地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 海へ向かって一本の道が延び、その先に青い水平線が広がっている。白い壁の小さなカフェには植物が置かれ、夕暮れになると空は薄紫色に染まり、丘の上から町を見下ろせば屋根の向こうで海が光っている。そこだけを一枚の写真に閉じ込めれば、その町は雑誌のページから抜け出してきたように見える。

 Instagramを眺めていると、そんな町はいくらでも見つかる。海辺の町、古い町並みの残る町、山あいの集落、温泉街、港町など、かつてなら旅行雑誌の特集を組まなければ広く知られなかった風景が、いまでは一枚の写真によって遠く離れた人の手元へ届くようになった。そこで店を知った人が訪れ、旅行者が増え、移住先として興味を持つ人が現れれば、地域に新しい人やお金が入る可能性も生まれるのだから、これは地方にとって決して小さな変化ではない。

 けれども、町が以前よりよく見えるようになったはずなのに、その町で実際に人がどのように暮らしているのかは、むしろ見えにくくなってはいないだろうか。Instagramに映る町が嘘だという話ではない。そこに映っている海も路地もカフェも本当に存在しているのだが、それらが町全体を代表していると思った瞬間、私たちは写真の外側に続いているもう一つの町を見失う。

写真には「選ばれた町」しか写らない

 旅行者が海辺のベンチから夕日を眺めている少し後ろを、地元の高齢者がスーパーの袋を下げて歩いているかもしれない。洒落たカフェから数百メートル離れた住宅地では、午後六時を過ぎると日用品を買える店が少なくなり、景色の美しい丘の上では、車を運転できなくなった後にどう暮らすかという問題を抱えている人がいるかもしれない。

 しかし、朝のゴミ出し、病院へ向かうためにバスを待つ人、学校へ歩く子ども、夕方のスーパー、草を刈る住民、宅配便の車、自治会の掲示板、雨の日の駅前といった風景は、その町の生活を支えているにもかかわらず、観光を目的とした写真の中心にはなりにくい。それは誰かが意図的に現実を隠しているからではなく、写真という行為そのものが「何を撮るか」を選ぶからである。

 実際、観光客が現地で移動した場所、撮影した写真、そしてInstagramに投稿した写真を比較した研究では、実際に経験された場所と公開された写真の分布は完全には一致していない。人は歩いた場所のすべてを撮るわけではなく、撮った写真のすべてを投稿するわけでもないため、私たちがSNS(Social Networking Service・交流型ソーシャルメディア)で目にしている地域像は、現実から何段階かの選択を経たものになる。

 この構造を考えると、海を大きく写した写真から駐車場が消え、古い建物を美しく切り取れば隣の空き家が画面の外へ出ていくことは、写真の欺瞞というより当然の結果である。一枚の写真は何かを見せると同時に、必ずそれ以外の何かを見えなくしている。

美しい風景ほど町の「代表」になりやすい

 さらに興味深いのは、どんな写真でも同じように人の目に触れるわけではないことである。観光地の多数のInstagram投稿を調べた研究では、観光名所など視覚的に分かりやすい対象を写した写真の方が、宿泊施設や日常的なサービスを写した写真より反応を集めやすい傾向が報告されている。

 こうした違いが積み重なると、現実の町に存在するものの割合と、インターネット上で目にするものの割合は少しずつ離れていく。海岸が町全体の面積から見ればごく一部であっても、投稿写真の半分がそこに集中すれば、外から見る人にとってその町は「海岸の町」になるし、古い路地ばかりが繰り返し撮られれば、新しい住宅地や郊外のスーパーがどれほど生活上重要であっても、町のイメージからは後退していく。

 ここで起きているのは、現実そのものの消失ではなく、「何が町の代表として見えるか」という比率の変化である。人は魅力的だと思ったものを撮り、その一部を投稿し、さらに反応を得やすい景観が目立つため、結果として特定の場所や構図が何度も繰り返されやすくなる。その繰り返しによって、「この町とはこういう場所だ」という外部のイメージが次第に固定されていく。

観光客と住民は同じ町を違うように見ている

 同じ場所に立っていても、そこを二日間訪れる人と二十年間暮らす人では、見えているものが違う。

 観光客にとって魅力的なのは、美しい海、歴史ある町並み、静かな夜、少ない人通り、昔ながらの建物かもしれないが、住民にとって人が少ないことは静けさであると同時に商売が成立しにくいことでもあり、店が少ないことは俗化していない魅力である一方で毎日の買い物の不便さでもある。夜が暗ければ星は美しく見えるが、高齢者が歩くには心細く、古い家並みは景観として魅力的でも、そこに住む人には断熱、耐震、修繕費という現実がある。

 実際、住民、観光客、影響力の大きい投稿者が同じ地域について発信したInstagram投稿を比較した研究では、それぞれが写す内容に違いが見られている。住民は人や社会的な場面を比較的多く写すのに対し、訪問者は観光的に意味のある場所を選びやすいなど、同じ町であっても立場によって表象される風景が変わるのである。

 だから、「観光客と住民はまったく別の町を見ている」とまで言えば少し大げさだが、少なくとも町を見る際の重要度の置き方が違っていることは十分に考えられる。旅行者は「ここで週末を過ごしたいか」と考え、住民は「ここで歳を取っても暮らせるか」と考えるのであり、その時間の尺度の違いだけでも、同じ土地への評価は大きく変わる。

町はやがて「見られる場所」にもなる

 外から向けられる視線が増えると、それまで住民にとって何でもなかった場所が、別の価値を持ち始めることがある。

 昔からそこにある海岸を住民は特別だと思っていなかったのに、訪問者が何度も写真を投稿することで、「これは外から見ると価値のある景色なのだ」と気付くことがある。古びた看板も、住民には交換時期を迎えた設備に見える一方、旅行者には「昭和らしい風景」と映り、漁港の錆びた倉庫も、働く人には修繕の必要な建物でありながら、写真を撮る人には味わい深い背景になる。

 これは地域の価値を再発見する働きとして肯定的に評価できる。長く住んでいるために見慣れてしまった風景を、外部の人が価値として教えてくれることは珍しくないからである。

 しかし、その反対側では、写真になりにくいものが地域の物語から外れやすくなる。人気の海岸整備は注目されても、高齢者が病院へ通うための交通は写真にならず、新しいカフェは地域紹介に載っても、長年住民の日用品を支えてきた小さな店の閉店は華やかな地域イメージには入りにくい。

 こうして同じ町の中に、「人に見せる町」と「人が暮らしている町」という二枚の地図が重なり始める。前者は写真と検索によって共有される地図であり、後者は、どこで食品を買うか、どの道が夜になると暗いか、病院まで何分かかるか、冬の風がどこから吹くかといった、住民の身体に刻み込まれた地図である。

Instagramが店を変える、と単純には言えない

 ここで注意しなければならないことがある。Instagramで人気が出た町の商売が観光客向けに変わったとしても、それだけを見て「Instagramが町を変えた」と結論づけることはできない。

 観光客が増える理由には、鉄道や道路の整備、旅行雑誌やテレビでの紹介、自治体の観光政策、宿泊施設の増加、為替、航空路線、人口移動などさまざまな要因があり、Instagramはその一つに過ぎない場合が多い。もともと魅力の高い観光地だから投稿が増えたのか、投稿が増えたことで訪問者が増えたのかを、単純な数字だけで区別することも難しい。

 科学的に見るなら、ここには原因と結果が互いに影響し合う問題がある。人気観光地だから写真が増え、その大量の写真を見た人がさらに訪れれば、「人気が投稿を生み、投稿が人気を補強する」という循環になるからである。

 したがって、より正確には、Instagramによる地域イメージの拡散が観光需要を強める一因となり、そこへ家賃、地価、人通り、店舗採算、地域政策などが重なった結果として、商業構成が変化する可能性がある、と考えるべきだろう。

 この区別は重要である。写真一枚が町を作り替えるわけではないが、何万人もの人が同じ場所を知り、同じ景色を求めて訪れるようになれば、その人の流れは経済活動を通じて現実の町へ戻ってくる。

観光客向けの便利と住民向けの便利

 観光地化が進んだ地域では、訪問者の需要に合わせて飲食店や小売店の構成が変化することがあり、こうした現象は海外の都市でも確認されている。ただし、すべての地域で同じ変化が起きるわけではなく、観光客が増えれば必ず住民向け店舗が消えるという単純な法則も存在しない。

 それでも、「誰にとって便利な町なのか」という問いには意味がある。一泊する旅行者に便利な町と、一年三百六十五日暮らす人に便利な町は、重なる部分を持ちながらも同じではないからである。

 土産物を買える店が増えても、日用品を買う店が減れば生活上の利便性は上がらない。昼間の飲食店が増えて街がにぎわっていても、夕方以降に住民が食料を買える店が少なくなれば、観光地としての活気と生活圏としての機能は別方向に動く。景観の良い地域の人気が高まり、土地や住宅の価格が上がれば所有者には利益となる一方、そこで働く人や若い世帯にとっては住みにくくなることもあり得る。

 観光そのものを悪と考える必要はない。観光客による消費は雇用や事業を支え、人口減少地域では外部から人が訪れること自体が重要な経済資源になる。それでも観光政策において住民生活との両立が課題になっているのは、観光客の増加と住民の生活の質が必ずしも自動的に同じ方向へ改善するわけではないからである。

「人気の町」と「暮らしやすい町」は測っているものが違う

 この点から見ると、Instagramで美しく見える町を、そのまま「住みたい町」と読み替えることには慎重であるべきだろう。

 Instagram上の人気は、その場所を訪れたときに得られる視覚的体験を強く反映している可能性がある。一方、暮らしやすさには買い物、医療、教育、交通、住宅費、防災、近隣関係、雇用といった、一枚の写真では表現しにくい条件が関わっている。

 海辺の夕景に十万人が「いいね」を付けても、その数字から最寄りの病院までの距離を知ることはできない。人気カフェの投稿が千件あっても、その町で車を持たずに暮らせるかどうかは分からない。この二つは優劣ではなく、そもそも測っているものが違うのである。

 だから地域を分析するときには、Instagramの投稿数を「町の人気」の証拠として使うことはできても、それだけで「町の暮らしやすさ」の証拠にはできない。

「生活する町」は本当に測れるのか

 興味深いことに、この問題は感覚的な随筆にとどまらず、実際には数字で検証することもできる。

 例えば、ある町について投稿された写真を、海岸、歴史的建物、観光施設、カフェといった観光的な風景と、スーパー、学校、住宅地、病院、通勤、生活道路といった日常的な風景に分類し、「地域に関する投稿のうち生活場面がどの程度含まれているか」を比較すれば、その町の生活がSNS上でどれほど見えているかを一つの指標として表せる。

 さらに、写真が町全体に広がっているのか、それとも数か所の撮影地点へ集中しているのかを調べれば、「投稿される町」と「実際の町」の空間的な差も測定できるだろう。

 人口規模、観光客数、宿泊施設数、鉄道アクセス、地価、店舗構成などを合わせて分析すれば、「観光写真が特定地点へ集中する地域ほど生活場面の投稿が少ないのか」「観光客の増加とともに住民向け店舗と観光客向け店舗の割合が変化するのか」といった問いまで検証できる。

 ただし、ここでも単純な相関には注意が必要である。Instagram投稿が多いから観光地になったのか、観光地だからInstagram投稿が多いのかを見分けなければ、「写真が町を変えた」という結論には届かない。だからこそ、この題材は面白い。見た目には軽いSNSの話でありながら、その奥には観光、商業、人口、住宅、地域経済、人間の認知が複雑に絡んでいる。

最も美しい一枚だけでは町は分からない

 それではInstagramで美しい町は、生活を失った町なのだろうか。もちろん、そんな単純な話ではない。

 美しい風景が知られることは地域にとって資産になり得るし、外から来た人が地元の人さえ気付かなかった価値を発見することもある。観光客によって支えられた店が住民にも新しい選択肢を提供し、それまで衰退していた地区に再び人通りが戻る場合もある。

 問題なのは美しい写真が存在することではなく、その美しい写真だけを町そのものだと思ってしまうことである。

 町は本来、もっと雑然としている。きれいな海の隣には駐車場と防潮堤があり、古い町並みの裏には新しい住宅があり、観光客が歩く道の向こうには学校があり、夕日の写真が撮られている時間に夕食の買い物を急ぐ人がいる。その雑然とした重なりこそが、観光地ではなく「生活する町」の姿なのだろう。

 だから、本当に町を知りたいなら、Instagramで最も人気のある場所を訪れたあと、そこから少し離れて歩いてみるとよい。撮影場所から三百メートル離れたところには何があるのか、午後六時になると誰が歩いているのか、冬の平日に何軒の店が開いているのか、観光客の来ない住宅地で住民はどこへ買い物に行くのか、そして地元の人自身は休日に人気観光地へ行くのか、それとも混雑を避けて別の場所へ向かうのか。

 そんな問いを重ねると、写真の中では平面だった町が急に立体的になる。

 Instagramの写真は嘘ではない。美しい海も古い路地も洒落たカフェも、その町の本当の一部である。ただし、それは数多く存在する現実の中から選ばれ、撮影され、さらに投稿する価値があると判断された一部でもある。

 だからInstagramで美しい町ほど生活が消えている、と断定することはできない。しかし、美しい風景が町のイメージを強く支配するほど、その背後にある買い物、通院、通学、仕事、老い、住宅、交通といった日常が、外から来た人の視界から抜け落ちやすくなることは十分にあり得る。

 観光地として町を楽しみたいなら、最も美しい場所を探せばいい。けれども、その町を生活する場所として理解したいなら、むしろ写真を撮ろうと思わない場所まで歩いた方がいいのかもしれない。華やかな夕日も話題のカフェもないその場所にこそ、町が朝から夜までどのように生きているのかという、もう一つの地域情報が残されているからである。

 町の本当の姿とは、最も美しい一枚ではない。その写真の中にある魅力と、画面の外側へ続いている無数の日常を一緒に見たとき、初めて輪郭を持って現れてくるものなのだろう。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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