地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

外房の住宅地で暮らしていると、野生動物は必ずしも「山の中にいるもの」ではない。夜、自動車で細い県道や市町村道を走っていると道路脇に動物の姿が見えたり、朝になって庭を見ると植えていた花が食べられていたり、畑の一角が掘り返されていたりすることがある。キョンの独特な鳴き声を聞いたことがある人も少なくないだろう。こうした出来事は、一度だけなら自然の豊かな地域で暮らす面白さの一つとして受け止めることもできる。しかし、それが日常の風景になり、しかも住民の高齢化が進んでいくと、獣害は単に農作物を守るための問題ではなくなる。

千葉県では、特定外来生物であるキョンの生息域が長期的に拡大してきた。県が2026年にまとめた第3次千葉県キョン防除実施計画では、県内の推定生息数は2024年度時点の中央値で約9万4千頭とされ、2006年度の約1万3千頭から大幅に増加している。もっとも、外房のすべての市町村で同じように増えているわけではなく、近年は勝浦市や御宿町で推定生息数が減少し、いすみ市でも横ばいまたは減少傾向がみられる一方、大多喜町や鴨川市などでは依然として高い水準にある。したがって、「外房ではどこでもキョンが増え続けている」と単純化するのは正確ではない。それでも、房総半島全体として見れば、野生動物と人間の生活圏が重なる地域が広く存在していることは間違いない。

ここで考えてみたいのは、野生動物が何頭いるかという問題だけではない。もっと生活に近いところで、「その地域で80歳になっても普通に暮らせるのか」という問いである。

獣害は農家だけの問題ではなくなっている

獣害という言葉から、多くの人が最初に思い浮かべるのは田畑の被害だろう。イノシシに稲や野菜を荒らされたり、キョンに農作物を食べられたりする被害は確かに大きな問題である。しかし、住宅地まで野生動物が出てくるようになると、被害の意味は変わってくる。千葉県もキョンについて、農作物だけでなく花壇や植木への食害、鳴き声などによる生活環境被害を防除計画の対象としている。つまり行政の側でも、獣害はすでに農業だけに閉じた問題ではなく、住民の日常生活に関わる問題として認識されている。

たとえば、高齢者が一人で暮らしている家を考えてみる。庭には長年育ててきた花や低木があり、朝には庭へ出て水をやり、少し草を抜くことが生活習慣になっている。その庭にキョンが繰り返し入り込み、植木や花を食べるようになれば、対策として柵を設ける必要が出てくる。しかし柵は一度設置すれば終わりではない。草が絡めば刈らなければならず、傾けば直し、破損すれば交換する必要がある。若いうちは容易にできた作業でも、80歳を超えて脚立を使ったり、杭を打ったり、斜面の草を刈ったりすることは次第に難しくなる。

すると獣害は、花が食べられたという被害だけではなく、その住宅を維持するために必要な労働量を増やす問題へと変わる。地方の戸建住宅で高齢者が暮らし続けるためには、屋根や外壁を修理する人、水道や電気を直す人、庭木を剪定する人が必要になるが、野生動物が増えれば、そこに「動物から敷地を守る」という新しい管理作業まで加わることになる。獣害を生活インフラとして考えるとは、まさにこの部分を見ることである。

「怖いから外へ出ない」という被害は統計には現れにくい

イノシシの場合は、さらに別の問題がある。キョンと違い、大型のイノシシに至近距離で遭遇すれば人身事故につながる可能性がある。そのため、農作物にどれだけ被害が出たかという数字だけでは、住民が感じている生活上の負担を十分に測ることができない。

冬の夕方を想像すると分かりやすい。午後5時を過ぎれば、外房の住宅地でもすでに暗い。80代の一人暮らしの人が、ごみを出すために家から100メートル先の集積所まで歩くとする。道路は舗装されており、集積所もきちんと設置されている。それだけを見れば、この地区の生活インフラには特に問題がないように見える。しかし近くの空き地や竹やぶにイノシシが出ることを知っていたら、その100メートルの意味はまったく違ってくる。

実際にイノシシと遭遇する確率が低かったとしても、「暗くなってから歩くのは怖い」と感じれば、その人は外出時間を変えるようになるかもしれない。夕方の散歩をやめ、日が暮れてからはごみ集積所まで行かず、近所の人の家を訪ねることも減る可能性がある。その一つ一つは小さな変化だが、積み重なれば高齢者の生活圏を確実に狭くしていく。

しかも、この種の影響は農作物被害額にも人身事故件数にも表れない。「怖いから歩かなくなった」という行動変化は、通常の獣害統計では数えられないからである。しかし高齢社会を考えるなら、この見えない被害の方が重要になる可能性がある。高齢者にとって、毎日安心して家の周囲を歩けることは、道路や街灯と同じくらい基本的な生活条件だからである。

人が減ると、野生動物が増えるというより「境界」が消えていく

では、なぜ野生動物が住宅地の近くまで現れるようになるのだろうか。単純に動物の数だけで説明すると、地域で起きていることの半分しか見えない。

地方では人口減少と高齢化によって、人が日常的に管理してきた土地が少しずつ減っている。田畑を耕す人がいなくなり、農地が草地に変わる。山際の草刈りが行われなくなり、低木や竹が伸びる。空き家の庭は荒れ、かつて人が頻繁に歩いていた農道にも人が入らなくなる。人間から見れば「使われなくなった土地」だが、野生動物から見れば、住宅地の近くまで身を隠しながら移動できる場所が増えたことになる。

ここで重要なのは、山と住宅地の間には本来、はっきりした線が引かれているわけではないということである。その間には田畑があり、農道があり、草刈りされた斜面があり、人が毎日のように出入りする空間があった。その人間の活動そのものが、結果として野生動物と住宅地との間に一定の距離をつくっていた。ところが人口が減り、その活動が薄くなると、地図上では何も変わっていなくても、実際の土地利用は少しずつ野生動物にとって入りやすい環境へ変化していく。

したがって、外房で起きている獣害を「自然が増えた」と表現するだけでは本質を捉えにくい。むしろ「人間が管理していた空間が減った」と考えた方が、人口減少との関係を理解しやすい。

人口が半分になっても、管理する土地は半分にならない

この問題には、人口減少地域のインフラ問題とよく似た構造がある。

人口が1万人から5千人に減ったからといって、道路の延長が半分になるわけではない。水道管も橋も側溝も半分にはならない。そのため人口一人当たりで支えなければならないインフラ量は増えていく。同じことが土地の管理にも起きる。

仮に、ある地域に100人の住民がおり、その周囲に100ヘクタールの農地や山林、空き地が存在すると考えてみる。実際には住民全員が均等に土地を管理するわけではないが、地域全体の管理能力という意味では、住民一人当たりに対応する土地は1ヘクタールである。人口が50人に減っても土地が50ヘクタールになるわけではないため、一人当たりの土地は2ヘクタールになる。さらに25人まで減れば4ヘクタールになる。

これは単なる計算上の話ではない。草を刈る人、田畑を耕す人、山林を見回る人、倒木を処理する人、罠を管理する人といった地域の担い手が減る一方で、管理対象となる土地の面積はほとんど変わらないという現実を表している。

人口減少とは、消費者や納税者が減ることだけではない。地域を日々管理してきた「作業する人」が減ることでもある。獣害は、その変化が目に見える形で現れた現象の一つなのである。

捕獲を増やせば解決するのか

もちろん、イノシシやキョンが増えれば捕獲は必要になる。千葉県もイノシシの捕獲を続けており、キョンについても防除の強化が進められている。しかし、「捕獲数を増やせばよい」と言うのは簡単でも、実際の捕獲には人手が必要になる。罠を設置し、定期的に確認し、捕獲した個体を処理し、安全管理を行い、必要な手続きを進めなければならない。その仕事は、野生動物が増えれば自動的に増えてくれるものではない。

ここにも人口減少の矛盾がある。獣害が深刻化しやすい地域ほど人口密度が低下している一方、その獣害に対応するためには一定数の人間が必要になるからである。捕獲する人が高齢化し、農家が減り、地域活動を担う人が少なくなれば、動物側の問題より先に、人間側の管理能力が限界を迎える可能性もある。

獣害対策を持続させるためには、「何頭捕るか」だけではなく、「誰が10年後も捕るのか」という問いを同時に考えなければならない。

自動車があっても獣害からは逃れられない

外房では、自動車を使えば野生動物の問題をある程度避けられるようにも思える。徒歩で暗い道を歩かなければイノシシに出会う機会は減るし、買い物や通院も車で移動すればよい。しかし車社会には車社会なりの獣害がある。

夜間、道路脇の草むらや林から動物が突然飛び出してくれば、衝突そのものだけでなく、それを避けようとする急ブレーキや急ハンドルが事故につながる可能性がある。特に外房には、街路灯が少なく、山林や田畑の間を抜ける道路が少なくない。運転者が高齢になり、夜間視力や反応速度が低下していけば、野生動物との遭遇は交通安全の問題としても無視できなくなる。

これは「獣害」と「高齢者の運転」という二つの別々の問題ではない。自動車に依存しなければ生活しにくい地域で、高齢者の運転と野生動物の出没が同時に存在すれば、その二つは一つの生活問題として重なってくる。

道路が舗装されているだけでは、移動インフラが整っているとは言えない。高齢者が安心して運転できることまで含めて考えるなら、道路周辺の草刈り、動物の出没情報、捕獲、街灯なども広い意味で交通インフラの一部になってくる。

高齢者が暮らせる町とは、動物のいない町ではない

ここまで考えると、イノシシやキョンのいる地域では高齢者が暮らせないようにも見える。しかし、そう結論づけるのは適切ではない。

外房の魅力は、そもそも都市とは違う自然環境にある。海があり、里山があり、田畑があり、人口密度が低く、住宅の周囲にも緑が残っている。その環境から野生動物だけを完全に切り離すことは現実的ではないし、すべての野生動物が人間にとって危険な存在というわけでもない。

問題は、野生動物がいることではなく、人間との距離を地域として管理できるかどうかである。

住宅地周辺の草地をどの程度管理するのか、耕作放棄地や空き家をどう扱うのか、個人では負担の大きい防護柵をどう支援するのか、捕獲を担う人をどう確保するのか、高齢者が夜間に歩かなくてもごみを出したり移動したりできる仕組みを作れるのか。こうして考えると、獣害対策は農林行政だけの問題ではなく、福祉、住宅、交通、防災、空き家対策、土地管理と密接につながっていることが分かる。

だからこそ、獣害を「生活インフラ」として見る必要がある。

「動物が増えた町」の裏側にあるもの

人口減少について語るとき、私たちは学校がなくなる、スーパーがなくなる、病院が遠くなるといった「施設が減る問題」を考えがちである。しかし地方の暮らしを支えているのは、目に見える施設だけではない。

田畑を耕す人がいること、道路脇の草を刈る人がいること、山際を見回る人がいること、空き家の庭を管理する人がいること、野生動物を捕獲する人がいること。そうした無数の作業によって、人間が安心して暮らせる範囲は保たれてきた。

ところが人口が減ると、それらの仕事も少しずつ担い手を失う。田畑が荒れ、山林と住宅地との境界が曖昧になり、野生動物が人の暮らす場所まで近づいてくる。それを見て私たちは「イノシシが増えた」「キョンが増えた」と言う。しかし、現象を逆側から見れば、「地域を管理する人間が減った」と表現することもできる。

これは、外房の将来を考えるうえで非常に重要な違いである。

では、外房の獣害をどう解決すればよいのか

ここまでの議論から考えると、解決策を「捕獲数を増やす」という一点だけに求めるのは十分ではない。もちろん個体数管理は必要であり、イノシシやキョンの生息数を適正な水準に抑えることは対策の中心になる。しかし、それだけで住宅地への侵入がなくなるとは限らない。獣害が人口減少、耕作放棄地、空き家、草地管理、捕獲者不足など複数の要因によって発生しているのであれば、解決策も複数の仕組みを組み合わせる必要がある。

まず考えられるのは、地域全体を一様に守ろうとするのではなく、「人間が優先的に守る区域」を明確にすることである。人口が減少していく地域で、すべての山林、農地、空き地をかつてと同じ密度で管理することは現実的ではない。そこで住宅地、通学路、医療施設周辺、ごみ集積所、主要道路など、人間の日常生活に直接関係する場所を重点管理区域として位置づけ、その周囲の草刈りや藪の除去、侵入防止設備、捕獲を集中させる方が合理的である。

この考え方は、人口減少時代のインフラ維持とよく似ている。利用者が減る中で、すべての道路や公共施設を同じ水準で維持することが難しくなれば、重要度に応じて維持管理の優先順位をつけざるを得ない。獣害についても、人間と野生動物の境界をどこに設定し、どこを集中的に守るのかという「土地利用の設計」が必要になってくる。

次に必要なのは、個人宅の問題を個人だけに負わせない仕組みである。高齢者世帯が自費で防護柵を設置し、その後何年も自分で維持するという方法には限界がある。とりわけ高齢単身世帯が増えれば、「対策方法は分かっているが自分では作業できない」という世帯も増えるだろう。行政が資材費だけを補助する仕組みでは、資材を運び、設置し、修理する労働力の問題までは解決しない。

そこで、地域単位で防護設備を整備したり、草刈りや柵の補修を請け負う仕組みを作ったりする必要がある。農業者向けだった獣害対策を、高齢者住宅や住宅地の生活環境対策へ広げていく発想である。これは福祉政策との接点も大きい。庭の草刈りやごみ出しと同じように、獣害対策も高齢者の在宅生活を支えるサービスの一部として考える余地がある。

さらに重要なのが、捕獲する人を地域の善意だけに依存しないことである。これまで地域の鳥獣対策は、猟友会や農家など、地域に詳しい人々の協力によって支えられてきた。しかし、その担い手自身が高齢化しているのであれば、今後も同じ方法が続くとは限らない。自治体が捕獲を専門的な仕事として位置づけ、報酬や装備、研修、安全管理を整えることや、複数の市町村が共同で専門人材を確保することも検討する必要がある。

特に外房では、一つの市町村だけで対策しても動物は行政境界を越えて移動する。市町村境は人間が決めた線であって、イノシシやキョンには意味がない。そのため、生息域を単位とした広域的な対策が合理的である。隣接自治体がそれぞれ別々に捕獲計画を立てるだけでなく、出没情報や捕獲データを共有し、地域全体としてどの方向へ個体群が移動しているのかを把握する必要がある。

道路についても同じ考え方ができる。野生動物との衝突が繰り返される場所が分かれば、道路脇の草木を重点的に刈り、見通しを確保し、注意喚起を強化することができる。高齢者が多い地域では、単に「動物注意」の標識を設置するだけではなく、出没しやすい時間帯や地点を地域住民に伝える仕組みも重要になる。

技術を利用する余地もある。センサーやカメラで出没状況を把握し、その情報を捕獲計画に利用すれば、人が闇雲に山林を見回るより効率的になる可能性がある。ただし、技術を導入すれば人手が不要になるわけではない。カメラの設置や保守、データの確認、捕獲後の処理には依然として人が必要であり、技術はあくまで限られた人員を効率的に使うための道具として考えるべきだろう。

解決の鍵は「動物を減らすこと」と「人間側の管理能力を維持すること」

以上を整理すると、外房の獣害対策には二つの方向が必要になる。一つは捕獲や侵入防止によって野生動物側の圧力を下げることであり、もう一つは草刈り、土地管理、道路管理、住宅支援などによって人間側の管理能力を維持することである。

前者だけを進めれば、捕獲を続ける人が不足したときに対策が立ち行かなくなる。後者だけを進めても、生息数が高いままなら住宅地への侵入を完全には防げない。したがって、獣害対策を長期的に成立させるためには、この二つを同時に進めなければならない。

さらに人口減少を前提にするなら、「昔と同じ状態へ戻す」ことを目標にするのも現実的ではないだろう。かつて農家が多く、田畑が広く耕され、山際まで人が頻繁に入っていた時代の土地管理を、そのまま少ない人口で再現することは難しい。必要なのは、人口が減った後でも維持できる新しい境界の作り方である。

住宅地の周囲は重点的に管理し、その外側では自然への回帰をある程度受け入れる。高齢者が暮らす区域では行政や地域による管理を厚くし、捕獲については専門人材を広域的に配置する。このように、人間が守る場所と自然に委ねる場所を意識的に分けていく発想が、人口減少時代には必要になるのかもしれない。

30年後にも「普通に外へ出られる町」であるために

水道が出ること、電気が使えること、道路があること、車でスーパーまで行けることは、地方生活の基本的な条件である。しかし、それだけで高齢者が安心して暮らせるとは限らない。家の周囲を普通に歩けること、庭の管理が極端な負担にならないこと、夜の道路をある程度安心して走れること、野生動物が住宅地まで入り込んだときに対応する人が地域にいることもまた、生活を成立させる条件だからである。

外房の30年後を考えるとき、問うべきなのは「イノシシやキョンを何頭減らせるか」だけではない。人口が減り、高齢者が増え、農地や山林を管理する人が少なくなっていく中で、人間と野生動物との間に存在してきた境界を、誰が、どの範囲まで、どのような費用と仕組みで維持するのかという問題である。

その答えは、野生動物を完全に排除することでも、昔の里山へそのまま戻すことでもないだろう。限られた人員と財源の中で、住宅地や生活道路など守るべき場所を明確にし、捕獲、土地管理、高齢者支援、交通安全を一つの政策として組み合わせていくことにある。

獣害を生活インフラとして考えるということは、野生動物の問題を「山の問題」から「町の暮らしの問題」へ移すことである。そして高齢者が30年後にも、玄関を開けて庭へ出て、近所を歩き、夜には安心して家へ戻れる地域を残せるかどうかは、道路や水道を維持することと同じように、これからの外房が考えなければならない生活基盤の一つなのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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