地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 若いころ、私たちが日常生活の中で利用できる町は、地図に描かれている以上に広い。少し遠いスーパーへ買い物に行くことも、隣の市の病院を受診することも、駅まで自動車を走らせて電車に乗ることも、それほど特別な行動ではない。二十キロ、三十キロ離れていても、道路や交通手段がつながっていれば、その場所は日常の行動範囲に含まれる。地理的には遠くても、移動することに大きな負担を感じなければ、心理的には近い場所なのである。

 ところが年齢を重ねると、この関係が変化する場合がある。道路は以前と同じ場所にあり、スーパーも病院も移転していない。それにもかかわらず、かつては「いつでも行ける場所」だったところが、やがて「用事がなければ行かない場所」になり、さらに「誰かに連れていってもらわなければ行けない場所」へと変わっていく。自動車の運転や長距離の歩行が難しくなれば、数キロ先にある店さえ、日常的には利用できなくなることがある。

 高齢者の生活圏が小さくなるとは、町そのものが小さくなることではない。同じ町に暮らし続けていても、自分の意思で移動できる範囲や、日常的に利用できる施設の選択肢が変化することである。この問題は個人の身体能力だけではなく、交通手段、家族関係、医療・介護制度、さらには地域の人口減少や商業施設の配置とも深く関係している。

 では、70歳、80歳、90歳という三つの年代から眺めたとき、生活圏はどのように変わっていくのだろうか。

 最初に確認しておきたいのは、この三つの年齢が生活圏の変化を決定する生物学的な境界線ではないということである。70代でも移動に支援を必要とする人がいる一方、90代でも自立して外出する人はいる。本稿では、70歳の生活圏を「面」、80歳を「線」、90歳を「点」として捉えるが、これは統計によって証明された年齢別の法則ではない。高齢期に生じ得る移動手段と生活様式の変化を、地図の形に置き換えて理解するための概念的なモデルである。

70歳~町全体がまだ自分の生活圏にある時代

 70歳という年齢だけを見て、生活圏が狭くなると考えるのは適切ではない。70代でも仕事を続け、旅行を楽しみ、自動車を運転し、趣味や社会活動のために遠方へ出掛ける人は少なくない。健康状態や身体機能には大きな個人差があり、年齢が同じであっても実際の行動範囲は異なる。ただし、集団として統計を眺めると、70代は日常の移動目的が大きく変化する年代であることが分かる。

 国土交通省が2021年に実施した全国都市交通特性調査では、60代と比較して70代では通勤や業務を目的とする移動が減少し、買い物や散歩などの移動が増える傾向が確認されている。また、平日の外出率は、男性では60代の79.7%に対して70代は72.9%、女性では60代の71.9%に対して70代は64.5%となっている。つまり、70代では外出する人の割合が60代より低くなる一方で、移動の目的そのものも変化している。

 ただし、この数字は同じ人を60代から70代まで追跡した結果ではなく、異なる年齢集団を比較したものである。したがって、外出率の差をすべて加齢による身体能力の低下として説明することはできない。退職によって通勤の必要がなくなることや、就業形態、世帯構成、生活習慣などの違いも影響していると考える必要がある。

 例えば、会社へ向かう毎朝の道がなくなれば、仕事先の近くにあった店へ行く機会も減る。仕事帰りに利用していた書店や飲食店、駅前の商業施設も、生活上の必要がなくなれば日常の行動範囲から外れていく。これは身体的に行けなくなったというより、行く理由がなくなったことによる生活圏の変化である。高齢期の生活圏を考える際には、移動能力の変化と移動目的の変化を分けて捉える必要がある。

 一方、健康状態や交通手段に恵まれている70代にとって、町は依然として複数の選択肢を持つ場所である。今日は近くのスーパーを利用し、明日は隣町の大型店へ行き、必要があれば遠方の専門病院を受診するというように、その日の目的や都合に応じて行き先を選ぶことができる。生活圏の豊かさは単純な移動距離だけで決まるものではなく、複数の施設やサービスの中から、自分に合ったものを選択できるかどうかにも左右される。

 しかし、人口密度の低い地方では、この広い生活圏を維持している重要な条件がある。自動車である。

 内閣府が2018年に実施した高齢者の住宅と生活環境に関する調査では、町村に住む60歳以上の回答者の66.8%が、外出時に自分で運転する自動車を利用すると答えている。大都市では徒歩や鉄道、バスなどの利用割合が高いのに対し、町村では自動車への依存が大きい。鉄道駅やバス停まで距離があり、商店や医療機関も分散している地域では、自動車が日常生活のさまざまな目的地を結び付ける役割を担っている。

 このため、地方の70代は比較的広い生活圏を維持しているように見えても、その広さが自分で自動車を運転できることに強く依存している場合がある。自動車を利用できる間は不便を感じなくても、運転が難しくなったときに代替手段がなければ、それまで利用していた施設の多くが急に遠い存在となる。地方の生活圏には、移動能力が維持されている間は問題が表面化しにくいという特徴がある。

80歳~生活圏が「面」から「線」へ変わる可能性

 80歳になると、生活圏は必ず狭くなるのだろうか。もちろん、そのような一律の変化が生じるわけではない。80代でも自動車を運転し、趣味や旅行を楽しむ人はいる。しかし、集団全体では高年齢層ほど自分で自動車を運転する割合が低くなり、徒歩や家族による送迎など、移動手段の組み合わせが変化する傾向が確認されている。

 内閣府の2018年調査では、80歳以上の回答者のうち、外出時に自分で運転する自動車を利用すると答えた人は26.4%だった。一方、徒歩は58.5%、家族などが運転する自動車は36.1%となっている。これは複数回答の調査であり、徒歩と家族による送迎の両方を利用する人も含まれているため、徒歩だけで日常生活を送っている人の割合を示すものではない。また、80歳以上という区分には90歳以上も含まれるため、この結果だけで80代と90代の違いを明確にすることはできない。

 さらに、2023年度に内閣府が実施した同分野の調査では、65歳以上の回答者全体で、徒歩を利用する割合が50.1%、自分で運転する自動車が46.6%、家族などが運転する自動車が27.1%となっている。この調査でも、男女ともに年齢が高い層ほど自分で運転する自動車の利用割合が低くなる傾向が示されている。ただし、2018年調査と2023年度調査では対象年齢や調査方法が異なるため、両者の数値の差をそのまま時系列の変化として解釈することはできない。

 ここで生活圏に生じ得る変化を、地図上の形として考えてみたい。自分で自動車を運転し、複数の目的地を自由に選べていた生活圏が、移動手段の制約によって、特定の場所を結ぶ経路に集約されていくことがある。自宅からスーパーへ行く経路、病院へ通う経路、銀行や役所へ向かう経路など、必要性の高い目的地への移動が中心になり、それ以外の場所へ出掛ける機会が少なくなる。これが、生活圏が「面」から「線」へ変わるという表現の意味である。

 もっとも、これは80代の人に共通する実証済みの行動パターンではない。徒歩を中心に生活する人でも、商店や公共施設が密集した地域に住んでいれば、日常的に多様な場所を利用できる。一方、自動車を運転していても、いつも決まった店と病院にしか行かない人はいる。生活圏の形は年齢だけでなく、地域の構造や本人の生活習慣によっても変わるのである。

 特に重要なのは、「移動できる場所」と「自分の意思だけで移動できる場所」の違いである。家族が自動車で連れていってくれれば、50キロ離れた病院を受診することもできるかもしれない。しかし、その移動には家族の都合を確認し、日程を調整し、送迎を依頼する必要がある。目的地までの距離が変わらなくても、自分だけで自由に行ける状態とは異なるのである。

 ただし、送迎を利用すること自体を、生活上の自立が失われた状態と考える必要はない。地域の乗合交通や予約制交通が利用でき、必要なときに自分で予約して移動できるなら、運転しなくなっても生活の選択肢を維持できる場合がある。自立した生活を支える条件は、すべての移動を自分の身体能力だけで完結させることではなく、必要なときに利用できる移動手段が確保されていることにもある。

 この違いは、地方ほど重要になる。都市部には駅やバス停、スーパー、診療所が徒歩圏に集まっている場所がある一方、住宅が広く分散した地域では、最寄りの商店や医療機関まで数キロ以上離れている場合もある。同じ五キロという距離でも、自動車を自由に利用できる人と、徒歩や本数の少ない公共交通に頼る人とでは、その距離が持つ生活上の意味は大きく異なる。

 道路の距離だけでなく、その距離を誰の力で、どのような手段を使い、どれほどの時間と費用をかけて移動できるのかを考えなければ、高齢者の生活圏を正確に理解することはできない。

生活圏は移動距離だけでは測れない

 高齢者の生活空間を評価する研究では、単に自宅から最も遠くへ移動した距離だけではなく、どの範囲まで移動したか、どのくらいの頻度で移動したか、移動するときに他人の援助や福祉用具を必要としたかといった条件が重視されている。代表的な評価方法には、LSA(Life-Space Assessment・生活空間評価)があり、一定期間の日常的な移動範囲、頻度、自立度を組み合わせて評価する。

 例えば、月に一度、家族の送迎で遠方の病院へ行く人と、毎日一人で近所の商店や公共施設を利用する人とでは、最大移動距離だけを比べても日常生活の実態は分からない。前者の方が遠くまで移動していても、後者の方が日常的に多くの場所を利用し、頻繁に社会と接している可能性がある。移動距離の長さと生活圏の豊かさは、必ずしも同じものではないのである。

 日本で行われた生活空間評価の研究でも、年齢と生活空間の間には負の相関が確認されている。2010年に発表された研究では、介護予防事業などを利用する高齢者2,147人について、生活空間の得点と年齢の相関係数はマイナス0.296だった。一方、買い物や外出などに関わる手段的日常生活動作能力との相関係数はプラス0.533となっており、この調査集団では、暦年齢よりも日常生活を遂行する能力の方が生活空間の得点と強く関連していた。

 ただし、この研究は介護予防の支援を必要とする集団を対象としたものであり、結果を全国の高齢者全体へそのまま当てはめることはできない。また、相関関係が確認されたからといって、特定の要因が生活圏を直接縮小させたと証明されたわけでもない。それでも、生活圏を理解するうえでは、年齢そのものよりも身体機能や日常生活能力、交通環境などを組み合わせて考える必要があることを示唆している。

 地域の高齢化を分析するとき、70歳以上の人口や80歳以上の人口を数えることは重要である。しかし、その人数だけでは、どの程度の人が自由に移動できるのか、移動に困難を抱えているのか、必要なサービスを利用できているのかまでは分からない。年齢別人口は生活圏を推測するための出発点であって、生活圏そのものを示す指標ではないのである。

90歳~生活圏は「場所」から「人」へ変わるのか

 90歳前後になると、生活圏はさらに身近な場所へ集約されるのだろうか。この問いには、特に慎重に答える必要がある。非常に高齢になるにつれて、身体機能の低下や疾病、移動手段の制約などによって外出が難しくなる人が増えると考えられるが、90歳になった瞬間に生活圏が自宅周辺へ縮小するわけではない。90代でも自立して買い物や散歩を続ける人がいる一方、70代や80代から外出に介助を必要とする人もいる。

 2006年に発表された「大都市近郊に居住する高齢者が感じる生活圏」という研究では、65歳以上の高齢者2,692人の有効回答を分析している。その結果、65~79歳では市全域を生活圏と感じる回答が多かったのに対し、80歳以上では自治会・町内会程度の範囲を生活圏と感じる回答が最も多くなっていた。また、外出頻度が少ない人ほど、本人が認識する生活圏も狭い傾向が確認されている。

 もっとも、この調査は2005年に首都圏に隣接する一都市で行われたものであり、対象者は要介護認定を受けていない高齢者だった。測定しているのも実際の移動距離ではなく、本人が生活圏だと感じる範囲である。したがって、この結果を全国の90代にそのまま適用したり、90歳前後になると必ず生活圏が自宅周辺へ縮小すると結論付けたりすることはできない。

 90歳以上に関する統計には、標本数の問題もある。2023年度の内閣府調査は65歳以上の2,677人から有効回答を得ているが、このうち90歳以上は69人、95歳以上は13人にとどまる。さらに施設入所者は調査対象に含まれていない。こうした条件を踏まえると、90代全体の移動実態を細かく把握するには、より大規模な調査や別のデータによる検証が必要である。

 それでも、外出に支援を必要とする状態が進むにつれて、生活圏の意味が変わることは十分に考えられる。近所の店へ自分が買い物に行く代わりに家族が商品を届け、薬局へ出向く代わりに薬の配達を利用し、通院が難しくなれば訪問診療などを受ける場合がある。これまで自分が移動して利用していたサービスの一部が、自宅を中心として提供されるようになるのである。

 このような生活では、自分自身が訪れる場所の数が少なくなっても、外部とのつながりが必ずしも失われるわけではない。家族や友人が訪問し、宅配や介護サービスが利用でき、電話などによって離れた人とも交流できれば、自宅を中心とした生活の中でも社会的な関係を維持できる可能性がある。反対に、外出する能力が残っていても、交流する相手や利用できるサービスが少なければ、社会的な孤立が生じる場合もある。

 ここでは、身体的に移動できる生活圏と、人やサービスを通じて社会につながる範囲を区別する必要がある。前者が小さくなっても、後者が十分に保たれていれば、生活上の選択肢や社会参加の機会を維持できる可能性がある。ただし、電話や宅配が利用できることと、外出して人に会ったり地域活動に参加したりできることは完全に同じではないため、在宅サービスだけを整備すればすべての問題が解決するわけでもない。

 90歳前後の生活圏を「点」として捉える意味は、その年齢の人が点のように小さな範囲で暮らしているという断定ではない。外出が難しくなった場合、自宅を中心とする限られた場所を、どれだけ多くの人やサービスが支えられるかという視点を示すための比喩なのである。

生活圏はゆっくり縮むとは限らない

 高齢者の生活圏は、70歳から80歳、80歳から90歳へと一定の速度で縮小していくわけではない。長い間ほとんど変わらなかった生活圏が、特定の出来事をきっかけに大きく変化する場合もある。

 典型的な例が、自動車の運転をやめるときである。それまで十キロ先のスーパーへ自由に買い物に行けていた人が、運転をやめたことで一人では利用できなくなる場合がある。夫婦の一方だけが運転している家庭では、その人が運転できなくなると、もう一方の移動手段まで同時に失われる可能性がある。自宅や商店の位置は変わっていないのに、移動手段の変化によって生活上の到達可能性が大きく変わるのである。

 ただし、免許返納によって必ず生活圏が狭くなるわけではない。徒歩圏に必要な施設があり、公共交通や送迎サービスも十分に利用できる地域では、運転をやめても従来の生活を維持できる可能性がある。反対に、免許を保有していても、体調や運転への不安によって実際にはほとんど運転しなくなっている人もいる。重要なのは免許を持っているかどうかだけではなく、日常的に安全で利用可能な交通手段があるかどうかである。

 高齢運転者については制度上の変化もある。日本では70歳以上の運転免許更新時に高齢者講習が必要となり、75歳以上では認知機能検査が原則として求められるほか、一定の違反歴がある人には運転技能検査も課される。こうした制度は高齢者の運転能力や交通安全に対応するものであるが、70歳や80歳に達したことだけを理由に運転できなくなる仕組みではない。運転の継続と安全性の確保、そして運転をやめた後の移動手段の整備は、それぞれ区別して考えなければならない。

 生活圏が大きく変化する原因は、自動車だけではない。例えば、徒歩で通える距離にあったスーパーが閉店し、次に近い店が数キロ先になることもある。自動車を自由に利用できる人にとっては移動時間が少し増える程度でも、徒歩でしか買い物ができない人にとっては、日常的な買い物先が事実上失われる可能性がある。

 さらに、病気や転倒、入院などによって、一時的に移動能力が低下することもある。歩行能力や体力が低下すれば、以前は問題なく利用していた商店や公共施設が遠く感じられるようになる。こうした変化は年齢に応じて少しずつ進むとは限らず、生活上の出来事によって短期間に生じる場合がある。

 一方、生活圏の縮小が必ずしも不可逆的でないことも重要である。病気から回復し、リハビリテーションによって身体機能が改善したり、新たな交通手段や支援サービスを利用できるようになったりすれば、生活圏が再び広がる可能性もある。高齢化に伴う生活圏の変化を、一方向に縮小するだけの過程として捉えるのは適切ではない。

生活圏の縮小を決めるのは年齢だけではない

 生活圏の大きさを決める条件を整理すると、身体機能だけでなく、交通手段、施設までの距離、移動に必要な時間や費用、家族・地域の支援などが関係していることが分かる。同じ80歳でも、駅前に住んでいる人と、鉄道駅や商店から離れた集落に住んでいる人とでは、外出のしやすさが大きく異なる可能性がある。

 生活圏を数理的に考えるなら、単純な最大移動距離よりも、日常的に利用可能な施設やサービスの数を一つの指標とする方法が考えられる。例えば、ある人が自分の身体能力と交通手段、時間、費用の範囲内で利用できるスーパーが三店舗ある場合と、一店舗しかない場合とでは、生活上の選択肢が異なる。さらに、その一店舗が閉店すれば、物理的な距離の変化以上に買い物環境が悪化することになる。

 この考え方では、施設までの距離だけでなく、実際にそこへ到達するための総合的な負担を評価する必要がある。徒歩なら坂道や歩道の状態、自動車なら運転能力や維持費、公共交通なら運行本数や乗り継ぎ、送迎なら依頼や日程調整の負担が関係する。目的地に着いてからも、施設内を移動できるか、必要な商品やサービスが利用できるかという条件が残る。

 また、利用可能な施設数だけで生活の質を完全に評価できるわけでもない。施設の営業時間、商品の種類、医療機関の診療科、費用の負担、本人の希望などによって、実際の利用価値は変わるためである。生活圏の分析では、何キロ移動できるかという地理的な広がりと、どの程度の選択肢を実際に持っているかという機能的な広がりを分けて考えることが重要になる。

 つまり、70歳、80歳、90歳という年齢だけから生活圏の面積を推定することはできない。必要なのは、年齢別人口とともに、移動能力、交通環境、施設配置、利用可能な支援などを組み合わせて評価することである。

高齢者に必要なのは「何でも近くにある町」だけではない

 高齢社会の町づくりというと、病院やスーパー、公共施設を中心部に集めるコンパクトな町を想像しやすい。施設が一定の範囲に集まれば、移動距離を短くし、公共交通を効率的に運行しやすくなる可能性がある。しかし、すべての住民を病院やスーパーの徒歩圏に住ませることは、現実には難しい。

 特に地方では、住宅が広い範囲に分散しており、長年同じ場所で生活してきた人も多い。高齢になったからといって、住み慣れた家を離れて中心部へ移転することが、誰にとっても合理的な選択になるとは限らない。住居の維持費や移転費用、家族関係、地域とのつながりなど、さまざまな条件が関係するためである。

 そこで重要になるのが、移動手段とサービス提供方法を組み合わせる考え方である。自分で安全に移動できる間はその能力を生かし、運転や長距離の歩行が難しくなれば公共交通や送迎を利用し、外出が困難になれば宅配や訪問型サービスを利用する。移動能力の変化に合わせて、複数の方法を選べるようにすることが望ましい。

 ただし、サービスを自宅まで届ければすべての問題が解決するわけではない。医療保険による定期的な訪問診療には通院が困難であることなどの条件が関係し、介護保険によるサービスにも要介護・要支援認定や給付上の要件がある。民間の宅配や送迎サービスについても、利用できる地域、利用料金、人員の確保、採算性などの制約が存在する。

 人口が少ない地域ほど、一人の利用者のために長い移動時間が必要となり、サービスを維持するための費用が大きくなる場合がある。訪問診療や訪問介護の事業者が存在していても、すべての集落へ同じ条件でサービスを提供できるとは限らない。支援制度があることと、その制度を利用できる事業者や人員が地域に存在することは、別の問題なのである。

 地域公共交通についても、自治体、交通事業者、医療機関、福祉関係者などの連携が必要になる。通常の路線バスだけでなく、予約型の乗合交通や既存の輸送資源を活用する方法も考えられるが、運転者や車両、財源を確保しなければ継続できない。移動支援の仕組みを導入することと、それを持続可能な形で運営することは区別して評価する必要がある。

 したがって、高齢社会の地域づくりに必要なのは、すべての施設を近くに置くことだけでも、すべてのサービスを自宅まで届けることだけでもない。住民の移動能力と地域の条件に応じて、施設の配置、移動手段、訪問型サービスを組み合わせ、必要な生活機能にアクセスできる状態を維持することである。

公的統計にも表れている「行ける場所」の問題

 高齢者が暮らす地域の不便さについては、内閣府の2023年度調査にも重要な結果がある。この調査では、65歳以上の回答者のうち、「日常の買い物に不便」と答えた人が23.9%、「医院や病院への通院に不便」が23.8%、「交通機関が高齢者には使いにくい、または整備されていない」が21.5%となっている。いずれも複数回答であり、実際にどの程度外出を制限されているかを直接測定した数字ではないが、買い物、医療、交通が高齢者の生活環境における重要な課題であることを示している。

 一方、同じ調査で地域について「特に不便や気になることはない」と答えた人は39.3%だった。高齢者であれば誰もが生活上の不便を抱えているわけではなく、地域の環境や本人の状態によって認識には差がある。この点からも、高齢化率が高いという理由だけで、その地域の生活環境が悪いと判断することはできない。

 また、人口構成や施設配置の変化を考える際には、施設が存在することと、住民が実際に利用できることを区別しなければならない。市内に病院が一つあったとしても、自宅から通う交通手段がなければ利用しにくい。スーパーが営業していても、そこまで行く方法がなければ買い物先として機能しない場合がある。

 行政が地域の生活環境を評価するとき、病院や商店の数、公共交通の路線数などは重要な指標になる。しかし、それだけでは施設を必要とする人が実際にサービスへ到達できるかどうかまでは分からない。高齢社会では、施設の存在を示す地図に加えて、住民が実際に利用できる範囲を示す地図が必要になるのである。

70歳では「面」、80歳では「線」、90歳では「点」という地図

 ここまでの議論を、もう一度三つの地図として整理してみたい。

 70歳の地図には、自宅を中心に、複数のスーパーや病院、銀行、公共施設、友人の家などが広がっている。自動車や公共交通を利用して自由に行き先を選ぶことができるなら、それぞれの施設は複数の経路で結ばれ、日常の生活圏は「面」として広がる。ただし、70歳だから必ず広い生活圏を持つという意味ではなく、さまざまな目的地を自分で選択できる状態を表すものである。

 80歳の地図では、移動手段の制約によって、利用する場所が決まった経路に集約される場合がある。いつものスーパーや病院、銀行など、必要性の高い目的地への移動が中心となり、途中で別の店へ寄ったり、思い付きで遠方へ出掛けたりする機会が減る。このような生活を「線」として表すことができるが、公共交通や送迎が充実していれば、運転しなくても多くの目的地を利用し続けられる可能性がある。

 90歳の地図では、移動が困難になった場合、自宅や近隣の少数の場所を中心として生活することが考えられる。しかし、その「点」は必ずしも社会から孤立した場所ではない。家族や友人が訪れ、医療や介護のサービスが届き、宅配や通信手段を利用できれば、自分が移動する範囲を超えた社会とのつながりを維持できる場合がある。

 この三つの地図は、年齢ごとに必ず現れる段階を示したものではない。加齢や生活環境の変化に伴って、移動の自由度、他者への依存度、サービスの利用方法がどのように変わり得るのかを考えるための模型である。実際には、同じ人の生活圏が広がったり縮んだりすることもあり、70代で「点」に近い生活を送る人もいれば、90代でも「面」として広い生活圏を維持する人もいる。

 このように考えると、生活圏の問題は、単に高齢者が遠くへ出掛けられなくなることではない。自分で移動できる範囲と、他人やサービスの支援によって利用できる範囲が、どのように組み合わされているかという問題なのである。

御宿・いすみ・勝浦・大多喜の将来を考える

 千葉県外房地域の御宿町、いすみ市、勝浦市、大多喜町のように、海岸沿いの市街地から内陸部の集落まで、多様な居住環境を持つ地域では、生活圏の問題を行政区域の平均値だけで捉えることは難しい。駅や商店に近い住宅地と、交通手段が限られる周辺集落では、同じ年齢の人でも利用できる施設やサービスの範囲が異なる可能性がある。

 例えば、70代の住民が自動車を運転できる間は、市町村の境界を越えて買い物や通院をしていても、運転しなくなった後には自宅から近い施設しか利用できなくなる場合がある。反対に、公共交通の接続や送迎サービスが適切に確保されていれば、市町村を越えた医療機関や商業施設を引き続き利用できる可能性もある。行政区域の広さや施設数だけでなく、実際の移動経路と利用条件が重要になる。

 さらに人口減少が進めば、地域の商店、銀行、診療所、ガソリンスタンド、公共交通などの配置が変わる可能性がある。住民自身が高齢化して移動能力を変えていく一方で、利用する施設や交通手段も変化していくことになる。将来の生活圏を考えるには、人間の側の変化と地域の側の変化を同時に見なければならない。

 ただし、高齢化率が高い地域ほど生活圏が狭いと単純に結論付けることはできない。重要なのは、70~74歳、75~79歳、80~84歳、85~89歳、90歳以上といった年齢階級別人口に加えて、移動手段の利用状況、買い物や通院の所要時間、世帯構成、交通サービスの提供状況などを組み合わせて評価することである。

 地域分析では、徒歩、自動車、公共交通という複数の移動手段について、それぞれの住民がどの施設へ到達できるかを調べる方法が有効だろう。さらに、自分で運転しなくなった場合や、利用している商店が閉店した場合などを想定すれば、生活圏がどの程度変化するかを検討できる。こうした分析は、将来の高齢者の行動を正確に予測するものではないが、地域の交通や生活環境に潜む弱点を把握する手掛かりになる。

 人口推計や高齢化率を見るだけでは、実際に住民がどこへ行けるのかまでは分からない。高齢者の暮らしを支えるためには、人口の分布と施設の分布を重ねるだけでなく、その間を結ぶ交通手段や、施設へ行けない場合に利用できるサービスまで含めて評価する必要がある。

90歳になった自分の地図から町を眺めてみる

 地域の将来を考えるとき、人口推計や財政の数字を確認することは重要である。しかし、その地域で高齢になっても暮らし続けられるかどうかを考えるには、現在の自分が利用している交通手段を失った場合の生活を想像してみることにも意味がある。

 例えば、自分が90歳になり、自動車を運転せず、長い距離を歩くことも難しくなったと仮定してみる。それでも食料を確保し、必要な薬を受け取り、医療機関を受診し、金融機関や行政の手続きを利用しなければならない。そのとき、自宅の玄関から一人でどこまで行けるのか、行けない場所についてはどのような代替手段があるのかを考えてみるのである。

 もちろん、実際の90歳の状態がこのようになるとは限らない。健康で活発に外出できる人もいるため、これは高齢者全体の姿を示すものではなく、移動能力が低下した場合に地域の生活機能がどの程度維持されるかを考えるための仮定である。

 現在の町の地図を眺めれば、道路や施設の位置は分かる。しかし、高齢社会の暮らしを考えるなら、そこにもう一つの情報を重ねる必要がある。その施設へ自分で行けるのか、公共交通で行けるのか、誰かの送迎が必要なのか、それともサービスの側が自宅まで来てくれるのかという情報である。

 これから問うべきなのは、「この町に病院があるか」ということだけではない。「80歳になって運転しなくても、その病院へ通えるか」という問いが必要になる。同じように、「スーパーが残っているか」だけでなく、「90歳になって外出が難しくなった場合でも、食料を確保できる仕組みがあるか」を考えなければならない。

 さらに重要なのは、その仕組みが一時的なものではなく、将来も継続できるかどうかである。人口減少によって交通事業者や商店の経営環境が変わり、医療・介護分野でも人材の確保が難しくなれば、現在利用できるサービスが将来も同じように提供されるとは限らない。高齢者の生活圏を支える政策には、利用者の需要だけでなく、サービスを維持する側の費用や人員を考慮する視点も欠かせない。

 町の本当の暮らしやすさは、行政区域の面積や施設の数だけでは決まらない。そこに暮らす人が、年齢や身体機能の変化に応じて必要なものを手に入れ、医療を受け、社会とつながり続けることができるかどうかによって評価されるべきである。

 年齢を重ねるにつれて、私たちの地図は少しずつ折りたたまれていくことがある。しかし、その地図が小さくなること自体を、必ずしも不幸と考える必要はない。自分で遠くまで移動できなくなっても、必要なものが届き、困ったときに利用できる交通手段があり、人との交流や社会参加の機会が保たれていれば、生活の質を維持できる可能性がある。

 反対に、施設が存在していても利用できず、交通手段もなく、支援を頼める相手もいなければ、地域の中に住み続けていても社会とのつながりが弱くなるおそれがある。高齢社会で問題となるのは、単に生活圏の面積が小さくなることではなく、必要な生活機能にアクセスする手段や、社会とつながる機会が失われることなのである。

 70歳、80歳、90歳という三つの地図が教えてくれるのは、年齢を重ねた人間の行動範囲が必ず縮小するという法則ではない。身体能力や交通環境が変化しても、必要な生活機能を利用し続けられる町であることが、これからの地域社会にとって重要だということである。

 最後に残った小さな地図の中でも、買い物ができ、医療を受け、人と話し、自分らしい生活を続けられるかどうか。その条件を地域として維持できるかが、人口減少と高齢化が進む社会の重要な課題となる。

 生活圏が小さくなっても、人生まで小さくなる必要はない。その可能性を支える仕組みを、町がどこまで維持できるかが問われているのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 地方で老後を暮らすことを考えるとき、医療機関までの距離は生活の持続可能性を左右する重要な条件になる。スーパーなら多少遠くてもまとめ買いができ、役所なら手続きの頻度そのものを減らすこともできるが、定期的な治療が必要になれば、医療機関までの距離は単なる地図上の数字ではなく、生活時間、交通手段、家族負担まで含めた日常生活の条件になる。

 例えば、自宅から透析施設までの距離が片道30kmだったとする。一般的な維持血液透析は週3回行われることが多いため、自分で通院するなら往復60kmを週3回、1週間で180km移動することになる。これを年間52週として計算すると、60km×3回×52週=9,360kmとなり、透析通院だけで年間9,000kmを超える移動になる。

 この数字だけを見ると、「もし将来透析が必要になったら、この地域では暮らせないのではないか」と感じても不思議ではない。ただし、透析医療の通院は通常の外来通院とは少し事情が異なり、距離だけから生活可能性を判断すると、実態を見誤る可能性がある。

 現在の透析医療では、医療機関による患者送迎が広く行われている。日本透析医会が2023年に行った調査では、回答した822施設のうち70.9%が施設負担による患者送迎を実施していた。また、患者側を対象にした2021年度の調査では、透析施設の送迎を利用して通院している患者は24.8%だった。

 ただし、この70.9%という数字を「全国の透析施設の約7割が送迎している」とそのまま一般化することはできない。この調査の回答率は約21%であり、送迎に積極的な施設ほど回答しやすかった可能性など、回答施設と非回答施設の性質が異なる非回答バイアスを完全には排除できないからである。そのため70.9%は全国の正確な実施率というより、「回答施設の中では送迎がかなり一般的だった」と読む方が統計的には適切である。

 一方、患者調査で送迎利用者が24.8%だったことと、施設調査で送迎実施施設が70.9%だったことは矛盾しない。送迎を実施している施設でも、全患者が送迎車を利用するわけではなく、自家用車、家族送迎、公共交通、タクシーなどを使う患者もいるからである。

 こうした実態を考えると、「施設まで30km」という数字の意味も変わってくる。自分で週3回、片道30kmを運転する生活と、自宅付近まで透析施設の送迎車が迎えに来る生活では、同じ30kmでも本人や家族の負担は大きく異なる。本人が運転しなくてよいのであれば、高齢になって自動車を手放した後でも、透析施設への交通手段が維持される可能性がある。

 地方では、近所の眼科や診療所へ行くためには家族の自動車が必要なのに、それよりはるかに遠い透析施設には病院の送迎車が来るという、一見すると逆転した状況が起こり得る。公共交通が弱い地域ほど、透析施設の送迎車が事実上の医療交通として機能していることがあるからである。

 しかし、ここで注意しなければならないのは、片道30kmが決して軽い通院距離ではないということである。北海道を対象に行われた透析通院に関する調査では、「医療機関まで片道30km以上、または片道1時間以上」を通院困難地域の一つの基準として設定している。つまり30kmという距離は、医療アクセス研究の上でも無視できない通院負担として扱われる程度の距離であり、「送迎があるから問題にならない」と考えるのも適切ではない。

 北海道の調査では、通院困難地域から透析施設へ通う患者の交通手段として、自家用車のほか病院送迎、自治体による送迎、タクシー、公共交通などが使われていた。通院が難しいことを理由として転居した患者や、治療方法を変更した患者も確認されている。このことからも、片道30kmは「絶対に生活できない距離」ではない一方、「何の対策もなく通える距離」とも言えないことが分かる。

 送迎車が利用できれば本人の運転負担は減るが、30kmという距離そのものが消えるわけではない。患者は車を運転しなくても、移動に必要な時間は残る。むしろ複数の患者を順番に迎えながら施設へ向かう送迎車の場合、自家用車で直接施設へ行くより乗車時間が長くなることもある。

 維持血液透析は一般的に週3回行われ、1回の治療時間は4時間前後になることが多い。週3回なら年間の透析回数は概算で156回となり、治療時間だけでも4時間×156回=624時間になる。これは24時間換算で約26日分である。

 さらに往復の移動や待ち時間が加わる。仮に往復移動が合計1時間なら年間156時間、2時間なら312時間となり、治療時間と合計すると年間780~936時間になる。24時間換算では約32~39日分に相当し、これに送迎車の待ち時間、乗降、他の患者宅への立ち寄りなどが加わる場合もある。

 したがって、片道30kmの問題は単なる運転距離ではなく、生活時間の問題として評価する必要がある。月曜、水曜、金曜に透析を受ける人なら、その3日は透析を中心に生活を組み立てることになる。施設が近ければ治療の前後に買い物や家事を行いやすいが、移動時間や待ち時間が長くなれば、透析日は実質的に「治療の日」として一日のかなり大きな部分を使うことになる。

 海外の大規模な透析患者調査でも、透析施設までの移動時間が長い患者ほど、健康関連生活の質が低い傾向が報告されている。死亡リスクとの関連を示した観察研究もあるが、この種の研究では年齢、病状、居住地域など別の要因も影響するため、「長距離通院そのものが死亡リスクを上げる」と単純な因果関係まで断定することはできない。それでも、通院時間が患者の生活負担と無関係ではないという点は、臨床的にも社会的にも妥当である。

 この問題は年齢を重ねるほど重要になる。65歳で透析を始めた時点では自分で30km先まで運転できたとしても、75歳、80歳となれば、夜間や雨天時の運転が難しくなったり、視力や判断力の変化から自動車を手放したりする可能性が高くなる。

 そこで透析施設の送迎が重要になる。本人が運転できなくなっても送迎車が利用できれば、透析生活を続けられる可能性は大きくなる。家族が週3回往復60kmを送り迎えしなくても済み、高齢の配偶者が患者を送って数時間待ち、再び迎えに行くといった負担を避けられる場合もある。

 その意味で透析施設の送迎は、単なる「病院の親切なサービス」と考えるより、地方の高齢者を医療につなぎ続ける生活インフラの一つと見る方が実態に近い。ただし、ここには重要な制度上の問題がある。

 透析施設による無料送迎は、全国の患者に法律上当然に保障された医療給付ではない。診療報酬によって全国一律に送迎費用が給付されている制度でもなく、多くの場合、医療機関が自ら車両、人件費、燃料費、保険料、維持費などを負担して実施している。

 日本透析医会の調査では、送迎患者1人当たりの費用について月平均約2万4,000円という試算も示されている。ただし、この数字には調査方法上の限界があり、全国一律の正確な原価を示すものではない。それでも、患者にとって無料であっても、送迎自体が無料で運営できるわけではないことは明らかである。

 車両を購入し、燃料を入れ、保険や点検費用を負担し、運転手を確保しなければならない。患者が施設周辺に集中していれば効率よく複数人を送迎できるが、広い地域に少人数が分散して暮らしていれば、一人を迎えに行くための走行距離と拘束時間は大きくなる。

 例えば10人の患者が施設から5km以内にまとまって暮らしている地域と、同じ10人が30km四方に散らばって暮らしている地域では、患者数が同じでも送迎に必要な車両の走行距離、燃料、運転手の拘束時間は大きく異なる。したがって透析送迎の持続可能性を考える場合、単なる患者数だけでなく、患者がどれほどの密度で分布しているかという地理的条件が重要になる。

 人口が減れば透析患者も必ず同じ割合で減るとは限らない。高齢化率、糖尿病や高血圧などの基礎疾患、治療成績、新規導入患者数などの影響を受けるからである。しかし人口密度が低下し、患者が広い地域に点在するようになれば、少人数の患者を送迎するために長距離を走らなければならなくなる可能性は高い。

 日本の慢性透析患者数は近年、減少に転じている。2021年末には約34万9,700人だった患者数が、2022年には約34万7,500人、2023年には約34万3,500人、2024年には約33万7,400人となり、3年連続で減少した。

 一方で、全国の透析収容能力が患者数と同じ速度で縮小しているわけではない。2024年の全国調査では、透析装置の台数には減少がみられるものの、同時に透析できる人数や最大収容能力については大きく減少していない指標もある。このため、「患者数が減っているから、近いうちに透析施設も同じ割合でなくなる」と単純に考えることはできない。

 今後は小規模施設の再編や機能分担が進み、一定規模の施設がより広い地域の患者を受け入れる形になる可能性もある。ただし、これは現在全国一律に進んでいると断定できる現象ではなく、人口動態や医療法人の経営状況、地域医療政策によって異なる将来シナリオの一つとして考えるべきである。

 もし施設の集約が進めば、患者から施設までの平均距離が伸びる地域も出てくる可能性がある。そのとき距離を補う役割を担うのが送迎であり、病院という建物だけでなく、患者の家と病院を結ぶ交通手段まで含めて医療提供体制として考える必要が出てくる。

 ただし、現在送迎があることと、10年後や20年後にも同じ条件で送迎を利用できることは別問題である。人口減少が進む地域では、医療スタッフだけでなく送迎車の運転手を確保することも難しくなる可能性があり、燃料費や車両費、人件費が上昇すれば、施設側が現在と同じ送迎範囲を維持できるとは限らない。

 そのため、老後の移住先や居住継続の可能性を考える場合、「現在送迎しているか」だけでなく、「どの地域まで送迎しているのか」「利用条件はあるのか」「自宅送迎なのか集合場所方式なのか」「車椅子対応が可能なのか」「将来もサービスを続ける方針なのか」といった点まで確認する方が現実的である。

 同じ「透析施設まで30km」の地域でも、自宅前まで送迎車が来る場合と、自力で施設まで行かなければならない場合では、生活条件はまったく異なる。地図上では同じ30kmでも、実際の生活上の距離は交通手段によって大きく変わる。

 さらに、平常時には送迎によって問題なく通院できても、台風、大雨、大雪、地震などの災害が起きれば状況は変わる。倒木や冠水によって道路が使えなくなれば、いつもの送迎ルートを通れなくなり、大きく迂回しなければならない場合や、そもそも送迎車が患者宅まで到達できない場合も考えられる。

 透析は買い物や通常の外来受診のように、「今日は行けないから数日後にしよう」と簡単に延期できる治療ではない。そのため透析医療では、大規模災害時にどの透析施設が稼働しているのかなどの情報を共有する災害時情報ネットワークが整備されている。

 ただし、情報ネットワークが存在することと、患者一人一人が実際に代替施設で透析を受けられることは同じではない。代替施設に空きがあるのか、道路が通行できるのか、患者をそこまで運ぶ車があるのか、施設に電力や水が確保されているのかなど、複数の条件がそろわなければ実際の治療にはつながらない。

 したがって、災害に強い地域とは単に自宅から最寄りの透析施設が近い地域とは限らない。通常利用している施設が使えなくなったとき、別の透析施設へ行ける経路があり、そこまで患者を運ぶ手段があり、代替施設にも受け入れ余力がある地域の方が、医療の継続性という意味では強い場合がある。

 こう考えると、老後の透析生活を評価するときには、一つの施設までの距離だけを見るのでは不十分である。最寄りの透析施設がどこにあるのか、その施設が自宅周辺まで送迎しているのか、さらにその施設が利用できない場合に次の透析施設がどこにあるのかという、少なくとも三つの条件を一つの地図の上で考える必要がある。

 そしてここまで考えると、「透析施設まで片道30kmの生活は成立するのか」という問いへの答えも見えてくる。片道30kmは透析通院として決して短い距離ではなく、実際の調査でも通院困難を評価する一つの基準として扱われている。しかし、それだけでその地域での生活が成立しないと判断することも適切ではない。

 自宅が送迎区域に入り、無理のない時間で施設まで行くことができ、施設の受け入れ能力が安定しており、さらに災害時の代替施設や交通経路が確保されているのであれば、片道30kmであっても透析生活が成立する可能性は十分にある。一方で、送迎がなく、自家用車以外の交通手段も乏しく、代替施設も遠い場合には、30kmという距離は老後の生活にとってかなり大きな制約になり得る。

 したがって問題は「30kmは遠いか近いか」という二者択一ではない。30kmという明確な負担を、交通、医療、人員、道路、施設の受け入れ能力といった地域システムによって、どこまで吸収できるかという問題である。

 迎えに来る車があるのか、その車を運転する人がいるのか、施設は安定して患者を受け入れられるのか、道路が使えない日には別の経路があるのか、そしてその仕組みを10年後にも維持できるのかというところまで見なければ、老後の医療アクセスは評価できない。

 地図の上では、病院は30km先にある。しかし毎週決まった日に送迎車が来て、無理のない時間で施設まで連れて行ってくれるのであれば、その30kmは必ずしも生活を断念しなければならない距離ではない。逆に、病院が10km先にあっても、そこへ行く交通手段がなければ、高齢になったときには非常に遠い病院になり得る。

 距離とは道路の長さだけでは決まらない。そこへ人を運ぶ仕組みがあるか、その仕組みが長期的に持続できるかによって、同じ30kmでも生活上の意味は大きく変わる。

 人口減少が進む地方で残すべきものは、透析施設という建物だけではないのだろう。患者の家々と施設の間を月曜日にも、水曜日にも、金曜日にも往復する送迎車、その車を運転する人、道路、災害時の代替施設までを含めて一つの地域医療として考える。その視点に立って初めて、「透析施設まで片道30km」という数字を、老後の生活の中で正しく評価できるのである。

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~「医者がいる町」から「医療につながる町」へ

 地方の町では、診療所の時計だけが、町とは別の時間を刻んでいるように見えることがある。午前八時半、玄関の自動ドアが開くより少し前から、数人の高齢者が待っている。受付が始まれば、血圧の薬をもらいに来た人、腰の痛みを相談する人、健康診断の結果を聞きに来た人が、いつもの椅子に腰を下ろす。医師は一人、看護師が数人、受付には長く勤めている職員がいて、患者の病歴だけでなく、家族構成や普段の暮らしまで何となく分かっている。

 それは大病院とは違う、地域の生活に深く根付いた医療の風景である。しかし、この診療所をそのまま30年先へ移動させようとすると、話は急に難しくなる。建物の老朽化や医療機器の更新だけではなく、患者の人数と年齢構成、医師の働き方、診療所の経営条件、そして町そのものの姿が大きく変わってしまうからである。

 2026年から30年後は2056年である。国立社会保障・人口問題研究所が2023年に公表した「日本の将来推計人口」によれば、出生中位・死亡中位推計における日本の総人口は、2056年に約9,965万人となり、1億人を下回る。65歳以上人口の割合も2055年には37.6%に達する見通しで、人口減少と高齢化が同時に進行する。ただし、これは2020年の国勢調査を基準に出生、死亡、国際人口移動などについて仮定を置いた推計であり、2056年の人口が確定しているわけではない。

 しかも人口減少は全国一様に進むわけではない。大都市と地方都市、人口の少ない農山漁村では変化の速度も人口構成も異なり、市区町村別の将来人口推計も2050年までの段階で大きな地域差を示している。全国の人口が減少しても、都市部では高齢者が増え続ける一方、過疎地域では高齢者の人数そのものが減っていく場合がある。

 では、地方の診療所は30年後も残っているのだろうか。

 現在と同じ形の診療所を、現在と同じ密度で維持することは、多くの人口減少地域で難しくなると考えられる。しかし、だからといって地方から診療所という存在そのものが消えるとは限らない。将来は、常勤医師による従来型の診療所に加え、複数の医療機関、訪問看護、薬局、介護、オンライン診療、巡回診療などが連携して医療を提供する仕組みが、これまで以上に重要になる可能性がある。

 30年後に問われるのは、診療所という建物を何軒残せるかだけではない。住民が必要な医療に到達できる仕組みを、人口が減り続ける地域でどこまで維持できるのかという問題なのである。

患者が減るのに、医療が楽になるとは限らない

 人口が減れば患者も減る。それなら診療所の負担も軽くなるのではないかと考えたくなるが、地方医療では、この直感が必ずしも成立しない。医療需要は人口の総数だけで決まるものではなく、年齢構成、疾病の種類、健康状態、受療行動、医療機関への到達可能性などによって変化するためである。

 仮に人口1万人の町に診療所が5か所あり、それぞれが平均2,000人程度の住民を背景人口としていたとする。その町の人口が30年後に6,000人になれば、単純に割り算した一診療所当たりの背景人口は1,200人になる。しかし、背景人口が40%減少したからといって、診療所の受診件数や診療報酬収入も正確に40%減るとは限らない。実際には、町の外から通院する患者もいれば、町の住民が隣接自治体の病院や診療所を利用する場合もあり、人口と患者数の関係はそれほど単純ではない。

 ここに高齢化という要素を加えると、問題はさらに複雑になる。30歳の住民と85歳の住民では、一般に必要とする医療の種類や量が異なる。高齢になるほど複数の慢性疾患を抱えやすく、薬剤管理、定期検査、認知機能への対応、転倒予防、在宅療養など、医療と介護が重なる課題も増えやすい。そのため、一人の患者に必要な診療時間や多職種との連携が増える可能性がある。

 厚生労働省の2023年度国民医療費によれば、人口一人当たりの年間医療費は65歳未満で21万8,000円、65歳以上で79万7,200円となっており、約3.7倍の差がある。ただし、この数字には入院医療、外来医療、調剤などが含まれるため、高齢者が診療所を3.7倍利用することを意味するものではない。高齢化によって医療費や医療資源の必要量が変化することを示す指標ではあるが、診療所の患者数をそのまま予測するための数字ではないのである。

 さらに注意しなければならないのは、過疎地域では高齢化率が上昇しても、高齢者の絶対数が減少する場合があることだ。厚生労働省が新たな地域医療構想の検討で示した2025年から2040年までの地域類型別推計では、大都市型の医療圏で65歳以上人口が平均17.2%増加する一方、過疎地域型では平均12.2%減少する見通しとなっている。生産年齢人口についても過疎地域型では平均28.4%減少する見通しであり、患者を支える医療従事者の確保が一段と難しくなる可能性がある。

 つまり、地方では高齢化率が上昇することと、地域全体の高齢患者数が増えることを区別しなければならない。高齢者一人当たりに必要な医療が複雑になっても、地域全体の外来需要は減少する場合があり、診療内容の複雑化と診療所経営に必要な患者数の確保が、同時に課題となるのである。

人口が4割減った町では、医療需要はどれだけ減るのか

 この問題をもう少し具体的に考えてみたい。仮に人口1万人の町で65歳以上の住民が30%を占め、30年後には総人口が6,000人、高齢化率が50%になるとする。さらに、65歳以上の一人当たり医療需要を65歳未満の2倍と仮定し、65歳未満の医療需要を1、65歳以上を2という指数で表す。

 現在の医療需要指数は、65歳未満の7,000人に高齢者3,000人の2倍の需要を加えるため、合計1万3,000となる。一方、30年後は65歳未満が3,000人、高齢者が3,000人なので、医療需要指数は9,000となる。人口は40%減少しているのに、医療需要指数の減少率は約30.8%にとどまる計算である。

 これは将来の実際の受診件数を予測したものではなく、年齢構成が変われば人口減少率と医療需要の減少率が一致しないことを示す単純な数理モデルである。高齢者の需要倍率を変えれば結果も変わり、実際には65歳から74歳、75歳から84歳、85歳以上などの年齢階級別に、疾患の種類や受療率、訪問診療の必要性、地域外への患者流出なども考慮しなければならない。

 それでも、この単純な計算から重要なことが分かる。人口が減る地域でも、医療需要が同じ割合で減るとは限らず、反対に高齢化が進んでいるからといって、診療所の患者数や収入が維持されるとも限らない。しかも患者一人当たりの診療内容が複雑になれば、診療時間や他職種との調整に必要な労力は増える可能性がある。

 地方診療所が直面するのは、単なる患者数の減少ではない。医療需要の総量が縮小する一方で、必要な医療機能の一部は複雑化し、それを支える人材や設備を維持しなければならないという、量と質の両面にわたる構造的な変化なのである。

全国では診療所が増えているのに、地方では維持が難しくなる

 現在の日本には、一般診療所そのものは数多く存在する。厚生労働省の2025年医療施設調査によれば、同年10月1日時点の全国の一般診療所数は10万5,521施設で、前年より314施設増加した。このうち無床診療所は10万361施設と全体の95.1%を占め、前年から569施設増加している。一方、有床診療所は5,160施設で、前年より255施設減少している。

 この統計は、人口減少が進んでいるからといって、全国の診療所数が一律に減少しているわけではないことを示している。都市部では新たな診療所が開設される一方、人口の少ない地域では後継者が見つからず、診療所の存続が難しくなる可能性がある。実際、厚生労働省の地域医療構想に関する資料でも、人口の少ない二次医療圏では診療所数が減少傾向にあり、人口の多い医療圏では増加傾向にあることが指摘されている。

 重要なのは、全国の診療所数と、地域住民が利用できる診療所数は同じ指標ではないということである。全国で100施設増えたとしても、それが大都市の駅前や住宅密集地に集中していれば、人口5,000人の地方の町で医師が一人引退する問題を解決することはできない。

 また、施設数が維持されていても、診療日数が減少したり、常勤医師が非常勤医師に置き換わったり、診療科が変更されたりすれば、住民が実際に利用できる医療機能は変化する。反対に、施設数が減少しても、医師の共同勤務や訪問診療、近隣病院との連携が充実すれば、一定の医療サービスを維持できる場合もある。

 したがって、地方医療の将来を考える際には、診療所の数だけを見ても十分ではない。誰が診療しているのか、週に何日利用できるのか、どのような検査や処置が可能なのか、診療所がなくなった場合に代わりとなる医療機関がどこにあるのかまで確認しなければ、地域医療の実態は見えてこないのである。

本当に不足するのは「医師の数」だけではない

 30年という時間を考える場合、現在の施設数以上に重要なのが、その診療所を誰が引き継ぐのかという問題である。地方の小さな診療所では、一人の開業医が診療と経営の両方を担っていることが少なくない。病院であれば一人の医師が退職しても組織としての診療機能を維持できる場合があるが、一人医師の診療所では、その医師の引退が診療所の閉鎖に直結する可能性がある。

 厚生労働省の2024年医師・歯科医師・薬剤師統計によると、診療所に従事する医師の平均年齢は60.1歳で、病院に従事する医師の45.8歳より14歳以上高い。これは診療所医師全体の平均であって、すべての診療所の院長が高齢であることを意味するものではないが、将来の医療提供体制を考える際に、医師の世代交代が重要な課題であることは確かである。

 ただし、医師が高齢であることと、後継者が存在しないことを同一視してはならない。親族への承継、医療法人による事業承継、複数医師による共同経営、近隣病院からの医師派遣など、診療所を継続する方法は複数ある。将来の閉鎖件数を正確に予測するには、医師の年齢だけでなく、引退予定、承継意向、新規開設数、廃止数、地域内の勤務医の供給状況などを継続的に調べる必要がある。

 それでも、若い医師が地方で一人診療所を経営することには、診療以外にも大きな責任が伴う。医師自身が人を雇い、設備を管理し、診療報酬の請求業務に責任を持ち、休日や夜間の対応を調整し、地域によっては学校医、予防接種、在宅診療、看取りなどにも関わることになる。都市部の病院や複数医師が勤務する診療所など、別の働き方を選択できる中で、地方での単独開業を希望する医師が十分に確保できるかは不確実である。

 医師政策でも、全国の医師数だけでなく、地域や診療科ごとの偏在が問題となっている。国は2024年12月に「医師偏在の是正に向けた総合的な対策パッケージ」を策定し、地域ごとの医師確保や勤務環境の改善などを進めている。しかし医学部の定員や全国の医師数を増やすだけで、人口の少ない町の診療所が自動的に維持されるわけではない。

 地方に必要なのは、単に医師免許を持つ人の総数ではなく、その地域で継続して働くことのできる医師と、それを支える看護師、薬剤師、医療事務職員などの人材である。医師を一人確保できても、看護師を採用できず、薬局や訪問看護の体制も不足していれば、地域医療の機能を十分に維持することは難しい。

一軒の診療所が消えると、町では距離が伸びる

 都市部では、一つの診療所が閉院しても、比較的近い場所に別の医療機関が存在することがある。しかし、地方では一軒の診療所がなくなることによって、次の診療所まで10キロ、15キロ、あるいはそれ以上の移動が必要になる場合がある。しかも30年後、その距離を移動しなければならない住民自身が、現在より高齢になっている可能性が高い。

 診療所へのアクセスは、単純な道路距離では測れない。自家用車を運転できる人であれば20分程度の移動で済む場所でも、運転免許を返納した高齢者や自動車を持たない住民にとっては、バスの運行回数、乗り継ぎ、家族の送迎、タクシー料金などが大きな制約となる。同じ距離でも、身体機能や経済状況、家族構成によって移動の負担はまったく異なるのである。

 例えば、診療所が一軒減って平均移動時間が10分延びたとしても、それだけで住民への影響を判断することはできない。多くの人が自家用車で通院できる地域と、独居高齢者が多く公共交通も限られている地域では、医療アクセスの悪化の程度が違うからである。平均移動時間が短くても、一部の住民が事実上通院できなくなるのであれば、地域全体として十分なアクセスが確保されているとは言えない。

 反対に、医師が毎日診療所に常駐していなくても、週に数回の対面診療、巡回診療、訪問看護、オンライン診療、病院への搬送手段などが適切に整備されていれば、物理的な診療所の数が減っても、必要な医療への接近可能性を一定程度維持できる場合がある。ただし、提供できる診療内容や緊急時の対応能力が従来と同じとは限らず、施設数の減少をネットワーク化だけで完全に補えると考えるべきではない。

 地方医療の維持を考える場合、診療所が何軒あるかという指標に加え、住民が必要な医療を、どの程度の時間と負担で受けられるかを評価する必要がある。

 この問題は医療政策だけでは完結しない。公共交通、道路、住宅の分布、介護サービス、地域の財政、家族による支援などが重なり合っており、医療機関の配置と交通政策を別々に検討するだけでは、十分な解決策を導くことは難しいのである。

診療所は「店」から「ネットワークの入口」へ変わるのか

 これまでの診療所は、患者が施設を訪れ、医師が診察し、必要に応じて検査や処方を行い、高度な治療が必要な場合には病院へ紹介するという形を基本としてきた。もちろん従来から病院や薬局との連携は行われてきたが、日常的な診療の多くは一つの施設を中心に提供されていた。

 しかし、人口減少が進み、医療従事者の確保が難しくなる地域では、すべての診療所が同じように医師、看護師、検査設備などを備える方式を維持できるとは限らない。限られた医療資源を地域全体で共有し、必要な医療機能を分担する仕組みが、これまで以上に重要になる可能性がある。

 厚生労働省が進める2040年以降を見据えた新たな地域医療構想でも、従来の病床機能の分化・連携に加え、外来医療、在宅医療、医療と介護の連携、医療従事者の確保などを含めて、地域全体の医療提供体制を検討する方向が示されている。ただし、地域医療構想は病院や診療所の削減、統廃合そのものを目的とするものではなく、地域ごとの人口構成や医療需要に応じた医療機能の確保を目指すものである。

 この政策の延長線上に2056年を置くと、地方の医療提供体制には複数の形が考えられる。従来型の診療所が引き続き地域の中心となる場合もあれば、複数の医師が曜日を分担して診療する場合、病院の分院やサテライト診療所が日常診療を担う場合、巡回診療や訪問診療によって住民の生活圏に医療を届ける場合もあるだろう。

 さらに、オンライン診療を受けるための施設が地域の身近な場所に設けられ、遠隔地の医師につながる仕組みも考えられる。ただし、このような施設は法律上の診療所と必ずしも同じものではなく、提供できる医療機能にも違いがある。診療所という名称や制度上の定義が一律に変わるというより、地域住民が医療を受ける窓口や提供形態が多様化していくと考える方が正確である。

 この変化を単純な進歩や退歩として評価することはできない。毎日同じ医師が診てくれる安心感や、長年の信頼関係を通じて患者の変化に気づくという利点が弱まる可能性はある。その一方で、一人の高齢医師に地域医療の多くを依存させる状態から、複数の医療従事者が役割を分担する体制へ移行できれば、医療提供の継続性を高められる場合もある。

 重要なのは、施設を集約すること自体ではなく、集約後も必要な医療機能が維持されるかを確かめることである。

オンライン診療は制度化されたが、万能ではない

 将来の地方医療を考えるうえで、オンライン診療の位置づけは以前より明確になっている。2025年12月に公布された医療法等の一部を改正する法律により、2026年4月1日からオンライン診療に関する新たな法令上の規定が施行され、「オンライン診療受診施設」が医療法上の医療提供施設の一つとして位置づけられた。

 オンライン診療受診施設とは、患者がオンライン診療を受ける場所として提供される施設であり、一定の要件と届出のもとで設置される。従来の診療所とは制度上の位置づけが異なり、診療を担当する医師や医療機関の責任のもとで利用される仕組みである。国は医療資源の少ない地域での活用を想定しており、住民にとって身近な施設を利用する可能性も示している。

 この制度の整備は、人口の少ない地域における医療アクセスを考えるうえで重要な変化である。しかし、オンライン診療受診施設が設置できるようになったことと、その地域で必要な医療がすべて提供できるようになることは別問題である。

 画面の向こうから腹部を直接触診することはできず、採血や創傷処置、画像検査などもオンライン診療だけでは完結しない。映像や音声を通じて患者の状態を確認できても、急性疾患や重症化が疑われる場合には、対面診療や救急搬送が必要になることがある。通信環境や患者の情報機器の操作能力によって利用しやすさが変わる点も無視できない。

 看護師などが患者のそばにいて、血圧、体温、酸素飽和度などを測定し、その情報を遠隔地の医師に共有する仕組みは有効な選択肢になり得る。ただし、看護師が独立して医師の診断や処方を代行できるわけではなく、診療の補助は法令上の業務範囲や医師の指示に従って行われなければならない。また、オンライン診療受診施設に看護師が必ず常駐するという制度でもなく、必要な人員配置や運営方法は提供するサービスに応じて検討する必要がある。

 さらに、医師がオンラインで診察できたとしても、処方された薬をどのように受け取るのか、検査が必要なときにどこへ行くのか、容体が悪化したときに誰が対応するのかという課題は残る。オンライン診療を地域医療の中で機能させるには、薬局、訪問看護、対面診療を担う医療機関、救急搬送などとの連携が不可欠なのである。

 オンライン診療の価値は、地域から医療従事者を完全に不要にすることではない。少ない医療従事者が持つ専門的な能力を、距離の離れた地域でも利用できるようにすることであり、適切な対面診療と組み合わせて初めて、その効果を発揮する。

 30年後の地方医療を支えるのは、人工知能や通信技術だけではない。患者の様子を見て普段との違いに気づき、必要な対応へつなぐ医療従事者の存在は、技術が進歩しても重要であり続けるだろう。

経営できない診療所を、誰が残すのか

 地方診療所の将来を考える際、避けて通れないのが採算の問題である。民間の診療所は地域住民の健康を支える医療機関であると同時に、職員を雇用し、施設や設備を維持する事業体でもある。患者が減れば診療報酬収入が減少する可能性がある一方、建物の維持費、医療機器の更新費、通信費、人件費などは患者数に完全には比例して減らせない。

 診療所の経営を単純化すると、一定期間の固定費を、一件当たりの診療収入から変動費を差し引いた金額で回収できるかが、収支を考える基本となる。仮に年間固定費が3,000万円で、診療一件当たりの平均収入から変動費を差し引いた額が4,000円だとすれば、固定費を回収するためには年間7,500件の延べ診療件数が必要になる。年間250日診療する場合、一日平均30件という計算である。

 もちろん、これは診療所の標準的な経営実態を表した数字ではなく、収支の仕組みを説明するための仮定である。実際の診療報酬は診療内容や患者の状態によって異なり、訪問診療、各種検査、施設基準による評価なども関係する。医師自身の報酬、借入金の返済、設備投資、物価や賃金の上昇も考慮しなければならず、患者数だけで黒字か赤字かを判断することはできない。

 しかし、人口が減り続ける地域では、少ない患者数に対して一定の固定費を負担しなければならないという構造的な問題が生じやすい。人材確保が難しくなれば給与などの負担が増える可能性もあり、診療所を単独で維持する場合の経営条件は厳しくなることが考えられる。

 ここで問題となるのが、医療を純粋に市場サービスとして考えてよいのかという点である。一般の商店であれば、利用者が減少して採算が取れなくなれば撤退するという判断には経済合理性がある。しかし、その町で最後の診療所が閉院する場合、住民の健康や生活に与える影響は、事業者の損益だけでは評価できない。

 医療には市場を通じて提供されるサービスという側面と、地域の生活を支える社会基盤という側面がある。消防や道路などと制度や財源の仕組みは異なるものの、人口密度の低い地域で必要な機能をどこまで維持するかという点では、共通する政策課題が存在する。

 そのため将来は、公設民営の診療所、病院による分院・サテライト診療所、複数自治体による広域的な協力、医師派遣、巡回診療などを組み合わせる必要がある地域も出てくるだろう。ただし、公設民営にすれば自動的に経営問題が解決するわけではない。自治体が施設整備費や運営費の一部を負担できても、診療を担う医師や看護師が確保できなければ、医療提供体制は成立しないのである。

 地方診療所の将来を左右するのは、医師数や患者数だけではない。国と自治体が、住民の医療アクセスをどの水準まで確保するのか、そのために必要な費用を誰が負担するのかという制度と財政の問題でもある。

診療所の数だけでは、地域医療の質は測れない

 では、地方の診療所をどこまで維持できれば、地域医療が守られたと言えるのだろうか。診療所が三つあった町で一つしか残らなくなった場合、施設数だけを見れば医療提供体制は縮小している。しかし、残った診療所で十分な診療時間と医療機能が確保され、訪問診療や送迎も整備されていれば、すべての住民にとって医療アクセスが三分の一になるとは限らない。

 反対に、診療所が三つ残っていても、診療日が限られ、医師の専門分野が偏り、夜間や緊急時の対応ができなければ、必要な医療が十分に提供されているとは言えない。施設数という分かりやすい指標だけでは、地域医療の実際の機能を評価できないのである。

 そのため、今後の地域医療政策では、住民が診療所に到達するまでの時間、自動車を利用できない住民の割合、公共交通や送迎手段の確保状況、診療可能な曜日と時間、提供できる検査や処置、救急搬送先との連携、医療情報の継続性などを総合的に測定する必要がある。

 特に注意したいのは、平均値だけでは医療アクセスの格差を把握できないということである。町全体の平均通院時間が短くても、山間部の集落や公共交通のない地域に住む一部の人が長時間の移動を強いられている場合がある。自力で移動できない住民や、医療費以外の交通費を負担できない住民の存在も考慮しなければならない。

 また、地方の医療圏は必ずしも市町村の行政区域と一致しない。ある町の診療所が少なくても、隣接する市の医療機関を日常的に利用できる場合もあれば、近隣自治体に医療機関が存在していても、交通手段がなく通院が困難な場合もある。そのため、市町村別の診療所数だけで地域医療の充実度を判断することは適切ではない。

 30年後の地方医療を検証するなら、人口推計と診療所の配置を地図上で重ねるだけでは不十分である。住民の年齢、通院行動、移動手段、医療機関の機能、実際の診療能力まで組み合わせ、どのような住民がどの医療から遠ざかるのかを具体的に調べる必要がある。

 重要なのは、地域に診療所が存在するという事実ではなく、地域住民が必要な診療を、必要なときに受けられるという実効性である。

医療ネットワークを作れば、必ず維持できるわけではない

 診療所を地域の医療ネットワークの入口として位置づける考え方には合理性がある。しかし、ネットワーク化そのものを人口減少社会の万能な解決策として扱うことはできない。施設や専門職を結びつけるには、情報共有の仕組み、診療上の責任分担、患者の移動手段、人材の配置、運営費用などを継続的に確保する必要があるからである。

 例えば、地域の診療所と中核病院が電子的に診療情報を共有できたとしても、診療所側に患者の状態を評価できる医療従事者がいなければ、日常的な医療の質を保つことは難しい。訪問看護が充実していても、訪問先までの移動距離が長く、担当できる患者数に限界があれば、広い地域を少数の職員だけで支えることはできない。

 また、医療機関の集約化によって設備や専門職を効率的に配置できたとしても、患者の移動時間や交通費が増えれば、医療機関の経営上の効率化が住民全体の利益につながるとは限らない。医療機関側で節約できた費用が、患者や家族の時間的・経済的負担として移転している可能性もある。

 こうした問題を検討するには、個々の診療所の経営収支だけでなく、住民の交通費、自治体の送迎費用、救急搬送への影響、医療従事者の移動時間などを含めて、地域全体の費用と効果を比較する必要がある。

 例えば、従来型の診療所を一軒維持する場合と、週数回の対面診療、オンライン診療受診施設、訪問看護、送迎サービスを組み合わせる場合について、費用だけでなく、慢性疾患の管理状況、救急搬送、予防可能な入院、患者の満足度などを比較すれば、どちらがその地域に適しているかを検証しやすくなる。

 ただし、地域医療では一つの方式がすべての地域に適するとは限らない。人口が比較的集中している地方都市、集落が広範囲に分散する山間部、交通の便が悪い沿岸部では、最適な医療提供体制が異なる可能性が高い。2056年の地方診療所を一つの標準的な姿として描くのではなく、複数の選択肢から地域の条件に適した仕組みを選び、その効果を継続的に確かめることが重要になる。

そして2056年、診療所の玄関は開いているか

 2056年のある地方の町を想像してみる。人口は現在より少なくなり、かつて商店だった建物のいくつかは空き家になり、学校も統合されているかもしれない。高齢化率は高いものの、高齢者の人数自体も以前より減り、町を行き交う人の姿は少なくなっている。

 それでも、旧役場の近くには小さな地域医療の拠点がある。そこでは月曜日と木曜日に近隣病院から医師が来て対面診療を行い、別の日には住民がオンライン診療を利用できるようになっている。訪問看護師は自宅で療養する人を支え、巡回診療の車が離れた集落を回る。必要な検査は近隣の医療機関で受け、入院や高度な治療が必要な場合には、あらかじめ連携している中核病院につながる。

 これは2056年の確定した姿ではなく、現在の人口動態と医療制度から考えられる一つの将来像にすぎない。実際には、常勤医師のいる従来型の診療所がそのまま存続する地域もあれば、医療機関の集約化が進む地域、十分な代替手段を確保できず医療アクセスが悪化する地域も出てくる可能性がある。

 とりわけ、医師や看護師の確保、診療報酬制度、自治体財政、医療技術の進歩などは、30年という時間の中で大きく変化し得る。現在の制度と統計から2056年の診療所数や具体的な配置を正確に予測することはできず、将来像を示す場合には、実証された事実と政策上の目標、仮定に基づくシナリオを区別しなければならない。

 ただし、確かな方向性はある。人口が減少する地域で従来と同じ医療提供体制を無条件に維持することは難しくなり、限られた人材と財源をどう配置するかという問題は避けられない。診療所の数を維持することだけを目標にするのではなく、住民が必要とする医療機能を地域全体でどう確保するかを考える必要がある。

 ここで重要になるのが、地域住民の立場から医療を捉えることである。医療機関の配置を効率化する議論では、診療件数や施設の稼働率、医師一人当たりの患者数などが重視されやすい。しかし、住民にとって重要なのは、体調が悪くなったときにどこへ連絡すればよいのか、必要な診察を受けられるのか、薬を受け取れるのか、緊急時には適切な病院につながるのかという具体的な安心である。

 人口5,000人の町に診療所が三つ存在していても、診療時間や医療機能が限られていれば十分とは言えない。反対に、診療所が一つしかなくても、適切な移動手段と対面診療、訪問診療、遠隔医療、病院との連携が整っていれば、必要な医療へのアクセスを維持できる可能性がある。どちらが望ましいかは施設数だけでは決められず、地域の人口構成、地理的条件、医療需要、財政負担などに基づいた検証が必要なのである。

 地方ではこれから、病院も診療所も薬局も、公共交通も介護サービスも、それぞれ単独では維持しにくくなる地域が増える可能性がある。だからこそ、医療の問題を医療機関の配置だけで解決しようとすることには限界がある。医療へのアクセスは交通の問題につながり、交通の問題は人口配置や住宅政策の問題につながり、最終的には地域社会をどのような形で維持していくのかという選択に行き着く。

 30年後の地方で最後まで必要とされるものは、必ずしも立派な建物ではない。体調が悪くなったとき、住民が迷わず相談でき、必要な医療につながる仕組みである。かつて、その役割の多くを一人の町医者が担っていた地域でも、2056年には複数の医療従事者と医療機関が連携することで、その機能を維持しているかもしれない。

 診療所の白い看板は、今と同じ場所に残っていないかもしれない。しかし、その町から必要な医療へつながる道が途切れていなければ、地域医療の重要な機能は守られていると言えるだろう。

 地方の診療所を30年後も維持できるのかという問いは、結局のところ、人口が減少する社会で、誰もが必要な医療を受けられる仕組みをどこまで維持できるのかという問いなのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 地域の風景から田んぼが減っていくとき、その変化は農業の衰退や景観の変化として語られることが少なくありません。しかし、水の流れという視点から考えると、水田の減少は農業だけの問題ではありません。水田は米を生産する農地であると同時に、降った雨を一時的に受け止め、排水路や河川へ流れ込む水の量と時間を調整する機能を持っているためです。

 水田が住宅地や駐車場、道路などに変わると、同じ量の雨が降っても、地域の排水の仕方が変化する場合があります。重要なのは雨の総量だけでなく、雨水がどのくらいの時間で排水路へ到達し、どの時点で流量が最大になるかという点です。地域の浸水リスクは降水量だけで決まるのではなく、土地の状態、排水施設の能力、河川の水位などが複雑に関係して決まります。

 もっとも、水田がなくなれば必ず洪水が増えるという単純な関係が成立するわけではありません。水田の貯留能力には限界があり、宅地化に伴う雨水流出対策も制度化されています。水田が地域の排水にどのような役割を果たしているのかを正確に理解するためには、水文学的な仕組みだけでなく、数理的な評価、実際の研究結果、土地利用に関する制度まで含めて検討する必要があります。

水田は雨を消すのではなく、一時的に受け止めている

 水田には、周囲を囲む畦と排水口があり、雨水を一定時間とどめる構造があります。農林水産省や農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)は、この仕組みによって水田が洪水の防止や軽減に寄与する機能を持つと説明しています。ただし、水田は雨を消滅させる施設ではなく、降った雨を一時的に貯留し、その後、浸透や排水によって水を移動させる場所です。

 水田に降った雨の一部は土壌へ浸透し、一部は田面に貯留され、残った水は排水口や畦を越えて水路へ流れ出します。このとき、水田から排出される水量は、降雨強度だけでなく、降雨前の水位、畦の高さ、土壌の状態、排水口の構造などによって変わります。したがって、水田の治水機能を評価する場合には、雨水がどれほど地下へ浸透するかという点だけでなく、どの程度の水を一時的に貯留できるか、どのような速度で排水されるかを考えることが重要です。

 特に水稲栽培中の水田では、代かきによって土壌の透水性が低下したり、耕盤と呼ばれる比較的水を通しにくい層が形成されたりすることがあります。このため、水田は森林や畑と同じように雨水が大量に地下へ浸透する土地とは限りません。水田に特徴的な洪水緩和機能は、畦に囲まれた地表面での貯留と、排水口を通した流出の調整によって説明する方が適切です。

田んぼは実際にどのくらいの雨水を貯められるのか

 水田の貯留機能は、面積と水深を使って概算できます。例えば、面積1ヘクタール、つまり1万平方メートルの水田で、雨水を追加的に10センチメートル貯められると仮定すると、その貯留量は1,000立方メートルになります。これは水の質量に換算すると約1,000トンに相当し、水田が一定の条件で相当量の雨水を一時的に保持できることを示しています。

 ただし、この1,000立方メートルという数字は、実際の水田がいつでも利用できる貯留容量を意味するものではありません。既に田面に水が張られていれば、追加的に貯められる量は少なくなりますし、畦の高さや排水口の位置によっても安全に貯留できる水深は異なります。また、水田の排水を過度に抑制すると、稲の生育や農作業に支障が生じる可能性もあるため、農業上の条件を無視して貯留量だけを増やすことはできません。

 このように、水田の洪水緩和機能は面積だけから決まるものではなく、降雨が始まる時点でどれだけの空き容量があるかによって変化します。同じ水田でも、雨が降る前の状態が異なれば、雨水を受け止める能力は違ってきます。

宅地化すると雨水の流れ方はどう変わるのか

 水田だった土地に住宅が建ち、屋根や道路、舗装された駐車場などが増えると、雨水が地中へ浸透しにくい面積が大きくなります。こうした土地は不浸透面と呼ばれ、屋根に降った雨は雨どいから排水管へ、舗装面に降った雨は側溝などへ流れやすくなります。さらに、宅地造成によって地面の勾配や排水経路が変われば、それまで水田に一時的にとどまっていた雨水の一部が、短時間で水路へ到達するようになる可能性があります。

 この変化を定量的に考える際に利用されるのが、流出係数です。流出係数とは、土地に降った雨がどの程度流出に寄与するかを表す指標であり、土地の利用形態によって異なる値が設定されます。例えば、国土交通省が特定都市河川浸水被害対策法に関連して定めている算定用の係数では、耕地や林地などが0.20、宅地が0.90、コンクリート等で舗装された土地が0.95とされています。

 この係数を使い、面積1ヘクタールの土地に1時間当たり50ミリメートルの雨が降ると仮定して、排水設計で用いられる合理式という簡易的な計算方法でピーク流量を求めると、流出係数0.20の場合は約0.028立方メートル毎秒、0.90の場合は約0.125立方メートル毎秒になります。同じ面積と降雨強度を前提にすると、計算上は約4.5倍の違いが生じることになります。

 もっとも、これは一定の仮定に基づく設計計算上の比較であり、実際の水田を宅地化すると河川のピーク流量が必ず4.5倍になるという意味ではありません。合理式は降雨強度や集水面積、流出係数などからピーク流量を概算する方法であり、水田内部の貯留、排水口からの流出時間、下流河川の水位変動などを詳細に再現するものではないからです。また、法律上の算定に使う係数も、あらゆる降雨に対して実測される流出率と一致するわけではありません。

 それでも、この計算例から分かるのは、土地利用の変化によって排水施設に流れ込む雨水の条件が大きく変わり得るということです。住宅地として整備される際に適切な雨水貯留施設や浸透施設が設けられていれば、その変化を抑制することも可能ですが、そのような対策の有無を確認せずに、水田と宅地の排水特性を同じものとして扱うことはできません。

排水問題では雨水の総量だけでなくピークが重要になる

 河川や排水路の負荷を考えるうえで重要なのが、一定時間内に流れる水量の最大値であるピーク流量です。同じ量の雨水が流出する場合でも、長い時間をかけて分散して流れる場合と、短時間に集中して流れる場合とでは、排水路の水位や流下能力に与える影響が異なります。排水路には一度に流せる水量の限界があるため、その能力を超える流入が発生すると、道路冠水や周辺への浸水につながる可能性があります。

 農林水産省が紹介している三重県津市の安濃川流域の研究は、この関係を考えるうえで参考になります。この研究では、3日間の連続雨量が10年に1回程度の規模となる降雨を想定し、現状の水田が存在する場合と、水田が全て宅地化されたと仮定した場合について、コンピュータによる洪水シミュレーションが行われました。その結果、水田が存在する条件では、宅地化した条件に比べて河川のピーク流量が低下し、そのピークが現れる時刻も遅くなることが示されています。

 ただし、これは実際に安濃川流域の水田を全て宅地化して観測した結果ではなく、一定の降雨条件と土地利用条件を設定した数値解析の結果です。したがって、この研究は水田の存在が河川の流量に影響することを示す重要な根拠にはなりますが、日本全国のどの地域でも同じ大きさの効果が得られると判断することはできません。地域ごとの地形、降雨特性、水田面積、排水施設、河川との接続状況などを考慮した検証が必要です。

上流で水を遅らせれば下流は必ず安全になるのか

 水田の流出抑制効果を考える場合には、もう一つ重要な点があります。それは、水田から流れ出す水のピークを低くすることと、河川全体のピーク流量を低下させることが、必ずしも同じではないということです。上流の水田で排水を遅らせれば、その水田の排水口では流量の集中を抑えられる可能性がありますが、さらに下流の河川では、別の支流から流れてくる水との合流によって異なる結果が生じる場合があります。

 例えば、ある水田からの排水を遅らせた結果、別の支流から流れてくる洪水のピークと重なるようになれば、下流地点での流量低減効果が小さくなることが考えられます。実際の流域では、降雨の時間的・空間的な分布、各支流の流下時間、水路や河川の貯留能力などが複雑に関係しています。このため、一つの水田で排水抑制効果が確認されたとしても、それだけで流域全体の洪水リスクが低下したと結論付けることはできません。

 この問題は、水田の治水機能を否定するものではなく、その効果を正確に評価するために必要な視点です。どの水田で、どの程度の排水を、どの時間帯に抑えることが下流の水位低下につながるのかを検討することによって、初めて流域全体として合理的な対策を考えることができます。

排水路の能力は土地利用の変化に合わせて自動的に増えるわけではない

 田んぼが住宅地や商業施設などに変わったとしても、地域に昔からある側溝、農業用排水路、小河川などの流下能力が自動的に大きくなるわけではありません。農地が広がっていた地域では、水田や水路の配置、地形の勾配などに応じて排水の仕組みが形成されてきました。そこに新しい宅地や舗装面が増え、雨水が短時間で排水路へ集まるようになると、既存施設の能力との間に不均衡が生じる可能性があります。

 このような状況では、大河川の堤防を越えるような大規模な洪水が発生していなくても、側溝や排水路から水があふれ、道路や住宅地が浸水することがあります。河川から水があふれる外水氾濫とは異なり、降った雨を地域の排水施設で十分に処理できないことなどによって発生する現象は、内水氾濫と呼ばれます。内水氾濫の発生には、降雨強度だけでなく、排水路の断面、土砂や植物による閉塞、排水ポンプの能力、排水先の河川水位なども関係しています。

 特に海岸に近い低平地では、下流の河川水位だけでなく潮位の影響も考える必要があります。満潮時などに排水先の水位が高くなれば、地域の水路から自然に水が流れ出しにくくなることがあり、排水能力が十分に発揮されない場合があります。したがって、田んぼが減少した地域で冠水が発生したとしても、その原因を土地利用の変化だけに求めるのではなく、降雨、河川水位、潮位、排水施設の状態を合わせて調べることが必要です。

一枚の田んぼの変化と流域全体の変化は区別する必要がある

 水田が一枚宅地になっただけで、直ちに地域全体の洪水リスクが大きく変わるとは限りません。一枚の水田が持つ貯留量や流出抑制効果は、その地域の集水面積や河川流量に比べれば小さい場合があり、開発に伴う排水対策によって影響が抑えられることもあります。そのため、水田の減少と冠水の発生を単純な一対一の因果関係として捉えることは適切ではありません。

 一方で、複数の土地利用変更が長期間にわたって積み重なれば、流域全体の雨水流出特性が変化する可能性があります。水田が住宅になり、別の農地が駐車場になり、道路の舗装面積が増えていくと、それぞれの土地で生じる変化が下流の同じ水路や河川に集まる場合があります。ただし、その間に雨水貯留施設や排水路の整備が行われていれば、土地利用変更による流出増加を相殺できることもあり、実際の影響は開発面積だけでは判断できません。

 ここで重要になるのが流域という考え方です。流域とは、降った雨が地形や水路によって集まり、同じ河川や水域へ流れていく範囲を指します。水は市町村の境界や土地の所有権とは無関係に移動するため、上流にある土地の利用方法が、行政区域を越えて下流の排水環境に影響する場合があります。個々の開発地の安全性だけでなく、流域全体で雨水がどのように流れるのかを考える必要があるのは、このためです。

田んぼダムは水田の貯留機能を積極的に利用する取り組み

 水田の雨水貯留機能を意識的に利用する取り組みとして、近年注目されているのが田んぼダムです。田んぼダムとは、大規模なダムを建設するのではなく、水田の排水口に調整板などを設置して、大雨の際に雨水が一度に流れ出すことを抑える方法です。通常の水田にも一定の貯留機能がありますが、排水口の流出量を調整することで、その機能をさらに活用しようとするものです。

 農研機構が紹介している水田の観測事例では、排水調整板を設置した水田のピーク排水量が、設置していない水田に比べて約40%削減されたことが報告されています。また、2024年に公表された信濃川中流域の茶郷川を対象とする数値解析研究では、主要な5つの洪水を対象に、田んぼダムによるピーク流出量の低減率が3.4%から6.6%、信濃川合流部での水位低減量が8センチメートルから20センチメートルと推定されています。

 ここで注意したいのは、約40%という値が個別の水田の排水口で観測された結果であるのに対し、3.4%から6.6%という値は河川流域を対象に計算された結果だということです。両者は対象とする範囲や評価方法が異なるため、単純に比較することはできません。一枚の水田で大きな排水抑制効果が得られたとしても、その効果が同じ割合で下流河川全体に現れるわけではないことを理解する必要があります。

 また、田んぼダムは農業者の協力や維持管理を前提とする取り組みであり、排水口を制限すれば必ず望ましい結果が得られるものでもありません。水田の水位が上がり過ぎると農作物や畦に影響する可能性があるほか、排水口の閉塞や水路の管理状態によっても効果が変わります。導入する場合には、水田ごとの条件と下流への影響を確認し、農業生産と防災の両立を図ることが重要です。

豪雨の規模によっては水田の洪水緩和効果が小さくなる

 水田の治水機能には物理的な限界があります。降雨前から水位が高い場合には追加的な貯留容量が小さくなり、降雨が続いて水位が畦の高さを超えれば、雨水は畦を越えて流れ出すことになります。さらに、排水先の水路が満水になったり、河川水位が上昇して排水が妨げられたりすれば、水田内の水位が高くなり、想定していた排水調整ができなくなる場合もあります。

 田んぼダムに関する研究でも、降雨の規模や時間分布、水田の配置、下流の排水条件によって効果が変わることが指摘されています。極端な豪雨では、貯留可能な容量を超えることで流出抑制効果が小さくなったり、条件によっては特定の排水路や地点で水位が高くなったりする可能性があります。このため、水田の存在だけを根拠に大規模な水害を防げると考えることは適切ではありません。

 水田の貯留機能は、河川改修、排水機場、調整池、雨水浸透施設などを含む複数の対策の一つとして評価すべきものです。比較的頻度の高い降雨で効果が得られたとしても、それを超える豪雨に対して同じ割合の効果が続くとは限らないため、治水計画では想定する降雨規模と施設の能力を明確にすることが求められます。

耕作放棄された田んぼは同じ機能を維持できるのか

 水田が農業に利用されなくなった場合、その土地の洪水緩和機能がどのように変化するかについても慎重な判断が必要です。水田の貯留機能は、畦、排水口、水路、土壌などの状態によって成立しているため、耕作が行われなくなって管理状態が変われば、水の流れ方も変化します。畦が崩れれば貯留能力が低下する可能性がありますし、排水路に土砂や植物が堆積すれば、反対に周辺へ水が滞留しやすくなることもあります。

 農研機構による中山間地の観測研究では、耕作放棄水田の流出特性が、土地の乾燥状態と湿潤状態によって異なることが示されています。降雨前から地下水位が高く湿潤な状態では、耕作放棄水田の総流出量やピーク流出量が耕作中の水田を上回る場合がある一方、乾燥状態では逆の関係になることも確認されています。これは、乾燥によって土壌に亀裂が生じると浸透が促進される場合があり、湿潤状態では地表を流れる水が増えやすいことなどによるものです。

 ただし、このような研究結果も、全ての耕作放棄水田にそのまま当てはまるわけではありません。土壌の種類や地形、放棄されてからの年数、植生の状態によって水の動きは異なりますし、耕作放棄地を適切に管理して雨水の一時貯留空間として利用する方法も考えられます。

 したがって、水田、耕作放棄された水田、宅地、舗装された駐車場を同じように扱うことはできません。土地利用の名称だけで治水機能を判断するのではなく、実際の土地の状態と維持管理の状況を調べる必要があります。

農地を宅地化する際には排水に関する制度も存在する

 水田の宅地化を考える際には、土地利用の変更が無制限に認められているわけではないことにも注意が必要です。農地を住宅地や駐車場などに転用する場合には、農地法第4条や第5条に基づく許可または届出などの手続きが関係し、場所によっては農業振興地域制度による制限も受けます。また、開発の規模や場所によっては、都市計画法に基づく開発許可や排水施設に関する技術基準が適用される場合があります。

 さらに、特定都市河川浸水被害対策法では、指定された流域内において、一定規模以上の雨水浸透阻害行為に許可が必要とされています。雨水浸透阻害行為とは、農地などを宅地化したり、不浸透性の材料で舗装したりすることによって、雨水が地中へ浸透しにくくなり、流出雨水量が増加するおそれのある行為です。原則として1,000平方メートル以上の対象行為には許可が必要であり、地方公共団体の条例によって500平方メートル以上1,000平方メートル未満の範囲まで規模要件が引き下げられる場合もあります。

 この制度では、対象となる開発を一律に禁止するのではなく、雨水貯留浸透施設などによって流出雨水量の増加を抑えることが求められます。つまり、現行制度には土地利用の変化に伴う排水負荷を軽減する仕組みが存在しており、宅地化によって必ず下流への流出負荷が増大するとは限りません。

 もっとも、こうした規制が適用される地域や行為の規模には条件があり、全ての小規模な土地利用変更に同じ義務が課されるわけではありません。また、設置された施設の効果は設計条件や維持管理の状態によって左右され、想定を超える豪雨では十分な抑制効果を発揮できない場合もあります。地域の排水を評価する際には、土地利用の変化だけでなく、どのような規制が適用され、どのような雨水流出対策が実施されているのかを確認することが必要です。

千葉県の一宮川流域では流域全体を対象とした対策が進められている

 千葉県内で土地利用と治水を一体的に考える事例として参考になるのが、一宮川流域の取り組みです。一宮川水系は2023年10月1日に特定都市河川として指定され、茂原市、一宮町、睦沢町、長生村、長柄町、長南町の一部が対象流域となりました。さらに、2026年3月27日には千葉県と関係6市町村が共同で一宮川流域水害対策計画を策定し、河川、下水道、流域対策などを含む浸水被害の防止・軽減に向けた取り組みが制度的に位置付けられています。

 このような取り組みは、洪水対策を河川管理者だけの問題として考えるのではなく、流域内の土地利用や雨水貯留、排水施設などを含めて検討する流域治水の考え方に沿っています。農林水産省によれば、2026年3月末時点で、全国109の一級水系における119の流域治水プロジェクトのうち110プロジェクトに、農地や農業水利施設の活用が位置付けられています。ただし、この数字は取り組みを計画に位置付けたプロジェクト数であり、田んぼダムの設置率や実際に減少した洪水被害の大きさを表すものではありません。

 一宮川の事例が示しているのは、排水問題を行政区域だけでなく河川流域という単位で考える必要性です。ただし、一宮川流域に適用されている制度が、いすみ市、勝浦市、御宿町、大多喜町などにそのまま適用されるわけではありません。各地域の排水問題を検討する際には、対象となる河川や水路、流域の指定状況、自治体の条例や開発基準をそれぞれ確認しなければなりません。

田んぼの価値は米の生産額だけでは測れない

 人口減少が進む地域では、水田を維持する経済的な合理性が問われることがあります。農業従事者の高齢化や担い手不足、生産費用の増加などによって、条件の悪い農地を従来と同じように維持することが難しくなる場合があります。しかし、水田の社会的な価値を考える場合、米の生産額や農業所得だけを基準に判断することは十分ではありません。

 水田が下流の浸水被害を軽減する機能を持っている場合、その便益を受けるのは農業者だけではなく、周辺の住宅や事業所、道路などを利用する地域住民も含まれます。経済学では、このようにある経済活動の効果が、直接の取引に参加していない第三者にも及ぶことを外部性と呼びます。水田の洪水緩和機能は、農産物の販売収入には直接反映されにくいものの、地域全体に便益をもたらす可能性があるという点で、外部経済効果の一つとして考えることができます。

 もっとも、水田に治水上の価値があることと、水田を農業用地として維持することが常に最も経済合理的であることは別の問題です。水田を維持するためには、畦や排水路の補修、草刈り、農業用施設の管理などの費用や労力が必要であり、これらは農業者や地域の関係者が負担している場合があります。したがって、水田の治水機能を無償で提供されているものとして扱うことも適切ではありません。

 地域の土地利用を経済的に評価するなら、水田を維持した場合の農業収益や管理費用と、宅地化した場合の土地利用上の便益、雨水貯留施設や排水路の整備費用、将来の浸水被害による期待損失額などを比較する必要があります。場合によっては水田の維持が合理的な選択になることもあれば、宅地化と適切な雨水流出対策を組み合わせる方が望ましい場合もあります。重要なのは、農地の保全そのものを目的化するのではなく、地域全体の費用と便益を踏まえて判断することです。

人口減少地域では農地が減ることと宅地が増えることを区別する

 人口減少地域における水田の減少を考える際には、農地が減ることと宅地が増えることを同じ現象として扱わないことも重要です。農業の担い手が減少して水田が耕作放棄される場合と、水田が住宅や商業施設に転用される場合とでは、土地の表面状態や雨水の流出経路が異なります。また、宅地の需要が減少する地域では、農地が減っても住宅地が増えるとは限らず、土地の管理状態だけが変化していく可能性もあります。

 一方で、人口が減少している地域でも、幹線道路の周辺や交通条件の良い場所では、物流施設、商業施設、駐車場、太陽光発電施設などへの土地利用変更が進む場合があります。ただし、太陽光発電施設についても、設備の設置そのものだけで雨水流出の変化を判断することはできず、造成に伴う地形の変更、地表面の締め固め、植生、排水路の整備状況などを確認する必要があります。

 このため、地域の排水環境を長期的に考えるなら、水田面積が何ヘクタール減ったかという統計だけでは不十分です。減少した水田が現在どのような土地になっているのか、どの場所で不浸透面が増えたのか、流域内の水路や河川にどのようにつながっているのかまで分析する必要があります。人口減少による土地利用の変化は一様ではなく、それぞれの地域の経済条件や立地条件によって異なるためです。

田んぼの減少が実際に浸水被害を増やしたかを調べるには

 ある地域で以前より道路冠水が増えたとしても、その原因が水田の減少によるものかどうかは、冠水の発生回数だけでは判断できません。近年の豪雨の強度や頻度、排水路の土砂堆積、河川改修、宅地造成、排水ポンプの更新など、複数の要因が同時に変化している可能性があるからです。したがって、地域の浸水被害と土地利用の関係を科学的に検証するには、長期間のデータを用いた比較が必要になります。

 まず、水田や宅地、道路などの面積が過去から現在にかけてどのように変化したかを把握し、同じ期間の降雨量、時間雨量、河川水位、冠水地点などと照合します。そのうえで、過去と現在に同程度の降雨条件を設定した場合に、水田の減少だけで流出量や浸水範囲がどの程度変化するかを数値解析することが考えられます。実際の地域分析では、降雨条件をそろえずに過去と現在の冠水件数を単純比較すると、土地利用変更の効果と豪雨そのものの影響を区別できないため、注意が必要です。

 また、排水路の管理記録や開発時の雨水対策施設の資料を確認することも重要です。水田が減った一方で調整池が整備されていれば、雨水流出の増加が抑えられている可能性がありますし、反対に水田面積が大きく変わっていなくても、排水路の閉塞や下流河川の水位上昇によって浸水が生じる場合があります。原因を特定するためには、土地利用と降雨だけでなく、地域の排水系統全体を調べる必要があります。

 地域分析において特に重要なのは、水田が何枚なくなったかという数だけでなく、その水田が流域のどこに位置していたかという点です。下流の排水能力が限られている場所につながる水田と、十分な流下能力を持つ水路につながる水田とでは、土地利用変更による影響が異なる可能性があります。同じ面積の水田であっても、その位置と排水経路によって治水上の役割は変わるため、流域内の空間的な配置を考慮することが必要です。

田んぼがなくなることの意味を地域全体から考える

 普段の晴れた日に地域を歩いていても、水田が持つ雨水貯留機能を実感する機会はほとんどありません。しかし、大雨が降ると、土地の表面状態や排水経路の違いが水の流れ方に反映されます。水田に降った雨の一部は田面にとどまり、舗装された道路の雨は側溝へ向かい、住宅の屋根に降った雨は雨どいから排水管へ流れていきます。それぞれの水が水路や河川で合流し、下流へ移動する過程によって、地域の浸水リスクが形づくられます。

 水田が減少することは、農業生産の縮小というだけでなく、地域の中に存在していた雨水の一時貯留空間や排水経路が変化することでもあります。ただし、その影響の大きさは水田の面積だけでは決まらず、降雨条件、土壌、地形、排水口、水路や河川の能力、代替となる雨水貯留施設の有無などによって異なります。水田を維持することが有効な地域もあれば、適切な排水施設を整備することで土地利用の変更と水害対策を両立できる地域もあります。

 重要なのは、田んぼを残すか開発するかという二者択一に議論を限定しないことです。農業生産の継続可能性、土地利用の需要、維持管理に必要な費用、洪水緩和による便益を総合的に評価し、どの土地をどのように利用することが地域全体にとって合理的なのかを考える必要があります。その判断には、行政、農業者、土地所有者、地域住民などが、それぞれの立場から関わることが求められます。

 地域の防災を考えるときには、堤防や排水ポンプの能力だけを見るのでは十分ではありません。田んぼ、畑、山林、住宅地、道路、排水路、河川がどのようにつながり、雨水がどこへ、どのくらいの速度で移動するのかを一つのシステムとして捉える必要があります。

 その出発点となるのは、「この場所に大雨が降ったら、水はどこへ行くのか」という問いです。田んぼがなくなることの意味は、その問いを通して初めて具体的になります。水田の洪水緩和機能を過大評価することも、農業以外の価値がないものとして過小評価することも避けながら、地域の土地利用と排水の関係を客観的に検証していくことが、これからの人口減少地域における防災と土地利用計画の重要な課題となります。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 台風が通り過ぎた翌朝、いつもの道路を車で走ろうとすると、大きな木が道を塞いでいる。幹は道路を横切り、折れた枝は電線に絡まり、向こう側へ進むことができない。山間部では珍しくない光景であり、丘陵、山林、住宅地が複雑に入り交じる房総半島の外房地域でも、十分に起こり得る事態である。

 このような場合、多くの人が最初に考えるのは、役所へ連絡すれば倒木を片づけてもらえるだろうということである。実際、道路が通行できない状態を長期間放置すれば、住民の日常生活だけでなく、救急搬送、消防活動、介護サービス、ごみ収集、物流などにも支障が生じる。しかし、倒木を処理する責任が誰にあるのかという問題は、道路を管理する行政が対応すれば済むほど単純ではない。

 道路は行政が管理していても、そこへ倒れてきた木まで行政の所有物とは限らないからである。道路脇の山林から倒れてきた一本の木をたどっていくと、その先には、土地所有者の高齢化、相続登記の未了、森林管理の担い手不足、自治体の財政制約といった、日本の人口減少地域が抱える複数の問題が重なっている。

道路を管理する人と、木を管理する人は同じではない

 国道、県道、市町村道などの公道には、それぞれ道路管理者が定められている。道路法第42条では、道路管理者が道路を常時良好な状態に保つよう維持・修繕することが定められており、舗装の損傷や道路上の障害物などに対して、安全な通行を確保するための対応が求められる。

 しかし、道路の隣にある山林や宅地が私有地であれば、そこに生えている樹木は、原則として道路管理者の所有物ではない。千葉県も、道路上に張り出した枝や倒木の危険がある樹木について、基本的には土地所有者や管理者による適切な管理を求めている。千葉市も、私有地から道路にはみ出した樹木について、通常は市が自由に剪定や伐採を行えるものではないと説明している。

 ここで区別しなければならないのは、道路を安全に維持する責任と、樹木を所有・管理する責任である。例えば、道路脇の私有林に立つ木が台風によって倒れ、道路を塞いだ場合、道路管理者は通行規制や障害物の除去などを検討する必要がある。一方で、その木が適切に管理されていたか、倒木によって生じた損害を誰が負担するかについては、樹木の所有関係や管理状態などを踏まえた別の判断が必要になる。

 民法第717条では、竹木の栽植または支持に瑕疵があることによって他人に損害が生じた場合の責任について定めている。また、道路管理者についても、道路の設置または管理に瑕疵があれば、国家賠償法第2条に基づく責任が問題となることがある。ただし、台風で木が倒れたという事実だけで、土地所有者や道路管理者の賠償責任が自動的に認められるわけではない。予測可能性、危険の認識、管理状態、講じられた安全対策などを具体的に検討する必要がある。

 さらに、実際に倒木を撤去する主体と、その作業費用を最終的に負担する主体も、必ずしも一致しない。道路管理者が緊急的に通行を確保したとしても、そのことだけで費用負担の法律関係まで確定するわけではないのである。

御宿町の議会答弁に見る、倒木処理の現実

 こうした問題は、法律上の抽象的な議論だけではない。御宿町議会の2013年12月の定例会では、台風によって道路を塞いだ倒木の処理が取り上げられ、町が業者に委託して撤去したことや、電線に関係する倒木について電力会社へ対応を依頼したことが説明されている。また、周辺山林の土地所有者との調整が必要になるという問題も示されていた。

 翌2014年3月の町議会でも、大雪に伴う倒木が取り上げられている。道路上の木を撤去できた場合でも、電線を巻き込んだ倒木については電力会社の対応が必要となり、通行止めが長引くことがあったと説明されている。

 これらの答弁から分かるのは、道路を塞いだ一本の木を処理するために、道路管理者、土地所有者、電力会社、伐採事業者など、複数の主体が関係するということである。道路の障害物を取り除くだけなら比較的短時間で済む場合でも、電線の安全確認や樹木の所有関係、作業場所の確保などが重なれば、対応は複雑になる。

 倒木を発見した住民から見れば、必要なのは一刻も早い道路の復旧である。しかし、現場で実際に作業する側には、感電や幹の跳ね返り、二次倒木、作業中の交通事故などを防ぐ責任もある。特に電線が絡んでいる場合には、木が電線から離れて見えても危険なことがあり、一般の住民が安易に近づいたり、自分で切断したりすることは避けなければならない。

 このように倒木処理は、単に木を切る作業ではなく、道路管理、財産管理、電力設備管理、労働安全が交差する業務なのである。

一本の木の向こうに何人もの相続人がいる

 倒木の原因となった木が、現在もその土地に暮らす所有者のものであれば、行政が連絡して管理を求めることは比較的容易である。しかし、人口減少や高齢化が進んだ地域では、土地所有者を特定したり、連絡を取ったりすること自体が難しくなる場合がある。

 例えば、山林の登記名義人が何十年も前に亡くなり、相続登記が行われていなかったとする。子どもたちは地域外へ転出し、その後さらに相続が繰り返されれば、一筆の小さな山林に多数の相続人が関係する可能性がある。相続人が土地の存在を知らなかったり、存在を知っていても利用する予定がなかったりすれば、現実の管理が途絶えることも考えられる。

 政府が公表している2024年の国土交通省調査によれば、不動産登記簿のみでは所有者の所在が判明しない土地の割合は23%に達している。その主な発生原因として、相続登記の未了が63%、住所変更登記の未了が29%を占めている。ただし、この23%という数字は、登記簿だけでは所有者の所在が分からない土地の割合を示すものであり、戸籍などを追加調査しても所有者が分からない土地が同じ割合で存在するという意味ではない。

 また、所有者不明土地と管理されていない土地も、同じものではない。所有者が分からなくても近隣住民などによって一定の管理が続いている土地がある一方、所有者が明確でも、経済的な事情や高齢化などによって十分に管理されていない土地もある。したがって、所有者不明土地の割合を、そのまま管理放棄地や倒木危険箇所の割合と考えることはできない。

 それでも、相続が重なることで所有関係が複雑になり、管理を担う人と土地との距離が広がっていくことは、人口減少地域の土地管理を考えるうえで無視できない問題である。山林の位置を知る人がいなくなり、相続人も日常的には現地を訪れなければ、危険な樹木が発生しても、それを発見して対処する機会が少なくなる可能性がある。

土地の管理不足が道路に影響するという外部性

 山林や空き地の管理を、土地所有者だけの問題として扱うことには限界がある。樹木の枝が道路へ張り出せば大型車両の通行を妨げることがあり、竹や雑草が繁茂すれば道路の見通しが悪化する。落ち葉や土砂が側溝に堆積すれば排水機能に影響し、枯れ木や傾斜した木が道路や電線に倒れれば、交通や電力供給に被害が及ぶ可能性がある。

 経済学では、ある主体の行動や管理状態が、その費用を直接負担しない第三者へ影響することを外部性と呼ぶ。道路沿いの土地管理でも、所有者が管理費用を負担しないことによって、道路管理者、電力会社、道路利用者、近隣住民などに損失が生じる場合があり、これは負の外部性として考えることができる。

 例えば、道路に隣接する山林の危険木について、所有者が伐採費用を負担できず、処置が先送りされたとする。その後、木が倒れて道路が閉塞し、行政が作業員や重機を手配することになれば、撤去費用だけでなく、交通規制や迂回による時間的損失も生じる。救急搬送や停電復旧が遅れるような場合には、金銭的に評価しにくい損失が加わることも考えられる。

 もっとも、倒木が発生したからといって、必ず管理不足が原因だったとは限らない。適切に管理されている森林でも、想定を超える強風や豪雨によって倒木が発生することはある。重要なのは、所有者の管理不足によって防ぐことができた被害と、自然災害によって避けることが困難だった被害を区別することである。

 公的な支援を考える場合にも、個人の財産管理を無条件に税金で肩代わりすることが合理的とは限らない。しかし、私有地の樹木が倒れることで多数の住民や公共サービスに大きな被害が及ぶならば、所有者による管理を促すために一定の公的支援を行うことには、社会的な費用を減らすという合理性が生まれる。

管理されていない森林は本当に倒れやすいのか

 人口減少によって森林の管理が行き届かなくなれば、倒木が増えると考えたくなる。しかし、この関係を科学的に説明するには注意が必要である。樹木の倒壊には、最大瞬間風速や風向、樹高、樹冠の形状、幹の腐朽、根の発達状態、土壌の水分、地形、周囲の樹木との位置関係など、多くの要因が関係するからである。

 2019年9月の房総半島台風では、千葉県内の広い範囲で風倒木が発生した。千葉県と林野庁などによる学識経験者を交えた緊急調査では、非常に強い風に地形的な条件が重なり、人工林や天然林、樹種などにかかわらず被害が発生したことが示されている。また、スギの腐朽が確認された場所でも、腐朽した木が必ず倒れたわけではなく、腐朽していない木が倒れた事例もあったため、病害だけを倒木の原因と断定することはできないとされた。

 この調査結果は、倒木をすべて森林管理不足の結果として説明することが科学的に正しくないことを示している。森林の管理履歴と倒木との関係を明らかにするには、実際の風速、樹木の状態、地形、過去の伐採や間伐の状況などを比較する必要がある。

 一方で、管理の担い手が不足することによって、枯死木や著しく傾斜した木を発見できなかったり、危険と判断されても処置が遅れたりする可能性はある。つまり、人口減少が直接木を倒すというより、危険を発見し、評価し、適切に対処する地域の能力を低下させることが問題なのである。

 樹木を一律に伐採することにも注意が必要である。森林には土壌の保持、水源の涵養、生物多様性の保全などの機能があり、伐採方法によっては、かえって斜面の不安定化や周辺樹木の風当たりの変化を招くことも考えられる。道路沿いの森林管理は、木を残すか切るかという単純な選択ではなく、道路への影響と森林の機能を総合的に判断する必要がある。

2019年房総半島台風が示した道路と電力の相互依存

 倒木の影響が道路だけにとどまらないことを示した代表的な事例が、2019年の房総半島台風である。この台風では千葉市で最大瞬間風速57.5メートルを観測するなど、記録的な暴風によって広い範囲に被害が発生した。内閣府の防災白書によれば、停電は最大約93万4,900戸に及び、倒木や飛散物による配電設備の損傷に加え、現場の被害確認や倒木処理に時間を要したことなどから、復旧作業が長期化した。

 ここで重要なのは、道路と電力設備が相互に依存しているということである。電線に樹木が絡めば道路を安全に通行できないことがあり、倒木で道路が塞がれれば、電力会社の作業車両が設備の復旧現場へ到達することも難しくなる。電力が復旧しなければ、地域の通信設備や給水設備などに影響が続く場合もある。

 したがって、一本の倒木が道路の通行止めにとどまらず、停電復旧の遅れ、通信障害、生活サービスの停止といった複数の問題につながる可能性がある。ただし、2019年の風倒木のうち、どの程度が所有者不明土地や管理放棄地で発生したかについては、別途調査が必要であり、この災害を土地管理不足が主な原因だったと断定することはできない。

 それでも、この災害経験から得られる教訓は明確である。道路沿いの森林管理は、道路管理だけでなく、電力供給や災害復旧の迅速性にも関係しているのである。

所有者不明土地への対応制度は変わってきた

 土地所有者の所在が分からないことや、管理の不十分な土地が増えることに対応するため、日本の土地制度は近年大きく改正されてきた。2023年4月に施行された改正民法では、隣地から越境した竹木の枝について、所有者へ切除を求めても相当期間内に対応しない場合、所有者やその所在が分からない場合、急迫した事情がある場合などには、越境された土地の所有者が一定の条件で枝を切除できるようになった。

 この仕組みは、国や地方公共団体が所有する道路用地に隣地の枝が越境している場合にも関係する。ただし、民法第233条が認めているのは、基本的には越境した枝の切除であり、道路脇にある私有地の危険木を、行政が常に根元から自由に伐採できるという意味ではない。道路へ張り出した枝と、まだ道路へ越境していない木、既に倒れて道路を塞いでいる木では、必要となる法的判断が異なる。

 さらに、2023年4月には所有者不明土地管理制度と管理不全土地管理制度も始まっている。前者は、必要な調査を行っても所有者やその所在が分からない土地について、裁判所が管理人を選任する仕組みである。後者は、所有者が判明している場合でも、土地が適切に管理されず、他人の権利や利益が侵害されるおそれがあるときなどに利用が検討される制度である。

 今回の倒木問題では、所有者不明土地だけでなく、所有者が分かっていても管理が行われていない土地が重要になるため、両制度を区別して考える必要がある。ただし、これらの管理制度には申立てや裁判所の手続、費用などが関係するため、倒木によって道路が塞がれた際の即時対応を、そのまま担う制度ではない。緊急的な道路の安全確保と、中長期的な土地管理の正常化は、分けて考える必要がある。

 不動産登記制度についても、2024年4月から相続登記が義務化され、2026年4月からは住所や氏名の変更登記も義務化された。相続によって不動産を取得したことを知った場合には原則3年以内、住所や氏名が変更された場合には原則2年以内に登記申請を行う仕組みである。こうした制度改正は所有者情報を把握しやすくする方向へ進んでいるが、過去に登記が更新されていない土地の問題が直ちに解消するわけではない。

 また、土地所有者が明確になることと、その所有者が森林を管理できることも別である。所有者が高齢である場合や、遠隔地に居住している場合、伐採費用を負担する余裕がない場合には、登記情報が正確であっても現実の管理が進まない可能性がある。

森林経営管理制度と御宿町の森林整備計画

 森林管理については、民法だけでなく森林経営管理制度も重要である。この制度は、手入れが行き届いていない森林について、市町村が森林所有者から経営管理の委託を受け、林業経営に適した森林は林業経営体に再委託し、それ以外の森林については一定の条件の下で市町村が管理する仕組みである。所有者が不明な森林などについても、必要な手続きを経て対応するための特例が設けられている。

 ただし、森林経営管理制度は、道路沿いのすべての危険木を市町村が処理するための制度ではない。対象となる森林の条件や所有関係、必要な手続、地域の森林整備方針などを踏まえて利用する必要がある。それでも、民有林の管理を所有者個人に任せるだけでは難しい場合に、市町村や林業経営体が関与する仕組みとして意味がある。

 御宿町の森林整備計画にも、道路や電線、公共施設、人家などへの倒木や落枝の被害を防止するための伐採に関する規定がある。通常、森林整備計画では樹種ごとに標準伐期齢が設定されているが、道路などに直接被害を与える可能性がある区域で、倒木や落枝による被害を防止するために伐採する場合には、その標準伐期齢を適用しないとされている。

 この規定は、森林を木材生産の対象としてだけでなく、周辺の道路や住宅の安全との関係から管理する必要性を認めている点で重要である。ただし、標準伐期齢を適用しないことは、すべての危険木について行政が伐採費用を負担したり、所有者の承諾なしに自由に伐採したりできることを意味しない。

 したがって、御宿町の道路沿いの森林管理を実証的に評価するには、森林整備計画の内容だけでなく、危険木の調査件数、所有者への対応状況、実際の伐採実績、事業費、道路閉塞の発生状況などを確認する必要がある。制度が存在していることと、制度が地域の危険を十分に減らしていることは、同じではないのである。

山間部だけでなく住宅地の境界にも問題がある

 倒木という言葉から山奥の森林を想像する人は多いが、住宅地と山林の境界にも同様の問題が存在する。高度経済成長期以降に造成された住宅地の背後に残された雑木林、宅地と宅地の間にある細長い竹林、空き家の裏側に残された樹木などは、住民にとって身近でありながら、所有関係や管理状況が分かりにくい場合がある。

 こうした土地では、かつての所有者が亡くなり、相続人が地域外に居住していることも考えられる。また、住宅地の中にある小規模な林地は、林業経営の対象として管理することも難しく、所有者にとって費用をかけて管理する経済的な動機が乏しい場合がある。

 山間部と住宅地のどちらが倒木管理の面で困難なのかを一概に判断することはできない。山間部には作業車両の進入が難しい場所や迂回路の少ない道路があり、住宅地には家屋や電線が近接していて伐採作業が複雑になる場所がある。さらに、住宅地では一本の木が倒れたとき、道路だけでなく隣家や通行人にも被害が及ぶ可能性がある。

 重要なのは、山林の広さだけで危険性を判断しないことである。面積の小さい土地であっても、そこにある樹木の位置や高さ、周囲の道路や住宅との距離によっては、大きな被害につながることがある。

一本の倒木が地域を孤立させる道路網の弱さ

 人口減少地域の道路管理を考える場合、倒木の発生件数だけでなく、道路網の構造にも注目する必要がある。都市部のように複数の迂回経路が存在する場所では、一本の道路が通行止めになっても、別の道路を利用できる可能性がある。しかし、丘陵地や谷沿いの集落では、生活道路が限られ、特定の道路が地域の外部とつながる唯一の経路になっている場合がある。

 道路網を数学的に考えると、交差点や集落を点、道路をそれらを結ぶ線として表すことができる。このとき、ある一本の道路が失われることで道路網が分断される場合、その道路はネットワーク全体にとって特に重要な部分となる。

 例えば、20世帯が暮らす集落と市街地を結ぶ道路が一本しかないと仮定する。その道路が倒木で塞がれ、他に自動車の通行できる経路がなければ、わずか一本の木によって集落が事実上孤立する可能性がある。別の経路が存在する場合でも、大幅な迂回が必要になれば、救急搬送や介護サービスの提供時間に影響が生じる。

 ここで重要なのは、道路の長さや利用者数だけでは、道路閉塞による被害の大きさを評価できないということである。交通量が少ない道路でも、その先に住む人々にとって唯一の生活道路であれば、通行できなくなった場合の損失は大きい。

 したがって、危険木の管理では、樹木の倒壊可能性に加え、道路が塞がれた場合の迂回路の有無、影響を受ける世帯数、救急車両の到達時間、電力設備への影響などを評価することが合理的である。限られた予算で予防管理を行うなら、危険木を単純に本数順で処理するのではなく、道路網全体への影響を考慮した優先順位が必要になる。

予防伐採は倒木処理より合理的なのか

 倒木が道路を塞いでから撤去するより、危険な木を事前に伐採した方がよいという考え方には合理性がある。しかし、道路沿いの樹木をすべて予防的に伐採することが、経済的にも環境的にも適切とは限らない。予防伐採が合理的かどうかは、伐採費用と、倒木によって生じる損失の大きさ、さらに倒木の発生確率を比較して判断する必要がある。

 例えば、ある危険木が道路を塞ぐ年間確率を3%、倒木が発生した場合の社会的損失を500万円と仮定する。この場合、年間の期待損失は15万円となる。予防伐採によって道路閉塞の確率を1%まで減らせると仮定すれば、予防後の年間期待損失は5万円となり、差額の10万円が一年当たりの期待損失削減額になる。

 この効果が5年間続き、年間割引率を3%と仮定すると、5年間の期待損失削減額を現在価値に換算した合計は約45.8万円となる。予防伐採の費用が30万円で、追加の維持管理費などを考慮しなくてよいという条件ならば、期待損失の削減額が費用を上回る計算になる。ただし、ここで使用した確率や金額は考え方を示すための仮定であり、実際の御宿町や外房地域の倒木発生確率、伐採費用、被害額を示すものではない。

 反対に、倒木の発生確率が極めて小さく、道路が塞がれても容易に迂回できる場所であれば、高額な予防伐採の費用が期待損失を上回る可能性もある。また、伐採によって斜面の安定性や周囲の樹木の風に対する条件が変わる場合には、その影響も考慮する必要がある。

 つまり、合理的な道路沿いの森林管理とは、危険が少しでもある木をすべて切ることではない。倒木が発生する可能性と、発生した場合の社会的損失、予防に必要な費用を比較し、被害軽減効果の大きい場所から対応することである。

本当の問題は倒木処理費だけではない

 人口減少と道路管理の関係を考えるために、仮にある町に、道路沿いで継続的な管理が必要な民有林や空き地が1000か所存在するとする。現在はそのうち900か所で所有者などによる管理が行われ、残り100か所で管理上の課題が生じていると仮定する。

 ところが30年後、相続や高齢化、地域外への転出などを背景に、管理が十分に行われない土地が300か所、400か所へ増えた場合、行政や地域が把握しなければならない管理上の課題は大きく増加する。この数字は将来予測ではなく、管理対象の変化を考えるための仮定である。また、管理が不十分な土地が4倍になったからといって、倒木件数や処理費用まで単純に4倍になるわけではない。

 それでも、道路の延長や森林の面積がほとんど変わらない一方で、土地を管理する人や地域の人口が減少すれば、一人当たりの管理負担が増える可能性がある。例えば、道路延長が変わらない地域で人口が半減した場合、住民一人当たりの道路延長は計算上2倍になる。ただし、道路管理費用が必ず2倍になるという意味ではなく、人口や税収の変化に対して維持対象が容易には縮小しないという構造を示している。

 また、地域人口が減少しても自治体職員や伐採事業者が同じ割合で減るとは限らない。しかし、森林管理に必要な人材の確保が難しくなれば、危険木の調査、所有者との交渉、業者の手配、予算の確保などに要する時間が増え、対応可能な件数が制約されることは考えられる。

 この問題は、道路、水道、橋梁、側溝、水路など、人口減少地域のさまざまな維持管理問題と共通している。人口が減っても施設や土地が同じ割合で減るわけではなく、維持しなければならない対象が残る一方で、それを支える人員や財源が制約されるのである。

千葉市が始めた危険樹木の予防伐採支援

 こうした課題への対応として注目されるのが、千葉市が2025年3月27日から実施している緊急輸送道路沿道樹木伐採奨励制度である。この制度は、災害時に緊急輸送道路の通行を確保することを目的として、市が管理する緊急輸送道路の沿道民有地にある危険な樹木について、所有者などによる伐採を奨励金で支援するものである。

 対象となるのは、幹周や樹高、倒木のおそれ、道路が塞がれた場合の通行への影響など、一定の条件を満たす樹木である。したがって、千葉市内のすべての道路沿いの樹木が対象になるわけではなく、地域森林計画の対象森林で森林整備事業の補助要件を満たす場合など、対象外となる条件も設けられている。2026年3月には制度内容の一部変更も行われている。

 この制度の特徴は、行政が私有地の樹木をすべて直接管理するのではなく、所有者などによる事前の危険除去を支援する点にある。道路が塞がれてから緊急的に撤去する方法だけでなく、道路閉塞そのものを減らそうとする予防的な管理であり、道路と民有地の境界にある危険へ対応する政策の一例といえる。

 もっとも、制度の効果を評価するには、奨励金を交付した件数や伐採本数だけでなく、どのような危険箇所を対象としたのか、道路閉塞のリスクがどの程度低下したのか、事業費に対してどれほどの被害軽減効果があったのかを検証する必要がある。制度が導入されたという事実だけで、費用対効果が十分であると判断することはできない。

倒木を防ぐ森林整備は既に始まっている

 千葉県でも、2019年の房総半島台風などによる森林被害を踏まえ、道路や電線などの重要インフラ施設周辺において、災害に強い森林づくりが進められている。県が示す整備の方向性には、重要インフラ周辺の森林について、風倒木が発生しても施設へ被害を与えにくい、最大樹高10メートル程度を目標とする低樹高の森林への転換が含まれている。

 この考え方は、樹木を単純にすべて除去するのではなく、森林の構造や樹高を調整することで、道路や電力設備への被害を軽減しようとするものである。ただし、具体的な整備方法は地形、森林の状態、樹種、保全すべき機能などによって異なるため、どの地域にも同じ伐採基準を機械的に当てはめることは適切ではない。

 重要なのは、森林の管理と道路の安全確保が、既に政策上の共通課題として認識されているということである。今後、御宿町、いすみ市、勝浦市、大多喜町などで地域の安全性を考える際にも、道路管理部門だけでなく、森林、農地、防災、都市計画などの関係部門が情報を共有し、危険箇所を把握する仕組みが重要になると考えられる。

所有者を探すことだけでは管理問題は解決しない

 これまでの土地管理制度では、所有者を特定し、その人へ適切な管理を求めることが基本的な考え方だった。もちろん、所有者を把握することは重要であり、相続登記や住所変更登記の義務化によって、所有者情報の正確性が高まることには意味がある。

 しかし、所有者が分かったとしても、高齢で現地を訪れることができない場合や、伐採費用を負担することが難しい場合、権利関係が複雑で関係者の調整に時間がかかる場合には、管理上の問題が残る。また、遠隔地に居住する相続人にとって、経済的な利用価値が小さい山林を定期的に管理することは、現実的に難しい場合もある。

 こうした状況では、所有者の責任を明確にすることと、実際に管理を可能にする仕組みを整えることの両方が必要になる。例えば、複数の土地をまとめて管理する仕組みや、一定の条件で公的支援を行う制度、地域の森林事業者へ継続的に作業を委託できる体制などが考えられる。

 その一方で、行政があらゆる私有地の管理を引き受けることには限界がある。管理費用を無制限に公費で負担すれば、税負担の公平性や他の行政サービスとの優先順位が問題になるためである。したがって、所有者の負担を基本としながら、公共の安全への影響が大きい場所では合理的な範囲で支援するという、費用負担の制度設計が必要になる。

30年後の道路管理は道路の中だけを見ていては成立しない

 今後の道路管理では、舗装や橋梁の維持だけでなく、道路に隣接する山林、竹林、空き家、耕作放棄地、崖、水路などの状態を含めて安全性を考える必要性が高まる可能性がある。道路そのものが健全であっても、周辺の土地から倒木や土砂が流入すれば、交通機能は失われるからである。

 ただし、将来の倒木件数や管理費用がどの程度増えるかについては、現時点で十分な地域別データがそろっているとは限らない。人口減少と倒木の増加を直接結びつけるのではなく、土地所有者の変化、森林管理の実態、樹木の危険度、道路閉塞の発生状況などを継続的に調査することが必要である。

 例えば、自治体が道路沿いの危険箇所を記録する際には、樹木の高さや道路からの距離、腐朽や傾斜の状態、土地所有者への連絡状況、過去の倒木履歴などを整理することが考えられる。さらに、道路が通行不能になった場合の迂回路や影響世帯数を組み合わせれば、どの場所の管理を優先すべきかを、より客観的に判断できる。

 このような情報を地理情報システムで管理すれば、現場からの通報や過去の作業記録を蓄積し、危険箇所の分布を把握することも考えられる。ただし、地理情報を整備すること自体が目的ではなく、実際の点検、所有者との調整、伐採などの対策につながることが重要である。

 また、倒木を完全になくすことは不可能である以上、予防管理だけでなく、発生後の対応も欠かせない。道路閉塞時の連絡体制、電力会社との調整、伐採事業者の確保、重機が進入できる経路、伐採木の仮置き場などを平常時から検討しておくことは、災害復旧の迅速性に関係する。

 人口減少地域にとって必要なのは、道路沿いの樹木をすべて行政が管理することではなく、危険を発見して対処する仕組みを、地域の人口や財政規模に見合う形で維持することなのである。

倒木一本から見える人口減少社会の本質

 道路に倒れた一本の木は、作業員がチェーンソーで切断し、幹や枝を撤去すれば、目に見える問題としては解決する。しかし、その木が倒れる前に危険を発見できなかったのか、誰が管理すべきだったのか、所有者へ連絡できたのか、予防的な処置が可能だったのかという問題は、道路が再び通れるようになっても残る。

 人口減少によって必ず倒木が増えると断定することはできない。また、所有者不明土地が倒木の主な原因であると判断するためには、実際の倒木発生地点と土地所有・管理状況を結びつけた調査が必要である。しかし、所有者や地域住民の高齢化、相続による権利関係の複雑化、森林管理の担い手不足などによって、危険な樹木を発見し、処理する能力が低下する可能性は、地域の将来を考えるうえで重要な課題である。

 かつては、土地所有者や農家、林業関係者、自治会、近隣住民などが、日常生活や生業の中で土地の状態を確認し、草木を管理していた地域もあった。そうした管理がどの程度行われていたかは地域によって異なるが、行政サービスとして明示されない形で、周辺環境の維持に寄与していた可能性がある。

 人口減少によって失われるものは、単なる居住人口や労働力だけではない。土地の状態を知る人、危険な変化に気づく人、必要な作業を行う人、所有者との関係を知る人など、地域の管理を支えてきた知識やつながりが弱まることも考えられる。

 30年後も地方の道路を安全に使い続けられるかどうかは、舗装を何キロ補修できるか、橋梁を何本修繕できるかという指標だけでは決まらない。道路の周囲にある土地がどのような状態にあり、誰がその変化を把握し、危険が発生したときに誰が対処できるのかという、道路管理の外側にある条件も重要になる。

 人口が減っても、山林や道路が同じ割合で減るわけではない。樹木は生長を続け、道路沿いの土地には管理の必要性が残り続ける。その一方で、それらを管理する人や地域の財政的な余力には制約が生じる可能性がある。

 だからこそ、これからの地域管理では、所有者不明土地や管理が難しくなった土地を例外的な問題として扱うだけでなく、そうした土地が存在することを前提に、危険の把握、予防管理、緊急対応、費用負担の仕組みを組み合わせて考える必要がある。

 道路を守るということは、道路の舗装だけを守ることではない。その周囲の森林や土地を含め、地域の交通機能を維持することである。一本の倒木が示しているのは、自然災害の脅威だけでなく、土地を所有する人と、実際に土地を管理できる人との距離が広がっていく社会において、公共の安全をどのように維持していくのかという問題なのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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