地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 昼下がりの地方の町を歩いていると、不思議な静けさに出会うことがある。かつて人が行き交った商店街にはシャッターが下り、銀行だった建物には別の看板が掛かり、駅前の広場には広さに見合うほどの人影がない。バス停の時刻表をのぞけば、次の便まで長い時間が空いている。古くから続いた店が閉じ、その跡地が駐車場になり、子どもの声が聞こえなくなった住宅地では、庭木だけが昔と変わらぬ勢いで伸び続けている。

 こうした風景を見ると、私たちはつい「衰退」という言葉で町を説明したくなる。人口が減ったから衰えた、若者が出ていったから未来がなくなった、と考えれば話は分かりやすい。しかし、そこで少し見方を変えてみると、この風景には別の意味があることに気づく。この町で起きていることは、本当にこの町だけの問題なのだろうか。あるいは、日本社会がこれから経験する変化の一部が、すでにこの場所で起きているのではないだろうか。

 少なくとも人口減少と高齢化という側面に限れば、高齢化の進んだ過疎地域の一部では、日本社会が今後広く経験する人口構造の変化が先行して現れている。総務省が2026年9月に公表した人口推計によると、日本の65歳以上人口は3,624万人で、総人口に占める割合は29.6%に達している。国立社会保障・人口問題研究所の将来推計でも、今後の総人口の減少と高齢化率の上昇が見込まれており、人口が増え続けることを前提としてきた社会の仕組みは、長期的な見直しを迫られている。

 ただし、過疎地の現在が、そのまま東京や大阪の未来になるわけではない。都市には人口集積による効率性があり、交通網や医療機関、商業施設の配置も異なる。また、過疎地域という区分は法律上の人口減少や財政力などの要件によって定められるもので、高齢化率が高い地域と完全に一致するわけでもない。それでも、人口が減ったときに何が維持できなくなり、どのような不便が生じ、これまで必要とされなかった何が求められるようになるのかを考えるうえで、過疎地は重要な先行事例となる。

 そう考えると、人の少なくなった駅前の見え方まで変わってくる。そこにあるのは、過去の繁栄が失われた痕跡だけではない。人口が増える社会に合わせて作られた商業、交通、医療、住宅管理、地域の助け合いといった仕組みが、人口の減る社会でどのように変化するのかを示す場所でもある。衰退という一つの言葉で片づけてしまえば見落とすものが、そこには残されている。

 商売の世界には、世の中の変わり目こそ商人にとって大きな舞台になる、という考え方がある。景気が変わり、技術が変わり、人の暮らし方が変われば、それまで成り立っていた需要と供給の均衡が崩れ、その隙間に新しい商いが生まれる。ただし、変化そのものが利益を生むわけではない。社会の変わり目とは、新しい商売が生まれる時期であると同時に、古い商売が消えていく時期でもある。重要なのは、変化によって生じた新しい不便や、まだ十分に満たされていない需要を、他人より少し早く発見できるかどうかである。

 過疎地を歩くと、その隙間は決して抽象的なものではなく、日常の細かなところに現れている。自動車を運転できる間は、町外れの大型店まで十五分で買い物に行けた人が、運転免許を返納した途端に、その店をはるか遠い場所に感じるようになる。道路の距離は何も変わっていないのに、その人にとっての生活圏は一日にして縮んでしまう。電球を交換する、庭木を切る、粗大ごみを片づける、役所のオンライン手続きをするといった、以前なら何でもなかったことも、身体機能や家族環境の変化によって少しずつ難しくなる。

 こうした不便は、単なる印象ではない。農林水産政策研究所が2024年に公表した推計では、2020年時点で、食料品を扱う店舗まで直線距離で五百メートル以上あり、自動車を利用できない65歳以上の人は全国で約904万人に上り、65歳以上人口の25.6%を占めていた。そのうち75歳以上は約566万人である。この数字は、食料品の購入に不便を生じやすい人が相当数存在することを示している。ただし、一定の条件に該当する人を推計したものであり、全員が実際に買い物に困っていると回答したわけでも、有料の買い物代行を希望しているわけでもない。生活上の不便を示す人口と、商売の顧客になる人口は、分けて考える必要がある。

 ここで興味深いのは、人口が減れば、あらゆる需要まで同じ割合で減るわけではないということである。地域の人口が減っていても、一人当たりの生活支援サービスの利用回数や支払額がそれ以上の割合で増えれば、特定の市場規模が拡大することは数理的にあり得る。例えば、ある地域の人口が二割減少しても、一人当たりの年間サービス利用回数が三割増え、利用料金が変わらなければ、地域全体の売上規模は計算上四%増加する。これはあくまで仮定に基づく計算であり、実際にそのような需要増加が起きることを保証するものではないが、人口減少と市場拡大が必ずしも矛盾しないことを示している。

 食品を食べる量そのものは増えなくても、食品を自宅まで届けてもらう需要は増えるかもしれない。住宅の数が増えなくても、所有者が遠方に住む空き家を見回り、草を刈り、換気をする需要は増えるかもしれない。高齢者の人口が減少していても、家族による支援が受けにくくなったり、公共交通が縮小したりすれば、外部に依頼したい仕事が増えることも考えられる。つまり、人口減少社会では、商品の消費量だけでなく、商品やサービスを必要な人に届ける方法そのものが新たな価値を持つ場合がある。

 空き家についても、変化はすでに数字に現れている。総務省の2023年住宅・土地統計調査では、全国の空き家は約900万戸、住宅総数に占める割合は13.8%となり、そのうち賃貸用、売却用、二次的住宅などを除いた空き家は約385万戸と推計されている。ただし、空き家が900万戸あるからといって、それだけの有料管理契約が期待できるわけではない。自分で管理する所有者もいれば、費用を払ってまで管理を委託する意思のない所有者もいる。住宅が存在すること、管理の必要性があること、管理費を支払う契約者がいることは、それぞれ異なる問題なのである。

 同じことは高齢者向けのサービスにも当てはまる。高齢化率が高い町ほど、高齢者向けの商売が大きくなるとは限らない。人口一万人で高齢化率が四割の町には高齢者が四千人いるが、人口五千人で高齢化率が五割の町では、高齢者は二千五百人である。後者の方が高齢化率は高くても、対象となる人の絶対数は少ない。さらに、年齢が同じでも健康状態、所得、家族関係、交通手段は人によって異なる。高齢化率という一つの数字だけで、その地域の商売の可能性を判断することはできない。

 それでも人口減少は、すべての市場が同じように縮小することを意味しない。大量の商品を大量の顧客に販売する商売には逆風であっても、人の暮らしの中にある細かな不便を引き受けるサービスには、別の需要が生じる可能性がある。ただし、その市場が拡大するかどうかは、対象となる人数だけでなく、利用頻度、料金、競合するサービス、そして実際に料金を支払える人がどれだけいるかによって決まる。

 もっとも、ここで「需要がある」という言葉には注意が必要である。高齢者が困っているからといって、その困り事がそのまま商売になるわけではない。必要だと思うことと、実際に料金を払って利用することとの間には大きな距離がある。買い物に困っていても、配達料金を負担する余裕がない人はいるだろうし、庭の手入れが難しくても、年間数万円の管理費を払うことをためらう人もいるだろう。逆に、料金を払う余裕があっても、知らない人を自宅に入れることへの抵抗感から利用しない人もいる。生活上の必要性だけでなく、支払能力、利用意思、信頼関係まで考えなければ、実際の市場規模は見えてこない。

 さらに、料金を支払う人が、必ずしもサービスを利用する本人とは限らない。高齢の親が暮らす家の見守りを、都市部に住む子どもが契約する場合もあれば、空き家の草刈りや点検を、遠方に住む所有者が依頼する場合もある。地域交通や買い物支援では、利用者からの料金だけでは採算が合わず、自治体による委託や補助、ほかの事業との連携が必要になることもある。誰が困っているのかという問いに加えて、誰がその問題を解決する費用を負担するのかという問いが、商売の成立を左右するのである。

 人口密度の低さも、地域ビジネスにとって大きな制約となる。一軒の家を訪ねたあと、次の利用者まで十キロ走らなければならない地域では、千円の作業を一件提供するために、移動時間と燃料費が売上を上回ることもある。都会なら一つのマンションで十件の仕事をこなせるところを、地方では同じ十件を回るために何十キロも走らなければならない。人口密度の低さは、顧客が少ないという問題であると同時に、顧客一人にサービスを届けるための費用が高くなりやすいという問題でもある。

 例えば、一回三千円の生活支援サービスを提供し、人件費や移動費などの変動費が一回千八百円、月間固定費が十二万円かかる事業を考えてみる。一回当たりの限界利益は千二百円なので、固定費を回収するには月間百件の利用が必要になる。これはあくまで採算構造を示すための試算だが、利用希望者が百人いるだけでは十分ではなく、それぞれが実際にどのくらい利用するかが重要になる。また、事業者自身の労働報酬、社会保険料、車両の更新費用、キャンセルによる損失などを計上しなければ、帳簿上は利益が出ていても、事業として継続できない場合がある。

 だから、高齢者が多いから高齢者向け事業なら成功する、空き家が多いから空き家ビジネスなら儲かる、買い物が不便だから移動販売を始めればよい、と単純に考えるのは危険である。ある地域に多くの困り事が存在することは、商機を探す出発点にはなるが、収益が得られることの証明にはならない。顧客の人数、利用頻度、料金、原価、競合状況を確認し、それでも利益が残る仕組みを作れなければ、事業は長く続かない。さらに、採算が取れないからといって、その困り事が社会的に重要でないということにもならない。民間事業だけで対応するのが難しい問題には、行政支援や地域の共同的な仕組みが必要になる。

 それでも、新しい商いの可能性が消えるわけではない。むしろ重要なのは、困り事を一つずつ単独の商売にするのではなく、複数の需要を組み合わせることである。買い物代行の訪問時に、本人が希望する別の生活支援も引き受ける。空き家の見回りと同時に、庭木や雨どいの状態を確認する。定期的な配達が、高齢者の異変に気づく機会にもなるようにする。一回の移動で複数の価値を生み出せれば、人口密度の低さという弱点を、ある程度補うことができる。

 経営学では、異なる商品やサービスを組み合わせて提供することで、別々に提供するよりも総費用を抑えられる場合を、範囲の経済性という。移動時間や車両費を共通化したり、既存の顧客との信頼関係を複数のサービスに活用したりできれば、事業効率が改善する可能性がある。もっとも、何でも組み合わせれば有利になるわけではない。新しいサービスを加えるために専門人材や設備が必要になり、かえって費用が増える場合もある。複数の仕事を組み合わせることが合理的なのは、それによる売上増加や費用削減の効果が、追加の負担を上回る場合に限られる。

 ここでは、制度面の確認も欠かせない。買い物への有償送迎には道路運送法上の制限があり、家庭から出る廃棄物の収集運搬には廃棄物処理法上の許可が問題になる。行政手続きの代行には行政書士法などによる業務制限があり、医薬品の受け取り支援についても、本人の同意や薬局との適切な連携が必要になる場合がある。また、高齢者の見守りでは、個人情報の保護や緊急時の対応も重要になる。生活支援という一つの言葉でまとめられる仕事でも、法制度上の扱いは異なるため、事業化に当たっては個別に確認しなければならない。

 もう一つ見落とせないのは、サービスを提供する働き手そのものが不足することである。人口減少によって利用者が少なくなる地域では、働き手も同時に少なくなる。高齢者向けサービスの必要性が高まっていても、訪問できる人がいなければ、仕事を引き受けることはできない。人件費が上昇すれば、利用料金を上げざるを得なくなり、その結果として利用者が減ることもある。需要が存在しても供給できないという状況では、新しい店を作ることより、既存の人員や設備を効率よく使う仕組みの方が重要になる場合がある。

 そう考えると、過疎地では商売の考え方そのものを都市型から変える必要があるのかもしれない。多くの客に同じ商品を販売するのではなく、少ない顧客に複数のサービスを適切に組み合わせる。大きな店舗を構えるのではなく、必要な場所へ出向く。単独では採算が取れない仕事を既存の業務と組み合わせ、配達や訪問の経路を工夫する。場合によっては、地域内の商店、運送事業者、医療機関、福祉事業者、自治体などが、それぞれの役割を分担する。大量消費社会で磨かれた商売の仕組みをそのまま小さくするのではなく、人口減少社会に合わせて組み直すのである。

 そのとき、何より重要になるのが情報である。ただし、ここでいう情報とは、新聞やインターネットの記事を大量に読むことだけではない。むしろ価値があるのは、町の中に落ちている小さな違和感である。なぜこの店だけ客が絶えないのか、なぜこの時間だけ病院の駐車場が混むのか、なぜ空き家は増えているのに中古住宅は売れないのか、なぜタクシー会社の電話がつながりにくいのか、なぜ子どもが減っているのにドラッグストアが増えているのか。そうした何気ない現象の背後に、人口構造や世帯構成、交通手段、所得、家族関係の変化が隠れていることがある。

 もっとも、目についた現象から、すぐに原因を決めつけてはいけない。病院の駐車場が混んでいるのは高齢者が増えたからとは限らず、診療日の変更や近隣医療機関の閉鎖が原因かもしれない。ドラッグストアが増えているのも、高齢化による医薬品需要だけでなく、食品販売の拡大や企業の出店戦略によるものかもしれない。複数の現象が同時に起きていることと、一方が他方の原因になっていることは異なる。商売の仮説を考えるときには、もっともらしい説明を見つけるだけでなく、ほかの説明が成り立たないかを調べる姿勢が必要になる。

 統計は、その違和感が思い込みではないかを確かめるための重要な道具となる。人口が減っている、高齢化率が高い、単身世帯が増えているという数字だけを見ても、新しい商売はなかなか見えてこない。しかし、一人暮らしの高齢者に関する統計と、庭の手入れを頼める人がいないという住民の声と、地元の業者は小さな作業を受けにくいという供給側の事情が一つにつながったとき、市場の空白を考える手掛かりが生まれる。そのうえで、実際に何人が困っていて、どの程度の頻度でサービスを必要とし、いくらなら料金を支払うのかを確認していけば、仮説は少しずつ具体的な事業計画へ近づいていく。

 このとき、統計の読み方にも注意が必要である。自治体全体の高齢化率が高くても、駅前と山間部の集落では生活条件が異なる。人口一万人の町を一つの市場として扱っても、その人口が狭い範囲に集まっているのか、広い地域に分散しているのかによって、移動サービスの採算は大きく変わる。所得の平均値が同じでも、低所得世帯が多い地域と比較的所得の均等な地域では、有料サービスへの反応が違う可能性がある。地域の実態を理解するためには、市町村全体の数字だけでなく、可能な範囲で小地域の人口、世帯構成、交通条件、所得などを組み合わせて考える必要がある。

 商人にとって情報とは、情報そのものではなく、別々の事実を結びつける材料なのだろう。同じ町を歩き、同じ店を見て、同じ統計を読んでも、そこから商売を思いつく人と何も感じない人がいるのは、持っている情報量の差だけではない。観察した事実から因果関係の仮説を組み立て、その仮説が本当に正しいかを確かめようとする姿勢の違いでもある。ただし、仮説を思いつくことと、それが市場で支持されることは別である。商人の直感は出発点として価値を持つが、その正しさを判断するのは、実際の顧客の行動と事業の収支なのである。

 この観点から見ると、これまで家庭や地域の中で無償に近い形で処理されてきた仕事にも、新しい市場の芽がある。買い物への送迎、家の掃除、庭仕事、行政手続きの補助、家電の設定、病院への付き添い、空き家の管理といった仕事の多くは、かつては家族や近所の人が自然に引き受けていた。ところが、世帯規模が小さくなり、子どもが遠方で暮らし、近所に住む人も高齢になれば、それまでの仕組みを維持することが難しくなる。国立社会保障・人口問題研究所の世帯数将来推計でも、高齢者の単独世帯が今後さらに重要な割合を占めることが見込まれており、家族構造の変化は地域で必要とされるサービスの形を変えていく可能性がある。

 ただし、一人暮らしの高齢者が増えることと、有料の生活支援サービスを利用する人が同じ割合で増えることは同義ではない。単身でも自立して暮らせる人はいるし、家族と同居していても支援を必要とする人はいる。また、近所同士の助け合いが強く残る地域では市場化が進みにくいかもしれないし、所得水準が低い地域では有料サービスより行政支援を求める声が強くなるかもしれない。家族や地域の無償労働がすべて市場に置き換わるのではなく、その一部が必要に応じて外部サービスへ移行する可能性があると考える方が、現実に近いだろう。

 この変化には、もう一つ重要な意味がある。それは、地域で発生した困り事が、必ずしも地域住民だけを顧客とするわけではないということである。都市部に暮らす子どもが、離れて暮らす親の生活支援を契約する。町外に住む相続人が、故郷の空き家の管理を依頼する。都市部の事業者が、地域内の巡回や現地確認を地元の事業者に委託する。このような仕組みでは、サービスが提供される場所は過疎地であっても、料金を支払う人は地域の外にいる。人口の少ない町に商売を作ることを考えるとき、顧客を町内だけに限定しない発想も必要になる。

 もっとも、同じような困り事が存在していても、地域によって成立する事業は違ってくる。交通条件、住宅の密度、所得、観光客の数、移住者の割合、既存事業者の有無などが異なれば、同じ料金、同じサービス、同じ営業方法では通用しない。観光客が多い町では住民向けの仕事と観光関連の仕事を組み合わせられるかもしれないが、観光需要が少ない山間部ではその方法は使えない。人口一万人の町で成立した仕組みが、別の人口一万人の町でも成立するとは限らないのである。

 それでも、一つの地域で成立した仕組みを、条件の似た別の地域へ展開する可能性は残されている。大切なのは、成功した事業の外見をそのまま模倣することではなく、なぜ成功したのかを理解することである。顧客が一定の距離に集まっていたからなのか、別居家族が費用を負担していたからなのか、既存事業との組み合わせで移動費を抑えられたからなのか。こうした成立条件を把握すれば、人口密度や所得、交通条件などを調整しながら、別の地域でも再現できるかを検討できる。ここに、地域ビジネスをその町だけの小商いで終わらせない可能性がある。

 ただし、成功事例を調べるときには、うまくいかなかった事業にも目を向けなければならない。行政や報道で紹介されるのは、どうしても成果の上がった取組に偏りやすい。しかし、同じ発想で開業しながら利用者不足で撤退した事業、補助金がなくなると継続できなかった事業、人手不足によって営業範囲を縮小した事業も存在するだろう。成功した事業だけから成功確率を判断すると、実際より有利な結論になりかねない。新しい商いの可能性を冷静に評価するためには、成功と失敗の両方から、事業が成立する条件を探ることが必要になる。

 現在、買い物、交通、医療、住宅管理などの問題は、山間部や半島部の集落だけに限られた現象ではなくなりつつある。大都市そのものが過疎地になるわけではないとしても、都市郊外の住宅団地や高齢化したニュータウンでは、住民の高齢化とともに商店が撤退し、病院や買い物への移動が難しくなるという問題が起こり得る。実際、農林水産政策研究所の食料品アクセス困難人口の推計では、三大都市圏にも相当数の対象者が存在している。人口が集中する都市圏の中でも、生活サービスへのアクセスに問題を抱える人がいることは、重要な事実である。

 東京や大阪にも、人口が密集した地域と、日常生活に必要なサービスが十分に届きにくい地域が同時に存在する状況は、すでに見られる。もっとも、都市郊外の生活上の不便と、山間部の過疎集落の不便は、原因も解決方法も同じではない。人口密度、交通網、住宅の形態などの違いによって、適切な事業モデルは変わる。それでも、現在の過疎地で試されている仕組みの一部が、条件を変えることで都市郊外にも応用できる可能性はある。

 その意味で、過疎地は日本全体の未来をそのまま映す鏡ではない。しかし、人口減少と高齢化によって社会の仕組みがどのように変わるのかを、先に見せている場所の一つだと考えることはできる。だから、過疎地を見るときに「どうすれば昔の人口に戻せるか」という問いだけを立てると、重要なものを見落とすかもしれない。もちろん、移住者を増やし、子育て環境を整え、働く場所を作ることには意味がある。しかし、日本全国のすべての町で若者が急増し、出生数が増え、昔のような商店街が復活することを前提に将来を考えるのは現実的ではない。人が少なくなった社会でも、どうすれば便利に、安心して、できれば豊かに暮らせるのかという、もう一つの問いが必要になる。

 この問いに答えることのできる事業には、これから価値が生まれる可能性がある。ただし、社会的に価値があることと、民間事業として利益が出ることは分けて考えなければならない。利用者が十分な料金を支払えるサービスであれば、民間事業として独立採算を目指すことができるだろう。一方、生活に不可欠であっても採算の難しいサービスについては、自治体の支援や既存事業者との連携などを含めた仕組みが必要になる。すべての困り事を商売に変えることが、人口減少社会への正しい対応というわけではないのである。

 そして商売を考えるうえで大切なのは、十年後の未来を完璧に言い当てることではない。むしろ、来年この町で自動車を運転できなくなる人がどのくらいいるのか、五年後には誰がこの家を管理するのか、地元の商店が一軒なくなったときに誰が困るのか、といった小さな未来を丁寧に考えることである。人口推計や世帯統計は、こうした変化の方向を知るための手掛かりになる。しかし、実際に誰が困り、何を必要とし、どのような方法なら利用するのかは、住民や事業者の声を聞かなければ分からない部分も多い。

 仮説を立てたら、小さく試せばよい。最初から大きな建物を借り、大勢を雇い、設備に何百万円も投じる必要はない。一つの地域で少人数にサービスを提供し、本当に料金を払ってもらえるのか、何度も利用してもらえるのか、移動時間まで含めて採算が合うのかを確かめる。ただし、最初の数人の反応だけで地域全体の需要を判断するのは危険である。知人や好意的な人だけを対象にした試験では、実際より利用率が高くなることもある。小さな実験は市場の成功を証明するものではなく、仮説の問題点を見つけ、次の判断に必要な情報を得るためのものだと考えるべきだろう。

 その際には、利用者の人数や売上だけでなく、継続率、作業時間、移動費、キャンセル、苦情、利用を断った人の理由なども確認する必要がある。思ったほど需要がなければ、小さな段階で撤退することもできる。利用者の反応がよくても、移動費や人件費を計算すると赤字になるなら、料金や提供方法を見直さなければならない。逆に、少人数でも継続利用があり、十分な利益が残ることを確認できれば、慎重に営業範囲を広げることができる。商売において重要なのは、未来を百パーセント当てることではなく、予想が外れたときの損失を小さく抑え、成果が確認できたときに拡大できる仕組みを持つことなのだろう。

 世の中の変わり目とは、古い商売が壊れる時代であると同時に、古い常識が通用しなくなる時代でもある。人口が増えるから店を出す、若者が多いから新しい商品が売れる、人が集まる場所に商売が生まれるという成長社会の常識だけでは、人口減少時代の市場を十分には説明できない。人が減ることで必要になる仕事があり、高齢化や家族構成の変化によって外部に任せる仕事が増え、働き手が不足するからこそ省力化や共同化に価値が生まれる場合もある。ただし、その変化は一様ではなく、新しい需要が生まれる一方で、利用者も担い手も減り、事業の継続が難しくなる地域もあるだろう。

 商人に必要なのは、人口減少を楽観的に捉えることでも、悲観的に捉えることでもない。変化によって何が失われ、何が不足し、誰がどのような不便を感じているのかを具体的に理解することである。そして、その不便を解決する方法が、利用者にとって無理のない料金で提供でき、事業者にとっても継続可能なのかを確かめることである。人口が減っているという事実だけでは、商売が成立するかどうかは決まらない。重要なのは、その地域で実際に起きている生活の変化と、それに対応できていない供給の仕組みなのである。

 その兆候は、未来予測の本の中だけにあるのではない。すでに日本各地の小さな町に、生活の変化として現れている。シャッターの下りた商店街を見て、「何もなくなった」と考えるのか。それとも、「何がなくなり、その結果、誰がどのように困っているのか」と考えるのか。同じ景色を見ても、そこから得られる情報はまったく違ってくる。商人の目とは、おそらく後者なのだろう。

 もちろん、変化そのものを歓迎する必要はない。高齢化も人口減少も、そこで暮らす人々に現実の不便や負担を生じさせている。商店が閉まり、交通手段が失われ、家族の支援が受けられなくなることを、安易に商機と呼ぶことには慎重であるべきだろう。しかし、その不便を減らすことで利用者から納得できる対価を得る商売であれば、人口減少を利用するのではなく、人口減少によって生じた問題を解決することで成り立つ。ここには大きな違いがある。

 世の中が安定しているときには、昨日と同じ商売を今日も続けることができる。しかし、社会そのものが変わるときには、昨日まで必要とされなかったものが、明日には欠かせないものになることがある。その境目を探すために、いつも大都会の新しい店や海外の流行ばかりを見る必要はないのかもしれない。むしろ一度、日本各地の過疎地を歩いてみるとよい。そこにある生活の不便を見つめ、人口や世帯の統計を確かめ、人々の声を聞き、何が変わったのかを考えてみるのである。

 そこには、単なる「日本の終わり」があるわけではない。失われていくものがある一方で、暮らしを支える新しい方法を必要としている人々がいる。かつての賑わいをそのまま取り戻すことはできなくても、人が少なくなった社会にふさわしい別の仕組みを作ることはできるかもしれない。すべての地域に成功の保証があるわけではなく、すべての困り事が利益を生むわけでもない。それでも、人口減少と高齢化という限られた側面ではあるが、少し気の早い「日本のこれから」が、すでに各地の小さな町で静かに始まっている。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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数字で比較するサービスを見る

 地方の町を車で走っていると、ときどき不思議な感覚に襲われる。昔そこに何があったのかはもう思い出せないのに、新しく建ったドラッグストアの姿だけは妙にはっきり目に入ってくるのである。広い駐車場に大きな看板、明るい店内には薬だけでなく、牛乳、卵、パン、冷凍食品、菓子、洗剤、ティッシュ、化粧品、酒まで並び、かつて「薬を買う場所」だったはずのドラッグストアは、いつの間にか町の小さな生活百貨店のような存在になった。

 しかも興味深いのは、日本全体では人口減少が続いているにもかかわらず、ドラッグストア市場はなお拡大していることである。経済産業省の商業動態統計によれば、2025年のドラッグストア販売額は前年より5.5%増え、店舗数も3.6%増加した。人口が減れば店も減るという単純な関係では説明できない現象が、現実には起きているのである。

 ただし、ここで一つ慎重にならなければならない。日本全体で人口が減る一方、ドラッグストアの店舗数が増えているという事実と、人口が減っている市町村ほどドラッグストアが増えているという事実は同じではない。後者を証明するには市町村単位の人口推移と店舗数を重ねて分析する必要があり、全国統計だけからそこまで断定することはできない。また、商業動態統計のドラッグストア調査は、原則として50店舗以上を有する企業、またはドラッグストアの年間販売額が100億円以上の企業を対象としており、全国のすべての店舗を数えたものではない。それでも、人口減少社会のなかでドラッグストアが食品や日用品の販売を拡大し、小売業における存在感を強めていること自体は、現在の地方の暮らし方を考えるうえで十分に興味深い。

 住民の立場から見れば、新しいドラッグストアは歓迎すべき存在に見える。薬を買えるだけでなく、食品も日用品もそろい、夜まで営業していて駐車場も広い。スーパー、薬局、化粧品店、酒屋を別々に回らなくても、一つの店でかなりの買い物が済むのだから、忙しい家庭にも、自動車を利用できる高齢者にも便利である。

 それでは、ドラッグストアが増えた町は本当に「便利な町」になったのだろうか。この当たり前に見える問いを少し疑ってみると、地方の商業が静かに組み替えられている姿が見えてくる。

薬を売る店で、なぜ食品を買うようになったのか

 昔ながらの薬局を思い浮かべれば、現在のドラッグストアの姿はかなり違って見える。店の奥には医薬品が並んでいるが、入口近くでは飲料や菓子が山積みになり、冷蔵ケースには牛乳や豆腐、冷凍ケースには食品が並んでいる。店舗によっては酒や生鮮食品まで扱っており、もはや「薬を売る店」という説明だけでは実態を表せない。

 数字を見ると、この変化が単なる印象ではないことが分かる。2025年のドラッグストアの食品販売額は、前年より9.1%増加し、食品は販売額全体のおよそ3分の1を占めるまでになった。ドラッグストア市場の成長を支えている商品群の一つが、薬ではなく食品なのである。

 ただし、食品販売額の増加を、そのまま購入数量の増加と考えることはできない。総務省の消費者物価指数によれば、2025年の全国の食料品価格は前年比6.8%上昇しており、ドラッグストアの食品販売額9.1%増にも物価上昇の影響が含まれていると考えられる。仮に販売商品の価格が一律に6.8%上昇したとすれば、販売数量に相当する増加率は約2.2%にとどまる計算になる。ただし、これは異なる統計を組み合わせた概算であり、実際の販売数量が2.2%増えたことを示すものではない。商品構成や値引き率の違いもあるため、消費者が以前より多くの商品を購入したのか、別の店から購買先を移したのかを知るには、さらに詳しいデータが必要になる。

 また、ドラッグストア全体の販売額が5.5%増加した一方で、店舗数も3.6%増えていることを考慮する必要がある。販売額を店舗数で割った単純な1店舗当たり販売額の増加率は約1.8%であり、市場拡大のかなりの部分が店舗網の拡大と関係していることが分かる。この約1.8%も物価上昇の影響を含む名目上の数字であり、既存店の販売数量や利益が同じ割合で増加したことを意味しない。人口減少社会でドラッグストアが成長しているという事実は確かでも、その成長の中身は慎重に見なければならないのである。

 それでも、ドラッグストアが食品を重視する理由は理解しやすい。牛乳や卵、飲料、菓子、冷凍食品などは日常的に購入されるため、消費者を繰り返し店へ呼び込む力がある。食品を買いに来た人が洗剤を買い、化粧品を買い、必要になれば医薬品も買うようになれば、一つの店舗で複数の需要を取り込むことができる。

 流通分野の研究でも、食品カテゴリーの購入とドラッグストアへの継続利用との間に関連があることが示されている。食品は単に売上を作る商品であるだけでなく、顧客との接点を増やし、「またこの店へ来る」という習慣を形成する役割を持つと考えられる。ただし、食品を購入したから継続利用するようになったのか、もともとその店をよく利用する人が食品も購入しているのかについては、関連性と因果関係を区別する必要がある。

 この変化を地域の側から見ると、さらに別の意味が現れる。住民一人が一か月に使えるお金には限りがあり、人口が減ったからといって一人の人が二倍の歯磨き粉を使ったり、三倍の牛乳を飲んだりするわけではない。その状況でドラッグストアの食品や日用品の販売が伸びれば、これまでスーパー、薬局、化粧品店、酒屋などに向かっていた消費の一部が移動している可能性を考える必要がある。

 もっとも、地域の消費総額が常に一定というわけでもない。物価が上がれば販売金額は増え、世帯数や年齢構成が変われば購入する商品の種類も変化する。観光客や近隣自治体からの買い物客が流入することもあれば、逆に住民が地域外へ買い物に出かけることもある。したがって、ドラッグストアの売上増加を、そのまま地元の個人商店から奪った売上と見なすことはできない。

 地方の商店が減る背景には、人口減少、経営者の高齢化、後継者不足、消費者行動の変化、自動車社会への移行など多くの要因があり、そこへ大型小売業やチェーン店との競争が加わっていると考える方が現実に近い。実際、中小企業庁の商店街実態調査でも、経営者の高齢化に伴う後継者問題は商店街の大きな課題として挙げられている。

 したがって、ドラッグストアの増加を地域商業衰退の直接的な原因と決めつけることも、衰退と無関係だと考えることも適切ではない。薬、食品、日用品、化粧品など、かつて複数の店が分担していた役割を一つの店舗に集め、広い商圏から客を集めるという経営の仕組みが、人口減少社会の消費環境に適応している可能性があるのである。

「一軒で全部買える」という便利さ

 仕事を終えた夕方、車を停めて店に入り、風邪薬を買い、牛乳を買い、洗剤を買い、翌朝のパンまで買って帰ることができれば、その便利さを否定する理由はない。一つの店舗で必要な買い物が終われば、移動時間や店を探す時間を短縮できる。価格や品ぞろえも希望に合っているなら、消費者にとって合理的な選択である。

 しかし、「一軒で多くの買い物が済む」という便利さには少し皮肉な性質がある。一軒で買い物が完結するほど、二軒目や三軒目へ行く必要がなくなるからである。

 かつて町には、薬は薬局、肉は肉屋、魚は魚屋、酒は酒屋、日用品は雑貨店というように、それぞれ別の役割を持つ店が存在していた。それを昔の美しい風景として無条件に懐かしむ必要はなく、営業時間が短かったり、品ぞろえが少なかったり、価格が高かったりした店も当然あった。それでも、多くの異なる店が存在するということは、町のなかに複数の商売と複数の選択肢が存在することでもあった。

 ドラッグストアは、それらの役割の一部を一か所へ集約する。消費者個人から見れば移動する必要が少なくなって便利になる一方、町全体から見れば、利用される店舗の種類が減ったり、特定の店舗への依存が強まったりする可能性がある。ここに「個人にとっての便利さ」と「町全体の便利さ」が必ずしも一致しない理由がある。

 家から五分のところに大型店が一軒ある町と、十分以内に性格の違う店が五軒ある町では、どちらが便利なのだろう。価格や移動時間を重視すれば前者かもしれないが、商品の選択肢や専門性を重視すれば後者かもしれない。さらに唯一の大型店が撤退したときのことまで考えれば、答えは変わってくる。

 もっとも、五軒の店が存在していても、必要な食品を扱う店が一軒しかなければ、食料品の供給という点では決して強い町とはいえない。反対に、同じ業態のドラッグストアが三軒あっても、それぞれが食品や日用品を取り扱っていれば、一軒が閉店した際の代替先になり得る。店の種類が多いことと、生活に必要な機能が十分に確保されていることも、厳密には同じではないのである。

 つまり、便利さとは店の数だけでは測れず、業態の種類だけでも測れない。何が買えるのか、いくらで買えるのか、どれだけの時間をかけて行けるのか、そして特定の店がなくなっても生活が続けられるのかという、複数の条件によって決まるのである。

「増えた店」だけを見ていると、町の変化を見誤る

 町を観察するとき、人は新しくできたものには敏感だが、静かに消えていったものには意外と気づかない。新しいドラッグストアの大きな看板は目に入るが、その数年前に閉店した小さな薬局や酒屋、化粧品店、食料品店のことは時間とともに忘れられていく。そうなると町の記憶には、「ドラッグストアが増えた」という変化だけが残りやすい。

 しかし、本当に地域を分析しようとするなら、増えた店だけを数えても十分ではない。十年あるいは二十年という時間のなかで、どの種類の店が増え、どの種類の店が減ったのかを同時に見る必要がある。もし薬局、酒屋、個人商店、小型スーパーなどが減る一方でドラッグストアが増えている地域があるなら、そこでは単純に店舗が増えたのではなく、地域消費の受け皿となる業態が変化した可能性がある。

 大規模小売店の出店が周辺の既存店に与える影響については国内でも実証研究が行われている。大阪府と兵庫県の長期データを用いた研究では、大型店の出店が既存小売店の売上や存続に負の影響を及ぼす場合があることが確認されている。ただし、その影響は既存店の種類や規模、新規出店店舗との距離、商圏の条件などによって異なる。この研究結果を、そのままドラッグストア固有の影響や全国すべての地域に当てはめることはできない。

 さらに、同じ時期にドラッグストアが増え、個人商店が減っていたとしても、それだけで前者が後者を閉店に追い込んだとは証明できない。経営者の引退や後継者不足によって店舗が減少する一方、残された需要を取り込む形でチェーン店が進出してきた可能性もある。逆に、新規出店による価格競争が既存店の経営を難しくした可能性もあり、どちらの説明が実態に近いかは地域ごとの調査によって判断する必要がある。

 だからこそ、「ドラッグストアが増えた町」を見るときには、それを犯人探しにしてはいけない。むしろ、消費者がどの店を選ぶようになり、各店舗の売上や経営環境がどのように変化し、その結果として地域の商業構造がどう組み替えられたのかを見る方が有益である。

 消費者が便利で安い店を選ぶことは合理的であり、店側がその需要に応えることも合理的である。しかし、個々の判断が合理的であっても、その積み重ねが十年後の町にとって望ましい結果をもたらすとは限らない。市場というものの興味深さは、まさにそこにある。

高齢社会でドラッグストアが担うもの

 ドラッグストアと高齢社会の関係も単純ではない。「高齢者が増えたからドラッグストアが増えた」と因果関係を決めつけることはできず、店舗立地には人口密度、交通量、競合状況、土地価格、物流条件、企業の出店戦略など多くの条件が影響する。

 それでも、現在のドラッグストアが高齢社会で担える役割は大きい。医薬品だけでなく、衛生用品、介護関連商品、食品、日用品などを扱い、調剤を行う薬局を併設する店舗であれば、医療機関を受診したあと処方箋に基づく薬を受け取り、そのまま生活用品や食品まで買って帰ることができる。

 ただし、ドラッグストアが存在することと、処方箋に基づく調剤を受けられることは同じではない。一般用医薬品の販売と処方箋調剤では必要な資格者や店舗の体制が異なり、薬剤師の配置、調剤受付時間、在宅患者への対応などにも違いがある。地域の医療や健康を支える機能を評価するなら、ドラッグストアの店舗数だけでなく、実際にどのようなサービスを利用できるかまで確かめる必要がある。

 そして、この便利さにはもう一つ重要な条件が潜んでいる。店まで行けなければならないのである。

 地方のドラッグストアには、幹線道路沿いに大きな駐車場を備え、自動車での来店を前提としている店舗が少なくない。車を運転できる人にとっては非常に便利だが、運転できなくなったとき、同じ店が突然遠い場所へ変わる可能性がある。

 農林水産省の農林水産政策研究所は、店舗までの直線距離が500メートル以上あり、自動車を利用することが困難な65歳以上の人を「食料品アクセス困難人口」として推計している。2020年には全国で約904万人、65歳以上人口の25.6%がこの条件に該当した。75歳以上に限ると約566万人で、75歳以上人口の31.0%に相当する。

 この推計では、対象となる店舗に食料品スーパーやコンビニエンスストアだけでなく、ドラッグストアも含まれている。ただし、2015年以前の推計にはドラッグストアが含まれていなかったため、異なる年の数字を単純に比較することには注意が必要である。また、500メートルという基準は直線距離であり、実際の道路に沿った徒歩距離や坂道、歩道の整備状況、横断歩道の位置などをすべて反映しているわけではない。したがって、この904万人という数字は一定の統計上の条件に基づく推計であり、買い物に困っている人のすべてを数えたものではない。

 それでも、この数字が示しているのは、店が存在することと、その店を利用できることが同じではないという事実である。

 六十代では車で五分の大型店を便利だと感じていた人が、八十代になって免許を返納すると、その店へ行く交通手段を失うかもしれない。そのとき、以前なら歩いて行けた小さな商店がすでになくなっていれば、「大型店がある便利な町」は、その人にとって「買い物へ行きにくい町」に変わる。

 もっとも、買い物の方法は自家用車と徒歩だけではない。家族による送迎、公共交通、移動販売、宅配、ネットスーパーなどが利用できれば、店舗までの距離が長くても生活を支えられる場合がある。反対に、店舗が近くても道路環境が悪かったり、必要な商品が販売されていなかったりすれば、十分な便利さは得られない。

 したがって町の便利さを考えるなら、「店があるか」という問いだけでは足りない。「誰が、どのような交通手段で、その店へ行けるのか」、さらに「行けない人にはどのような代替手段があるのか」まで考える必要がある。

安さが示しているのは、所得よりも買い物行動かもしれない

 ドラッグストアの大きな魅力の一つが価格であることは間違いない。食品や日用品が安く売られていることも多く、家計にとってその恩恵は大きい。物価が上昇し、日々の食費や生活費への負担感が強まる状況では、少しでも安く購入できる店舗が選ばれるのは自然なことである。

 しかし、ここから「ドラッグストアが多い町は所得が低い」と結論づけることはできない。店舗立地には所得以外にも人口、交通量、地価、物流、競合店舗、商圏人口、企業ごとの出店戦略など多数の要因が関係しているため、店舗数だけから住民の経済状態を推測すれば誤った結論に到達する危険がある。

 また、低価格の商品が目立つからといって、店舗内のすべての商品が他店より安いとも限らない。集客力の高い食品を安く販売し、医薬品や化粧品、日用品などを組み合わせて収益を確保する経営方法も考えられる。消費者の側でも、牛乳はドラッグストアで買い、生鮮食品はスーパーで買うというように、商品ごとに購入先を使い分けることがある。

 このような行動を考えると、一回の買い物で支払う金額だけでなく、移動にかかる時間や燃料費、複数の店を回る手間まで含めて便利さを考える必要がある。食品が数十円安くても、そのために長い距離を移動するなら、家計全体で見た利益は小さくなるかもしれない。反対に、通勤や通院の帰り道に買い物を済ませられるなら、多少価格が高くても合理的な選択になる場合がある。

 地域分析として興味深いのは、所得そのものより「住民がどのような買い方を選んでいるか」である。一つの店舗で食品と日用品をまとめて買いたいのか、安さを重視するのか、専門店を使い分けるのか、車で遠くまで買い物へ行くのか、近所の店を頻繁に利用するのか。こうした小さな選択が積み重なり、その町で成立する店舗の種類を変えていく。

 店は単に商品を置いている建物ではない。その町に暮らす人が、何を買い、どこまで移動し、何を一度に済ませ、何に時間とお金を使うのかという日常行動と、それに対応する企業の経営判断によって存在している。そう考えると、ドラッグストアの看板は人口統計とは別の意味で、地域生活を読むための一つの手掛かりになる。

店が増えても、町の機能が増えたとは限らない

 町の変化を考えるうえで重要なのは、ドラッグストアが増えること自体ではなく、それによって地域全体で利用できる生活機能がどのように変わるかという点である。

 ドラッグストア同士が競争すれば、価格が下がり、品ぞろえが充実し、営業時間も便利になる可能性がある。しかし、どれほど立派なドラッグストアが三軒あっても、それだけで本屋、衣料品店、飲食店、電器店などの役割まで満たせるわけではない。店舗数の増加が、生活に必要な機能の種類の増加につながるとは限らないのである。

 もっとも、同じ業態の店舗が増えることと、生活機能が単純に減ることも同じではない。ドラッグストア一軒でも、食品、医薬品、日用品、衛生用品など複数の役割を担うことができ、同じような店が複数存在すれば、一軒が閉店した際の代替先になる可能性もある。重要なのは業態の種類だけでなく、実際にどのような商品やサービスが利用でき、それらが地域のどこに、どれほど安定して供給されているかという点である。

 十軒の店があっても九軒が似たような品ぞろえなら、数字の上では店が多い町でも、生活上の選択肢は意外に狭いかもしれない。反対に店舗数が少なくても、スーパー、飲食店、医療機関、衣料品店、ホームセンターなど異なる機能が確保されていれば、町の生活には一定の多様性が残る。ただし、店舗の種類が多くても、住民が利用できない場所に集中していたり、必要な商品が十分に供給されていなかったりすれば、その多様性をそのまま便利さと評価することはできない。

 チェーン店の増加が商業空間を均質化させる可能性については、都市計画や商業研究の分野でも議論されている。全国どこへ行っても同じ看板、似た建物、似た商品構成が現れることで、買い物の安心感や効率性は高まる一方、土地ごとの商業景観の違いは小さく見えるようになる。ただし、景観の均質化と住民の生活満足度の低下は同じものではなく、慣れた店があることに安心感を覚える人もいれば、地域独自の店が残ることに価値を見いだす人もいる。

 ここでも「チェーン店は悪い」という話にする必要はない。チェーン店が成長するのは、それを利用する消費者に価格、品ぞろえ、営業時間などの明確な利点があるからであり、問題は便利さそのものではなく、地域全体の機能が特定の企業や少数の店舗へ偏りすぎていないかという点にある。

 ドラッグストアが増えた町は、便利になっていないわけではない。ただ、町全体の便利さがあらゆる面で向上したというより、「ある種類の便利さが非常に強くなった」と考える方が正確かもしれない。

「便利な一軒」がなくなったとき

 大型店舗へ買い物機能が集まることには、もう一つ見落とされやすい問題がある。その店がなくなったときである。

 地方都市では、大型店が撤退したあと地域住民の買い物環境が悪化した事例が実際に研究されている。兵庫県高砂市の大型商業施設の撤退を対象とした研究では、調査回答者の九割を超える人が、撤退によって買い物の困難度が高まったと回答している。ただし、これは調査回答者についての結果であり、市全体の住民が同じ割合で困難を感じたことを意味するものではない。また、この事例を全国のドラッグストアにそのまま当てはめることもできない。

 それでも、生活機能を少数の店舗へ集中させれば、その店舗が撤退した際の影響が大きくなるという構造は理解しやすい。商売である以上、どんな店舗も永遠に存在する保証はない。人口が減り、競争環境が変化し、企業が出店戦略を変更すれば、昨日まで町の中心だった大型店が閉店することもある。

 ここに「効率」と「冗長性」の違いがある。

 冗長性とは、同じ役割を果たす手段が複数存在し、一つが失われても全体の機能を維持できる性質である。同じような商品を扱う店が複数存在する町は、競争の激化という問題を抱える一方、一軒が閉店しても別の店で買い物を続けられる可能性がある。反対に、一つの大型店ですべてを済ませられる町は非常に効率的でも、その一つへの依存が高ければ、撤退したときの影響が大きくなる。

 この考え方は、単なる印象論ではない。商業環境の研究では、店舗の立地や規模に基づく充足度に加えて、地域の利便性が少数の店舗へどの程度依存しているかを安定度として評価する方法も提案されている。店舗が近くにあるという現在の便利さだけでなく、その便利さが一部の店舗に集中していないかを測ることには、理論的な意味があるのである。

 ただし、店舗数が多ければ必ず安定するとも限らない。複数のチェーン店が同じ経営環境の悪化に直面すれば、短期間に相次いで撤退する可能性がある。逆に、店舗が少なくても、経営が安定した店に加えて移動販売や宅配などの代替手段が整っていれば、住民の生活機能を維持できる場合もある。地域の強さは、単なる店舗数ではなく、代替手段の確保と、その持続可能性によって決まる部分が大きい。

 町の便利さを考えるなら、今日の買い物がどれほど楽かだけでなく、その便利さが十年後にも残っているかという視点が必要なのである。

町の便利さは、どのように測ればよいのか

 ここまで考えてくると、「ドラッグストアが増えた町は本当に便利になったのか」という問いに答えるためには、店舗数だけではなく、いくつかの異なる指標を組み合わせる必要があることが分かる。

 第一に必要なのは、店舗の供給量である。人口一万人当たりの小売店舗数や、一定範囲内に存在する食品販売店舗数などを調べれば、住民に対してどれほどの店舗が存在するかを把握できる。ただし、人口当たりの店舗数は人口減少によって分母が小さくなるだけでも増加するため、実際の店舗数の変化と区別しなければならない。

 第二に必要なのは、店舗の種類ではなく、実際に利用できる生活機能の把握である。食品、医薬品、衣料品、日用品、医療関連サービスなどをどこで利用できるのかを調べれば、見かけ上の店舗数だけでは分からない商業機能の偏りを確認できる。特にドラッグストアの場合、食品の取り扱い範囲や調剤機能の有無は店舗によって異なるため、同じ業態として一括りにしない方が実態を捉えやすい。

 第三に重要なのが移動時間である。自動車で五分の距離と徒歩で五分の距離は同じではなく、自動車を利用できない高齢者にとっては、近くに見える店でも到達することが難しい場合がある。住民の居住地から店舗までの徒歩時間、自動車移動時間、公共交通の利用可能性を分けて調べれば、誰にとって便利になり、誰にとって不便さが残っているのかを明らかにしやすい。

 第四に考えるべきなのは、買い物の経済的負担である。単に商品の価格を比べるだけでなく、移動にかかる燃料費や交通費、所要時間、まとめ買いによる負担などを含めて考えれば、店舗の低価格戦略が実際の生活費にどの程度の利益をもたらしているのかを、より現実的に評価できる。

 第五に必要なのが、店舗撤退への耐久力である。例えば、町で最も多く利用されている食品販売店舗が閉店したと仮定し、その前後で住民の買い物先までの移動時間がどの程度増えるかを計算する。そうすれば、現在の便利さだけでなく、その便利さがどれほど特定の店舗に依存しているのかも評価できる。

 このような分析を御宿町、いすみ市、勝浦市、大多喜町などの地域で行うなら、現在のドラッグストアの店舗数を調べるだけでは不十分である。十年から二十年程度の人口推移と小売店舗の開閉店、年齢別人口、自動車利用の状況、公共交通、食品販売機能の分布などを組み合わせることで、地域商業の変化をより客観的に捉えられる。

 その際、国勢調査や経済センサスなどの公的統計を利用することは有効だが、業態分類の変更や調査対象の違い、自治体の境界、統計の公表時期などにも注意する必要がある。また、店舗の出店と既存店の撤退が同じ地域で起きていても、それだけで因果関係を確定することはできない。出店地域と条件が似た非出店地域を比較するなど、人口や交通条件の変化を考慮した分析を行うことで、初めて影響をより厳密に検討できる。

 もちろん、町の暮らしやすさのすべてを数字に置き換えられるわけではない。店員との会話を楽しみにしている人、顔なじみの店で相談できることに安心感を覚える人、誰にも気兼ねせず大型店で買い物を済ませたい人など、便利さの感じ方はそれぞれ異なる。統計が示すのは生活環境の一面であり、住民の経験や満足度と照らし合わせることで、その意味がより明確になる。

 重要なのは、「大型店が増えたから発展している」「個人商店が減ったから衰退している」と最初から結論を決めることではない。どの機能が増え、どの機能が減り、その変化が誰に利益をもたらし、誰に負担を生じさせているのかを、できるだけ公平に確かめることである。

ドラッグストアの駐車場から、町の未来を見る

 夕方になると、地方のドラッグストアの駐車場には次々と車が入ってくる。会社帰りの人、高齢の夫婦、子どもを乗せた家族が店へ入り、食品や薬や日用品を買って帰っていく。その風景を見れば、ドラッグストアが地域生活の一部を支えていることは理解できる。

 だから、ドラッグストアを地方衰退の象徴として描くのも正しくない。むしろ人口が減り、高齢化が進み、買い物行動が自動車中心になった地域社会に適応しながら、薬、食品、日用品を供給する店舗として、現在のドラッグストアは経営上の合理性を備えた存在と考えられる。

 しかし、合理的な店舗が増えることと、町全体が豊かになることは同じではない。

 薬も買える。食品も買える。洗剤も買える。夜まで営業していて駐車場も広い。それでも別の場所では本屋がなくなり、衣料品店がなくなり、食堂が減り、個人商店が閉じていくのだとすれば、私たちは単純に「不便な町から便利な町へ」移動しているのではなく、「多様な町から効率的な町へ」移動しているのかもしれない。

 ただし、その変化が実際に起きているかどうかは、地域ごとの店舗構成や住民の利用実態によって確かめなければならない。ドラッグストアが増えたことで生活必需品の購入先が増え、以前より便利になった人もいるだろうし、徒歩圏内の商店がなくなって不便になった人もいるだろう。同じ町のなかでも、年齢、居住地、移動手段、生活習慣によって評価は異なるのである。

 効率的な町は暮らしやすいが、効率だけを追求した町は、何か一つが失われたときに思いがけない弱さを見せることがある。一方、多様な店舗が残っていれば必ず豊かで安定した町になるわけでもなく、経営を維持できない店舗が増えれば、その多様性自体が持続しなくなる。地域に必要なのは、効率と多様性のどちらか一方を選ぶことではなく、日常の便利さを確保しながら、生活機能を持続させることである。

 だから地域を見るときには、ドラッグストアが何軒あるかだけを数えてはいけない。その周囲で何が消えたのか、どの種類の店が残っているのか、誰が車で来ているのか、車を使えなくなった人はどこで買い物をしているのか、そして十年後にも同じ生活が可能なのかまで考える必要がある。

 ドラッグストアの増加は、それだけで町が発展した証拠にも、衰退した証拠にもならない。

 それは、人口が減っても暮らしは続き、人が減っても買い物はなくならず、限られた需要と変化する生活習慣に合わせて商業の仕組みそのものが静かに組み替えられていることを映す、一つの風景なのだろう。

 次に新しいドラッグストアを見つけたとき、「またできた」とだけ思わず、その広い駐車場の向こう側まで少し眺めてみるとよい。そこには新しくできた店だけではなく、消えていった店、変わっていく住民の生活、車を降りた後の高齢者の暮らし、そしてこれからその町がどのような場所になろうとしているのかまで、ぼんやりと映っているのかもしれない。

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 夜の町で救急車のサイレンを聞くと、その音は遠くから近づき、やがてどこかへ消えていく。都市に暮らしていれば、その救急車が町を離れたあとにも別の車両がどこかで待機しているように感じるかもしれない。しかし、人口の少ない地域では事情が異なる。一台の救急車が患者を乗せて遠くの病院へ向かった瞬間、その地域の救急対応能力が一時的に低下し、次の救急要請には離れた消防署から別の車両を向かわせなければならないことがある。

 人口減少時代の地域医療を考えるとき、病院や診療所の数、医師や看護師の人数には比較的目が向きやすい。しかし、救急車がどこに何台あり、その一台がどれほどの人口と土地を担当しているのか、さらに出動した救急車が再び次の患者に対応できるまで何分かかるのかは、普段の生活ではほとんど意識されない。119番へ電話すれば救急車は来るものだという感覚が強く、救急車そのものを一つの有限な地域資源として見る機会が少ないからだろう。

 ところが、救急車という資源には、きわめて単純でありながら避けることのできない制約がある。一台の救急車は同時に二つの場所へ行くことができず、一人の患者に対応している間、その車両と救急隊は原則として別の患者には対応できない。この当たり前の事実を出発点にすると、救急車の配置は単なる台数の問題ではなく、人口、面積、道路網、高齢化、救急需要、病院までの距離、そして時間が絡み合う地域構造の問題として見えてくる。

「人口2万人に1台」という数字だけでは測れない

 日本には救急自動車の配置について一定の目安がある。総務省消防庁の「消防力の整備指針」第13条では、人口10万人以下の場合、おおむね人口2万人ごとに救急自動車1台を配置することを基準としている。人口10万人を超える場合には5台を基礎とし、10万人を超える人口についておおむね5万人ごとに1台を加えるという考え方である。

 例えば人口2万人であればおおむね1台、人口6万人であればおおむね3台、人口10万人であればおおむね5台、人口20万人であればおおむね7台という計算になる。ただし、これは実際の地域で必要とされる台数を機械的に決定するものではない。指針は、昼間人口、高齢化の状況、救急出動の発生状況などを勘案することとしており、制度そのものが人口だけでは救急力を測れないことを前提としている。

 また、この基準は全国の住民に一定時間以内の救急車到着を保証するものでもない。人口2万人に1台という数字を満たしていても、出動が重なれば近隣からの応援が必要になり、道路条件が悪ければ到着時間は長くなる。つまり、配置基準を満たしていることと、救急対応能力に十分な余裕があることは、別の問題なのである。

 同じ人口2万人でも、数十平方キロメートルの平坦な市街地に住民が集まっている地域と、山間部や海岸沿いの数百平方キロメートルに集落が散らばっている地域では、一台の救急車が提供できるサービスの水準は異なる。また、働く世代や子育て世帯の多い地域と、高齢者の割合が著しく高い地域でも救急需要は変わってくるため、「人口2万人に1台」という数字は安全性の限界値ではなく、救急体制を考えるための出発点に近い。

本当の限界は「二件目」が発生したときに見える

 救急車1台が何人を支えられるかを考えるとき、年間の出動件数を365日で割って一日の平均件数を求めるだけでは、本当の余裕は分からない。救急要請は規則正しい時刻表に従って発生するものではなく、午前中に一件、午後に一件、夜間に一件というように均等に分散してくれるわけではないからである。

 ある地域で一日に三件の救急要請が発生するとしても、それぞれが十分な間隔を空けていれば、一台の救急車で対応できる可能性は高い。しかし、そのうち二件が同じ時間帯に重なれば状況は一変する。一台目がすでに出動していれば、二件目には近隣の消防署などから別の救急車を向かわせる必要がある。応援車両が近くにいれば到着時間への影響が小さい場合もあるが、離れた場所からの出動になれば、その距離が患者の待ち時間を延ばす要因となる。

 ここには、交通量や通信設備の混雑にも共通する性質がある。設備の使用率が低い間は多少の需要増加にも対応できるが、能力の上限に近づくほど、わずかな需要増加によって待ち時間や対応不能の確率が急激に高まりやすい。救急車も同じで、「平均的には処理できている」という状態と、「要請が重なっても十分に対応できる」という状態は異なる。

 救急体制に必要なのは、平均的な一日を問題なく処理できる能力だけではなく、偶然二件、三件と救急要請が重なったときにも、地域全体として対応を維持できる余力である。この余力がどの程度あるかは、単純な人口当たり台数からは見えにくい。

数理モデルで見る救急車1台の限界

 救急車の配置を数理的に考えるとき、参考になるのが待ち行列理論である。待ち行列理論とは、利用者や仕事が不規則に発生する状況で、処理能力、混雑、待ち時間などの関係を分析する数学的手法であり、救急車の配置や出動体制を研究する際にも応用されている。

 ここで、人口規模とは独立した仮想的な地域を考えてみよう。この地域では救急要請が一日平均3件発生し、一件の対応によって救急車が平均90分間、次の要請に対応できなくなるものとする。救急要請は時間的に独立して不規則に発生し、地域内の車両がすべて使用中の場合には、別の地域の救急車が担当すると仮定する。

 この条件で、救急車が使用中となる確率をアーラン損失モデルによって計算すると、地域内に救急車が1台しかない場合、救急要請が発生した瞬間にその車両が使用中である確率は約15.8%となる。一方、同じ需要に対して救急車を2台配置すると、2台とも使用中となる確率は約1.46%に低下する。

 この結果は、救急車が1台から2台になれば救急サービスの供給能力が単純に2倍になるだけではなく、同時出動によって地域内の車両が不足する確率を大きく減らせることを示している。ただし、これは一定の仮定に基づく数理モデルの結果であり、実際の自治体で同じ確率になるという意味ではない。救急要請の時間帯別の偏り、救急車の配置場所、近隣地域との相互応援などによって結果は変わる。

 さらに注目すべきなのは、一件当たりの拘束時間である。同じ一日平均3件という需要でも、一件当たりの拘束時間が60分であれば、1台体制で使用中となる確率は約11.1%だが、90分では約15.8%、120分では20.0%となる。出動件数が増えなくても、一件の対応に必要な時間が長くなるだけで、次の救急要請に地元の救急車が対応できない確率は上昇するのである。

 もっとも、この確率は患者に救急車が派遣されない確率でも、必ず到着が遅れる確率でもない。あくまで地域内の全車両が使用中となる確率であり、その際に別の救急車がどこから、何分で到着できるかは別途評価する必要がある。また、昼間に救急需要が集中する地域では、一日平均に基づく計算よりも、特定の時間帯の混雑が深刻になる可能性がある。

 このように救急車の能力は、単に何件の出動を処理できるかという件数の問題ではなく、一件にかかる時間と、次の要請が重なる確率によって左右される。救急車1台の限界を考えるうえで、平均出動件数と同じくらい重要なのが、使用中となる確率なのである。

面積が広がれば、一台の救急車は別の存在になる

 人口だけでは捉えにくいもう一つの制約が、地域の広さと道路条件である。人口2万人が駅を中心としたコンパクトな市街地に暮らしているのであれば、消防署から多くの住民のもとへ比較的短時間で到達できる。しかし同じ2万人が山間部や海岸線沿いに数十キロメートルにわたって散在している地域では、一台の救急車が同じ人口を担当していても、実際に提供できる救急サービスは大きく変わる。

 さらに重要なのは、地図上の直線距離と救急車が実際に走る距離が一致しないということである。山を越える道路、川を渡る橋、細い生活道路、曲がりくねった海岸道路、積雪、観光期の渋滞などが加われば、地図では数キロメートルしか離れていない集落でも、時間の上では遠い場所になる。

 仮に救急車が平均時速30キロメートルで10分間走ったとしても、進める距離は単純計算で約5キロメートルにすぎない。しかも実際の救急では、119番通報の受理、住所や状況の確認、出動指令、出動準備、交通信号や一般車両への対応、住宅の特定などが加わるため、消防署を中心に半径何キロメートルという円を描くだけで、安全に対応できる範囲を決めることはできない。

 人口密度が低いことは、地域によって救急活動の効率を低下させる要因となる。ただし、人口密度と到着時間が必ず反比例するわけではない。面積が広くても住民が幹線道路沿いに集まっていれば比較的短時間で到達できることがあり、面積が小さくても山や川によって道路が限られていれば移動時間は長くなる。また、人口減少によって遠隔地の居住者が減れば、地域全体の平均到着時間が短くなる可能性もある。

 問題は、人口が減少しても自治体の面積が縮むわけではなく、道路が短くなるわけでも、山や川がなくなるわけでもないことである。居住する集落が分散したまま人口が減少すれば、救急体制を維持するための地理的負担が大きく残り、少ない住民のために広い地域を守る必要が生じる。人口減少そのものよりも、人口減少後に住民がどこに残るのかという居住分布が、救急サービスの効率を左右するのである。

病院まで運ぶ時間が地域から救急車を奪う

 救急車の能力を考えるうえでもう一つ見落とされやすいのが、救急車の仕事は患者の家へ到着したところで終わらないという点である。救急隊は現場へ到着したあと、患者の状態を確認し、必要な処置を行い、搬送先を選定して病院へ向かい、医療機関へ患者を引き継ぐ。その間、原則として別の患者に対応することはできない。

 総務省消防庁の2024年の全国統計では、119番通報から救急車が現場へ到着するまでの平均時間は約9.8分だった。一方、通報から患者を医師へ引き継ぐまでの病院収容所要時間は平均約44.6分である。私たちが「救急車が来るまでの時間」として意識する10分前後の時間よりも、その後の現場活動や搬送などに使われる時間のほうが長いことが分かる。

 ただし、この44.6分は救急車が次の出動に対応できるまでの全拘束時間ではない。医師への引き継ぎが終わったあとにも、病院からの引き揚げ、車内や医療資器材の整理、補充、移動などが必要になる場合がある。一方、必ずしも消防署へ帰るまで次の出動ができないわけではなく、病院からの帰路や移動中に新たな出動指令を受ける運用もあるため、帰署までの時間と再出動できない時間も厳密には区別しなければならない。

 参考になるのが東京消防庁の統計である。2024年の東京消防庁管内では、119番入電から帰署または帰所するまでの救急活動平均所要時間は109分30秒だった。これは全国平均ではなく、東京消防庁管内の活動状況を示す数字であり、地方部の拘束時間をそのまま推定できるものではない。しかし、医師への引き継ぎまでの時間だけで一件の救急活動全体を評価することが不十分であることは理解できる。

 消防署から患者宅まで10分で到着できる地域でも、そこから受け入れ可能な病院まで40分かかれば、救急車は長時間にわたってその地域を離れる可能性がある。逆に病院が近い地域でも、救急外来が混雑していたり、必要な診療科の受け入れが難しかったりすれば、搬送先の選定や医師への引き継ぎに時間を要することがある。

 したがって、救急車の能力を評価するには、消防署から患者宅までの時間、現場活動時間、病院までの搬送時間、医師への引き継ぎに要する時間、そして次の出動が可能となるまでの時間を分けて考える必要がある。近くに消防署があるから安心だとは限らず、その救急車が患者をどこまで運ばなければならないのか、どの時点で再び出動できるのかまで見なければ、地域の救急力を正確には評価できない。

人口が減っても救急需要は同じ割合では減らない

 人口減少地域では、一見すると人口が減れば救急車の必要台数も減らせるように思える。しかし、この考え方には人口構成を見落とす危険がある。救急需要は単純に人口の総数だけで決まるものではなく、年齢構成、疾病の発生状況、介護施設の配置、住民の健康状態などによって変化するからである。

 2024年に救急車で搬送された人のうち、65歳以上の高齢者は63.3%を占めた。2025年の速報値でも、高齢者の搬送人員は426万5,047人で、搬送人員全体の63.1%に達している。高齢者は若年層と比較して救急搬送される割合が高いことから、総人口が減少していても高齢者の割合が上昇すれば、人口一人当たりの救急需要が増える可能性がある。

 例えば人口2万人だった町が1万5千人になったとしても、その減少の中心が若者や働く世代で、高齢者人口がそれほど減っていないのであれば、人口が25%減ったからといって救急出動も25%減るとは限らない。転倒、急病、循環器疾患、呼吸器疾患などに伴う救急要請が一定程度残れば、救急車一台にかかる負荷は人口減少率ほど軽くならない可能性がある。

 この関係は、数理的にも説明できる。地域全体の年間救急需要を推計するには、年齢階層ごとの人口に、それぞれの救急搬送率を掛け合わせ、その結果を合計する方法が考えられる。年齢階層別の人口と搬送率が分かれば、単純に総人口の増減率を使うよりも、人口構造の変化を反映した需要推計が可能になる。

 ただし、高齢化が進む地域では必ず救急出動が増えると断定することもできない。高齢者人口そのものが減少する地域では、搬送率が高くても救急需要の総数は減る可能性があり、在宅医療や介護体制、疾病予防、救急車の利用行動などによっても結果は変わる。さらに、2025年の全国の救急出動件数は速報値で768万6,235件となり、2024年の771万8,380件から約0.4%減少している。長期的な需要増加傾向と、個々の年における増減は区別して考える必要がある。

 人口減少社会では、利用者の総数が減少しても、一人当たりのサービス需要や、一件のサービスを提供するために必要な時間と費用が同じ割合で減るとは限らない。救急車は、この人口減少時代の構造的な問題が分かりやすく現れる公共サービスの一つといえる。

救急車一台とは、一台の自動車ではない

 では、救急車を増やせば問題は解決するのかというと、話はそれほど簡単ではない。救急車を動かすには救急隊員が必要であり、24時間365日の運用を考えれば、一台の車両を購入して消防署の車庫へ置いただけでは、一台分の救急力を増やしたことにはならない。

 消防法施行令第44条では、救急隊は原則として救急自動車1台と救急隊員3人以上で編成することとされている。ただし、一定の条件を満たす場合には2人編成が認められるほか、過疎地域や離島では所定の実施計画に基づき、救急隊員と准救急隊員を組み合わせる制度もある。したがって、全国すべての救急車が例外なく同じ人数で運用されているわけではない。

 仮に3人の救急隊員を常時配置する場合、必要な勤務時間は年間で合計2万6,280人時となる。これは3人に24時間と365日を掛けた値であり、年間2,080時間勤務する職員に換算すると、約12.6人分の労働量に相当する。ただし、この計算は常時配置に必要な労働時間を示すものであり、実際に13人の専任職員が必要という意味ではない。勤務形態、他の消防業務との兼務、休暇、訓練、交替要員などによって、実際の人員配置は変わる。

 救急車を運用するには救急隊員だけでなく、救急救命士などの専門人材、通信指令、車両整備、医療資器材、教育訓練、病院との連携など、多くの仕組みが必要になる。救急車の台数を増やす政策を考える際には、車両購入費だけでなく、長期にわたる人件費や運用費、専門職員を継続的に確保できるかどうかまで評価しなければならない。

 実際、2025年4月1日時点で全国の消防本部が保有していた救急自動車は、非常用を含め6,727台だった。一方、設置されている救急隊は5,485隊である。両者の数が異なることからも、保有車両数がそのまま常時出動可能な救急車の数を意味するわけではないことが分かる。

 人口減少地域では、この人員面の制約が今後さらに重要になる可能性がある。住民人口が減るだけでなく、消防職員や救急救命士として働く世代そのものも減少するからである。救急車一台を維持するとは、自動車一台を所有することではなく、一年中いつでも救急サービスを提供できる組織を維持することなのである。

救急車は市町村の境界だけで動いているわけではない

 救急体制を地域単位で評価するとき、忘れてはならないのが消防行政の広域化である。日本の消防は市町村を基本単位としているが、実際には複数の市町村が共同で消防組織を運営する形態も広く採用されている。

 2025年4月1日時点で、救急業務を実施している全国1,690市町村のうち、1,114市町村は一部事務組合または広域連合による実施形態だった。したがって、ある町に救急車が一台しか配置されていないとしても、その町の救急対応能力が一台分に限られるとは限らない。同じ消防組織に属する近隣の署所から別の救急車が出動することもあり、地域全体で出動体制を調整できる場合がある。

 ただし、広域消防であれば必ず安心というわけでもない。隣接する消防署に救急車が配置されていても、その車両がすでに出動していれば、さらに遠くからの応援が必要になる。また、広域化によって組織管理や車両運用の効率が向上しても、救急車が実際に走る道路の距離まで短くなるわけではない。

 このため、地域の救急力を測る際には、市町村内の救急車台数だけでなく、消防本部全体の配置状況、近隣署所との距離、出動指令の仕組み、応援車両の到着時間まで含めて評価する必要がある。ある地域に一台しかないことよりも、その一台が出動したとき、代わりに何台の救急車がどこから対応できるのかが重要なのである。

都市は「件数」、地方は「距離」に追われる

 2024年には全国で約772万件の救急出動があり、2025年4月時点では全国に5,485の救急隊が設置されていた。異なる時点の数値を使った単純な概算ではあるが、一隊当たりの出動件数は年間約1,400件、一日平均では4件弱となる。ただし、この計算は全国の出動件数を救急隊数で割ったものであり、個々の救急隊の実際の出動件数や勤務負担を示すものではない。

 救急需要は時間的にも地理的にも均等に発生するわけではなく、都市と地方では一件の出動が持つ意味も異なる。都市部では人口や昼間人口が多いために救急要請が集中しやすく、短時間に複数の要請が重なれば、多くの救急車を配置していても不足することがある。一方、人口の少ない地方では出動件数そのものが少なくても、患者宅までの距離や病院までの搬送距離が長く、一件の要請によって救急車が長時間拘束される可能性がある。

 都市の救急車は「数」に追われ、地方の救急車は「距離」に追われるという表現は、両者の特徴を捉えた比喩といえる。ただし、都市部でも搬送先の選定や交通渋滞によって長時間拘束される場合があり、地方でも観光期や感染症の流行、熱中症の増加などによって救急要請が集中することはある。件数と距離は都市と地方を完全に分ける要素ではなく、どちらの地域でも両方を評価しなければならない。

 最終的には、都市でも地方でも同じ問題に行き着く。それは、救急要請が発生した瞬間に、対応できる救急車がどこにあり、何分で患者のもとへ到着できるのかという問題である。

平均到着時間だけでは地域の安全性を測れない

 救急体制を評価する際に広く使われるのが、119番通報から現場到着までの平均時間である。全国平均や自治体別の平均時間は地域間比較の一つの手掛かりになるが、平均値だけで地域の救急対応能力を判断することには限界がある。

 例えば、ある地域で救急車の平均到着時間が10分だったとしても、ほとんどの地域に10分前後で到着できる場合と、市街地では5分以内に到着する一方、山間部では20分以上を要する場合とでは、住民が受ける救急サービスの水準は異なる。しかし、この二つの地域の平均値が同じになる可能性はある。

 そこで重要になるのが、到着時間の分布である。平均到着時間に加えて、全出動の90%が何分以内に到着しているのかを示す90パーセンタイル値や、95%が何分以内に到着しているのかを示す95パーセンタイル値を調べれば、到着時間が長い事例を含めた地域の実態を把握しやすくなる。

 さらに、消防署から10分以内、15分以内、20分以内で到達できる地域に、それぞれ何人が暮らしているのかを調べることにも意味がある。これらの時間は救急活動の安全を保証する全国一律の境界ではなく、地域の到達状況を比較するための分析区分である。実際の救命可能性は傷病の種類や重症度、現場での応急手当、医療機関への到着時間などにも左右されるため、一定時間以内の到着率だけを安全性そのものとみなすことはできない。

 また、救急車がすべて使用中だったために最寄りの車両以外が出動した割合や、その際にどれほど到着時間が延びたのかも重要な指標になる。平均到着時間が短くても、出動が重なったときの追加待機時間が長い地域では、救急体制の余力が小さい可能性がある。

行政区域ではなく「時間の地図」を描く

 ここまで考えると、「救急車1台が人口何人、面積何平方キロメートルを担当できるのか」という問いそのものを少し変えたほうがよいことが分かる。重要なのは自治体全体の人口や面積だけではなく、救急車が住民のもとへ何分で到達でき、患者を病院へ搬送し、再び次の要請に対応できる状態へ戻るまで何分かかるのかという、時間を中心とした地域構造である。

 例えば、消防署から10分以内で到達できる地域には何人が暮らしているのか、15分を超える地域には何人いるのか、さらに20分以上かかる集落がどこに残されているのかを調べれば、単なる行政区域の地図とは異なる地域の姿が見えてくる。そこに救急要請の発生件数、高齢者人口、道路状況、医療機関の位置を重ねれば、救急体制の地理的な弱点をより具体的に把握できる。

 さらに、最寄りの救急車が使用中の場合を想定し、二番目に近い車両や三番目に近い車両が何分で到着できるかを調べることもできる。平常時の最短到着時間だけでなく、一台が使えなくなった場合の到着時間を比較すれば、救急体制がどの程度の余裕を持っているかを把握しやすくなる。

 近年では、過去の救急需要や時間帯別の発生傾向を分析し、救急車の待機場所を調整する手法も研究されている。救急車の台数を増やさなくても、需要が集中しやすい場所へ車両を移動させることで、到着時間を短縮できる可能性がある。ただし、一部の地域への配置を厚くすれば、別の地域の対応能力が低下する場合もあるため、地域全体の到達時間や応援余力を評価する必要がある。

 地図に描くべきなのは、市町村境界や消防署の位置だけではない。救急車が到着するまでの時間、病院までの搬送時間、出動可能な車両が失われたときの追加時間という、複数の「時間の地図」を重ねることが重要なのである。

人口2万人でも安全な町と危うい町がある

 人口2万人に救急車一台という目安が同じでも、地域条件が変われば救急体制の余力は大きく変わる。人口密度が比較的高く、道路網が整い、受け入れ可能な病院が近く、高齢化率も相対的に低く、近隣消防署との応援体制が充実している地域であれば、一台当たりの担当人口がある程度多くても対応力を維持できる可能性がある。

 一方、人口が少なくても広い地域に集落が分散し、病院までの距離が長く、高齢化率が高く、隣接する救急隊も遠いのであれば、人口規模の割に救急対応が難しくなる場合がある。住民人口が少ない観光地では、連休や夏季などに滞在人口が急増することもあり、住民基本台帳上の人口だけで救急需要を予測すると、実際の利用状況との間にずれが生じる可能性がある。

 この違いは人口密度だけでも説明できない。面積が広くても道路網や救急車の配置が適切であれば到達時間を短縮でき、面積が小さくても地形や道路の制約によって移動時間が長くなる場合がある。さらに、地域の医療機関がどのような患者を受け入れられるのかによって、搬送先の選択肢や搬送時間が変化する。

 したがって、救急車一台を評価するためには、人口、面積、年齢構成、道路網、救急需要、医療機関、観光客、近隣自治体との連携といった複数の条件を、最終的には到着時間、搬送時間、拘束時間、出動可能確率などの指標へ変換して考える必要がある。

救急車が町を離れたあとに何が残るのか

 地域の救急体制を考えるとき、重要なのは救急車が配置されているかどうかだけではなく、その一台が出動したあとにどのような対応能力が残されているかという視点である。

 一台しかない地域でその救急車が病院へ向かえば、次の救急要請には近隣の救急隊による対応が必要になる。二台あれば一台が残る可能性があるが、その一台も出動すれば同じ問題が起きる。ただし、実際の消防活動では、近隣署所や広域の指令体制によって別の救急車を派遣できる場合があるため、地元の車両が使用中であることが、直ちに救急サービスの停止を意味するわけではない。

 ここで評価すべきなのは、地域内に何台の車両が残っているかという数字だけではない。次の要請に対応できる救急車がどこにいるのか、どの程度の時間で到着できるのか、さらに近隣地域でも同時に救急要請が発生した場合に対応を維持できるのかという、広域的な出動余力である。

 これは防災や電力供給にも共通する問題といえる。普段の需要を満たしているだけでは十分ではなく、一部の設備や資源が使えなくなった場合にも、システム全体が機能を維持できるかどうかが重要になる。救急車についても、平均的な出動件数を処理できることと、複数の出動が重なっても対応を維持できることは区別しなければならない。

 また、救急車を増やすことだけが改善策とは限らない。消防署間の応援体制を見直すこと、救急車の待機場所を調整すること、医療機関との搬送調整を改善すること、病院からの再出動を円滑にすることなどによって、同じ台数でも対応能力が改善する可能性がある。ただし、その効果は地域の道路網や医療資源、出動実績によって異なるため、個別の検証が必要になる。

 地域の救急力とは、平常時に何台あるかだけではなく、一部の車両が使用中となった場合にも、住民への対応をどれほど維持できるかという能力として考えたほうが実態に近い。

地域の救急力をどう評価すべきか

 これからの人口減少地域で救急体制を検証するのであれば、単純な救急車の配置台数だけでなく、少なくとも四つの視点から分析することが望ましい。

 第一は、救急需要の規模と構造である。年間出動件数、一日当たりの平均件数、時間帯別の発生件数、年齢階層別の搬送率、季節変動を調べることで、救急要請がいつ、どの地域で発生しやすいのかを把握できる。特に高齢化が進む地域では、総人口の増減だけでなく、年齢階層別人口と実際の救急搬送率を組み合わせて考える必要がある。

 第二は、救急車が一件の対応に費やす時間である。現場到着までの時間、現場活動時間、病院までの搬送時間、医師への引き継ぎ時間、再出動可能となるまでの時間を分けて分析すれば、救急車が長時間拘束される原因を把握しやすくなる。特に受け入れ可能な病院が遠い地域では、一件当たりの拘束時間が救急車の出動可能性を左右する重要な要素になる。

 第三は、地理的な到達能力である。消防署からの直線距離ではなく、実際の道路を使った移動時間を基準として、住民の居住地点までの到達時間を分析する必要がある。平均時間だけでなく、90パーセンタイル値や95パーセンタイル値、一定時間以内に到達できる人口の割合を確認すれば、地域内に残る到達時間の格差を捉えやすくなる。

 第四は、救急車が使用中の場合の対応能力である。最寄りの救急車が出動している割合、他の署所からの応援出動率、二番目に近い救急車の到着時間、複数の車両が同時に出動する確率などを調べることで、通常時には見えにくい救急体制の弱点が明らかになる可能性がある。

 ただし、これらの指標を正確に算出するには、消防本部が保有する出動記録や時間帯別の運用情報などが必要になる。公表されている統計だけでは十分な分析ができない場合もあるため、実際の地域分析では消防行政がどの程度の情報を公開できるかという点も重要になる。

 さらに、救急車の到着時間を短縮することと、救急医療の結果を改善することは同じではない。患者の救命や後遺症の軽減には、疾病の種類や重症度、早期の応急手当、医療機関の受け入れ能力、適切な治療開始までの時間などが関係する。地域の救急体制を評価する際には、救急車の運用効率だけでなく、住民が適切な医療へつながるまでの過程全体を考える必要がある。

救急車1台の限界は、人口ではなく「時間の余白」にある

 結局のところ、「救急車1台は人口何人、面積何平方キロメートルまで担当できるのか」という問いに、全国共通の一つの数字で答えることはできない。

 制度上は人口2万人程度に一台という目安が存在するが、人口2万人が狭い市街地に集まって暮らしている場合と、広い地域に分散して暮らしている場合では、一台の救急車が提供できるサービスの水準は異なる。さらに、高齢化が進めば人口当たりの救急需要が高まる可能性があり、病院までの搬送距離が長ければ一件の出動による拘束時間も長くなりやすい。二件目の救急要請が重なれば、一台しかない体制の弱さが表面化する場合もある。

 ただし、救急車の限界を単純に時間だけで表すことにも注意が必要である。救急要請は不規則に発生するため、地域に残された安全の余裕を「あと何分」という一つの数字で測ることはできない。数理的には、必要なときに救急車が出動可能である確率、一定時間以内に到着できる確率、他地域から応援を受ける場合の追加到着時間など、複数の指標で評価することが適切である。

 それでも、これらの指標に共通するのは、住民が救急医療へつながるまでに必要な時間と、救急車が次の患者に対応できる状態へ戻るまでの時間である。人口が生み出す需要、地理が生み出す距離、一件の救急活動が消費する時間、そして複数の要請が重なる確率が組み合わさるところに、その地域固有の救急対応能力の限界が生まれる。

 深夜、遠くで聞こえていた救急車のサイレンが次第に小さくなり、やがて町の外へ消えていく。その瞬間、町の人口も面積も変わらず、道路も建物も昨日と同じ場所にある。しかし救急医療という視点から見れば、地域で直ちに対応できる救急車が一台減ったことによって、次の救急要請に対応するための余力は一時的に小さくなっているかもしれない。

 人口減少時代に問うべきなのは、救急車が何台置かれているかという数字だけではない。その一台が町を離れたあと、地域全体としてどの程度の救急対応能力を維持できるのか、次の救急要請に何分で対応できるのか、そして住民が暮らす場所によってその時間にどれほどの差があるのかという問いである。

 人口統計にはほとんど表れない、その「時間の余白」を測定可能な指標として捉えることができれば、病院数や医師数、救急車の保有台数だけでは見えなかった地域の課題が明らかになるだろう。救急車一台が守れる人口と面積の限界を考えることは、単に救急車を何台配置するかという問題ではなく、人口減少が進む地域で、どのように住民の安全と医療へのアクセスを維持していくのかという、地域社会全体の将来を考えることなのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 町の人口について語るとき、私たちはまず「何人減ったのか」を見る。10年前には1万人いた町が9000人になれば、人口は1割減ったと説明できる。数字は明快であり、隣の自治体とも比較しやすい。しかし、その9000人がどのような9000人なのかというところまで踏み込まなければ、その町でこれから何が起こるのかは意外なほど見えてこない。

 たとえば、同じように人口が1割減った二つの町があったとする。一方では子どもや働く世代が大きく減り、高齢者の割合が急速に高まっている。もう一方では人口そのものは同じように減っているものの、30代や40代の子育て世帯が一定程度残り、あるいは町外から転入している。人口減少率だけを見れば二つの町はほとんど同じに見えるが、10年後に必要となる学校、交通、医療、介護、住宅、商店の姿はかなり違ったものになるだろう。

 人口減少率は、町がどのくらいの速さで小さくなっているのかを知るために重要な指標である。しかし、年齢構成を見ると、人口減少という一つの数字の内部に隠れていた世代の厚さや薄さが現れ、町がこれからどの方向へ変わっていく可能性が高いのかまで考えられるようになる。もっとも、年齢構成があれば将来を正確に予測できるというわけでもない。人口減少率で町の規模の変化を把握し、年齢構成によってその中身と時間軸を読み、さらに出生、死亡、人口移動、産業、地域の生活環境を組み合わせることが重要なのである。

人口は「人数」であると同時に「時間」でもある

 人口統計の興味深いところは、現在の数字の中に未来の一部がすでに含まれていることである。現在10歳の人は10年後には20歳になり、現在65歳の人は10年後には75歳になる。もちろん、その間には死亡や転出、転入があり、新しく子どもも生まれるため、現在の人口をそのまま未来へ移動させればよいわけではない。それでも、現在すでに存在している世代については、その人々が時間とともにどの年齢層へ移っていくかを、一定の条件のもとで見通すことができる。

 実際、人口学で地域の将来人口を推計するときも、単純に「毎年何%減る」と仮定しているわけではない。代表的な方法に、コーホート要因法がある。コーホートとは、同じ時期に生まれた人々など、共通の条件によってまとめられた集団を意味する。この方法では、現在の男女・年齢別人口を出発点として、出生、死亡、転入、転出の影響を組み合わせながら将来の人口を推計する。国立社会保障・人口問題研究所が公表している市区町村別の将来人口推計も、この考え方に基づいている。

 人口の増減は、基本的には期首の人口に出生数と転入数を加え、死亡数と転出数を差し引くことで説明できる。しかし、町の将来を知るには、その増減がどの年齢層で起きているのかまで確認する必要がある。例えば、現在50代後半から60代前半が厚く、30代から40代が薄い町なら、その大きな世代は十数年後に70代へ移動する一方、地域の労働や子育てを担う年齢層は相対的に細くなる可能性がある。

 ただし、このような将来人口の推計は、出生率、死亡率、人口移動率などについて一定の仮定を置いて行われる。将来の人口移動や出生数は確定しているわけではなく、経済状況や政策、交通環境などによって変化する可能性がある。そのため、将来推計人口は未来の確定値ではなく、設定された条件が続いた場合に想定される人口の姿として理解する必要がある。人口減少率が町の規模の変化を表す数字だとすれば、年齢構成は町の中を流れている時間そのものを映し出し、将来を考えるための出発点になるのである。

同じ1000人の減少でも意味はまったく違う

 人口1万人の町から1000人が減ったとしても、その1000人が誰だったのかによって町への影響は変わる。若い世代を中心に転出して1000人減ったのであれば、単に現在の住民が減るだけでは済まない。将来の出生数、住宅取得世帯、地域で働く人、地域消費を支える人まで減る可能性があり、現在の人口減少が次の人口減少につながる構造が生まれることもある。ただし、若い世代が減ったことだけで将来の出生数や地域経済の規模が決まるわけではなく、出生率、就業状況、所得、転入者の動向なども関係する。

 一方、高齢者を中心とする自然減によって1000人減った地域では、人口総数の減り方は同じでも現れる問題が異なる。75歳以上や85歳以上の人口が将来的に減少すれば、医療や介護需要の総量がピークを越える可能性がある。しかし、高齢者全体の人数が減り始めても、その内部で85歳以上の人口が増えていれば、介護需要はむしろ増加することがある。さらに、住宅が空き家となり、空き地が増え、人口が減っても簡単には縮小できない道路や上下水道などの施設を、どのように維持していくかという問題も残る。

 ここで注意したいのは、ある年齢層の人口が減ったという事実と、その減少が何によって起きたのかという原因は、必ずしも同じ統計から分かるわけではないことである。例えば、30代の人口が減っていても、それが転出のためなのか、もともとその世代の出生数が少なかったためなのかは、現在の年齢構成だけでは判断できない。人口の減少原因を明らかにするには、過去の同じ世代の人口と比較し、死亡や転入、転出の統計を照合する必要がある。

 つまり、人口減少には「どれだけ減ったか」という量の問題と、「どの世代が減ったのか」という構造の問題があり、さらに「なぜ減ったのか」という原因の問題が存在する。人口減少率だけでは、この三つの違いを十分に捉えることはできないのである。

高齢化率だけを見ればよいわけでもない

 それなら人口減少率ではなく高齢化率を見ればよいのかというと、話はそれほど単純ではない。65歳以上の住民が40%を占める二つの町があったとしても、65歳から74歳が厚い町と、80歳以上が厚い町では地域に必要となるサービスが異なる可能性が高い。65歳になったからといって生活が急に変わるわけではなく、自家用車を運転しながら仕事や地域活動を続けている人も多い。一方、年齢がさらに上がるにつれて、通院、買い物、移動支援、介護などへの需要が増える傾向がある。

 実際、厚生労働省が2026年に示した資料では、2024年の全国データに基づく要介護・要支援認定率は、65歳から74歳で4.3%、75歳から84歳で17.6%、85歳以上では58.2%となっている。85歳以上の認定率は65歳から74歳の約13.5倍であり、同じ高齢者という区分でも、年齢によって介護を必要とする人の割合には大きな違いがある。ただし、この数値は介護保険制度における認定率であり、実際に介護サービスを利用している人の割合と完全に一致するものではない。また、個人の健康状態や生活能力には大きな違いがあるため、年齢だけで一人ひとりの介護需要を決めつけることもできない。

 もう一つ重要なのは、高齢化率と高齢者の実人数を区別することである。例えば、人口1万人の町に65歳以上が4000人いれば、高齢化率は40%となる。その後、人口が9000人に減り、高齢化率が42%へ上昇したとしても、65歳以上の人数は3780人となり、実際には220人減っている。つまり、高齢化率が上昇していても、高齢者の実人数は減少している場合がある。医療や介護の将来需要を考えるときには、高齢者の割合だけでなく、各年齢階級の実人数が今後どう変化するのかを見る必要がある。

 子どもの人口も同じである。0歳から14歳までを一まとめにして子どもの人口が減ったと把握するだけでは、これから保育需要が減るのか、小学校の児童数が急減するのか、中学校の統廃合が問題になるのかまでは分からない。そのため、人口の将来を詳しく見る場合には、5歳程度の年齢階級に分けて世代の塊を追う方法が有効になる。もっとも、学校の児童生徒数や保育需要を実際に推計する場合には、学年別の年齢、居住地区、保育施設の利用状況、町外への通学など、さらに細かな条件を考慮する必要がある。

 細かな人口表は一見すると数字の羅列に見える。しかし、その数字を時間の方向へ並べ直すと、単なる統計表の中から町の過去と現在、そして未来へ続く流れが浮かび上がってくるのである。

年齢構成の変化は時間差を伴って町全体へ広がる

 人口構造の変化は、一つの分野だけに現れるわけではない。ある世代が小さくなれば、その影響は時間を置きながら保育、学校、労働、住宅、商業へと波及し、別の世代が高齢化すれば医療、介護、交通などへの需要が変化していく。例えば、乳幼児人口の減少は比較的早い段階で保育施設の利用者数に影響し、その後、小学校、中学校へと進む。一方、現在の50代や60代の人口構成は、今後の高齢者人口や医療・介護需要を考えるうえで重要な材料になる。

 ただし、その順番がどの町でも同じになるわけではない。すでに高齢化が進んだ町なら、学校の問題より先に医療や介護、地域交通が深刻になることもある。若者が少ない地域でも、周辺自治体から通勤者が入っていたり、外国人を含む町外の労働者によって人手不足が補われたりすれば、住民人口だけから想像するほど急速には地域産業が縮小しないこともある。反対に、住民人口が比較的維持されていても、地域の主要企業が撤退したり、交通事業者の運転手が不足したりすれば、生活や雇用環境が大きく変わることも考えられる。

 重要なのは、人口構造の変化が地域のさまざまな機能へ同時かつ機械的に影響するのではなく、それぞれ異なる時間差と条件を伴って現れるということである。人口の年齢構成は将来の需要を考える材料にはなるが、それぞれのサービスが実際にどこまで維持できるのかを判断するには、施設の配置、利用者数、経営状況、担い手の確保、行政の政策などを組み合わせて考えなければならない。

 人口減少率が町の規模の変化を示す速度計だとすれば、年齢構成は道路の先にどのような地形が待っているのかを考えるための地図に近い。ただし、その地図だけで未来が決まるわけではなく、そこには人口移動や産業、政策という別の道も描き加える必要があるのである。

若者が少ない町と、若者が出ていく町は同じではない

 現在若者が少ないという事実だけを見ても、その町の将来はまだ十分には分からない。若者が少ない理由が、20年前から出生数が少なかったためなのか、18歳や22歳を境に進学や就職で若者が大量に町外へ出ていくためなのかでは、政策として考えるべき問題が違う。出生数の減少が主な原因なら、現在の人口構造そのものが長い時間をかけて形成されていることになる。一方、若者の転出が中心なら、教育、雇用、住宅、交通、都市へのアクセスなどとの関係を考える必要がある。

 さらに、若者が町外へ出ていくこと自体が必ずしも問題とも限らない。進学などで一度町を離れても、30代や40代になって戻ってくる地域もあれば、町外で働きながら地域との関係を維持する人もいる。また、転入者が多い地域でも、その中心が子育て世帯なのか、高齢者なのかによって将来の人口構造は異なる。高齢者の転入によって当面の人口が維持されても、それが長期的な人口の安定を意味するとは限らず、地域に必要となるサービスの構成も変わってくる。

 この違いを捉えるには、人口の年齢構成だけでなく、転入と転出を合わせて見る必要がある。具体的には、5年前に15歳から19歳だった人々が、現在20歳から24歳になったときに何人いるのかというように、同じ世代の人口を時間の経過に沿って比較する方法が考えられる。このような分析では、コーホート変化率と呼ばれる、同じ世代の人数が時間の経過によってどの程度変わったかを示す指標を利用することができる。ただし、人数の変化には死亡や転入、転出などが含まれるため、変化率だけから転出の理由や人数を直接確定できるわけではない。

 若者が少ないという現在の結果と、若者が流出しているという人口移動の過程は、区別して考える必要がある。出生数の減少が原因なら出生動向や世代規模の変化を、転出が原因なら進学、雇用、住宅、交通などの条件を詳しく調べることになる。人口構造は変化の結果を示しているが、その変化を生み出した原因まで自動的に説明してくれるわけではないのである。

「人口が減る町」と「機能が減る町」は同じではない

 人口減少について考えるとき、本当に重要なのは住民の人数だけではなく、その人口で町の生活機能を維持できるかどうかである。人口が8000人から7000人に減ったとしても、診療所、スーパー、学校、鉄道やバス、行政サービスが一定程度維持されていれば、住民の生活は人口減少率ほど急には変わらないかもしれない。しかし同じ7000人でも、高齢者が広い範囲に分散して暮らし、医療や商業施設まで遠く、公共交通も乏しい町なら、生活上の負担ははるかに大きくなる可能性がある。

 ここで重要なのは、人口と地域サービスが比例して縮小するわけではないことである。人口が毎年1%減ったからといって、スーパーが毎年1%ずつ小さくなるわけではない。利用者数、人口密度、周辺地域からの来訪者、観光客、道路交通、競合店、経営者の年齢など、さまざまな条件によって営業が続くこともあれば、採算や担い手の条件を維持できなくなった時点で店舗そのものが撤退することもある。ただし、どの程度の人口になれば店舗が撤退するかという共通の境界が、すべての地域に存在するわけではない。

 公共交通についても同様である。利用者数が減少していても、自治体の財政支援や路線再編によって維持される場合がある一方、利用者が一定数残っていても、運転手不足や事業者の経営状況によって運行を継続できなくなることがある。医療や介護についても、住民の年齢構成だけではなく、医療機関や介護事業所の配置、専門職の確保、周辺自治体との連携などが重要になる。生活サービスの維持は、一つの自治体の人口だけで完結する問題ではないのである。

 したがって、人口と生活サービスの関係には単純な比例では説明できない部分がある。人口が緩やかに減っているように見えても、ある時点でバス路線や商店、診療所などが失われれば、住民の生活環境は大きく変化する。この違いを考えるときにも、人口総数だけではなく、誰がそのサービスを利用し、どのくらいの頻度で必要とするのか、さらに誰がそのサービスを提供しているのかを把握することが重要になる。

町を支える側の年齢構成も変わっている

 年齢構成という言葉から、多くの人は住民の高齢化を思い浮かべる。しかし、地域の将来を左右するのはサービスを利用する住民だけではない。医師、看護師、介護職員、バスやタクシーの運転手、自治体職員、建設業者、商店主など、町の生活を支える側にも年齢構成が存在する。サービスを利用する人の数が維持されていても、提供する側の人材が減少すれば、地域機能は縮小する可能性がある。

 住民人口がそれほど急速に減っていなくても、地域の診療所を長年支えてきた医師に後継者がいなければ医療サービスは失われる可能性がある。バスの利用者が一定数残っていても運転手が確保できなければ路線維持は難しくなり、水道や道路を維持する技術者が不足すれば、人口とは別の理由からインフラ管理が難しくなる。こうした問題は住民の年齢構成だけでは十分に説明できず、事業者や専門職の年齢構成、労働条件、後継者の有無、近隣地域からの人材供給などを調べる必要がある。

 また、一般的に15歳から64歳は生産年齢人口と呼ばれるが、この年齢層の人口がそのまま実際の労働力を示すわけではない。15歳から64歳でも就業していない人がおり、反対に65歳以上でも働いている人はいる。実際の地域労働力を考えるには、生産年齢人口の増減だけでなく、就業率、労働時間、産業別就業者数、町外からの通勤者数なども合わせて見る必要がある。外国人を含む労働者の流入や高齢者の就業継続、技術革新による生産性の変化が、人口減少の影響を緩和する場合もある。

 人口減少社会とは、単に地域サービスを利用する人が減る社会ではない。そのサービスを供給する人も減少し、高齢化する可能性がある社会であり、需要と供給の双方に目を向ける必要がある。ここまで考えると、町の将来を一つの人口指標だけで説明することが難しい理由が見えてくる。

人口減少と自治体財政は単純な比例関係にはない

 人口減少が進めば、自治体の財政にも影響が及ぶ。住民の数が減れば、個人住民税の納税者数や所得の構成が変化する可能性があり、住宅需要の低下や事業活動の縮小は、固定資産税を含む税収にも影響することが考えられる。しかし、人口が10%減少したからといって、税収や自治体が自由に使える財源が必ず10%減少するわけではない。

 自治体の税収は、住民の人数だけでなく、所得水準、企業活動、土地や建物の評価などによって左右される。また、日本の地方財政には、自治体間の財源不足を調整する地方交付税制度がある。普通交付税は、標準的な行政サービスに必要とされる基準財政需要額と、標準的に見込まれる基準財政収入額との差額を基本として算定される。そのため、人口減少は財政需要や税収、地方交付税の算定に影響するものの、財政規模を人口減少率だけで予測することはできない。

 一方で、道路、橋、水道管、公共施設などは人口が減ったからといって、その規模をすぐに小さくできるわけではない。利用者が減少しても維持管理費が同じ割合で減るとは限らず、老朽化による更新費用が増加する場合もある。さらに、人口が広い地域に分散していれば、同じ人数でも行政サービスやインフラを維持するための費用が大きくなる可能性がある。財政の持続可能性を判断するには、人口減少率と年齢構成に加え、税収構造、行政需要、公共施設の配置、設備の老朽化、地域の人口密度を確認する必要がある。

 したがって、人口減少によって財政が必ず一定の割合で悪化するという理解は正確ではない。問題は、人口構造の変化によって必要となる行政サービスが変わる一方、税収や財源、施設の維持費用がそれぞれ異なる仕組みで変化することである。自治体の将来を考えるには、人口と財政の関係も単純な比例ではなく、制度や地域条件を踏まえて分析しなければならない。

年齢構成も未来を確定する数字ではない

 年齢構成を見ると町の将来を考えやすくなるが、それでも未来を正確に予言できるわけではない。特に人口の少ない自治体では、数十世帯の転入や転出によって年代別人口の構成が大きく変わることがあり、大規模な企業立地、住宅開発、学校開設、交通環境の変化などが人口移動を変える場合もある。新たな雇用が生まれれば若年層の転入が増える可能性がある一方、主要な事業所の閉鎖によって、それまで比較的安定していた年齢構成が短期間で変化することもある。

 さらに、同じ人口構成を持つ町でも人口密度や居住分布が違えば生活環境は異なる。5000人が狭い市街地に集中して暮らしている町と、同じ5000人が山間部や沿岸部に広く分散している町では、病院、買い物、公共交通、上下水道、行政サービスを維持する条件は同じではない。人口密度だけでも十分ではなく、道路網、地形、施設までの移動時間、自家用車の利用状況、周辺自治体との関係などによって、住民が実際に利用できるサービスは変わってくる。

 将来人口の推計そのものにも不確実性がある。国立社会保障・人口問題研究所の地域別将来人口推計は、2020年の国勢調査を基準として、2050年までの市区町村別人口を男女・5歳階級別に推計しているが、その結果は出生、死亡、人口移動に関する仮定に依存している。とりわけ小規模自治体では、少数の世帯の移動が人口構成に与える影響も無視できない。推計値を見る際には、将来人口の数字そのものだけでなく、どのような条件を前提としているのかを確認する必要がある。

 そのため、町の将来を分析するなら、人口減少率と年齢構成に加えて、出生と死亡、転入と転出、人口密度、就業構造、産業、交通、医療や商業施設の配置まで見ていく必要がある。人口統計は未来を決める答えではなく、未来について何を調べるべきかを教える入口なのである。

実際の人口統計から町の将来をどう読み取るか

 人口構造を分析するときに重要なのは、総人口の増減率と年齢階級別人口の増減率を区別することである。例えば、総人口が5年間で8%減少した町でも、0歳から4歳が20%減少し、20歳から39歳が15%減少する一方、75歳以上が5%増加している場合には、世代によって人口変動の方向や大きさが異なる。このような違いを確認すれば、町全体の人口減少率だけでは見えなかった変化が分かる。ただし、これは分析方法を説明するための仮定例であり、特定の自治体の実際の人口変動を示すものではない。

 具体的な地域分析では、総人口の変化に加えて、0歳から4歳、5歳から14歳、20歳から39歳、40歳から64歳、65歳から74歳、75歳から84歳、85歳以上などの人口を比較する方法が考えられる。乳幼児人口は保育需要を、学齢期人口は学校運営を、若年・中年人口は就業や住宅需要を、高齢期人口は医療や介護、移動支援の需要を考える材料になる。ただし、年齢区分ごとの人口がそのままサービス利用者数になるわけではなく、実際の需要を推計するときには利用率や健康状態、就業率、施設へのアクセスなどを考慮しなければならない。

 さらに、同じ年齢階級の人口を単純に比較するだけでは、世代の移動を正確には捉えられない。2020年の20歳から24歳と2025年の20歳から24歳は、年齢区分は同じでも異なる出生世代である。一方、2020年の20歳から24歳と2025年の25歳から29歳を比較すれば、同じ世代が5年間でどのように変化したかを把握できる。このように年齢階級を時間に沿って移動させた比較と、同じ年齢階級を異なる時点で比較する方法は、それぞれ目的が異なる。

 2026年9月には、2025年国勢調査の人口等基本集計が公表され、全国の市区町村について男女別・5歳階級別人口を確認できるようになった。このデータを2020年の国勢調査と比較すれば、実際の5年間でどの世代が増え、どの世代が減ったのかを分析できる。また、国立社会保障・人口問題研究所が2023年に公表した将来人口推計の2025年推計値と、2025年国勢調査の結果を比較すれば、推計と実績の間にどの程度の差が生じたのかを確認することもできる。ただし、その際には人口の定義、年齢不詳の扱い、集計時点などをそろえる必要があり、単年度の差だけで推計方法全体の優劣を判断することも適切ではない。

 例えば、御宿町、勝浦市、いすみ市、大多喜町のように、人口規模、地形、交通条件、産業構造が異なる自治体を比較する場合にも、人口減少率の大小だけで将来を順位付けすることには限界がある。各自治体で若年人口、高齢者人口、転入と転出、人口の分布、生活施設へのアクセスを比較すれば、人口減少という共通の現象の中にも、異なる地域課題が存在することを検証できるだろう。

 ただし、統計から何らかの傾向が見えたとしても、それだけで原因が証明されたわけではない。例えば、若年人口の減少率が大きい町で商店の閉鎖が進んでいたとしても、若者の減少だけが閉鎖を引き起こしたとは限らない。商圏の変化、後継者不足、価格競争、住民の購買行動なども関係するため、人口統計と地域経済の実態を照合しながら分析する必要がある。町の将来を科学的に考えるとは、一つの数字から結論を急ぐことではなく、複数の統計と地域の実情を組み合わせ、説明できる部分とまだ分からない部分を区別することなのである。

それでも人口減少率を見る意味はなくならない

 人口減少率より年齢構成を見た方が町の将来は分かるのかという問いに対して、「だから人口減少率には意味がない」と答えるのは正しくない。人口減少率は、町の規模がどの程度の速さで縮小しているのかを把握するうえで依然として重要である。人口が急速に減れば、住宅需要、商業規模、公共施設利用者数、自治体の財政など、さまざまな分野に影響が及ぶ可能性がある。人口が長期にわたって減少している自治体と、人口がほぼ横ばいの自治体を同じ条件で考えることもできない。

 ただし、人口減少率を比較する場合には、対象期間にも注意が必要である。5年間で10%減少した町と10年間で10%減少した町では、人口縮小の速さが違う。また、人口規模の小さい町では、少数の転入や転出でも減少率が大きく変化する場合がある。単年の人口増減だけで長期的な傾向を判断せず、5年間や10年間の変化、年齢階級別の人数、自然増減と社会増減の内訳を確認する必要がある。

 さらに、どちらの指標が将来予測に役立つかは、何を予測するかによって異なる。小学校の児童数を予測するのであれば、現在の乳幼児人口や子育て世帯の移動が重要になる。介護需要を考えるのであれば、75歳以上や85歳以上の人口と、年齢別の要介護認定率などが重要になる。一方、商業施設の採算やインフラの維持費を考える場合には、年齢構成だけでなく、商圏人口、人口密度、施設の配置、利用状況などの影響が大きくなる。

 したがって、年齢構成が人口減少率より常に優れた予測指標であると断定することはできない。その優劣を統計的に検証するには、人口減少率だけを用いた予測と、年齢構成などを加えた予測をそれぞれ作成し、実際の結果との誤差を比較する必要がある。年齢構成を詳しく調べることには理論的な意味があるが、予測精度がどの程度向上するかは、予測対象や地域、期間によって異なるのである。

 問題なのは、人口減少率という一つの数字を、そのまま町の将来だと思ってしまうことである。年間1%ずつ人口が減っている町があったとして、その1%の中で子どもが減っているのか、働く世代が転出しているのか、それとも高齢者の自然減が大きくなっているのかによって意味は違う。さらに人口がどこに住んでいるのか、どのような仕事をしているのか、地域サービスを誰が提供しているのかまで加われば、同じ人口減少率を持つ町でも将来像は大きく異なる。

町の将来を見る視点を「何人いるか」から「誰が、どこに、どう暮らしているか」へ

 これまで地域の将来は、人口が増えるのか減るのかという尺度で語られることが多かった。人口増加は発展であり、人口減少は衰退であるという構図は分かりやすい。しかし人口減少が多くの地域にとって一時的な異常ではなく長期的な前提になるなら、これから重要になるのは人口を増減だけで評価することではなく、残る人口によってどのような生活と地域機能を維持できるのかを考えることである。

 そのためには、5年後に何人の小学生がいるのか、10年後にどの年代が地域で働いているのか、15年後にはどの世代が医療や介護を多く必要とするのか、そのとき医療や介護を提供する人は残っているのか、車を運転できない住民が増えたときにスーパーや病院まで行く手段は確保されているのか、といった問いを一つずつ重ねていかなければならない。さらに、地域のどこに住民が集中し、どこで人口の希薄化が進むのか、行政が維持すべき施設や道路がどのように配置されているのかも重要になる。

 こうした問いは人口減少率という一つの数字だけからは出てこない。年齢構成を見ることで町に流れている時間が見え、出生と死亡、転入と転出を見ることでその流れが生まれた理由を考える手掛かりが得られる。さらに、人口密度や交通、産業、施設配置を重ねることで、その変化が暮らしにどのような影響を与えるのかを、より具体的に検討できるようになる。

 ただし、人口統計から得られる情報には限界もある。年齢構成が同じでも、健康状態、所得、就業状況、家族構成、交通手段、地域とのつながりが異なれば、住民が必要とする支援は変わってくる。また、人口推計が示す将来は、現在の条件や設定した仮定に基づくものであり、企業の立地や公共交通の再編、住宅政策などによって変化する可能性もある。統計が示していることと、そこから政策的に判断すべきことを区別する姿勢が欠かせない。

 人口減少率は、町がどのくらいの速さで小さくなっているのかを知らせてくれる。しかし、年齢構成は、その町を構成している世代がこれからどのような年齢を迎え、どの分野で需要や担い手の変化が生じやすいのかを考える材料になる。そして出生、死亡、転入、転出、就業、交通、医療、住宅などの条件を加えることで、人口という数字が地域の暮らしとどのようにつながっているのかが、少しずつ明確になってくる。

 だから町の将来を知りたいのであれば、「人口が何%減ったか」で分析を終えてはいけない。その数字を入口にして、「どの世代が減ったのか」「どの世代が残っているのか」「誰が入ってきているのか」、そして「その人々が10年後にどのような暮らしを必要とするのか」まで見ていく必要がある。同時に、地域を支える働き手や事業者がどのように変化しているのか、行政や民間のサービスをどこまで維持できるのかという供給側の条件も忘れてはならない。

 人口減少率から見えるのは、町が歩いてきた軌跡と人口規模の変化である。年齢構成から見えるのは、その町を構成する世代がこれから進んでいく時間の方向である。しかし、どちらか一方だけで町の未来を決めることはできない。町の将来は、人口減少率と年齢構成に、人口移動、産業、交通、医療、住宅、財政、そして地域の生活実態を重ね合わせることで、初めて具体的に考えられるようになるのである。

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~「医者がいる町」から「医療につながる町」へ

 地方の町では、診療所の時計だけが、町とは別の時間を刻んでいるように見えることがある。午前八時半、玄関の自動ドアが開くより少し前から、数人の高齢者が待っている。受付が始まれば、血圧の薬をもらいに来た人、腰の痛みを相談する人、健康診断の結果を聞きに来た人が、いつもの椅子に腰を下ろす。医師は一人、看護師が数人、受付には長く勤めている職員がいて、患者の病歴だけでなく、家族構成や普段の暮らしまで何となく分かっている。

 それは大病院とは違う、地域の生活に深く根付いた医療の風景である。しかし、この診療所をそのまま30年先へ移動させようとすると、話は急に難しくなる。建物の老朽化や医療機器の更新だけではなく、患者の人数と年齢構成、医師の働き方、診療所の経営条件、そして町そのものの姿が大きく変わってしまうからである。

 2026年から30年後は2056年である。国立社会保障・人口問題研究所が2023年に公表した「日本の将来推計人口」によれば、出生中位・死亡中位推計における日本の総人口は、2056年に約9,965万人となり、1億人を下回る。65歳以上人口の割合も2055年には37.6%に達する見通しで、人口減少と高齢化が同時に進行する。ただし、これは2020年の国勢調査を基準に出生、死亡、国際人口移動などについて仮定を置いた推計であり、2056年の人口が確定しているわけではない。

 しかも人口減少は全国一様に進むわけではない。大都市と地方都市、人口の少ない農山漁村では変化の速度も人口構成も異なり、市区町村別の将来人口推計も2050年までの段階で大きな地域差を示している。全国の人口が減少しても、都市部では高齢者が増え続ける一方、過疎地域では高齢者の人数そのものが減っていく場合がある。

 では、地方の診療所は30年後も残っているのだろうか。

 現在と同じ形の診療所を、現在と同じ密度で維持することは、多くの人口減少地域で難しくなると考えられる。しかし、だからといって地方から診療所という存在そのものが消えるとは限らない。将来は、常勤医師による従来型の診療所に加え、複数の医療機関、訪問看護、薬局、介護、オンライン診療、巡回診療などが連携して医療を提供する仕組みが、これまで以上に重要になる可能性がある。

 30年後に問われるのは、診療所という建物を何軒残せるかだけではない。住民が必要な医療に到達できる仕組みを、人口が減り続ける地域でどこまで維持できるのかという問題なのである。

患者が減るのに、医療が楽になるとは限らない

 人口が減れば患者も減る。それなら診療所の負担も軽くなるのではないかと考えたくなるが、地方医療では、この直感が必ずしも成立しない。医療需要は人口の総数だけで決まるものではなく、年齢構成、疾病の種類、健康状態、受療行動、医療機関への到達可能性などによって変化するためである。

 仮に人口1万人の町に診療所が5か所あり、それぞれが平均2,000人程度の住民を背景人口としていたとする。その町の人口が30年後に6,000人になれば、単純に割り算した一診療所当たりの背景人口は1,200人になる。しかし、背景人口が40%減少したからといって、診療所の受診件数や診療報酬収入も正確に40%減るとは限らない。実際には、町の外から通院する患者もいれば、町の住民が隣接自治体の病院や診療所を利用する場合もあり、人口と患者数の関係はそれほど単純ではない。

 ここに高齢化という要素を加えると、問題はさらに複雑になる。30歳の住民と85歳の住民では、一般に必要とする医療の種類や量が異なる。高齢になるほど複数の慢性疾患を抱えやすく、薬剤管理、定期検査、認知機能への対応、転倒予防、在宅療養など、医療と介護が重なる課題も増えやすい。そのため、一人の患者に必要な診療時間や多職種との連携が増える可能性がある。

 厚生労働省の2023年度国民医療費によれば、人口一人当たりの年間医療費は65歳未満で21万8,000円、65歳以上で79万7,200円となっており、約3.7倍の差がある。ただし、この数字には入院医療、外来医療、調剤などが含まれるため、高齢者が診療所を3.7倍利用することを意味するものではない。高齢化によって医療費や医療資源の必要量が変化することを示す指標ではあるが、診療所の患者数をそのまま予測するための数字ではないのである。

 さらに注意しなければならないのは、過疎地域では高齢化率が上昇しても、高齢者の絶対数が減少する場合があることだ。厚生労働省が新たな地域医療構想の検討で示した2025年から2040年までの地域類型別推計では、大都市型の医療圏で65歳以上人口が平均17.2%増加する一方、過疎地域型では平均12.2%減少する見通しとなっている。生産年齢人口についても過疎地域型では平均28.4%減少する見通しであり、患者を支える医療従事者の確保が一段と難しくなる可能性がある。

 つまり、地方では高齢化率が上昇することと、地域全体の高齢患者数が増えることを区別しなければならない。高齢者一人当たりに必要な医療が複雑になっても、地域全体の外来需要は減少する場合があり、診療内容の複雑化と診療所経営に必要な患者数の確保が、同時に課題となるのである。

人口が4割減った町では、医療需要はどれだけ減るのか

 この問題をもう少し具体的に考えてみたい。仮に人口1万人の町で65歳以上の住民が30%を占め、30年後には総人口が6,000人、高齢化率が50%になるとする。さらに、65歳以上の一人当たり医療需要を65歳未満の2倍と仮定し、65歳未満の医療需要を1、65歳以上を2という指数で表す。

 現在の医療需要指数は、65歳未満の7,000人に高齢者3,000人の2倍の需要を加えるため、合計1万3,000となる。一方、30年後は65歳未満が3,000人、高齢者が3,000人なので、医療需要指数は9,000となる。人口は40%減少しているのに、医療需要指数の減少率は約30.8%にとどまる計算である。

 これは将来の実際の受診件数を予測したものではなく、年齢構成が変われば人口減少率と医療需要の減少率が一致しないことを示す単純な数理モデルである。高齢者の需要倍率を変えれば結果も変わり、実際には65歳から74歳、75歳から84歳、85歳以上などの年齢階級別に、疾患の種類や受療率、訪問診療の必要性、地域外への患者流出なども考慮しなければならない。

 それでも、この単純な計算から重要なことが分かる。人口が減る地域でも、医療需要が同じ割合で減るとは限らず、反対に高齢化が進んでいるからといって、診療所の患者数や収入が維持されるとも限らない。しかも患者一人当たりの診療内容が複雑になれば、診療時間や他職種との調整に必要な労力は増える可能性がある。

 地方診療所が直面するのは、単なる患者数の減少ではない。医療需要の総量が縮小する一方で、必要な医療機能の一部は複雑化し、それを支える人材や設備を維持しなければならないという、量と質の両面にわたる構造的な変化なのである。

全国では診療所が増えているのに、地方では維持が難しくなる

 現在の日本には、一般診療所そのものは数多く存在する。厚生労働省の2025年医療施設調査によれば、同年10月1日時点の全国の一般診療所数は10万5,521施設で、前年より314施設増加した。このうち無床診療所は10万361施設と全体の95.1%を占め、前年から569施設増加している。一方、有床診療所は5,160施設で、前年より255施設減少している。

 この統計は、人口減少が進んでいるからといって、全国の診療所数が一律に減少しているわけではないことを示している。都市部では新たな診療所が開設される一方、人口の少ない地域では後継者が見つからず、診療所の存続が難しくなる可能性がある。実際、厚生労働省の地域医療構想に関する資料でも、人口の少ない二次医療圏では診療所数が減少傾向にあり、人口の多い医療圏では増加傾向にあることが指摘されている。

 重要なのは、全国の診療所数と、地域住民が利用できる診療所数は同じ指標ではないということである。全国で100施設増えたとしても、それが大都市の駅前や住宅密集地に集中していれば、人口5,000人の地方の町で医師が一人引退する問題を解決することはできない。

 また、施設数が維持されていても、診療日数が減少したり、常勤医師が非常勤医師に置き換わったり、診療科が変更されたりすれば、住民が実際に利用できる医療機能は変化する。反対に、施設数が減少しても、医師の共同勤務や訪問診療、近隣病院との連携が充実すれば、一定の医療サービスを維持できる場合もある。

 したがって、地方医療の将来を考える際には、診療所の数だけを見ても十分ではない。誰が診療しているのか、週に何日利用できるのか、どのような検査や処置が可能なのか、診療所がなくなった場合に代わりとなる医療機関がどこにあるのかまで確認しなければ、地域医療の実態は見えてこないのである。

本当に不足するのは「医師の数」だけではない

 30年という時間を考える場合、現在の施設数以上に重要なのが、その診療所を誰が引き継ぐのかという問題である。地方の小さな診療所では、一人の開業医が診療と経営の両方を担っていることが少なくない。病院であれば一人の医師が退職しても組織としての診療機能を維持できる場合があるが、一人医師の診療所では、その医師の引退が診療所の閉鎖に直結する可能性がある。

 厚生労働省の2024年医師・歯科医師・薬剤師統計によると、診療所に従事する医師の平均年齢は60.1歳で、病院に従事する医師の45.8歳より14歳以上高い。これは診療所医師全体の平均であって、すべての診療所の院長が高齢であることを意味するものではないが、将来の医療提供体制を考える際に、医師の世代交代が重要な課題であることは確かである。

 ただし、医師が高齢であることと、後継者が存在しないことを同一視してはならない。親族への承継、医療法人による事業承継、複数医師による共同経営、近隣病院からの医師派遣など、診療所を継続する方法は複数ある。将来の閉鎖件数を正確に予測するには、医師の年齢だけでなく、引退予定、承継意向、新規開設数、廃止数、地域内の勤務医の供給状況などを継続的に調べる必要がある。

 それでも、若い医師が地方で一人診療所を経営することには、診療以外にも大きな責任が伴う。医師自身が人を雇い、設備を管理し、診療報酬の請求業務に責任を持ち、休日や夜間の対応を調整し、地域によっては学校医、予防接種、在宅診療、看取りなどにも関わることになる。都市部の病院や複数医師が勤務する診療所など、別の働き方を選択できる中で、地方での単独開業を希望する医師が十分に確保できるかは不確実である。

 医師政策でも、全国の医師数だけでなく、地域や診療科ごとの偏在が問題となっている。国は2024年12月に「医師偏在の是正に向けた総合的な対策パッケージ」を策定し、地域ごとの医師確保や勤務環境の改善などを進めている。しかし医学部の定員や全国の医師数を増やすだけで、人口の少ない町の診療所が自動的に維持されるわけではない。

 地方に必要なのは、単に医師免許を持つ人の総数ではなく、その地域で継続して働くことのできる医師と、それを支える看護師、薬剤師、医療事務職員などの人材である。医師を一人確保できても、看護師を採用できず、薬局や訪問看護の体制も不足していれば、地域医療の機能を十分に維持することは難しい。

一軒の診療所が消えると、町では距離が伸びる

 都市部では、一つの診療所が閉院しても、比較的近い場所に別の医療機関が存在することがある。しかし、地方では一軒の診療所がなくなることによって、次の診療所まで10キロ、15キロ、あるいはそれ以上の移動が必要になる場合がある。しかも30年後、その距離を移動しなければならない住民自身が、現在より高齢になっている可能性が高い。

 診療所へのアクセスは、単純な道路距離では測れない。自家用車を運転できる人であれば20分程度の移動で済む場所でも、運転免許を返納した高齢者や自動車を持たない住民にとっては、バスの運行回数、乗り継ぎ、家族の送迎、タクシー料金などが大きな制約となる。同じ距離でも、身体機能や経済状況、家族構成によって移動の負担はまったく異なるのである。

 例えば、診療所が一軒減って平均移動時間が10分延びたとしても、それだけで住民への影響を判断することはできない。多くの人が自家用車で通院できる地域と、独居高齢者が多く公共交通も限られている地域では、医療アクセスの悪化の程度が違うからである。平均移動時間が短くても、一部の住民が事実上通院できなくなるのであれば、地域全体として十分なアクセスが確保されているとは言えない。

 反対に、医師が毎日診療所に常駐していなくても、週に数回の対面診療、巡回診療、訪問看護、オンライン診療、病院への搬送手段などが適切に整備されていれば、物理的な診療所の数が減っても、必要な医療への接近可能性を一定程度維持できる場合がある。ただし、提供できる診療内容や緊急時の対応能力が従来と同じとは限らず、施設数の減少をネットワーク化だけで完全に補えると考えるべきではない。

 地方医療の維持を考える場合、診療所が何軒あるかという指標に加え、住民が必要な医療を、どの程度の時間と負担で受けられるかを評価する必要がある。

 この問題は医療政策だけでは完結しない。公共交通、道路、住宅の分布、介護サービス、地域の財政、家族による支援などが重なり合っており、医療機関の配置と交通政策を別々に検討するだけでは、十分な解決策を導くことは難しいのである。

診療所は「店」から「ネットワークの入口」へ変わるのか

 これまでの診療所は、患者が施設を訪れ、医師が診察し、必要に応じて検査や処方を行い、高度な治療が必要な場合には病院へ紹介するという形を基本としてきた。もちろん従来から病院や薬局との連携は行われてきたが、日常的な診療の多くは一つの施設を中心に提供されていた。

 しかし、人口減少が進み、医療従事者の確保が難しくなる地域では、すべての診療所が同じように医師、看護師、検査設備などを備える方式を維持できるとは限らない。限られた医療資源を地域全体で共有し、必要な医療機能を分担する仕組みが、これまで以上に重要になる可能性がある。

 厚生労働省が進める2040年以降を見据えた新たな地域医療構想でも、従来の病床機能の分化・連携に加え、外来医療、在宅医療、医療と介護の連携、医療従事者の確保などを含めて、地域全体の医療提供体制を検討する方向が示されている。ただし、地域医療構想は病院や診療所の削減、統廃合そのものを目的とするものではなく、地域ごとの人口構成や医療需要に応じた医療機能の確保を目指すものである。

 この政策の延長線上に2056年を置くと、地方の医療提供体制には複数の形が考えられる。従来型の診療所が引き続き地域の中心となる場合もあれば、複数の医師が曜日を分担して診療する場合、病院の分院やサテライト診療所が日常診療を担う場合、巡回診療や訪問診療によって住民の生活圏に医療を届ける場合もあるだろう。

 さらに、オンライン診療を受けるための施設が地域の身近な場所に設けられ、遠隔地の医師につながる仕組みも考えられる。ただし、このような施設は法律上の診療所と必ずしも同じものではなく、提供できる医療機能にも違いがある。診療所という名称や制度上の定義が一律に変わるというより、地域住民が医療を受ける窓口や提供形態が多様化していくと考える方が正確である。

 この変化を単純な進歩や退歩として評価することはできない。毎日同じ医師が診てくれる安心感や、長年の信頼関係を通じて患者の変化に気づくという利点が弱まる可能性はある。その一方で、一人の高齢医師に地域医療の多くを依存させる状態から、複数の医療従事者が役割を分担する体制へ移行できれば、医療提供の継続性を高められる場合もある。

 重要なのは、施設を集約すること自体ではなく、集約後も必要な医療機能が維持されるかを確かめることである。

オンライン診療は制度化されたが、万能ではない

 将来の地方医療を考えるうえで、オンライン診療の位置づけは以前より明確になっている。2025年12月に公布された医療法等の一部を改正する法律により、2026年4月1日からオンライン診療に関する新たな法令上の規定が施行され、「オンライン診療受診施設」が医療法上の医療提供施設の一つとして位置づけられた。

 オンライン診療受診施設とは、患者がオンライン診療を受ける場所として提供される施設であり、一定の要件と届出のもとで設置される。従来の診療所とは制度上の位置づけが異なり、診療を担当する医師や医療機関の責任のもとで利用される仕組みである。国は医療資源の少ない地域での活用を想定しており、住民にとって身近な施設を利用する可能性も示している。

 この制度の整備は、人口の少ない地域における医療アクセスを考えるうえで重要な変化である。しかし、オンライン診療受診施設が設置できるようになったことと、その地域で必要な医療がすべて提供できるようになることは別問題である。

 画面の向こうから腹部を直接触診することはできず、採血や創傷処置、画像検査などもオンライン診療だけでは完結しない。映像や音声を通じて患者の状態を確認できても、急性疾患や重症化が疑われる場合には、対面診療や救急搬送が必要になることがある。通信環境や患者の情報機器の操作能力によって利用しやすさが変わる点も無視できない。

 看護師などが患者のそばにいて、血圧、体温、酸素飽和度などを測定し、その情報を遠隔地の医師に共有する仕組みは有効な選択肢になり得る。ただし、看護師が独立して医師の診断や処方を代行できるわけではなく、診療の補助は法令上の業務範囲や医師の指示に従って行われなければならない。また、オンライン診療受診施設に看護師が必ず常駐するという制度でもなく、必要な人員配置や運営方法は提供するサービスに応じて検討する必要がある。

 さらに、医師がオンラインで診察できたとしても、処方された薬をどのように受け取るのか、検査が必要なときにどこへ行くのか、容体が悪化したときに誰が対応するのかという課題は残る。オンライン診療を地域医療の中で機能させるには、薬局、訪問看護、対面診療を担う医療機関、救急搬送などとの連携が不可欠なのである。

 オンライン診療の価値は、地域から医療従事者を完全に不要にすることではない。少ない医療従事者が持つ専門的な能力を、距離の離れた地域でも利用できるようにすることであり、適切な対面診療と組み合わせて初めて、その効果を発揮する。

 30年後の地方医療を支えるのは、人工知能や通信技術だけではない。患者の様子を見て普段との違いに気づき、必要な対応へつなぐ医療従事者の存在は、技術が進歩しても重要であり続けるだろう。

経営できない診療所を、誰が残すのか

 地方診療所の将来を考える際、避けて通れないのが採算の問題である。民間の診療所は地域住民の健康を支える医療機関であると同時に、職員を雇用し、施設や設備を維持する事業体でもある。患者が減れば診療報酬収入が減少する可能性がある一方、建物の維持費、医療機器の更新費、通信費、人件費などは患者数に完全には比例して減らせない。

 診療所の経営を単純化すると、一定期間の固定費を、一件当たりの診療収入から変動費を差し引いた金額で回収できるかが、収支を考える基本となる。仮に年間固定費が3,000万円で、診療一件当たりの平均収入から変動費を差し引いた額が4,000円だとすれば、固定費を回収するためには年間7,500件の延べ診療件数が必要になる。年間250日診療する場合、一日平均30件という計算である。

 もちろん、これは診療所の標準的な経営実態を表した数字ではなく、収支の仕組みを説明するための仮定である。実際の診療報酬は診療内容や患者の状態によって異なり、訪問診療、各種検査、施設基準による評価なども関係する。医師自身の報酬、借入金の返済、設備投資、物価や賃金の上昇も考慮しなければならず、患者数だけで黒字か赤字かを判断することはできない。

 しかし、人口が減り続ける地域では、少ない患者数に対して一定の固定費を負担しなければならないという構造的な問題が生じやすい。人材確保が難しくなれば給与などの負担が増える可能性もあり、診療所を単独で維持する場合の経営条件は厳しくなることが考えられる。

 ここで問題となるのが、医療を純粋に市場サービスとして考えてよいのかという点である。一般の商店であれば、利用者が減少して採算が取れなくなれば撤退するという判断には経済合理性がある。しかし、その町で最後の診療所が閉院する場合、住民の健康や生活に与える影響は、事業者の損益だけでは評価できない。

 医療には市場を通じて提供されるサービスという側面と、地域の生活を支える社会基盤という側面がある。消防や道路などと制度や財源の仕組みは異なるものの、人口密度の低い地域で必要な機能をどこまで維持するかという点では、共通する政策課題が存在する。

 そのため将来は、公設民営の診療所、病院による分院・サテライト診療所、複数自治体による広域的な協力、医師派遣、巡回診療などを組み合わせる必要がある地域も出てくるだろう。ただし、公設民営にすれば自動的に経営問題が解決するわけではない。自治体が施設整備費や運営費の一部を負担できても、診療を担う医師や看護師が確保できなければ、医療提供体制は成立しないのである。

 地方診療所の将来を左右するのは、医師数や患者数だけではない。国と自治体が、住民の医療アクセスをどの水準まで確保するのか、そのために必要な費用を誰が負担するのかという制度と財政の問題でもある。

診療所の数だけでは、地域医療の質は測れない

 では、地方の診療所をどこまで維持できれば、地域医療が守られたと言えるのだろうか。診療所が三つあった町で一つしか残らなくなった場合、施設数だけを見れば医療提供体制は縮小している。しかし、残った診療所で十分な診療時間と医療機能が確保され、訪問診療や送迎も整備されていれば、すべての住民にとって医療アクセスが三分の一になるとは限らない。

 反対に、診療所が三つ残っていても、診療日が限られ、医師の専門分野が偏り、夜間や緊急時の対応ができなければ、必要な医療が十分に提供されているとは言えない。施設数という分かりやすい指標だけでは、地域医療の実際の機能を評価できないのである。

 そのため、今後の地域医療政策では、住民が診療所に到達するまでの時間、自動車を利用できない住民の割合、公共交通や送迎手段の確保状況、診療可能な曜日と時間、提供できる検査や処置、救急搬送先との連携、医療情報の継続性などを総合的に測定する必要がある。

 特に注意したいのは、平均値だけでは医療アクセスの格差を把握できないということである。町全体の平均通院時間が短くても、山間部の集落や公共交通のない地域に住む一部の人が長時間の移動を強いられている場合がある。自力で移動できない住民や、医療費以外の交通費を負担できない住民の存在も考慮しなければならない。

 また、地方の医療圏は必ずしも市町村の行政区域と一致しない。ある町の診療所が少なくても、隣接する市の医療機関を日常的に利用できる場合もあれば、近隣自治体に医療機関が存在していても、交通手段がなく通院が困難な場合もある。そのため、市町村別の診療所数だけで地域医療の充実度を判断することは適切ではない。

 30年後の地方医療を検証するなら、人口推計と診療所の配置を地図上で重ねるだけでは不十分である。住民の年齢、通院行動、移動手段、医療機関の機能、実際の診療能力まで組み合わせ、どのような住民がどの医療から遠ざかるのかを具体的に調べる必要がある。

 重要なのは、地域に診療所が存在するという事実ではなく、地域住民が必要な診療を、必要なときに受けられるという実効性である。

医療ネットワークを作れば、必ず維持できるわけではない

 診療所を地域の医療ネットワークの入口として位置づける考え方には合理性がある。しかし、ネットワーク化そのものを人口減少社会の万能な解決策として扱うことはできない。施設や専門職を結びつけるには、情報共有の仕組み、診療上の責任分担、患者の移動手段、人材の配置、運営費用などを継続的に確保する必要があるからである。

 例えば、地域の診療所と中核病院が電子的に診療情報を共有できたとしても、診療所側に患者の状態を評価できる医療従事者がいなければ、日常的な医療の質を保つことは難しい。訪問看護が充実していても、訪問先までの移動距離が長く、担当できる患者数に限界があれば、広い地域を少数の職員だけで支えることはできない。

 また、医療機関の集約化によって設備や専門職を効率的に配置できたとしても、患者の移動時間や交通費が増えれば、医療機関の経営上の効率化が住民全体の利益につながるとは限らない。医療機関側で節約できた費用が、患者や家族の時間的・経済的負担として移転している可能性もある。

 こうした問題を検討するには、個々の診療所の経営収支だけでなく、住民の交通費、自治体の送迎費用、救急搬送への影響、医療従事者の移動時間などを含めて、地域全体の費用と効果を比較する必要がある。

 例えば、従来型の診療所を一軒維持する場合と、週数回の対面診療、オンライン診療受診施設、訪問看護、送迎サービスを組み合わせる場合について、費用だけでなく、慢性疾患の管理状況、救急搬送、予防可能な入院、患者の満足度などを比較すれば、どちらがその地域に適しているかを検証しやすくなる。

 ただし、地域医療では一つの方式がすべての地域に適するとは限らない。人口が比較的集中している地方都市、集落が広範囲に分散する山間部、交通の便が悪い沿岸部では、最適な医療提供体制が異なる可能性が高い。2056年の地方診療所を一つの標準的な姿として描くのではなく、複数の選択肢から地域の条件に適した仕組みを選び、その効果を継続的に確かめることが重要になる。

そして2056年、診療所の玄関は開いているか

 2056年のある地方の町を想像してみる。人口は現在より少なくなり、かつて商店だった建物のいくつかは空き家になり、学校も統合されているかもしれない。高齢化率は高いものの、高齢者の人数自体も以前より減り、町を行き交う人の姿は少なくなっている。

 それでも、旧役場の近くには小さな地域医療の拠点がある。そこでは月曜日と木曜日に近隣病院から医師が来て対面診療を行い、別の日には住民がオンライン診療を利用できるようになっている。訪問看護師は自宅で療養する人を支え、巡回診療の車が離れた集落を回る。必要な検査は近隣の医療機関で受け、入院や高度な治療が必要な場合には、あらかじめ連携している中核病院につながる。

 これは2056年の確定した姿ではなく、現在の人口動態と医療制度から考えられる一つの将来像にすぎない。実際には、常勤医師のいる従来型の診療所がそのまま存続する地域もあれば、医療機関の集約化が進む地域、十分な代替手段を確保できず医療アクセスが悪化する地域も出てくる可能性がある。

 とりわけ、医師や看護師の確保、診療報酬制度、自治体財政、医療技術の進歩などは、30年という時間の中で大きく変化し得る。現在の制度と統計から2056年の診療所数や具体的な配置を正確に予測することはできず、将来像を示す場合には、実証された事実と政策上の目標、仮定に基づくシナリオを区別しなければならない。

 ただし、確かな方向性はある。人口が減少する地域で従来と同じ医療提供体制を無条件に維持することは難しくなり、限られた人材と財源をどう配置するかという問題は避けられない。診療所の数を維持することだけを目標にするのではなく、住民が必要とする医療機能を地域全体でどう確保するかを考える必要がある。

 ここで重要になるのが、地域住民の立場から医療を捉えることである。医療機関の配置を効率化する議論では、診療件数や施設の稼働率、医師一人当たりの患者数などが重視されやすい。しかし、住民にとって重要なのは、体調が悪くなったときにどこへ連絡すればよいのか、必要な診察を受けられるのか、薬を受け取れるのか、緊急時には適切な病院につながるのかという具体的な安心である。

 人口5,000人の町に診療所が三つ存在していても、診療時間や医療機能が限られていれば十分とは言えない。反対に、診療所が一つしかなくても、適切な移動手段と対面診療、訪問診療、遠隔医療、病院との連携が整っていれば、必要な医療へのアクセスを維持できる可能性がある。どちらが望ましいかは施設数だけでは決められず、地域の人口構成、地理的条件、医療需要、財政負担などに基づいた検証が必要なのである。

 地方ではこれから、病院も診療所も薬局も、公共交通も介護サービスも、それぞれ単独では維持しにくくなる地域が増える可能性がある。だからこそ、医療の問題を医療機関の配置だけで解決しようとすることには限界がある。医療へのアクセスは交通の問題につながり、交通の問題は人口配置や住宅政策の問題につながり、最終的には地域社会をどのような形で維持していくのかという選択に行き着く。

 30年後の地方で最後まで必要とされるものは、必ずしも立派な建物ではない。体調が悪くなったとき、住民が迷わず相談でき、必要な医療につながる仕組みである。かつて、その役割の多くを一人の町医者が担っていた地域でも、2056年には複数の医療従事者と医療機関が連携することで、その機能を維持しているかもしれない。

 診療所の白い看板は、今と同じ場所に残っていないかもしれない。しかし、その町から必要な医療へつながる道が途切れていなければ、地域医療の重要な機能は守られていると言えるだろう。

 地方の診療所を30年後も維持できるのかという問いは、結局のところ、人口が減少する社会で、誰もが必要な医療を受けられる仕組みをどこまで維持できるのかという問いなのである。

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