地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 春になると、「住みたい街ランキング」という見慣れた言葉がニュースに現れる。2026年の首都圏版でも、横浜、大宮、吉祥寺、恵比寿、東京と、聞いただけでそれぞれの風景が浮かぶ街が上位に並んだ。横浜なら港と夜景、吉祥寺なら井の頭公園と商店街、恵比寿なら洗練された飲食店というように、人気の街には名前だけで物語を始められる強さがある。しかし、その華やかな順位表を眺めていると、一つの素朴な疑問が残る。まだそこに住んでいない人が「住みたい」と思う街と、すでにそこで毎日の生活を送っている人が「ここは暮らしやすい」と感じる街は、本当に同じなのだろうか。

 旅行したい場所と長く暮らしたい場所が必ずしも同じではないように、住んでみたい街と住んで満足する街も同じとは限らない。横浜に憧れるとき、私たちは海辺の景色や街の華やかさを思い浮かべるが、横浜に暮らす人が毎日経験しているのは夜景だけではなく、朝の電車に乗り、食料品を買い、病院へ行き、雨の日には駅まで歩き、夜になれば家へ帰るという無数の生活である。街への憧れは一枚の写真からでも生まれるが、住み心地は何千回もの平凡な一日から作られていく。

「住みたい」と「住んで満足」は、似ているようで別の質問である

 最初に区別しておかなければならないのは、「住みたい街」と「住みここち」が、同じ街の価値を二つの方法で測っているわけではないということである。2026年のリクルートによる首都圏の「住みたい街」調査では、20歳から49歳までの9000人に、これから住むならどこに住みたいかを尋ねており、横浜が9年連続で1位、大宮が2位、吉祥寺が3位となった。そこでは、回答者が実際にその駅の近くで暮らした経験を持っている必要はなく、街について知っていること、聞いたこと、抱いている印象を含めた「未来への選好」が順位として表れている。

 これに対して、大東建託の2026年「街の住みここちランキング」は、現在その地域に住んでいる人自身に、今住んでいる地域を全体としてどう評価するかを尋ねている。「大変満足」を100点、「満足」を75点、「どちらでもない」を50点、「不満」を25点、「大変不満」を0点として平均し、首都圏自治体版では2022年から2026年までを中心とする約25万1000人の回答を集計している。片方が「これから手に入れるなら」という選択であるのに対し、もう片方は「すでに使い続けている生活環境をどう感じるか」という評価であり、似た言葉を使っていても、測定している心理は最初から異なっている。

 商品の世界に置き換えれば、住みたい街ランキングは店頭で商品を見たときの魅力に近く、住みここちは何年か使った後の使用感に近い。もちろん魅力的に見える商品が実際にも優れていることはあるが、広告で目を引く特徴と、毎日使うときの便利さが完全に一致する必要はない。街についても、おそらく同じことが起きている。

上位に入る街はかなり重なる。それでも順位は驚くほど違う

 では、実際にはどの程度一致しているのだろうか。同じ調査主体で条件をなるべく近づけるため、大東建託の2026年版について、「住みたい自治体」と「住みここち自治体」を比べてみると興味深い姿が現れる。

 首都圏居住者が選んだ「住みたい自治体」の上位には、港区、世田谷区、渋谷区、鎌倉市、文京区、さいたま市大宮区、新宿区、横浜市中区、杉並区、目黒区などが並ぶ。一方、実際の住民による「住みここち」の上位には、中央区、文京区、武蔵野市、横浜市都筑区、港区、浦安市、横浜市西区、渋谷区、目黒区、国立市が並んでいる。二つを眺めると、まるで別世界というほど違うわけではなく、むしろ有名な人気地域のかなりの部分が、実際の住民からも高く評価されていることが分かる。

 上位20だけを単純に照合すると、港区、世田谷区、渋谷区、鎌倉市、文京区、杉並区、目黒区、武蔵野市、横浜市西区、品川区、中央区、さいたま市浦和区の12自治体が共通しているので、表面上は12を20で割った60%が重なることになる。ただし、この数字には小さくない注意点があり、「住みたい自治体」は全国の自治体を選択対象にしているため、上位20には北海道札幌市と福岡県福岡市も含まれている一方、「住みここち首都圏版」には最初からその二都市が入る余地がない。比較可能な首都圏の18自治体だけを分母にすれば、12自治体の重なりは約66.7%となるため、「6割程度」という印象より、上位グループそのものにはかなりの共通性があると見る方が適切である。

 ところが、顔ぶれが重なることと、順位まで似ていることは別の問題である。「住みたい」1位の港区は「住みここち」では5位、2位の世田谷区は13位、4位の鎌倉市は20位となる一方、「住みここち」1位の中央区は「住みたい」では17位、2位の文京区は5位、3位の武蔵野市は12位であり、さらに「住みたい」5位のさいたま市大宮区は「住みここち」では40位まで下がる。

 この違いをもう少し数理的に見るため、「住みたい」上位20のうち首都圏内で比較できる18自治体について、二つの順位をスピアマンの順位相関係数で試算すると、値は約マイナス0.04となり、ほぼゼロに近い。ただし、これは「住みたい上位」という条件ですでに選び出した18自治体だけを使った計算なので、首都圏全体について「住みたい順位と住みここち順位には相関がない」と一般化することはできない。それでも、上位集団の構成員はかなり重なるのに、その内部で1位、5位、20位と並べたときの順序はほとんど同じにならない、という特徴を理解するには有効である。

 つまり、「人気の街は実際には住みにくい」という単純な物語も、「人気の街なら当然住みやすい」という物語も、どちらも数字を十分には説明していない。より正確なのは、外から魅力的に見える街は実際の住民からも高く評価されやすい一方で、憧れの強さと暮らした後の満足度の強さは、同じ物差しでは並んでいないということだろう。

偶然だけでは説明しにくい重なりと、その先にある別の問題

 上位の街がこれだけ重なること自体にも意味はある。仮に、住みここちランキングに現れる自治体から無作為に街を選ぶという極端に単純化した世界を考えれば、「住みたい上位」に入った街が偶然これほど多く「住みここち上位」にも集まることは起こりにくい。もちろん現実の街はくじ引きで選ばれているわけではなく、人口規模、交通利便性、住宅市場、知名度などが互いに関係しているため、この計算を正式な因果関係の証明として使うことはできない。それでも、二つのランキングが完全に無関係な現象ではないことを示す補助的な見方にはなる。

 交通が便利で、商業施設があり、医療や教育へのアクセスが良く、公園や文化施設が整っている地域は、外から見ても魅力的であり、実際に住んでも便利である可能性が高い。街のブランドが完全な幻想なら二つのランキングはもっとばらばらになってよいはずだが、現実にはかなり重なる。問題はブランドが嘘なのではなく、ブランドが街の一部分だけを非常に明るく照らすことである。

人は街そのものより、「街について知っている物語」を選ぶ

 たとえば「吉祥寺に住みたい」と答える人が、吉祥寺駅から徒歩12分の住宅地で火曜日の午後7時に食料品を買う自分まで想像しているとは限らない。井の頭公園、商店街、カフェ、中央線、新宿へのアクセス、長年にわたって雑誌やテレビで語られてきた「吉祥寺らしさ」が一つの映像となり、その映像に対して一票を投じていることもあるだろう。

 横浜には港と海、大宮には交通結節点としての便利さ、鎌倉には古都と海というように、人気の街には短い言葉へ圧縮できる物語がある。そして「どこに住みたいか」と突然問われたとき、人は知らない街を選ぶことができないので、名前を聞いた瞬間に何かを思い出せる街ほど候補になりやすい。その意味で住みたい街ランキングには、住宅環境そのものだけではなく、知名度、観光イメージ、メディアへの登場頻度、過去のランキングによって蓄積された評判まで入り込んでいる可能性がある。

 一度「住みたい街」として知られれば、翌年もその名前を思い出す人が増え、その順位がまた街のブランドを補強する。ランキングとは街の人気を測定する鏡であると同時に、ときにはその鏡に映った像をさらに大きくして社会へ返す装置でもある。

カリフォルニアに住めば、人は幸せになるのか

 この問題を考えるうえで興味深い研究がある。心理学者デイヴィッド・シュケイドとダニエル・カーネマンは1998年、米国中西部と南カリフォルニアの学生を対象に、住んでいる場所と生活満足度の関係を調べた。実際に回答した人々の生活満足度には大きな地域差が見られなかったにもかかわらず、別の地域に住む人の幸福を予想させると、カリフォルニアに暮らす人の方が幸せだろうと考える傾向が現れた。

 その理由として注目されたのが、判断するときに目立つ特徴へ意識が集中する「フォーカシング・イリュージョン」と呼ばれる現象である。カリフォルニアと聞けば温暖な気候が思い浮かび、その特徴が実際の日常生活全体に占める割合以上に大きく見えてしまう。ところが、現実の生活満足度は気候だけで決まるわけではなく、人間関係、仕事、経済状態、健康、日々の出来事など、多くの要素からできている。

 もちろん、米国の学生を対象とした研究から「横浜や吉祥寺の人気も同じ心理現象で説明できる」と断定することはできない。しかし、海のある街、公園のある街、おしゃれな街、交通の便利な街という目立つ特徴を見たとき、それが「そこで送る生活全体の良さ」へ拡張されて認識される可能性を考えるうえでは、非常に示唆的である。

 行動経済学では、選択するときに対象へ与える価値と、実際に経験したときに感じる価値を区別する考え方もある。ただし、「住みたい街」をそのまま選択時の効用、「住みここち」をそのまま経験時の効用と呼ぶのは正確ではない。住みここち調査も、瞬間瞬間の快・不快を測っているのではなく、現在住んでいる地域について後から総合評価してもらう調査だからである。それでも、選ぶ前に目立つものと、暮らした後に重要になるものが必ずしも同じではないという考え方は、二つのランキングのずれを理解する手掛かりになる。

暮らしを決めるものほど、写真には写りにくい

 住む前には、駅のブランド、都心までの時間、大型商業施設、公園、街並みといった特徴が目につきやすい。しかし生活が始まれば、満足を左右する材料はもっと細かくなる。食料品を買う店まで何分か、夜道は歩きやすいか、病院へ行きやすいか、電車は混みすぎていないか、住宅費に納得できるか、近隣との距離感は心地よいかという、広告の写真にはほとんど写らない条件が毎日の生活へ入り込んでくる。

 住宅満足度について多くの先行研究を整理した研究でも、居住満足は一つの要因だけから生まれるのではなく、都市計画や住宅環境、周辺の社会的環境、住民自身の属性など複数の要因に左右されることが示されている。したがって、「東京まで30分だから住みやすい」「大型商業施設があるから満足度が高い」という一つの数字だけで、暮らし全体を予測することは難しい。

 むしろ街の価値を作っているものの多くは、長く暮らすほど重要になるのに、街を選ぶ瞬間には目立たない。駅から家までの道がわずかに歩きやすいこと、必要な診療科の病院が近くにあること、深夜になるときちんと静かになること、近所に特別おしゃれではないが毎週使える店があることは、観光案内には載りにくいが、数年分の暮らしを積み重ねれば無視できない差になっていく。

人気の街には「期待」という見えない荷物もあるのか

 ここで、もう一つ考えたくなるのが期待の効果である。何も知らずに移り住んだ街で良い店や美しい散歩道を見つければ、それは思いがけない喜びになるが、長年「理想の街」として紹介されてきた場所へ移れば、同じ条件があっても「この街なら当然だ」と受け取るかもしれない。人気の街には住宅価格や家賃だけではなく、高くなった期待という見えない荷物が付いている可能性がある。

 ただし、ここはデータから断定できる話ではない。住みたい街で順位が高いのに住みここち順位が低い理由が、事前期待の高さであることを今回のランキングは証明していない。住宅費が高いこと、混雑が激しいこと、繁華街に近いこと、人口密度、住宅面積など別の条件が影響している可能性もあり、期待の高さはあくまで説明候補の一つにすぎない。

 それでも、「人気の街だから実際にも満足するはずだ」という考えと、「期待しすぎたから必ず失望する」という考えの両方を避ければ、街を見る目は少し冷静になる。ランキングは理由まで教えてくれないのであり、順位の後ろには必ず、別の変数が隠れている。

「住みここち」も、街の客観的な性能表ではない

 ここまで読むと、「それなら住みたい街ランキングより住民満足度を信じればよい」と考えたくなるが、そこにも罠がある。住みここち調査に回答している人は、研究者によって無作為にその街へ配置された人々ではなく、多くの場合、自分や家族の事情に合わせて住む場所を選び、現在もそこに住み続けている人たちである。

 海が好きな人は海辺を選び、都市生活を好む人は都心を選び、静かな住宅地を求める人は繁華街を避けるので、住民満足度には「街そのものの性能」だけではなく、その場所を好む人がそこを選んだという自己選択の影響が含まれる。また、強い不満を持った人ほどすでに転居している可能性もあるため、現在残っている住民だけを調べれば、街と比較的相性の良い人が多くなることも考えられる。

 したがって、「住みここち1位の街は、誰にとっても日本で最も住みやすい街だ」と読むことはできない。より正確には、「現在その地域に住んでいる回答者と、その地域との組み合わせにおいて高い満足が観測された」と読むべきであり、この違いは小さいようでいて、ランキングを利用するときには極めて重要である。

「住み続けたい街」を見ると、さらに別の風景が現れる

 この違いを考える材料が、2026年9月1日に公表されたリクルートの「住み続けたい街ランキング」にある。これは、現在住んでいる街について「今後も住み続けたいか」と住民自身に尋ねた調査で、駅では鵠沼が1位、千駄ケ谷が2位、赤坂が3位となった。

 ここで面白いのは、同じリクルートが同じ2026年に公表した「住みたい街」の上位が横浜、大宮、吉祥寺、恵比寿、東京だったことである。同じ会社の調査であっても、「これから住むならどこか」と「現在の街にこれからも住み続けたいか」では、上位の顔ぶれが大きく変わる。調査会社が違うから結果が違うという説明だけでは済まず、質問そのものが違えば、私たちの中から引き出される「よい街」の姿も変わることが分かる。

 これは、どちらか一方が正しく、もう一方が間違っているという話ではない。「住みたい」は街が外部の人にどれほど魅力的な未来を想像させるかを映し、「住み続けたい」はそこで生活している人が現在の暮らしを手放したくないと思う程度を映している。似たような日本語の裏側で、二つは別の時間を見ているのである。

本当に面白いのは、「人気なのに住み心地が悪い街」を探すことではない

 ランキングを二つ並べると、どうしても「住みたいでは上位なのに、住みここちでは低い街」を見つけ、その落差を面白がりたくなる。しかし、地域分析としてより興味深いのは反対側にあるのかもしれない。つまり、住民には非常に高く評価されているのに、全国的な知名度を持つ「憧れの街」としてはあまり語られない場所である。

 住み心地を作る条件は、しばしば説明すると地味である。駅前に巨大な商業施設がなくても、食料品を買う店が近く、交通がほどほどに便利で、住宅地は静かで、医療機関へ行きやすく、散歩する道があり、住宅費が生活に見合っていれば、人はかなり快適に暮らせる。しかし、「午後10時を過ぎると静かになる」「毎日の買い物に困らない」「駅から家まで歩きやすい」という特徴は、海や高層ビルほど鮮やかな一枚の写真にはならない。

 有名になるには、街を一言で説明できる象徴が必要なのかもしれないが、暮らしやすさには必ずしも象徴は要らない。「行ってみたい」と思わせる力と、「ここから動きたくない」と思わせる力は、似ているようで少し違うのである。

街の価値は、検索する前より住んだ後の方が複雑になる

 結局、「住みたい街ランキング」と実際の住民満足度は、まったく一致しないわけでも、同じものでもない。自治体の上位にはかなりの重なりがあり、外から評価される街には実際にも生活上の利点があることがうかがえる一方、その順位の並びは大きく変わり、駅単位や「住み続けたい」という別の質問へ移れば、さらに違う街が浮かび上がる。

 これはランキングが不正確だからではない。むしろ、私たちが「よい街」という一つの言葉の中に、知名度、憧れ、交通、住宅、日常の便利さ、愛着、費用、静けさ、人間関係といった異なる価値を押し込めているためである。質問を少し変えただけで順位が動くのは、街の価値が一つの尺度には還元できないことの表れでもある。

 住みたい街ランキングが映しているのは、まだ暮らしていない人が思い描く未来であり、住みここちが映しているのは、すでにそこで暮らしている人が振り返る現在である。そして住み続けたい街が映しているのは、その現在を未来にも持っていきたいかという意思である。同じ街を見ながら、三つのランキングは違う時間を測っている。

 未来の街には、海があり、公園があり、おしゃれな店があり、便利な駅がある。しかし現実の日常には、スーパーのレジがあり、雨の日の歩道があり、朝の混雑があり、夜道の明るさがあり、診察を待つ病院の椅子がある。そして人が何年、何十年と暮らすのは、広告の中の休日ではなく、その名もない平日の方である。

 だから住む場所を考えるとき、本当に知りたいのは「みんながどこに住みたいと思っているか」だけではない。その街を選んだ人が、数年後にもそこを選び直したいと思うのか、その理由を見なければならない。

 華やかなランキング表の下には、数字になりにくい問いが残っている。その街は、休日に一度訪れたくなる街なのか、それとも、雨の火曜日にもここで暮らしていたいと思える街なのか。

 住みやすさというものの正体は、おそらく後者の中にある。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

有限会社アードレでは、住まい・車・移住などの大きな選択を、 費用や将来条件をもとに数字で比較し、判断できる形に整理しています。

数字で比較するサービスを見る