若いころ、私たちが日常生活の中で利用できる町は、地図に描かれている以上に広い。少し遠いスーパーへ買い物に行くことも、隣の市の病院を受診することも、駅まで自動車を走らせて電車に乗ることも、それほど特別な行動ではない。二十キロ、三十キロ離れていても、道路や交通手段がつながっていれば、その場所は日常の行動範囲に含まれる。地理的には遠くても、移動することに大きな負担を感じなければ、心理的には近い場所なのである。
ところが年齢を重ねると、この関係が変化する場合がある。道路は以前と同じ場所にあり、スーパーも病院も移転していない。それにもかかわらず、かつては「いつでも行ける場所」だったところが、やがて「用事がなければ行かない場所」になり、さらに「誰かに連れていってもらわなければ行けない場所」へと変わっていく。自動車の運転や長距離の歩行が難しくなれば、数キロ先にある店さえ、日常的には利用できなくなることがある。
高齢者の生活圏が小さくなるとは、町そのものが小さくなることではない。同じ町に暮らし続けていても、自分の意思で移動できる範囲や、日常的に利用できる施設の選択肢が変化することである。この問題は個人の身体能力だけではなく、交通手段、家族関係、医療・介護制度、さらには地域の人口減少や商業施設の配置とも深く関係している。
では、70歳、80歳、90歳という三つの年代から眺めたとき、生活圏はどのように変わっていくのだろうか。
最初に確認しておきたいのは、この三つの年齢が生活圏の変化を決定する生物学的な境界線ではないということである。70代でも移動に支援を必要とする人がいる一方、90代でも自立して外出する人はいる。本稿では、70歳の生活圏を「面」、80歳を「線」、90歳を「点」として捉えるが、これは統計によって証明された年齢別の法則ではない。高齢期に生じ得る移動手段と生活様式の変化を、地図の形に置き換えて理解するための概念的なモデルである。
70歳~町全体がまだ自分の生活圏にある時代
70歳という年齢だけを見て、生活圏が狭くなると考えるのは適切ではない。70代でも仕事を続け、旅行を楽しみ、自動車を運転し、趣味や社会活動のために遠方へ出掛ける人は少なくない。健康状態や身体機能には大きな個人差があり、年齢が同じであっても実際の行動範囲は異なる。ただし、集団として統計を眺めると、70代は日常の移動目的が大きく変化する年代であることが分かる。
国土交通省が2021年に実施した全国都市交通特性調査では、60代と比較して70代では通勤や業務を目的とする移動が減少し、買い物や散歩などの移動が増える傾向が確認されている。また、平日の外出率は、男性では60代の79.7%に対して70代は72.9%、女性では60代の71.9%に対して70代は64.5%となっている。つまり、70代では外出する人の割合が60代より低くなる一方で、移動の目的そのものも変化している。
ただし、この数字は同じ人を60代から70代まで追跡した結果ではなく、異なる年齢集団を比較したものである。したがって、外出率の差をすべて加齢による身体能力の低下として説明することはできない。退職によって通勤の必要がなくなることや、就業形態、世帯構成、生活習慣などの違いも影響していると考える必要がある。
例えば、会社へ向かう毎朝の道がなくなれば、仕事先の近くにあった店へ行く機会も減る。仕事帰りに利用していた書店や飲食店、駅前の商業施設も、生活上の必要がなくなれば日常の行動範囲から外れていく。これは身体的に行けなくなったというより、行く理由がなくなったことによる生活圏の変化である。高齢期の生活圏を考える際には、移動能力の変化と移動目的の変化を分けて捉える必要がある。
一方、健康状態や交通手段に恵まれている70代にとって、町は依然として複数の選択肢を持つ場所である。今日は近くのスーパーを利用し、明日は隣町の大型店へ行き、必要があれば遠方の専門病院を受診するというように、その日の目的や都合に応じて行き先を選ぶことができる。生活圏の豊かさは単純な移動距離だけで決まるものではなく、複数の施設やサービスの中から、自分に合ったものを選択できるかどうかにも左右される。
しかし、人口密度の低い地方では、この広い生活圏を維持している重要な条件がある。自動車である。
内閣府が2018年に実施した高齢者の住宅と生活環境に関する調査では、町村に住む60歳以上の回答者の66.8%が、外出時に自分で運転する自動車を利用すると答えている。大都市では徒歩や鉄道、バスなどの利用割合が高いのに対し、町村では自動車への依存が大きい。鉄道駅やバス停まで距離があり、商店や医療機関も分散している地域では、自動車が日常生活のさまざまな目的地を結び付ける役割を担っている。
このため、地方の70代は比較的広い生活圏を維持しているように見えても、その広さが自分で自動車を運転できることに強く依存している場合がある。自動車を利用できる間は不便を感じなくても、運転が難しくなったときに代替手段がなければ、それまで利用していた施設の多くが急に遠い存在となる。地方の生活圏には、移動能力が維持されている間は問題が表面化しにくいという特徴がある。
80歳~生活圏が「面」から「線」へ変わる可能性
80歳になると、生活圏は必ず狭くなるのだろうか。もちろん、そのような一律の変化が生じるわけではない。80代でも自動車を運転し、趣味や旅行を楽しむ人はいる。しかし、集団全体では高年齢層ほど自分で自動車を運転する割合が低くなり、徒歩や家族による送迎など、移動手段の組み合わせが変化する傾向が確認されている。
内閣府の2018年調査では、80歳以上の回答者のうち、外出時に自分で運転する自動車を利用すると答えた人は26.4%だった。一方、徒歩は58.5%、家族などが運転する自動車は36.1%となっている。これは複数回答の調査であり、徒歩と家族による送迎の両方を利用する人も含まれているため、徒歩だけで日常生活を送っている人の割合を示すものではない。また、80歳以上という区分には90歳以上も含まれるため、この結果だけで80代と90代の違いを明確にすることはできない。
さらに、2023年度に内閣府が実施した同分野の調査では、65歳以上の回答者全体で、徒歩を利用する割合が50.1%、自分で運転する自動車が46.6%、家族などが運転する自動車が27.1%となっている。この調査でも、男女ともに年齢が高い層ほど自分で運転する自動車の利用割合が低くなる傾向が示されている。ただし、2018年調査と2023年度調査では対象年齢や調査方法が異なるため、両者の数値の差をそのまま時系列の変化として解釈することはできない。
ここで生活圏に生じ得る変化を、地図上の形として考えてみたい。自分で自動車を運転し、複数の目的地を自由に選べていた生活圏が、移動手段の制約によって、特定の場所を結ぶ経路に集約されていくことがある。自宅からスーパーへ行く経路、病院へ通う経路、銀行や役所へ向かう経路など、必要性の高い目的地への移動が中心になり、それ以外の場所へ出掛ける機会が少なくなる。これが、生活圏が「面」から「線」へ変わるという表現の意味である。
もっとも、これは80代の人に共通する実証済みの行動パターンではない。徒歩を中心に生活する人でも、商店や公共施設が密集した地域に住んでいれば、日常的に多様な場所を利用できる。一方、自動車を運転していても、いつも決まった店と病院にしか行かない人はいる。生活圏の形は年齢だけでなく、地域の構造や本人の生活習慣によっても変わるのである。
特に重要なのは、「移動できる場所」と「自分の意思だけで移動できる場所」の違いである。家族が自動車で連れていってくれれば、50キロ離れた病院を受診することもできるかもしれない。しかし、その移動には家族の都合を確認し、日程を調整し、送迎を依頼する必要がある。目的地までの距離が変わらなくても、自分だけで自由に行ける状態とは異なるのである。
ただし、送迎を利用すること自体を、生活上の自立が失われた状態と考える必要はない。地域の乗合交通や予約制交通が利用でき、必要なときに自分で予約して移動できるなら、運転しなくなっても生活の選択肢を維持できる場合がある。自立した生活を支える条件は、すべての移動を自分の身体能力だけで完結させることではなく、必要なときに利用できる移動手段が確保されていることにもある。
この違いは、地方ほど重要になる。都市部には駅やバス停、スーパー、診療所が徒歩圏に集まっている場所がある一方、住宅が広く分散した地域では、最寄りの商店や医療機関まで数キロ以上離れている場合もある。同じ五キロという距離でも、自動車を自由に利用できる人と、徒歩や本数の少ない公共交通に頼る人とでは、その距離が持つ生活上の意味は大きく異なる。
道路の距離だけでなく、その距離を誰の力で、どのような手段を使い、どれほどの時間と費用をかけて移動できるのかを考えなければ、高齢者の生活圏を正確に理解することはできない。
生活圏は移動距離だけでは測れない
高齢者の生活空間を評価する研究では、単に自宅から最も遠くへ移動した距離だけではなく、どの範囲まで移動したか、どのくらいの頻度で移動したか、移動するときに他人の援助や福祉用具を必要としたかといった条件が重視されている。代表的な評価方法には、LSA(Life-Space Assessment・生活空間評価)があり、一定期間の日常的な移動範囲、頻度、自立度を組み合わせて評価する。
例えば、月に一度、家族の送迎で遠方の病院へ行く人と、毎日一人で近所の商店や公共施設を利用する人とでは、最大移動距離だけを比べても日常生活の実態は分からない。前者の方が遠くまで移動していても、後者の方が日常的に多くの場所を利用し、頻繁に社会と接している可能性がある。移動距離の長さと生活圏の豊かさは、必ずしも同じものではないのである。
日本で行われた生活空間評価の研究でも、年齢と生活空間の間には負の相関が確認されている。2010年に発表された研究では、介護予防事業などを利用する高齢者2,147人について、生活空間の得点と年齢の相関係数はマイナス0.296だった。一方、買い物や外出などに関わる手段的日常生活動作能力との相関係数はプラス0.533となっており、この調査集団では、暦年齢よりも日常生活を遂行する能力の方が生活空間の得点と強く関連していた。
ただし、この研究は介護予防の支援を必要とする集団を対象としたものであり、結果を全国の高齢者全体へそのまま当てはめることはできない。また、相関関係が確認されたからといって、特定の要因が生活圏を直接縮小させたと証明されたわけでもない。それでも、生活圏を理解するうえでは、年齢そのものよりも身体機能や日常生活能力、交通環境などを組み合わせて考える必要があることを示唆している。
地域の高齢化を分析するとき、70歳以上の人口や80歳以上の人口を数えることは重要である。しかし、その人数だけでは、どの程度の人が自由に移動できるのか、移動に困難を抱えているのか、必要なサービスを利用できているのかまでは分からない。年齢別人口は生活圏を推測するための出発点であって、生活圏そのものを示す指標ではないのである。
90歳~生活圏は「場所」から「人」へ変わるのか
90歳前後になると、生活圏はさらに身近な場所へ集約されるのだろうか。この問いには、特に慎重に答える必要がある。非常に高齢になるにつれて、身体機能の低下や疾病、移動手段の制約などによって外出が難しくなる人が増えると考えられるが、90歳になった瞬間に生活圏が自宅周辺へ縮小するわけではない。90代でも自立して買い物や散歩を続ける人がいる一方、70代や80代から外出に介助を必要とする人もいる。
2006年に発表された「大都市近郊に居住する高齢者が感じる生活圏」という研究では、65歳以上の高齢者2,692人の有効回答を分析している。その結果、65~79歳では市全域を生活圏と感じる回答が多かったのに対し、80歳以上では自治会・町内会程度の範囲を生活圏と感じる回答が最も多くなっていた。また、外出頻度が少ない人ほど、本人が認識する生活圏も狭い傾向が確認されている。
もっとも、この調査は2005年に首都圏に隣接する一都市で行われたものであり、対象者は要介護認定を受けていない高齢者だった。測定しているのも実際の移動距離ではなく、本人が生活圏だと感じる範囲である。したがって、この結果を全国の90代にそのまま適用したり、90歳前後になると必ず生活圏が自宅周辺へ縮小すると結論付けたりすることはできない。
90歳以上に関する統計には、標本数の問題もある。2023年度の内閣府調査は65歳以上の2,677人から有効回答を得ているが、このうち90歳以上は69人、95歳以上は13人にとどまる。さらに施設入所者は調査対象に含まれていない。こうした条件を踏まえると、90代全体の移動実態を細かく把握するには、より大規模な調査や別のデータによる検証が必要である。
それでも、外出に支援を必要とする状態が進むにつれて、生活圏の意味が変わることは十分に考えられる。近所の店へ自分が買い物に行く代わりに家族が商品を届け、薬局へ出向く代わりに薬の配達を利用し、通院が難しくなれば訪問診療などを受ける場合がある。これまで自分が移動して利用していたサービスの一部が、自宅を中心として提供されるようになるのである。
このような生活では、自分自身が訪れる場所の数が少なくなっても、外部とのつながりが必ずしも失われるわけではない。家族や友人が訪問し、宅配や介護サービスが利用でき、電話などによって離れた人とも交流できれば、自宅を中心とした生活の中でも社会的な関係を維持できる可能性がある。反対に、外出する能力が残っていても、交流する相手や利用できるサービスが少なければ、社会的な孤立が生じる場合もある。
ここでは、身体的に移動できる生活圏と、人やサービスを通じて社会につながる範囲を区別する必要がある。前者が小さくなっても、後者が十分に保たれていれば、生活上の選択肢や社会参加の機会を維持できる可能性がある。ただし、電話や宅配が利用できることと、外出して人に会ったり地域活動に参加したりできることは完全に同じではないため、在宅サービスだけを整備すればすべての問題が解決するわけでもない。
90歳前後の生活圏を「点」として捉える意味は、その年齢の人が点のように小さな範囲で暮らしているという断定ではない。外出が難しくなった場合、自宅を中心とする限られた場所を、どれだけ多くの人やサービスが支えられるかという視点を示すための比喩なのである。
生活圏はゆっくり縮むとは限らない
高齢者の生活圏は、70歳から80歳、80歳から90歳へと一定の速度で縮小していくわけではない。長い間ほとんど変わらなかった生活圏が、特定の出来事をきっかけに大きく変化する場合もある。
典型的な例が、自動車の運転をやめるときである。それまで十キロ先のスーパーへ自由に買い物に行けていた人が、運転をやめたことで一人では利用できなくなる場合がある。夫婦の一方だけが運転している家庭では、その人が運転できなくなると、もう一方の移動手段まで同時に失われる可能性がある。自宅や商店の位置は変わっていないのに、移動手段の変化によって生活上の到達可能性が大きく変わるのである。
ただし、免許返納によって必ず生活圏が狭くなるわけではない。徒歩圏に必要な施設があり、公共交通や送迎サービスも十分に利用できる地域では、運転をやめても従来の生活を維持できる可能性がある。反対に、免許を保有していても、体調や運転への不安によって実際にはほとんど運転しなくなっている人もいる。重要なのは免許を持っているかどうかだけではなく、日常的に安全で利用可能な交通手段があるかどうかである。
高齢運転者については制度上の変化もある。日本では70歳以上の運転免許更新時に高齢者講習が必要となり、75歳以上では認知機能検査が原則として求められるほか、一定の違反歴がある人には運転技能検査も課される。こうした制度は高齢者の運転能力や交通安全に対応するものであるが、70歳や80歳に達したことだけを理由に運転できなくなる仕組みではない。運転の継続と安全性の確保、そして運転をやめた後の移動手段の整備は、それぞれ区別して考えなければならない。
生活圏が大きく変化する原因は、自動車だけではない。例えば、徒歩で通える距離にあったスーパーが閉店し、次に近い店が数キロ先になることもある。自動車を自由に利用できる人にとっては移動時間が少し増える程度でも、徒歩でしか買い物ができない人にとっては、日常的な買い物先が事実上失われる可能性がある。
さらに、病気や転倒、入院などによって、一時的に移動能力が低下することもある。歩行能力や体力が低下すれば、以前は問題なく利用していた商店や公共施設が遠く感じられるようになる。こうした変化は年齢に応じて少しずつ進むとは限らず、生活上の出来事によって短期間に生じる場合がある。
一方、生活圏の縮小が必ずしも不可逆的でないことも重要である。病気から回復し、リハビリテーションによって身体機能が改善したり、新たな交通手段や支援サービスを利用できるようになったりすれば、生活圏が再び広がる可能性もある。高齢化に伴う生活圏の変化を、一方向に縮小するだけの過程として捉えるのは適切ではない。
生活圏の縮小を決めるのは年齢だけではない
生活圏の大きさを決める条件を整理すると、身体機能だけでなく、交通手段、施設までの距離、移動に必要な時間や費用、家族・地域の支援などが関係していることが分かる。同じ80歳でも、駅前に住んでいる人と、鉄道駅や商店から離れた集落に住んでいる人とでは、外出のしやすさが大きく異なる可能性がある。
生活圏を数理的に考えるなら、単純な最大移動距離よりも、日常的に利用可能な施設やサービスの数を一つの指標とする方法が考えられる。例えば、ある人が自分の身体能力と交通手段、時間、費用の範囲内で利用できるスーパーが三店舗ある場合と、一店舗しかない場合とでは、生活上の選択肢が異なる。さらに、その一店舗が閉店すれば、物理的な距離の変化以上に買い物環境が悪化することになる。
この考え方では、施設までの距離だけでなく、実際にそこへ到達するための総合的な負担を評価する必要がある。徒歩なら坂道や歩道の状態、自動車なら運転能力や維持費、公共交通なら運行本数や乗り継ぎ、送迎なら依頼や日程調整の負担が関係する。目的地に着いてからも、施設内を移動できるか、必要な商品やサービスが利用できるかという条件が残る。
また、利用可能な施設数だけで生活の質を完全に評価できるわけでもない。施設の営業時間、商品の種類、医療機関の診療科、費用の負担、本人の希望などによって、実際の利用価値は変わるためである。生活圏の分析では、何キロ移動できるかという地理的な広がりと、どの程度の選択肢を実際に持っているかという機能的な広がりを分けて考えることが重要になる。
つまり、70歳、80歳、90歳という年齢だけから生活圏の面積を推定することはできない。必要なのは、年齢別人口とともに、移動能力、交通環境、施設配置、利用可能な支援などを組み合わせて評価することである。
高齢者に必要なのは「何でも近くにある町」だけではない
高齢社会の町づくりというと、病院やスーパー、公共施設を中心部に集めるコンパクトな町を想像しやすい。施設が一定の範囲に集まれば、移動距離を短くし、公共交通を効率的に運行しやすくなる可能性がある。しかし、すべての住民を病院やスーパーの徒歩圏に住ませることは、現実には難しい。
特に地方では、住宅が広い範囲に分散しており、長年同じ場所で生活してきた人も多い。高齢になったからといって、住み慣れた家を離れて中心部へ移転することが、誰にとっても合理的な選択になるとは限らない。住居の維持費や移転費用、家族関係、地域とのつながりなど、さまざまな条件が関係するためである。
そこで重要になるのが、移動手段とサービス提供方法を組み合わせる考え方である。自分で安全に移動できる間はその能力を生かし、運転や長距離の歩行が難しくなれば公共交通や送迎を利用し、外出が困難になれば宅配や訪問型サービスを利用する。移動能力の変化に合わせて、複数の方法を選べるようにすることが望ましい。
ただし、サービスを自宅まで届ければすべての問題が解決するわけではない。医療保険による定期的な訪問診療には通院が困難であることなどの条件が関係し、介護保険によるサービスにも要介護・要支援認定や給付上の要件がある。民間の宅配や送迎サービスについても、利用できる地域、利用料金、人員の確保、採算性などの制約が存在する。
人口が少ない地域ほど、一人の利用者のために長い移動時間が必要となり、サービスを維持するための費用が大きくなる場合がある。訪問診療や訪問介護の事業者が存在していても、すべての集落へ同じ条件でサービスを提供できるとは限らない。支援制度があることと、その制度を利用できる事業者や人員が地域に存在することは、別の問題なのである。
地域公共交通についても、自治体、交通事業者、医療機関、福祉関係者などの連携が必要になる。通常の路線バスだけでなく、予約型の乗合交通や既存の輸送資源を活用する方法も考えられるが、運転者や車両、財源を確保しなければ継続できない。移動支援の仕組みを導入することと、それを持続可能な形で運営することは区別して評価する必要がある。
したがって、高齢社会の地域づくりに必要なのは、すべての施設を近くに置くことだけでも、すべてのサービスを自宅まで届けることだけでもない。住民の移動能力と地域の条件に応じて、施設の配置、移動手段、訪問型サービスを組み合わせ、必要な生活機能にアクセスできる状態を維持することである。
公的統計にも表れている「行ける場所」の問題
高齢者が暮らす地域の不便さについては、内閣府の2023年度調査にも重要な結果がある。この調査では、65歳以上の回答者のうち、「日常の買い物に不便」と答えた人が23.9%、「医院や病院への通院に不便」が23.8%、「交通機関が高齢者には使いにくい、または整備されていない」が21.5%となっている。いずれも複数回答であり、実際にどの程度外出を制限されているかを直接測定した数字ではないが、買い物、医療、交通が高齢者の生活環境における重要な課題であることを示している。
一方、同じ調査で地域について「特に不便や気になることはない」と答えた人は39.3%だった。高齢者であれば誰もが生活上の不便を抱えているわけではなく、地域の環境や本人の状態によって認識には差がある。この点からも、高齢化率が高いという理由だけで、その地域の生活環境が悪いと判断することはできない。
また、人口構成や施設配置の変化を考える際には、施設が存在することと、住民が実際に利用できることを区別しなければならない。市内に病院が一つあったとしても、自宅から通う交通手段がなければ利用しにくい。スーパーが営業していても、そこまで行く方法がなければ買い物先として機能しない場合がある。
行政が地域の生活環境を評価するとき、病院や商店の数、公共交通の路線数などは重要な指標になる。しかし、それだけでは施設を必要とする人が実際にサービスへ到達できるかどうかまでは分からない。高齢社会では、施設の存在を示す地図に加えて、住民が実際に利用できる範囲を示す地図が必要になるのである。
70歳では「面」、80歳では「線」、90歳では「点」という地図
ここまでの議論を、もう一度三つの地図として整理してみたい。
70歳の地図には、自宅を中心に、複数のスーパーや病院、銀行、公共施設、友人の家などが広がっている。自動車や公共交通を利用して自由に行き先を選ぶことができるなら、それぞれの施設は複数の経路で結ばれ、日常の生活圏は「面」として広がる。ただし、70歳だから必ず広い生活圏を持つという意味ではなく、さまざまな目的地を自分で選択できる状態を表すものである。
80歳の地図では、移動手段の制約によって、利用する場所が決まった経路に集約される場合がある。いつものスーパーや病院、銀行など、必要性の高い目的地への移動が中心となり、途中で別の店へ寄ったり、思い付きで遠方へ出掛けたりする機会が減る。このような生活を「線」として表すことができるが、公共交通や送迎が充実していれば、運転しなくても多くの目的地を利用し続けられる可能性がある。
90歳の地図では、移動が困難になった場合、自宅や近隣の少数の場所を中心として生活することが考えられる。しかし、その「点」は必ずしも社会から孤立した場所ではない。家族や友人が訪れ、医療や介護のサービスが届き、宅配や通信手段を利用できれば、自分が移動する範囲を超えた社会とのつながりを維持できる場合がある。
この三つの地図は、年齢ごとに必ず現れる段階を示したものではない。加齢や生活環境の変化に伴って、移動の自由度、他者への依存度、サービスの利用方法がどのように変わり得るのかを考えるための模型である。実際には、同じ人の生活圏が広がったり縮んだりすることもあり、70代で「点」に近い生活を送る人もいれば、90代でも「面」として広い生活圏を維持する人もいる。
このように考えると、生活圏の問題は、単に高齢者が遠くへ出掛けられなくなることではない。自分で移動できる範囲と、他人やサービスの支援によって利用できる範囲が、どのように組み合わされているかという問題なのである。
御宿・いすみ・勝浦・大多喜の将来を考える
千葉県外房地域の御宿町、いすみ市、勝浦市、大多喜町のように、海岸沿いの市街地から内陸部の集落まで、多様な居住環境を持つ地域では、生活圏の問題を行政区域の平均値だけで捉えることは難しい。駅や商店に近い住宅地と、交通手段が限られる周辺集落では、同じ年齢の人でも利用できる施設やサービスの範囲が異なる可能性がある。
例えば、70代の住民が自動車を運転できる間は、市町村の境界を越えて買い物や通院をしていても、運転しなくなった後には自宅から近い施設しか利用できなくなる場合がある。反対に、公共交通の接続や送迎サービスが適切に確保されていれば、市町村を越えた医療機関や商業施設を引き続き利用できる可能性もある。行政区域の広さや施設数だけでなく、実際の移動経路と利用条件が重要になる。
さらに人口減少が進めば、地域の商店、銀行、診療所、ガソリンスタンド、公共交通などの配置が変わる可能性がある。住民自身が高齢化して移動能力を変えていく一方で、利用する施設や交通手段も変化していくことになる。将来の生活圏を考えるには、人間の側の変化と地域の側の変化を同時に見なければならない。
ただし、高齢化率が高い地域ほど生活圏が狭いと単純に結論付けることはできない。重要なのは、70~74歳、75~79歳、80~84歳、85~89歳、90歳以上といった年齢階級別人口に加えて、移動手段の利用状況、買い物や通院の所要時間、世帯構成、交通サービスの提供状況などを組み合わせて評価することである。
地域分析では、徒歩、自動車、公共交通という複数の移動手段について、それぞれの住民がどの施設へ到達できるかを調べる方法が有効だろう。さらに、自分で運転しなくなった場合や、利用している商店が閉店した場合などを想定すれば、生活圏がどの程度変化するかを検討できる。こうした分析は、将来の高齢者の行動を正確に予測するものではないが、地域の交通や生活環境に潜む弱点を把握する手掛かりになる。
人口推計や高齢化率を見るだけでは、実際に住民がどこへ行けるのかまでは分からない。高齢者の暮らしを支えるためには、人口の分布と施設の分布を重ねるだけでなく、その間を結ぶ交通手段や、施設へ行けない場合に利用できるサービスまで含めて評価する必要がある。
90歳になった自分の地図から町を眺めてみる
地域の将来を考えるとき、人口推計や財政の数字を確認することは重要である。しかし、その地域で高齢になっても暮らし続けられるかどうかを考えるには、現在の自分が利用している交通手段を失った場合の生活を想像してみることにも意味がある。
例えば、自分が90歳になり、自動車を運転せず、長い距離を歩くことも難しくなったと仮定してみる。それでも食料を確保し、必要な薬を受け取り、医療機関を受診し、金融機関や行政の手続きを利用しなければならない。そのとき、自宅の玄関から一人でどこまで行けるのか、行けない場所についてはどのような代替手段があるのかを考えてみるのである。
もちろん、実際の90歳の状態がこのようになるとは限らない。健康で活発に外出できる人もいるため、これは高齢者全体の姿を示すものではなく、移動能力が低下した場合に地域の生活機能がどの程度維持されるかを考えるための仮定である。
現在の町の地図を眺めれば、道路や施設の位置は分かる。しかし、高齢社会の暮らしを考えるなら、そこにもう一つの情報を重ねる必要がある。その施設へ自分で行けるのか、公共交通で行けるのか、誰かの送迎が必要なのか、それともサービスの側が自宅まで来てくれるのかという情報である。
これから問うべきなのは、「この町に病院があるか」ということだけではない。「80歳になって運転しなくても、その病院へ通えるか」という問いが必要になる。同じように、「スーパーが残っているか」だけでなく、「90歳になって外出が難しくなった場合でも、食料を確保できる仕組みがあるか」を考えなければならない。
さらに重要なのは、その仕組みが一時的なものではなく、将来も継続できるかどうかである。人口減少によって交通事業者や商店の経営環境が変わり、医療・介護分野でも人材の確保が難しくなれば、現在利用できるサービスが将来も同じように提供されるとは限らない。高齢者の生活圏を支える政策には、利用者の需要だけでなく、サービスを維持する側の費用や人員を考慮する視点も欠かせない。
町の本当の暮らしやすさは、行政区域の面積や施設の数だけでは決まらない。そこに暮らす人が、年齢や身体機能の変化に応じて必要なものを手に入れ、医療を受け、社会とつながり続けることができるかどうかによって評価されるべきである。
年齢を重ねるにつれて、私たちの地図は少しずつ折りたたまれていくことがある。しかし、その地図が小さくなること自体を、必ずしも不幸と考える必要はない。自分で遠くまで移動できなくなっても、必要なものが届き、困ったときに利用できる交通手段があり、人との交流や社会参加の機会が保たれていれば、生活の質を維持できる可能性がある。
反対に、施設が存在していても利用できず、交通手段もなく、支援を頼める相手もいなければ、地域の中に住み続けていても社会とのつながりが弱くなるおそれがある。高齢社会で問題となるのは、単に生活圏の面積が小さくなることではなく、必要な生活機能にアクセスする手段や、社会とつながる機会が失われることなのである。
70歳、80歳、90歳という三つの地図が教えてくれるのは、年齢を重ねた人間の行動範囲が必ず縮小するという法則ではない。身体能力や交通環境が変化しても、必要な生活機能を利用し続けられる町であることが、これからの地域社会にとって重要だということである。
最後に残った小さな地図の中でも、買い物ができ、医療を受け、人と話し、自分らしい生活を続けられるかどうか。その条件を地域として維持できるかが、人口減少と高齢化が進む社会の重要な課題となる。
生活圏が小さくなっても、人生まで小さくなる必要はない。その可能性を支える仕組みを、町がどこまで維持できるかが問われているのである。





