地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

スーパー1店舗に必要な人口は何人か~「1~3万人商圏」では説明できない地方の現実

夕方になると、町のスーパーの駐車場に車が一台、また一台と入ってくる。入口では買い物かごが重なり、その先にはキャベツや豆腐、刺身、牛乳、弁当が並んでいる。いつもの店で、いつもの買い物をする。その光景があまりにも日常的なので、私たちはスーパーがなぜそこに存在できているのかを、普段ほとんど意識しない。

しかし、人口が減り続ける地方では、この当たり前の風景を数字で考えなければならない時代が近づいている。

スーパー一店舗を維持するには、何人の住民が必要なのだろうか。

この問いを調べると、「食品スーパーには人口1万人~3万人程度の商圏が必要」と説明されることがある。確かに、この数字には公的資料による根拠がある。国土交通省の資料では、売場面積2,000~3,000平方メートル程度の食品スーパーについて、周辺人口1万人~3万人という商圏規模が一つの目安として示されている。

だが、この数字だけを見て、「人口1万人を下回ればスーパーは成立しない」と考えると、現実を大きく読み違える。

実際、地方には人口6,000人前後の生活圏に地域密着型の個人スーパーが二店舗営業している例さえある。もし「スーパー一店舗には最低1万人必要」という法則が存在するなら、このような地域は説明できない。

ところが、矛盾はしていない。

国土交通省が示している1万人~3万人という数字は、すべてのスーパーに共通する「最低必要人口」ではなく、あくまで2,000~3,000平方メートル規模の食品スーパーについて示された、おおよその商圏規模だからである。資料自身も、人口規模と都市機能との対応は概略的なイメージであり、具体的な条件によって差が生じると注意している。

スーパーに必要なのは人口そのものではない。店を維持できるだけの購買が、どれだけその店に集まるかなのである。

「人口6,000人にスーパー2店」はなぜ成立するのか

人口6,000人の地域に二店舗の個人スーパーがあるとすれば、単純に割れば一店舗当たり3,000人となる。

しかし、この計算をそのまま「スーパーは3,000人あれば経営できる」と読み替えることもできない。

その地域の外から買い物客が来ているかもしれない。通勤途中の人が立ち寄っているかもしれず、観光地なら観光客や別荘利用者の消費もある。一方で、二店舗の利用者が完全に半分ずつ分かれているとも限らない。鮮魚ならこちら、肉ならあちらというように、住民が二店舗を使い分けている可能性もある。

それ以上に重要なのが、店舗の大きさである。

売場面積300平方メートルの地域スーパーと、2,500平方メートルの郊外型食品スーパーでは、同じ「スーパー」という名前で呼ばれていても、経営に必要な売上高はまったく違う。

建物が小さければ、照明や空調、冷蔵・冷凍設備の規模も小さくできる。必要な従業員数も違い、駐車場や物流の仕組みも異なる。経営者自身や家族が店舗に立つような店と、多数の従業員を雇用し、本部機能や大規模物流網を抱えるチェーン店舗とでは、損益分岐点が同じになるはずがない。

つまり「スーパー一店舗」という単位そのものが、実はかなり曖昧なのである。

小さいスーパーは、実際に違う経営構造を持っている

全国スーパーマーケット協会など三団体が実施した2025年のスーパーマーケット年次統計調査を見ると、この違いが数字にも表れている。

この調査では国内でスーパーマーケットを保有する881社を対象とし、286社から回答を得ている。回答企業の中には多数の店舗を運営する企業だけでなく、一~三店舗を保有する企業も含まれている。また、分析では売場面積800平方メートル未満を中心とする企業を「小規模店舗中心型」として区分している。

調査対象店舗の平日の平均来店客数は全体で1,753.8人だったが、売場面積800平方メートル未満では1,148人だった。一方、1,600平方メートル以上になると2,252.8人まで増える。

この数字から「1,148人来れば小型スーパーは存続できる」と結論づけることはできない。これらは損益分岐点ではなく、実際に営業している回答店舗の平均値だからである。

それでも、店舗規模によって必要とされる客数や売上構造が大きく異なることは分かる。

さらに興味深いのは、売場面積一平方メートル当たりの年間売上高である。全店舗平均は133.7万円だが、800平方メートル未満の店舗では204.4万円だった。一方、1,600平方メートル以上では107.5万円となっている。

もちろん、この数字から「小型スーパーの方が大型スーパーより儲かる」と判断することもできない。面積当たり売上高と利益率は別物であり、人件費、仕入価格、物流費、建物費、電気料金などを考慮しなければ利益は分からない。

ただし、小規模な店舗が狭い売場を高い頻度で回転させ、比較的小さな商圏の中で営業するという経営形態が存在することは、この統計からも確認できる。

人口6,000人前後の地域に個人スーパーが二店舗存在できることは、この構造を考えれば決して不思議ではない。

では「人口1万~3万人」とは何なのか

ここで最初の数字に戻ろう。

国土交通省が示す1万人~3万人という商圏人口は、2,000~3,000平方メートル規模の食品スーパーについての目安である。

ここを明確に区別しなければならない。

「食品スーパー2,000~3,000平方メートルの商圏人口がおおむね1万~3万人」という命題と、「スーパー一店舗を維持するには最低1万人必要」という命題は、似ているようでまったく違う。

前者には資料上の根拠がある。後者にはない。

さらに1万人と3万人の中間が2万人だからといって、「スーパー一店舗の標準必要人口は2万人」とすることもできない。2万人という数字は単なる算術上の中間値にすぎず、経営上の損益分岐人口として統計的に確認された数字ではない。

したがって、「スーパー一店舗に何人必要か」という問いに科学的に答えるなら、最も正確な答えは、おそらく少し歯切れが悪い。

一律に決めることはできない。

しかし、それでは地域分析として役に立たないから、もう一段深く考える必要がある。

本当に見るべきなのは「人口」ではなく「購買力」である

スーパーの売上を左右する構造を単純化すると、商圏に暮らす人数、その人たちが食品に使う金額、そのうち自店で買ってもらえる割合によって大きく決まる。

同じ人口6,000人でも、結果は変わる。

近くに競合スーパーがなく、多くの住民が地元店を利用する地域と、車で15分の場所に大型スーパーやドラッグストアが何店舗もある地域では、地域内の店へ落ちる金額が違う。

人口が高齢者中心なのか、子育て世帯が多いのかでも消費内容は変わる。昼間人口、観光客、別荘利用者、通勤客も影響する。

そして地方では、自動車の存在が商圏をさらに複雑にする。

行政上は人口6,000人の町であっても、町境の外から客が来れば商圏人口は6,000人を超える。一方で町民が隣の市の大型店まで車で買い物に行けば、地元スーパーにとって実質的な市場は6,000人より小さくなる。

市町村人口と商圏人口は同じではないのである。

だから、スーパーの将来を予測するとき、「この町は人口8,000人だから危険」「人口2万人だから安心」と自治体人口だけを見るのは適切ではない。

本当に調べなければならないのは、店から車で10分、15分、20分程度の範囲に何人が暮らし、その人たちがどこで買い物をしているかという生活圏の構造である。

大型スーパーほど大きな売上を必要とする

スーパーという事業の大きさを実感するには、売場面積当たりの売上を見てみると分かりやすい。

前述の2025年調査では、1,600平方メートル以上の店舗で、売場一平方メートル当たり年間売上高は平均107.5万円だった。

これを単純に当てはめれば、2,000平方メートルなら年間約21.5億円、3,000平方メートルなら約32.3億円という規模になる。

ここでも注意しなければならない。この21億円や32億円は「これだけ売らなければ倒産する」という必要売上高ではない。調査対象店舗の平均的な実績から計算した参考値である。

それでも、2,000~3,000平方メートル級のスーパーが年間数十億円規模の商品を動かす施設であることは分かる。

一方、地域の小規模スーパーなら、建物も従業員も設備も商品在庫ももっと小さい。したがって同じ人口条件を要求する理由はない。

ここに「人口6,000人でも二店舗存在する地域」と「人口1万~3万人の商圏を想定する大型食品スーパー」が同時に存在できる理由がある。

両者は同じ名前で呼ばれているだけで、経営モデルが違うのである。

人口減少で問題になるのは、店の数より「選択肢」が消えること

地方にとって本当に重要なのは、スーパーが何人で成立するかという知的な疑問だけではない。

人口減少が続いたとき、現在ある店舗がどのように変化するかである。

農林水産省は、中山間地域などでは人口減少や高齢化によって小売業や物流の採算確保が難しくなり、スーパーマーケットなどの閉店が進んできたと説明している。

その結果として現れているのが、食料品へのアクセスの問題である。

農林水産政策研究所の2020年推計では、店舗まで直線距離500メートル以上あり、なおかつ自動車を利用することが難しい65歳以上の「食料品アクセス困難人口」は全国で904万人、65歳以上人口の25.6%に達している。75歳以上では566万人、31.0%である。ここでいう店舗には食料品スーパーだけでなく、食肉店、鮮魚店、青果店、コンビニエンスストア、ドラッグストアなども含まれる。

つまり、町にスーパーが一店舗残っているからといって、住民全員の買い物環境が維持されているとは限らない。

自宅から七キロメートル離れたスーパーが営業していても、車を運転できなくなった高齢者には遠い。

逆に店側から見ると、人口密度が低下した地域では、同じ数の客を確保するためにより広い範囲から来店してもらわなければならない場合がある。しかし、客を遠くから集めようとするほど、自動車を利用できない住民には不便な店舗になる。

店の経営効率と住民の生活利便性が、人口減少によって必ずしも同じ方向へ動かなくなるのである。

小さなスーパーが残る地域には理由がある

人口の少ない町に残る個人スーパーを見ると、単なる「昔からある店」と考えがちである。

だが、そこには大型店とは違う合理性があるのかもしれない。

小さな店舗だから維持できる。地域住民の好みを熟知しているから売れる。大量の商品を並べず、必要なものに品ぞろえを絞っている。鮮魚や総菜など特定の商品に強く、その商品を目的に客が来る。固定客との関係が強く、大型店との単純な価格競争を避けている。

こうした条件は全国統計の「人口何万人」という一つの数字には表れにくい。

もちろん、小規模だから将来も安全だという意味ではない。経営者の高齢化、後継者不足、仕入れ、物流、人件費、冷蔵設備の更新など、人口とは別の理由で閉店する可能性がある。

むしろ地方では、人口の減少より先に「店を経営する人がいなくなる」ことさえ考えなければならない。

スーパーの存続問題は、人口だけでなく、経営者と従業員の問題でもある。

「何人必要か」より「どんな店なら残せるか」

結局、スーパー一店舗に必要な人口は何人なのだろう。

2,000~3,000平方メートル規模の食品スーパーについては、周辺人口1万人~3万人が商圏規模の一つの目安になる。これは公的資料から確認できる。

しかし、この数字は最低必要人口ではない。

小規模な地域スーパーなら、それよりはるかに少ない人口の地域で営業している例がある。逆に人口3万人の商圏でも、競合店が多く、住民の購買が周辺地域へ流出していれば、すべての店が安定して存続できるとは限らない。

したがって、人口減少地域で考えるべき問いは、

「人口が何人になったらスーパーが消えるのか」

だけではない。

「その人口で、どの規模の店なら維持できるのか」

という問いへ変えた方が現実に近い。

人口6,000人なら大型スーパーを維持するのは難しくても、小型の地域スーパー、食品を扱うドラッグストア、移動販売、宅配を組み合わせれば、食料供給という機能そのものを残せる可能性がある。

逆に、人口が2万人あっても大型店舗一軒に依存し、その店が撤退した瞬間に買い物環境が大きく崩れる地域もあり得る。

人口の大小だけを見ていては、本当の地域の強さは分からない。

町の小さなスーパーに明かりがついている。

店内には大型店ほど多くの商品はないかもしれない。それでも、今日の夕飯を買いに来る人がいる。店主が顔を知っている客がいる。何十年も繰り返されてきた小さな経済活動が、その店を支えている。

その一軒が成立するために必要なのは、「人口一万人」という一本の線ではない。

店の大きさ、客の距離、競争相手、交通手段、商品の特色、住民の年齢、そして地域の中でどれだけ購買が循環しているか。そのすべてが重なったところに、店が残れるかどうかの境界がある。

だから、スーパー一店舗に必要な人口を数字で表すなら、「何人」と断定するよりも、こう表現する方が正確だろう。

大型の食品スーパーでは1万~3万人程度の商圏が一つの目安になる。しかし、スーパー一般に共通する最低必要人口は存在せず、小規模な地域スーパーは数千人規模の地域でも成立し得る。

人口減少時代に本当に調べるべきなのは、町の人口が何人になるかだけではない。

その人口になったとき、どのような店なら、まだ明かりを灯し続けることができるのか。

地域の将来を考えるということは、その明かりが消える日を予測することではなく、消さずに済む仕組みを考えることなのかもしれない。

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いすみ市・勝浦市で考える「車のない老後」の家計

運転免許証を返納した日から、ガソリン代はかからなくなる。自動車税も、車検も、任意保険も、タイヤ交換も、やがて家計から消えていく。

それだけを見れば、車を手放した老後はずいぶん身軽になるように思える。しかし、暮らしから一緒に消えてくれるわけではないものがある。それが「移動」である。

冷蔵庫の牛乳がなくなれば買い物へ行かなければならず、薬が切れれば病院へ行かなければならない。銀行にも市役所にも美容院にも行く。ときには駅まで出て、少し遠くの病院へ向かうこともあるだろう。

自分の車を持っていた頃には、こうした一回一回の移動に値札は付いていなかった。もちろん実際にはガソリンも減っていたし、車そのものも少しずつ消耗していた。それでも、スーパーへ出掛けるたびに「今日は往復いくら」と財布からお金を取り出すわけではない。

ところが免許を返納すると、それまで自動車保有費の中に埋もれていた「移動そのもの」に、200円、300円、500円、あるいは2,000円を超える価格が見えるようになる。

だから免許返納を考えるとき、本当に知りたい数字は「タクシーは高いのか」ではない。

75歳で免許を返したとして、85歳までの10年間、日常生活を続けるために移動費としていくら用意しておけばよいのか。

今回は御宿町ではなく、いすみ市と勝浦市をモデルに、この金額を考えてみたい。

車を手放した瞬間、同じ5キロメートルが別の距離になる

東京の住宅地なら、免許を返したあとも徒歩圏にスーパーがあり、駅があり、その先には複数の病院があるという生活を想像しやすい。

しかし、いすみ市や勝浦市では事情が違う。

海岸沿いの市街地だけでなく、丘陵部や農村部にも住宅が広がり、自宅から駅や病院、スーパーまで数キロメートル離れていることもある。自動車を運転できる間、その距離はそれほど大きな問題にはならない。玄関を出て車に乗れば、そのまま目的地へ向かえるからである。

ところが車を失うと、同じ5キロメートルが突然違う意味を持ちはじめる。

歩くには遠い。自転車は年齢や天候に左右される。バスが走っていても、自宅から停留所まで歩かなければならないこともある。その空白を埋めるものが、路線バス、乗合交通、そして普通のタクシーである。

幸い、いすみ市では事前予約型の市民乗合タクシーが運行されており、2026年8月時点の利用料金は一人1回300円である。原則として月曜日から金曜日まで運行し、運行区域内であれば自宅などから目的地まで利用できる。一般のタクシーとは違って乗り合わせで運行されるため、予約や時間の余裕は必要になるが、車を持たない人にとって重要な交通手段である。

さらに、いすみ市に住民票がある75歳以上の人には、市内循環バスといすみシャトルバスの運賃が免除される無料パスポートがあり、65歳以上でも運転経歴証明書の交付を受けた免許返納者なら対象になる。

勝浦市にも予約制のデマンドタクシーがあり、一般の大人運賃は1回500円だが、運転経歴証明書を持つ免許返納者は200円で利用できる。運行日は原則として月曜日から土曜日である。ただし、市内のどこからでも自由に利用できるわけではなく、自由に乗降場所を指定できる区域と、駅、病院、金融機関、商業施設などの共通乗降場所を組み合わせた仕組みになっている。

つまり、いすみ市も勝浦市も「免許を返したら、すべての移動を普通タクシーに置き換えるしかない」という地域ではない。

そして、この点こそが10年間の移動費を大きく左右する。

75歳で免許を返し、月8回外出する生活を考える

ここからは、比較のために一人の住民を想定する。

75歳で運転免許を返納し、85歳まで暮らす。買い物、通院、金融機関、役所、知人との交流などを合わせ、自宅から月8回出掛けることにする。

一回の外出には行きと帰りがあるから、交通機関への乗車は月16回になる。

年間では192回、10年間なら1,920回である。

月8回の外出という数字は、日本の高齢者全体の平均値として設定したものではない。あくまで「週におおむね2回外出する生活」を数値化した、この記事独自のモデルケースである。

この区別は重要である。

以下で計算する150万円、250万円、400万円という数字も、「免許を返納した高齢者は一般にこれだけ必要になる」という統計ではない。一定の生活条件を置いたときに、10年間の移動費がどの程度になるかを見るためのシミュレーションなのである。

普通タクシーについては、自宅から目的地まで片道5キロメートルという条件を置いた。

千葉県内のタクシー運賃は2026年3月16日に改定され、普通車の上限運賃では初乗り1.06キロメートルまで500円、その後221メートルまでを増すごとに100円となった。いすみ市、勝浦市を含む外房地域も現在の千葉地区運賃の対象となっている。

この上限運賃を使い、渋滞や信号待ちなどによる時間距離併用運賃を考えずに5キロメートルを計算すると、片道はおよそ2,300円になる。

もちろん、これは実際の乗車料金を保証する数字ではない。迎車回送料金は事業者によって異なり、時速10キロメートル以下で走行した場合には時間距離併用運賃も加算される。したがって2,300円は、あくまでこの記事で比較するための基準値である。

それでも片道2,300円なら往復4,600円になる。

車を運転していた頃には何気なく往復していた5キロメートルが、免許を返したあとには4,600円の行動になる可能性がある。

同じ月8回の外出でも、10年間で100万円台から400万円台まで開く

そこで、月8往復の外出を三つの方法に分けて考えてみよう。

最初は、8往復のうち6往復を自治体の乗合交通で済ませ、普通タクシーを使うのは2往復だけという生活である。次は4往復ずつを乗合交通と普通タクシーに分ける。最後は、時間や行き先の自由度を優先し、8往復すべてを普通タクシーで移動する場合である。

いすみ市では市民乗合タクシーを1回300円、勝浦市では運転経歴証明書を持つ人のデマンドタクシーを1回200円として計算する。普通タクシーは両市とも片道2,300円とする。

さらに、75歳で返納したという今回の設定では、いすみ市の福祉タクシー助成と勝浦市の高齢者タクシー助成を利用できる可能性があるため、その最大額も差し引く。

いすみ市では、自主的に運転免許を返納した満75歳以上で運転経歴証明書などを持つ人は福祉タクシー事業の対象となり、タクシー1回につき1,500円を上限として、年間最大24シートの利用券が交付される。年度初めから最大限利用できるなら、一年間では最大3万6,000円相当になる。

勝浦市では、自主返納した75歳以上の人などを対象として1枚400円の高齢者タクシー利用券が交付され、6月30日までの申請なら24枚、年間最大9,600円相当になる。

これらの制度が現在と同じ内容で10年間続き、毎年最大限利用できるという仮定を置くと、次のようになる。

10年間の利用モデル いすみ市 勝浦市
6往復を乗合交通、2往復を普通タクシー 約117万6,000円 約129万6,000円
4往復を乗合交通、4往復を普通タクシー 約213万6,000円 約230万4,000円
月8往復を普通タクシー中心で移動 約405万6,000円 約432万円

ここで見るべきなのは、いすみ市と勝浦市の数十万円の差ではない。

同じ市に住み、同じ月8回の外出をしていても、自治体の乗合交通をどこまで利用できるかによって、10年間の支出が300万円近く変わり得るという点である。

免許返納後の生活費を決めるのは、自治体名だけではない。

自宅が乗合交通を利用しやすい場所にあるか。病院やスーパーがその交通網の中にあるか。そして予約時間に自分の生活を合わせられるか。

同じいすみ市、同じ勝浦市でも、この条件によって老後の移動費は大きく変わる。

75歳で返納したモデルでは、いすみ市の助成効果が大きい

今回のシミュレーションでは75歳で免許を返納した設定にしたため、いすみ市では福祉タクシー助成を計算に入れている。

自主返納した満75歳以上で所定の証明書を持つ人なら、一回1,500円を上限とする利用券を年間最大24シート利用できる。最大限使えば年間3万6,000円、現在と同じ制度が10年間続けば累計36万円に相当する。

さらに、75歳以上なら市内バス無料パスポートの対象となり、65歳以上でも運転経歴証明書を持つ免許返納者なら同じ制度を利用できる。

ただし、これは「助成を受けるために75歳まで運転を続けた方が得」という意味ではない。

運転を続けられるかどうかは、制度上の年齢よりも本人の認知機能、視力、身体能力、運転技能、安全性によって判断すべき問題である。この記事では両市の制度を比較しやすくするため、75歳で返納するモデルを採用しているにすぎない。

この区別をしたうえで見ると興味深いことが分かる。

車を持っている間、「バスが無料になる」「タクシー券がもらえる」という制度は家計にほとんど存在感を持たない。しかし車を手放した瞬間、それまで利用価値を感じなかった地域交通制度が、一年間の生活費を左右する重要な資産へと変わるのである。

いすみ市では公共ライドシェアも広がり始めている

そして2026年のいすみ市では、もう一つ新しい動きがある。

旧夷隅町地域では以前から、自家用車を活用した自家用有償旅客運送が行われていたが、タクシー事業者の営業終了や休止によって交通空白地域となっていた岬地域でも、2026年4月から公共ライドシェアの運行が始まった。いすみ市の地域公共交通計画でも、旧夷隅町地域に続いて旧岬町地域へ運送サービスが拡大されたことが確認できる。

この制度は、今回の三つの基本シミュレーションには加えていない。

理由は、地域や利用条件によって使える交通手段が異なり、市民乗合タクシーと同じ条件で一律に比較することが難しいからである。

しかし、制度の存在そのものは重要である。

公共ライドシェアが拡大した背景には、「新しい便利なサービスを増やした」という面だけではなく、既存のタクシー事業者が営業を終了・休止し、地域の交通供給に空白が生まれたという事情がある。

これは免許返納後の生活を考えるうえで、別の問題を浮かび上がらせる。

将来必要になるのは、単にタクシー料金を払えるだけのお金ではない。

その地域に、そもそも人を運んでくれる仕組みが残っていることなのである。

勝浦市では「200円で移動できる場所に住んでいるか」が大きい

勝浦市では、運転経歴証明書を持つ免許返納者ならデマンドタクシーを1回200円で利用できる。往復しても400円である。

この記事の普通タクシーのモデルでは5キロメートル往復を4,600円としているから、同じような生活目的の移動がデマンドタクシーで成立するなら、交通費には大きな差が生まれる。

75歳以上の自主返納者については、高齢者タクシー利用券もあり、6月30日までに申請すれば400円券が24枚交付される。

さらに勝浦市では2026年度から、総野地区の一部と勝浦市街地を住民ドライバーの自家用車で結ぶ「ノッカルかつうら」の有償実証運行も始まっている。蟹田・松野・中倉からは片道500円、市野川・花里からは700円で、水曜日から金曜日まで運行されている。

ただし、ここでも重要なのは、勝浦市民なら誰でも同じ交通条件になるわけではないことである。

デマンドタクシーにも区域があり、「ノッカルかつうら」にも対象地域がある。

つまり、勝浦市における免許返納後の暮らしは、市役所から何キロ離れているかよりも、自宅がどの交通網に接続しているかによって大きく変わる。

行政上は同じ勝浦市でも、老後の移動という観点から見れば、まったく違う町に住んでいるような差が生じる可能性がある。

普通タクシー中心になると10年間で400万円を超える

先ほどの表に戻ると、最も目を引くのは400万円という数字だろう。

月8回外出するだけである。

週に直せば、おおむね2回にすぎない。買い物へ行き、病院へ行けば、それで一週間の外出回数をほぼ使い切ってしまう程度の生活である。

それでも普通タクシーを中心に片道5キロメートル移動すると、現在の運賃と現在の助成制度を10年間固定したモデルでは、いすみ市で約405万6,000円、勝浦市で約432万円になる。

ここで注意したいのは、この400万円を「免許返納すると必ず必要になる費用」と読んではいけないことである。

反対に、「そんなにタクシーを使う人はいない」と切り捨てるのも違う。

この数字が示しているのは、自家用車で行っていた移動を、そのまま普通タクシーに置き換えると、地方では非常に大きな費用になる可能性があるということである。

だからこそ、免許返納後の家計では「タクシーを安く使う方法」を探すだけでなく、普通タクシーを使わなくても済む場所に住んでいること自体が大きな経済価値になる。

それでも「車を持ち続けた方が安い」とは簡単には言えない

400万円という数字を見ると、車を持ち続けた方が安いのではないかと思えてくる。

しかし、そこには一つの錯覚がある。

自家用車の移動費を考えるとき、多くの人はガソリン代を思い浮かべる。5キロメートル走ったとしても、運転するたびに財布から2,300円が消えるわけではないからである。

だが車には、車両購入費や減価、任意保険、自動車税、車検、整備、タイヤ、バッテリー、燃料などが必要になる。

免許返納とは、それまで存在しなかった移動費が突然現れる出来事ではない。

それまで「自動車を所有する費用」としてまとめて支払っていたものが、返納後には「一回移動するごとの費用」として目に見えるようになるのである。

したがって合理的な比較は、「タクシー代400万円は高い」というものではない。

今後10年間自動車を所有し続ける総費用と、自動車を手放してバス、乗合交通、普通タクシーを利用する総費用を比較することである。

さらにそこには、金額だけでは測れない交通事故の危険性も加わる。

経済的に少し有利だからという理由だけで運転を続けるという結論にはならない。

10年間なら「今の料金が続く」と考えない方がよい

ここまでは2026年時点の運賃と助成制度を10年間固定して計算してきた。

しかし、現実には2036年まで同じ料金である保証はない。

実際、千葉地区のタクシー運賃は2026年3月16日に改定されたばかりであり、今後も人件費、燃料費、事業者数などによって料金が変わる可能性がある。

そこで、交通運賃だけが毎年2%ずつ上昇し、自治体から受けられる助成額は現在の金額のまま10年間変わらないという、もう少し厳しい条件を置いてみる。

この2%は将来の物価上昇率を予測した数字ではない。10年間の資金計画に価格上昇への余裕を持たせるための試算条件である。

この条件で再計算すると、10年間の移動費は次のようになる。

10年間の利用モデル いすみ市 勝浦市
6往復を乗合交通、2往復を普通タクシー 約132万円 約143万円
4往復を乗合交通、4往復を普通タクシー 約237万円 約253万円
月8往復を普通タクシー中心で移動 約448万円 約474万円

ここでは助成券まで毎年2%増えるとは考えず、いすみ市の年間最大3万6,000円、勝浦市の年間最大9,600円は現在額のまま固定している。

そのため、物価が上がるほど自治体助成が移動費全体をカバーする割合は徐々に小さくなる。

10年間という期間を考えると、この違いは無視できない。

「150万円・250万円・500万円」は平均値ではない

ここまでの試算から、いくつかの金額が見えてくる。

しかし、「免許返納後には150万円あればよい」「普通なら250万円必要」「地方では500万円かかる」と一般化するのは適切ではない。

今回の数字はすべて、月8往復、普通タクシーを利用するときは片道5キロメートル、75歳で返納し、現在の自治体助成を利用できるという条件を置いたシミュレーションである。

そのうえで言えるのは、今回設定したモデルでは、乗合交通をかなり利用できる住宅なら10年間で130万~150万円程度、乗合交通と普通タクシーを半分程度ずつ使うなら240万~250万円程度、普通タクシーへの依存が大きければ450万~500万円近くまで移動資金が膨らむ可能性がある、ということである。

本当に必要な金額は、自宅の位置、病院までの距離、買い物頻度、家族による送迎の有無、交通制度、健康状態によって大きく変わる。

だから、この数字を答えとして使うより、自分の生活条件を当てはめるための物差しとして使う方がよい。

本当に怖いのは「高いこと」ではなく、「お金を払っても車がないこと」かもしれない

そして、外房の免許返納問題を家計だけで終わらせると、もっと重要な問題を見落とす。

500万円を用意しておけば必ず移動できるわけではない。

いすみ市の市民乗合タクシーは原則として平日の運行であり、事前予約が必要で、予約状況によっては希望した便を利用できない場合もある。

勝浦市のデマンドタクシーにも運行区域と時刻があり、「ノッカルかつうら」にも対象地域と運行曜日がある。

病院の定期診察なら交通機関に合わせて予約できるかもしれない。

しかし、突然歯が痛くなる日まで交通機関に合わせてはくれない。冷蔵庫が空になる日も、家族が急に入院する日もある。

公共交通には、「いくら払えば乗れるか」という価格の問題と、「その時間、その場所に移動手段が存在するか」という供給の問題がある。

人口が少なくなる地域では、後者の方が深刻になる可能性がある。

いすみ市で公共ライドシェアが拡大された背景にタクシー事業者の営業終了や休止があったという事実は、その問題を象徴している。

地方の免許返納問題とは、交通費の問題であると同時に、交通そのものが地域に残るかという問題なのである。

老後の家選びでは「駅まで何分」より返納後の交通を考える

ここから逆算すると、住宅の価値についても別の見方ができる。

65歳で自動車を運転しているときには、スーパーまで5キロメートルでも10キロメートルでも、大きな違いには感じないかもしれない。

しかし75歳で免許を返し、その家で85歳まで暮らすと考えれば、その数キロメートルが100万円、200万円という差へ変わることがある。

駅まで歩ける家、バス停に近い家、乗合交通の対象区域にある家、病院とスーパーを一度の外出で回れる家。

こうした住宅には、土地や建物の販売価格には表示されない経済的価値がある。

反対に、眺望がよく、敷地が広く、静かで価格の安い住宅でも、生活施設から離れ、代替交通を利用しにくければ、購入時に節約した金額を免許返納後の交通費が少しずつ食べていく可能性がある。

仮に50万円安く家を買えても、返納後の交通費が毎年10万円多くかかれば、5年間でその差は消える。

地方の中古住宅を見るとき、「この家はいくらで買えるのか」だけを見るのでは足りない。

80歳になった自分が、この玄関からどうやって病院へ行くのか。

そこまで考えて初めて、その家の本当の価格が見えてくる。

免許返納とは、10年間の交通手段を組み替えることである

自動車は不思議な道具である。

持っている間、人は移動の自由をそれほど意識しない。

朝になって病院へ行こうと思えば行ける。午後に買い忘れに気づけば、もう一度スーパーへ出掛けられる。雨が降っていても、荷物が重くても、予定をそれほど変えずに済む。

免許返納によって失われるものは、自動車という機械だけではない。

「思いついたときに移動できる自由」である。

その自由を普通タクシーだけで買い戻そうとすると、今回のモデルでは10年間で400万円を超え、運賃が毎年2%上がる条件なら500万円近くに達する可能性がある。

しかし、乗合交通やバスを生活の中に組み込めれば、同じ月8回の外出でも100万円台に収まる可能性がある。

つまり、免許返納後の移動費には一つの正解はない。

同じいすみ市でも、同じ勝浦市でも、家の場所と交通手段の組み合わせによって結果はまるで違う。

だからこそ、免許返納を考える人にとって最も有効な準備は、75歳になって突然タクシー料金を調べることではない。

まだ自分で運転できるうちに、一度、自動車を使わず生活してみることである。

自宅からバス停まで歩き、時刻表を調べ、乗合タクシーを予約する。スーパーへ行き、買った荷物を持って帰る。病院へ公共交通だけで行き、玄関を出てから帰宅するまで何時間かかるのかを測ってみる。

その一日には、10年後の暮らしがかなり正確に映っている。

免許を返す日とは、突然「車のない老後」が始まる日ではない。

本当は、その何年も前から準備できる。

自分の住んでいる家から、車なしでどこまで行けるのか。月に何回移動するのか。そのために10年間でいくら必要になるのか。そして、その交通手段は10年後にも地域に残っているのか。

地方で老後を暮らすということは、家を所有することだけではない。

その家から、年を取っても外へ出られる可能性まで含めて暮らしを選ぶことなのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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1989年7月23日の夜、日本の政治で、それまで動かないと思われていたものが大きく揺れた。

第15回参議院議員通常選挙で、日本社会党は46議席を獲得し、自由民主党の36議席を上回った。社会党は改選第一党となり、自民党は参議院で単独過半数を失った。1955年の結党以来、多少の浮き沈みを経験しながらも日本政治の中心にあり続けてきた自民党優位の政治構造に、明らかな亀裂が走った選挙だった。

その中心にいたのが、日本社会党委員長の土井たか子である。

選挙後の土井を象徴する言葉は、やがて一つの短い表現に凝縮されて人々の記憶に残った。

「山が動いた」。

政治家の言葉の多くは、その選挙が終われば消えていく。ところが、この言葉だけは1989年という時代を説明する言葉として生き残った。

なぜだったのだろう。

そこには、社会党が一度の選挙に勝ったというだけでは説明できないものがある。昭和が終わり、平成が始まったばかりの日本で、それまで政治の中心に見えにくかった人々が、自分たちにも政治を動かせるのではないかと感じた瞬間があった。そして土井たか子という政治家は、その期待を不思議なほど鮮明に背負う人物になったのである。

政治家になる予定ではなかった憲法学者

土井たか子は、最初から職業政治家として人生を設計した人物ではなかった。

1928年に神戸で生まれ、同志社大学で法律を学び、大学院を経て大学で憲法を教えた。1969年の衆議院議員総選挙で日本社会党から立候補して初当選するまで、彼女の立っていた場所は永田町ではなく、憲法を研究し、学生に教える教室だった。

その出発点は、その後の政治家としての土井を理解するときに重要である。

護憲を中心に据え、安全保障や原子力政策などでも明確な立場を取り続けた土井の政治思想には当然、賛否がある。しかし彼女は、時代の風向きに合わせて器用に立ち位置を移す政治家ではなかった。一度、自分にとって原則だと考えたものを簡単には手放さない。その頑固さが支持者には信頼として映り、反対する人には硬直性として映った。

後から振り返れば、それは土井たか子という政治家の強さであると同時に、限界にもなっていく。

ところが、そんな憲法学者出身の政治家が、やがて日本政治でも屈指の「言葉を持つ政治家」になる。

「やるっきゃない」。

「ダメなものはダメ」。

いずれも政策論として精密な言葉ではない。むしろ精密さの反対側にある。

それでも強かった。

政府や政党が長い説明を重ねるより、「この人は何に怒っているのか」「何には譲らないのか」が一瞬で伝わったからである。本人自身は、こうしたキャッチフレーズが独り歩きすることを必ずしも好んでいなかったと、後に土井を取材した記者は記している。

考えてみれば不思議な人生である。

憲法を教えていた大学講師が、難しい法律用語ではなく、誰にでも覚えられる短い日本語によって国民的人気を得たのである。

敗北した社会党が選んだ女性党首

1986年、土井は日本社会党の委員長に就任する。

この人事は、勢いに乗る政党が新しい時代を先取りして女性を党首に据えた、という華やかな話ではなかった。

むしろ逆だった。

社会党は同年の衆参同日選挙で大敗し、戦後長く自民党と対峙してきた最大野党としての存在感を失いつつあった。労働組合を中心とした強固な支持基盤を持ってはいたものの、高度経済成長によって生活が変わり、会社員が増え、都市化が進んだ日本社会に対して、従来の社会党の言葉が届きにくくなっていた。

その危機のなかで、土井は委員長になった。

国会に議席を持つ政党のトップに女性が就いたのは、憲政史上初とされる。後に女性初の衆議院議長にもなる土井だが、最初の「女性初」は、政党が追い詰められた場所から始まっていた。

そこには少し皮肉な構図も見える。

組織が安定している間は従来の男性中心の秩序が維持され、行き詰まったときになって初めて、それまでとは違う人物が前面に出てくる。

しかし、社会党が単に「女性だから目新しい」と考えて土井を利用しただけなら、その後に起きた現象までは説明できない。

委員長になった土井は、党の看板を変えただけではなかった。

それまで政治の中心的な議題として語られにくかった生活の問題を、国会の言葉に変え始めたのである。

委員長就任後の代表質問で、土井は「女は三つの老後を生きなければなりません」と語った。親の老後を支え、夫の老後を支え、その後に自分自身の老後が来る。まだ介護保険制度も存在しなかった時代、家庭の中で女性が当然のように背負っていた介護負担を、個人的な家庭事情ではなく政治の問題として国会に持ち込んだ。

これは土井人気を考えるうえで小さくない。

女性だから女性の問題を扱った、というだけではない。

それまで「家の中のこと」として政治から切り離されていたものを、政治の側へ引きずり出したのである。

1989年、政治への不満が行き場を失っていた

もちろん、土井たか子一人に選挙を動かす魔法があったわけではない。

1989年の自民党政権には、いくつもの逆風が重なっていた。

前年から続いたリクルート事件によって政界と企業の癒着が問題となり、竹下登首相は退陣した。1989年4月には3%の消費税が導入され、家計への新たな負担に対する反発が広がっていた。その後を継いだ宇野宗佑首相にも女性問題が報じられ、政権は発足した時点から強い逆風のなかに置かれた。

つまり、山が突然、自分の意思で歩き出したわけではない。

その下ではすでに地殻変動が始まっていたのである。

政治と金への不信、消費税への反発、長期政権への倦怠感。性質の異なる不満が同時に噴き出したとき、それを受け止める顔として土井たか子がいた。

社会党は1989年参院選で46議席を獲得した。さらに、この選挙では女性候補の躍進が大きな話題となり、後に「マドンナ旋風」と呼ばれることになる。

この選挙で女性当選者は22人。改選された126議席の17.46%を女性が占めた。前回1986年の女性当選者10人から倍以上に増え、日本の国政選挙としては画期的な変化だった。

ただし、「マドンナ旋風」という言葉そのものにも、今から振り返れば当時の社会が映り込んでいる。

女性政治家が多数当選したことを歓迎する一方で、政策や思想を持った一人の政治家としてではなく、「女性候補」という特別な集団として眺める視線があったからこそ成立した呼び名でもある。

女性が政治家であること自体がニュースになった時代だった。

土井たか子は、女性政治家の進出を象徴した人物であると同時に、女性政治家がまだ珍しい存在として見られていた日本の姿を映す人物でもあった。

なぜ土井たか子は国民的スターになれたのか

それでも、土井人気を「女性だったから」で説明するのは無理がある。

彼女が登場した1980年代後半は、テレビが国民共通の巨大な窓だった。

インターネットはない。政治家が自分の動画を毎日発信することもない。新聞とテレビが政治家の姿を全国へ届け、夜のニュースで映された数十秒の表情や言葉が、翌日の職場や家庭の話題になる。

そこで強かったのは、一瞬で人物像が伝わる政治家だった。

土井には、それがあった。

よく通る声があり、言葉に歯切れがあり、男性ばかりが並んでいた政治の画面のなかで、遠くからでも分かる存在感があった。「クイズダービー」や「世界まるごとHOWマッチ」といった一般のテレビ番組にも出演し、政治ニュースを熱心に見ない人々にも顔を知られていった。

だが、それだけなら人気タレント型の政治家で終わっただろう。

土井にはもう一つ、奇妙な強みがあった。

彼女は政治家なのに、「政治の外から来た人」に見えたのである。

1989年の時点で初当選からすでに20年近くが経過している。政治経験の浅い新人ではない。それなのに、永田町の専門家としてではなく、永田町へ普通の人々の感覚を持ち込む人物として受け取られた。

政治経験があるのに、政治屋には見えない。

制度を知っているのに、専門用語ばかりで話さない。

国会の内部にいるのに、国会の外側にいる人々の不満を代弁しているように見える。

この距離感こそ、土井たか子という政治家の最大の資産だったのではないだろうか。

人々は彼女を「おたかさん」と呼んだ。

最大野党の党首であり、首相候補にもなり得る政治家なのに、呼び名だけを聞けば近所のよく知っている人のようだった。

権力の中心へ近づくほど、普通の人から遠ざかって見える政治家は多い。

土井は、逆だった。

政治の中心へ近づくほど、「自分たちの側から政治を見ている人」に見えたのである。

「山の動く日」は女性たちの目覚めを歌った言葉だった

そして、あの「山」に戻る。

土井が若いころから愛唱していたとされるのが、与謝野晶子が1911年の『青鞜』創刊号に寄せた『そぞろごと』である。

その冒頭は「山の動く日来る」で始まる。

現在、この冒頭部分だけを取り出して「山の動く日」と呼ばれることも多いが、厳密には『青鞜』創刊号に掲載された作品の総題が『そぞろごと』で、その冒頭の詩が後世、広く知られるようになったものである。そこでは、長い間眠っていた女性たちが目覚め、動き始める姿が「山」に重ねられている。

土井が社会党委員長だったころ、東京・三宅坂の社会党本部にあった委員長室には、「山の動く日」と書かれた額が掲げられていたという。

だから本来、土井にとって「山」は自民党そのものではなかったのだろう。

長い間、政治の中心に十分な場所を持てなかった女性たちであり、政治を自分とは遠いものだと考えていた市民であり、「どうせ政治は変わらない」と諦めていた有権者でもあった。

ところが1989年の大勝によって、この言葉には別の意味が重なっていく。

眠っていた女性が動くという与謝野晶子の山と、動かないように見えた戦後政治の山が、一つの映像になった。

言葉が政治家本人の手を離れ、時代の言葉になった瞬間だった。

女性が首相として指名された日

参議院選挙からわずか半月ほど後、その勢いを象徴する出来事が起きる。

1989年8月9日の内閣総理大臣指名選挙で、参議院は土井たか子を内閣総理大臣に指名した。

一方、衆議院は自民党の海部俊樹を指名した。両院協議会でも一致しなかったため、日本国憲法第67条第2項による衆議院の優越によって、最終的には海部の指名が国会の議決となった。

したがって、土井たか子内閣が成立したわけではない。

しかし、この出来事を「結局首相にはなれなかった」で終わらせると、その歴史的意味を取り逃がす。

1989年の日本で、国会を構成する二つの議院の一方が、一人の女性を内閣総理大臣として正式に指名したのである。

女性首相がまだ遠い未来の話に思われていた時代に、参議院だけを見れば、土井たか子はすでに首相に選ばれていた。

その瞬間、彼女が「日本で最も首相に近づいた女性」だったと表現しても、大きな誇張ではない。

社会党が数年前まで低迷していたことを考えれば、なおさら異例の光景だった。

それでも山は動き続けなかった

だが、政治には残酷な性質がある。

熱狂を得票に変える力と、その得票を持続的な政権基盤へ変える力は同じではない。

社会党は1990年の衆議院議員総選挙でも大幅に議席を増やした。それでも自民党政権を倒すところまでは届かず、翌1991年の統一地方選挙で社会党が敗北すると、土井は委員長を辞任する。

ほんの数年前には衰退政党と思われていた社会党を復活させ、首相指名にまで到達した人物が、驚くほど短い時間で党首の座を去ることになった。

ここに「土井ブーム」の本質と限界が見える。

1989年に社会党へ向かった票は、一枚岩の社会党支持ではなかった。

政治腐敗への怒りがあり、消費税への反発があり、自民党長期政権への倦怠感があり、女性政治家への期待があり、土井本人への好感があった。

異なる場所から流れてきた水が、一時的に同じ低地へ集まったのである。

洪水のような票だった。

しかし洪水は、必ずしも一本の川にはならない。

社会党が本当に政権を担うためには、「自民党に反対する人々」の受け皿であるだけでは足りなかった。安全保障をどうするのか、経済をどう運営するのか、現実の国際関係のなかでどこまで従来の政策を維持するのかという問いに、一つの政権構想として答える必要があった。

しかも、そのころ世界の方が先に変わり始めていた。

1989年にはベルリンの壁が崩れ、東欧の社会主義体制が相次いで崩壊し、米ソ冷戦も終結へ向かう。

戦後日本政治を支えてきた「保守対革新」という対立軸そのものが揺らぎ始めたのである。

土井人気によって一時的に覆い隠されていた社会党の古い問題が、時代の変化とともに再び姿を現した。

土井たか子の長所は、そのまま弱点でもあった

土井は、権力政治の職人というタイプではなかった。

むしろ、そう見えなかったことが彼女の人気を支えた。

原則を語り、生活者の言葉で政治を批判し、曖昧な表現で逃げない。その姿は、派閥、密室協議、根回しによって物事が決まる印象の強かった当時の政治とは鮮明な対照をなしていた。

しかし政権を取る側に回れば、政治に求められるものは変わる。

異なる考えを持つ人々と合意し、政策に優先順位をつけ、財源を割り振り、ときには支持者が望まない妥協もしなければならない。

「ダメなものはダメ」という言葉は、野党政治家としては強い。

だが政府を運営する側は、その次に「では何をするのか」を示さなければならない。

何を認め、何を捨て、誰と組み、どこまで譲るのか。

土井たか子という政治家の魅力と、社会党が本格的な政権政党になり切れなかった問題は、この地点で微妙に重なっていた。

もっとも、その責任を土井一人に帰すのは公平ではない。

安全保障政策、党内の路線対立、労働組合との関係、変わりゆく社会と支持基盤のずれ。社会党が抱えていた問題の多くは、土井が委員長になるはるか以前から存在していた。

むしろ一人の人物の人気によって、衰退過程にあった政党が数年間とはいえ政権をうかがう位置まで戻ったこと自体が異例だった、と見る方が歴史には近いのではないか。

土井たか子は、社会党を救えなかった政治家だったというより、社会党がまだ救えるかもしれないと国民に思わせた最後の政治家だった。

女性初の衆議院議長へ

そして土井の政治人生は、「山が動いた」で終わらない。

1993年の衆議院議員総選挙で自民党は単独過半数を失い、細川護煕を首相とする非自民連立政権が成立した。

その新しい国会で、土井たか子は第68代衆議院議長に選ばれる。

女性として初めての衆議院議長だった。在任期間は1993年8月6日から1996年9月27日までである。

社会党委員長として自民党と激しく対決した人物が、今度は国会全体を代表し、与党と野党双方を公平に扱わなければならない席に座った。

議長時代には、議員を呼ぶ際の慣例だった「君」ではなく「さん」を用いたことでも知られる。

小さな変更に見える。

だが、いかにも土井らしい。

制度そのものを大声で否定するのではなく、その制度のなかに残っている「なぜ昔からこうなのか分からない慣習」を一つ問い直す。

女性だから特別扱いしてほしい、という話ではない。

そもそも男性ばかりだった時代につくられた慣習を、なぜそのまま続けなければならないのか。

土井たか子の政治には、そうした問い方が一貫していた。

女性政治家が「珍しかった時代」のスターだったのか

土井たか子を振り返るとき、「女性だったから人気が出た」という説明は半分しか当たっていない。

確かに、女性党首という新鮮さは大きかった。

テレビ画面に男性政治家がずらりと並ぶなか、土井はそれだけで目立った。

しかし、珍しいというだけで何年も国民的人気は続かない。

土井が強かったのは、彼女が登場することによって、周囲の政治の古さが逆に見えてしまったからではないだろうか。

男性ばかりの国会。

派閥を中心に動く自民党。

組織中心の社会党。

家庭内で女性が担っていた介護や家事を、政治問題として十分に扱ってこなかった社会。

政治家は政治家の言葉を話し、普通の人々はそれを遠くから眺めている。

その風景の中へ土井が入る。

すると、土井自身が特別に新しいという以上に、その周囲に残っていた「昔からこういうものだ」という政治の姿が古く見えた。

政治家がスターになるとき、その人物一人の能力だけで現象が起きるとは限らない。

社会の方がすでに変わり始めているのに、制度や政治文化だけが取り残されているとき、そのずれを一人で可視化してしまう人物が現れることがある。

1989年の土井たか子は、その位置にいた。

「山が動いた」から36年後、日本に女性首相が誕生した

1989年から36年後の2025年10月21日、高市早苗が衆参両院の内閣総理大臣指名選挙で指名され、第104代内閣総理大臣に就任した。

日本で初めての女性首相だった。

もちろん、土井たか子と高市早苗の政治思想は大きく異なる。

だから、女性という一点だけで二人の政治を直線的につなぐべきではないだろう。

それでも歴史として眺めれば、不思議な連続性がある。

1989年、参議院は土井たか子を首相として指名した。

しかし衆議院では届かなかった。

それから36年を経て、初めて女性が実際に内閣総理大臣となった。

その翌年である2026年は、日本の女性が国政選挙で初めて選挙権と被選挙権を実際に行使してから80年に当たる。

ここは年月を正確に分けて考える必要がある。

女性の国政参政権は、1945年12月17日の衆議院議員選挙法改正によって制度上認められた。そして翌1946年4月10日の第22回衆議院議員総選挙で、女性は初めて投票し、立候補した。この選挙では39人の女性衆議院議員が誕生している。したがって、参政権獲得から数えれば2025年が80年、実際の国政選挙での行使から数えれば2026年が80年となる。

80年という時間を置いて眺めると、土井たか子の位置が少し違って見えてくる。

彼女は女性首相になった政治家ではない。

女性政治家が当たり前になった時代の政治家でもない。

女性が大政党の党首になること自体が歴史的事件であり、女性候補が多数当選すれば「旋風」と呼ばれた時代に、その珍しさを弱点ではなく政治的な力へ変えた人物だった。

しかも彼女は、最後まで「女性問題だけを語る女性政治家」にはならなかった。

憲法を語り、外交を語り、税制を語り、介護を語った。

社会党を率い、参議院で自民党を過半数割れに追い込み、参議院から首相に指名され、最後には衆議院議長になった。

その意味では、土井たか子を単に「女性政治家の先駆者」と呼ぶだけでは、少し小さすぎるのかもしれない。

山とは何だったのか

結局、1989年に動いた「山」とは何だったのだろう。

社会党だったのか。

自民党だったのか。

女性だったのか。

おそらく、そのどれか一つではない。

長い間、「政治とはこういうものだ」と考えられてきた常識そのものが山だったのではないか。

政治家は男性である。

政権は自民党が握る。

家庭の問題は家庭で解決する。

普通の市民が政治を動かすことなどない。

その一つ一つは法律に書かれていたわけではない。

それでも社会の中には、岩盤のように存在していた。

だから一つの選挙で社会党が勝っただけなのに、人々はそこに何か巨大なものが動く感覚を見た。

もちろん、山は完全には崩れなかった。

社会党はその後衰退し、土井ブームも終わった。1989年に集まった熱狂が、そのまま新しい政治体制をつくったわけでもない。

それでも、動かなかったことにはならない。

山は、動いた後に元の場所へ戻ることもある。

少しだけ形を変え、その変化が次の時代からは当たり前に見えることもある。

女性が政党の党首になること。

女性が衆議院議長になること。

女性が首相候補として扱われること。

そして、実際に女性が首相になること。

1989年には、そのどれもが現在ほど当たり前には見えなかった。

土井たか子という政治家を今振り返る意味は、彼女の政策に賛成することでも、かつての社会党を美化することでもない。

政治の景色が変わるときには、その変化が起きる少し前に、「こんなことは起きない」と多くの人が思っている。

その固定観念が崩れる瞬間を、一人の政治家が象徴することがある。

1989年の夏、その場所に立っていたのが土井たか子だった。

そして彼女が見た山は、社会党の山でも、自民党の山でもなかったのだろう。

長い間眠っていた人々が、自分たちも政治を動かす側に立てるかもしれないと感じた、その巨大な塊こそが山だった。

「山が動いた」という言葉が今も残っているのは、だからなのかもしれない。

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不動産情報を眺めていると、ときどき時間が二十年ほど巻き戻ったような価格の住宅に出会う。

土地付き一戸建て、500万円。

都会で暮らしてきた人なら、最初は何かの間違いではないかと思うかもしれない。500万円なら、自動車一台とそれほど変わらない。月6万円の家賃を30年間払い続ければ2160万円になるのだから、500万円で家を買えるなら、どう考えても買った方が得ではないか。そんな計算が頭に浮かぶのも自然なことである。

しかも、この500万円という数字は、外房では空想の価格ではない。2026年8月時点のいすみ市では、大原に498万円、岬町中原に500万円、岬町榎沢に450万円、高谷には520万円の中古戸建てが確認できる。もちろん、それがいすみ市の中古戸建住宅全体の平均的な価格だという意味ではない。築年数が古い、建物が小さい、駅から離れている、あるいは何らかの修繕を必要としているといった条件を伴う低価格帯の住宅である。

この記事でいう「500万円の中古住宅」とは、まさにそうした家を想定している。

ここでいう500万円の住宅は、中古戸建て全体の平均的な価格を意味するものではない。外房など人口減少地域で実際に見られる、築年数が古い低価格帯の戸建住宅を想定したモデルケースである。

問題は、この500万円という数字を、私たちは家の「値段」だと思ってしまうことである。

実は、それは30年間続く住宅費の入口に書かれた数字にすぎない。

500万円の家を買った日から、もう一つの時計が動き始める

スーパーで500円の商品を買えば、500円を払ったところで取引はほぼ終わる。自動車でさえ購入後に維持費はかかるものの、最後には廃車にして所有を終わらせることができる。

住宅は少し違う。

家を買った瞬間、そこから新しい支払いの時計が動き始める。

登記をしなければならない。不動産会社の仲介で購入すれば仲介手数料が発生することがある。不動産取得税も条件によって生じる。古い家なら、鍵を受け取った翌日からそのまま30年間暮らせるとは限らず、給湯器、台所、浴室、トイレ、床、屋根、外壁などのどこかに手を入れる必要が出てくる。

特に低価格の住宅では、購入価格が安いからといって諸費用まで同じ割合で安くなるわけではない。

現在、800万円以下の「低廉な空家等」の売買では、一定の場合、不動産業者が依頼者一人から受け取る仲介手数料について税込33万円を上限とする特例が設けられている。500万円の住宅に33万円なら、それだけで購入価格の6%を超える。

一方で、中古住宅には不動産取得税の軽減制度もある。千葉県では2026年4月1日以降に取得した自己居住用中古住宅について、床面積や耐震性能など一定の条件を満たせば軽減を受けられる。つまり実際の取得費は、築年数や建物の状態、取引方法によってかなり違ってくる。

そこで今回は、個別物件の正確な見積もりをするのではなく、取得時の仲介、登記、税、各種手続きなどをまとめて70万円程度と置く。

すると500万円の家は、まだ一度も修理をしていない段階ですでに570万円になっている。

しかし、本当に大きなお金が動き始めるのは、その後である。

中古住宅を買うということは、家の「過去」も買うことである

築35年の中古住宅を買ったとする。

購入者にとっては、その日が住宅所有の1日目である。しかし家にとっては35年目のある一日にすぎない。

ここに中古住宅を考えるときの大きな錯覚がある。

新築を買って30年間住むなら、建物は0歳から30歳になる。ところが築35年の家を買って30年間住めば、最後には築65年になる。

自分が30年間しか使っていなくても、屋根は65年間雨を受けているかもしれない。外壁も65回の夏と冬を経験することになる。給排水管や床下、柱、基礎も同じ時間を過ごしている。

国土交通省が示す木造戸建住宅の維持保全計画の例でも、住宅は建てた後そのまま放置することを前提としていない。基礎などは5年ごとの点検例が示され、屋根では20年程度で全面的な葺き替えを検討する例、外壁では15年程度で全面補修を検討する例などが示されている。

つまり家というものは、一度完成したら30年間そのまま存在する商品ではない。

少しずつ部品を取り替えながら、同じ家であり続けるものなのである。

中古住宅なら、その交換時計がすでに途中まで進んだ状態で手渡される。

だから500万円で買った家に、その後いくらかかるかは、売買価格だけを見てもほとんど分からない。

そこで、30年間の未来を三つに分けて考えてみよう。

最初の未来~大きな故障に恵まれた「低修繕ケース」

最も幸運な場合から考えてみる。

500万円で購入した家の状態が比較的よく、購入後に必要な修繕が小さかったとする。入居時の修繕は50万円程度で済み、30年間を通じた小規模修繕を120万円、屋根や外壁などの比較的大きな修繕を150万円、給湯器や住宅設備の交換を150万円程度に抑えられたとしよう。

さらに30年間の固定資産税を120万円、住宅に関する保険を90万円、突然の故障などに備える予備費を60万円とする。取得時諸費用70万円も加える。

この場合、30年間で住宅に投じる総額は約1310万円になる。

500万円だった家が1310万円になるのだから、それでも購入価格の2.6倍ほどである。

ところが360か月で割ると、月あたり約3万6400円になる。

この数字だけを見るなら、低価格中古住宅はかなり強い。

月6万円の賃貸住宅なら30年間の家賃だけで2160万円になる。それに対して1310万円で30年間住めるのであれば、途中で家の価値がかなり下がったとしても、経済的には持ち家に魅力がある。

おそらく、格安中古住宅を購入して成功したと感じる人が経験しているのは、この世界に近い。

しかし、これは家が比較的健康だった場合の話である。

築古住宅を購入するとき、誰もがこの未来を選べるわけではない。

二つ目の未来~家が普通に老いていく「標準ケース」

もう少し現実の時間を家に流してみよう。

購入後、浴室や給湯器などに手を入れ、入居時の修繕に200万円かかったとする。その後30年間の間に、細かな故障や補修で200万円、屋根や外壁などの大きな修繕で300万円、給湯、水回り、住宅設備などの更新に250万円が必要になったとする。

固定資産税を30年間で180万円、保険を120万円、予期しない修理への予備費を120万円として、購入価格500万円と取得時諸費用70万円を加える。

総額は約1940万円になる。

これは購入価格の約3.9倍である。

月額に直すと約5万3900円となる。

ここまで来ると、月6万円の賃貸住宅とかなり近づいてくる。

もちろん、この二つは単純には比較できない。

賃貸の2160万円は家賃だけであり、更新費用や家財保険などが別にかかる場合がある。一方、持ち家にも今回の計算には含めていない家具・家電、庭木管理などが発生することがある。

さらに決定的に違うのは30年後である。

賃貸住宅に2160万円を支払っても、通常その住宅は自分の財産にはならない。しかし持ち家なら、30年後にも土地と建物が残る。

だから標準ケースなら、「500万円の家が1940万円もかかった」と考えるだけでは公平ではない。

30年間住んだうえで、最後に何が残るのかまで考えなければならない。

ところが地方の住宅では、その「最後に残るもの」が必ずしも財産とは限らないところに問題がある。

三つ目の未来~修繕が重なった「高修繕ケース」

中古住宅の怖さは、何か一つが壊れることではない。

古い家では、同じ時期にいくつもの設備が寿命を迎えることがある。

屋根を直した翌年に給湯器が壊れ、その数年後には外壁が傷み、そのあとに浴室や配管に問題が現れる。人間の老化と同じで、一つの部位だけが時間から取り残されるわけではないからである。

そこで高修繕ケースでは、入居時に400万円の修繕が必要だったとする。30年間の細かな修繕を300万円、屋根や外壁などの大規模修繕を500万円、給湯、水回り、住宅設備の更新を350万円とする。

さらに固定資産税240万円、保険150万円、想定外の補修に備える予備費250万円を見込み、購入価格500万円と取得諸費用70万円を加える。

30年間の総額は約2760万円となる。

月額では約7万6700円である。

500万円だった家が、30年後までの支出で2760万円になる。

ここまで来ると、月6万円の家賃を30年間支払った2160万円を上回る。

しかも、この2760万円には住宅ローンを使った場合の金利を含めていない。耐震補強が必要になった場合の大規模工事も含めていない。浄化槽など個別設備の大規模な問題、災害による損害、最後に建物を解体する費用も含めていない。

したがって、状態の悪い築古住宅では3000万円を超える世界も十分あり得る。

しかし、そのことは500万円の中古住宅が危険だという意味ではない。

むしろ重要なのは、500万円という販売価格からは、1310万円の未来も2760万円の未来も見分けられないということである。

500万円の家には三つの値段がある

今回の計算を振り返ると、同じ500万円の家でも30年間の総額は大きく変わった。

状態がよく修繕が少なければ約1310万円、標準的に修繕が続けば約1940万円、大きな修繕が重なれば約2760万円である。

差は1450万円にもなる。

興味深いのは、購入価格が500万円であることは三つのケースでまったく同じだという点である。

つまり中古住宅では、購入価格そのものよりも、「これから壊れるもの」の方が最終的な住宅費を左右する場合がある。

500万円の家と700万円の家を比較して、500万円の方が200万円安いから得だと考える。しかし700万円の家では屋根と水回りがすでに更新されていて、500万円の家では数年以内に両方を直さなければならないとしたら、最終的には700万円の家の方が安いかもしれない。

安い住宅を探しているつもりで、私たちはしばしば「安い購入価格」を探している。

しかし本当に探すべきなのは、「安く30年間住める家」なのである。

この二つは似ているようで、まったく違う。

固定資産税も「500万円の1.4%」ではない

ここでもう一つ、よく誤解される数字を整理しておきたい。

いすみ市の固定資産税率は1.4%である。しかし500万円で住宅を購入したから、毎年500万円の1.4%である7万円を払うという意味ではない。

いすみ市によれば、固定資産税は土地や家屋などを評価して価格を決定し、その価格を基に算出された課税標準額に税率1.4%を掛けて計算する。原則として固定資産評価額が課税標準額になるが、住宅用地などでは特例措置が適用された後の額が課税標準になることがある。したがって、中古住宅をいくらで買ったかだけでは実際の固定資産税額は決まらない。

また、古い建物では建物部分の評価額が低下していくことがある一方、土地は残る。

今回、30年間の固定資産税を120万円から240万円と幅を持たせたのは、このためである。

これは実際のいすみ市の特定物件について税額を推計した数字ではなく、30年間の総費用を考えるためのモデル値である。実際に購入を検討する場合には、売主や不動産会社から固定資産税の課税明細などを確認して計算する必要がある。

住宅費の計算で大切なのは、精密そうに見える一つの数字を作ることではなく、何がその数字を動かすのかを理解することである。

そして30年後、築65年の家が残る

500万円で築35年の家を買った人が30年間そこに住めば、家は築65年になる。

その日まで大切に直してきたのだから、当然それなりの価値が残ると思いたくなる。

しかし不動産の価値は、住宅にいくら修繕費を投じたかだけでは決まらない。

買いたい人がいるかどうかによって決まる。

ここで人口減少地域の住宅問題が現れる。

30年後、人口が現在より減り、周囲にも空き家が増えていたとする。中古住宅を探す人より、売りたい住宅の方が多い地域になれば、自分の家だけが希望価格で売れるとは限らない。

300万円で売れるかもしれない。

100万円かもしれない。

あるいは値段を下げても買い手が現れないかもしれない。

これは「資産価値が下がる」という言葉だけでは十分に表現できない。

地方住宅の30年後にとってもっと重い問題は、値段ではなく「市場から退出できるか」ということである。

自動車なら、古くなれば廃車にできる。

家は建物を壊すことはできても、土地まで消すことはできない。

土地を所有している限り、管理の問題は残る。

だから地方で中古住宅を購入するとき、最初に考えるべき質問は、

「この家を買えるか」

だけではない。

「30年後、この家を誰かに渡せるか」

まで含めなければならないのである。

安い中古住宅が悪いわけではない

ここまで読むと、500万円の中古住宅を買うこと自体が危険だという結論に見えるかもしれない。

そうではない。

今回の低修繕ケースなら30年間の総額は約1310万円で、単純な月額換算なら約3万6400円である。住宅の状態がよく、自分の生活に適した場所にあり、長期間住むのであれば、これは十分に合理的な住宅選択になり得る。

むしろ問題なのは、安い中古住宅を「500万円の買い物」と理解することである。

本当は500万円で一つの建物を買っているのではない。

これから30年間続く、屋根、外壁、配管、給湯器、税金、保険、庭、土地、そして最後の処分までを含んだ長い時間を買っている。

だから家を見るときには、価格欄だけを見るのでは足りない。

屋根はいつ直したのか。外壁はいつ補修したのか。給湯器は何年使っているのか。雨漏りはないか。床下に問題はないか。水道管や排水はどうなっているのか。

それらは住宅の「状態」を確認しているように見えるが、本当は未来の請求書を読んでいるのである。

500万円の値札の横には何も書かれていない。

しかし、その家の中には、すでに次の300万円、次の100万円、次の50万円の支払い時期が隠れているかもしれない。

「安い家」ではなく「30年間安く住める家」を探す

今回の試算には大きな幅が生まれた。

低修繕なら1310万円。

標準なら1940万円。

高修繕なら2760万円。

同じ500万円の中古住宅を起点にしても、30年間ではこれほど違う。

だから「500万円の家は30年間でいくらかかるのか」という問いに、一つの正解はない。

むしろ答えは、

およそ1300万円台で済む可能性もあれば、2000万円前後になり、状態次第では2700万円を超えることもある

という幅で考えるべきなのである。

そしてこの計算から、もう一つ重要なことが見えてくる。

中古住宅で200万円値切ることより、購入前に300万円の修繕を避けられる家を見つける方が、家計に与える効果は大きいことがある。

だから本当に中古住宅を安く買う方法とは、最も安い販売価格を探すことではない。

価格と建物状態と将来の修繕を一緒に見ることである。

家の値札には未来が印刷されていない

不動産広告には、価格が書かれている。

500万円。

土地面積も、建物面積も、築年月も、間取りも書いてある。

しかしそこには、

「8年後に給湯器を交換する可能性があります」

とも、

「12年後に外壁を補修するかもしれません」

とも、

「20年後に屋根へ大きなお金が必要になるかもしれません」

とも書かれていない。

まして、

「30年後、この土地を欲しい人がいるかどうかは分かりません」

とは、どこにも書かれていない。

それでも、そのすべてが住宅の価格の一部なのである。

500万円という数字は間違っていない。

ただし、500万円だけを見ていては、その家の本当の値段は見えない。

今回のモデルでは、500万円の中古住宅が30年間で約1310万円から2760万円まで広がった。

つまり住宅購入で最も重要なのは、「いくらで買ったか」ではなく、「その家と30年間付き合うために、結局いくら払ったか」なのかもしれない。

安い家とは、値札の数字が小さい家ではない。

30年後まで住み終えたとき、初めて安かったと言える家である。

中古住宅を探すとき、私たちは今日の家を見に行っているように思っている。

しかし本当は、その家の30年後を見に行っているのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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若いころ、町は思っているより広い。

少し遠いスーパーへ行くことも、隣の市の病院へ行くことも、駅まで車を走らせて電車に乗ることも、それほど特別な行動ではない。二十キロ、三十キロ離れていても、そこまでの道路と交通手段がつながっていれば、その場所は自分の日常の中にある。地図の上では遠くても、心理的には近いのである。

ところが年齢を重ねると、この関係が少しずつ逆転していく。

道路は昨日までと同じ場所にある。スーパーも病院も移転していない。それなのに、以前は「いつでも行ける場所」だったところが、やがて「用事がなければ行かない場所」になり、その次には「誰かに連れていってもらわなければ行けない場所」になっていく。最後には、わずか数キロ先にある店さえ、自分の日常から消えることがある。

高齢者の生活圏が小さくなるとは、町そのものが小さくなることではない。自分が自由に動かせる地図の範囲が、小さくなっていくことである。

そして、この変化を70歳、80歳、90歳という三つの年代から眺めてみると、高齢社会の町づくりにとって非常に重要な問題が見えてくる。

70歳~町全体がまだ自分の生活圏にある時代

70歳という年齢だけを見て、「生活圏が狭くなる」と考えるのは適切ではない。70代でも仕事を続け、旅行をし、自動車を運転し、趣味のために遠方へ出掛ける人は珍しくないからである。年齢には大きな個人差があり、70歳になった瞬間に行動範囲が変わるわけではない。

ただし、統計を大きく眺めると、変化の入口はすでに見え始めている。国土交通省の全国都市交通特性調査では、60代に比べて70代では仕事のための移動が大きく減り、買い物や散歩などの日常生活に近い移動の比重が高くなる。また、70代の外出率は60代より低くなる傾向も確認されている。つまり70代では、単純に「動けなくなる」というより、生活圏を構成していた移動の目的そのものが変わり始めるのである。

会社へ向かう毎朝の道がなくなり、仕事先の近くにあった店へ行かなくなる。仕事帰りに立ち寄っていた書店も、駅前の飲食店も、生活上の必要がなければ少しずつ日常の地図から外れていく。身体的には行くことができても、行く理由がなくなることで、最初の生活圏縮小が起きる。

それでも70代前半くらいまでなら、多くの人にとって町はまだ「選べる場所」である。今日は近くのスーパー、明日は隣町の大型店、具合が悪ければ少し遠い専門病院というように、複数の選択肢から行き先を選ぶことができる。

この「選べる」という点が重要である。

生活圏の大きさは、単に何キロ移動できるかだけでは決まらない。三つのスーパーから好きな店を選べる人と、一番近い一店舗にしか行けない人では、同じ町に住んでいても生活圏の質が違う。70代は、少しずつ移動量が減りながらも、まだこの選択権を保っている人が多い年代だと考えることができる。

しかし地方では、この状態を支えているものがある。

自動車である。

内閣府の調査では、外出手段として自分で運転する自動車を使う割合は都市規模が小さくなるほど高くなる傾向があり、町村では高齢者の生活と自動車の結び付きが強い。大都市なら徒歩、鉄道、バス、自動車を組み合わせることができても、地方では自動車という一本の太い線によって、スーパー、病院、銀行、役所が結ばれている場合が多い。

そのため地方の70代は、一見すると非常に広い生活圏を保っているように見える。しかしその広さは、必ずしも町の便利さによって生まれているわけではない。自分で車を運転できるという一つの能力によって、広い生活圏を人工的に維持している面がある。

ここに、80代へ向かうときの大きな境目がある。

80歳~生活圏が「面」から「線」へ変わる

80歳になると、生活圏は必ず狭くなるのだろうか。

もちろん、そうとは限らない。80代でも自動車を運転し、旅行をし、日常的に外出する人はいる。しかし集団として眺めると、移動手段の構成は明らかに変わってくる。

内閣府の調査では、80歳以上で外出時に「自分で運転する自動車」を利用すると答えた人は26.4%である一方、「徒歩」は58.5%、「家族などの運転する自動車」は36.1%となっている。複数回答なので単純な比較はできないが、年齢が上がるにつれて、自分自身の運転から徒歩や家族による送迎へ比重が移っていく姿ははっきりしている。

ここで生活圏に大きな変化が起こる。

70代までの生活圏が地図上の「面」だったとすれば、80代ではそれが何本かの「線」になっていく。

自宅からスーパーへ行く線、自宅から病院へ行く線、自宅から銀行へ行く線。以前なら途中で別の店に寄ったり、その日の気分で違う道路を通ったりしたものが、次第に決まった目的地と決まった経路に集約されていく。

遠くへ行けないわけではない。家族が車で連れていってくれれば、50キロ離れた病院にも行けるかもしれない。しかし、自分の意思だけで「ちょっと行ってみよう」と動ける範囲は狭くなっている。

この違いは大きい。

誰かに送ってもらえば行ける場所は、地理的には生活圏に含まれていても、自立した生活圏とは言いにくい。相手の都合を聞き、日程を合わせ、お願いしなければならないからである。距離そのものは変わっていないのに、移動に社会的な手続きが一つ加わる。

そして地方では、この変化が都市以上に大きな意味を持つ。

都市なら、自動車を運転しなくなった後でも、駅まで500メートル、スーパーまで700メートル、診療所まで800メートルという環境が存在し得る。ところが自動車を前提として造られた地域では、スーパーまで五キロ、病院まで十キロという距離が珍しくない。若いころには十分近かった五キロが、運転しなくなった瞬間に突然遠くなるのである。

道路は同じである。

距離も同じである。

変わったのは人間の側である。

だから、高齢社会の生活圏を考えるとき、「施設まで何キロあるか」だけを測っても十分ではない。「その距離を誰の力で移動できるのか」を考えなければならないのである。

高齢者の生活空間に関する研究でも、生活空間は単なる最大移動距離ではなく、どこまで移動したか、それをどのくらいの頻度で行ったか、さらに他人の助けを必要としたかという組み合わせで捉えられている。つまり、一か月に一度家族の車で遠方へ行く人と、毎日自分で近所へ出掛ける人を、単純な移動距離だけで比較することはできない。

80代とは、町から切り離される年代というより、町とのつながり方が変わる年代なのかもしれない。

90歳~生活圏は「場所」から「人」へ変わっていく

90歳になるとどうなるのか。

ここは特に慎重に考える必要がある。90歳だから自宅周辺しか動けない、と一律に決めることはできない。90代でも一人で外出する人もいれば、80歳になる前から移動に介助を必要とする人もいるからである。70歳、80歳、90歳という区切りは、生物学的な境界線ではなく、生活圏が変化していく過程を考えるための目安にすぎない。

それでも、非常に高齢になるにつれて生活圏が自宅や近隣へ集約されやすくなることは、多くの研究が示している。高齢者自身が感じる生活圏を調べた研究では、65~79歳では市全域を生活圏と感じる人が多い一方、80歳以上では自治会・町内会程度の身近な範囲を生活圏と感じる人が増えていた。また、外出頻度が低くなるほど、認識される生活圏も狭くなる傾向が確認されている。

90歳前後になると、生活圏はさらに別の姿を見せる可能性がある。

近所の店へ自分が行くのではなく、家族が買ってくる。薬局へ薬を取りに行くのではなく、誰かに頼む。遠くの友人に会いに行く代わりに、電話をする。美容院、銀行、役所、病院という目的地のうち、自分自身が出向く場所は少なくなり、反対に人やサービスの側が自宅へ近づいてくる。

ここまで来ると、生活圏は単なる地理ではなくなる。

70歳の生活圏が「自分が行ける場所」であり、80歳の生活圏が「助けがあれば行ける場所」まで含むものだとすれば、90歳の生活圏では「自分のところへ来てくれる人」が極めて重要になる。

家族が週に何回来るのか。宅配が利用できるのか。訪問診療を受けられるのか。介護サービスが来てくれるのか。近所に声を掛けてくれる人がいるのか。

若いころには地図上の距離で決まっていた生活圏が、最後には人間関係とサービスの網によって決まるようになる。

これは少し不思議な逆転である。

人生の前半では、人間が町の中を動き回ることで生活圏を広げる。人生の後半では、人や物やサービスが自分のところへ来てくれることで生活圏を維持するようになるのである。

生活圏はゆっくり縮むとは限らない

ただし、実際の生活圏は70歳から80歳、80歳から90歳へと、定規で測ったように少しずつ縮んでいくわけではない。

むしろ、ある日突然小さくなることがある。

長年運転していた人が免許を返納する。その日まで十キロ先のスーパーが日常の買い物先だったのに、翌日からそこへ一人では行けなくなる。夫婦のどちらかが運転していた家庭なら、その人が運転できなくなっただけで、もう一人の生活圏まで同時に縮む。

あるいは、近所のスーパーが閉店する。

昨日まで800メートルだった買い物先が、突然五キロ先になる。若い人なら自動車で数分の違いにすぎない。しかし徒歩を中心に生活する高齢者にとっては、これは「店が少し遠くなった」のではなく、「店が生活圏から消えた」ことに近い。

高齢者の買い物を調べた内閣府の調査でも、町村では買い物に自動車を使う割合が非常に高い一方、75歳以上の女性では自分で運転する割合が大きく低下し、徒歩や家族の支援へ移っている。施設の有無と、その施設を実際に利用できるかどうかは別の問題なのである。

高齢者の生活圏を一気に狭めるのは、年齢そのものより、このような「一本の線が切れる瞬間」なのかもしれない。

70歳では「面」、80歳では「線」、90歳では「点」になる

生活圏の変化を一枚の地図として想像してみる。

70歳の地図には、自宅を中心として多くの場所が描かれている。スーパーが三つあり、病院が二つあり、銀行があり、友人の家があり、少し遠くには大型商業施設もある。それぞれの場所は複数の道路で結ばれ、今日はどこへ行くかを自分で決めることができる。生活圏はまだ「面」として広がっている。

80歳になると、その面の中から、よく使う経路だけが残り始める。いつものスーパー、いつもの病院、いつもの銀行へ向かう道である。行動範囲は地図全体ではなく、何本かの線によって構成されるようになる。

そして90歳前後になると、その線さえ少なくなり、自宅、近所、病院、家族の家といった少数の場所が生活の中心になる場合がある。地図は点の集まりに近づいていく。

しかし、その「点」が孤立しているとは限らない。

家族が来る。宅配便が来る。医療や介護の人が来る。友人から電話が来る。行政から情報が届く。自分自身が遠くまで移動できなくなっても、外の社会と結ばれていれば、生活そのものまで小さくなるとは限らない。

ここに、高齢社会を考えるうえで非常に重要な違いがある。

身体的な生活圏が小さくなることと、社会的な生活圏が小さくなることは同じではない。

高齢者に必要なのは「何でも近くにある町」だけではない

高齢社会の町づくりというと、病院やスーパーを近くに集めるコンパクトな町を想像しやすい。それは確かに重要である。しかし、すべての住民を病院やスーパーの徒歩圏に住ませることは現実には難しい。

特に地方では、すでに広い範囲に住宅が存在している。そこに暮らしてきた人へ、80歳になったから中心部へ引っ越してくださいと言っても簡単ではない。

だから必要なのは、生活圏が縮小していくことを前提とした地域の仕組みである。

70代までは自分で移動できる。その後、運転が難しくなれば公共交通や送迎へ移る。そして外出そのものが難しくなれば、買い物、医療、介護、行政といったサービスの一部が家の近くまで来る。

つまり、人間の生活圏が小さくなるのなら、社会のサービス圏を反対に広げなければならない。

この二つがすれ違ったとき、高齢者は地域に住んでいながら地域から切り離される。

スーパーはある。

病院もある。

役所もある。

道路もある。

それなのに、そこへ行けない。

高齢社会で本当に恐ろしいのは、施設が完全になくなることだけではない。施設が存在しているのに、自分の日常からは消えてしまうことである。

90歳になった自分の地図から町を眺めてみる

地域の将来を考えるとき、人口推計や財政数字を見ることはもちろん重要である。しかし、ときにはもっと単純な方法が、その町の弱点を教えてくれる。

自分が90歳になったと想像してみるのである。

自動車を運転しない。長い距離を歩くのは難しい。夜の外出はできるだけ避けたい。それでも食料を買い、薬を受け取り、病院へ行き、現金を用意し、役所の手続きをしなければならない。

そのとき、自宅の玄関からどこまで一人で行けるだろう。

現在の町の地図を眺めると、道路や施設の位置は分かる。しかし、高齢者の暮らしを考えるなら、本当に必要なのはもう一枚の地図である。

70歳の人が行ける町。

80歳の人が行ける町。

90歳の人が行ける町。

同じ住所に住み続けていても、この三枚の地図は同じではない。

人口減少が進む地方では、これからスーパーや診療所、銀行、ガソリンスタンド、公共交通などの配置も変わっていくだろう。その一方で住民自身も年齢を重ね、移動できる範囲を変えていく。施設が遠くなる変化と、人間の生活圏が小さくなる変化が同時に進むのである。

だから、これから地域を見るときに問うべきなのは、「この町には病院があるか」だけではない。

「80歳になっても、その病院へ行けるか」。

「スーパーが残っているか」だけでもない。

「90歳になったとき、その食料を自分の家まで運べる仕組みがあるか」。

町の本当の大きさは、行政区域の面積では決まらない。

そこに暮らす人が、自分の力で、あるいは誰かの力を借りながら、どこまで社会とつながっていられるかによって決まる。

年を取るにつれて、私たちの地図は少しずつ折りたたまれていく。

問題は、その地図が小さくなることではない。

最後に残った小さな地図の中でも、買い物ができ、医療を受け、人と話し、誰かに必要とされながら暮らしていけるかどうかである。

それができる町なら、生活圏が小さくなっても、人生まで小さくなる必要はない。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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地方で老後を暮らすことを考えるとき、病院までの距離はどうしても気になる。

スーパーなら多少遠くてもまとめ買いができるし、役所なら用事そのものを減らすこともできる。けれども病院だけはそうはいかない。まして定期的な治療が必要になれば、病院までの距離は、そのまま日常生活の条件になる。

そこで地図を開いて、自宅から透析施設までの距離を測ってみる。

30km。

この数字を見て、「もし将来透析になったら、ここでは暮らせないのではないか」と感じる人は少なくないだろう。一般的な血液透析は週3回行われることが多いから、往復60kmを週3回と考えれば、一週間で180km、年間では9,000kmを超える。数字だけを積み上げれば、確かに相当な距離になる。

しかし、ここで一度立ち止まる必要がある。

透析医療の通院は、普通の外来通院と少し事情が違うからである。

現在の透析医療では、医療機関による患者送迎がかなり広く行われている。日本透析医会が2023年に行った調査では、回答した822施設の70.9%が施設負担による患者送迎を実施していた。また、患者側を対象とした2021年度の調査でも、透析施設の送迎を実際に利用している患者は24.8%に達している。

ここで重要なのは、70.9%という数字をそのまま全国すべての透析施設に当てはめることではない。この調査は回答施設を対象としたものであり、全国の全施設を完全に網羅したものではないからである。それでも、透析施設による送迎が一部の特殊な病院だけで行われているサービスではなく、現在の透析医療を支えるかなり一般的な仕組みになっていることは読み取れる。

そうなると、「施設まで30km」という数字の見え方も変わってくる。

自分で週3回、片道30kmを運転する生活と、自宅付近まで施設の送迎車が迎えに来る生活では、同じ30kmでも負担の中身がまったく違う。本人が運転しなくてよいのであれば、高齢になって自動車を手放したとしても、透析施設への交通手段だけは残る可能性がある。

ここに、透析医療の少し不思議なところがある。

地方では、近所の眼科へ行くには家族の自動車が必要なのに、それよりはるかに遠い透析施設には病院の車が迎えに来るということが起こり得る。公共交通が弱い地域ほど、透析施設の送迎車が事実上の医療交通として機能している場合があるからだ。

そう考えると、片道30kmという距離だけを見て、「この地域では透析生活が成立しない」と判断するのは現実的ではない。

けれども、送迎車が迎えに来るからといって、30kmという距離そのものが消えてなくなるわけでもない。

患者は運転しなくてよくなるが、移動時間は残る。

むしろ送迎車の場合、自家用車で直接病院へ向かうより時間がかかることもある。何人かの患者を順番に迎えながら施設へ向かうなら、自宅から病院までの直行時間より乗車時間は長くなる。透析そのものが一般に1回4時間程度かかることを考えれば、送迎時間を含めた透析日は、朝から午後まで、あるいは午後から夕方まで、一日のかなり大きな部分を占めることになる。

ここで問題の姿が変わる。

30kmの問題は、運転の問題ではなく、時間の問題になる。

週3回という頻度がある以上、透析日は一週間の中に規則的に現れる。月曜、水曜、金曜に透析する人なら、その三日は透析を中心に生活を組み立てることになる。通院距離が短ければ、その前後に買い物や家事を入れやすい。ところが送迎を含めて移動時間が長くなると、透析日はほぼ「治療の日」として使われるようになる。

だから30kmという距離を評価するとき、「通えるかどうか」だけでは十分ではない。

「その通院時間を含めた生活を、週3回繰り返しても無理がないか」というところまで考えなければならないのである。

そして、この問題は年齢を重ねるほど重要になる。

65歳で透析を始めた人なら、自分で30km先まで運転することもできるかもしれない。ところが75歳になり、さらに80歳になれば、雨の日や夕方の運転が負担になったり、自動車そのものを手放したりする可能性が出てくる。

そこで無料送迎が大きな意味を持つ。

本人が運転できなくなっても、送迎車が来るなら透析生活は続けられる。家族が毎回60kmを往復しなくてもよい。高齢の夫が高齢の妻を送り、数時間待ち、また連れて帰るという生活を避けられる可能性もある。

つまり透析施設の送迎は、単なる「病院の親切なサービス」と考えるより、地方の高齢者を医療につなぎ続ける生活インフラの一つと考えた方が実態に近い。

そう考えたとき、片道30kmという問題の核心もさらに変わってくる。

患者が30kmを移動できるかではなく、その患者を30km運ぶ仕組みを地域が維持できるかという問題になるのである。

患者にとって無料送迎であっても、送迎そのものに費用がかからないわけではない。車両を購入し、燃料を入れ、点検し、運転手を確保しなければならない。患者が広い地域に点在するほど、一人を迎えに行くための走行距離も長くなる。

この点は、人口減少地域を考えるうえで特に重要になる。

例えば十人の患者が施設から5km以内にまとまって暮らしている地域と、同じ十人が30km四方に散らばって暮らしている地域を考えてみる。

患者数は同じ十人でも、送迎に必要な車両の走行時間はまったく違う。

つまり透析施設の送迎を考えるとき、本当に効いてくるのは単純な人口ではなく、患者がどの程度の密度で分布しているかという地理なのである。

人口が減れば必ず透析患者が同じ割合で減るとは限らない。高齢化率や基礎疾患の状況によっても変わるからである。しかし、人口密度が低下して患者が広く散らばれば、少ない人数を集めるために送迎車が長い距離を走らなければならなくなる可能性は高くなる。

ここから先は、「患者が減るから透析施設がなくなる」という単純な話ではない。

実際、日本の透析患者数は近年減少に転じているものの、全国の透析収容能力まで同じように減っているわけではない。施設が統合され、大きな施設がより広い範囲の患者を受け入れるという形も考えられる。

もしそうなれば、患者から見た施設までの距離は今より伸びるかもしれない。

しかし、その距離を送迎が埋めてくれるなら、生活そのものは維持できる。

ここに地方医療の一つの可能性がある。

病院をすべての町に残すことが難しくなったとしても、一定規模の医療施設と広域送迎を組み合わせることで、医療へのアクセスを維持するという考え方である。

ただし、その場合には病院だけを医療インフラと考えてはいけなくなる。

送迎車まで含めて一つの医療システムとして考えなければならない。

病院の建物が30km先に存在しているだけでは、医療は届かない。患者の家と病院の間を往復する車があり、その車を運転する人がいて、毎週決まった曜日に患者を連れて行く。その一連の流れが維持されて初めて、「30km先に透析施設がある」という事実が生活上の意味を持つ。

この視点に立つと、地方の医療アクセスを地図だけで評価することの危うさも見えてくる。

同じ「透析施設まで30km」の町でも、一方では週3回送迎車が自宅近くまで来るのに、もう一方では自力通院しかできないとすれば、両者の生活条件は同じではない。

地理上は同じ30kmでも、生活上の距離は違う。

そして、この違いは年齢を重ねるほど大きくなる。

若いうちは自動車を運転できるから、送迎の有無をそれほど重要に感じないかもしれない。ところが自分で運転できなくなったとき、初めて送迎サービスの有無が生活を左右する。

この意味では、老後の移住先を考える人が透析施設までの距離を調べるなら、「何km先にあるか」だけでは不十分である。

その施設が実際に患者送迎を行っているのか、自宅の地区まで来てくれるのか、どのような条件で利用できるのかを確認した方が、はるかに重要である。

ただし、ここでも一つ注意しなければならない。

「40km以内なら、ほぼすべての透析施設が無料送迎する」と全国一律に考えることはできない。

実際には送迎範囲や条件は施設によって違う。自宅まで迎えに来る施設もあれば、一定の集合場所まで出なければならない場合もある。道路事情や車椅子対応などによって送迎できる地域が限定されることもある。

だから30kmという数字だけで大丈夫とも危険とも言えないのである。

必要なのは、その30kmが実際の送迎区域の中に入っているかを確認することだ。

さらに、平常時には問題なく送迎できても、台風や大雨となれば話は変わる。

外房のような地域では、倒木や冠水によって道路が一時的に使えなくなることがある。いつもの道を通れなければ、送迎車が大きく迂回しなければならないかもしれないし、そもそも迎えに行けないことも考えられる。

透析は、買い物のように「今日はやめて明日にしよう」と簡単に延期できるものではない。

そのため透析医療では、大規模災害時にどの施設が透析可能なのか、どこへ患者を移すことができるのかを共有する仕組みが整備されている。

ここで30kmという距離は、もう一度姿を変える。

平常時には送迎によってほとんど意識しなくてよかった30kmが、道路が途切れた瞬間、地理そのものとして現れる。

だから本当に強い地域とは、単に近くに透析施設がある地域ではないのかもしれない。

通常利用している施設へ行けなくなったとき、別の透析施設へ行く道があり、そこまで患者を運ぶ仕組みがある地域の方が、医療の持続性という意味では強い。

そう考えると、老後の透析生活を考えるときに見るべきものは、一つの施設までの距離だけではなくなる。

最寄りの透析施設はどこにあるのか。

その施設は自宅まで送迎してくれるのか。

さらに、その施設が使えないとき、次の施設はどこにあるのか。

この三つを一つの地図の上で考える必要がある。

そして、そこまで考えたとき、「片道30kmの透析生活は成立するのか」という問いへの答えも、かなりはっきりしてくる。

無料送迎が利用でき、自宅が送迎区域に入り、通常時に無理のない時間で施設まで行けるのであれば、片道30kmという距離だけを理由に生活が成立しないとは考えにくい。

むしろ地方における透析医療では、自動車を運転できない高齢者でも、送迎によって比較的遠い施設まで通える可能性がある。

だから問題は、30kmという数字ではない。

その30kmの間に何があるかである。

迎えに来る車があるのか。

その車を運転する人がいるのか。

施設は安定して患者を受け入れられるのか。

道路が使えない日には別の経路があるのか。

そして、その仕組みを十年後にも維持できるのか。

ここまで考えて初めて、距離は生活の問題になる。

地図の上では、病院は30km先にある。

けれども毎週決まった日に車が迎えに来てくれるなら、その30kmは必ずしも「遠い病院」ではない。

逆に、病院が10km先にあっても、そこへ行く手段がなければ、老後には遠い病院になる。

距離とは、道路の長さだけでは決まらない。

そこへ人を運ぶ仕組みがあるかどうかによって、同じ30kmでも生活上の意味は変わる。

人口減少が進む地方で本当に残さなければならないものは、透析施設という建物だけではないのだろう。

患者の家々とその施設の間を、月曜日にも、水曜日にも、金曜日にも走り続ける送迎車まで含めて、一つの地域医療なのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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~「医者がいる町」から「医療につながる町」へ

地方の町では、診療所の時計だけが、町とは別の時間を刻んでいるように見えることがある。

午前八時半。玄関の自動ドアが開くより少し前から、数人の高齢者が待っている。受付が始まれば、血圧の薬をもらいに来た人、腰の痛みを相談する人、健康診断の結果を聞きに来た人が、いつもの椅子に腰を下ろす。医師は一人、看護師が数人、受付には長く勤めている職員がいる。患者の名前だけでなく、その人の家族や暮らしまで何となく分かっている。

それは大病院とはまったく違う医療の風景である。

ところが、この診療所をそのまま30年先へ移動させようとすると、急に話が難しくなる。建物が古くなるからではない。医療機器が壊れるからでもない。もっと根本的な問題として、患者も医師も、そして町そのものも変わってしまうからである。

2026年から30年後は2056年である。国立社会保障・人口問題研究所の出生中位・死亡中位推計では、日本の総人口は2056年に約9965万人となり、1億人を割り込む。さらに2055年には65歳以上人口の割合が37%を超えると推計されている。しかも人口減少は全国一様に進むわけではなく、多くの地方では大都市より早く、そして深く進行する。市区町村別の将来推計も、2050年までの段階ですでに大きな地域差を示している。

では、地方の診療所は30年後も残っているのだろうか。

結論から言えば、現在と同じ形の診療所を、現在と同じ密度で維持することはかなり難しい。しかし、地方から診療所という存在そのものが消えるとも考えにくい。残るのはおそらく、「毎日一人の医師が診察室で患者を待つ診療所」ではなく、複数の医療機関、訪問看護、薬局、介護、オンライン診療、巡回診療などが結びついた、小さな地域医療拠点としての診療所である。

30年後に問われるのは、診療所を残せるかというより、「診療所とは何か」という定義そのものなのかもしれない。

患者が減るのに、医療が楽になるとは限らない

人口が減れば患者も減る。それなら診療所の負担も小さくなるのではないか、と考えたくなる。

しかし、地方医療では、この直感が必ずしも成立しない。

仮に人口1万人の町に診療所が5か所あり、それぞれが2000人程度の住民を背景人口として成立していたとする。その町の人口が30年後に6000人になれば、単純計算では一診療所当たり1200人になる。医療需要が人口に比例するなら、診療所の経営は当然苦しくなる。

ところが、高齢化を加えると事情が変わる。

30歳の住民一人と85歳の住民一人では、一般に必要とする医療の量が同じではない。高齢になるほど複数の慢性疾患を抱えやすく、薬剤管理、定期検査、認知機能への対応、在宅医療なども必要になりやすい。そのため人口が3割減ったからといって、医療需要までそのまま3割減るとは限らない。

厚生労働省も2040年に向けた医療提供体制について、人口減少に伴って外来需要全体は減少する一方、高齢化や医療従事者の確保、在宅医療などへの対応が必要になると整理している。つまり地方では、「患者が少なくなる」と「医療が簡単になる」が同時には起こらないのである。

ここに、地方診療所の最初の難しさがある。

待合室に座る人数は減っているのに、一人一人の患者に必要な医療は重くなる。

診療所から見れば、売上を支える患者数が減少する一方で、診療に必要な時間や連携業務は必ずしも減らないという現象が起こり得る。人口減少社会の医療とは、単なる「縮小」ではない。量が減りながら、質的には複雑になるのである。

本当に不足するのは「医師の数」だけではない

現在の日本には、一般診療所そのものは数多く存在する。2023年10月時点の一般診療所は10万4894施設で、その大半を無床診療所が占めている。数字だけを見れば、明日にでも診療所網が崩壊するような状態ではない。

しかし、30年という時間を考える場合、施設数より重要なのは、その診療所を誰が継ぐのかという問題である。

地方の小さな診療所は、一人の開業医に大きく依存していることが少なくない。病院なら一人の医師が退職しても組織は残るが、一人医師の診療所では、その医師の引退がそのまま診療所の閉鎖につながることがある。

厚生労働省も将来の外来医療を検討する際、診療所医師の高齢化と医師偏在を明示的な問題として取り上げている。さらに現在の医師政策では、単に全国の医師総数を見るのではなく、都道府県や二次医療圏ごとに「医師偏在指標」を用いて地域差を把握する仕組みがとられている。2024年末には「医師偏在の是正に向けた総合的な対策パッケージ」も策定された。

これは重要な意味を持っている。

日本全体で医師が存在することと、人口5000人の町に医師が一人住んでいることは、まったく別の問題だからである。

若い医師から見れば、地方で一人診療所を経営することには大きな責任が伴う。診療だけではなく、人を雇い、設備を管理し、診療報酬を請求し、休日や夜間への対応を考え、場合によっては学校医や予防接種、在宅患者の看取りまで担う。都市部の病院や複数医師のクリニックで勤務するという選択肢がある中で、その生活を積極的に選ぶ人が将来十分に存在するかは分からない。

したがって地方診療所の問題を「医学部の定員を増やせば解決する」と考えることもできない。

必要なのは医師という人数ではなく、その地域で働き続ける医師だからである。

一軒の診療所が消えると、町では距離が伸びる

都市では、一つのクリニックが閉院しても、数百メートル先に別の医療機関が見つかることがある。

地方では違う。

診療所が一軒なくなることによって、「次の診療所まで15キロ」ということが起こる。

しかも30年後、その15キロを運転する住民自身が高齢になっている。

ここに地方医療の問題が、医療政策だけでは解けない理由がある。

診療所へのアクセスは、道路、バス、タクシー、家族構成、免許返納、介護サービスまで含めた生活圏の問題だからである。医師が町にいなくても、自動車で20分走れば診療を受けられるのであれば、医療アクセスはある程度保たれる。しかし高齢者が一人暮らしで、自動車を運転できず、バスも一日に数本しかなければ、同じ20キロは突然、巨大な距離になる。

地図上では20キロでも、生活上は100キロに等しいことがある。

反対に、医師が毎日診療所に常駐しなくても、週に数回医師が巡回し、看護師が常駐し、必要な場合だけオンラインで専門医につなぎ、検査や入院が必要になれば地域の中核病院へ移送できる仕組みが成立していれば、物理的な診療所の数が減っても医療への接近可能性は必ずしも同じ割合では低下しない。

この違いこそ、30年後の地方医療を考える鍵になる。

診療所は「店」から「ネットワークの入口」へ変わる

これまでの診療所は、かなり完成された自己完結型の施設だった。

患者が診療所へ行き、医師が診察し、必要なら検査をし、薬を処方する。高度な治療が必要になれば病院へ紹介する。町の診療所とは、一つの小さな医療世界だった。

しかし人口が減り、人材も不足する地域で、この方式をすべての集落に残そうとすれば無理が生じる。

そこで今後重要になるのが、医療機能を分けながら接続するという考え方である。

厚生労働省が進めている2040年に向けた新たな地域医療構想も、病院の病床だけではなく、外来、在宅医療、介護、人材確保までを一体として考える方向へ広がっている。また、医療アクセスに問題のある地域について、オンライン診療を含む遠隔医療、医師派遣、巡回診療などを組み合わせる方向性も示されている。

この延長線上に30年後を置いてみると、地方の診療所の姿はかなり変わって見える。

たとえば、一人の医師が毎日午前九時から午後六時まで診察するのではなく、地域の複数の医師が曜日を分担するかもしれない。診療所には看護師などが常駐し、慢性疾患の状態確認を行いながら、必要な時間だけ医師がオンラインで診察するかもしれない。在宅患者には訪問看護が入り、電子的に共有された情報を中核病院の医師が確認する。画像診断や専門診療だけは都市部の医療機関につなぐ。

そうなれば診療所は、医療が完結する「場所」ではなくなる。

地域住民を医療システムにつなぐ「入口」になる。

この変化を退歩と見るか、進歩と見るかは簡単ではない。毎日同じ医師が診てくれる安心感は薄れるかもしれない。その一方で、一人の高齢医師に地域医療全体を背負わせる危うさは小さくなる。

30年前までの地方医療を再現することではなく、人口が半分になった町でも成立する医療の形を作ることが必要になるのである。

オンライン診療だけでは、地方医療は救えない

未来の医療を語ると、しばしばオンライン診療が万能薬のように登場する。

だが、画面の向こうから腹部を触診することはできない。

採血もできない。傷口を縫うこともできない。息苦しい患者の顔色を見て救急搬送を判断するとき、映像だけでは不足する場合もある。

だから「地方には医師がいなくても、オンライン診療があればよい」という考え方は現実的ではない。

むしろオンライン診療の価値は、医療従事者を完全に不要にすることではなく、少ない医療従事者の能力を広い地域で共有できることにある。

診療所に看護師がいて、血圧、体温、酸素飽和度などを測定し、患者の状態を確認する。その情報を遠隔地にいる医師と共有する。必要なら医師がオンラインで患者と話し、対面診療が必要と判断すれば巡回日を早めたり、中核病院を受診させたりする。

このような仕組みなら、オンライン診療は「医師の代用品」ではなく「距離を縮める道具」になる。

鉄道が町を結んだように、通信回線が診察室を結ぶのである。

ただし、その回線のこちら側には人が必要だ。

30年後の地方医療を支えるのは、派手な人工知能だけではなく、患者の腕に血圧計を巻き、「今日は少し顔色が悪いですね」と気づく人なのだろう。

経営できない診療所を、誰が残すのか

もう一つ避けて通れない問題がある。

採算である。

民間の診療所は医療機関であると同時に事業体でもある。患者が少なくなれば収入も減り、看護師や事務職員の給与、医療機器、建物、光熱費などの固定費が重くなる。

人口数千人の地域で、複数の診療所がすべて独立採算で存続することは難しくなる可能性がある。

ここで発想を変えなければならない。

スーパーなら、客が減り続ければ撤退する。それは企業として合理的な判断である。しかし、その町で最後の診療所が消える場合、同じ論理だけで判断できるだろうか。

医療には市場サービスとしての側面と、社会インフラとしての側面が同時に存在する。

道路を利用する自動車が少なくなったからといって、人口の少ない集落へ通じる道路をただちに撤去するわけではない。消防署も、年間の火災件数だけで採算計算されているわけではない。

30年後の地方診療所にも、同じ議論が必要になる可能性が高い。

一定の人口密度を下回った地域では、民間診療所を市場原理だけで維持するのではなく、公設民営、病院によるサテライト診療所、自治体間共同運営など、地域インフラに近い制度へ移行するところが出てくるだろう。

そう考えると、地方診療所の将来を左右するのは医師数だけではない。

国と自治体が、「医療へのアクセスそのものにどこまで公共的な費用を投入するのか」という政治的な選択でもある。

そして2056年、診療所の玄関は開いているか

2056年のある朝を想像してみる。

人口は現在より少ない。町を歩く人も少ない。

かつて商店だった建物のいくつかは空き家になり、学校は統合されているかもしれない。

それでも、旧役場の近くに小さな診療所がある。

玄関を開けると受付があり、看護師がいる。ただし医師は毎日はいない。月曜日と木曜日は地域の病院から医師が来る。火曜日には循環器の専門医がオンラインで診療する。水曜日には訪問診療の車が山側の集落を回る。患者の検査データは地域の中核病院と共有され、救急時には搬送先もあらかじめ決められている。

今の感覚から見れば、「医師が常駐していない診療所」と映るだろう。

しかし30年後の住民から見れば、それこそが普通の診療所なのかもしれない。

厚生労働省自身も、2040年とその先を見据え、医療機関の連携・再編・集約化、外来・在宅医療、介護との連携、医療従事者の確保、アクセス困難地域への対応を一体として考える方向へ政策を動かしている。現在の制度設計は2056年そのものを予言するものではないが、「すべての医療機関を現在の形のまま残す」のではなく、「地域全体で必要な医療機能をどう残すか」へ政策の焦点が移っていることは明らかである。

だから、地方の診療所は30年後も維持できるのか、という問いへの答えは少し複雑になる。

診療所という建物を一軒ずつ守ろうとするなら、維持できない地域は増えるだろう。

しかし、

住民が必要なときに診察を受け、薬を受け取り、検査を受け、必要なら病院へつながる仕組みを「診療所」と呼ぶのであれば、維持する方法はまだある。

問題は、医療を建物の数で考えるか、人と医療との距離で考えるかである。

人口5000人の町に診療所が三つあることより、診療所が一つしかなくても、すべての住民がそこへ到達でき、そこから必要な医療へ確実につながることのほうが重要になるかもしれない。

地方ではこれから、病院も、診療所も、薬局も、バスも、介護も、それぞれ単独では維持しにくくなる。

だからこそ、それらを別々の制度として眺め続けることも難しくなる。

医療の問題は交通の問題になり、交通の問題は人口配置の問題になり、人口配置の問題は町そのものをどう残すのかという問題へつながっていく。

30年後の地方で最後まで必要とされるものは、立派な建物ではない。

具合が悪くなったとき、「ここへ連絡すれば大丈夫だ」と住民が思える場所である。

かつて、その役割を一人の町医者が担っていた。

2056年には、一人の医師ではなく、一つのネットワークがそれを担っているのかもしれない。

診療所の白い看板は、今と同じ場所には残っていないかもしれない。

それでも、その町から医療までの道が途切れていなければ、地方医療はまだ生きている。

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田んぼがなくなると地域の排水はどう変わるのか

地域の風景から田んぼが減っていくとき、多くの場合は農業や景観の問題として語られます。しかし、水の流れという視点から見ると、田んぼの減少はそれだけでは済みません。田んぼは米を生産する場所であると同時に、大雨が降ったときには雨水を一時的に受け止め、排水路や河川へ流れ込む水の量と時間を調整する空間でもあるからです。

そのため、田んぼが宅地や駐車場、道路などに変わると、同じ雨が降ったとしても地域の排水の仕方は変わります。問題になるのは雨の総量だけではありません。雨が降ってから、どのくらいの時間で、どれだけの水が排水路へ集中するのかという「流れ方」が変化することが重要です。

田んぼは巨大な排水施設ではないが、雨水を一時的に受け止めている

田んぼを見ると、平らな土地に水が張られているだけのように見えます。しかし、水田の周囲には畦があり、降った雨を一定時間その場所にとどめる構造になっています。農林水産省も、水田には雨水を一時的に貯留することで洪水を防止・軽減する機能があると位置付けています。

重要なのは、田んぼが雨を「消している」わけではないということです。降った雨の一部は土壌へ浸透し、一部は水田にとどまり、残った水が排水口から徐々に水路へ流れていきます。したがって、水田の役割を理解するときには、貯水池のように大量の水を永久に蓄える施設と考えるのではなく、雨水が地域の排水系統へ入っていく時間を遅らせる場所と考えた方が実態に近くなります。

農研機構も、水田には雨水を貯めて河川への流れを緩やかにする洪水防止機能があると説明しています。

ここに、田んぼと宅地との大きな違いがあります。

宅地化すると雨水が短時間で排水路へ向かう

田んぼだった土地に住宅が建ち、屋根、道路、駐車場、コンクリートなどの面積が増えると、雨水が地面にとどまる時間は短くなります。

屋根に降った雨は雨どいから側溝へ入り、舗装された道路や駐車場に降った水も地表を流れて排水施設へ向かいます。つまり、田んぼのときには数十分から数時間かけて移動していた水の一部が、宅地化によって比較的短時間で排水路へ流れ込むようになります。

ここで問題になるのが、排水量そのものよりも「ピーク」です。

たとえば、ある地域に同じ量の雨が降ったとしても、雨水が3時間かけて排水路へ入る場合と、1時間程度に集中して流れ込む場合とでは、排水路にかかる負荷は大きく違います。排水路や河川には一度に流すことのできる水量に限界があるため、短時間に流量が集中するほど水位が上がりやすくなります。

農林水産省が紹介している三重県津市の安濃川流域のシミュレーションでも、水田がある場合と、水田がすべて宅地化された場合を比較すると、水田が存在することで降雨後の河川のピーク流量が低下し、そのピークが現れる時刻も遅くなることが確認されています。

この「ピークを低くし、到達を遅らせる」という作用こそ、地域の排水を考えるうえで水田が持つ重要な意味です。

排水路の能力は土地利用の変化に合わせて自動的に増えるわけではない

ここで別の問題が生じます。

田んぼが住宅地になれば、土地から排出される雨水の流れ方は変わります。しかし、地域に昔からある側溝、農業用排水路、小河川などの能力まで自動的に大きくなるわけではありません。

もともと農地が広がっていた地域では、水田や畑が雨水を一時的に受け止めることを前提とした水の流れが長い年月をかけて形成されています。その一部が宅地化されても、下流側にある排水路の幅や河川の断面がそのままであれば、上流から短時間に流れ込む水だけが増えることになります。

すると、大河川が氾濫するほどの豪雨ではなくても、住宅地の側溝から水があふれたり、道路が冠水したり、低い土地に水が集まったりする現象が起こりやすくなります。

これは河川から水があふれる外水氾濫だけではなく、市街地や集落の排水能力を降雨量が上回ることで起こる内水氾濫とも関係しています。

つまり、田んぼの減少を考えるときには、「ここに住宅を何戸建てられるか」という土地利用だけを見るのでは不十分で、その土地から流れ出した水が最終的にどこを通り、どこまで流れていくのかまで考える必要があります。

一枚の田んぼがなくなっただけでは大きな変化が見えない

もっとも、田んぼが一枚宅地になっただけで直ちに洪水が起こるわけではありません。

この点は冷静に考える必要があります。

水田の洪水緩和効果は、土地の傾斜、畦の高さ、土壌、排水口の構造、雨の降り方、河川や排水路の能力などによって変わります。そのため、「田んぼがなくなると必ず洪水になる」と単純化するのは正確ではありません。

問題は、一つ一つの土地利用変更が積み重なることです。

ある田んぼが住宅になり、その隣が店舗になり、さらに別の水田が駐車場になる。それぞれの開発では十分な排水対策が行われていたとしても、流域全体で不浸透面が増え続ければ、最終的に同じ河川や排水路へ集まる水の性質は少しずつ変化していきます。

このため排水問題は、一つの土地だけで完結する問題ではなく、「流域」という単位で考える必要があります。

上流の土地利用が下流の排水を変える

水は行政区域や土地の所有境界を意識して流れるわけではありません。

上流で降った雨は、水路や小河川を通じて下流へ移動します。そのため、上流部で田んぼが減少して雨水が早く流れるようになれば、その影響を受けるのは開発された土地の周辺だけではありません。

数百メートル、場合によっては数キロメートル下流にある集落や市街地で、水位上昇が早くなる可能性があります。

ここに地域の排水問題の難しさがあります。

宅地開発を行った場所では浸水が発生しなくても、その土地から排出された水が集まる下流側で負荷が高まることがあるからです。したがって、個々の宅地について排水設備が整備されていることと、地域全体として排水能力が十分であることは同じではありません。

この考え方は、現在進められている「流域治水」とも共通しています。流域治水とは、河川だけで洪水を処理するのではなく、流域にある水田、農業用施設、都市、住宅地などを含めて水害を減らそうとする考え方です。

農林水産省によれば、2025年3月末時点で全国の一級水系における流域治水プロジェクトの多くに、農地や農業水利施設の活用が位置付けられています。

「田んぼダム」が注目される理由

こうした水田の性質を、より積極的に治水へ利用しようとしているのが「田んぼダム」です。

田んぼダムという名称から大規模な構造物を想像するかもしれませんが、実際には水田の排水口に調整板などを設置し、大雨のときに水が一度に流れ出さないようにする仕組みです。

通常の水田にも雨水を一時的に保持する機能がありますが、排水口から流れる量をさらに調整することで、その機能を強化します。農林水産省は、田んぼダムを水田の雨水貯留機能を利用して周辺地域や下流域の浸水リスクを低下させる取り組みとして推進しています。

農研機構でも、水位調整器によって豪雨時の水田からの排水量を抑え、下流の水位上昇を抑制する研究が行われています。

つまり現在では、田んぼの治水機能は単なる副次的な効果としてではなく、地域の水害対策の一部として意識的に利用されるようになっています。

ただし、耕作放棄地なら同じ機能が続くとは限らない

ここで注意したいのは、「田んぼが残っていればよい」という単純な話でもないことです。

水田の雨水貯留機能は、畦や排水口、水路が維持されていることによって成立しています。

耕作が行われなくなり、畦が崩れ、排水路が土砂や植物で塞がれると、水の流れは変わります。場所によっては雨水を保持する能力が低下することもあれば、反対に排水が悪くなって周囲に水が滞留することもあります。

農林水産省も、水田や農村が持つ多面的機能は農業活動が継続されることで発揮されると説明しています。

したがって、

「水田」

「耕作放棄された水田」

「宅地」

「舗装された駐車場」

では、水の流れ方は同じではありません。

地域の排水を考える場合には、土地利用の名称だけではなく、その土地が現在どのような状態にあり、雨水がどこへ向かって流れているのかを見る必要があります。

田んぼの価値は米の生産額だけでは測れない

人口減少地域では、水田を維持する経済的な意味が問われることがあります。

米の販売収入だけを見れば、条件の悪い小規模農地を維持する合理性が低下する地域もあるでしょう。その結果として耕作放棄や宅地転用が進むこと自体は、経済構造から考えれば不自然ではありません。

しかし、土地利用を地域全体から評価するなら、農産物の生産額だけでは十分ではありません。

水田を失った結果として雨水流出量のピークが高まり、排水路の拡幅、ポンプ設備、調整池などの整備が必要になれば、それまで水田が無償に近い形で担っていた機能を、公共事業によって代替することになります。

もちろん、水田だけですべての洪水を防げるわけではありません。巨大な豪雨に対しては河川改修、排水機場、調整池などの施設整備が必要です。

それでも、地域に水を一時的に置いておける場所が多いほど、下流へ水が集中する速度を抑えることができます。

この意味では田んぼは、農業用地であると同時に、地域の水循環を構成する一つの「余白」でもあります。

人口が減る地域ほど、土地利用と排水を一緒に考える必要がある

人口減少が進む地域では、今後さらに農地の利用方法が変わっていく可能性があります。

農業の担い手が減れば耕作放棄地が増え、一方で交通条件の良い場所では住宅、物流施設、太陽光発電施設などへの転用が進む場合もあります。

このとき重要なのは、開発するか保存するかという二者択一ではありません。

どの土地を宅地化し、どの土地を農地として維持し、どこに雨水を一時的に貯める空間を残すのかという地域全体の配置を考えることです。

水は高い場所から低い場所へ流れます。その単純な物理法則の上に、住宅地、道路、農地、側溝、河川が重なっています。

したがって、土地利用計画と治水計画を別々に考えるほど、将来の排水問題は見えにくくなります。

地域を見るときは「雨が降った後、水はどこへ行くのか」を考える

普段の晴れた日に地域を歩いていても、田んぼが持つ排水上の役割を実感することはほとんどありません。

しかし、大雨が降ったときには土地の性質が一気に表面化します。

田んぼに落ちた雨は一度そこにとどまり、道路に落ちた雨は側溝へ向かい、屋根に落ちた雨は雨どいから排水管へ流れます。そして、それらの水は最終的に地域の水路や河川へ集まっていきます。

だからこそ、地域を分析するときには土地の面積や人口だけではなく、

「雨が降ったら、この水はどこへ行くのか」

という視点を持つことが重要です。

田んぼが減るという変化は、農業が縮小するというだけの出来事ではありません。それまで地域の中に存在していた雨水を一時的に受け止める空間が減り、水が排水路へ到達する速度が変わるという、地域の水循環そのものの変化でもあります。

その影響は一枚の田んぼではほとんど見えないかもしれません。しかし、何十年という時間の中で土地利用の変化が積み重なれば、同じ雨が降っても、かつてとは異なる場所で道路冠水や内水氾濫が起こる可能性があります。

地域の防災を考えるうえで必要なのは、堤防や排水ポンプだけを見ることではありません。

田んぼ、畑、山林、住宅地、道路、排水路、河川がどのようにつながり、水がどの速度で移動しているのか。その全体を一つのシステムとして見ることによって初めて、田んぼがなくなることの意味が見えてきます。

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