地方で老後を暮らすことを考えるとき、病院までの距離はどうしても気になる。
スーパーなら多少遠くてもまとめ買いができるし、役所なら用事そのものを減らすこともできる。けれども病院だけはそうはいかない。まして定期的な治療が必要になれば、病院までの距離は、そのまま日常生活の条件になる。
そこで地図を開いて、自宅から透析施設までの距離を測ってみる。
30km。
この数字を見て、「もし将来透析になったら、ここでは暮らせないのではないか」と感じる人は少なくないだろう。一般的な血液透析は週3回行われることが多いから、往復60kmを週3回と考えれば、一週間で180km、年間では9,000kmを超える。数字だけを積み上げれば、確かに相当な距離になる。
しかし、ここで一度立ち止まる必要がある。
透析医療の通院は、普通の外来通院と少し事情が違うからである。
現在の透析医療では、医療機関による患者送迎がかなり広く行われている。日本透析医会が2023年に行った調査では、回答した822施設の70.9%が施設負担による患者送迎を実施していた。また、患者側を対象とした2021年度の調査でも、透析施設の送迎を実際に利用している患者は24.8%に達している。
ここで重要なのは、70.9%という数字をそのまま全国すべての透析施設に当てはめることではない。この調査は回答施設を対象としたものであり、全国の全施設を完全に網羅したものではないからである。それでも、透析施設による送迎が一部の特殊な病院だけで行われているサービスではなく、現在の透析医療を支えるかなり一般的な仕組みになっていることは読み取れる。
そうなると、「施設まで30km」という数字の見え方も変わってくる。
自分で週3回、片道30kmを運転する生活と、自宅付近まで施設の送迎車が迎えに来る生活では、同じ30kmでも負担の中身がまったく違う。本人が運転しなくてよいのであれば、高齢になって自動車を手放したとしても、透析施設への交通手段だけは残る可能性がある。
ここに、透析医療の少し不思議なところがある。
地方では、近所の眼科へ行くには家族の自動車が必要なのに、それよりはるかに遠い透析施設には病院の車が迎えに来るということが起こり得る。公共交通が弱い地域ほど、透析施設の送迎車が事実上の医療交通として機能している場合があるからだ。
そう考えると、片道30kmという距離だけを見て、「この地域では透析生活が成立しない」と判断するのは現実的ではない。
けれども、送迎車が迎えに来るからといって、30kmという距離そのものが消えてなくなるわけでもない。
患者は運転しなくてよくなるが、移動時間は残る。
むしろ送迎車の場合、自家用車で直接病院へ向かうより時間がかかることもある。何人かの患者を順番に迎えながら施設へ向かうなら、自宅から病院までの直行時間より乗車時間は長くなる。透析そのものが一般に1回4時間程度かかることを考えれば、送迎時間を含めた透析日は、朝から午後まで、あるいは午後から夕方まで、一日のかなり大きな部分を占めることになる。
ここで問題の姿が変わる。
30kmの問題は、運転の問題ではなく、時間の問題になる。
週3回という頻度がある以上、透析日は一週間の中に規則的に現れる。月曜、水曜、金曜に透析する人なら、その三日は透析を中心に生活を組み立てることになる。通院距離が短ければ、その前後に買い物や家事を入れやすい。ところが送迎を含めて移動時間が長くなると、透析日はほぼ「治療の日」として使われるようになる。
だから30kmという距離を評価するとき、「通えるかどうか」だけでは十分ではない。
「その通院時間を含めた生活を、週3回繰り返しても無理がないか」というところまで考えなければならないのである。
そして、この問題は年齢を重ねるほど重要になる。
65歳で透析を始めた人なら、自分で30km先まで運転することもできるかもしれない。ところが75歳になり、さらに80歳になれば、雨の日や夕方の運転が負担になったり、自動車そのものを手放したりする可能性が出てくる。
そこで無料送迎が大きな意味を持つ。
本人が運転できなくなっても、送迎車が来るなら透析生活は続けられる。家族が毎回60kmを往復しなくてもよい。高齢の夫が高齢の妻を送り、数時間待ち、また連れて帰るという生活を避けられる可能性もある。
つまり透析施設の送迎は、単なる「病院の親切なサービス」と考えるより、地方の高齢者を医療につなぎ続ける生活インフラの一つと考えた方が実態に近い。
そう考えたとき、片道30kmという問題の核心もさらに変わってくる。
患者が30kmを移動できるかではなく、その患者を30km運ぶ仕組みを地域が維持できるかという問題になるのである。
患者にとって無料送迎であっても、送迎そのものに費用がかからないわけではない。車両を購入し、燃料を入れ、点検し、運転手を確保しなければならない。患者が広い地域に点在するほど、一人を迎えに行くための走行距離も長くなる。
この点は、人口減少地域を考えるうえで特に重要になる。
例えば十人の患者が施設から5km以内にまとまって暮らしている地域と、同じ十人が30km四方に散らばって暮らしている地域を考えてみる。
患者数は同じ十人でも、送迎に必要な車両の走行時間はまったく違う。
つまり透析施設の送迎を考えるとき、本当に効いてくるのは単純な人口ではなく、患者がどの程度の密度で分布しているかという地理なのである。
人口が減れば必ず透析患者が同じ割合で減るとは限らない。高齢化率や基礎疾患の状況によっても変わるからである。しかし、人口密度が低下して患者が広く散らばれば、少ない人数を集めるために送迎車が長い距離を走らなければならなくなる可能性は高くなる。
ここから先は、「患者が減るから透析施設がなくなる」という単純な話ではない。
実際、日本の透析患者数は近年減少に転じているものの、全国の透析収容能力まで同じように減っているわけではない。施設が統合され、大きな施設がより広い範囲の患者を受け入れるという形も考えられる。
もしそうなれば、患者から見た施設までの距離は今より伸びるかもしれない。
しかし、その距離を送迎が埋めてくれるなら、生活そのものは維持できる。
ここに地方医療の一つの可能性がある。
病院をすべての町に残すことが難しくなったとしても、一定規模の医療施設と広域送迎を組み合わせることで、医療へのアクセスを維持するという考え方である。
ただし、その場合には病院だけを医療インフラと考えてはいけなくなる。
送迎車まで含めて一つの医療システムとして考えなければならない。
病院の建物が30km先に存在しているだけでは、医療は届かない。患者の家と病院の間を往復する車があり、その車を運転する人がいて、毎週決まった曜日に患者を連れて行く。その一連の流れが維持されて初めて、「30km先に透析施設がある」という事実が生活上の意味を持つ。
この視点に立つと、地方の医療アクセスを地図だけで評価することの危うさも見えてくる。
同じ「透析施設まで30km」の町でも、一方では週3回送迎車が自宅近くまで来るのに、もう一方では自力通院しかできないとすれば、両者の生活条件は同じではない。
地理上は同じ30kmでも、生活上の距離は違う。
そして、この違いは年齢を重ねるほど大きくなる。
若いうちは自動車を運転できるから、送迎の有無をそれほど重要に感じないかもしれない。ところが自分で運転できなくなったとき、初めて送迎サービスの有無が生活を左右する。
この意味では、老後の移住先を考える人が透析施設までの距離を調べるなら、「何km先にあるか」だけでは不十分である。
その施設が実際に患者送迎を行っているのか、自宅の地区まで来てくれるのか、どのような条件で利用できるのかを確認した方が、はるかに重要である。
ただし、ここでも一つ注意しなければならない。
「40km以内なら、ほぼすべての透析施設が無料送迎する」と全国一律に考えることはできない。
実際には送迎範囲や条件は施設によって違う。自宅まで迎えに来る施設もあれば、一定の集合場所まで出なければならない場合もある。道路事情や車椅子対応などによって送迎できる地域が限定されることもある。
だから30kmという数字だけで大丈夫とも危険とも言えないのである。
必要なのは、その30kmが実際の送迎区域の中に入っているかを確認することだ。
さらに、平常時には問題なく送迎できても、台風や大雨となれば話は変わる。
外房のような地域では、倒木や冠水によって道路が一時的に使えなくなることがある。いつもの道を通れなければ、送迎車が大きく迂回しなければならないかもしれないし、そもそも迎えに行けないことも考えられる。
透析は、買い物のように「今日はやめて明日にしよう」と簡単に延期できるものではない。
そのため透析医療では、大規模災害時にどの施設が透析可能なのか、どこへ患者を移すことができるのかを共有する仕組みが整備されている。
ここで30kmという距離は、もう一度姿を変える。
平常時には送迎によってほとんど意識しなくてよかった30kmが、道路が途切れた瞬間、地理そのものとして現れる。
だから本当に強い地域とは、単に近くに透析施設がある地域ではないのかもしれない。
通常利用している施設へ行けなくなったとき、別の透析施設へ行く道があり、そこまで患者を運ぶ仕組みがある地域の方が、医療の持続性という意味では強い。
そう考えると、老後の透析生活を考えるときに見るべきものは、一つの施設までの距離だけではなくなる。
最寄りの透析施設はどこにあるのか。
その施設は自宅まで送迎してくれるのか。
さらに、その施設が使えないとき、次の施設はどこにあるのか。
この三つを一つの地図の上で考える必要がある。
そして、そこまで考えたとき、「片道30kmの透析生活は成立するのか」という問いへの答えも、かなりはっきりしてくる。
無料送迎が利用でき、自宅が送迎区域に入り、通常時に無理のない時間で施設まで行けるのであれば、片道30kmという距離だけを理由に生活が成立しないとは考えにくい。
むしろ地方における透析医療では、自動車を運転できない高齢者でも、送迎によって比較的遠い施設まで通える可能性がある。
だから問題は、30kmという数字ではない。
その30kmの間に何があるかである。
迎えに来る車があるのか。
その車を運転する人がいるのか。
施設は安定して患者を受け入れられるのか。
道路が使えない日には別の経路があるのか。
そして、その仕組みを十年後にも維持できるのか。
ここまで考えて初めて、距離は生活の問題になる。
地図の上では、病院は30km先にある。
けれども毎週決まった日に車が迎えに来てくれるなら、その30kmは必ずしも「遠い病院」ではない。
逆に、病院が10km先にあっても、そこへ行く手段がなければ、老後には遠い病院になる。
距離とは、道路の長さだけでは決まらない。
そこへ人を運ぶ仕組みがあるかどうかによって、同じ30kmでも生活上の意味は変わる。
人口減少が進む地方で本当に残さなければならないものは、透析施設という建物だけではないのだろう。
患者の家々とその施設の間を、月曜日にも、水曜日にも、金曜日にも走り続ける送迎車まで含めて、一つの地域医療なのである。

