~「医者がいる町」から「医療につながる町」へ
地方の町では、診療所の時計だけが、町とは別の時間を刻んでいるように見えることがある。
午前八時半。玄関の自動ドアが開くより少し前から、数人の高齢者が待っている。受付が始まれば、血圧の薬をもらいに来た人、腰の痛みを相談する人、健康診断の結果を聞きに来た人が、いつもの椅子に腰を下ろす。医師は一人、看護師が数人、受付には長く勤めている職員がいる。患者の名前だけでなく、その人の家族や暮らしまで何となく分かっている。
それは大病院とはまったく違う医療の風景である。
ところが、この診療所をそのまま30年先へ移動させようとすると、急に話が難しくなる。建物が古くなるからではない。医療機器が壊れるからでもない。もっと根本的な問題として、患者も医師も、そして町そのものも変わってしまうからである。
2026年から30年後は2056年である。国立社会保障・人口問題研究所の出生中位・死亡中位推計では、日本の総人口は2056年に約9965万人となり、1億人を割り込む。さらに2055年には65歳以上人口の割合が37%を超えると推計されている。しかも人口減少は全国一様に進むわけではなく、多くの地方では大都市より早く、そして深く進行する。市区町村別の将来推計も、2050年までの段階ですでに大きな地域差を示している。
では、地方の診療所は30年後も残っているのだろうか。
結論から言えば、現在と同じ形の診療所を、現在と同じ密度で維持することはかなり難しい。しかし、地方から診療所という存在そのものが消えるとも考えにくい。残るのはおそらく、「毎日一人の医師が診察室で患者を待つ診療所」ではなく、複数の医療機関、訪問看護、薬局、介護、オンライン診療、巡回診療などが結びついた、小さな地域医療拠点としての診療所である。
30年後に問われるのは、診療所を残せるかというより、「診療所とは何か」という定義そのものなのかもしれない。
患者が減るのに、医療が楽になるとは限らない
人口が減れば患者も減る。それなら診療所の負担も小さくなるのではないか、と考えたくなる。
しかし、地方医療では、この直感が必ずしも成立しない。
仮に人口1万人の町に診療所が5か所あり、それぞれが2000人程度の住民を背景人口として成立していたとする。その町の人口が30年後に6000人になれば、単純計算では一診療所当たり1200人になる。医療需要が人口に比例するなら、診療所の経営は当然苦しくなる。
ところが、高齢化を加えると事情が変わる。
30歳の住民一人と85歳の住民一人では、一般に必要とする医療の量が同じではない。高齢になるほど複数の慢性疾患を抱えやすく、薬剤管理、定期検査、認知機能への対応、在宅医療なども必要になりやすい。そのため人口が3割減ったからといって、医療需要までそのまま3割減るとは限らない。
厚生労働省も2040年に向けた医療提供体制について、人口減少に伴って外来需要全体は減少する一方、高齢化や医療従事者の確保、在宅医療などへの対応が必要になると整理している。つまり地方では、「患者が少なくなる」と「医療が簡単になる」が同時には起こらないのである。
ここに、地方診療所の最初の難しさがある。
待合室に座る人数は減っているのに、一人一人の患者に必要な医療は重くなる。
診療所から見れば、売上を支える患者数が減少する一方で、診療に必要な時間や連携業務は必ずしも減らないという現象が起こり得る。人口減少社会の医療とは、単なる「縮小」ではない。量が減りながら、質的には複雑になるのである。
本当に不足するのは「医師の数」だけではない
現在の日本には、一般診療所そのものは数多く存在する。2023年10月時点の一般診療所は10万4894施設で、その大半を無床診療所が占めている。数字だけを見れば、明日にでも診療所網が崩壊するような状態ではない。
しかし、30年という時間を考える場合、施設数より重要なのは、その診療所を誰が継ぐのかという問題である。
地方の小さな診療所は、一人の開業医に大きく依存していることが少なくない。病院なら一人の医師が退職しても組織は残るが、一人医師の診療所では、その医師の引退がそのまま診療所の閉鎖につながることがある。
厚生労働省も将来の外来医療を検討する際、診療所医師の高齢化と医師偏在を明示的な問題として取り上げている。さらに現在の医師政策では、単に全国の医師総数を見るのではなく、都道府県や二次医療圏ごとに「医師偏在指標」を用いて地域差を把握する仕組みがとられている。2024年末には「医師偏在の是正に向けた総合的な対策パッケージ」も策定された。
これは重要な意味を持っている。
日本全体で医師が存在することと、人口5000人の町に医師が一人住んでいることは、まったく別の問題だからである。
若い医師から見れば、地方で一人診療所を経営することには大きな責任が伴う。診療だけではなく、人を雇い、設備を管理し、診療報酬を請求し、休日や夜間への対応を考え、場合によっては学校医や予防接種、在宅患者の看取りまで担う。都市部の病院や複数医師のクリニックで勤務するという選択肢がある中で、その生活を積極的に選ぶ人が将来十分に存在するかは分からない。
したがって地方診療所の問題を「医学部の定員を増やせば解決する」と考えることもできない。
必要なのは医師という人数ではなく、その地域で働き続ける医師だからである。
一軒の診療所が消えると、町では距離が伸びる
都市では、一つのクリニックが閉院しても、数百メートル先に別の医療機関が見つかることがある。
地方では違う。
診療所が一軒なくなることによって、「次の診療所まで15キロ」ということが起こる。
しかも30年後、その15キロを運転する住民自身が高齢になっている。
ここに地方医療の問題が、医療政策だけでは解けない理由がある。
診療所へのアクセスは、道路、バス、タクシー、家族構成、免許返納、介護サービスまで含めた生活圏の問題だからである。医師が町にいなくても、自動車で20分走れば診療を受けられるのであれば、医療アクセスはある程度保たれる。しかし高齢者が一人暮らしで、自動車を運転できず、バスも一日に数本しかなければ、同じ20キロは突然、巨大な距離になる。
地図上では20キロでも、生活上は100キロに等しいことがある。
反対に、医師が毎日診療所に常駐しなくても、週に数回医師が巡回し、看護師が常駐し、必要な場合だけオンラインで専門医につなぎ、検査や入院が必要になれば地域の中核病院へ移送できる仕組みが成立していれば、物理的な診療所の数が減っても医療への接近可能性は必ずしも同じ割合では低下しない。
この違いこそ、30年後の地方医療を考える鍵になる。
診療所は「店」から「ネットワークの入口」へ変わる
これまでの診療所は、かなり完成された自己完結型の施設だった。
患者が診療所へ行き、医師が診察し、必要なら検査をし、薬を処方する。高度な治療が必要になれば病院へ紹介する。町の診療所とは、一つの小さな医療世界だった。
しかし人口が減り、人材も不足する地域で、この方式をすべての集落に残そうとすれば無理が生じる。
そこで今後重要になるのが、医療機能を分けながら接続するという考え方である。
厚生労働省が進めている2040年に向けた新たな地域医療構想も、病院の病床だけではなく、外来、在宅医療、介護、人材確保までを一体として考える方向へ広がっている。また、医療アクセスに問題のある地域について、オンライン診療を含む遠隔医療、医師派遣、巡回診療などを組み合わせる方向性も示されている。
この延長線上に30年後を置いてみると、地方の診療所の姿はかなり変わって見える。
たとえば、一人の医師が毎日午前九時から午後六時まで診察するのではなく、地域の複数の医師が曜日を分担するかもしれない。診療所には看護師などが常駐し、慢性疾患の状態確認を行いながら、必要な時間だけ医師がオンラインで診察するかもしれない。在宅患者には訪問看護が入り、電子的に共有された情報を中核病院の医師が確認する。画像診断や専門診療だけは都市部の医療機関につなぐ。
そうなれば診療所は、医療が完結する「場所」ではなくなる。
地域住民を医療システムにつなぐ「入口」になる。
この変化を退歩と見るか、進歩と見るかは簡単ではない。毎日同じ医師が診てくれる安心感は薄れるかもしれない。その一方で、一人の高齢医師に地域医療全体を背負わせる危うさは小さくなる。
30年前までの地方医療を再現することではなく、人口が半分になった町でも成立する医療の形を作ることが必要になるのである。
オンライン診療だけでは、地方医療は救えない
未来の医療を語ると、しばしばオンライン診療が万能薬のように登場する。
だが、画面の向こうから腹部を触診することはできない。
採血もできない。傷口を縫うこともできない。息苦しい患者の顔色を見て救急搬送を判断するとき、映像だけでは不足する場合もある。
だから「地方には医師がいなくても、オンライン診療があればよい」という考え方は現実的ではない。
むしろオンライン診療の価値は、医療従事者を完全に不要にすることではなく、少ない医療従事者の能力を広い地域で共有できることにある。
診療所に看護師がいて、血圧、体温、酸素飽和度などを測定し、患者の状態を確認する。その情報を遠隔地にいる医師と共有する。必要なら医師がオンラインで患者と話し、対面診療が必要と判断すれば巡回日を早めたり、中核病院を受診させたりする。
このような仕組みなら、オンライン診療は「医師の代用品」ではなく「距離を縮める道具」になる。
鉄道が町を結んだように、通信回線が診察室を結ぶのである。
ただし、その回線のこちら側には人が必要だ。
30年後の地方医療を支えるのは、派手な人工知能だけではなく、患者の腕に血圧計を巻き、「今日は少し顔色が悪いですね」と気づく人なのだろう。
経営できない診療所を、誰が残すのか
もう一つ避けて通れない問題がある。
採算である。
民間の診療所は医療機関であると同時に事業体でもある。患者が少なくなれば収入も減り、看護師や事務職員の給与、医療機器、建物、光熱費などの固定費が重くなる。
人口数千人の地域で、複数の診療所がすべて独立採算で存続することは難しくなる可能性がある。
ここで発想を変えなければならない。
スーパーなら、客が減り続ければ撤退する。それは企業として合理的な判断である。しかし、その町で最後の診療所が消える場合、同じ論理だけで判断できるだろうか。
医療には市場サービスとしての側面と、社会インフラとしての側面が同時に存在する。
道路を利用する自動車が少なくなったからといって、人口の少ない集落へ通じる道路をただちに撤去するわけではない。消防署も、年間の火災件数だけで採算計算されているわけではない。
30年後の地方診療所にも、同じ議論が必要になる可能性が高い。
一定の人口密度を下回った地域では、民間診療所を市場原理だけで維持するのではなく、公設民営、病院によるサテライト診療所、自治体間共同運営など、地域インフラに近い制度へ移行するところが出てくるだろう。
そう考えると、地方診療所の将来を左右するのは医師数だけではない。
国と自治体が、「医療へのアクセスそのものにどこまで公共的な費用を投入するのか」という政治的な選択でもある。
そして2056年、診療所の玄関は開いているか
2056年のある朝を想像してみる。
人口は現在より少ない。町を歩く人も少ない。
かつて商店だった建物のいくつかは空き家になり、学校は統合されているかもしれない。
それでも、旧役場の近くに小さな診療所がある。
玄関を開けると受付があり、看護師がいる。ただし医師は毎日はいない。月曜日と木曜日は地域の病院から医師が来る。火曜日には循環器の専門医がオンラインで診療する。水曜日には訪問診療の車が山側の集落を回る。患者の検査データは地域の中核病院と共有され、救急時には搬送先もあらかじめ決められている。
今の感覚から見れば、「医師が常駐していない診療所」と映るだろう。
しかし30年後の住民から見れば、それこそが普通の診療所なのかもしれない。
厚生労働省自身も、2040年とその先を見据え、医療機関の連携・再編・集約化、外来・在宅医療、介護との連携、医療従事者の確保、アクセス困難地域への対応を一体として考える方向へ政策を動かしている。現在の制度設計は2056年そのものを予言するものではないが、「すべての医療機関を現在の形のまま残す」のではなく、「地域全体で必要な医療機能をどう残すか」へ政策の焦点が移っていることは明らかである。
だから、地方の診療所は30年後も維持できるのか、という問いへの答えは少し複雑になる。
診療所という建物を一軒ずつ守ろうとするなら、維持できない地域は増えるだろう。
しかし、
住民が必要なときに診察を受け、薬を受け取り、検査を受け、必要なら病院へつながる仕組みを「診療所」と呼ぶのであれば、維持する方法はまだある。
問題は、医療を建物の数で考えるか、人と医療との距離で考えるかである。
人口5000人の町に診療所が三つあることより、診療所が一つしかなくても、すべての住民がそこへ到達でき、そこから必要な医療へ確実につながることのほうが重要になるかもしれない。
地方ではこれから、病院も、診療所も、薬局も、バスも、介護も、それぞれ単独では維持しにくくなる。
だからこそ、それらを別々の制度として眺め続けることも難しくなる。
医療の問題は交通の問題になり、交通の問題は人口配置の問題になり、人口配置の問題は町そのものをどう残すのかという問題へつながっていく。
30年後の地方で最後まで必要とされるものは、立派な建物ではない。
具合が悪くなったとき、「ここへ連絡すれば大丈夫だ」と住民が思える場所である。
かつて、その役割を一人の町医者が担っていた。
2056年には、一人の医師ではなく、一つのネットワークがそれを担っているのかもしれない。
診療所の白い看板は、今と同じ場所には残っていないかもしれない。
それでも、その町から医療までの道が途切れていなければ、地方医療はまだ生きている。


