかし、何かを減らせば必ず効率的になり、暮らしが良くなるわけでもない。人口減少への対応で問われるのは、減らすことの是非だけではなく、何を守り、何を変え、その結果として住民生活がどのように変化するかである。

人口が増えなくても町を良くすることはできるのか

 最初の問いに戻ろう。人口が増えなくても町を良くすることはできるのか。理論的には可能であり、人口が減少しても、施設配置、交通、医療、行政サービスなどの改善によって、住民の生活条件が向上する余地はある。ただし、それが実際に実現できるかどうかは、人口減少の速度、年齢構成、居住密度、財政、人材、周辺自治体との連携などに左右される。人口が減っても暮らしは必ず良くなると考えることも、人口が減れば暮らしは必ず悪くなると決めつけることも、どちらも適切ではない。

 人口はこれからも地域分析に欠かせない。出生数、死亡数、転入者数、転出者数、高齢化率、生産年齢人口、世帯構成などを見なくなれば、むしろ町の現実を見誤る。しかし、それらは町の状態を把握し、将来の政策を考えるための重要な情報であって、住民生活の価値そのものではない。人口5000人でも安心して暮らせる町と、人口1万人でも車を失った瞬間に生活が難しくなる町があるなら、私たちが本当に知りたいのは人口の多さだけではなく、その数字の中で人がどのような一日を送れるのかということである。

 これからの地方自治体の政策評価では、昨年より何人増えたかという問いに加えて、昨年より何人が暮らしやすくなったか、どのような不便が解消され、どのような負担が増えたのか、そして、その改善を将来にわたって維持できるのかを問う必要がある。そのためには、人口の目標値だけでなく、医療や交通への到達可能性、教育機会、住宅負担、社会参加、財政の持続可能性などを継続的に測定し、政策の効果と限界を検証していくことが求められる。

 人口を増やそうとする努力は必要である。移住政策も、子育て支援も、産業政策も重要であり、人口減少を緩和できる可能性を最初から放棄する必要はない。ただし、その目的を見失ってはいけない。町は人口表の数字を増やすために存在しているのではなく、人が暮らすために存在している。地方自治の基本にある住民の福祉の増進という考え方も、突き詰めればそのことにつながっている。

 朝起きて、食べるものを買い、必要なら病院へ行き、誰かと話し、働き、学び、年を取って車を運転できなくなった後も、できれば住み慣れた土地で一日を終える。そうした何でもない日常を、無理のない費用と持続可能な仕組みで支えていくことが、人口減少時代の地域政策に求められる役割なのではないだろうか。

 人口を増やす政策から、人口を増やすことも含めて普通の一日を守る政策へ。町を良くするとは、必ずしも昔の人口へ戻すことではない。人口が減少する現実から目をそらさず、必要な機能を維持できる条件を見極めながら、そこで暮らす人の選択肢と生活の可能性を守っていくことである。

 小さくなっても、そこで生きる人の暮らしまで小さくしない。そのために何を測り、何を守り、何を変えるのか。人口減少時代の町づくりは、その問いから始めるべきなのだろう。

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