地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 地方の将来を語る資料を開くと、かなりの確率で最初に人口のグラフが現れる。現在何人が住んでいて、十年後には何人になり、若い世代を何人呼び込み、出生数をどこまで回復させるのか。右肩下がりの折れ線が描かれ、その傾きを少しでも緩くすることが地域政策の使命であるかのように話が進んでいく。人口が増えれば発展し、減れば衰退するという考え方は、自治体の将来計画だけでなく、地域を評価する私たちの感覚にも深く入り込んでいる。

 それは決して不合理なことではない。人が減れば商店の客は減り、公共交通の利用者も少なくなる。広い地域に道路や水道管が張り巡らされたまま住民だけが減れば、一人当たりで支えなければならない社会基盤の費用も重くなりやすい。学校、医療、介護、商業にも一定の利用者や働き手が必要であり、人口は地域の持続可能性を考えるうえで欠かせない数字である。しかし、人口が重要な数字であることと、人口そのものを町の最終目標にすることは同じではない。

 人口が増えた町は、本当にそれだけで良い町になったと言えるのだろうか。反対に、人口が減った町は、その減少率に応じて住民の暮らしまで悪くなったと考えてよいのだろうか。人口減少が日本社会の日常になったいま、地域政策の目的と成果を測る物差しそのものを、改めて考え直す必要がある。

人口という数字が、いつの間にか町の成績表になった

 人口が増えることを自治体が望むのには理由がある。若い世代が入り、子どもが生まれ、住宅が建ち、店に客が来る。労働力の確保や税収の面でも有利になる場合が多く、人口増加期の日本では、人口と地域の発展はかなり近い方向を向いていた。その時代には、人口は町の勢いを測る便利な指標であり、人口増加を前提として道路、学校、上下水道、住宅地などを整備することにも一定の合理性があった。

 ところが、日本全体の人口構造が変わった。総務省統計局が2026年9月24日に公表した人口推計によれば、2026年9月1日現在の日本の総人口は概算で1億2265万人となり、前年同月より54万人、0.44%減少している。同時に公表された2026年4月1日現在の確定値では、総人口は1億2283万8千人で、前年同月より55万9千人減少した。内訳を見ると、日本人人口は86万人減少する一方、外国人人口は30万1千人増加している。これらは2020年国勢調査を基準とする人口推計であり、今後の国勢調査結果によって改定される可能性はあるものの、日本人人口の減少と外国人人口の増加が同時に進んでいる状況を示している。

 さらに、国立社会保障・人口問題研究所の「日本の地域別将来推計人口(令和5年推計)」では、2020年を基準とすると、2050年の人口が2020年以上になる市区町村は77、集計対象1728市区町村の4.5%にとどまる。一方、1651市区町村、95.5%では2020年を下回り、約6割の市区町村で3割以上減少し、約2割では半数未満になると推計されている。これは出生、死亡、人口移動などについて一定の仮定を置いた将来推計であり、2050年の人口を確定する予言ではない。また、2020年と2050年の比較であるため、その間のすべての年に人口が減り続けるという意味でもない。それでも、日本の大部分の自治体が長期的な人口減少を想定して政策を考える必要があることは、この数字から十分に読み取れる。

 この社会で、すべての町が人口増加だけを成功の条件にしたら何が起こるだろう。出生率の改善や海外からの人口流入もあるため、自治体人口の増減を単純なゼロサムゲームとみなすことは正確ではない。しかし、国内の若者や子育て世帯の転入を人口対策の中心に置けば、全国人口が減少するなかで、限られた転入希望者を自治体間で競う側面は強くなる。その競争によって住環境や行政サービスが改善されることもあるが、ほとんどの自治体が長期的には人口減少すると推計されている社会で、人口増加だけを町の合格条件にすれば、多くの地域が生活環境を改善しても、人口の数字だけで失敗と評価され続けることになる。

 問題は人口対策をやめるかどうかではない。人口を何のために維持したいのか、人口を維持することで住民のどのような生活を守ろうとしているのか。その政策目的と手段の順序を問い直すことである。

人が減ることと、暮らしが悪くなることは同じではない

 人口1万人の町を想像してみる。町には病院があるものの、車を運転できない高齢者が通院するには家族の送迎が必要である。駅はあるが列車は一時間に一本しかなく、スーパーまで歩けば四十分かかる。行政手続きには役場へ出向かなければならず、高校生の通学にも家族の車が欠かせない。人口だけを見れば、一定の規模を持つ町であっても、住民が日常生活で利用できる選択肢は限られている。

 十年後、その町の人口が8000人になったとしよう。人口だけを見れば20%の縮小である。ところが、その十年間に予約型の乗合交通が整備され、診療所と基幹病院の連携が進み、日用品を自宅まで届ける仕組みが定着したとする。行政手続きの多くを自宅から行えるようになり、中心部では徒歩圏内に住宅、商業、医療などの機能がまとまり始めた。さらに、これらのサービスを無理のない費用で利用できるのであれば、人口は減少していても、そこで暮らす住民の生活は以前より便利になっている可能性がある。

 反対の町も考えられる。人口が1万人から1万500人に増えたものの、住宅地が郊外へ広がり、自動車がなければ生活できなくなり、中心部の商店が減り、道路や上下水道の維持範囲だけが広がったとしたらどうだろう。500人増えたという数字は人口政策の成果かもしれないが、それだけで住民生活が改善したと結論づけることはできない。もちろん、人口増加によって商業や公共交通の需要が増え、生活環境が改善する場合もあるため、人口増加自体を否定する必要はない。

 これらは実在する自治体の実績を示したものではなく、人口と生活品質の違いを考えるための仮想的な例である。しかし、そこから分かるのは、人口の増減と生活品質の変化を同じ指標で扱ってはならないということである。人口は町の規模や需要の基盤を教えてくれるが、そこで暮らす人がどのような一日を送れるのかまでは教えてくれない。人口と生活品質は無関係ではないものの、同じものでもない。この区別こそ、人口減少時代の地域分析に必要な視点である。

人口を「目的」から「条件」へ移してみる

 そこで、政策の順序を逆転させてみたい。町の最終目的を「人口を最大化すること」ではなく、「そこに暮らす人が、できる限り安心して生活を続けられる状態をつくること」と考えるのである。これは単なる理念ではなく、日本の地方自治制度とも整合する考え方である。地方自治法第1条の2第1項は、地方公共団体が住民の福祉の増進を図ることを基本として地域行政を担うと定めている。人口の維持や増加は正当な政策目標になり得るが、それ自体が地方自治体の法的な最終目的とされているわけではない。

 このように考えても、人口の重要性が失われるわけではない。人口は住民生活を支えるための重要な条件の一つになる。診療所には一定の患者数が必要であり、商店には一定の購買需要が必要である。公共交通には利用者が必要で、水道や道路にも維持費を負担するための財源が必要になる。ただし、その成立条件は人口何人という一つの数字だけでは決まらない。人口密度、年齢構成、所得、利用頻度、商圏の広さ、観光客や周辺地域からの利用、運営費、技術、行政支援などによって変わる。

 例えば、同じ人口5000人でも、住民が比較的狭い範囲にまとまって暮らす町と、広い山間部に分散して暮らす町では、商店や公共交通の運営条件が異なる。店舗の採算も自治体の人口だけで決まるのではなく、実際の利用者数、客単価、利益率、固定費、周辺地域からの集客などによって決まる。ただし、損益分岐点に近い事業では、わずかな需要減少が赤字への転落や撤退判断を左右することもある。人口規模を無視してよいのではなく、人口だけでサービスの存続可能性を判断することが不十分なのである。

 このように考えると、「人口1万人を守る」という目標の意味も変わる。なぜ1万人なのか。救急医療を一定時間以内に受けられる状態を維持するためなのか、商業を維持するためなのか、学校教育の選択肢を残すためなのか、あるいは上下水道の一人当たり負担を一定水準に抑えるためなのか。守りたい生活の条件が先にあれば、その実現に必要な人口規模や居住密度、財源、運営方法を検討することができる。ただし、すべての生活サービスについて必要人口を一つの数字として正確に逆算できるわけではないため、複数の人口シナリオを想定して検証することが現実的である。

 人口目標を捨てるのではない。人口目標より上位に、人口を維持する理由となる生活目標を置くのである。

人口が減ると、一人当たりの負担はどこまで増えるのか

 人口減少が地域財政に及ぼす影響を考えるときには、固定費と変動費の区別が重要になる。施設の管理費や設備の更新費には、利用者が多少減っても簡単には削減できない部分がある。例えば、年間の固定費が1億2000万円かかる公共施設を住民1万人で支えると仮定すると、一人当たりの固定費は年間1万2000円になる。同じ施設を人口8000人で支えれば1万5000円、5000人になれば2万4000円となり、固定費が変わらなければ人口の半減によって一人当たりの固定費は2倍になる。

 これは説明のための単純な計算であり、実際の自治体で人口が半減すれば住民の税負担が必ず2倍になるという意味ではない。公共施設の費用には利用者数に応じて増減する部分もあり、施設の縮小、統合、民間委託、自治体間の共同運営によって支出を変えられる場合がある。また、日本の地方財政には地方交付税制度があり、自治体の財源が住民の地方税負担だけで決まるわけでもない。それでも、人口が減少する一方で施設の規模や維持範囲が変わらなければ、財政運営上の負担が重くなりやすいという基本的な構造は残る。

 ここで重要になるのは、人口減少による費用増加を抑えるために、どのような方法でサービスを提供するかという視点である。ただし、施設の再編や公共交通の転換には初期投資や移行費用が必要であり、短期的には従来より支出が増えることもある。したがって、人口減少に対応した政策を評価する際には、導入費用だけでなく、将来の維持管理費や設備更新費を含めた長期的な費用と、住民が受けられるサービスの質を同時に比較する必要がある。

「何人いる町か」ではなく「何ができる町か」

 町の成績表を人口から生活品質へ広げるなら、評価の仕方も変わる。例えば、高齢になって運転免許を返納した翌朝を想像してみればよい。スーパーへ行く手段がなくなる町と、電話やスマートフォンで予約すれば乗合交通を利用できる町がある。同じ5000人の町でも、住民が持っている生活の可能性は異なる。ただし、予約型交通が存在するだけでは十分ではない。必要な時間帯に利用できるのか、予約が取れるのか、料金を負担できるのか、車いすなどを利用する人にも対応できるのかという条件まで確認して、初めて実際の利便性を評価できる。

 子どもが進学するときも、自宅から複数の学校を選べる地域と、一校がなくなれば長距離通学や転居が必要になる地域では、生活の条件が異なる。病気になった場合も、自治体の境界内に病院が一つ存在するという事実だけでは十分ではない。住民が実際に受診できるのか、どのくらいの時間で治療へ到達できるのか、夜間や休日にも対応できるのか、専門医療が必要になったとき次の医療機関へつながれるのかという方が、生活の実態に近い。

 つまり、地域の価値は施設が存在するかどうかだけでなく、住民が必要な機能へ実際に到達できるかによって測る必要がある。買い物ができる、移動できる、医療を受けられる、教育を選べる、働ける、人と会える。そして、一つの店、一つの交通手段、一つの医療機関が利用できなくなったときにも、別の方法へ切り替えられる。この最後の代替可能性は、人口だけではほとんど見えない。

 人口8000人で複数の生活手段を利用できる町と、人口1万5000人でも一つのサービスに全面的に依存している町を比較すれば、後者の方が一つの撤退によって住民生活が大きく変化する場合も考えられる。もちろん、代替手段を複数維持するには費用も必要であるため、すべてのサービスを重複して持つことが望ましいわけではない。それでも、町の強さを評価するうえでは、平常時の便利さだけでなく、サービスの中断や撤退に対して生活を継続できるかという視点が重要になる。

世界でも人口や経済規模だけでは測れないという考え方が広がっている

 この考え方は、人口減少に悩む日本の地方だけから生まれたものではない。OECD(Organisation for Economic Co-operation and Development・経済協力開発機構)の地域ウェルビーイングの枠組みでは、所得、雇用、住宅、健康、サービスへのアクセス、環境、教育、安全、市民参加とガバナンス、地域社会、生活満足度という11の領域から地域の生活を評価している。GDP(Gross Domestic Product・国内総生産)などの経済統計だけでは社会の状態を十分に把握できず、人々が実際にどのような生活をしているかを多面的に見る必要があるという考え方である。

 さらに、OECDが2025年5月19日に公表した「Shrinking Smartly and Sustainably: Strategies for Action(人口縮小に賢明かつ持続可能に対応するための行動戦略)」は、人口減少を前提とした地域政策を正面から扱っている。この報告書では、人口減少を緩和する政策と、人口が減少しても生活サービスや地域の持続可能性を守るための適応政策を組み合わせる必要性が示されている。従来の人口規模に合わせた社会基盤を維持し続けるのではなく、土地利用、住宅、公共サービスの提供方法、自治体間の連携、財政制度などを人口構造の変化に応じて見直すという考え方である。

 ただし、この報告書が人口減少地域なら必ず生活品質を改善できると証明しているわけではない。人口減少の速度、人口密度、地理的条件、財政、人材などによって対応できる範囲は異なる。それでも、人口減少を直ちに政策の失敗とみなすのではなく、人口構造の変化に適応しながら生活を支えるという考え方が、国際的な地域政策研究でも具体的に検討されていることは重要である。

 日本でも同様の方向が見られる。内閣府の「満足度・生活の質に関する調査」は、日本の経済社会を人々の満足度、すなわちWell-being(ウェルビーイング・身体的、精神的、社会的に良好な状態や生活の充実)の観点から多面的に把握し、政策運営に活用することを目的としており、2026年7月31日には「満足度・生活の質に関する調査報告書2026」が公表された。

 さらにデジタル庁は、地域幸福度指標を地域のまちづくりにおける共通指標として活用し、市民、行政、事業者などが共通の目標を持つための仕組みを進めている。そこでは医療・福祉、買物・飲食、住宅環境、移動・交通、教育、雇用・所得、地域とのつながりなど24カテゴリーが扱われ、アンケートによる主観指標と、公開統計などを利用した客観指標の双方が用いられている。ただし、主観指標と客観指標には調査方法や更新時期の違いがあり、年度によってデータの整備状況も異なるため、比較する際には指標の定義や調査対象を確認する必要がある。

 人口だけでは町を測れないという考えは、もはや抽象的な理念だけではない。政策評価の枠組みそのものが、何人いるかという人口規模や、どれだけ生産しているかという経済規模だけでなく、人々が実際にどのような生活を送っているかを重視する方向へ広がっている。

ただし、人口を忘れて幸福度だけ見ればよいわけでもない

 ここで反対側へ振れすぎてはいけない。人口目標を批判した結果、人口など減っても構わない、幸福度だけ高ければよいと考えてしまえば、別の単純化に陥る。人口減少には現実の制約があり、商店には売上が必要で、医療機関には患者と医療従事者が必要である。公共交通には利用者と運転手が必要であり、ごみ収集、訪問介護、水道、道路などにも人員と財源が必要になる。とりわけ人口減少と高齢化が同時に進む地域では、医療や介護の需要が必ずしも人口に比例して減るわけではなく、サービスを提供する側の働き手が不足する問題も深刻になり得る。

 また、遠隔診療や予約型交通、行政手続きの電子化などは人口減少への対応策となり得るが、すべての問題を解決できるわけではない。救急医療や手術、身体介護などには対面での専門的なサービスが必要であり、電子的な仕組みを利用できない住民への対応も欠かせない。予約型交通を導入しても運転手を確保できなければ運行できず、交通事業者が撤退すれば、行政が相応の費用を負担しなければサービスを維持できない場合もある。

 したがって、人口が減っても生活品質を改善できるということは、どのような人口規模でも従来と同じサービスを維持できるという意味ではない。人口減少の速度が速く、居住地が広範囲に分散し、財政や人材の制約が大きい地域ほど、サービスの維持は難しくなりやすい。人口減少を前提とした政策には可能性がある一方、その可能性が成立する条件と限界を冷静に見極める必要がある。

町の大きさが変わるのに、町の形だけ昔のままでよいのか

 人口が1万人から5000人になったとき、問題になるのは5000人になったことだけではない。1万人だった時代につくった道路、水道、公共施設、住宅地、交通体系を、5000人で同じように支え続けようとすることが、財政面でもサービス面でも難しくなる場合がある。人口規模が変わったにもかかわらず、社会基盤の配置や運営方法だけが変わらなければ、住民一人当たりの負担が増え、施設の更新やサービスの維持が困難になっていく可能性がある。

 国土交通省が進める「コンパクト・プラス・ネットワーク」の背景にも、この問題がある。人口が減少したまま市街地が薄く広がれば、医療、福祉、商業などの生活機能や公共交通を維持することが難しくなるおそれがあるため、生活拠点や公共交通沿線への居住と都市機能の緩やかな誘導を進め、必要なサービスへのアクセスを確保しようという考え方である。都市再生特別措置法に基づく立地適正化計画制度なども、住民生活と都市経営の持続可能性を考えるための制度として整備されている。

 ただし、施設や住宅を中心部へ集めれば、すべてが解決するわけではない。住民が長年暮らしてきた土地には、住宅だけでなく、仕事、家族、地域とのつながり、土地への愛着がある。生活拠点への移転を希望しない人もいれば、経済的な事情から移転が難しい人もいる。中心部の利便性を高める一方で、周辺集落の住民が従来より長い距離を移動しなければならなくなれば、町全体の平均的な効率が改善しても、一部の住民には不利益が生じる。

 したがって、施設の数を減らして効率化することだけを目的にしてはならない。学校を再編したうえで通学手段を充実させ、医療機関の役割を整理したうえで基幹病院との連携や送迎を組み合わせ、利用者の少ない固定路線を予約型交通へ転換することによって、生活の利便性が改善する場合もある。しかし、こうした再編によってサービスの利用が難しくなる人がいないか、移動時間や費用がどの程度変化するか、行政が将来にわたって必要な財源を確保できるかを検証しなければならない。

 ここで見るべきものは、単に何を残したかではなく、何ができる状態を残したかである。施設の数ではなく実際に利用できる機能を測り、直線距離だけでなく移動時間や交通手段を考え、人口の規模だけでなく住民生活を評価する。そうした見方をすれば、縮小と衰退は必ずしも同義ではなくなる。

町の境界を越えて生活を考える

 人口減少が進む小規模自治体では、すべての生活機能を一つの自治体の中に確保することが現実的でない場合もある。病院、商業施設、高校、専門的な介護サービス、雇用の場などは、もともと複数の自治体にまたがる生活圏の中で利用されていることが少なくない。自治体の人口や施設数だけを比較すると不利に見える町でも、周辺地域との交通やサービスの連携が整っていれば、住民の生活環境を維持できる可能性がある。

 例えば、千葉県の御宿町、いすみ市、勝浦市、大多喜町を考える場合も、自治体の境界内に何があるかだけで生活の便利さを判断することはできない。住民は通勤、通学、買い物、医療などの目的によって自治体の境界を越えて移動するため、生活の実態に即した分析には、周辺自治体を含む施設配置、道路や鉄道の接続、公共交通の運行状況、実際の移動時間を把握することが必要になる。

 ただし、周辺自治体に施設が存在することと、それを住民が利用できることは同じではない。自動車を運転できる人にとっては近い病院でも、公共交通を利用する高齢者にとっては到達しにくい場合がある。自治体間の連携を評価するなら、施設の共同利用や財政負担のあり方だけでなく、住民が実際に移動できる手段まで確認する必要がある。人口減少時代の生活政策は、一つの自治体の中だけで完結するとは限らないのである。

「人を呼ぶ政策」と「出て行かなくてもよい政策」

 人口増加を最上位目標から一段下げると、移住政策の見え方も変わってくる。移住相談会を開き、住宅取得補助を設け、子育て世帯への支援を充実させ、一年間で100人の転入を実現すれば、成果として分かりやすい。しかし、転入した100人が五年後にもそこへ住んでいるかは別の問題であり、その一年に既存住民が120人転出しているなら、町の課題はどうやって100人呼ぶかという視点だけでは解けない。転入者数だけでなく、転出者数、年齢構成、転入後の定住状況を併せて確認する必要がある。

 なぜ出ていくのかを見ることも重要である。ただし、その理由には就職、所得、進学、結婚、家族、住宅、医療、交通、子育てなど複数の要因が重なっており、生活環境を改善すれば必ず人口流出が止まるというほど単純ではない。地域内に十分な雇用機会がなければ、住環境が良好でも若者が進学や就職を機に転出することはあるし、転出そのものが本人の希望や人生の選択である場合もある。すべての転出を政策上の失敗とみなすことも適切ではない。

 それでも、現在住んでいる人が、この町では暮らし続けられないと感じる原因を減らすことは、人口流出を抑える条件の一つになり得る。運転できなくなっても暮らせる、家族が病気になっても生活が破綻しにくい、子どもの教育を理由に転居しなくてもよい、仕事の形が変わっても住み続けられる。こうした条件を増やしていく政策は、派手な転入者数として現れにくいものの、地域に住み続けるという選択肢を支える役割を持つ。

 もっとも、「何人が出て行かずに済んだか」を正確に測ることは簡単ではない。ある住民が転出しなかったとしても、政策がなかった場合にも同じ地域に住み続けていた可能性があるため、転出しなかった人数をそのまま政策成果とみなすことはできない。政策によって転出をどの程度防げたかを評価するには、政策を実施していない比較可能な地域との違いや、政策前後の転出率の推移などを分析する必要がある。

 人口減少社会では、何人呼んだかという数字に加えて、住み続けたい人が住み続けられる条件をどこまで整えられたかを考える必要がある。移住促進と定住支援は対立する政策ではなく、地域の生活環境を改善するという目的のもとで、相互に補完する関係として考えることができる。

100人増えた町と、1000人が便利になった町

 ここで二つの町を比べてみよう。一つの町は、一年間で移住者を100人増やした。もう一つの町では人口は増えなかったが、予約型交通を改善し、それまで自動車がなければ通院や買い物に苦労していた1000人の移動環境を改善した。人口だけを成果指標にすれば100人増えた町が上になるが、住民生活の改善を目的とするなら、どちらの政策成果が大きいかは簡単に決められない。

 100人の転入には、税収、地域経済、将来の担い手、地域社会の維持など、さまざまな効果があり得る。一方、1000人の移動環境改善には、通院、消費、社会参加、自立した生活など、幅広い効果が期待できる。しかし、人数だけでは両者を比較できない。1000人が年間に数分だけ便利になった場合と、100人が通院や買い物に深刻な困難を抱えていた状態から解放された場合では、生活への影響の大きさが異なる。また、それぞれの政策に必要な費用、効果が続く期間、対象者の年齢や生活条件も考慮しなければならない。

 行政の政策評価として比較するなら、単に恩恵を受けた人数だけでなく、一人当たりの改善の大きさ、政策の総費用、効果の持続期間、他の住民への影響などを検討する必要がある。必要に応じて費用便益分析や費用効果分析を行うことも考えられるが、人との交流や住み慣れた地域で生活を続けられる安心感など、金銭的な価値に置き換えにくい効果もある。

 どちらの町が優れているかを、ここで一つの数字から決めることはできない。しかし、決められないという事実そのものが重要である。人口という一つの数字だけでは、町づくりの成果を十分に評価できないからだ。

生活品質を一つの数字にすれば解決するのか

 人口だけでは町を測れないなら、代わりに幸福度72点のような一つの指数をつくればよいと考えたくなる。しかし、それでは人口という単一指標を、別の単一指標へ置き換えただけになる。医療を重視する人もいれば、仕事を重視する人もいる。子育て世帯にとって重要な条件と、80歳の単身高齢者にとって重要な条件も同じではない。医療、交通、所得、安全、教育、自然環境などをどのような比率で一つの点数へまとめるかには価値判断が入り、重み付けを変えれば自治体の評価順位が変わる可能性もある。

 さらに、生活満足度は客観的な生活条件だけで決まるわけではない。所得や医療環境が同じでも、個人の期待、健康状態、家族関係、価値観などによって回答が異なる。また、人口減少地域で平均的な満足度が上昇したとしても、必ずしも同じ住民の生活が改善したとは限らない。生活環境に不満を持つ人が転出し、残った住民の満足度が高かった結果として平均値が上昇する可能性もあるため、住民構成の変化と生活条件そのものの改善を区別する必要がある。

 アンケート調査には統計的な不確実性もある。例えば、住民から無作為に100人を抽出し、そのうち50人が生活に満足していると回答した場合、標本の満足割合は50%になる。しかし、単純無作為抽出などを仮定した95%信頼区間は概算で約40%から60%となり、自治体全体の満足割合まで正確に50%だと判断できるわけではない。実際の調査では回答率、年齢構成、回答しやすい人としにくい人の違いなども影響するため、数ポイントの変化をそのまま政策成果と評価することには慎重でなければならない。

 こうした問題を考えると、人口目標から生活品質目標へ移ることは、人口という一つの数字を捨て、幸福度という別の一つの数字を採用することではない。むしろ、町は一つの数字では測れないと認めることである。デジタル庁の地域幸福度指標も、自治体を単純に順位付けすることより、地域自身が特徴や課題を把握し、まちづくりに活用することを重視している。

 人口、所得、医療への到達時間、移動手段、買い物環境、住宅負担、教育機会、安全性、住民の満足度。それらを組み合わせ、どこが改善し、どこが悪化しているのかを見ることが必要になる。評価は少し面倒になるが、暮らしそのものが一つの数字で表せない以上、その複雑さを引き受けなければ、本当の意味で町を測ったことにはならない。

「暮らしやすくなった」をどうやって測るのか

 生活品質を自治体の政策目標にするなら、理念を掲げるだけでは不十分である。例えば、車を運転できない住民のうち、公共交通などを利用して買い物や通院ができる人の割合、一般診療や救急医療へ到達するまでの時間、子どもの通学時間、住宅と交通を合わせた生活負担、社会参加の機会などを具体的に測る必要がある。また、政策の前後で何が変わったかを確認できるよう、目標を設定する前に現状値を把握しておくことも欠かせない。

 医療を例にすれば、町内の病院数だけでなく、住民のうち何%が一定時間以内に医療機関へ到達できるかを調べる方が生活の実態に近い。ただし、一般診療、救急医療、専門医療では必要な条件が異なるため、それぞれを区別する必要がある。公共交通についても、路線数や便数だけではなく、実際に乗車できる時間帯、予約の取りやすさ、運賃、目的地への到達時間、乗り継ぎの負担などを確認することが重要になる。

 さらに、平均値だけを見ていても地域内の格差は分からない。例えば、町全体の病院への平均到達時間が30分から25分へ短縮されても、周辺集落では40分から60分へ延びている可能性がある。平均値が改善したことと、すべての住民の条件が改善したことは同じではない。政策評価では、平均的な住民だけでなく、移動に長い時間を要する住民、免許を持たない高齢者、障害のある人、低所得世帯などの状況を分けて確認する必要がある。

 また、指標の改善が政策によって生じたかどうかを確かめる視点も欠かせない。例えば、公共交通の利用者が増えた場合でも、運行改善の効果なのか、運転免許を返納した高齢者が増えたためなのか、燃料価格の上昇など別の要因によるものなのかは、その数字だけでは分からない。可能であれば、政策を実施していない地域との比較や、政策実施前からの傾向を分析し、人口構成や社会経済環境の変化も考慮することが望ましい。

 生活品質を測ることは、幸福度という抽象的な感覚を無理に点数化することではない。住民が実際に何をできるようになり、何ができなくなり、どの程度の費用や時間を負担しているのかを、可能な範囲で具体的に把握することである。人口だけに頼らない政策評価を実現するには、こうした測定方法を整えることが重要になる。

「人口目標」をなくすのではなく、その上位に生活目標を置く

 ここまで考えると、自治体の将来計画の書き方も変わってくる。従来の発想では、十年後の目標人口を決め、その人口を実現するために移住、子育て、産業、住宅などの政策を並べることが多い。これに対して、最初に十年後の住民生活をどのような状態にしたいのかを定め、その実現に必要な人口、財源、施設配置、公共交通、雇用環境などを考えるという順序がある。

 例えば、十年後も車を運転できない人が買い物と通院を続けられる町にする、必要な救急医療への到達条件を維持する、子どもが教育機会を失わないようにする、住宅と交通を合わせた生活負担を過度に増やさない、高齢になっても地域とのつながりを保てるようにする。こうした生活目標を具体化し、それを実現するためにどの程度の人口や財政規模が必要なのか、どの地域に施設や住宅を誘導するのか、何を維持し、何を統合し、どのサービスを別の方法へ置き換えるのかを検討する。

 もちろん、将来人口は政策によって自由に決められるものではない。出生、死亡、転入、転出はそれぞれ異なる要因によって動くため、人口が目標どおりに推移することを前提として生活サービスを設計すれば、実際の人口減少が予想より速かった場合に計画が成り立たなくなるおそれがある。そのため、人口が比較的緩やかに減る場合、想定どおりに減る場合、想定以上に減る場合など、複数のシナリオを用意し、それぞれの条件でも最低限必要な生活機能を維持できるか確認することが望ましい。

 人口政策と生活品質政策は対立するものではない。人口を増やすことによって生活サービスを維持できる場合もあれば、生活サービスを改善することによって転出を抑えたり、新たな住民に選ばれたりする場合もある。重要なのは、人口と生活品質が互いに影響し合うことを認識したうえで、人口増加だけを最終成果とせず、住民生活の改善と地域運営の持続可能性を同時に評価することである。

小さくなることと、貧しくなることは同じではない

 人口減少という言葉には、どこか敗北の響きがある。人口3万人だった町が2万人になり、六つあった学校が四つになり、商店が閉まり、公共施設が統合される。地図から何かが消えるたびに、町が少しずつ失われているように見える。その感覚を軽く扱うべきではない。学校にも商店にも、人の記憶があり、地域の歴史がある。効率だけで地域を切り分ければよいわけではなく、施設の統合や撤退によって失われる人間関係や地域文化も考慮する必要がある。

 それでも、残した施設の数だけで住民生活を測ることもできない。六校をそのまま維持した結果、どの学校も極端な小規模化に直面するなら、四校へ再編して通学環境や教育内容を充実させるという選択肢もある。ただし、少人数教育に固有の利点もあり、統合すれば必ず教育の質が高まるわけではない。学習環境、通学時間、教員配置、地域とのつながり、統合に必要な費用などを総合的に比較して判断する必要がある。

 公共交通についても同じである。利用者が極端に少ない固定路線を維持するより、運行方法を見直した方が便利になる場合はある。しかし、予約型交通への転換によって利用時間や利用対象が制限されるなら、従来の路線を必要としていた人が不便になる可能性もある。施設や路線を減らすこと自体を成果とするのではなく、その後に住民がどのような行動を取れるようになったのか、どのような不利益が生じたのかを検証することが大切である。

 何かが減ったから、必ず貧しくなったとは限らない。しかし、何かを減らせば必ず効率的になり、暮らしが良くなるわけでもない。人口減少への対応で問われるのは、減らすことの是非だけではなく、何を守り、何を変え、その結果として住民生活がどのように変化するかである。

人口が増えなくても町を良くすることはできるのか

 最初の問いに戻ろう。人口が増えなくても町を良くすることはできるのか。理論的には可能であり、人口が減少しても、施設配置、交通、医療、行政サービスなどの改善によって、住民の生活条件が向上する余地はある。ただし、それが実際に実現できるかどうかは、人口減少の速度、年齢構成、居住密度、財政、人材、周辺自治体との連携などに左右される。人口が減っても暮らしは必ず良くなると考えることも、人口が減れば暮らしは必ず悪くなると決めつけることも、どちらも適切ではない。

 人口はこれからも地域分析に欠かせない。出生数、死亡数、転入者数、転出者数、高齢化率、生産年齢人口、世帯構成などを見なくなれば、むしろ町の現実を見誤る。しかし、それらは町の状態を把握し、将来の政策を考えるための重要な情報であって、住民生活の価値そのものではない。人口5000人でも安心して暮らせる町と、人口1万人でも車を失った瞬間に生活が難しくなる町があるなら、私たちが本当に知りたいのは人口の多さだけではなく、その数字の中で人がどのような一日を送れるのかということである。

 これからの地方自治体の政策評価では、昨年より何人増えたかという問いに加えて、昨年より何人が暮らしやすくなったか、どのような不便が解消され、どのような負担が増えたのか、そして、その改善を将来にわたって維持できるのかを問う必要がある。そのためには、人口の目標値だけでなく、医療や交通への到達可能性、教育機会、住宅負担、社会参加、財政の持続可能性などを継続的に測定し、政策の効果と限界を検証していくことが求められる。

 人口を増やそうとする努力は必要である。移住政策も、子育て支援も、産業政策も重要であり、人口減少を緩和できる可能性を最初から放棄する必要はない。ただし、その目的を見失ってはいけない。町は人口表の数字を増やすために存在しているのではなく、人が暮らすために存在している。地方自治の基本にある住民の福祉の増進という考え方も、突き詰めればそのことにつながっている。

 朝起きて、食べるものを買い、必要なら病院へ行き、誰かと話し、働き、学び、年を取って車を運転できなくなった後も、できれば住み慣れた土地で一日を終える。そうした何でもない日常を、無理のない費用と持続可能な仕組みで支えていくことが、人口減少時代の地域政策に求められる役割なのではないだろうか。

 人口を増やす政策から、人口を増やすことも含めて普通の一日を守る政策へ。町を良くするとは、必ずしも昔の人口へ戻すことではない。人口が減少する現実から目をそらさず、必要な機能を維持できる条件を見極めながら、そこで暮らす人の選択肢と生活の可能性を守っていくことである。

 小さくなっても、そこで生きる人の暮らしまで小さくしない。そのために何を測り、何を守り、何を変えるのか。人口減少時代の町づくりは、その問いから始めるべきなのだろう。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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