台風が通り過ぎた翌朝、いつもの道路を車で走ろうとすると、大きな木が道を塞いでいる。幹は道路を横切り、枝は電線に絡み、向こう側へ進むことができない。山間部では珍しくない光景であり、外房のように丘陵、山林、住宅地が入り交じる地域でも十分に起こり得る。
そのとき、多くの人がまず考えるのは、「役所に連絡すれば片づけてもらえるだろう」ということである。
実際、道路を通れない状態のまま放置するわけにはいかない。救急車も消防車も、ごみ収集車も宅配便も通れなくなる。しかし、ここには意外に難しい問題がある。
道路は行政が管理していても、倒れてきた木まで行政のものとは限らないからである。
道路脇の山林から倒れてきた一本の木をたどっていくと、その先には、日本の地方がこれから直面する「土地を持っている人が分からない」という問題が見えてくる。
道路を管理する人と、木を管理する人は同じではない
道路そのものについては、国道、県道、市町村道などによって道路管理者が決まっている。舗装が壊れたり、道路上に障害物があったりすれば、道路管理者が安全な通行を確保する役割を担う。
しかし、道路の横に立っている木が私有地に生えている場合、その木は道路管理者の所有物ではない。
千葉県も、道路上に張り出した樹木や倒木の危険がある樹木について、基本的には土地の所有者や管理者による適切な管理を求めている。千葉市も同様に、私有地から道路にはみ出した樹木については、原則として市が自由に剪定や伐採をできるものではないとしている。
ここに、道路管理の難しさがある。
道路の安全を守らなければならない行政と、樹木を管理すべき土地所有者とが、別の主体なのである。
もちろん、すでに木が道路へ倒れ、完全に通行不能になっているのであれば、状況は変わる。実際、御宿町議会の過去の答弁でも、道路上へ直接倒れて通行不能となった倒木について町が処理した事例が確認できる。一方で、まだ電線にもたれかかっている木については、土地所有者との関係もあり、直ちに処理できるとは限らない状況が説明されていた。
つまり現実の道路管理では、
「誰の木なのか」
という所有権の問題と、
「今すぐ道路を通れるようにしなければならない」
という公共の安全の問題が、同時に存在しているのである。
一本の倒木の向こうに所有者が何人もいる
昔からその土地に住んでいる人が所有する山林なら、話は比較的分かりやすい。
役所が所有者へ連絡し、危険な木の伐採を依頼することができる。
ところが、人口減少地域では、この前提そのものが崩れ始めている。
土地の名義人はすでに亡くなっている。子どもは東京や千葉市に住んでいる。さらにその子どもも土地の存在をほとんど知らない。相続が何世代にもわたれば、一筆の山林に多数の相続人が関係していることもあり得る。
登記簿を見ても、そこに書かれている住所へ手紙を送れば所有者と連絡できるとは限らない。
法務省も、登記簿を調べても所有者が直ちに判明しない土地や、所有者が分かっても所在が分からず連絡できない土地を「所有者不明土地」の問題として位置づけている。こうした土地は公共事業や災害復旧、民間取引などの障害になるため、近年、民法や不動産登記制度の大きな見直しが進められてきた。
倒木問題も、この延長線上にある。
山林そのものは動かない。
土地の所有者が高齢になっても、亡くなっても、相続人が遠くへ移っても、そこには木が生え続ける。
むしろ人が入らなくなれば、木はさらに成長する。
そして何十年か後、管理されなくなった木が道路側へ傾き始める。
人口が減るということは、木が減ることではない。
人間だけが減っていくのである。
「誰も管理しない土地」が道路の安全に影響する
この問題を考えるとき重要なのは、山林や空き地を「所有者だけの問題」と考えないことである。
一本の木が敷地内で倒れるだけなら、影響はその土地の中に収まるかもしれない。しかし道路沿いの土地では、管理不足による影響が土地の境界を越える。
枝が道路へ張り出す。
落ち葉が側溝を塞ぐ。
竹が道路方向へ伸びる。
枯れ木が電線へ倒れかかる。
台風で幹が倒れ、道路そのものを塞ぐ。
土地は私有財産であっても、その管理状態は周囲の公共空間へ影響するのである。
経済学的に考えれば、これは一種の外部性の問題と見ることができる。
土地を管理しないことによる費用を、所有者だけではなく、道路利用者や行政、電力会社、近隣住民が負担するようになるからである。
ある山林を年間数万円かけて管理する人がいなくなった結果、数年後に道路が塞がれ、行政が作業員や重機を手配することになれば、その費用は最終的には社会全体の負担になる。
しかも倒木処理は、普通の草刈りとは違う。
風で折れた木や傾いた木には大きな力がかかっており、切断した瞬間に幹が跳ねたり転がったりする危険がある。千葉県も、風倒木や欠損木の処理について、通常の伐採以上に危険度が高いとして専門事業者への依頼を勧めている。
さらに電線が絡めば、電気事業者との調整も必要になる。
「木を一本切れば終わり」という仕事ではないのである。
法律を変えても、山の木が自動的に切られるわけではない
所有者不明土地の増加に対応するため、日本の民法制度も変わってきた。
2023年4月に施行された改正民法では、隣地から越境してきた枝について、竹木の所有者が分からない場合や所在が分からない場合、あるいは急迫した事情がある場合などには、一定の条件の下で越境された側が枝を切ることができる仕組みが設けられた。国や地方公共団体が所有する道路に隣接地の枝が越境した場合にも、この仕組みを利用できる。
また、所有者そのものが分からない土地については、裁判所が所有者不明土地管理人を選任し、その土地を管理する制度も整備されている。
制度は以前より動きやすくなっている。
しかし、ここで重要なのは、法律上の手段があることと、日常の道路管理が簡単になることは同じではないということである。
道路沿いに危険な木が百本あったとする。
所有者が分からない土地について一つ一つ調査し、必要であれば法的な手続きを取り、伐採業者を確保し、予算を用意するには、人と時間が必要になる。
そして人口減少地域では、その「人」の側も減っていく。
自治体職員も減る。
森林を管理する人も減る。
伐採できる事業者も減る。
地域を知る住民も高齢になる。
問題は土地の所有者がいなくなることだけではない。
土地を調べる人、木を切る人、道路を管理する人まで同時に少なくなっていくことなのである。
山間部より住宅地のほうが難しい場合もある
倒木という言葉から、多くの人は山奥を想像する。
しかし今後深刻になる可能性があるのは、むしろ人家と山林の境界である。
高度経済成長期以降に造成された住宅地の背後に小さな山林が残っている。住宅地の端に細長い雑木林がある。空き家の裏側から竹が伸びてくる。
こうした場所では、一見すると普通の住宅街なのに、土地の所有関係だけは何十年前のままということが起こり得る。
住民は入れ替わっている。
元の地主は亡くなっている。
相続人は地域外にいる。
しかし木だけはそこに残っている。
台風が来るまでは何も起きないため、危険が目に見えにくい。
これが道路や水道管の老朽化とは違うところである。
道路なら舗装のひび割れが見える。
橋なら点検できる。
水道管なら自治体が資産として把握している。
ところが道路脇の私有林にある一本一本の木まで、自治体が公共インフラとして管理しているわけではない。
そのため危険が顕在化するのは、枝が道路へ出たときか、木が傾いたときか、実際に倒れたときになる。
一本の木のために道路が使えなくなる
地方の道路網には、都市部とは異なる弱点がある。
迂回路が少ないことである。
都市部なら一本の道路が通れなくなっても、数百メートル先の別の道路へ回れる場合が多い。しかし山間部や海岸と丘陵に挟まれた地域では、一つの道路が生活道路そのものになっていることがある。
倒木一本で、その先にある十軒、二十軒の住宅が事実上孤立する。
普段なら数分で行ける病院への道が、大きく迂回しなければならなくなる。
介護サービスの車が入れない。
救急車が通れない。
停電しているのに電力会社の作業車も現場へ入れない。
このとき、倒木はもはや「山林管理」の問題ではない。
地域インフラの問題になる。
だからこそ、千葉市では2026年度から、災害時の緊急輸送道路を守る目的で、沿道民有地の危険な樹木について所有者による伐採を支援する制度も設けている。私有地の樹木を行政がすべて直接管理するのではなく、所有者による事前管理を支援して、道路閉塞そのものを防ごうという考え方である。
これは今後の地方道路管理を考えるうえで重要な方向性かもしれない。
倒れてから片づけるより、倒れる前に切るほうが合理的だからである。
本当の問題は「倒木処理費」ではなく「予防管理費」である
ここで地域全体を数理的に考えてみる。
仮にある町に、道路沿いの管理が必要な民有林や空き地が1000か所あるとする。
現在はそのうち900か所で所有者が管理しているので、行政が直接問題にする土地は100か所しかない。
ところが30年後、人口減少と相続によって、実質的に管理されない土地が300か所、400か所へ増えたらどうなるだろう。
道路延長はほとんど変わらない。
山林もなくならない。
木も生え続ける。
ところが管理する人だけが減る。
つまり一人の職員、一社の伐採業者、一つの自治体が対応しなければならない土地の量が増えていく。
これは、これまで地域分析ブログで考えてきた道路、水道、水路、側溝、草刈りと同じ構造である。
人口が半分になったからといって、道路が半分になるわけではない。
そして人口が半分になっても、道路沿いの木が半分になるわけでもない。
むしろ放置される木は増える可能性がある。
地方インフラ問題の本質は、施設が古くなることだけではない。
施設や土地を管理する人間の密度が低下することにある。
「誰の土地か分からない」を例外扱いできない時代
これまでは、所有者不明の土地は特殊な土地と考えることができた。
少数ならば、役所が時間をかけて調査することもできる。
近所の人に聞けば、昔の所有者を知っている人もいた。
しかし人口減少と高齢化がさらに進めば、事情は変わる。
「昔は誰の山だったか」を知っている人自身がいなくなる。
地域外の相続人にとっては、固定資産税がほとんどかからない小さな山林を所有しているという認識さえないかもしれない。
そうなると所有者不明土地は、例外ではなく地域管理の前提条件になってくる。
千葉地方法務局でも、所有者の氏名や住所が正常に登記されていない「表題部所有者不明土地」について所有者探索が行われている。所有者不明という問題は、遠い山村だけに存在する話ではない。
土地制度は、「誰かが土地を所有し、その人が管理する」という前提で成り立ってきた。
しかしこれからの地方では、
所有者はいるが地域にいない。
相続人はいるが土地を知らない。
所有者は分かるが管理する意思がない。
管理したくても高齢でできない。
という土地が増えていく。
法律上の所有者と、現実に土地を管理できる人との距離が広がっていくのである。
30年後、道路管理は道路の中だけを見ていてはできない
これからの道路行政は、舗装や橋だけを管理していれば成立するものではなくなるのかもしれない。
道路に隣接する山林。
空き家。
竹林。
耕作放棄地。
崖。
水路。
こうした周辺土地の状態が道路の安全を左右する。
しかし、それらすべてを行政所有にすることは現実的ではない。
だから将来必要になるのは、行政がすべてを直接管理する仕組みではなく、「所有者が管理できなくなった土地を、地域としてどう管理へ戻すか」という仕組みなのだろう。
所有者を早い段階で把握する。
危険木を倒れる前に発見する。
所有者だけに高額な伐採費を背負わせることが合理的でなければ、一定の公的支援を行う。
それでも所有者が分からない土地については、現在整備されている管理制度を使って対応できる体制をつくる。
そして何より、道路が塞がれてから初めて一本の木の存在に気づくのではなく、地域全体の危険箇所を平常時から見ておく。
人口が多かった時代には、土地所有者、農家、自治会、森林業者、近隣住民が日常的に行っていた小さな管理が、結果として道路を守っていた。
それが見えにくかったのは、行政サービスではなく、人々の生活の中で自然に行われていたからである。
人口減少によって失われるのは、人の数だけではない。
そうした「誰かがついでに見ていた」という地域の管理機能そのものなのである。
倒木一本から見える人口減少社会
道路に倒れている一本の木だけを見れば、チェーンソーで切り、道路脇へ移動させれば問題は解決したように見える。
しかし、その木がなぜそこまで放置されていたのかを考えると話は変わる。
土地の所有者が高齢になったのかもしれない。
相続後、誰も山へ入らなくなったのかもしれない。
所有者そのものが分からなくなっているのかもしれない。
近所に伐採を頼める人がいなくなったのかもしれない。
そして行政もまた、限られた人数と予算で長い道路を維持している。
倒木は突発的な自然災害に見える。
しかし人口減少地域では、その背後に長い時間をかけて進んできた「管理する人の減少」がある。
30年後も地方の道路を安全に使い続けられるかどうかは、道路そのものを何キロ補修できるかだけで決まるのではない。
道路の両側にある土地を誰が見ているのか。
危険な木を誰が見つけるのか。
所有者を誰が探すのか。
そして、倒れる前に誰が切るのか。
道路を維持するという言葉の中には、これからはそこまで含めて考える必要がある。
人口が減っても、山は残る。
道路も残る。
木も伸び続ける。
減っていくのは、それを見て、直し、守る人間のほうなのである。

