地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

外房の住宅地で暮らしていると、野生動物は必ずしも「山の中にいるもの」ではない。夜、自動車で細い県道や市町村道を走っていると道路脇に動物の姿が見えたり、朝になって庭を見ると植えていた花が食べられていたり、畑の一角が掘り返されていたりすることがある。キョンの独特な鳴き声を聞いたことがある人も少なくないだろう。こうした出来事は、一度だけなら自然の豊かな地域で暮らす面白さの一つとして受け止めることもできる。しかし、それが日常の風景になり、しかも住民の高齢化が進んでいくと、獣害は単に農作物を守るための問題ではなくなる。

千葉県では、特定外来生物であるキョンの生息域が長期的に拡大してきた。県が2026年にまとめた第3次千葉県キョン防除実施計画では、県内の推定生息数は2024年度時点の中央値で約9万4千頭とされ、2006年度の約1万3千頭から大幅に増加している。もっとも、外房のすべての市町村で同じように増えているわけではなく、近年は勝浦市や御宿町で推定生息数が減少し、いすみ市でも横ばいまたは減少傾向がみられる一方、大多喜町や鴨川市などでは依然として高い水準にある。したがって、「外房ではどこでもキョンが増え続けている」と単純化するのは正確ではない。それでも、房総半島全体として見れば、野生動物と人間の生活圏が重なる地域が広く存在していることは間違いない。

ここで考えてみたいのは、野生動物が何頭いるかという問題だけではない。もっと生活に近いところで、「その地域で80歳になっても普通に暮らせるのか」という問いである。

獣害は農家だけの問題ではなくなっている

獣害という言葉から、多くの人が最初に思い浮かべるのは田畑の被害だろう。イノシシに稲や野菜を荒らされたり、キョンに農作物を食べられたりする被害は確かに大きな問題である。しかし、住宅地まで野生動物が出てくるようになると、被害の意味は変わってくる。千葉県もキョンについて、農作物だけでなく花壇や植木への食害、鳴き声などによる生活環境被害を防除計画の対象としている。つまり行政の側でも、獣害はすでに農業だけに閉じた問題ではなく、住民の日常生活に関わる問題として認識されている。

たとえば、高齢者が一人で暮らしている家を考えてみる。庭には長年育ててきた花や低木があり、朝には庭へ出て水をやり、少し草を抜くことが生活習慣になっている。その庭にキョンが繰り返し入り込み、植木や花を食べるようになれば、対策として柵を設ける必要が出てくる。しかし柵は一度設置すれば終わりではない。草が絡めば刈らなければならず、傾けば直し、破損すれば交換する必要がある。若いうちは容易にできた作業でも、80歳を超えて脚立を使ったり、杭を打ったり、斜面の草を刈ったりすることは次第に難しくなる。

すると獣害は、花が食べられたという被害だけではなく、その住宅を維持するために必要な労働量を増やす問題へと変わる。地方の戸建住宅で高齢者が暮らし続けるためには、屋根や外壁を修理する人、水道や電気を直す人、庭木を剪定する人が必要になるが、野生動物が増えれば、そこに「動物から敷地を守る」という新しい管理作業まで加わることになる。獣害を生活インフラとして考えるとは、まさにこの部分を見ることである。

「怖いから外へ出ない」という被害は統計には現れにくい

イノシシの場合は、さらに別の問題がある。キョンと違い、大型のイノシシに至近距離で遭遇すれば人身事故につながる可能性がある。そのため、農作物にどれだけ被害が出たかという数字だけでは、住民が感じている生活上の負担を十分に測ることができない。

冬の夕方を想像すると分かりやすい。午後5時を過ぎれば、外房の住宅地でもすでに暗い。80代の一人暮らしの人が、ごみを出すために家から100メートル先の集積所まで歩くとする。道路は舗装されており、集積所もきちんと設置されている。それだけを見れば、この地区の生活インフラには特に問題がないように見える。しかし近くの空き地や竹やぶにイノシシが出ることを知っていたら、その100メートルの意味はまったく違ってくる。

実際にイノシシと遭遇する確率が低かったとしても、「暗くなってから歩くのは怖い」と感じれば、その人は外出時間を変えるようになるかもしれない。夕方の散歩をやめ、日が暮れてからはごみ集積所まで行かず、近所の人の家を訪ねることも減る可能性がある。その一つ一つは小さな変化だが、積み重なれば高齢者の生活圏を確実に狭くしていく。

しかも、この種の影響は農作物被害額にも人身事故件数にも表れない。「怖いから歩かなくなった」という行動変化は、通常の獣害統計では数えられないからである。しかし高齢社会を考えるなら、この見えない被害の方が重要になる可能性がある。高齢者にとって、毎日安心して家の周囲を歩けることは、道路や街灯と同じくらい基本的な生活条件だからである。

人が減ると、野生動物が増えるというより「境界」が消えていく

では、なぜ野生動物が住宅地の近くまで現れるようになるのだろうか。単純に動物の数だけで説明すると、地域で起きていることの半分しか見えない。

地方では人口減少と高齢化によって、人が日常的に管理してきた土地が少しずつ減っている。田畑を耕す人がいなくなり、農地が草地に変わる。山際の草刈りが行われなくなり、低木や竹が伸びる。空き家の庭は荒れ、かつて人が頻繁に歩いていた農道にも人が入らなくなる。人間から見れば「使われなくなった土地」だが、野生動物から見れば、住宅地の近くまで身を隠しながら移動できる場所が増えたことになる。

ここで重要なのは、山と住宅地の間には本来、はっきりした線が引かれているわけではないということである。その間には田畑があり、農道があり、草刈りされた斜面があり、人が毎日のように出入りする空間があった。その人間の活動そのものが、結果として野生動物と住宅地との間に一定の距離をつくっていた。ところが人口が減り、その活動が薄くなると、地図上では何も変わっていなくても、実際の土地利用は少しずつ野生動物にとって入りやすい環境へ変化していく。

したがって、外房で起きている獣害を「自然が増えた」と表現するだけでは本質を捉えにくい。むしろ「人間が管理していた空間が減った」と考えた方が、人口減少との関係を理解しやすい。

人口が半分になっても、管理する土地は半分にならない

この問題には、人口減少地域のインフラ問題とよく似た構造がある。

人口が1万人から5千人に減ったからといって、道路の延長が半分になるわけではない。水道管も橋も側溝も半分にはならない。そのため人口一人当たりで支えなければならないインフラ量は増えていく。同じことが土地の管理にも起きる。

仮に、ある地域に100人の住民がおり、その周囲に100ヘクタールの農地や山林、空き地が存在すると考えてみる。実際には住民全員が均等に土地を管理するわけではないが、地域全体の管理能力という意味では、住民一人当たりに対応する土地は1ヘクタールである。人口が50人に減っても土地が50ヘクタールになるわけではないため、一人当たりの土地は2ヘクタールになる。さらに25人まで減れば4ヘクタールになる。

これは単なる計算上の話ではない。草を刈る人、田畑を耕す人、山林を見回る人、倒木を処理する人、罠を管理する人といった地域の担い手が減る一方で、管理対象となる土地の面積はほとんど変わらないという現実を表している。

人口減少とは、消費者や納税者が減ることだけではない。地域を日々管理してきた「作業する人」が減ることでもある。獣害は、その変化が目に見える形で現れた現象の一つなのである。

捕獲を増やせば解決するのか

もちろん、イノシシやキョンが増えれば捕獲は必要になる。千葉県もイノシシの捕獲を続けており、キョンについても防除の強化が進められている。しかし、「捕獲数を増やせばよい」と言うのは簡単でも、実際の捕獲には人手が必要になる。罠を設置し、定期的に確認し、捕獲した個体を処理し、安全管理を行い、必要な手続きを進めなければならない。その仕事は、野生動物が増えれば自動的に増えてくれるものではない。

ここにも人口減少の矛盾がある。獣害が深刻化しやすい地域ほど人口密度が低下している一方、その獣害に対応するためには一定数の人間が必要になるからである。捕獲する人が高齢化し、農家が減り、地域活動を担う人が少なくなれば、動物側の問題より先に、人間側の管理能力が限界を迎える可能性もある。

獣害対策を持続させるためには、「何頭捕るか」だけではなく、「誰が10年後も捕るのか」という問いを同時に考えなければならない。

自動車があっても獣害からは逃れられない

外房では、自動車を使えば野生動物の問題をある程度避けられるようにも思える。徒歩で暗い道を歩かなければイノシシに出会う機会は減るし、買い物や通院も車で移動すればよい。しかし車社会には車社会なりの獣害がある。

夜間、道路脇の草むらや林から動物が突然飛び出してくれば、衝突そのものだけでなく、それを避けようとする急ブレーキや急ハンドルが事故につながる可能性がある。特に外房には、街路灯が少なく、山林や田畑の間を抜ける道路が少なくない。運転者が高齢になり、夜間視力や反応速度が低下していけば、野生動物との遭遇は交通安全の問題としても無視できなくなる。

これは「獣害」と「高齢者の運転」という二つの別々の問題ではない。自動車に依存しなければ生活しにくい地域で、高齢者の運転と野生動物の出没が同時に存在すれば、その二つは一つの生活問題として重なってくる。

道路が舗装されているだけでは、移動インフラが整っているとは言えない。高齢者が安心して運転できることまで含めて考えるなら、道路周辺の草刈り、動物の出没情報、捕獲、街灯なども広い意味で交通インフラの一部になってくる。

高齢者が暮らせる町とは、動物のいない町ではない

ここまで考えると、イノシシやキョンのいる地域では高齢者が暮らせないようにも見える。しかし、そう結論づけるのは適切ではない。

外房の魅力は、そもそも都市とは違う自然環境にある。海があり、里山があり、田畑があり、人口密度が低く、住宅の周囲にも緑が残っている。その環境から野生動物だけを完全に切り離すことは現実的ではないし、すべての野生動物が人間にとって危険な存在というわけでもない。

問題は、野生動物がいることではなく、人間との距離を地域として管理できるかどうかである。

住宅地周辺の草地をどの程度管理するのか、耕作放棄地や空き家をどう扱うのか、個人では負担の大きい防護柵をどう支援するのか、捕獲を担う人をどう確保するのか、高齢者が夜間に歩かなくてもごみを出したり移動したりできる仕組みを作れるのか。こうして考えると、獣害対策は農林行政だけの問題ではなく、福祉、住宅、交通、防災、空き家対策、土地管理と密接につながっていることが分かる。

だからこそ、獣害を「生活インフラ」として見る必要がある。

「動物が増えた町」の裏側にあるもの

人口減少について語るとき、私たちは学校がなくなる、スーパーがなくなる、病院が遠くなるといった「施設が減る問題」を考えがちである。しかし地方の暮らしを支えているのは、目に見える施設だけではない。

田畑を耕す人がいること、道路脇の草を刈る人がいること、山際を見回る人がいること、空き家の庭を管理する人がいること、野生動物を捕獲する人がいること。そうした無数の作業によって、人間が安心して暮らせる範囲は保たれてきた。

ところが人口が減ると、それらの仕事も少しずつ担い手を失う。田畑が荒れ、山林と住宅地との境界が曖昧になり、野生動物が人の暮らす場所まで近づいてくる。それを見て私たちは「イノシシが増えた」「キョンが増えた」と言う。しかし、現象を逆側から見れば、「地域を管理する人間が減った」と表現することもできる。

これは、外房の将来を考えるうえで非常に重要な違いである。

では、外房の獣害をどう解決すればよいのか

ここまでの議論から考えると、解決策を「捕獲数を増やす」という一点だけに求めるのは十分ではない。もちろん個体数管理は必要であり、イノシシやキョンの生息数を適正な水準に抑えることは対策の中心になる。しかし、それだけで住宅地への侵入がなくなるとは限らない。獣害が人口減少、耕作放棄地、空き家、草地管理、捕獲者不足など複数の要因によって発生しているのであれば、解決策も複数の仕組みを組み合わせる必要がある。

まず考えられるのは、地域全体を一様に守ろうとするのではなく、「人間が優先的に守る区域」を明確にすることである。人口が減少していく地域で、すべての山林、農地、空き地をかつてと同じ密度で管理することは現実的ではない。そこで住宅地、通学路、医療施設周辺、ごみ集積所、主要道路など、人間の日常生活に直接関係する場所を重点管理区域として位置づけ、その周囲の草刈りや藪の除去、侵入防止設備、捕獲を集中させる方が合理的である。

この考え方は、人口減少時代のインフラ維持とよく似ている。利用者が減る中で、すべての道路や公共施設を同じ水準で維持することが難しくなれば、重要度に応じて維持管理の優先順位をつけざるを得ない。獣害についても、人間と野生動物の境界をどこに設定し、どこを集中的に守るのかという「土地利用の設計」が必要になってくる。

次に必要なのは、個人宅の問題を個人だけに負わせない仕組みである。高齢者世帯が自費で防護柵を設置し、その後何年も自分で維持するという方法には限界がある。とりわけ高齢単身世帯が増えれば、「対策方法は分かっているが自分では作業できない」という世帯も増えるだろう。行政が資材費だけを補助する仕組みでは、資材を運び、設置し、修理する労働力の問題までは解決しない。

そこで、地域単位で防護設備を整備したり、草刈りや柵の補修を請け負う仕組みを作ったりする必要がある。農業者向けだった獣害対策を、高齢者住宅や住宅地の生活環境対策へ広げていく発想である。これは福祉政策との接点も大きい。庭の草刈りやごみ出しと同じように、獣害対策も高齢者の在宅生活を支えるサービスの一部として考える余地がある。

さらに重要なのが、捕獲する人を地域の善意だけに依存しないことである。これまで地域の鳥獣対策は、猟友会や農家など、地域に詳しい人々の協力によって支えられてきた。しかし、その担い手自身が高齢化しているのであれば、今後も同じ方法が続くとは限らない。自治体が捕獲を専門的な仕事として位置づけ、報酬や装備、研修、安全管理を整えることや、複数の市町村が共同で専門人材を確保することも検討する必要がある。

特に外房では、一つの市町村だけで対策しても動物は行政境界を越えて移動する。市町村境は人間が決めた線であって、イノシシやキョンには意味がない。そのため、生息域を単位とした広域的な対策が合理的である。隣接自治体がそれぞれ別々に捕獲計画を立てるだけでなく、出没情報や捕獲データを共有し、地域全体としてどの方向へ個体群が移動しているのかを把握する必要がある。

道路についても同じ考え方ができる。野生動物との衝突が繰り返される場所が分かれば、道路脇の草木を重点的に刈り、見通しを確保し、注意喚起を強化することができる。高齢者が多い地域では、単に「動物注意」の標識を設置するだけではなく、出没しやすい時間帯や地点を地域住民に伝える仕組みも重要になる。

技術を利用する余地もある。センサーやカメラで出没状況を把握し、その情報を捕獲計画に利用すれば、人が闇雲に山林を見回るより効率的になる可能性がある。ただし、技術を導入すれば人手が不要になるわけではない。カメラの設置や保守、データの確認、捕獲後の処理には依然として人が必要であり、技術はあくまで限られた人員を効率的に使うための道具として考えるべきだろう。

解決の鍵は「動物を減らすこと」と「人間側の管理能力を維持すること」

以上を整理すると、外房の獣害対策には二つの方向が必要になる。一つは捕獲や侵入防止によって野生動物側の圧力を下げることであり、もう一つは草刈り、土地管理、道路管理、住宅支援などによって人間側の管理能力を維持することである。

前者だけを進めれば、捕獲を続ける人が不足したときに対策が立ち行かなくなる。後者だけを進めても、生息数が高いままなら住宅地への侵入を完全には防げない。したがって、獣害対策を長期的に成立させるためには、この二つを同時に進めなければならない。

さらに人口減少を前提にするなら、「昔と同じ状態へ戻す」ことを目標にするのも現実的ではないだろう。かつて農家が多く、田畑が広く耕され、山際まで人が頻繁に入っていた時代の土地管理を、そのまま少ない人口で再現することは難しい。必要なのは、人口が減った後でも維持できる新しい境界の作り方である。

住宅地の周囲は重点的に管理し、その外側では自然への回帰をある程度受け入れる。高齢者が暮らす区域では行政や地域による管理を厚くし、捕獲については専門人材を広域的に配置する。このように、人間が守る場所と自然に委ねる場所を意識的に分けていく発想が、人口減少時代には必要になるのかもしれない。

30年後にも「普通に外へ出られる町」であるために

水道が出ること、電気が使えること、道路があること、車でスーパーまで行けることは、地方生活の基本的な条件である。しかし、それだけで高齢者が安心して暮らせるとは限らない。家の周囲を普通に歩けること、庭の管理が極端な負担にならないこと、夜の道路をある程度安心して走れること、野生動物が住宅地まで入り込んだときに対応する人が地域にいることもまた、生活を成立させる条件だからである。

外房の30年後を考えるとき、問うべきなのは「イノシシやキョンを何頭減らせるか」だけではない。人口が減り、高齢者が増え、農地や山林を管理する人が少なくなっていく中で、人間と野生動物との間に存在してきた境界を、誰が、どの範囲まで、どのような費用と仕組みで維持するのかという問題である。

その答えは、野生動物を完全に排除することでも、昔の里山へそのまま戻すことでもないだろう。限られた人員と財源の中で、住宅地や生活道路など守るべき場所を明確にし、捕獲、土地管理、高齢者支援、交通安全を一つの政策として組み合わせていくことにある。

獣害を生活インフラとして考えるということは、野生動物の問題を「山の問題」から「町の暮らしの問題」へ移すことである。そして高齢者が30年後にも、玄関を開けて庭へ出て、近所を歩き、夜には安心して家へ戻れる地域を残せるかどうかは、道路や水道を維持することと同じように、これからの外房が考えなければならない生活基盤の一つなのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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停電という言葉から、多くの人が最初に思い浮かべるのは「照明がつかなくなること」かもしれません。しかし、現在の住宅で電気が担っている役割は照明だけではありません。冷蔵庫、エアコン、給湯器、調理器具、電話、インターネット、給水ポンプ、医療機器まで、生活のさまざまな機能が電気を前提として組み立てられています。

とりわけ外房のように、高齢者世帯が多く、自動車への依存度が高く、住宅が広い範囲に分散している地域では、24時間の停電が単なる「不便」では終わらない可能性があります。

2019年9月の令和元年房総半島台風では、千葉県内で最大64万1千軒という大規模停電が発生し、それに伴って広範囲の断水も起きました。千葉県はその後の検証で、長期間の停電だけでなく、通信遮断や断水が同時に発生したことを重要な教訓として挙げています。つまり外房で考えるべきなのは、「電気が24時間来なかったらどうするか」だけではありません。電気を入口として、水、通信、食事、医療、移動という生活機能がどこまで連鎖的に失われるかを考える必要があります。

停電直後は、まだ「少し不便」なだけに見える

停電して最初の数十分であれば、多くの住宅ではそれほど深刻な状況には見えません。

昼間なら室内は明るく、水道も出る住宅があります。スマートフォンにはまだ十分な電池が残っています。冷蔵庫も扉を閉めていれば庫内温度はすぐには上昇しません。

この段階では、「そのうち復旧するだろう」と考える人も多いでしょう。

しかし、この判断が難しいところです。

普通の停電であれば数分から数時間で復旧することもありますが、台風によって電柱、電線、倒木などが広範囲に被害を受けた場合には事情が変わります。令和元年房総半島台風では倒木や飛来物が電線に接触し、大規模で長期間の停電が発生しました。経済産業省による検証でも、広い範囲に多数の事故地点が存在したため、被害全体を把握すること自体が容易ではなかったことが示されています。

したがって、外房で停電が発生したとき、「何時間で復旧するのか」が住民には分からないということ自体が、一つのリスクになります。

数時間たつと「電気がない」から「生活機能がない」に変わっていく

停電が数時間続くと、問題の性質が変わってきます。

夏なら最も早く深刻化するのが室温です。エアコンも扇風機も使えません。高齢者の場合、暑さを感じる感覚や体温調節機能が若い世代より低下している場合があるため、暑い室内に長時間とどまることは単なる不快感では済まなくなります。

冬にも別の問題があります。エアコン暖房は当然止まり、石油ファンヒーターも電気を必要とする機種が一般的です。ガスや灯油が家にあったとしても、それだけで住宅の暖房や給湯が維持できるとは限りません。

ここには、現代住宅の興味深い特徴があります。

エネルギー源そのものが電気でなくても、機器を制御するために電気が必要なのです。

ガス給湯器であっても制御や点火には電源が必要なものがあり、電気が止まればお湯が出なくなる場合があります。つまり、「うちはオール電化ではないから大丈夫」という単純な問題ではありません。

水道があるのに、水が出ない住宅もある

さらに注意したいのが水です。

水道管そのものに異常がなくても、住宅や建物の給水設備が電気に依存していれば、停電によって蛇口から水が出なくなる場合があります。

国土交通省も、増圧給水ポンプなどを使用している建物では、自家発電設備がなければ停電によって給水できなくなる場合があるとしています。実際、過去の災害では停電によるポンプ停止によって、建物そのものが浸水していなくても給水設備が使えなくなる事例が問題となりました。

外房では、これにもう一つの問題が加わります。

住宅によっては井戸を利用しています。井戸水は水道本管が断水しても利用できるという強みがありますが、電動ポンプで汲み上げている井戸なら停電時には水を取り出せません。

水が止まれば、飲み水だけの問題ではありません。

手を洗えない。食器を洗えない。トイレを流しにくくなる。入浴できない。

停電から数時間しかたっていないのに、住宅の衛生環境まで変わり始める可能性があります。

半日を過ぎると冷蔵庫が「食品保管庫」ではなくなってくる

停電が長期化すると、次に問題になるのが食料です。

高齢者世帯では、毎日スーパーへ行くのではなく、数日分の肉、魚、牛乳、総菜などを冷蔵庫に保管している家庭も珍しくありません。しかし冷蔵庫は電気がなければ冷却を続けられません。

厚生労働省は、家庭で食品を保存するときの目安として冷蔵庫を10℃以下、冷凍庫をマイナス15℃以下に維持することを示しています。また、災害時にはライフラインの寸断によって食品を低温保存できなくなり、食中毒が発生しやすくなると注意を呼びかけています。

重要なのは、「停電から何時間たったらすべて捨てる」という単純な時間だけで判断できないことです。

停電前の庫内温度、外気温、冷蔵庫の性能、食品の量、扉を何回開けたかによって状態は変わります。厚生労働省も停電時には冷蔵庫などの扉の開閉を控え、庫内温度への影響を抑えることを求めています。

つまり停電時には、「冷蔵庫に食べ物がある」ことと「安全に食べられる食べ物がある」ことが次第に別の意味になっていきます。

特に高齢者の場合、食中毒によって体調を崩したときの影響が大きくなる可能性があります。食料備蓄を考える場合には、冷蔵庫の中身だけではなく、電気も水も使わなくても食べられる食品を別に確保しているかどうかが重要になります。

12時間を超える頃から、スマートフォンも無限には使えない

現在の災害対策ではスマートフォンが重要な情報源になっています。

停電情報を見る。自治体からの防災情報を確認する。家族と連絡する。天気予報を見る。地図を見る。場合によっては懐中電灯の代わりにも使う。

ところが、スマートフォンそのものも電気で動いています。

停電直後に電池が100%残っていたとしても、長時間使えば当然減っていきます。停電情報を何度も確認し、家族に連絡し、画面を点灯させ続ければ消耗はさらに早くなります。

ここで問題になるのは単に「スマートフォンの充電がなくなる」ということではありません。

高齢者が一人で暮らしている場合、スマートフォンが使えなくなることによって、家族との連絡手段、行政からの情報、救援を求める手段を同時に失う可能性があることです。

令和元年房総半島台風では、停電とともに通信障害も長期化しました。千葉県の検証では、社会福祉施設との通信が途絶えたため、安否確認や必要な支援内容の把握に数日を要した事例も記録されています。

これは非常に重要な教訓です。

災害時には、「電話を持っているか」ではなく、「電話を使える状態が何時間続くか」を考えなければなりません。

在宅医療を受ける人にとっては、停電の意味がまったく違う

高齢者住宅の問題を考えるとき、最も慎重に扱う必要があるのが在宅医療です。

家庭で人工呼吸器、酸素濃縮装置、吸引器などの電気を必要とする医療機器を使用している人にとって、停電は生活上の不便ではなく、医療そのものに影響します。

厚生労働省は過去の大規模停電を受け、人工呼吸器の内部バッテリーの持続時間、外部バッテリーの準備、酸素濃縮装置利用者への酸素ボンベの確保、停電時の連絡体制などを事前に確認するよう医療機関などに求めています。

したがって、在宅医療機器を使用している家庭では、「停電したらどうするか」を災害発生後に考えるのでは遅い場合があります。

何時間バッテリーが持つのか。予備電源をどうするのか。停電が長期化した場合にはどこへ移動するのか。誰に連絡するのか。

これらがあらかじめ決められているかどうかで、同じ24時間でも意味は大きく変わります。

24時間後に見えてくるのは「停電」ではなく地域の構造である

そして停電が丸一日続いたとします。

家の中は暗い。しかし本当に重要なのは暗さではありません。

夏なら室温が問題になり、冬なら暖房が問題になります。冷蔵庫の食品は状態を確認しなければならなくなり、水が出ない住宅では衛生環境が悪化します。スマートフォンの電池も減っています。在宅医療機器を使用する世帯では電源確保が切迫した問題になります。

さらに外房では、ここから地域特有の問題が現れます。

近くに徒歩で行ける店がない。高齢者が車を運転できなければ水や食料を取りに行けない。道路が倒木などで通れなければ家族も簡単には来られない。給油所そのものが停電していれば、車があっても燃料を補給できない場合があります。

つまり、一戸の住宅の停電が地域全体の停電になった瞬間、「自分の家だけ準備していればよい」という考え方にも限界が生じます。

住宅、店舗、通信、医療、給油、交通が同じ電力網と道路網の上に存在しているからです。

外房では「24時間自立できる家」という考え方が必要になる

これまで住宅を評価するときには、広さ、価格、日当たり、駅までの距離、病院までの距離などが重視されてきました。

しかし、高齢化と災害を前提に外房で長く暮らすのであれば、別の評価軸を加える必要があるのではないでしょうか。

それは、その住宅が外部からの供給を失っても、一定時間生活を継続できるかという「住宅の自立性」です。

飲料水がある。常温保存できる食料がある。スマートフォンを充電できる。夜間の照明がある。暑さや寒さを逃れる方法がある。医療機器を使用しているなら予備電源と避難先が決まっている。

重要なのは、これらを大量に買いそろえることではありません。

その家で暮らしている人が「電気が止まったとき、何が止まるのか」を一度調べておくことです。

水道の蛇口は停電時にも使えるのか。井戸ならポンプはどうなるのか。給湯器は使えるのか。固定電話は停電時にも使える方式なのか。スマートフォンを何回充電できるのか。冷暖房がなくなった場合、どこへ移動できるのか。

住宅ごとに答えは違います。

だからこそ、防災用品の一般的なリストよりも、自分の住宅について「電気を切ったら何が使えなくなるか」を調べる方が実践的です。

高齢社会では「復旧まで待つ」という防災だけでは足りない

令和元年房総半島台風が示したのは、巨大災害だけが問題なのではありません。

電線に倒木や飛来物が接触し、地域の電力供給が長期間失われる。それだけで、断水、通信障害、福祉施設への連絡困難などが連鎖して発生しました。千葉県はこの経験を受け、現在も台風接近前の倒木や飛来物への対策を呼びかけています。

人口が多く、店舗や医療機関が近く、徒歩でも移動できる都市部と、住宅が分散し、自動車移動を前提としている外房では、同じ24時間の停電でも影響は同じではありません。

そして、高齢者にとっての24時間と若い世代にとっての24時間も同じではありません。

重い水を運ぶことができるか。暑い住宅から別の場所へ移動できるか。倒木のある道路を迂回して運転できるか。スマートフォンだけで行政情報を得られるか。避難所まで自力で行けるか。

電力会社が何時間で電気を復旧できるかだけでは、高齢社会の停電問題を説明できないのです。

外房でこれから必要になるのは、「停電しない地域」を期待することだけではなく、「停電しても一定時間は暮らしを維持できる地域」をつくるという考え方ではないでしょうか。

停電から24時間。

そのとき問われているのは、冷蔵庫や照明が使えるかどうかだけではありません。

水、食料、通信、医療、移動という生活を構成する機能が、一人の高齢者の周囲にどれだけ残っているのか。

24時間の停電は、普段は見えない外房の生活基盤を一気に表面化させる出来事なのです。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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地方を歩いていると、家そのものは残っているのに、人の姿をほとんど見かけない集落があります。空き家が増え、子どもの声が聞こえなくなり、かつて何十世帯も暮らしていた場所に十数世帯しか残っていないことも珍しくありません。

では、集落はいったい何世帯まで減ると維持することが難しくなるのでしょうか。

この問いに「20世帯」「10世帯」と一つの数字だけで答えることはできません。集落によって年齢構成も違えば、道路や水路の管理方法、自治会の仕組み、周辺集落との関係も違うからです。

ただし、農林水産省などの調査を見ると、世帯数が減るにつれて共同活動が弱くなり、特に10戸を下回るあたりから集落機能の低下が目立ち、4戸以下になると維持がかなり難しくなるという傾向は確認できます。農林水産省は、集落内の戸数が9戸以下になると、用排水路の管理や農地保全など、集落が担ってきた共同活動が著しく減退する状況がみられるとしています。

重要なのは、家が何軒残っているかではありません。

その地域を支える「人」が何人残っているかです。

集落は住宅の集合ではなく「共同作業の組織」である

普段、私たちは集落を住宅が集まった場所として見ています。しかし、集落が存続するためには、住宅が存在するだけでは足りません。

道路脇の草刈り、水路や側溝の清掃、ごみ集積所の管理、自治会活動、防災活動、祭礼、共同施設の維持、地域内の連絡、高齢者の見守りなど、目立たない仕事が年間を通じて発生しています。

農林業センサスでは農業集落を、農業生産だけでなく社会生活の基礎となる地域社会として捉えています。実際、2020年の調査でも、多くの農業集落で環境美化、農道や水路の管理、共有財産の管理、福祉・厚生などが寄り合いの議題となっています。

つまり人口減少の本当の問題は、

「住む人が少なくなること」

だけではなく、

「集落を動かすための仕事を分担できる人数が減ること」

にあります。

100世帯で行っていた仕事が50世帯になったからといって、仕事量が半分になるわけではありません。

道路の長さも、水路の長さも、ごみ集積所も、地域の面積もほとんど変わらないからです。

30世帯が20世帯になっても、すぐには集落は消えない

例えば30世帯の集落が20世帯まで減ったとします。

この段階では、多くの場合、集落そのものが直ちに維持できなくなるわけではありません。

自治会長、会計、防災担当、道路管理などの役割を分担することもまだ可能でしょう。草刈りや清掃などについても、住民がある程度参加できれば対応できます。

しかし問題は、一世帯当たりの負担が徐々に重くなることです。

30世帯で30人が参加していた作業を20世帯で行えば、単純化すれば一人当たりの負担は1.5倍になります。

さらに人口減少が高齢化と同時に進めば、20世帯あっても実際に草刈りや側溝清掃に参加できる世帯が10世帯しかない、ということも起こります。

したがって「20世帯あるから大丈夫」とは言えません。

世帯数よりも、

実際に地域活動を担える世帯数

を見る必要があります。

10世帯を下回ると何が起きるのか

一つの重要な境目として考えられるのが「10世帯前後」です。

農林水産省の資料では、集落内の戸数が9戸以下になると、用排水路管理や農地保全などの共同活動が著しく減退する傾向が示されています。

もちろん、この数字は農業集落についての統計であり、全国すべての住宅集落に機械的に当てはめられる数字ではありません。

それでも、「10世帯」という数字には実務的な意味があります。

仮に10世帯のうち、高齢のため共同作業が難しい世帯が4世帯、仕事などの事情で参加しにくい世帯が2世帯あれば、実際に地域活動の中心を担えるのは4世帯程度になります。

自治会長、会計、防災、環境美化などを毎年交代しても、数年で同じ人に役職が戻ってきます。

一つの家から複数の役割を出さなければならない場合も増えます。

すると、人口減少が単なる人数の問題から、

地域運営そのものの問題

へ変わってきます。

5世帯前後になると「集落単独」という考え方が難しくなる

さらに世帯数が減り、5世帯前後になった場合はどうでしょうか。

農林水産政策研究所の分析では、総戸数4戸以下、人口9人以下、高齢化率50%以上の農業集落では、寄り合いや農業用用排水路の保全などの集落活動が急激に弱まることが確認されています。また、総戸数4戸以下の農業集落では、農業の担い手が存在しない集落が約7割に達していました。

別の2023年の分析でも、農家戸数4戸以下の集落では、2020年に環境美化・自然環境保全活動が行われていない割合が33.3%となり、20戸以上の集落の12.1%よりかなり高くなっています。

ここまで小さくなると、問題は「住民が協力するかどうか」だけではありません。

そもそも協力できる人数が物理的に足りなくなります。

例えば5世帯のうち3世帯が80歳以上であれば、草刈り機を使った作業や側溝清掃、防災活動などを事実上2世帯で支えることになりかねません。

こうなると、「もっと地域住民が協力すればよい」という精神論では解決できません。

集落の構造そのものを変える必要があります。

世帯数だけでは判断できない理由

ここで注意したいのは、同じ10世帯でも集落の維持能力には大きな差があることです。

例えば、40~60歳代を中心とする10世帯と、80歳代を中心とする10世帯では、地域活動を担える力はまったく違います。

さらに、集落の面積によっても違います。

住宅が一か所にまとまっている10世帯と、山間部に数キロメートルにわたって散在する10世帯では、道路や水路、土地を管理する負担が異なります。

周辺地域との関係も重要です。

農林水産政策研究所の分析では、小規模な農業集落でも、他の集落と連携することによって農業用用排水路の保全活動を維持している例が確認されています。

つまり、

「小さな集落=必ず消滅する」

という関係ではありません。

周辺集落との共同運営ができれば、小規模でも機能の一部を維持することは可能です。

集落の維持能力を簡単な式で考えてみる

集落の持続可能性を考えるために、単純なモデルを置いてみます。

集落に30世帯あったとしても、地域活動に参加できる世帯が15世帯しかなければ、実質的な担い手は15世帯です。

そこで、

実働世帯率 = 地域活動に参加可能な世帯数 ÷ 全世帯数

と考えます。

30世帯中24世帯が活動できれば実働世帯率は80%です。

一方、15世帯残っていても活動可能なのが6世帯なら40%しかありません。

集落維持を考えるときには、単純な人口や世帯数より、

世帯数 × 実働世帯率

を見る方が現実に近くなります。

例えば20世帯あっても実働率30%なら実働世帯は6世帯です。

反対に10世帯でも実働率80%なら8世帯あります。

したがって、人口減少地域では「あと何人住んでいるか」だけではなく、「地域を支えられる人があと何人いるか」を調べる必要があります。

高齢化は人口減少以上に集落を変える

農林水産政策研究所は、世帯数や人口が少ないことに加えて、高齢化が進んだ集落ほど共同活動が低下することを示しています。総戸数4戸以下、人口9人以下、高齢化率50%以上という条件が重なると、活動が急激に弱まる傾向があります。

これは地方の将来を考えるうえで非常に重要です。

人口が毎年1%減るだけなら、数字の変化は緩やかに見えます。

しかし、地域活動を担ってきた60~70歳代が80歳代へ移行すると、同じ人口であっても地域を維持する能力は急速に低下する可能性があります。

集落の「人口減少」と「機能低下」は、必ずしも同じ速度では進まないのです。

ある時点までは普通に自治会も草刈りも続いていた地域が、数年の間に急に維持できなくなることも考えられます。

外房でも問題になるのは「消滅」より先に起こる機能低下

外房の地域を考える場合にも、「集落がなくなるか」という問いだけでは十分ではありません。

実際には、誰も住まなくなるよりはるか以前から変化が始まります。

自治会の役員が決まらない。

草刈りの参加者が集まらない。

道路脇や空き地の管理が難しくなる。

高齢者だけでは防災活動ができない。

近所同士で行ってきた見守りが成立しなくなる。

こうした変化が少しずつ積み重なります。

農林水産省も、高齢化が進んだ農業集落では生活の利便性が低い傾向があり、買い物、医療、教育へのアクセスや高齢者の見守りなどの生活環境を維持することが重要だとしています。

つまり、集落の存続を考えるとき、本当に注目すべきなのは「最後の一世帯がいついなくなるか」ではありません。

生活共同体としての機能がいつ失われ始めるか

です。

目安としては「20戸・10戸・5戸」の三段階で考えられる

これまでの調査結果を、一般の地域を考えるための目安として整理すると、次のように考えることができます。

20世帯前後までは、担い手の年齢構成が良ければ単独での地域運営を維持できる可能性が比較的高い。

しかし20世帯を下回る頃から、一世帯当たりの役割負担や共同作業負担が目立ち始めます。

10世帯前後になると、共同活動を従来の仕組みのまま維持することが難しくなる可能性が高まります。

そして、

5世帯前後では、集落単独であらゆる機能を維持する発想そのものを見直す必要が出てきます。

ただし、これは全国共通の絶対的な境界線ではありません。農業集落の統計を参考にした実務的な目安です。

実際の維持可能性を決めるのは、

世帯数、年齢構成、実働人口、集落面積、インフラ量、周辺集落との連携、行政による支援などの組み合わせです。

集落を残す方法は「人口を元に戻すこと」だけではない

人口減少対策というと、移住者を増やすことが最初に考えられます。

もちろん新しい住民が増えることには意味があります。

しかし、日本全体の人口が減少する中で、すべての小規模集落を移住だけで再び数十世帯に戻すことは現実的ではありません。

そこで必要になるのが、集落単位で行ってきた仕事を広域化する発想です。

一つの集落で自治会、防災、草刈り、水路管理などをすべて完結させるのではなく、複数集落で共同化する。

住民で維持できない作業は行政や事業者に移す。

自治会組織そのものも広域化する。

こうした仕組みに変えることで、「10世帯だから維持できない」という単純な関係を変えることはできます。

実際、小規模な農業集落でも他集落との連携によって保全活動を維持している例があり、人口減少社会では、集落の統合や連携がますます重要になると考えられます。

問題は「何世帯残るか」ではなく「何世帯で何を維持するか」

「集落は何世帯まで減ると維持できないのか」。

この問いに一つの数字で答えるなら、農業集落のデータからは10世帯を下回るあたりが重要な警戒点になります。

そして5世帯前後まで減少し、高齢化も進めば、従来型の共同活動を集落だけで維持することはかなり難しくなります。

しかし、本当に重要なのは世帯数そのものではありません。

人口30人の集落でも地域活動を担える人が3人しかいなければ、維持能力は低い。

人口15人でも比較的若い住民が多く、隣の集落と協力できれば、維持できる機能は増えます。

これから人口減少が進む地方で問われるのは、

「この集落を何世帯まで残せるか」

ではなく、

「少ない世帯数になったとき、どこまでを住民自身で維持し、どこからを周辺地域や行政と共同化するのか」

という問題なのではないでしょうか。

集落は、最後の住民がいなくなった日に突然消えるわけではありません。

そのずっと前から、草刈り、自治会、防災、見守り、道路や水路の管理といった小さな機能が一つずつ失われていきます。

地方の将来を見るなら、人口だけでなく、こうした「集落機能の残存率」を見ていく必要があります。

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外房の生活インフラは30年後どこまで残るのか

千葉県の外房に暮らしていると、現在の生活だけを見れば、人口減少がすぐに生活を困難にするようには感じないかもしれません。

道路があり、水道があり、スーパーやドラッグストアがあり、自動車を使えば病院にも行けます。宅配便も届き、ガソリンも給油できます。地域によって差はありますが、「地方だから生活できない」という状況ではありません。

しかし、問題は30年後です。

人口が減少したとき、道路、水道、医療、介護、商店、公共交通、ガソリンスタンド、ごみ収集といった生活インフラは、現在と同じ形で維持されるのでしょうか。

結論からいえば、外房から生活インフラそのものが消えてしまう可能性は低いでしょう。

一方で、「どこに住んでいても、今と同じ距離、同じ頻度、同じ料金で利用できる」という状態は維持しにくくなると考える方が現実的です。

30年後の外房で起こる可能性が高いのは、生活インフラの消滅ではありません。

集約、広域化、拠点化です。

2050年はすでに予測できる未来である

国立社会保障・人口問題研究所は、2020年の国勢調査を基準として、市区町村別の人口を2050年まで推計しています。つまり、現在から約30年後を完全に予測することはできなくても、その少し手前にある2050年までなら、人口構造についてかなり具体的な見通しが存在しています。

重要なのは、単純に人口が減ることではありません。

道路の延長が人口と同じ割合で短くなるわけではなく、水道管も人口が減った地区だけ自動的に撤去できるわけではありません。消防、救急、ごみ収集、郵便なども、利用者が半分になったから業務量を単純に半分にできるものではありません。

ここに人口減少地域特有の問題があります。

仮に人口が3割減少しても、地域の面積が3割小さくなるわけではありません。

むしろ、少ない住民で広い地域のインフラを支えることになります。

したがって外房の30年後を考えるとき、本当に重要なのは人口の総数ではなく、「一人の住民を支えるために、どれだけ長い道路、水道管、移動距離、行政サービスを維持しなければならないか」という人口密度の問題なのです。

水道は残る。ただし「町ごとの水道」ではなくなっていく

生活インフラの中でも、水道は比較的最後まで維持される可能性が高いものです。

水は生活そのものに直結しており、行政が簡単に供給をやめることはできません。

しかし、その運営方法はすでに変わり始めています。

勝浦市、いすみ市、大多喜町、御宿町では、2025年4月1日にそれぞれの水道事業が統合され、現在は夷隅郡市広域市町村圏事務組合が2市2町の水道事業を運営しています。

これは30年後の外房を考えるうえで非常に重要な動きです。

人口が減少したから水道をなくすのではなく、自治体単独で維持する仕組みをやめ、広い地域で共同運営することによって残そうとしているからです。

今後、水道施設や管路の更新が必要になる一方、料金収入の基礎となる給水人口は減っていきます。この構造では、小さな自治体がそれぞれ浄水施設、設備、人員、料金徴収などを抱えるより、広域化した方が合理的です。

そのため30年後も外房で水道が使えなくなるというより、事業主体の大型化、施設の統合、設備の集約がさらに進む可能性の方が高いでしょう。

ただし、それは「現在と同じ料金で維持できる」ことを意味しません。

利用者が減る一方で老朽化した管路を更新するなら、一人当たりの維持負担が上昇する可能性は残ります。

水道は残る。しかし、維持コストの問題は残る。

これが最も現実的な見方でしょう。

道路もなくならない。しかし「すべてを同じ水準で維持する」ことが難しくなる

道路も水道と似ています。

主要国道や県道、自治体間を結ぶ幹線道路が30年後になくなるとは考えにくいでしょう。物流、救急、防災、通勤、観光など、地域そのものを維持するために必要だからです。

問題になるのは生活道路です。

人口が減り、空き家が増えても道路そのものは残ります。数世帯しか住んでいない地区でも、舗装補修、側溝、草刈り、倒木対策などは必要です。

ここでも人口減少とインフラ量が比例しない問題が生じます。

その結果として将来起こりやすいのは、「道路がなくなる」というより、維持管理の優先順位が明確になることです。

主要道路は重点的に維持する。一方、利用量の少ない道路では補修頻度を下げる。行政だけではなく、地域住民や民間事業者との役割分担を増やす。

そのような差が現在以上に大きくなると考えた方が自然です。

30年後の外房では、同じ市町村の中でも、幹線道路に近い地区と山間部や人口の少ない地区との生活条件の差が大きくなっている可能性があります。

最も先に変わるのは公共交通かもしれない

水道や道路より、人口減少の影響を直接受けやすいのが公共交通です。

バスや鉄道は、利用者が減れば運賃収入も減ります。それでも運転士、車両、燃料、整備などの費用は必要です。

実際、外房の自治体では、すでに地域公共交通を行政が支える仕組みが導入されています。御宿町でも地域公共交通確保のための事業が行われており、過去の国の事業評価では利用者数や収入目標が未達となった年度もあります。

30年後に考えられるのは、現在の路線をそのまま維持することではなく、交通手段そのものを再設計することです。

大型バスが決められた路線を一日に何便も走る仕組みから、予約型の乗合交通、小型車両、病院や商業施設への目的地型交通などへ移行する可能性があります。

つまり、

公共交通がなくなるのではなく、「時刻表に合わせて乗る交通」から「必要な人を必要な場所へ運ぶ交通」へ変わる。

外房の人口密度を考えれば、この方向の方が合理的です。

スーパーや商店は「人口」より「商圏」で残る場所が決まる

スーパー、ドラッグストア、ホームセンターなどは行政サービスではありません。

採算が取れなければ撤退します。

そのため、水道や道路よりも人口減少の影響が早く現れます。

ただし、人口が減ったから一律に店がなくなるわけでもありません。

重要なのは商圏です。

周辺地域から自動車で客を集められる店舗、幹線道路沿いの店舗、複数の生活サービスをまとめて提供できる店舗は残りやすい。一方、小さな地区の住民だけを対象とする店舗は経営が難しくなります。

その結果、30年後の外房では商業施設が現在以上に拠点へ集中する可能性があります。

自宅から数分の場所に店舗がある地域と、買い物のために10キロ、20キロ移動しなければならない地域との差が広がるかもしれません。

そのとき重要になるのが宅配です。

人口が少ない地域では、「店舗を各地区に置く」よりも「商品を各家庭へ運ぶ」方が合理的になる場合があります。

したがって、人口減少地域の買い物問題は単純な店舗数の問題ではありません。

店舗型サービスから配送型サービスへの転換も含めて考える必要があります。

ガソリンスタンドは重要な弱点になる

自動車依存度の高い外房では、公共交通以上に注意したいのがガソリンスタンドです。

資源エネルギー庁も、ガソリン需要の減少や後継者問題などを背景として給油所が減少する地域を「SS(Service Station・ガソリンスタンド)過疎地」として対策の対象にしています。

外房でガソリンスタンドが減ると、都市部以上に影響が大きくなります。

鉄道やバスが少ないため、自動車そのものが生活インフラになっているからです。

ただし、30年という期間で考えると、自動車側も変化します。電動化が進めば、家庭や商業施設で充電できる車が増える可能性があります。

このため30年後の問題は、「ガソリンスタンドが何軒残るか」だけではありません。

地域で自動車を動かすためのエネルギーをどのように供給するのかという問題へ変化している可能性があります。

給油所が減る一方、自宅充電や拠点型充電設備が普及すれば、自動車利用そのものは維持できるかもしれません。

ここは30年間で最も構造が変化する可能性がある分野です。

医療は「病院がなくなる」より「近くですべて診てもらえなくなる」

医療も重要です。

千葉県は現在の保健医療計画でも、地域ごとの医師確保や医師偏在を政策課題として扱っています。

人口が減少すれば患者数も減りますが、高齢者が多い地域では人口減少と同じ割合で医療需要が減るとは限りません。

むしろ問題は、医療を提供する側の人材です。

医師、看護師、薬剤師、臨床検査技師、診療放射線技師をはじめ、多くの人員が必要です。人口の少ない地域ですべての診療科を維持することは難しくなります。

その結果として考えられるのは、医療機関そのものが全面的になくなることよりも、医療機関ごとの役割分担が明確になることです。

日常的な診療は地域で受ける。しかし、手術や高度な検査、専門診療は一定規模の病院へ集約する。

オンライン診療や遠隔医療も補助的に使われるでしょう。

つまり30年後には、「病院まで何キロか」という距離だけでは生活の安心度を判断できなくなります。

その病院で何ができるのか。

こちらの方が重要になります。

介護は施設より「人」が問題になる

高齢化する外房で最も難しい問題の一つが介護です。

介護施設を建設すること自体は可能です。

しかし、介護職員、看護職員、ケアマネジャーなどがいなければサービスは提供できません。

特に訪問介護や訪問看護では、人口が薄く分布していることが大きな問題になります。

一人の利用者を訪問し、次の利用者宅まで何キロも移動する場合、都市部より一日に訪問できる人数が少なくなります。

人口密度が低い地域では、移動時間そのものが介護サービスのコストになるのです。

したがって30年後の外房では、施設介護、訪問介護、通所介護、小規模多機能型サービス、送迎などを別々の事業として考えるのではなく、地域単位で組み合わせる必要性が現在以上に高まるでしょう。

介護保険制度が存在していても、事業者や職員がいなければ実際のサービスは提供できません。

制度があることと、サービスを利用できることは別の問題です。

ここは30年後の生活を考えるうえで非常に重要です。

ごみ収集や行政サービスも広域化する

ごみ処理、消防、水道などは、すでに自治体の境界を越えた運営との相性がよい分野です。

実際、御宿町でも、水道事業だけでなく、ごみ処理などについて近隣自治体との広域的な取り組みが進められています。

人口が減れば、町ごとに焼却施設や専門職員を持つより、複数自治体で共同運営した方が効率的になります。

30年後には「御宿町のサービス」「勝浦市のサービス」「いすみ市のサービス」という区分よりも、「夷隅地域として提供するサービス」が増えていても不思議ではありません。

自治体そのものがなくならなくても、実際の行政サービスは広域化していく。

水道ですでに始まった変化が、他の分野でも進む可能性があります。

30年後に残りやすいもの、変わりやすいもの

ここまでを整理すると、生活インフラには性質の違いがあります。

水道、幹線道路、消防、救急、ごみ処理などは公共性が非常に高いため、形を変えながらも維持される可能性が比較的高いでしょう。

一方、スーパー、ガソリンスタンド、飲食店などは民間事業であり、地域の人口や商圏に強く左右されます。

公共交通、診療所、介護サービスはその中間にあります。

社会的には必要ですが、利用者が減れば単独の事業として成立しにくくなるため、行政支援、広域化、集約化、送迎、訪問、デジタル技術などを組み合わせなければ維持できなくなります。

したがって30年後に最も大きな変化が起こるのは、インフラの「有無」ではありません。

インフラまでの距離です。

そして、

サービスを受けるために必要な移動量です。

「外房に住めるか」ではなく「外房のどこに住むか」が重要になる

30年後も外房で生活することは十分可能でしょう。

しかし、どこに住んでも同じ条件で生活できるとは考えにくくなります。

駅、スーパー、医療機関、幹線道路などが比較的近い生活拠点では、人口が減少してもサービスを集約して維持しやすい。

一方、住宅が広く分散している地域では、一つ一つのサービスまでの距離が長くなり、自動車への依存度がさらに高まる可能性があります。

人口減少によって外房全体が一様に衰退するのではありません。

むしろ、

便利な場所と不便な場所の差が大きくなる。

これが30年後の外房を考えるうえで最も重要な視点ではないでしょうか。

移住を考える場合も、現在の景観や住宅価格だけでなく、30年後に生活拠点となり得る場所との距離を見る必要があります。

若いうちは車で30分走ることが問題にならなくても、80歳になったときにも同じ移動ができるとは限りません。

住宅そのものより、周囲にどのような機能が残りそうなのかを見る必要があります。

外房は消えるのではなく「薄く、広く」から「小さく、集約して」へ変わる

30年後の外房から、水道も道路も医療も商店もすべて消えてしまうという未来は現実的ではありません。

しかし、現在の生活環境がそのまま維持されると考えることも現実的ではありません。

人口が減少すれば、生活インフラは再配置されます。

水道は広域化し、医療は役割分担し、公共交通は予約型へ変わり、店舗は拠点へ集まり、商品やサービスの一部は家庭まで運ばれるようになるでしょう。

つまり外房の30年後を表す言葉は「消滅」ではありません。

集約です。

これまでの地方は、広い地域に人が住み、その人々を道路、商店、病院、学校、公共交通などが支えてきました。

人口が減少する社会では、この構造をそのまま維持することが難しくなります。

これから必要になるのは、人口を無理に以前の規模へ戻そうとすることだけではなく、少ない人口でも生活できる地域構造をつくることです。

外房で本当に問われているのは、

30年後に人口が何人残るのかではありません。

その人口で、どの範囲まで生活圏を維持できるのか。

そこに、これからの外房の生活を考える核心があります。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

有限会社アードレでは、住まい・車・移住などの大きな選択を、 費用や将来条件をもとに数字で比較し、判断できる形に整理しています。

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地方で暮らしていると、ガソリンスタンドがあることを特別な生活インフラだと意識する機会は、それほど多くありません。車で買い物へ行き、通院し、仕事へ向かい、農作業や事業に使う車両に燃料を入れる。灯油を購入する家庭もあります。現在はそれが日常の一部として成立しています。

しかし、人口減少が今後も続き、自動車の燃費が改善し、さらに自動車そのものの電動化が進んでいけば、地方のガソリンスタンドを取り巻く経営環境は今より厳しくなります。

問題は、単純に「電気自動車が増えればガソリンスタンドが不要になる」ということではありません。むしろ地方では、ガソリンの需要が減少していく途中の長い期間に、一定数のガソリン車や軽油を使う車両が残るにもかかわらず、それを支えるガソリンスタンドの方が先に姿を消していく可能性があります。

30年後の地方を考えるとき、本当に重要なのはこちらの問題です。

ガソリンスタンドはすでに大きく減っている

日本のガソリンスタンドは、将来になって突然減り始めるわけではありません。すでに長期間にわたって減少しています。

資源エネルギー庁によると、全国の給油所数は1994年度末に6万421か所ありました。それが2024年度末には2万7009か所まで減少しています。約30年間で半分以下になった計算です。直近でも2023年度末の2万7414か所から、2024年度末には405か所減少しました。

つまり、「30年後にガソリンスタンドが減るのか」という問いを立てる以前に、日本では過去30年間ですでに約3万3000か所の給油所がなくなっています。

しかも、減少の理由を電気自動車だけに求めることはできません。人口減少、自動車の燃費向上によるガソリン需要の縮小、経営者の高齢化や後継者不足、人手不足など、複数の要因が重なっています。資源エネルギー庁も、こうした事情によってガソリンスタンドが減り続けていると認識しています。

この構造を考えると、人口減少の大きな地方ほど問題は深刻になります。

人口が30%減れば、ガソリンの需要も小さくなる

ガソリンスタンドは道路があれば成立する施設ではありません。当然ながら、一定量の燃料を購入する利用者が必要です。

例えば、ある地域に現在1万人が暮らし、3000台の自動車が日常的に利用されているとします。それが30年後に人口6000人となり、保有される自動車が2000台程度まで減ったとすれば、それだけでも地域全体の燃料需要は小さくなります。

さらに、一台当たりの燃料消費量も減少する可能性があります。

ハイブリッド車の普及やエンジンの燃費改善によって、同じ距離を走るために必要なガソリンは以前より少なくなっています。そこへ電気自動車やプラグインハイブリッド車が増えていけば、ガソリンスタンドで販売される燃料の量はさらに減ります。

したがって、

人口減少 × 自動車台数減少 × 燃費改善 × 電動化

という複数の要因が、同時にガソリン需要を押し下げることになります。

地方のガソリンスタンドにとって厳しいのは、利用者がゼロになることではありません。「利用する人はまだかなりいるのに、店舗を維持できるだけの販売量には届かない」という状態になることです。

ここに地方特有の難しさがあります。

「ガソリン車がなくなるまで残る」とは限らない

政府は2035年までに、乗用車の新車販売を電動車100%とする目標を掲げています。ただし、この「電動車」にはEV(Electric Vehicle・電気自動車)だけでなく、HEV(Hybrid Electric Vehicle・ハイブリッド自動車)、PHEV(Plug-in Hybrid Electric Vehicle・プラグインハイブリッド自動車)、FCV(Fuel Cell Vehicle・燃料電池自動車)も含まれます。したがって、2035年になればガソリンを使用する乗用車が販売されなくなる、という意味ではありません。

さらに、自動車は購入してから十年以上使用されることも珍しくありません。

2035年以降も、現在販売されているガソリン車やハイブリッド車は長期間道路を走ります。農業機械、建設機械、トラック、二輪車、発電機などを含めれば、液体燃料への需要はさらに長く残るでしょう。

したがって2040年代、2050年代になっても、地方に石油燃料を必要とする人が完全にいなくなるとは考えにくいのです。

ところが問題は、その少ない需要だけでガソリンスタンドの経営が成立するかどうかです。

仮にある地域で現在三つのガソリンスタンドが営業していて、30年後の燃料需要が現在の半分になったとします。単純に考えれば、三店舗が少ない需要を分け合うより、一店舗に需要を集約した方が経営は成立しやすくなります。

その結果として起きるのは、ガソリンスタンドの完全消滅より先に、給油できる場所の集約でしょう。

三店舗が二店舗になり、二店舗が一店舗になり、住民が給油のために移動する距離が少しずつ長くなっていく可能性があります。

「町に一軒ある」状態になったとき、問題の性質が変わる

資源エネルギー庁は、市町村内のガソリンスタンドが3か所以下となった地域を「SS(Service Station・サービスステーション)過疎地」として扱っています。人口減少や燃料需要の縮小を背景に、このような地域は増加しています。

ガソリンスタンドが三店舗から二店舗になるだけなら、住民生活への影響は限定的に見えるかもしれません。

しかし二店舗が一店舗になると、意味は大きく変わります。

唯一の店舗が設備故障や人手不足で休業すれば、その地域には給油場所がありません。経営者が高齢になり、後継者が見つからなければ、町全体の燃料供給が一つの事業者の経営判断に左右されます。

競争の問題もあります。

都市部では複数のスタンドから価格やサービスを比較できますが、一店舗しかなければ住民に選択肢はありません。一方で、その一店舗に過度な価格競争を求めれば、今度は店舗そのものが維持できなくなります。

つまりガソリンスタンドが極端に少なくなった地域では、ガソリン販売を通常の小売業だけとして考えることが難しくなります。

水道、公共交通、診療所などと同じように、「採算だけでは維持しにくいが、なくなると生活が困る施設」という性格が強くなっていきます。

地方では「最後の一軒」を市場原理だけで維持できるのか

ここから先は、地方のガソリンスタンド問題が地域政策の問題へ変わります。

人口5000人の町と人口50万人の都市では、一店舗のガソリンスタンドが持つ意味が違います。

都市で一店舗が閉店しても、数百メートル先や数キロ先に別の店舗がある場合があります。しかし地方では、一店舗がなくなった結果、次のガソリンスタンドまで十数キロ、場合によってはそれ以上走らなければならなくなることがあります。

さらに地方ほど自動車への依存度が高いという逆説があります。

鉄道やバスが十分にある都市なら、ガソリンスタンドが減っても生活そのものへの影響は比較的小さいでしょう。ところが公共交通の弱い地方では、高齢者の通院、買い物、介護、訪問看護、宅配、農業、建設、行政業務まで自動車に依存しています。

「人口が少ないからガソリンスタンドがなくなる」のに、「人口が少ない地域ほど自動車がなければ暮らしにくい」のです。

ここに、単純な市場原理だけでは解決しにくい構造があります。

実際、国もガソリンスタンドを単なる民間小売店とは位置付けていません。経済産業行政では地域の燃料供給を支える重要な社会インフラとして扱われ、過疎地域での供給体制維持への支援が行われています。2026年にも資源エネルギー庁の研究会で、自治体向けのガソリンスタンド維持に関するガイドライン案が検討されています。

災害時には、ガソリンスタンドの意味がさらに大きくなる

地方の燃料供給を考える際、平常時の採算だけでは評価できないもう一つの理由があります。

災害です。

大規模停電や道路寸断が起きたとき、救急車、消防車、自治体車両、復旧工事車両、発電機などには燃料が必要です。一般家庭でも停電時に自動車を移動手段として使います。

資源エネルギー庁は、自家発電設備を備え、停電時にも給油を継続できるガソリンスタンドを「住民拠点SS」として整備してきました。

これはガソリンスタンドが単なる「車に燃料を売る店」ではなく、災害時のエネルギー供給拠点でもあることを示しています。

とくに房総半島のように台風や停電の影響を受ける可能性がある地域では、平常時には利用量の少ない店舗でも、非常時には地域全体を支える施設になる可能性があります。

経済合理性だけで店舗数を減らした結果、非常時の地域対応力まで低下するのであれば、それは別のコストを生みます。

では30年後、地方のガソリンスタンドはどうなっているのか

30年後に現在と同じ形のガソリンスタンドが、現在と同じ数だけ残っている可能性は高くありません。

一方で、すべてが電気自動車に置き換わり、ガソリンスタンドそのものが不要になっていると考えるのも極端です。

現実には、その中間が長く続く可能性があります。

ガソリンや軽油の販売量は減る。しかしゼロにはならない。電気自動車の充電需要は増える。地域によっては灯油やLP(Liquefied Petroleum・液化石油)ガスなどのエネルギー供給も必要です。さらに災害対応、カーサービス、配送、地域商店的な機能まで組み合わせなければ事業として成立しにくくなるでしょう。

つまり30年後に残っている施設は、現在の意味での「ガソリンスタンド」というより、地域エネルギー拠点へ変わっている可能性があります。

ガソリンと軽油を給油し、電気自動車を充電し、灯油を販売し、災害時には非常用電源を使って地域へエネルギーを供給する。そのほかのサービスを組み合わせる施設になれば、少ない人口でも維持できる可能性は高まります。

しかし、それでもすべての地域に現在と同じ密度で配置することは難しいでしょう。

外房では「あるか、ないか」より「何キロ先にあるか」を見る必要がある

外房の将来を考える場合、ガソリンスタンドの総数だけを見ても十分ではありません。

重要なのは、住宅地から最寄りの給油所までの距離です。

人口が減って一店舗ずつ撤退すると、地域全体ではガソリンスタンドが残っていても、特定の地区では給油のために往復20キロ、30キロ移動しなければならない状況が生まれる可能性があります。

そのとき問題になるのは、ガソリン価格そのものよりも「給油するための移動コスト」です。

仮に往復20キロ走らなければ給油できないとすれば、そのためにも燃料を使います。高齢になって長距離運転が難しくなれば、距離はさらに大きな負担になります。

したがって地域分析では、

人口に対するガソリンスタンド数

だけではなく、

居住地から最寄り店舗までの平均距離

高齢者人口

自動車保有率

公共交通の代替可能性

まで一緒に考える必要があります。

地方の生活インフラでは、施設が行政区域内に存在することと、住民が実際に利用できることは同じではないからです。

30年後も「残る」のではなく、「残さなければならない地域」が出てくる

地方のガソリンスタンドは、これから30年間でさらに減っていく可能性が高いと考えるのが自然です。

ただし、一定水準まで減った後も同じ速度で減り続けられるとは限りません。

最後の一店舗がなくなれば、その地域の住民だけでなく、救急、消防、介護、宅配、農業、建設、行政などにも影響が及びます。

その段階になると、「事業者が採算を取れるか」という問題だけでは済まなくなります。

地域バスと同じように、自治体が施設維持に関与する地域が増える可能性があります。複数事業者による共同運営、公設民営、設備更新への補助、営業時間の調整、他業種との複合化など、従来とは異なる維持方法が必要になるでしょう。

実際に国がSS過疎地対策を進めていること自体、燃料供給を完全に市場任せにはできない地域がすでに現れていることを示しています。

30年後の地方で問題になるのは、「ガソリン車が残っているか」だけではありません。

必要な燃料を、必要な場所で購入できる仕組みが残っているか。

こちらの方が重要です。

人口が減っても道路はなくなりません。救急車も介護車両も宅配車も必要です。そして地域社会が完全に電動化されるまでには長い移行期間があります。

その移行期間を支えるガソリンスタンドが先になくなってしまえば、地方では「車はあるのに燃料を簡単に買えない」という問題が起こり得ます。

地方のガソリンスタンドの30年後を考えることは、単に石油産業の未来を考えることではありません。

それは、人口が減少する地域で、どこまで現在の生活圏を維持できるのかという問題です。

水道、病院、スーパー、公共交通と同じように、ガソリンスタンドもまた、「店が一軒減った」というだけでは済まない段階へ、地方では少しずつ近づいているのです。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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