リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

小説から表紙を外し、作者名を消し、作品名も伏せる。登場人物の名前や地名のように作品を特定できそうな手掛かりまで隠して、本文だけを読者の前に置いたとする。それでも私たちは、ときに「これは太宰治ではないか」「この硬質な感じは芥川龍之介に近い」と感じる。

ところが、なぜそう思ったのかと尋ねられると、説明は急に難しくなる。太宰らしい、芥川らしい、川端らしいという感触はたしかにあるのに、それを言葉にしようとすると、作品の題材、作家の人生、思想、あるいは誰もが知っている有名な一節へ逃げ込みたくなる。しかし、それでは作者について知っている情報から文章を読んでいるだけであり、文章そのものから作者を見分けたことにはならない。

そこで、もう少し意地の悪い実験を考えてみたい。

作家について何も教えられず、ある程度の長さをもった文章だけを渡されたとき、それでも作者を推定できるのだろうか。そして、もしそれが可能なら、作家の名前は文章のどこに隠れているのだろう。

これは文学好きの遊びのように見えるが、実は「計量文体学」と呼ばれる研究分野が長いあいだ取り組んできた問いでもある。文章を意味や思想だけでなく、語彙、品詞、助詞、句読点、文の長さなど、数えることのできる特徴として捉え、そこから作者や時代、ジャンルによる違いを調べていく研究である。

つまり、「文体には作家の個性が現れる」という昔からの文学的直感を、数字の側から確かめようという試みなのである。

作家は「何を書くか」より、「どう書いてしまうか」に現れる

作者を判別しようと考えたとき、最初に思いつくのは語彙だろう。ある作家は古風な言葉を好み、ある作家は日常的な口語を多用し、またある作家は漢語を好む。それだけでも文章の印象は大きく変わるから、使われた単語を調べれば作者を見分けられそうに思える。

しかし、語彙には厄介な問題がある。

作家はいつも同じ題材を書いているわけではない。戦争を扱った作品と恋愛を扱った作品では当然使われる名詞が変わり、歴史小説を書けば、その作家が普段ほとんど使わない言葉まで大量に登場する。これでは、作者を判別しているのか、作品のテーマを判別しているのかが分からなくなってしまう。

そこで著者識別の研究では、むしろ作品内容から少し離れた、地味な特徴が重要視されてきた。

一文をどのくらいの長さで終えるのか。「は」と「が」をどのように使うのか。接続詞をどの程度挟むのか。どのような品詞の後に読点を置きやすいのか。名詞、動詞、助詞がどのような順序で並ぶのか。句点や読点をどの程度使うのか。

こうした特徴を一つだけ取り出しても、作品の意味はほとんど分からない。しかし大量の文章から繰り返し測定すると、その作家が文章を組み立てるときの傾向が少しずつ姿を現す。

特に研究上よく利用されてきたものの一つが、助詞や前置詞などに代表される「機能語」である。物語の内容を直接表す名詞ほど題材に左右されにくく、しかも文章中に頻繁に現れるため、作者の特徴を測る材料として都合がよい。

ただし、ここで注意しなければならない。

機能語や句読点に作者の特徴が表れるからといって、それらが純粋に「作者だけ」を反映しているわけではない。近年の研究では、機能語の使い方にも、小説なのか評論なのか、学術論文なのかブログなのかといった文章ジャンルの違いが現れることが確認されている。

つまり、文章から取り出した特徴の中には、作者、時代、ジャンル、題材、語り手など、複数の要因が重なっている。

ここが本物の指紋と文体の「指紋」が違うところである。

人間の指紋は本人が小説を書こうが手紙を書こうが変わらない。しかし文体は作品によって揺れる。それでも完全に自由に変わるわけでもない。その変わる部分と、なぜか残ってしまう部分との境界に、私たちが文体と呼んできたものがあるのかもしれない。

太宰治を太宰治にしているのは、「太宰らしい言葉」だけではない

太宰治を例にすると、この問題はいっそう分かりやすくなる。

太宰の文章には、読者へ直接話しかけてくるような近さがある。告白するように語ったかと思えば、急に自分自身を笑い、自嘲と誇張の間を揺れながら文章が進んでいく。文学を読む側から見れば、それを「太宰らしい語り」と呼ぶことができる。

ところが計量的に文章を見ると、その感覚の背後にもっと小さな特徴が見えてくる。

尾城奈緒子と金明哲による研究では、太宰治、芥川龍之介、菊池寛、坂口安吾、織田作之助の作品を比較し、読点の打ち方を含む文章上の特徴が分析されている。その中で太宰には、動詞、副詞、普通名詞などさまざまな品詞の後に読点を置く傾向があり、比較した作家たちより読点の用い方が多様であることが報告されている。

ここで興味深いことが起きる。

読者は太宰を読んで、「この文章には独特の呼吸がある」と感じる。一方、文章を数量化した研究では、その呼吸の一部が、読点をどこに置くのかという具体的な特徴として現れてくる。

もちろん、太宰文学が読点の数で説明できるわけではない。

『人間失格』の痛切さも、『斜陽』の寂しさも、『走れメロス』の速度も、句読点を数えれば理解できるという話ではない。文学作品の意味や感情は、それほど単純ではない。

しかし、私たちが「この文章には太宰独特のリズムがある」と感じていたものの一部分について、数字によって別の角度から説明できる可能性がある。

数字は文学の代わりになるのではない。

これまで「何となく」としか言えなかった感触の一部を、別の言葉に翻訳してくれるのである。

本当に作者が問題になった小説を、文章から調べた研究もある

著者識別は、既に作者が分かっている作品を分類するだけの技術ではない。文学史の中で実際に作者が問題となった作品へ応用された例もある。

その一つが、菊池寛の『受難華』である。

この作品については、横光利一による代筆ではないかという説があり、その背景には川端康成の証言などもあった。しかし証言とは別に、文章そのものを比較することで、この問題へ近づこうとした研究がある。

柳燁佳と金明哲による研究では、菊池寛と横光利一の作品群に加え、『受難華』の連載各回を対象に分析が行われた。使われたのは、読点をどこに打つのか、品詞がどのような順序で現れるのか、文節がどのような構造を取るのかといった文章上の特徴であり、それらを複数の統計的方法と機械学習によって比較している。

その結果、この研究では、『受難華』の各回を菊池寛の作品とみなす結論が示された。

ここには、文学研究として少し奇妙で魅力的な光景がある。

日記を探すのでもなく、編集者への手紙を発見するのでもない。証言者を探し出すのでもない。残された文章そのものから、作者についての統計的証拠を取り出すのである。

もちろん、統計分析は法廷で提出される筆跡鑑定のような絶対的な証明ではない。分析対象や比較作品、選んだ特徴、使用する手法によって結果が影響を受ける可能性はある。

それでも、作品の内部に残された無数の小さな文章上の癖が、作者を考えるための新しい証拠になることは確かである。

作家が作品へ署名する場所は、原稿の最後だけではないのかもしれない。

では、作家名を消せば「かなり当てられる」のか

ここまで読むと、答えは簡単に「できる」と言いたくなる。

しかし、科学的にはもう一つ重要な条件を付けなければならない。

たとえば、「この文章は太宰治、芥川龍之介、菊池寛、坂口安吾、織田作之助の5人のうち誰のものか」と尋ねられる場合を考える。このとき、本当の作者が5人の中に必ずいると分かっているなら、比較は比較的行いやすい。

著者識別では、このような問題をclosed-set(閉集合型・正しい作者が候補の中に必ず含まれている条件)として考える。

ところが、作品だけを渡されて、「日本文学史上のすべての作家の中から作者を見つけなさい」と言われたら事情はまったく違う。候補の中に本当の作者が含まれている保証さえないからである。このようなopen-set(開集合型・正しい作者が候補の中に存在するとは限らない条件)の著者識別は、はるかに難しい。

五つの扉の中から一つを選ぶ問題と、出口の見えない長い廊下から一枚の扉を探す問題くらい違う。

したがって、「作家名を消しても文章だけから作者を当てられる」という言葉を、そのまま無制限に一般化することはできない。

より正確には、候補となる作家がある程度限定され、それぞれについて十分な比較作品が存在し、ジャンルや時代などの条件も適切にそろえられているならば、文章の統計的特徴から作者をかなりの程度識別できる、と考えるべきである。

ここまで条件を付けても、この結果は十分に面白い。

なぜなら、人間が無意識に行ってきた「この文章はあの作家らしい」という判断の少なくとも一部が、測定可能なものとして現れるからである。

数行だけ渡されても同じように当てられるわけではない

もう一つ重要なのが、文章量である。

一般に文章が短くなるほど、作者固有の統計的特徴を安定して推定することは難しくなる。

考えてみれば当然である。

ある作家が平均すれば短い文を書くとしても、一文だけなら非常に長い文章を書くこともある。普段は読点を頻繁に使う作家でも、偶然取り出した数行にはほとんど読点がないかもしれない。文章が十分に長ければ、そのような偶然は平均化されていくが、数行だけでは偶然の影響が大きい。

したがって、

「この一文を読んだだけで太宰治だと分かった」

という文学的な読書体験と、

「一定量の匿名文章を複数作家の作品群と統計的に比較し、太宰作品である可能性が高いと判定した」

という科学的な著者識別は、似ているようでまったく違う。

前者は読者の経験と直感を楽しむ文学クイズになり得る。

後者では、比較する文章量、候補作家、特徴量、学習データ、判定方法などをそろえなければならない。

文学の「勘」と科学的な「判別」は、同じ入口から始まっても、途中から別の道を歩くのである。

さらに厄介なのは、一人の作家が一人ではないことだ

もし文章に作者の指紋があるなら、同じ作家の作品はすべて同じ場所へ集まるはずだと考えたくなる。

ところが、文学はそこでも単純な答えを拒む。

二十代の作家と五十代の作家が同じ文章を書くとは限らない。長編小説、短編、随筆、新聞連載でも文体は変わる。語り手が少年なら少年らしく書き、老人なら老人らしく書こうとする。作家自身も他の作家から影響を受け、ときには意識的にそれまでとは異なる文章を試みる。

太宰治についても、作品の時期による文体変化が数量的に研究されている。

太宰の前期作品を分析した研究では、品詞、助詞、記号など複数の特徴から作品を比較すると、1935年前後を境として文体上の変化が現れることが報告されている。さらに、前期の後半では読点頻度が増えるなど、同じ太宰作品の内部でも文章上の特徴が一定ではないことが示されている。

つまり、「太宰治」という一つの不動点が存在するわけではない。

太宰自身も時間の中を移動している。

そう考えると、「文体の指紋」という表現より、むしろ「歩き方の癖」と考えた方が近いのかもしれない。

人間は、若いころと老いたころでは歩く速さが変わる。疲れている日もあれば、急いでいる日もある。それでも長い時間その人を見ていれば、足の運び方や身体の重心に、その人らしさが残っている。

文章も同じなのではないだろうか。

一つひとつの作品は変化しても、大量の文章を並べて眺めると、言葉を運ぶときの重心が少しずつ現れてくる。

本当に実験するなら、正解率より「間違い」が面白い

では、実際に作家名を消して実験するとしたら、どのようなことができるだろう。

複数の近代作家から作品を選び、作者名、作品名、章題など作者を直接推測できる情報を除く。さらに文章量をそろえ、一文の長さ、文長のばらつき、読点や句点の頻度、助詞、品詞の並び方などを測定する。

すると、それまで文学として読んでいた文章が、多数の数値をもったデータとしても眺められるようになる。

太宰作品はある方向へ集まり、芥川作品は別の場所へ集まり、菊池作品はさらに違う場所へ分布するかもしれない。もちろん完全に分離するとは限らず、境界付近にはどちらとも判定しにくい作品が現れるだろう。

そして、実はそこが最も面白い。

もし太宰作品なのに芥川作品に近いと判定された文章があったなら、単に「機械が間違えた」で終わらせる必要はない。その作品が書かれた時期、作家同士の影響関係、語り手の設定、作品のジャンルなどを調べることで、文学史的な理由が見つかる可能性がある。

もちろん、本当に単なるモデルの誤判定である可能性もある。

だからこそ面白いのである。

統計モデルの結果は、文学作品についての最終判決ではない。むしろ「なぜこの作品だけここへ来たのだろう」という新しい問いを作る装置になる。

数字が文学を終わらせるのではない。

数字がうまく説明できなかったところから、次の読解が始まる。

人間の読者と計量分析は、違うものを見ている

同じ匿名文章を、人間にも読ませてみたらどうなるだろう。

文学を長く読んできた人なら、統計分析より簡単に作者を当てられるかもしれない。文章の皮肉、感情の距離、語り手と読者との関係、全体を覆う緊張感など、数えにくい特徴を同時に受け取ることができるからである。

しかし、人間には別の弱点もある。

作家をよく知っているほど、文体以外の情報に引きずられやすい。

自殺、病気、故郷、戦争、家庭といった、その作家を連想させる題材が現れれば、「これは太宰らしい」「これは漱石らしい」と考えてしまうかもしれない。そこで判断しているのは文体ではなく、文学史の知識である可能性がある。

一方、計量分析は人間とは違った手掛かりを見る。

人間なら読み飛ばしてしまうほど頻繁に現れる助詞、句読点、品詞の配列などを、何百、何千という文章の中から繰り返し測ることができる。

だから、人間と機械のどちらが文学を「正しく」読めるのかという二者択一で考える必要はない。

人間が感じているものと、数量分析が捉えているものは必ずしも同じではない。

その二つを重ね合わせたとき、これまで「文体」という一語で済ませていたものが、少しずつ分解されて見えてくるのである。

作家の名前を消すと、かえって作家が見えてくる

結局、「作家名を消しても文章だけで作家を当てられるのか」という問いに、無条件の「はい」と答えることはできない。

候補作家が限定されているか。比較に使える十分な作品があるか。文章量は十分か。ジャンルや時代はそろっているか。同じ作者の文体変化をどう扱うのか。

こうした条件によって判別の難しさは大きく変わる。

それでも、条件を適切に設定すれば、語彙、助詞、品詞、句読点、文の長さなどに表れる統計的特徴から、作者を一定程度識別できることは、これまでの計量文体学研究によって示されてきた。

しかし、この問いの面白さは「人工知能や統計なら作家を当てられる」というところにはない。

むしろ逆である。

作者名を消し、作品名を消し、文学史の知識までできるだけ遠ざけたあとに、それでも残ってしまうものは何なのか。

作家本人さえ意識していないかもしれない助詞の選び方。

どこで息を継ぐのか。

どこに読点を置くのか。

一文をどこまで伸ばして、どこで切るのか。

その一回一回は偶然に見える。

しかし、一人の作家が何十万、何百万という文字を書いたあとには、無数の小さな選択が積み重なっている。その集積を私たちは昔から、説明できないまま「この人らしい文章」と感じ取ってきた。

計量文体学は、その感覚を数字へ置き換えて文学を解体しようとしているのではない。

むしろ、「らしさ」という曖昧な言葉の内部に何があるのかを、別の窓からのぞいている。

そう考えると、作家の名前を消すという実験は、作家を消すためのものではない。

名前を消したあと、それでも文章の中に残っているものを探す実験なのである。

作家が作品に署名するのは、原稿用紙の最後だけではないのかもしれない。

名前をすべて消したあとにも、句読点の一つ、助詞の一つ、一文を終える場所の一つ一つに、本人さえ気づかなかった小さな署名が残っている。

そして読者は、それを数字で測るよりずっと前から、「文体」と呼んでいたのである。

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本屋の風景は、ときどき一夜で変わる。

昨日まで新刊棚の片隅に一冊だけ置かれていた小説が、文学賞の発表翌日には平台の中央へ移り、何十冊もの山になる。「受賞」の文字を大きく刷った新しい帯が巻かれ、作者の名前が新聞やテレビに現れ、それまでその本の存在を知らなかった人まで書店で手に取る。静かに生まれた一冊の本が、文学賞を境に突然、社会の中央へ引き出されるのである。

その光景を見ていると、文学賞を取った作品は、それだけで名作への切符を手に入れたようにも思える。しかし、そこで時計を十年、二十年、五十年と進めてみると、風景はかなり違ってくる。

かつて大きく報じられた受賞作のなかには、いまも書店で新しい読者を待っている作品がある一方、文学に詳しい人でなければ題名さえ耳にする機会の少なくなった作品もある。逆に、受賞作そのものより、その作家が後に書いた別の小説のほうが代表作として読み継がれている場合も珍しくない。

文学賞を取ることと、長く読まれること。

私たちはこの二つをつい同じものとして考えてしまうが、実はそこには大きな距離がある。

文学賞が選ぶのは「その時代の優れた作品」である

日本を代表する文学賞である芥川龍之介賞と直木三十五賞は、文藝春秋の創業者である菊池寛が1935年に創設した。現在、芥川賞は雑誌に発表された新進作家による純文学の中・短編を、直木賞は新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本を対象としている。対象期間中の作品から候補作を選び、選考委員の討議によって受賞作を決める制度である。

ここで重要なのは、文学賞が制度上、「何十年後まで読まれる作品」を予測する仕組みではないことである。

選考委員が読むことのできるのは、いま目の前にある作品である。その文章がどのような完成度を持ち、同時代の文学の中でどのような意味を持つのかを判断することはできる。しかし、その作品を2050年や2070年の読者がどのように読むのかまでは分からない。

どれほど優れた選考委員を集めても、未来の読者を選考会へ呼ぶことはできない。

文学賞とは未来を予言する制度というより、現在という一点において「この作品には読む価値がある」と社会へ知らせる制度なのである。

だからこそ、受賞時の評価と数十年後の評価が一致しないことは、選考委員が間違えたことを直ちに意味しない。その作品が当時優れていたことと、半世紀後にも広く読まれていることは、そもそも別の問いだからである。

それでも文学賞には、実際に本を売る力がある

では文学賞とは、単なる名誉なのだろうか。

そうではない。

少なくとも「受賞によって本が売れる」という現象については、かなり強い実証的な根拠がある。

フランスで最も権威ある文学賞の一つであるゴンクール賞について、経済学者ニコラ・ラギオスとピエール=ギヨーム・メオンは、RDD(Regression Discontinuity Design・回帰不連続デザイン)という因果推論の手法を使って受賞の効果を調べている。

文学賞と販売部数を単純に比べるだけでは、「もともと売れそうな優れた作品だったから受賞したのではないか」という問題が残る。そこで研究者たちは、ゴンクール賞の投票で僅差で勝った作品と僅差で敗れた作品を比較した。似た水準まで評価された作品同士を比較することで、単なる相関ではなく、受賞そのものが販売に与えた影響へ近づこうとしたのである。

その推計では、ゴンクール賞の受賞によって販売部数が約350%増え、平均では約26万部の増加に相当するとされた。映画化や出版社などの要因を考慮した分析でも、受賞効果は統計的に有意だった。

文学賞には、本当に本を動かす力がある。

それは単に「権威ある人たちが高く評価したから」というだけではない。賞によって作品の存在そのものを初めて知る人が生まれ、「これほど話題になっているのだから読んでみよう」という読者も現れる。同じ本を多くの人が読むことで、学校や職場、友人同士の会話の対象にもなる。

文学賞は品質の評価であると同時に、巨大な情報装置でもあるのだ。

なぜ「受賞」の二文字だけで人は本を買うのか

毎年、世の中には膨大な数の本が出る。

読者にとって困難なのは、読む価値のある本が存在しないことではない。むしろ、本が多すぎて何を選べばよいのか分からないことにある。

そこで文学賞が働く。

書店に数千冊の本が並んでいても、「芥川賞受賞」「直木賞受賞」と書かれた帯があれば、読者には一つの理由が生まれる。自分で未知の作家を一から調べなくても、専門家による選考を通過したという情報を利用できるからである。

この効果は海外の文学賞でもはっきり現れる。

2018年にブッカー賞を受賞したアンナ・バーンズの『ミルクマン』は、受賞前の週に963部だった販売が、受賞翌週には9446部となった。前週比880%増、冊数で見れば約9.8倍である。その翌週にはさらに1万8786部まで伸びた。ブッカー賞の公式サイト自身が、こうした受賞後の急激な販売増を「ブッカー・バウンス」と呼んでいる。2020年の受賞作『Shuggie Bain』でも、受賞後の最初の一週間に英国で2万5000部以上が売れ、前週比約1900%増となった。

賞が人の目を本へ向ける力については、疑う余地はあまりない。

しかし、本当に面白いのはここからである。

受賞によって一度手に取られた本が、そのあとも読まれ続けるとは限らない。

賞によって読者は増えるが、「その本を好きな読者」だけが増えるわけではない

ゴンクール賞の研究には、売上以上に興味深い結果がある。

受賞するとAmazonに投稿されるレビューの数が増えた。しかし同時に、否定的なレビューになる確率も上昇していたのである。研究者たちは、文学賞によってそれまで作品の存在を知らなかった人だけでなく、本来自分の好みとは離れた作品を選ばなかったであろう読者まで本を読むようになることが、その一因ではないかと考えている。

これは文学賞という制度の性格をよく表している。

賞は作品と読者を出会わせる。

しかし、その二人の相性まで保証してくれるわけではない。

「受賞作だから読んでみよう」と手に取った人のなかには、強く感動する人もいれば、「なぜこれが受賞したのだろう」と首をかしげる人もいる。それでも重要なのは、それまでなら出会わなかったはずの作品と読者が出会ったことである。

受賞直後の読者には、賞によって集められた人々が数多く含まれている。

ところが十年後になると事情は変わる。

テレビはもう受賞を報じない。書店の正面に山積みされることもない。赤や金色の大きな受賞帯がなくなっても、その本を探す人がいるかどうか。

そこで初めて作品は、文学賞という大きな追い風から離れ、自分の足で歩き始める。

文学賞の効果は受賞直後だけでは終わらない

もっとも、「文学賞の効果は一時的な宣伝だけだ」と考えるのも正確ではない。

ゴンクール賞の研究では、1954年から2018年までの受賞を対象に範囲を広げ、2004年から2019年までの販売を使った分析も行われている。研究者自身がこれを受賞の長期的効果を推定する方法の一つと位置づけており、さまざまな条件を変えた分析でも、ゴンクール賞の効果は正で、通常用いられる統計的基準で有意だった。

つまり文学賞は、受賞翌週だけ本を売って終わるとは限らない。

受賞歴そのものが長く作品に付随し、文庫化や増刷、書店での陳列、批評、研究、読書案内などを通して、後の読者へ作品を届ける可能性を高める。

ただし、ここで一つ大きな線を引かなければならない。

「何年も販売されること」と「文学として長く残ること」は同じではない。

本が年間何千部売れているかは比較的数えやすい。しかし、作品が文学史に残ったかどうかを一つの数字で測ることは難しい。販売部数だけでなく、絶版にならず再版されているか、文庫として読めるか、図書館に所蔵されているか、翻訳されているか、学校や大学で読まれているか、研究や評論の対象になっているか、映像化によって新しい世代に再発見されているかといった複数の要素が関係する。

文学の生命は、売上という一本の物差しだけでは測れないのである。

受賞作が、その作家の代表作になるとも限らない

芥川賞の歴代受賞作を眺めると、さらに面白いことが分かる。

安部公房は『壁』、遠藤周作は『白い人』、松本清張は『或る「小倉日記」伝』、大江健三郎は『飼育』、村上龍は『限りなく透明に近いブルー』で受賞している。

しかし、その後の文学史を見れば、受賞作だけがその作家を支えてきたわけではない。

安部公房には『砂の女』があり、遠藤周作には『沈黙』があり、松本清張には『点と線』や『砂の器』がある。現在では、そうした受賞後の作品も広く代表作として知られている。

ここに文学賞の別の役割が見えてくる。

文学賞は、一冊の作品を永遠に残すための装置というより、作家をより大きな読者の前へ送り出す装置になることがある。

受賞をきっかけに名前を知った読者が次の作品を読み、出版社が新作を刊行し、作家自身もさらに書き続ける。その過程で、受賞作とは別の作品が後世の代表作になることもある。

そう考えると、受賞作が数十年後に何部売れているかだけで文学賞の成否を判断するのは狭すぎる。

賞はゴールというより、しばしば長い作家生活の途中に置かれた巨大な分岐点なのである。

同じブッカー賞受賞作でも、時間がたつと売れ方は大きく分かれる

受賞すれば、その後の運命まで同じになるわけではない。

英国では2004年、書店チェーンのWaterstonesとNielsen BookScanの販売データを用いて、歴代ブッカー賞受賞作が直近一年間にどれだけ売れていたのかを調べた結果が報じられた。

その時点で、1978年の受賞作であるアイリス・マードックの『The Sea, The Sea』は年間約7600部売れていた。一方、前年の1977年に受賞したポール・スコットの『Staying On』は17部で、1969年の第1回受賞作『Something to Answer For』はその一年間には販売が確認されなかった。もちろんこれは2004年という一時点の英国販売データであり、現在の販売状況を示しているわけではない。それでも、同じ「ブッカー賞受賞作」という条件を持ちながら、長い時間が経過した後の販売には極端な差が生じていたことは分かる。

2012年にNielsen BookScanのデータをまとめた別の資料でも、受賞後の累積販売には大きな開きが見られる。2002年受賞のヤン・マーテル『Life of Pi』は1998年以降の集計で130万部を超えていたのに対し、ほかの歴代受賞作には数万部規模にとどまるものもあった。

つまり文学賞は長期的な成功の確率を有利にすることはあっても、その結果を一様にはしない。

受賞は未来を決定する運命ではなく、未来へ向かう条件の一つなのである。

長く読まれる本は、何度も「再発見」される

では、文学賞の力が薄れたあと、何が作品を残すのだろう。

ここから先は、売上統計だけでは答えられない領域になる。

出版社が作品を刊行し続けること、文庫として手に入りやすい価格で残すこと、図書館が所蔵すること、評論家や作家が語ること、学校や大学で取り上げられること、映画やテレビドラマになること。そうした複数の経路が、作品と新しい読者との接点をつくっていく。

『The Cambridge History of Japanese Literature』でも、文学全集や芥川賞のような制度が、特定の作品へ文化的な権威や威信を与え、同時に作品を商品として広く流通させる装置になってきたことが論じられている。芥川賞そのものも、単なる作品評価だけでなく、近代日本文学の正典化と大衆化に関わる仕組みの一つとして位置づけられている。

しかし、それでも制度だけでは十分ではない。

何十年か前に読んだ人が再びページを開く。ある作家の新しい作品から過去の作品へ遡る。映画を見た若者が原作を探す。古本屋で偶然見つけた一冊を、知らない世代の読者が持ち帰る。

そうやって作品は、ときに忘れられ、ときに呼び戻される。

古典とは、一度も忘れられなかった作品だけを指すのではないのかもしれない。

何度忘れられても、そのたびに誰かに発見される作品。

その繰り返しのなかで、時間を超えていく本が生まれるのではないだろうか。

「普遍的だから残る」と簡単には言えない

よく、長く読まれる作品には「人間の普遍的な問題」が描かれていると言われる。

孤独、愛、家族、欲望、死、嫉妬、社会との違和感。

確かに、時代が変わっても消えない問題を扱う作品ほど、新しい世代が自分自身の物語として読み直しやすいように思える。

しかし、ここは慎重に考えなければならない。

長く読まれている本に普遍的な主題が多いからといって、「普遍的な主題を書けば長く残る」とは限らないからである。作品の寿命には、文章そのものの力だけでなく、作家の知名度、出版社、文庫化、価格、書店流通、教育、批評、翻訳、映像化、時代ごとの関心など、多くの条件が重なっている。

文学作品の長期的な生存は、一つの原因で説明できる現象ではない。

だから文学賞についても、「賞を取ったから残った」と単純に考えることはできないし、「賞とは関係なく作品の力だけで残った」と言い切ることも難しい。

文学は作品だけで生きているのではなく、作品を取り巻く社会全体の中で生きているのである。

文学賞の歴代一覧には、「時間」というもう一人の選考委員がいる

芥川賞や直木賞の歴代受賞者一覧を古い時代まで遡っていくと、不思議な感覚になる。

現在も作品が書店に並び続けている作家がいる。その一方で、当時は同じように受賞者として新聞に名前を載せながら、現在では文学史の中でしか出会うことの少なくなった作家もいる。公式記録には、現在の知名度とは無関係に、その時代に選ばれた作品が同じ形式で並んでいる。

そこにあるのは、選考委員が正しかったか間違っていたかという単純な物語ではない。

文学賞の選考会が終わった瞬間から、もう一つの長い選考が始まっているのである。

選考委員の名前は「時間」。

審査期間は数十年、ときには百年以上。

毎年少しずつ読者が入れ替わり、書店の棚から本が消え、別の本が復刊され、新しい批評が生まれ、新しい世代が作品を読み直す。その過程で、作品は何度も評価され直していく。

この選考会には受賞式がない。

結果が発表される日もない。

ただ、何十年か後の書店や図書館を見れば、その途中経過だけは分かる。

文学史とは、そういう途方もなく長い選考会なのかもしれない。

文学賞は「名作の証明書」ではなく、未来へ渡すための強い切符である

では、「文学賞を取った作品は本当に長く読まれるのか」という最初の問いに戻ろう。

答えは、「文学賞を取れば必ず長く読まれる」ではない。

しかし、「文学賞は長く読まれることとは無関係だ」でもない。

研究が比較的強く示しているのは、文学賞が作品の認知度を高め、販売を増やし、その効果が長期の販売にも及びうることである。さらに賞による文化的な権威は、増刷や文庫化、批評や研究といった、作品が次の世代へ渡っていくための条件を有利にする。

その意味で文学賞は、長く読まれるための十分条件ではないが、作品の生存確率を高めうる有力な要因の一つだと考えるのが最も妥当だろう。

ただし、賞ができるのはそこまでである。

賞は本を読者の前へ連れてくる。

書店の中央に置き、新聞に名前を載せ、何万人、何十万人という人に「この本を読んでみよう」と思わせることができる。

けれど十年後、その本をもう一度棚から取り出すかどうかまでは決められない。

二十年後、新しい読者へ薦めるかどうかも決められない。

五十年後、その作品の中に自分自身の時代を読み取る人がいるかどうかも決められない。

考えてみれば、それは文学にとって幸運なことなのだろう。

もし受賞した作品だけが後世に残るのであれば、文学史は少数の選考委員によって決められてしまう。しかし実際には、賞を取った本が忘れられることもあれば、賞とは別の場所にいた作品が後から読み直されることもある。ある時代には古びたと思われた作品が、別の時代には驚くほど新しく見えることさえある。

文学には、権威だけでは支配できない時間が流れている。

文学賞が選ぶのは、その時代の一冊である。

その本を長く読む本に変えていくのは、出版社でも評論家でも選考委員でもなく、何十年にもわたってページを開き続ける、名もない読者たちなのだ。

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城山三郎に匹敵する現在の作家はだれか~経済小説の「後継者」を探してみる

城山三郎の小説を読み終えたあとには、独特の静けさが残る。

派手などんでん返しがあるわけではない。悪人が倒され、主人公が喝采のなかを去っていくわけでもない。それでも本を閉じたあと、しばらくその人物のことを考えてしまう。会社や官庁や国家という、自分一人の力ではどうにもならないほど大きなものの中で、人はどこまで自分の考えを守れるのか。仕事に人生を注いだとして、その仕事が終わったとき自分には何が残っているのか。城山三郎の小説には、いつもそんな問いが沈んでいる。

だから、「現在、城山三郎に匹敵する作家は誰か」と考え始めると、意外なほど答えに困る。

企業小説を書いている作家を探せば済む話ではないからだ。銀行や商社について詳しく書けるだけでも足りない。企業を描きながら経済へ視野を広げ、経済を追っていくうちに政治や国家へ行き着き、それでも最後には、その巨大な仕組みの中にいる一人の人間へ戻ってくる。城山三郎の大きさは、その視線の往復にあった。

ここでいう「匹敵する」とは、文学史上の格や販売部数を比較することではない。取材によって現実の社会をつかみ、その社会を動かしている組織を描きながら、そこで生きる人間の倫理や幸福まで問いかける。その作家としての構えが、どこまで城山三郎に近いのかという意味で考えてみたい。

そうすると、最終的には真山仁という名前が浮かんでくる。

しかし、そこへ一直線に進むわけにはいかない。城山三郎の後には高杉良がいて、その後に池井戸潤、黒木亮、楡周平といった作家たちがいる。むしろ彼らを順番に見ていくことで、城山三郎という作家が一人で担っていた領域の広さが、かえってはっきりしてくる。

城山三郎は経済を書きながら、人間を書いていた

城山三郎は「経済小説の開拓者」と呼ばれてきた。『総会屋錦城』で直木賞を受賞し、『官僚たちの夏』『役員室午後三時』『毎日が日曜日』『男子の本懐』など、企業や官僚、経済政策を正面から扱う作品を残したのだから、その呼び方は間違っていない。

けれども、城山作品を何冊か続けて読むと、「経済小説家」という言葉だけでは何かがこぼれ落ちるように感じられる。

『官僚たちの夏』で描かれるのは、通商産業省という官僚組織の内部で繰り広げられる政策と人事の闘いである。そこには高度経済成長へ向かう日本があり、産業界との緊張があり、官僚同士の考え方の違いがある。しかし読者が最後まで見つめることになるのは、制度そのものではない。その制度の中で、何を信じて働くのかを迫られる人間たちである。

『男子の本懐』でも同じことが起きる。金解禁という経済政策を題材にしながら、読み進めるほど政策論よりも浜口雄幸や井上準之助という人物の生き方が前へ出てくる。国家のために行った決断が正しかったのかという問題と同時に、そこまでして人は何のために仕事をするのかという問いが残る。

『毎日が日曜日』になると、その視線はさらに私生活へ入っていく。商社マンとして成功することと、一人の人間として幸福であることは同じなのか。仕事に尽くすことが、そのまま家族を幸せにすることになるのか。高度成長期にはあまり疑われなかった価値観に、城山は静かに亀裂を入れていく。

つまり城山三郎にとって、会社も官庁も経済政策も、最終目的ではなかったのだろう。それらは人間を試す巨大な装置だった。

そのため、城山作品では出世や成功が結論にならない。たとえ社長になっても、次官になっても、大きな政策を実現しても、「それでその人の人生は幸福だったのか」という問いが最後に残る。

ここが、後の経済小説家を考えるときの出発点になる。

高杉良を抜きにして、城山三郎の後継者は語れない

城山三郎の後に経済小説を大きく広げた作家として、まず高杉良を置かなければならない。

石油化学の専門紙記者を経験した高杉は、企業の内部へ徹底して入り込み、経営者や社員の行動を詳細な取材によって描いてきた。『虚構の城』『小説 日本興業銀行』『金融腐蝕列島』『不撓不屈』『小説ヤマト運輸』などを見れば、戦後日本の企業社会そのものを文学の題材にしてきた作家であることが分かる。

その意味では、城山三郎の経済小説を最も直接的に受け継いだのは高杉良だった、と考えるほうが自然である。

二人には共通するところが多い。会社を抽象的な舞台として扱うのではなく、実際の産業構造や経営の仕組みを調べ、そこで働く人間がなぜその判断をするのかを描く。経済知識は物語の背景ではなく、登場人物の運命を決める条件になっている。

ただ、読み比べていくと、わずかな違いも見えてくる。

高杉良は企業社会の内部へ深く入っていく。経営判断、企業統治、金融、労働組合といった現実を精密に描くことで、日本企業の実像を見せる。それに対して城山三郎は、ときに企業の壁を越えて国家へ向かう。官僚や政治家を描き、国家が個人に何を求めるのかまで考えたうえで、再び一人の人生へ戻ってくる。

だから、高杉良を通過してなお「現在の城山三郎」を探そうとすると、その先には企業社会だけではなく、国家まで描こうとする作家が必要になってくる。

池井戸潤は、会社で働く人間を再び国民的物語にした

そこで浮かぶのが池井戸潤である。

「半沢直樹」シリーズ、『下町ロケット』『空飛ぶタイヤ』『七つの会議』『鉄の骨』。現代日本で、会社という場所をこれほど多くの読者にとって身近な物語へ変えた作家は珍しい。

興味深いのは、池井戸自身が企業そのものを書くことよりも、その中にいる人間を書くことが目的だと語っていることである。

この考え方は城山三郎に近い。

池井戸作品の銀行やメーカーは、単に物語を成立させるための背景ではない。そこで働く人間は人事評価に左右され、上司の判断に振り回され、会社の論理と自分の倫理の間で迷う。組織は人を守る一方で、人を縛る。その二面性を物語として読ませる力は、城山三郎の系譜にあると考えてよいだろう。

しかし、二人を続けて読むと、読後感には違いがある。

池井戸作品では、理不尽な状況に置かれた人物が、それでも正面から問題に立ち向かう。その姿を追うこと自体が、強い物語になる。読者は主人公と一緒に怒り、ときには反撃の瞬間に快感を覚える。

城山三郎は、それほど簡単に読者を解放してくれない。

正しい人物が勝つとは限らない。信念を守ったからといって幸福になるとも限らない。仕事で成功しても、失った時間や家族との距離が元へ戻るわけではない。

池井戸潤が「組織の中で人はどう闘うか」を描く作家だとすれば、城山三郎はその闘いが終わったあと、「では、その人生は何だったのか」と尋ねる。

だから池井戸潤は、城山三郎が持っていた力の一部を非常に強く受け継いでいる。しかし、それだけで二人を同じ場所へ置くことはできない。

黒木亮は、経済そのものをドラマに変える

もう一人、城山三郎との距離を考えたくなるのが黒木亮である。

都市銀行、証券会社、総合商社で実務を経験した黒木は、『トップ・レフト』をはじめ、『巨大投資銀行』『カラ売り屋』『排出権商人』『鉄のあけぼの』など、国際金融や企業活動の仕組みそのものを小説にしてきた。2026年に文庫化された『メイク・バンカブル! イギリス国際金融浪漫』は小説ではなく、自身の国際金融経験を描いた自伝ノンフィクションだが、その経歴を知ると、黒木作品がなぜあれほど金融実務に深く入り込めるのかが理解できる。

黒木亮の小説では、数字や制度が生きている。

融資条件が変われば企業の運命が変わる。金利が動けば判断が変わる。市場の信用が失われれば、昨日まで成立していた取引が今日には成立しない。その変化の中で人間が追い込まれていく。

経済の仕組みそのものがドラマを生むのである。

この感覚は城山三郎とよく似ている。城山作品でも、企業や政策の仕組みを理解しなければ人物の行動を本当には理解できない。

ただ、黒木亮は国際金融という専門領域へ深く潜っていく。その深さこそ魅力なのだが、城山三郎がしばしば向かった人生論や国家論とは、少し違う方向へ作品世界が伸びている。

経済のリアリティーという一点なら、黒木亮は城山三郎に匹敵する有力な存在である。しかし、城山三郎の全体像を考えると、やはりまだ何かが違う。

楡周平は、会社の向こうにある社会まで見ようとする

楡周平になると、視線は再び社会全体へ広がっていく。

ハードボイルドやミステリーから出発した楡は、『再生巨流』『プラチナタウン』などを通じて、企業経営だけではなく、物流、地域社会、人口問題といったテーマを作品へ取り込んできた。

楡作品を読んでいると、企業が社会の中で孤立して存在しているわけではないことがよく分かる。

物流が変われば小売業が変わる。小売業が変われば町の姿が変わる。人口が減れば市場が縮み、自治体の経営も変わる。一つの企業の決定が、取引先や従業員だけでなく、地域そのものへ波及していく。

企業を社会の装置として見るのである。

この視線にも城山三郎との共通性がある。

ただし楡周平の場合、現在の変化を捉えながら、「この先、社会はどうなっていくのか」という方向へ物語が進むことが多い。城山三郎が一人の人物の内側へゆっくり降りていくとすれば、楡周平は社会の未来へ視線を伸ばしていく。

だから、ここでも城山三郎の一部分が受け継がれているのだが、まだ一人の作家には重ならない。

真山仁に、城山三郎と同じ「国家を見る癖」がある

こうして見ていくと、真山仁の位置が少しずつ見えてくる。

真山は企業買収を題材とした『ハゲタカ』で知られるようになったが、その後、作品の射程を企業の内部だけにとどめなかった。エネルギー、農業、原子力、政治、財政、安全保障へと題材を広げていった。

ここが重要なのである。

企業買収だけを書いていたなら、有力な企業小説家の一人で終わっていたかもしれない。しかし真山仁は、企業の問題を追いかけていくうちに、その企業を動かしている制度へ進み、制度を追っているうちに政治へ行き、政治を追っているうちに国家のあり方へ到達する。

2025年の『アラート』では、安全保障と防衛費、税制、政治判断が一つの物語の中で結びつけられた。安全保障というテーマだけなら政治小説になるし、防衛費だけなら財政論になる。しかし真山は、制度を説明して終わらない。その制度について判断しなければならない人間を置き、その人物に決断させる。

ここに城山三郎との近さがある。

城山三郎も制度そのものを主人公にはしなかった。産業政策を書くときにも、その政策を進める官僚を描いた。金融政策を書くときにも、その政策に生命を賭ける人物を描いた。

社会を理解するために取材し、制度を理解し、そのうえで最後には一人の人間へ戻る。

企業、経済、政治、国家、そして個人。

この視線の動きだけを取り出すなら、現在の作家の中で真山仁はかなり城山三郎に近い場所にいる。

一人の後継者を探すこと自体が、間違っているのかもしれない

ここまで来ると、最初の問いが少し変わって見えてくる。

城山三郎の後継者を一人だけ探そうとするから、答えが見つからないのではないか。

高杉良には、企業社会を徹底して取材し、その内部を描く力がある。池井戸潤には、会社で働く人間を多くの読者が感情移入できる物語へ変える力がある。黒木亮には、金融や経済の複雑な仕組みそのものを小説の緊張感へ変える力がある。楡周平には、企業活動の先にある社会の変化を見通す視線がある。そして真山仁には、経済から政治へ、政治から国家へと視野を広げる力がある。

そうして並べてみると、別のことに気づく。

城山三郎は、それらをかなりの程度、一人でやっていたのである。

そこに城山三郎という作家の大きさがある。

もちろん、これは現代の作家たちが城山三郎より劣っているという意味ではない。むしろ、社会の側が変わったと考えたほうがいい。

城山三郎が描いた高度経済成長期には、企業の成長と日本経済の成長、官僚の産業政策と国家の方向を、現在よりも一本の物語として結びつけやすかった。

しかし現代では、日本企業が成長しても、その利益や雇用が国内だけにとどまるとは限らない。資本は国境を越え、人材も国境を越える。人口減少と社会保障、エネルギーと安全保障、人工知能と雇用、地方衰退と財政問題が互いに絡み合っている。

現代の経済を書くことは、ほとんど社会全体を書くことに近い。

一人の作家がそのすべてを同じ深さで描くことは、城山三郎の時代より難しくなっている。

だから現在、城山三郎の仕事は何人もの作家へ分かれて受け継がれているように見えるのである。

城山三郎が最後に見ていたのは「成功」ではなかった

それでも城山三郎には、現在の経済小説と少し違うところがある。

城山は、成功したかどうかだけでは人間を評価しなかった。

社長になった。次官になった。政策を実現した。会社を立て直した。

普通の企業小説なら、そこが物語の頂点になり得る。

しかし城山三郎は、そのあとを見る。

その仕事のために何を失ったのか。家族との時間はどうなったのか。信念を守るためにどれほど孤独になったのか。そして肩書も役職も消えたあと、その人には何が残っているのか。

だから城山三郎の作品は、読む年齢によって印象が変わる。

若いころに『官僚たちの夏』を読めば、能力ある官僚たちが国の産業政策をめぐって競い合う仕事の小説として読める。

しかし年齢を重ねると、別のものが見えてくる。

あれほど仕事をした人間に、最後には何が残ったのか。

出世とは何だったのか。

組織に尽くすとは何だったのか。

仕事に費やした何十年という時間は、その人の人生にとって何だったのか。

企業小説だと思って読んでいたものが、いつの間にか人生小説へ変わる。

これこそ城山三郎が簡単には古びない理由なのかもしれない。

それでも一人だけ選ぶなら、真山仁ではないか

それでは、最初の問いへ戻ろう。

城山三郎に匹敵する現在の作家は誰なのか。

経済小説の歴史を直接継いだ人物という意味なら、高杉良を抜きにすることはできない。

会社で働く人間を現代の大衆小説として描く力では、池井戸潤が非常に強い。

金融実務のリアリティーなら黒木亮がいるし、産業構造の変化から社会の未来を見るなら楡周平がいる。

しかし、経済から政治へ、政治から国家へ視線を広げ、その巨大な仕組みの中で決断を迫られる人間へ戻ってくるという城山三郎の作家性を基準にするなら、現在もっとも近い位置にいるのは真山仁ではないかと思う。

もちろん、真山仁を「第二の城山三郎」と呼ぶ必要はない。

二人の時代が違いすぎるからである。

むしろ想像してみると面白い。

もし城山三郎が2026年の日本に生きていたなら、何を書いただろう。

高度経済成長を牽引する通産官僚ではなく、人口減少に直面する地方自治体を歩いたかもしれない。半導体工場を訪ね、電力会社を取材し、防衛産業の現場へ入り、財務官僚と話し、海外資本による日本企業の買収を調べ、人工知能によって仕事の形が変わろうとしている人々にも会ったかもしれない。

けれども、どれほど巨大なテーマを取材したとしても、最後に書くものは制度そのものではなかったように思う。

その制度の中で、一つの決断をしなければならない人間を探したはずである。

会社を守るとは何なのか。

国益とは何なのか。

仕事とは何なのか。

そして、そのために人生のどこまでを差し出してよいのか。

城山三郎が問い続けたのは、おそらくそういうことだった。

その視線で現在の経済小説を見渡すと、真山仁は確かに近い。

けれども、完全に同じ場所にはいない。

池井戸潤は企業で働く人間の側から近づき、黒木亮は国際金融の現場から近づく。楡周平は産業と社会の未来から近づき、その前には高杉良という大きな先達がいる。

それでも、誰一人として城山三郎と同じ椅子には座っていない。

あるいは、その椅子は一人の作家が座るには、もう大きすぎるのかもしれない。

現在の経済小説には、城山三郎の後継者たちはいる。

しかし、城山三郎そのものの後継者は、まだいない。

それでも一人だけ名前を挙げるなら、経済を通して国家を見つめ、国家を描きながら最後には人間の決断へ戻ってくる作家として、真山仁を挙げたい。

そして、一人の名前では埋めることのできないその空白こそが、城山三郎という作家が日本の経済小説、そして日本文学そのものに残した場所の大きさを、何よりよく物語っているのではないだろうか。

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毎年、夏と冬になると「芥川賞」「直木賞」という言葉がニュースに現れる。文学にそれほど関心がない人でも、この二つの名前だけは知っているだろう。受賞者が記者会見を開き、書店には受賞作を積み上げた棚ができ、ときには作品そのもの以上に、受賞した作家の経歴や人物像がニュースになる。

ところが、考えてみると少し不思議である。

なぜ日本には、これほど有名な文学賞が二つ並んで存在しているのだろう。芥川賞は純文学、直木賞は大衆文学やエンターテインメント小説を対象とする、という説明はよく知られている。しかし、それだけでは両賞の「違い」は分かっても、「なぜ二つの賞が必要だったのか」という問いにはまだ答えていない。

その答えを探すには、1935年の第1回授賞より、さらに一年さかのぼる必要がある。

1934年4月、『文藝春秋』の「話の屑籠」で、菊池寛はすでに二つの文学賞の構想を書いていた。直木三十五を記念する賞を大衆文芸の新進作家に、芥川龍之介を記念する賞を純文芸の新進作家に贈りたい、というのである。つまり芥川賞と直木賞は、後になって一つの文学賞を二種類に分割したものではない。構想された最初の段階から、異なる二つの文学領域に新しい書き手を送り出す、二本立ての制度として考えられていた。

ここを起点にすると、芥川賞と直木賞の姿は、現在私たちが抱いている「権威ある文学賞」というイメージとは少し違って見えてくる。

この二つの賞の原点にあったのは、文学作品に順位をつけることだけではない。

まだ名前の知られていない作家を、文学の世界へ押し出すことだった。

二つの賞は、二人の死から生まれた

物語の中心にいるのは、芥川龍之介でも直木三十五でもない。『文藝春秋』を創刊した作家・菊池寛である。

芥川龍之介は1927年に亡くなり、直木三十五も1934年に世を去った。二人はいずれも菊池寛と親しく、『文藝春秋』とも深い関係を持っていた。芥川は創刊号から「侏儒の言葉」を連載し、直木も小説だけでなく多くの記事を寄稿していた。

現在から振り返れば、芥川龍之介は近代日本文学を代表する作家であり、直木三十五は大衆文芸を代表する名前として記憶されている。しかし、当時の二人は教科書や文学史の中にいる「文豪」ではなかった。雑誌という新しいメディアの中で作品を書き、読者に読まれ、同時代の文壇を生きていた現役の作家だった。

その二人を相次いで失った菊池は、1934年の段階で二つの賞を構想し、翌1935年1月号の『文藝春秋』で、その実施を正式に表明する。

その目的について菊池は、亡くなった友人を記念すると同時に、無名、あるいは無名に近い新進作家を世に出したいという趣旨を明確に書いている。さらに当選者については、賞を与えるだけではなく、その後の作家としての進展も文藝春秋社が援助するという考えを示していた。

つまり、この賞の出発点にあったのは、すでに完成した大家を表彰することではなかった。

まだ世間が知らない才能を見つけ、名前を与え、その後の作家人生まで押し出していこうという発想だったのである。

ここを理解すると、芥川賞と直木賞の見え方はかなり変わってくる。

あれはもともと、「その年の日本で最も優れた小説を決める大会」として始まったわけではないのだ。

文学賞というより「作家を世に出す装置」だった

作家になるということを、少し昔の時代に置き換えて考えてみたい。

インターネットはなく、個人が自分の作品を世界中へ公開することもできない。小説を書いた若者がどれほど才能を持っていても、雑誌編集者の目に留まり、作品が掲載され、そこで初めて読者に名前を覚えてもらう。その回路に乗れなければ、優れた作品を書いていても、その存在を知ってもらうことさえ難しかった。

だからこそ、近代以降の文学の世界では、「誰が新人を見つけるのか」という問題が大きな意味を持つ。

菊池寛は、そこに文学賞を置いた。

しかも興味深いことに、芥川賞も直木賞も、公募によって原稿を集める新人賞ではない。その性格は現在まで引き継がれており、芥川賞は雑誌や同人雑誌に発表された新進作家の純文学作品、直木賞は新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本から選ばれる。

作家自身が「芥川賞に応募します」「直木賞に応募します」と原稿を送る制度ではない。

すでに文学や出版の世界のどこかに姿を現し始めている作品を探し、その中から次に広く世に送り出す作品と作家を選ぶ仕組みなのである。

これは一般的なコンクールとはかなり違う。

文学賞が作品を選ぶ。その名前を新聞や雑誌が報じる。書店が本を並べる。そこで初めて、多くの読者がその作家の存在を知る。読者が作品を読み、出版社が次の本を出し、作家はさらに新しい作品を書く。

そう考えると文学賞とは、作品に栄誉を与える制度であると同時に、才能と読者のあいだに橋を架ける出版文化の仕組みでもあったことが分かる。

菊池寛が創設時に、受賞者について賞を与えるだけでなく、その後の進展まで援助する考えを示していたのは、この賞の性格をよく表している。

賞金を渡して終わりではない。

「この人を世に出す」。

そこまで含めて、文学賞を考えていたのである。

では、なぜ芥川賞と直木賞の二つが必要だったのか

ここでようやく、「なぜ一つではなく二つなのか」という疑問に戻ることができる。

その答えは、1934年に菊池寛が最初の構想を記した時点ですでに示されていた。純文芸の新進作家には芥川の名を冠した賞を、大衆文芸の新進作家には直木の名を冠した賞を与える。二つの文学を一つの物差しで測るのではなく、それぞれの世界から新しい書き手を送り出そうとしていたのである。

現在の制度では、芥川賞は新進作家による純文学の中・短編作品、直木賞は新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の長編小説や短編集が対象となっている。

しかし、これを「芥川賞の方が文学的に上で、直木賞は読みやすい小説の賞」と理解してしまうと、二つの賞を設けた意味を見失ってしまう。

小説には、そもそも一つの物差ししかないわけではない。

文章そのものをどこまで研ぎ澄ますか。人間の内面をどこまで深く掘り下げるか。これまで存在しなかった表現をどのように生み出すか。そうした方向へ進む小説がある。

一方では、物語をどのように動かし、人物をどのように生かし、読者を何百ページも先へ連れていくのかを追求する小説もある。

両者は重なり合うこともあり、境界が明確に引けるわけでもない。しかし、少なくとも「どちらが上か」という関係ではない。小説という同じ器の中に、異なる価値の方向が存在しているのである。

芥川賞と直木賞が長く並び続けてきた面白さは、一つの基準で文学全体を序列化しなかったことにあるのかもしれない。

文学の新しい表現を探す道と、多くの読者を物語へ引き込む道。

二本の街道を残し、それぞれの先頭に新しい作家を送り出してきたのである。

芥川賞と直木賞では、受賞作が読者に届く道も少し違う

二つの賞の違いは、現在の発表のされ方にも表れている。

芥川賞の受賞作は『文藝春秋』に全文が掲載される。一方、直木賞の受賞作は『オール讀物』に一部が掲載される。

これは単なる編集上の違いではなく、そもそもの対象作品の形とも関係している。

芥川賞は雑誌に発表された中・短編作品が対象であるため、受賞作を一つの雑誌の中に全文収めることができる。読者は「今年の芥川賞は何だろう」と思えば、『文藝春秋』を買い、その場で作品そのものを読むことができる。

これに対して直木賞では、単行本として刊行された長編小説や短編集が対象になる。興味を持った読者は、受賞作が収録された本そのものを手に取ることになる。

その違いは、両賞が読者と出会う風景にも微妙な差を生んできた。

芥川賞では、それまで広く知られていなかった名前が受賞をきっかけに全国的に報じられ、その作品が一気に広い読者の注目を集めることがある。そこには現在も、「無名に近い新進作家を世に出す」という創設時の劇的な構造が残っている。

一方、現在の直木賞は新進作家だけでなく中堅作家も対象としており、芥川賞より作家歴の幅が広い。すでに何冊もの作品を発表し、一定の読者を持っている作家が候補になることも珍しくない。

そのため直木賞には、まったく知られていなかった新人を発見するだけでなく、それまで一部の読者に知られていた作家を、さらに広い読者へ届ける役割も生まれる。

二つの賞は似たように見えて、作家が受賞する時点の位置も、作品が読者へ届く道筋も、少しずつ違っているのである。

「受賞作なし」があることの意味

文学賞を単なる競争だと考えると、もう一つ不思議なことがある。

芥川賞にも直木賞にも「受賞作なし」がある。

競技大会なら、一位は原則として存在する。参加者の中で最も速かった人、最も高く跳んだ人を選べばよい。

しかし文学賞では、候補作品が並んでいても「今回は選ばない」という判断ができる。

これは文学の価値が、タイムや得点のようには測れないことを象徴している。

そして同時に、文学賞が「候補作品の中から機械的に一番を選ぶ仕組み」ではないことも示している。

芥川賞であれば、この作品には純文学の世界へ新しい何かを送り込む力があるのか。直木賞であれば、この作品はエンターテインメント小説の世界に新しい広がりをもたらすのか。

もちろん、実際の選考委員一人ひとりが同じ基準で判断しているわけではない。しかし、両賞が新しい文学や作家を世に送り出すという制度の趣旨から考えれば、問われているのは作品の完成度だけではなく、その作品がこれからの文学に何を加えるのか、ということでもあるのだろう。

だから意見が割れる。

だから選評が面白い。

そして、ときには何十年たってから、「なぜこの作品が受賞し、あの作品が選ばれなかったのか」と再び議論される。

文学賞の選考そのものが、その時代の文学観を記録する批評になっているのである。

文学賞は名作を決めるものなのか

ここまで来ると、さらに厄介な疑問が生まれる。

芥川賞や直木賞を取った作品は、本当に「名作」なのだろうか。

答えは、おそらくそれほど単純ではない。

受賞した瞬間には大きく報道されながら、その後ほとんど読まれなくなった作品もある。一方で、賞とは関係なく何十年も読み継がれる小説もある。

文学賞は、未来の読者まで決めることはできない。

そもそも菊池寛が作ろうとしたものも、百年後まで残る作品を予言する装置ではなかった。

まだ知られていない作家に光を当てることだった。

ここに、文学賞を見るときの重要な違いがある。

文学史は、後世の読者や研究者が長い時間をかけて作っていく。一方、文学賞は、その時代を生きている人間が「いま、この作品を世に送り出したい」と判断する制度である。

だから両者は一致しなくても不思議ではない。

むしろ何十年も前の受賞作を読み返してみれば、その作品が永遠の名作だったかどうかとは別に、「当時の文学者たちは何を新しいと考えていたのか」が見えてくる。

その意味では、文学賞の歴史を読むことは、日本人が小説に何を求めてきたのかを読むことでもある。

二つの文学賞が九十年以上残った理由

1935年に始まった二つの賞は、九十年以上たった現在まで続いている。

文学雑誌の発行部数が縮小し、本が以前ほど売れない時代になっても、芥川賞と直木賞の発表はニュースになる。書店には受賞作の棚ができ、普段は純文学を読まない人まで「今年の芥川賞は何だろう」と作品を手に取ることがある。

それは、この二つの賞が単なる表彰制度ではなく、文学と社会を定期的につなぎ直す「行事」になったからではないだろうか。

毎年、膨大な数の本が出版される。

そのすべてを読むことは誰にもできない。読者はいつも、本の海の前で「何を読めばいいのか」という問題に直面している。

そこへ半年に一度、芥川賞と直木賞が現れる。

今、この作家を読んでみませんか。

今、この小説について話してみませんか。

文学の世界から社会へ向かって、そう問いかける。

文学賞とは作家のためだけに存在しているのではないのかもしれない。読者に対して、まだ知らない一冊と出会う理由を与える制度でもあるのだ。

死者の名前を使って、未来の作家を生み出す

芥川賞と直木賞の歴史には、最後に一つの美しい逆説が残る。

二つの賞は、亡くなった作家の名前を記念するところから始まった。

芥川龍之介はすでにいない。

直木三十五もすでにいない。

それでも菊池寛は、二人の名前を記念碑の上に刻んで終わらせなかった。

芥川の名前を、これから現れる純文学の新進作家へ渡した。

直木の名前を、これから現れる大衆文芸の新進作家へ渡した。

だから芥川龍之介という名前の下から、何十人もの新しい作家が現れた。直木三十五という名前の下からも、時代ごとに新しい物語を書く作家が現れ続けた。

死者を記念するために作られた制度が、新しい書き手を生み出し続ける。

そう考えると、芥川賞と直木賞は過去を顕彰するための賞でありながら、最初から未来へ向かって設計された文学賞だったことが分かる。

では、芥川賞と直木賞は、そもそも何のための賞なのか。

優れた小説を表彰するため、と答えても間違いではない。

しかし、それだけでは、この二つの賞が九十年以上にわたって日本の文学と出版の中心に存在し続けてきた理由までは説明できない。

亡くなった二人の作家の名前を残しながら、その名前を次の世代の作家へ渡す。まだ広く知られていない才能を見つけ、出版社が押し出し、新聞や雑誌が伝え、書店が並べ、そして読者がその名前を覚える。

1934年、菊池寛が考えていたのは、純文芸と大衆文芸という二つの世界へ、それぞれ新しい作家を送り出すことだった。

九十年以上が過ぎても、その基本的な構図は驚くほど残っている。

芥川賞と直木賞が選び続けているものは、完成した「名作」だけではない。

これから誰が小説を書き続け、誰の言葉を私たちが読んでいくのか。

二つの賞が半年ごとに選んでいるのは、いわば日本文学の「次の時間」なのである。

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かつて町の書店の文庫棚には、赤川次郎の本が何冊も並んでいた。『三毛猫ホームズ』があり、『三姉妹探偵団』があり、『セーラー服と機関銃』があり、その隣にはまだ読んだことのない題名がいくつも続いている。一冊を読み終えても世界は閉じず、書店へ行けば次の一冊が待っていた。

赤川次郎という作家を考えるとき、この「いつも本があった」という記憶は軽く扱えない。

1976年、「幽霊列車」でオール讀物推理小説新人賞を受賞して作家としてデビューし、1978年に刊行された『三毛猫ホームズの推理』によって、一躍ベストセラー作家となった。新潮社の著者紹介では2024年1月時点ですでに著書は650冊を超えており、さらに2026年の山陰中央新報の報道では、これまでに刊行した本は約670冊、累計発行部数は3億部を超えるとされている。

3億部という数字は、単に「人気作家だった」という言葉だけでは説明しきれない。

ところが赤川次郎について語ろうとすると、しばしば最初に出てくる言葉は「読みやすい」である。それは確かに彼の作品の大きな特徴だろう。しかし、それだけでは何十年にもわたって膨大な読者を獲得した理由を説明したことにはならない。

むしろ考えるべきなのは、なぜ赤川次郎の「読みやすさ」が、あの時代のこれほど多くの人に必要とされたのかということである。

小説を読むための「構え」を取り払った

赤川次郎の小説を開くと、文章がこちらを威圧してこない。

長い背景説明を読み解いてからようやく物語が始まるのではなく、人が現れ、話し、何かが起こり、その結果として次の場面へ進んでいく。会話が物語を運び、登場人物の性格も、作者による長い説明ではなく、言葉や行動のなかから少しずつ見えてくる。

赤川作品について語られる「読みやすさ」は、単に漢字が少ないとか、一文が短いという意味ではない。むしろ、読者が物語へ入るまでに必要とする労力が小さいのである。

赤川次郎本人はインタビューのなかで、映画会社に勤めていた父親の影響から幼いころより映画を身近に見て育ったことを語っている。そうした経験を考えれば、彼の小説に見られる会話の速度や場面転換の軽快さに、映像的な感覚を見ることもできるだろう。出版社による作品紹介でも、赤川作品では会話やテンポの良さが大きな魅力として扱われてきた。

もちろん、映画を多く見たからそのまま文章が映像的になった、と単純に因果関係を決めつけることはできない。ただ、赤川作品を読んでいると、登場人物が現れ、しゃべり、場面が切り替わり、そのうち読者も事件のなかへ入り込んでいるという感覚がある。小説を読んでいるのに、どこか映画やテレビドラマを追っているような速度があるのだ。

しかし、この読みやすさを「簡単な小説」と言い換えてしまえば、本質を取り逃がす。

赤川次郎の小説では殺人が起こり、嫉妬があり、裏切りがあり、家族の秘密があり、ときにはかなり陰惨な出来事も起こる。題材だけを抜き出してみれば、決して軽いものばかりではない。それでも読者が重苦しさに押しつぶされずページを進められるのは、作者が物語と読者との間に巨大な壁をつくらないからである。

本を読むには教養が必要で、文学を理解するには訓練が必要で、名作を前にしたら少し襟を正さなければならない。そんな文学につきまとう無言の緊張から読者を解放し、「面白そうだから読んでみる」という、ごく普通の入口を大きく開いた。

赤川次郎の重要性は、まずそこにあったのではないだろうか。

強くない男と、動き出す女性たち

赤川次郎の小説には、もう一つ興味深い特徴がある。

主人公が必ずしも強くない。

『三毛猫ホームズ』の片山義太郎は刑事でありながら血を見ることが苦手で、女性にも弱い。昔ながらの探偵小説や刑事小説を考えれば、冷静沈着で頭脳明晰な男性主人公が事件を支配していても不思議ではない。しかし片山の周囲には行動力のある妹の晴美がいて、さらには人間以上の存在感を持つ三毛猫ホームズがいる。

事件解決の中心にいるのが、必ずしも「強い男」ではないのである。

この構図は『セーラー服と機関銃』になると、さらに鮮明になる。

主人公の星泉は17歳の女子高校生でありながら、父の死をきっかけとして小さな暴力団の組長になる。女子高校生と暴力団という、本来なら決して結びつかない二つの世界を組み合わせることで、物語そのものに強烈な入口をつくった。

ここで面白いのは、赤川次郎が最初から超人的な人物を主人公にしたのではなく、ごく普通の人物を、普通なら起こり得ない状況へ放り込んだことである。

女子高校生が組長になる。猫が人間よりも鋭く事件を見る。女性が苦手な刑事が女性たちに囲まれて捜査する。

設定だけ取り出せば漫画のようにも見える。しかし、その軽やかな入口があったからこそ、それまで本格的な推理小説には近づかなかった読者も物語へ入ることができた。

文春文庫の歴史を振り返る出版社側の回顧でも、1980年代には赤川次郎や星新一が中学生、高校生に広く読まれ、それまで以上に若い世代へ文庫読者が広がったことが語られている。

これは赤川次郎を考えるうえで非常に重要な事実である。

彼は、すでに本をたくさん読んでいる人だけを相手にしたのではなかった。

これから本を読む人を、読者にしたのである。

赤川次郎が現れたころ、文庫本そのものが変わっていた

しかし、どれほど読みやすく面白い作家であっても、時代と出会わなければ3億部という巨大な数字にはならない。

赤川次郎が作家として走り始めた1970年代後半から1980年代は、日本の文庫をめぐる環境そのものが大きく変わっていた。

1970年代前半には講談社文庫、中公文庫、文春文庫などが相次いで創刊され、それまでの岩波文庫、新潮文庫、角川文庫などを中心とした文庫市場に新しい競争が生まれた。文庫本は、すでに評価の定まった文学作品を廉価版で読むためだけの存在ではなく、新しい作品や娯楽小説を楽しむための身近な商品へと変わっていく。

その流れをさらに加速させたのが角川書店だった。

角川映画では映画と原作本を結びつけ、大規模な広告宣伝によって作品そのものを一つの文化現象へと変えていった。国立国会図書館による戦後ベストセラー史の整理でも、この時代には映画と文庫を結びつけたメディアミックスが多くのベストセラーを生み出したことが指摘されている。

そこへ『セーラー服と機関銃』が現れる。

1978年に刊行された原作は、1981年に薬師丸ひろ子主演で映画化され、大きな話題となった。作品は書店で「読むもの」であるだけでなく、映画館で「見るもの」となり、主題歌を通じて「聴くもの」にまで広がっていった。

文学作品が書店の棚だけに存在するのではなく、映画、テレビ、雑誌、音楽、広告を行き来する。その流れの中心近くに赤川次郎の作品はあった。

だから赤川作品を手に取った人すべてが、最初から「赤川次郎という作家を読もう」と考えていたわけではなかっただろう。

映画を見たから読む。テレビドラマで知ったから読む。友人が持っていたから読む。書店の棚に何冊も並んでいたから一冊買ってみる。そして一冊が面白ければ、別の作品へ進む。

文学史を考えるとき、私たちはつい、作家が作品を書き、作品が評価され、その結果として読者が読むという順序を想像する。

しかし実際の大衆的な読書は、そんなに整然としていない。

表紙が気になったから買うこともある。映画を見たから原作を読むこともある。題名が面白そうだから手に取ることもある。

赤川次郎は、そうした偶然の入口から入ってきた人を、きちんと次のページへ連れていくことのできる作家だった。

一冊で終わらせなかった「シリーズ」という力

赤川次郎の膨大な作品数を、単純に「多作だった」という言葉だけで説明するのも十分ではない。

『三毛猫ホームズ』『三姉妹探偵団』『幽霊』『杉原爽香』『吸血鬼』など、彼は数多くのシリーズを書いてきた。

そこには、本を読むという行為を一回限りの勝負にしない強さがある。

初めて読む小説には、わずかな緊張がある。知らない世界に入り、知らない人物の名前を覚え、作者の文体にも慣れなければならない。

しかし一度知ったシリーズなら、その負担は小さくなる。

読者は片山義太郎を知っている。晴美を知っている。ホームズを知っている。本を開いた瞬間、しばらく会っていなかった知人のところへ帰ってきたような安心感がある。

これは連続テレビドラマにも少し似ている。

事件は毎回変わる。しかし帰る場所は変わらない。

シリーズ小説の強さとは、毎回新しい事件を提供することだけではなく、「またここへ来たい」と思わせる世界をつくることにある。

だから一冊のベストセラーが、一冊だけで終わらない。

赤川次郎を一冊読んだ人が二冊目を読み、二冊目を読んだ人が三冊目へ進む。その積み重ねが、やがて信じがたいほど巨大な読者数へつながっていく。

そして1978年に始まった『三毛猫ホームズ』は、半世紀近くを経た2026年にも新作が刊行されている。

その事実だけでも、赤川次郎と読者との関係が、一時的な流行では説明できないほど長く続いてきたことが分かる。

「軽い」という評価で見えなくなったもの

これほど読まれた作家でありながら、赤川次郎を語るときには、ときどき奇妙な遠慮がつきまとう。

読みやすいけれど、文学的にはどうなのか。

そんな問いである。

しかし、そもそも小説は難しくなければ文学ではないのだろうか。

文章に長い修飾があり、思想的な言葉が並び、一度読んだだけでは意味をつかみにくいことが、文学の価値なのだろうか。

もちろん、難解さからしか生まれない文学がある。時間をかけて読み返すことで初めて見えてくる作品もある。それを否定する必要はまったくない。

けれどもその反対に、複雑な人間関係や社会の不条理を、できるだけ平易な言葉に落とし込み、読者を物語から離さない文学もある。

赤川次郎の小説は、読者に努力を要求するより先に、物語の面白さを渡した。

一見すると簡単なことのように思えるが、実際には難しい。

説明を減らしすぎれば人物が薄くなる。会話を増やしすぎれば物語が軽くなる。展開を速くすれば感情を描く時間がなくなる。それでも読者を迷わせず、事件を進め、登場人物を生かし、一冊の物語として着地させなければならない。

しかも、それを何百冊にもわたって続けている。

読みやすい文章とは、必ずしも書きやすい文章ではないのである。

本を読まなかったかもしれない人を、本の側へ連れてきた

赤川次郎の文学的な役割を考えるとき、作品の技巧や売上だけでは見えにくいものがある。

それは、本を読む習慣のなかった人を、本の側へ連れてきたことである。

中学生や高校生にも、通勤電車のなかで少しだけ読みたい会社員にも、難しい小説には気後れしてしまう人にも、赤川作品には入っていける入口があった。

そこには猫がいて、女子高校生がいて、少し頼りない刑事がいる。殺人事件が起こっているのに、思わず笑ってしまう会話もある。

気がつけば事件が始まり、「もう少しだけ」とページをめくっているうちに一冊が終わる。

そして書店へ行けば、また次の一冊がある。

こうして何百万人もの人が小説を読んだ。

考えてみれば、これは文学にとって決して小さな仕事ではない。

文学史には、文学の形式そのものを変えた作家がいる。新しい文体を生み出した作家、新しい思想を作品に持ち込んだ作家、新しい文学運動をつくった作家もいる。

その一方で、文学と読者との距離を変えた作家もいる。

赤川次郎は、おそらく後者だった。

文学の側へ読者を引き上げるのではなく、文学の方から読者の日常へ降りてきた。

文庫本を一冊買えば始まり、難しい準備はいらない。読み始めれば物語が動き、読み終えれば次の本が待っている。

その仕組みと文章の感覚が、1970年代後半から1980年代に急速に広がった文庫文化、映画、テレビ、若者文化と非常によく噛み合った。

だから「赤川次郎はなぜあれほど読まれたのか」という問いへの答えを、「読みやすかったから」という一言で終わらせるのは惜しい。

読みやすい文章があった。物語へ入りやすい設定があった。普通の人間が思いがけない事件へ巻き込まれる楽しさがあった。シリーズを読むことで再び帰ってこられる世界があった。そしてその背景には、文庫本が若者の日常へ入り込み、映画やテレビと小説の境界が薄くなっていく時代があった。

作家の資質と時代の仕組みが、ほとんど理想的な場所で出会ったのである。

3億部という数字は、その結果の一つだったのだろう。

しかし、本当に興味深いのは、その数字の向こう側である。

赤川次郎を一冊読んだことをきっかけに、別の推理小説を読み、さらに別の作家へ進んでいった人がどれほどいたのかは、どこにも統計として残らない。

少年少女のころに『三毛猫ホームズ』を一冊手に取り、それまで「自分は本を読む人間ではない」と思っていたのに、いつの間にか読書をするようになった人もいたはずである。

その一冊は、文学史の年表には載らない。

しかし文学というものが、本棚の中に置かれているだけではなく、読者のなかで生きるものだとするなら、赤川次郎が残した最も大きなものは、約670冊という著書の数でも、3億部という発行部数でもないのかもしれない。

「本って、こんなに面白かったのか」

そう思った読者の数こそが、赤川次郎という作家の本当の大きさを示しているのではないだろうか。

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国語の教科書を久しぶりに開いてみると、不思議な再会がある。

芥川龍之介、夏目漱石、宮沢賢治、森鴎外、中島敦。使われている作品や教科書会社、学校段階によって顔ぶれは異なるが、何十年分かの国語教科書を眺めていると、同じ作家や同じ作品が驚くほど長く読み継がれていることに気づく。何十年も前に学校を卒業した人が現在の教科書を見ても、「これは自分も習った」と感じることが珍しくない。

文学の世界には毎年、新しい小説が生まれている。昭和から平成、令和へと社会が変わり、私たちが日常で読む文章も大きく変化した。それなのに、教科書の中では百年以上前に生まれた文学作品がなかなか席を立たない。

いったいなぜなのだろう。

そこには「名作だから」という一言では説明できない、教科書という本に特有の事情がある。

文部科学省が「芥川龍之介を載せなさい」と決めているわけではない

まず知っておきたいのは、国語教科書に掲載する作家や作品を、文部科学省が一つ一つ指定しているわけではないということである。

日本の教科書制度では、基本的に民間の教科書発行者が学習指導要領や教科用図書検定基準などをもとに教科書を著作・編集し、文部科学大臣の検定を受ける。検定に合格した教科書の中から、教育委員会や学校などが実際に使用するものを採択する仕組みになっている。したがって出版社には教材を選ぶ余地がある一方、どんな文章でも自由に掲載できるという意味ではない。教科書として教育上適切であり、学習指導要領との整合性を持っていることが求められる。

ここが、一般の文学全集と教科書との決定的な違いである。

文学全集なら、「文学史上重要な作品だから」という理由で収録することができる。しかし教科書の場合、作品そのものの価値だけでは十分ではない。その文章を使って何を学ばせるのか、どの年齢の生徒にどのような思考を促すことができるのか、限られた授業時間の中で教材として成立するのかまで問われる。

教科書に載っている文学作品は、文学であると同時に「教材」なのである。

ここに、同じ作家や作品が長く教科書に残り続ける理由を解く鍵がある。

「良い小説」と「良い教材」は必ずしも同じではない

世の中には傑作と呼ばれる小説が数多くある。しかし、そのすべてが国語の授業に向いているわけではない。

長大な小説を一冊丸ごと扱うには授業時間が足りない。高度な背景知識がなければ理解しにくい作品もある。文学作品として魅力的であっても、授業の中で文章を手掛かりに考えを深めていくことが難しい場合もある。

反対に、長く教科書に残る作品には、何度読んでも問いを生み出せるという特徴がある。

芥川龍之介の『羅生門』を読めば、下人はなぜ老婆の着物を奪う側へ回ったのかという問いが生まれる。中島敦の『山月記』なら、李徴を虎にしたものは才能への執着だったのか、臆病な自尊心だったのか、それとも社会との関係だったのかを考えることができる。夏目漱石の『こころ』では、先生とKの行動を追ううちに、友情や嫉妬、罪悪感、さらには明治という時代そのものへと問題が広がっていく。

教師が正解を一つ説明して終わるのではなく、生徒が本文の言葉へ何度も戻りながら考えることができる。

これは教材として非常に強い。

高等学校学習指導要領解説でも、文学的な文章を読むことは、単に物語の筋を理解することではなく、登場人物の考え方や生き方に共感したり疑問を持ったりしながら思索を深め、人間や社会などについての見方や考え方を広げていく学習と結び付けられている。

そう考えると、教科書会社が長い時間をかけて同じ作品へ戻ってくることは、それほど不思議ではなくなる。

優れた文学作品だから教科書に残る。それだけではない。

優れた作品の中でも、授業という場所に置いたときに、生徒に考えさせる余地を持ち続ける作品が残っていくのである。

『羅生門』は最初から「定番」だったわけではない

さらに興味深いのは、現在では定番と思われている教材も、最初から教科書の指定席を持っていたわけではないことである。

その代表が『羅生門』だろう。

国語教育研究によれば、『羅生門』が高等学校の教科書教材として初めて採録されたのは1956年とされる。その後、採録率は1973年には40%、1982年には83%へと上昇し、2003年に「国語総合」が始まった時期には100%に達したとされている。

これは重要な事実である。

『羅生門』は、ある日突然、「国民的教材」に選ばれたわけではない。

教室で使われ、研究され、次の教科書にも採用され、その積み重ねの中で少しずつ定番になっていった。

研究では、『羅生門』が定着した理由の一つとして、小説の基本的な読み方を学ばせやすく、指導すべき内容が比較的明確であることも指摘されている。

ここに、教科書という世界の興味深い性質が見える。

一度教材として定着すると、その作品について多くの授業実践が生まれる。教師用の指導資料が整い、どのような問いを立てれば生徒の読みが深まるのかという研究も蓄積していく。教師自身が学生時代に同じ作品を読んでいることもある。

昨日まで誰も歩いたことのない山道より、何十年も人が歩き続けた登山道の方が歩きやすいのと少し似ている。

道には標識が立ち、どこが急坂なのかが知られ、どこで迷いやすいのかについても情報が積み重なっている。

そうなると、「良い作品だから教科書に載る」という一方向の関係は、やがて「教科書に載り続けたことによって、さらに教材として使いやすくなる」という循環へ変わっていく。

定番は、名作だから生まれるだけではない。

使われ続けることによって、定番としての強さを増していくのである。

定番化には「出版社が外しにくくなる」という側面もある

しかし、『羅生門』が2003年に採録率100%に達した理由を、「作品が優れていたから」「授業で教えやすかったから」だけで説明すると、もう一つ重要な側面を見落とす。

国語教育の研究では、教科書市場そのものの構造にも注目されている。

少子化によって高校生の数が減れば、当然ながら教科書市場も縮小する。その中で複数の出版社が採択を競えば、すでに学校現場で広く受け入れられている教材を外して、未知の教材へ大きく入れ替えることには一定のリスクが生じる。実際、『羅生門』の採録率100%という現象については、作品固有の価値だけではなく、教科書市場の縮小や、出版社間で教材のラインナップや配列が似ていく「同質化」という側面からも説明すべきだという研究がある。

これは、教科書を考えるうえで非常に面白い視点である。

ある教材が多くの学校で使われる。教師がその教材に慣れる。指導法が蓄積する。すると次の教科書でもその教材を採用する利点が大きくなり、他社も同じ教材を残す。

こうして定番は、文学的評価だけではなく、教育現場と出版市場の双方によって強化されていく可能性がある。

「昔から名作と決まっていたから残っている」のではない。

文学的価値、教材としての使いやすさ、現場の慣れ、出版側の判断が互いに作用しながら、長い時間をかけて「教科書の定番」が形成されていくのである。

同じ作品を読む人が変われば、作品も違って見える

それでも、別の疑問は残る。

昔から読まれてきた作品ばかりを扱うくらいなら、もっと新しい作家や作品を教科書に入れた方がよいのではないか。

これはもっともな疑問である。

一方で、一度読んだ文学作品を後になって読み返すことにも、文学ならではの意味がある。

十二歳の読者と十七歳の読者では、同じ文章を読んでも見えているものが違う。さらに三十歳、五十歳になれば、学生時代には理解できなかった登場人物の弱さが突然分かることもある。

作品の文字は変わっていない。

変わっているのは読者である。

高等学校学習指導要領解説でも、文学作品の解釈は読む人の年齢や経験などによって異なり得ることが説明されている。文学には、作品を読むことと、読み手自身の人生経験とが切り離せない部分がある。

子どものころには、ただ奇妙だと思った登場人物が、大人になって読むと痛々しく感じられることがある。若いころには理解できなかった人物の妥協に、何十年か後には自分自身の姿を見つけることさえある。

文学には、読む人間の年齢によって、作品の方が姿を変えたように感じられる瞬間がある。

だから昔、学校で読んだ文学作品を大人になって読み返すことは、単なる復習ではない。

それは作品との再会であると同時に、その作品を読んでいた昔の自分との再会でもある。

しかし「定番」であることには危うさもある

ここまで読めば、「それなら昔からの教材を残しておけばよい」と思うかもしれない。

しかし、話はそれほど単純ではない。

定番教材が使いやすければ使いやすいほど、新しい作品が入り込みにくくなるという逆の問題が生まれるからである。

長年使われている作品には授業実践がある。教師用資料がある。生徒がどこで迷いやすいかについても経験が共有されている。一方で、新しい作品にはその蓄積がない。

すると、新しい作品が文学的には優れていても、「教材としてどう使えばよいか分からない」という理由で不利になる可能性がある。

しかも、社会そのものは変化している。

家族のあり方も、仕事も、人と人との関係も変わった。日本社会の中で暮らす人々の背景も多様になった。インターネットやスマートフォンによって言葉との付き合い方さえ変化している。

百年前の作品から人間について考える意味は失われていない。しかし、百年前の作品だけで現代社会を生きる人間のすべてを映し出せるわけでもない。

だから定番教材は、「昔から載っているから」という理由だけで残るべきではない。

なぜ今、この作品を読むのか。

この問いは、文学作品を読む生徒だけではなく、作品を選ぶ側にも向けられなければならない。

長く使われているという事実は、その作品が教材として優れてきたことを示す一つの材料になる。しかし、長く使われていること自体を、永遠に使い続ける理由にしてしまえば、教科書は少しずつ現代社会から離れてしまう。

伝統とは、おそらくそういうものなのだろう。

ただ残っているものを守ることではなく、なぜ残すのかを問い直しながら、それでも価値があると考えられるものを次の世代へ渡していくことである。

教科書は「日本文学ベスト100」ではない

国語教科書を文学史上の名作ランキングだと思って眺めると、不思議なことがたくさん起きる。

なぜ、あの大作家が載っていないのか。

なぜ、この作品は何十年も残っているのか。

なぜ、現代のベストセラー作家より百年前の作家の方が目立つのか。

しかし教科書を「優れた文学を順番に並べた本」ではなく、「言葉を通じて考えるために設計された本」と考えると、その景色は変わってくる。

そこでは作品の文学史的価値だけでなく、文章の長さや難易度、表現の豊かさ、問いを生み出す力、学習目標との関係、長年蓄積された授業実践、さらには教科書会社がどの教材を採用するかという出版上の判断までが絡み合っている。

だから、同じ作家や作品が何十年にもわたって教科書へ戻ってくる。

彼らは単に偉大だから教科書に住み続けているのではない。

何世代もの生徒を相手にしながら、それでもなお問いを生み出すことのできた作品なのである。

『羅生門』を読んだ高校生が、「自分なら下人と同じことをしないと言い切れるだろうか」と考える。

『こころ』を読んだ生徒が、「先生はなぜもっと早く誰かに話すことができなかったのだろう」と考える。

その瞬間、百年前の文章は文学史の資料ではなくなる。

教室の中で、もう一度現在形になる。

おそらく国語教科書に長く残る作品とは、古くならない作品なのではない。

古くなっても、その時代を生きている読者に新しい問いを返してくる作品なのだ。

そして何十年たっても同じ作家の名前を教科書で見つける理由も、最後にはそこへ戻ってくる。

作品は同じでも、それを読む私たちは、もう昔と同じ読者ではないのである。

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