地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

街はどこから縮むべきなのか~人口減少時代の撤退順序を数理的に考える

- Posted in 地域経済 by

人口が三万人から二万人へ減ったからといって、市の面積が三分の二になるわけではない。八千人いた町が五千人になっても、山あいまで延びた道路が短くなることはなく、地中に埋められた水道管や下水道管が人口に合わせて消えてくれるわけでもない。橋はそこに架かったままであり、役場・市役所から遠い地区にもごみ収集車は向かい、誰かが倒れれば救急車は走る。人が減っても、街を支える骨格はすぐには小さくならない。

人口減少が地方にとって難しいのは、実は人口そのものが減るからではない。少なくなった人間で、人口が多かった時代につくられた街を支え続けなければならなくなるからである。

国立社会保障・人口問題研究所は、2020年の国勢調査を基礎として、原則として市区町村別に2050年までの将来人口を推計している。将来人口が一人単位でその通りになるわけではないにせよ、多くの地域で人口減少と高齢化が続くという方向は、もはや遠い未来の予言ではない。問題は未来が分からないことではなく、かなり見えている未来に対して、街の形をどう変えるのかが決まっていないことである。

ここで考えたいのが、「街はどこから縮むべきなのか」という問いである。

ただし、本稿でいう「撤退」は、人口の少ない地域から住民を強制的に移転させることではない。道路や水道をどこまで更新するのか、公共交通をどこまで残すのか、公共施設をどこに集めるのか、新しい住宅や公共投資をどこへ誘導するのか。その順番を長い時間の中で組み替えることを意味している。

もし街を地図だけで眺めるなら、答えは簡単に見えるだろう。役場・市役所や駅、病院、スーパーから遠い地域ほど維持するのが大変なのだから、外側から少しずつ縮めればよい。中心から半径を狭めるように、市街地を小さくしていく。人口減少時代の街づくりと聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、おそらくこの形である。

ところが、数字を一つずつ重ねていくと、この直感はかなり早い段階で崩れる。

架空の「朝凪市」を考えてみよう。人口三万人、面積百平方キロメートルの地方都市で、2050年には人口が一万八千人まで減ると予測されている。市役所と駅がある中心部から十二キロ離れたA地区には百五十人が暮らしている。一方、中心部からわずか四キロのB地区には百人が暮らしている。

距離だけを見れば、A地区の方が明らかに不利である。市役所から遠く、病院からも遠い。直感的には、朝凪市が縮小するとき、まずA地区への投資を減らすべきだと思える。

ところが住宅の配置を見ると、事情が変わる。A地区の百五十人は一本の幹線道路沿いに比較的まとまって住んでいる。それに対してB地区は丘陵地に造成された住宅地で、空き家を挟みながら家々が広く散らばっている。A地区で百五十人を支える水道管が三キロなのに、B地区では百人のために六キロ必要だとすれば、一人当たりの水道管延長はB地区の方が三倍になる。道路も同じで、住宅が散在すれば、同じ人数を支えるために必要な道路面積は増えていく。

ここで撤退順位は最初の逆転を起こす。

中心から遠いA地区より、中心に近いB地区の方が、一人の暮らしを支えるために多くのインフラを必要としているかもしれないからである。

人口密度という数字は、単なる「人の混み具合」ではない。道路、水道、ごみ収集、公共交通といったサービスを何人で分担できるのかを左右する数字でもある。一キロの水道管を百人で支える場合と十人で支える場合では、同じ設備でも一人当たりの負担は大きく違ってくる。

しかし、これだけでB地区を先に縮小すべきだと結論すると、また間違える。

A地区では十年前に水道管が更新され、幹線道路の舗装も比較的新しい。一方、B地区では高度成長期の終わりごろに整備された水道管が十年以内に更新期を迎え、地区へ入る橋も大規模補修が必要になるとしよう。

今年一年だけの維持費を比べれば、両地区にはそれほど大きな違いがないかもしれない。ところが、これから三十年間に必要となる更新費まで含めると、B地区の費用は急激に膨らむ。

ここで撤退順位は、さらに大きくB地区側へ傾く。

人口減少時代のインフラを考えるとき、「現在いくらかかっているか」だけを見ても意味が薄い。重要なのは、その人口がさらに減っていく間に、道路、水道管、橋、公共施設がいつ寿命を迎えるのかである。人口百人の地区でも、水道管を更新した直後なら今後二十年間の費用は比較的小さいかもしれない。反対に、人口が二百人いても、道路、橋、水道、公共施設の更新が一斉に重なれば、将来負担は急に大きくなる。

街の撤退順序には、地図だけではなく時計が必要になる。

ここで、さらに人口が減った場合を考えてみる。

B地区の人口が百人から九十人に減っても、水道管六キロが五・四キロに縮むことはない。八十人になっても道路はほぼ同じだけ必要であり、五十人になっても橋は一本丸ごと維持しなければならない。人口は半分になっても、インフラ費用は半分にはならない。

すると一人当たりの負担は、人口が減るほど大きくなる。

しかも、その増え方は一定ではない。

五百人の地区から五十人減るのと、百人の地区から五十人減るのとでは、同じ五十人減少でも意味がまったく違う。前者では人口が一割減るだけだが、後者では半分になる。その間、水道管や道路の長さが変わらなければ、一人当たりの負担は急速に重くなる。

ここで見えてくるのが、人口減少における「限界」の存在である。

経済学や数理的な政策評価では、全体の平均だけでなく、一人増えたり減ったりしたときに費用がどれだけ変化するかという「限界」の考え方が重要になる。人口が多いうちは、一人減っても地域全体のインフラ効率はほとんど変わらない。しかし人口が少なくなり、道路一本、水道管一本、バス一路線を維持する最低限の人数へ近づくと、一人の減少が急に重い意味を持ち始める。

つまり、人口減少はいつでも同じ速度で地域を弱らせるわけではない。

人数は滑らかに減っているのに、費用負担は途中から急に重くなることがある。

公共交通でも同じことが起きる。一日百人が利用していたバスが九十人になったからといって、運行本数が自動的に一割減るわけではない。しかし利用者がある水準を下回ったところで、一日五便を三便にしなければ維持できなくなるかもしれない。さらに運転手を確保できなくなれば、路線そのものがなくなる。すると、自動車を運転できない高齢者の買い物や通院が難しくなり、商店の利用者が減り、その閉店によって別の住民まで暮らしにくくなる。

人口は徐々に減るのに、暮らしは階段状に悪くなることがある。

このため、「人口百人以下なら撤退」という単純な基準を作ることはできない。百人しかいなくても、道路、水道、交通が効率的に配置されていれば維持しやすい地区はある。三百人いても、住宅が広く散らばり、老朽施設が多く、複数の橋や長い管路を必要とする地域なら、維持費は高くなる。

では、人口密度と将来の更新費を計算すれば、撤退順位を決められるのだろうか。

まだ足りない。

朝凪市のA地区が海沿いの低地にあり、大規模な津波や河川氾濫の危険性が比較的高い一方、B地区は高台にあるとしよう。平常時の行政費用だけを考えればB地区から縮める方が合理的に見える。しかし災害が起きた場合の住宅被害、避難、復旧費、生命への危険まで長期的な損失として加えると、A地区の評価は大きく悪化する。

ここで撤退順位は、また動く。

行政費用だけならB地区、災害リスクまで考えればA地区という具合に、何を目的とするかによって答えが変わるのである。

それでもまだ終わらない。

B地区に診療所が一つあり、地区住民百人だけでなく、周囲三地区の合計五百人がそこを利用しているとする。B地区への公共交通や道路を縮小して診療所が維持できなくなれば、影響を受けるのは百人ではない。五百人の通院時間が延びる可能性がある。

そうなると、B地区の価値を居住人口百人だけで測ること自体が間違いになる。

街には道路の網があり、水道の網があり、その上に医療、買い物、教育、公共交通という別の網が重なっている。ある地区が人口では小さくても、ネットワーク上では重要な結節点になっていることがある。逆に人口が多くても、他の地域をほとんど支えていない地区もある。

数学のネットワーク理論で考えるなら、重要なのは点の大きさだけではなく、その点を消したときに網全体がどう変わるかである。

橋一本を閉じたときに迂回距離が何キロ増えるのか。診療所一か所を集約したときに通院時間が何分延びるのか。バス路線一本を廃止したときに、自動車を使えない住民が何人取り残されるのか。

「そこに何人住んでいるか」より、「そこを失ったときに何人の暮らしが変わるか」の方が重要になる場合がある。

こうして人口密度、更新費、災害リスク、ネットワークを順番に入れていくと、最初は簡単に見えた「撤退順位」は何度も入れ替わる。

だから最終的に、朝凪市が地区ごとに一つの総合点を付けて、点数の低い順に撤退すればよいという話にはならない。

人口は「人」であり、費用は「円」であり、通院時間は「分」であり、災害危険度は確率や被害額として表される。性質の異なる数字を一つの点数へ押し込めると、分かりやすさは得られても、その点数の作り方によって結果が簡単に変わってしまう。

そこで必要になるのが、多目的最適化という考え方である。

行政としては、今後三十年間の道路、水道、公共施設などの総費用を小さくしたい。しかし同時に、住民の買い物時間は短く保ちたい。救急医療へ到達する時間も長くしたくない。災害リスクの高い場所へ人口を集中させたくもない。さらに、現在住んでいる人に大きな移転負担を課すことも避けたい。

ところが、これらをすべて同時に最高の状態にすることはできない。

行政費用だけを最小にすれば、多くの施設を一か所へ集約する案が有利になる。しかし集約しすぎれば住民の移動時間が増える。移動時間だけを短くしようとすれば、各地区に施設を残す必要があり、今度は費用が増える。災害安全性を最優先すれば、既存中心市街地とは別の場所へ住宅を誘導しなければならないこともある。

数理モデルが教えてくれるのは、「唯一の正解」ではない。

費用を一億円減らせば、住民の平均移動時間が何分増えるのか。救急への到達時間を五分短縮するために、追加でいくら必要なのか。災害リスクを下げるために人口配置を変えれば、既存インフラのどの部分が無駄になるのか。

何を得れば、何を失うのか。

その交換条件を明らかにすることこそ、数理的に街を考える意味なのである。

さらに、撤退順序は一度決めたら終わりではない。

朝凪市でB地区の水道管が2035年に更新期を迎えるなら、その時点で初めて大規模更新と別方式を比較すればよい。2040年に人口がさらに減り、現在の路線バスを維持するのが難しくなったなら、乗合型交通へ切り替える。住宅については、今住んでいる人を急に移転させるのではなく、空き家化や相続、建替えの時期に合わせて生活拠点へ居住を誘導していく。

これは動的最適化と呼ばれる考え方に近い。

今日の一回だけの判断ではなく、人口、施設の老朽化、財政、住民構成が毎年変化していくことを前提として、その時々で最も損失の小さい選択をつないでいく。

人口が減少しているからといって、2026年に道路を閉じる必要はない。しかし2038年に大規模な更新費が必要になるなら、その十三年間を使って住民に将来像を示し、交通手段や住宅政策を準備することができる。

撤退は、ある日突然行われる政策でなくてよい。

むしろ、施設の寿命と人口減少の速度を合わせることで、社会的な痛みを小さくすることができる。

水道はその典型だろう。人口が増えていた時代には、大規模な浄水施設から長い水道管を通じて各家庭へ水を送る集約型の仕組みが合理的だった。しかし利用者が大きく減った地域では、少数の住民のために何キロもの管路を更新し続けることが最適とは限らない。技術的・制度的な条件を満たす場所では、集約型と小規模な分散型を比較する余地が生まれている。

ここで重要なのは、水道管を残すことが目的ではないということだ。

安全な水を届けることが目的である。

同じように、バス路線を残すことそのものが目的なのではなく、自動車を運転できない住民にも移動手段を確保することが目的である。診療所という建物を残すことが目的なのではなく、必要な医療へ到達できる状態を残すことが目的である。

施設を守ることと、サービスを守ることを分けて考えれば、街の縮小は単純な廃止の話ではなくなる。

医療について考えれば、その違いはさらに分かりやすい。日常的な診療はできるだけ身近にあった方がよいが、高度な救急医療や手術には一定量の医療資源が必要になる。どの医療も各地域へ均等に置こうとすれば、医師や設備が分散しすぎる一方、すべてを一か所へ集めれば、高齢者の日常的な通院が難しくなる。

ここでも一つの答えは存在しない。

特に救急医療では、病院まで何キロあるかより、発症してから適切な治療が始まるまで何分かかるかの方が重要になる。十キロ先の医療機関へ搬送しても必要な治療ができず、そこからさらに二十キロ移動するなら、最初から専門的な治療ができる拠点へ搬送した方が早い場合もある。

距離より時間を見るという考え方は、医療以外にも使える。

スーパーまで七キロあっても、自動車で十分なら生活上の負担は小さいかもしれない。反対に二キロしか離れていなくても、坂道が多く、公共交通もなければ高齢者にとっては遠い。役場・市役所まで十キロあっても、多くの手続きをオンラインや近隣窓口で済ませられれば、生活上の距離は短くなる。

街を地図上のキロメートルではなく、「普通の一日を送るために何分必要か」で測ってみる。

すると交通、医療、買い物、行政、教育が、一つの生活システムとして見えてくる。

ここまで考えると、朝凪市の将来像も、中心部へ向かって円形に縮む姿ではなくなってくる。

市役所、駅、商業施設、中核医療機関が集まる第一拠点がある。そこから離れた地域には第二、第三の生活拠点を残し、それぞれを交通で結ぶ。人口の少ない地区についても直ちに居住を禁止するのではなく、更新期を迎えるインフラから順に別方式を検討し、新規住宅や公共投資は将来もサービスを維持しやすい場所へ徐々に誘導する。

街は円のように小さくなるのではない。

いくつかの点と、それを結ぶ線へ変わっていく。

夜空の星座のような形である。

そして、この形を決めるのは行政効率だけではない。中心市街地が浸水危険地域なら、別の安全な拠点を育てる必要があるかもしれない。人口の少ない集落が地域交通の結節点なら、そこを残すことが周辺全体の生活を支えるかもしれない。

数理モデルは地図の外側から順番に赤く塗ってくれる機械ではない。

むしろ、「一見すると先に縮めるべき場所を残した方が、街全体では合理的である」という逆転を見つけるための道具である。

だから、最初に立てた「街はどこから縮むべきなのか」という問いにも、単純な地名では答えられない。

最も遠い地区からでもない。

最も人口の少ない地区からでもない。

一人当たり費用が最も高い地区からでもない。

より正確に言うなら、次に大きな更新費が必要となる施設やサービスについて、別の方法へ切り替えた場合に、住民生活全体へ生じる損失が最も小さいところから、少しずつ街の構造を変えるべきなのである。

そこには人口密度があり、一人当たり費用があり、限界費用があり、施設の更新時期がある。さらに交通と医療のネットワーク、災害リスク、住民の移動時間が重なり、それらを三十年という時間の中で比較し続ける。

人口減少時代の撤退順序とは、一本のランキングではない。

毎年変わる街の状態に合わせて、何をいつ変えれば暮らしの損失を最も小さくできるかを探し続ける順序なのである。

この考え方に立てば、「すべてを残すこと」が必ずしも住民を守ることにはならないことも見えてくる。道路も橋も水道も公共施設も公共交通も、今までと同じ場所、同じ方法で維持しようとすれば、限られた財源と人材は広い範囲へ薄く配られる。その結果、何も廃止していないのに舗装は傷み、水道更新は遅れ、バスは減便され、公共施設は老朽化していくかもしれない。

全部を残そうとして、全部を少しずつ失う。

人口減少社会では、それが最も危険な縮み方なのかもしれない。

街が小さくなることそのものは避けられない地域がある。しかし、道路が壊れた順、水道管が寿命を迎えた順、店が閉じた順、医師が辞めた順、バスの運転手がいなくなった順に生活が壊れていく必要はない。

成り行きで縮む街と、考えて縮む街は違う。

前者では、一つのサービスが失われるたびに住民が対応を迫られる。後者では、人口と施設の寿命を先に読み、別の交通、別の水道方式、別の医療配置、別の住宅政策を準備してから形を変える。

人口三万人の市が一万八千人になっても、一万八千人の生活水準まで五分の三になる必要はない。人口八千人の町が五千人になっても、暮らしまで八分の五へ縮める必要はない。

人口を維持することと、生活を維持することは同じではないからである。

人口が増え続けた時代、街づくりとは新しい道路を延ばし、住宅地を広げ、公共施設を建てることだった。

人口が減り続ける時代には、それとは反対方向の技術が必要になる。

ただし、それは無造作に切り捨てる技術ではない。

人口、距離、費用、時間、医療、交通、災害を重ね、何を変えれば何を残せるのかを計算し、その順序を選ぶ技術である。

街を縮めるというと、何かが消えていく話に聞こえる。

しかし本当に数理的に考えるなら、目的は逆になる。

どこを捨てるかを決めるためではなく、限られた人口と財源の中で、最後まで何を残せるかを決めるために街を縮める。

人口増加時代が「街を広げる数学」を必要としたのだとすれば、人口減少時代には、別の数学が必要になる。

それは、人の暮らしを小さくすることなく、街の形だけを静かに小さくしていくための数学である。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

有限会社アードレでは、住まい・車・移住などの大きな選択を、 費用や将来条件をもとに数字で比較し、判断できる形に整理しています。

数字で比較するサービスを見る