地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

70歳80歳90歳で生活圏はどのように小さくなるのか~「行ける場所」が変わっていく高齢社会の地図

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若いころ、町は思っているより広い。

少し遠いスーパーへ行くことも、隣の市の病院へ行くことも、駅まで車を走らせて電車に乗ることも、それほど特別な行動ではない。二十キロ、三十キロ離れていても、そこまでの道路と交通手段がつながっていれば、その場所は自分の日常の中にある。地図の上では遠くても、心理的には近いのである。

ところが年齢を重ねると、この関係が少しずつ逆転していく。

道路は昨日までと同じ場所にある。スーパーも病院も移転していない。それなのに、以前は「いつでも行ける場所」だったところが、やがて「用事がなければ行かない場所」になり、その次には「誰かに連れていってもらわなければ行けない場所」になっていく。最後には、わずか数キロ先にある店さえ、自分の日常から消えることがある。

高齢者の生活圏が小さくなるとは、町そのものが小さくなることではない。自分が自由に動かせる地図の範囲が、小さくなっていくことである。

そして、この変化を70歳、80歳、90歳という三つの年代から眺めてみると、高齢社会の町づくりにとって非常に重要な問題が見えてくる。

70歳~町全体がまだ自分の生活圏にある時代

70歳という年齢だけを見て、「生活圏が狭くなる」と考えるのは適切ではない。70代でも仕事を続け、旅行をし、自動車を運転し、趣味のために遠方へ出掛ける人は珍しくないからである。年齢には大きな個人差があり、70歳になった瞬間に行動範囲が変わるわけではない。

ただし、統計を大きく眺めると、変化の入口はすでに見え始めている。国土交通省の全国都市交通特性調査では、60代に比べて70代では仕事のための移動が大きく減り、買い物や散歩などの日常生活に近い移動の比重が高くなる。また、70代の外出率は60代より低くなる傾向も確認されている。つまり70代では、単純に「動けなくなる」というより、生活圏を構成していた移動の目的そのものが変わり始めるのである。

会社へ向かう毎朝の道がなくなり、仕事先の近くにあった店へ行かなくなる。仕事帰りに立ち寄っていた書店も、駅前の飲食店も、生活上の必要がなければ少しずつ日常の地図から外れていく。身体的には行くことができても、行く理由がなくなることで、最初の生活圏縮小が起きる。

それでも70代前半くらいまでなら、多くの人にとって町はまだ「選べる場所」である。今日は近くのスーパー、明日は隣町の大型店、具合が悪ければ少し遠い専門病院というように、複数の選択肢から行き先を選ぶことができる。

この「選べる」という点が重要である。

生活圏の大きさは、単に何キロ移動できるかだけでは決まらない。三つのスーパーから好きな店を選べる人と、一番近い一店舗にしか行けない人では、同じ町に住んでいても生活圏の質が違う。70代は、少しずつ移動量が減りながらも、まだこの選択権を保っている人が多い年代だと考えることができる。

しかし地方では、この状態を支えているものがある。

自動車である。

内閣府の調査では、外出手段として自分で運転する自動車を使う割合は都市規模が小さくなるほど高くなる傾向があり、町村では高齢者の生活と自動車の結び付きが強い。大都市なら徒歩、鉄道、バス、自動車を組み合わせることができても、地方では自動車という一本の太い線によって、スーパー、病院、銀行、役所が結ばれている場合が多い。

そのため地方の70代は、一見すると非常に広い生活圏を保っているように見える。しかしその広さは、必ずしも町の便利さによって生まれているわけではない。自分で車を運転できるという一つの能力によって、広い生活圏を人工的に維持している面がある。

ここに、80代へ向かうときの大きな境目がある。

80歳~生活圏が「面」から「線」へ変わる

80歳になると、生活圏は必ず狭くなるのだろうか。

もちろん、そうとは限らない。80代でも自動車を運転し、旅行をし、日常的に外出する人はいる。しかし集団として眺めると、移動手段の構成は明らかに変わってくる。

内閣府の調査では、80歳以上で外出時に「自分で運転する自動車」を利用すると答えた人は26.4%である一方、「徒歩」は58.5%、「家族などの運転する自動車」は36.1%となっている。複数回答なので単純な比較はできないが、年齢が上がるにつれて、自分自身の運転から徒歩や家族による送迎へ比重が移っていく姿ははっきりしている。

ここで生活圏に大きな変化が起こる。

70代までの生活圏が地図上の「面」だったとすれば、80代ではそれが何本かの「線」になっていく。

自宅からスーパーへ行く線、自宅から病院へ行く線、自宅から銀行へ行く線。以前なら途中で別の店に寄ったり、その日の気分で違う道路を通ったりしたものが、次第に決まった目的地と決まった経路に集約されていく。

遠くへ行けないわけではない。家族が車で連れていってくれれば、50キロ離れた病院にも行けるかもしれない。しかし、自分の意思だけで「ちょっと行ってみよう」と動ける範囲は狭くなっている。

この違いは大きい。

誰かに送ってもらえば行ける場所は、地理的には生活圏に含まれていても、自立した生活圏とは言いにくい。相手の都合を聞き、日程を合わせ、お願いしなければならないからである。距離そのものは変わっていないのに、移動に社会的な手続きが一つ加わる。

そして地方では、この変化が都市以上に大きな意味を持つ。

都市なら、自動車を運転しなくなった後でも、駅まで500メートル、スーパーまで700メートル、診療所まで800メートルという環境が存在し得る。ところが自動車を前提として造られた地域では、スーパーまで五キロ、病院まで十キロという距離が珍しくない。若いころには十分近かった五キロが、運転しなくなった瞬間に突然遠くなるのである。

道路は同じである。

距離も同じである。

変わったのは人間の側である。

だから、高齢社会の生活圏を考えるとき、「施設まで何キロあるか」だけを測っても十分ではない。「その距離を誰の力で移動できるのか」を考えなければならないのである。

高齢者の生活空間に関する研究でも、生活空間は単なる最大移動距離ではなく、どこまで移動したか、それをどのくらいの頻度で行ったか、さらに他人の助けを必要としたかという組み合わせで捉えられている。つまり、一か月に一度家族の車で遠方へ行く人と、毎日自分で近所へ出掛ける人を、単純な移動距離だけで比較することはできない。

80代とは、町から切り離される年代というより、町とのつながり方が変わる年代なのかもしれない。

90歳~生活圏は「場所」から「人」へ変わっていく

90歳になるとどうなるのか。

ここは特に慎重に考える必要がある。90歳だから自宅周辺しか動けない、と一律に決めることはできない。90代でも一人で外出する人もいれば、80歳になる前から移動に介助を必要とする人もいるからである。70歳、80歳、90歳という区切りは、生物学的な境界線ではなく、生活圏が変化していく過程を考えるための目安にすぎない。

それでも、非常に高齢になるにつれて生活圏が自宅や近隣へ集約されやすくなることは、多くの研究が示している。高齢者自身が感じる生活圏を調べた研究では、65~79歳では市全域を生活圏と感じる人が多い一方、80歳以上では自治会・町内会程度の身近な範囲を生活圏と感じる人が増えていた。また、外出頻度が低くなるほど、認識される生活圏も狭くなる傾向が確認されている。

90歳前後になると、生活圏はさらに別の姿を見せる可能性がある。

近所の店へ自分が行くのではなく、家族が買ってくる。薬局へ薬を取りに行くのではなく、誰かに頼む。遠くの友人に会いに行く代わりに、電話をする。美容院、銀行、役所、病院という目的地のうち、自分自身が出向く場所は少なくなり、反対に人やサービスの側が自宅へ近づいてくる。

ここまで来ると、生活圏は単なる地理ではなくなる。

70歳の生活圏が「自分が行ける場所」であり、80歳の生活圏が「助けがあれば行ける場所」まで含むものだとすれば、90歳の生活圏では「自分のところへ来てくれる人」が極めて重要になる。

家族が週に何回来るのか。宅配が利用できるのか。訪問診療を受けられるのか。介護サービスが来てくれるのか。近所に声を掛けてくれる人がいるのか。

若いころには地図上の距離で決まっていた生活圏が、最後には人間関係とサービスの網によって決まるようになる。

これは少し不思議な逆転である。

人生の前半では、人間が町の中を動き回ることで生活圏を広げる。人生の後半では、人や物やサービスが自分のところへ来てくれることで生活圏を維持するようになるのである。

生活圏はゆっくり縮むとは限らない

ただし、実際の生活圏は70歳から80歳、80歳から90歳へと、定規で測ったように少しずつ縮んでいくわけではない。

むしろ、ある日突然小さくなることがある。

長年運転していた人が免許を返納する。その日まで十キロ先のスーパーが日常の買い物先だったのに、翌日からそこへ一人では行けなくなる。夫婦のどちらかが運転していた家庭なら、その人が運転できなくなっただけで、もう一人の生活圏まで同時に縮む。

あるいは、近所のスーパーが閉店する。

昨日まで800メートルだった買い物先が、突然五キロ先になる。若い人なら自動車で数分の違いにすぎない。しかし徒歩を中心に生活する高齢者にとっては、これは「店が少し遠くなった」のではなく、「店が生活圏から消えた」ことに近い。

高齢者の買い物を調べた内閣府の調査でも、町村では買い物に自動車を使う割合が非常に高い一方、75歳以上の女性では自分で運転する割合が大きく低下し、徒歩や家族の支援へ移っている。施設の有無と、その施設を実際に利用できるかどうかは別の問題なのである。

高齢者の生活圏を一気に狭めるのは、年齢そのものより、このような「一本の線が切れる瞬間」なのかもしれない。

70歳では「面」、80歳では「線」、90歳では「点」になる

生活圏の変化を一枚の地図として想像してみる。

70歳の地図には、自宅を中心として多くの場所が描かれている。スーパーが三つあり、病院が二つあり、銀行があり、友人の家があり、少し遠くには大型商業施設もある。それぞれの場所は複数の道路で結ばれ、今日はどこへ行くかを自分で決めることができる。生活圏はまだ「面」として広がっている。

80歳になると、その面の中から、よく使う経路だけが残り始める。いつものスーパー、いつもの病院、いつもの銀行へ向かう道である。行動範囲は地図全体ではなく、何本かの線によって構成されるようになる。

そして90歳前後になると、その線さえ少なくなり、自宅、近所、病院、家族の家といった少数の場所が生活の中心になる場合がある。地図は点の集まりに近づいていく。

しかし、その「点」が孤立しているとは限らない。

家族が来る。宅配便が来る。医療や介護の人が来る。友人から電話が来る。行政から情報が届く。自分自身が遠くまで移動できなくなっても、外の社会と結ばれていれば、生活そのものまで小さくなるとは限らない。

ここに、高齢社会を考えるうえで非常に重要な違いがある。

身体的な生活圏が小さくなることと、社会的な生活圏が小さくなることは同じではない。

高齢者に必要なのは「何でも近くにある町」だけではない

高齢社会の町づくりというと、病院やスーパーを近くに集めるコンパクトな町を想像しやすい。それは確かに重要である。しかし、すべての住民を病院やスーパーの徒歩圏に住ませることは現実には難しい。

特に地方では、すでに広い範囲に住宅が存在している。そこに暮らしてきた人へ、80歳になったから中心部へ引っ越してくださいと言っても簡単ではない。

だから必要なのは、生活圏が縮小していくことを前提とした地域の仕組みである。

70代までは自分で移動できる。その後、運転が難しくなれば公共交通や送迎へ移る。そして外出そのものが難しくなれば、買い物、医療、介護、行政といったサービスの一部が家の近くまで来る。

つまり、人間の生活圏が小さくなるのなら、社会のサービス圏を反対に広げなければならない。

この二つがすれ違ったとき、高齢者は地域に住んでいながら地域から切り離される。

スーパーはある。

病院もある。

役所もある。

道路もある。

それなのに、そこへ行けない。

高齢社会で本当に恐ろしいのは、施設が完全になくなることだけではない。施設が存在しているのに、自分の日常からは消えてしまうことである。

90歳になった自分の地図から町を眺めてみる

地域の将来を考えるとき、人口推計や財政数字を見ることはもちろん重要である。しかし、ときにはもっと単純な方法が、その町の弱点を教えてくれる。

自分が90歳になったと想像してみるのである。

自動車を運転しない。長い距離を歩くのは難しい。夜の外出はできるだけ避けたい。それでも食料を買い、薬を受け取り、病院へ行き、現金を用意し、役所の手続きをしなければならない。

そのとき、自宅の玄関からどこまで一人で行けるだろう。

現在の町の地図を眺めると、道路や施設の位置は分かる。しかし、高齢者の暮らしを考えるなら、本当に必要なのはもう一枚の地図である。

70歳の人が行ける町。

80歳の人が行ける町。

90歳の人が行ける町。

同じ住所に住み続けていても、この三枚の地図は同じではない。

人口減少が進む地方では、これからスーパーや診療所、銀行、ガソリンスタンド、公共交通などの配置も変わっていくだろう。その一方で住民自身も年齢を重ね、移動できる範囲を変えていく。施設が遠くなる変化と、人間の生活圏が小さくなる変化が同時に進むのである。

だから、これから地域を見るときに問うべきなのは、「この町には病院があるか」だけではない。

「80歳になっても、その病院へ行けるか」。

「スーパーが残っているか」だけでもない。

「90歳になったとき、その食料を自分の家まで運べる仕組みがあるか」。

町の本当の大きさは、行政区域の面積では決まらない。

そこに暮らす人が、自分の力で、あるいは誰かの力を借りながら、どこまで社会とつながっていられるかによって決まる。

年を取るにつれて、私たちの地図は少しずつ折りたたまれていく。

問題は、その地図が小さくなることではない。

最後に残った小さな地図の中でも、買い物ができ、医療を受け、人と話し、誰かに必要とされながら暮らしていけるかどうかである。

それができる町なら、生活圏が小さくなっても、人生まで小さくなる必要はない。

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