地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 本稿で触れる法律、成年後見制度、日常生活自立支援事業、高齢者等終身サポート事業その他の制度は、2026年9月時点の内容を前提としている。高齢者をめぐる支援制度は現在まさに見直しの途上にあり、2026年6月には社会福祉法等の改正法も公布されているため、今後、施行時期や具体的な運用が変わる可能性がある。したがって、ここで考える「老後の事務管理」は、既存制度を代替したり法律行為を代理したりする仕事ではなく、本人に十分な判断能力がある段階から生活情報を整理し、必要になったときに家族や専門職へ正確につなげられる状態を保つ、いわば予防的な生活管理サービスとして考えてみたい。

 高齢になった人の家を訪ねても、その家が荒れているとは限らない。庭はきれいに手入れされ、食器は片づき、冷蔵庫には食材があり、毎日の薬も決められた場所に並んでいる。それでも引き出しを一つ開けると、何年も使っていない銀行口座の通帳、契約内容を説明できない保険証券、通信会社から届いた封筒、固定資産税の通知、期限の過ぎた行政書類、使っているのかどうか分からないクレジットカードが現れ、さらにスマートフォンの中には家族の誰も知らない認証情報や契約が積み重なっている。家は片づいていても、人生の事務は静かに散らかっていくのである。

 老後について考えるとき、多くの人は健康、介護、年金、相続、葬儀には比較的早く目を向けるが、その間に横たわる膨大な「日常事務」は見落とされやすい。元気なうちは銀行へ行き、電話をかけ、郵便物を読み、インターネットで手続きをし、不要な契約を解約できるため、それらを能力だと意識する必要がない。しかし年齢を重ねるにつれて、契約内容を比較し、複数の請求を管理し、古い書類と現在の契約を結び付け、期限を覚え、必要な相手へ連絡するという一連の作業は、身体介護とは別の負担として少しずつ大きくなる。

介護が始まる前に、事務の能力が揺らぐことがある

 ここで重要なのは、認知症と「何もできなくなる状態」を同一視しないことである。アルツハイマー型認知症などでは認知機能が徐々に変化することが多い一方、病型や原因によって経過は異なり、脳血管障害などを契機として急激あるいは階段状に低下する場合もあるため、誰もが同じ順序で能力を失うわけではない。それでも研究から比較的はっきり分かっているのは、食事や着替えといった基本的な生活が保たれている段階でも、金銭管理、服薬管理、電話、予定管理、買物、銀行明細の理解といった複雑な生活行為に変化が現れることがあるという点である。

 こうした能力はIADL(Instrumental Activities of Daily Living・手段的日常生活動作)と呼ばれ、MCI(Mild Cognitive Impairment・軽度認知障害)を対象とした多数の研究でも、金融管理など認知的負荷の高い行為ほど影響を受けやすいことが報告されている。37研究をまとめた系統的レビューでは、その大半で何らかのIADL低下が確認され、特に金融能力は多くの研究で差が認められた。つまり、「まだ一人で暮らせるから、事務もすべて大丈夫だろう」という推測は必ずしも成り立たない。

 ただし、ここでも注意が必要である。MCIを単純に「認知症の前段階」と呼ぶと、認知症への一本道であるかのような誤解を招く。実際には、長期追跡研究をまとめた近年の分析でも、MCIのまま推移する人、認知症へ進行する人、正常認知の範囲へ戻る人が存在し、その割合は病院を受診した集団なのか一般地域の集団なのかによっても大きく異なる。したがってMCIは、認知症への進行リスクが高い状態の一つではあっても、認知症になることを意味する診断ではない。

 それでも社会全体で見ると規模は小さくない。厚生労働省の研究班による推計では、2040年には認知症の高齢者が約584万人、MCIの高齢者が約613万人になると見込まれている。さらに高齢単身者も増えており、65歳以上人口に占める一人暮らしの割合は2050年には男性約26%、女性約29%に達すると推計されているため、これまで配偶者や子どもが暗黙のうちに補ってきた生活事務を、本人だけで管理する家庭が増えることになる。

必要なのは通帳の整理ではなく、「人生の事務地図」である

 では、認知機能が十分なうちに何を整理すればよいのだろうか。ここで「通帳をまとめる」「保険証券を一冊にする」「パスワードを書いておく」と個別作業だけを並べてしまうと、本質を見失う。必要なのは書類をきれいにファイルすることではなく、その人の生活が何によって動いているのかを、本人以外の人でも必要になれば理解できる状態にしておくことである。

 年金はどの口座へ振り込まれ、その口座から何が引き落とされているのか。電気、通信、保険、自動車、住宅、税金にはどのような契約があり、どこへ連絡すればよいのか。通院している医療機関はどこで、緊急時に連絡してほしい家族は誰なのか。土地や建物について相談してきた相手は誰で、重要書類はどこに置かれているのか。こうした情報が互いにつながって、初めて生活全体を示す「人生の事務地図」になる。

 本人の頭の中には、多くの場合この地図が存在している。「電気代はいつもの口座から落ちる」「保険のことはあの会社に電話すればよい」「土地のことは昔から頼んでいる人が知っている」と本人は理解しているため、わざわざ文章にする必要を感じない。しかし、その地図が本人の記憶の中にしか存在しなければ、病気や事故、認知機能の低下によって家族が突然そこへ入れなくなる可能性がある。

 老後の事務管理で本当に保存すべきものは、紙そのものではなく、この地図なのである。

家族を疲弊させるのは、大事件より小さな不明点の連続である

 高齢者の財産問題というと、相続税や巨額の預貯金、不動産処分などが注目されるが、実際に家族の時間を奪うのは、もっと小さな「分からない」の積み重ねである。父親が入院したので携帯電話の契約を見直そうとしても契約会社が分からず、母親が施設へ入ったので実家の通信回線を止めようとしても契約書が見つからず、毎月口座から数千円が引き落とされているのに何の料金なのか説明できず、保険会社から書類が届いても継続すべき契約なのか家族には判断できない、という出来事が少しずつ重なっていく。

 一件だけなら大したことではない。しかし十件、二十件と重なると、離れて暮らす子どもは仕事を休んで実家へ行き、引き出しを探し、金融機関や通信会社へ電話をかけ、本人に何度も同じことを尋ねなければならなくなる。そのとき初めて、「元気なうちに聞いておけばよかった」という言葉が出てくるのである。

 そう考えると、老後の事務管理が提供する価値は「書類を片づけること」ではない。将来、家族が費やす探索時間と混乱を減らすことであり、そこまで価値を言い換えなければ、わざわざ料金を払うサービスにはなりにくい。

実は、この仕事の周辺には既に制度がある

 ただし、この領域を「誰も気付いていない全く新しい仕事」と表現するのは正確ではない。既に公的制度として日常生活自立支援事業があり、認知症高齢者など判断能力が不十分な人のうち、利用契約については理解できる人を対象に、福祉サービスの利用援助や日常的な金銭管理などを社会福祉協議会が支援している。2024年度の実利用者は約5万7千人であり、郵便物の確認、支払い支援、重要書類の預かりなど、この記事で考える仕事と重なる部分も存在する。

 また民間では、身元保証、日常生活支援、入院や施設入所時の支援、死後事務などを提供する「高齢者等終身サポート事業」が既に広がっている。サービス内容や契約期間、預託金などをめぐる問題もあるため、国は2024年に事業者向けガイドラインを策定し、さらに2026年6月には社会福祉法等の改正法が公布された。改正法全体は原則として2027年4月1日に施行されるが、頼れる身寄りがない高齢者などへの日常生活支援や死後事務等に関係する新たな第二種社会福祉事業の中心規定については、公布後2年以内の政令で定める日から施行される仕組みとなっており、この領域が今まさに制度整備の途中にあることが分かる。

 つまり「老後の事務管理」の商機は、制度が存在しないことにあるのではない。既存制度を並べてみると、その手前に残された空間が見えてくることにある。

 日常生活自立支援事業は、既に判断能力が不十分になっている人を主な対象としている。成年後見制度や任意後見制度には法的な財産管理や代理という重要な役割があり、任意後見では本人に十分な判断能力があるうちに公正証書で契約を結び、判断能力が低下した後、家庭裁判所が任意後見監督人を選任することで契約の効力が生じる。一方、高齢者等終身サポート事業は、身元保証や死後事務まで含む場合が多い。そのどれとも少し違う、「まだ十分に判断できる人が、自分自身の生活情報を整理し、その状態を定期的に更新する」という予防的な領域が残っているのである。

「何でもしてくれる人」にしてはいけない

 この仕事を実際の事業にするとき、最も危険なのは親切の範囲を広げすぎることである。「老後のことなら何でもお任せください」と言った瞬間に、単なる書類整理から、法律、税務、行政手続、財産管理へ踏み込む可能性が生まれる。

 本人の書類を一緒に確認し、現在利用している契約を一覧にし、本人から聞いた連絡先を記録し、重要書類の所在を本人と確認することと、本人に代わって契約を締結したり、紛争について法律判断をしたりすることは同じではない。報酬を得る目的で法律事件について法律事務やその周旋を業として行えば弁護士法上の問題となり得るし、報酬を得て官公署に提出する書類や権利義務・事実証明に関する書類を作成すれば行政書士法との関係を検討しなければならない。税務代理、税務書類作成、税務相談は税理士法による資格業務であり、年金や社会保険についても内容によって社会保険労務士の専門領域になる。

 したがって、このサービスで最も重要な商品設計は、「何をしてくれるのか」だけではなく「何をしないのか」を決めることである。情報を整理し、本人の説明を記録し、本人自身が判断しやすい形にし、専門的判断が必要になれば本人に適切な相談先を案内するという線を越えない方が、むしろ長期的には事業として強い。現金やキャッシュカードを安易に預からず、暗証番号を事業者側で一括保管せず、本人の意思を越えて契約を変えず、法律や税務について結論を出さないという制約は、サービスを弱くするためではなく、利用者を守るための構造になる。

この仕事では、個人情報そのものが原価になる

 老後の事務を整理すれば、必然的に非常に深い個人情報を扱うことになる。銀行、保険、不動産、家族関係、連絡先だけでなく、通院先、病歴、投薬情報まで把握するサービスに発展すれば、その一部は個人情報保護法上の要配慮個人情報となり、原則として取得に本人同意が必要になる。

 だからこの仕事では、「信用できる人です」という人柄だけでは不十分である。誰が情報を見ることができるのか、紙をどこに保管するのか、電子データをどの端末に入れるのか、退会した顧客の情報をいつ廃棄するのか、家族から電話があったとき本人の同意なしに何を答えてよいのかまで、あらかじめ決めておかなければならない。

 情報セキュリティは、この事業では後から付け加える経費ではない。サービスそのものの原価である。

高齢者相手だからこそ、売り方にも制限が必要になる

 営業方法にも注意が必要である。高齢者宅を訪ね、その場で有料サービスの契約を締結する形を採れば、契約形態によっては特定商取引法の訪問販売に該当し、法定書面の交付や原則8日間のクーリング・オフなどの規制を受ける可能性がある。

 それ以上に重要なのは、この事業が恐怖を売る商売になりやすいことである。「今整理しなければ認知症になったとき大変ですよ」「子どもに迷惑をかけますよ」と不安を刺激すれば、短期的には契約を取れるかもしれない。しかし、認知機能の低下を扱う事業者が本人の不安を利用して契約を迫れば、そのサービスの根本にある信用を自ら壊すことになる。

 このサービスで売るべきものは、「認知症への恐怖」ではなく、「元気な今だから自分で決められる」という安心である。

一度片づけても、人生の事務はまた散らかる

 ここに、従来の終活と少し違うビジネスモデルが見えてくる。エンディングノートを書いた日には正確だった情報も、五年後まで正しいとは限らない。銀行口座を解約し、通信会社を変更し、自動車を手放し、保険を見直し、病院が変わり、配偶者が亡くなれば、生活の構造そのものが変わっていくからである。

 したがって最初に生活全体を棚卸しして終わるのではなく、半年や一年ごとに本人と確認し、変化した部分だけを更新する方が実際の生活には合っている。そうすれば、情報が古くなるのを防ぐだけでなく、その人がどのような生活をしてきたのかという履歴も少しずつ蓄積されていく。

 この履歴は認知症になったときだけ役立つものではない。突然の入院、事故、配偶者の死亡、施設入所など、本人が一時的に事務を行えなくなった場面でも価値を持つため、商品名を「認知症対策」に限定しない方がよい理由もここにある。

市場はありそうだが、採算まで証明されたわけではない

 需要の背景はかなり強い。高齢者人口は大きく、高齢単身世帯も増え、認知機能に課題を抱える人も少なくなく、実際に国がこの分野の制度整備へ動いている。しかし、需要が存在することと、民間の小規模事業者が利益を出せることは別問題である。

 例えば月額3,000円なら、月商約10万円を得るために34人程度の継続顧客が必要になる。月額5,000円なら20人で月商10万円になるが、そこから訪問時間、移動時間、電話対応、記録作成、顧客獲得、賠償責任への備え、情報管理などの費用を引かなければならないため、「30人契約したから月15万円の利益になる」という計算にはならない。

 特に地方では顧客の人数より密度が重要になる。同じ30人でも、一つの住宅地に集中している30人と、車で一時間の範囲に散らばる30人では採算が全く違うため、この仕事は全国へ広く広告するより、ある地域の中で信頼と顧客密度を積み上げる方が向いている可能性が高い。

 料金についても、高齢者本人だけを顧客だと考える必要はない。むしろ離れて暮らす四十代、五十代、六十代の子ども世代が、「親が何かあったとき、生活の全体像だけは分かる状態にしてほしい」と費用を負担する市場が考えられる。ただし、これも現段階では合理的な仮説であって、十分な支払意思が実証されたとまでは言えない。実際に事業化するなら、小規模な地域で料金を変えながら試し、契約率、継続率、一人当たり対応時間、移動時間、解約率を測定して初めて採算性を判断すべきである。

公的支援が増えるほど、民間は「その前」を狙う

 今後、公的な支援制度が充実していけば、この仕事の市場がなくなるようにも見える。しかし、むしろ市場の境界がはっきりする可能性がある。判断能力が低下し、生活支援や財産管理の必要性が高くなった段階には既存の福祉制度や成年後見制度があり、頼れる身寄りがない人への公的支援も今後拡充されていく一方、それらが必要になる前の「まだ元気だからこそ自分で整理しておきたい」という領域は、必ずしも公的制度が全面的に担う必要はない。

 七十歳になったから支援されるのではなく、七十歳の自分が八十五歳の自分のために情報を整理しておく。本人の判断能力が十分なうちに、自分が何を所有し、誰と契約し、何を残し、誰に何を知らせたいのかを自分自身で決める。その作業を定期的に手伝うのであれば、「高齢者を管理するサービス」ではなく、「本人の自己決定を長く保つためのサービス」と考えることができる。

 この違いは大きい。

人生には総務部がない

 考えてみれば会社には総務があり、経理があり、契約を管理する人がおり、重要書類の保管場所が決まっている。担当者が退職すれば引き継ぎを行い、取引先や銀行口座や契約内容も会社の情報として残される。

 ところが一人の人生は、会社より長く続くことがあるにもかかわらず、引き継ぎという制度をほとんど持っていない。若いころに作った銀行口座、四十代で加入した保険、五十代で購入した不動産、六十代で始めたインターネットサービスが一人の頭の中に積み上がり、本人だけが知っている状態のまま八十代を迎える。

 そして、ある日その記憶が曖昧になってから、家族が人生全体の復元を始める。

 それでは遅いのである。

 「老後の事務管理」という仕事は、まだ誰も行っていない仕事ではない。その周囲には社会福祉協議会があり、成年後見制度があり、行政書士、司法書士、弁護士、税理士、社会保険労務士などの専門職があり、高齢者等終身サポート事業者も既に存在している。

 それでも、その間には仕事が残っている。

 法律問題になる前、判断能力を失う前、介護が必要になる前に、本人と一緒に生活の地図を作り、それが古くならないよう静かに更新していく仕事である。

 人口が減少する地域では、店も働き手も減り、「もう新しい商売などない」と考えやすい。しかし高齢化とは、単に既存市場が縮小する現象ではない。かつて家族の中で無償に処理されていた仕事が、家族構造の変化によって外へ押し出され、初めて市場として姿を現す現象でもある。

 老後に必要になるのは、介護だけではない。

 人生という小さな組織を最後まで動かすための総務機能も必要になる。そして、その総務を本人が元気なうちから準備するという考え方は、これからの地域社会において、一つの現実的な仕事になる可能性を持っている。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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数字で比較するサービスを見る

買い物に困る人がいるなら、それは商売になるのか

 夕方のスーパーで買い物かごをのぞけば、牛乳、豆腐、卵、野菜、総菜が入っている。どれも特別なものではないが、車を運転できる人にとって何でもないこの買い物が、車を手放した途端、一日の中で最も大きな仕事になることがある。最寄りのスーパーまで数キロあり、バスは一日に数本しかなく、タクシーを使えば買った食品より運賃の方が高くなる。人口減少と高齢化が進んだ地域では、こうした日常が少しずつ珍しいものではなくなっている。

 農林水産政策研究所が2020年の国勢調査などを基に推計したところ、店舗まで500メートル以上あり、自動車の利用が困難な65歳以上の「食料品アクセス困難人口」は全国で904万人、65歳以上人口の25.6%に達している。これは過疎地だけの問題ではないものの、店と住宅が離れ、公共交通も弱い地域ほど、買い物という日常行為が「移動できる人だけが簡単にできる仕事」へ変わりやすいことを示している。

 ただし、この904万人をそのまま「買い物代行の顧客候補」とみなすことはできない。地理的に店が遠くても家族が買ってくれる人もいれば、宅配を利用できる人もいるし、そもそも有料サービスにはお金を払いたくない人もいる。統計が示しているのは社会課題の大きさであって、市場規模そのものではないのである。

 それでも、買い物に困る人が一定数いることは間違いない。そこで思いつくのが買い物代行である。電話やメッセージで注文を聞き、スーパーで商品を買い、玄関まで届ける。困っている人がいて、自分には車があるのだから、商売としてこれほど分かりやすいものはないように見える。

 しかし、ここに地方の小さな商売を考えるときの厄介な罠がある。必要とされるサービスと、採算の取れるサービスは同じではない。

買い物代行が売っているのは、商品ではなく移動時間である

 仮に一回の買い物代行料を800円としよう。利用者から注文を聞き、スーパーへ向かい、商品を選び、会計を済ませ、家まで届けるまで45分かかったとすれば、一時間当たりの売上は約1,067円になる。これは利益ではなく、あくまで売上であり、ここからガソリン代、車両費、保険料、通信費、事務処理の時間などが差し引かれる。

 さらに重要なのは、事業者自身の労働時間にも価値があるということである。一時間働いて1,067円の売上しか生まれず、そこから車両経費まで支払うのであれば、地域に必要とされていても、事業としては長く続けにくい。

 都市であれば、同じマンションや近接した住宅へ短時間で何件も届けられるかもしれない。しかし過疎地では、一軒届けたあと次の家まで車で十分、十五分と走ることがある。この時間には商品もサービスも売れていないのに、人件費と車両費は発生している。つまり買い物代行の採算を壊しやすい最大の要因は、買い物そのものではなく、家と家の間に横たわる「売上を生まない移動時間」なのである。

 これは買い物代行に限らず、訪問型の生活支援サービス全般に共通する。困っている人が百人いるとしても、その百人が半径500メートル以内に暮らしている場合と、山や田畑を挟んで二十キロ四方に散らばっている場合では、市場としての性質がまるで違う。地方の商売では人口そのものより、一時間に何件の利用者へ接触できるかという顧客密度が採算を左右する。

 したがって「高齢者が多い町だから買い物代行が成り立つ」とは限らない。見るべきなのは高齢者人口だけではなく、実際に利用する人がどの範囲に何人いて、一人が月に何回利用し、一件当たりどれだけの粗利益を生み、それを一時間に何件積み重ねられるかである。

単発で一軒ずつ走るから、利益が消えていく

 買い物代行そのものが事業として成り立たないわけではない。料金が十分に高く、利用者が近い範囲にまとまり、複数世帯の注文を一度に処理できるのであれば、単独サービスでも成立する可能性はある。問題なのは、低料金の依頼を受けるたびに一軒ずつ走る形である。

 仮にスーパーまでの往復や店内での共通作業に20分かかり、一世帯ごとの商品選択、仕分け、配送、受け渡しに18分かかるとする。一世帯だけなら合計38分を使って売上800円だが、五世帯分をまとめれば、共通の20分を五世帯で共有できるため、110分で4,000円の売上になる。一時間当たりの売上は約1,263円から約2,182円へ上がる計算になり、同じ800円のサービスでも、注文のまとめ方によって採算構造は大きく変わる。

 ここに過疎地ビジネスの重要な特徴がある。売上を増やすために遠くの客まで集めればよいとは限らず、むしろ同じ地域で利用者を増やした方が一件当たりの移動時間が短くなり、利益が改善することがある。地方では「客数」だけではなく、「客同士の距離」が売上と同じくらい重要なのである。

一度の訪問に、一つしか価値を載せないという常識を捨てる

 さらに発想を変えてみる。買い物代行を「スーパーから食品を運ぶ仕事」と考えるから、800円なら800円だけで移動時間を回収しなければならなくなる。しかし、利用者が困っていることは買い物だけとは限らない。

 玄関まで食品を届けたとき、「電球が切れたけれど高いところに上がれない」と言われるかもしれないし、「スマートフォンに変な表示が出たので見てほしい」「役所から封筒が届いたが、どこを読めばいいのか分からない」と相談されることもあるだろう。介護、医療、法律相談、廃棄物運搬などには資格、許認可、専門的責任の境界があるため、何でも引き受ければよいわけではないが、暮らしの中には専門業者を呼ぶほどではなく、本人だけでは処理しにくい小さな仕事が数多く存在する。

 過疎地で考えるべきなのは、こうした仕事を一つずつ別のサービスとして増やすことではなく、一度の訪問ですでに発生している移動時間の上に、追加時間の少ない価値を重ねられるかということである。

 買い物を届けたついでに数分で電球を交換し、次回必要な日用品を確認し、スマートフォンの基本的な操作を手伝い、本人が希望するなら離れて暮らす家族へ「今日はいつも通りでした」と伝える。一度の移動に複数の価値が載れば、一件当たりの売上は増える一方で、移動時間そのものはほとんど増えない。

 ただし、この「複合化」も万能ではない。500円の追加料金を得るために五分余計に働くのであれば採算改善につながりやすいが、500円のために三十分余分にかかるなら、仕事を増やしたことで利益率が悪化する。大切なのはサービスの種類を増やすことではなく、追加される時間と費用に対して、どれだけ追加収益を得られるかという限界利益を見ることである。

「何でも屋」ではなく、「決まった道を回る商売」にする

 ここを間違えると、買い物、草取り、家具移動、スマートフォン相談、役所への同行まで何でも受け、朝から晩まで忙しいのに利益が残らない便利屋になってしまう。依頼が増えたのに儲からないという状態は、地方の生活支援サービスで最も避けたい形である。

 必要なのは、仕事を増やすことではなく移動を束ねることである。例えば毎週火曜日の午前は同じ地区を回ると決め、買い物の注文は前日までに受ける。スーパーで複数世帯分をまとめて買い、その地区を順番に訪問し、買い物の受け渡しと短時間の生活支援を行う。こうすれば「呼ばれるたびに走る商売」から「決められた道を回りながら売上を積み上げる商売」へ変わる。

 宅配便や移動販売の効率が、単に一個の荷物や一品の商品から高い料金を取ることで生まれているわけではないのと同じである。同じ地域へ向かう仕事をまとめ、移動という共通コストを複数の顧客で分けるから効率が上がる。小さな地域事業でも、この原理は変わらない。

「誰が使うか」と「誰がお金を払うか」を分けて考える

 もう一つ重要なのが、サービスを利用する人と料金を負担する人が同じとは限らないという点である。

 地方の実家に80代の母親が一人で暮らし、子どもは東京や大阪で働いている家庭を考えてみる。母親自身は買い物一回に千円を払うことを「もったいない」と感じるかもしれないが、遠方に暮らす子どもにとっては、毎週誰かが実家を訪ね、食品を届け、少し話をし、普段と違う様子があれば連絡してくれることには別の価値がある。

 このとき売っているものは、もはや買い物だけではない。「離れて暮らす親の日常が大きく崩れていないことを確認できる安心」が商品に含まれている。

 こう考えると、利用者は高齢者、直接の受益者は高齢者とその家族、支払者は遠方に暮らす家族という形もあり得る。地域内の所得だけを市場の上限と考える必要はなく、地域外に住む家族まで含めれば支払者の範囲は広がる。

 もっとも、「遠方の家族なら月数千円を払うだろう」と決めつけることはできない。実際に商売として始めるなら、月3,000円、5,000円、8,000円といった価格を提示したとき、何人が申し込むのかを調べなければならない。社会的に価値があることと、その価値に実際にお金が支払われることは別であり、ここでも必要性と支払意思を分けて考える必要がある。

単発利用を定期訪問へ変えると、商売の形が変わる

 買い物代行が不安定になりやすいもう一つの理由は、必要になったときだけ呼ばれることである。雨の日は注文が増え、体調がよい週には注文がなく、利用者が入院すれば突然利用が止まる。これでは翌月の売上を予測しにくい。

 そこで生活支援を定期訪問型にすると、事業の性格が変わる。例えば月に四回訪問する基本契約を設け、買い物の受け渡し、簡単な生活確認、短時間の日常支援をその範囲に含め、時間のかかる作業は別料金とする。価格は地域の所得、競合サービス、移動距離によって調整する必要があるが、重要なのは「一回の用事」を売るのではなく、「定期的に暮らしを支える関係」を商品にすることである。

 利用者側にも利点がある。電球一個を交換するためだけに業者を呼ぶのは気が引けても、「次に来たときに頼もう」と言える人が決まっていれば頼みやすい。提供側も毎週ほぼ同じ道を走るため予定が立ち、利用者が一定の地域に集まれば、一日に訪問できる件数も増えていく。

 人の暮らしを一日だけ見れば、困り事は偶然発生しているように見える。しかし一か月、一年という長さで眺めれば、食品は繰り返し必要になり、電球は切れ、庭には草が生え、家には小さな不具合が起こり、デジタル機器の操作にも迷う。単発ではばらばらに見える需要が、一人の暮らしの中では繰り返されているのである。

 そこに定期契約という形を与えることができれば、偶発的な小仕事の集まりが、ある程度予測できる継続収入へ変わる可能性が生まれる。

過疎地では、客を増やしすぎても儲からないことがある

 一般的な商売では、客は多いほどよいと考えがちである。しかし過疎地では少し事情が違う。北へ二十キロ、南へ十五キロ、山を越えて一軒、海沿いに一軒という具合に利用者が増えれば、売上と同時に移動時間まで増えてしまうからである。

 だから開業当初から町全域を商圏にする必要はない。むしろ狭い地域で十軒、二十軒と利用者を重ねられるかを考えた方がよい。一軒の利用者を獲得したら、その周辺に似た困り事を持つ人がいないかを見る。口コミで近所の利用者が増えれば、次の利用者までの距離が縮まり、一件増えるごとに運営効率が改善する地域が生まれる。

 その意味では、高齢者人口の多い自治体を探すだけでは不十分である。車を使えない高齢者が比較的まとまって暮らし、近くに競合する支援サービスが少なく、スーパーや公共交通までの距離に不便がある地域の方が、事業としては有望な場合がある。人口統計に加え、住宅地の形、道路、坂道、スーパー、病院、バス路線、宅配サービスの有無まで見なければ、実際の商圏は見えてこない。

 過疎地で恐れるべきなのは、人口が少ないことだけではない。顧客が薄く、遠く、ばらばらに存在することである。

商売になるかどうかは「困っている人の数」だけでは決まらない

 ここまで考えると、過疎地の生活支援ビジネスを評価するときに見るべき数字も変わってくる。単純な人口や高齢化率だけではなく、実際に利用する割合、一人当たりの利用頻度、一件当たりの粗利益、一時間に訪問できる件数、移動距離、継続率が重要になる。

 同じ高齢者千人の町でも、そのうち有料サービスを利用する人が二十人なのか百人なのかで市場は大きく違い、その百人が一か所に集まっているのか町中に散らばっているのかでも採算は変わる。さらに一人当たりの利用額が高くても、訪問に長い時間がかかれば利益は残らない。

 したがって、この事業を考えるときの本当の判断基準は「一件いくら取れるか」だけではない。一時間動いたときに、最終的にどれだけの粗利益を残せるかである。

 買い物代行800円だけで45分使うより、同じ地区で複数の注文をまとめ、一回の訪問に短時間の追加サービスを載せ、定期契約によって毎月の利用回数を安定させる方が、一時間当たりの収益は改善しやすい。ただし、それが本当に成立するかどうかは、机上の計算だけでは決まらない。実際の地域で料金を提示し、何人が利用し、どの程度継続するのかを小規模に試す必要がある。

「買い物」を入口にして、暮らし全体を見る

 これから人口減少が進めば、地域から店や交通が消えるだけではなく、これまで家族や近所の人が無料で引き受けてきた小さな仕事も、少しずつ担い手を失っていく可能性がある。若い家族は遠くに住み、近所の人も高齢になれば、「ちょっと車を出してくれないか」「ついでに買ってきてくれないか」という昔ながらの助け合いだけでは支えきれなくなる。

 その空白をすべて行政が埋めることは難しいだろうが、だからといって、困っている人がいる場所に自動的に商機が生まれるわけでもない。必要性がどれほど高くても、一件訪問するたびに赤字になる仕組みなら長く続かない。

 そこで必要になるのが、一つの困り事を一つの商品にする発想から離れることである。買い物、短時間の日常支援、生活状況の確認、遠方家族への連絡といった複数の価値を、一度の訪問へ無理なく重ねる。そのうえで訪問地域を狭くまとめ、移動時間を減らし、単発利用より継続利用を増やし、追加サービスについては「いくら売れるか」ではなく「何分追加され、いくら利益が増えるか」で判断する。そうして初めて、必要とされる仕事が続けられる商売へ近づいていく。

 スーパーの袋を玄関へ届けることだけを見れば、買い物代行は小さな仕事である。しかしその玄関の向こうには、車を手放した人の暮らしがあり、遠く離れた家族の心配があり、昨日まで誰かが無償で担ってきた小さな仕事が積み重なっている。

 過疎地で探すべき商機は、派手な新産業ばかりではないのかもしれない。昨日まで家族や近所の人が「ついでに」やっていたことが、今日は誰にもできなくなっている。その小さな空白を見つけ、一度の移動に複数の価値を載せ、誰がその価値にお金を払い、どれだけの頻度で利用し、どれほど近い範囲に顧客を集められるかを考える。

 人口が減る時代の商売とは、大量の客を集めることだけではない。少ない顧客の暮らしを少し深く理解し、一回走った道からできるだけ多くの価値を生み出すことである。「単発の買い物代行だけでは儲かりにくい」という事実は、地方に商機がないことを意味しているのではない。むしろ、地方では何を売るかだけでなく、どう束ね、どこで回り、誰に払ってもらうかまで設計しなければ商売にならないことを教えているのである。

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