世界から届いたベリカード~海外短波放送と国内中波局を追った少年時代
はじめに~電波の向こうから届いたもの
インターネットが一般家庭には普及しておらず、スマートフォンも動画配信サービスも存在しなかった1970年代末、遠い外国のニュースや音楽、そこで暮らす人々の声を直接聞くことは、現在ほど容易ではなかった。テレビや新聞、雑誌などを通じて海外の情報に触れる機会はあったものの、自分の意思で外国の放送局を探し、その国から発信された番組を聞くという体験には、特別な魅力があった。
1978年から1981年にかけての中学生時代、私はナショナルの「プロシード2800」と、ソニーの「スカイセンサーICF-5900」という2台の短波ラジオを使っていた。ダイヤルを回すと、雑音の中から聞き慣れない言葉や音楽が現れ、ときには何千キロメートルも離れた地域に向けて発信された放送を受信することができた。
しかし、当時のBCL(Broadcasting Listening・主に海外の短波放送を受信して楽しむ趣味)には、放送を聞くことだけでは終わらない楽しみがあった。受信した内容をノートに記録し、受信報告書を作成して放送局へ送り、その返事を待つことである。
数週間、あるいは数か月後、外国の切手が貼られた封筒が自宅に届くことがあった。その中に入っていたのは、放送局が受信を確認したことを示すベリカードだった。ラジオから聞こえた声は形のない電波だったが、カードが届くことで、その体験は手に取ることのできる記憶へと変わったのである。
ベリカードが届くまで~受信報告書という手紙
ベリカードとは、Verification Card(ベリフィケーション・カード、受信確認証)を略して呼んだものである。放送を聞いた人が受信報告書を送り、放送局がその内容を確認した場合に発行されることがあった。カードには放送局名や国名、送信所の写真、風景、歴史的な建物、民族衣装、動物、観光地など、局ごとにさまざまな図柄が印刷されており、単なる受信確認のための書類というよりも、その国や地域を紹介する小さな絵はがきのような存在でもあった。
もっとも、ベリカードは行政機関が発行する公的な証明書ではなく、各放送局が独自に発行する受信確認証である。すべての局が発行していたわけではなく、受信報告書を送れば必ず返信されるというものでもなかった。それでも、当時は海外の短波放送局だけでなく、日本国内の中波放送局や一部のテレビ局などでも、受信報告書に応じてベリカードを発行する習慣があった。
受信報告書は、単なる「放送を聞きました」という感想文ではない。受信した日付や時刻、周波数、放送内容、受信状態、使用したラジオやアンテナなどを記載し、どの放送を、どのような条件で聞いたのかを放送局へ伝えるためのものだった。放送局によって必要な情報や返信の条件には違いがあったが、受信内容を具体的に記録することは、共通する基本的な作業だった。
放送局にとっても、受信報告書には一定の意味があった。電波がどの地域まで届いているのか、時間帯によって受信状態がどう変化するのか、他局からの混信が生じていないかといった情報は、放送の到達状況を把握する手がかりになる。ただし、受信報告書を送るのは主に放送受信に関心を持つ人々であり、その報告だけで一般家庭全体の受信状況を統計的に推定できるわけではない。それでも、個々の場所と時間における受信状況を知らせる資料として、一定の実用的価値があった。
中学生だった私にとっては、そのような技術的な意味よりも、受信した放送局へ自分の記録を送り、返事をもらえるかもしれないという期待の方が大きかった。遠い外国の放送局と、郵便を通じて直接やり取りできること自体が、特別な経験だったのである。
ノートに書き留めた放送内容
受信報告書を書くためには、まず放送内容をできるだけ正確に記録する必要があった。私はラジオのそばにノートを置き、何時何分にどのような放送が聞こえたのか、音楽の後に男性または女性のアナウンサーが話したのか、ニュースではどのような国や出来事が取り上げられていたのか、といった内容を書き留めていた。
外国語の放送では、意味を十分に理解できないこともあった。そのような場合には、聞き取れた固有名詞や地名、曲の特徴、時報、放送局名らしい言葉などを手がかりにして記録した。放送局が使用するインターバル・シグナルと呼ばれる特徴的な旋律も、局を識別するための重要な手がかりだった。
日本語による海外向け放送であれば、番組の内容をより詳しく記録することができた。ニュース、文化紹介、音楽、聴取者から届いた手紙の紹介など、放送局によって番組の構成や雰囲気は異なっていた。同じ出来事を取り上げていても、国によって説明の仕方や重視する点が違うことがあり、海外向けの日本語放送を聞くことは、外国の立場から世界を見る機会にもなった。
受信状態が悪いときには、放送内容のすべてを聞き取ることは難しかった。雑音が強く、何を話しているのか分からなくなることもあれば、途中で別の放送局が重なって聞こえてくることもあった。それでも、確認できた範囲をノートに記録し、分からない部分を無理に補わないようにすることが、受信報告書を作成するうえでは大切だった。
こうした記録を続けるうちに、単に放送を聞くだけではなく、聞き取れた事実と自分の推測を区別する必要があることを、経験として学んでいったように思う。目的の局を受信したと思っていても、局名が確認できなければ別の放送だった可能性は残る。音楽や言葉の特徴だけで判断せず、時報や局名アナウンスなど複数の手がかりを組み合わせることは、受信記録の信頼性を高めるためにも重要だった。
受信状態を数字で表すSINPOコード
受信報告書では、放送の聞こえ方を数字で評価することもあった。その際によく使われていたのが、SINPO(Signal strength・信号強度、Interference・混信、Noise・雑音、Propagation disturbance・伝搬障害、Overall merit・総合評価)コードである。
これは受信状態を5つの要素に分け、それぞれを1から5までの数字で評価する方法だった。一般に5が良好な状態、1が不良な状態を表し、信号がどの程度強いか、ほかの放送局からの混信があるか、雑音がどの程度入るか、フェージングなどによって電波が不安定になっていないか、全体としてどれほど聞きやすいかを評価する。
実際に使ってみると、受信状態を数字で表すことは、思ったほど単純ではなかった。信号そのものは強くても、同じ周波数に別の放送が重なって聞き取りにくい場合がある。一方、信号が弱くても雑音や混信が少なければ、番組内容を比較的理解しやすい場合もある。音声の大きさだけで受信状態が決まるわけではなく、いくつもの条件を分けて考える必要があった。
また、SINPOコードの数字は、電波の強さを直接測定した物理量ではなく、受信者が状態を判定するための評価尺度である。信号強度を4と評価したからといって、2と評価した場合の2倍の強さがあるという意味ではないし、総合評価もほかの4項目を単純に平均して求めるものではない。あくまで受信状況を整理して伝えるための目安だった。
当時の私が、このような数理的な性質まで理解していたわけではない。ただ、受信状態を一つの言葉で「良い」「悪い」と表現するのではなく、何が聞き取りやすさを妨げているのかを分けて記録することには、自然と慣れていった。今振り返ると、それは観察した現象を分類し、一定の基準に沿って評価し、相手に伝えるための作業だったのだと思う。
海外へ手紙を送る~返事のない時間
海外の放送局へ受信報告書を送ることには、国内の放送局へ郵便を出す場合とは違う緊張感があった。放送局の住所を確認し、外国語で宛先を書き、航空便であることを示して、日本の郵便料金に応じた切手を貼る。封筒を郵便ポストへ入れた後、その手紙がどのような経路で目的の国まで運ばれるのか、何日かかるのか、本当に放送局へ届くのかは、中学生だった私には分からないことも多かった。
現在の電子メールであれば、海外の相手に送信しても、通常は短時間で相手側のシステムへ届けることができる。しかし、当時の国際郵便では、相手国まで運ばれた後、放送局の担当者が報告書を確認し、返信を用意して再び郵送する必要があった。したがって、返事が届くまでには何週間もかかることがあり、場合によっては数か月待つこともあった。
受信報告書を送ったからといって、必ずベリカードが届くとは限らなかった。局によっては返信条件が定められている場合もあり、報告内容が不十分だったり、受信の確認ができなかったりすれば、カードが送られてこないこともあった。それでも、手紙を出してしまえば、あとは返事を待つしかない。当時は海外郵便の配送状況を画面で確認できるような環境ではなく、返信がなければ、まだ処理されていないのか、郵便が遅れているのか、そもそも返信されないのかも分からなかった。
そんな中で、すっかり忘れかけた頃になって、外国の切手が貼られた封筒が自宅に届くことがあった。郵便受けに見慣れない文字の封筒を見つけ、差出国を確かめてから慎重に封を切ると、中には色鮮やかなベリカードが入っている。放送局によっては、番組表や局を紹介する冊子、ステッカーなどが同封されていることもあった。
その喜びは、単にカードを1枚手に入れたということだけでは説明できない。自分が受信した放送について記録し、その内容を海外へ送り、遠い場所にいる誰かが報告書を確認して返事を出してくれたという、一連の過程に意味があった。ラジオの向こう側にいた放送局の人々と、郵便という別の手段を通じてつながったことが、何よりもうれしかったのである。
1枚のカードに詰まっていた世界
ベリカードは、放送を受信したことを確認するためのカードであると同時に、その国や地域を知るための小さな資料でもあった。カードに印刷された街並みや建物、国旗、民族衣装、動物、自然の風景などを眺めていると、まだ訪れたことのない国の暮らしや文化への関心が自然と広がっていった。
そこに描かれている建物には、どのような歴史があるのだろうか。民族衣装を着た人々は、普段どのような生活を送っているのだろうか。放送局のアンテナが写っていれば、その設備からどの地域に向けて電波が送り出されているのかと考えることもあった。カードに掲載された写真が、その国の生活のすべてを表しているわけではないが、知らない場所に関心を持つきっかけとしては十分だった。
学校の地理で習った国名と、ベリカードの風景、そしてラジオから聞こえてきた音声が結びつくと、その国が少し身近に感じられた。世界地図を開いて放送局のある国を探し、日本からどれほど離れているのか、間にはどのような海や大陸があるのかを確かめることもあった。
もっとも、国際短波放送には、自国内の送信所だけでなく、国外の中継送信所を利用するものもあった。そのため、ある国の放送局を受信したからといって、必ずしも電波がその国の領土から直接届いたとは限らない。放送局が制作した番組と、実際に電波を送り出した送信所の位置は、区別して考える必要がある。それでも、遠い国の人々に向けて制作された放送を日本で聞き、その放送局からカードが届くという経験は、世界の広さを実感するのに十分だった。
現在なら、インターネットを使って世界中の都市の写真を探したり、衛星画像で街を眺めたり、現地の映像を再生したりすることができる。翻訳機能を利用すれば、外国語の情報を日本語で理解することも以前より容易になった。しかし、情報を手に入れるまでに時間がかかった時代には、1枚のカードから想像できる世界が、今とは違った大きさを持っていたように思う。
届くまでに何週間も待ったこと、封筒を開けるまで図柄が分からなかったこと、そこに知らない国の文字や風景が印刷されていたこと。それらが重なり、ベリカードは単なる印刷物以上の存在になっていたのである。
日本国内の中波放送局を追う
私が受信報告書を送ったのは、海外の短波放送局だけではなかった。日本国内の中波放送局にも報告書を送り、ベリカードを集めていた。
中波放送は、昼間には主として地表に沿って進む電波によって受信されるが、夜間になると電離層の状態が変化し、遠方の放送局が聞こえやすくなることがある。昼間は電離層下部で電波が吸収されやすい一方、夜間にはその吸収が弱まり、電離層を経由して遠くまで届く電波が受信される場合があるためである。
その結果、昼間には聞こえなかった地域の放送局が、夜になるとラジオから現れることがあった。北海道、東北、北陸、近畿、中国、四国、九州など、遠方の局から地域ごとに異なる番組やコマーシャル、地名、方言が聞こえてくる。短波放送では外国の文化に触れることができたが、国内の中波放送では、同じ日本の中にも自分の知らない暮らしがあることを感じられた。
特に印象的だったのは、地域ごとのコマーシャルや天気予報、催し物の案内だった。全国放送では耳にしない地元企業の名前や、聞いたことのない地名が流れてくると、その放送局がある町には、そこで暮らしている人々の日常があるのだと想像した。放送の向こう側には、商店があり、学校があり、仕事をする人々がいて、その地域だけの時間が流れているのである。
外国語による短波放送では、言葉が分からず、内容を十分に理解できないこともあった。しかし、日本国内の中波放送であれば、言葉そのものは理解できる。だからこそ、放送内容から地域の生活や文化を具体的に想像することができた。遠方の中波局を受信することは、日本という国の広さだけでなく、その中にある地域ごとの違いを知る体験でもあった。
1978年の中波周波数変更~時代の転換点
私が中学生だった時期には、日本の中波放送にとって重要な制度上の変更も行われている。1978年11月23日、国際協定に基づき、日本を含む関係国の中波放送の周波数配置が変更され、放送局の周波数間隔が従来の10キロヘルツから9キロヘルツへと改められた。
この変更は、国際的な電波の利用調整を通じて混信の軽減を図り、限られた周波数をより有効に使用するためのものだった。日本国内の多くの放送局でも周波数が変更され、例えば東京の日本放送協会第1放送は590キロヘルツから594キロヘルツへ、当時の東京放送は950キロヘルツから954キロヘルツへと移った。
現在の感覚では、わずか数キロヘルツの変更は小さな出来事に思えるかもしれない。しかし、周波数表やラジオの目盛りを頼りに各地の放送局を探していた時代には、放送局の周波数が変わることは、受信する側にとっても意味のある変更だった。
この一斉変更について、当時の自分がどの程度意識していたかは、今となっては定かではない。ただ、日本各地の中波局を追いかけていた1978年から1981年という時期が、日本の中波放送の周波数配置が大きく変わった時代と重なっていたことは、今振り返ると興味深い。
夜の中波帯に現れる遠い町
中波放送の遠距離受信では、同じ周波数に複数の放送局が重なることがあった。目的の局が聞こえたと思っても、しばらくすると別の局の音声が強くなり、先ほどまで聞こえていた番組が分からなくなることもある。受信状態は時間とともに変化するため、一度聞こえたからといって、安定して受信を続けられるとは限らなかった。
このような状況では、放送局の識別に根気が必要だった。番組の切り替わりや時報の前後を待ち、アナウンサーが読み上げる局名や周波数を聞き取る。地元企業のコマーシャルや天気予報に登場する地名も、局を特定するための有力な手がかりになった。
ただし、コマーシャルや地名だけで局を判断すると、思い違いをする可能性もある。複数の地域に同じ企業があったり、同じ地名が使われていたりする場合もあるため、局名アナウンスや番組表などと照らし合わせて確認することが望ましかった。目的の局なのか、それとも同じ周波数を使う別の局なのかを確かめる過程も、遠距離受信の楽しみだった。
思いがけない遠方の局を確認できた夜には、なかなかラジオの前を離れられなかった。受信した日時、周波数、番組内容、受信状態をノートに書き、その記録をもとに国内の放送局へ受信報告書を送った。しばらくして返信が届けば、封筒の中には局舎や送信アンテナ、地域の観光地、放送局のマスコットなどが描かれたベリカードが入っていることがあった。
海外局のベリカードには、異国の文化や風景への憧れがあった。一方、国内局のベリカードには、まだ訪れたことのない日本各地への関心があった。外国の放送局と日本国内の放送局では距離も言葉も違っていたが、自分の知らない土地から届いた電波を受信し、その確認としてカードを受け取るという喜びには、共通するものがあった。
ベリカードを並べて眺める
集まったベリカードは、何度も取り出して眺めた。国別、地域別、放送局別に整理すると、それまで単なるコレクションだったカードが、自分の受信の歴史を表す記録にもなった。カードには受信した日付や周波数などが記載されている場合もあり、自分のノートに残した受信記録と照らし合わせることで、そのときのことを思い出すことができた。
局名を確認するまで長く待ったこと、雑音が強く何度も周波数を合わせ直したこと、受信報告書を作るために放送内容を丁寧に書き留めたこと、そして郵便受けに封筒を見つけたときの喜びなど、カードには受信から到着までのさまざまな記憶が結びついていた。
もちろん、ベリカードの枚数が増えることもうれしかった。しかし、単に多く集めればよいというものでもなかった。受信が難しかった放送局のカードには、比較的容易に受信できた局のカードとは違う意味があったし、初めて海外へ送った受信報告書に対する返信にも、特別な価値を感じた。
受信の難しさは、放送局までの距離だけでは決まらない。送信出力やアンテナの指向性、使用する周波数、電離層の状態、他局からの混信、受信場所の雑音環境など、さまざまな条件が関係する。そのため、遠い国の放送が明瞭に受信できる一方で、比較的近い地域の放送局を確認するのに苦労することもある。そうした違いがあったからこそ、受信が難しかった局のカードには、特別な思い入れが生まれた。
夏休みに聞いた局、冬の夜にようやく確認できた局、何度も受信を試みた末に報告書を送った局など、カードの一枚一枚には、それぞれ異なる時間と季節が結びついていた。ベリカードは、世界各地の放送局が発行した印刷物であると同時に、自分がラジオの前で過ごした時間を思い出させてくれる記録でもあったのである。
中学生の自分が学んでいたこと
当時の私は、BCLを勉強だとは思っていなかった。ただラジオが好きで、遠くの放送局を探し、受信報告書を書き、ベリカードを集めることが面白かったのである。しかし、今になって振り返ると、その趣味には、情報を集め、整理し、確かめてから相手に伝えるという一連の作業が含まれていたことに気づく。
目的の局を受信するためには、放送時間や周波数を調べ、時間帯や季節による電波の届き方を考える必要があった。実際に受信するときには、聞こえてきた内容を注意深く記録し、局名が確認できるまで手がかりを集める。さらに、受信状態を複数の項目に分けて評価し、報告書として相手に分かるようにまとめる必要があった。
こうした作業では、自分の記憶だけに頼るのではなく、日時や周波数、放送内容などを記録することが重要だった。また、受信できなかった場合にも、放送時間が違っていたのか、選局がずれていたのか、それとも電波の伝搬条件が適していなかったのかを考えることで、次に試す方法が見えてくる場合があった。
もちろん、このような趣味の経験によって、情報処理能力や科学的な思考力がどの程度向上したのかを、客観的な数値で示すことはできない。それでも、観察した事実と推測を区別すること、結果を記録して後から確認できるようにすること、複数の条件を比較して原因を考えることなどは、さまざまな学習や仕事にも通じる姿勢である。
また、海外向けの日本語放送や、内容を理解できる外国語放送を聞いていると、同じ出来事でも国によって取り上げ方が異なることに気づく場合があった。放送局の編集方針や、それぞれの国の立場がニュースの伝え方に反映されることもあり、一つの情報源だけでは世界を十分に理解できないという感覚を持つきっかけになった。
BCLは、学校の授業とは異なる方法で、世界の地理や文化、技術、情報の伝わり方に関心を持たせてくれた。勉強を目的に始めたわけではなかったが、好きなことを続ける過程で、知らないことを調べ、確かめる楽しさを経験していたのかもしれない。
ラジオが教えてくれた距離
現代では、遠い国との距離を意識する場面が以前より少なくなった。海外へ電子メールを送っても、国内へ送る場合と通常は大きな時間差がなく、外国の放送もインターネットを通じて明瞭な音声で聞くことができる。衛星画像で街並みを眺めたり、現地の映像を再生したりすることも容易になり、遠くの地域に関する情報を得るための時間や費用は、かつてに比べて大きく変化した。
ただ、短波ラジオを聞いていた時代には、遠い場所とのつながりを、受信するまでの手間や聞こえ方の変化を通じて実感することがあった。電波が弱くなったり、音声が揺れたり、ほかの局からの混信が入ったりすると、遠方から届く放送の不安定さを意識させられた。
もっとも、電波が弱いことと送信所までの距離が遠いことは、必ずしも同じではない。電波は真空中では光と同じ速さで進み、短波の長距離伝搬では電離層による屈折や吸収、複数経路の干渉などが受信状態を左右する。例えば、5,000キロメートルという距離も、電波がその長さの経路を進むのに必要な時間は、光速に近い速度で考えれば約0.017秒にすぎない。実際の伝搬経路が長くなる場合でも、郵便物のように何週間もかかるわけではない。
それでも、放送局の所在地を世界地図で確かめ、受信するまでに何度もダイヤルを回し、さらに受信報告書を海外へ送って返事を待つという過程は、遠い国とつながることの意味を強く感じさせた。電波が届くまでの時間と、放送局から郵便が届くまでの時間はまったく異なるが、その両方を経験することで、地図上の距離が生活の中で実感できるものになっていた。
現在の通信技術がもたらした便利さは、間違いなく大きな進歩である。しかし、簡単には情報が手に入らなかった時代には、目的のものを探し、時間をかけて確かめ、返事を待つという過程そのものに楽しさがあった。短波ラジオとベリカードの記憶は、そうした時代の情報との付き合い方を思い出させてくれる。
2台のラジオが残したもの
ナショナルのプロシード2800と、ソニーのスカイセンサーICF-5900。2台のラジオは、それぞれ異なる選局方式と操作感覚を持ちながら、私に世界中の声を聞かせてくれた。海外のニュースや異国の音楽、知らない言葉、日本各地の中波放送、そして夏休みの午後に聞いた大橋照子さんのヤロメロなど、当時の記憶にはさまざまな放送が結びついている。
ラジオの前に座っていた私は、部屋から一歩も出ていなかった。それでも、ダイヤルを回すたびに、遠い国や日本各地の放送局から届く声に出会うことができた。地図の上では単なる国名や地名だった場所が、放送を通じて人々の生活する地域として感じられたのである。
そして、放送を聞いて終わりにするのではなく、ノートに記録し、受信報告書を書いて送ることで、その体験はもう一つの広がりを持った。数週間、あるいは数か月後に届いたベリカードは、あの日聞いた放送が確かに存在し、その内容を放送局へ伝えることができたという記念になった。
今のように膨大な情報がすぐに手に入る時代ではなかったからこそ、一つの放送局を確認することにも、一枚のカードを受け取ることにも、大きな意味を感じていたのだと思う。限られた情報の中で、自分の手と耳を使って世界を探していた時間は、今でも忘れがたい。
おわりに~雑音の向こうにあった世界
1978年から1981年までの中学生時代、私の机の上にはプロシード2800とICF-5900があった。現在の小さな端末と比べれば、大きく、重く、選局にも手間のかかるラジオだったかもしれない。しかし、あの2台には、現在の通信機器とは異なる魅力があった。
自分の手でダイヤルを回し、注意深く耳を澄ませなければ、目的の放送局を見つけることは難しかった。受信した内容を記録し、報告書を書かなければ、放送局に受信を知らせることもできなかった。さらに、ベリカードが届くかどうかは放送局の対応にも左右され、返事が来るまでには長い時間が必要だった。
そこには、情報を得るまでの時間と、記録する手間と、返事を待つ時間があった。その一つ一つが重なり、受信した声や届いたカードは、単なる情報や印刷物ではなく、自分自身の経験として記憶に残っていったのである。
世界は、最初から画面の中に整理されて表示されていたわけではなかった。雑音の向こうから、かすかに聞こえてくる声を探し、その声がどこから届いているのかを確かめることで、少しずつ身近になっていった。
遠い国や日本各地から届いた放送を聞きながら、私は自分の知らない世界がどこまでも広がっていることを知った。そして、郵便受けに届いたベリカードによって、ラジオの向こう側には確かに人々がいて、放送を送り出し、受信報告書に返事を書いてくれる人がいることを感じた。
あの頃、短波ラジオは単なる受信機ではなかった。プロシード2800とICF-5900は、中学生だった私にとって、世界へ向けて開かれた窓だったのである。

