地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 診療所から車で片道30分、診察に20分をかけ、さらに30分かけて戻ってくる。仮にそのような患者が1人いたとすれば、医師は20分の診察のために合計80分を費やすことになる。病院の診察室なら何人もの患者を診られる時間だが、患者が自宅で医療を受けるためには、その時間の多くを移動に使わなければならない。しかも、診察が終わった医師の仕事はそれで終わるわけではなく、診療記録を残し、必要な薬を調整し、看護師や介護職員との連絡を行いながら、次の患者への対応を考えなければならない。

 高齢になって通院が難しくなっても、住み慣れた家で医療を受けられる。在宅医療という言葉には、医療を患者の暮らしに近づける温かさがある。しかし、人口の少ない地域ほど自宅での診療を必要とする人がいる一方で、人口が少なく、住宅が離れているからこそ、その医療を提供することが難しくなるという矛盾を抱えている。

 人口減少によって病院や診療所を維持できなくなれば、医師が患者の家へ行けばよい。そう考えることは自然だろう。だが、診療所に患者が集まる仕組みと、医師が患者を訪ねて回る仕組みでは、時間の使い方も人員配置も異なる。医療の場所を病院から自宅へ移すことは、単に診察する場所を変えることではなく、地域の医療を支えてきた経済性や効率性を根本から組み替えることなのである。

医師が家まで来てくれる社会は、どこまで実現したのか

 在宅医療というと、医師が急な依頼を受けて患者の家へ駆けつける姿を想像するかもしれない。しかし、制度上は、計画に基づいて定期的に患者を診る訪問診療と、患者の求めなどに応じて臨時に行う往診を区別している。この違いは単なる名称の問題ではなく、定期的な訪問ならば診療の順序を組み、近くの患者を続けて訪ねることで移動時間を短縮できるのに対し、突然の往診では同じような効率化が難しくなるという、医療提供体制そのものに関わる問題である。

 厚生労働省の2023年医療施設調査によると、同年9月に在宅患者訪問診療を実施した一般診療所は18,906施設で、一般診療所104,894施設の18.0%だった。実施件数は149万8,229件となっており、訪問診療を実施した診療所1施設当たりに換算すると79.2件である。病院についても2,904施設が訪問診療を実施し、23万7,601件の実績があった。全国では既に多くの医療機関が訪問診療を提供しており、在宅医療は一部の例外的な診療方法ではなく、医療提供体制の重要な部分を占めるようになっている。

 ただし、ここで示した施設数と実施件数は2023年の調査結果であり、2026年現在の施設数や訪問件数を表すものではない。また、実施件数は2023年9月の1か月間の延べ件数であり、年間の実績でも患者の実人数でもない。1施設当たり79.2件という平均値についても、訪問診療を中心に運営する診療所と、通常の外来診療を続けながら一部の患者を訪問する診療所を含んだ値であるため、個々の施設の診療能力を直接示しているわけではない。

 さらに重要なのは、全国の実施件数が増えても、それだけで人口減少地域の医療が充実したとはいえないことである。都市部では近くの住宅を続けて訪問できる一方、集落が点在する地域では、同じ件数の訪問に何倍もの移動時間を必要とする場合がある。全国の診療件数を積み上げた数字には、その医療がどこまで届いているのかという地理的な問題が隠れている。

同じ在宅医療でも、1軒ずつ訪ねる医療と施設を訪ねる医療は違う

 訪問診療の統計を読む際に、もう1つ区別しなければならない問題がある。それは、患者が個人の住宅で暮らしているのか、高齢者向けの住宅や施設で生活しているのかという違いである。どちらも医師が患者の生活の場を訪ねるという意味では共通しているが、医師の移動時間や診療の効率性は大きく異なる。

 例えば、10人の患者がそれぞれ離れた住宅で生活していれば、医師は基本的に10か所を訪問する必要がある。ところが、同じ建物に10人の患者が暮らしている場合には、建物までの往復移動を共有できるため、患者1人当たりの移動時間を短縮できる可能性がある。もっとも、同じ建物内でも診療時間や診療記録の作成が不要になるわけではなく、患者ごとの病状や医療上の必要性に応じた対応が求められる。

 日本の診療報酬制度でも、個人宅を中心とする在宅時医学総合管理料と、一定の施設入居者等を対象とする施設入居時等医学総合管理料が区別されており、患者の居住形態や同一建物で診療する患者数などによって評価が異なる。在宅医療を経済的に分析する場合、こうした制度上の違いを無視して、すべての訪問を同じ収益構造として扱うことはできない。

 この区別を人口減少地域へ当てはめると、さらに難しい問題が見えてくる。高齢者が一定の施設に集まって暮らしている地域では訪問診療の移動効率を高めやすいが、住み慣れた個人宅で暮らし続けることを希望する高齢者に同じ効率性を求めることは難しい。医療の提供効率を優先するほど、患者の居住場所を集約した方が合理的になる可能性がある一方、それが本人の暮らし方の希望と一致するとは限らないのである。

 したがって、在宅医療の普及を評価するときには、訪問診療件数の総量だけでなく、個人宅と施設等の患者構成、患者1人当たりの訪問回数、移動距離などを分けて検討する必要がある。医療機関から遠く離れた1軒の住宅まで診療を届けられるかという問題は、施設に集まる患者を効率的に診察できるかという問題とは、必ずしも同じではない。

高齢化率が上がるほど、患者が増えるとは限らない

 人口減少地域の医療を考えるとき、しばしば高齢化率の高さが問題になる。住民の40%が65歳以上という地域があれば、医療や介護の需要は今後も増え続けるように感じられる。しかし、ここには統計上の落とし穴がある。高齢化率が上昇することと、高齢者の人数が増加することは、同じではない。

 国立社会保障・人口問題研究所が2023年に公表した地域別将来推計人口では、2020年から2050年までの推計対象期間について、65歳以上人口が2020年に最大となる市区町村は845、対象となる1,728市区町村の48.9%を占めている。この集計は2023年12月時点の市区町村区分に組み替えたものであり、将来人口は一定の仮定に基づく推計値だが、多くの地域ですでに高齢者人口がピークを迎えている可能性を示している。

 例えば、人口10,000人、高齢者4,000人の地域では高齢化率は40%となる。その後、人口が7,000人に減少し、高齢者も3,500人に減ったとすれば、高齢化率は50%に上昇するが、実際の高齢者数は500人減少している。このような地域では、高齢化率だけを見ると医療需要が増大しているように感じられるものの、高齢者人口の絶対数だけを見れば、需要の基盤となる人口は縮小していることになる。

 ただし、65歳以上人口が減少しているからといって、訪問診療の需要も同じ割合で減るとは限らない。75歳以上や85歳以上の人口構成、慢性疾患の状況、要介護度、通院手段の有無、独居高齢者の割合などによって、訪問診療を必要とする人の比率は変化する。高齢者全体の人数が減少していても、通院が難しい高齢者の割合が増えれば、訪問診療の必要量が維持されたり、増加したりすることも考えられる。

 さらに、住民が減少しても、住宅や集落が人口と同じ割合で狭い範囲に集約されるわけではない。人口が10,000人から7,000人に減ったからといって、道路の延長が自動的に30%短くなることはなく、残された住民が以前より離れた場所に点在する可能性もある。患者の絶対数が減っても移動距離は短くならず、むしろ患者1人当たりの移動負担が増えるという問題が生じ得るのである。

 ここに人口減少地域の在宅医療が抱える本質的な難しさがある。医療機関の経営を支える患者数は減少する一方、残る患者へ医療を届けるための時間と費用は、必ずしも減少しない。高齢化率の高さばかりを問題にしていると、この経営上の矛盾を見落としてしまう。

人口密度が低い地域では、訪問診療は本当に少ないのか

 人口密度と訪問診療の関係については、実際の統計を用いた研究も存在する。2026年に公表された日本の農村医学分野の査読付き研究では、2019年の全国47都道府県のデータを使用し、65歳以上人口1,000人当たりの医師による訪問診療件数と、人口密度や医療提供体制などの関係が分析されている。

 この研究では、人口密度と訪問診療件数の相関係数が0.631となり、人口密度が高い都道府県ほど、65歳以上人口当たりの訪問診療件数も多いという正の関連が認められた。さらに、在宅療養支援診療所・病院の数や高等教育を受けた人の割合などを考慮した重回帰分析でも、人口密度の標準化偏回帰係数は0.311であり、統計的に有意な関連が確認されている。

 これは、人口が集中している地域ほど訪問診療を提供しやすい可能性を示す結果であり、人口減少地域の医療を考えるうえで重要な知見といえる。しかし、人口密度と訪問診療件数に相関があることは、人口密度の低さが直接の原因となって訪問診療を減少させていることを証明するものではない。医療機関の分布、地域の所得水準、患者の健康状態、利用意向、交通条件なども影響し得るため、単純な因果関係として解釈することはできない。

 また、47都道府県という大きな地域単位で得られた結果を、そのまま個々の市町村や集落に当てはめることにも限界がある。同じ県内でも、都市部と山間部では患者の分布や道路条件が大きく異なる場合があり、都道府県全体の平均値から小規模地域の医療環境を直接判断することはできないからだ。

 それでも、この研究が示す人口密度と訪問診療件数の関係は、在宅医療が単に医師数や高齢者数だけで決まるものではなく、人々がどのように地域に分布して暮らしているかという地理的な条件とも関わっていることを示唆している。人口減少地域の在宅医療を考えるには、人口統計に道路網や移動時間を重ねた分析が必要なのである。

医師の1日は、道路の上でどれほど短くなるのか

 それでは、患者の住宅が分散していることによって、訪問診療の供給能力はどれほど変化するのだろうか。ここでは実在する医療機関の経営実績ではなく、移動時間による影響を理解するための単純な数理モデルを考えてみたい。

 医師の勤務時間を1日8時間とし、そのうち診療記録の作成や関係者との連絡、調整などに1時間を充て、残る7時間、すなわち420分を訪問診療と移動に使用すると仮定する。また、患者1人当たりの診察時間を20分とし、移動時間には診療所を出発してから帰着するまでの移動を訪問件数に配分した平均値を用いる。

 患者の住宅が比較的近く、1件当たりの平均移動時間が10分であれば、診察20分と合わせて30分が必要となり、420分で理論上14件の訪問が可能になる。ところが、住宅が離れていて平均移動時間が30分になれば、1件当たり50分を要するため、同じ420分で完了できる訪問は最大8件となる。診察時間も医師の勤務時間も変わらないのに、平均移動時間が20分増えるだけで、1日の訪問可能件数は14件から8件へ約42.9%減少する計算である。

 診察と移動を合わせた時間に占める移動の割合も、平均移動時間10分の場合は33.3%だが、30分の場合は60%に上昇する。医師が患者を診察する時間よりも、道路上で過ごす時間の方が長くなるという状況は、医療サービスを必要とする患者にとっても、限られた医師を活用したい地域にとっても重要な問題である。

 ただし、これはすべての訪問が予定どおりに進み、420分を診察と移動に使えるという理想化された上限計算である。実際には、診察が長引く患者もいれば、予定外の往診、家族への説明、医療機関への連絡なども発生するため、計算上の最大件数を毎日継続できるとは限らない。さらに、訪問診療だけを専門に行う医師と、外来診療や病棟診療を兼務する医師では、訪問に充てられる時間そのものが異なる。

 また、患者密度の低下が移動時間に与える影響は、地域によって異なる。例えば、面積100平方キロメートルに訪問診療の対象者が120人いる地域では、対象者密度は1平方キロメートル当たり1.2人となるが、対象者が80人に減れば0.8人となり、密度は33.3%低下する。しかし、この変化だけから移動時間が何分増えるかを求めることはできない。患者が幹線道路沿いに暮らしている場合と、複数の谷や山を隔てた集落に分散している場合とでは、同じ密度でも移動条件が異なるからである。

 訪問診療の効率性を正確に分析するには、行政区域の人口密度だけでなく、診療所の位置、患者の住所分布、道路に沿った移動時間、訪問順序などを組み合わせて評価する必要がある。面積当たりの患者数は地域の特徴を把握する入口にはなるものの、それだけで医師の必要数や訪問可能件数を決定できるわけではない。

訪問できることと、経営が成立することは同じではない

 ここまでの計算は、医師がどれだけの患者を診察できるかという供給能力の問題である。しかし、記事の題名にある「在宅医療は成立するのか」という問いに答えるには、もう1つ、経営面の問題を考えなければならない。患者を訪問することが物理的に可能であっても、その診療を続けるための収入が人件費や運営費を下回れば、事業として長期間維持することは難しくなるからだ。

 訪問診療の収入は、診察ごとの診療報酬だけでなく、患者の病状、訪問回数、医学管理の内容、医療機関の施設基準、患者の居住形態などによって変化する。一方、支出には医師や看護師などの人件費、事務職員の給与、車両費、燃料費、医療材料費、建物の維持費、情報管理費などが含まれ、夜間や休日の対応体制を設ければ、さらに人員配置上の負担が生じる。

 経営の仕組みを理解するために、ここでも仮定計算を考えてみよう。ある訪問診療事業について、医師や事務職員の人件費、施設維持費などを含む月間固定費が150万円であり、医学管理料などの収入を訪問回数に配分した1件当たりの平均収入が15,000円、燃料や消耗品など訪問件数に応じて増加する追加費用が3,000円だと仮定する。この場合、1件増えるごとに固定費の回収へ充てられる金額は12,000円となり、月間固定費150万円を賄うには、150万円を12,000円で割った125件の訪問が必要になる。

 仮に月15日を訪問診療に充て、1日14件を訪問できれば月210件となり、訪問件数に対応する収入から追加費用を差し引いた金額は252万円で、固定費150万円をさらに差し引くと102万円が残る。これに対して、移動時間が長くなり1日8件しか訪問できなければ月120件となり、同じ計算では固定費を6万円下回る。診察内容や1件当たりの収入を同じと仮定しても、移動条件の違いによって損益が変わることが分かる。

 もちろん、ここで使用した150万円、15,000円、3,000円という金額は実際の診療報酬や医療機関の平均経営費を示すものではなく、損益分岐点の仕組みを説明するための仮定である。訪問件数に応じて費用が増える部分と増えない部分を分けた単純なモデルであり、実際には患者ごとの診療報酬の違いや、医師の勤務形態、看護体制、夜間対応の費用などを個別に算定する必要がある。

 このモデルで重要なのは、患者が少ないことだけが採算性を悪化させるわけではないという点である。同じ患者数であっても、患者が集まって住んでいる場合と広い地域に分散している場合とでは、診療に必要な労働時間が異なる。また、診療報酬上の収入が一定であっても、訪問に必要な移動時間や人員配置の条件が違えば、事業として成立する患者数の下限も変わる。

 人口減少地域では、潜在的な患者数が少ない一方、移動時間が長く、夜間対応のために一定の人員を確保しなければならないこともある。訪問診療に伴う費用を十分に回収できない地域が生じる可能性があり、そうした場所では、個々の医療機関の経営努力だけではなく、広域的な医療機関の連携や公的な医療確保策を検討する必要が出てくる。

 ただし、経営上の採算が取れないことと、地域に在宅医療を提供する価値がないことは、まったく別の問題である。医療は住民の生命や健康に関わる社会的基盤であり、通常の事業収益だけで十分に評価できない部分がある。だからこそ、在宅医療の成立条件は、医療機関の収益性、継続的な人員確保、患者の安全性、住民の医療へのアクセスという複数の側面から考えなければならない。

医師が来ても、暮らしを支える人がいなければ

 ところが、医師が必要な患者を訪問でき、診療所の経営も維持できたとしても、それだけで在宅医療が成立するわけではない。診察を受けた後の患者が、その家で安全に暮らせるかどうかは、医師の診療だけでは決まらないからである。

 薬を処方されても適切に服薬できない場合や、食事、排せつ、清潔保持、移動などの日常生活に支援が必要な場合には、訪問看護や介護サービスが重要になる。医療機器を使用しながら療養する患者には、機器の管理や衛生材料の確保、状態の変化に応じた医療的な判断も求められる。医師が月に数回診察するだけでは、患者の生活全体を支えることはできない。

 さらに、訪問看護師や介護職員にも移動時間の問題がある。医師の訪問だけを効率化しても、訪問看護ステーションや介護サービス事業所が遠方への訪問を継続できなければ、在宅療養の負担は家族へ集中する。人口が少ない地域ほどサービス利用者の密度も低くなりやすく、複数の専門職が同じ住宅を別々に訪ねる仕組みでは、地域全体の移動負担が大きくなる可能性がある。

 そこで考えられるのが、医師、看護師、薬剤師、介護職員などの間で患者の状態や訪問予定を共有し、それぞれの専門性を生かしながら支援を調整する方法である。もっとも、すべての訪問を同じ日にまとめれば効率的になるとは限らず、患者の状態を継続して観察する必要がある場合には、訪問の間隔を適切に確保しなければならない。業務の効率性を高めることと、必要な医療や介護を減らしてしまうことは区別する必要がある。

 また、家族の介護力を当然の前提として在宅医療を組み立てることにも限界がある。仕事をしながら介護を担う家族や、高齢者同士で介護する世帯では、日中の見守りや夜間の対応が大きな負担になる。独居高齢者の場合には、日常的な家族の支援を前提にできず、医療と介護だけでなく、生活支援や地域での見守りなどとの連携が必要になる場合もある。

 住み慣れた自宅で過ごすという本人の希望を尊重することは大切だが、その希望を実現するために家族が過重な負担を負わなければならないのであれば、在宅医療の仕組みとして十分とはいえない。患者本人の希望、医学的な安全性、家族の負担、地域のサービス供給能力を総合して判断することが求められる。

2026年の診療報酬改定は、人口減少地域を救えるのか

 こうした課題に対し、国の制度も変化している。2026年度の診療報酬改定では、質の高い在宅医療の推進を掲げ、重症患者への対応、在宅での看取り、医療機関同士の連携などについて評価や算定要件が見直された。これは全国の公的医療保険制度に関わる改定であり、特定の都道府県や市町村だけの独自施策ではない。

 注目したいのは、地域の医療機関が連携して在宅医療を支える方向が強められていることである。1つの診療所だけで24時間の対応体制を維持することは、医師の人数が限られる地域では難しい場合があるため、医療機関同士の情報連携や、複数の医療機関による時間外対応の仕組みを適切に評価することには意味がある。

 特に、へき地診療所については、在宅時医学総合管理料などの施設基準が見直され、所定の条件を満たす場合には、在宅医療を担当する医師がその診療所の常勤医師でなくても算定できるようになった。具体的には、対象となるへき地診療所の医師が、緊急時の連絡体制や24時間診療体制の確保において連携するへき地医療拠点病院などでも勤務している場合が想定されている。

 この仕組みは、医師を十分に確保できない地域で、複数の医療機関が役割を分担することを制度面から支えるものと理解できる。ただし、すべての人口減少地域の診療所へ自動的に適用されるわけではなく、対象となるへき地診療所の定義や医師の勤務条件、連携体制などの要件を満たす必要がある。人口が減少しているという理由だけで特例を利用できる制度ではない。

 一方、2026年度改定では、在宅時医学総合管理料や施設入居時等医学総合管理料における月2回以上の訪問診療の評価についても見直しが行われた。対象となる算定区分では、月2回以上の訪問診療を行う患者などに占める重症度の高い患者等の割合について、原則として所定の方法で2割以上という基準が設けられたが、患者数などによる例外的な取扱いも定められている。

 これは月2回以上の訪問診療そのものを禁止する制度ではなく、該当する医学管理料の算定要件を見直すものである。患者の病状や医療上の必要性を踏まえて訪問頻度を決めることが重要であり、診療報酬上の評価と患者に必要な医療を混同してはならない。

 また、医師と薬剤師が患者宅を同時に訪問して服薬状況や残薬などを確認し、処方内容を調整する取組についても新たな評価が設けられた。こうした仕組みは、患者の生活状況を踏まえた薬物療法を進めるうえで意味があり、専門職同士が協力するための制度的な支援ともいえる。ただし、対象患者や算定回数、個人宅への訪問に関する条件などが定められており、無条件に利用できるものではない。

 これらの改定は、限られた医療資源を有効に活用するための制度的な改善と評価できる。しかし、診療報酬上の要件が緩和されたり、連携に対する評価が充実したりしたからといって、医師や看護師が直ちに増えるわけではない。制度上は連携できる仕組みが用意されていても、実際に協力できる医療機関が遠く離れていたり、夜間に対応できる人員が不足していたりすれば、期待した効果は十分に得られない可能性がある。

 人口減少地域に必要なのは、制度を利用できることと、地域で実際に医療を提供できることを分けて考える視点である。診療報酬改定は重要な条件の1つではあるものの、それだけで在宅医療の地理的・人的な制約を解消できるわけではないのである。

病院を減らせば、在宅医療で医療費を節約できるのか

 在宅医療の普及は、病院への入院を減らし、医療費を抑える政策として語られることがある。確かに、入院を必要としない患者が適切な在宅医療を受けられれば、入院に伴う医療資源の使用を減らせる可能性はある。しかし、それをもって在宅医療が常に入院医療より安価であると結論づけることはできない。

 医療費を比較するには、患者の病状や重症度をそろえたうえで、訪問診療、訪問看護、薬剤、医療材料、救急搬送、必要に応じた入院などを含めた費用を考える必要がある。さらに、社会全体の負担を評価するなら、家族が仕事を休む時間や介護に費やす労力も無視できない。公的医療保険の支出が減少しても、その分の負担が家族や介護サービスへ移っているだけなら、社会全体の費用が減ったとは限らないからだ。

 また、入院と在宅医療は単純な代替関係ではない。急性期の治療、専門的な検査や手術、病状が急変した際の対応には、病院の機能が不可欠となる。退院後は在宅で暮らし、状態が悪化したときには必要に応じて入院できるという関係が成立してこそ、在宅医療は安心して利用できる選択肢になる。

 医療機関が遠い地域で在宅医療を普及させる際には、この関係が特に重要になる。自宅で療養できるという説明が、実際には入院先を確保しにくいことの言い換えになってはならない。在宅医療は患者の希望と医学的な適切性に基づいて選択されるべきものであり、病床不足や医療機関の撤退を補うためだけの制度ではない。

 もし政策の目的が医療費の抑制にあるなら、同程度の重症度の患者について、一定期間の医療費と介護費、再入院の状況、患者の生活の質、家族の負担まで含めて比較する必要がある。一方、政策の目的が住み慣れた地域で生活を続けられることにあるなら、費用の削減だけを成功の条件にするのは適切ではない。医療費が少なくなることと、患者にとって望ましい医療が実現することは、必ずしも一致しないのである。

自宅で亡くなる人が増えれば、在宅医療は成功なのか

 在宅医療を評価するうえでは、人生の最期をどこで迎えるかという問題も避けて通れない。厚生労働省の2025年人口動態統計(確定数)によると、日本国内で発生した日本人の死亡数は158万9,533人だった。この数字は、国内で発生した外国人の死亡を含むすべての死亡数という意味ではないが、日本で毎年非常に多くの人が人生の最終段階を迎えていることを示している。

 しかし、自宅で死亡した人の割合を、そのまま在宅医療の成果と解釈することには問題がある。自宅で亡くなったという事実だけでは、医師や看護師の支援を受けながら本人の希望どおりに看取られたのか、十分な支援を受けられないまま亡くなったのかを区別できない。また、施設や病院で最期を迎えた人の中にも、本人の意思に沿った適切な医療を受けた人がいるため、死亡場所だけで医療の質を評価することはできない。

 重要なのは、患者がどの場所で亡くなったかという結果だけではなく、最期まで必要な医療や介護を受けられたか、本人の意思が尊重されたか、痛みや苦痛を十分に緩和できたかという過程である。これらを評価するには、死亡場所別統計だけでなく、医療・介護サービスの利用状況や本人の意向など、異なる情報を組み合わせる必要がある。

 人口減少地域では、病院までの距離が遠いことが、結果として自宅で過ごす時間を長くする場合も考えられる。しかし、そのような地理的条件による結果と、十分な在宅医療が整備されたことによる結果を同じものとして扱うことはできない。自宅で最期を迎えることを選べる社会と、自宅以外の選択肢が乏しい社会では、その意味が根本的に異なるのである。

人口減少地域に必要なのは、病院の代わりではなく医療の新しい配置である

 それでは、人口が減り続ける地域で在宅医療を維持するためには、何が必要なのだろうか。その答えを考える手がかりは、国が進める医療提供体制の整備にも見いだせる。

 第8次医療計画では、在宅医療に必要な機能として、退院支援、日常の療養支援、急変時の対応、看取りが位置付けられている。これは、医師が定期的に患者宅を訪問する仕組みだけでなく、病院から自宅へ戻る段階から日常生活を支える仕組み、病状が急変したときに必要な医療へつなぐ仕組み、人生の最終段階を支える仕組みまでを、一体として整備しようとする考え方である。

 こうした体制を整備するには、行政区域の人口や高齢化率だけでなく、訪問診療を必要とする人がどこに住み、どの医療機関がどの程度の時間で到達できるのかを把握することが重要になる。例えば、75歳以上人口1,000人当たりの訪問診療実施医療機関数や、医師1人当たりの担当患者数、訪問1件当たりの平均移動時間などを確認できれば、施設数だけでは分からない地域差が見えてくる。ただし、訪問診療を実施する施設であっても診療規模は異なり、医師の人数についても常勤と非常勤、外来との兼務などの違いがあるため、単純な人数比較だけで供給能力を判断することはできない。

 さらに、地域内の対象患者数に加えて、患者1人当たりの訪問頻度や緊急対応の必要性を把握することも欠かせない。比較的病状が安定した患者が多い地域と、頻繁な医学的管理を必要とする患者が多い地域とでは、同じ患者数であっても必要な医療資源が異なる。患者数だけではなく、患者ごとに必要な診療時間と移動時間を積み上げて、地域全体の医療需要を評価することが求められる。

 そのうえで、訪問診療を担当する医師の診療圏を実際の道路網に沿って設定し、診療所や病院の配置、訪問看護ステーションの活動範囲、介護サービスの提供区域との関係を調整していく必要がある。市町村の境界は行政事務の単位として意味を持つが、医師の移動や救急搬送にとって、必ずしも合理的な区切りになるとは限らない。地域の医療資源を有効に活用するには、必要に応じて行政区域を越えた連携を考えることが重要になる。

 もっとも、診療経路の効率化にも限界がある。訪問順序を工夫することで移動距離を短縮できても、診療中の医師が別の集落で発生した急変に直ちに対応できるわけではなく、夜間や休日まで含めた体制を維持するには複数の医師や医療機関による協力が必要になる。災害によって道路が使えなくなった場合や、停電によって在宅医療機器の使用が難しくなった場合の対応も考慮しなければならない。

 医療機関の配置を考える際には、単に最も多くの患者を効率的に診察できる場所を選ぶだけでなく、遠方の住民にも必要な医療を届けられるかという公平性を検討する必要がある。患者が集中する地域に医療資源を集約すれば効率性を高められる可能性があるが、集落の端に暮らす住民にとっては、医療へのアクセスがかえって悪化する場合もあるからだ。

 ここで求められるのは、効率性と公平性のどちらかを単純に選ぶことではなく、限られた医療資源の下で、地域全体の医療をどう維持するかという現実的な調整である。都道府県が策定する医療計画と、市町村が策定する介護保険事業計画などとの整合を図り、医療と介護の実際の供給能力を確認しながら、継続可能な体制を構築していくことが必要になる。

最後の1軒まで医療を届けることは、誰の責任なのか

 人口減少地域の在宅医療には、簡単には解決できない問題が残る。患者の数が少なければ、医療機関の経営は不安定になりやすい。一方で、患者が少ないという理由だけで遠方への訪問を断れば、その地域に住む人は必要な医療を受ける機会を失う可能性がある。医療機関の経営効率と、住民が医療を受けられることの間には、必ずしも一致しない部分がある。

 通常の事業経営であれば、採算の取れない地域から撤退することは合理的な判断になり得る。しかし、医療は住民の生命と健康を支える社会的基盤であり、その供給を個々の医療機関の採算性だけに委ねることには限界がある。すべての地域に同じ規模の病院や診療所を配置することが難しくても、必要な医療へつながる仕組みをどう確保するかという課題は残る。

 もっとも、公的な支援を行えば、どの地域でも同じ水準の在宅医療を維持できるとは限らない。患者の数が極端に少なく、診療圏が広く、協力できる医療機関も遠い地域では、通常の訪問診療の仕組みだけで24時間対応を実現することが困難な場合もある。そのような地域では、広域的な医療機関の協力、へき地医療の支援体制、入院を受け入れる病院との連携などを、実際の人員と移動条件に基づいて検討する必要がある。

 同時に、在宅医療の供給能力が不足している場合には、それを住民へ正確に伝えることも重要である。医療機関が存在することと、必要なときに訪問診療を受けられることは同じではなく、平日の定期訪問に対応できても、夜間の急変や看取りへの対応が難しい地域も考えられる。住民が在宅療養を選択する際には、利用できるサービスの範囲と限界を理解したうえで、必要な支援体制を確認できることが望ましい。

 病院ではなく自宅で診る時代へ。その言葉が意味するのは、病院が不要になる未来ではない。通院が難しくなった人のところへ医療が向かい、病状が悪化したときには必要な病院へつながり、日常生活では看護や介護が支えるという、医療の新しい関係である。

 田畑の向こうに住宅が点在し、集落をつなぐ道だけが長く延びる地域では、患者の家を訪ねる時間を簡単に短縮することはできない。住民の数が減っても、その道の先で暮らす人の医療上の必要性まで消えるわけではなく、限られた医師や看護師の時間をどう使うかという問題は、人口減少が進むほど難しくなる可能性がある。

 人口減少地域で在宅医療が成立するかどうか。その答えは、高齢化率の高さでも、診療所の数だけでも決まらない。患者がどこに暮らし、どれだけの医療を必要とし、医師や看護師がどの程度の時間で訪問できるのか。さらに、その体制を維持するための費用を誰がどのように負担し、急変時にはどの病院が支えるのかという条件によって、成立する地域もあれば、従来の仕組みだけでは維持が難しい地域もあるだろう。

 病院のベッドを減らすことと、自宅で安心して療養できる人を増やすことは、同じではない。在宅医療を広げること自体を目的にするのではなく、患者が必要な医療を受けられ、希望する場所で生活を続ける選択肢を持てることを目指すべきである。

 そして、最後に問われるのは、訪問診療が何件増えたかという数字だけではない。集落の奥に残る1軒の住宅まで、必要な医療を届ける仕組みを地域社会が維持できるかどうかである。その問いに向き合うことが、人口減少社会における在宅医療の本当の課題なのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 人口が減れば、暮らす家族の数も減り、住宅は余り、町は次第に静かになっていく。人口減少という言葉から、私たちはそんな風景を思い浮かべることが多い。ところが、千葉県で起きている変化を統計から読み解くと、必ずしもそのような単純な縮小では説明できない現実が見えてくる。人口が減っているにもかかわらず、生活を営む世帯の数は増え続けているのである。

 2026年9月29日に公表された2025年国勢調査の確報によると、千葉県の人口は625万7,225人となり、2020年の628万4,480人から2万7,255人減少した。1920年に始まった国勢調査で、千葉県の人口が前回調査を下回ったのは初めてである。ところが、同じ5年間に世帯数は277万3,840世帯から288万8,950世帯へ、11万5,110世帯も増加していた。人口が0.43%減少する一方、世帯数は4.15%増加するという、一見すると矛盾する動きが起きていたのである。

 人口が減っているのに、なぜ世帯が増えるのだろうか。新しい住民が都市部へ集まっているからなのか、高齢者の1人暮らしが増えたからなのか、それとも家族の暮らし方そのものが変わったからなのか。さらに考えてみると、同じ住宅に住んでいても、世帯だけが増える場合があるという問題にも行き当たる。世帯数の増加を単純に新しい住宅や家族の増加と考えてしまうと、実際の生活の変化を見誤る可能性があるのである。

人口は減った。しかし、暮らしの単位は増えていた

 今回の国勢調査について、最初に確認しておきたいことがある。「千葉県の人口が初めて減少した」という表現は、国勢調査の前回比で初めて減少したという意味であり、千葉県の人口が歴史上、一度も減少したことがなかったという意味ではない。毎月の人口移動などを基に推計する千葉県毎月常住人口調査では、2011年にも年間の人口減少が確認されている。したがって、2025年の結果は、5年ごとに実施される国勢調査という統一した基準で、長く続いてきた人口増加が初めて減少へ転じたことを示している。

 また、2026年5月に公表された千葉県の速報値では人口625万8,512人、世帯数287万5,923世帯とされていたが、その後の調査票の精査を経て、9月29日に確報値が公表された。本稿では確報値を使用し、速報値と混在させないこととする。調査時点が同じであっても、速報と確報では人口や世帯数が異なる場合があり、増減率や地域間比較の精度を保つためには同じ集計段階の数値を用いる必要があるからである。

 それでは、人口と世帯数が反対方向に動く理由は何だろうか。その答えを考えるには、人口と世帯が異なるものを数えていることを理解しなければならない。人口は地域に暮らす人の数であるのに対し、世帯は生活を営む単位を数えるものであり、1人で構成される世帯も、夫婦2人の世帯も、親子4人の世帯も、それぞれ1世帯として数えられる。つまり、人口が同じであっても、以前より少人数の世帯に分かれるようになれば世帯数は増加するのである。

 例えば、親子3世代が一緒に暮らしていた家庭から子どもが独立し、別の住宅で生活するようになれば、家族全体の人数が変わらなくても世帯数は増える。また、夫婦2人で生活していた人々が別々に暮らすようになった場合にも、人口と世帯数の関係は変化する。ただし、こうした例は世帯数が増える仕組みを説明したものであり、千葉県で実際に何世帯が独立や離婚などによって増えたかを示すものではない。そこには、もう1つ見落としやすい世帯の仕組みがある。

1つの住宅に住んでいても、2つの世帯になることがある

 世帯数の増加を考える際に、見落としてはならないのが「世帯分離」という現象である。世帯が増えると聞くと、新しい住宅を借りたり、購入したりして、別の場所に暮らす人々を思い浮かべるかもしれない。しかし、世帯は住宅と必ずしも1対1で対応しているわけではない。同じ住宅で生活していても、生計を別にすることで、統計上は複数の世帯として扱われる場合がある。

 総務省統計局が実施する国勢調査では、原則として住居と生計を共にする人々の集まりを1つの世帯としている。例えば、親夫婦と成人した子どもが同じ住宅で暮らしていても、生活費を共にしていれば通常は1世帯となるが、親夫婦と子どもがそれぞれ独立した生計を営んでいる場合には、別々の世帯として扱われる。このように、住宅そのものが1戸のままであっても、そこに暮らす人々の生計が分かれることによって、世帯数が増える場合があるのである。

 ここで重要なのは、「同じ住宅」と「同じ建物」が必ずしも同じ意味ではないということである。国勢調査では、親夫婦と子夫婦が同じ建物に住んでいても、それぞれの居住部分が完全に仕切られ、独立した出入口や台所、トイレなど住宅として必要な条件を満たしていれば、別々の世帯として扱われる。この場合、外観上は1棟の建物であっても、住宅の戸数としては2戸に分かれている場合がある。

 これに対して、居住部分が独立した住宅としての条件を満たさず、住宅1戸を共用していても、親世代と子世代の生計が完全に分かれていれば、国勢調査では別世帯として扱われる。したがって、同じ建物で2世帯が暮らすという状態には、1棟の建物の中に独立した住宅が2戸存在する場合と、1戸の住宅を複数の世帯が共用する場合があり、住宅需要を考える際には両者を区別する必要がある。

 例えば、親夫婦2人と成人した子ども1人が1戸の住宅で生計を共にしていた場合は3人で1世帯となるが、その後、子どもが同じ住宅に住み続けながら独立した生計を営むようになれば、親夫婦の2人世帯と子どもの単独世帯として数えられる場合がある。人口は3人のままであり、住宅も1戸のままだが、世帯数は1世帯から2世帯へ増える。反対に、親世代と子世代のために住宅として独立した居住部分を2戸設けた場合には、世帯数だけでなく住宅戸数の把握にも違いが生じ得る。

 こうした仕組みを考えると、世帯数が増えたことを、そのまま新しい住宅を必要とする世帯が同じ数だけ増えたと解釈することはできない。住宅を新たに構えて独立した世帯と、住宅1戸を共用しながら生計を分けた世帯では、住宅需要への影響が異なるからである。世帯数の増加という統計の背後には、人々が住む場所を変えるという変化だけでなく、同じ場所に住み続けながら生活の単位を変えるという変化も含まれ得るのである。

住民票の世帯分離と国勢調査は、同じものを数えているのか

 さらに注意したいのは、世帯分離という言葉が、住民基本台帳上の行政手続きとしても使用されていることである。例えば千葉市では、住所を変更せず、同じ世帯の一部が新しい世帯をつくる場合に、世帯変更届による世帯分離の手続きを行う仕組みがある。親子などが同じ住所に暮らしながら、住民票上の世帯を分けるというものであり、住所の移動を伴わずに世帯の構成だけを変更することになる。

 世帯分離は社会保障制度との関係でも関心を集めることがある。介護保険制度では、介護保険施設の食費や居住費などの負担軽減について、世帯の住民税課税状況が要件の1つとなるため、世帯を分けることが負担区分に影響する場合がある。ただし、これは全国共通の介護保険制度に関する仕組みであって、千葉県独自の制度ではない。また、負担軽減の可否は世帯の課税状況だけで決まるものではなく、本人や配偶者の所得、預貯金等の資産要件なども関係する。別世帯となった配偶者についても判定対象になる場合があり、世帯分離をすれば必ず介護保険の負担が軽くなるという理解は正しくない。

 ここで問題になるのが、住民基本台帳と国勢調査では世帯の把握方法が同じではないという点である。住民基本台帳上の世帯数は住民票の記録に基づいているのに対し、国勢調査では実際にどこに住み、誰と生計を共にしているかという居住と生活の実態を基準に世帯を把握する。そのため、住民票上で世帯分離の届出を行ったという事実だけで、国勢調査の世帯数が自動的に増えるわけではない。反対に、住民票上の世帯が同じであっても、国勢調査の基準では別々の世帯として扱われる場合もある。

 したがって、千葉県の国勢調査で世帯数が11万5,110世帯増加したことを、住民票上の世帯分離の届出が同じ数だけ行われた結果だと考えることはできない。実際の生計の分離が世帯数の増加に寄与している可能性はあるものの、その規模を明らかにするには、世帯構成の変化や住宅の居住状況などをさらに詳しく分析する必要がある。住民基本台帳上の世帯分離件数が分かったとしても、その件数をそのまま国勢調査の世帯増加数へ当てはめることはできないのである。

 世帯分離は人口減少と世帯増加を考えるうえで重要な仕組みだが、今回の国勢調査の集計結果だけでは、それが全体の世帯増加にどの程度寄与したのかを数量的に確定することはできない。重要なのは、世帯数が増えたという事実と、その世帯がどのような経緯で形成されたかという問題を区別することである。

平均世帯人員が0.10人減ると、数字はどう変わるのか

 人口と世帯数の関係を数理的に確認するには、1世帯当たり何人が暮らしているのかを調べると分かりやすい。千葉県の総人口を総世帯数で割ると、2020年には約2.27人だったものが、2025年には約2.17人へ減少している。平均すると0.10人の減少にすぎないが、約289万世帯に及ぶ県全体の数字として見ると、この変化は大きな意味を持つ。

 この関係を別の角度から見るため、人口1,000人当たりの世帯数を計算してみよう。2020年には約441世帯だったものが、2025年には約462世帯へ増えている。言い換えれば、同じ1,000人が暮らしていても、以前より多くの世帯に分かれて生活する構造になっているということである。ここには、単独世帯の増加だけでなく、家族からの独立や同じ住宅内での生計の分離なども関係している可能性がある。

 さらに、2020年の平均世帯人員が2025年も変わらなかったと仮定してみる。2025年の人口625万7,225人を2020年の平均世帯人員で割ると、必要な世帯数は約276万1,810世帯となり、2020年より約1万2,030世帯少なくなる計算である。ところが、実際には288万8,950世帯が存在しており、仮定した世帯数を約12万7,140世帯も上回っている。

 つまり、2020年の平均世帯人員を固定するという条件の下では、人口減少による約1万2,030世帯の減少方向の効果を、平均世帯人員の縮小による約12万7,140世帯の増加方向の効果が上回り、差し引き11万5,110世帯の増加になったと整理できる。ただし、この約12万7,140世帯という数字は、実際にそれだけの世帯が新しく形成されたことを意味するものではなく、2020年の平均を基準にした反実仮想の計算結果である。また、人口と平均世帯人員の変化をどの順序で計算するかによって、それぞれの要因への寄与の配分は変わるため、実際の世帯形成の原因を直接示す分析ではない。

 ここで、統計上のもう1つの区別も必要になる。国勢調査では、通常の住宅などで生活する一般世帯と、社会福祉施設や病院などの施設等の世帯を区別している。2025年の千葉県では一般世帯が288万1,044世帯、施設等の世帯が7,906世帯であり、先ほどの2.17人という値は総人口を総世帯数で割ったものである。一方、一般世帯に限定した平均世帯人員は2020年の2.22人から2025年には2.12人へ減少している。住宅や家庭の生活規模を分析する際には一般世帯の平均人員を使い、人口と総世帯数の数理的な関係を分析する場合とは指標を区別する必要がある。

 こうした区別を踏まえても、結論は変わらない。千葉県では人口が減少する一方で、1世帯当たりの人数が小さくなるという変化が進んでおり、その結果として世帯数が増えているのである。ただし、平均世帯人員は人口と世帯数から求められる指標であり、その縮小は世帯構造の変化を数理的に表したものであって、独立した原因を直接特定したものではない。実際の理由を高齢化、独立、世帯分離、婚姻状態の変化などに何%ずつ配分できるかは、別の問題として残されている。

単独世帯が12万8,865増えた。その意味は何だろうか

 それでは、実際にどのような世帯が増えているのだろうか。2025年国勢調査の結果を一般世帯の家族類型別に見ると、単独世帯が113万2,305世帯に達しており、2020年から12万8,865世帯増加している。増加率は12.8%で、人口全体が減少していることを考えると、大きな変化である。

 ここで、単独世帯という言葉の意味を正確に理解しておく必要がある。単独世帯とは、世帯員が1人である世帯を指す。一般には1人暮らしの世帯と説明されることが多いが、必ずしも住宅1戸に1人だけが住んでいることを意味するわけではない。例えば、親と同じ住宅に住んでいても生計を別にしている成人の子どもや、友人と住宅を共用しながら生計を別にしている人は、国勢調査の基準ではそれぞれ単独世帯として扱われる場合がある。

 つまり、単独世帯の数は、生活を共にする世帯員が自分1人だけであるという世帯の構成を示すものであり、その住宅に他の人が住んでいないことまで示しているわけではない。住宅1戸を1人だけで使用する場合と、住宅1戸に複数の単独世帯が存在する場合では、必要な住宅戸数も居住環境も異なる。この区別は、今回のように世帯数の増加と住宅需要を関連付けて考える際には、特に重要になる。

 注目したいのは、一般世帯全体の増加が11万3,383世帯だったのに対し、単独世帯だけでは12万8,865世帯増えていることである。同じ一般世帯という区分の中で比較すると、単独世帯以外の世帯は差し引き1万5,482世帯減少した計算になる。家族のいる世帯がすべて減っているという意味ではなく、核家族世帯など増加している類型も存在するが、全体としては単独世帯の増加が一般世帯数の純増を上回っているのである。

 単独世帯の割合も大きくなっている。国勢調査の家族類型別集計では、家族類型が不詳の世帯を除いた一般世帯に占める単独世帯の割合は39.7%となっており、ほぼ5世帯に2世帯が単独世帯という水準に達した。なお、不詳世帯を含む一般世帯全体を分母として計算すると約39.3%となるため、39.7%という公式値を読む際には、その集計条件にも注意が必要である。

 この変化から、千葉県で生活の単位が小さくなっていることは確かだが、それをそのまま単身者向け住宅の需要増加数に置き換えることはできない。実際に別の住宅で生活を始めた人と、住宅を共用しながら生計を分けた人では、住宅需要への影響が異なるからである。単独世帯数の増加が住宅市場にどの程度影響したかを明らかにするには、世帯構成に加えて、住宅の居住形態や1住宅当たりの世帯数を詳しく調べる必要がある。

単独世帯の増加を、高齢化だけで説明できるだろうか

 単独世帯が増えたと聞くと、まず高齢者の1人暮らしを思い浮かべる人が多いかもしれない。実際、千葉県の2025年国勢調査では、65歳以上の人がいる一般世帯は114万6,507世帯となり、そのうち37万3,199世帯が単独世帯だった。65歳以上の単独世帯は2020年より5万370世帯増加しており、高齢者を世帯員とする単独世帯が拡大していることは明らかである。

 しかし、単独世帯全体の増加数12万8,865世帯から、65歳以上の単独世帯の増加数5万370世帯を差し引くと、7万8,495世帯が残る。これは65歳未満の単独世帯の純増に相当し、単独世帯増加数の約61%を占める。高齢者の単独世帯が増えていることは確かだが、それだけで千葉県の単独世帯の増加を説明することはできず、65歳未満の人々の生活単位にも大きな変化が生じているのである。

 ただし、この7万8,495世帯という数字を、若者の独立や未婚者の増加によって新しく形成された世帯の数と解釈することはできない。2020年から2025年の間には、人々の加齢、転入や転出、結婚や離婚、同居や別居、死亡などによって世帯の構成が変化しているため、2時点の集計結果だけでは、それぞれの要因が何世帯分の増加に結び付いたかを特定できないからである。

 進学や就職に伴う独立、結婚しない期間の長期化、単身赴任、離婚後の生活、親世代と子世代の生計の分離などは、単独世帯を増やす可能性のある要因として考えられる。しかし、それらが千葉県でどの程度寄与したのかを明らかにするには、年齢別の単独世帯数、婚姻状態、住宅の所有関係、人口移動、世帯分離の実態などを組み合わせた検証が必要になる。

 それでも、今回の調査から読み取れる重要な事実がある。千葉県の世帯構造の変化は、高齢化という1つの現象に還元できるものではなく、より幅広い年齢層で生活単位の小規模化が進んでいるということである。駅に近い集合住宅の1戸を1人で使用する人と、親世代と同じ住宅を共用しながら生計を分ける人では、住まい方も生活環境も異なるが、いずれも統計上は単独世帯として数えられる場合がある。その違いを理解しないまま、単独世帯の増加を単純に評価することはできないだろう。

出生数より死亡数が多い。それでも人口が増える年がある

 世帯数が増えている一方で、そもそも千葉県の人口が減少へ転じた背景には何があるのだろうか。人口の増減を考える際には、出生と死亡による自然増減と、転入や転出などによる社会増減を分けて見る必要がある。千葉県では出生数より死亡数が多い自然減が続いているものの、県外などからの人の流入による社会増が、その減少を補う年もある。

 千葉県毎月常住人口調査による2024年の人口動態では、出生数が3万5,587人、死亡数が7万5,235人で、自然減は3万9,648人に達していた。一方、転入や転出などによる社会増は4万1,078人となり、自然減を上回ったため、年間の人口は差し引き1,430人増加している。出生と死亡だけを見れば大幅な人口減少になる年であっても、人の移動によって人口が維持される場合があることを示す数字である。

 ただし、2024年の年間人口動態と、2020年から2025年の国勢調査人口の増減は、対象期間も把握方法も異なるため、そのまま結び付けて計算することはできない。2024年の数値は人口変動の仕組みを理解するためのものであり、国勢調査における5年間の人口減少数を直接分解したものではない。この区別を踏まえれば、千葉県の人口は自然減と社会増という反対方向の力を受けながら変動していると理解できる。

 2025年の国勢調査では、日本人人口が2020年との比較で10万5,346人減少した一方、外国人人口は7万8,078人増加し、24万425人となっている。外国人人口が県人口に占める割合は3.8%に達し、千葉県の人口構成を考えるうえで無視できない規模となった。なお、これらの増減数には2025年と同じ不詳補完方法で再集計した2020年の数値が使用されており、日本人・外国人の別が不詳の人口も存在するため、両者の増減を単純に足し合わせても人口総数の増減と完全には一致しない。

 外国人人口の増加が人口減少を緩和する方向に働いていることは確認できるが、それを単独世帯数の増加と直接結び付けることはできない。外国人住民についても、単身で住宅を使用する人、家族と暮らす人、複数人で住居を共用しながら生計を別にする人など生活形態はさまざまであり、人口の増加数だけから世帯構造を推定することは不適切である。

 ここまで見てくると、人口が減少する理由と世帯数が増加する理由は、必ずしも同じではないことが分かる。人口は出生、死亡、転入、転出などによって変化するのに対し、世帯数はそれらに加えて、人々がどのように生活を共にするかによっても変化する。人口と世帯の動きが一致しなくなっている背景には、こうした異なる仕組みが重なっているのである。

市川市では人口が減り、世帯が7,650増えた

 千葉県全体の変化を理解したところで、市町村別の数字に目を向けてみよう。2025年国勢調査では、県内54市町村のうち人口が増加したのは県北西部の12市であり、残る42市町村では人口が減少していた。しかし、人口が減少した自治体で必ず世帯数も減少しているわけではなく、人口と世帯数が反対方向へ動く地域が存在している。

 その典型が市川市である。2020年の人口49万6,676人は2025年に49万4,354人となり、5年間で2,322人減少した。一方、世帯数は24万2,970世帯から25万620世帯へ7,650世帯増加している。人口が0.5%程度減少するなかで世帯数は約3.1%増えており、総人口を総世帯数で割った平均世帯人員は約2.04人から約1.97人へ縮小した。人口が減少している都市でも、生活単位の小規模化が進めば世帯数が増加することを示す例である。

 同じような変化は松戸市にも見られる。2020年から2025年に人口が1,858人減少した一方、世帯数は8,720世帯増加した。市原市では人口が9,627人減りながら世帯数は2,093世帯増え、茂原市でも人口が3,211人減少する一方、世帯数は686世帯増加している。東京都心への通勤圏に位置する都市だけでなく、房総半島の内陸側にも同様の現象が生じており、人口減少と世帯増加の組み合わせが特定の都市だけに限られないことが分かる。

 一方、流山市では人口と世帯数の両方が増えている。2020年の人口19万9,849人は2025年に21万5,086人となり、5年間で1万5,237人、7.6%増加した。世帯数も8万3,115世帯から9万1,215世帯へ増加しているが、その増加率は約9.7%と人口増加率を上回っており、平均世帯人員は約2.40人から約2.36人へ縮小している。

 市川市では人口が減りながら世帯数が増え、流山市では人口も世帯数も増えている。それでも、平均世帯人員が縮小しているという点では共通しているのである。このことは、世帯の小規模化が人口減少地域だけに起きる現象ではなく、人口が増加している都市にも広がっていることを示している。

 もっとも、これらの自治体で世帯数が増加した理由を、単独世帯の増加だけで説明したり、住民票上の世帯分離が増えたためだと断定したりすることはできない。実際の背景を明らかにするには、年齢別人口、世帯の家族類型、住宅の居住形態、人口移動などを組み合わせて分析する必要がある。特に、同じ建物で暮らす人が増えたとしても、それが住宅1戸の共用なのか、建物内に独立した住宅が複数存在する状態なのかによって、住宅利用の実態は異なる。人口増減率という1つの数字だけでは、都市の生活構造の変化を十分に説明できなくなっているのである。

外房4市町では、人口と世帯の減り方が大きく違う

 県北西部から房総半島の外房地域へ目を向けると、別の姿が見えてくる。いすみ市、勝浦市、御宿町、大多喜町では、2020年から2025年に人口だけでなく世帯数も減少している。しかし、その減少率を比較すると、人口の減り方に比べて世帯数の減少は小さく、ここでも世帯の小規模化が進んでいることが分かる。

 いすみ市では人口が3万5,544人から3万2,463人へ3,081人減少し、5年間の減少率は8.7%となった。一方、世帯数は1万4,484世帯から1万4,218世帯へ266世帯減少しただけで、減少率は約1.8%にとどまる。人口は約9%減少しているのに、世帯数は約2%しか減っておらず、平均世帯人員は約2.45人から約2.28人へ縮小している。

 勝浦市でも同様の傾向が確認できる。人口は1万6,927人から1万5,101人へ減少し、減少率は10.8%だったが、世帯数は8,192世帯から7,872世帯へ約3.9%減少したにすぎない。平均世帯人員は約2.07人から約1.92人となり、総人口を総世帯数で割った値は2人を下回っている。これは一般世帯に限定した平均人員とは異なる指標だが、2020年と2025年で同じ計算方法を用いることによって、地域内で生活単位が小さくなっている傾向を確認できる。

 御宿町では人口が6,874人から6,332人へ7.9%減少したのに対し、世帯数は3,092世帯から3,053世帯へ39世帯、約1.3%の減少にとどまった。大多喜町でも人口は8,885人から7,784人へ12.4%減少したが、世帯数の減少率は約6.9%だった。人口の減少率には自治体ごとに差があるものの、人口と世帯数の減少速度が一致していないという点では共通している。

 この4市町を合計すると、2020年の人口6万8,230人は2025年に6万1,680人となり、5年間で6,550人、約9.6%減少している。一方、世帯数は2万9,169世帯から2万8,310世帯へ859世帯、約2.9%の減少にとどまる。平均世帯人員も約2.34人から約2.18人へ縮小しており、人口が約1割減った地域であっても、生活を営む世帯の数はそれほど減っていないという特徴が見えてくる。

 さらに、長南町では人口が7,198人から6,691人へ507人減少したにもかかわらず、世帯数は2,636世帯から2,662世帯へ26世帯増加している。人口減少と世帯増加という現象は、人口規模の大きい都市だけでなく、比較的小規模な町でも起こり得るのである。

 外房地域のこうした変化を、単に高齢者の1人暮らしが増えた結果と考えることはできない。親世代と子世代の生活単位の変化、若年者の転出、配偶者との死別、同じ住宅内での生計の分離など、複数の要因が重なっている可能性がある。例えば、地域の人口が減少しても、残された家族がそれぞれ独立した生計を営むようになれば、世帯数は人口ほどには減らない場合がある。しかし、そのような変化が実際にどの程度起きているのかを確認するには、世帯の家族類型や居住形態をより詳しく調べる必要がある。

 ここで重要なのは、外房地域の人口減少が、必ずしも生活する世帯の同じ割合での減少を意味しないことである。人口が減少しても住宅や生活の単位は相対的に多く残り、それぞれが少人数で暮らす方向へ変化している可能性がある。ただし、世帯が多く残ることと、使用されている住宅の戸数が同じように維持されることは別の問題であり、住宅1戸当たりの世帯数や居住形態を確認しなければならない。この現象は、地域の住宅政策や行政サービスを考える際にも無視できない問題になる。

世帯が増えているのに、空き家も増えるのはなぜか

 世帯数が増加するということは、それだけ住宅の需要が増えているのではないかと考えたくなる。しかし、千葉県の住宅事情を見ると、ここにも単純には説明できない数字が存在する。2023年の住宅・土地統計調査によると、千葉県の住宅総数は319万1,100戸で、空き家は39万4,100戸、空き家率は12.3%となっている。

 2018年の空き家数は38万2,500戸だったため、5年間で1万1,600戸増えたことになる。ただし、空き家率は2018年の約12.6%から2023年の12.3%へ低下しており、空き家の戸数は増えたものの、住宅総数に占める割合は下がっている。この違いは重要であり、空き家数が増えたことだけをもって、住宅全体の空き家化が同じ速度で進んでいると判断することはできない。

 さらに、空き家39万4,100戸の中には、賃貸用や売却用の住宅、別荘などの二次的住宅も含まれている。これらを除いた「その他の空き家」は15万8,500戸で、2018年から1万4,100戸増加している。空き家の総数だけでなく、利用目的による区分を確認することによって、地域に残された住宅がどのような性質を持つのかを考えることができる。

 なお、住宅・土地統計調査は標本調査に基づく推計統計であり、国勢調査とは調査年も調査対象も世帯の定義も異なる。そのため、2023年の住宅総数と2025年の国勢調査世帯数を単純に差し引いて空き家数を算出することはできない。また、住宅・土地統計調査でも、住宅1戸に2世帯以上が暮らす場合を想定して、主世帯と同居世帯を区別している。これは、住宅戸数と世帯数が必ずしも一致しないことを理解するうえで重要な区分である。

 ここでも、「住宅」と「建物」を区別する必要がある。例えば、1棟の建物の中に住宅として独立した住戸が2戸あれば、建物は1棟でも住宅は2戸として数えられる場合がある。一方、住宅としては1戸であっても、内部で複数の世帯が生計を別にして暮らしている場合には、住宅戸数と世帯数が一致しない。住宅の供給量を分析する際には、建物の棟数、住宅の戸数、実際に居住する世帯数を混同してはならないのである。

 この点で、世帯分離という現象は住宅需要を考えるうえで重要な意味を持つ。住宅1戸で生活している親子が別々の生計を営むようになり、国勢調査で別世帯として扱われる場合には、世帯数が増えても住宅は1戸のままである。反対に、独立した住宅へ移り住んで新しい世帯を形成した場合には、世帯数の増加とともに住宅への新たな需要が生じることもある。両者を区別しなければ、世帯数の増加を住宅不足や住宅需要の拡大へ直接結び付けてしまう危険がある。

 さらに、住宅は県内のどこにあっても同じ価値を持つわけではない。交通機関、医療機関、商業施設、仕事先などとの位置関係によって、居住地としての利便性が変わる。単独世帯が駅に近い住宅を求めていても、離れた地域にある空き家がその需要をそのまま満たすとは限らない。家族で暮らしていた住宅が1人で使うには広すぎたり、古い住宅の改修費用が大きかったりすれば、住宅が存在していても利用が進まない可能性がある。

 ただし、こうした住宅需要と供給の不一致は説明上の仮説であり、今回の県全体の統計だけで千葉県の空き家増加の原因別割合まで明らかになるわけではない。実際にどの地域で住宅が不足し、どこで余っているのかを評価するには、住宅の立地、築年数、所有関係、居住状況、世帯の年齢構成などを組み合わせた分析が必要になる。

 人口が減ったから住宅を減らせばよいという判断も、世帯数が増えたから新築住宅を増やせばよいという判断も、どちらも十分ではない。世帯数は生活単位の数を示すものであって、住宅の必要戸数を直接示すものではないからである。

人が減っても、行政の仕事は同じ割合で減るとは限らない

 人口と世帯数の変化は、住宅だけでなく、自治体の行政サービスにも関係してくる。人口が減少すれば行政サービスの対象者も減り、支出も小さくできると考えるのは自然かもしれないが、現実の行政需要は人口だけで決まるものではない。住民への通知や相談、生活支援、防災情報の伝達などには世帯単位の対応が必要となるものもあり、地域に暮らす人の数が減っても、対応すべき世帯数は同じ割合で減るとは限らないのである。

 例えば、いすみ市では2020年から2025年に人口が約8.7%減少したのに対し、世帯数の減少率は約1.8%だった。人口に比例する行政需要が減少する一方、世帯単位で発生する事務や情報伝達の対象はそれほど減っていない可能性がある。ただし、行政業務の多くは人口と世帯数だけでなく、個人の状況、施設配置、業務の効率化などによっても変わるため、この数字だけから行政職員の必要人数や行政費用の増減を計算することはできない。

 ここでも、国勢調査と住民基本台帳の違いに注意する必要がある。住民票上の世帯分離が行われれば、住民基本台帳に基づいて世帯単位で処理する行政事務に影響する場合がある一方、国勢調査で別世帯と認定されたことが、そのまま行政手続き上の世帯の変更になるわけではない。世帯を単位として扱う制度であっても、住民基本台帳、税制度、介護保険、各種給付制度などでは判定の基準が異なる場合があるため、統計上の世帯数の増加を行政事務量の増加へ直接換算することは適切ではないのである。

 さらに、住宅や道路が広く分散している地域では、人口が減っても生活基盤の維持に必要な空間が同じ割合で小さくなるとは限らない。道路、橋、水道施設、公共施設などは住民が一定数減少したからといって直ちに廃止できるものではなく、利用人口や施設配置によって1人当たりの維持管理負担が変化することも考えられる。そのため、行政需要を評価する際には、人口1人当たりの費用だけでなく、道路1キロメートル当たりの沿道人口、住宅が分布する面積当たりの世帯数、施設の利用者数など、地域の条件に合った指標を用いる必要がある。

 高齢者の単独世帯の増加も、行政サービスを考えるうえでは重要になる。千葉県では65歳以上の人がいる一般世帯が114万6,507世帯あり、そのうち37万3,199世帯が単独世帯である。ただし、単独世帯だからといって、住宅1戸に完全に1人だけで暮らしているとは限らず、家族などと住宅を共用しながら生計を分けている場合もあり得る。したがって、単独世帯という数字だけで日常的な見守りの有無や支援の必要性を判断することはできない。

 高齢者が単独世帯を形成しているというだけで支援を必要とするわけではないが、病気や災害などが発生した場合に、同じ世帯に他の構成員がいないことによって支援上の課題が生じる可能性はある。特に医療機関や公共交通へのアクセスが限られる地域では、年齢や世帯構成だけでなく、実際に誰と住宅を共用しているか、利用できる交通手段があるか、近隣に支援を求められる人がいるかといった生活の実態を確認する必要があるだろう。

 ただし、単独世帯が増えたこと自体が行政費用を増加させると断定するのも適切ではない。世帯が小規模になることで必要な対応が増える分野も考えられる一方、人口減少や業務の効率化によって負担が軽くなる分野もあり得る。費用への影響を評価するためには、実際の業務量、施設運営費、人件費などを用いた検証が必要であり、世帯構造の変化はその分析に加えるべき重要な条件の1つなのである。

世帯数が増えた理由を、どこまで数字で説明できるのか

 ここまで人口減少、単独世帯の増加、世帯分離、住宅需要、行政サービスとの関係を見てきたが、改めて考えたいことがある。千葉県の世帯数が増加した理由を、現在の統計からどこまで明らかにできるのだろうか。

 人口が減少する一方で平均世帯人員が小さくなり、結果として世帯数が増加したことは、国勢調査の数字から直接確認できる。また、一般世帯の増加を上回る単独世帯の増加が生じていることや、65歳以上だけでなく65歳未満の単独世帯も増えていることも確認できる。これらは推測ではなく、統計によって裏付けられた変化である。

 しかし、平均世帯人員が縮小した原因を、家族からの独立、婚姻状態の変化、配偶者との死別、同じ住宅内での生計の分離、住民票上の世帯分離などに分け、それぞれ何世帯分の増加に寄与したかを示すことは、現在確認した集計結果だけではできない。住民基本台帳上の世帯分離件数を調べたとしても、それが国勢調査上の世帯増加にどの程度対応するかは別途検証する必要がある。

 さらに、住宅との関係を分析する際には、世帯と住宅の対応を調べることが欠かせない。住宅1戸に1世帯が暮らす場合、住宅1戸に複数の世帯が暮らす場合、同じ建物の中に独立した住宅が複数存在する場合では、住宅の供給と利用の実態が異なる。また、単独世帯という分類も、その人が住宅を1戸占有していることを意味しないため、世帯数や単独世帯数の増加を住宅需要へ換算する場合には、居住形態の違いを考慮する必要がある。

 例えば、住宅1戸の中で生計の分離が実際に増えていたとしても、どの年齢層で、どの程度発生しているのかは、平均世帯人員の変化だけでは分からない。反対に、若い世代が独立した住宅へ移り、単独世帯として生活するようになった場合には、住宅需要や人口移動にも異なる影響が現れる。どちらも世帯数を増加させる方向に働く可能性があるが、その社会的な意味は同じではないのである。

 この違いを明らかにするには、国勢調査の家族類型別・年齢別の世帯数に加え、住宅の居住形態、1住宅当たりの世帯数、住民基本台帳の世帯異動、人口移動などの情報を組み合わせて分析する必要がある。ただし、異なる統計は対象や定義、調査方法が必ずしも一致していないため、単純に数値を足し合わせたり、差し引いたりするだけで原因を特定することはできない。

 世帯数が増えたという結果は明確であっても、そのすべての原因が判明したわけではない。この区別こそ、人口統計を地域政策へ活用する際に欠かせない視点なのである。

人口減少率だけで、地域の将来を判断できるのか

 人口減少について議論するとき、何人減ったか、何%減少したかという数字が注目されることが多い。人口推計は自治体の将来を考えるための重要な資料だが、それだけで地域の生活環境まで評価できるわけではない。同じ人口減少率の自治体であっても、世帯数や平均世帯人員の変化が異なれば、住宅、交通、医療、介護、防災などに求められる対応も異なってくる可能性がある。

 例えば、人口が減っても世帯数がほとんど減らない自治体では、少人数で暮らす世帯が増えているかどうかを調べる必要がある。一方、人口と世帯数が共に急減している地域では、住宅の利用状況や公共施設の需要、住民の居住分布などを併せて確認することが重要になる。人口が減ったという同じ現象であっても、暮らし方の変化と地域空間の変化が異なれば、必要な政策も同じにはならないのである。

 千葉県内の地域を分析する場合、人口増減率に世帯増減率と平均世帯人員の変化を重ねるだけでも、人口統計から得られる情報は豊かになる。さらに、年齢別の単独世帯の割合、高齢者のみで暮らす世帯の割合、住宅の空き家率、医療機関までの距離、公共交通の運行状況などを組み合わせれば、人口減少が具体的にどのような生活上の課題へつながる可能性があるのかを考えやすくなる。

 そこに、世帯分離や同居形態という視点を加えることも重要になる。世帯数が増えていても、住民が新たに住宅を構えているとは限らず、既存住宅の中で生計の単位が変化している場合もあるからである。住宅需要を考える場合には実際に使用されている住宅の戸数や居住形態を確認し、行政サービスを考える場合には制度上どのような世帯区分が用いられているのかを確認する必要がある。人口と世帯数だけでは見えてこない違いが、政策の評価を左右するのである。

 もっとも、こうした指標を増やせば自動的に政策の正解が見つかるわけではない。例えば、単独世帯の割合が高い地域でも、交通が便利で生活サービスが充実していれば、少人数での生活を続けやすい環境が整っている可能性がある。反対に、単独世帯の割合がそれほど高くなくても、住民が広い地域に分散していたり、交通や医療へのアクセスが限られていたりすれば、別の課題が生じることも考えられる。重要なのは、数字の大小だけで地域の優劣を判断するのではなく、その数字がどのような生活環境の下で生じているのかを調べることである。

 人口減少の対策を考えるとき、人口を増やすことだけを目標にすると、すでに地域で暮らしている人々の生活の変化を見落とすおそれがある。転入者を増やす政策と、少人数で暮らす住民の生活を支える政策は対立するものではなく、地域の実情によっては両方が必要になる。人口増加を目指すこと自体が間違いなのではなく、それだけでは自治体の将来を十分に評価できないということである。

減っているのは人の数、変わっているのは暮らしの形

 千葉県の人口が国勢調査で初めて減少したという事実は、長く続いてきた人口増加の歴史が転換点を迎えたことを示している。しかし、その隣にある世帯数の増加という数字を見れば、千葉県の地域社会が単純に小さくなっているわけではないことにも気付く。人口が減っていても、暮らしの単位は増えることがあり、その背景には単独世帯の増加や世帯規模の縮小という、人口総数だけでは表れない変化が存在している。

 2020年から2025年の5年間で人口は2万7,255人減ったが、総世帯数は11万5,110世帯増え、一般世帯のうち単独世帯は12万8,865世帯増加した。高齢者の単独世帯が増えているだけではなく、65歳未満の単独世帯も増加しており、生活単位の小規模化が幅広い年齢層に及んでいることが分かる。こうした変化は人口の増加する流山市にも、人口が減る市川市や茂原市にも、人口減少が速く進む外房地域にも、それぞれ異なる形で表れている。

 そして、世帯数を考えるうえでは、同じ住宅に暮らしながら生計を分けるという世帯分離の仕組みも忘れてはならない。国勢調査で世帯数が増えたという事実は、新しい住宅に移り住む人々だけが増えたことを意味するものではなく、住む場所を変えずに生活の単位が変化した場合も含まれ得る。また、単独世帯は住宅1戸に1人だけが住むことを意味するものではなく、同じ建物と同じ住宅も異なる概念である。こうした統計上の定義を理解することによって初めて、世帯数という数字が何を示しているのかを正確に捉えることができる。

 人口減少と世帯増加が同時に起きていることは、統計上の矛盾ではない。人口は人の数を示し、世帯は生活を営む単位を示しているため、両者が異なる方向へ動くことは十分にあり得る。問題は、これまで人口の増減を中心に考えてきた地域政策が、こうした生活単位の変化をどこまで捉えられているかということである。

 世帯数が増えているからといって、その地域の暮らしが豊かになっているとは限らず、人口が減っているからといって、住宅や行政サービスの必要性が同じ割合で小さくなるわけでもない。世帯の人数だけでなく、生計の独立、住宅の利用状況、家族との関係、生活サービスへのアクセスなどを併せて見ることによって初めて、地域で暮らす人々の現実に近づくことができるのである。

 千葉県の人口減少を伝える数字の背後には、家族で暮らす生活、住宅を1戸使用して1人で暮らす生活、同じ住宅を他の人と共用しながら生計を別にする生活など、さまざまな暮らし方が存在している。そして、その変化は都市部の集合住宅にも、房総半島の戸建て住宅にも、それぞれ異なる条件の下で表れている。これからの地域社会を考えるうえで問われるのは、人口を何人増やせるかということだけではなく、人々の暮らしの単位が変化する社会に、住宅や交通、医療、行政サービスをどのように適応させていくかということだろう。

 人口が減ったのに世帯数が増えたという数字は、千葉県の暮らしが新しい段階に入りつつあることを示している。人口の増減だけを追う時代から、人々がどのような単位で暮らし、その生活を地域がどのように支えているのかを考える時代へ。今回の国勢調査は、その転換を読み解くための重要な手掛かりを示しているのである。

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道路を1本越えると、水道料金が変わる

 同じ生活圏にあり、同じスーパーや病院を利用しているのに、道路を1本越えて住所が隣の自治体になると、水道料金が変わることがある。蛇口から出てくる水に大きな違いがあるようには見えないため、「自治体によって水の値段が違うのはなぜだろう」と疑問に感じる人もいるだろう。しかし、水道料金は単純な水そのものの価格ではなく、水源から家庭の蛇口まで安全な水を届け、その仕組みを維持し続けるための費用を利用者が分担した結果なのである。

 川や地下水、ダムなどから取った水は、必要に応じて浄水場で処理され、配水池やポンプ、水道管を通って家庭へ届けられる。その間には電力、人件費、薬品費、修繕費がかかり、古くなった水道管や施設はいずれ更新しなければならない。したがって、料金を見るときには「水はいくらなのか」ではなく、「この地域では安全な水を届け続けるために、どれだけの仕組みを維持しなければならないのか」と考えた方が実態に近い。

本当の境界は自治体よりも水道事業にある

 まず重要なのは、自治体の境界を越えれば必ず料金が変わるわけではないということである。市町村が単独で水道事業を運営している地域もあれば、複数の自治体が共同で運営している地域や、広域的な水道事業から水の供給を受けている地域もある。そのため、行政上の市境や町境と、水道事業の範囲は必ずしも一致しない。

 つまり、料金が変わる本質的な理由は「隣の市や町へ入ったから」ではなく、利用する水道事業や料金体系が変わることにある。そして、それぞれの事業には異なる水源、施設、管路、人口構成、財務状況があるため、その違いが最終的に料金へ反映される。地図には見えなくても、私たちの足元には行政区域とは別の「水道の地図」が広がっているのである。

水道料金は自由に決められるわけではない

 もっとも、水道事業者が好きな金額を自由に設定できるわけではない。水道法では、料金は能率的な経営の下で必要となる適正な原価を基礎とし、事業を健全に維持できる公正妥当なものであることが求められている。水道事業者には料金体系を設計する裁量があるが、その裁量は原価や公平性、事業の継続性といった条件の中で行使される。

 したがって、隣の自治体より料金が高いという事実だけで、「行政が高い値段を付けている」と判断することはできない。料金の背後には、どこから水を取るのか、どの程度の処理が必要なのか、どれだけ長い水道管を維持しているのか、今後どの程度の設備更新が必要なのかといった、その地域固有の事情がある。

同じ水でも、届けるまでの費用は違う

 料金差を生む代表的な要因が水源と地形である。良質な地下水を比較的利用しやすい地域では、浄水工程を簡素にできる場合がある一方、遠方のダムや河川から取水し、高度な浄水処理を行う地域では、それだけ多くの設備や費用を必要とする。ただし、地下水であれば必ず安いわけではなく、深い井戸からくみ上げる電力や、水質に応じた処理が必要になることもある。

 地形も無視できない。低い場所から高台まで水を送るにはポンプが必要であり、住宅が広い範囲に点在していれば、少ない利用者のために長い水道管を維持しなければならない。反対に、平坦な市街地に住宅が密集していれば、比較的短い管路で多くの世帯へ水を届けられる。この違いは、同じ量の水を供給するとしても、1世帯当たりが負担する設備費に差を生む。

小さな水道事業ほど高コストになりやすい

 この構造は統計にも表れている。2023年度の地方公営企業のデータでは、水1立方メートルを供給するために必要な給水原価は全国平均で177.6円だったのに対し、給水人口1万人未満の水道事業では235.5円、簡易水道では286.2円となっている。一方、給水人口30万人以上の水道事業では165.5円であり、全体として小規模な事業ほど給水原価が高くなる傾向がみられる。

 もちろん、人口が多ければ必ず安くなるわけではない。大都市では大規模な施設や高度な処理、古い管路の更新など別の費用がかかるため、人口規模だけで料金を説明することはできない。それでも、住宅がまばらな地域ほど1人当たりの管路延長が長くなりやすく、小規模事業ほど設備費を少人数で支えることになるという構造は、水道料金を理解するうえで重要である。

人口が減っても、水道管は簡単には減らせない

 人口減少が進む地域では、この問題がさらに大きくなる。例えば、年間1億円の固定的な費用を1万人で負担すれば1人当たり1万円だが、8000人なら1万2500円、6000人なら約1万6667円になる。現実の水道経営はこのような単純な割り算ではないものの、利用者が減っても施設費が同じ割合では減らないという基本構造は変わらない。

 水道は設備投資の割合が大きい事業であり、水を使う量が減ったからといって、浄水場や水道管、配水池を同じ割合で小さくできるわけではない。節水型トイレや洗濯機が普及すれば家庭の使用量は減るが、特に従量料金からの収入が減る一方で、固定的な維持費は残る。そのため、人口減少と節水が重なる地域では、少ない利用者で既存の水道網を支えるという難しい問題が生じる。

安い料金が、必ずしも良い経営とは限らない

 水道料金を比較するときには、現在の安さだけを見るのも危険である。水道管や浄水場には寿命があり、古くなれば更新や耐震化が必要になる。過去に大量の設備を整備した地域では、それらが同じ時期に老朽化し、今後まとまった更新費用が必要になることもある。

 料金が安い理由が、良好な水源や高い人口密度、効率的な運営にあるなら問題はない。しかし、必要な更新工事を先送りしているために現在の負担が小さく見えている可能性もある。反対に、料金が比較的高くても、将来の更新に備えて計画的に投資している事業もあるため、水道事業を評価するには、料金だけでなく給水原価や管路更新率、財務状況なども合わせて見る必要がある。

同じ20立方メートルでも請求額は変わる

 料金差には、原価だけでなく料金表の設計も影響する。多くの水道事業では、使用量にかかわらず一定額を負担する基本料金と、使用量に応じて増える従量料金を組み合わせているが、その割合や単価は事業によって異なる。そのため、少人数世帯では安い地域が、使用水量の多い世帯でも安いとは限らない。

 2023年度には、家庭が1か月に20立方メートル使用した場合の水道料金は全国平均で3368円だった。2009年度の3096円から上昇しているが、この平均値の背後には地域ごとの大きな違いがある。同じ20立方メートルを使っても、水源条件や人口密度、設備の状態、料金体系が違えば、請求額も変わるのである。

「水道が高い」と感じたら下水道料金も確認する

 もう1つ注意したいのが、上水道と下水道の混同である。家庭へ水を届ける上水道料金と、使用後の水を処理する下水道使用料は別の制度だが、実際には一緒に請求されることが多い。そのため、請求書の合計額を見て「この地域は水道が高い」と感じても、差の一部または多くが下水道使用料による場合がある。

 地域間の家計負担を比べるのであれば、上水道だけの料金なのか、それとも上下水道を合わせた支払額なのかを区別する必要がある。単純な水道料金ランキングだけでは、実際の生活負担を正確に比較できないこともある。

広域化しても、すぐ安くなるとは限らない

 人口減少への対応策として、複数の自治体や水道事業者が施設や業務を共同化する広域化が進められている。浄水場や管理業務を効率化し、職員や設備を共同利用できれば、小規模な事業をそれぞれ単独で維持するより経営を安定させられる可能性がある。

 しかし、事業を統合すれば直ちに料金が下がるわけではない。それまで別々に運営されてきた地域には、異なる料金水準や施設の老朽度、借入金、更新需要が残っているためである。広域化の本来の目的は、単純に現在の料金を安くすることよりも、人口が減る時代にも水道を持続できる経営基盤をつくることにある。

蛇口の向こうには、その地域の姿がある

 水道料金を単なる公共料金として見ると、隣の自治体との違いは不思議に感じられる。しかし、その金額をたどっていけば、水源、地形、住宅の密度、人口減少、施設の老朽化、将来の更新費用まで、その地域が抱える条件が見えてくる。

 道路を1本越えたから水の価値が変わるのではない。安全な水をそこまで届ける仕組みと、それを支える利用者の数、施設の状態、将来必要になる費用、そしてその負担をどのように分けるかが違うのである。蛇口をひねれば当たり前のように水が出るが、その当たり前を維持する条件は地域ごとに異なる。水道料金とは、見えない地下の設備と地域の人口、そして過去から未来へ続くインフラの負担を、毎月の請求書の上に数字として映し出した小さな財務諸表なのである。

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草に埋もれた土地にも、当然「持ち主」がいると思っていた

 町を歩いていると、住宅と住宅の間や細い道の奥、あるいは昔は畑だったらしい場所に、誰も使っている様子のない小さな土地を見かけることがあるが、草は腰の高さまで伸び、境界らしき古い杭だけが残り、近所の人に「あそこは誰の土地ですか」と尋ねても、「昔は○○さんの土地だったと思うけれど、今はよく分からない」という曖昧な答えしか返ってこないことがある。土地には必ず所有者がいて、法務局で登記を調べれば誰のものか分かるはずだと考えるのが普通なので、このような話を聞くと奇妙に感じられるが、実際の日本では、登記簿に所有者の名前が記載されていても現在の所有者や相続人にすぐにはたどり着けない土地が存在し、それは山奥の特殊な土地だけではなく、住宅地や町の中にも存在している。

 ただし、ここで最初に整理しておかなければならないのは、「誰の土地か分からない土地」という日常的な表現と、法律上の「所有者不明土地」とは完全に同じ意味ではないということであり、一般的には登記簿を見ただけでは現在の所有者が分からない土地まで広く含めて語られることがある一方、法律上は、必要な探索を行っても所有者の全部または一部を確知できない土地について、より厳密に所有者不明土地として扱われる。したがって、町に見える草むらのすべてが法律上の所有者不明土地なのではなく、実際には所有者や相続人が存在しているものの、登記の情報が古くなり、現在誰に連絡すればよいのかが簡単には分からなくなっている土地が相当数含まれているのである。

「登記を見ても分からない」と「調べても分からない」は大きく違う

 この違いを理解するうえで興味深い数字があり、国土交通省が2016年度の地籍調査で約62万筆の土地を調べたところ、登記簿だけでは所有者等の所在を確認できなかった土地は20.1%に達していたが、その後、戸籍や住民票などを使って追跡すると、最終的に所在を確認できなかった土地は0.41%まで低下した。つまり、「日本の土地の約20%は本当の所有者が分からない」という意味ではなく、約20%は登記簿を開いただけでは現在の所有者やその所在までたどり着けず、追加調査が必要だったということであり、さらに調査を進めても所在を確認できなかった土地は、その中の一部だったということである。

 この20.1%と0.41%の差は、この問題の本質をよく表しており、日本に大量の「完全に持ち主のいない土地」が存在しているのではなく、土地には権利者がいるにもかかわらず、登記と現在の家族関係や住所との間に長い時間のずれが生じ、その人を探すために追加の調査が必要になっているのである。町の人が「あそこは誰の土地か分からない」と話している場合も、実際には誰のものでもないというより、「昔の所有者までは分かるが、今の権利者が誰なのかをすぐには説明できない」という状態である可能性が高い。

登記簿に名前が残っていても、その人が今の所有者とは限らない

 例えば、町の片隅にある土地の登記簿を調べたところ「山田太郎」という人物が所有者として記載されていたとすれば、一見すると誰の土地かは明らかになったように思えるが、その山田太郎さんが30年前に亡くなり、その後も相続登記が行われていなかったとすれば、登記簿の名前は現在その土地について権利を持っている人物を直接示しているのではなく、過去のある時点で所有していた人物を示しているにすぎない。山田さんに複数の子どもがいて、その子どもたちの世代でも相続が起こり、さらに孫やひ孫へ権利が分かれていけば、最初は1人だった所有者から多数の相続人が生じることになり、その人たちが町外や県外へ移り住んでいれば、1枚の登記簿から現在の権利者全員へたどり着くために、何世代分もの戸籍や住所の履歴を確認しなければならなくなる。

 これは単なる仮定の話ではなく、公共事業に関連した土地調査では、約560平方メートルの土地について法定相続人が242人にまで広がっていた事例も報告されているため、記事の中で「相続人が10人、20人になることもある」と書くことさえ、決して大げさな表現ではない。相続人の数が世代ごとに必ず倍になるわけではないものの、遺産分割が行われないまま複数回の相続が続けば、土地に関係する人の数が急速に増える可能性があるという構造は、数理的にも十分に理解できる。

原因の中心にあるのは、相続と住所変更である

 なぜ登記簿と現実との間にこのようなずれが生まれたのかを調べると、原因はかなり明確であり、国土交通省の調査では、登記簿だけで所有者の所在を確認できなかった土地について、相続に伴う所有権移転の登記が行われていなかったことが約3分の2を占め、住所変更の登記が行われていなかったことも約3分の1を占めていた。つまり、この問題の中心には、所有者が突然消えてしまうという不可解な現象があるのではなく、人が亡くなって相続が発生したにもかかわらず登記が更新されなかったり、所有者が転居したにもかかわらず住所変更の登記が行われなかったりすることで、登記簿に記録された人と現実に土地の権利を持っている人との距離が少しずつ広がっていくという、極めて現実的な事情がある。

 土地は何十年たっても同じ場所に存在するが、人間は引っ越し、結婚し、名字が変わり、子どもを持ち、やがて亡くなり、その子どもたちもまた別の地域へ移っていくため、何もしなければ土地と所有者を結び付ける情報は時間とともに古くなっていく。土地は動かないのに人間だけが動き続けるという、この単純な時間差が積み重なった結果、登記簿には確かに名前が存在しているのに、現在誰へ連絡すればよいのか分からないという状態が生まれるのである。

町の中にも存在し、山林だけの問題ではない

 所有者不明土地という言葉から、過疎地の山林や人里離れた農地を思い浮かべるかもしれないが、国土交通省の調査では、登記簿だけで所有者等の所在を確認できなかった割合は、人口集中地区でも14.5%、宅地中心地区でも17.4%となっており、林地中心地区の25.6%より低いとはいえ、都市部や住宅地でも決して無視できるほど少ない数字ではない。したがって、「誰の土地かすぐには分からない土地」は山の中だけに存在する問題ではなく、普通に人が暮らしている町の道路沿いや住宅地の一角にも存在する可能性がある。

 もちろん、地籍調査の対象となった土地の数字をそのまま日本全国すべての土地に機械的に当てはめることはできないが、少なくとも「所有者を簡単には確認できない土地は山林だけに集中している」という見方は適切ではなく、町の中でも相続や住所変更が長期間登記に反映されなければ、同じ問題は発生する。普段は単なる空き地にしか見えなくても、道路整備や隣地との境界確認などで初めて所有者へ連絡する必要が生じた瞬間、その土地が長年抱えていた権利関係の複雑さが表面化するのである。

小さな土地でも、公共事業を止めることがある

 所有者へ連絡できない状態は、その土地だけの問題で終わるとは限らず、道路を広げようとするとき、防災工事を行おうとするとき、河川や排水設備を整備しようとするとき、あるいは土地の境界を確定しようとするときには、土地について権利を持つ人との調整が必要になるため、長期間放置されてきた登記の問題が突然、行政や地域全体の問題として現れることになる。土地そのものが数十平方メートルしかなくても、相続人を探して戸籍を確認し、それぞれの所在を調べ、権利関係を整理しなければならないとなれば、調査と手続きに必要な時間や費用が土地そのものの市場価値を上回ることさえあり得る。

 したがって、所有者を確認できない土地の問題は、「荒れた土地が景観を悪くする」という程度にとどまらず、公共事業の進行、防災、周辺土地の利用、地域の管理コストにまで影響を及ぼす可能性があり、国がこの問題への対応を急いできた理由もそこにある。

2024年と2026年に制度が大きく変わった理由

 このような状況をこれ以上増やさないため、2024年4月1日から相続登記が義務化され、不動産を相続したことなどを知った場合には原則として3年以内に登記することが求められるようになり、さらに2026年4月1日からは、所有者の氏名や住所が変更された場合についても原則として2年以内に変更登記を行うことが義務になった。これらの制度変更を単なる手続きの厳格化と考えると本質を見失うが、国が防ごうとしているのは、所有者が亡くなったり転居したりするたびに土地と人との情報が古くなり、その状態が何十年も積み重なることで、将来その土地について誰と交渉すればよいのか分からなくなることである。

 つまり、相続登記や住所変更登記の義務化は、土地と所有者との間をつないでいる情報の糸を世代ごとに更新し続ける仕組みと考えると分かりやすく、問題が深刻化してから多数の相続人を探すよりも、所有者が変わった時点で登記を更新する方が社会全体の負担ははるかに小さい。

「価値の低い土地ほど」と単純には言えない

 ここで注意しなければならないのは、「土地の価値が低ければ所有者不明になりやすい」と単純な因果関係で考えることには慎重であるべきだという点であり、実際には地価だけでなく、土地の用途、接道状況、形状、所有者が近くに住んでいるか、何回相続が発生したか、その土地に利用需要があるかなど、複数の条件が関係しているため、土地価格だけを原因として説明することはできない。

 しかし、利用需要の低い土地ほど所有者が積極的に関与する理由が弱くなりやすいという傾向には一定の根拠があり、国土交通省の調査では、利用されていない土地を相続した人の半数以上が土地の所有に負担を感じた経験があると回答しているほか、未利用の田畑や山林では「売却したい」「手放せるなら手放したい」と考える所有者も相当数存在している。駅前や住宅地のように売却、建築、賃貸など具体的な利用目的が生まれやすい土地では、登記を整理する必要に直面する機会が比較的多い一方、利用する予定もなく、買い手も見つかりにくい土地では、登記や管理に時間と費用をかける動機が弱くなりやすいという違いは考えられる。

人口減少だけが直接の原因ではない

 人口が減ると所有者不明土地が増える、と単純に結び付けることも正確ではなく、人口減少そのものが土地の所有者を不明にするわけではない。実際には、人口減少や高齢化が進むことで相続が増え、子ども世代が地域外で生活するようになり、土地を利用する需要も低下し、それに伴って土地への関与が弱くなるという複数の変化が重なったところへ、相続登記や住所変更登記が行われない状態が長期間続くことで、所有者探索が難しくなるという多段階の構造になっている。

 このため、人口減少と所有者不明土地の関係を考えるときには、「人口が減ったから土地の所有者が分からなくなった」と考えるのではなく、「人口減少、高齢化、地域外への移住、土地利用需要の低下、相続の繰り返し、登記情報の未更新」といういくつもの要素が連鎖した結果として、土地と人との関係を追跡することが難しくなると考えた方が実態に近い。

「いらない土地」でも、勝手に国や町へ返すことはできない

 利用する予定もなく、子どもにも残したくない土地なら、国や自治体へ返してしまえばよいと思うかもしれないが、所有者が「もう必要ない」と考えただけで、任意の土地を当然に国や自治体へ引き取らせることができる一般的な制度は存在しない。自治体などへ寄附を申し出る方法はあるものの、相手側が受け入れるとは限らず、民間へ売却しようとしても需要のない土地では買い手が見つからないこともあるため、「所有したくないが手放すことも難しい土地」が存在してきた。

 この問題への対応として2023年4月27日に相続土地国庫帰属制度が始まり、相続などによって取得した一定の土地については、条件を満たし、審査を受け、必要な負担金を納めることで国へ帰属させる道が設けられたが、建物が存在する土地、境界や所有権について争いがある土地、通常よりも多額の管理費用や労力が必要となる土地などは対象外となる場合があるため、不要な土地なら何でも国へ返せる制度ではない。それでも制度開始後には実際に数千件規模の申請と国庫帰属が行われており、土地を「所有する価値」だけではなく「維持する負担」の側から考えなければならない時代になったことを示している。

草むらの下には、何十年分もの家族の時間が眠っている

 人口減少という言葉を聞くと、人口が何万人から何万人へ減ったという統計を思い浮かべやすいが、町の中で実際に起きている変化はもっと静かであり、親が亡くなり、子どもが都市へ移り、家が空き家になり、畑が使われなくなり、その土地を相続した人が一度も現地を見ることなく別の町で暮らし、その次の世代へまた相続されるという出来事が、20年、30年、50年という時間をかけて積み重なっていく。

 道端の草むらを見ただけでは、その土地の過去を知ることはできないが、そこにはかつて家族が暮らし、畑を耕し、土地を管理していた時間があり、その後に死亡、相続、転居、人口流出、土地利用の停止という変化が何世代にもわたって重なった結果として、現在は「昔は誰かの土地だったことは分かるが、今は誰に話をすればよいのか簡単には分からない土地」になっている可能性がある。草が伸びた空き地は、単に管理されていない土地なのではなく、その町とそこに暮らしていた家族との関係が、時間の中で少しずつ薄れていった痕跡なのかもしれない。

本当に問題なのは、所有者が消えることではなく、土地と人との関係が切れることである

 町の中に「誰の土地か分からない土地」は本当にあるのかと問われれば、答えは「ある」と言ってよいが、その意味を正確に言い換えるなら、多くの場合は法律上まったく所有者が存在しない土地なのではなく、過去の所有者から現在の権利者へ続いているはずの道筋が、相続、転居、登記情報の未更新、長い年月によって見えにくくなり、簡単にはたどれなくなった土地である。

 そして、この問題の本当の重さは、登記簿から1人の名前を探し出せないことだけにあるのではなく、誰も住まず、誰も利用せず、誰も積極的に管理しようとしない土地が増えることで、土地と人とを結び付けていた関係そのものが地域から少しずつ失われていくことにある。これから人口が減少していく町を考えるときには、「あと何人が住むのか」という人口統計だけではなく、残された住宅を誰が持つのか、使われなくなった田畑を誰が管理するのか、山林を誰が引き継ぐのか、そして誰も必要としなくなった土地を最後に誰が引き受けるのかまで考えなければ、地域の将来像を十分に理解することはできない。

 町の片隅で草に埋もれている一見何でもない土地は、単なる放置された空き地なのではなく、人が土地を必要とし、家族がそれを受け継ぎ、やがてその関係が薄れていくという長い時間の先に現れた場所であり、人口が減っていく社会でこれから日本各地の町が向き合うことになる問題を、静かに先取りして見せているのかもしれない。

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 地方への移住を語るとき、私たちはどうしても「何人が移住してきたのか」という数字に目を奪われる。移住相談会に何人が参加したのか、移住支援制度を利用した世帯が何組あったのか、今年は前年より転入者が増えたのか。こうした数字は分かりやすく、成果としても示しやすい。しかし、本当に地域の将来を考えるのであれば、もう一つ確かめなければならない数字がある。数年前に移住してきた人たちが、その後もその地域で暮らしているのかという数字である。

 移住政策を評価するうえで、「何人来たか」と「何人残ったか」は本来切り離すことができない。仮に一年間に百人が移住しても、三年後に二十人しか残っていない地域と、一年間の移住者が五十人でも三年後に四十五人が残っている地域とでは、後者の方がその時点の居住者数は多くなる。移住者数だけを成果指標にすると、この違いは見えない。

 もっとも、「移住後三年」という期間そのものに、科学的に確立された特別な境界があるわけではない。三年を境に突然転出率が変化するという普遍的な法則が確認されているわけでもなく、地域や年代、世帯構成、仕事、住宅事情によって状況は大きく異なる。したがって三年という数字は、「ここを越えれば定着した」と考える境界ではなく、移住後の初期段階を継続して観察するための一つの実務的な期間と考える方が正確だろう。

 それでも移住後の初期数年間に注目する意味はある。引っ越した直後には新しい土地で暮らし始めたという高揚感があり、見慣れない風景や店、道さえ新鮮に感じられる。しかし季節が一巡し、日々の生活が繰り返されるようになると、旅行者の目には見えなかった町の姿が少しずつ現れてくる。そこで初めて、その場所が「訪れるには魅力的な町」であることと、「毎日暮らす場所として自分に合っている町」であることが同じではないと気づくことがある。

 移住前に人を引きつけるのは、美しい自然や広い住宅、静かな環境、低い住宅価格かもしれないが、移住後に生活を支えるのは、それだけではない。仕事を続けられるか、収入に無理がないか、買い物や通院に困らないか、交通手段を確保できるか、困ったときに相談できる人がいるかといった、華やかではない生活条件が長期的には重くなってくる。

 実際、移住や定住に関する研究では、仕事や収入、生活利便性、地域の人間関係、家族との関係、地域への愛着、将来への不安など、複数の要因が居住継続の意向と関係していることが繰り返し示されている。したがって、人が町を離れる理由を「交通が不便だったから」「人間関係になじめなかったから」と一つの原因に還元するのは適切ではない場合が多い。現実には、それぞれ単独なら耐えられる程度の不便や不満が重なり、その人にとって「ここで暮らし続けることの負担」が徐々に大きくなることが考えられる。

 例えば、買い物のために毎回車を出さなければならないことだけなら、それほど大きな問題ではないかもしれない。ところが、それに加えて通院にも長い移動が必要で、仕事の選択肢も限られ、知人も少なく、何か困ったときに誰へ相談すればよいのか分からない状態が続けば、一つ一つは小さかった不便が生活全体の負担として感じられるようになる。重要なのは、一つの欠点の有無ではなく、その人の生活条件と地域環境との組み合わせなのである。

 ここで注意しなければならないのは、人間関係を重視することと、地域との濃密な付き合いを求めることは同じではないという点である。地域行事や自治会活動に積極的に参加することを好む人もいれば、一定の距離を保ちながら静かに暮らしたい人もいるため、地域への参加量を増やせば定着率も高くなると単純に考えることはできない。

 むしろ重要なのは、必要なときに孤立しないことである。毎週会う友人が大勢いなくても、困ったときに相談できる人が一人いること、道で顔を合わせれば言葉を交わせる人がいること、自分のことを少し知っている人が地域の中にいることは、生活の安心感を大きく変える可能性がある。研究でも、単なる接触の回数だけではなく、助けを求められる社会的な関係が居住継続意向と関連することが示されている。

 ただし、人は人間関係だけに定着するわけではない。自然環境への愛着、気に入った景観、住み慣れた家、行きつけの店、季節ごとの風景、毎日の散歩道といったものも、時間とともにその土地への結びつきを作っていく。このような地域への心理的な結びつきは Place Attachment(プレイス・アタッチメント・特定の場所に対する心理的・感情的な愛着)と呼ばれ、人との関係だけでなく、環境や生活経験、記憶などが重なって形成されると考えられている。

 移住したばかりの頃には、その町はまだ「自分が選んだ場所」にすぎない。しかし、春になればいつもの道の花が咲くことを知り、夏には混雑する場所が分かり、冬には風の強い道を避けるようになり、店に入れば顔を覚えている人がいるようになる。そうした小さな経験が積み重なるにつれて、町は地図上の住所から生活の記憶を持つ場所へと変わっていく。

 ところが、こうした長期居住者の姿を見るときにも注意が必要である。長く暮らしている人ほど地域への愛着が強いという調査結果があったとしても、それだけで「長く住めば愛着が強くなる」とは言い切れない。もともとその地域に愛着を持ちにくかった人が早い段階で転出し、愛着を持った人だけが長く残っている可能性もあるからだ。

 これは Survivorship Bias(サバイバーシップ・バイアス・残った人だけを観察することで生じる偏り)の一つであり、移住研究では特に注意しなければならない。現在住んでいる移住者だけに「この地域の良いところ」を尋ねれば、すでに地域を離れた人の経験が調査から抜け落ちてしまうため、本当に定着しなかった理由を知るには、転出した人も含めて調べる必要がある。

 同じ問題は、移住前の情報提供にも関係する。自治体や地域が移住者を増やそうとすると、自然の豊かさ、住宅価格、子育て環境、静かな暮らしなど、魅力を前面に出したくなる。しかし、良い面だけを強調すれば、移住希望者が描く生活と、実際の生活との間に大きな差が生まれる可能性がある。

 人の満足度を考えるうえでは、Expectation–Disconfirmation(エクスペクテーション・ディスコンファメーション・事前の期待と実際の経験との差によって満足度が変化する考え方)が知られている。期待していた生活と実際の生活が大きく食い違えば、その地域が客観的に悪い場所でなくても、不満は大きくなり得る。

 だから移住前に必要なのは、町を良く見せることだけではない。交通の不便さ、医療機関への距離、仕事の選択肢、冬の気候、地域独特の生活習慣なども含め、そこで暮らす現実をできるだけ具体的に伝えることが重要になる。ただし、「欠点を知らせれば定着率が上がる」とまで断定することはできない。より正確には、生活の現実を事前に理解してもらうことによって、移住前の期待と移住後の経験とのずれを小さくできる可能性がある、と考えるべきだろう。

 移住者を増やすことだけを目的にすれば、このような情報提供は一見不利に見える。交通が不便だと説明すれば移住をやめる人がいるかもしれず、仕事の選択肢が限られることを伝えれば別の地域を選ぶ人もいるかもしれない。しかし、それは必ずしも失敗ではない。その地域の生活条件と合わない人が移住前に別の選択をするのであれば、移住後の大きなミスマッチを防いだとも考えられる。

 ここには Self-selection(セルフ・セレクション・自分の条件や希望に合う選択肢を自ら選ぶこと)の問題がある。移住者を無差別に増やすのではなく、その地域の生活条件を理解したうえで選ぶ人が増えれば、少なくとも移住前後の認識差を小さくすることはできる。ただし、それが実際に転出率をどの程度下げるかは、長期間にわたる追跡調査によって確かめなければならない。

 行政や地域による移住後の支援についても同じである。移住した直後に説明会を一度開いて終わるのではなく、半年後、一年後、二年後と生活状況を確認する仕組みは合理的に思える。生活を始めてから初めて分かる問題は多く、困難が深刻になる前に相談先につながることができれば、問題の一部を軽減できる可能性があるからだ。

 しかし、ここでも「定期的に連絡すれば転出が減る」と簡単に断定するべきではない。継続支援を行った人と行わなかった人を比較し、その後の転出率まで追跡しなければ、本当に支援が効果を生んだのか、それとももともと地域に定着しやすい人が支援を利用していただけなのかを区別することは難しい。

 移住政策を本当に科学的に評価したいのであれば、移住者への満足度調査だけでは足りない。必要なのは、同じ時期に移住した人たちを一つの集団として追跡し、半年後、一年後、二年後、三年後、さらに可能であれば五年後に何人が残っているのかを調べることである。

 このように同じ時期に移住した集団を Cohort(コホート・共通の時期や条件を持つ集団)として追跡すれば、単に「今年は何人移住したか」という数字から一歩進んで、「移住した人が何年後にどの程度残っているか」を測ることができる。例えば、一年後に九二%、二年後に八六%、三年後に七八%、五年後に七二%が残っているのであれば、どの時期に転出が多いのかを具体的に見ることができる。

 さらに、こうした分析には Survival Analysis(サバイバル・アナリシス・ある出来事が起こるまでの時間を分析する統計手法)を利用できる。医療研究では治療後に患者がどれくらいの期間生存したかを分析するために使われる方法だが、移住研究では「移住してから転出するまでの期間」と読み替えることができる。

 この方法を使えば、三年という数字を最初から特別扱いする必要はない。実際のデータを見て、一年目に転出が集中しているのか、二年目から三年目に増えるのか、それとも五年以上経過しても一定の割合で転出が続くのかを確認できる。そうなって初めて、「この地域ではどの時期に支援を重点化すべきか」という政策判断が可能になる。

 さらに年齢、世帯構成、仕事、収入、住宅形態、交通利便性、医療へのアクセス、相談できる人の有無、地域への愛着、移住前と移住後の期待差などを記録すれば、どの条件が転出と関連しているのかを統計的に調べることもできる。ただし、ある要因と転出の間に関連が見つかったからといって、直ちに原因と結論づけることはできない。移住者自身の性格や価値観、家族の事情、転職、介護、結婚、離婚など、地域側では変えられない要因も転出には関係するからである。

 したがって、どれほど優れた移住政策を実施しても、転出をゼロにすることはできない。親の介護で故郷へ戻る人もいれば、仕事の都合で都市へ転居する人もおり、家族構成の変化によって生活拠点を変える人もいる。地域政策の目的は「誰も出ていかない町」を作ることではなく、「本来なら避けることができた転出を減らすこと」に置く方が現実的である。

 そのためには、転出を一つの現象として数えるだけではなく、その背景を分類しなければならない。仕事の問題なのか、収入なのか、交通なのか、医療なのか、住宅なのか、人間関係なのか、それとも移住前に想像していた暮らしとの違いなのか。複数の理由が重なっている場合もあるため、一つの選択肢だけを選ばせるような調査では実態を捉えにくい。

 そして何より重要なのは、残った人だけではなく、離れた人に尋ねることである。移住政策について考えるとき、現在も住んでいる人へのアンケートは実施しやすい。しかし、本当に知りたいのは、なぜ町を離れたのかという情報でもある。その声がなければ、成功した移住だけを見ながら政策を考えることになり、町を去った人が経験した問題は数字の外側に残り続ける。

 移住者が定着したかどうかを判断する最後の要素は、補助金の額でも、イベントの回数でも、交流会への参加人数でもない。仕事を続けられる、生活上の不便に対処できる、困ったときに相談先がある、自分なりの距離感で地域と関われる、そしてこの土地でこれからも生活していけると思えることが重なった結果として、居住継続という選択が生まれる。

 だから移住政策を見るときには、「今年何人来たか」だけではなく、「数年前に来た人が今どうしているか」を確かめる必要がある。その人は今も暮らしているのか、残った人は何によって生活を支えられたのか、離れた人はどこで困難を感じたのかを追跡していけば、移住者を呼び込む広告だけでは見えてこない地域の本当の姿が見えてくる。

 人口減少が続く社会では、新しい人を呼び込むことは確かに重要である。しかし、蛇口から水を入れる量だけを競いながら、水槽からどれほど水が流れ出しているのかを測らなければ、本当に水が増えているのかは分からない。移住政策もそれと同じであり、転入者数だけを成果として見る段階から、移住後の残存率まで継続して観察する段階へ進む必要がある。

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 移住して三年以内に町を離れる人を減らすために必要なのは、三年間だけ手厚く支援することではない。三年という数字を一つの観察期間として使いながら、その間に何が起きているのかを丁寧に測り、仕事、生活環境、人とのつながり、地域への愛着、移住前後の期待のずれを複合的に見ていくことである。

 そして本当の成果は、移住者募集の広告を見た人数でも、移住相談会の参加人数でもない。数年前にやってきた人が、その土地で新しい季節を迎えながら、「ここでこの先も暮らしていけそうだ」と思えていることなのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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