地方で暮らすとき、病院まで何キロあるかを気にする人は少なくありません。
しかし、救急医療について考えるなら、本当に重要なのは地図上の距離だけではありません。自宅から10キロ先に病院があっても、その病院が夜間の救急患者を受け入れられなければ、救急車はさらに遠くの病院へ向かわなければならないからです。
人口減少が続くこれからの地方では、この「実際に治療を受けられる病院までの距離」が、現在より長くなる地域が増える可能性があります。
しかも問題は、単純に病院の数が減るということだけではありません。病院の機能分担、医師や看護師の不足、高齢者の増加、救急需要の集中などが同時に進むことで、地方の救急医療は「病院は存在するが、近くでは治療できない」という形へ変化していく可能性があります。
病院までの「距離」には二つある
救急医療を考えるときには、地理的距離と医療的距離を分けて考える必要があります。
地理的距離とは、自宅から病院まで道路で何キロあるかという通常の意味での距離です。
一方、医療的距離とは、「その患者を治療できる医療機関まで、実際にどれくらい時間がかかるか」という距離です。
たとえば町内に病院があったとしても、脳卒中、急性心筋梗塞、重症外傷などに対応できなければ、患者は別の地域の病院へ搬送されます。その場合、地図上では病院が近くても、救急医療という観点では病院が遠い地域になります。
これから地方で問題になるのは、おそらくこちらです。
病院までの道路距離より、「治療可能な病院までの時間」が長くなる。
この変化を見なければ、地方医療の将来は正確には理解できません。
全国でも救急搬送にはすでに時間がかかっている
総務省消防庁によると、2023年中に救急車で搬送された人は約664万人で、119番通報を受けてから医師へ引き継ぐまでの病院収容所要時間は全国平均約45.6分でした。2019年と比較すると約6.1分長くなっています。
もちろん、この時間が長くなった原因をすべて地方の病院減少で説明することはできません。救急需要の増加、受入医療機関との調整、都市部の交通事情など複数の要因があります。
それでも重要なのは、日本の救急医療がすでに「救急車を呼べば、すぐ近くの病院に運ばれる」という単純な仕組みではなくなっていることです。
消防庁自身も、高齢化を救急需要増大の一因として挙げています。2023年の救急搬送人員の61.6%を高齢者が占めていました。
地方では今後、人口そのものは減少しても、高齢者の比率が高い状態が続く地域があります。したがって、「人口が減るから救急需要も同じ割合で減る」と考えることはできません。
ここに地方医療の難しさがあります。
人口が減れば、すべての病院を現在と同じ形では維持しにくい
国立社会保障・人口問題研究所の地域別将来推計人口は、2020年を基準として2050年までの市区町村別人口を推計しています。地方の多くの自治体で人口減少が続くことが予測されています。
人口が減少すると、医療機関の患者数だけでなく、その地域で働く医師、看護師、医療技術職などを確保することも難しくなります。
一方、救急病院には24時間対応するための人員、検査設備、手術設備などが必要です。
人口が半分になったからといって、夜勤の医師や看護師を半分にすればよいわけではありません。救急医療には、患者が来るかどうかにかかわらず維持しなければならない固定的なコストがあります。
その結果として起こりやすいのが、医療機能の集約です。
厚生労働省が進める2040年に向けた地域医療構想でも、人口構造や医療需要の変化を踏まえ、急性期拠点機能、高齢者救急・地域急性期機能などについて、医療機関同士の役割分担や連携、必要に応じた再編・集約化を進める方向が示されています。なお、厚生労働省は地域医療構想について「病床削減や統廃合ありきではない」と明記しています。
したがって、将来すべての地方で病院がなくなると考えるのは適切ではありません。
むしろ起きる可能性が高いのは、病院ごとの役割が分かれ、高度な救急医療を行う病院が特定の拠点へ集中することです。
その結果、自宅から最寄りの「病院」までの距離は変わらなくても、重症時に搬送される「救急病院」までの距離は長くなる可能性があります。
外房では、すでに医療圏を越える救急搬送が珍しくない
この問題を具体的に見るため、千葉県の山武・長生・夷隅地域を見てみます。
千葉県保健医療計画によると、山武長生夷隅保健医療圏は、東金市、茂原市、勝浦市、いすみ市、御宿町など6市10町1村を含む広い地域です。
2023年度に千葉県が実施した救急搬送実態調査では、この医療圏における3,631件の救急搬送のうち、二次医療圏内への搬送は64.6%でした。
反対にいえば、35.4%は二次医療圏外の医療機関へ搬送されています。
さらに、救急隊が覚知してから病院に収容されるまでの平均時間は67.00分でした。
内訳を見ると、覚知から現場到着まで12.42分、現場到着から出発まで30.47分、現場出発から病院収容まで24.11分となっています。
この数字は重要です。
救急医療では、「道路を何分走ったか」だけが問題なのではありません。
患者の状態を確認し、受け入れ可能な病院を探し、病院側と調整し、それから搬送するという過程があります。
同じ調査では、受入医療機関との平均交渉回数は1.90回で、5回以上交渉したケースも7.6%ありました。
つまり救急医療の距離とは、
自宅から病院までの距離
だけではなく、
救急車が来る時間+現場での処置時間+搬送先を決める時間+病院まで走る時間
として考えなければならないのです。
外房の人口減少は、この問題をさらに難しくする
山武長生夷隅保健医療圏では、2020年に約41万人だった人口が、推計では2050年に約27万人まで減少する見通しです。
単純計算なら約3分の1の人口が減ることになります。
人口がこれだけ減れば、地域全体の医療需要も変化します。
しかし、道路網や救急隊の担当区域、病院を24時間稼働させるために必要な設備や人員まで3分の1減らせるわけではありません。
しかも人口密度が低下すると、一人の患者を搬送するために移動しなければならない距離は相対的に長くなりやすくなります。
これは水道、道路、公共交通などの地方インフラにも共通する問題です。
人口が減っても地域の面積は縮まりません。
医療についても同じで、住民が減っても、御宿、勝浦、大多喜、いすみ、茂原などの町同士の距離が短くなるわけではありません。
むしろ医療機能が限られた拠点へ集まれば、一人あたりの「医療への距離」は長くなる可能性があります。
ただし、すべての患者が遠い病院へ運ばれるわけではない
一方で、将来の地方医療を単純に悲観することも適切ではありません。
国が進めている地域医療構想は、一つの巨大病院にすべてを集めることだけを目的としているわけではありません。
地域内では、高度な急性期医療を担当する病院、高齢者の急変を受け入れる病院、回復期を担当する病院、在宅医療を支援する医療機関などに機能を分け、それらを連携させる考え方が強くなっています。
さらに、ドクターヘリ、ドクターカー、救急救命士による処置、遠隔医療、救急相談などを組み合わせれば、「病院をすべて住民の近くに置く」という方法以外にも救命率を維持する方法があります。
消防庁によると、2024年4月時点で救急救命士を運用する救急隊は全国5,415隊中5,396隊、99.6%に達しています。
したがって将来の救急医療は、「病院までの距離を短くする」という発想だけではなく、病院へ到着するまでの医療をどこまで充実させられるかという方向にも進むでしょう。
30年後の地方では「病院まで何キロか」だけでは判断できない
地方移住や老後の居住地を考えるとき、「総合病院まで車で20分だから安心だ」と考えたくなります。
しかし30年という時間軸で考えるなら、その判断だけでは不十分です。
見るべきなのは、その病院が将来も存在するかだけではありません。
夜間休日の救急を受け入れているのか、脳卒中や心筋梗塞に対応できるのか、重症患者はどこの病院へ搬送されるのか、その地域には何隊の救急車があるのか、隣接する医療圏との連携がどうなっているのかという、医療システム全体です。
地方では今後、最寄りの医療機関までの物理的な距離が急激に変化するとは限りません。
しかし、
「必要な治療を受けられる場所までの実質的な距離」は長くなる地域が出てくる可能性が高い。
これが人口減少時代の地方救急医療を見るうえで重要な点です。
地方で本当に見るべきなのは「距離」ではなく「時間」
救急医療にとって1キロという距離は、どこでも同じ価値を持つわけではありません。
道路事情がよく、近くの病院が24時間受け入れていれば20キロでも早く治療に到達できる場合があります。
反対に、数キロ先に病院があっても受け入れられず、別の病院を探すことになれば、治療開始まで1時間以上かかることもあり得ます。
そのため地方の医療環境を評価するなら、
「最寄りの病院まで何キロか」ではなく、「救急時に治療開始まで何分かかる地域なのか」
を見る必要があります。
人口減少が進む30年後の地方では、この数字が現在以上に重要になるでしょう。
スーパーやガソリンスタンドなら、遠くなれば不便になります。
しかし救急病院の場合、距離が長くなることは単なる不便ではありません。
地方で将来も安心して生活できるのかを考えるとき、救急医療までの「時間」は、水道、交通、買い物環境と並ぶ重要な生活インフラの一つとして考える必要があります。

