地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 外房の政治を考えるとき、東京から何キロ離れているかだけを測っても、この地域が抱えている本当の「遠さ」は見えてこない。人口密度が低く、比較的小規模な自治体が点在する地域では、鉄道、道路、河川、医療、介護、防災といった生活基盤の多くが、一つの市町村だけでは完結しない。一方で、国に制度改正や財政支援を求めようとしても、個々の自治体の人口や財政規模は限られており、単独で政策課題を解決することは難しい。

 こうした地域において、国会議員の仕事は法律案への賛否を表明することだけではない。複数の自治体が抱える課題を把握し、国や県の制度と地域の実情を結び付け、必要に応じて中央省庁や関係機関との協議を支援することも、地域選出議員に期待される役割の一つである。もっとも、政策を決定する権限は行政機関や議会などに分かれており、国会議員が個人の判断だけで予算や公共事業を決められるわけではない。

 そのような地域と中央政治の関係を、36年以上にわたって担ってきた政治家の一人が森英介である。森は1990年2月の第39回衆議院議員総選挙で初当選し、2026年2月の第51回総選挙まで13回連続で当選した。同月18日には第81代衆議院議長に就任し、議長選挙では投票総数464票のうち463票を得た。衆議院の公式経歴には、法務大臣、厚生労働副大臣、厚生労働委員長、原子力問題調査特別委員長、憲法審査会長などが並び、長期にわたって国会の重要な役職を経験してきたことが分かる。

 ただし、森を「外房の政治家」と呼ぶ場合には、地理的な範囲に注意が必要である。現在の千葉11区は、茂原市、東金市、勝浦市、山武市、いすみ市、大網白里市に加え、山武郡、長生郡、夷隅郡の町村を含む広域選挙区であり、海沿いの外房地域だけで構成されているわけではない。農村、地方都市、観光地、東京圏の外縁部など、人口構造や産業、交通条件の異なる地域を抱えているため、森の政治活動を外房だけの利害によって説明することも適切ではない。

 したがって、森英介の36年間を評価することは、一人の政治家の成功や失敗を論じることにとどまらない。房総東部という広い地域が中央政治とどのようにつながり、その関係から何を得たのか、さらに長期在職の有力議員が存在することにはどのような利点と限界があるのかを考える作業でもある。

技術者から政治家へ~専門性と世襲という二つの出発点

 森の経歴には、一般的な世襲政治家のイメージとは少し異なる特徴がある。東北大学工学部を卒業した後、川崎重工業に勤務し、原子力プラントの溶接に関する研究成果によって1984年に名古屋大学から工学博士号を取得した。1974年から1988年まで企業に勤務しており、若いころから議員秘書や地方議員として政治の世界だけを歩んできた人物ではない。

 企業で技術者として働いた経験と工学博士の学位は、森の経歴を考えるうえで重要な特徴である。研究開発の現場では、理論だけでなく安全性、品質管理、技術的制約、費用、工程管理などを総合的に考える必要がある。こうした経験が、後に労働、社会保障、原子力など専門性の高い政策分野を担当する際に役立った可能性はある。ただし、技術者としての経歴と政治家としての政策判断の質との関係を示す直接的な証拠があるわけではなく、専門知識を持っていたことだけで政治的な能力の高さを証明することはできない。

 一方、森の政治家としての出発点を、技術者が政治の世界へ転身して独力で支持基盤を築いた物語として描くことも正確ではない。父の森美秀は衆議院議員を務め、第2次中曽根内閣では環境庁長官に就任している。森英介が1990年に初当選した旧千葉3区には、父の政治活動を通じて形成された人脈や支持基盤が存在していたと考えるのが自然であり、政治的な基盤を持たない新人候補と同じ条件から選挙に挑んだわけではない。

 もっとも、世襲政治家であることと政治家としての能力は、論理的には別の問題である。親から引き継いだ支持基盤が初当選に有利に働いたとしても、その後の選挙で長期間勝ち続け、国会や政府の重要な役職を経験することまで、すべて世襲だけで説明できるわけではない。反対に、13回連続当選という結果を本人の能力だけに帰属させることもできない。政党支持、地域の政治的傾向、後援会組織、現職議員としての知名度、対立候補の状況、選挙制度など、多数の要因が結果に関係しているからである。

 さらに、森が初当選した1990年と2026年では衆議院の選挙制度も異なる。1990年は中選挙区制の下で実施され、1996年以降は小選挙区比例代表並立制による選挙となった。したがって、13回の当選を同じ制度条件の下で繰り返された結果として単純に比較することもできない。森の長期在職は確かな政治的実績だが、その背景には本人の資質だけでなく、政治制度や地域社会の構造も存在している。

国政での36年間~重要な役職を経験したことの意味

 森の国会活動を振り返ると、単に選挙に強かっただけの政治家と評価することは難しい。労働政務次官、厚生労働委員長、厚生労働副大臣、法務大臣、憲法審査会長などを歴任し、2015年には永年在職議員として衆議院から表彰されている。2026年には衆議院議長に就任しており、国会内で長期間にわたり一定以上の政治的地位を占めてきたことは明らかである。

 社会保障分野で具体的に確認できる活動の一つが、2002年の健康保険法改正である。当時、森は衆議院厚生労働委員長を務め、健康保険の本人負担などをめぐって与野党が対立した法案について、本会議で委員会の審査結果を報告した。この審議では野党側から委員長解任決議案も提出されており、森が社会保障制度改革をめぐる重要な政治過程に関与していたことが国会会議録から確認できる。

 ここで注意したいのは、政治家本人や政党が公表する「実績」と、国会会議録によって確認できる事実が必ずしも一致するとは限らないことである。自由民主党が過去に掲載した森の実績紹介には、2006年に衆議院厚生労働委員長として健康保険法改正案の成立に尽力したという趣旨の記述がある。しかし、2006年5月の国会会議録では、同改正案を審議した衆議院厚生労働委員長は岸田文雄である。森が委員長として健康保険法改正を扱ったことが確認できるのは2002年であり、2006年の改正を森個人の実績として扱うことは適切ではない。

 また、委員長や大臣などの役職を務めたことと、法律の内容を個人が決定したことも区別しなければならない。法律の制定には、政府内での検討、与党内の調整、国会審議、各会派の判断などが関係する。森が重要な役職を通じて法律審議に関与したことは確認できても、その法律の内容や成立を森一人の功績とみなすことはできない。

 2026年の衆議院議長就任についても同様である。国会法第19条に定められた議長の主な職務は、議院の秩序保持、議事の整理、事務の監督、議院の代表であり、政府予算を個人的に配分したり、地元の公共事業を直接決定したりする権限ではない。議長就任は国会内での経験や政治的信任を示す一方、議事運営における公平性と中立性を求められる立場への転換でもある。

 したがって、森が国政で重要な地位に到達したことは評価できるものの、その地位の高さと、個別政策への実質的な影響力、さらには地元への利益を同一視すべきではない。政治家の経歴を評価する際には、どの役職を経験したかという事実と、その役職においてどのような成果を生み出したかという問題を分けて考える必要がある。

法務大臣時代に見える評価の分かれる政治家像

 森が初めて入閣したのは2008年の麻生内閣で、法務大臣に就任した。同時期の重要な法制度上の課題の一つが国籍法改正である。

 2008年6月、最高裁判所は、日本人の父から出生後に認知された子について、父母が結婚しているかどうかによって日本国籍取得に差を設けていた当時の制度の一部を違憲と判断した。この判決を受け、森は法務大臣として、憲法に適合する制度へ改めるための国籍法改正案を国会に提出したと説明している。法案は同年11月の衆議院法務委員会で全会一致により可決されており、森が政府の責任者として法制度の是正に関与したことが確認できる。

 ただし、この改正は森が独自の政策思想によって一から構想した改革というより、最高裁判決によって明らかになった憲法上の問題に対応するための制度改正だった。司法判断を受けて行政が法案を作成し、国会が審議するという憲法上の仕組みの中で、法務大臣として役割を果たしたと評価する方が正確である。

 一方、法務大臣在任中には、死刑執行という極めて重い判断も行っている。当時の記録によると、森の在任中には2008年10月に2人、2009年1月に4人、同年7月に3人の死刑が執行され、合計9人となった。東京弁護士会は当時、死刑執行に反対する声明を公表しており、森の判断に対する批判も存在していた。

 日本の法律では、死刑の執行は法務大臣の命令によるものとされているため、森による執行命令は制度上の権限行使だった。しかし、現行法に基づく職務の遂行であったことと、その判断が倫理的、社会的に正しかったかどうかは別の問題である。確定した刑罰を法律に従って執行することを重視する立場がある一方、死刑制度そのものの廃止や執行停止を求める立場も存在する。

 このため、森を「決断力のある法務大臣だった」と賞賛だけで評価することも、「多数の死刑を執行した法務大臣だった」と批判だけで評価することも、十分ではない。確認できるのは、森が法務大臣として国籍法改正への対応と死刑執行命令という異なる性格の職務を担ったことであり、それぞれの政策や判断に対する価値評価は、事実関係を明確にしたうえで論じる必要がある。

外房の道路、鉄道、河川整備に森はどう関わったのか

 国政での経歴を評価するのであれば、森は13回当選し、法務大臣や衆議院議長まで務めた有力政治家だったという説明が可能である。しかし、地域政治を考えるうえで重要なのは、こうした国会内での地位が外房や房総東部の暮らしにどのような意味を持っていたのかという問題である。

 地方選出の国会議員を評価するとき、道路の開通、河川改修、鉄道施設の整備などが実績として語られることがある。しかし、公共事業は一人の政治家によって実現するものではない。道路であれば国土交通省、県、市町村、関係する道路管理者、財政当局、地権者、地域団体などが関与し、計画から完成まで長い期間を必要とする。河川改修や鉄道施設の整備についても、多数の関係主体による調整と継続的な予算措置が必要である。

 そのため、「森が圏央道を造った」「森がいたから河川改修が実現した」という説明には慎重でなければならない。国会議員が事業を要望したこと、その要望を関係機関が受け取ったこと、実際に予算が付いたこと、事業が完成したことは、それぞれ異なる事実である。個人の政治的貢献を確かめるには、要望の内容、政策決定の経緯、予算措置の時期、ほかの関係者の活動を比較する必要がある。

 もっとも、森が地域と中央政府を結ぶ要望活動に長期間関わっていたことについては、自治体の公的資料から具体的に確認できる。

 勝浦市では、国道128号と297号のアクセス改善を求め、2008年7月に市長、市議会議長、商工会長、観光協会長らが森を含む国会議員や国土交通省などへ要望活動を行ったことが、市議会会議録に記録されている。地域の道路交通上の課題を、自治体と経済団体が共同で国へ働きかけた事例であり、その活動に森が関わっていたことは確認できる。

 いすみ市では、外房線の快速列車を勝浦まで延伸することなどを求める要望活動に森が同行している。2018年の市の広報資料には、森英介衆議院議員とともに国土交通副大臣、東日本旅客鉄道本社、千葉支社などへ要望書を提出したことが記載されている。鉄道の運行や利便性の改善は鉄道事業者の経営判断や輸送需要などにも左右されるため、要望活動への同行と実際の運行改善を同じ成果として扱うことはできないが、森が地域の要望を中央の関係機関へ届ける活動に参加していたことは明らかである。

 御宿町でも、御宿駅へのエレベーター設置をめぐり、2017年度と2019年度に森へ要望文書を提出した記録が残っている。駅のバリアフリー化は、高齢化の進む地域にとって重要な生活基盤の課題であり、町は東日本旅客鉄道や国土交通省などとの協議を継続してきた。ただし、この事業についても、要望を受けた政治家の関与が実際の事業判断にどの程度影響したのかを確認できる資料は限られている。

 茂原市では、一宮川水系の河川整備をめぐって同様の活動が確認できる。2024年12月、茂原市議会は河川整備促進に関する要望活動を行い、森へ直接要望書を手渡している。2025年にも県選出の国会議員に対する要望活動が続いており、豪雨災害への対応や河川整備が継続的な地域課題となっていることが分かる。

 ただし、茂原市の要望活動は森だけを対象にしていたわけではなく、ほかの複数の国会議員にも働きかけている。この点は、地域政治を評価するうえで見落としてはならない。自治体は特定の一人だけに依存して国へ要望するのではなく、複数の議員や行政機関との関係を利用して政策実現を目指しているからである。

 これらの資料から確認できるのは、森が房総東部の自治体による要望活動の経路の一つとして、繰り返し関与してきたという事実である。一方、その働きかけが行政判断をどの程度変えたのか、ほかの国会議員と比べてどの程度大きな影響力を持っていたのか、森がいなければ実現しなかった事業があったのかについては、十分な証拠がない。

 したがって、森の地域政治家としての役割を評価する場合、「自分一人で事業を完成させた政治家」と説明するよりも、自治体と中央政府を結ぶ政治的な経路の一つとして長期間機能してきた人物と捉える方が、公的資料に忠実である。その機能には実務的な価値があった可能性があるが、具体的な成果や貢献度を確定するには、個々の事業についてさらに検証する必要がある。

13回連続当選は、地域からの支持をどこまで示すのか

 森が36年以上にわたり衆議院議員であり続けたことは、選挙で繰り返し議席を獲得してきた結果である。世襲による支持基盤や政党組織の支援があったとしても、選挙で勝利しなければ議席は維持できない。その意味で、13回連続当選という結果は政治的な強さを示している。

 2026年2月8日の第51回衆議院議員総選挙では、森は千葉11区で102,843票を獲得し、50,561票の多ケ谷亮、13,783票の椎名史明を上回って当選した。3候補の有効得票総数は167,187票であり、森の得票率は約61.5パーセントとなる。次点候補との差は52,282票に達しており、有効票に占める割合と得票差の双方から、選挙で大きく優勢だったことが分かる。

 ただし、選挙結果を地域全体の支持と読み替えるときには、分母の違いに注意する必要がある。千葉11区の有権者数342,740人に対して森の得票数102,843票は約30.0パーセントに相当する。したがって、有効投票の約6割を獲得したことは正しいものの、選挙区の全有権者の6割が森を積極的に支持したという意味にはならない。

 もっとも、全有権者に対する得票割合が約30.0パーセントだったからといって、森の支持率が30.0パーセントだったと結論づけることもできない。投票しなかった有権者の中にも森を支持する人がいた可能性があり、逆に明確な支持政党や候補者を持たなかった人もいたと考えられる。選挙結果から直接確認できるのは、実際に投票した有権者の選択であり、棄権者を含む有権者全体の政治的意思を完全に測定できるわけではない。

 さらに、選挙における勝利と政策に対する評価も同一ではない。有権者は候補者本人の実績だけでなく、政党への支持、政府への評価、対立候補との比較、地域の人間関係などを総合して投票する。13回の当選は森が選挙で長期にわたり競争力を維持したことを示すが、そのすべてを地域政策への高い評価の結果と解釈することはできない。

 このように、有効票に占める得票率、有権者全体に占める得票割合、地域住民の政治的支持、政策に対する評価は、それぞれ異なる指標である。森の選挙での強さを認めることと、その強さを地域全体からの全面的な信任とみなさないことは、矛盾する判断ではない。

有力国会議員が36年間いても、人口減少は続いた

 森の国会議員としての36年間を外房の人口動向と重ねると、地域が直面してきた構造的な変化が見えてくる。森が初当選した1990年と現在では、地域の年齢構成、産業構造、交通需要、行政サービスを維持する条件は大きく変わっている。特に人口減少と高齢化は、地域政治が避けて通れない課題となっている。

 千葉県の人口統計によると、夷隅地域の65歳以上人口割合は2024年の44.9パーセントから、2025年には45.3パーセント、2026年4月1日現在では46.0パーセントへ上昇している。2026年の数値は県内11地域の中で最も高く、地域の高齢化が継続していることが確認できる。市町村別では御宿町の65歳以上人口割合が54.4パーセント、勝浦市が48.1パーセントとなっており、地域内でも特に高齢化が進んでいる自治体が存在する。

 人口についても減少傾向が続いている。千葉県の毎月常住人口調査では、2026年6月1日現在の夷隅地域人口は60,795人とされている。ただし、この調査と住民基本台帳に基づく年齢別人口調査では、人口の把握方法や基準が異なる。例えば、住民基本台帳に基づく2025年の人口64,248人と、毎月常住人口調査による2026年6月の60,795人を単純に差し引き、その差を約1年間の人口減少として扱うことはできない。

 人口の長期的な変化を正確に分析するためには、調査方法と地域区分を統一し、複数時点の人口を比較する必要がある。森の在職期間全体との関係を論じるのであれば、1990年、2000年、2010年、2020年などの国勢調査人口を用い、同一の地域範囲で人口、年齢構成、人口移動を追跡する方法が適切である。人口減少を論じる際には、異なる統計系列を接続して見かけ上の減少を大きく見せないことも重要である。

 では、有力な国会議員が長期間存在したにもかかわらず人口減少と高齢化が進んだことを、森の政治活動の失敗と判断できるだろうか。結論からいえば、それだけでは判断できない。人口動態は、出生と死亡、若年層の進学や就職、賃金水準、住宅事情、地域産業、医療や教育の供給、都市部への人口集中など、多数の要因によって決定される。一人の国会議員の活動だけで人口構造が決まるわけではない。

 統計学や因果推論の観点から考えると、観測できるのは森が議員を務めてきた外房の実際の変化であり、同じ地域で森だけが議員でなかった場合の変化を同時に観測することはできない。したがって、現在の人口減少を森個人の失敗に帰属させることも、反対に森がいたから人口減少が抑えられたと断定することもできない。

 ただし、直接観測できないからといって、政治的な影響の分析がまったく不可能になるわけではない。人口構造や産業条件の近い地域との比較、個別政策の実施前後の変化、道路や交通の改善による経済的効果の推計、予算措置の決定過程の追跡などを組み合わせれば、一定の範囲で政策効果を推定することは可能である。重要なのは、比較対象の選び方や地域固有の条件によって結果が左右されることを理解し、単純な相関関係を因果関係と取り違えないことである。

 ここから導かれるのは、森英介個人が人口減少対策に失敗したという結論ではない。有力な国会議員が長期間存在しても、人口減少や高齢化という構造問題は解消されなかったという事実である。この事実は、道路や施設の整備、国からの財政支援だけでは人口構造の変化に十分対応できない可能性を示唆している。ただし、それだけで従来の地域振興政策がすべて無効だったと証明されるわけでもない。

森英介は外房に必要な政治家だったのか

 ここで、最初の問いに戻りたい。森英介は外房に必要な政治家だったのだろうか。

 この問いに対して、72点や85点といった総合点を与えることは適切ではない。国会内での地位、地域要望への関与、公共事業への貢献、人口減少への影響、有権者からの支持などは、それぞれ測定対象も単位も異なっている。恣意的な重みを設定して合計しても、その数字が科学的な意味を持つとは限らない。数理的な分析では、測定できる対象と測定できない対象を区別し、不確実なものを正確に測定できたかのように扱わないことが重要である。

 まず、国政での経歴については、森が重要な政治的地位に到達したことは明確である。13回連続で当選し、法務大臣、厚生労働副大臣、憲法審査会長などを経験して衆議院議長に就任した事実は、国会内で長期間にわたり一定の地位と信任を得てきたことを示している。ただし、役職の高さだけで個別政策への影響力の大きさまで証明されるわけではない。

 地域と中央政府を結ぶ機能についても、一定の事実が確認できる。勝浦市、いすみ市、御宿町、茂原市などの公的資料には、森が自治体の要望活動に同行したり、要望を受け取ったりした記録が存在している。これは、森が地元との関係を持たない中央政治家ではなく、地域の政策課題を国へ伝える活動に関与してきたことを示している。

 一方で、その関与が具体的な行政判断や事業の進捗にどの程度影響したのかは、十分に明らかになっていない。公共事業は複数の主体による共同の取り組みであり、実現した事業を特定の政治家一人の功績に帰属させることはできない。さらに、森以外の国会議員や自治体独自の交渉によって同様の結果が得られた可能性も排除できない。

 長期在職と地域課題の解決についても評価は分かれる。人口減少、高齢化、公共交通の維持、医療や介護の人材不足といった問題が残っていることは事実だが、それらを森一人の責任とみなすことは合理的ではない。一方、そうした構造問題が解決されなかったにもかかわらず、長く議員を務めたという理由だけで地域への貢献を高く評価することも適切ではない。

 こうして整理すると、確認できる範囲での評価は限定的なものになる。森英介は、国政で重要な地位を経験し、外房・房総東部の自治体が中央政府へ働きかける際の政治的な経路の一つとして継続的に機能してきた。その活動には地域にとって一定の実務的価値があった可能性がある。しかし、森個人の貢献がどれほど大きかったのか、別の政治家では同じ役割を果たせなかったのか、森が存在しなければ地域がどのような状況になっていたのかについては、現在確認できる資料だけでは判定できない。

 つまり、「役割を果たしてきたこと」「地域にとって価値があったこと」「不可欠な存在だったこと」は、それぞれ異なる命題なのである。最初の命題には具体的な裏付けがあり、二番目についても一定の可能性が認められるが、三番目を証明するだけの根拠はない。

36年の長期在職が生んだ利点と、依存の可能性

 同じ地域から長期間にわたって国会議員を務めることには、実務上の利点がある。中央省庁の制度や予算編成の仕組み、国会の審議過程、政党内の政策調整などに関する知識は、長い政治経験を通じて蓄積される。関係者との継続的な接点が形成されれば、自治体が課題を相談する際にも、必要な機関や担当部局につながりやすくなる可能性がある。

 特に小規模自治体では、国の制度改正や予算要求に精通した職員を十分に確保することが難しい場合がある。国会議員が行政制度に関する情報を提供し、関係機関との協議の機会をつくることには、一定の実務的価値があると考えられる。ただし、国会議員の経験年数が長いほど要望が採択されやすいという関係が、森の事例で実証されたわけではない。

 他方、長期在職には政治的な依存を生む可能性もある。地域の課題を国に伝える際、特定の有力議員を通すことが慣行となれば、その方法は短期的には効率的であっても、別の交渉経路を整備する必要性が意識されにくくなるかもしれない。議員の引退や落選、政権や政党内での立場の変化が起きたとき、それまでの関係に依存していた自治体が対応に苦慮する可能性も考えられる。

 もっとも、森の選挙区において、そのような依存が実際に生じ、ほかの交渉経路が育たなかったことを証明する資料はない。茂原市などの要望活動では複数の国会議員に働きかけており、自治体が必ずしも森一人に依存していたわけではないこともうかがえる。したがって、長期在職による政治的依存は、森の活動から確認された結論ではなく、検討すべき制度的なリスクとして捉える必要がある。

 この問題は、森が父の政治基盤を引き継いだ世襲政治家であることとも関係する。政治家個人に蓄積された人脈や経験は、選挙による世代交代の際に自動的に引き継がれるものではない。政治家の交代によって地域の政策形成能力が失われるのであれば、それは個人の問題であると同時に、自治体や地域社会の制度的な問題でもある。

 地域と中央政府の関係を一種の社会的なネットワークと考えるなら、一人の有力議員を通じる経路は重要な資源になり得る。しかし、地域全体の政治的な対応力を高めるためには、国会議員だけでなく、県、市町村、広域行政組織、経済団体、医療機関、住民組織などが、それぞれ必要な情報と交渉能力を持つことも重要である。

 森が長く議席を維持してきたことと、外房の政治的な仕組み全体が十分に強かったことは同じではない。前者は選挙と国会での経歴から確認できるが、後者を評価するには、政治家が交代しても自治体間の協力や国との協議が継続できるかという、別の基準が必要になる。

「何を造る政治」から「何を維持する政治」へ

 森が初当選した1990年、日本はバブル経済の終盤にあり、地方政治では高速道路、幹線道路、公共施設、産業基盤の整備などが重要な政策課題となっていた。交通条件を改善し、企業活動や観光を促進し、都市部との時間的な距離を縮めることが、地方の発展につながると考えられていた時代である。

 もちろん、当時の地方政策が公共事業だけで成り立っていたわけではないし、道路や鉄道の整備が無意味だったわけでもない。交通基盤の改善は物流、通勤、観光、救急搬送、災害時の移動などに影響するため、人口減少が進む地域でも一定の必要性がある。重要なのは、公共事業の実施そのものを成果とするのではなく、その事業によって住民の生活や地域経済にどのような効果が生じたのかを検証することである。

 36年後の外房では、地域政策に求められる内容が変化している。新しい道路を整備する必要性が残る一方で、既存の道路や橋の補修、水道管の更新、河川施設の維持、鉄道や路線バスの運行、医療・介護サービスの確保など、現在ある生活基盤をどのように維持するかという課題が大きくなっている。

 人口減少が進めば、公共施設の利用者が減るだけでなく、税収や使用料収入にも影響が生じる可能性がある。施設を維持する費用は利用者の減少に比例して小さくなるとは限らず、老朽化による修繕費用が増加する場合もある。そのため、人口が減る地域では、一人当たりの維持費用が上昇するという財政的な問題が生じやすい。

 さらに、生活基盤の維持には財源だけでなく人材も必要である。病院まで移動できなくなった高齢者を誰が支援するのか、介護職員や看護職員をどのように確保するのか、水道工事や電気設備の修繕を担う事業者が減ったときにどう対応するのか、消防団員や地域の防災活動を担う住民が減少した場合にどのような仕組みをつくるのか。こうした課題は、一つの公共施設を整備するだけでは解決できず、財政、労働市場、人口構造、行政運営を横断して考える必要がある。

 このような状況では、政治の評価基準も変わらなければならない。従来のように新しい道路や施設を何件整備したかという指標だけでなく、既存施設をどの程度維持できたか、住民の移動手段を確保できたか、医療や介護へのアクセスを保てたか、限られた財源をどのように配分したかといった指標が重要になる。

 ただし、「何を造る政治」から「何を維持する政治」への転換は、新規整備をすべて否定することではない。老朽化した施設の統廃合が必要になる場合もあれば、新しい道路や交通手段への投資によって、将来の維持費用を抑えられる場合もある。人口減少社会において重要なのは、建設か維持かという単純な二者択一ではなく、将来人口、利用需要、更新費用、地域への便益を比較しながら、限られた資源を合理的に配分することである。

 森英介は、地方の交通基盤や公共施設の充実が重視された時代から、人口減少を前提に生活基盤の再編を考えなければならない時代までを、同じ地域を選挙基盤として経験してきた。その意味で、森の36年間は一人の政治家の経歴であると同時に、日本の地方政治に求められる役割が変わってきた36年間でもある。

地域が政治家に依存しないために必要なもの

 今後の外房にとって重要なのは、国会議員に地域の要望を届けてもらう仕組みを否定することではない。国会議員には国民の代表として法律や予算を審議する役割があり、地方自治体が国の政策形成過程に意見を届けることにも合理的な意味がある。ただし、その仕組みが特定の政治家の個人的な人脈や地位に過度に依存しないようにすることが、長期的な地域運営では重要になる。

 例えば、複数の市町村に共通する医療、交通、河川、防災の課題については、自治体ごとに個別の要望を繰り返すだけでなく、広域的な需要や費用を分析し、共通の政策目標を明確にすることが考えられる。人口推計、交通利用実績、医療機関への移動時間、施設の更新費用などの客観的なデータが整理されていれば、国や県との協議においても、地域側が政策の必要性を具体的に説明しやすくなる。

 また、要望活動の成果を評価する仕組みも必要である。国会議員や中央省庁へ要望書を提出したという事実だけで活動を終わらせるのではなく、その後にどのような回答があり、予算や制度にどのような変化が生じ、実際に住民の生活へどの程度の効果があったのかを継続的に確認することが重要になる。政治家への働きかけを記録するだけでなく、政策の実現過程と結果を検証できる形にすることが求められる。

 さらに、自治体職員の政策立案能力、広域連携を調整する仕組み、住民に情報を公開する制度などを整備することも必要である。特定の議員が交代しても、地域の側に課題を分析し、優先順位を決定し、国や県と交渉する能力が残っていれば、政治的な環境の変化に対する対応力は高まると考えられる。

 こうした取り組みは、国会議員の役割を小さくするものではない。むしろ、地域側が十分な情報と政策案を持つことで、議員も具体的な課題を国会や政府へ届けやすくなる可能性がある。政治家個人の力量と自治体の政策形成能力を対立させるのではなく、双方が補完し合う仕組みをつくることが重要なのである。

森英介の36年が外房に残す問い

 森英介を礼賛する必要もなければ、長く議席を維持したことだけを理由に否定する必要もない。確認できる公的資料からは、森が国政で重要な役職を経験し、房総東部の自治体が中央政府へ要望する際の政治的な経路の一つとして長期間機能してきたことが分かる。その活動が地域に一定の実務的な価値を持っていた可能性は十分にある。

 一方で、道路、河川、鉄道などの整備に対する森個人の因果的な貢献度は、現在確認できる資料だけでは判定できない。人口減少や高齢化を森の政治活動の失敗とみなすこともできなければ、森がいたことによって地域の衰退が抑えられたと証明することもできない。政治家の功績を評価するには、経歴や要望活動の記録だけでなく、実際の政策決定過程と効果をさらに検証する必要がある。

 したがって、「森英介は外房に必要な政治家だったのか」という問いへの答えは、単純な肯定にも否定にもならない。森が地域と中央政府の間で具体的な役割を担ってきたことは確認でき、その役割に実務的な価値があった可能性も認められる。しかし、森でなければ同じ役割を果たせなかったのか、森がいなければ地域がどのような状況になっていたのかを示す十分な証拠はない。少なくとも、森が外房にとって不可欠な存在だったと断定することはできない。

 2026年2月18日、森は衆議院議長に就任し、1990年の初当選から続く政治家としての経歴は一つの到達点を迎えた。しかし、国会で最高位の役職の一つに就いたことが、そのまま地元の生活課題を解決したことを意味するわけではない。地域にとって重要なのは、政治家の地位の高さだけでなく、その政治活動が生活基盤の維持や地域の将来にどのようにつながってきたのかという問題である。

 そして、森の36年間を振り返ることで、もう一つの問いが浮かび上がる。地域が長期間にわたって有力な国会議員との関係を持っていたとしても、その人物が引退したり、政治的な立場が変わったりしたとき、自治体は同じように国や県と協議し、必要な政策を実現できるのだろうか。

 人口減少が進む外房では、道路や施設を新しく整備する能力だけでなく、限られた財源と人材の中で生活基盤を維持する能力が問われている。国会議員の政治力はそのための手段の一つになり得るが、それだけで地域の将来が決まるわけではない。

 森英介の36年間を評価するという作業の最後に残るのは、一人の政治家に点数を付けることではない。地域の課題を客観的なデータによって把握し、複数の自治体が協力し、国や県との交渉経路を維持しながら、住民の生活を支える仕組みを築けるかどうかである。

 森英介という長期在職の有力政治家が果たしてきた役割を検証すると同時に、特定の政治家がいなくても地域が必要な政策を実現できる仕組みを整えられるのか。これこそが、人口減少時代の外房にとって、過去の政治家への評価以上に重要な問いなのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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※本記事は、2026年10月9日時点の住宅関連制度、建物の維持管理に関する資料、住宅リフォーム費用の調査結果などを踏まえて加筆・更新したものです。掲載する物件価格は過去の売出情報であり、現在の販売状況を示すものではありません。また、30年間の住宅費は複数の条件を設定した試算であり、実際の費用の平均値や予測結果を示すものではありません。

 不動産情報を眺めていると、ときどき時間が二十年ほど巻き戻ったような価格の住宅に出会うことがある。土地付き一戸建て、500万円。都市部で暮らしてきた人なら、最初は何かの間違いではないかと思うかもしれない。500万円なら自動車一台の価格と大きく変わらず、月6万円の家賃を30年間払い続ければ2160万円になるのだから、500万円で家を買えるなら購入した方が得ではないかと考えるのも自然である。

 しかも、500万円という住宅価格は、千葉県の外房地域では決して空想の数字ではない。2026年8月時点のいすみ市では、大原に498万円、岬町中原に500万円、岬町榎沢に450万円、高谷に520万円という中古戸建ての売出情報が確認されている。ただし、これらはいすみ市の中古戸建住宅全体の平均価格を示すものではない。実際には建物の規模や築年数、立地条件などが大きく異なり、岬町中原の物件は建物面積が約24平方メートルと小さい一方、高谷の物件は2009年築であり、必ずしも築年数の古さだけで低価格になっているわけではない。

 今回取り上げるのは、そうした外房などの人口減少地域で実際に見られる低価格帯の中古戸建住宅のうち、築35年程度の木造住宅を500万円で購入し、さらに30年間住み続けるというモデルケースである。個別の売出物件について、将来の修繕費を見積もったものではない。

 住宅を購入するとき、私たちは広告に書かれた500万円という数字を、その家の値段だと考えがちである。しかし、それは30年間にわたって発生する住宅費の入口に示された金額にすぎない。購入した後には修繕費、設備交換費、固定資産税、保険料などが続き、最後には売却できるのか、解体する必要があるのかという問題まで待っている。

 では、500万円で購入した中古住宅に30年間住むと、実際にはどれほどの費用を想定しなければならないのだろうか。

500万円の家を買った日から、もう一つの時計が動き始める

 スーパーで500円の商品を買えば、500円を支払ったところで取引はほぼ終わる。自動車も購入後に税金や保険、整備費はかかるが、最後には売却や廃車によって所有を終わらせることができる。ところが住宅は、購入してからも長期間にわたり支出が続き、建物を解体しても土地の所有や管理という問題が残ることがある。

 500万円の住宅を購入する際には、売買代金以外にも費用が発生する。不動産会社を通じて購入すれば仲介手数料がかかることがあり、所有権移転登記などに伴う登録免許税や司法書士への報酬、不動産取得税、契約に関する費用なども考えなければならない。古い住宅では購入後すぐに修繕が必要になることもあり、物件価格だけを用意しても、そのまま生活を始められるとは限らない。

 特に低価格の中古住宅では、購入価格が安いからといって諸費用まで同じ割合で安くなるわけではない。国土交通省は2024年7月から、売買価格800万円以下の「低廉な空家等」について、不動産業者が依頼者の一方から受領できる仲介手数料の上限を税込33万円とする特例を設けている。この特例は、実際に空き家として使用されていない期間の長さだけで適用が決まるものではなく、一定の条件を満たす低価格物件が対象となる。ただし、33万円はあくまで上限であり、必ずその金額が請求されるわけではない。適用に当たっては、仲介依頼時の説明や合意も重要になる。

 仮に500万円の住宅の仲介手数料が33万円になれば、それだけで購入価格の6.6%に相当する。一方、取得時の税負担には軽減制度も存在する。千葉県では2026年4月1日以降に取得する自己居住用の中古住宅について、床面積40平方メートル以上240平方メートル以下であることや、一定の耐震基準を満たすことなどの要件に該当すれば、不動産取得税の軽減を受けられる場合がある。したがって、築年数や建物の規模、耐震性能、取引方法によって取得時の費用は変化する。

 今回は、こうした仲介手数料、登記費用、税金、その他の手続き費用をまとめて70万円と仮定する。この70万円は、いすみ市の500万円程度の中古住宅について実測された平均額ではなく、計算を分かりやすくするための設定値である。実際には、取得税の軽減や仲介の有無などによって増減する。

 この仮定では、500万円の住宅を取得するための支出は570万円になる。まだ屋根も外壁も直しておらず、給湯器や浴室を交換していない段階で、すでに売出価格を70万円上回っている。しかし、住宅の長期費用を考えるうえで重要なのは、その後に何が起こるかである。

中古住宅を買うということは、家の「過去」も買うことである

 築35年の中古住宅を購入したとする。購入者にとっては、その日が住宅所有の1日目であるが、建物にとっては35年という時間がすでに経過している。新築住宅を購入して30年間住めば建物は築30年になるのに対し、築35年の中古住宅を購入して30年間住めば、最後には築65年になる。

 住宅の購入を検討するとき、この時間の違いは重要である。屋根、外壁、給排水管、浴室、給湯設備などにはそれぞれ使用年数があり、購入した日を境に部材の劣化が最初から始まるわけではない。前の所有者が屋根を交換していれば屋根の更新時期は新しくなるが、一度も交換していなければ、購入後まもなく大規模な工事が必要になる可能性もある。

 国土交通省関係の木造戸建住宅の維持保全計画の記入例では、基礎などを定期的に点検し、屋根について20年程度で全面的な葺き替えを検討する例や、外壁について15年程度で全面補修を検討する例などが示されている。ただし、これらは維持保全計画の参考例であって、すべての住宅が同じ年数で工事を必要とすることを意味しない。屋根材や外壁材の種類、施工品質、気候、過去の維持管理によって、実際の更新時期は異なる。

 さらに、住宅の老朽化は築年数だけでは決まらない。雨漏りの有無、床下の湿気、シロアリ被害、地盤条件、配管の材質、建築時の施工状態などが建物の耐久性を左右する。外房のような沿岸地域では、海からの距離や周辺環境によって塩害への注意も必要になるが、同じ市内の住宅であっても影響の程度は一様ではない。

 つまり、中古住宅の購入者は建物そのものだけでなく、それまでの維持管理の結果も引き受けることになる。住宅の状態が良好で、主要な部材が適切に交換されていれば、古い住宅でも長く住める可能性がある。一方、必要な補修が先送りされてきた住宅では、購入価格が安くても取得後の費用が大きくなることがある。

 この違いを考えるために、30年間の費用を3つのケースに分けて試算してみよう。

30年間の住宅費を考えるための前提

 今回の試算では、購入価格を500万円、取得時諸費用を70万円、購入時の築年数を35年、居住期間を30年とする。住宅は途中で売却せず、30年間継続して所有・居住するものとし、建物の状態によって修繕費が異なる3つのケースを設定する。

 ここで注意しなければならないのは、以下の金額が実際の住宅修繕費の統計から求めた平均値や予測区間ではないことである。修繕費、税金、保険料、予備費に異なる条件を与えたシナリオ分析であり、それぞれのケースが発生する確率は分かっていない。また、予備費については全額を使った場合の金額を合計しているため、使わずに残った場合は実際の支出がその分少なくなる。

 さらに、物価上昇、住宅ローン金利、購入資金の運用機会、30年後の売却収入や解体費用については、基本計算に含めない。したがって、これから示す金額は、建物の状態に応じて30年間の現金支出がどの程度変わり得るかを理解するための参考値である。

最初の未来~大きな故障を免れた「低修繕ケース」

 まず、比較的良好な状態の中古住宅を購入できた場合を考える。購入前の維持管理が適切で、屋根や外壁に大きな問題がなく、入居時に必要な修繕も50万円程度で済んだとする。その後30年間の小規模修繕を120万円、屋根や外壁などの比較的大きな修繕を150万円、給湯器や水回りなどの住宅設備更新を150万円と設定する。

 これに固定資産税120万円、住宅関連の保険料90万円、突然の故障などに備える予備費60万円を加え、購入価格500万円と取得時諸費用70万円を合算すると、30年間の想定総額は1310万円になる。固定資産税は年平均4万円、保険料は年平均3万円という仮定であり、実際の物件の税額や保険料を推計したものではない。

 1310万円という金額は購入価格500万円の約2.62倍に相当するが、30年間の360か月で均等に割れば月額約3万6400円となる。予備費60万円を使わなかった場合の実支出は1250万円であり、月額換算では約3万4700円になる。

 月6万円の賃貸住宅に30年間住み、家賃が変わらなかった場合の支払総額は2160万円である。この単純比較では、低修繕ケースの持ち家は賃貸より850万円少ない支出となる。ただし、住宅の広さや立地、設備、断熱性能などが同等であるとは限らず、購入時に支払う500万円を別の用途に使えた可能性も考慮していないため、この差額だけで持ち家の方が有利だと断定することはできない。

 それでも、建物の状態が良好で、大きな修繕を避けながら長期間住めるのであれば、格安中古住宅が家計にとって合理的な選択になる可能性は十分にある。ただし、その前提となるのは購入価格の安さではなく、購入後の修繕費を比較的低く抑えられる建物状態である。

二つ目の未来~修繕が一定程度続く「中修繕ケース」

 次に、入居時から一定の修繕が必要になり、その後も定期的に設備更新や建物補修を行うケースを考える。購入後に浴室や給湯器、内装などを整えるため200万円を支出し、30年間の小規模修繕に200万円、屋根や外壁などの大規模修繕に300万円、給湯器や水回りなどの住宅設備更新に250万円を見込む。

 さらに固定資産税180万円、保険料120万円、予備費120万円を設定し、購入価格500万円と取得時諸費用70万円を加えると、30年間の想定総額は1940万円になる。これは購入価格の約3.88倍であり、360か月で割ると月額約5万3900円に相当する。予備費を使わなかった場合の支出は1820万円で、月額換算では約5万600円となる。

 ここで重要なのは、このケースを統計的な意味での平均的な住宅費とは考えないことである。2025年度の住宅リフォームに関する消費者実態調査では、一戸建て住宅のリフォーム費用は平均470.1万円と報告されている。また、築30年以上40年未満の住宅では平均351.2万円という結果も示されているが、こちらの築年数別集計には戸建て住宅以外も含まれる。いずれも調査対象者が実施したリフォームの費用であって、すべての住宅について30年間の累積修繕費を調べた数字ではない。

 したがって、入居時修繕200万円や、その後の大規模修繕300万円という設定は、実際に考えられる工事規模ではあるものの、今回の1940万円が最も発生しやすい住宅費だと証明されたわけではない。ここでは、低修繕と高修繕の間に位置する一つの条件設定として扱う。

 このケースでの月額換算約5万3900円は、月6万円の賃貸住宅にかなり近い。しかし、賃貸では住宅の所有権が得られない一方、購入した住宅には30年後も土地と建物が残るため、支出額だけを比べるのは十分ではない。持ち家の経済性を判断するには、30年後にどれだけの価値が残り、その価値を実際に現金化できるかまで検討する必要がある。

三つ目の未来~複数の大規模修繕が重なる「高修繕ケース」

 築古住宅では、複数の設備や部材の更新時期が重なることがある。購入後に屋根を補修したと思ったら、数年後には外壁や給排水管に問題が現れ、その後に浴室や給湯器の交換が必要になるといった状況である。建物全体の経年劣化が進んでいる場合、修繕費が一時期に集中する可能性もある。

 高修繕ケースでは、購入直後に雨漏りや水回り、内装などの改修が必要となり、入居時修繕に400万円を支出すると仮定する。その後30年間の小規模修繕を300万円、屋根や外壁などの大規模修繕を500万円、給湯器や住宅設備の更新を350万円とする。

 さらに固定資産税240万円、保険料150万円、想定外の補修に備える予備費250万円を設定し、購入価格500万円と取得時諸費用70万円を加えると、30年間の想定総額は2760万円になる。購入価格の約5.52倍であり、月額換算では約7万6700円となる。予備費を使わなかった場合でも2510万円で、月額換算は約6万9700円になる。

 このケースでは、月6万円の家賃を30年間支払い続けた2160万円を上回る。しかも2760万円という数字には、住宅ローン金利、購入資金の機会費用、耐震補強が必要になった場合の大規模工事、解体費用、売却費用などを含めていない。建物や敷地の状態によっては、30年間の支出が3000万円を超えることも考えられる。

 ただし、高修繕ケースの2760万円が、格安中古住宅の最大費用を示しているわけではない。大規模な構造補修が必要になればさらに費用が増える可能性がある一方、実際にはこれほどの修繕を行わず、途中で売却や建て替えを選択する人もいるだろう。今回の3つのケースは、将来の支出に幅が生じる仕組みを示したものであり、住宅費の上限や下限を統計的に算出したものではない。

500万円の家には、3つの異なる30年間がある

 ここまでの試算をまとめると、購入価格が同じ500万円でも、建物の状態や修繕の内容によって30年間の想定支出には大きな差が生じる。

費用項目 低修繕 中修繕 高修繕
購入価格 500万円 500万円 500万円
取得時諸費用 70万円 70万円 70万円
入居時修繕 50万円 200万円 400万円
小規模修繕 120万円 200万円 300万円
屋根・外壁等 150万円 300万円 500万円
住宅設備更新 150万円 250万円 350万円
固定資産税 120万円 180万円 240万円
保険料 90万円 120万円 150万円
予備費 60万円 120万円 250万円
想定総額 1310万円 1940万円 2760万円
月額換算 約3.64万円 約5.39万円 約7.67万円

※金額は30年間の名目支出を合算した試算。予備費は全額使用するものとし、物価変動、借入金利、売却収入、処分費用などは含まない。

 低修繕ケースと高修繕ケースの差額は1450万円に達する。この差は、当初の購入価格500万円の約2.9倍に相当する。もっとも、税金や保険料、予備費の設定も変えているため、1450万円の差がすべて建物の修繕費によるものではない。それでも、住宅の取得後に発生する支出が、当初の購入価格を大きく上回る場合があることは分かる。

 例えば500万円の中古住宅と700万円の中古住宅があった場合、購入価格だけを見れば500万円の住宅が200万円安い。しかし700万円の住宅では屋根と水回りが更新済みで、500万円の住宅では購入後数年以内に300万円の工事が必要になるなら、取得時点の修繕計画だけで両者の価格差は逆転する。もちろん、700万円の住宅も修繕済みという説明だけで将来の故障がなくなるわけではなく、工事の内容や品質、建物全体の状態を確認する必要がある。

 中古住宅の購入で重要なのは、最も安い販売価格を探すことではない。価格と建物状態を合わせて評価し、購入後の修繕費を含めても長期間合理的に住める住宅を見つけることである。

固定資産税は「500万円の1.4%」ではない

 住宅費を試算するとき、固定資産税についても誤解が生じやすい。いすみ市の固定資産税率は1.4%であるが、500万円で住宅を購入したからといって、毎年500万円の1.4%である7万円を支払うとは限らない。

 固定資産税は、土地と家屋の固定資産評価額などに基づいて課税標準額を計算し、その課税標準額に税率を掛けて算出される。住宅用地には課税標準を軽減する特例があり、土地の利用状況や評価額によって税額が変わる。また、建物については築年数の経過とともに評価額が低下することがあるものの、実際の税額は建物の構造や評価方法などにも左右される。

 今回の試算では、固定資産税を30年間で120万円、180万円、240万円と設定したが、これは年平均にすると4万円、6万円、8万円である。この金額がいすみ市の500万円程度の中古戸建てにおける平均的な税負担だという統計的根拠はなく、あくまで比較のための設定である。

 また、建物を解体した場合には、土地の固定資産税が必ず安くなるとは限らない。住宅用地として受けていた課税標準の特例が適用されなくなり、土地の税負担が増えることがあるためである。管理不全空家等についても、一定の行政上の勧告を受ければ住宅用地特例の対象から外れる場合がある。

 したがって、購入を検討するときには、売主や不動産会社を通じて固定資産税の課税明細などを確認し、現在の税額と将来の土地利用の可能性を把握する必要がある。住宅の税負担は、売買価格だけから正確に推計できるものではない。

外房の中古住宅では、浄化槽や耐震性能も確認したい

 住宅の長期費用を考える際には、屋根や外壁、給湯器といった目に見えやすい設備だけでなく、その土地で暮らすために必要な維持管理にも注意しなければならない。

 例えば、公共下水道ではなく浄化槽を使用している住宅では、保守点検、清掃、法定検査などが必要になる。千葉県では2026年4月から、10人槽以下の浄化槽について定期検査の手数料が6000円とされているが、これは浄化槽の維持管理に必要な費用の一部にすぎない。保守点検や清掃、設備の故障などに伴う費用も考慮する必要があり、30年間では無視できない支出になる可能性がある。

 耐震性能も重要である。築35年の住宅なら1991年ごろに建築されたことになるが、建築時期が新耐震基準の導入後だからといって、現在の耐震性能を無条件に保証できるわけではない。建物の構造や施工状態、過去の増改築、劣化の程度によって安全性は異なるため、必要に応じて専門家による耐震診断を検討することが望ましい。

 また、沿岸地域では塩害や風雨、場所によっては浸水リスクにも注意が必要になる。ただし、外房地域の住宅がすべて同じ危険にさらされているわけではなく、海岸からの距離、標高、地形、周辺の排水状況などによって条件は大きく異なる。災害リスクについては、自治体の防災情報などを確認し、建物の立地条件と合わせて検討する必要がある。

 これらの費用やリスクは、今回の基本試算には個別に積み上げていない。したがって、実際の住宅を購入するときには、その住宅固有の設備や立地条件を追加して見積もる必要がある。

賃貸住宅の2160万円と、そのまま比較してよいのか

 ここまで、月6万円の賃貸住宅に30年間住めば2160万円になるという数字を比較対象として使用してきた。この計算自体は正しいが、持ち家と賃貸の経済性を判断するには、いくつかの条件をそろえる必要がある。

 第一に、30年間の家賃が変わらないという仮定である。実際には、家賃が上昇する可能性もあれば、地域の住宅需要が弱まり、同じ水準にとどまったり下がったりする可能性もある。仮に初年度の家賃が月6万円で、その後毎年2%ずつ上昇するとすれば、30年間の家賃合計は約2921万円になる。ただし、これは家賃上昇率を設定した計算例であり、いすみ市などの将来家賃を予測した数字ではない。

 第二に、持ち家の維持費も物価変動の影響を受けることである。将来の工事費や人件費、住宅設備の価格、保険料などが上昇すれば、今回の修繕費モデルよりも支出が増える可能性がある。賃貸住宅の家賃だけを上昇させ、持ち家の修繕費を現在の価格で固定して比較することは公平ではない。

 第三に、住宅の条件が同等とは限らないことである。月6万円の賃貸住宅と500万円の中古戸建てでは、建物面積、築年数、断熱性能、駅や商業施設への距離、駐車場の有無などが異なる場合がある。生活の利便性や住宅性能が違えば、単純な金額比較だけでは居住環境の価値を評価できない。

 さらに、賃貸では更新費用や家財保険などが発生する場合がある一方、持ち家では庭木の管理、敷地の補修、建物設備の維持などが所有者の負担になる。ただし、家具や家電、日常の生活費のように、持ち家でも賃貸でも共通して発生する費用を一方だけに加えるべきではない。

 したがって、今回の比較から分かるのは、格安中古住宅の長期的な現金支出が、条件によっては月6万円の賃貸住宅を下回り、別の条件では上回るということである。どちらが得かを厳密に判断するには、居住条件、物価上昇、資金調達、30年後の資産価値などを含めて比較する必要がある。

500万円を最初に支払うことにも経済的な意味がある

 もう一つ見落とせないのが、資金の時間価値である。住宅を現金で購入する場合、最初に500万円と諸費用を支払うことになるが、賃貸住宅では通常、その500万円を購入費用として支払う必要はない。購入に使わなかった資金を預貯金や運用に回したり、別の生活上の目的に利用したりできる点には経済的な価値がある。

 例えば、将来の100万円と現在の100万円は、経済学的には常に同じ価値とは限らない。資金を運用できる機会や物価の変化を考慮すれば、支出がいつ発生するかによって経済的な負担の評価も変わる。そのため、30年間に支払う金額を単純に合計した結果と、支出時期を考慮した現在価値による評価は区別する必要がある。

 住宅ローンを利用する場合には、さらに借入金利や返済期間が関係する。ただし、購入価格500万円をすでに総費用として計上している場合、住宅ローンの返済元本をもう一度全額加えると二重計上になる。借入による追加負担を評価する際には、元本の扱いに注意しながら金利や関連費用を計算しなければならない。

 今回の3ケースは、こうした金融面の条件を反映していない。したがって、30年間で1310万円、1940万円、2760万円という数字は、一定の仮定に基づく名目上の現金支出総額であり、経済学的な意味での最終的な純負担額とは異なる。

そして30年後、築65年の家が残る

 500万円で築35年の住宅を購入し、30年間住み続ければ、建物は築65年になる。その間に屋根や外壁、住宅設備を修繕してきたのだから、それなりの価値が残ると考えたくなるかもしれない。しかし、不動産の市場価値は、所有者がいくら修繕費を投じたかだけで決まるものではない。

 住宅の売却価格には、土地の立地や利用価値、建物の状態、周辺の取引事例、将来の需要などが関係する。500万円で購入した住宅に1000万円の修繕費をかけたとしても、30年後に1500万円で売却できるとは限らない。一方で、建物の価値が小さくなっていても、土地の需要が強い場所なら、一定の価格で取引できる可能性はある。

 例えば中修繕ケースでは、30年間の想定支出は1940万円である。30年後に300万円で売却でき、売却に伴う費用を考えなければ、単純な差引額は1640万円となる。100万円で売却した場合は1840万円、売却収入がなければ1940万円のままである。しかし、これらは30年後の売却価格を予測した数字ではなく、売却収入が長期的な負担額に与える影響を示した計算例にすぎない。

 また、売却には仲介手数料などの費用が発生する場合があり、建物を解体してから売却する必要があれば、その費用も考えなければならない。買い手が見つからなければ、売却収入を得ることができないまま、管理や税金の負担が続く可能性もある。

 地方の中古住宅を考えるとき、30年後に土地と建物が残ることと、30年後にそれを希望する価格で売却できることは、まったく別の問題なのである。

人口減少地域では、30年後の住宅需要をどう考えるか

 ここで、いすみ市の将来人口を考えてみたい。2020年の国勢調査で、いすみ市の人口は3万5544人だった。国立社会保障・人口問題研究所による2023年の地域別将来推計人口では、2050年の人口は2万218人と推計されている。これは2020年と比較して約43.1%の減少に相当する。

 もちろん、人口が43.1%減少するからといって、住宅価格も同じ割合で下落するわけではない。不動産価格は人口だけで決まるものではなく、世帯数、住宅の供給量、交通条件、生活利便性、移住需要などによって変化する。また、市全体では人口が減少しても、駅周辺や生活施設に近い地域へ住宅需要が集まる可能性もある。

 ただし、長期的な人口減少が住宅市場の需給構造を変化させる要因であることは否定できない。住宅を売りたい所有者が増える一方で、購入を希望する人が減れば、売却までの期間が長くなったり、希望価格での取引が難しくなったりすることが考えられる。

 今回の人口推計は2050年までであり、記事が想定する購入30年後の2056年について、住宅価格や売却確率を直接示すものではない。また、現在の人口推計と将来の不動産市場が必ず一致する保証もない。そのため、2056年にいすみ市の中古住宅が売れなくなると断定することはできないが、購入時に将来の需要減少を考慮する合理性は十分にある。

 地方住宅で重要なのは、30年後にいくらの価格が付くかという問題だけではない。実際に買い手が見つかるのか、売却できなければ誰が管理するのか、建物を解体した後の土地をどのように扱うのかという問題まで含めて考える必要がある。

建物を壊しても、土地の所有は終わらない

 自動車は不要になれば売却や廃車によって所有を終わらせることができるが、住宅の場合は建物を解体しても土地が残る。土地の所有権を持ち続ける限り、固定資産税や管理に関する問題が続く場合がある。

 住宅が建っている土地については、一定の要件を満たすことで固定資産税の課税標準が軽減されている場合がある。しかし、建物を解体すると住宅用地としての特例が適用されなくなり、土地の税負担が増える可能性がある。したがって、古い建物を解体すれば、その後の所有費用も必ず小さくなるとは限らない。

 また、相続した土地を一定の要件で国に引き取ってもらう相続土地国庫帰属制度は存在するものの、建物のある土地は対象にならず、その他にも土地の状態や権利関係に関する要件がある。そもそも、この制度は相続等によって取得した土地を対象とするものであり、自分で購入した住宅用地を誰でも自由に国へ返還できる制度ではない。

 つまり、中古住宅の所有には、購入費用や維持費だけでは説明できない長期的な責任が伴う。建物を利用しなくなった後も、売却、賃貸、相続、解体などの選択肢を考えなければならず、いずれも条件によって費用や手続きが異なる。

 だから地方で中古住宅を購入するときには、今の収入で購入できるかという問題に加え、30年後にその住宅と土地をどのように引き継ぎ、あるいは処分できるかまで考える必要がある。

安い中古住宅を選ぶために、本当に調べるべきこと

 ここまで読むと、500万円の中古住宅を購入すること自体が危険であるかのように感じるかもしれない。しかし、今回の分析から、そのような結論が導かれるわけではない。建物の状態が比較的良好で、必要な設備更新が行われており、長期間住み続けられる場所にあるなら、低価格の中古住宅は合理的な住まいの選択肢になり得る。

 むしろ問題なのは、500万円という売出価格だけで経済性を判断することである。中古住宅を購入する際には、建物の状態をできるだけ客観的に把握し、将来の修繕費を予測するための情報を集めることが重要になる。

 そのためには、屋根や外壁を最後に修繕した時期、給湯器や浴室などの設置年、給排水管の状態、過去の雨漏りやシロアリ被害、床下の湿気、基礎のひび割れ、増改築の履歴などを確認したい。外観がきれいに見える住宅でも、建物内部や床下に問題が残っている可能性があるため、見た目だけで建物全体の状態を判断することは難しい。

 必要に応じて、建築士などの専門家による建物状況調査を利用する方法もある。建物状況調査は、既存住宅の劣化や不具合などを一定の方法で確認するものであり、購入前のリスク把握に役立つ。ただし、調査によってすべての隠れた不具合を発見できるわけではなく、将来の故障が発生しないことを保証する制度でもない。

 国土交通省の制度では、中古住宅の取引に際し、宅地建物取引業者に建物状況調査に関する一定の説明義務などが課されているが、すべての中古住宅で調査そのものが実施されるわけではない。そのため、購入希望者自身が調査の有無や結果を確認し、必要なら追加の調査や修繕見積もりを検討することが望ましい。

 さらに、建物の状態だけでなく、土地の条件や将来の利用可能性も確認する必要がある。接道状況、再建築の可否、境界、未登記建物の有無、災害リスクなどは、購入後の利用や将来の売却に影響することがある。現在は生活に支障がなくても、30年後に売却しようとした際、こうした条件が買い手の判断に影響する可能性がある。

 中古住宅を購入する前の調査は、単なる建物の健康診断ではない。将来発生する可能性がある請求書を、購入前にできるだけ読み取ろうとする作業なのである。

200万円安く買うことより、300万円の修繕を避けること

 中古住宅の購入では、値引き交渉によって価格を下げることに関心が集まりやすい。もちろん、同じ条件の住宅を安く購入できるのであれば、その効果は大きい。しかし、将来の修繕費を考えると、購入価格の差よりも建物状態の差が重要になる場合がある。

 例えば、500万円の住宅を400万円に値引きして購入できたとしても、数年以内に屋根や給排水管の修繕で300万円が必要になれば、購入価格とその修繕費だけで700万円になる。一方、適切に修繕されている600万円の住宅で、当面の大規模工事を避けられるなら、結果として後者の方が支出を小さく抑えられる可能性がある。

 ただし、ここでも将来の修繕費を完全に予測できるわけではない。住宅設備の故障には偶然性があり、建物状況調査を実施しても把握できない問題が残ることもある。重要なのは不確実性をゼロにすることではなく、購入前に確認できる情報を増やし、重大な問題を抱えている可能性をできるだけ小さくすることである。

 また、購入価格が安い住宅ほど経済的な余裕が生まれるとは限らない。取得時の費用を抑えられても、購入後数年以内に大きな修繕費が必要になれば、家計への負担が集中する可能性がある。そのため、30年間の総支出だけでなく、購入直後に必要な現金と、修繕費のために確保しておく資金を分けて考える必要がある。

 結局のところ、安い中古住宅を上手に購入する方法とは、最も安い販売価格を探すことではなく、販売価格と建物状態と将来の維持費を一体として評価することである。

500万円という値札には、30年後の費用が書かれていない

 不動産広告には、購入希望者が知りたい情報が数多く掲載されている。価格、土地面積、建物面積、築年月、間取り、交通条件などを比較すれば、住宅の基本的な特徴を把握できる。しかし、そこに30年間の修繕費が正確に書かれていることはない。

 例えば、購入から8年後に給湯器を交換することになるのか、12年後に外壁を補修するのか、20年後に屋根の工事が必要になるのかは、現在の広告だけでは分からない。さらに30年後、その住宅を購入したい人が現れるかどうかも、現在の売出価格から直接判断することはできない。

 住宅の将来費用には、ある程度計画できる支出と、事前には予測しにくい支出がある。固定資産税や保険料、一定期間ごとの設備更新などは比較的計画を立てやすいが、雨漏りや配管の破損、災害による被害などは発生時期や金額が不確実である。しかも、複数の問題が重なると、その年の支出が大きくなることもある。

 今回の試算では、同じ500万円の中古住宅について、30年間の想定総額が1310万円、1940万円、2760万円という3つの結果になった。ただし、これは中古住宅の30年間の費用が必ずこの範囲に収まることを意味しない。建物の状態や維持管理の方法によっては1310万円より少なく済む可能性もあり、逆に2760万円を上回る可能性もある。

 だからこそ、購入価格だけでは住宅の本当の経済性を判断できないのである。

「安い家」ではなく「30年間安く住める家」を探す

 住宅を購入するとき、最初に目に入るのは売出価格である。500万円という数字には、住宅取得のハードルを大きく下げる魅力がある。都市部では購入が難しかった土地付き一戸建てでも、地方なら手が届く場合があり、それまで支払っていた家賃を住宅購入に振り向けようと考える人もいるだろう。

 しかし、住宅の価格には購入時に支払う金額と、所有している間に支払い続ける金額がある。さらに、所有を終えようとするときには、売却収入が得られる場合もあれば、解体や処分のために新たな支出が必要になる場合もある。この3つの段階を合わせて考えなければ、住宅の長期的な経済性を十分に評価することはできない。

 今回の分析では、購入価格500万円の中古住宅について、修繕費や税金などの条件を変えると、30年間の想定支出は1310万円から2760万円まで大きく変化した。この差は、特定の中古住宅の将来を予測したものではないが、購入後の維持費が住宅費全体に大きな影響を与えることを示している。

 さらに、30年後に土地と建物が残るとしても、その資産を希望する価格で売却できるとは限らない。人口減少が続く地域では、住宅の維持費だけでなく、将来の需要や所有を終える方法も重要な検討課題になる。

 それでも、格安中古住宅を購入すること自体が不合理なのではない。建物の状態を適切に調査し、必要な修繕費を見込み、長期間の生活に適した立地を選び、将来の売却や管理の可能性まで考慮すれば、低価格の中古住宅は経済的に魅力のある選択肢となり得る。

 住宅購入で本当に重要なのは、500万円という値札を見て得だと判断することではなく、その家に30年間住むために、どれほどのお金が必要になるのかを考えることである。安い家とは、単に購入価格が低い家ではない。取得時の費用と将来の維持費、最後に残る資産価値までを考えたとき、合理的な負担で暮らし続けられる家である。

 中古住宅を探すとき、私たちは今日の家を見に行っているように思っている。しかし、本当に確かめなければならないのは、その住宅が積み重ねてきた過去と、これから30年間に起こり得る変化である。

 500万円の家が本当に安かったのかどうか。その答えは購入した瞬間ではなく、住み続けるために支払った費用と、最後に残った価値によって決まるのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

弊社では、住まい・車・移住などの大きな選択を、 費用や将来条件をもとに数字で比較し、判断できる形に整理しています。

数字で比較するサービスを見る

 若いころ、私たちが日常生活の中で利用できる町は、地図に描かれている以上に広い。少し遠いスーパーへ買い物に行くことも、隣の市の病院を受診することも、駅まで自動車を走らせて電車に乗ることも、それほど特別な行動ではない。二十キロ、三十キロ離れていても、道路や交通手段がつながっていれば、その場所は日常の行動範囲に含まれる。地理的には遠くても、移動することに大きな負担を感じなければ、心理的には近い場所なのである。

 ところが年齢を重ねると、この関係が変化する場合がある。道路は以前と同じ場所にあり、スーパーも病院も移転していない。それにもかかわらず、かつては「いつでも行ける場所」だったところが、やがて「用事がなければ行かない場所」になり、さらに「誰かに連れていってもらわなければ行けない場所」へと変わっていく。自動車の運転や長距離の歩行が難しくなれば、数キロ先にある店さえ、日常的には利用できなくなることがある。

 高齢者の生活圏が小さくなるとは、町そのものが小さくなることではない。同じ町に暮らし続けていても、自分の意思で移動できる範囲や、日常的に利用できる施設の選択肢が変化することである。この問題は個人の身体能力だけではなく、交通手段、家族関係、医療・介護制度、さらには地域の人口減少や商業施設の配置とも深く関係している。

 では、70歳、80歳、90歳という三つの年代から眺めたとき、生活圏はどのように変わっていくのだろうか。

 最初に確認しておきたいのは、この三つの年齢が生活圏の変化を決定する生物学的な境界線ではないということである。70代でも移動に支援を必要とする人がいる一方、90代でも自立して外出する人はいる。本稿では、70歳の生活圏を「面」、80歳を「線」、90歳を「点」として捉えるが、これは統計によって証明された年齢別の法則ではない。高齢期に生じ得る移動手段と生活様式の変化を、地図の形に置き換えて理解するための概念的なモデルである。

70歳~町全体がまだ自分の生活圏にある時代

 70歳という年齢だけを見て、生活圏が狭くなると考えるのは適切ではない。70代でも仕事を続け、旅行を楽しみ、自動車を運転し、趣味や社会活動のために遠方へ出掛ける人は少なくない。健康状態や身体機能には大きな個人差があり、年齢が同じであっても実際の行動範囲は異なる。ただし、集団として統計を眺めると、70代は日常の移動目的が大きく変化する年代であることが分かる。

 国土交通省が2021年に実施した全国都市交通特性調査では、60代と比較して70代では通勤や業務を目的とする移動が減少し、買い物や散歩などの移動が増える傾向が確認されている。また、平日の外出率は、男性では60代の79.7%に対して70代は72.9%、女性では60代の71.9%に対して70代は64.5%となっている。つまり、70代では外出する人の割合が60代より低くなる一方で、移動の目的そのものも変化している。

 ただし、この数字は同じ人を60代から70代まで追跡した結果ではなく、異なる年齢集団を比較したものである。したがって、外出率の差をすべて加齢による身体能力の低下として説明することはできない。退職によって通勤の必要がなくなることや、就業形態、世帯構成、生活習慣などの違いも影響していると考える必要がある。

 例えば、会社へ向かう毎朝の道がなくなれば、仕事先の近くにあった店へ行く機会も減る。仕事帰りに利用していた書店や飲食店、駅前の商業施設も、生活上の必要がなくなれば日常の行動範囲から外れていく。これは身体的に行けなくなったというより、行く理由がなくなったことによる生活圏の変化である。高齢期の生活圏を考える際には、移動能力の変化と移動目的の変化を分けて捉える必要がある。

 一方、健康状態や交通手段に恵まれている70代にとって、町は依然として複数の選択肢を持つ場所である。今日は近くのスーパーを利用し、明日は隣町の大型店へ行き、必要があれば遠方の専門病院を受診するというように、その日の目的や都合に応じて行き先を選ぶことができる。生活圏の豊かさは単純な移動距離だけで決まるものではなく、複数の施設やサービスの中から、自分に合ったものを選択できるかどうかにも左右される。

 しかし、人口密度の低い地方では、この広い生活圏を維持している重要な条件がある。自動車である。

 内閣府が2018年に実施した高齢者の住宅と生活環境に関する調査では、町村に住む60歳以上の回答者の66.8%が、外出時に自分で運転する自動車を利用すると答えている。大都市では徒歩や鉄道、バスなどの利用割合が高いのに対し、町村では自動車への依存が大きい。鉄道駅やバス停まで距離があり、商店や医療機関も分散している地域では、自動車が日常生活のさまざまな目的地を結び付ける役割を担っている。

 このため、地方の70代は比較的広い生活圏を維持しているように見えても、その広さが自分で自動車を運転できることに強く依存している場合がある。自動車を利用できる間は不便を感じなくても、運転が難しくなったときに代替手段がなければ、それまで利用していた施設の多くが急に遠い存在となる。地方の生活圏には、移動能力が維持されている間は問題が表面化しにくいという特徴がある。

80歳~生活圏が「面」から「線」へ変わる可能性

 80歳になると、生活圏は必ず狭くなるのだろうか。もちろん、そのような一律の変化が生じるわけではない。80代でも自動車を運転し、趣味や旅行を楽しむ人はいる。しかし、集団全体では高年齢層ほど自分で自動車を運転する割合が低くなり、徒歩や家族による送迎など、移動手段の組み合わせが変化する傾向が確認されている。

 内閣府の2018年調査では、80歳以上の回答者のうち、外出時に自分で運転する自動車を利用すると答えた人は26.4%だった。一方、徒歩は58.5%、家族などが運転する自動車は36.1%となっている。これは複数回答の調査であり、徒歩と家族による送迎の両方を利用する人も含まれているため、徒歩だけで日常生活を送っている人の割合を示すものではない。また、80歳以上という区分には90歳以上も含まれるため、この結果だけで80代と90代の違いを明確にすることはできない。

 さらに、2023年度に内閣府が実施した同分野の調査では、65歳以上の回答者全体で、徒歩を利用する割合が50.1%、自分で運転する自動車が46.6%、家族などが運転する自動車が27.1%となっている。この調査でも、男女ともに年齢が高い層ほど自分で運転する自動車の利用割合が低くなる傾向が示されている。ただし、2018年調査と2023年度調査では対象年齢や調査方法が異なるため、両者の数値の差をそのまま時系列の変化として解釈することはできない。

 ここで生活圏に生じ得る変化を、地図上の形として考えてみたい。自分で自動車を運転し、複数の目的地を自由に選べていた生活圏が、移動手段の制約によって、特定の場所を結ぶ経路に集約されていくことがある。自宅からスーパーへ行く経路、病院へ通う経路、銀行や役所へ向かう経路など、必要性の高い目的地への移動が中心になり、それ以外の場所へ出掛ける機会が少なくなる。これが、生活圏が「面」から「線」へ変わるという表現の意味である。

 もっとも、これは80代の人に共通する実証済みの行動パターンではない。徒歩を中心に生活する人でも、商店や公共施設が密集した地域に住んでいれば、日常的に多様な場所を利用できる。一方、自動車を運転していても、いつも決まった店と病院にしか行かない人はいる。生活圏の形は年齢だけでなく、地域の構造や本人の生活習慣によっても変わるのである。

 特に重要なのは、「移動できる場所」と「自分の意思だけで移動できる場所」の違いである。家族が自動車で連れていってくれれば、50キロ離れた病院を受診することもできるかもしれない。しかし、その移動には家族の都合を確認し、日程を調整し、送迎を依頼する必要がある。目的地までの距離が変わらなくても、自分だけで自由に行ける状態とは異なるのである。

 ただし、送迎を利用すること自体を、生活上の自立が失われた状態と考える必要はない。地域の乗合交通や予約制交通が利用でき、必要なときに自分で予約して移動できるなら、運転しなくなっても生活の選択肢を維持できる場合がある。自立した生活を支える条件は、すべての移動を自分の身体能力だけで完結させることではなく、必要なときに利用できる移動手段が確保されていることにもある。

 この違いは、地方ほど重要になる。都市部には駅やバス停、スーパー、診療所が徒歩圏に集まっている場所がある一方、住宅が広く分散した地域では、最寄りの商店や医療機関まで数キロ以上離れている場合もある。同じ五キロという距離でも、自動車を自由に利用できる人と、徒歩や本数の少ない公共交通に頼る人とでは、その距離が持つ生活上の意味は大きく異なる。

 道路の距離だけでなく、その距離を誰の力で、どのような手段を使い、どれほどの時間と費用をかけて移動できるのかを考えなければ、高齢者の生活圏を正確に理解することはできない。

生活圏は移動距離だけでは測れない

 高齢者の生活空間を評価する研究では、単に自宅から最も遠くへ移動した距離だけではなく、どの範囲まで移動したか、どのくらいの頻度で移動したか、移動するときに他人の援助や福祉用具を必要としたかといった条件が重視されている。代表的な評価方法には、LSA(Life-Space Assessment・生活空間評価)があり、一定期間の日常的な移動範囲、頻度、自立度を組み合わせて評価する。

 例えば、月に一度、家族の送迎で遠方の病院へ行く人と、毎日一人で近所の商店や公共施設を利用する人とでは、最大移動距離だけを比べても日常生活の実態は分からない。前者の方が遠くまで移動していても、後者の方が日常的に多くの場所を利用し、頻繁に社会と接している可能性がある。移動距離の長さと生活圏の豊かさは、必ずしも同じものではないのである。

 日本で行われた生活空間評価の研究でも、年齢と生活空間の間には負の相関が確認されている。2010年に発表された研究では、介護予防事業などを利用する高齢者2,147人について、生活空間の得点と年齢の相関係数はマイナス0.296だった。一方、買い物や外出などに関わる手段的日常生活動作能力との相関係数はプラス0.533となっており、この調査集団では、暦年齢よりも日常生活を遂行する能力の方が生活空間の得点と強く関連していた。

 ただし、この研究は介護予防の支援を必要とする集団を対象としたものであり、結果を全国の高齢者全体へそのまま当てはめることはできない。また、相関関係が確認されたからといって、特定の要因が生活圏を直接縮小させたと証明されたわけでもない。それでも、生活圏を理解するうえでは、年齢そのものよりも身体機能や日常生活能力、交通環境などを組み合わせて考える必要があることを示唆している。

 地域の高齢化を分析するとき、70歳以上の人口や80歳以上の人口を数えることは重要である。しかし、その人数だけでは、どの程度の人が自由に移動できるのか、移動に困難を抱えているのか、必要なサービスを利用できているのかまでは分からない。年齢別人口は生活圏を推測するための出発点であって、生活圏そのものを示す指標ではないのである。

90歳~生活圏は「場所」から「人」へ変わるのか

 90歳前後になると、生活圏はさらに身近な場所へ集約されるのだろうか。この問いには、特に慎重に答える必要がある。非常に高齢になるにつれて、身体機能の低下や疾病、移動手段の制約などによって外出が難しくなる人が増えると考えられるが、90歳になった瞬間に生活圏が自宅周辺へ縮小するわけではない。90代でも自立して買い物や散歩を続ける人がいる一方、70代や80代から外出に介助を必要とする人もいる。

 2006年に発表された「大都市近郊に居住する高齢者が感じる生活圏」という研究では、65歳以上の高齢者2,692人の有効回答を分析している。その結果、65~79歳では市全域を生活圏と感じる回答が多かったのに対し、80歳以上では自治会・町内会程度の範囲を生活圏と感じる回答が最も多くなっていた。また、外出頻度が少ない人ほど、本人が認識する生活圏も狭い傾向が確認されている。

 もっとも、この調査は2005年に首都圏に隣接する一都市で行われたものであり、対象者は要介護認定を受けていない高齢者だった。測定しているのも実際の移動距離ではなく、本人が生活圏だと感じる範囲である。したがって、この結果を全国の90代にそのまま適用したり、90歳前後になると必ず生活圏が自宅周辺へ縮小すると結論付けたりすることはできない。

 90歳以上に関する統計には、標本数の問題もある。2023年度の内閣府調査は65歳以上の2,677人から有効回答を得ているが、このうち90歳以上は69人、95歳以上は13人にとどまる。さらに施設入所者は調査対象に含まれていない。こうした条件を踏まえると、90代全体の移動実態を細かく把握するには、より大規模な調査や別のデータによる検証が必要である。

 それでも、外出に支援を必要とする状態が進むにつれて、生活圏の意味が変わることは十分に考えられる。近所の店へ自分が買い物に行く代わりに家族が商品を届け、薬局へ出向く代わりに薬の配達を利用し、通院が難しくなれば訪問診療などを受ける場合がある。これまで自分が移動して利用していたサービスの一部が、自宅を中心として提供されるようになるのである。

 このような生活では、自分自身が訪れる場所の数が少なくなっても、外部とのつながりが必ずしも失われるわけではない。家族や友人が訪問し、宅配や介護サービスが利用でき、電話などによって離れた人とも交流できれば、自宅を中心とした生活の中でも社会的な関係を維持できる可能性がある。反対に、外出する能力が残っていても、交流する相手や利用できるサービスが少なければ、社会的な孤立が生じる場合もある。

 ここでは、身体的に移動できる生活圏と、人やサービスを通じて社会につながる範囲を区別する必要がある。前者が小さくなっても、後者が十分に保たれていれば、生活上の選択肢や社会参加の機会を維持できる可能性がある。ただし、電話や宅配が利用できることと、外出して人に会ったり地域活動に参加したりできることは完全に同じではないため、在宅サービスだけを整備すればすべての問題が解決するわけでもない。

 90歳前後の生活圏を「点」として捉える意味は、その年齢の人が点のように小さな範囲で暮らしているという断定ではない。外出が難しくなった場合、自宅を中心とする限られた場所を、どれだけ多くの人やサービスが支えられるかという視点を示すための比喩なのである。

生活圏はゆっくり縮むとは限らない

 高齢者の生活圏は、70歳から80歳、80歳から90歳へと一定の速度で縮小していくわけではない。長い間ほとんど変わらなかった生活圏が、特定の出来事をきっかけに大きく変化する場合もある。

 典型的な例が、自動車の運転をやめるときである。それまで十キロ先のスーパーへ自由に買い物に行けていた人が、運転をやめたことで一人では利用できなくなる場合がある。夫婦の一方だけが運転している家庭では、その人が運転できなくなると、もう一方の移動手段まで同時に失われる可能性がある。自宅や商店の位置は変わっていないのに、移動手段の変化によって生活上の到達可能性が大きく変わるのである。

 ただし、免許返納によって必ず生活圏が狭くなるわけではない。徒歩圏に必要な施設があり、公共交通や送迎サービスも十分に利用できる地域では、運転をやめても従来の生活を維持できる可能性がある。反対に、免許を保有していても、体調や運転への不安によって実際にはほとんど運転しなくなっている人もいる。重要なのは免許を持っているかどうかだけではなく、日常的に安全で利用可能な交通手段があるかどうかである。

 高齢運転者については制度上の変化もある。日本では70歳以上の運転免許更新時に高齢者講習が必要となり、75歳以上では認知機能検査が原則として求められるほか、一定の違反歴がある人には運転技能検査も課される。こうした制度は高齢者の運転能力や交通安全に対応するものであるが、70歳や80歳に達したことだけを理由に運転できなくなる仕組みではない。運転の継続と安全性の確保、そして運転をやめた後の移動手段の整備は、それぞれ区別して考えなければならない。

 生活圏が大きく変化する原因は、自動車だけではない。例えば、徒歩で通える距離にあったスーパーが閉店し、次に近い店が数キロ先になることもある。自動車を自由に利用できる人にとっては移動時間が少し増える程度でも、徒歩でしか買い物ができない人にとっては、日常的な買い物先が事実上失われる可能性がある。

 さらに、病気や転倒、入院などによって、一時的に移動能力が低下することもある。歩行能力や体力が低下すれば、以前は問題なく利用していた商店や公共施設が遠く感じられるようになる。こうした変化は年齢に応じて少しずつ進むとは限らず、生活上の出来事によって短期間に生じる場合がある。

 一方、生活圏の縮小が必ずしも不可逆的でないことも重要である。病気から回復し、リハビリテーションによって身体機能が改善したり、新たな交通手段や支援サービスを利用できるようになったりすれば、生活圏が再び広がる可能性もある。高齢化に伴う生活圏の変化を、一方向に縮小するだけの過程として捉えるのは適切ではない。

生活圏の縮小を決めるのは年齢だけではない

 生活圏の大きさを決める条件を整理すると、身体機能だけでなく、交通手段、施設までの距離、移動に必要な時間や費用、家族・地域の支援などが関係していることが分かる。同じ80歳でも、駅前に住んでいる人と、鉄道駅や商店から離れた集落に住んでいる人とでは、外出のしやすさが大きく異なる可能性がある。

 生活圏を数理的に考えるなら、単純な最大移動距離よりも、日常的に利用可能な施設やサービスの数を一つの指標とする方法が考えられる。例えば、ある人が自分の身体能力と交通手段、時間、費用の範囲内で利用できるスーパーが三店舗ある場合と、一店舗しかない場合とでは、生活上の選択肢が異なる。さらに、その一店舗が閉店すれば、物理的な距離の変化以上に買い物環境が悪化することになる。

 この考え方では、施設までの距離だけでなく、実際にそこへ到達するための総合的な負担を評価する必要がある。徒歩なら坂道や歩道の状態、自動車なら運転能力や維持費、公共交通なら運行本数や乗り継ぎ、送迎なら依頼や日程調整の負担が関係する。目的地に着いてからも、施設内を移動できるか、必要な商品やサービスが利用できるかという条件が残る。

 また、利用可能な施設数だけで生活の質を完全に評価できるわけでもない。施設の営業時間、商品の種類、医療機関の診療科、費用の負担、本人の希望などによって、実際の利用価値は変わるためである。生活圏の分析では、何キロ移動できるかという地理的な広がりと、どの程度の選択肢を実際に持っているかという機能的な広がりを分けて考えることが重要になる。

 つまり、70歳、80歳、90歳という年齢だけから生活圏の面積を推定することはできない。必要なのは、年齢別人口とともに、移動能力、交通環境、施設配置、利用可能な支援などを組み合わせて評価することである。

高齢者に必要なのは「何でも近くにある町」だけではない

 高齢社会の町づくりというと、病院やスーパー、公共施設を中心部に集めるコンパクトな町を想像しやすい。施設が一定の範囲に集まれば、移動距離を短くし、公共交通を効率的に運行しやすくなる可能性がある。しかし、すべての住民を病院やスーパーの徒歩圏に住ませることは、現実には難しい。

 特に地方では、住宅が広い範囲に分散しており、長年同じ場所で生活してきた人も多い。高齢になったからといって、住み慣れた家を離れて中心部へ移転することが、誰にとっても合理的な選択になるとは限らない。住居の維持費や移転費用、家族関係、地域とのつながりなど、さまざまな条件が関係するためである。

 そこで重要になるのが、移動手段とサービス提供方法を組み合わせる考え方である。自分で安全に移動できる間はその能力を生かし、運転や長距離の歩行が難しくなれば公共交通や送迎を利用し、外出が困難になれば宅配や訪問型サービスを利用する。移動能力の変化に合わせて、複数の方法を選べるようにすることが望ましい。

 ただし、サービスを自宅まで届ければすべての問題が解決するわけではない。医療保険による定期的な訪問診療には通院が困難であることなどの条件が関係し、介護保険によるサービスにも要介護・要支援認定や給付上の要件がある。民間の宅配や送迎サービスについても、利用できる地域、利用料金、人員の確保、採算性などの制約が存在する。

 人口が少ない地域ほど、一人の利用者のために長い移動時間が必要となり、サービスを維持するための費用が大きくなる場合がある。訪問診療や訪問介護の事業者が存在していても、すべての集落へ同じ条件でサービスを提供できるとは限らない。支援制度があることと、その制度を利用できる事業者や人員が地域に存在することは、別の問題なのである。

 地域公共交通についても、自治体、交通事業者、医療機関、福祉関係者などの連携が必要になる。通常の路線バスだけでなく、予約型の乗合交通や既存の輸送資源を活用する方法も考えられるが、運転者や車両、財源を確保しなければ継続できない。移動支援の仕組みを導入することと、それを持続可能な形で運営することは区別して評価する必要がある。

 したがって、高齢社会の地域づくりに必要なのは、すべての施設を近くに置くことだけでも、すべてのサービスを自宅まで届けることだけでもない。住民の移動能力と地域の条件に応じて、施設の配置、移動手段、訪問型サービスを組み合わせ、必要な生活機能にアクセスできる状態を維持することである。

公的統計にも表れている「行ける場所」の問題

 高齢者が暮らす地域の不便さについては、内閣府の2023年度調査にも重要な結果がある。この調査では、65歳以上の回答者のうち、「日常の買い物に不便」と答えた人が23.9%、「医院や病院への通院に不便」が23.8%、「交通機関が高齢者には使いにくい、または整備されていない」が21.5%となっている。いずれも複数回答であり、実際にどの程度外出を制限されているかを直接測定した数字ではないが、買い物、医療、交通が高齢者の生活環境における重要な課題であることを示している。

 一方、同じ調査で地域について「特に不便や気になることはない」と答えた人は39.3%だった。高齢者であれば誰もが生活上の不便を抱えているわけではなく、地域の環境や本人の状態によって認識には差がある。この点からも、高齢化率が高いという理由だけで、その地域の生活環境が悪いと判断することはできない。

 また、人口構成や施設配置の変化を考える際には、施設が存在することと、住民が実際に利用できることを区別しなければならない。市内に病院が一つあったとしても、自宅から通う交通手段がなければ利用しにくい。スーパーが営業していても、そこまで行く方法がなければ買い物先として機能しない場合がある。

 行政が地域の生活環境を評価するとき、病院や商店の数、公共交通の路線数などは重要な指標になる。しかし、それだけでは施設を必要とする人が実際にサービスへ到達できるかどうかまでは分からない。高齢社会では、施設の存在を示す地図に加えて、住民が実際に利用できる範囲を示す地図が必要になるのである。

70歳では「面」、80歳では「線」、90歳では「点」という地図

 ここまでの議論を、もう一度三つの地図として整理してみたい。

 70歳の地図には、自宅を中心に、複数のスーパーや病院、銀行、公共施設、友人の家などが広がっている。自動車や公共交通を利用して自由に行き先を選ぶことができるなら、それぞれの施設は複数の経路で結ばれ、日常の生活圏は「面」として広がる。ただし、70歳だから必ず広い生活圏を持つという意味ではなく、さまざまな目的地を自分で選択できる状態を表すものである。

 80歳の地図では、移動手段の制約によって、利用する場所が決まった経路に集約される場合がある。いつものスーパーや病院、銀行など、必要性の高い目的地への移動が中心となり、途中で別の店へ寄ったり、思い付きで遠方へ出掛けたりする機会が減る。このような生活を「線」として表すことができるが、公共交通や送迎が充実していれば、運転しなくても多くの目的地を利用し続けられる可能性がある。

 90歳の地図では、移動が困難になった場合、自宅や近隣の少数の場所を中心として生活することが考えられる。しかし、その「点」は必ずしも社会から孤立した場所ではない。家族や友人が訪れ、医療や介護のサービスが届き、宅配や通信手段を利用できれば、自分が移動する範囲を超えた社会とのつながりを維持できる場合がある。

 この三つの地図は、年齢ごとに必ず現れる段階を示したものではない。加齢や生活環境の変化に伴って、移動の自由度、他者への依存度、サービスの利用方法がどのように変わり得るのかを考えるための模型である。実際には、同じ人の生活圏が広がったり縮んだりすることもあり、70代で「点」に近い生活を送る人もいれば、90代でも「面」として広い生活圏を維持する人もいる。

 このように考えると、生活圏の問題は、単に高齢者が遠くへ出掛けられなくなることではない。自分で移動できる範囲と、他人やサービスの支援によって利用できる範囲が、どのように組み合わされているかという問題なのである。

御宿・いすみ・勝浦・大多喜の将来を考える

 千葉県外房地域の御宿町、いすみ市、勝浦市、大多喜町のように、海岸沿いの市街地から内陸部の集落まで、多様な居住環境を持つ地域では、生活圏の問題を行政区域の平均値だけで捉えることは難しい。駅や商店に近い住宅地と、交通手段が限られる周辺集落では、同じ年齢の人でも利用できる施設やサービスの範囲が異なる可能性がある。

 例えば、70代の住民が自動車を運転できる間は、市町村の境界を越えて買い物や通院をしていても、運転しなくなった後には自宅から近い施設しか利用できなくなる場合がある。反対に、公共交通の接続や送迎サービスが適切に確保されていれば、市町村を越えた医療機関や商業施設を引き続き利用できる可能性もある。行政区域の広さや施設数だけでなく、実際の移動経路と利用条件が重要になる。

 さらに人口減少が進めば、地域の商店、銀行、診療所、ガソリンスタンド、公共交通などの配置が変わる可能性がある。住民自身が高齢化して移動能力を変えていく一方で、利用する施設や交通手段も変化していくことになる。将来の生活圏を考えるには、人間の側の変化と地域の側の変化を同時に見なければならない。

 ただし、高齢化率が高い地域ほど生活圏が狭いと単純に結論付けることはできない。重要なのは、70~74歳、75~79歳、80~84歳、85~89歳、90歳以上といった年齢階級別人口に加えて、移動手段の利用状況、買い物や通院の所要時間、世帯構成、交通サービスの提供状況などを組み合わせて評価することである。

 地域分析では、徒歩、自動車、公共交通という複数の移動手段について、それぞれの住民がどの施設へ到達できるかを調べる方法が有効だろう。さらに、自分で運転しなくなった場合や、利用している商店が閉店した場合などを想定すれば、生活圏がどの程度変化するかを検討できる。こうした分析は、将来の高齢者の行動を正確に予測するものではないが、地域の交通や生活環境に潜む弱点を把握する手掛かりになる。

 人口推計や高齢化率を見るだけでは、実際に住民がどこへ行けるのかまでは分からない。高齢者の暮らしを支えるためには、人口の分布と施設の分布を重ねるだけでなく、その間を結ぶ交通手段や、施設へ行けない場合に利用できるサービスまで含めて評価する必要がある。

90歳になった自分の地図から町を眺めてみる

 地域の将来を考えるとき、人口推計や財政の数字を確認することは重要である。しかし、その地域で高齢になっても暮らし続けられるかどうかを考えるには、現在の自分が利用している交通手段を失った場合の生活を想像してみることにも意味がある。

 例えば、自分が90歳になり、自動車を運転せず、長い距離を歩くことも難しくなったと仮定してみる。それでも食料を確保し、必要な薬を受け取り、医療機関を受診し、金融機関や行政の手続きを利用しなければならない。そのとき、自宅の玄関から一人でどこまで行けるのか、行けない場所についてはどのような代替手段があるのかを考えてみるのである。

 もちろん、実際の90歳の状態がこのようになるとは限らない。健康で活発に外出できる人もいるため、これは高齢者全体の姿を示すものではなく、移動能力が低下した場合に地域の生活機能がどの程度維持されるかを考えるための仮定である。

 現在の町の地図を眺めれば、道路や施設の位置は分かる。しかし、高齢社会の暮らしを考えるなら、そこにもう一つの情報を重ねる必要がある。その施設へ自分で行けるのか、公共交通で行けるのか、誰かの送迎が必要なのか、それともサービスの側が自宅まで来てくれるのかという情報である。

 これから問うべきなのは、「この町に病院があるか」ということだけではない。「80歳になって運転しなくても、その病院へ通えるか」という問いが必要になる。同じように、「スーパーが残っているか」だけでなく、「90歳になって外出が難しくなった場合でも、食料を確保できる仕組みがあるか」を考えなければならない。

 さらに重要なのは、その仕組みが一時的なものではなく、将来も継続できるかどうかである。人口減少によって交通事業者や商店の経営環境が変わり、医療・介護分野でも人材の確保が難しくなれば、現在利用できるサービスが将来も同じように提供されるとは限らない。高齢者の生活圏を支える政策には、利用者の需要だけでなく、サービスを維持する側の費用や人員を考慮する視点も欠かせない。

 町の本当の暮らしやすさは、行政区域の面積や施設の数だけでは決まらない。そこに暮らす人が、年齢や身体機能の変化に応じて必要なものを手に入れ、医療を受け、社会とつながり続けることができるかどうかによって評価されるべきである。

 年齢を重ねるにつれて、私たちの地図は少しずつ折りたたまれていくことがある。しかし、その地図が小さくなること自体を、必ずしも不幸と考える必要はない。自分で遠くまで移動できなくなっても、必要なものが届き、困ったときに利用できる交通手段があり、人との交流や社会参加の機会が保たれていれば、生活の質を維持できる可能性がある。

 反対に、施設が存在していても利用できず、交通手段もなく、支援を頼める相手もいなければ、地域の中に住み続けていても社会とのつながりが弱くなるおそれがある。高齢社会で問題となるのは、単に生活圏の面積が小さくなることではなく、必要な生活機能にアクセスする手段や、社会とつながる機会が失われることなのである。

 70歳、80歳、90歳という三つの地図が教えてくれるのは、年齢を重ねた人間の行動範囲が必ず縮小するという法則ではない。身体能力や交通環境が変化しても、必要な生活機能を利用し続けられる町であることが、これからの地域社会にとって重要だということである。

 最後に残った小さな地図の中でも、買い物ができ、医療を受け、人と話し、自分らしい生活を続けられるかどうか。その条件を地域として維持できるかが、人口減少と高齢化が進む社会の重要な課題となる。

 生活圏が小さくなっても、人生まで小さくなる必要はない。その可能性を支える仕組みを、町がどこまで維持できるかが問われているのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 地方で老後を暮らすことを考えるとき、医療機関までの距離は生活の持続可能性を左右する重要な条件になる。スーパーなら多少遠くてもまとめ買いができ、役所なら手続きの頻度そのものを減らすこともできるが、定期的な治療が必要になれば、医療機関までの距離は単なる地図上の数字ではなく、生活時間、交通手段、家族負担まで含めた日常生活の条件になる。

 例えば、自宅から透析施設までの距離が片道30kmだったとする。一般的な維持血液透析は週3回行われることが多いため、自分で通院するなら往復60kmを週3回、1週間で180km移動することになる。これを年間52週として計算すると、60km×3回×52週=9,360kmとなり、透析通院だけで年間9,000kmを超える移動になる。

 この数字だけを見ると、「もし将来透析が必要になったら、この地域では暮らせないのではないか」と感じても不思議ではない。ただし、透析医療の通院は通常の外来通院とは少し事情が異なり、距離だけから生活可能性を判断すると、実態を見誤る可能性がある。

 現在の透析医療では、医療機関による患者送迎が広く行われている。日本透析医会が2023年に行った調査では、回答した822施設のうち70.9%が施設負担による患者送迎を実施していた。また、患者側を対象にした2021年度の調査では、透析施設の送迎を利用して通院している患者は24.8%だった。

 ただし、この70.9%という数字を「全国の透析施設の約7割が送迎している」とそのまま一般化することはできない。この調査の回答率は約21%であり、送迎に積極的な施設ほど回答しやすかった可能性など、回答施設と非回答施設の性質が異なる非回答バイアスを完全には排除できないからである。そのため70.9%は全国の正確な実施率というより、「回答施設の中では送迎がかなり一般的だった」と読む方が統計的には適切である。

 一方、患者調査で送迎利用者が24.8%だったことと、施設調査で送迎実施施設が70.9%だったことは矛盾しない。送迎を実施している施設でも、全患者が送迎車を利用するわけではなく、自家用車、家族送迎、公共交通、タクシーなどを使う患者もいるからである。

 こうした実態を考えると、「施設まで30km」という数字の意味も変わってくる。自分で週3回、片道30kmを運転する生活と、自宅付近まで透析施設の送迎車が迎えに来る生活では、同じ30kmでも本人や家族の負担は大きく異なる。本人が運転しなくてよいのであれば、高齢になって自動車を手放した後でも、透析施設への交通手段が維持される可能性がある。

 地方では、近所の眼科や診療所へ行くためには家族の自動車が必要なのに、それよりはるかに遠い透析施設には病院の送迎車が来るという、一見すると逆転した状況が起こり得る。公共交通が弱い地域ほど、透析施設の送迎車が事実上の医療交通として機能していることがあるからである。

 しかし、ここで注意しなければならないのは、片道30kmが決して軽い通院距離ではないということである。北海道を対象に行われた透析通院に関する調査では、「医療機関まで片道30km以上、または片道1時間以上」を通院困難地域の一つの基準として設定している。つまり30kmという距離は、医療アクセス研究の上でも無視できない通院負担として扱われる程度の距離であり、「送迎があるから問題にならない」と考えるのも適切ではない。

 北海道の調査では、通院困難地域から透析施設へ通う患者の交通手段として、自家用車のほか病院送迎、自治体による送迎、タクシー、公共交通などが使われていた。通院が難しいことを理由として転居した患者や、治療方法を変更した患者も確認されている。このことからも、片道30kmは「絶対に生活できない距離」ではない一方、「何の対策もなく通える距離」とも言えないことが分かる。

 送迎車が利用できれば本人の運転負担は減るが、30kmという距離そのものが消えるわけではない。患者は車を運転しなくても、移動に必要な時間は残る。むしろ複数の患者を順番に迎えながら施設へ向かう送迎車の場合、自家用車で直接施設へ行くより乗車時間が長くなることもある。

 維持血液透析は一般的に週3回行われ、1回の治療時間は4時間前後になることが多い。週3回なら年間の透析回数は概算で156回となり、治療時間だけでも4時間×156回=624時間になる。これは24時間換算で約26日分である。

 さらに往復の移動や待ち時間が加わる。仮に往復移動が合計1時間なら年間156時間、2時間なら312時間となり、治療時間と合計すると年間780~936時間になる。24時間換算では約32~39日分に相当し、これに送迎車の待ち時間、乗降、他の患者宅への立ち寄りなどが加わる場合もある。

 したがって、片道30kmの問題は単なる運転距離ではなく、生活時間の問題として評価する必要がある。月曜、水曜、金曜に透析を受ける人なら、その3日は透析を中心に生活を組み立てることになる。施設が近ければ治療の前後に買い物や家事を行いやすいが、移動時間や待ち時間が長くなれば、透析日は実質的に「治療の日」として一日のかなり大きな部分を使うことになる。

 海外の大規模な透析患者調査でも、透析施設までの移動時間が長い患者ほど、健康関連生活の質が低い傾向が報告されている。死亡リスクとの関連を示した観察研究もあるが、この種の研究では年齢、病状、居住地域など別の要因も影響するため、「長距離通院そのものが死亡リスクを上げる」と単純な因果関係まで断定することはできない。それでも、通院時間が患者の生活負担と無関係ではないという点は、臨床的にも社会的にも妥当である。

 この問題は年齢を重ねるほど重要になる。65歳で透析を始めた時点では自分で30km先まで運転できたとしても、75歳、80歳となれば、夜間や雨天時の運転が難しくなったり、視力や判断力の変化から自動車を手放したりする可能性が高くなる。

 そこで透析施設の送迎が重要になる。本人が運転できなくなっても送迎車が利用できれば、透析生活を続けられる可能性は大きくなる。家族が週3回往復60kmを送り迎えしなくても済み、高齢の配偶者が患者を送って数時間待ち、再び迎えに行くといった負担を避けられる場合もある。

 その意味で透析施設の送迎は、単なる「病院の親切なサービス」と考えるより、地方の高齢者を医療につなぎ続ける生活インフラの一つと見る方が実態に近い。ただし、ここには重要な制度上の問題がある。

 透析施設による無料送迎は、全国の患者に法律上当然に保障された医療給付ではない。診療報酬によって全国一律に送迎費用が給付されている制度でもなく、多くの場合、医療機関が自ら車両、人件費、燃料費、保険料、維持費などを負担して実施している。

 日本透析医会の調査では、送迎患者1人当たりの費用について月平均約2万4,000円という試算も示されている。ただし、この数字には調査方法上の限界があり、全国一律の正確な原価を示すものではない。それでも、患者にとって無料であっても、送迎自体が無料で運営できるわけではないことは明らかである。

 車両を購入し、燃料を入れ、保険や点検費用を負担し、運転手を確保しなければならない。患者が施設周辺に集中していれば効率よく複数人を送迎できるが、広い地域に少人数が分散して暮らしていれば、一人を迎えに行くための走行距離と拘束時間は大きくなる。

 例えば10人の患者が施設から5km以内にまとまって暮らしている地域と、同じ10人が30km四方に散らばって暮らしている地域では、患者数が同じでも送迎に必要な車両の走行距離、燃料、運転手の拘束時間は大きく異なる。したがって透析送迎の持続可能性を考える場合、単なる患者数だけでなく、患者がどれほどの密度で分布しているかという地理的条件が重要になる。

 人口が減れば透析患者も必ず同じ割合で減るとは限らない。高齢化率、糖尿病や高血圧などの基礎疾患、治療成績、新規導入患者数などの影響を受けるからである。しかし人口密度が低下し、患者が広い地域に点在するようになれば、少人数の患者を送迎するために長距離を走らなければならなくなる可能性は高い。

 日本の慢性透析患者数は近年、減少に転じている。2021年末には約34万9,700人だった患者数が、2022年には約34万7,500人、2023年には約34万3,500人、2024年には約33万7,400人となり、3年連続で減少した。

 一方で、全国の透析収容能力が患者数と同じ速度で縮小しているわけではない。2024年の全国調査では、透析装置の台数には減少がみられるものの、同時に透析できる人数や最大収容能力については大きく減少していない指標もある。このため、「患者数が減っているから、近いうちに透析施設も同じ割合でなくなる」と単純に考えることはできない。

 今後は小規模施設の再編や機能分担が進み、一定規模の施設がより広い地域の患者を受け入れる形になる可能性もある。ただし、これは現在全国一律に進んでいると断定できる現象ではなく、人口動態や医療法人の経営状況、地域医療政策によって異なる将来シナリオの一つとして考えるべきである。

 もし施設の集約が進めば、患者から施設までの平均距離が伸びる地域も出てくる可能性がある。そのとき距離を補う役割を担うのが送迎であり、病院という建物だけでなく、患者の家と病院を結ぶ交通手段まで含めて医療提供体制として考える必要が出てくる。

 ただし、現在送迎があることと、10年後や20年後にも同じ条件で送迎を利用できることは別問題である。人口減少が進む地域では、医療スタッフだけでなく送迎車の運転手を確保することも難しくなる可能性があり、燃料費や車両費、人件費が上昇すれば、施設側が現在と同じ送迎範囲を維持できるとは限らない。

 そのため、老後の移住先や居住継続の可能性を考える場合、「現在送迎しているか」だけでなく、「どの地域まで送迎しているのか」「利用条件はあるのか」「自宅送迎なのか集合場所方式なのか」「車椅子対応が可能なのか」「将来もサービスを続ける方針なのか」といった点まで確認する方が現実的である。

 同じ「透析施設まで30km」の地域でも、自宅前まで送迎車が来る場合と、自力で施設まで行かなければならない場合では、生活条件はまったく異なる。地図上では同じ30kmでも、実際の生活上の距離は交通手段によって大きく変わる。

 さらに、平常時には送迎によって問題なく通院できても、台風、大雨、大雪、地震などの災害が起きれば状況は変わる。倒木や冠水によって道路が使えなくなれば、いつもの送迎ルートを通れなくなり、大きく迂回しなければならない場合や、そもそも送迎車が患者宅まで到達できない場合も考えられる。

 透析は買い物や通常の外来受診のように、「今日は行けないから数日後にしよう」と簡単に延期できる治療ではない。そのため透析医療では、大規模災害時にどの透析施設が稼働しているのかなどの情報を共有する災害時情報ネットワークが整備されている。

 ただし、情報ネットワークが存在することと、患者一人一人が実際に代替施設で透析を受けられることは同じではない。代替施設に空きがあるのか、道路が通行できるのか、患者をそこまで運ぶ車があるのか、施設に電力や水が確保されているのかなど、複数の条件がそろわなければ実際の治療にはつながらない。

 したがって、災害に強い地域とは単に自宅から最寄りの透析施設が近い地域とは限らない。通常利用している施設が使えなくなったとき、別の透析施設へ行ける経路があり、そこまで患者を運ぶ手段があり、代替施設にも受け入れ余力がある地域の方が、医療の継続性という意味では強い場合がある。

 こう考えると、老後の透析生活を評価するときには、一つの施設までの距離だけを見るのでは不十分である。最寄りの透析施設がどこにあるのか、その施設が自宅周辺まで送迎しているのか、さらにその施設が利用できない場合に次の透析施設がどこにあるのかという、少なくとも三つの条件を一つの地図の上で考える必要がある。

 そしてここまで考えると、「透析施設まで片道30kmの生活は成立するのか」という問いへの答えも見えてくる。片道30kmは透析通院として決して短い距離ではなく、実際の調査でも通院困難を評価する一つの基準として扱われている。しかし、それだけでその地域での生活が成立しないと判断することも適切ではない。

 自宅が送迎区域に入り、無理のない時間で施設まで行くことができ、施設の受け入れ能力が安定しており、さらに災害時の代替施設や交通経路が確保されているのであれば、片道30kmであっても透析生活が成立する可能性は十分にある。一方で、送迎がなく、自家用車以外の交通手段も乏しく、代替施設も遠い場合には、30kmという距離は老後の生活にとってかなり大きな制約になり得る。

 したがって問題は「30kmは遠いか近いか」という二者択一ではない。30kmという明確な負担を、交通、医療、人員、道路、施設の受け入れ能力といった地域システムによって、どこまで吸収できるかという問題である。

 迎えに来る車があるのか、その車を運転する人がいるのか、施設は安定して患者を受け入れられるのか、道路が使えない日には別の経路があるのか、そしてその仕組みを10年後にも維持できるのかというところまで見なければ、老後の医療アクセスは評価できない。

 地図の上では、病院は30km先にある。しかし毎週決まった日に送迎車が来て、無理のない時間で施設まで連れて行ってくれるのであれば、その30kmは必ずしも生活を断念しなければならない距離ではない。逆に、病院が10km先にあっても、そこへ行く交通手段がなければ、高齢になったときには非常に遠い病院になり得る。

 距離とは道路の長さだけでは決まらない。そこへ人を運ぶ仕組みがあるか、その仕組みが長期的に持続できるかによって、同じ30kmでも生活上の意味は大きく変わる。

 人口減少が進む地方で残すべきものは、透析施設という建物だけではないのだろう。患者の家々と施設の間を月曜日にも、水曜日にも、金曜日にも往復する送迎車、その車を運転する人、道路、災害時の代替施設までを含めて一つの地域医療として考える。その視点に立って初めて、「透析施設まで片道30km」という数字を、老後の生活の中で正しく評価できるのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 台風が通り過ぎた翌朝、いつもの道路を車で走ろうとすると、大きな木が道を塞いでいる。幹は道路を横切り、折れた枝は電線に絡まり、向こう側へ進むことができない。山間部では珍しくない光景であり、丘陵、山林、住宅地が複雑に入り交じる房総半島の外房地域でも、十分に起こり得る事態である。

 このような場合、多くの人が最初に考えるのは、役所へ連絡すれば倒木を片づけてもらえるだろうということである。実際、道路が通行できない状態を長期間放置すれば、住民の日常生活だけでなく、救急搬送、消防活動、介護サービス、ごみ収集、物流などにも支障が生じる。しかし、倒木を処理する責任が誰にあるのかという問題は、道路を管理する行政が対応すれば済むほど単純ではない。

 道路は行政が管理していても、そこへ倒れてきた木まで行政の所有物とは限らないからである。道路脇の山林から倒れてきた一本の木をたどっていくと、その先には、土地所有者の高齢化、相続登記の未了、森林管理の担い手不足、自治体の財政制約といった、日本の人口減少地域が抱える複数の問題が重なっている。

道路を管理する人と、木を管理する人は同じではない

 国道、県道、市町村道などの公道には、それぞれ道路管理者が定められている。道路法第42条では、道路管理者が道路を常時良好な状態に保つよう維持・修繕することが定められており、舗装の損傷や道路上の障害物などに対して、安全な通行を確保するための対応が求められる。

 しかし、道路の隣にある山林や宅地が私有地であれば、そこに生えている樹木は、原則として道路管理者の所有物ではない。千葉県も、道路上に張り出した枝や倒木の危険がある樹木について、基本的には土地所有者や管理者による適切な管理を求めている。千葉市も、私有地から道路にはみ出した樹木について、通常は市が自由に剪定や伐採を行えるものではないと説明している。

 ここで区別しなければならないのは、道路を安全に維持する責任と、樹木を所有・管理する責任である。例えば、道路脇の私有林に立つ木が台風によって倒れ、道路を塞いだ場合、道路管理者は通行規制や障害物の除去などを検討する必要がある。一方で、その木が適切に管理されていたか、倒木によって生じた損害を誰が負担するかについては、樹木の所有関係や管理状態などを踏まえた別の判断が必要になる。

 民法第717条では、竹木の栽植または支持に瑕疵があることによって他人に損害が生じた場合の責任について定めている。また、道路管理者についても、道路の設置または管理に瑕疵があれば、国家賠償法第2条に基づく責任が問題となることがある。ただし、台風で木が倒れたという事実だけで、土地所有者や道路管理者の賠償責任が自動的に認められるわけではない。予測可能性、危険の認識、管理状態、講じられた安全対策などを具体的に検討する必要がある。

 さらに、実際に倒木を撤去する主体と、その作業費用を最終的に負担する主体も、必ずしも一致しない。道路管理者が緊急的に通行を確保したとしても、そのことだけで費用負担の法律関係まで確定するわけではないのである。

御宿町の議会答弁に見る、倒木処理の現実

 こうした問題は、法律上の抽象的な議論だけではない。御宿町議会の2013年12月の定例会では、台風によって道路を塞いだ倒木の処理が取り上げられ、町が業者に委託して撤去したことや、電線に関係する倒木について電力会社へ対応を依頼したことが説明されている。また、周辺山林の土地所有者との調整が必要になるという問題も示されていた。

 翌2014年3月の町議会でも、大雪に伴う倒木が取り上げられている。道路上の木を撤去できた場合でも、電線を巻き込んだ倒木については電力会社の対応が必要となり、通行止めが長引くことがあったと説明されている。

 これらの答弁から分かるのは、道路を塞いだ一本の木を処理するために、道路管理者、土地所有者、電力会社、伐採事業者など、複数の主体が関係するということである。道路の障害物を取り除くだけなら比較的短時間で済む場合でも、電線の安全確認や樹木の所有関係、作業場所の確保などが重なれば、対応は複雑になる。

 倒木を発見した住民から見れば、必要なのは一刻も早い道路の復旧である。しかし、現場で実際に作業する側には、感電や幹の跳ね返り、二次倒木、作業中の交通事故などを防ぐ責任もある。特に電線が絡んでいる場合には、木が電線から離れて見えても危険なことがあり、一般の住民が安易に近づいたり、自分で切断したりすることは避けなければならない。

 このように倒木処理は、単に木を切る作業ではなく、道路管理、財産管理、電力設備管理、労働安全が交差する業務なのである。

一本の木の向こうに何人もの相続人がいる

 倒木の原因となった木が、現在もその土地に暮らす所有者のものであれば、行政が連絡して管理を求めることは比較的容易である。しかし、人口減少や高齢化が進んだ地域では、土地所有者を特定したり、連絡を取ったりすること自体が難しくなる場合がある。

 例えば、山林の登記名義人が何十年も前に亡くなり、相続登記が行われていなかったとする。子どもたちは地域外へ転出し、その後さらに相続が繰り返されれば、一筆の小さな山林に多数の相続人が関係する可能性がある。相続人が土地の存在を知らなかったり、存在を知っていても利用する予定がなかったりすれば、現実の管理が途絶えることも考えられる。

 政府が公表している2024年の国土交通省調査によれば、不動産登記簿のみでは所有者の所在が判明しない土地の割合は23%に達している。その主な発生原因として、相続登記の未了が63%、住所変更登記の未了が29%を占めている。ただし、この23%という数字は、登記簿だけでは所有者の所在が分からない土地の割合を示すものであり、戸籍などを追加調査しても所有者が分からない土地が同じ割合で存在するという意味ではない。

 また、所有者不明土地と管理されていない土地も、同じものではない。所有者が分からなくても近隣住民などによって一定の管理が続いている土地がある一方、所有者が明確でも、経済的な事情や高齢化などによって十分に管理されていない土地もある。したがって、所有者不明土地の割合を、そのまま管理放棄地や倒木危険箇所の割合と考えることはできない。

 それでも、相続が重なることで所有関係が複雑になり、管理を担う人と土地との距離が広がっていくことは、人口減少地域の土地管理を考えるうえで無視できない問題である。山林の位置を知る人がいなくなり、相続人も日常的には現地を訪れなければ、危険な樹木が発生しても、それを発見して対処する機会が少なくなる可能性がある。

土地の管理不足が道路に影響するという外部性

 山林や空き地の管理を、土地所有者だけの問題として扱うことには限界がある。樹木の枝が道路へ張り出せば大型車両の通行を妨げることがあり、竹や雑草が繁茂すれば道路の見通しが悪化する。落ち葉や土砂が側溝に堆積すれば排水機能に影響し、枯れ木や傾斜した木が道路や電線に倒れれば、交通や電力供給に被害が及ぶ可能性がある。

 経済学では、ある主体の行動や管理状態が、その費用を直接負担しない第三者へ影響することを外部性と呼ぶ。道路沿いの土地管理でも、所有者が管理費用を負担しないことによって、道路管理者、電力会社、道路利用者、近隣住民などに損失が生じる場合があり、これは負の外部性として考えることができる。

 例えば、道路に隣接する山林の危険木について、所有者が伐採費用を負担できず、処置が先送りされたとする。その後、木が倒れて道路が閉塞し、行政が作業員や重機を手配することになれば、撤去費用だけでなく、交通規制や迂回による時間的損失も生じる。救急搬送や停電復旧が遅れるような場合には、金銭的に評価しにくい損失が加わることも考えられる。

 もっとも、倒木が発生したからといって、必ず管理不足が原因だったとは限らない。適切に管理されている森林でも、想定を超える強風や豪雨によって倒木が発生することはある。重要なのは、所有者の管理不足によって防ぐことができた被害と、自然災害によって避けることが困難だった被害を区別することである。

 公的な支援を考える場合にも、個人の財産管理を無条件に税金で肩代わりすることが合理的とは限らない。しかし、私有地の樹木が倒れることで多数の住民や公共サービスに大きな被害が及ぶならば、所有者による管理を促すために一定の公的支援を行うことには、社会的な費用を減らすという合理性が生まれる。

管理されていない森林は本当に倒れやすいのか

 人口減少によって森林の管理が行き届かなくなれば、倒木が増えると考えたくなる。しかし、この関係を科学的に説明するには注意が必要である。樹木の倒壊には、最大瞬間風速や風向、樹高、樹冠の形状、幹の腐朽、根の発達状態、土壌の水分、地形、周囲の樹木との位置関係など、多くの要因が関係するからである。

 2019年9月の房総半島台風では、千葉県内の広い範囲で風倒木が発生した。千葉県と林野庁などによる学識経験者を交えた緊急調査では、非常に強い風に地形的な条件が重なり、人工林や天然林、樹種などにかかわらず被害が発生したことが示されている。また、スギの腐朽が確認された場所でも、腐朽した木が必ず倒れたわけではなく、腐朽していない木が倒れた事例もあったため、病害だけを倒木の原因と断定することはできないとされた。

 この調査結果は、倒木をすべて森林管理不足の結果として説明することが科学的に正しくないことを示している。森林の管理履歴と倒木との関係を明らかにするには、実際の風速、樹木の状態、地形、過去の伐採や間伐の状況などを比較する必要がある。

 一方で、管理の担い手が不足することによって、枯死木や著しく傾斜した木を発見できなかったり、危険と判断されても処置が遅れたりする可能性はある。つまり、人口減少が直接木を倒すというより、危険を発見し、評価し、適切に対処する地域の能力を低下させることが問題なのである。

 樹木を一律に伐採することにも注意が必要である。森林には土壌の保持、水源の涵養、生物多様性の保全などの機能があり、伐採方法によっては、かえって斜面の不安定化や周辺樹木の風当たりの変化を招くことも考えられる。道路沿いの森林管理は、木を残すか切るかという単純な選択ではなく、道路への影響と森林の機能を総合的に判断する必要がある。

2019年房総半島台風が示した道路と電力の相互依存

 倒木の影響が道路だけにとどまらないことを示した代表的な事例が、2019年の房総半島台風である。この台風では千葉市で最大瞬間風速57.5メートルを観測するなど、記録的な暴風によって広い範囲に被害が発生した。内閣府の防災白書によれば、停電は最大約93万4,900戸に及び、倒木や飛散物による配電設備の損傷に加え、現場の被害確認や倒木処理に時間を要したことなどから、復旧作業が長期化した。

 ここで重要なのは、道路と電力設備が相互に依存しているということである。電線に樹木が絡めば道路を安全に通行できないことがあり、倒木で道路が塞がれれば、電力会社の作業車両が設備の復旧現場へ到達することも難しくなる。電力が復旧しなければ、地域の通信設備や給水設備などに影響が続く場合もある。

 したがって、一本の倒木が道路の通行止めにとどまらず、停電復旧の遅れ、通信障害、生活サービスの停止といった複数の問題につながる可能性がある。ただし、2019年の風倒木のうち、どの程度が所有者不明土地や管理放棄地で発生したかについては、別途調査が必要であり、この災害を土地管理不足が主な原因だったと断定することはできない。

 それでも、この災害経験から得られる教訓は明確である。道路沿いの森林管理は、道路管理だけでなく、電力供給や災害復旧の迅速性にも関係しているのである。

所有者不明土地への対応制度は変わってきた

 土地所有者の所在が分からないことや、管理の不十分な土地が増えることに対応するため、日本の土地制度は近年大きく改正されてきた。2023年4月に施行された改正民法では、隣地から越境した竹木の枝について、所有者へ切除を求めても相当期間内に対応しない場合、所有者やその所在が分からない場合、急迫した事情がある場合などには、越境された土地の所有者が一定の条件で枝を切除できるようになった。

 この仕組みは、国や地方公共団体が所有する道路用地に隣地の枝が越境している場合にも関係する。ただし、民法第233条が認めているのは、基本的には越境した枝の切除であり、道路脇にある私有地の危険木を、行政が常に根元から自由に伐採できるという意味ではない。道路へ張り出した枝と、まだ道路へ越境していない木、既に倒れて道路を塞いでいる木では、必要となる法的判断が異なる。

 さらに、2023年4月には所有者不明土地管理制度と管理不全土地管理制度も始まっている。前者は、必要な調査を行っても所有者やその所在が分からない土地について、裁判所が管理人を選任する仕組みである。後者は、所有者が判明している場合でも、土地が適切に管理されず、他人の権利や利益が侵害されるおそれがあるときなどに利用が検討される制度である。

 今回の倒木問題では、所有者不明土地だけでなく、所有者が分かっていても管理が行われていない土地が重要になるため、両制度を区別して考える必要がある。ただし、これらの管理制度には申立てや裁判所の手続、費用などが関係するため、倒木によって道路が塞がれた際の即時対応を、そのまま担う制度ではない。緊急的な道路の安全確保と、中長期的な土地管理の正常化は、分けて考える必要がある。

 不動産登記制度についても、2024年4月から相続登記が義務化され、2026年4月からは住所や氏名の変更登記も義務化された。相続によって不動産を取得したことを知った場合には原則3年以内、住所や氏名が変更された場合には原則2年以内に登記申請を行う仕組みである。こうした制度改正は所有者情報を把握しやすくする方向へ進んでいるが、過去に登記が更新されていない土地の問題が直ちに解消するわけではない。

 また、土地所有者が明確になることと、その所有者が森林を管理できることも別である。所有者が高齢である場合や、遠隔地に居住している場合、伐採費用を負担する余裕がない場合には、登記情報が正確であっても現実の管理が進まない可能性がある。

森林経営管理制度と御宿町の森林整備計画

 森林管理については、民法だけでなく森林経営管理制度も重要である。この制度は、手入れが行き届いていない森林について、市町村が森林所有者から経営管理の委託を受け、林業経営に適した森林は林業経営体に再委託し、それ以外の森林については一定の条件の下で市町村が管理する仕組みである。所有者が不明な森林などについても、必要な手続きを経て対応するための特例が設けられている。

 ただし、森林経営管理制度は、道路沿いのすべての危険木を市町村が処理するための制度ではない。対象となる森林の条件や所有関係、必要な手続、地域の森林整備方針などを踏まえて利用する必要がある。それでも、民有林の管理を所有者個人に任せるだけでは難しい場合に、市町村や林業経営体が関与する仕組みとして意味がある。

 御宿町の森林整備計画にも、道路や電線、公共施設、人家などへの倒木や落枝の被害を防止するための伐採に関する規定がある。通常、森林整備計画では樹種ごとに標準伐期齢が設定されているが、道路などに直接被害を与える可能性がある区域で、倒木や落枝による被害を防止するために伐採する場合には、その標準伐期齢を適用しないとされている。

 この規定は、森林を木材生産の対象としてだけでなく、周辺の道路や住宅の安全との関係から管理する必要性を認めている点で重要である。ただし、標準伐期齢を適用しないことは、すべての危険木について行政が伐採費用を負担したり、所有者の承諾なしに自由に伐採したりできることを意味しない。

 したがって、御宿町の道路沿いの森林管理を実証的に評価するには、森林整備計画の内容だけでなく、危険木の調査件数、所有者への対応状況、実際の伐採実績、事業費、道路閉塞の発生状況などを確認する必要がある。制度が存在していることと、制度が地域の危険を十分に減らしていることは、同じではないのである。

山間部だけでなく住宅地の境界にも問題がある

 倒木という言葉から山奥の森林を想像する人は多いが、住宅地と山林の境界にも同様の問題が存在する。高度経済成長期以降に造成された住宅地の背後に残された雑木林、宅地と宅地の間にある細長い竹林、空き家の裏側に残された樹木などは、住民にとって身近でありながら、所有関係や管理状況が分かりにくい場合がある。

 こうした土地では、かつての所有者が亡くなり、相続人が地域外に居住していることも考えられる。また、住宅地の中にある小規模な林地は、林業経営の対象として管理することも難しく、所有者にとって費用をかけて管理する経済的な動機が乏しい場合がある。

 山間部と住宅地のどちらが倒木管理の面で困難なのかを一概に判断することはできない。山間部には作業車両の進入が難しい場所や迂回路の少ない道路があり、住宅地には家屋や電線が近接していて伐採作業が複雑になる場所がある。さらに、住宅地では一本の木が倒れたとき、道路だけでなく隣家や通行人にも被害が及ぶ可能性がある。

 重要なのは、山林の広さだけで危険性を判断しないことである。面積の小さい土地であっても、そこにある樹木の位置や高さ、周囲の道路や住宅との距離によっては、大きな被害につながることがある。

一本の倒木が地域を孤立させる道路網の弱さ

 人口減少地域の道路管理を考える場合、倒木の発生件数だけでなく、道路網の構造にも注目する必要がある。都市部のように複数の迂回経路が存在する場所では、一本の道路が通行止めになっても、別の道路を利用できる可能性がある。しかし、丘陵地や谷沿いの集落では、生活道路が限られ、特定の道路が地域の外部とつながる唯一の経路になっている場合がある。

 道路網を数学的に考えると、交差点や集落を点、道路をそれらを結ぶ線として表すことができる。このとき、ある一本の道路が失われることで道路網が分断される場合、その道路はネットワーク全体にとって特に重要な部分となる。

 例えば、20世帯が暮らす集落と市街地を結ぶ道路が一本しかないと仮定する。その道路が倒木で塞がれ、他に自動車の通行できる経路がなければ、わずか一本の木によって集落が事実上孤立する可能性がある。別の経路が存在する場合でも、大幅な迂回が必要になれば、救急搬送や介護サービスの提供時間に影響が生じる。

 ここで重要なのは、道路の長さや利用者数だけでは、道路閉塞による被害の大きさを評価できないということである。交通量が少ない道路でも、その先に住む人々にとって唯一の生活道路であれば、通行できなくなった場合の損失は大きい。

 したがって、危険木の管理では、樹木の倒壊可能性に加え、道路が塞がれた場合の迂回路の有無、影響を受ける世帯数、救急車両の到達時間、電力設備への影響などを評価することが合理的である。限られた予算で予防管理を行うなら、危険木を単純に本数順で処理するのではなく、道路網全体への影響を考慮した優先順位が必要になる。

予防伐採は倒木処理より合理的なのか

 倒木が道路を塞いでから撤去するより、危険な木を事前に伐採した方がよいという考え方には合理性がある。しかし、道路沿いの樹木をすべて予防的に伐採することが、経済的にも環境的にも適切とは限らない。予防伐採が合理的かどうかは、伐採費用と、倒木によって生じる損失の大きさ、さらに倒木の発生確率を比較して判断する必要がある。

 例えば、ある危険木が道路を塞ぐ年間確率を3%、倒木が発生した場合の社会的損失を500万円と仮定する。この場合、年間の期待損失は15万円となる。予防伐採によって道路閉塞の確率を1%まで減らせると仮定すれば、予防後の年間期待損失は5万円となり、差額の10万円が一年当たりの期待損失削減額になる。

 この効果が5年間続き、年間割引率を3%と仮定すると、5年間の期待損失削減額を現在価値に換算した合計は約45.8万円となる。予防伐採の費用が30万円で、追加の維持管理費などを考慮しなくてよいという条件ならば、期待損失の削減額が費用を上回る計算になる。ただし、ここで使用した確率や金額は考え方を示すための仮定であり、実際の御宿町や外房地域の倒木発生確率、伐採費用、被害額を示すものではない。

 反対に、倒木の発生確率が極めて小さく、道路が塞がれても容易に迂回できる場所であれば、高額な予防伐採の費用が期待損失を上回る可能性もある。また、伐採によって斜面の安定性や周囲の樹木の風に対する条件が変わる場合には、その影響も考慮する必要がある。

 つまり、合理的な道路沿いの森林管理とは、危険が少しでもある木をすべて切ることではない。倒木が発生する可能性と、発生した場合の社会的損失、予防に必要な費用を比較し、被害軽減効果の大きい場所から対応することである。

本当の問題は倒木処理費だけではない

 人口減少と道路管理の関係を考えるために、仮にある町に、道路沿いで継続的な管理が必要な民有林や空き地が1000か所存在するとする。現在はそのうち900か所で所有者などによる管理が行われ、残り100か所で管理上の課題が生じていると仮定する。

 ところが30年後、相続や高齢化、地域外への転出などを背景に、管理が十分に行われない土地が300か所、400か所へ増えた場合、行政や地域が把握しなければならない管理上の課題は大きく増加する。この数字は将来予測ではなく、管理対象の変化を考えるための仮定である。また、管理が不十分な土地が4倍になったからといって、倒木件数や処理費用まで単純に4倍になるわけではない。

 それでも、道路の延長や森林の面積がほとんど変わらない一方で、土地を管理する人や地域の人口が減少すれば、一人当たりの管理負担が増える可能性がある。例えば、道路延長が変わらない地域で人口が半減した場合、住民一人当たりの道路延長は計算上2倍になる。ただし、道路管理費用が必ず2倍になるという意味ではなく、人口や税収の変化に対して維持対象が容易には縮小しないという構造を示している。

 また、地域人口が減少しても自治体職員や伐採事業者が同じ割合で減るとは限らない。しかし、森林管理に必要な人材の確保が難しくなれば、危険木の調査、所有者との交渉、業者の手配、予算の確保などに要する時間が増え、対応可能な件数が制約されることは考えられる。

 この問題は、道路、水道、橋梁、側溝、水路など、人口減少地域のさまざまな維持管理問題と共通している。人口が減っても施設や土地が同じ割合で減るわけではなく、維持しなければならない対象が残る一方で、それを支える人員や財源が制約されるのである。

千葉市が始めた危険樹木の予防伐採支援

 こうした課題への対応として注目されるのが、千葉市が2025年3月27日から実施している緊急輸送道路沿道樹木伐採奨励制度である。この制度は、災害時に緊急輸送道路の通行を確保することを目的として、市が管理する緊急輸送道路の沿道民有地にある危険な樹木について、所有者などによる伐採を奨励金で支援するものである。

 対象となるのは、幹周や樹高、倒木のおそれ、道路が塞がれた場合の通行への影響など、一定の条件を満たす樹木である。したがって、千葉市内のすべての道路沿いの樹木が対象になるわけではなく、地域森林計画の対象森林で森林整備事業の補助要件を満たす場合など、対象外となる条件も設けられている。2026年3月には制度内容の一部変更も行われている。

 この制度の特徴は、行政が私有地の樹木をすべて直接管理するのではなく、所有者などによる事前の危険除去を支援する点にある。道路が塞がれてから緊急的に撤去する方法だけでなく、道路閉塞そのものを減らそうとする予防的な管理であり、道路と民有地の境界にある危険へ対応する政策の一例といえる。

 もっとも、制度の効果を評価するには、奨励金を交付した件数や伐採本数だけでなく、どのような危険箇所を対象としたのか、道路閉塞のリスクがどの程度低下したのか、事業費に対してどれほどの被害軽減効果があったのかを検証する必要がある。制度が導入されたという事実だけで、費用対効果が十分であると判断することはできない。

倒木を防ぐ森林整備は既に始まっている

 千葉県でも、2019年の房総半島台風などによる森林被害を踏まえ、道路や電線などの重要インフラ施設周辺において、災害に強い森林づくりが進められている。県が示す整備の方向性には、重要インフラ周辺の森林について、風倒木が発生しても施設へ被害を与えにくい、最大樹高10メートル程度を目標とする低樹高の森林への転換が含まれている。

 この考え方は、樹木を単純にすべて除去するのではなく、森林の構造や樹高を調整することで、道路や電力設備への被害を軽減しようとするものである。ただし、具体的な整備方法は地形、森林の状態、樹種、保全すべき機能などによって異なるため、どの地域にも同じ伐採基準を機械的に当てはめることは適切ではない。

 重要なのは、森林の管理と道路の安全確保が、既に政策上の共通課題として認識されているということである。今後、御宿町、いすみ市、勝浦市、大多喜町などで地域の安全性を考える際にも、道路管理部門だけでなく、森林、農地、防災、都市計画などの関係部門が情報を共有し、危険箇所を把握する仕組みが重要になると考えられる。

所有者を探すことだけでは管理問題は解決しない

 これまでの土地管理制度では、所有者を特定し、その人へ適切な管理を求めることが基本的な考え方だった。もちろん、所有者を把握することは重要であり、相続登記や住所変更登記の義務化によって、所有者情報の正確性が高まることには意味がある。

 しかし、所有者が分かったとしても、高齢で現地を訪れることができない場合や、伐採費用を負担することが難しい場合、権利関係が複雑で関係者の調整に時間がかかる場合には、管理上の問題が残る。また、遠隔地に居住する相続人にとって、経済的な利用価値が小さい山林を定期的に管理することは、現実的に難しい場合もある。

 こうした状況では、所有者の責任を明確にすることと、実際に管理を可能にする仕組みを整えることの両方が必要になる。例えば、複数の土地をまとめて管理する仕組みや、一定の条件で公的支援を行う制度、地域の森林事業者へ継続的に作業を委託できる体制などが考えられる。

 その一方で、行政があらゆる私有地の管理を引き受けることには限界がある。管理費用を無制限に公費で負担すれば、税負担の公平性や他の行政サービスとの優先順位が問題になるためである。したがって、所有者の負担を基本としながら、公共の安全への影響が大きい場所では合理的な範囲で支援するという、費用負担の制度設計が必要になる。

30年後の道路管理は道路の中だけを見ていては成立しない

 今後の道路管理では、舗装や橋梁の維持だけでなく、道路に隣接する山林、竹林、空き家、耕作放棄地、崖、水路などの状態を含めて安全性を考える必要性が高まる可能性がある。道路そのものが健全であっても、周辺の土地から倒木や土砂が流入すれば、交通機能は失われるからである。

 ただし、将来の倒木件数や管理費用がどの程度増えるかについては、現時点で十分な地域別データがそろっているとは限らない。人口減少と倒木の増加を直接結びつけるのではなく、土地所有者の変化、森林管理の実態、樹木の危険度、道路閉塞の発生状況などを継続的に調査することが必要である。

 例えば、自治体が道路沿いの危険箇所を記録する際には、樹木の高さや道路からの距離、腐朽や傾斜の状態、土地所有者への連絡状況、過去の倒木履歴などを整理することが考えられる。さらに、道路が通行不能になった場合の迂回路や影響世帯数を組み合わせれば、どの場所の管理を優先すべきかを、より客観的に判断できる。

 このような情報を地理情報システムで管理すれば、現場からの通報や過去の作業記録を蓄積し、危険箇所の分布を把握することも考えられる。ただし、地理情報を整備すること自体が目的ではなく、実際の点検、所有者との調整、伐採などの対策につながることが重要である。

 また、倒木を完全になくすことは不可能である以上、予防管理だけでなく、発生後の対応も欠かせない。道路閉塞時の連絡体制、電力会社との調整、伐採事業者の確保、重機が進入できる経路、伐採木の仮置き場などを平常時から検討しておくことは、災害復旧の迅速性に関係する。

 人口減少地域にとって必要なのは、道路沿いの樹木をすべて行政が管理することではなく、危険を発見して対処する仕組みを、地域の人口や財政規模に見合う形で維持することなのである。

倒木一本から見える人口減少社会の本質

 道路に倒れた一本の木は、作業員がチェーンソーで切断し、幹や枝を撤去すれば、目に見える問題としては解決する。しかし、その木が倒れる前に危険を発見できなかったのか、誰が管理すべきだったのか、所有者へ連絡できたのか、予防的な処置が可能だったのかという問題は、道路が再び通れるようになっても残る。

 人口減少によって必ず倒木が増えると断定することはできない。また、所有者不明土地が倒木の主な原因であると判断するためには、実際の倒木発生地点と土地所有・管理状況を結びつけた調査が必要である。しかし、所有者や地域住民の高齢化、相続による権利関係の複雑化、森林管理の担い手不足などによって、危険な樹木を発見し、処理する能力が低下する可能性は、地域の将来を考えるうえで重要な課題である。

 かつては、土地所有者や農家、林業関係者、自治会、近隣住民などが、日常生活や生業の中で土地の状態を確認し、草木を管理していた地域もあった。そうした管理がどの程度行われていたかは地域によって異なるが、行政サービスとして明示されない形で、周辺環境の維持に寄与していた可能性がある。

 人口減少によって失われるものは、単なる居住人口や労働力だけではない。土地の状態を知る人、危険な変化に気づく人、必要な作業を行う人、所有者との関係を知る人など、地域の管理を支えてきた知識やつながりが弱まることも考えられる。

 30年後も地方の道路を安全に使い続けられるかどうかは、舗装を何キロ補修できるか、橋梁を何本修繕できるかという指標だけでは決まらない。道路の周囲にある土地がどのような状態にあり、誰がその変化を把握し、危険が発生したときに誰が対処できるのかという、道路管理の外側にある条件も重要になる。

 人口が減っても、山林や道路が同じ割合で減るわけではない。樹木は生長を続け、道路沿いの土地には管理の必要性が残り続ける。その一方で、それらを管理する人や地域の財政的な余力には制約が生じる可能性がある。

 だからこそ、これからの地域管理では、所有者不明土地や管理が難しくなった土地を例外的な問題として扱うだけでなく、そうした土地が存在することを前提に、危険の把握、予防管理、緊急対応、費用負担の仕組みを組み合わせて考える必要がある。

 道路を守るということは、道路の舗装だけを守ることではない。その周囲の森林や土地を含め、地域の交通機能を維持することである。一本の倒木が示しているのは、自然災害の脅威だけでなく、土地を所有する人と、実際に土地を管理できる人との距離が広がっていく社会において、公共の安全をどのように維持していくのかという問題なのである。

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