選挙の夜、市役所や町村役場の一室には独特の熱気がある。当選確実を知らせる一報が入り、支援者から花束が渡され、新しい市長や町長が壇上でこれからの四年間を語る。人口減少を食い止めたい、産業を育てたい、子育てを支援したい、高齢者が安心して暮らせる地域にしたい。そこで語られる政策や将来像には、その地域が少し変わるかもしれないという期待が託されている。
しかし、祝福の夜が明けると、首長を待っている仕事の風景はかなり違う。予算編成、人事、福祉、教育、道路、水道、公共施設、防災、契約、情報システム、国や都道府県との調整、そして議会への説明など、行政運営に関する幅広い判断が求められる。人口数千人の市町村であっても、行政組織は決して単純な小組織ではない。法令によって実施が義務付けられた業務が数多くあり、住民の生命や財産に直接かかわる仕事を抱え、一つの大型事業の判断が十年後、二十年後の財政にまで影響することもある。
選挙では「この地域をどのようにしたいか」が問われたはずなのに、当選した瞬間、その人物には複雑な行政組織を運営する能力まで求められる。もちろん、首長がすべての仕事を一人で行っているわけではなく、副市町村長や幹部職員、専門職員がそれぞれの役割を担っている。それでも、重要な政治的判断と行政運営の最終的な責任が、公選された首長に集中していることは確かである。
ここには、人口減少時代の地方自治を考えるうえで、改めて検討する価値のある問題が存在する。私たちは選挙によって地域の政治的な代表者を選んでいるが、同時に、その一回の選挙によって、数十億円、場合によっては数百億円以上の予算と多数の職員を抱える行政組織の最高責任者も選んでいるのである。
選挙は行政経営者の採用試験ではない
市長や町長を住民が直接選ぶことには、民主主義の根幹にかかわる意味がある。どのような地域をつくるのか、限られた財源を何に使うのか、開発を優先するのか自然環境を守るのか、公共施設を残すのか統廃合するのか、高齢者施策と子育て施策にどのような優先順位を与えるのか。こうした問題には、統計や財政分析によって判断材料を示すことはできても、計算だけで唯一の正解を導くことはできない。住民によって価値判断が異なるからこそ、選挙と議会を通じた民主的な意思決定が必要になる。
日本では、首長の直接選挙は単なる慣習ではない。日本国憲法第93条第2項は、地方公共団体の長などについて、住民による直接選挙を定めている。したがって、市長や町長を住民が選ぶ仕組みを廃止し、民間から採用した専門経営者だけを行政の最高責任者にする制度を、そのまま導入することはできない。
しかし、首長を住民が直接選ばなければならないことと、選挙で選ばれた人物が高度な行政経営能力をすべて備えていなければならないことは、同じではない。考えてみれば、選挙は行政経営能力を専門的に測定するようには設計されていない。候補者が長期財政計画をどの程度読み解けるのか、公共施設の更新費用を推計できるのか、大規模な情報システム更新を管理できるのか、組織を再編して人員配置を適正化できるのかを、有権者が投票所で個別に検証するわけではない。
実際の選挙では、政策、人物、政治経験、地域との関係、過去の実績、説明能力などが総合的に評価される。それは民主主義として自然なことであり、行政実務の専門知識を持たない候補者が首長になること自体が問題なのではない。重要なのは、選挙によって得られる政治的な正当性と、行政組織を適切に運営するための専門能力が、必ずしも同じ選考過程によって確保されるものではないという点である。
そこで考えられるのが、市長や町長はこれまで通り住民が選挙で選び、その一方で、財政、人事、組織運営、公共施設管理などに強い専門的人材を公募し、首長を補佐しながら行政経営を担ってもらうという構想である。選挙を専門家による経営に置き換えるのではなく、民主的に選ばれた首長の下で専門的な行政運営能力を強化するという発想である。
地域の方向を決める仕事と、行政組織を動かす仕事
ここでいう「行政経営者」は、現在の日本法に存在する正式な職名ではなく、地方自治における役割分担を考えるための仮称である。想定するのは、首長と対等な権限を持つ第二の首長ではない。住民から選ばれた首長の政治的な方針を、実行可能な事業計画、財政運営、組織体制へと具体化することに責任を持つ専門的人材である。
市長や町長は、住民から与えられた信任に基づいて地域の将来像を提示し、政策の優先順位を判断する。その方針を実現するために、行政経営者は財政を分析し、事業の優先順位を整理し、公共施設の維持更新を計画し、庁内の部局間調整を進め、必要な人材を確保し、政策が計画通り実施されているかを継続的に検証する。首長の意思決定に必要な複数の選択肢と、それぞれの費用、効果、リスクを明らかにすることも重要な仕事になる。
もっとも、政治と行政経営を完全に分けられるわけではない。予算配分や組織再編には必ず価値判断が含まれ、どの事業を効率化するかという技術的に見える判断も、住民の生活や地域間の公平性に影響する。専門家が計算した結果だからといって、それが自動的に政治的な正解になるわけではない。
また、行政と企業には根本的な違いがある。企業では利益や市場での競争力が重要な経営指標になるが、地方自治体には、採算だけでは判断できない公共サービスを提供する責任がある。利用者が少ない地域であっても必要な医療や福祉へのアクセスを確保しなければならない場合があり、防災や消防の体制も、単純な収益性では評価できない。施設の統廃合や広域化による効率改善は可能でも、住民の安全や権利を無視して採算だけを理由に行政サービスを縮小することは適切ではない。
したがって、政治と行政経営の分担とは、政治家が目的だけを決め、専門家が方法だけを決めるという機械的な区分ではない。専門家は客観的な情報と実行可能な選択肢を示し、首長と議会はその情報を踏まえて民主的な判断を行い、行政組織が決定を実行する。その過程で、それぞれの権限と責任を明確にすることが重要になる。
海外には政治と専門行政経営を分担する制度がある
このような役割分担を考える際、比較対象となるのが米国などで採用されているCouncil-Manager(カウンシル・マネージャー方式・議会と専門行政経営者が役割を分担する地方政府制度)である。典型的には、住民が選んだ議会が政策や予算について政治的な意思決定を行い、議会が任命したCity Manager(シティ・マネージャー・地方政府の日常的な行政運営を担う専門行政経営者)が予算案の作成、職員管理、行政サービスの運営などを担当する。
これに対して、Mayor-Council(メイヤー・カウンシル方式・市長と議会を中心に構成される地方政府制度)では、市長が行政運営に強い役割を持つ。ただし、実際の米国の制度は、この二種類に単純に分類できるわけではない。カウンシル・マネージャー方式でも市長が住民から直接選ばれる都市があり、市長・議会方式の下でも専門的な行政管理官を配置する例がある。重要なのは、市長が公選かどうかという形式だけでなく、予算、人事、日常的な行政執行について、実際に誰がどの権限を持つかという制度設計である。
ここで注意しなければならないのは、米国のカウンシル・マネージャー方式と、日本で想定する「公選首長の下に専門行政経営者を置く制度」は同じではないという点である。米国の制度をそのまま日本に移すことは、憲法上の首長公選制だけでなく、地方自治法、公務員制度、議会制度、行政委員会制度との関係からも難しい。
また、海外制度を紹介する資料の出所にも注意が必要である。International City/County Management Association(国際市・郡管理協会・地方行政経営の専門化や専門職制度の普及を推進する団体)は、制度の仕組みや行政経営者の職務を理解するうえで有用な情報を提供している一方、専門行政経営の推進に関与する団体でもある。制度の紹介と制度の優位性に関する評価は区別し、後者については独立した学術研究や客観的な統計によって確認する必要がある。
海外制度から得られる最も重要な示唆は、政治的な代表性を維持しながら、行政の専門性を組織的に確保する方法には複数の選択肢があるということである。ただし、制度の存在そのものは、行政成果の改善を証明するものではない。
日本にも専門行政経営者を登用する制度上の入口がある
では、日本の市町村でこの発想を実現するためには、まったく新しい制度をつくる必要があるのだろうか。必ずしもそうではなく、現行法の下でも、専門的人材を行政運営の中枢に登用する方法は存在する。
最も分かりやすいのは、副市町村長として外部の専門人材を登用する方法である。地方自治法第161条は、市町村に副市町村長を置くことを定めている一方、条例によって置かないことも認めている。第162条では副市町村長を首長が議会の同意を得て選任することを定め、第163条では任期を四年とし、任期途中であっても首長が解職できることを規定している。
副市町村長の職務は、首長が不在のときに代役を務めることだけではない。地方自治法第167条では、首長を補佐し、その命を受けて政策や企画をつかさどり、職員の事務を監督する役割が定められている。また、首長の権限に属する事務の一部について委任を受け、実際に執行することもできる。
したがって、行政経営に強い人材を全国から公募し、その中から首長が候補者を選び、議会の同意を得て副市町村長に選任するという構想は、現行制度の枠内で検討できる。ただし、公募によって自動的に就任できるわけではなく、最終的な選任には法律上の手続が必要になる。
もう一つの方法として、地方公共団体の一般職の任期付職員の採用に関する法律に基づき、専門的な知識経験や優れた識見を持つ人材を任期付きで採用する仕組みがある。条件を満たす場合には、選考による採用が可能であり、同法第3条に基づく採用では任期の上限は原則として五年である。財政改革、公共施設再編、情報システム改革、組織運営の改善など、特定の業務について専門職を採用する方法も考えられる。
ただし、副市町村長と一般職の任期付職員では、法的な地位も権限も異なる。一般職の専門人材を採用したからといって、当然に全庁的な指揮命令権が与えられるわけではない。また、地方自治法上、市町村長には自治体を統轄し、代表し、所管する事務を管理・執行する権限と責任がある。教育委員会、選挙管理委員会、監査委員など、独立した権限を持つ執行機関との関係も無視できない。
つまり、行政経営者を置くとしても、自治体のすべての仕事を自由に指揮する独立した経営者になるわけではない。現実的な制度設計は、首長の法的責任と既存の行政機関の権限を維持したまま、専門家への権限の一部委任、部局横断的な調整、政策実施の管理などを通じて行政運営能力を強化するものとなる。
人口が減っても行政の仕事は同じ割合では減らない
この問題が特に重要になるのは、人口減少が進む市町村である。もし人口が半分になったときに行政の仕事も半分になり、必要な予算や職員数も同じ割合で削減できるのであれば、人口減少への対応は比較的単純になる。しかし、地方行政にはそのような比例関係が成立しない業務が数多く存在する。
人口が減っても、住民登録、税務、福祉、防災、教育、道路管理、上下水道、ごみ処理などの行政機能は必要になる。道路延長が人口に合わせて自然に半分になるわけではなく、水道管の総延長が住民減少に比例して短くなるわけでもない。人口三千人の町村にも、条例、予算、決算、議会、選挙、福祉、防災などに関する一定の行政機能が求められる。
経済学的に考えると、行政費用には人口の増減に比較的連動しやすい部分と、人口が変化しても短期間では減らしにくい固定的な部分がある。例えば、行政費用を「固定費と人口に比例する変動費の合計」として単純化すると、人口が減少しても固定費は残るため、住民一人当たりの行政費用が増加する構造を説明できる。
仮に、ある市町村の年間固定費が十二億円、住民一人当たりの変動費が十二万円とする。この場合、人口五千人では年間行政費用が十八億円となり、住民一人当たりでは三十六万円になる。人口が二千五百人に半減すると、年間行政費用は十五億円に減少するものの、住民一人当たりでは六十万円になる。総費用は約十六・七%減少しているのに対して、住民一人当たりの費用は約六十六・七%増加する計算である。
もちろん、これは行政費用の構造を理解するための仮定上の計算であり、実際の市町村の決算値を示したものではない。現実の費用は人口だけでなく、行政区域の面積、人口密度、地形、高齢化率、道路や水道などの施設保有量、行政サービスの水準、国や都道府県との役割分担などにも影響される。施設を統廃合したり、複数の自治体で事務を共同処理したりすれば、固定費そのものを削減できる場合もある。
国土交通省が公表した人口規模や人口密度と行政費用の関係に関する分析でも、人口規模が小さく、人口密度が低い市町村ほど、住民一人当たりの行政費用が高くなる傾向が示されている。ただし、この関係は人口と行政費用の相関を表したものであり、人口減少だけが費用増加の原因であることを証明するものではない。
それでも、人口減少が行政運営に構造的な負担をもたらし得ることは、理論的にも理解できる。さらに、人口減少とともに税収が減少する圧力も生じるが、地方税収は人口に完全比例するわけではなく、固定資産税や地方交付税、国・都道府県からの財政移転にも左右される。人口、職員数、財源が常に同じ割合で減少するとは限らないものの、行政需要と財政・人材の供給能力との間に不均衡が生じる可能性は高まる。
小規模自治体ほど専門人材を確保する仕組みが重要になる
人口減少が行政運営を難しくする理由は、財政負担の増加だけではない。自治体に求められる専門性が高まっていることも重要である。情報システムの標準化、個人情報保護、サイバーセキュリティ、複雑化する社会保障制度、公共施設の老朽化対策、災害対応など、近年の自治体が直面する課題は、一つの分野に限定されない。
人口が少ない自治体でも、適用される法制度や行政上の責任が人口規模に応じて単純に軽くなるわけではない。その一方で、財政、人事、情報、福祉、土木などの各分野について高度な専門性を持つ職員を、すべて自前で確保することは難しくなりやすい。特に、専門職員が一人しかいない業務では、その職員の退職や異動によって組織内の知識や経験が大きく失われる可能性がある。
もっとも、小規模自治体には優れた専門職員がいないと一般化することはできない。行政運営に精通した職員を抱える町村もあり、自治体の規模だけで行政能力を判断することは適切ではない。また、専門性を補う方法は外部人材の直接採用だけではなく、都道府県からの支援、自治体間の共同処理、広域連携、外部委託、既存職員の専門能力向上など複数存在する。国でも、都道府県と市町村が連携したデジタル人材の確保や、自治体間での専門人材の共有が推進されている。
ここで考えなければならないのは、人口が小さい自治体ほど、専門行政経営者を一人採用することが最も合理的とは限らないという点である。行政経営の専門家を各町村が個別に配置するよりも、複数の市町村が共同して専門人材を確保する方が、費用負担を抑えながら一定の専門性を確保できる可能性もある。
人口減少時代に必要なのは、すべての自治体が現在と同じ人員構成で、すべての専門機能を内部に持ち続けることではない。どの機能を自治体内部に維持し、どの機能を共同化し、どの専門能力を外部から確保するのかを、行政サービスの継続性と費用対効果の両面から考えることである。
専門行政経営者を置けば行政成果は改善するのか
ここまで考えると、行政経営に強い人材を導入した方がよいという結論になりそうである。しかし、制度が理論的に合理的であることと、その制度を導入した結果として実際に行政成果が改善することは、別の問題である。
米国の地方政府制度については、長年にわたって多くの実証研究が行われてきた。Jered B. Carrが二〇一五年に発表した研究レビューでは、カウンシル・マネージャー方式の成果に関する七十六本の実証研究を整理し、制度の優位性について十の命題を検討している。その結果、政策の便益を広く分配する傾向や、行政幹部による経営管理への時間配分などについては比較的強い根拠が見られた一方、専門経営型の自治体の方が総合的に優れた行政運営をしているという中心的な命題については、十分な実証的裏付けが得られていないと評価されている。
このレビューでは、自治体幹部間の対立や総合的な政策形成など、制度によって違いが見られる可能性のある分野も整理されている。また、住民の投票率について、専門経営型の自治体で低い傾向を示す研究も取り上げられている。こうした結果は、専門的な行政運営の強化が行政組織の活動に一定の変化をもたらす可能性を示す一方、民主的参加を含むすべての面で優位な制度であると評価できるわけではないことを意味する。
財政面でも研究結果は一様ではない。Changhoon Jungが二〇〇六年に発表した研究では、人口五万人を超える米国の五百四都市を対象に、一九八〇年から二〇〇〇年までのデータを分析し、統治制度と行政支出の関係を検討している。共通する自治体業務の住民一人当たり支出については、制度間に統計的に明確な差が確認されず、警察支出ではカウンシル・マネージャー方式の方が低いという結果が示されたものの、消防支出については有意な差が確認されなかった。
さらに、Stephen CoateとBrian Knightが二〇一一年に発表した研究では、市長・議会方式の方が公共支出が低くなるという理論的予測が示され、実際の都市データを用いた分析でも、その方向を支持する結果が得られている。このように、専門行政経営者を中心に行政運営を行う制度が、必ず行政支出を削減するとは言えないのである。
もっとも、行政支出が少ないことは、行政効率が高いことと同じではない。例えば警察や消防に関する支出が低くても、それによって治安や安全性、災害対応能力が低下していれば、行政成果が改善したとは評価できない。反対に、必要な支出を増やすことで行政サービスの品質や住民の安全が向上する場合もある。行政経営の成果を評価するには、費用だけでなく、その費用によって提供されたサービスの量、質、公平性を同時に確認する必要がある。
汚職が57%少ないという研究をどう読むか
制度の違いが財政以外の成果に影響する可能性を示した研究もある。Kimberly L. NelsonとWhitney B. Afonsoが二〇一九年に発表した研究では、一九九〇年から二〇一〇年までの米国自治体における汚職による有罪判決を分析し、カウンシル・マネージャー方式の自治体では、市長・議会方式の自治体と比較して、有罪判決が発生する可能性が低いという統計的な関連が報告された。推計では、その可能性が五十七%低いとされている。
この数字は一見すると大きな制度効果を示しているように見えるが、解釈には注意が必要である。まず、五十七%低いという相対的な指標は、有罪判決の発生確率が五十七パーセントポイント低いことを意味しない。例えば、比較対象での発生確率を仮に一%とし、もう一方の発生確率が相対的に五十七%低いと仮定すれば、〇・四三%となり、絶対的な差は〇・五七パーセントポイントである。ただし、これは相対差と絶対差の違いを示すための単純な計算例であり、研究が報告した実際の発生確率ではない。回帰分析の推定値を確率へ換算する場合には、用いられた統計モデルや基準確率を確認する必要がある。
さらに、この研究は観察データを用いたものであり、制度の採用と汚職の少なさの間に関連が認められたとしても、それだけで制度導入の因果効果が証明されたわけではない。もともと改革志向の強い自治体、行政の透明性を重視する自治体、専門人材を確保しやすい自治体などが、カウンシル・マネージャー方式を採用している可能性もある。また、汚職による有罪判決は、実際に発生した汚職すべてを表すものではなく、捜査、摘発、訴追などの制度運用にも左右される。
つまり、この研究から「専門行政経営者を置けば汚職が五十七%減る」と結論付けることはできない。制度と行政成果の関係を考えるときに重要なのは、その制度を採用したから成果が変わったのか、それとも、もともと成果を改善しやすい自治体がその制度を採用したのかを区別することである。
ここまでの研究を総合すると、専門行政経営者の配置には一定の利点がある可能性は認められるが、財政支出、行政サービスの品質、民主的参加、組織運営、汚職防止のすべてについて、一貫した優位性が実証されているわけではない。専門家という肩書も制度の名称も、それだけでは行政成果を保証しないのである。
米国の研究を日本の小規模自治体にそのまま適用できない
海外研究を日本の人口減少地域に当てはめる際には、研究対象の違いにも注意しなければならない。例えば、先ほどのJungの研究は人口五万人を超える米国都市を対象としているが、日本には人口一万人未満、さらに数千人という市町村も存在する。自治体の規模が異なれば、予算構造、職員数、専門職の配置、人材採用の可能性、行政サービスを共同化できる余地なども異なる。
また、日本と米国では地方税制、公務員制度、首長と議会の権限関係、教育行政、警察や消防などの行政サービスの担当範囲、州や都道府県との関係が異なっている。米国で議会が専門行政経営者を任命する制度と、日本で首長が副市町村長として専門人材を選任する制度では、専門家が持つ権限も、政治的責任との関係も同一ではない。
したがって、米国でカウンシル・マネージャー方式に一定の成果が観察されたからといって、日本の人口三千人の町村でも行政経営者を配置すれば同じ成果が得られるとは言えない。海外の研究は、日本での制度導入を正当化する直接的な証拠というよりも、検証すべき仮説を考えるための材料である。
ここから導かれる問いは、専門行政経営者を置くべきかどうかという単純な賛否ではない。日本の人口減少自治体において、どのような条件の下で、どのような専門人材を、どのような権限と責任で配置すれば、行政サービスの質や持続可能性が改善するのかという、より具体的な問いである。
本当に難しいのは効率よりも責任の所在である
仮に専門行政経営者を採用できたとしても、制度の成否を左右する難しい問題が残る。それは、最終的に誰が決定し、誰が住民に説明するのかという責任の所在である。
例えば、老朽化した公共施設が三つ存在し、人口予測や維持更新費の推計から考えると、一つの施設に集約した方が長期的な財政負担を抑えられるとする。行政経営者は、今後二十年間の費用、利用者数、施設の安全性、維持管理体制を比較し、統合案を提案するかもしれない。しかし、閉鎖される地区の住民にとって、その施設は単なる行政資産ではない。長年にわたって地域行事が行われ、子どもが集まり、高齢者が交流してきた場所であり、地域社会の維持に重要な役割を果たしている可能性もある。
財政的な分析に基づく統合案には合理性がある一方、地域のつながりや生活上の利便性を理由に住民が反対することにも合理性がある。しかも、施設統合によって移動距離が長くなれば、交通手段を持たない高齢者や子どもに負担が集中するかもしれない。施設維持費だけでなく、代替交通手段の整備費用や住民が負担する移動時間まで含めて評価すると、当初の結論が変わる可能性もある。
こうした問題では、専門的な費用分析によって選択肢を絞ることはできても、どの価値を優先するかという最終的な判断は政治的な責任を伴う。首長が政策方針を示し、議会が予算や条例などについて必要な判断を行い、住民に対して説明することが求められる。専門行政経営者は、その判断のための情報を整理し、各選択肢の費用と影響を明らかにする役割を担う。
専門家が効率性だけを基準として価値判断まで独占すれば、民主的な統制が弱まる危険がある。一方で、政治家が日常的な人員配置や個別業務の処理に過度に介入すれば、専門的な行政運営を導入した意味が薄れてしまう。行政経営者の採用で重要なのは、優秀な人材を一人見つけること以上に、専門家の裁量と政治的な意思決定の境界を適切に設計することである。
公募するなら市町村を救う英雄を探してはいけない
仮に日本の市町村が行政経営者の公募を行うなら、「民間の優秀な経営者が行政を立て直す」という単純な構想にしてはいけないだろう。企業経営の経験が豊富な人物であっても、地方自治法、財政制度、公務員制度、住民の権利保障、議会との関係に十分な理解がなければ、行政組織の運営で能力を発揮できるとは限らない。
反対に、行政経験の長い職員であれば必ず適任というわけでもない。既存の制度や慣行に精通していることは強みになるが、外部との連携、組織改革、人材育成、データに基づく意思決定などの能力が十分かどうかは別に評価する必要がある。行政経営者の採用では、民間出身か行政出身かという経歴だけでなく、どのような課題を分析し、どのような組織を動かし、どのような成果を継続的に実現してきたかが重要になる。
さらに、外部人材の採用には組織文化との適合という課題も存在する。地域の事情を知らない人材が短期間で改革を進めようとしても、現場職員との信頼関係が構築できなければ、実施段階で抵抗や混乱が生じる可能性がある。逆に、専門家が首長の意向を無条件に追認するだけであれば、独立した専門的な判断を期待する意味が薄れる。
したがって、採用時には行政経営に必要な専門能力だけでなく、法令遵守、倫理観、説明責任、組織内の調整能力、住民の多様な価値観への理解を確認する必要がある。採用後も首長や議会との関係を曖昧にせず、担当する業務、委任する権限、成果の評価方法、情報公開の範囲、任期満了時の判断基準などを明確にしておくことが望ましい。
行政経営者の採用には費用がかかる
専門行政経営者を導入する場合、その人物の能力だけでなく、採用に必要な費用と期待される成果を比較しなければならない。特に人口規模が小さい自治体では、新たな専門職の配置が財政に与える影響を無視できない。
仮に、年間一般会計歳出が四十億円の市町村で、行政経営者の人件費や関連経費を含む年間総費用が一千五百万円になるとする。この費用を財政支出の削減だけで回収するなら、一般会計全体の約〇・三七五%に相当する削減効果が必要になる。一見すると小さな数字に見えるが、実際の予算には法令、契約、既存の制度などによって短期間では変更できない支出が数多く存在する。
仮に行政経営者が実質的に改善できる支出を年間五億円に限定すると、一千五百万円の費用を回収するためには、その三%に相当する削減が必要になる。しかも、これは行政経営者の採用によって新たに発生する費用を、財政削減効果だけで相殺するという単純な計算であり、採用時の募集費用、引き継ぎ、組織変更、情報システム整備などに伴う費用は別途考える必要がある。
また、既存の副市町村長を外部専門人材に交代させる場合と、副市町村長を置いていない町村が新たに配置する場合とでは、追加財政負担が大きく異なる。すでに存在する役職の人選を変えるだけであれば、追加費用が比較的小さい場合も考えられるが、新しい役職や専門部署を設ける場合には、継続的な費用が発生する。
もっとも、行政経営者の価値を単純な支出削減額だけで測ることも適切ではない。公共施設の修繕を先送りすれば当年度の歳出は減少するが、十年後に大規模な改修が必要となり、かえって総費用が増える可能性がある。職員数を急激に削減すれば人件費は下がるが、職員の負担が増大し、離職や採用難によって組織能力が低下するかもしれない。
行政経営者の成果を評価するには、短期的な歳出削減と長期的な財政負担を区別し、行政サービスの水準を維持できているかを同時に確認する必要がある。公共施設の維持管理、職員採用と人材育成、行政手続に要する時間、住民サービスの利用しやすさ、情報システムの安定性、広域連携の進展、政策実施の速度、職員の働き方など、複数の指標を継続的に評価することが望ましい。
行政経営とは、単に予算や職員数を小さくする技術ではない。限られた財源と人材を使って、必要な公共サービスを将来にわたり提供できる状態を維持するための組織運営能力なのである。
一人の専門家を採用することが最善とは限らない
行政経営能力を高める方法としては、外部専門家を副市町村長に登用するほか、任期付職員として専門人材を採用する方法、既存の幹部職員を育成する方法、複数自治体で専門人材を共同確保する方法などがある。これらは相互に排他的なものではなく、自治体の規模や課題によって組み合わせることもできる。
例えば、財政運営、公共施設管理、情報システム更新といった課題に専門的な支援が必要であっても、そのために常勤の行政経営者を一人追加することが最適とは限らない。特定の事業に限って外部専門家を採用したり、複数自治体で専門人材を共有したりする方が、必要な能力を確保しながら費用を抑えられる場合もある。
反対に、部局間の連携不足、職員育成の停滞、政策実施の遅れなど、自治体全体の組織運営に問題がある場合には、個別分野の専門家を採用するだけでは十分な改善が得られない可能性がある。このような場合には、全庁的な調整権限を持つ副市町村長などに専門性の高い人材を登用する方が有効かもしれない。
ここで必要になるのは、どの採用方法が優れているかを最初から決めることではなく、自治体が抱える問題を診断することである。財政分析能力が不足しているのか、意思決定が遅いのか、職員の専門性が不足しているのか、部局間の調整に問題があるのかによって、採用すべき人材も必要な権限も変わる。
人口数千人の町村では、首長と職員の距離が近く、組織構造が比較的簡素であることが強みになる場合もある。そのような自治体で、行政経営者という新しい管理階層を増やすことが、必ずしも組織運営を改善するとは限らない。管理職を増やすことで報告や決裁の経路が複雑になり、かえって意思決定が遅くなる可能性も考慮すべきである。
したがって、行政経営者の導入は、それ自体を目的とするのではなく、行政能力を高める複数の手段の一つとして位置付ける必要がある。
日本で効果を検証するには何が必要か
この構想を日本の自治体で本格的に検討するなら、制度導入前後の成果を客観的に比較する仕組みが必要になる。ただし、行政経営者を採用した自治体と採用していない自治体の平均値を比較するだけでは、制度の効果を適切に推定できない。
例えば、外部専門人材を採用する自治体は、もともと首長の改革意欲が強く、組織改革に積極的である可能性がある。一方で、財政状況が極めて厳しいために、外部人材の採用を決断した自治体もあるかもしれない。採用の背景が異なれば、その後の財政や行政サービスに生じた変化を、行政経営者の能力だけで説明することはできない。
こうした問題を検証する方法の一つとして、差の差分析が考えられる。これは、行政経営者を導入した自治体について導入前後の変化を測定し、同じ期間に導入していない比較対象自治体で生じた変化との差を分析する方法である。例えば、行政手続の処理期間、職員一人当たりの業務量、公共施設の維持管理費などについて、導入自治体だけが改善したのか、同じ時期に他の自治体でも同程度の改善が起きていたのかを比較する。
もっとも、差の差分析を使えば自動的に因果効果が明らかになるわけではない。導入前の変化傾向が比較可能かどうかを確認し、人口構造、財政事情、首長の交代、国の制度改正、同時期に実施された他の改革などの影響を考慮する必要がある。対象自治体が少ない場合には、比較対象の選び方によって結果が大きく変わる可能性もある。
分析には、地方財政状況調査、地方公共団体定員管理調査、国勢調査、国立社会保障・人口問題研究所による地域別将来推計人口、各自治体の決算資料や行政評価などを活用できる。ただし、公的統計だけでは、外部人材の採用経緯、担当業務、委任された権限、組織内で実際に果たした役割までは十分に把握できないため、各自治体の人事資料や議会資料などの追加調査も必要になる。
成果については、少なくとも導入前の状況と導入後数年間の変化を継続的に観察することが望ましい。ただし、公共施設の長寿命化や職員育成などは、短期間では成果が見えにくい。財政支出の変化だけでなく、サービスの品質、安全性、公平性、住民の満足度、職員の定着状況なども併せて評価しなければならない。
このような検証を行うことで初めて、行政経営者の登用が本当に有効だったのか、どのような条件の自治体で効果が大きかったのか、あるいは広域連携や既存職員の育成の方が合理的だったのかを判断できるようになる。
地方選挙で私たちは何を選んでいるのか
ここまで考えると、「行政経営者を公募したら市町村は良くなるのか」という問いは、さらに根本的な問題へとつながっていく。そもそも私たちは地方選挙で何を選んでいるのだろう。候補者の人格や政策、政治経験、地域との関係、将来像を評価しているのか。それとも、多数の職員と巨額の予算を動かす行政経営能力まで含めて、一人の人物に託しているのだろうか。
人口や税収が増加していた時代には、新しい学校を建設し、道路を整備し、公共施設を増やすことが地域の成長と結びつきやすかった。しかし人口減少が進む地域では、既存の施設をどこまで維持し、何を統合し、何を縮小するのかという判断の重要性が高まっている。限られた財源の下で必要なサービスを維持するには、住民の理解を得る政治的な能力と、将来の費用や行政需要を分析する専門的な能力の双方が必要になる。
もちろん、人口減少時代だからといって、すべての自治体に専門行政経営者を配置することが正解になるわけではない。外部から優秀な人材を確保できる保証はなく、首長との意見対立や議会との調整、組織内の混乱が生じる可能性もある。新しい役職を設けることで費用が増加し、その費用に見合う成果が得られない自治体もあるだろう。
一方で、既存の副市町村長制度や任期付職員制度を活用し、適切な専門人材に明確な権限と責任を与えることで、行政運営能力を高められる可能性もある。特に専門職員の確保が難しくなっている自治体では、人材の採用方法、職員育成、自治体間の共同処理を含めて、行政組織のあり方を見直す必要がある。
重要なのは、専門行政経営者という制度そのものを導入するかどうかではない。市町村が将来にわたって必要な公共サービスを提供するために、どのような行政運営能力を確保し、その能力をどのような組織と人材によって維持するのかという問題である。
海外の実証研究は、専門経営型の制度が必ず行政成果を改善するとは示していない。日本の小規模自治体において、公募による専門行政経営者の登用が、既存職員の育成や広域連携などの代替策より優れた成果を生むという結論も、現時点でこの記事から導くことはできない。
しかし、だからといって検討する価値がないわけではない。むしろ、行政運営に必要な専門性が高まり、人口構造や財政条件が変化しているからこそ、専門人材をどのように確保し、政治的な意思決定と行政運営の責任をどのように分担するのかを、客観的なデータに基づいて検討する必要がある。
人口減少によって最初に限界を迎えるものが、道路なのか、水道なのか、学校なのか、それとも行政組織そのものなのかは、自治体ごとの状況によって異なるだろう。しかし、道路や公共施設が物理的な耐用年数を迎えるよりも前に、それらを適切に管理し、更新計画を立て、必要な専門人材を確保する組織能力が不足する可能性はある。これは人口減少時代の地方自治において、検証すべき重要な仮説の一つである。
選挙は、市町村がどのような将来を目指すのかについて、住民が政治的な意思を示す仕組みである。一方、行政経営は、その意思を具体的な政策や行政サービスとして実現し続けるための仕組みである。現実には両者を完全に切り離すことはできず、切り離すべきでもないが、だからといって、その役割を最初から同一のものと考える必要もない。
選挙の夜、新しい市長や町長が壇上で地域の未来を語る。その翌朝、静かな市役所や町村役場では予算書が開かれ、人員配置の相談が始まり、老朽化した施設の修繕費が積み上がり、数年後に更新が必要となる情報システムの計画が検討される。地域の将来は、選挙で示された政治的な意思だけで実現するものでも、行政経営の専門技術だけで決まるものでもなく、その両方を適切に結び付けることによって形づくられていく。
だから人口減少時代の地方自治について考えるとき、本当に問うべきなのは「誰を市長や町長に選ぶか」だけではない。
選挙で選ばれた首長の民主的な責任を維持しながら、地域に必要な行政経営能力を、誰が、どのような権限で、どのように担うべきなのか。
その問いに対して、現行制度の可能性と限界を確認し、複数の選択肢を比較し、実際の成果を検証していくことが、人口減少時代にふさわしい地方自治の形を考える出発点になるのではないだろうか。