買い物に困る人がいるなら、それは商売になるのか
夕方のスーパーで買い物かごをのぞけば、牛乳、豆腐、卵、野菜、総菜が入っている。どれも特別なものではないが、車を運転できる人にとって何でもないこの買い物が、車を手放した途端、一日の中で最も大きな仕事になることがある。最寄りのスーパーまで数キロあり、バスは一日に数本しかなく、タクシーを使えば買った食品より運賃の方が高くなる。人口減少と高齢化が進んだ地域では、こうした日常が少しずつ珍しいものではなくなっている。
農林水産政策研究所が2020年の国勢調査などを基に推計したところ、店舗まで500メートル以上あり、自動車の利用が困難な65歳以上の「食料品アクセス困難人口」は全国で904万人、65歳以上人口の25.6%に達している。これは過疎地だけの問題ではないものの、店と住宅が離れ、公共交通も弱い地域ほど、買い物という日常行為が「移動できる人だけが簡単にできる仕事」へ変わりやすいことを示している。
ただし、この904万人をそのまま「買い物代行の顧客候補」とみなすことはできない。地理的に店が遠くても家族が買ってくれる人もいれば、宅配を利用できる人もいるし、そもそも有料サービスにはお金を払いたくない人もいる。統計が示しているのは社会課題の大きさであって、市場規模そのものではないのである。
それでも、買い物に困る人が一定数いることは間違いない。そこで思いつくのが買い物代行である。電話やメッセージで注文を聞き、スーパーで商品を買い、玄関まで届ける。困っている人がいて、自分には車があるのだから、商売としてこれほど分かりやすいものはないように見える。
しかし、ここに地方の小さな商売を考えるときの厄介な罠がある。必要とされるサービスと、採算の取れるサービスは同じではない。
買い物代行が売っているのは、商品ではなく移動時間である
仮に一回の買い物代行料を800円としよう。利用者から注文を聞き、スーパーへ向かい、商品を選び、会計を済ませ、家まで届けるまで45分かかったとすれば、一時間当たりの売上は約1,067円になる。これは利益ではなく、あくまで売上であり、ここからガソリン代、車両費、保険料、通信費、事務処理の時間などが差し引かれる。
さらに重要なのは、事業者自身の労働時間にも価値があるということである。一時間働いて1,067円の売上しか生まれず、そこから車両経費まで支払うのであれば、地域に必要とされていても、事業としては長く続けにくい。
都市であれば、同じマンションや近接した住宅へ短時間で何件も届けられるかもしれない。しかし過疎地では、一軒届けたあと次の家まで車で十分、十五分と走ることがある。この時間には商品もサービスも売れていないのに、人件費と車両費は発生している。つまり買い物代行の採算を壊しやすい最大の要因は、買い物そのものではなく、家と家の間に横たわる「売上を生まない移動時間」なのである。
これは買い物代行に限らず、訪問型の生活支援サービス全般に共通する。困っている人が百人いるとしても、その百人が半径500メートル以内に暮らしている場合と、山や田畑を挟んで二十キロ四方に散らばっている場合では、市場としての性質がまるで違う。地方の商売では人口そのものより、一時間に何件の利用者へ接触できるかという顧客密度が採算を左右する。
したがって「高齢者が多い町だから買い物代行が成り立つ」とは限らない。見るべきなのは高齢者人口だけではなく、実際に利用する人がどの範囲に何人いて、一人が月に何回利用し、一件当たりどれだけの粗利益を生み、それを一時間に何件積み重ねられるかである。
単発で一軒ずつ走るから、利益が消えていく
買い物代行そのものが事業として成り立たないわけではない。料金が十分に高く、利用者が近い範囲にまとまり、複数世帯の注文を一度に処理できるのであれば、単独サービスでも成立する可能性はある。問題なのは、低料金の依頼を受けるたびに一軒ずつ走る形である。
仮にスーパーまでの往復や店内での共通作業に20分かかり、一世帯ごとの商品選択、仕分け、配送、受け渡しに18分かかるとする。一世帯だけなら合計38分を使って売上800円だが、五世帯分をまとめれば、共通の20分を五世帯で共有できるため、110分で4,000円の売上になる。一時間当たりの売上は約1,263円から約2,182円へ上がる計算になり、同じ800円のサービスでも、注文のまとめ方によって採算構造は大きく変わる。
ここに過疎地ビジネスの重要な特徴がある。売上を増やすために遠くの客まで集めればよいとは限らず、むしろ同じ地域で利用者を増やした方が一件当たりの移動時間が短くなり、利益が改善することがある。地方では「客数」だけではなく、「客同士の距離」が売上と同じくらい重要なのである。
一度の訪問に、一つしか価値を載せないという常識を捨てる
さらに発想を変えてみる。買い物代行を「スーパーから食品を運ぶ仕事」と考えるから、800円なら800円だけで移動時間を回収しなければならなくなる。しかし、利用者が困っていることは買い物だけとは限らない。
玄関まで食品を届けたとき、「電球が切れたけれど高いところに上がれない」と言われるかもしれないし、「スマートフォンに変な表示が出たので見てほしい」「役所から封筒が届いたが、どこを読めばいいのか分からない」と相談されることもあるだろう。介護、医療、法律相談、廃棄物運搬などには資格、許認可、専門的責任の境界があるため、何でも引き受ければよいわけではないが、暮らしの中には専門業者を呼ぶほどではなく、本人だけでは処理しにくい小さな仕事が数多く存在する。
過疎地で考えるべきなのは、こうした仕事を一つずつ別のサービスとして増やすことではなく、一度の訪問ですでに発生している移動時間の上に、追加時間の少ない価値を重ねられるかということである。
買い物を届けたついでに数分で電球を交換し、次回必要な日用品を確認し、スマートフォンの基本的な操作を手伝い、本人が希望するなら離れて暮らす家族へ「今日はいつも通りでした」と伝える。一度の移動に複数の価値が載れば、一件当たりの売上は増える一方で、移動時間そのものはほとんど増えない。
ただし、この「複合化」も万能ではない。500円の追加料金を得るために五分余計に働くのであれば採算改善につながりやすいが、500円のために三十分余分にかかるなら、仕事を増やしたことで利益率が悪化する。大切なのはサービスの種類を増やすことではなく、追加される時間と費用に対して、どれだけ追加収益を得られるかという限界利益を見ることである。
「何でも屋」ではなく、「決まった道を回る商売」にする
ここを間違えると、買い物、草取り、家具移動、スマートフォン相談、役所への同行まで何でも受け、朝から晩まで忙しいのに利益が残らない便利屋になってしまう。依頼が増えたのに儲からないという状態は、地方の生活支援サービスで最も避けたい形である。
必要なのは、仕事を増やすことではなく移動を束ねることである。例えば毎週火曜日の午前は同じ地区を回ると決め、買い物の注文は前日までに受ける。スーパーで複数世帯分をまとめて買い、その地区を順番に訪問し、買い物の受け渡しと短時間の生活支援を行う。こうすれば「呼ばれるたびに走る商売」から「決められた道を回りながら売上を積み上げる商売」へ変わる。
宅配便や移動販売の効率が、単に一個の荷物や一品の商品から高い料金を取ることで生まれているわけではないのと同じである。同じ地域へ向かう仕事をまとめ、移動という共通コストを複数の顧客で分けるから効率が上がる。小さな地域事業でも、この原理は変わらない。
「誰が使うか」と「誰がお金を払うか」を分けて考える
もう一つ重要なのが、サービスを利用する人と料金を負担する人が同じとは限らないという点である。
地方の実家に80代の母親が一人で暮らし、子どもは東京や大阪で働いている家庭を考えてみる。母親自身は買い物一回に千円を払うことを「もったいない」と感じるかもしれないが、遠方に暮らす子どもにとっては、毎週誰かが実家を訪ね、食品を届け、少し話をし、普段と違う様子があれば連絡してくれることには別の価値がある。
このとき売っているものは、もはや買い物だけではない。「離れて暮らす親の日常が大きく崩れていないことを確認できる安心」が商品に含まれている。
こう考えると、利用者は高齢者、直接の受益者は高齢者とその家族、支払者は遠方に暮らす家族という形もあり得る。地域内の所得だけを市場の上限と考える必要はなく、地域外に住む家族まで含めれば支払者の範囲は広がる。
もっとも、「遠方の家族なら月数千円を払うだろう」と決めつけることはできない。実際に商売として始めるなら、月3,000円、5,000円、8,000円といった価格を提示したとき、何人が申し込むのかを調べなければならない。社会的に価値があることと、その価値に実際にお金が支払われることは別であり、ここでも必要性と支払意思を分けて考える必要がある。
単発利用を定期訪問へ変えると、商売の形が変わる
買い物代行が不安定になりやすいもう一つの理由は、必要になったときだけ呼ばれることである。雨の日は注文が増え、体調がよい週には注文がなく、利用者が入院すれば突然利用が止まる。これでは翌月の売上を予測しにくい。
そこで生活支援を定期訪問型にすると、事業の性格が変わる。例えば月に四回訪問する基本契約を設け、買い物の受け渡し、簡単な生活確認、短時間の日常支援をその範囲に含め、時間のかかる作業は別料金とする。価格は地域の所得、競合サービス、移動距離によって調整する必要があるが、重要なのは「一回の用事」を売るのではなく、「定期的に暮らしを支える関係」を商品にすることである。
利用者側にも利点がある。電球一個を交換するためだけに業者を呼ぶのは気が引けても、「次に来たときに頼もう」と言える人が決まっていれば頼みやすい。提供側も毎週ほぼ同じ道を走るため予定が立ち、利用者が一定の地域に集まれば、一日に訪問できる件数も増えていく。
人の暮らしを一日だけ見れば、困り事は偶然発生しているように見える。しかし一か月、一年という長さで眺めれば、食品は繰り返し必要になり、電球は切れ、庭には草が生え、家には小さな不具合が起こり、デジタル機器の操作にも迷う。単発ではばらばらに見える需要が、一人の暮らしの中では繰り返されているのである。
そこに定期契約という形を与えることができれば、偶発的な小仕事の集まりが、ある程度予測できる継続収入へ変わる可能性が生まれる。
過疎地では、客を増やしすぎても儲からないことがある
一般的な商売では、客は多いほどよいと考えがちである。しかし過疎地では少し事情が違う。北へ二十キロ、南へ十五キロ、山を越えて一軒、海沿いに一軒という具合に利用者が増えれば、売上と同時に移動時間まで増えてしまうからである。
だから開業当初から町全域を商圏にする必要はない。むしろ狭い地域で十軒、二十軒と利用者を重ねられるかを考えた方がよい。一軒の利用者を獲得したら、その周辺に似た困り事を持つ人がいないかを見る。口コミで近所の利用者が増えれば、次の利用者までの距離が縮まり、一件増えるごとに運営効率が改善する地域が生まれる。
その意味では、高齢者人口の多い自治体を探すだけでは不十分である。車を使えない高齢者が比較的まとまって暮らし、近くに競合する支援サービスが少なく、スーパーや公共交通までの距離に不便がある地域の方が、事業としては有望な場合がある。人口統計に加え、住宅地の形、道路、坂道、スーパー、病院、バス路線、宅配サービスの有無まで見なければ、実際の商圏は見えてこない。
過疎地で恐れるべきなのは、人口が少ないことだけではない。顧客が薄く、遠く、ばらばらに存在することである。
商売になるかどうかは「困っている人の数」だけでは決まらない
ここまで考えると、過疎地の生活支援ビジネスを評価するときに見るべき数字も変わってくる。単純な人口や高齢化率だけではなく、実際に利用する割合、一人当たりの利用頻度、一件当たりの粗利益、一時間に訪問できる件数、移動距離、継続率が重要になる。
同じ高齢者千人の町でも、そのうち有料サービスを利用する人が二十人なのか百人なのかで市場は大きく違い、その百人が一か所に集まっているのか町中に散らばっているのかでも採算は変わる。さらに一人当たりの利用額が高くても、訪問に長い時間がかかれば利益は残らない。
したがって、この事業を考えるときの本当の判断基準は「一件いくら取れるか」だけではない。一時間動いたときに、最終的にどれだけの粗利益を残せるかである。
買い物代行800円だけで45分使うより、同じ地区で複数の注文をまとめ、一回の訪問に短時間の追加サービスを載せ、定期契約によって毎月の利用回数を安定させる方が、一時間当たりの収益は改善しやすい。ただし、それが本当に成立するかどうかは、机上の計算だけでは決まらない。実際の地域で料金を提示し、何人が利用し、どの程度継続するのかを小規模に試す必要がある。
「買い物」を入口にして、暮らし全体を見る
これから人口減少が進めば、地域から店や交通が消えるだけではなく、これまで家族や近所の人が無料で引き受けてきた小さな仕事も、少しずつ担い手を失っていく可能性がある。若い家族は遠くに住み、近所の人も高齢になれば、「ちょっと車を出してくれないか」「ついでに買ってきてくれないか」という昔ながらの助け合いだけでは支えきれなくなる。
その空白をすべて行政が埋めることは難しいだろうが、だからといって、困っている人がいる場所に自動的に商機が生まれるわけでもない。必要性がどれほど高くても、一件訪問するたびに赤字になる仕組みなら長く続かない。
そこで必要になるのが、一つの困り事を一つの商品にする発想から離れることである。買い物、短時間の日常支援、生活状況の確認、遠方家族への連絡といった複数の価値を、一度の訪問へ無理なく重ねる。そのうえで訪問地域を狭くまとめ、移動時間を減らし、単発利用より継続利用を増やし、追加サービスについては「いくら売れるか」ではなく「何分追加され、いくら利益が増えるか」で判断する。そうして初めて、必要とされる仕事が続けられる商売へ近づいていく。
スーパーの袋を玄関へ届けることだけを見れば、買い物代行は小さな仕事である。しかしその玄関の向こうには、車を手放した人の暮らしがあり、遠く離れた家族の心配があり、昨日まで誰かが無償で担ってきた小さな仕事が積み重なっている。
過疎地で探すべき商機は、派手な新産業ばかりではないのかもしれない。昨日まで家族や近所の人が「ついでに」やっていたことが、今日は誰にもできなくなっている。その小さな空白を見つけ、一度の移動に複数の価値を載せ、誰がその価値にお金を払い、どれだけの頻度で利用し、どれほど近い範囲に顧客を集められるかを考える。
人口が減る時代の商売とは、大量の客を集めることだけではない。少ない顧客の暮らしを少し深く理解し、一回走った道からできるだけ多くの価値を生み出すことである。「単発の買い物代行だけでは儲かりにくい」という事実は、地方に商機がないことを意味しているのではない。むしろ、地方では何を売るかだけでなく、どう束ね、どこで回り、誰に払ってもらうかまで設計しなければ商売にならないことを教えているのである。

