地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 車で町を走っていると、市町村の境界は意外なほどあっけない。「ここから○○市」という標識が1枚立っているだけで、道路の幅も景色もほとんど変わらないことがある。しかし、その見えない線の両側では、行政を担当する市町村が変わり、消防や救急を担当する組織も変わることがある。では、その境界のすぐ近くで人が倒れたらどうなるのだろう。数百m先には隣の市の消防署があるのに、自分の市の遠い消防署から救急車が来るまで待たなければならないのか。さらに、救急車に乗ったあと、市町村境を越えたところに適切な病院があっても、そこで引き返さなければならないのだろうか。

 結論からいえば、救急車にとって市町村境は「越えてはいけない線」ではない。ただし、全国の救急車が行政区域に関係なく自由に走り回っているわけでもない。日本の消防制度には市町村を基本単位とする仕組みがあり、その上に、必要に応じて境界を越えて助け合う仕組みが重ねられている。さらに患者を病院へ運ぶ段階になると、市町村の境界よりも、患者の状態に対応できる医療機関がどこにあるのかという別の条件が重要になる。この構造を理解すると、普段ほとんど意識することのない「消防と救急の地図」が見えてくる。

救急車には、まず「担当する地域」がある

 日本の消防は、基本的には市町村が責任を持つ制度になっている。消防組織法第6条では、市町村がその区域における消防を十分に果たす責任を有すると定められており、救急業務もこうした市町村消防の仕組みの中で運用されている。ただし、実際には1つの市町村が単独で消防本部を持っている場合だけではなく、複数の市町村が一部事務組合などをつくり、複数市町村を1つの消防本部が担当している場合もある。

 ここで、この記事を読むうえで重要な違いが生まれる。「市町村の境界」と「消防本部の管轄境界」は、必ずしも同じではないのである。たとえばA市とB町が同じ消防本部の管轄に入っていれば、救急車がA市からB町へ走ったとしても、市町村境は越えているが消防本部の管轄は越えていない。この違いを無視すると、消防庁が公表している「管外搬送」という統計を「市町村外への搬送」と誤解してしまうため、救急車が境界を越える問題では、この2つの境界を分けて考える必要がある。

 私たちは住所を見ると、市と町の境界を明確なものとして考えがちだが、救急という視点から地域を見ると、行政の地図とは少し違う地図が重なっている。同じ消防本部の管内なら、市町村境を越えても同じ組織の救急車が活動することがあり、反対に隣り合う地域でも消防本部が異なれば、そこには消防行政上の管轄境界が存在するのである。

隣の消防署の方が近かったらどうなるのか

 ここで素朴な疑問が生まれる。自宅から10km離れた自分の地域を担当する消防署より、2km先にある隣の消防本部の消防署の方が近い場合である。心停止や重い脳卒中など、時間が重要になる場面で、行政区域だけを理由に遠い救急隊の到着を待つ仕組みでは不合理が生じる可能性があるため、日本の消防制度には市町村や消防本部の境界を越えて消防力を補完する仕組みが設けられている。

 消防組織法第39条では、市町村は必要に応じて消防について相互に応援するよう努めなければならないとされており、これを背景として消防相互応援協定が整備されている。消防庁によれば、現在ではすべての都道府県で、都道府県内の市町村や消防の一部事務組合などが参加する消防相互応援協定が締結されている。つまり日本の消防制度は、「自分の区域は自分で守る」という原則だけで成り立っているのではなく、必要な場合には境界を越えて消防力を補い合う仕組みまで含めて構成されているのである。

 さらに、消防指令業務を共同で行っている地域などでは、管轄境界付近で、災害現場により近い消防署や救急隊を出動させる運用が行われる場合がある。ある消防本部で出動可能な隊がなくなった場合に、別の消防本部の隊を出動させる仕組みが導入されている地域もあり、行政区域と実際の出動区域を完全に一致させないことによって、消防力を効率的に利用しようという考え方である。

 ただし、ここで「119番をかければ、行政区域に関係なく必ず最も近い救急車が来る」と考えるのは正確ではない。実際の出動は、それぞれの消防本部の出動計画、消防相互応援協定、共同指令の有無、救急隊の配置や出動状況などによって異なるため、市町村境の向こう側に消防署が見えているからといって、その消防署の救急車が必ずこちら側へ来るわけではない。住民自身が消防制度を判断して出動先を指定するのではなく、119番通報を受けた指令側が地域の運用ルールとその時点の状況に基づいて出動隊を決めることになる。

救急車に乗ってから市町村境を越えることも珍しくない

 今度は話を逆向きにしてみよう。隣の地域から救急車が来る場合ではなく、自分の地域で患者を収容した救急車が、隣の地域へ患者を運んでいく場合である。こちらは救急医療を考えるうえで、さらに重要な意味を持っている。

 救急搬送で問題になるのは、患者がどの市町村の住民なのかだけではなく、その患者の状態に対応できる医療機関がどこにあるのかということである。自宅から最も近い病院が、必ずしも適切な搬送先になるわけではない。患者の症状や重症度によって必要となる診療機能は異なり、医療機関側の受入状況もその時々で変わるため、結果として救急車が消防本部の管轄区域を越えて患者を搬送することがある。

 消防庁の2021年の統計では、救急車による搬送人員は549万1,744人で、このうち出動した救急隊が所属する消防本部の管轄外にある医療機関などへ搬送された人は95万6,723人、全体の17.4%だった。計算すると約5.7人に1人となるため、およそ6人に1人が管外の医療機関などへ搬送されたことになる。

 ただし、この17.4%を「救急患者の17.4%が市町村境を越えた」と読むことはできない。ここでいう「管外」とは、救急隊が所属する消防本部の管轄外という意味であり、市町村の外という意味ではないからである。複数の市町村を1つの消防本部が担当している地域では、救急車が市町村境を越えて病院へ向かったとしても、その病院が同じ消防本部の区域内にあれば統計上は「管内搬送」になる。この違いは細かな制度上の話に見えるが、統計を正しく読むためには欠かせない。

人口5万人未満では、管外搬送が約半数になる

 さらに興味深いのは、消防本部の人口規模によって管外搬送率が大きく異なることである。2021年の消防庁統計で単独消防本部を人口規模別に見ると、大都市では管外搬送率が5.5%だったのに対して、人口30万人以上では11.7%、10万人以上30万人未満では21.6%、5万人以上10万人未満では41.1%、5万人未満では50.3%となっている。人口規模が小さくなるにつれて管外搬送率が高くなる傾向は明瞭であり、消防庁自身もその傾向を指摘している。

 大都市の5.5%と人口5万人未満の50.3%を単純に比率で比較すると、50.3を5.5で割った値は約9.1となるため、人口5万人未満の単独消防本部では、大都市と比べて管外搬送となる割合が約9.1倍だったことになる。ただし、これは「小規模地域の救急体制が9.1倍悪い」という意味でも、「住民が9.1倍危険である」という意味でもない。比較しているのは、あくまでも搬送された患者のうち管外の医療機関などへ運ばれた割合である。

 しかも、この傾向は2021年だけに偶然現れたものではない。人口5万人未満の単独消防本部における管外搬送率を見ると、2009年には47.7%、2013年には48.8%、2015年には49.1%、2021年には50.3%となっており、長期間にわたっておおむね半数前後という高い水準が続いている。単年度の特殊事情だけでは説明しにくい安定した傾向が見られることから、小規模な消防本部において管外搬送が重要な役割を持っていることは、統計的にも確認できる。

では、なぜ人口の少ない地域ほど管外搬送が多いのか

 ここで「人口が少ないから病院が少なく、管外搬送が増えるのだ」と考えたくなる。確かにその説明には現実的な説得力があり、地域内ですべての診療機能を持つことが難しい地域では、隣接地域の医療機関との連携が重要になると考えられる。しかし、統計学的には、ここで一度慎重になる必要がある。

 消防庁の人口規模別統計から直接確認できるのは、「人口規模の小さい単独消防本部ほど管外搬送率が高い傾向がある」という関連であって、「人口が少ないことが原因となって管外搬送が増えている」という因果関係まで証明したものではない。医療機関の数や診療機能だけではなく、消防本部の面積、道路網、地形、隣接都市との距離、地域の医療圏、病院の受入体制など、さまざまな条件が同時に影響している可能性があるからである。

 それでも、人口5万人未満の単独消防本部で約半数が管外搬送となっている事実は、小規模な地域の救急医療を考えるうえで重い意味を持つ。少なくとも、消防本部の管轄区域だけで救急搬送を完結させることが難しい地域が少なくないことを示しており、隣接地域の医療機関を含めた広域的な救急医療の仕組みが、地域住民の生活を支えていることが数字から読み取れる。

管外搬送率が高いことは「悪いこと」なのか

 ここにはもう1つ、数字を読む際の落とし穴がある。管外搬送率が50%を超えていると聞けば、「その地域には病院がなく、救急体制が弱いのではないか」と考えたくなるが、管外搬送率の高さだけから救急体制の良し悪しを判断することはできない。

 たとえば市町村境や消防本部の管轄境界付近に住んでいて、区域内の病院より隣接地域の高度な医療機関の方が近い場合、あえて管外へ搬送した方が合理的なことがある。地域内に必要な診療機能がない患者を、適切な治療のできる地域外の医療機関へ迅速に運べているのであれば、高い管外搬送率は広域的な医療連携が機能している結果とも考えられる。

 逆に、管外搬送率が低いからといって、それだけで優れた救急医療体制だと判断することもできない。救急医療を評価するには、搬送距離や現場到着時間、病院収容までの時間、医療機関の受入能力、重症患者の転帰など、複数の指標を組み合わせて考える必要がある。管外搬送率は地域医療の構造を見るための重要な数字ではあるが、それ単独で地域の救急体制を採点する数字ではないのである。

市町村境より「どこで治療できるか」が重要になる

 人間の病気は行政区分を知らない。心筋梗塞になった患者の心臓が「ここは○○町だから町内の病院へ行こう」と判断することはなく、脳卒中も交通事故も市町村境で止まってはくれない。そのため救急医療では、行政区域とは別に、どこにどのような診療機能を持つ医療機関が配置されているのかという地域全体の構造が重要になる。

 ここまでを整理すると、救急車が境界を越える現象には、大きく異なる2つの場面があることがわかる。1つは、救急隊そのものが自分の通常の管轄区域を越えて応援に向かう場合であり、もう1つは、自分の管轄区域で患者を収容した救急車が、適切な医療機関を求めて管轄外へ搬送する場合である。前者には消防相互応援や共同指令などの仕組みが関係し、後者には患者の状態や医療機関の配置、受入状況などが関係するため、同じ「境界を越える救急車」に見えても制度上の意味は異なっている。

大災害になれば境界はさらに大きく越えられる

 そして災害の規模が大きくなれば、境界を越える仕組みはさらに広域になる。通常の市町村や消防本部だけでは対応できない事態では消防相互応援が行われ、それでも対応が難しい大規模・特殊災害では、都道府県の区域を越える広域的な消防応援体制が動くことになる。

 普段は町の消防署に置かれている1台の消防車や救急車も、大規模災害が発生すれば、行政区域を越えて連携する大きな消防ネットワークの一部になる。日常時には市町村という単位が消防行政の責任を明確にし、その単位だけでは対応できない状況では境界を越えて消防力を補完するという二重の構造が、日本の消防制度を支えているのである。

境界に住んでいる人ほど、この仕組みの意味は大きい

 市町村の中心部に住んでいると、市町村境と救急の関係を意識することはほとんどないかもしれない。しかし、市町村境に近い地域、とりわけ人口の少ない地域では事情が変わる。自分の自治体の中心部へ向かうより隣の市町村へ向かった方が病院や商業施設、鉄道駅などが近いという地理は十分にあり得るからである。

 ここでは行政区域と生活圏のずれが生まれる。買い物は隣の市、通院も隣の市、鉄道を利用するにも隣の市へ出るという生活をしている人にとって、市町村境は日常生活を分断する線ではない。救急医療についても同様であり、人口5万人未満の単独消防本部で管外搬送率が約半数に達しているという数字は、行政区域だけを眺めていては地域の医療を理解できないことを象徴しているようにも見える。

 人口減少が続く地域では、すべての市町村が消防力と高度な医療機能をそれぞれ単独で抱えることが難しくなる可能性があり、消防指令、救急隊、医療機関を市町村境を越えてどのようにつなぐかという問題は、今後さらに重要になるだろう。ただし、単純に行政区域を広げれば解決するわけではなく、現場到着までの時間、救急隊の配置、病院までの距離、地域ごとの人口分布などを踏まえて考える必要がある。

地図に引かれた線と、命を運ぶ道路

 「救急車は市町村境を越えられるのか」という問いだけなら、答えは「越えることがある」で終わる。しかし、その短い答えの背後には、日本の地方行政と救急医療が持つ興味深い構造が隠れている。

 消防は市町村を基本としているが、市町村境と消防本部の管轄境界は必ずしも一致せず、消防本部の境界を越える必要が生じれば相互応援などの仕組みがある。患者を搬送する段階では、さらに管轄区域を越えて医療機関へ向かうことがあり、2021年には全国の搬送人員の17.4%が管外搬送だった。人口5万人未満の単独消防本部に限れば50.3%に達しており、大都市の5.5%と比べると約9.1倍という大きな差がある。ただし、この数字は地域の救急体制の優劣を直接示すものではなく、地域の人口規模、医療機関の配置、道路や地理的条件、周辺都市との関係などが重なって生まれた結果として読む必要がある。

 道路を走っていると、「ここから○○市」という標識を救急車も通過する。その瞬間に車体が止まることも、サイレンが消えることもない。行政にとって市町村境は責任の範囲を定める大切な線である一方、救急医療にとって重要なのは、その線のどちら側にいるのかだけではなく、助けを必要としている人のところへどれだけ適切に消防力を届け、その人を必要な治療につなげられるかということである。

 地図には境界線が引かれている。しかし道路の上には、その線は描かれていない。救急車が見えない境界を越えて走っていく姿は、市町村という制度によって社会を整理することの必要性と、人の命を守る仕組みがその境界だけでは完結しないという現実を、同時に映している。

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 夜の町で救急車のサイレンを聞くと、その音は遠くから近づき、やがてどこかへ消えていく。都市に暮らしていれば、その救急車が町を離れたあとにも別の車両がどこかで待機しているように感じるかもしれない。しかし、人口の少ない地域では事情が異なる。一台の救急車が患者を乗せて遠くの病院へ向かった瞬間、その地域の救急対応能力が一時的に低下し、次の救急要請には離れた消防署から別の車両を向かわせなければならないことがある。

 人口減少時代の地域医療を考えるとき、病院や診療所の数、医師や看護師の人数には比較的目が向きやすい。しかし、救急車がどこに何台あり、その一台がどれほどの人口と土地を担当しているのか、さらに出動した救急車が再び次の患者に対応できるまで何分かかるのかは、普段の生活ではほとんど意識されない。119番へ電話すれば救急車は来るものだという感覚が強く、救急車そのものを一つの有限な地域資源として見る機会が少ないからだろう。

 ところが、救急車という資源には、きわめて単純でありながら避けることのできない制約がある。一台の救急車は同時に二つの場所へ行くことができず、一人の患者に対応している間、その車両と救急隊は原則として別の患者には対応できない。この当たり前の事実を出発点にすると、救急車の配置は単なる台数の問題ではなく、人口、面積、道路網、高齢化、救急需要、病院までの距離、そして時間が絡み合う地域構造の問題として見えてくる。

「人口2万人に1台」という数字だけでは測れない

 日本には救急自動車の配置について一定の目安がある。総務省消防庁の「消防力の整備指針」第13条では、人口10万人以下の場合、おおむね人口2万人ごとに救急自動車1台を配置することを基準としている。人口10万人を超える場合には5台を基礎とし、10万人を超える人口についておおむね5万人ごとに1台を加えるという考え方である。

 例えば人口2万人であればおおむね1台、人口6万人であればおおむね3台、人口10万人であればおおむね5台、人口20万人であればおおむね7台という計算になる。ただし、これは実際の地域で必要とされる台数を機械的に決定するものではない。指針は、昼間人口、高齢化の状況、救急出動の発生状況などを勘案することとしており、制度そのものが人口だけでは救急力を測れないことを前提としている。

 また、この基準は全国の住民に一定時間以内の救急車到着を保証するものでもない。人口2万人に1台という数字を満たしていても、出動が重なれば近隣からの応援が必要になり、道路条件が悪ければ到着時間は長くなる。つまり、配置基準を満たしていることと、救急対応能力に十分な余裕があることは、別の問題なのである。

 同じ人口2万人でも、数十平方キロメートルの平坦な市街地に住民が集まっている地域と、山間部や海岸沿いの数百平方キロメートルに集落が散らばっている地域では、一台の救急車が提供できるサービスの水準は異なる。また、働く世代や子育て世帯の多い地域と、高齢者の割合が著しく高い地域でも救急需要は変わってくるため、「人口2万人に1台」という数字は安全性の限界値ではなく、救急体制を考えるための出発点に近い。

本当の限界は「二件目」が発生したときに見える

 救急車1台が何人を支えられるかを考えるとき、年間の出動件数を365日で割って一日の平均件数を求めるだけでは、本当の余裕は分からない。救急要請は規則正しい時刻表に従って発生するものではなく、午前中に一件、午後に一件、夜間に一件というように均等に分散してくれるわけではないからである。

 ある地域で一日に三件の救急要請が発生するとしても、それぞれが十分な間隔を空けていれば、一台の救急車で対応できる可能性は高い。しかし、そのうち二件が同じ時間帯に重なれば状況は一変する。一台目がすでに出動していれば、二件目には近隣の消防署などから別の救急車を向かわせる必要がある。応援車両が近くにいれば到着時間への影響が小さい場合もあるが、離れた場所からの出動になれば、その距離が患者の待ち時間を延ばす要因となる。

 ここには、交通量や通信設備の混雑にも共通する性質がある。設備の使用率が低い間は多少の需要増加にも対応できるが、能力の上限に近づくほど、わずかな需要増加によって待ち時間や対応不能の確率が急激に高まりやすい。救急車も同じで、「平均的には処理できている」という状態と、「要請が重なっても十分に対応できる」という状態は異なる。

 救急体制に必要なのは、平均的な一日を問題なく処理できる能力だけではなく、偶然二件、三件と救急要請が重なったときにも、地域全体として対応を維持できる余力である。この余力がどの程度あるかは、単純な人口当たり台数からは見えにくい。

数理モデルで見る救急車1台の限界

 救急車の配置を数理的に考えるとき、参考になるのが待ち行列理論である。待ち行列理論とは、利用者や仕事が不規則に発生する状況で、処理能力、混雑、待ち時間などの関係を分析する数学的手法であり、救急車の配置や出動体制を研究する際にも応用されている。

 ここで、人口規模とは独立した仮想的な地域を考えてみよう。この地域では救急要請が一日平均3件発生し、一件の対応によって救急車が平均90分間、次の要請に対応できなくなるものとする。救急要請は時間的に独立して不規則に発生し、地域内の車両がすべて使用中の場合には、別の地域の救急車が担当すると仮定する。

 この条件で、救急車が使用中となる確率をアーラン損失モデルによって計算すると、地域内に救急車が1台しかない場合、救急要請が発生した瞬間にその車両が使用中である確率は約15.8%となる。一方、同じ需要に対して救急車を2台配置すると、2台とも使用中となる確率は約1.46%に低下する。

 この結果は、救急車が1台から2台になれば救急サービスの供給能力が単純に2倍になるだけではなく、同時出動によって地域内の車両が不足する確率を大きく減らせることを示している。ただし、これは一定の仮定に基づく数理モデルの結果であり、実際の自治体で同じ確率になるという意味ではない。救急要請の時間帯別の偏り、救急車の配置場所、近隣地域との相互応援などによって結果は変わる。

 さらに注目すべきなのは、一件当たりの拘束時間である。同じ一日平均3件という需要でも、一件当たりの拘束時間が60分であれば、1台体制で使用中となる確率は約11.1%だが、90分では約15.8%、120分では20.0%となる。出動件数が増えなくても、一件の対応に必要な時間が長くなるだけで、次の救急要請に地元の救急車が対応できない確率は上昇するのである。

 もっとも、この確率は患者に救急車が派遣されない確率でも、必ず到着が遅れる確率でもない。あくまで地域内の全車両が使用中となる確率であり、その際に別の救急車がどこから、何分で到着できるかは別途評価する必要がある。また、昼間に救急需要が集中する地域では、一日平均に基づく計算よりも、特定の時間帯の混雑が深刻になる可能性がある。

 このように救急車の能力は、単に何件の出動を処理できるかという件数の問題ではなく、一件にかかる時間と、次の要請が重なる確率によって左右される。救急車1台の限界を考えるうえで、平均出動件数と同じくらい重要なのが、使用中となる確率なのである。

面積が広がれば、一台の救急車は別の存在になる

 人口だけでは捉えにくいもう一つの制約が、地域の広さと道路条件である。人口2万人が駅を中心としたコンパクトな市街地に暮らしているのであれば、消防署から多くの住民のもとへ比較的短時間で到達できる。しかし同じ2万人が山間部や海岸線沿いに数十キロメートルにわたって散在している地域では、一台の救急車が同じ人口を担当していても、実際に提供できる救急サービスは大きく変わる。

 さらに重要なのは、地図上の直線距離と救急車が実際に走る距離が一致しないということである。山を越える道路、川を渡る橋、細い生活道路、曲がりくねった海岸道路、積雪、観光期の渋滞などが加われば、地図では数キロメートルしか離れていない集落でも、時間の上では遠い場所になる。

 仮に救急車が平均時速30キロメートルで10分間走ったとしても、進める距離は単純計算で約5キロメートルにすぎない。しかも実際の救急では、119番通報の受理、住所や状況の確認、出動指令、出動準備、交通信号や一般車両への対応、住宅の特定などが加わるため、消防署を中心に半径何キロメートルという円を描くだけで、安全に対応できる範囲を決めることはできない。

 人口密度が低いことは、地域によって救急活動の効率を低下させる要因となる。ただし、人口密度と到着時間が必ず反比例するわけではない。面積が広くても住民が幹線道路沿いに集まっていれば比較的短時間で到達できることがあり、面積が小さくても山や川によって道路が限られていれば移動時間は長くなる。また、人口減少によって遠隔地の居住者が減れば、地域全体の平均到着時間が短くなる可能性もある。

 問題は、人口が減少しても自治体の面積が縮むわけではなく、道路が短くなるわけでも、山や川がなくなるわけでもないことである。居住する集落が分散したまま人口が減少すれば、救急体制を維持するための地理的負担が大きく残り、少ない住民のために広い地域を守る必要が生じる。人口減少そのものよりも、人口減少後に住民がどこに残るのかという居住分布が、救急サービスの効率を左右するのである。

病院まで運ぶ時間が地域から救急車を奪う

 救急車の能力を考えるうえでもう一つ見落とされやすいのが、救急車の仕事は患者の家へ到着したところで終わらないという点である。救急隊は現場へ到着したあと、患者の状態を確認し、必要な処置を行い、搬送先を選定して病院へ向かい、医療機関へ患者を引き継ぐ。その間、原則として別の患者に対応することはできない。

 総務省消防庁の2024年の全国統計では、119番通報から救急車が現場へ到着するまでの平均時間は約9.8分だった。一方、通報から患者を医師へ引き継ぐまでの病院収容所要時間は平均約44.6分である。私たちが「救急車が来るまでの時間」として意識する10分前後の時間よりも、その後の現場活動や搬送などに使われる時間のほうが長いことが分かる。

 ただし、この44.6分は救急車が次の出動に対応できるまでの全拘束時間ではない。医師への引き継ぎが終わったあとにも、病院からの引き揚げ、車内や医療資器材の整理、補充、移動などが必要になる場合がある。一方、必ずしも消防署へ帰るまで次の出動ができないわけではなく、病院からの帰路や移動中に新たな出動指令を受ける運用もあるため、帰署までの時間と再出動できない時間も厳密には区別しなければならない。

 参考になるのが東京消防庁の統計である。2024年の東京消防庁管内では、119番入電から帰署または帰所するまでの救急活動平均所要時間は109分30秒だった。これは全国平均ではなく、東京消防庁管内の活動状況を示す数字であり、地方部の拘束時間をそのまま推定できるものではない。しかし、医師への引き継ぎまでの時間だけで一件の救急活動全体を評価することが不十分であることは理解できる。

 消防署から患者宅まで10分で到着できる地域でも、そこから受け入れ可能な病院まで40分かかれば、救急車は長時間にわたってその地域を離れる可能性がある。逆に病院が近い地域でも、救急外来が混雑していたり、必要な診療科の受け入れが難しかったりすれば、搬送先の選定や医師への引き継ぎに時間を要することがある。

 したがって、救急車の能力を評価するには、消防署から患者宅までの時間、現場活動時間、病院までの搬送時間、医師への引き継ぎに要する時間、そして次の出動が可能となるまでの時間を分けて考える必要がある。近くに消防署があるから安心だとは限らず、その救急車が患者をどこまで運ばなければならないのか、どの時点で再び出動できるのかまで見なければ、地域の救急力を正確には評価できない。

人口が減っても救急需要は同じ割合では減らない

 人口減少地域では、一見すると人口が減れば救急車の必要台数も減らせるように思える。しかし、この考え方には人口構成を見落とす危険がある。救急需要は単純に人口の総数だけで決まるものではなく、年齢構成、疾病の発生状況、介護施設の配置、住民の健康状態などによって変化するからである。

 2024年に救急車で搬送された人のうち、65歳以上の高齢者は63.3%を占めた。2025年の速報値でも、高齢者の搬送人員は426万5,047人で、搬送人員全体の63.1%に達している。高齢者は若年層と比較して救急搬送される割合が高いことから、総人口が減少していても高齢者の割合が上昇すれば、人口一人当たりの救急需要が増える可能性がある。

 例えば人口2万人だった町が1万5千人になったとしても、その減少の中心が若者や働く世代で、高齢者人口がそれほど減っていないのであれば、人口が25%減ったからといって救急出動も25%減るとは限らない。転倒、急病、循環器疾患、呼吸器疾患などに伴う救急要請が一定程度残れば、救急車一台にかかる負荷は人口減少率ほど軽くならない可能性がある。

 この関係は、数理的にも説明できる。地域全体の年間救急需要を推計するには、年齢階層ごとの人口に、それぞれの救急搬送率を掛け合わせ、その結果を合計する方法が考えられる。年齢階層別の人口と搬送率が分かれば、単純に総人口の増減率を使うよりも、人口構造の変化を反映した需要推計が可能になる。

 ただし、高齢化が進む地域では必ず救急出動が増えると断定することもできない。高齢者人口そのものが減少する地域では、搬送率が高くても救急需要の総数は減る可能性があり、在宅医療や介護体制、疾病予防、救急車の利用行動などによっても結果は変わる。さらに、2025年の全国の救急出動件数は速報値で768万6,235件となり、2024年の771万8,380件から約0.4%減少している。長期的な需要増加傾向と、個々の年における増減は区別して考える必要がある。

 人口減少社会では、利用者の総数が減少しても、一人当たりのサービス需要や、一件のサービスを提供するために必要な時間と費用が同じ割合で減るとは限らない。救急車は、この人口減少時代の構造的な問題が分かりやすく現れる公共サービスの一つといえる。

救急車一台とは、一台の自動車ではない

 では、救急車を増やせば問題は解決するのかというと、話はそれほど簡単ではない。救急車を動かすには救急隊員が必要であり、24時間365日の運用を考えれば、一台の車両を購入して消防署の車庫へ置いただけでは、一台分の救急力を増やしたことにはならない。

 消防法施行令第44条では、救急隊は原則として救急自動車1台と救急隊員3人以上で編成することとされている。ただし、一定の条件を満たす場合には2人編成が認められるほか、過疎地域や離島では所定の実施計画に基づき、救急隊員と准救急隊員を組み合わせる制度もある。したがって、全国すべての救急車が例外なく同じ人数で運用されているわけではない。

 仮に3人の救急隊員を常時配置する場合、必要な勤務時間は年間で合計2万6,280人時となる。これは3人に24時間と365日を掛けた値であり、年間2,080時間勤務する職員に換算すると、約12.6人分の労働量に相当する。ただし、この計算は常時配置に必要な労働時間を示すものであり、実際に13人の専任職員が必要という意味ではない。勤務形態、他の消防業務との兼務、休暇、訓練、交替要員などによって、実際の人員配置は変わる。

 救急車を運用するには救急隊員だけでなく、救急救命士などの専門人材、通信指令、車両整備、医療資器材、教育訓練、病院との連携など、多くの仕組みが必要になる。救急車の台数を増やす政策を考える際には、車両購入費だけでなく、長期にわたる人件費や運用費、専門職員を継続的に確保できるかどうかまで評価しなければならない。

 実際、2025年4月1日時点で全国の消防本部が保有していた救急自動車は、非常用を含め6,727台だった。一方、設置されている救急隊は5,485隊である。両者の数が異なることからも、保有車両数がそのまま常時出動可能な救急車の数を意味するわけではないことが分かる。

 人口減少地域では、この人員面の制約が今後さらに重要になる可能性がある。住民人口が減るだけでなく、消防職員や救急救命士として働く世代そのものも減少するからである。救急車一台を維持するとは、自動車一台を所有することではなく、一年中いつでも救急サービスを提供できる組織を維持することなのである。

救急車は市町村の境界だけで動いているわけではない

 救急体制を地域単位で評価するとき、忘れてはならないのが消防行政の広域化である。日本の消防は市町村を基本単位としているが、実際には複数の市町村が共同で消防組織を運営する形態も広く採用されている。

 2025年4月1日時点で、救急業務を実施している全国1,690市町村のうち、1,114市町村は一部事務組合または広域連合による実施形態だった。したがって、ある町に救急車が一台しか配置されていないとしても、その町の救急対応能力が一台分に限られるとは限らない。同じ消防組織に属する近隣の署所から別の救急車が出動することもあり、地域全体で出動体制を調整できる場合がある。

 ただし、広域消防であれば必ず安心というわけでもない。隣接する消防署に救急車が配置されていても、その車両がすでに出動していれば、さらに遠くからの応援が必要になる。また、広域化によって組織管理や車両運用の効率が向上しても、救急車が実際に走る道路の距離まで短くなるわけではない。

 このため、地域の救急力を測る際には、市町村内の救急車台数だけでなく、消防本部全体の配置状況、近隣署所との距離、出動指令の仕組み、応援車両の到着時間まで含めて評価する必要がある。ある地域に一台しかないことよりも、その一台が出動したとき、代わりに何台の救急車がどこから対応できるのかが重要なのである。

都市は「件数」、地方は「距離」に追われる

 2024年には全国で約772万件の救急出動があり、2025年4月時点では全国に5,485の救急隊が設置されていた。異なる時点の数値を使った単純な概算ではあるが、一隊当たりの出動件数は年間約1,400件、一日平均では4件弱となる。ただし、この計算は全国の出動件数を救急隊数で割ったものであり、個々の救急隊の実際の出動件数や勤務負担を示すものではない。

 救急需要は時間的にも地理的にも均等に発生するわけではなく、都市と地方では一件の出動が持つ意味も異なる。都市部では人口や昼間人口が多いために救急要請が集中しやすく、短時間に複数の要請が重なれば、多くの救急車を配置していても不足することがある。一方、人口の少ない地方では出動件数そのものが少なくても、患者宅までの距離や病院までの搬送距離が長く、一件の要請によって救急車が長時間拘束される可能性がある。

 都市の救急車は「数」に追われ、地方の救急車は「距離」に追われるという表現は、両者の特徴を捉えた比喩といえる。ただし、都市部でも搬送先の選定や交通渋滞によって長時間拘束される場合があり、地方でも観光期や感染症の流行、熱中症の増加などによって救急要請が集中することはある。件数と距離は都市と地方を完全に分ける要素ではなく、どちらの地域でも両方を評価しなければならない。

 最終的には、都市でも地方でも同じ問題に行き着く。それは、救急要請が発生した瞬間に、対応できる救急車がどこにあり、何分で患者のもとへ到着できるのかという問題である。

平均到着時間だけでは地域の安全性を測れない

 救急体制を評価する際に広く使われるのが、119番通報から現場到着までの平均時間である。全国平均や自治体別の平均時間は地域間比較の一つの手掛かりになるが、平均値だけで地域の救急対応能力を判断することには限界がある。

 例えば、ある地域で救急車の平均到着時間が10分だったとしても、ほとんどの地域に10分前後で到着できる場合と、市街地では5分以内に到着する一方、山間部では20分以上を要する場合とでは、住民が受ける救急サービスの水準は異なる。しかし、この二つの地域の平均値が同じになる可能性はある。

 そこで重要になるのが、到着時間の分布である。平均到着時間に加えて、全出動の90%が何分以内に到着しているのかを示す90パーセンタイル値や、95%が何分以内に到着しているのかを示す95パーセンタイル値を調べれば、到着時間が長い事例を含めた地域の実態を把握しやすくなる。

 さらに、消防署から10分以内、15分以内、20分以内で到達できる地域に、それぞれ何人が暮らしているのかを調べることにも意味がある。これらの時間は救急活動の安全を保証する全国一律の境界ではなく、地域の到達状況を比較するための分析区分である。実際の救命可能性は傷病の種類や重症度、現場での応急手当、医療機関への到着時間などにも左右されるため、一定時間以内の到着率だけを安全性そのものとみなすことはできない。

 また、救急車がすべて使用中だったために最寄りの車両以外が出動した割合や、その際にどれほど到着時間が延びたのかも重要な指標になる。平均到着時間が短くても、出動が重なったときの追加待機時間が長い地域では、救急体制の余力が小さい可能性がある。

行政区域ではなく「時間の地図」を描く

 ここまで考えると、「救急車1台が人口何人、面積何平方キロメートルを担当できるのか」という問いそのものを少し変えたほうがよいことが分かる。重要なのは自治体全体の人口や面積だけではなく、救急車が住民のもとへ何分で到達でき、患者を病院へ搬送し、再び次の要請に対応できる状態へ戻るまで何分かかるのかという、時間を中心とした地域構造である。

 例えば、消防署から10分以内で到達できる地域には何人が暮らしているのか、15分を超える地域には何人いるのか、さらに20分以上かかる集落がどこに残されているのかを調べれば、単なる行政区域の地図とは異なる地域の姿が見えてくる。そこに救急要請の発生件数、高齢者人口、道路状況、医療機関の位置を重ねれば、救急体制の地理的な弱点をより具体的に把握できる。

 さらに、最寄りの救急車が使用中の場合を想定し、二番目に近い車両や三番目に近い車両が何分で到着できるかを調べることもできる。平常時の最短到着時間だけでなく、一台が使えなくなった場合の到着時間を比較すれば、救急体制がどの程度の余裕を持っているかを把握しやすくなる。

 近年では、過去の救急需要や時間帯別の発生傾向を分析し、救急車の待機場所を調整する手法も研究されている。救急車の台数を増やさなくても、需要が集中しやすい場所へ車両を移動させることで、到着時間を短縮できる可能性がある。ただし、一部の地域への配置を厚くすれば、別の地域の対応能力が低下する場合もあるため、地域全体の到達時間や応援余力を評価する必要がある。

 地図に描くべきなのは、市町村境界や消防署の位置だけではない。救急車が到着するまでの時間、病院までの搬送時間、出動可能な車両が失われたときの追加時間という、複数の「時間の地図」を重ねることが重要なのである。

人口2万人でも安全な町と危うい町がある

 人口2万人に救急車一台という目安が同じでも、地域条件が変われば救急体制の余力は大きく変わる。人口密度が比較的高く、道路網が整い、受け入れ可能な病院が近く、高齢化率も相対的に低く、近隣消防署との応援体制が充実している地域であれば、一台当たりの担当人口がある程度多くても対応力を維持できる可能性がある。

 一方、人口が少なくても広い地域に集落が分散し、病院までの距離が長く、高齢化率が高く、隣接する救急隊も遠いのであれば、人口規模の割に救急対応が難しくなる場合がある。住民人口が少ない観光地では、連休や夏季などに滞在人口が急増することもあり、住民基本台帳上の人口だけで救急需要を予測すると、実際の利用状況との間にずれが生じる可能性がある。

 この違いは人口密度だけでも説明できない。面積が広くても道路網や救急車の配置が適切であれば到達時間を短縮でき、面積が小さくても地形や道路の制約によって移動時間が長くなる場合がある。さらに、地域の医療機関がどのような患者を受け入れられるのかによって、搬送先の選択肢や搬送時間が変化する。

 したがって、救急車一台を評価するためには、人口、面積、年齢構成、道路網、救急需要、医療機関、観光客、近隣自治体との連携といった複数の条件を、最終的には到着時間、搬送時間、拘束時間、出動可能確率などの指標へ変換して考える必要がある。

救急車が町を離れたあとに何が残るのか

 地域の救急体制を考えるとき、重要なのは救急車が配置されているかどうかだけではなく、その一台が出動したあとにどのような対応能力が残されているかという視点である。

 一台しかない地域でその救急車が病院へ向かえば、次の救急要請には近隣の救急隊による対応が必要になる。二台あれば一台が残る可能性があるが、その一台も出動すれば同じ問題が起きる。ただし、実際の消防活動では、近隣署所や広域の指令体制によって別の救急車を派遣できる場合があるため、地元の車両が使用中であることが、直ちに救急サービスの停止を意味するわけではない。

 ここで評価すべきなのは、地域内に何台の車両が残っているかという数字だけではない。次の要請に対応できる救急車がどこにいるのか、どの程度の時間で到着できるのか、さらに近隣地域でも同時に救急要請が発生した場合に対応を維持できるのかという、広域的な出動余力である。

 これは防災や電力供給にも共通する問題といえる。普段の需要を満たしているだけでは十分ではなく、一部の設備や資源が使えなくなった場合にも、システム全体が機能を維持できるかどうかが重要になる。救急車についても、平均的な出動件数を処理できることと、複数の出動が重なっても対応を維持できることは区別しなければならない。

 また、救急車を増やすことだけが改善策とは限らない。消防署間の応援体制を見直すこと、救急車の待機場所を調整すること、医療機関との搬送調整を改善すること、病院からの再出動を円滑にすることなどによって、同じ台数でも対応能力が改善する可能性がある。ただし、その効果は地域の道路網や医療資源、出動実績によって異なるため、個別の検証が必要になる。

 地域の救急力とは、平常時に何台あるかだけではなく、一部の車両が使用中となった場合にも、住民への対応をどれほど維持できるかという能力として考えたほうが実態に近い。

地域の救急力をどう評価すべきか

 これからの人口減少地域で救急体制を検証するのであれば、単純な救急車の配置台数だけでなく、少なくとも四つの視点から分析することが望ましい。

 第一は、救急需要の規模と構造である。年間出動件数、一日当たりの平均件数、時間帯別の発生件数、年齢階層別の搬送率、季節変動を調べることで、救急要請がいつ、どの地域で発生しやすいのかを把握できる。特に高齢化が進む地域では、総人口の増減だけでなく、年齢階層別人口と実際の救急搬送率を組み合わせて考える必要がある。

 第二は、救急車が一件の対応に費やす時間である。現場到着までの時間、現場活動時間、病院までの搬送時間、医師への引き継ぎ時間、再出動可能となるまでの時間を分けて分析すれば、救急車が長時間拘束される原因を把握しやすくなる。特に受け入れ可能な病院が遠い地域では、一件当たりの拘束時間が救急車の出動可能性を左右する重要な要素になる。

 第三は、地理的な到達能力である。消防署からの直線距離ではなく、実際の道路を使った移動時間を基準として、住民の居住地点までの到達時間を分析する必要がある。平均時間だけでなく、90パーセンタイル値や95パーセンタイル値、一定時間以内に到達できる人口の割合を確認すれば、地域内に残る到達時間の格差を捉えやすくなる。

 第四は、救急車が使用中の場合の対応能力である。最寄りの救急車が出動している割合、他の署所からの応援出動率、二番目に近い救急車の到着時間、複数の車両が同時に出動する確率などを調べることで、通常時には見えにくい救急体制の弱点が明らかになる可能性がある。

 ただし、これらの指標を正確に算出するには、消防本部が保有する出動記録や時間帯別の運用情報などが必要になる。公表されている統計だけでは十分な分析ができない場合もあるため、実際の地域分析では消防行政がどの程度の情報を公開できるかという点も重要になる。

 さらに、救急車の到着時間を短縮することと、救急医療の結果を改善することは同じではない。患者の救命や後遺症の軽減には、疾病の種類や重症度、早期の応急手当、医療機関の受け入れ能力、適切な治療開始までの時間などが関係する。地域の救急体制を評価する際には、救急車の運用効率だけでなく、住民が適切な医療へつながるまでの過程全体を考える必要がある。

救急車1台の限界は、人口ではなく「時間の余白」にある

 結局のところ、「救急車1台は人口何人、面積何平方キロメートルまで担当できるのか」という問いに、全国共通の一つの数字で答えることはできない。

 制度上は人口2万人程度に一台という目安が存在するが、人口2万人が狭い市街地に集まって暮らしている場合と、広い地域に分散して暮らしている場合では、一台の救急車が提供できるサービスの水準は異なる。さらに、高齢化が進めば人口当たりの救急需要が高まる可能性があり、病院までの搬送距離が長ければ一件の出動による拘束時間も長くなりやすい。二件目の救急要請が重なれば、一台しかない体制の弱さが表面化する場合もある。

 ただし、救急車の限界を単純に時間だけで表すことにも注意が必要である。救急要請は不規則に発生するため、地域に残された安全の余裕を「あと何分」という一つの数字で測ることはできない。数理的には、必要なときに救急車が出動可能である確率、一定時間以内に到着できる確率、他地域から応援を受ける場合の追加到着時間など、複数の指標で評価することが適切である。

 それでも、これらの指標に共通するのは、住民が救急医療へつながるまでに必要な時間と、救急車が次の患者に対応できる状態へ戻るまでの時間である。人口が生み出す需要、地理が生み出す距離、一件の救急活動が消費する時間、そして複数の要請が重なる確率が組み合わさるところに、その地域固有の救急対応能力の限界が生まれる。

 深夜、遠くで聞こえていた救急車のサイレンが次第に小さくなり、やがて町の外へ消えていく。その瞬間、町の人口も面積も変わらず、道路も建物も昨日と同じ場所にある。しかし救急医療という視点から見れば、地域で直ちに対応できる救急車が一台減ったことによって、次の救急要請に対応するための余力は一時的に小さくなっているかもしれない。

 人口減少時代に問うべきなのは、救急車が何台置かれているかという数字だけではない。その一台が町を離れたあと、地域全体としてどの程度の救急対応能力を維持できるのか、次の救急要請に何分で対応できるのか、そして住民が暮らす場所によってその時間にどれほどの差があるのかという問いである。

 人口統計にはほとんど表れない、その「時間の余白」を測定可能な指標として捉えることができれば、病院数や医師数、救急車の保有台数だけでは見えなかった地域の課題が明らかになるだろう。救急車一台が守れる人口と面積の限界を考えることは、単に救急車を何台配置するかという問題ではなく、人口減少が進む地域で、どのように住民の安全と医療へのアクセスを維持していくのかという、地域社会全体の将来を考えることなのである。

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 地方で暮らすとき、自宅から病院まで何キロあるのか、車で何分かかるのかを気にする人は少なくありません。特に高齢になってからの生活や地方移住を考える場合、近くに総合病院があることは、住む場所を選ぶうえで重要な判断材料になります。

 しかし、救急医療について考えるなら、単純な道路距離だけでは十分ではありません。自宅から10キロ先に病院があっても、その病院が夜間の救急患者を受け入れられなければ、救急車は別の医療機関へ向かう必要があります。また、一般的な救急患者を受け入れられる病院であっても、脳卒中、急性心筋梗塞、重症外傷などに必要な専門治療まで対応できるとは限りません。

 人口減少が続くこれからの地方では、病院そのものがなくなることよりも、必要な治療を受けられる医療機関がどこに配置され、そこまで何分かかるのかが重要になる可能性があります。医療機関の役割分担、医師や看護師の確保、高齢者の救急需要、救急搬送体制などが相互に関係するため、将来の救急医療を単純な病院数の増減だけで判断することはできません。

病院までの距離には二つの意味がある

 救急医療へのアクセスを考える際には、地理的距離と医療機能を考慮した実質的な距離を区別する必要があります。地理的距離とは、自宅から医療機関までの道路距離や通常の移動時間を指します。一方、実質的な距離とは、患者の病状に応じた適切な医療を受けるまでに必要な時間を含む考え方です。

 例えば、近隣の病院が一般的な内科救急に対応できても、脳梗塞に対する血栓除去療法や、急性心筋梗塞に対する緊急の冠動脈治療に対応していなければ、患者は専門治療が可能な病院へ搬送されることがあります。その場合、最寄りの病院までの距離と、実際に必要な治療を受けられる病院までの距離は一致しません。

 さらに、救急医療では病院まで移動する時間だけでなく、119番通報から救急車が到着するまでの時間、現場での観察や処置、受入医療機関の選定、病院到着後の診断や治療準備なども重要です。医療機関に到着した時刻と、専門的な治療が始まる時刻は必ずしも同じではなく、病状によっては救急隊が現場や搬送中に開始する処置も生命予後に関係します。

 したがって、地方の救急医療を評価するうえで本当に重要なのは、単純な道路距離よりも、適切な処置や専門治療に到達するまでの時間です。病院が近くに存在していても、必要な診療機能や受入体制がなければ、救急医療へのアクセスが十分に確保されているとは判断できません。

全国の救急搬送時間は以前より長くなっている

 総務省消防庁の統計によると、2024年中に救急車で搬送された人は676万9,172人でした。119番通報を受けてから医師へ引き継ぐまでの病院収容所要時間は全国平均44.6分で、新型コロナウイルス感染症の流行前に当たる2019年の約39.5分と比較すると、約5.1分長くなっています。

 ただし、救急搬送時間が毎年延び続けているわけではありません。2023年の病院収容所要時間は45.6分でしたが、2024年には44.6分へ短縮しました。また、2026年3月に公表された2025年の速報値では、救急搬送人員は676万1,871人となり、前年より7,301人減少しています。もっとも、この速報値は搬送人員に関するものであり、2025年の平均病院収容所要時間が短縮したことまで示すものではありません。

 こうした変化には、救急需要、医療機関の受入状況、交通条件、消防機関の運用体制など、複数の要因が関係しています。全国平均が長くなった原因を地方の病院減少だけに求めることはできず、都市部と地方でも事情は異なります。それでも、2019年と2024年を比較して病院収容所要時間が長くなっていることは、救急医療体制を考えるうえで見過ごせない変化です。

 さらに注目すべきなのは高齢者の割合です。2024年に救急搬送された人の63.3%を65歳以上が占めており、高齢化が救急需要に大きく関係していることが分かります。高齢者は複数の慢性疾患を抱えている場合もあり、搬送先の選定や診療に多くの医療資源を必要とすることがあります。ただし、高齢者の増加率と救急搬送件数の増加率が必ず一致するわけではなく、年齢別の搬送率や健康状態、介護施設での対応なども考慮しなければなりません。

人口が減少しても、救急医療の維持費用は比例して減らない

 国立社会保障・人口問題研究所の2023年推計では、2050年に向けて日本の多くの地方自治体で人口減少が進むと予測されています。人口が減少すれば、地域全体の患者数や医療需要の構成が変わり、医療機関の経営や人員配置にも影響が及ぶ可能性があります。

 救急医療には、患者が受診するかどうかにかかわらず、一定の人員や設備を確保する必要があるという特徴があります。24時間対応する病院では、夜間休日の診療体制、看護体制、検査機能などを維持しなければならず、より高度な救急医療を担当する病院では、集中治療や緊急手術などに対応する人員と設備も必要になります。

 このため、人口が半分になったからといって、救急医療に必要な費用や人員を単純に半分にできるわけではありません。患者数に応じて診療収入が減少する一方、必要な待機体制や設備の費用が維持されれば、医療機関の経営上の負担は相対的に増加します。人口減少に伴って働き手も少なくなる地域では、医師、看護師、医療技術職などの確保がさらに難しくなる可能性があります。

 もっとも、すべての病院が24時間の緊急手術や高度な救急医療に対応する必要があるわけではありません。日本の救急医療には初期救急、二次救急、三次救急という役割分担があり、地域によっては複数の病院が休日や夜間の当番を分担する病院群輪番制も採用されています。経営環境が厳しくなったとしても、その対応が直ちに病院の閉鎖や統合になるとは限らず、診療機能の見直しや医療機関間の連携、公的な支援なども選択肢になります。

 厚生労働省が進める2040年に向けた地域医療構想では、急性期拠点機能、高齢者救急・地域急性期機能、在宅医療等連携機能などを整理し、地域の医療需要に応じた役割分担と連携を進める方向が示されています。これは病床削減や病院の統廃合そのものを目的とする制度ではなく、限られた医療資源で必要な医療を提供し続けるための体制整備という側面があります。

 その結果として、専門性の高い急性期医療が一定の拠点へ集約される一方、一般的な高齢者救急や地域の急変患者については、身近な医療機関が役割を担う形も考えられます。したがって、将来の地方医療では、最寄りの病院までの距離が変わらなくても、病状によって搬送される病院が変化する可能性があります。

外房では救急搬送に長い時間を要している

 この問題を具体的に考えるため、千葉県の山武長生夷隅保健医療圏を見てみます。この医療圏は、東金市、茂原市、勝浦市、いすみ市、御宿町、大多喜町などを含む6市10町1村で構成され、沿岸部から内陸部まで広い地域を対象としています。

 千葉県が2023年9月1日から10月31日までの2か月間に実施した救急搬送実態調査では、山武長生夷隅保健医療圏の救急搬送3,631件のうち、二次医療圏内の医療機関への搬送は2,344件で64.6%、医療圏外への搬送は1,287件で35.4%でした。

 つまり、この調査期間に確認された救急搬送のおよそ3件に1件が、医療圏外の医療機関へ向かっていたことになります。ただし、これは2023年度の年間搬送件数ではなく、9月と10月の2か月間の調査結果です。季節による救急需要の違いや調査期間の特性があるため、この割合を年間全体や将来にそのまま当てはめることはできません。

 同じ調査によると、救急隊が通報を覚知してから病院に収容するまでの平均時間は67.00分でした。その内訳は、覚知から現場到着まで12.42分、現場到着から出発まで30.47分、現場出発から病院収容まで24.11分となっています。いずれの時間も、同じ調査における千葉県内9保健医療圏の中で最も長い水準でした。

 特に注目すべきなのは、現場到着から出発までに平均30.47分を要していることです。この時間には、患者の状態確認、必要な救急処置、搬送先の選定、医療機関との受入調整などが含まれます。同じ調査では、受入医療機関との平均交渉回数は1.90回であり、5回以上交渉したケースも7.6%ありました。

 ただし、30.47分のすべてが受入医療機関を探すための時間だったわけではありません。患者の状態によっては現場で十分な観察や処置が必要になる場合もあり、この集計だけでは搬送先の調整に実際何分かかったかまでは分かりません。また、搬送時間が長い原因についても、道路網、救急車の配置、患者の重症度、受入病院の分布などを区別して検証する必要があります。

 なお、全国の2024年平均44.6分と、山武長生夷隅保健医療圏の2023年9~10月平均67.00分を比較する場合には注意が必要です。両者は対象期間や集計範囲が異なるため、その差をそのまま地域固有の医療体制の問題によるものと解釈することはできません。外房地域の特徴を厳密に評価するには、同一年度、同一期間、同じ定義による他医療圏との比較が重要です。

医療圏外への搬送が多いことは、何を意味するのか

 山武長生夷隅保健医療圏で35.4%が医療圏外へ搬送されたという事実は、地域内だけで救急医療が完結していない状況を示しています。しかし、医療圏外搬送が多いことだけで、地域内の病院が救急患者を受け入れられないと結論づけることはできません。

 例えば、専門的な治療が必要な患者を設備や人員の整った病院へ直接搬送することは、合理的な医療提供体制の一部です。また、医療圏の境界付近では、行政上は別の医療圏に属していても、道路距離や移動時間では隣接医療圏の病院の方が近い場合があります。患者や家族の希望、かかりつけ医療機関との関係、受入病床の状況なども搬送先の選定に関係することがあります。

 したがって、医療圏外搬送率が高いことを直ちに医療機能の不足や救急医療体制の失敗と評価するのは適切ではありません。問題は、医療圏を越えること自体ではなく、必要な治療に到達するまでの時間が適切であるか、搬送によって患者の予後にどのような影響が生じているかという点です。

 また、医療圏全体の平均値は、御宿町、勝浦市、いすみ市、大多喜町など個別自治体の状況をそのまま表すものではありません。比較的大きな市街地と人口の少ない山間部では、病院へのアクセスや救急車の到着条件が異なるため、医療圏全体の平均値だけでは地域内の格差を十分に把握できません。

 外房の救急医療を詳細に評価するのであれば、市町村別、できれば地区別に、救急車の現場到着時間、搬送先病院、搬送時間、傷病程度、受入交渉回数などを調べる必要があります。脳卒中や急性心筋梗塞などについては、病院到着後の専門治療開始時間も併せて検証することで、実際の医療アクセスをより正確に把握できます。

外房の人口は2050年までに約3分の1減少する見通し

 山武長生夷隅保健医療圏の将来を考えるうえで重要なのが、人口規模と年齢構成の変化です。国立社会保障・人口問題研究所の2023年推計によると、この地域の2020年人口は410,235人でしたが、2030年には365,888人、2040年には318,974人、2050年には272,947人になると見込まれています。

 2020年から2050年までの人口減少率は約33.5%であり、30年間で住民のおよそ3分の1が減少する計算です。この規模の人口減少は、医療機関の患者数、地域の労働力、公共交通、救急隊の運用、医療機関の経営環境などに影響する可能性があります。

 一方、75歳以上人口については総人口とは異なる変化が予測されています。2020年の75歳以上人口は74,080人でしたが、2030年には93,737人となり、2050年でも87,626人と推計されています。総人口が2020年比で33.5%減少する一方、75歳以上人口は2050年でも約18.3%多い計算です。

 これは、人口減少と高齢者の医療需要の変化を別々に考える必要があることを示しています。若年層や現役世代の人口が大きく減少しても、75歳以上人口は一定期間増加するため、医療機関に求められる診療内容や介護との連携が変化する可能性があります。もっとも、75歳以上人口が18.3%増加するからといって、救急搬送件数も18.3%増加すると予測できるわけではありません。

 将来の救急搬送件数を推計するには、年齢階級別人口に、それぞれの年齢階級での救急搬送率を組み合わせる方法が考えられます。ただし、その搬送率自体も健康状態、医療技術、介護サービス、救急利用行動などによって変化するため、一定の仮定を置いた複数のシナリオで検証する必要があります。

 人口が減少するから救急需要も同じ割合で減るとも、75歳以上人口が増えるから救急需要が必ず増えるとも断定できません。今後重要になるのは、地域全体の人口だけでなく、どの年齢層が、どの地区に、どの程度居住するのかという人口分布の変化です。

人口密度が下がると病院までの距離は長くなるのか

 人口減少によって地方の人口密度は低下しますが、それだけで住民一人当たりの平均搬送距離が長くなるとは限りません。病院の位置が変わらず、住民が各地区で同じ割合で減少するのであれば、人口が減っても住民から病院までの平均距離は基本的に変わりません。

 平均搬送距離は、各地区の人口と搬送先までの距離を組み合わせて求められます。具体的には、地区ごとの人口にその地区からの搬送距離を掛けた値を合計し、地域全体の人口で割る方法が考えられます。この場合、病院配置と各地区の人口比率が変わらなければ、総人口だけが減少しても平均距離は変化しません。

 一方、特定の病院が救急機能を縮小し、遠方の病院が搬送先となる場合には、平均搬送距離が長くなる可能性があります。また、高齢者が交通条件の悪い地区に多く残る場合や、人口減少によって救急拠点の再配置が必要になる場合も、地域によって搬送条件が変化することがあります。逆に、住民が医療機関の近くへ集まる場合には、平均搬送距離が短くなることも考えられます。

 したがって、人口減少と搬送距離の関係は一方向ではありません。人口密度の低下が医療機関の維持を難しくするという経済的な問題と、住民から医療機関までの距離が変化するという地理的な問題は、区別して考える必要があります。

 外房地域についても、御宿、勝浦、大多喜、いすみ、茂原などの自治体間の距離が人口減少によって変わるわけではありません。将来の医療アクセスを左右するのは、住民の分布、医療機関の配置と診療機能、道路条件、救急車の配置、搬送先の選定方法などがどのように変化するかという点です。

医療機能の集約化は救急医療を悪化させるのか

 病院の機能が集約されると、住民から専門的な救急治療を受けられる病院までの距離が長くなる場合があります。しかし、距離が延びることと、救急医療の質が低下することは必ずしも同じではありません。

 例えば、高度な治療を必要とする患者を、専門医や設備が十分に整った病院へ直接搬送できれば、近隣の病院を経由するより専門治療を早く開始できる可能性があります。急性心筋梗塞などでは、最初に搬送された病院で対応できず、別の病院へ転院することによって治療開始が遅れる場合もあるため、適切な搬送先を最初から選ぶことが重要になります。

 海外では、地方病院の閉鎖後に救急施設までの搬送時間が延びたとする研究が報告されている一方、救急医療施設の再編による移動距離の増加が住民全体の死亡率を必ず高めるとまでは確認されていません。ただし、こうした研究は国ごとの医療制度や地域条件が異なり、研究方法にも限界があるため、その結果を日本の地方へ直接当てはめることはできません。

 重要なのは、医療機能の集約化には、搬送時間を延長させる側面と、専門治療を効率的に提供できるようにする側面の両方があることです。集約化によって専門医や設備が充実しても、遠方から搬送される患者への対応が遅れたり、受入患者が集中して病院内の処理能力を超えたりすれば、期待した効果が得られない可能性があります。

 逆に、救急隊と病院の情報共有が改善され、適切な搬送先を短時間で選定できるようになれば、病院までの走行時間が多少長くなっても、治療開始までの総時間を短縮できる場合があります。医療体制の再編を評価するには、病院数や道路距離だけでなく、救急搬送時間、受入困難事例、治療開始時間、死亡率、後遺症などを総合的に検証する必要があります。

救急車が病院へ到着するまでの医療も重要になる

 地方の救急医療を考える際には、病院の配置だけでなく、救急車が患者のもとへ到着してから病院へ引き継ぐまでの医療体制も重要です。救急救命士による処置、救急隊と医療機関の連携、ドクターカー、ドクターヘリなどを組み合わせることで、病院到着前から必要な医療を提供できる可能性があります。

 総務省消防庁によると、2025年4月1日時点で全国5,485隊の救急隊のうち、救急救命士を運用している救急隊は5,472隊で、全体の99.8%に達しています。ただし、この割合は救急救命士を運用する隊の割合であり、すべての出動で必ず救急救命士が搭乗することを意味するものではありません。また、全国的に配置が進んでいても、個々の地域で救急車が何分で到着するか、どのような処置が可能か、搬送先の病院が受け入れられるかは別の問題です。

 ドクターヘリやドクターカーも、医療機関までの距離による不利を補う手段となり得ますが、運用条件には制約があります。例えば、ドクターヘリは天候、視界、離着陸場所、運航時間などの影響を受けるため、あらゆる時間帯や場所で利用できるわけではありません。ドクターカーについても、医師の配置や出動範囲などによって対応能力が異なります。

 遠隔医療や救急搬送情報の共有も、搬送先の選定や医療機関の準備を効率化する手段として期待されています。ただし、これらの仕組みを導入すれば必ず救命率が改善するというものではなく、対象疾患、運用方法、医療機関の受入能力などに応じて効果を検証する必要があります。

 今後の地方救急医療では、病院までの距離を短くすることだけでなく、病院へ到着する前の医療を充実させること、適切な搬送先を早く決めること、病院到着後に速やかに専門治療へ移行できることが重要になります。

2050年の搬送時間はどのように変わるのか

 山武長生夷隅保健医療圏の2023年調査では、平均病院収容所要時間は67.00分でした。しかし、この数値と2050年までの人口推計だけを使って、将来の搬送時間が何分になるかを正確に予測することはできません。人口減少が進んでも、病院配置、救急車の運用、受入調整体制などの変化によって結果が異なるためです。

 例えば、病院の救急機能が集約され、現場から病院までの走行時間が平均10分長くなり、それ以外の条件が変わらないと仮定すれば、病院収容所要時間は67分から77分へ延びる計算になります。一方、受入医療機関との調整や現場滞在に要する時間を平均10分短縮できれば、走行時間が10分延びても全体の所要時間は変わらないことになります。

 さらに、病院までの時間が延びても、必要な専門治療へ直接つなげられることで、治療開始までの時間が短縮する可能性もあります。反対に、病院自体は近くても、受入先の選定に時間がかかったり、専門治療に対応できず転院が必要になったりすれば、適切な治療を受けるまでの時間が長くなる場合があります。

 これらは将来の搬送時間を予測した数値ではなく、条件の違いによって結果がどのように変化するかを示す仮定の計算です。実際の予測には、救急需要の将来推計、救急車の配置、道路網、医療機関の診療機能、受入能力、地区別人口などを組み合わせる必要があります。

 特に重要なのは、地域全体の平均値だけでなく、搬送時間が長い地区や、専門治療へのアクセスが難しい住民がどの程度存在するかを把握することです。平均時間が改善したとしても、一部の山間部や人口の少ない地区で搬送時間が大きく延長するなら、その地域の医療アクセスには別の課題が残ります。

外房の将来を考えるには地区別の分析が必要

 外房地域の救急医療を将来にわたって評価するには、医療圏全体の平均値に加え、御宿町、勝浦市、いすみ市、大多喜町などの自治体ごとの違いを把握する必要があります。同じ自治体内でも、中心市街地と周辺の集落では道路条件や救急拠点までの距離が異なり、実際の搬送時間に差が生じる可能性があります。

 具体的な分析方法としては、まず2020年の人口分布と救急医療機関の配置を基準に、2030年、2040年、2050年の地区別人口を推計します。次に、現在の病院機能を維持する場合、専門的な救急機能が一部の病院へ集約される場合、医療機関間の連携や救急搬送体制が改善される場合など、複数の条件を設定して比較することが考えられます。

 それぞれの条件について、道路網を用いた移動時間、救急車の現場到着時間、医療機関の受入状況、疾患別の搬送先などを組み合わせれば、将来の救急医療へのアクセスをより具体的に検討できます。特に、住民全体の平均搬送時間だけでなく、長時間の搬送を必要とする住民の割合や、75歳以上人口に対する医療アクセスを評価することが重要です。

 ただし、2050年の個別病院の存続や診療機能を現時点で確定することはできません。人口推計そのものにも不確実性があり、医師の配置、医療政策、診療技術、交通インフラなども変化するため、将来予測は確定的な数字ではなく、条件付きの分析結果として示すべきです。

 千葉県では病床機能報告などを通じて医療機関の診療機能に関する情報が公表されていますが、病床機能の区分だけで、個別の疾患について24時間受け入れられるかどうかが分かるわけではありません。救急医療の実態を把握するためには、病床機能に加えて、実際の救急受入実績、診療時間、専門治療への対応状況などを確認する必要があります。

地方移住や老後の居住地選びで確認すべきこと

 地方移住や老後の住まいを考えるとき、「総合病院まで車で20分だから安心だ」という判断には一定の合理性があります。しかし、将来の救急医療という観点では、最寄りの病院までの通常の移動時間だけで十分とはいえません。

 実際に確認したいのは、その病院が夜間休日にどのような救急患者を受け入れているのか、脳卒中や急性心筋梗塞などの専門治療にはどこまで対応できるのか、重症患者はどの医療機関へ搬送されるのかという点です。加えて、救急車の配置や出動状況、隣接する医療圏との連携、地域における医師や看護師の確保状況なども重要になります。

 もっとも、住民がこれらの情報をすべて入手できるとは限りません。個別の医療機関について詳細な受入能力や搬送時間が公開されていない場合もあり、同じ病院でも時間帯や診療体制によって対応できる範囲が変化することがあります。そのため、医療機関の有無だけでなく、自治体や消防機関、都道府県が公表する地域医療や救急搬送の情報を継続的に確認することが望まれます。

 特に高齢者の場合は、急性期の救急医療だけでなく、退院後の回復期医療、在宅医療、介護サービスとの連携も生活の安心に関係します。高度な救急病院が近くにあることだけを重視するのではなく、日常診療から救急、入院、退院後の生活までを支える医療体制全体を評価する必要があります。

地方で本当に見るべきなのは距離ではなく、必要な治療までの時間

 人口減少が進む地方では、救急医療を支える人員や設備を現在と同じ配置で維持することが難しくなる地域があると考えられます。医療機能の集約化が進めば、専門的な救急治療を受けられる病院までの搬送時間が長くなる地域が生じる可能性がありますが、人口減少だけを根拠として、すべての地域で搬送時間が延びると結論づけることはできません。

 一方、医療機関の役割分担や救急搬送体制の改善、救急隊と病院の情報共有などによって、搬送時間の延長を抑えたり、専門治療の開始を早めたりできる可能性もあります。救急医療においては、最寄りの病院まで短時間で到着できることと、必要な治療を適切な時間内に受けられることの両方が重要です。

 外房地域では、2023年9~10月の調査において、救急搬送の35.4%が医療圏外へ向かい、覚知から病院収容までの平均時間は67.00分でした。これらは地域の救急医療を検討するうえで重要な実績ですが、その数字だけで将来の搬送時間の延長や、医療機関の不足を証明することはできません。今後は地区別の搬送時間、疾患別の専門治療へのアクセス、医療機関の受入能力などを継続的に把握することが必要です。

 救急医療において、1キロという距離は、どこでも同じ意味を持つわけではありません。道路事情がよく、必要な治療に対応できる病院が受け入れ可能であれば、比較的長い道路距離でも迅速に医療へ到達できる場合があります。反対に、近隣に病院が存在していても、受入調整や転院に時間を要すれば、適切な治療の開始が遅れることがあります。

 スーパーやガソリンスタンドが遠くなれば、日常生活の不便が大きくなります。しかし、救急医療へのアクセスが悪化した場合には、生活の利便性だけでなく、生命や健康に関わる結果が生じる可能性があります。もっとも、その影響の大きさは病気の種類や重症度、医療機関の機能、搬送体制によって異なるため、距離の延長だけで健康被害を予測することはできません。

 2050年に向けた地方の救急医療を考える際に重要なのは、病院が何施設残るのかという数だけではありません。住民がどこに暮らし、救急車が何分で到着し、どの病院が必要な治療を提供でき、実際に何分で治療を開始できるのかという、地域の医療システム全体を評価することです。

 人口減少が進む30年後の地方で、必要な治療を受けるまでの時間が現在より長くなるのか、それとも医療機関の連携や搬送体制の改善によって維持・短縮できるのかは、今後の地域医療政策と医療提供体制の変化に左右されます。その変化を客観的に把握するためには、人口推計だけで将来を判断するのではなく、救急搬送の実績と医療機関の機能を継続的に検証していく必要があります。

 地方で将来も安心して生活できるかを考えるうえで、救急医療へのアクセスは、水道、道路、公共交通、買い物環境などと並ぶ重要な生活基盤の一つです。そして、その実態を評価する中心的な指標は、単に病院まで何キロあるかではなく、必要な医療を、必要な時間内に受けられる地域なのかという点にあります。

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 地方で暮らしていると、119番に電話すれば救急車が来ることは、日常生活を支える当然の公共サービスのように感じられる。消防署や分署が現在と同じ場所にあり、道路網も大きく変わらないのであれば、30年後も救急車の到着時間は現在とそれほど変わらないように思えるかもしれない。しかし、人口減少が進む地方では、消防署の位置や道路が変わらなくても、現在と同じ救急体制を維持できるとは限らない。

 その理由は、人口の減少と救急需要の減少が必ずしも同じ割合で進まないことにある。高齢化によって住民1人当たりの救急利用率が変化する一方、消防職員や医療従事者の確保は難しくなる可能性がある。さらに、人口が減っても自治体の面積や集落間の距離は変わらず、医療機関の再編によって搬送先が遠くなる地域も考えられる。こうした変化が重なれば、救急車の台数が現在と同じでも、住民が受けられる救急サービスの水準が変化する可能性がある。

 ただし、人口減少によって救急車の到着時間が必ず長くなると断定することも適切ではない。広域的な消防体制の整備や救急車の配置最適化、医療機関との連携によって、サービス水準を維持したり、改善したりできる余地もある。重要なのは、救急車が何台残るかという問題だけではなく、119番通報から現場到着、必要な処置、医療機関への搬送、専門的な治療までを含めた救急医療全体の機能を、人口減少のなかで維持できるかという問題である。

全国では救急車の到着時間が長期的に延びている

 総務省消防庁が公表した「令和7年版 救急・救助の現況」によると、2024年の救急自動車による全国の救急出動件数は771万8,380件で、統計開始以来最多となった。119番通報から救急車が現場に到着するまでの平均時間は9.8分で、2019年と比較すると約1.1分長くなっている。また、119番通報から医師へ患者を引き継ぐまでの病院収容所要時間は平均44.6分で、2019年より約5.1分延びている。

 もっとも、これらの時間が毎年一方的に長くなっているわけではない。2023年の現場到着平均時間は10.0分、病院収容平均時間は45.6分だったため、2024年にはいずれも短縮している。したがって、2019年と比較して救急搬送に要する時間が長くなっているという事実と、今後も継続的に悪化するという予測は、区別して考える必要がある。

 さらに、2026年3月に消防庁が公表した2025年の速報値では、救急自動車による出動件数は768万6,235件となり、前年より3万2,145件、率にして0.4%減少した。搬送人員も676万1,871人で、前年から0.1%減少している。これは速報値であるため今後修正される可能性があるものの、高齢化が進んでいても、救急出動件数が毎年必ず増加するわけではないことを示している。

 ここで重要なのは、救急医療に要する時間を正しく区別することである。現場到着所要時間は119番通報から救急車が患者のもとに到着するまでの時間であり、病院収容所要時間は119番通報から医師への引継ぎまでの時間である。後者には現場到着までの時間も含まれるため、9.8分と44.6分を足し合わせて救急搬送の所要時間とすることはできない。

 また、医師への引継ぎが完了した時点と、患者に必要な治療が開始された時点も必ずしも一致しない。救急救命士などによる初期処置は病院到着前から始まる場合があり、反対に、専門的な検査や手術などは医療機関への到着後に一定の時間を要することがある。したがって、住民が受けられる救急医療の水準を評価するには、救急車の到着時間だけでなく、必要な医療につながるまでの過程全体を見る必要がある。

人口が減っても救急需要が同じ割合で減るとは限らない

 人口10万人の地域が将来6万人になれば、単純には救急出動件数も4割減少するように思える。しかし、この考え方が成立するのは、住民1人当たりの救急利用率が将来も変わらず、年齢構成などの条件も同じである場合に限られる。実際には、年齢によって救急搬送につながる疾病や事故の発生率が異なるため、総人口の変化だけから将来の救急需要を判断することはできない。

 厚生労働省が示した2040年の人口構造に関する資料では、2025年から2040年にかけて、全国の15歳から64歳までの生産年齢人口は約15.0%減少する一方、85歳以上人口は約42.2%増加すると推計されている。高齢になるほど心疾患、脳血管疾患、転倒や骨折、呼吸器疾患などによって救急搬送が必要になる機会が増えることから、この人口構成の変化は救急需要を考えるうえで重要である。

 実際、消防庁の2024年統計では、救急自動車による搬送人員676万9,172人のうち、65歳以上は428万4,953人で、全体の63.3%を占めている。2025年の速報値でも、65歳以上の搬送人員は426万5,047人で、全体の63.1%に達している。高齢者人口と救急搬送の関係が、現在の救急医療体制において既に重要な要素になっていることが分かる。

 ただし、ここで注意しなければならないのは、高齢化率の上昇と高齢者人口の増加は同じではないという点である。高齢化率は、地域の総人口に占める高齢者の割合を示すため、若年人口が急速に減少すれば、高齢者の人数自体が減っていても上昇することがある。この違いを無視すると、地方の将来の救急需要を過大評価する可能性がある。

地方都市と過疎地域では高齢人口の変化が異なる

 厚生労働省が示した2025年から2040年までの地域類型別人口推計では、地方都市型の地域で生産年齢人口が平均19.1%減少する一方、65歳以上の高齢人口は平均2.4%増加するとされている。これに対して、過疎地域型では生産年齢人口が平均28.4%減少し、高齢人口も平均12.2%減少するという結果になっている。この地域類型は個々の市町村を単純に分類したものではなく、一定の人口規模や人口密度に基づく地域の区分であるため、各自治体の将来像を直接示すものではない。

 この違いは、地方の救急医療を考えるうえで見落とせない。地方都市では高齢人口の増加が救急需要を押し上げる可能性がある一方、人口減少が進んだ過疎地域では高齢人口そのものが減少し、救急需要の絶対数も減少する可能性がある。ただし、その場合でも生産年齢人口がさらに大きく減少すれば、救急サービスを利用する住民と、それを支える労働力との比率は変化することになる。

 したがって、地方の救急需要については、総人口、高齢化率、高齢者の絶対数、生産年齢人口をそれぞれ区別して分析しなければならない。高齢化が進むから救急需要が必ず増えるという説明も、人口が減るから救急需要が必ず大幅に減るという説明も、地域差を考慮しない点では不十分である。

救急需要は年齢別人口と救急利用率から考える必要がある

 将来の救急需要を数理的に考える場合、基本となるのは、年齢階級ごとの人口と、その年齢階級における1人当たり年間救急出動率を組み合わせる方法である。例えば、65歳未満と65歳以上の二つの集団に分け、それぞれの人口に年間救急出動率を掛け合わせ、その結果を合計すれば、地域全体の年間救急出動件数を推計することができる。

 仮に、現在の人口が10万人で、そのうち65歳未満が7万人、65歳以上が3万人の地域を考える。65歳未満の年間救急出動率を3%、65歳以上を12%と仮定した場合、年間救急出動件数は5,700件となる。将来、総人口が6万人に減少し、65歳未満が3万人、65歳以上が3万人になったとすると、同じ出動率を用いた年間救急出動件数は4,500件となる。

 この仮想事例では、総人口が40%減少しているのに対して、年間救急出動件数の減少率は約21.1%にとどまる。つまり、高齢人口が維持され、比較的救急利用率の低い若年層が大きく減少する場合には、人口全体の減少率ほど救急需要は減少しないという結果が得られる。

 もっとも、ここで用いた年間救急出動率は計算の仕組みを説明するための仮定値であり、全国や特定地域の実際の利用率を示すものではない。また、救急搬送人員と救急出動件数は異なる統計であり、実際の分析では使用する指標を統一する必要がある。将来の救急利用率についても、疾病構造、在宅医療の充実、救急相談体制、予防医療、気象条件などによって変化する可能性があるため、一定の値に固定した推計だけでは十分ではない。

 それでも、このような年齢別の需要モデルを用いることで、人口減少と高齢化が同時に進む地域では、総人口だけを基準に救急車の必要台数を決めることが合理的でない場合があると分かる。

人口密度が低下しても救急車が走る範囲は簡単には縮小しない

 人口減少地域の救急体制を考えるうえで、もう一つ重要なのが地理的条件である。例えば、人口3万人の自治体が将来1万5千人になったとしても、その自治体の面積が半分になるわけではなく、道路の延長や山間部までの距離も基本的には大きく変わらない。人口が半減しても居住地が広い範囲に残れば、救急車は引き続きその地域をカバーしなければならない。

 人口密度は、総人口を地域の面積で割ることで求められる。面積が一定で人口が半減すれば人口密度も半減するが、消防署から離れた集落や山間部への走行距離は、人口減少に比例して短くなるわけではない。このため、人口1人当たりの消防・救急サービスの維持負担は相対的に大きくなる可能性がある。

 消防庁も、この問題を制度上の課題として認識している。2024年3月に改正された「市町村の消防の広域化に関する基本指針」では、人口減少によって消防本部の管轄人口が減少し、財政面や人材確保が厳しくなる一方、人口の低密度化が進んでも消防活動に必要な署所などの数は大きく変化しないと考えられるため、消防力の維持が難しくなる可能性があると指摘している。特に、小規模消防本部ほど人口動態の影響が深刻になるとされている。

 ただし、人口密度の低下がそのまま救急車の到着時間の延長を意味するわけではない。人口が減少しても住民が市街地や主要道路の周辺に集中すれば、救急需要の発生地点が消防署に近づき、平均到着時間が短縮する可能性もある。反対に、少数の住民が広範囲に分散して暮らし続ければ、平均的な出動件数が減っても、地域の端まで救急車を届けるための体制が必要になる。

 したがって、将来の救急体制を考えるときには、人口密度の数値だけでなく、どこに住民が残り、どの道路を通って救急車が到着できるのかという居住分布と道路網の関係を把握しなければならない。

「人口が半分になったから消防署も半分にする」が合理的とは限らない

 仮に、人口4万人の地域に消防署や分署が4か所設置されているとする。30年後に人口が2万人になった場合、人口に比例して署所を2か所に減らせば、施設や人員の維持に必要な費用を抑えられるように見える。しかし、署所を統合した結果、残された消防署から遠い集落までの走行距離が延びれば、救急車の到着時間が長くなる可能性がある。

 例えば、消防署の統合によって、ある集落までの実際の走行距離が5キロメートル増えたと仮定する。救急車がその区間を平均時速40キロメートルで走行するとすれば、追加で必要になる走行時間は7.5分である。実際の所要時間は交差点や道路の形状、交通状況、天候などによって異なるが、走行距離の増加が到着時間に影響する仕組みは明確である。

 もっとも、署所の統合によってすべての地域の到着時間が悪化するわけではない。統合に合わせて救急車の配置場所を見直したり、隣接する消防本部との連携を強化したりすれば、到着時間が短縮する地域も考えられる。したがって、署所の削減数だけで消防体制の効率性を判断することはできず、統合後の各地区への到着時間や、同時に複数の通報が発生した場合の対応能力を検証する必要がある。

 救急体制には、利用者数の増減とは別に、一定の地域を常時カバーするための固定的な負担が存在する。この性質は道路や水道などの公共インフラにも共通するが、救急の場合は対応の遅れが患者の生命や予後に関わるため、単純な人口比例による縮小が難しいのである。

救急車の到着時間は、最寄りの救急車が使えるかどうかにも左右される

 救急車の到着時間は、消防署から現場までの距離だけで決まるわけではない。近くの救急車が既に別の患者を搬送していれば、遠方の消防署から別の救急車が出動することがあり、その結果として現場到着時間が長くなる場合がある。したがって、地域の救急体制を評価するときには、配置されている救急車の総台数だけでなく、通報が発生した瞬間に利用可能な救急車が何台あるかを考える必要がある。

 この問題では、1件の救急活動によって救急隊がどの程度の時間、新しい出動に対応できなくなるのかが重要になる。ここで注意したいのは、消防庁が公表する病院収容所要時間44.6分を、そのまま救急車の拘束時間として扱うことはできないという点である。44.6分は119番通報から医師への引継ぎまでの全国平均であり、救急隊が再び出動可能になるまでの時間を示しているわけではない。

 患者を医師へ引き継いだ後にも、必要な記録、資器材の整理や補充、感染対策、待機場所への移動などが発生する場合がある。一方で、医療機関から直接次の救急現場へ出動する運用もあるため、すべての救急車が消防署へ戻るまで利用できないというわけでもない。実際の供給能力を評価するためには、救急隊が次の出動に対応できない時間を把握する必要がある。

 例えば、年間1,000件の救急出動があり、1件当たり平均60分間、新しい出動に対応できない地域を考える。この場合、年間の救急活動による稼働不能時間の合計は1,000時間となる。将来、出動件数が800件に20%減少しても、病院までの遠距離化などによって1件当たりの稼働不能時間が90分になれば、年間の合計は1,200時間となり、件数が減少しているにもかかわらず必要な活動時間は20%増加する。

 この計算は仮想的なものであり、実際の地域で同じ変化が起きることを示したものではない。しかし、救急需要を件数だけで評価すると、搬送時間の長期化による負担を見落とす可能性があることを説明している。

 ただし、年間の総活動時間が増加しただけで、必ず同時出動への対応能力が低下するとも限らない。救急需要が特定の時間帯に集中するのか、比較的均等に発生するのかによって、必要な救急車台数は異なる。また、複数の救急隊を広域的に運用できる場合には、一つの消防署の救急車が出払っていても別の隊が対応できることがある。そのため、将来の必要台数を推計するには、出動件数、稼働不能時間、時間帯別の需要、同時出動の発生状況を組み合わせた分析が必要になる。

病院の再編は救急車の運用にも影響する

 人口減少時代の救急医療を考えるとき、消防だけに注目するのは不十分である。救急車が患者をどこへ搬送できるかは、地域の医療機関が持つ診療機能や受入体制によって決まるため、病院の再編や医療機能の集約化は救急車の運用にも影響を及ぼす。

 厚生労働省が2040年以降を見据えて進めている新たな地域医療構想では、人口減少や高齢化に対応するため、急性期医療、高齢者救急、在宅医療、介護との連携などを含めた医療提供体制の見直しが重視されている。高度な医療設備や専門医を必要とする治療については、一定の医療機関に機能を集約することで、医療人材の効率的な配置や診療の質の維持につながる可能性がある。

 しかし、専門的な医療機能が集約されれば、一部の住民にとって搬送先までの距離が長くなることも考えられる。例えば、従来は20分で到着できた医療機関で対応できなくなり、同じ病態の患者を40分かかる医療機関へ搬送する必要が生じれば、単純な走行時間だけでも20分増加する。このような変化は患者の搬送時間だけでなく、救急車が次の出動に対応できるまでの時間にも影響する可能性がある。

 一方、医療機能の集約化には、受入先の専門性を高めたり、搬送先を選ぶ時間を短縮したりする効果も期待できる。さらに、すべての高齢者救急患者を遠方の大規模病院に集める必要があるわけではなく、地域の医療機関が比較的軽い急性期疾患や高齢者の救急入院に対応し、専門的治療が必要な患者を拠点病院へ搬送するという役割分担も考えられる。

 したがって、病院再編を単純に搬送時間の長期化と結び付けることは適切ではない。重要なのは、医療の質を維持するための集約化と、住民が必要な医療へ到達するまでの時間との間で、どのような均衡を図るかという問題である。救急医療においては、病院の数だけでなく、病院ごとの診療機能、受入可能な患者の種類、搬送経路、医療機関間の連携が重要になる。

消防職員は全国では増えているが、地方の人材確保には課題が残る

 人口減少が進むと消防職員や救急救命士の確保が難しくなるという見方には合理性があるが、現在の全国的な状況を正確に把握する必要がある。消防庁の令和7年版消防白書によると、2025年4月1日現在の全国の消防職員数は16万9,730人で、前年より増加している。また、救急隊の設置数も5,485隊となり、前年より70隊増加した。

 この数字から分かるのは、人口減少が進んでいても、全国の消防職員数や救急隊数が直ちに減少しているわけではないということである。しかし、全国で職員数が増えていることは、すべての地域で人材確保が順調に進んでいることを意味しない。大規模な消防本部と小規模な消防本部では採用条件や人員配置の柔軟性が異なり、同じ人口減少でも組織運営への影響には地域差が生じる。

 消防業務には、救急だけでなく火災対応、救助活動、災害対応、予防業務などが含まれる。救急隊を増やせばよいという単純な問題ではなく、限られた職員を複数の業務にどのように配置するかが重要になる。特に小規模な消防本部では、一部の職員が欠員になったり、複数の災害が同時に発生したりした場合の対応余力が小さくなる可能性がある。

 さらに、救急医療を維持するには、消防職員だけでなく、病院で患者を受け入れる医師、看護師、その他の医療従事者の確保も必要である。消防側が十分な救急車を確保できたとしても、医療機関の受入能力が不足すれば、救急サービス全体の機能は制約される。このため、地方の将来を評価するときには、消防と医療を分離せず、人材と設備の両面から地域全体の供給能力を考える必要がある。

消防の広域化によって救急体制を維持できる可能性もある

 人口減少が進む地域にとって、消防の広域化は有力な選択肢の一つである。複数の自治体が消防業務を共同で運営し、通信指令や人員配置、車両運用を一体化すれば、従来の行政区域にとらわれず、より合理的な出動体制を構築できる可能性がある。

 消防庁の広域化に関する基本指針でも、消防署所の配置や管轄区域の適正化による現場到着時間の短縮、本部機能の統合による現場活動要員の増強、救急業務の高度化などが期待される効果として示されている。また、広域化した消防本部では、人員配置の効率化や消防体制の基盤強化といった成果が報告されている。

 ただし、消防の広域化そのものが、すべての地域で到着時間を短縮するとは限らない。組織を統合しても署所配置や救急車の運用方法が適切でなければ、遠隔地でのサービス水準が悪化する可能性は残る。広域化の効果を評価するには、統合前後の到着時間や救急隊の稼働状況だけでなく、人口構造や救急需要の変化なども考慮する必要がある。

 将来的には、通信指令システムの高度化、救急車の動的な配置、搬送先医療機関との情報共有などによって、限られた車両を効率的に運用できる可能性がある。ドクターヘリなどの活用も地域や病態によっては有効だが、天候、運航時間、着陸場所などの制約があるため、地上の救急車を全面的に代替できるわけではない。

 重要なのは、現在と同じ数の消防署を残すことと、現在と同じ救急サービスを維持することを同一視しないことである。適切な広域運用によってサービス水準を改善できる場合もあれば、署所の削減によって地域の対応能力が低下する場合もある。どちらの結果になるかは、制度の名称ではなく、具体的な配置と運用によって決まる。

全国平均が同じでも、地域によって救急車の到着時間は大きく異なる

 救急体制を評価するときに、平均到着時間だけを見ることにも限界がある。全国平均や自治体全体の平均値は、救急活動のおおまかな状況を示す指標として有用だが、一部の地域で生じる長時間の到着遅延を十分に表さない場合がある。

 例えば、ある地域では10件すべての救急車が10分で到着し、別の地域では10件のうち9件が5分で到着する一方、残る1件だけ55分かかったと仮定する。この二つの地域はいずれも平均到着時間が10分となるが、住民が直面する救急サービスの状況は大きく異なる。

 特に人口減少地域では、居住地の一部が消防署から遠く離れている場合があるため、平均値に加えて長時間を要する事案の割合を見ることが重要になる。例えば、現場到着時間を短い順に並べ、全体のおおむね90%が収まる時間を示す90パーセンタイル値を確認すれば、平均値だけでは見えにくい到着時間の分布を把握しやすくなる。

 さらに、救急車の到着時間が同じであっても、患者の病態によって必要な対応は異なる。心停止や脳卒中、急性心筋梗塞などでは迅速な処置や専門治療が重要になる一方、すべての傷病について数分の差が同じ医学的意味を持つわけではない。そのため、救急医療の質を判断するには、到着時間だけでなく、必要な処置や治療に至る時間、患者の重症度、治療成績などを組み合わせて評価する必要がある。

 地方の救急医療については、平均して何分で到着するかという指標に加えて、遠隔地の住民がどの程度の時間を要しているのか、救急車が出払っているときにどの程度遅れるのか、必要な専門医療に到達するまで何分かかるのかという視点が求められる。

2050年の人口推計から30年後の救急体制をどう考えるか

 人口減少が進む地方の将来については、既に市町村単位の人口推計が公表されている。国立社会保障・人口問題研究所の「日本の地域別将来推計人口(令和5年推計)」では、2020年の国勢調査を基に、2050年まで5年ごとの総人口や年齢階級別人口が推計されている。

 ただし、2026年現在から30年後は2056年であり、この市町村別推計の対象期間である2050年とは一致しない。したがって、2050年までの公表値をそのまま2056年の人口として扱うことはできず、さらに先の人口構造を分析するには追加の推計条件を設定する必要がある。また、人口推計は一定の仮定に基づく将来人口の推計であり、消防署の配置、救急車の台数、医療従事者の人数、病院の機能まで予測したものではない。

 それでも、人口推計は救急医療の将来を検討するための重要な基礎資料になる。市町村ごとの総人口、65歳以上人口、75歳以上人口、85歳以上人口、生産年齢人口を比較し、そこへ消防署所の所在地、救急車の配置、道路網、受入医療機関の診療機能を重ねれば、人口構造の変化が地域の救急体制に与える影響を具体的に検討できる。

 例えば、千葉県外房地域の御宿町、いすみ市、勝浦市、大多喜町などを対象にする場合でも、自治体の総人口だけを比較するのでは不十分である。海岸部、市街地、内陸部、山間部では居住地の分布や道路条件が異なるため、救急車の到着時間や搬送先までの距離も一律ではない。市町村の境界だけで分析するのではなく、実際の消防管轄、相互応援体制、搬送先医療機関との位置関係を踏まえて検証する必要がある。

 こうした分析では、人口減少が進んでも現在の署所や救急車の配置を維持する場合、人口に応じて配置を縮小する場合、消防の広域化によって配置を再編する場合など、複数の将来シナリオを設定することが有効である。それぞれについて現場到着時間、長時間到着事案の発生状況、救急車の同時利用可能性、医療機関への搬送時間を比較すれば、単に救急体制が悪化するかどうかを議論するよりも、どの政策が有効なのかを検討しやすくなる。

30年後の救急車の到着時間は予測できるのか

 将来の人口構造については一定の見通しが得られているものの、それだけで30年後の救急車の到着時間を正確に予測することはできない。救急車の到着時間は、人口や高齢化率だけではなく、消防署所の配置、救急隊数、道路条件、地域ごとの出動頻度、救急車の稼働状況など、多くの要因によって決まるからである。

 将来予測を行う場合には、まず年齢別人口と救急利用率から地域の救急需要を推計し、その需要が時間帯別、地域別にどのように発生するかを検討する必要がある。さらに、救急車ごとの活動時間や待機場所、利用可能な車両数を組み合わせることによって、出動が重なったときの影響を評価することができる。

 このような分析には、出動の発生状況と救急車の稼働状況を確率的に扱う待ち行列モデルや、道路網と署所配置を考慮したシミュレーションなどが利用できる。ただし、モデルを使えば自動的に正しい将来予測が得られるわけではない。実際の救急活動データを用いてモデルの精度を検証し、人口推計や搬送時間などの条件を変えた場合に結果がどの程度変化するかを確認する必要がある。

 例えば、人口が減少しても救急車の配置台数が維持され、1件当たりの活動時間が短縮されれば、到着時間が改善する可能性がある。反対に、救急出動件数が減少しても署所の削減や病院の遠距離化によって救急車が利用できない時間が長くなれば、到着時間が悪化する地域も考えられる。つまり、人口減少という共通の条件があっても、地域の政策や運用によって将来の結果は変わり得る。

 この意味で、人口減少は救急車の到着時間を直接決める要因というよりも、救急サービスの需要と供給の構造を変化させる要因と考える方が適切である。

地方の救急体制で重要なのは「距離を支える能力」である

 地方の人口減少について議論すると、住民が減れば公共サービスの規模も小さくすればよいという考え方が出てくる。しかし、救急医療では、この考え方を人口に比例してそのまま適用することは難しい。住民が半分になっても地域の面積が半分になるわけではなく、広い範囲に生活する住民へ救急車を届ける必要が残るからである。

 しかも、救急サービスに必要なのは救急車という車両だけではない。救急隊員が常時出動できる勤務体制、通報を受ける通信指令機能、患者を受け入れる医療機関、搬送のための道路網などが一体となって機能しなければならない。これらの維持には一定の人員や費用が必要であり、人口減少によって住民1人当たりの負担が増える可能性がある。

 消防組織法では、市町村がその区域における消防を十分に果たす責任を負い、消防に要する費用を負担することが定められている。ただし、この法律によって全国一律の救急車到着時間が保証されているわけではない。したがって、地域の安全を維持するためには、消防の広域化や人員配置の見直し、財政負担の調整などを通じて、必要なサービス水準をどのように確保するかが政策課題となる。

 一方で、消防署を現在と同じ数だけ維持することが、必ずしも最善の解決策になるわけでもない。人口や居住地の分布が変化すれば、従来の署所配置が将来も最適であるとは限らず、隣接地域との共同運営によって救急車の利用可能性を高められる場合もある。重要なのは、施設の数や行政区域を守ることそのものではなく、地域全体として必要なときに救急車を届け、適切な医療につなぐ能力を維持することである。

 さらに、救急医療の維持を考えるうえでは、救急車の需要を減らすための地域医療や介護、疾病予防も無視できない。高齢者の転倒予防、慢性疾患の適切な管理、在宅医療や介護との連携などによって、予防可能な急変や搬送を減らせる可能性がある。ただし、必要な救急要請まで抑制することは望ましくないため、救急需要の適正化は患者の安全を前提として進める必要がある。

30年後も現在と同じ時間で救急車が来るために必要なこと

 地方で30年後も現在と同じ水準の救急サービスを維持できるかという問いに対して、人口推計だけから明確な答えを出すことはできない。人口減少や生産年齢人口の縮小によって消防・救急体制の維持が難しくなる可能性はあるものの、救急需要の変化、消防の広域化、医療機関との連携、技術の導入などによって結果は異なるからである。

 現在の公的統計から確認できるのは、全国の救急出動件数が長期的に高い水準となっていること、搬送人員の6割以上を高齢者が占めていること、そして人口構造の変化が地域ごとに異なるという事実である。一方、これらの事実だけから、30年後の地方で救急車の到着時間が何分延びるのか、あるいはどの自治体で救急体制が維持できなくなるのかを断定することはできない。

 将来を考えるために必要なのは、人口減少を理由に危機を強調することでも、技術の進歩によって問題が自然に解決すると期待することでもない。地域ごとの人口構造、救急需要、署所配置、車両の稼働状況、医療機関の受入能力を把握し、複数の政策選択肢を比較することである。

 特に人口減少地域では、救急車が平均して何分で到着するかという問題だけでなく、遠隔地の住民や、複数の救急要請が重なったときに対応を必要とする住民が、どの程度の時間で救急医療にアクセスできるかを確認する必要がある。平均到着時間が維持されていても、一部の地域で長時間の遅延が増えているのであれば、地域全体のサービス水準が十分に維持されているとは言い切れない。

 したがって、「地方では30年後も救急車が今と同じ時間で来るのか」という問いに対する現時点での答えは、何もしなくても現在の水準を維持できると保証することはできないが、人口減少だけを理由に必ず遅くなると結論付けることもできない、というものである。

 人口減少によって救急医療の需要と供給の関係が変化することは、将来の人口推計からある程度見通すことができる。しかし、消防署をどこに配置し、救急車をどのように運用し、どの医療機関で患者を受け入れるかは、人口統計だけで決まるものではない。これらは自治体や消防機関、医療機関が、地域の実情を踏まえて選択していく政策上の問題でもある。

 30年後の救急体制は、30年後になってから検討すればよい問題ではない。人口減少がさらに進み、人材や財政の制約が大きくなってから対応するよりも、現在のうちから実測データを分析し、将来の需要と供給を検証しておくことには合理性がある。

 問われているのは、人口が減っていく未来を正確に言い当てられるかどうかではない。人口構造が変わることを前提として、限られた人員と財源のなかで、地域のどこに住んでいても必要な救急医療にアクセスできる体制を、今からどのように設計していくかという問題なのである。

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 ※この記事は、当初公開した記事について、2026年10月1日に厚生労働省、千葉県、公立長生病院などの公表資料をあらためて確認し、外来医師偏在指標、救急医療体制、病床機能、公立長生病院の救急基幹センター承認取消しなどの最新情報を反映して加筆・修正したものです。

病院の数だけでは分からない「地域医療の強みと弱点」を生活者目線で検証

 茂原市と長生郡には病院や診療所があり、茂原市本納には公立長生病院、茂原市八千代には長生郡市夜間急病診療所があります。また、休日当番医や救急当番病院の仕組みも設けられているため、医療機関の数だけを見れば、地方部として一定の医療基盤がある地域と考えることができます。

 しかし、地域医療の実力は病院や診療所の数だけでは判断できません。夜間に子どもが発熱したとき、高齢者が転倒して骨折したとき、心筋梗塞や脳卒中が疑われるとき、高度ながん治療や心臓手術が必要になったとき、退院後に自宅療養へ移行するとき、あるいは高齢になって自動車を運転できなくなったときに、実際にどの医療機関へ、どの程度の時間で到達できるのかを見る必要があります。

 茂原市・長生郡の医療体制は、日常的な外来診療から一定範囲の入院・救急医療までを地域内で支える一方、重症救急、高度急性期医療、一部の専門医療については、東金市、市原市、千葉市など地域外との連携を前提としています。そのため、「病院があるか」ではなく、病気の重さに応じてどこまで地域内で完結でき、どの段階から地域外へ移動する必要があるのかという視点が重要になります。

 なお、本記事で使用する統計には「茂原市・長生郡だけの数字」と、「山武長生夷隅保健医療圏全体の数字」があります。山武長生夷隅保健医療圏には、茂原市・長生郡だけでなく、東金市、山武市、大網白里市、勝浦市、いすみ市、大多喜町、御宿町なども含まれるため、医療圏全体の統計をそのまま茂原市・長生郡の実態とみなすことはできません。本記事では、この違いを可能な限り明確に区別します。

先に結論~日常医療の基盤はあるが、高度医療まで地域内で完結する地域ではない

 茂原市・長生郡には、日常診療、初期救急、一定範囲の入院・手術を支える医療基盤があります。一方で、重症救急や高度専門医療まで地域内ですべて完結できる体制ではなく、東金、市原、千葉などの医療機関との広域的な役割分担が重要です。

 したがって、「長生地域には医療機関が少なく、病気になると何もできない」という評価は適切ではありませんが、「茂原市に複数の病院があるので、どのような病気でも地域内で治療できる」という評価も適切ではありません。実際の医療環境は、診療科、時間帯、患者の重症度、専門医の勤務状況、病床、救急受入状況、交通手段などによって大きく変わります。

 特に近年重要なのが、重症救急を地域内でどこまで維持できるかという問題です。公立長生病院は現在も救急病院等として位置付けられていますが、24時間体制で重症救急患者に対応する救急基幹センターについては、医師確保が困難であることなどを理由として指定辞退の申請が行われ、その後、承認取消しの手続きが進められました。この事実は、「救急病院が存在すること」と「24時間、高度な重症救急を地域内で完結できること」が同じではないことを示しています。

1.「茂原市・長生郡」といっても医療条件は同じではない

 長生地域は、茂原市のほか、一宮町、睦沢町、長生村、白子町、長柄町、長南町から構成されており、その中では茂原市が商業、行政、医療の中心として機能しています。そのため、同じ長生地域であっても、自宅の所在地によって医療機関へのアクセス条件は大きく異なります。

居住地域 医療面で考慮すべき特徴
茂原駅周辺 病院・診療所の選択肢が比較的多い
本納周辺 公立長生病院を利用しやすい
一宮町・長生村 茂原方面と地域内診療所を使い分けやすい
白子町 茂原方面への自動車移動の重要性が高い
睦沢町 茂原市・一宮町方面への移動も想定する必要がある
長柄町 茂原市に加えて市原方面も選択肢となり、塩田記念病院も所在する
長南町 茂原・市原方面への交通条件が重要になる

 この違いは医療機関の優劣を意味するものではありません。重要なのは、「地域内に病院がある」という行政区域上の情報と、自宅から実際の受診先まで何分かかるかという生活上の医療アクセスは別だという点です。特に高齢者、運転できない人、子育て世帯では、距離だけでなく、夜間にも移動できるか、家族が送迎できるか、公共交通機関が利用できるかまで考える必要があります。

2.地域医療の中心となる公立長生病院

 公立長生病院は茂原市本納にある公立病院で、病院概要では一般病床180床、そのうち30床が地域包括ケア病床とされています。内科、外科、産婦人科、整形外科、小児科、皮膚科、眼科、脳神経内科、耳鼻咽喉科、泌尿器科、脳神経外科、麻酔科、放射線科、リハビリテーション科など、地域病院として幅広い診療科を掲げています。

 地域包括ケア病床は、急性期治療が終了しても直ちに自宅へ戻ることが難しい患者について、在宅復帰へ向けた治療やリハビリテーションを行うための病床です。高齢者では、肺炎や骨折そのものが改善しても、歩行、食事、服薬、介護環境などが整わなければ退院できない場合があり、こうした急性期医療と在宅生活の中間を支える機能には大きな意味があります。

診療科があることと、いつでも診てもらえることは同じではない

 公立長生病院に多数の診療科が掲げられていても、すべての診療科で毎日、常勤医が診療し、夜間や休日まで同じ機能を提供しているわけではありません。地方の病院を評価するときには、診療科名だけでなく、常勤医か非常勤医か、診療曜日、予約の必要性、初診受入、手術や入院への対応、夜間休日の体制、休診時の紹介先まで確認する必要があります。

 また、「病床数」と「実際に常時稼働している病床数」も必ずしも同じではありません。病院の公称病床数だけから実際の入院受入能力を判断することはできず、医師・看護師などの人員配置や病棟運用まで含めて見る必要があります。

3.茂原市・長生郡には複数の救急病院等がある

 千葉県が2026年9月時点で公表している救急病院等一覧では、茂原市内では君塚病院、宍倉病院、菅原病院、山之内病院、公立長生病院が掲載されており、長生郡では長柄町の塩田記念病院が掲載されています。

医療機関 所在地
君塚病院 茂原市
宍倉病院 茂原市
菅原病院 茂原市
山之内病院 茂原市
公立長生病院 茂原市
塩田記念病院 長柄町

 ただし、「救急病院等」に認定されていることは、あらゆる症状の患者を24時間必ず受け入れられることを意味しません。実際の救急受入は、当直医の専門分野、病床の空き、手術室や検査部門の稼働状況、看護師などの勤務体制、患者の重症度、既に受け入れている患者数などによって変化します。

 したがって、救急車を呼べば必ず最寄りの病院へ搬送されるわけではありません。患者の状態と必要な専門医療、各病院の受入状況を踏まえて搬送先が決定され、場合によっては東金、市原、千葉など地域外へ搬送されます。

4.公立長生病院の救急基幹センター承認取消しが意味するもの

 長生地域の救急医療を考えるうえで重要なのが、公立長生病院の救急基幹センターをめぐる変化です。千葉県の審議資料によると、公立長生病院は2024年10月に救急基幹センターの指定辞退を申請し、その理由として、医師の働き方改革などを背景に、24時間体制で重症救急患者を診療するために必要な医師や、心筋梗塞、脳卒中、頭部外傷などに対応可能な医師を今後も配置し続けることが困難であることを挙げています。

 これは、公立長生病院が救急医療を行わなくなったという意味ではありません。同院は現在も救急病院等として位置付けられていますが、「一定範囲の救急患者を受け入れる病院」と「24時間、高度な重症救急を中心的に担う施設」は制度上も実態上も異なります。

 この変更は、長生地域の救急医療を評価する際に重要です。病院の施設数だけで判断するのではなく、心筋梗塞、脳卒中、重症外傷など時間依存性の高い病気について、どこまで地域内で対応でき、どの段階で東千葉メディカルセンターなどへ搬送するのかを見る必要があります。

5.夜間の発熱や腹痛はどこへ行けばよいのか

 茂原市八千代には長生郡市夜間急病診療所があり、内科と小児科の初期診療を担っています。案内上の受付時間は午後7時45分から午後10時45分で、診療終了後から翌朝にかけては救急当番病院を確認する仕組みとなっています。

 夜間急病診療所は、夜になって発熱した、子どもの咳が強くなった、腹痛が続いて翌朝まで待てるか判断しにくい、といった場合の入口として重要ですが、高度な検査、緊急手術、集中治療などを行う救命救急施設ではありません。

救急医療は段階を分けて考える

段階 主な対象 主な役割
初期救急 発熱、軽度の腹痛、軽症の小児急病など 夜間急病診療所、休日当番医
第二次救急 入院や手術が必要となる可能性がある患者 地域の救急病院等
第三次救急 生命に危険のある重篤患者 救命救急センター等

 長生郡市夜間急病診療所は主として初期救急を担い、茂原市や長生郡の救急病院等が一定範囲の入院・救急医療を担います。一方、重症心筋梗塞、重篤な脳卒中、多発外傷などについては、第三次救急を担う地域外の医療機関との連携が重要になります。

6.高度救急では東千葉メディカルセンターの役割が大きい

 山武長生夷隅保健医療圏では、東金市の東千葉メディカルセンターが救命救急センターとして高度な救急医療を担っています。また、2026年4月時点でも、同センターは山武長生夷隅保健医療圏の地域災害拠点病院に指定されています。

 したがって、茂原市・長生郡の医療は地域内だけで独立して成立しているのではなく、東金、市原、千葉などの医療資源を含めた広域的なネットワークとして理解する必要があります。

 広域連携そのものは医療制度上の欠点ではありません。すべての市町村に心臓外科、脳神経外科、高度ながん医療、集中治療などを備えた大病院を設置することは、人員面でも財政面でも現実的ではないため、地域病院と高度医療機関が役割分担することには合理性があります。

 しかし患者側から見れば、地域外受診には移動時間、家族の送迎、面会、駐車料金、退院後の通院などの負担が生じます。「県内に高度医療機関が存在すること」と「高齢者が無理なくそこへ通えること」は別の問題です。

7.外来医師偏在指標は82.9~ただし「医師不足率」ではない

 厚生労働省が公表した令和8年4月版の外来医師偏在指標では、山武長生夷隅医療圏は82.9となっています。以前の千葉県計画では85.9という値が使用されていましたが、現在の記事では最新値である82.9を用いる方が適切です。

 ただし、この数字を単純に「医師が17.1%不足している」などと解釈することはできません。外来医師偏在指標は人口だけでなく、医療需要、患者の流出入、医師の年齢や性別による勤務時間などを調整した相対的な指標であり、絶対的に何人の医師が不足しているかを直接示す数値ではありません。

 したがって科学的には、「山武長生夷隅医療圏は外来医師が特に多い圏域には該当せず、医師配置には制約がある」と評価するのが適切であり、「82.9だから医療崩壊している」といった結論を導くことはできません。

8.診療所は地域医療の重要な基盤だが、統計の基準年に注意が必要

 千葉県の保健医療計画などでは、山武長生夷隅医療圏について一般診療所263施設、診療所で診療に従事する医師253人、外来患者のうち診療所を受診する割合77.2%といった数値が示されています。しかし、これらは同じ時点の2026年実測値ではなく、施設数、医師数、患者数について異なる過去年の統計を基礎としているため、「2026年現在、診療所が263施設ある」と読むのは適切ではありません。

 それでも、この地域では診療所が高血圧、糖尿病などの慢性疾患や一般的な内科診療を支え、大病院への患者集中を防ぐ重要な役割を果たしているという構造自体は変わりません。一方で、内科診療所が複数存在しても、皮膚科、精神科、小児科、在宅医療など各分野の医療資源が均等に配置されているとは限りません。

 さらに、診療所医師の高齢化や後継者不足が進めば、一つの診療所の閉院が地域の医療アクセスに大きな影響を与える可能性があります。人口減少地域では、医療機関数だけでなく、今後10年、20年にわたって医療提供体制を維持できるかという持続可能性も評価する必要があります。

9.小児医療は「昼間の診療」と「夜間の入口」を分けて考える

 公立長生病院には小児科があり、長生郡市夜間急病診療所でも小児科の初期診療が行われています。そのため、「長生地域には小児医療がない」という評価は正しくありません。

 しかし、小児科が存在することと、24時間いつでも同じ水準の小児医療を受けられることは別です。夜間急病診療所終了後には当番病院などへの確認が必要となり、入院や専門治療が必要な小児患者については地域内で必ず完結するとは限りません。

 また、県の過去の調査では、地域医療機関が不足を感じる機能の一つとして小児医療が挙げられています。ただし、これは患者数と医師数を数理的に比較して算出した「不足率」ではなく、医療機関側の回答による不足感を表した調査であるため、客観的な供給不足量とは区別して扱う必要があります。

10.心臓病・脳卒中・がんでは地域外受診を想定しておく

 茂原市内でも循環器、脳神経、外科、画像診断などの医療は行われていますが、高度な心臓血管手術、専門的な脳卒中治療、高度ながん治療などでは、病状によって地域外の医療機関が選択される可能性があります。

 特に心筋梗塞や脳卒中では、医療機関の有無だけでなく、発症から診断・治療までの時間が重要です。したがって、高度医療へのアクセスを評価するときには、「高度医療機関が50キロ以内にある」といった単純な距離だけではなく、救急要請から現場到着、病院選定、搬送、治療開始までの時間を見る必要があります。

 地域外へ搬送された後にも、家族には面会や退院時の送迎、その後の定期通院などが生じます。60代の時点では自動車で問題なく通院できても、75歳、80歳になって配偶者も運転できなくなった場合には、同じ医療環境でも実質的な利用可能性が大きく低下します。

11.病床数は「総数」より機能を見る必要がある

 病床には、高度急性期、急性期、回復期、慢性期という異なる役割があり、単純に病床総数が多ければ十分とは言えません。

病床機能 主な役割
高度急性期 生命に関わる重症患者への高度治療
急性期 発症直後や手術後の治療
回復期 リハビリテーション、在宅復帰支援
慢性期 長期間の療養を必要とする患者への医療

 山武長生夷隅医療圏について、2025年の必要病床数として過去に示された数値は、高度急性期104床、急性期887床、回復期946床、慢性期994床でした。一方、千葉県が公表している2026年7月1日時点の予定病床機能は、高度急性期32床、急性期1,446床、回復期450床、慢性期1,133床です。

病床機能 2025年必要病床数 2026年7月予定 単純差
高度急性期 104 32 72床少ない
急性期 887 1,446 559床多い
回復期 946 450 496床少ない
慢性期 994 1,133 139床多い

 この表だけを見ると、高度急性期と回復期が少なく、急性期と慢性期が多い構造に見えます。ただし、2025年必要病床数と2026年の予定病床機能は算定方法や性質が異なるため、この差をそのまま「72床不足」「559床余っている」と断定することはできません。病床機能報告は医療機関側が報告する機能であり、必要病床数は将来需要を踏まえた政策上の推計だからです。

 それでも、高齢化が進む地域では、急性期治療そのものだけでなく、治療後のリハビリテーションや在宅復帰を支える回復期機能が重要になるという方向性は明確です。脳卒中や骨折では、命を救う急性期医療だけでなく、その後に歩行や食事能力を回復できるかが生活の質を大きく左右します。

12.在宅医療の需要は増える可能性が高い

 千葉県の過去の推計では、山武長生夷隅医療圏の在宅医療等の需要について、2013年を基準に2025年には46%、2035年には67%増加すると見込まれていました。2025年はすでに過ぎているため、現在の記事では「2025年に46%増と推計されていた」と表現し、実績値と将来推計を区別する必要があります。

 人口が減少する地域で在宅医療需要が増えることは矛盾ではありません。人口全体が減っても、医療や介護を必要とする後期高齢者の割合が上昇し、入院期間の短縮や在宅療養への移行が進めば、訪問診療、訪問看護、在宅リハビリテーションなどの需要は増える可能性があります。

 茂原市では訪問診療を中心に行う医療機関も活動しており、2025年の地域医療関係会議では、茂原すみれ訪問クリニックについて、開院後約3年間で自宅療養患者505人、施設療養患者27人に関わったことが報告されています。ただし、これは3年間の累積患者数であり、「同時に532人を診療できる」という意味でも、地域全体の在宅医療需要を満たしていることを意味する数字でもありません。

 在宅医療を評価する場合には、訪問診療を行う医師がいるかだけではなく、24時間連絡体制、訪問看護、薬剤師、ケアマネジャー、訪問介護、看取り、緊急時の入院先などを一体として見る必要があります。

13.自動車を運転できなくなると医療環境の評価が変わる

 茂原市・長生郡では、自動車を利用できる人と利用できない人とで、実際に利用できる医療機関の範囲が大きく変わります。自動車があれば複数の病院、診療所、薬局を使い分けやすくなりますが、免許返納後には、バス停まで歩けるか、診療時間とバス時刻が合うか、診察が長引いた場合に帰宅できるか、薬局まで移動できるかといった問題が生じます。

 ただし、「茂原市・長生郡は自動車依存が強い」という評価を科学的に立証するためには、病院までの自動車所要時間、公共交通利用時の所要時間、バス運行本数、タクシー料金、高齢者の免許保有率などのデータが必要です。現段階では生活実態から合理的に考えられる課題ではありますが、定量的な医療アクセス分析まで行われているわけではありません。

 今後、GIS(Geographic Information System・地理情報システム)を用いて各地域から主要病院までの30分・60分到達圏を分析すれば、茂原駅周辺、本納、一宮、白子、睦沢、長柄、長南などの医療アクセスの違いを、より客観的に比較することができます。

14.災害時には地域の病院そのものも被災する

 茂原市・長生郡では、河川洪水、内水氾濫、台風、長時間停電なども地域医療を考える際の重要な条件です。災害時には道路冠水によって救急車が通れなくなる可能性があり、停電や通信障害によって病院や在宅医療の機能が制限される場合もあります。

 特に透析、在宅酸素療法、人工呼吸器など継続的な電力や医療資材を必要とする人では、通常時の病院までの距離だけではなく、非常用電源、薬剤や医療材料の備蓄、代替受診先などを準備しておく必要があります。

 山武長生夷隅保健医療圏では、2026年4月時点でも東千葉メディカルセンターが地域災害拠点病院となっています。したがって、大規模災害時の医療も茂原市・長生郡だけで完結するのではなく、圏域全体の広域連携を前提としています。

15.「医療体制は十分か」を数理的に評価するには何が必要か

 「病院が6施設あるから十分」「医師偏在指標が低いから不十分」といった単純な判定は、科学的には適切ではありません。地域医療の十分性は、救急、小児、高度医療、回復期・在宅、交通アクセスなど複数の要素によって決まります。

 例えば、地域医療の総合評価を行う場合には、「救急対応能力」「小児医療」「高度医療へのアクセス」「回復期・在宅医療」「交通アクセス」という複数の項目をそれぞれ数値化し、重要度に応じて重みを付けて総合評価する方法が考えられます。

 仮に、救急対応能力をE、小児医療をP、高度医療へのアクセスをA、回復期・在宅医療をH、交通アクセスをTとすれば、総合指標Sは「E、P、A、H、Tの各評価値に、それぞれの重要度を掛けて合計する」という形で構成できます。ただし、どの項目をどの程度重視するかによって結果は変わるため、単一の点数だけで地域医療の良否を決めることはできません。

 実際に評価するためには、救急車の搬送時間、搬送困難事案件数、救急受入率、小児科医数、救命救急センターまでの時間、回復期病床の利用状況、訪問診療の供給量、30分・60分以内に病院へ到達できる人口割合などのデータが必要です。現時点の記事で確認できるのは主として「医療資源がどのように配置されているか」という構造であり、「実際にどれだけ迅速かつ適切に治療できているか」という結果まで完全に評価できるデータは不足しています。

 したがって、現在得られる資料から「茂原市・長生郡の医療は十分である」「不十分である」と二者択一で断定するのは適切ではありません。「日常医療の基盤は存在する一方、重症救急、高度専門医療、回復期、在宅医療、交通アクセスには制約があり、広域連携によって補っている」という評価が最も現実に近いと考えられます。

16.茂原市・長生郡の医療体制の強み

 この地域の第一の強みは、茂原市を中心として病院、診療所、公立病院が存在し、日常的な外来診療から一定範囲の入院・救急医療まで地域内で対応できることです。さらに、夜間急病診療所、休日当番医、救急病院等が用意されており、軽症患者が直ちに遠方の大病院へ向かわなければならない地域ではありません。

 第二の強みは、公立長生病院に地域包括ケア病床があり、急性期治療後の在宅復帰を支える機能を持っていることです。高齢化が進む地域では、救命医療だけではなく、退院後の生活へ戻す仕組みが重要になります。

 第三の強みは、東千葉メディカルセンターや市原・千葉方面の高度医療機関と連携できることです。すべての高度医療を茂原市内に設置することは現実的ではなく、広域連携を適切に機能させることには制度的な合理性があります。

17.茂原市・長生郡の医療体制の弱点

 最大の弱点は、病院の数と重症患者への対応能力が必ずしも一致しないことです。公立長生病院の救急基幹センター承認取消しは、医師確保が救急医療を維持するうえで現実的な制約となっていることを示しています。

 また、外来医師偏在指標は最新値で82.9であり、外来医師が豊富な圏域とは言えません。さらに、高度急性期や回復期については、政策上示された必要病床数と現在の病床機能構成との間に差があり、高齢化が進む中で、急性期治療後のリハビリテーションや在宅復帰をどのように支えるかが課題となります。

 加えて、医療機関が茂原市周辺に集中するため、郡部の住民にとっては交通手段が医療へのアクセスを左右します。現在自動車を運転できる人にとって問題が少なくても、高齢になり運転できなくなった後には、医療環境の実質的な評価が変わる可能性があります。

18.住民があらかじめ確認しておきたい医療の使い分け

状況 あらかじめ確認しておきたいこと
日常的な風邪・高血圧 かかりつけ診療所
夜間の軽症 長生郡市夜間急病診療所
休日の急病 休日当番医
外科的な急病 救急当番病院・消防への確認
生命に関わる状態 119番
心臓病・脳卒中 地域病院から高度医療機関への搬送体制
小児の夜間急病 夜間急病診療所、救急相談
在宅療養 訪問診療、訪問看護、緊急入院先
災害時 薬、医療機器電源、代替受診先

 胸の強い痛み、片側の手足の麻痺、言葉が出ない、激しい呼吸困難、意識障害など生命に関わる可能性のある症状がある場合には、自分で受診可能な病院を探し回るのではなく、119番通報を優先する必要があります。

19.移住や住宅購入前には「現在」ではなく「老後」の医療アクセスを見る

 茂原市・長生郡へ移住する場合には、住宅価格、買い物環境、自然環境だけでなく、医療アクセスを事前に確認しておくことが重要です。特に60代で移住する場合には、現在自動車で通院できるかよりも、75歳、80歳になったとき、あるいは夫婦の一方が運転できなくなったときに医療機関へどう通うかを考える必要があります。

 持病がある人は、現在の薬を継続処方できる医療機関、必要な検査設備、専門医の診療日、高度医療が必要になった場合の紹介先を確認する必要があります。子育て世帯では、小児科までの距離だけでなく、夜間・休日の入口、入院が必要になった場合の搬送先まで確認した方がよいでしょう。

 高齢夫婦の場合には、タクシー料金、公共交通、家族による送迎、訪問診療の対象地域、訪問看護、退院後の介護体制まで含めて考える必要があります。医療環境とは、病院までの直線距離ではなく、実際に医療を継続して利用できるかどうかだからです。

現実的な結論

 茂原市・長生郡には、公立長生病院、複数の救急病院等、診療所、夜間急病診療所などがあり、日常診療から一定範囲の入院・救急医療までを地域内で支える基盤があります。その意味では、医療資源がほとんど存在しない地域ではありません。

 一方で、公立長生病院の救急基幹センター承認取消しに象徴されるように、重症救急を24時間維持するための医師確保には現実的な制約があります。高度急性期医療、重症心疾患、脳卒中、高度ながん医療などでは、東金、市原、千葉など地域外の医療資源を利用することが前提となる場合があります。

 さらに、山武長生夷隅医療圏の外来医師偏在指標は82.9であり、外来医師が特に豊富な圏域とは言えません。病床機能についても、高度急性期や回復期をどのように確保するかが課題であり、今後は在宅医療や介護との連携も一層重要になります。

 ただし、これらの統計の多くは茂原市・長生郡だけを対象とした数字ではなく、東金、山武、いすみ、勝浦などを含む山武長生夷隅保健医療圏全体の数字です。そのため、医療圏平均だけから茂原市中心部や各町村の医療環境を断定することはできません。

 茂原市・長生郡の医療体制を最も現実的に表現するなら、「診療所で日常診療を受け、地域病院で検査・入院・一定範囲の救急医療を受け、重症時には東金、市原、千葉などの高度医療機関へつなぎ、治療後は回復期・在宅医療・介護へ戻す」という広域的な医療ネットワークです。

 今後必要なのは、単純に病院の数を増やすことではありません。限られた医師、看護師、病床、救急車、訪問診療、介護サービスをどのようにつなぎ、重症患者を速やかに適切な病院へ搬送し、治療後に地域生活へ戻せる仕組みを維持するかが重要です。

 そして住民側にとって特に重要なのは、この地域の医療体制が「自動車を運転できること」「家族が送迎できること」「必要に応じて地域外の病院へ移動できること」に支えられている部分があるという点です。現在の便利さだけでなく、10年後、20年後に自分や配偶者が運転できなくなった場合まで考えることが、移住、住宅購入、老後生活を判断するうえで重要になります。

主な確認資料

 厚生労働省「外来医師偏在指標(令和8年4月版)」、千葉県「救急病院等一覧」、千葉県「病床機能報告制度(令和7年)」、千葉県「災害拠点病院の指定について」、千葉県「公立長生病院の救急基幹センターの承認取り消しについて」、公立長生病院「病院概要」、千葉県保健医療計画および山武長生夷隅保健医療圏関係資料などを基礎資料とした。

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