地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 若いころ、私たちが日常生活の中で利用できる町は、地図に描かれている以上に広い。少し遠いスーパーへ買い物に行くことも、隣の市の病院を受診することも、駅まで自動車を走らせて電車に乗ることも、それほど特別な行動ではない。二十キロ、三十キロ離れていても、道路や交通手段がつながっていれば、その場所は日常の行動範囲に含まれる。地理的には遠くても、移動することに大きな負担を感じなければ、心理的には近い場所なのである。

 ところが年齢を重ねると、この関係が変化する場合がある。道路は以前と同じ場所にあり、スーパーも病院も移転していない。それにもかかわらず、かつては「いつでも行ける場所」だったところが、やがて「用事がなければ行かない場所」になり、さらに「誰かに連れていってもらわなければ行けない場所」へと変わっていく。自動車の運転や長距離の歩行が難しくなれば、数キロ先にある店さえ、日常的には利用できなくなることがある。

 高齢者の生活圏が小さくなるとは、町そのものが小さくなることではない。同じ町に暮らし続けていても、自分の意思で移動できる範囲や、日常的に利用できる施設の選択肢が変化することである。この問題は個人の身体能力だけではなく、交通手段、家族関係、医療・介護制度、さらには地域の人口減少や商業施設の配置とも深く関係している。

 では、70歳、80歳、90歳という三つの年代から眺めたとき、生活圏はどのように変わっていくのだろうか。

 最初に確認しておきたいのは、この三つの年齢が生活圏の変化を決定する生物学的な境界線ではないということである。70代でも移動に支援を必要とする人がいる一方、90代でも自立して外出する人はいる。本稿では、70歳の生活圏を「面」、80歳を「線」、90歳を「点」として捉えるが、これは統計によって証明された年齢別の法則ではない。高齢期に生じ得る移動手段と生活様式の変化を、地図の形に置き換えて理解するための概念的なモデルである。

70歳~町全体がまだ自分の生活圏にある時代

 70歳という年齢だけを見て、生活圏が狭くなると考えるのは適切ではない。70代でも仕事を続け、旅行を楽しみ、自動車を運転し、趣味や社会活動のために遠方へ出掛ける人は少なくない。健康状態や身体機能には大きな個人差があり、年齢が同じであっても実際の行動範囲は異なる。ただし、集団として統計を眺めると、70代は日常の移動目的が大きく変化する年代であることが分かる。

 国土交通省が2021年に実施した全国都市交通特性調査では、60代と比較して70代では通勤や業務を目的とする移動が減少し、買い物や散歩などの移動が増える傾向が確認されている。また、平日の外出率は、男性では60代の79.7%に対して70代は72.9%、女性では60代の71.9%に対して70代は64.5%となっている。つまり、70代では外出する人の割合が60代より低くなる一方で、移動の目的そのものも変化している。

 ただし、この数字は同じ人を60代から70代まで追跡した結果ではなく、異なる年齢集団を比較したものである。したがって、外出率の差をすべて加齢による身体能力の低下として説明することはできない。退職によって通勤の必要がなくなることや、就業形態、世帯構成、生活習慣などの違いも影響していると考える必要がある。

 例えば、会社へ向かう毎朝の道がなくなれば、仕事先の近くにあった店へ行く機会も減る。仕事帰りに利用していた書店や飲食店、駅前の商業施設も、生活上の必要がなくなれば日常の行動範囲から外れていく。これは身体的に行けなくなったというより、行く理由がなくなったことによる生活圏の変化である。高齢期の生活圏を考える際には、移動能力の変化と移動目的の変化を分けて捉える必要がある。

 一方、健康状態や交通手段に恵まれている70代にとって、町は依然として複数の選択肢を持つ場所である。今日は近くのスーパーを利用し、明日は隣町の大型店へ行き、必要があれば遠方の専門病院を受診するというように、その日の目的や都合に応じて行き先を選ぶことができる。生活圏の豊かさは単純な移動距離だけで決まるものではなく、複数の施設やサービスの中から、自分に合ったものを選択できるかどうかにも左右される。

 しかし、人口密度の低い地方では、この広い生活圏を維持している重要な条件がある。自動車である。

 内閣府が2018年に実施した高齢者の住宅と生活環境に関する調査では、町村に住む60歳以上の回答者の66.8%が、外出時に自分で運転する自動車を利用すると答えている。大都市では徒歩や鉄道、バスなどの利用割合が高いのに対し、町村では自動車への依存が大きい。鉄道駅やバス停まで距離があり、商店や医療機関も分散している地域では、自動車が日常生活のさまざまな目的地を結び付ける役割を担っている。

 このため、地方の70代は比較的広い生活圏を維持しているように見えても、その広さが自分で自動車を運転できることに強く依存している場合がある。自動車を利用できる間は不便を感じなくても、運転が難しくなったときに代替手段がなければ、それまで利用していた施設の多くが急に遠い存在となる。地方の生活圏には、移動能力が維持されている間は問題が表面化しにくいという特徴がある。

80歳~生活圏が「面」から「線」へ変わる可能性

 80歳になると、生活圏は必ず狭くなるのだろうか。もちろん、そのような一律の変化が生じるわけではない。80代でも自動車を運転し、趣味や旅行を楽しむ人はいる。しかし、集団全体では高年齢層ほど自分で自動車を運転する割合が低くなり、徒歩や家族による送迎など、移動手段の組み合わせが変化する傾向が確認されている。

 内閣府の2018年調査では、80歳以上の回答者のうち、外出時に自分で運転する自動車を利用すると答えた人は26.4%だった。一方、徒歩は58.5%、家族などが運転する自動車は36.1%となっている。これは複数回答の調査であり、徒歩と家族による送迎の両方を利用する人も含まれているため、徒歩だけで日常生活を送っている人の割合を示すものではない。また、80歳以上という区分には90歳以上も含まれるため、この結果だけで80代と90代の違いを明確にすることはできない。

 さらに、2023年度に内閣府が実施した同分野の調査では、65歳以上の回答者全体で、徒歩を利用する割合が50.1%、自分で運転する自動車が46.6%、家族などが運転する自動車が27.1%となっている。この調査でも、男女ともに年齢が高い層ほど自分で運転する自動車の利用割合が低くなる傾向が示されている。ただし、2018年調査と2023年度調査では対象年齢や調査方法が異なるため、両者の数値の差をそのまま時系列の変化として解釈することはできない。

 ここで生活圏に生じ得る変化を、地図上の形として考えてみたい。自分で自動車を運転し、複数の目的地を自由に選べていた生活圏が、移動手段の制約によって、特定の場所を結ぶ経路に集約されていくことがある。自宅からスーパーへ行く経路、病院へ通う経路、銀行や役所へ向かう経路など、必要性の高い目的地への移動が中心になり、それ以外の場所へ出掛ける機会が少なくなる。これが、生活圏が「面」から「線」へ変わるという表現の意味である。

 もっとも、これは80代の人に共通する実証済みの行動パターンではない。徒歩を中心に生活する人でも、商店や公共施設が密集した地域に住んでいれば、日常的に多様な場所を利用できる。一方、自動車を運転していても、いつも決まった店と病院にしか行かない人はいる。生活圏の形は年齢だけでなく、地域の構造や本人の生活習慣によっても変わるのである。

 特に重要なのは、「移動できる場所」と「自分の意思だけで移動できる場所」の違いである。家族が自動車で連れていってくれれば、50キロ離れた病院を受診することもできるかもしれない。しかし、その移動には家族の都合を確認し、日程を調整し、送迎を依頼する必要がある。目的地までの距離が変わらなくても、自分だけで自由に行ける状態とは異なるのである。

 ただし、送迎を利用すること自体を、生活上の自立が失われた状態と考える必要はない。地域の乗合交通や予約制交通が利用でき、必要なときに自分で予約して移動できるなら、運転しなくなっても生活の選択肢を維持できる場合がある。自立した生活を支える条件は、すべての移動を自分の身体能力だけで完結させることではなく、必要なときに利用できる移動手段が確保されていることにもある。

 この違いは、地方ほど重要になる。都市部には駅やバス停、スーパー、診療所が徒歩圏に集まっている場所がある一方、住宅が広く分散した地域では、最寄りの商店や医療機関まで数キロ以上離れている場合もある。同じ五キロという距離でも、自動車を自由に利用できる人と、徒歩や本数の少ない公共交通に頼る人とでは、その距離が持つ生活上の意味は大きく異なる。

 道路の距離だけでなく、その距離を誰の力で、どのような手段を使い、どれほどの時間と費用をかけて移動できるのかを考えなければ、高齢者の生活圏を正確に理解することはできない。

生活圏は移動距離だけでは測れない

 高齢者の生活空間を評価する研究では、単に自宅から最も遠くへ移動した距離だけではなく、どの範囲まで移動したか、どのくらいの頻度で移動したか、移動するときに他人の援助や福祉用具を必要としたかといった条件が重視されている。代表的な評価方法には、LSA(Life-Space Assessment・生活空間評価)があり、一定期間の日常的な移動範囲、頻度、自立度を組み合わせて評価する。

 例えば、月に一度、家族の送迎で遠方の病院へ行く人と、毎日一人で近所の商店や公共施設を利用する人とでは、最大移動距離だけを比べても日常生活の実態は分からない。前者の方が遠くまで移動していても、後者の方が日常的に多くの場所を利用し、頻繁に社会と接している可能性がある。移動距離の長さと生活圏の豊かさは、必ずしも同じものではないのである。

 日本で行われた生活空間評価の研究でも、年齢と生活空間の間には負の相関が確認されている。2010年に発表された研究では、介護予防事業などを利用する高齢者2,147人について、生活空間の得点と年齢の相関係数はマイナス0.296だった。一方、買い物や外出などに関わる手段的日常生活動作能力との相関係数はプラス0.533となっており、この調査集団では、暦年齢よりも日常生活を遂行する能力の方が生活空間の得点と強く関連していた。

 ただし、この研究は介護予防の支援を必要とする集団を対象としたものであり、結果を全国の高齢者全体へそのまま当てはめることはできない。また、相関関係が確認されたからといって、特定の要因が生活圏を直接縮小させたと証明されたわけでもない。それでも、生活圏を理解するうえでは、年齢そのものよりも身体機能や日常生活能力、交通環境などを組み合わせて考える必要があることを示唆している。

 地域の高齢化を分析するとき、70歳以上の人口や80歳以上の人口を数えることは重要である。しかし、その人数だけでは、どの程度の人が自由に移動できるのか、移動に困難を抱えているのか、必要なサービスを利用できているのかまでは分からない。年齢別人口は生活圏を推測するための出発点であって、生活圏そのものを示す指標ではないのである。

90歳~生活圏は「場所」から「人」へ変わるのか

 90歳前後になると、生活圏はさらに身近な場所へ集約されるのだろうか。この問いには、特に慎重に答える必要がある。非常に高齢になるにつれて、身体機能の低下や疾病、移動手段の制約などによって外出が難しくなる人が増えると考えられるが、90歳になった瞬間に生活圏が自宅周辺へ縮小するわけではない。90代でも自立して買い物や散歩を続ける人がいる一方、70代や80代から外出に介助を必要とする人もいる。

 2006年に発表された「大都市近郊に居住する高齢者が感じる生活圏」という研究では、65歳以上の高齢者2,692人の有効回答を分析している。その結果、65~79歳では市全域を生活圏と感じる回答が多かったのに対し、80歳以上では自治会・町内会程度の範囲を生活圏と感じる回答が最も多くなっていた。また、外出頻度が少ない人ほど、本人が認識する生活圏も狭い傾向が確認されている。

 もっとも、この調査は2005年に首都圏に隣接する一都市で行われたものであり、対象者は要介護認定を受けていない高齢者だった。測定しているのも実際の移動距離ではなく、本人が生活圏だと感じる範囲である。したがって、この結果を全国の90代にそのまま適用したり、90歳前後になると必ず生活圏が自宅周辺へ縮小すると結論付けたりすることはできない。

 90歳以上に関する統計には、標本数の問題もある。2023年度の内閣府調査は65歳以上の2,677人から有効回答を得ているが、このうち90歳以上は69人、95歳以上は13人にとどまる。さらに施設入所者は調査対象に含まれていない。こうした条件を踏まえると、90代全体の移動実態を細かく把握するには、より大規模な調査や別のデータによる検証が必要である。

 それでも、外出に支援を必要とする状態が進むにつれて、生活圏の意味が変わることは十分に考えられる。近所の店へ自分が買い物に行く代わりに家族が商品を届け、薬局へ出向く代わりに薬の配達を利用し、通院が難しくなれば訪問診療などを受ける場合がある。これまで自分が移動して利用していたサービスの一部が、自宅を中心として提供されるようになるのである。

 このような生活では、自分自身が訪れる場所の数が少なくなっても、外部とのつながりが必ずしも失われるわけではない。家族や友人が訪問し、宅配や介護サービスが利用でき、電話などによって離れた人とも交流できれば、自宅を中心とした生活の中でも社会的な関係を維持できる可能性がある。反対に、外出する能力が残っていても、交流する相手や利用できるサービスが少なければ、社会的な孤立が生じる場合もある。

 ここでは、身体的に移動できる生活圏と、人やサービスを通じて社会につながる範囲を区別する必要がある。前者が小さくなっても、後者が十分に保たれていれば、生活上の選択肢や社会参加の機会を維持できる可能性がある。ただし、電話や宅配が利用できることと、外出して人に会ったり地域活動に参加したりできることは完全に同じではないため、在宅サービスだけを整備すればすべての問題が解決するわけでもない。

 90歳前後の生活圏を「点」として捉える意味は、その年齢の人が点のように小さな範囲で暮らしているという断定ではない。外出が難しくなった場合、自宅を中心とする限られた場所を、どれだけ多くの人やサービスが支えられるかという視点を示すための比喩なのである。

生活圏はゆっくり縮むとは限らない

 高齢者の生活圏は、70歳から80歳、80歳から90歳へと一定の速度で縮小していくわけではない。長い間ほとんど変わらなかった生活圏が、特定の出来事をきっかけに大きく変化する場合もある。

 典型的な例が、自動車の運転をやめるときである。それまで十キロ先のスーパーへ自由に買い物に行けていた人が、運転をやめたことで一人では利用できなくなる場合がある。夫婦の一方だけが運転している家庭では、その人が運転できなくなると、もう一方の移動手段まで同時に失われる可能性がある。自宅や商店の位置は変わっていないのに、移動手段の変化によって生活上の到達可能性が大きく変わるのである。

 ただし、免許返納によって必ず生活圏が狭くなるわけではない。徒歩圏に必要な施設があり、公共交通や送迎サービスも十分に利用できる地域では、運転をやめても従来の生活を維持できる可能性がある。反対に、免許を保有していても、体調や運転への不安によって実際にはほとんど運転しなくなっている人もいる。重要なのは免許を持っているかどうかだけではなく、日常的に安全で利用可能な交通手段があるかどうかである。

 高齢運転者については制度上の変化もある。日本では70歳以上の運転免許更新時に高齢者講習が必要となり、75歳以上では認知機能検査が原則として求められるほか、一定の違反歴がある人には運転技能検査も課される。こうした制度は高齢者の運転能力や交通安全に対応するものであるが、70歳や80歳に達したことだけを理由に運転できなくなる仕組みではない。運転の継続と安全性の確保、そして運転をやめた後の移動手段の整備は、それぞれ区別して考えなければならない。

 生活圏が大きく変化する原因は、自動車だけではない。例えば、徒歩で通える距離にあったスーパーが閉店し、次に近い店が数キロ先になることもある。自動車を自由に利用できる人にとっては移動時間が少し増える程度でも、徒歩でしか買い物ができない人にとっては、日常的な買い物先が事実上失われる可能性がある。

 さらに、病気や転倒、入院などによって、一時的に移動能力が低下することもある。歩行能力や体力が低下すれば、以前は問題なく利用していた商店や公共施設が遠く感じられるようになる。こうした変化は年齢に応じて少しずつ進むとは限らず、生活上の出来事によって短期間に生じる場合がある。

 一方、生活圏の縮小が必ずしも不可逆的でないことも重要である。病気から回復し、リハビリテーションによって身体機能が改善したり、新たな交通手段や支援サービスを利用できるようになったりすれば、生活圏が再び広がる可能性もある。高齢化に伴う生活圏の変化を、一方向に縮小するだけの過程として捉えるのは適切ではない。

生活圏の縮小を決めるのは年齢だけではない

 生活圏の大きさを決める条件を整理すると、身体機能だけでなく、交通手段、施設までの距離、移動に必要な時間や費用、家族・地域の支援などが関係していることが分かる。同じ80歳でも、駅前に住んでいる人と、鉄道駅や商店から離れた集落に住んでいる人とでは、外出のしやすさが大きく異なる可能性がある。

 生活圏を数理的に考えるなら、単純な最大移動距離よりも、日常的に利用可能な施設やサービスの数を一つの指標とする方法が考えられる。例えば、ある人が自分の身体能力と交通手段、時間、費用の範囲内で利用できるスーパーが三店舗ある場合と、一店舗しかない場合とでは、生活上の選択肢が異なる。さらに、その一店舗が閉店すれば、物理的な距離の変化以上に買い物環境が悪化することになる。

 この考え方では、施設までの距離だけでなく、実際にそこへ到達するための総合的な負担を評価する必要がある。徒歩なら坂道や歩道の状態、自動車なら運転能力や維持費、公共交通なら運行本数や乗り継ぎ、送迎なら依頼や日程調整の負担が関係する。目的地に着いてからも、施設内を移動できるか、必要な商品やサービスが利用できるかという条件が残る。

 また、利用可能な施設数だけで生活の質を完全に評価できるわけでもない。施設の営業時間、商品の種類、医療機関の診療科、費用の負担、本人の希望などによって、実際の利用価値は変わるためである。生活圏の分析では、何キロ移動できるかという地理的な広がりと、どの程度の選択肢を実際に持っているかという機能的な広がりを分けて考えることが重要になる。

 つまり、70歳、80歳、90歳という年齢だけから生活圏の面積を推定することはできない。必要なのは、年齢別人口とともに、移動能力、交通環境、施設配置、利用可能な支援などを組み合わせて評価することである。

高齢者に必要なのは「何でも近くにある町」だけではない

 高齢社会の町づくりというと、病院やスーパー、公共施設を中心部に集めるコンパクトな町を想像しやすい。施設が一定の範囲に集まれば、移動距離を短くし、公共交通を効率的に運行しやすくなる可能性がある。しかし、すべての住民を病院やスーパーの徒歩圏に住ませることは、現実には難しい。

 特に地方では、住宅が広い範囲に分散しており、長年同じ場所で生活してきた人も多い。高齢になったからといって、住み慣れた家を離れて中心部へ移転することが、誰にとっても合理的な選択になるとは限らない。住居の維持費や移転費用、家族関係、地域とのつながりなど、さまざまな条件が関係するためである。

 そこで重要になるのが、移動手段とサービス提供方法を組み合わせる考え方である。自分で安全に移動できる間はその能力を生かし、運転や長距離の歩行が難しくなれば公共交通や送迎を利用し、外出が困難になれば宅配や訪問型サービスを利用する。移動能力の変化に合わせて、複数の方法を選べるようにすることが望ましい。

 ただし、サービスを自宅まで届ければすべての問題が解決するわけではない。医療保険による定期的な訪問診療には通院が困難であることなどの条件が関係し、介護保険によるサービスにも要介護・要支援認定や給付上の要件がある。民間の宅配や送迎サービスについても、利用できる地域、利用料金、人員の確保、採算性などの制約が存在する。

 人口が少ない地域ほど、一人の利用者のために長い移動時間が必要となり、サービスを維持するための費用が大きくなる場合がある。訪問診療や訪問介護の事業者が存在していても、すべての集落へ同じ条件でサービスを提供できるとは限らない。支援制度があることと、その制度を利用できる事業者や人員が地域に存在することは、別の問題なのである。

 地域公共交通についても、自治体、交通事業者、医療機関、福祉関係者などの連携が必要になる。通常の路線バスだけでなく、予約型の乗合交通や既存の輸送資源を活用する方法も考えられるが、運転者や車両、財源を確保しなければ継続できない。移動支援の仕組みを導入することと、それを持続可能な形で運営することは区別して評価する必要がある。

 したがって、高齢社会の地域づくりに必要なのは、すべての施設を近くに置くことだけでも、すべてのサービスを自宅まで届けることだけでもない。住民の移動能力と地域の条件に応じて、施設の配置、移動手段、訪問型サービスを組み合わせ、必要な生活機能にアクセスできる状態を維持することである。

公的統計にも表れている「行ける場所」の問題

 高齢者が暮らす地域の不便さについては、内閣府の2023年度調査にも重要な結果がある。この調査では、65歳以上の回答者のうち、「日常の買い物に不便」と答えた人が23.9%、「医院や病院への通院に不便」が23.8%、「交通機関が高齢者には使いにくい、または整備されていない」が21.5%となっている。いずれも複数回答であり、実際にどの程度外出を制限されているかを直接測定した数字ではないが、買い物、医療、交通が高齢者の生活環境における重要な課題であることを示している。

 一方、同じ調査で地域について「特に不便や気になることはない」と答えた人は39.3%だった。高齢者であれば誰もが生活上の不便を抱えているわけではなく、地域の環境や本人の状態によって認識には差がある。この点からも、高齢化率が高いという理由だけで、その地域の生活環境が悪いと判断することはできない。

 また、人口構成や施設配置の変化を考える際には、施設が存在することと、住民が実際に利用できることを区別しなければならない。市内に病院が一つあったとしても、自宅から通う交通手段がなければ利用しにくい。スーパーが営業していても、そこまで行く方法がなければ買い物先として機能しない場合がある。

 行政が地域の生活環境を評価するとき、病院や商店の数、公共交通の路線数などは重要な指標になる。しかし、それだけでは施設を必要とする人が実際にサービスへ到達できるかどうかまでは分からない。高齢社会では、施設の存在を示す地図に加えて、住民が実際に利用できる範囲を示す地図が必要になるのである。

70歳では「面」、80歳では「線」、90歳では「点」という地図

 ここまでの議論を、もう一度三つの地図として整理してみたい。

 70歳の地図には、自宅を中心に、複数のスーパーや病院、銀行、公共施設、友人の家などが広がっている。自動車や公共交通を利用して自由に行き先を選ぶことができるなら、それぞれの施設は複数の経路で結ばれ、日常の生活圏は「面」として広がる。ただし、70歳だから必ず広い生活圏を持つという意味ではなく、さまざまな目的地を自分で選択できる状態を表すものである。

 80歳の地図では、移動手段の制約によって、利用する場所が決まった経路に集約される場合がある。いつものスーパーや病院、銀行など、必要性の高い目的地への移動が中心となり、途中で別の店へ寄ったり、思い付きで遠方へ出掛けたりする機会が減る。このような生活を「線」として表すことができるが、公共交通や送迎が充実していれば、運転しなくても多くの目的地を利用し続けられる可能性がある。

 90歳の地図では、移動が困難になった場合、自宅や近隣の少数の場所を中心として生活することが考えられる。しかし、その「点」は必ずしも社会から孤立した場所ではない。家族や友人が訪れ、医療や介護のサービスが届き、宅配や通信手段を利用できれば、自分が移動する範囲を超えた社会とのつながりを維持できる場合がある。

 この三つの地図は、年齢ごとに必ず現れる段階を示したものではない。加齢や生活環境の変化に伴って、移動の自由度、他者への依存度、サービスの利用方法がどのように変わり得るのかを考えるための模型である。実際には、同じ人の生活圏が広がったり縮んだりすることもあり、70代で「点」に近い生活を送る人もいれば、90代でも「面」として広い生活圏を維持する人もいる。

 このように考えると、生活圏の問題は、単に高齢者が遠くへ出掛けられなくなることではない。自分で移動できる範囲と、他人やサービスの支援によって利用できる範囲が、どのように組み合わされているかという問題なのである。

御宿・いすみ・勝浦・大多喜の将来を考える

 千葉県外房地域の御宿町、いすみ市、勝浦市、大多喜町のように、海岸沿いの市街地から内陸部の集落まで、多様な居住環境を持つ地域では、生活圏の問題を行政区域の平均値だけで捉えることは難しい。駅や商店に近い住宅地と、交通手段が限られる周辺集落では、同じ年齢の人でも利用できる施設やサービスの範囲が異なる可能性がある。

 例えば、70代の住民が自動車を運転できる間は、市町村の境界を越えて買い物や通院をしていても、運転しなくなった後には自宅から近い施設しか利用できなくなる場合がある。反対に、公共交通の接続や送迎サービスが適切に確保されていれば、市町村を越えた医療機関や商業施設を引き続き利用できる可能性もある。行政区域の広さや施設数だけでなく、実際の移動経路と利用条件が重要になる。

 さらに人口減少が進めば、地域の商店、銀行、診療所、ガソリンスタンド、公共交通などの配置が変わる可能性がある。住民自身が高齢化して移動能力を変えていく一方で、利用する施設や交通手段も変化していくことになる。将来の生活圏を考えるには、人間の側の変化と地域の側の変化を同時に見なければならない。

 ただし、高齢化率が高い地域ほど生活圏が狭いと単純に結論付けることはできない。重要なのは、70~74歳、75~79歳、80~84歳、85~89歳、90歳以上といった年齢階級別人口に加えて、移動手段の利用状況、買い物や通院の所要時間、世帯構成、交通サービスの提供状況などを組み合わせて評価することである。

 地域分析では、徒歩、自動車、公共交通という複数の移動手段について、それぞれの住民がどの施設へ到達できるかを調べる方法が有効だろう。さらに、自分で運転しなくなった場合や、利用している商店が閉店した場合などを想定すれば、生活圏がどの程度変化するかを検討できる。こうした分析は、将来の高齢者の行動を正確に予測するものではないが、地域の交通や生活環境に潜む弱点を把握する手掛かりになる。

 人口推計や高齢化率を見るだけでは、実際に住民がどこへ行けるのかまでは分からない。高齢者の暮らしを支えるためには、人口の分布と施設の分布を重ねるだけでなく、その間を結ぶ交通手段や、施設へ行けない場合に利用できるサービスまで含めて評価する必要がある。

90歳になった自分の地図から町を眺めてみる

 地域の将来を考えるとき、人口推計や財政の数字を確認することは重要である。しかし、その地域で高齢になっても暮らし続けられるかどうかを考えるには、現在の自分が利用している交通手段を失った場合の生活を想像してみることにも意味がある。

 例えば、自分が90歳になり、自動車を運転せず、長い距離を歩くことも難しくなったと仮定してみる。それでも食料を確保し、必要な薬を受け取り、医療機関を受診し、金融機関や行政の手続きを利用しなければならない。そのとき、自宅の玄関から一人でどこまで行けるのか、行けない場所についてはどのような代替手段があるのかを考えてみるのである。

 もちろん、実際の90歳の状態がこのようになるとは限らない。健康で活発に外出できる人もいるため、これは高齢者全体の姿を示すものではなく、移動能力が低下した場合に地域の生活機能がどの程度維持されるかを考えるための仮定である。

 現在の町の地図を眺めれば、道路や施設の位置は分かる。しかし、高齢社会の暮らしを考えるなら、そこにもう一つの情報を重ねる必要がある。その施設へ自分で行けるのか、公共交通で行けるのか、誰かの送迎が必要なのか、それともサービスの側が自宅まで来てくれるのかという情報である。

 これから問うべきなのは、「この町に病院があるか」ということだけではない。「80歳になって運転しなくても、その病院へ通えるか」という問いが必要になる。同じように、「スーパーが残っているか」だけでなく、「90歳になって外出が難しくなった場合でも、食料を確保できる仕組みがあるか」を考えなければならない。

 さらに重要なのは、その仕組みが一時的なものではなく、将来も継続できるかどうかである。人口減少によって交通事業者や商店の経営環境が変わり、医療・介護分野でも人材の確保が難しくなれば、現在利用できるサービスが将来も同じように提供されるとは限らない。高齢者の生活圏を支える政策には、利用者の需要だけでなく、サービスを維持する側の費用や人員を考慮する視点も欠かせない。

 町の本当の暮らしやすさは、行政区域の面積や施設の数だけでは決まらない。そこに暮らす人が、年齢や身体機能の変化に応じて必要なものを手に入れ、医療を受け、社会とつながり続けることができるかどうかによって評価されるべきである。

 年齢を重ねるにつれて、私たちの地図は少しずつ折りたたまれていくことがある。しかし、その地図が小さくなること自体を、必ずしも不幸と考える必要はない。自分で遠くまで移動できなくなっても、必要なものが届き、困ったときに利用できる交通手段があり、人との交流や社会参加の機会が保たれていれば、生活の質を維持できる可能性がある。

 反対に、施設が存在していても利用できず、交通手段もなく、支援を頼める相手もいなければ、地域の中に住み続けていても社会とのつながりが弱くなるおそれがある。高齢社会で問題となるのは、単に生活圏の面積が小さくなることではなく、必要な生活機能にアクセスする手段や、社会とつながる機会が失われることなのである。

 70歳、80歳、90歳という三つの地図が教えてくれるのは、年齢を重ねた人間の行動範囲が必ず縮小するという法則ではない。身体能力や交通環境が変化しても、必要な生活機能を利用し続けられる町であることが、これからの地域社会にとって重要だということである。

 最後に残った小さな地図の中でも、買い物ができ、医療を受け、人と話し、自分らしい生活を続けられるかどうか。その条件を地域として維持できるかが、人口減少と高齢化が進む社会の重要な課題となる。

 生活圏が小さくなっても、人生まで小さくなる必要はない。その可能性を支える仕組みを、町がどこまで維持できるかが問われているのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 地方で老後を暮らすことを考えるとき、医療機関までの距離は生活の持続可能性を左右する重要な条件になる。スーパーなら多少遠くてもまとめ買いができ、役所なら手続きの頻度そのものを減らすこともできるが、定期的な治療が必要になれば、医療機関までの距離は単なる地図上の数字ではなく、生活時間、交通手段、家族負担まで含めた日常生活の条件になる。

 例えば、自宅から透析施設までの距離が片道30kmだったとする。一般的な維持血液透析は週3回行われることが多いため、自分で通院するなら往復60kmを週3回、1週間で180km移動することになる。これを年間52週として計算すると、60km×3回×52週=9,360kmとなり、透析通院だけで年間9,000kmを超える移動になる。

 この数字だけを見ると、「もし将来透析が必要になったら、この地域では暮らせないのではないか」と感じても不思議ではない。ただし、透析医療の通院は通常の外来通院とは少し事情が異なり、距離だけから生活可能性を判断すると、実態を見誤る可能性がある。

 現在の透析医療では、医療機関による患者送迎が広く行われている。日本透析医会が2023年に行った調査では、回答した822施設のうち70.9%が施設負担による患者送迎を実施していた。また、患者側を対象にした2021年度の調査では、透析施設の送迎を利用して通院している患者は24.8%だった。

 ただし、この70.9%という数字を「全国の透析施設の約7割が送迎している」とそのまま一般化することはできない。この調査の回答率は約21%であり、送迎に積極的な施設ほど回答しやすかった可能性など、回答施設と非回答施設の性質が異なる非回答バイアスを完全には排除できないからである。そのため70.9%は全国の正確な実施率というより、「回答施設の中では送迎がかなり一般的だった」と読む方が統計的には適切である。

 一方、患者調査で送迎利用者が24.8%だったことと、施設調査で送迎実施施設が70.9%だったことは矛盾しない。送迎を実施している施設でも、全患者が送迎車を利用するわけではなく、自家用車、家族送迎、公共交通、タクシーなどを使う患者もいるからである。

 こうした実態を考えると、「施設まで30km」という数字の意味も変わってくる。自分で週3回、片道30kmを運転する生活と、自宅付近まで透析施設の送迎車が迎えに来る生活では、同じ30kmでも本人や家族の負担は大きく異なる。本人が運転しなくてよいのであれば、高齢になって自動車を手放した後でも、透析施設への交通手段が維持される可能性がある。

 地方では、近所の眼科や診療所へ行くためには家族の自動車が必要なのに、それよりはるかに遠い透析施設には病院の送迎車が来るという、一見すると逆転した状況が起こり得る。公共交通が弱い地域ほど、透析施設の送迎車が事実上の医療交通として機能していることがあるからである。

 しかし、ここで注意しなければならないのは、片道30kmが決して軽い通院距離ではないということである。北海道を対象に行われた透析通院に関する調査では、「医療機関まで片道30km以上、または片道1時間以上」を通院困難地域の一つの基準として設定している。つまり30kmという距離は、医療アクセス研究の上でも無視できない通院負担として扱われる程度の距離であり、「送迎があるから問題にならない」と考えるのも適切ではない。

 北海道の調査では、通院困難地域から透析施設へ通う患者の交通手段として、自家用車のほか病院送迎、自治体による送迎、タクシー、公共交通などが使われていた。通院が難しいことを理由として転居した患者や、治療方法を変更した患者も確認されている。このことからも、片道30kmは「絶対に生活できない距離」ではない一方、「何の対策もなく通える距離」とも言えないことが分かる。

 送迎車が利用できれば本人の運転負担は減るが、30kmという距離そのものが消えるわけではない。患者は車を運転しなくても、移動に必要な時間は残る。むしろ複数の患者を順番に迎えながら施設へ向かう送迎車の場合、自家用車で直接施設へ行くより乗車時間が長くなることもある。

 維持血液透析は一般的に週3回行われ、1回の治療時間は4時間前後になることが多い。週3回なら年間の透析回数は概算で156回となり、治療時間だけでも4時間×156回=624時間になる。これは24時間換算で約26日分である。

 さらに往復の移動や待ち時間が加わる。仮に往復移動が合計1時間なら年間156時間、2時間なら312時間となり、治療時間と合計すると年間780~936時間になる。24時間換算では約32~39日分に相当し、これに送迎車の待ち時間、乗降、他の患者宅への立ち寄りなどが加わる場合もある。

 したがって、片道30kmの問題は単なる運転距離ではなく、生活時間の問題として評価する必要がある。月曜、水曜、金曜に透析を受ける人なら、その3日は透析を中心に生活を組み立てることになる。施設が近ければ治療の前後に買い物や家事を行いやすいが、移動時間や待ち時間が長くなれば、透析日は実質的に「治療の日」として一日のかなり大きな部分を使うことになる。

 海外の大規模な透析患者調査でも、透析施設までの移動時間が長い患者ほど、健康関連生活の質が低い傾向が報告されている。死亡リスクとの関連を示した観察研究もあるが、この種の研究では年齢、病状、居住地域など別の要因も影響するため、「長距離通院そのものが死亡リスクを上げる」と単純な因果関係まで断定することはできない。それでも、通院時間が患者の生活負担と無関係ではないという点は、臨床的にも社会的にも妥当である。

 この問題は年齢を重ねるほど重要になる。65歳で透析を始めた時点では自分で30km先まで運転できたとしても、75歳、80歳となれば、夜間や雨天時の運転が難しくなったり、視力や判断力の変化から自動車を手放したりする可能性が高くなる。

 そこで透析施設の送迎が重要になる。本人が運転できなくなっても送迎車が利用できれば、透析生活を続けられる可能性は大きくなる。家族が週3回往復60kmを送り迎えしなくても済み、高齢の配偶者が患者を送って数時間待ち、再び迎えに行くといった負担を避けられる場合もある。

 その意味で透析施設の送迎は、単なる「病院の親切なサービス」と考えるより、地方の高齢者を医療につなぎ続ける生活インフラの一つと見る方が実態に近い。ただし、ここには重要な制度上の問題がある。

 透析施設による無料送迎は、全国の患者に法律上当然に保障された医療給付ではない。診療報酬によって全国一律に送迎費用が給付されている制度でもなく、多くの場合、医療機関が自ら車両、人件費、燃料費、保険料、維持費などを負担して実施している。

 日本透析医会の調査では、送迎患者1人当たりの費用について月平均約2万4,000円という試算も示されている。ただし、この数字には調査方法上の限界があり、全国一律の正確な原価を示すものではない。それでも、患者にとって無料であっても、送迎自体が無料で運営できるわけではないことは明らかである。

 車両を購入し、燃料を入れ、保険や点検費用を負担し、運転手を確保しなければならない。患者が施設周辺に集中していれば効率よく複数人を送迎できるが、広い地域に少人数が分散して暮らしていれば、一人を迎えに行くための走行距離と拘束時間は大きくなる。

 例えば10人の患者が施設から5km以内にまとまって暮らしている地域と、同じ10人が30km四方に散らばって暮らしている地域では、患者数が同じでも送迎に必要な車両の走行距離、燃料、運転手の拘束時間は大きく異なる。したがって透析送迎の持続可能性を考える場合、単なる患者数だけでなく、患者がどれほどの密度で分布しているかという地理的条件が重要になる。

 人口が減れば透析患者も必ず同じ割合で減るとは限らない。高齢化率、糖尿病や高血圧などの基礎疾患、治療成績、新規導入患者数などの影響を受けるからである。しかし人口密度が低下し、患者が広い地域に点在するようになれば、少人数の患者を送迎するために長距離を走らなければならなくなる可能性は高い。

 日本の慢性透析患者数は近年、減少に転じている。2021年末には約34万9,700人だった患者数が、2022年には約34万7,500人、2023年には約34万3,500人、2024年には約33万7,400人となり、3年連続で減少した。

 一方で、全国の透析収容能力が患者数と同じ速度で縮小しているわけではない。2024年の全国調査では、透析装置の台数には減少がみられるものの、同時に透析できる人数や最大収容能力については大きく減少していない指標もある。このため、「患者数が減っているから、近いうちに透析施設も同じ割合でなくなる」と単純に考えることはできない。

 今後は小規模施設の再編や機能分担が進み、一定規模の施設がより広い地域の患者を受け入れる形になる可能性もある。ただし、これは現在全国一律に進んでいると断定できる現象ではなく、人口動態や医療法人の経営状況、地域医療政策によって異なる将来シナリオの一つとして考えるべきである。

 もし施設の集約が進めば、患者から施設までの平均距離が伸びる地域も出てくる可能性がある。そのとき距離を補う役割を担うのが送迎であり、病院という建物だけでなく、患者の家と病院を結ぶ交通手段まで含めて医療提供体制として考える必要が出てくる。

 ただし、現在送迎があることと、10年後や20年後にも同じ条件で送迎を利用できることは別問題である。人口減少が進む地域では、医療スタッフだけでなく送迎車の運転手を確保することも難しくなる可能性があり、燃料費や車両費、人件費が上昇すれば、施設側が現在と同じ送迎範囲を維持できるとは限らない。

 そのため、老後の移住先や居住継続の可能性を考える場合、「現在送迎しているか」だけでなく、「どの地域まで送迎しているのか」「利用条件はあるのか」「自宅送迎なのか集合場所方式なのか」「車椅子対応が可能なのか」「将来もサービスを続ける方針なのか」といった点まで確認する方が現実的である。

 同じ「透析施設まで30km」の地域でも、自宅前まで送迎車が来る場合と、自力で施設まで行かなければならない場合では、生活条件はまったく異なる。地図上では同じ30kmでも、実際の生活上の距離は交通手段によって大きく変わる。

 さらに、平常時には送迎によって問題なく通院できても、台風、大雨、大雪、地震などの災害が起きれば状況は変わる。倒木や冠水によって道路が使えなくなれば、いつもの送迎ルートを通れなくなり、大きく迂回しなければならない場合や、そもそも送迎車が患者宅まで到達できない場合も考えられる。

 透析は買い物や通常の外来受診のように、「今日は行けないから数日後にしよう」と簡単に延期できる治療ではない。そのため透析医療では、大規模災害時にどの透析施設が稼働しているのかなどの情報を共有する災害時情報ネットワークが整備されている。

 ただし、情報ネットワークが存在することと、患者一人一人が実際に代替施設で透析を受けられることは同じではない。代替施設に空きがあるのか、道路が通行できるのか、患者をそこまで運ぶ車があるのか、施設に電力や水が確保されているのかなど、複数の条件がそろわなければ実際の治療にはつながらない。

 したがって、災害に強い地域とは単に自宅から最寄りの透析施設が近い地域とは限らない。通常利用している施設が使えなくなったとき、別の透析施設へ行ける経路があり、そこまで患者を運ぶ手段があり、代替施設にも受け入れ余力がある地域の方が、医療の継続性という意味では強い場合がある。

 こう考えると、老後の透析生活を評価するときには、一つの施設までの距離だけを見るのでは不十分である。最寄りの透析施設がどこにあるのか、その施設が自宅周辺まで送迎しているのか、さらにその施設が利用できない場合に次の透析施設がどこにあるのかという、少なくとも三つの条件を一つの地図の上で考える必要がある。

 そしてここまで考えると、「透析施設まで片道30kmの生活は成立するのか」という問いへの答えも見えてくる。片道30kmは透析通院として決して短い距離ではなく、実際の調査でも通院困難を評価する一つの基準として扱われている。しかし、それだけでその地域での生活が成立しないと判断することも適切ではない。

 自宅が送迎区域に入り、無理のない時間で施設まで行くことができ、施設の受け入れ能力が安定しており、さらに災害時の代替施設や交通経路が確保されているのであれば、片道30kmであっても透析生活が成立する可能性は十分にある。一方で、送迎がなく、自家用車以外の交通手段も乏しく、代替施設も遠い場合には、30kmという距離は老後の生活にとってかなり大きな制約になり得る。

 したがって問題は「30kmは遠いか近いか」という二者択一ではない。30kmという明確な負担を、交通、医療、人員、道路、施設の受け入れ能力といった地域システムによって、どこまで吸収できるかという問題である。

 迎えに来る車があるのか、その車を運転する人がいるのか、施設は安定して患者を受け入れられるのか、道路が使えない日には別の経路があるのか、そしてその仕組みを10年後にも維持できるのかというところまで見なければ、老後の医療アクセスは評価できない。

 地図の上では、病院は30km先にある。しかし毎週決まった日に送迎車が来て、無理のない時間で施設まで連れて行ってくれるのであれば、その30kmは必ずしも生活を断念しなければならない距離ではない。逆に、病院が10km先にあっても、そこへ行く交通手段がなければ、高齢になったときには非常に遠い病院になり得る。

 距離とは道路の長さだけでは決まらない。そこへ人を運ぶ仕組みがあるか、その仕組みが長期的に持続できるかによって、同じ30kmでも生活上の意味は大きく変わる。

 人口減少が進む地方で残すべきものは、透析施設という建物だけではないのだろう。患者の家々と施設の間を月曜日にも、水曜日にも、金曜日にも往復する送迎車、その車を運転する人、道路、災害時の代替施設までを含めて一つの地域医療として考える。その視点に立って初めて、「透析施設まで片道30km」という数字を、老後の生活の中で正しく評価できるのである。

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※本記事は2026年10月10日、千葉県が公表した2025年度の野生鳥獣統計、第3次千葉県キョン防除実施計画などの最新資料を踏まえ、数値の更新と内容の加筆修正を行ったものです。

 外房の住宅地で暮らしていると、野生動物は必ずしも「山の中にいるもの」ではない。夜、自動車で細い県道や市町村道を走っていると道路脇に動物の姿が見えたり、朝になって庭を見ると植えていた花が食べられていたり、畑の一角が掘り返されていたりすることがある。キョンの独特な鳴き声を聞いたことがある人も少なくないだろう。こうした出来事は、一度だけなら自然の豊かな地域で暮らすことの一面として受け止めることもできるが、それが繰り返され、しかも住民の高齢化が進んでいくと、獣害は単に農作物を守るための問題ではなくなってくる。

 千葉県では、特定外来生物であるキョンの分布が長期的に拡大しており、イノシシについても県内で生息域の拡大や従来は出没していなかった地域への進出が問題となっている。ただし、野生動物の生息数が増えること、生息域が広がること、住宅地への出没が増えること、被害額が増えることは、それぞれ異なる現象である。地域によって増減の方向も異なるため、「外房ではどこでもイノシシやキョンが増え続けている」と考えるのは正確ではない。

 それでも、野生動物と人間の生活圏が重なる場所が広く存在し、その管理を誰が担うのかという問題が深刻になっていることは確かである。ここで考えてみたいのは、単に野生動物が何頭いるかではなく、「その地域で80歳になっても普通に暮らせるのか」という問いである。

キョンは実際にどれだけ増え、外房では何が起きているのか

 千葉県が2026年3月に策定した第3次千葉県キョン防除実施計画によると、県内のキョンの推定生息数は2006年度の中央値で13,264頭だったものが、2024年度には94,093頭に達した。約18年間で7倍以上になった計算であり、長期的な増加傾向は明瞭である。また、定着が確認された市町村も2004年度の5市町から2025年度には18市町へ拡大しており、県全体として分布拡大が続いてきたことも確認できる。

 さらに、千葉県が2026年8月に更新した野生鳥獣対策の統計資料では、2025年度末のキョンの推定生息数は約10万5,700頭、2025年度の捕獲数は12,116頭となっている。ただし、この統計資料では2024年度の推定生息数が約10万600頭とされており、第3次防除実施計画に記載された94,093頭とは一致しない。推計には調査データや統計モデルが用いられ、過去の値が更新される場合もあるため、推計の算出条件を確認せずに異なる資料の数値を単純につなげることはできない。それでも、いずれの資料でも県全体の生息数が高い水準にあることは共通している。

 そもそも推定生息数は、実際にすべての個体を数えた結果ではない。第3次防除実施計画における2024年度の推定値94,093頭には統計的な不確実性があり、95%信用区間は49,480頭から146,006頭と幅がある。これは生息数の推定に相当の不確実性が残っていることを示しており、推定値の細かな増減だけで対策の成功や失敗を断定すべきではないという意味でも重要である。

 一方、外房の市町村別に見ると、県全体とは異なる変化が起きている。第3次防除実施計画における2024年度の推定生息数の中央値は、勝浦市が4,151頭、いすみ市が7,286頭、大多喜町が10,317頭、御宿町が591頭である。勝浦市と御宿町では以前のピークから減少し、いすみ市でも横ばいから減少傾向がみられるのに対して、大多喜町では増加傾向が続いている。県は勝浦市や御宿町などについて、捕獲技術の蓄積や捕獲数の増加によって一定の捕獲圧を確保できたと評価している。

 この地域差は、獣害対策を考えるうえで重要である。野生動物の問題を人口減少だけで説明することも、捕獲を増やせば必ず解決すると考えることも適切ではない。動物の繁殖力や移動、餌となる植物の分布、土地管理の状況、捕獲の実施体制などが複雑に関係しており、実際に一部の地域で生息数が減少しているという事実は、地域の条件に応じた管理が一定の効果を持ち得ることを示している。

獣害は農家だけの問題ではなくなっている

 獣害という言葉から、多くの人が最初に思い浮かべるのは田畑の被害だろう。イノシシによって稲や野菜を荒らされたり、キョンに農作物を食べられたりする被害は、農業経営に直接的な損失を与える。しかし、野生動物が住宅地の近くまで現れるようになると、被害の意味は変わってくる。庭木や花壇への食害、鳴き声による生活上の不快感、敷地の管理負担、動物との遭遇への不安など、農業に従事していない住民にも問題が及ぶからである。

 2025年度の千葉県全体の農作物被害額を見ると、イノシシによる被害は約1億6,983万円、キョンによる被害は約1,374万円となっている。キョンの被害額は2024年度の約622万円から増えており、農業に対する影響も無視できない。ただし、2024年度以降の統計は調査要領が変更されているため、それ以前の数値との単純比較には注意が必要である。また、被害額の増減は動物の生息数だけでなく、作付面積、農作物価格、防護設備、被害の把握方法などにも左右される。

 地域別に見ると、2025年度のイノシシによる農作物被害額は、勝浦市が約753万円、いすみ市が約1,429万円、大多喜町が約1,822万円、御宿町が約49万円である。キョンについては、勝浦市が約207万円、いすみ市が約140万円、大多喜町が約402万円、御宿町が約9万円となっている。4市町の合計では、イノシシが約4,052万円、キョンが約758万円であり、農業経済上の負担には明確な違いがあるとともに、市町村間にも大きな差が存在する。

 もっとも、こうした農作物被害額だけで住民の生活上の負担を評価することはできない。自家消費のための小さな家庭菜園や庭木への被害、住宅周辺の防護設備にかかる費用、動物の出没による不安などは、農作物被害統計に十分反映されない可能性がある。農業被害の少ない地域でも住宅地での問題が存在する場合があり、逆に農業被害が大きい地域であっても、住宅地の危険性が同じ程度に高いとは限らない。

 千葉県の第3次キョン防除実施計画によれば、キョンによる生活環境被害が確認された自治体は、2020年度の調査では4市だったものが、2025年度の調査では9市町に広がっている。そこには勝浦市、いすみ市、大多喜町、御宿町も含まれており、行政も農作物被害とは別に、鳴き声や住宅地周辺の花壇、植木への食害などを生活環境上の問題として把握している。ただし、この数字は生活環境被害を確認した自治体数であって、被害世帯数や一世帯当たりの負担が同じ割合で増えたことを意味するものではない。

高齢者にとって獣害は住宅を維持する負担になる

 例えば、高齢者が一人で暮らしている家を考えてみる。庭には長年育ててきた花や低木があり、朝には庭へ出て水をやり、少し草を抜くことが生活習慣になっている。その庭にキョンが繰り返し入り込み、植木や花を食べるようになれば、対策として防護柵を設けることが考えられる。しかし、柵は一度設置すれば終わりではなく、草が絡めば刈り取る必要があり、傾けば直し、破損すれば交換しなければならない。若いうちは自分でできた作業でも、80歳を超えて杭を打ったり、斜面の草を刈ったり、重い資材を運んだりすることは次第に難しくなる。

 すると獣害は、花が食べられたという直接的な被害だけではなく、その住宅を維持するために必要な費用や労働量を増やす問題へと変化する。地方の戸建住宅で高齢者が暮らし続けるには、屋根や外壁を修理する人、水道や電気を直す人、庭木を剪定する人など、さまざまな仕事を担う人が必要になる。野生動物が頻繁に侵入する地域では、そこに防護柵の点検や補修、敷地周辺の草刈りといった作業まで加わることになり、本人が作業できなくなれば家族や地域住民、専門業者に依頼する必要が生じる。

 ここには金銭的な問題と労働力の問題が重なっている。防護柵の資材費を補助する制度があっても、設置する人がいなければ対策は進まないし、一度設置できたとしても、数年後に補修を担う人がいなければ効果は低下する。年金生活の高齢者にとって、追加的な費用を負担し続けることも簡単ではない。獣害を生活インフラの問題として考えるとは、野生動物を捕獲することだけでなく、人が住み続けるために必要な日常的な管理作業と、それを支える人員や費用まで含めて考えることである。

「怖いから外へ出ない」という被害は統計に現れにくい

 イノシシの場合は、キョンとは異なる安全上の問題もある。イノシシは通常、人を避ける性質を持っているが、至近距離で突然遭遇したり、刺激して興奮させたりした場合には、人身事故につながる可能性がある。したがって、イノシシの存在そのものを過度に危険視する必要はないものの、住宅地や生活道路の近くで出没が繰り返されれば、住民が外出時の安全を気にするのは自然なことである。

 例えば、冬の夕方を想像すると分かりやすい。午後5時を過ぎれば、外房の住宅地でもすでに暗くなっている。80代の一人暮らしの人が、日課の散歩や近所への用事のために家から100メートルほど歩くとする。道路は舗装され、歩行に大きな支障がないように見えても、近くの空き地や竹やぶにイノシシが出ることを知っていれば、その100メートルの意味は変わってくる。実際に遭遇する確率が低かったとしても、不安を感じることで外出時間を変えたり、暗くなってからは歩かなくなったりする可能性がある。

 こうした行動の変化が積み重なれば、散歩の回数が減り、近所との交流機会が少なくなり、高齢者の生活圏が狭くなる要因になるかもしれない。高齢者の身体活動や社会参加には、道路の安全性や近隣環境に対する安心感が関係することが研究でも指摘されている。ただし、野生動物への不安が外房の高齢者の外出を実際にどの程度減らしているのかについては、十分な地域別調査があるわけではなく、ここで述べているのは科学的に考え得る影響であって、すでに定量的に証明された事実ではない。

 さらに、高齢者が外出を控える理由は野生動物だけではない。脚力の低下、道路の暗さ、歩道の不足、交通事故への不安、近隣施設の減少なども行動に影響するため、獣害の影響を調べる場合には、これらの条件を区別する必要がある。それでも、動物への不安から散歩をやめたかどうか、夕方以降の外出を控えるようになったかどうかを調査することには意味がある。農作物被害額や人身事故件数には表れない生活上の不便を把握しなければ、高齢者が安心して暮らせる環境を十分に評価できないからである。

人が減ると野生動物が増えるというより「境界」が変わっていく

 では、なぜ野生動物が住宅地の近くまで現れるようになるのだろうか。これを動物の個体数だけで説明すると、地域で起きている変化の重要な部分を見落とすことになる。人口減少と高齢化が進む地域では、田畑を耕す人が少なくなり、農地が草地へ変わることがある。山際の草刈りが行われなくなれば低木や竹が伸び、空き家の庭が荒れれば住宅地の近くにも藪が形成される。こうした環境は、野生動物にとって身を隠す場所や移動経路となる場合があり、人間の生活圏へ近づくことを容易にする要因となり得る。

 環境省や農林水産省も、人口減少や高齢化による人間活動の低下、耕作放棄地の増加、利用されなくなった里山林の存在などを、野生鳥獣の分布拡大や被害発生に関係する要因として位置づけている。かつて山と住宅地の間には、人が耕す田畑や草刈りされた斜面、農道などが存在し、日常的な人間活動が結果として野生動物の接近を抑える役割を果たしていた場合がある。人口が減って土地の利用頻度が低下すると、地図上の土地の境界は変わらなくても、実際の環境は少しずつ野生動物が利用しやすい状態へ変化していく。

 ただし、人口減少だけが野生動物の増加を決めるわけではない。キョンの場合には繁殖力や周辺地域からの移入、餌となる植物の分布、捕獲による死亡率などが関係しており、イノシシについても繁殖、食物条件、狩猟や捕獲の状況など、複数の要因を考えなければならない。同じように高齢化が進んだ地域でも、土地管理や捕獲が適切に行われていれば被害を抑えられる場合があり、逆に人口が比較的多くても、餌となるものが放置されていれば動物を引き寄せる可能性がある。

 したがって、外房の獣害を「自然が増えた」と表現するだけでは不十分であり、「人間が管理していた空間が減った」という側面からも考える必要がある。ただし、それを唯一の原因とみなすのではなく、野生動物側の生態的な条件と人間側の土地利用の変化が重なった結果として理解することが重要である。

人口が半分になっても、管理する土地は半分にならない

 この問題には、人口減少地域のインフラ維持とよく似た構造がある。人口が1万人から5千人に減ったからといって、道路の延長が半分になるわけではなく、水道管や橋、側溝なども人口に比例して短くなるわけではない。そのため、従来と同じ施設を維持しようとすれば、住民一人当たりの費用負担が増えたり、自治体が維持管理の優先順位を見直さなければならなくなったりする。同じことは、農地や山林、空き地の管理についても考えられる。

 仮に、ある地域に100人の住民がおり、その周囲に100ヘクタールの管理対象地が存在するとする。人口と土地管理の関係を単純化すれば、住民一人当たりに対応する土地面積は1ヘクタールである。人口が50人に減っても土地が50ヘクタールになるわけではないため、一人当たりの面積は2ヘクタールとなり、さらに25人まで減れば4ヘクタールになる。これは土地面積が一定という条件の下では数学的に正しい計算だが、実際の管理負担が人口の減少率に比例して増えるとまでは言えない。

 なぜなら、土地を管理するのは住民全員ではなく、農業者や土地所有者、自治会、専門事業者などであり、それぞれの管理能力も異なるからである。また、森林と農地では必要な管理作業が違い、機械化や外部委託によって少人数で管理できる場合もある。現実の管理能力を把握するには、住民の人数だけでなく、年間に必要な作業量と、地域で実際に確保できる労働量を比較する必要がある。

 例えば、地域の草刈りや見回りなどに年間2,000人・時間の作業が必要だとする。住民や事業者によって年間2,500人・時間を確保できていれば、管理需要を満たす余裕があるが、担い手の減少によって確保できる労働量が1,000人・時間まで減れば、必要な作業の半分しか実施できない。この場合、すべての土地を同じように管理し続けることは難しく、外部委託、機械化、管理区域の重点化などを考える必要が生じる。

 人口減少とは、単に消費者や納税者が減ることではなく、地域を日々管理してきた「作業する人」が減ることでもある。しかも、草刈りや農地管理、捕獲活動は一定の体力や技能を必要とするため、総人口が緩やかに減っている段階でも、実際に作業できる人の数はそれ以上の速さで減少する可能性がある。獣害は、こうした地域の管理能力の変化が生活環境に現れる現象の一つとして捉えることができる。

捕獲を増やせば解決するのか

 もちろん、野生動物の個体数や分布を管理するために捕獲は重要である。千葉県では2025年度にイノシシを34,561頭、キョンを12,116頭捕獲している。ただし、捕獲数が多いことは必ずしも生息数が増えていることを意味せず、捕獲に投入した人員やわなの数、捕獲を実施した期間、事業予算などによっても変化するため、捕獲数だけで生息状況を判断することはできない。

 キョンについては、第2次防除実施計画で年間8,500頭以上という捕獲目標が設定され、2021年度以降は目標を達成していたものの、県全体の推定生息数は減少に転じなかった。このため、2026年度から2030年度までを対象とする第3次防除実施計画では、年間18,000頭以上という捕獲目標が設定されている。2025年度の実績はこの新たな年間目標を下回っているが、目標達成の可否だけでなく、捕獲後の推定生息数や分布、地域別の被害状況がどのように変わるかを継続的に確認することが必要である。

 捕獲には、人手と専門的な技能が必要になる。わなを設置し、点検し、捕獲した個体を適切に処理し、安全管理を行い、必要な法的手続きを進めなければならない。捕獲数を増やそうとすれば、わなの設置数だけでなく、点検や処理に必要な労働時間も増える可能性があり、捕獲を続けるための体制を確保することが欠かせない。

 千葉県の第3次キョン防除実施計画では、県内の狩猟免許所持者数がピーク時の約3分の1となり、そのうち60歳以上の割合が50%を超えていることが課題として指摘されている。ただし、狩猟免許所持者全員が有害鳥獣捕獲に従事しているわけではなく、実際の捕獲能力は従事者数や活動日数、捕獲技術などによって変わる。それでも、担い手の高齢化が進んでいる以上、将来の捕獲体制を地域の経験者の善意や無償に近い協力だけに依存することには限界がある。

 獣害が深刻な地域ほど捕獲を必要とする一方、人口減少によって捕獲を担う人材の確保が難しくなる可能性がある。ここに人口減少地域特有の矛盾があり、対策を長期的に続けるためには、「何頭捕るか」という目標とともに、「誰が10年後も捕るのか」「その費用を誰が負担するのか」という問いを同時に考えなければならない。

自動車があっても獣害からは逃れられない

 外房では、自動車を使えば野生動物との遭遇をある程度避けられるようにも思える。徒歩で暗い道を歩かなければイノシシに出会う機会は減るかもしれないし、買い物や通院も車で移動すればよい。しかし、車社会には車社会なりの獣害があり、道路を横断する動物との衝突や、それを避けようとする急ブレーキ、急ハンドルが交通事故につながる可能性がある。

 特に外房には、街路灯が少なく、山林や田畑の間を通る道路が少なくない。道路脇の草木が伸びて見通しが悪くなれば、動物の発見が遅れる可能性もある。運転者が高齢になるにつれて夜間の視認性や反応能力に個人差が生じることも考慮すれば、野生動物の道路への出没は、高齢者が自動車に依存して暮らす地域にとって交通安全上の検討課題となる。

 ただし、外房において野生動物が関係する交通事故がどの程度発生しているのか、また高齢運転者の事故に占める割合がどれほどなのかについては、地域別の事故データを確認しなければ結論は出せない。動物が道路脇に多く見られることと、衝突事故が多発していることは同じではなく、危険箇所を把握するには、事故記録や道路管理者への通報、出没情報、交通量などを組み合わせた分析が必要である。

 国土交通省も2026年、野生動物との衝突が集中する区間などの情報を活用し、標識や路面表示、道路情報板などによる注意喚起を進める方針を示している。こうした考え方は外房にも応用できるが、道路脇の草刈りや照明の設置がどの場所でも同じ効果を持つわけではない。動物の移動経路や道路構造によっては、侵入防止設備や注意喚起の組み合わせが必要になる場合もあるため、道路管理と獣害対策を連携させ、対策前後の変化を検証することが重要になる。

高齢者が暮らせる町とは、野生動物を一律に排除する町ではない

 ここまで考えると、イノシシやキョンのいる地域では高齢者が安心して暮らせないようにも見える。しかし、そう結論づけるのは適切ではない。外房の魅力の一つは、海があり、里山や田畑があり、住宅の周囲にも緑が残る自然環境にある。野生動物が存在すること自体を否定するのではなく、それぞれの動物の生態や法制度、被害の程度に応じて適切な管理を考える必要がある。

 ここで区別しなければならないのが、イノシシとキョンの制度上の位置づけである。イノシシは在来の野生動物であり、鳥獣保護管理法などに基づいて、被害の軽減や適切な個体数・分布管理が進められている。一方、キョンは特定外来生物に指定されており、千葉県の防除実施計画では、県内の野外から完全に排除することが最終的な目標とされている。したがって、すべての野生動物について同じように共存を目指すという考え方は、現行の制度や生態系保全の方針と一致しない。

 キョンの場合には、農作物や生活環境への被害だけでなく、在来の植物や生態系への影響も懸念されているため、分布拡大を防ぎ、生息数を減らして最終的な根絶を目指すことが基本となる。イノシシについては、人身事故や農作物被害を防ぎながら、人間の生活圏への侵入を抑える管理が中心となる。この違いを踏まえたうえで、住宅地や生活道路、農地など、人間の生活に関係する場所をどのように守るかを考えなければならない。

 つまり、重要なのは野生動物を一律に危険な存在として扱うことでも、自然との共存という言葉だけで被害を受け入れることでもない。動物種ごとの管理目標を明確にし、住民の安全と生活環境を確保できる仕組みを整えることが必要なのである。

「動物が増えた町」の裏側にあるもの

 人口減少について語るとき、私たちは学校がなくなる、スーパーがなくなる、病院が遠くなるといった「施設が減る問題」を考えがちである。しかし地方の暮らしを支えているのは、目に見える施設だけではない。田畑を耕す人がいること、道路脇の草を刈る人がいること、山際を見回る人がいること、空き家の庭を管理する人がいること、野生動物の捕獲に携わる人がいることも、地域の生活環境を維持する重要な条件である。

 ところが人口が減少し、高齢化が進むと、そうした作業を担う人も少なくなる。田畑の一部が使われなくなり、管理されない草地や藪が増え、かつて人が頻繁に出入りしていた場所が野生動物の移動経路や休息場所として利用される可能性が高まる。それを見て私たちは「イノシシが増えた」「キョンが増えた」と表現するが、現象を人間の側から見ると、地域を管理するための活動量が低下したことも関係している。

 ただし、こうした変化を人口減少の必然的な結果として諦める必要はない。土地の管理方法を工夫したり、複数の世帯が共同で防護設備を整えたり、捕獲体制を広域的に構築したりすることで、限られた人員でも一定の管理水準を維持できる可能性がある。むしろ、人口が減ること自体を短期間で変えるのが難しいのであれば、少ない人員でどのように生活環境を維持するかという制度設計の方が、地域政策としては現実的な検討課題になる。

では、外房の獣害をどう解決すればよいのか

 これまでの議論を踏まえると、解決策を「捕獲数を増やす」という一点だけに求めるのは十分ではない。捕獲による個体数管理は必要だが、それだけで住宅地への侵入がなくなるとは限らず、動物を引き寄せる餌や身を隠す場所が残っていれば、周辺から別の個体が入り込む可能性もある。農林水産省や千葉県が進めている鳥獣対策でも、捕獲、防護、生息環境管理を組み合わせる考え方が重視されており、地域の被害を減らすには、これらを一体的に進める必要がある。

 まず考えられるのは、地域全体を一様に守ろうとするのではなく、人間の生活に直接関係する場所を重点的に管理することである。人口が減少していく地域で、すべての山林や農地、空き地をかつてと同じ密度で管理し続けることは現実的ではないため、住宅地、通学路、医療施設周辺、ごみ集積所、主要道路などを重点管理区域として位置づけ、その周囲の草刈り、藪の除去、侵入防止設備の整備、必要に応じた捕獲を集中的に実施する方法が考えられる。

 ただし、重点管理区域を設定する場合には、単に人口の多い場所だけを優先すればよいわけではない。高齢者が少数で暮らす集落であっても、代替の移動手段が乏しい地域や、通院・買い物の経路が限られている地域では、安全を確保する必要性が高い場合がある。また、生活圏の外側を一律に自然へ戻すことにも注意が必要であり、管理を放棄することで特定外来生物が拡大したり、在来の植生に影響を与えたりする場合もある。管理の重点化とは、守る場所を単純に切り捨てることではなく、被害の大きさ、住民の脆弱性、土地の生態的条件、必要な費用などを比較して、限られた資源を合理的に配分することである。

 次に必要なのは、個人宅の問題を個人だけに負わせない仕組みである。高齢者世帯が自費で防護柵を設置し、その後何年も自分で維持するという方法には限界があり、とりわけ高齢単身世帯では、対策方法を理解していても作業を実施できない場合が考えられる。行政が資材費だけを補助する仕組みでは、資材を運び、設置し、点検し、修理するという労働力の問題までは解決しない。

 そこで、複数の住宅をまとめた防護設備の整備や、草刈りと柵の補修を地域単位で請け負う仕組み、高齢者が利用しやすい作業支援サービスなどを検討する余地がある。ただし、現在の鳥獣被害対策に関する国の交付金制度は農林水産業への被害防止を中心としており、一般住宅の庭や防護柵の維持管理を広く公費で賄う制度が整っているわけではない。住宅地への支援を拡大する場合には、自治体独自の制度設計や既存の福祉・住宅施策との連携を検討し、対象となる世帯、所得条件、費用負担、作業の実施主体などを明確にする必要がある。

 さらに、捕獲を地域の善意だけに依存しない体制も重要になる。自治体が捕獲業務を継続的な専門業務として位置づけ、適切な報酬、装備、研修、安全管理、捕獲個体の処理体制を整えることや、複数の市町村が共同で専門人材を確保することなどが考えられる。ただし、捕獲業務には関係法令に基づく許可や資格、安全上の制約があり、住宅地での捕獲には一般の山林や農地とは異なる注意も必要となる。専門化を進める場合にも、法制度と安全確保を前提とした実施体制が欠かせない。

 外房では、一つの市町村だけで対策しても、野生動物は行政境界を越えて移動する。市町村境は人間が決めた線であって、イノシシやキョンの行動範囲とは一致しないため、隣接自治体が捕獲や生息情報を共有し、広域的な管理を進めることには合理性がある。ただし、動物の移動経路や個体群のつながりを正確に把握するには調査が必要であり、捕獲数の分布だけから移動方向を断定することはできない。県と市町村が調査結果を共有し、地域ごとの生息状況に応じて役割を分担することが望ましい。

技術の導入は必要だが、人手が不要になるわけではない

 獣害対策には、センサーや自動撮影カメラ、遠隔監視装置などを利用する余地もある。野生動物がどの場所に、どの時間帯に現れるのかを把握できれば、捕獲場所の選定や重点的な環境管理に役立つ可能性があり、人が広い山林を繰り返し見回る場合と比べて、調査の効率を高められることも考えられる。

 しかし、技術を導入すれば人手が不要になるわけではない。カメラの設置や保守、機器の故障への対応、撮影データの確認、捕獲後の処理などには引き続き人が必要であり、通信環境が整っていない地域では運用上の制約も生じる。また、住宅地の近くにカメラを設置する場合には、住民のプライバシーや画像データの管理にも注意しなければならない。

 技術導入の効果を判断する際には、機器の購入費だけでなく、維持費や通信費、作業時間の削減量、捕獲効率の変化まで比較することが重要である。高価な機器を導入しても、保守を担う人がいなければ数年後に使われなくなる可能性があり、人口減少地域では特に、導入後も継続して運用できる仕組みを重視する必要がある。技術は人間の仕事をすべて代替するものではなく、限られた人員を効果的に配置するための手段として考えるべきだろう。

対策の成果は「何頭捕ったか」だけでは測れない

 獣害対策を長期的に進めるのであれば、成果を測定する方法も見直す必要がある。捕獲数が増えたことは行政活動の実績として重要だが、それだけでは地域住民の生活環境が改善したかどうかは分からない。実際、キョンについては過去の捕獲目標を達成しても県全体の推定生息数が減少しなかった経緯があり、捕獲数と政策成果を区別する必要性が示されている。

 評価に当たっては、推定生息数や分布域の変化、農作物被害額、住宅地への出没件数、生活環境被害の申告件数、捕獲に必要な作業量、防護設備の維持費などを組み合わせて見ることが考えられる。さらに、高齢者の暮らしを政策目標に含めるのであれば、野生動物への不安から外出を控えた経験があるか、庭や敷地の管理に困っているか、対策費用をどの程度負担しているかといった住民調査も有効だろう。

 ただし、出没の通報件数が増えたとしても、必ずしも動物の数が増えたとは限らない。住民の関心が高まり、通報方法が分かりやすくなれば、実際の出没状況が変わらなくても報告数は増える可能性がある。同じように、被害額が減った場合でも、防護設備の効果なのか、作付面積が減ったためなのかを区別しなければならない。

 そのため、対策の効果を確かめるには、できるだけ同じ方法でデータを継続的に集め、対策を行った地域と条件の近い地域を比較することが望ましい。捕獲数、捕獲に投入したわなの数や設置日数、被害発生地点、住民の生活上の不便などを関連づけて分析することで、限られた予算をどの対策へ配分すべきかについて、より客観的な判断が可能になる。

解決の鍵は「動物側の圧力を下げること」と「人間側の管理能力を維持すること」

 以上を整理すると、外房の獣害対策には二つの方向が必要になる。一つは、捕獲や侵入防止によって野生動物が農地や住宅地に与える影響を減らすことであり、もう一つは、草刈り、土地管理、道路管理、住宅支援などを通じて、人間側の生活環境を維持する能力を確保することである。前者だけを進めても捕獲体制が維持できなければ対策は継続せず、後者だけを進めても動物の個体数や分布が適切に管理されなければ被害を抑えきれない場合がある。

 ただし、この二つの方向を組み合わせる際には、イノシシとキョンの管理目標を区別しなければならない。イノシシについては被害防止と適切な個体数・分布管理を進める一方、キョンについては、特定外来生物として分布拡大を防止し、最終的な根絶を目指す必要がある。そのうえで、いずれの動物についても、住民が現在受けている生活上の負担を減らすための対策を同時に進めることが求められる。

 人口減少を前提にするなら、昔と同じ土地管理の状態へそのまま戻すことを目標にするのも現実的ではないだろう。農家が多く、田畑が広く耕され、山際まで人が頻繁に入っていた時代の管理方法を、少ない人口で再現することは難しい。必要なのは、現在の人口構成や財政条件の下で維持できる土地管理の仕組みを設計し、住宅地や生活道路など重要な場所に必要な管理能力を確保することである。

 その際には、自然環境の保全と生活環境の安全を対立するものとして考える必要はない。管理すべき草地や農地を適切に維持しながら、在来の生態系を保全し、特定外来生物の拡大を防ぐという複数の目的を組み合わせることが重要である。野生動物の管理は、動物を減らすことだけでなく、人間がどのように土地を利用し、維持していくかという長期的な地域政策でもある。

獣害対策を生活インフラとして考える意味

 ここでいう「生活インフラとしての獣害対策」とは、鳥獣対策が道路や水道と同じ法的な区分に属するという意味ではない。住民が安全に移動し、住宅を維持し、日常生活を続けるために必要な条件の一つとして、獣害対策を位置づけようという政策上の考え方である。

 例えば、水道管が老朽化すれば修理が必要になり、道路の側溝が詰まれば清掃しなければならない。同じように、住宅地の周囲に動物が身を隠せる藪が増えれば草刈りや環境管理が必要になり、防護設備が破損すれば補修しなければならない。こうした作業は一度実施すれば永久に効果が続くものではなく、点検と維持管理を繰り返す必要があるという点で、生活を支える設備や公共空間の維持管理と共通する性質を持っている。

 さらに、高齢者にとっては、必要な対策が存在することだけでなく、その対策を実際に利用できることが重要になる。補助制度があっても申請手続きが難しければ利用できず、防護柵の資材が支給されても設置できなければ効果は得られない。地域の担い手が少なくなる中では、行政が制度を整えるだけでなく、現場で作業を実施できる体制まで考えなければ、支援が必要な世帯ほど対策から取り残される可能性がある。

 もっとも、すべての個人宅の獣害対策を行政が負担することも現実的ではない。住民の安全に直結する場所、農業経営への被害が大きい場所、特定外来生物の分布拡大を防ぐうえで重要な場所などについて、公共性と費用対効果を比較しながら支援の優先順位を検討する必要がある。そのためには、農林行政だけでなく、福祉、住宅、交通、道路管理、空き家対策などの担当部門が情報を共有し、地域の実情に合わせた役割分担を進めることが求められる。

30年後にも「普通に外へ出られる町」であるために

 水道が出ること、電気が使えること、道路があること、車でスーパーまで行けることは、地方で暮らすための基本的な条件である。しかし、それだけで高齢者が安心して暮らせるとは限らない。家の周囲を普通に歩けること、庭の管理が過度な負担にならないこと、夜の道路をある程度安心して走れること、野生動物が住宅地まで入り込んだときに相談や対応を依頼できる人がいることも、日常生活を維持するうえで無視できない条件だからである。

 外房の30年後を考えるとき、問うべきなのは「イノシシやキョンを何頭減らせるか」だけではない。人口が減少し、高齢者が増え、農地や山林を管理する人が少なくなっていく中で、人間と野生動物の生活圏が重なる場所を誰が、どの範囲まで、どのような費用と仕組みで管理するのかという問題である。野生動物の生息数を推定することは重要だが、それと同じように、地域が管理に投入できる労働力や財源を把握し、将来も維持できる対策を設計する必要がある。

 その答えは、すべての野生動物を排除することでも、昔の里山へそのまま戻すことでもないだろう。在来の野生動物については適切な管理を進め、キョンのような特定外来生物については法制度に基づいて防除を強化しながら、住宅地や生活道路など守るべき場所を明確にする。そして、捕獲、土地管理、高齢者支援、交通安全を個別の課題として切り離すのではなく、限られた人員と財源で暮らしを維持するための一体的な政策として考えていく必要がある。

 獣害を生活インフラとして考えるということは、野生動物の問題を「山の問題」から「町の暮らしの問題」へ広げることである。そこで重要なのは、動物が何頭いるかという数字だけでなく、地域に暮らす人がどのような負担を受け、その負担を減らすためにどれだけの管理能力が必要なのかを具体的に把握することである。

 高齢者が30年後にも玄関を開けて庭へ出て、近所を歩き、日々の用事を済ませ、安心して自宅へ戻れる地域を残せるかどうか。それは野生動物の数だけで決まる問題ではなく、人口減少が進む中でも、暮らしを支える土地と環境を管理し続ける仕組みを地域社会が維持できるかどうかにかかっている。道路や水道を維持することと同じように、人が安心して暮らせる空間を維持することも、これからの外房が考えなければならない重要な生活基盤の一つなのである。

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 停電という言葉から、多くの人が最初に思い浮かべるのは「照明がつかなくなること」かもしれません。しかし、現在の住宅で電気が担っている役割は照明だけではありません。冷蔵庫、エアコン、給湯器、調理器具、電話、インターネット、給水ポンプ、医療機器など、生活を支えるさまざまな設備が電気に依存しています。電力が失われるということは、単に家の中が暗くなるのではなく、日常生活を成り立たせている複数の機能が同時に停止する可能性を意味しています。

 とりわけ外房では、高齢化の進行が重要な問題になります。千葉県が2026年7月に公表した同年4月1日現在の人口統計によると、65歳以上の人口割合は御宿町で54.4%、勝浦市で48.1%に達しています。いすみ市、勝浦市、御宿町、大多喜町からなる夷隅地域全体でも46.0%であり、千葉県全体の27.6%を大きく上回ります。夷隅地域は県内11地域の中で高齢者の人口割合が最も高く、停電時の生活継続を考えるうえでも、高齢者の身体的な条件や生活環境を無視することはできません。

 もっとも、高齢化率が高いことだけで、停電による被害が大きくなると断定することはできません。実際の影響は、健康状態、同居家族の有無、住宅設備、自動車の利用可能性、近隣住民との関係、行政の支援体制などによって変わります。ただし、住宅が分散し、日常生活の移動を自動車に頼る地域では、停電によって生活機能が失われた際に、代わりのサービスへアクセスすることが難しくなる場合があります。

 2019年9月の令和元年房総半島台風では、千葉県内で最大64万1,000軒の停電が発生し、断水も合計13万3,474戸に及びました。資源エネルギー庁の検証によると、停電件数がピーク時から99%解消するまでに約280時間、日数に換算すると約11.7日を要しています。これはすべての住宅が11日以上停電したという意味ではありませんが、広域災害では電力の復旧に相当な時間がかかる可能性があることを示しています。

 この災害で重要だったのは、電力の停止が単独で発生したわけではないことです。停電に加えて、断水、通信障害、道路の通行障害などが重なり、行政による安否確認や福祉施設への支援にも支障が生じました。外房で考えるべきなのは、「電気が24時間来なかったらどうするか」という問題だけではありません。電気を入口として、水、食料、通信、医療、移動という生活機能がどこまで失われ、その状態が何時間続けば生活の維持が難しくなるのかという問題です。

停電直後は、まだ「少し不便」なだけに見える

 停電して最初の数十分は、多くの住宅で深刻な状況には見えないかもしれません。昼間なら窓から光が入り、水道も使える場合があります。スマートフォンには電池が残り、冷蔵庫も扉を閉めていれば庫内温度が直ちに大きく上昇するわけではありません。こうした状況では、電気が止まったことを不便に感じながらも、「そのうち復旧するだろう」と判断する人がいても不思議ではありません。

 しかし、停電の危険性は、現在どれだけ困っているかだけでは判断できません。比較的短時間で復旧する停電と、電柱や電線、倒木などに広範囲の被害が生じた停電では、その後の展開が大きく異なります。令和元年房総半島台風では、倒木や飛来物による電力設備の損傷が各地で発生し、被害地点が多かったことから、復旧作業だけでなく、被害の全体像を把握することにも時間が必要になりました。

 つまり、停電直後に住民が直面する問題の一つは、復旧までの時間を正確に予測できないことです。数時間で復旧すると考えて生活を続けた結果、停電が翌日まで長引けば、食品の管理、飲料水の確保、家族への連絡、体調管理などの準備が遅れる可能性があります。特に、電力の供給が途絶えると直ちに困る設備がある住宅では、復旧見込みが分からないこと自体を重要な危険要因として考える必要があります。

数時間の停電で、住宅の暑さと寒さが問題になる

 停電が数時間続いた場合、季節によっては住宅内の温度が大きな問題になります。夏はエアコンや扇風機が使えなくなり、冬はエアコン暖房や電気を必要とする暖房器具が停止します。高齢者は、加齢に伴って暑さに対する感覚や体温調節機能が低下する場合があり、室内で過ごしていても熱中症を発症する危険があります。特に夏の高温多湿な環境では、停電から24時間を待たずに健康上の問題が生じる可能性があります。

 ただし、停電から何時間で住宅内が危険な温度になるかを、一律に決めることはできません。室温の変化は、外気温、日射、断熱性能、建物の熱容量、換気状況などに左右されます。同じ地域に建つ住宅でも、日射を受けやすい住宅と断熱性能の高い住宅では、冷房停止後の室温上昇が異なります。また、同じ室温でも、住んでいる人の健康状態や水分摂取の状況によって身体への影響は変わります。

 冬にも別の問題があります。エアコン暖房は停電とともに停止し、石油ファンヒーターのように灯油を燃料としていても、送風や燃焼制御に電気を使用する機器は運転できなくなります。ガス給湯器も、制御や点火に家庭用電源を必要とする機種では、ガスの供給が続いていてもお湯を使えなくなる場合があります。つまり、住宅がオール電化でなくても、暖房や給湯の機能が停電によって失われることは十分に考えられます。

 この問題は、現代住宅におけるエネルギー依存の特徴を示しています。ガスや灯油といった燃料が残っていても、それを利用する設備の制御に電気が必要であれば、電力の停止によって機器全体が使えなくなります。住宅の停電対策では、使用している燃料の種類だけでなく、実際に機器を動かすために何が必要なのかを確認することが重要です。

水道管が壊れていなくても、水が出なくなる

 停電時に見落とされやすい問題の一つが給水設備です。水道管自体に損傷がなく、地域の配水管に水が供給されていても、住宅や建物の設備が電気に依存している場合には、水が使えなくなることがあります。例えば、集合住宅などで利用される貯水槽のポンプや増圧給水ポンプは、停電によって停止する場合があります。

 千葉県企業局も2026年9月に公表した案内で、水道本管が断水していなくても、建物のポンプが停止すれば各戸への給水ができなくなる場合があると説明しています。ただし、直結給水栓や非常用給水栓が設置されていれば、それらを利用できることもあります。実際に水が使えるかどうかは給水方式によって異なるため、建物の管理者や管轄する水道事業者への確認が必要です。

 外房では、井戸を利用する住宅についても考える必要があります。井戸は水道本管が断水した場合にも利用できる可能性がありますが、電動ポンプで地下水を汲み上げている住宅では、停電と同時に取水できなくなることがあります。井戸があることと、停電時にも水を使えることは同じではありません。

 水が止まった場合、その影響は飲料水だけにとどまりません。手洗いや食器洗いが難しくなり、トイレの使用にも制約が生じます。入浴や身体を清潔に保つことが難しくなる場合もあり、介護を必要とする人が暮らす住宅では、排せつ介助や衛生管理にも影響する可能性があります。ただし、トイレについては便器の種類や排水設備の状態によって利用方法が異なり、断水中でも一定の条件で水を流せる場合がある一方、排水設備に問題があると使用を控える必要があります。

 停電への備えとして重要なのは、水道が使えるかどうかを一つの問題として捉えるのではなく、飲み水、生活用水、トイレ、身体の清潔を保つ手段を分けて考えることです。特に高齢者住宅では、水を備蓄していても、重い容器を持ち上げたり、離れた場所から運んだりすることが難しい場合があります。水の量だけでなく、必要な場所で実際に使用できる状態にしておくことが求められます。

冷蔵庫の食品安全は、停電から数時間で問題になる

 停電による食品への影響は、半日や24時間が経過してから初めて問題になるわけではありません。農林水産省は、停電時に扉を開けない場合、冷蔵庫が低温を保持できる時間は約4時間、冷凍庫では約1~2日間が目安になると説明しています。ただし、これらは一般的な目安であり、外気温、庫内の食品量、冷蔵庫の性能、停電前の温度などによって実際の状態は変化します。

 ここで注意したいのは、約4時間という数字が、すべての食品を一律に廃棄する基準ではないことです。食品の安全性は、保存中の温度、温度が上昇していた時間、食品の種類などによって異なります。一方で、肉、魚、乳製品、総菜などの傷みやすい食品については、適切な低温状態が保たれなかった場合に食中毒の危険が高まるため、慎重な判断が必要になります。

 また、停電が復旧して冷蔵庫が再び冷え始めると、停電中に食品の温度がどの程度上昇したのか、外見だけでは分からなくなる場合があります。食品が再び冷たくなっていることと、停電中も安全な状態で保存されていたことは同じではありません。千葉県も停電時の食中毒への注意を呼びかけており、保存温度を適切に維持できなかった食品については、見た目やにおいだけで安全だと判断しないことが重要です。

 高齢者世帯では、毎日買い物に出かけるのではなく、数日分の食料を冷蔵庫や冷凍庫に保管している場合があります。しかし、停電が長引けば、食品が家に残っていても安全に食べられるとは限りません。特に、買い物に出かけることが難しい世帯では、冷蔵食品を利用できなくなった後に代わりの食料を確保できるかどうかが問題になります。

 したがって、停電への備えでは、冷蔵庫や冷凍庫にどれだけ食料が入っているかだけでなく、電気や水を使わずに食べられる食品を別に確保しているかが重要です。缶詰、保存可能なパン、そのまま食べられる食品などを、日常的に消費しながら補充していく方法であれば、特別な防災用品だけに依存せずに備蓄を続けることができます。

スマートフォンが使えなくなる理由は、電池切れだけではない

 現在の災害対策では、スマートフォンが重要な情報収集手段になっています。停電の復旧情報、自治体からの防災情報、気象情報、家族との連絡など、多くの機能が一台の端末に集約されています。ところが、停電が長引くと、スマートフォンそのものの電池残量と、通信網が利用できるかどうかという二つの問題が生じます。

 端末の電池がどの程度持続するかは、使用頻度、画面の明るさ、通信状況、電池の劣化状態、機種などによって異なります。そのため、停電から12時間が経過すると使えなくなるといった、一律の時間設定は適切ではありません。事前に十分な充電が行われ、使用頻度を抑えていれば長時間利用できる場合がある一方、停電発生時点ですでに電池残量が少なければ、短時間で連絡手段を失う可能性もあります。

 さらに重要なのは、スマートフォンの電池が残っていても、通信基地局の非常用電源が尽きたり、通信回線が損傷したりすれば、通話やデータ通信が難しくなることです。家庭のインターネット回線も、回線自体が使用可能であっても、住宅内の通信機器に電源が供給されなければ利用できない場合があります。光回線を利用した固定電話についても、停電によって機器が停止すれば通話できなくなる場合があり、固定電話があるというだけで安心できるわけではありません。

 令和元年房総半島台風では、停電と通信障害が重なり、社会福祉施設との連絡が途絶えたため、安否確認や必要な支援内容の把握に数日を要した事例がありました。これは、災害時に問題となるのが個々の通信機器だけではなく、地域全体で情報をやり取りする仕組みであることを示しています。

 高齢者が一人で暮らしている場合、通信手段の喪失は家族との連絡が取れなくなるだけでなく、行政からの情報を得たり、救援を求めたりすることが難しくなる問題につながります。そのため、スマートフォンの予備電源を確保することに加え、乾電池式のラジオや近隣住民との連絡方法など、通信網が利用できない場合の代替手段も考えておく必要があります。

在宅医療を受ける人には、停電直後から危険が生じる場合がある

 高齢者住宅の停電を考えるとき、特に慎重な対応が必要なのが在宅医療です。家庭で人工呼吸器、酸素濃縮装置、吸引器などの電気を必要とする医療機器を使用している人にとって、停電は日常生活の不便ではなく、生命や健康を維持するための機能に直接影響する場合があります。

 重要なのは、在宅医療機器については、停電が12時間や24時間続くのを待ってから対策を始めるのでは遅い場合があることです。機器の種類や電源構成によっては、停電直後から外部電源が必要になることもあります。内蔵バッテリーを備えた機器であっても、その持続時間は機種や使用条件によって異なり、バッテリーがあるという理由だけで長時間の停電に対応できるとは限りません。

 厚生労働省などは、過去の大規模停電を踏まえ、人工呼吸器の予備電源、酸素濃縮装置利用者の酸素ボンベ、停電時の連絡体制、緊急時の受診先などを事前に確認することの重要性を示しています。実際に必要な対策は、使用する医療機器、患者の状態、家族による介助の状況などによって異なるため、主治医や訪問看護師、医療機器の供給事業者などとあらかじめ対応方法を決めておく必要があります。

 また、医療機器に使用する予備電源は、容量が大きければ何でもよいというものではありません。医療機器との電気的な適合性、安全性、接続方法などを確認する必要があり、一般家庭用の蓄電池を自己判断で接続することには注意が必要です。停電時の対応を確認するために、実際に医療機器の電源を切って試すことも避けなければなりません。

 こうした家庭では、停電による危険を単純に時間で分類することは適切ではありません。一般的な住宅では数時間の停電が不便にとどまる場合でも、医療機器に依存する人には直ちに支援が必要になる可能性があります。同じ24時間の停電であっても、そこに暮らす人の健康状態によって意味が大きく変わるのです。

24時間後に現れるのは、停電そのものより生活機能の限界である

 停電が丸一日続いたとき、住宅の状況は一様ではありません。十分な飲料水や常温保存食品があり、予備電源を確保し、冷暖房の代替手段が用意されている住宅では、一定の生活機能を維持できる可能性があります。一方、電動ポンプに依存する住宅では停電直後から水が使えず、医療機器を使用している家庭では、予備電源の持続時間が生活を継続できるかどうかを左右する場合があります。

 この違いを理解するためには、住宅を一つの建物としてではなく、生活に必要な複数の機能が組み合わされた仕組みとして考えることが有効です。電力、給水、食品、室温、通信、医療などのうち、生活に不可欠で代替手段のない機能が一つでも失われれば、それまでと同じ生活を維持することが難しくなります。つまり、住宅全体がどれだけ自立して生活を継続できるかは、必ずしも最も備えが充実している設備によって決まるのではなく、最も早く限界に達する重要な機能によって制約される場合があります。

 例えば、飲料水と食品を十分に備蓄していても、真夏に冷房を失った住宅の室温が危険な状態になれば、その場所にとどまることが適切とは限りません。逆に、室温が比較的安定していても、電動井戸ポンプが停止し、生活用水を確保できなければ、トイレや衛生管理に問題が生じます。こうした条件の違いによって、同じ24時間でも住宅ごとの影響は大きく変わります。

 ここで注意したいのは、24時間という時間自体に、すべての住宅に共通する科学的な危険の境界があるわけではないことです。停電後の影響を時間経過に沿って考えることには意味がありますが、個々の設備が停止する時点や健康上の危険が生じる時点は、それぞれの条件によって異なります。したがって、24時間の停電を想定する目的は、24時間後に必ず何かが起きると予測することではなく、その間に住宅のどの機能が失われ、どの程度まで生活を継続できるかを具体的に確認することにあります。

外房では住宅だけでなく、移動手段も問題になる

 停電の影響は住宅内だけで完結するとは限りません。特に、日常生活の移動を自動車に頼る地域では、住宅内の生活機能が失われた際に、別の場所で必要な物資やサービスを確保できるかどうかが重要になります。近くに徒歩で行ける店舗がない場合や、自分で運転することが難しい場合には、水や食料を確保すること自体が負担になる可能性があります。

 台風による停電では、倒木や道路の損傷が同時に発生することもあります。道路が通行できなければ、家族や支援者が車で訪問することも難しくなり、住民が自力で安全な場所へ移動することにも制約が生じます。また、給油所が停電していれば、設備や非常用電源の状況によっては燃料を補給できない場合があります。自動車を所有していることと、災害時にも自由に移動できることは同じではありません。

 ただし、外房のすべての住宅が都市部より危険であると断定することはできません。住宅の立地、道路へのアクセス、近隣の商業施設、医療機関までの距離、地域の支援体制などによって条件は異なります。都市部であっても、高層住宅のエレベーター停止や給水ポンプ停止など、停電に特有の問題が存在します。

 それでも、外房で高齢者の生活を考える場合には、住宅の設備だけでなく、そこから徒歩や自動車でどこまで移動できるか、移動できない場合には誰が支援できるかという観点が欠かせません。地域の高齢化率が高いという統計的事実に加え、独居高齢者の割合、住宅の分布、医療機関までの移動時間、自動車の利用状況などを重ねて検証すれば、停電時に支援が届きにくくなる可能性のある地域を、より具体的に把握できると考えられます。

「24時間自立できる住宅」という新しい評価軸

 住宅の価値を考えるとき、これまでは価格、広さ、日当たり、交通の利便性、買い物施設や医療機関までの距離などが重視されてきました。しかし、高齢化が進み、台風などによる長期停電も想定する必要がある地域では、これらに加えて、外部からの供給が停止しても一定時間生活を継続できるかという視点が重要になります。

 ここでいう住宅の自立性とは、電力会社や水道事業者などからの供給が停止した場合にも、生活に不可欠な機能をどの程度維持できるかということです。飲料水があるか、電気や水を使わずに食べられる食品があるか、夜間の照明を確保できるか、通信手段が使えなくなった場合に別の連絡方法があるか、冷暖房が停止した場合に安全な場所へ移動できるかといった条件によって、自立性の程度は変わります。

 ただし、「24時間自立できる住宅」という考え方は、防災対策として24時間分の備蓄があれば十分だという意味ではありません。政府は災害への備えとして、食品を最低3日分、できれば1週間分確保することを推奨しており、飲料水についても一人1日約3リットルを目安としています。仮に一人暮らしであれば、飲料水は3日分で約9リットル、7日分では約21リットルが目安になります。これとは別に、トイレや洗浄などに使用する生活用水も考える必要があります。

 したがって、24時間という時間は備蓄の最終目標ではなく、住宅が停電した最初の一日をどのように乗り切れるかを確認するための初期的な評価期間と位置付けるのが適切です。そのうえで、停電が3日間、さらに1週間へと長期化した場合にも対応できるかを検討する必要があります。

 重要なのは、防災用品を大量に購入することではありません。まず、自分の住宅で電気が止まった場合に何が使えなくなるのかを、設備ごとに調べることです。水道は停電時にも使用できるのか、井戸のポンプはどうなるのか、給湯器は使用できるのか、固定電話は通話できる方式なのか、スマートフォンの予備電源はあるのか、冷暖房を使えない場合にはどこへ移動できるのかといった点を確認するだけでも、住宅ごとの弱点が具体的になります。

 特に高齢者が暮らす住宅では、備蓄品が存在することと、それを本人が実際に使えることを区別する必要があります。水があっても持ち運べなければ利用が難しく、非常食があっても開封や調理が困難であれば十分な備えにはなりません。防災対策は、物資の数量だけでなく、その住宅で暮らす人の身体能力や生活習慣に合わせて評価する必要があります。

停電時の危険は、電気が復旧した後にも残る

 停電への備えを考える場合には、停電中の不便や健康への影響だけでなく、代替電源の使い方や復電時の事故にも注意する必要があります。特に携帯発電機は、燃料を使用して発電するため、運転中に排出される一酸化炭素による中毒の危険があります。資源エネルギー庁も、発電機を屋内で絶対に使用しないよう注意を呼びかけており、屋外で使用する場合でも排気が室内に流入しない場所に設置することが必要です。

 また、停電が復旧した際には、損傷した電気機器や電熱器具などが原因となって火災が発生する可能性があります。特に台風などで住宅や電気設備が損傷した場合には、通電前に安全を確認することが重要です。避難のために住宅を離れる際にも、状況に応じてブレーカーを切るなど、復電時の事故を防ぐための対応が求められます。

 停電は電力が供給されなくなることだけが危険なのではありません。失われた機能を補おうとして不適切な設備を使用したり、復旧後に損傷した機器をそのまま使ったりすることによって、新たな事故が発生する可能性があります。住宅の自立性を高めることは、単に予備電源を増やすことではなく、安全に利用できる代替手段を確保することでもあります。

高齢社会では、家庭だけの備えに限界がある

 ここまで住宅単位で停電の影響を考えてきましたが、高齢化が進む地域では、各家庭の努力だけですべての問題に対応することは困難です。十分な備蓄を行っていても、健康状態の変化によって自力で生活を継続できなくなる場合があります。また、道路が通行できず、通信も途絶えた状況では、家族や近隣住民が支援しようとしても、必要な場所へ到達できない可能性があります。

 こうした問題に対応するためには、行政による支援体制との連携が重要になります。2021年5月の災害対策基本法改正では、避難行動要支援者ごとの個別避難計画の作成が市町村の努力義務となりました。この制度は停電だけを対象とするものではありませんが、災害時に自力で避難することが難しい人について、誰が支援し、どのように避難するかを事前に検討する仕組みとして重要な意味を持っています。

 ただし、個別避難計画が存在することと、停電や通信障害が発生した際に実際の支援が届くことは同じではありません。行政の担当者や福祉関係者が連絡を取れない場合には、安否確認そのものが難しくなる可能性があります。令和元年房総半島台風で社会福祉施設の状況把握に時間を要したことは、制度や連絡先を整備するだけでなく、通信が使えなくなった場合にも機能する確認方法を考える必要があることを示しています。

 また、高齢者といっても必要な支援は一様ではありません。自分で自動車を運転できる人、歩行に制約がある人、認知機能が低下している人、医療機器を使用している人では、停電時に直面する問題が異なります。地域の防災計画を考える際には、年齢だけで一律に分類するのではなく、移動能力、健康状態、生活設備、家族や近隣住民による支援の可能性などを踏まえる必要があります。

 さらに、地域の店舗、医療機関、給油所、福祉施設などが停電時にどの程度機能を維持できるかという問題もあります。住宅ごとに備蓄を進めても、地域の生活サービスが広範囲で停止すれば、個人の準備だけでは対応できない状況が生じます。停電時にも利用できる給水拠点、充電設備、情報提供手段、移動支援などをどのように確保するかは、地域全体で検討すべき課題です。

外房で必要なのは、復旧を待つだけではない防災である

 令和元年房総半島台風が示したのは、電力の供給が長期間停止することで、住宅の内部だけでなく地域社会のさまざまな機能が同時に影響を受けるという事実でした。倒木や飛来物による電力設備の損傷が広範囲に発生すれば、復旧作業には時間がかかります。その間にも、給水設備、通信機器、冷暖房、食品保存、医療機器などはそれぞれ異なる条件で機能を失っていきます。

 千葉県内でも特に高齢化が進む夷隅地域では、この問題を単に電力設備の復旧時間だけで評価することは適切ではありません。住民の健康状態や身体能力、住宅設備、移動手段、近隣の支援体制によって、同じ停電でも影響が異なるからです。高齢者にとって何が危険なのかを理解するためには、停電時間だけでなく、その間に維持できる生活機能と、失われた機能を補う手段を調べる必要があります。

 外房でこれから重要になるのは、停電をできる限り防ぐための設備対策とともに、停電が発生しても住民が一定時間、安全に生活を継続できる地域をつくるという考え方ではないでしょうか。そのためには、住宅ごとの弱点を把握することに加え、医療や介護を必要とする人への支援、断水時の給水方法、通信障害時の安否確認、移動が難しい住民への物資供給などを、地域全体の問題として検討する必要があります。

 停電から24時間が経過したとき、問われるのは冷蔵庫や照明が使えるかどうかだけではありません。水、食料、通信、医療、移動といった生活を構成する機能が、その人の周囲にどれだけ残っているのかという問題です。そして、それらの機能が失われた場合に、誰が、どのような方法で支えることができるのかという問題でもあります。

 24時間の停電は、すべての住宅に同じ被害をもたらすわけではありません。しかし、普段は電力に支えられて見えにくくなっている住宅や地域の弱点を、短時間で表面化させる可能性があります。外房の高齢社会における停電対策とは、単なる電気の問題ではなく、住民が生活を継続するために必要な機能を、地域としてどこまで維持できるのかという問題なのです。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

弊社では、住まい・車・移住などの大きな選択を、 費用や将来条件をもとに数字で比較し、判断できる形に整理しています。

数字で比較するサービスを見る

 地方でスーパーが閉店したというニュースを見ても、それだけで地域から食料が消えるわけではない。自動車を運転できる人であれば隣町のスーパーへ行けるし、家族に買ってきてもらうこともできる。移動販売車が巡回している地域もあれば、宅配サービスを利用できる地域もある。そのため、スーパーの撤退は一見すると「店が一つ減った」という問題に見える。

 しかし、人口減少がさらに進む20年後、30年後まで視野を広げると、問題の性質はかなり違ってくる。問われるのは、スーパーという店舗が存在するかどうかだけではない。人口が減り続ける地域で、住民が必要な食品を継続的に購入し、受け取れる仕組みそのものを維持できるのかという問題だからである。

 国立社会保障・人口問題研究所が2023年に公表した「日本の地域別将来推計人口」は、2020年の国勢調査を基準として、2050年まで5年ごとの市区町村別人口を推計している。2026年現在から2050年までは約24年であり、記事のタイトルにある30年後は2056年頃に当たる。2050年までの公的推計を手掛かりに、その先の地域社会を考えることはできるが、人口推計は出生、死亡、人口移動などの仮定に基づくものであり、将来の人口を確定的に予言したものではない。

 それでも、地方の多くの自治体で人口減少と高齢化が進むという方向性は、将来の生活インフラを考えるうえで無視できない。特に重要なのは、人口が減ることで食品を購入する人が減るだけでなく、食品を販売し、運び、買いに行くための交通手段を維持する側にも負担が生じることである。

買い物に困る高齢者は、すでに全国で約904万人

 高齢者の買い物問題は、30年後に初めて発生する問題ではない。農林水産政策研究所が2024年2月に公表した推計によると、2020年時点の全国の食料品アクセス困難人口は約904万人で、65歳以上人口の25.6%を占めていた。このうち75歳以上は約566万人で、75歳以上人口の31.0%に相当する。

 ここでいう食料品アクセス困難人口とは、食品を扱う店舗まで直線距離で500メートル以上離れており、自動車の利用が困難な65歳以上の高齢者を、国勢調査や店舗の所在地情報などを用いて推計したものである。対象となる店舗には、スーパーだけでなく、食料品を扱うコンビニエンスストア、ドラッグストア、専門小売店なども含まれる。

 ただし、この904万人という数字は、実際に食品を購入できない人の人数ではない。家族による買い物支援や宅配、移動販売などを利用している人も含まれ得るため、食品を購入できるかどうかを直接測定した数字ではない。それでも、店舗までの距離と自動車利用の難しさを組み合わせた全国的な推計であり、買い物環境の脆弱性を示す重要な指標といえる。

 農林水産省が2026年3月に公表した2025年度の全国市町村アンケート調査でも、回答した市町村の89.3%が買い物困難者への対策を「必要」または「ある程度必要」と回答している。また、行政または民間事業者のいずれかによって対策が実施されている市町村の割合は86.8%であり、民間事業者が独自に参入している市町村は58.2%だった。

 これらの数字は、買い物困難者への対応が一部の過疎集落だけに限られた問題ではなく、全国の自治体に広く存在する政策課題であることを示している。一方、支援事業が実施されているからといって、必要な住民全員が十分なサービスを利用できているとは限らない。事業の実施率と住民の生活上の問題が解決されている割合は、区別して考える必要がある。

人口減少はスーパーの経営をどのように変えるのか

 スーパーを維持するためには、売上によって商品の仕入れ費用、人件費、店舗の維持費、光熱費などを賄う必要がある。人口1万人の地域と3,000人の地域では、一般に地域内の消費需要の規模が異なるため、同じ店舗を維持する条件も変わってくる。ただし、人口だけで店舗の採算が決まるわけではなく、住民の所得、購買頻度、競合店の立地、観光客や周辺自治体からの利用者、店舗面積などにも左右される。

 高齢化も店舗の需要構造を変える要因になる。子育て世帯では複数人分の食品や日用品をまとめて購入することがある一方、単身高齢者や高齢夫婦世帯では、少量の商品や調理の手間が少ない食品への需要が高まる場合がある。しかし、高齢者の割合が増えることと、地域全体の食品購入額が同じ割合で減ることは同義ではない。

 例えば、4人で暮らしていた世帯が複数の単身世帯に分かれた場合、一世帯当たりの食品購入額は小さくなっても、地域全体の購入額がそれに比例して減少するとは限らない。さらに、単身世帯が増えることで、小分け商品の需要や配送先の件数が増える可能性もある。したがって、将来の食品市場を予測するには、総人口だけでなく、年齢別人口、世帯人数、所得、食品購入額、購入頻度を組み合わせる必要がある。

 それでも、人口が大幅に減少し、地域外からの利用も十分に見込めない場合には、店舗の売上規模が縮小する可能性が高い。固定費を賄えなくなれば、営業時間の短縮、取扱商品の削減、人員の削減などが進み、それでも採算が合わなければ撤退を選択する事業者も出てくるだろう。大型店が撤退した後、小規模店に需要が移る場合もあるが、その小規模店も人口減少や経営者の高齢化によって存続が難しくなることが考えられる。

 ただし、スーパーの閉店が必ず地域全体の食品販売機能の消滅を意味するわけではない。店舗の再編によって別の事業者が需要を引き受ける場合もあり、店舗の撤退と住民の食品アクセス悪化の関係は、地域ごとに検証する必要がある。

高齢化率が上がっても、高齢者の人数は減る可能性がある

 人口減少地域の買い物問題を考えるうえで、見落としやすいのが高齢化率と高齢者の実人数の違いである。高齢化率とは、総人口に占める65歳以上人口の割合であり、その割合が上昇しても、高齢者数そのものが増えているとは限らない。

 例えば、総人口1万人、高齢化率40%の地域には4,000人の高齢者がいる。将来、総人口が5,000人に減少し、高齢化率が60%になった場合、高齢者は3,000人となる。高齢化率は20ポイント上昇しているにもかかわらず、高齢者の実人数は1,000人減少しているのである。

 この違いは、移動販売や宅配サービスの将来需要を考える際に重要になる。高齢者の割合が高くなれば支援を必要とする住民の割合が上昇する可能性があるが、利用者の実人数まで増加するとは限らない。つまり、支援の必要性が高い地域であっても、事業者から見れば利用者が減り続けるという状況が起こり得る。

 千葉県大多喜町は、その具体例の一つである。国立社会保障・人口問題研究所の2023年推計では、同町の総人口は2020年の8,885人から2050年には4,498人となり、約49.4%減少すると見込まれている。同じ推計で65歳以上人口は3,888人から2,564人へ減少する一方、高齢化率は43.8%から約57.0%へ上昇する。

 これは、2050年の大多喜町で買い物困難者が必ず減ることを意味するものではない。運転できない高齢者の割合や居住地の分布、同居家族の有無、店舗の立地によって、買い物支援の必要性は変わるからである。しかし、高齢化率だけを見て高齢者向けサービスの需要増加を予測することが不適切であることは明らかである。

 地域の将来を考える際には、高齢者が人口の何割を占めるかという割合と、実際に何人が、どこに住み、どのような支援を必要とするかという人数と分布を、分けて分析しなければならない。

スーパーがなくなっても、宅配が必ず成立するわけではない

 人口減少が店舗経営に影響する一方、食品を住民の自宅まで運ぶ物流にも影響が及ぶ。スーパーがなくなれば宅配を利用すればよいと考えることはできるが、宅配も商品が自動的に家庭へ移動してくるわけではない。商品を仕分けし、配送車両に積み込み、配送先へ運び、受け渡す工程が必要になる。

 国土交通省が2025年11月に取りまとめた「ラストマイル配送の効率化等に向けた検討会」の提言でも、運転手不足に加え、過疎地域などでの貨物量減少や積載効率の低下によって、物流サービスの持続的な提供が困難になることが課題として示されている。ラストマイル配送とは、物流拠点などから消費者の自宅を含む最終的な届け先まで商品を運ぶ工程のことである。

 ここで重要なのは、人口密度と配送需要密度を区別することである。人口密度は一定面積に住む人口の多さを示すが、配送需要密度は同じ面積で実際にどれだけの配送が発生するかを示す。人口が減少しても利用世帯が一定の場所に集中していれば、比較的効率よく配送できる可能性がある。反対に人口密度がそれほど低くなくても、利用世帯が広範囲に分散していれば配送効率は悪くなることがある。

 住宅が集中している地域では、一台の配送車で短時間に多くの家庭を回りやすい。しかし、同じ件数の配送先が山間部や海岸部の広い範囲に分散していれば、走行距離や移動時間が増えることがある。実際の配送効率は、住宅分布、道路網、配送拠点までの距離、注文頻度、再配達の有無などによって変化する。

 したがって、人口密度が低下すれば必ず一件当たりの配送距離が長くなる、という単純な関係ではない。より正確には、配送先の分散や需要の減少によって、一定の地域を維持するための走行距離や時間を十分な件数で分担できなくなると、一件当たりの配送費用が増加しやすいのである。

配送費用を数値で考えると、何が問題なのか

 配送の採算性は、配送収入から必要な費用を差し引いて考える必要がある。費用には運転者の人件費、車両の走行費、商品仕分けや保管に必要な費用、車両や拠点の固定費などが含まれる。食品を扱う場合には、さらに冷蔵・冷凍管理や品質管理の費用も必要になる。

 ここで、住宅の分散と利用件数の減少が配送費用に与える影響を、単純な仮想モデルで考えてみよう。これは実際の配送事業者や自治体の調査結果ではなく、費用構造を説明するための試算である。

 仮に運転者の人件費を1時間1,800円、平均走行速度を時速25キロメートル、配達先での作業時間を一件4分、車両の走行費を1キロメートル40円とする。さらに配送一回当たりのその他の固定費を3,000円と仮定し、商品原価や冷蔵管理などの追加費用は、この比較から除外する。

 住宅が集中した地域で60件を配送し、総走行距離が15キロメートルで済む場合、走行と配達に要する時間は合計4.6時間となり、配送総費用は11,880円、一件当たり198円になる。

 一方、同じ60件でも住宅が分散し、総走行距離が70キロメートルになる場合、所要時間は6.8時間となり、配送総費用は18,040円、一件当たり約301円になる。同じ配送件数でも、走行距離が長くなることで一件当たりの配送費用は約1.5倍になる計算である。

 さらに、配送区域を維持したまま利用件数が30件に減少し、総走行距離が70キロメートルのままだと仮定すると、総費用は14,440円となり、一件当たり約481円になる。最初の住宅集中地域と比較すれば、一件当たりの費用は約2.4倍である。

 もちろん、実際には配送件数の減少に合わせてルートを変更したり、配送曜日を減らしたり、他の荷物と共同配送したりできるため、この試算通りに費用が増えるとは限らない。また、これらは配送費用の比較であり、事業の利益率を示しているわけではない。採算性を判断するには、配送料、商品販売による利益、利用者数、補助金などの収入も必要になる。

 それでも、この計算から重要なことが分かる。人口減少地域の物流では、配送する商品の量だけでなく、配送先の数と分布が費用を大きく左右する。一件当たりの配送費用が上昇する一方、利用者が減って収入も減少すれば、事業の継続は難しくなり得るのである。

 逆に、共同配送や配送拠点の再編によって走行距離を短縮できれば、人口が減る地域でも費用を抑えられる可能性がある。人口減少と配送費用の関係は一方向に決まるものではなく、地域物流をどのように設計するかによって変化する。

ネットスーパーが普及すれば問題は解決するのか

 将来、デジタル技術の進歩によって、店舗へ行かずに食品を注文する方法がさらに普及する可能性はある。スマートフォンだけでなく、音声による注文、家族による代理注文、定期的な自動発注など、買い物の方法が変わることも考えられる。

 しかし、注文方法が便利になっても、最後には米、野菜、肉、牛乳などの食品を物理的に運ばなければならない。インターネットは注文情報を運ぶことはできても、食品そのものを運ぶことはできない。注文のデジタル化は利用者の負担を減らす可能性がある一方、商品の保管、仕分け、輸送、受け渡しという物流の工程をなくすわけではない。

 特に食品には、一般の商品とは異なる制約がある。冷蔵品や冷凍品には適切な温度管理が必要であり、生鮮食品には鮮度の問題がある。書籍や衣類のように数日分の注文をまとめて配送できる商品とは異なり、すべての食品で配送頻度を大幅に減らせるとは限らない。

 また、高齢者が自宅で注文できたとしても、配送費用が高ければ利用を続けられない可能性がある。ネットスーパーが提供されていることと、すべての高齢者が無理なく利用できることは別の問題である。

 もちろん、将来の物流技術が現在と同じ水準にとどまるとも限らない。配送ルートの自動最適化や自動運転配送などによって、一部の費用が低下する可能性もある。しかし、技術の導入には設備投資や保守費用が必要であり、道路条件、安全性、制度上の条件も満たさなければならない。新しい技術が人口密度の低いすべての地域で経済的に成立するかどうかは、現時点では判断できない。

 したがって、30年後の買い物問題を考える際には、ネットスーパーがすべてを解決すると楽観視することも、人口減少によって物流は必ず衰退すると決めつけることも適切ではない。技術の進歩を考慮しながら、地域ごとの配送費用と住民の負担能力を検証する必要がある。

移動販売車はどこまで地域を支えられるのか

 スーパーが撤退した地域で利用されている方法の一つが移動販売である。決められた曜日や時間に販売車が地域を巡回する仕組みは、自動車を運転できない高齢者にとって重要な買い物手段になる。利用者が販売員と会話する機会にもなるため、地域によっては高齢者の見守りや社会的な交流という役割も持っている。

 農林水産省の2025年度調査でも、移動販売車の取り組みでは、行政実施の約5割、民間事業者実施の約3割で、市町村との見守り体制が構築されていると報告されている。このことは、移動販売が単なる商品販売だけでなく、地域の生活支援と結びついていることを示している。

 しかし、移動販売にも採算性の問題がある。販売車を走らせるためには、車両、燃料、商品仕入れ、積み込み、販売員の人件費などが必要になる。一つの販売地点に十分な利用者が集まれば効率よく販売できるが、利用者が減少すれば、一人当たりに必要な運営費が増える場合がある。

 例えば、ある集落で50人が利用していた移動販売が、人口減少によって10人、5人しか利用しなくなった場合、販売地点を維持するための移動時間や費用を、少ない売上で負担しなければならない。ただし、実際の採算性は人数だけで決まらず、一人当たりの購入額、販売地点間の距離、巡回頻度、補助金の有無などにも左右される。

 移動販売の利点は、店舗を常設するための建物や設備を必ずしも必要としないことである。一方、商品を運び、販売する人が必要であることは店舗や宅配と変わらない。地域の利用者が極端に少なくなった場合には、民間事業だけでサービスを維持することが難しくなる可能性がある。

 そのため、移動販売を導入する際には、現在の利用者数だけでなく、5年後、10年後の需要を見積もり、販売と見守りなどの機能をどのように組み合わせるか、行政がどこまで費用を負担するかについても検討する必要がある。

本当に重要なのは、自動車を運転できなくなったとき

 地方では、自動車を運転できる間は買い物問題が表面化しにくい。スーパーまで10キロメートル離れていても、自動車で移動できれば日常の買い物に大きな支障を感じない人もいる。しかし、高齢になると視力、認知機能、身体能力、健康状態などが変化し、運転を継続することが難しくなる場合がある。

 もちろん、すべての高齢者が一定の年齢で運転できなくなるわけではない。運転能力には個人差があり、運転をやめる時期も健康状態や生活環境によって異なる。しかし、自動車に依存した買い物環境では、運転できなくなることによって食品へのアクセスが急激に悪化する可能性がある。

 スーパーまでの距離が10キロメートルであること自体は変わらなくても、自動車という移動手段を失えば、その距離は生活上の大きな障壁になる。したがって、買い物困難を評価する際には、店舗までの距離だけではなく、自動車を使わずに店舗へ行けるか、家族などの支援を受けられるか、宅配や移動販売を利用できるかを併せて考える必要がある。

 公共交通も重要な要素である。バスや乗合タクシーが利用できれば、自動車を運転しない高齢者でも店舗へ移動できる可能性がある。しかし、人口減少によって利用者が減れば、公共交通も運行を維持するための費用負担が大きくなる場合がある。タクシーを利用する方法もあるが、買い物のたびに高額な交通費が必要になれば、所得の限られた住民にとって継続的な利用は難しい。

 ここで問題になるのは、店舗、物流、公共交通が別々に存在しているのではなく、互いに影響し合っていることである。店舗が減れば移動距離が長くなり、自動車を運転できない人の負担が増える。公共交通が減れば店舗へ行きにくくなり、宅配などの必要性が高まる。一方、宅配や移動販売が充実すれば、店舗や公共交通への依存度が変わることもある。

 このような関係を考えると、地域の買い物問題は商業施設の数だけで評価できない。店舗の配置、交通手段、配送サービス、家族による支援、住民の所得を含めた生活全体の問題なのである。

食品が届いても、買えるとは限らない

 買い物問題には、物理的なアクセスと経済的なアクセスという二つの側面がある。物理的なアクセスとは、必要な食品を販売する場所や配送手段が存在し、住民がそれを利用できることである。一方、経済的なアクセスとは、必要な食品を無理のない費用で購入できることである。

 2024年に改正された「食料・農業・農村基本法」の下でも、円滑な食品アクセスの確保は重要な政策課題として位置づけられている。農林水産省は、地理的・物理的な理由で食品の購入が難しい人への対応だけでなく、経済的な理由で十分な食品を入手できない人への対応も進めている。

 例えば、スーパーが撤退した地域で宅配サービスを導入できたとしても、配送料が高額になれば利用できない住民が出てくる可能性がある。人口が減って配送費用が上昇し、その費用が商品価格や配送料に転嫁されれば、低所得の高齢者ほど負担が大きくなることも考えられる。

 逆に、配送を維持するために公的資金を投入すれば、利用者の負担を抑えることは可能かもしれない。しかし、その費用は自治体や国などが負担することになり、財政的に継続できるかという別の問題が生じる。

 したがって、買い物支援を評価する際には、サービスが存在するかどうかだけでは不十分である。利用者が必要な食品を購入できる価格になっているか、配送料や交通費を含めた負担がどの程度か、行政の支援が長期的に維持できるかを検討しなければならない。

 食品を運べる仕組みと、住民が実際に食品を買える仕組みは、両方が成立して初めて生活インフラとして機能する。

30年後に残すべきなのは「店舗」か「買い物機能」か

 人口が大きく減少する地域では、現在と同じ数や規模のスーパーをそのまま維持することが難しくなる可能性がある。しかし、スーパーがなくなるからといって、住民が買い物できなくなる未来を当然のものとして受け入れる必要はない。

 重要なのは、スーパーという施設を守ることだけを目的にするのではなく、住民が継続的に食品を入手できる機能を守ることである。その方法は一つではなく、地域の人口規模や住宅分布、道路条件、住民の生活実態によって変わってくる。

 例えば、地域の中心部に小規模な物流拠点を設け、複数の小売事業者や卸売事業者の商品を集約する方法が考えられる。そこから移動販売や共同配送によって周辺集落へ商品を届ければ、個々の事業者が長距離を走るより配送を効率化できる可能性がある。

 ただし、複数の車両や事業を自由に統合できるわけではない。宅配便、食品配送、旅客輸送、福祉関係の送迎では、それぞれ事業の目的や適用される制度が異なる。旅客と貨物を同じ車両で運ぶ貨客混載には、事業形態に応じた許可や安全管理などの条件があり、自治体や福祉事業者の車両についても、本来の事業目的や補助制度、運行管理などを確認する必要がある。

 また、食品配送では温度管理や衛生管理が求められるため、空いている車両を単純に使い回せばよいというものでもない。異なる事業者が共同配送を行う場合には、費用の分担、商品の管理、事故時の責任なども調整する必要がある。

 こうした制約を考えると、すべての車両を一つにまとめることよりも、配送拠点、配送計画、受発注、配送ルートなどを事業者間で共同化する方が、実現しやすい地域もあるだろう。

 人口減少が進む地域では、一つの事業だけで十分な需要を確保できなくても、複数のサービスが協力することで運営費を抑えられる可能性がある。ただし、共同化には調整費用も伴うため、どの地域でも必ず費用が下がるとは限らない。事業者ごとの費用と、地域全体で負担する費用を比較し、どの仕組みが最も持続可能かを検討する必要がある。

週7日いつでも買える社会から、曜日を決めて届く社会へ

 人口密度や配送需要密度が低い地域では、都市部と同じ頻度で商品を配送することが経済的に難しい場合がある。そのため、将来的には配送日を地区ごとに決め、複数の注文をまとめて届ける仕組みが広がる可能性もある。

 例えば、月曜日は第一地区、火曜日は第二地区、水曜日は第三地区というように配送地域を分けたり、住民が事前に注文した商品を週に数回まとめて届けたりする方法である。配送の回数を減らし、一定の利用者を同じ日に集約できれば、走行距離や人件費を抑えられる場合がある。

 しかし、配送回数を減らせば必ず採算が改善するわけではない。利用者が極端に少なければ、週2回にしても必要な費用を回収できない可能性がある。また、生鮮食品や冷蔵食品を扱う場合には、配送間隔が長くなることによる鮮度や保存の問題もある。

 高齢者の生活にも配慮が必要である。週に数回しか配送されない場合、食品をまとめて購入するための冷蔵庫や冷凍庫の容量、食品を保存・調理する能力、事前に代金を支払える経済的余裕などが必要になる。急な体調不良や買い忘れへの対応も考えなければならない。

 したがって、単純に配送回数を減らして費用を抑えることを目的にするのではなく、住民が必要とする最低限のサービス水準を維持しながら、配送頻度、費用、商品品質、利用料金を調整することが重要になる。

 毎日配送して赤字が膨らみ、最終的に事業が撤退するよりも、週に数回でも安定して配送できる仕組みの方が望ましい場合はある。ただし、その仕組みが成立するかどうかは、地域の人口構造と事業収支の両面から判断しなければならない。

 人口減少地域で目指すべきなのは、単に利便性を下げることではない。生活に必要なサービスの水準を確保しながら、その仕組みを長期的に維持することなのである。

買い物問題は福祉政策だけでは解決できない

 高齢者の買い物問題は、しばしば福祉の問題として取り上げられる。しかし、実際には商業政策、物流政策、公共交通政策、都市計画、住宅政策、社会保障政策など、多くの分野が関係している。

 スーパーの存続は商業政策、食品の配送は物流政策、店舗への移動は公共交通政策、高齢者の生活支援は福祉政策に関係する。さらに、住民がどこに暮らしているかという人口分布は、都市計画や住宅政策とも関係している。つまり、一人の高齢者が夕食の食材を買えるかどうかという問題の背後には、複数の社会システムが存在しているのである。

 そのため、自治体が高齢者向けの買い物支援事業を一つ始めただけでは、長期的な解決にならない可能性がある。移動販売を導入しても、道路や物流拠点が維持できなければ継続は難しい。バス路線を残しても、住民が店舗へ行ける時間帯に運行していなければ十分な効果は得られない。宅配サービスを提供しても、料金が高すぎれば利用できない人が残る。

 さらに、30年という時間で考えれば、現在の高齢者を支援するだけでは不十分である。2040年、2050年にどれだけの人が住み、どこに居住し、そのうち何人が自動車を運転できず、どの程度の食品配送需要が生じるのかを見通す必要がある。

 こうした検討には、公的な将来人口推計だけでなく、住民の買い物行動、食品販売店の分布、公共交通の利用状況、宅配・移動販売の利用実態などの地域データが必要になる。

 特に、行政の支援を長期的に続ける場合には、利用者一人当たりの公的負担額を把握することが重要である。民間事業者の赤字を補助することでサービスを維持する方法もあるが、人口減少によって補助額が増え続ければ、自治体の財政にも負担が及ぶ。そのため、事業費をどこまで抑えられるかだけでなく、生活上の効果に見合う支出であるかを検証する必要がある。

人口が減るほど、住民がどこに暮らすかが重要になる

 買い物問題を長期的に考えると、最終的には地域の人口分布という問題に行き着く。人口が減少しても、住宅が広い範囲に散らばったままであれば、道路、水道、電気、通信、医療、介護、公共交通、食品配送などのサービスを維持するための費用が、一人当たりでは大きくなる場合がある。

 例えば、1,000人が比較的狭い範囲に集中して住んでいる地域と、同じ1,000人が広い範囲に分散している地域では、食品配送の移動距離や公共交通の運行条件が異なる。ただし、実際の費用は居住範囲の広さだけで決まるわけではなく、地形や道路網、既存施設の配置、インフラの整備状況にも左右される。

 このような人口分布の問題に対して、生活サービスを地域の中心部に集約し、その周辺を交通や配送によって結ぶ方法が考えられる。すべての集落にスーパーを置くことは難しくても、食品、医療、行政、交通などの機能を持つ生活拠点を確保し、周辺集落から利用できるようにするという発想である。

 もっとも、住民が生活拠点の近くへ移り住めば、すべての問題が解決するわけではない。住居の移転には経済的負担が伴い、長年暮らしてきた地域や人間関係を離れることを望まない住民もいる。新たな住宅や交通施設を整備するための初期費用も必要であり、人口集約による維持費の削減効果と比較しなければならない。

 したがって、人口減少地域の将来を考える際には、居住を一律に集約するのではなく、地域の実情に応じて複数の方法を組み合わせる必要がある。生活拠点の近くに住む人には徒歩や公共交通を中心とした買い物環境を整え、周辺集落に住み続ける人には配送や移動販売などを提供する方法も考えられる。

 重要なのは、すべての住民に同じ方法を提供することではなく、居住地の違いによって食品へのアクセスが極端に不利にならないよう、地域全体の仕組みを設計することである。

御宿町・いすみ市・勝浦市・大多喜町では何を調べるべきか

 この問題を千葉県の外房地域や房総丘陵地域に当てはめる場合、自治体全体の人口だけでは十分な分析ができない。御宿町、いすみ市、勝浦市、大多喜町では、住宅の分布、地形、道路条件、駅や市街地からの距離、商業施設の配置が異なるため、同じ人口減少率でも買い物環境への影響は違ってくる可能性がある。

 例えば、住宅が比較的集中している地区と、山間部や丘陵部に住宅が分散している地区では、店舗までの距離だけでなく、配送効率や公共交通の利用条件も異なる。自治体全体の平均人口密度を比較するだけでは、こうした違いを十分に把握できない。

 必要なのは、地域ごとの将来人口を推計するだけでなく、食品を販売する店舗がどこにあり、その店舗まで自動車を使わずに移動できる住民が何人いるのかを把握することである。特に65歳以上だけでなく75歳以上の人口分布、単身世帯数、同居家族の状況、移動販売や宅配の利用可能性を調べることが重要になる。

 さらに、2040年、2050年の人口推計を用いて、買い物支援を必要とする住民の数と分布がどのように変化するかを試算することが考えられる。ただし、高齢者人口に一定の割合を掛けるだけでは正確な推計にならない。運転可能性、健康状態、家族の支援、店舗の立地などが将来変化することも考慮する必要がある。

 物流面では、実際の配送件数、配送先の分布、走行距離、所要時間、配送費用を把握し、利用者が減少した場合に一件当たりの費用がどう変わるかを検証する必要がある。さらに、共同配送や配送曜日の集約によって費用をどの程度減らせるか、行政の支援が必要であれば一人当たりの負担額はいくらになるかを試算することが望ましい。

 こうした分析によって、単に「この地域では人口が減るからスーパーがなくなる」と予測するのではなく、どの地区で、どのような条件が重なった場合に食品へのアクセスが難しくなるのかを具体的に検討できる。

 人口推計が示すのは、将来の住民の数と年齢構成であり、それだけで店舗の閉店時期や配送サービスの存続を予測できるわけではない。しかし、人口推計に店舗配置、交通網、配送需要、世帯構成などの情報を組み合わせれば、将来の買い物環境を検証するための基礎をつくることはできる。

30年後、高齢者は買い物を続けられるのか

 結論として、スーパーがなくなった地域でも、30年後に高齢者が買い物を続けることは不可能ではない。しかし、人口が減り続ける地域で、その仕組みが自然に維持されると考えることも適切ではない。

 人口減少によって地域の食品購入需要が縮小すれば、店舗の経営が難しくなる場合がある。店舗が撤退すれば、宅配や移動販売などの必要性が高まる可能性があるが、実際にそれらの利用者が十分に増えるとは限らない。配送先が分散し、利用件数が減少すれば、一件当たりの配送費用が増えることもある。

 さらに、高齢化が進んでも高齢者の実人数は減少する地域があり、支援を必要とする住民の割合が高まる一方で、サービスの利用者数は減るという状況も考えられる。自動車を運転できなくなる住民への対応に加え、公共交通の維持、食品価格や配送費用の負担、行政財政の持続可能性まで含めて検討する必要がある。

 一方、共同配送、地域物流拠点の整備、移動販売と見守りの連携、生活拠点と周辺集落を結ぶ交通網、配送技術の進歩などによって、人口減少の影響を緩和できる可能性もある。どの方法が適切かは地域によって異なり、将来の技術や制度も変化するため、一つの仕組みが全国の人口減少地域に共通する解決策になるとは限らない。

 重要なのは、スーパーという施設を維持することだけを目的にするのではなく、住民が必要な食品を継続的に入手できる機能を維持することである。そのためには、店舗、宅配、移動販売、公共交通、福祉を別々に考えるのではなく、地域全体の生活インフラとして検討する必要がある。

 人口減少社会では、すべての地域に現在と同じ利便性を残すことは難しいかもしれない。しかし、利便性を一律に削減するのではなく、住民の生活に必要なサービス水準を確保し、その費用をできるだけ効率的に負担する方法を考えることはできる。

 そして、将来の買い物問題を考えるうえで最も避けるべきなのは、スーパーが撤退し、住民の生活に支障が生じてから初めて代替手段を検討することである。

 人口減少が相当程度見込まれている地域であれば、店舗の撤退が現実になる前から、現在の商業施設の分布、住民の年齢構成、買い物行動、公共交通、配送体制を調べ、将来の需要を見通しておく必要がある。将来人口に不確実性があるとしても、それは何も準備しなくてよい理由にはならない。

 30年後の買い物問題は、30年後になってから考える問題ではない。2040年、2050年に誰が、どこに住み、どのような手段で食品を入手するのか。その姿を複数の条件で想定し、必要な費用と実現可能性を比較しながら、地域の商業と物流を再設計していくことが求められる。

 スーパーが一軒なくなることだけが、地方の買い物問題の本質ではない。人口が減っても、住民が必要な食品を購入し、受け取り続けられる地域を、どのような費用負担と仕組みで維持していくのか。それこそが、これからの地方に問われる課題なのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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