リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

私たちは旅先で、本当にその場所を見ているのか

旅行へ行く。

有名な寺を見る。

景勝地を見る。

写真を撮る。

名物を食べる。

SNS(Social Networking Service・ソーシャル・ネットワーキング・サービス)へ投稿する。

現代の旅では、ごく自然な行動である。

交通機関が発達した現在では、一日で何百キロメートルも移動できる。

地図を開けば目的地へ迷わず行ける。

インターネットで検索すれば、

歴史、

営業時間、

名物、

おすすめの撮影場所、

口コミ、

まで事前に知ることができる。

私たちは、おそらく松尾芭蕉の時代よりはるかに多くの情報を持って旅をしている。

それでも一つ疑問が残る。

情報をたくさん知っていることと、その場所を経験したことは同じなのだろうか。

名所を見た。

写真を撮った。

説明板を読んだ。

それだけで、その土地を知ったと言えるのか。

この問題を考える時、松尾芭蕉の『おくのほそ道』は興味深い。

芭蕉の旅は、現在の意味での観光旅行ではない。

もちろん名所を見る。

美しい風景にも感動する。

しかし、それだけではない。

ある場所へ立つと、

そこにかつて生きた人を思い出す。

古い和歌を思い出す。

歴史上の戦いを思い出す。

すでに消えた建物を想像する。

そして、

現在目の前にある風景と、そこにはもう存在しない過去を重ねる。

『奥の細道』の旅とは、場所を移動するだけではない。

場所の中に蓄積された時間へ入っていく旅でもある。

だから現代から読み直すなら、

「芭蕉はどこへ行ったのか」

以上に、

芭蕉は、旅先で何を見ようとしたのか

という問いが重要になる。

1 『奥の細道』は単なる旅行日記ではない

『おくのほそ道』は、松尾芭蕉が1689年に行った旅を基礎にした紀行文学である。

江戸を出発し、

日光、

白河の関、

松島、

平泉、

山寺、

最上川、

出羽三山、

象潟、

北陸、

そして大垣へと至る。

全行程は約2,400キロメートルに及ぶとされる。

旅には門人の河合曾良が同行した。

しかし『奥の細道』は、

何月何日に何キロ歩いた。

どこに泊まった。

何を食べた。

という事実をそのまま記録しただけの旅行日記ではない。

実際の旅については曾良の旅日記も残っており、『奥の細道』とは表現や構成が異なる部分がある。

つまり芭蕉は、実際の旅を材料にしながら、

一つの文学作品として旅を再構成した。

ここが重要である。

旅をしたことと、

旅を書くことは違う。

『奥の細道』は、

旅の記録

であると同時に、

旅の意味を作り直した作品

なのである。

2 旅は出発する前から始まっている

『奥の細道』は、有名な書き出しから始まる。

「月日は百代の過客にして」

という言葉である。

月日そのものを旅人として捉える。

過ぎ去る年月も旅をしている。

船頭も旅をする。

馬を引く人も旅の中で年老いていく。

そして芭蕉自身もまた、

旅に生きる人間として自分を置く。

ここでは旅は、

休日に日常生活から離れて行う特別な活動

ではない。

むしろ、

生きていることそのものが移動である

という感覚に近い。

人は同じ家に住んでいても変化する。

年齢が変わる。

人間関係が変わる。

社会が変わる。

昨日と今日で完全に同じ場所にいる人はいない。

芭蕉は旅を、人生の比喩として作品の最初に置いたのである。

3 なぜ芭蕉は旅に出たのか

現代の旅行には明確な目的が設定されることが多い。

休養。

観光。

食事。

温泉。

写真。

イベント。

しかし芭蕉の旅は、単一の目的では説明しにくい。

俳諧修行。

名所訪問。

歌枕。

古人への敬意。

宗教的な場所。

未知の土地。

こうしたものが重なっている。

特に重要なのが、

古人の足跡を訪ねること

である。

芭蕉にとって旅先は、誰も意味を与えていない空白の場所ではない。

すでに、

西行、

能因、

源義経、

奥州藤原氏、

古い和歌の作者たち、

などが存在している。

旅とは、

そうした過去の人々が見た世界へ、

自分も実際に立ってみることだった。

4 「歌枕」を訪ねるという旅

『奥の細道』を理解する上で重要なのが、歌枕である。

歌枕とは、古くから和歌に詠まれてきた名所である。

松島。

白河の関。

象潟。

須賀川。

武隈。

こうした土地には、芭蕉が訪れる以前から文学的な意味が蓄積されていた。

つまり芭蕉は、

初めて見る風景

を見ている一方で、

昔から文章の中で知っている風景

にも会いに行っている。

これは現代にも似た経験がある。

小説に登場した街へ行く。

映画の舞台へ行く。

歴史上の人物が暮らした場所へ行く。

すると私たちは、

目の前の風景だけを見ているのではない。

「ここをあの人物も歩いた」

という想像を重ねる。

場所が単なる座標ではなくなる。

5 知識を持って行くからこそ見える風景がある

観光では、

先入観を持たずに見る方がよい、

と言われることもある。

しかし『奥の細道』は逆の可能性を示す。

芭蕉は大量の文学的・歴史的記憶を持って旅をする。

だから同じ風景でも、

何も知らずに見る人とは違うものが見える。

例えば、

ただの野原。

ただの古い寺。

ただの川。

が、

古典や歴史を知ることによって、

過去の人物の人生と結び付く。

つまり知識には、

風景を邪魔する先入観になる場合と、

風景の奥行きを増やす場合

の両方がある。

重要なのは、知識を現実へ押し付けることではない。

実際の場所に立った時、

知識と現実がどこで重なり、

どこで違うのかを見ることである。

6 白河の関~境界を越えるという経験

白河の関は、古くから多くの歌人が意識してきた場所だった。

芭蕉にとっても、単なる県境のような場所ではない。

ここから本格的な「みちのく」へ入るという意識がある。

現代では国道を走り、

県境標識を通過すれば、

数秒で地域を越える。

しかし徒歩の旅では違う。

何日もかけて進み、

ある地点を越える。

すると、

境界を越えたという身体的感覚

が生まれる。

現代の旅では交通機関が境界を消している。

東京から仙台へ新幹線で移動すれば、

途中の風景は高速で後ろへ流れる。

便利である。

しかし、

どこから土地が変わったのか

という感覚は弱くなる。

芭蕉の旅は、移動そのものが場所の理解に関係している。

7 松島~期待していた場所へ実際に立つ

松島は、『奥の細道』でも特に重要な目的地の一つである。

当時すでに名高い景勝地だった。

ここには現代の観光と共通する構造がある。

写真で見た場所。

本で読んだ場所。

昔から有名な場所。

そこへ実際に行く。

すると、

事前のイメージ

と、

現実の風景

がぶつかる。

有名な観光地に行った時、

「思っていたより小さい」

「写真より広い」

「音が意外に大きい」

「風が強い」

と感じることがある。

これは現地へ行かなければ分からない。

旅の価値の一つは、

頭の中に作られていた場所と、実在する場所の差を経験すること

にある。

8 観光写真では伝わりにくいもの

写真は旅の重要な記録になる。

しかし写真には写らないものがある。

風。

温度。

湿度。

匂い。

音。

疲労。

移動してきた時間。

その場所へ到達するまでの身体感覚。

山寺のような場所は特にそうである。

現在の山形市も、芭蕉が1689年に立石寺を訪れたことを紹介しており、芭蕉は本来の進路から南へ寄り道する形で山寺を訪れたと説明している。

ただ句碑を撮影するだけなら短時間で済む。

しかし階段を上り、

山の中へ入り、

音の環境を経験すると、

句との関係も変わる可能性がある。

9 山寺~「閑さ」は無音ではない

山寺で芭蕉が詠んだ句として知られるのが、

「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」

である。

山形市によると、芭蕉は1689年旧暦5月27日に山寺を訪れており、『曾良旅日記』の俳諧書留では、この句に至る前の別案も確認できる。

ここで面白いのは、

蝉が鳴いているのに、

静かだ

と感じていることである。

静寂とは、

完全な無音ではない。

むしろ一つの音が鮮明になることで、

周囲の静けさを強く感じる。

この感覚は、写真ではほとんど残らない。

録音でも完全には再現できない。

その場所に自分の身体を置くことで成立する経験

だからである。

10 旅とは「五感を使うこと」だけでもない

では場所を経験するとは、

見る。

聞く。

匂いを嗅ぐ。

触れる。

という五感の問題だけなのだろうか。

『奥の細道』を見ると、それだけでもない。

芭蕉は、

感じる

だけではなく、

思い出す。

歴史を思い出す。

古い和歌を思い出す。

死者を思い出す。

つまり場所の経験には、

身体感覚

と、

記憶・知識

の両方がある。

ここが芭蕉の旅の特徴である。

11 平泉~目の前にないものを見る

この特徴が最も明確に表れる場所の一つが平泉である。

平泉に立った芭蕉は、

現在そこにある野原だけを見ているわけではない。

そこにかつて存在した、

奥州藤原氏の繁栄。

源義経。

戦い。

人々の夢。

を重ねる。

そして、

「夏草や兵どもが夢の跡」

という句へ至る。

ここで重要なのは、

目の前に武者はいない

ということである。

あるのは夏草である。

しかし芭蕉は、

現在の夏草から、消えた人々を見る。

これは場所を経験するということの非常に深い形である。

12 歴史を知ると、同じ草原が違って見える

何も知らずに平泉の野原へ立てば、

美しい緑の風景

に見えるかもしれない。

しかし歴史を知っていれば、

ここで誰が生きたか。

何が争われたか。

何が失われたか。

が見えてくる。

土地そのものは同じである。

変わるのは見る人の内部である。

つまり、

場所の意味は土地だけに存在するのではなく、見る人の知識との関係で生まれる。

この点では、旅と教養は深く関係する。

歴史を知る。

文学を読む。

それによって、実際の場所へ行った時に見えるものが増える。

13 「夏草や」は滅びの句だけなのか

「夏草や兵どもが夢の跡」は、

栄枯盛衰。

無常。

戦いのむなしさ。

を表す句として読まれることが多い。

それは自然な理解である。

しかし場所という視点から見ると、

もう一つ重要なことがある。

人間は消えた。

建物も失われた。

しかし土地は残っている。

そして草が生えている。

つまり、

人間の歴史より土地の時間の方が長い。

私たちは自分の社会や人生を非常に大きなものだと感じる。

しかし場所から見れば、

一つの時代にすぎない。

旅には、こうした時間感覚を変える作用もある。

14 芭蕉は「過去そのもの」を見ているわけではない

ただし注意したい。

芭蕉が平泉へ行ったからといって、

義経の時代そのものを見られるわけではない。

当然である。

芭蕉が見ているのは、

過去が失われた後の風景

である。

だから旅によって歴史が完全に再現されるわけではない。

むしろ逆である。

失われてしまったことを確認する。

ここに旅の重要な働きがある。

歴史書では、

「奥州藤原氏が滅亡した」

と文章で読む。

現地へ行くと、

「本当にもうない」

という事実を身体で感じる。

これは情報とは違う。

15 最上川~場所は静止していない

旅先を写真で見ると、

場所は静止した景色に見える。

しかし実際の場所は動いている。

雲が動く。

川が流れる。

天気が変わる。

季節が変わる。

最上川は、その象徴的な場所の一つである。

芭蕉は旅の途中で最上川を下る。

そこで詠まれた、

「五月雨をあつめて早し最上川」

という句は、

川を固定した景観ではなく、

動いている自然として捉えている。

旅とは名所を見ることだけではなく、

その場所が変化している時間へ自分も入ることなのである。

16 「絶景」という言葉では消えてしまうもの

現代の観光では、

絶景。

映える。

おすすめスポット。

という言葉が多く使われる。

非常に便利な言葉である。

しかし「絶景」という一語でまとめると、

場所ごとの違いが消える場合もある。

松島も絶景。

山寺も絶景。

日本海も絶景。

すると全部、

「きれいな場所」

になってしまう。

芭蕉の旅は逆である。

場所ごとに、

歴史。

人物。

古典。

宗教。

音。

季節。

を重ねる。

その結果、

同じ「美しい風景」でも意味が違う。

教養とは、場所を一般名詞から固有名詞へ戻す能力でもある。

17 象潟~風景も永遠ではない

芭蕉が訪れた象潟は、『奥の細道』の重要な目的地の一つだった。

現在の観光案内でも、象潟は『奥の細道』の最北の目的地として紹介されている。

芭蕉が見た象潟の景観は、その後の地震などによって大きく変化した。

ここには非常に重要な問題がある。

私たちは、

場所は残る

と思いがちである。

しかし場所そのものも変わる。

海岸線。

川。

森。

町。

建物。

すべて変化する。

つまり旅とは、

その時にしか存在しない場所を見ること

でもある。

同じ場所へ十年後に行っても、同じではない。

18 芭蕉自身も同じ旅を二度はできない

場所だけではない。

旅をする本人も変わる。

二十歳で京都を見る。

六十歳で京都を見る。

同じ寺でも感じ方は違う。

知識も違う。

人生経験も違う。

一緒にいる人も違う。

つまり、

同じ場所へ行くことはできても、

同じ旅を繰り返すことはできない。

これは『奥の細道』冒頭の、

月日そのものが旅をする

という考えにもつながる。

旅先だけが変わるのではない。

旅人も変化し続けている。

19 旅には「遠回り」がある

現代の移動は効率を追求する。

最短ルート。

最速列車。

乗換案内。

渋滞回避。

これは非常に合理的である。

しかし旅の価値と移動効率は同じではない。

山寺について、山形市は、芭蕉が本来の経路からわざわざ南へ向かい、人に勧められて立石寺を訪れたことを紹介している。

もし芭蕉が、

最短距離だけ

を目的にしていれば、

有名な句の一つは生まれなかったかもしれない。

旅には、

予定外の寄り道が新しい経験を作る

という性質がある。

20 現代旅行は効率化しすぎているのか

ここから現代への比較になる。

旅行計画を立てると、

一日にできるだけ多くの場所を回りたい

と考えることがある。

午前に寺。

昼に市場。

午後に博物館。

夕方に展望台。

これは悪いことではない。

限られた時間を有効に使える。

しかし問題は、

訪問地点の数

と、

旅の深さ

が一致しないことである。

十か所見たから、

一か所だけ見た人より旅を理解した、

とは言えない。

場合によっては、

一つの寺で二時間過ごした方が、

十の寺を十分ずつ見るより強く記憶に残る。

芭蕉の旅から考えられるのは、

場所を消費する速度を少し落とすこと

である。

21 「行ったことがある」とは何を意味するのか

私たちは、

京都へ行ったことがある。

松島へ行ったことがある。

山寺へ行ったことがある。

と言う。

しかし「行った」の内容には大きな差がある。

バスから見た。

写真を撮った。

一泊した。

何度も訪れた。

歴史を調べて歩いた。

地元の人と話した。

季節を変えて訪れた。

どれも「行った」である。

だから、

訪問経験は0か1ではない。

場所との関係には深さがある。

『奥の細道』は、その深さを考える作品でもある。

22 SNSは旅を浅くするのか

現代の旅を考えると、

SNSが旅を浅くした

という批判もある。

しかしこれは単純すぎる。

SNSによって、

知らなかった場所を知る。

歴史を調べる。

旅行記を読む。

現地の人の情報を得る。

こともできる。

写真を共有すること自体も悪くない。

問題なのはSNSではない。

旅の目的が「他人から見える記録」だけになること

である。

写真を撮った後、

その場所を見るのをやめてしまう。

それでは場所そのものより、

場所にいる自分の証明

が中心になる。

芭蕉の旅と比較すると、この違いが見えやすい。

23 芭蕉もまた「旅を発信した人」ではないのか

ただし、ここで芭蕉を現代人より高尚な旅人として美化してはいけない。

芭蕉も旅を文学作品にした。

つまり、

自分が見たものを他人へ伝えた。

ある意味では、

旅を発信した人

でもある。

違うのは、

発信するために何を選び、どう言葉へ変えたか

である。

すべてを記録していない。

一つの場所から、

歴史。

感情。

自然。

言葉。

を抽出する。

そして短い句と文章へ凝縮する。

問題は発信することではない。

経験をそのまま消費するのか、

一度自分の中で考えて言葉にするのか、

という違いである。

24 写真を撮ることと俳句を詠むこと

写真は、一瞬で風景を記録できる。

俳句は違う。

何を見るかを決める。

言葉を選ぶ。

不要なものを削る。

五七五という非常に小さな形へ落とし込む。

そこでは、

見たものをそのまま保存すること

より、

その場所で何を感じ取ったかを選ぶこと

が必要になる。

だから現代の旅行でも、

俳句を書く必要はないが、

自分なりの言葉を残すことには意味がある。

写真百枚より、

一行の日記の方が、

十年後にその旅を思い出させることもある。

25 場所を経験するためには「事前学習」と「余白」の両方が必要

『奥の細道』から現代の旅へ応用できることを考えると、

一見矛盾する二つの要素が必要になる。

一つは、

事前に知ること。

歴史。

文学。

地理。

人物。

を少し調べる。

もう一つは、

予定を決めすぎないこと。

現地で立ち止まる。

予定外の場所へ行く。

人に勧められた場所を見る。

この二つがあると、

知識だけの旅行にも、

行き当たりばったりの旅行にもならない。

知識を持って行き、

現地で知識を修正する。

これが場所を経験する一つの方法になる。

26 「聖地巡礼」と『奥の細道』

現代には、

映画。

アニメ。

小説。

ドラマ。

の舞台を訪ねる「聖地巡礼」がある。

これは一見すると現代特有の文化に見える。

しかし構造としては、芭蕉の旅と意外に近い部分がある。

作品で知った場所へ実際に行く。

登場人物や作者を思い出す。

現実の風景と物語を重ねる。

つまり、

文学的記憶を持って場所へ行く

という行為である。

もちろん芭蕉の歌枕への旅と現代の聖地巡礼を同一視することはできない。

歴史的背景も文化的位置も違う。

しかし、

人は物語を持つことで場所を深く経験する

という点では共通性がある。

27 旅には「死者と会う」という側面がある

芭蕉の旅には、すでに亡くなった人々が何度も登場する。

西行。

義経。

藤原三代。

昔の歌人。

芭蕉は彼らに実際に会うことはできない。

しかし彼らに関係する場所へ行く。

すると、

文章でしか知らなかった人物が、

土地と結び付く。

ここに、

旅によって死者との距離が変わる

という経験がある。

墓。

古戦場。

生家跡。

文学館。

こうした場所を訪れる意味も同じである。

死者が生き返るわけではない。

しかし、

その人が実際にこの世界に存在した

という感覚が強くなる。

28 場所は「時間の地層」である

この視点から考えると、

場所とは単なる空間ではない。

東京。

京都。

平泉。

松島。

どの場所にも、

現在だけがあるわけではない。

江戸時代。

中世。

古代。

戦争。

災害。

産業。

人々の生活。

複数の時間が重なっている。

つまり場所とは、

時間の地層

のようなものだと考えられる。

旅人がどの地層を見るかによって、

同じ土地でも違う旅になる。

芭蕉は古典と歴史の地層を強く見た旅人だった。

29 観光と旅は対立するものではない

ここで注意したい。

観光は浅く、

旅は深い、

と区別する必要はない。

観光地を見ることにも価値はある。

温泉を楽しんでもよい。

名物を食べてもよい。

写真を撮ってもよい。

重要なのは、

観光の中に、場所を経験する時間を少し加えること

だろう。

有名な寺へ行く。

その寺の歴史を一つだけ知る。

景色を見る。

十分間何もせず座る。

地元の道を少し歩く。

それだけでも旅は変わる。

30 令和の旅で実践できる五つのこと

『奥の細道』から、現代の旅へ直接的な規則を作る必要はない。

しかしヒントとして五つに整理することはできる。

第一に、

旅先について一つだけ事前に読む。

長いガイドブック全部でなくてもよい。

歴史上の人物。

小説。

古い写真。

何か一つ持って行く。

第二に、

移動の一部を歩く。

駅から目的地まででもよい。

土地の距離感が分かる。

第三に、

写真を撮った後に、もう一度見る。

撮影したことで観察を終わらせない。

第四に、

一つの場所に少し長くいる。

予定を一つ減らしてもよい。

第五に、

帰宅後に言葉を残す。

数行の日記でもよい。

「何を見たか」ではなく、

「何が自分に残ったか」

を書く。

31 旅は消費ではなく「関係を作ること」

観光産業では、

旅行商品。

観光資源。

消費額。

宿泊数。

といった言葉が使われる。

これは経済分析として必要である。

しかし個人にとっての旅は、

消費だけでは説明できない。

場所を訪れる。

知る。

記憶する。

また訪れる。

すると、

その場所と自分との間に関係が生まれる。

初めて訪れた街が、

十年後には「昔行った街」になる。

二度目には、

「変わった場所」

が見える。

旅とは、

場所との関係を作る行為

でもある。

32 『奥の細道』は日本全国観光案内ではない

現代から『奥の細道』を読むと、

芭蕉ゆかりの場所を訪ねる旅行ガイド

として使うこともできる。

実際、現在も芭蕉の足跡をたどる旅行は多数行われている。

しかし作品の本質を、

「おすすめ観光スポット集」

にしてしまうと重要なものを失う。

芭蕉が残したのは、

場所の情報

というより、

場所を見る方法

だからである。

歴史を見る。

古典を見る。

自然を見る。

現在と過去を重ねる。

自分自身の感情も見る。

この方法こそ現代に残る価値がある。

33 便利になったからこそ、旅は難しくなったのかもしれない

現代の旅は非常に便利である。

迷わない。

予約できる。

評価が分かる。

写真も事前に見られる。

失敗する可能性が小さい。

しかし逆説的に、

未知の場所へ行く感覚は弱くなった。

到着する前に、

外観。

メニュー。

料金。

評価。

撮影場所。

まで分かっている。

だから現代の旅では、

情報を増やすだけでなく、

時には情報を止める必要もあるのかもしれない。

現地へ着いたら画面を閉じる。

少し歩く。

音を聞く。

その場所が事前情報と違う部分を見る。

これは芭蕉の時代へ戻るという意味ではない。

便利さを利用しながら、

便利さによって失われる経験を意識する

ということである。

結論~旅とは、場所の中にある時間へ入ること

『奥の細道』を読むと、

芭蕉は多くの場所を訪れている。

しかし、その旅の価値は、

訪問地点の数だけにはない。

松島へ行く。

平泉へ行く。

山寺へ行く。

最上川を見る。

象潟へ行く。

その一つ一つで芭蕉は、

現在の風景だけを見ていない。

古い文学を重ねる。

歴史を重ねる。

死者を重ねる。

自然の音を聞く。

そして自分自身がそこに立っている時間を重ねる。

だから芭蕉にとって場所は、

観光対象ではない。

現在と過去が交差する場所

である。

平泉では、

目の前には夏草しかない。

しかしそこに武者たちの「夢」を見る。

山寺では、

蝉が鳴いている。

しかし、その声によってかえって静けさを感じる。

最上川では、

川という物体を見るのではない。

雨を集めながら流れる動きそのものを見る。

こうして考えると、

「場所を経験する」とは、

有名なものを見ることだけではない。

その土地について知り、

自分の身体をそこへ置き、

少し時間を使い、

そこに積み重なっている過去と現在を重ねることである。

現代の旅行は、芭蕉の時代より圧倒的に便利になった。

一日で移動できる距離も増えた。

情報量も増えた。

写真も自由に撮れる。

だから昔のように歩かなければ本当の旅ではない、

という必要はない。

新幹線に乗ってもよい。

飛行機でもよい。

写真も撮ればよい。

SNSへ投稿してもよい。

問題は方法ではない。

その場所を「見終わった」と判断する速度

なのではないだろうか。

写真を一枚撮ったら次へ行く。

有名な景色を確認したら終わる。

それでは場所は、

消費した項目の一つになってしまう。

芭蕉の旅が現代へ教えるものがあるとすれば、

もっとゆっくり歩け、

ということだけではない。

目の前にあるものだけを見ないこと。

その場所で、

昔何があったのか。

誰が生きていたのか。

誰がその風景を文章にしたのか。

何がすでに失われたのか。

そして自分は今、何を感じているのか。

そこまで含めて見る。

すると旅は、

「どこへ行ったか」

の記録から、

「そこで何を考えるようになったか」

という経験へ変わる。

『奥の細道』が三百年以上を経ても旅の文学として読み継がれる理由は、名所の情報が今でも役に立つからではない。

情報だけなら、現代のガイドブックやインターネットの方がはるかに詳しい。

それでも芭蕉が残したものには価値がある。

それは、

場所には、目に見える景色以上のものがある

という感覚である。

旅とは距離を移動することではない。

場所の中に積み重なった時間へ入り、

その時間と自分自身の人生を一瞬だけ重ねること。

『奥の細道』から現代の旅について考えるなら、

「どこへ行くべきか」

よりも、

「行った場所で、どこまで立ち止まることができるか」

という問いの方が、重要なのかもしれない。

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「嫌い」と言うことは悪いことなのか

現代社会では、多様性を尊重することが強く求められている。

性別。

年齢。

文化。

宗教。

家族の形。

働き方。

趣味。

価値観。

生き方。

人はそれぞれ違っていて、その違いを理由に排除したり、不当に扱ったりしてはいけない。

これは重要な原則である。

しかし、ここで一つ難しい問題が生まれる。

他者を尊重することと、「嫌い」と思わないことは同じなのか。

ある音楽が嫌い。

ある服装が苦手。

ある話し方が好きではない。

ある考え方には共感できない。

ある人とはどうしても相性が合わない。

こうした感情まで、多様性の名のもとに否定すべきなのだろうか。

もし、

「すべての違いを尊重するためには、好き嫌いを持ってはいけない」

となれば、それは現実の人間感情からかなり離れてしまう。

人間には好みがある。

快・不快がある。

美しいと思うものがある。

見苦しいと思うものもある。

千年以上前に書かれた『枕草子』は、まさにそうした人間の好き嫌いを驚くほど率直に書いた作品である。

清少納言は、

美しいもの。

心ときめくもの。

ありがたいもの。

うれしいもの。

に心を動かす。

その一方で、

にくいもの。

すさまじいもの。

興ざめするもの。

見苦しいもの。

にも敏感である。

現代から読むと、

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と思う箇所もある。

しかし、この率直さこそ『枕草子』の特徴でもある。

本稿では、

『枕草子』の好き嫌いを、多様性社会における「寛容」と「個人的評価」の違いから考えてみたい。

結論を先に言えば、

多様性を尊重することは、

すべてを好きになることではない。

しかし同時に、

嫌いだから排除してよい、

という意味でもない。

『枕草子』を読むと、この二つの間にある難しい境界が見えてくる。

1 『枕草子』は「好き嫌い」を隠さない文学である

『枕草子』は平安時代中期、清少納言によって書かれた随筆である。

作品には、

季節の風景。

宮廷生活。

人間関係。

衣服。

恋愛。

手紙。

儀礼。

宗教行事。

動植物。

日常の失敗。

など、非常に多くの話題が登場する。

そして特徴的なのが、

「私はこれが好き」「これは嫌い」

という評価がはっきりしていることである。

例えば「春はあけぼの」に代表される季節の美しさ。

「うつくしきもの」

「心ときめきするもの」

などには、清少納言が何に魅力を感じていたのかが表れる。

一方、

「にくきもの」

「すさまじきもの」

などでは、日常の小さな不快や、人の振る舞いへの厳しい評価が並ぶ。

つまり『枕草子』には、

客観的な百科事典のような視点ではなく、

強い主観

がある。

清少納言は世界を、

「これは良い」

「これは嫌だ」

と選びながら見ている。

そこが『枕草子』の魅力でもある。

2 「をかし」は単なる「おもしろい」ではない

『枕草子』を理解するうえで重要なのが、

「をかし」

という美意識である。

現代語の「おかしい」と同じではない。

場面によって、

趣がある。

美しい。

興味深い。

心ひかれる。

印象的である。

など複数の意味を持つ。

清少納言は、

季節。

色。

光。

衣服。

言葉。

人の振る舞い。

の中から「をかし」と感じる瞬間を拾い上げる。

ここで重要なのは、

世界を均等に見るのではなく、差を付けて見る

ということである。

すべての景色が同じではない。

すべての言葉が同じではない。

すべての行動が同じでもない。

「これは特に良い」

と選び取る。

美意識とは本来、差を付ける行為でもある。

だから、

好き嫌いを完全になくしてしまえば、

美意識そのものも成立しにくくなる。

3 清少納言は「嫌い」をかなり細かく言語化する

『枕草子』のおもしろさは、美しいものだけではない。

不快なものについても非常に具体的である。

「にくきもの」のような章段では、

日常の中で腹立たしいこと、

気に障る人の行動、

タイミングの悪さ、

気配りの不足、

などが次々に挙げられる。

現代的に言えば、

「あるある」

に近い感覚もある。

たとえば、

忙しい時に邪魔される。

期待していたのに外される。

相手が状況を読まない。

気の利かない行動をされる。

こうした不快感は、千年後の人間にも理解できる。

つまり『枕草子』は、

嫌いという感情を否定せず、むしろ細かく観察して言葉へ変換する。

ここには一つの文学的価値がある。

感情をただぶつけるのではなく、

「なぜ嫌なのか」

を言葉にするからである。

4 「嫌い」と「相手を傷つける」は同じではない

ここから現代社会へ考えを進めてみよう。

あるものを嫌いだと思うことと、

嫌いな相手を攻撃することは別である。

例えば、

ある音楽が嫌い。

ある食べ物が苦手。

ある服装が好みではない。

これは個人的な感覚である。

しかし、

その音楽を好む人を見下す。

その文化を禁止しようとする。

その人を排除する。

となれば話が変わる。

つまり、

内面の評価と、他者への行為を分ける必要がある。

多様性社会で重要なのは、

「嫌いという感情を持ってはいけない」

ことではない。

むしろ、

嫌いという感情を理由に、不当に相手の権利を奪わないこと

である。

この区別が重要になる。

5 多様性とは「何でも好きになること」ではない

多様性という言葉は、ときどき誤解される。

異なる価値観を尊重する。

異なる生活様式を認める。

異なる文化と共存する。

こうした考え方が、

「すべてを肯定しなければならない」

という意味に変わることがある。

しかし、それでは現実的ではない。

人は、

共感できない考え方を持つことがある。

苦手な文化もある。

理解できない生活習慣もある。

それでも、

相手が存在する権利まで否定しない。

これが寛容の基本的な形である。

寛容とは、

賛成すること

ではない。

好きになること

でもない。

違うと思いながら共存すること

である。

6 『枕草子』には「差別的」に見える部分もある

ただし、『枕草子』の好き嫌いをそのまま現代の多様性論へ利用することはできない。

なぜなら作品には、

身分。

年齢。

職業。

容姿。

男女関係。

などについて、現代から見れば厳しい評価や固定観念に見える部分もあるからである。

清少納言は平安宮廷社会の人物である。

身分秩序が存在する。

性別による社会的役割も現代とは大きく異なる。

宮廷文化には、

服装。

言葉遣い。

振る舞い。

教養。

に関する細かな規範があった。

だから、

『枕草子』に書かれた好き嫌い

現代にも通用する正しい価値判断

ではない。

重要なのは、

好き嫌いを持つこと自体と、その好き嫌いを社会的評価へ変換することを分けて読む

ことである。

7 清少納言の評価には「宮廷文化の基準」がある

清少納言の好き嫌いは、完全に個人的なものでもない。

その背後には、

宮廷社会の美意識。

身分秩序。

教養。

儀礼。

言葉遣い。

があります。

つまり、

「これは美しい」

「これは見苦しい」

という判断には、

社会的なルール

も含まれている。

例えば服装。

当時の宮廷社会では、

色の組み合わせ。

季節。

場面。

身分。

によって「ふさわしさ」が存在した。

そのため、

「好き嫌い」

と、

「社会規範」

が混ざっている。

ここが現代との違いである。

8 現代にも「好き嫌い」と社会規範は混ざっている

しかし、この問題は平安時代だけではない。

現代でも、

「私は嫌い」

と思っているだけなのか、

「社会的に間違っている」

と判断しているのか、

自分自身でも区別できていないことがある。

例えば、

若者の言葉遣いが嫌い。

新しい服装が嫌い。

特定の音楽が嫌い。

SNSの使い方が嫌い。

ここまでは個人的好みかもしれない。

しかし、

「こんな文化はなくなるべきだ」

「こういう人は社会的に劣っている」

となれば、

個人的な好みが社会的な序列へ変わっている。

つまり人間はしばしば、

自分の好みを普遍的な正しさだと錯覚する。

ここに注意が必要である。

9 「私は嫌い」と「これは悪い」は違う

多様性社会では、この区別が非常に重要になる。

「私は嫌いです」

と、

「これは悪いものです」

は同じではない。

前者は主観である。

後者は、より一般的な判断を含む。

例えば、

私は納豆が嫌いだ。

これは個人の好みである。

しかし、

納豆を食べる人は間違っている。

となれば論理が飛躍している。

価値観についても同じである。

私はある生き方を選ばない。

これは自由である。

しかし、

その生き方を選ぶ人は劣っている。

となれば、他者への評価に変わる。

自分の好みを自分の範囲にとどめられるか。

これは現代の寛容において重要な能力である。

10 清少納言は「好みを言語化する力」が非常に強い

『枕草子』のおもしろさは、

好き嫌いが強いことだけではない。

その感覚を細かく言葉にできるところにある。

単に、

「嫌い」

で終わらない。

どの瞬間が嫌なのか。

どの振る舞いが興ざめなのか。

何と何の組み合わせが美しいのか。

どんなタイミングが心地よいのか。

これを具体的に書く。

ここには現代にも参考になるものがある。

感情を言葉にすることができれば、

他人を直接攻撃せずに、自分の好みを表現できる。

「あなたが嫌い」

ではなく、

「私はこういう場面が苦手だ」

と言える。

この差は大きい。

11 好き嫌いを分析すると「自分」が見えてくる

人が何を好きかを見ると、

その人の価値観が見える。

何を嫌うかを見ても同じである。

清少納言が何を美しいと感じ、

何を興ざめだと感じたかを見ることで、

彼女がどのような世界を理想としていたのかが見えてくる。

例えば、

季節感。

細やかな配慮。

機転。

言葉の美しさ。

場面に合った振る舞い。

こうしたものに高い価値を置いている。

逆に、

鈍感さ。

場違いな振る舞い。

気の利かなさ。

期待外れ。

などに厳しい。

つまり、

嫌いなものの一覧は、裏返せば理想の一覧でもある。

これは現代人にも当てはまる。

自分が何を嫌うのかを分析すると、

自分が何を大切にしているのかが見えてくる。

12 しかし「嫌い」は自己理解だけでは終わらない

問題は、

自分の嫌悪感をどのように他人へ向けるかである。

例えば、

私は時間にルーズな人が嫌い。

という場合、

その背景には、

時間を守ることを大切にしている

という価値観がある。

ここまでは自己理解になる。

しかし、

時間にルーズな人は人間として劣っている。

となると、

評価が人格全体へ拡大している。

つまり、

一つの行動への嫌悪と、人間全体への否定を分ける必要がある。

これはSNS時代には特に重要である。

13 SNSでは「嫌い」が増幅されやすい

SNSでは、

短い言葉。

強い表現。

明確な賛否。

が広がりやすい。

「私は苦手です」

より、

「最悪だ」

「あり得ない」

「こんな人間は駄目だ」

という表現の方が注目を集めることもある。

すると、

個人的な好き嫌いが、

社会的な善悪判定へ変化しやすい。

さらに他の人が賛同すると、

「自分の嫌いは正しい」

と確信しやすくなる。

ここで、

好みの集団化

が起きる。

個人の不快感が、

集団的な攻撃へ変わる場合もある。

14 清少納言の「嫌い」は炎上とは違う

ここで『枕草子』と現代SNSを単純に同じものとしてはいけない。

清少納言が「にくきもの」を書くことと、

現代で特定の個人を名指しして集団攻撃することは違う。

作品の多くは、

日常の類型。

一般的な場面。

人間の振る舞い。

への観察である。

もちろん実在の宮廷社会や人物を背景に持つ箇所もあるが、

現代のSNSのように、

不特定多数が即座に一人の人間へ反応を集中させる構造とは違う。

したがって現代に応用するなら、

『枕草子』から学ぶべきなのは、

「嫌いな人を言葉で攻撃してよい」

ということではない。

むしろ、

嫌悪感を観察し、一般化し、文学へ変える能力

である。

15 「にくい」と感じること自体を否定しない

現代のコミュニケーションでは、

「そんなことを嫌いと言ってはいけない」

という圧力が生じる場合がある。

しかし、感情そのものを禁止することは難しい。

嫌いなものは嫌い。

苦手なものは苦手。

問題は、

その感情をどう扱うかである。

感情を否定すると、

表面では寛容でも、

内側では不満が蓄積することがある。

だから、

嫌いと感じること自体を認める

ことは重要である。

ただし、

嫌いだから攻撃する。

嫌いだから排除する。

嫌いだから権利を認めない。

とはしない。

ここが境界である。

16 寛容とは「我慢」だけでもない

寛容という言葉には、

嫌だけれど我慢する

という印象もある。

しかし、それだけでは長続きしない。

より現実的なのは、

自分には自分の好みがある。

相手には相手の好みがある。

その違いが、

重大な権利侵害や危険を生まない限り、

互いに違ったまま存在する。

という考え方である。

つまり、

多様性社会で必要なのは、

「好きになる努力」

より、

「嫌いでも共存できる技術」

なのかもしれない。

17 嫌いなら距離を取ってもよい

多様性を尊重することは、

すべての人と親しく付き合うことでもない。

人間には相性がある。

ある人とはよく合う。

ある人とは合わない。

だから、

無理に友達になる必要はない。

距離を取ることもできる。

重要なのは、

その人を排除することと、

自分が距離を取ることを分けることだ。

例えば、

ある人とは価値観が合わない。

だから個人的には深く付き合わない。

しかしその人が社会で生活する権利は尊重する。

これは十分に両立する。

共存と親密さは別である。

18 職場では「好き嫌い」と公平性を分ける必要がある

この区別は、職場や学校ではさらに重要になる。

上司が、

この部下は好き。

この部下は嫌い。

という感情を持つこと自体は完全には防げない。

しかし、

評価。

昇進。

仕事の配分。

給与。

にその感情を直接反映すれば問題になる。

つまり、

個人的評価と制度的判断を分ける必要がある。

多様性社会では、

「嫌いにならないこと」より、「嫌いでも公平に扱えること」

の方が重要である。

これは非常に実務的な考え方でもある。

19 民主主義も「嫌いな相手と共存する制度」である

この問題を社会全体へ広げると、民主主義にもつながる。

民主主義とは、

全員が同じ価値観になる制度ではない。

むしろ、

自分とは違う考えの人がいる。

嫌いな政治思想がある。

納得できない政策がある。

それでも、

選挙。

法律。

議会。

言論。

によって共存する制度である。

つまり民主主義は、

好きな人同士だけで社会を作る仕組みではない。

嫌いな人、

反対意見を持つ人、

理解しにくい人、

とも同じ社会を構成する。

ここに寛容の本当の難しさがある。

20 「嫌い」と言えない社会も危険である

一方で、

「嫌いと言ってはいけない」

という社会にも問題がある。

何でも肯定する。

批判しない。

不快感を表明しない。

それが「多様性」だとすれば、

議論そのものができなくなる。

ある考え方には反対する。

ある作品はつまらないと思う。

ある政策は嫌いだ。

ある文化は自分には合わない。

こうした発言まで禁止されれば、

表面的には穏やかでも、

思想や文化を評価する自由が失われる。

多様性とは、

評価しないことではない。

評価が複数存在することでもある。

21 文学批評は「好き嫌い」から始まってもよい

文学を読むときも同じである。

すべての名作を好きになる必要はない。

夏目漱石が苦手。

芥川龍之介が好き。

古典文学が好き。

現代小説は苦手。

それでよい。

重要なのは、

なぜそう感じるのか

を考えることだ。

「嫌い」で終わると感想である。

しかし、

文章のリズムが合わない。

人物描写が苦手。

世界観に共感できない。

語り方が好きではない。

と分析すれば、批評になる。

清少納言の強さは、

感覚を言葉へ変えるところ

にある。

22 「好き嫌いを持つ自由」と「他者の自由」は両立する

ここまでを整理すると、

多様性社会には二つの自由がある。

一つは、

自分が好き嫌いを持つ自由。

もう一つは、

相手が自分と違う生き方をする自由。

この二つが衝突する場合がある。

例えば、

自分はある文化が嫌い。

しかしその文化を楽しむ人には自由がある。

自分はある服装が好きではない。

しかし他人には着る自由がある。

つまり、

自分の感情と、

相手の権利、

を切り分ける。

これが重要になる。

23 ただし「何でも許される」わけではない

ここで、多様性をもう一方向からも整理しておく必要がある。

嫌いでも認める。

違っていても共存する。

だからといって、

すべての行為を認めなければならないわけではない。

暴力。

詐欺。

差別。

脅迫。

権利侵害。

こうした行為は、

単なる「多様な価値観」として扱うことはできない。

つまり多様性には、

共通のルール

が必要である。

価値観は違ってよい。

しかし他人の基本的な権利を侵害してはいけない。

ここが共存の土台になる。

24 清少納言の「主観」は、現代ではむしろ重要かもしれない

現代社会では、

客観的であること。

公平であること。

中立であること。

が重視される。

もちろん公共政策や報道では重要である。

しかし文学は必ずしも中立である必要はない。

むしろ、

一人の人間がどう世界を感じたか

を書く。

だから面白い。

『枕草子』から千年以上たった今でも、

清少納言の声が聞こえるように感じるのは、

彼女が無理に中立を装っていないからだろう。

好きなものは好き。

嫌いなものは嫌い。

その代わり、

なぜそう感じるのかを具体的に描く。

この態度は、

現代の文章にも重要な示唆を持つ。

25 主観を持つことと、独善的であることは違う

「私はこう思う」

という主観と、

「私がそう思うのだから正しい」

という独善は違う。

清少納言的な主観を現代へ応用するなら、

自分の感覚を隠さない。

しかし、

それを普遍的真理だとは思わない。

という姿勢が必要になる。

つまり、

強い主観と、弱い断定

を組み合わせる。

「私は嫌いだ」

とは言う。

しかし、

「だから全員が嫌うべきだ」

とは言わない。

この区別は、多様性社会にかなり重要である。

26 「あなたが嫌い」と「あなたのこの行動が嫌い」を分ける

人間関係では、もう一つ有効な区別がある。

人物全体への評価と、

特定の行動への評価を分けることである。

「あなたが嫌い」

ではなく、

「その言い方は苦手だ」

「その行動は困る」

と言う。

人間全体を否定するのではなく、

問題となっている行動を限定する。

これはコミュニケーション上、大きな違いになる。

嫌悪を具体化することで、

修正可能な問題へ変えられる場合がある。

ここでも、

『枕草子』の具体的な観察力は参考になる。

27 嫌いな理由を説明できないこともある

ただし、すべての好き嫌いを論理的に説明できるわけではない。

なぜか好き。

なぜか苦手。

ということもある。

美意識には、

合理的説明だけでは捉えられない部分がある。

清少納言の「をかし」も、

完全な論理体系ではない。

瞬間的な感覚。

色。

音。

季節。

人の気配。

によって心が動く。

現代社会ではデータや論理が重要である。

しかし、

人間のすべての価値判断が論理だけで作られているわけではない。

文学は、その部分を残している。

28 多様性社会に必要なのは「感情の統一」ではない

ここまで考えると、

多様性社会とは、

全員が同じ感情を持つ社会

ではないことが分かる。

むしろ、

好き。

嫌い。

興味がある。

興味がない。

理解できる。

理解できない。

さまざまな感情が存在する。

そのうえで、

基本的な権利。

公共ルール。

公平性。

を守る。

つまり、

感情の多様性まで認めること

が、本当の意味での多様性なのかもしれない。

29 令和の私たちが『枕草子』から考えられる五つのこと

『枕草子』を現代の多様性論へそのまま教科書として使うことはできない。

しかし、考える材料として整理するなら、五つの視点がある。

第一に、

好き嫌いを持つこと自体は悪ではない。

人間には好みがある。

第二に、

好き嫌いと他者の権利を分ける。

嫌いだから排除してよいわけではない。

第三に、

自分の好みを普遍的な正しさにしない。

「私は嫌い」と「これは悪い」は違う。

第四に、

感情を具体的な言葉へ変える。

単なる攻撃ではなく、なぜ嫌なのかを考える。

第五に、

嫌いな相手とも必要な範囲で公平に共存する。

親しくなる必要はない。

しかし不当に扱わない。

30 『枕草子』を現代の多様性思想にしてはいけない

最後に、最も重要な注意を確認しておきたい。

清少納言は、

現代の人権思想。

多様性政策。

社会的包摂。

を考えて『枕草子』を書いたわけではない。

平安時代の宮廷女性である。

その価値観には、

当時の身分社会。

男女関係。

教養観。

美意識。

社会規範。

が反映されている。

したがって、

「清少納言は現代的な多様性を理解していた」

と書くのは正確ではない。

現代へ応用できるのは、

作品に描かれた具体的な価値判断そのものではなく、

人間が好き嫌いを持ちながら世界を見るという事実

である。

結論~多様性とは「嫌いにならないこと」ではない

『枕草子』は、

非常に好き嫌いの多い文学である。

春の曙は美しい。

夏の夜はよい。

あるものは心ときめく。

あるものはかわいらしい。

そして、

あるものはにくい。

あるものは興ざめである。

清少納言は、そうした感情を隠さない。

この率直さを現代から読むと、

一つの問いが生まれる。

多様性を尊重する社会では、

「嫌い」

と言ってはいけないのだろうか。

答えは、おそらくそうではない。

人間は、

すべての文化を好きになる必要はない。

すべての人と親しくなる必要もない。

すべての価値観へ共感する必要もない。

好き嫌いは残る。

むしろ人間から好き嫌いを完全に取り除けば、

美意識も、

趣味も、

批評も、

個性も、

かなり失われてしまう。

問題は、

嫌いという感情を、そのまま他者の価値の否定へ変換すること

である。

私は嫌い。

だからあなたは間違っている。

私は不快だ。

だから存在してはいけない。

この飛躍をしないことが重要になる。

多様性社会とは、

全員が互いを好きになる社会ではない。

むしろ、

好きになれない人や、理解しにくい価値観が存在することを前提に、それでも共存できる社会

である。

そして寛容とは、

何でも賛成することではない。

我慢して黙ることでもない。

自分の好き嫌いを持ちながら、

相手にも相手の自由があることを認めることである。

清少納言の『枕草子』から現代へ引き出せるものがあるとすれば、

「嫌いと言ってよい」

という単純な許可ではない。

もっと重要なのは、

嫌いという感情を、自分の感情として引き受けること

なのだろう。

「私はこれが嫌いだ」

と言う。

しかし、

「だからあなたも嫌うべきだ」

とは言わない。

「私はこの人とは合わない」

と言う。

しかし、

「だからこの人には価値がない」

とは言わない。

「私はこの文化が苦手だ」

と言う。

しかし、

「だから存在してはいけない」

とは言わない。

その距離を保つ。

これは簡単ではない。

しかし、おそらく多様性社会に必要なのは、

好き嫌いをなくすことではなく、

好き嫌いを持ったまま、他者を不当に傷つけずに生きる技術

なのではないだろうか。

『枕草子』は千年前の宮廷社会を描いた作品である。

それでも私たちがそこに親近感を覚えるのは、

清少納言が、

美しいと思い、

腹を立て、

心をときめかせ、

興ざめし、

人を観察する、

極めて人間的な存在だからである。

多様性の時代だからこそ、

人間に好き嫌いがあるという現実から出発した方がよい。

そのうえで問うべきなのは、

「嫌いと思ってはいけないのか」ではなく、「嫌いと思ったあと、私はその感情をどう扱うのか」

なのである。

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『徒然草』は「老い」を単純には肯定しない

現代の日本では、長寿は基本的に肯定的な価値として語られる。

できるだけ健康に長く生きる。 高齢になっても社会との関係を保つ。 新しいことを学び、働き、趣味を楽しむ。

こうした考え方は、現在の高齢社会ではごく自然なものになっている。

ところが、『徒然草』を読むと、それとはかなり違った老年観に出会う。

兼好法師は第七段で、人間の命に限りがあるからこそ「もののあはれ」が生まれるとし、長く生きれば恥も多くなるとまで述べる。そして、当時の年齢感覚から「四十に足らぬほど」を一つの区切りとして語っている。

現代の感覚から見れば、かなり厳しい。

しかし一方で、第百七十二段では、若者には血気と情欲が多く、老いた人は精神が衰える代わりに心が静かになり、無益なことをしなくなるとして、「老いて、智の、若きにまされる事」を明確に認めている。

つまり兼好は、

老い=衰退

とも、

老い=成熟

とも単純には考えていない。

そこにはもっと複雑な人間観がある。

老いれば身体や精神の一部は衰える。 しかし、それによって欲望や衝動から距離を取れる場合もある。

年齢を重ねれば経験は増える。 しかし、それだけで賢くなるわけではない。

長く生きることそのものには価値があるとは限らない。 しかし、長く生きたからこそ得られる知恵もある。

『徒然草』の老いを読む面白さは、この矛盾にある。

そしてこの矛盾は、令和の高齢社会を考える上でも意外に重要である。


1 『徒然草』は老後の指南書ではない

まず前提として、『徒然草』は「老後の生き方」を体系的に論じた本ではない。

兼好は、人生論、恋愛、芸能、宗教、死、美意識、人間関係、礼儀、社会の振る舞いなど、多様な話題を断片的に書いている。

したがって、『徒然草』全体から一つの統一された「老年哲学」を作るのは慎重でなければならない。

ある段では老年を厳しく見る。

別の段では老年の知恵を評価する。

また、年齢そのものよりも、

欲望、 見栄、 執着、 時間、 死、 社会との距離、

を問題にしている段も多い。

だからこそ、「兼好は老人をどう評価したか」という問いより、

兼好は、人間が年齢を重ねることで何が変わると考えたのか

と問う方が適切だろう。


2 第七段~なぜ長生きを無条件に喜ばないのか

第七段は、『徒然草』の老年観を考える上で最も重要な段の一つである。

冒頭は、

「あだし野の露消ゆる時なく」

で始まる。

人が死なず、火葬の煙も立たず、いつまでも生き続ける世界であれば、「もののあはれ」は存在しないだろう、と兼好は考える。

ここには、

有限であるからこそ人生には価値が生じる

という発想がある。

花が散らない。

季節が変わらない。

人が老いない。

誰も死なない。

一見すると理想的な世界に見える。

しかし、永遠に続くものには「惜しい」という感情が生まれにくい。

兼好にとって、失われる可能性があるからこそ、人は何かを大切だと感じる。

これは単なる死の賛美ではない。

むしろ、

時間に限りがあるという認識が、生きている時間の密度を高める

という考え方だと読める。


3 「命長ければ辱多し」は何を批判しているのか

第七段で、現代人が最も違和感を覚えるのは、

「命長ければ辱多し」

という言葉だろう。

これをそのまま、

「長生きすることは恥である」

と現代語化すると誤解を生む。

兼好が続けて批判しているのは、単なる老化ではない。

年を重ねても、

人前に出ようとする。 子孫の繁栄をいつまでも見届けようとする。 世俗への欲望が深くなる。 生命への執着が強くなる。

そうした姿を「もののあはれも知らず」と批判する。

つまり問題は、

年齢ではなく執着

なのである。

若い頃には欲望を持つことが自然であったとしても、人生の終盤まで同じ欲望を拡大し続けることを兼好は疑問視する。

ここから見えてくるのは、

「年を取ったら何もしない方がよい」

という教訓ではない。

むしろ、

人生の段階が変われば、欲望の持ち方も変わるべきではないか

という問いである。


4 兼好の「四十歳」を現代へそのまま持ち込んではいけない

第七段には、四十歳に届かないほどで死ぬのが見苦しくない、といった趣旨の記述がある。

当然ながら、これは現代の人生設計へ直接移植できない。

中世と現代では、

医療、 栄養、 寿命、 家族制度、 労働環境、 社会保障、

などがまったく違う。

現代の四十歳は、多くの人にとって人生の中盤にすぎない。

したがって古典から学ぶ場合、

数字と思想を分ける必要がある。

「四十歳」という具体的年齢は当時の文化的背景に属する。

しかし、

「人生の時間は無限ではない」

という認識は現代にも通じる。

古典を現代化するときに重要なのは、数字を真似ることではなく、その数字の背後にある問題意識を読むことである。


5 第四十九段~「老いてから始めればよい」は危険である

老いと時間を考える上では、第四十九段も重要である。

ここで兼好は、

「老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ」

と述べる。

年を取ってから仏道修行を始めようなどと思ってはいけない、という意味である。

理由は単純である。

人はいつ死ぬか分からない。

老年になってから重要なことを始めようと思っていても、そこまで生きられる保証はない。

これは本来、仏道修行についての文章である。

しかし現代的に読むなら、

「いつか時間ができたら」

という人生設計への批判としても読むことができる。

いつか勉強する。 いつか旅行する。 いつか家族とゆっくり過ごす。 いつか本を書く。 いつか仕事を変える。

私たちは重要なことほど、将来へ先送りすることがある。

しかし兼好の発想では、

重要なことほど先に行うべきである。

老いとは、何かを始めるために待つ時期ではなく、

老いる前から時間を意識するための基準なのである。


6 第七十四段~人はなぜ一生走り続けるのか

第七十四段では、人間がまるで蟻のように集まり、東西へ走り回る姿が描かれる。

老いた人も若い人もいる。

さまざまな人間が忙しく行き交う。

そして、その根底にあるものとして、生への執着や利益を求める心が問題にされる。

これは現代の労働社会を直接批判した文章ではない。

しかし、

もっと稼ぎたい。 もっと評価されたい。 もっと持ちたい。 もっと地位を上げたい。

と走り続ける人間の姿には、現代にも通じる部分がある。

ここで重要なのは、

仕事をするな、

という意味ではない。

むしろ、

自分が何のために忙しくしているのかを理解しているか

という問いである。

人生の時間が限られているなら、忙しさそのものを目的にしてよいのか。

これは老後だけの問題ではない。

若い時から考えるべき問題である。


7 第百十三段~兼好が嫌った「年齢に似合わない振る舞い」

第百十三段には、現代の価値観から見ると、かなり厳しい年齢観が表れている。

兼好は、

「老人の、若き人に交りて、興あらんと物言ひゐたる」

姿を見苦しいものの例に挙げている。

さらに、四十歳を過ぎた人が恋愛や男女関係について表立ってふざけて語ることなども、年齢にふさわしくないとする。

これは現代社会へそのまま適用すべきではない。

現代では、

高齢者が若者と交流する。 新しい文化を楽しむ。 恋愛する。 新しい趣味を始める。

こと自体に問題はない。

むしろ社会的孤立を防ぐという意味では、世代間交流には価値もある。

したがって、

「老人は若者と交わるべきではない」

という教訓を引き出すのは不適切である。

しかし、別の読み方はできる。

兼好が批判しているのは、

年齢を受け入れず、若者として評価されようとする振る舞い

なのではないか。

この点は現代にも通じる。

若者と交流することと、

若者に見られなければ価値がないと思うことは違う。


8 アンチエイジングと「若さへの執着」は同じではない

現代社会では、若さを維持するための商品やサービスが非常に多い。

美容、 運動、 医療、 食生活、 衣服、

など、老化を遅らせるための努力は一般的である。

しかし、ここでは二つのことを分ける必要がある。

一つは、

健康を維持すること。

もう一つは、

若く見られることを自己価値の中心にすること。

前者には合理的な意味がある。

身体機能を維持できれば、自立して生活できる可能性が高まる。

しかし後者が過度になると、

「老いて見えること=価値が下がること」

になってしまう。

兼好の第七段や第百十三段を現代へ応用するなら、

老化に逆らうな、

ではなく、

若さだけを人間の価値基準にしない

という方向に読む方が妥当だろう。


9 第百五十一段~五十歳から新しいことを始めるな、なのか

第百五十一段は、老年観を考える上で非常に興味深い。

「或人の云はく」として、

五十歳になっても上手にならなかった芸は捨てるべきだ、

という考えが紹介される。

さらに、

多くの人に交わることも見苦しい。 さまざまな営みをやめ、暇がある方が望ましい。 世俗のことに関わって一生を終えるのは愚かである。

といった考えが続く。

ここで注意したいのは、この段の冒頭が、

「或人の云はく」

で始まっていることである。

つまり形式上は、兼好自身が直接断定しているのではなく、「ある人の説」を紹介している。

もちろん、『徒然草』に載せている以上、兼好の関心と無関係ではない。

しかし、

「兼好は五十歳を過ぎたら新しいことをするなと言った」

と単純化するのは危険である。

現代では五十歳、六十歳から新しい学問、資格、趣味、仕事を始める人もいる。

この段を現代的に読むなら、

新しいことを始めるな、

ではなく、

限られた時間の中で、本当に続ける価値のあることを選別する

という方向が現実的だろう。


10 第百七十二段~老年は若年より「智」において勝る

前稿で最も重要な段数誤認があったのが、この部分である。

第百七十二段

である。

この段で兼好は、若者をかなり率直に描いている。

若い時には血気が多い。

心が動きやすい。

情欲も多い。

美しいものを求め、争い、羨み、好むものも定まらない。

それに対し、老いた人については、

精神は衰えるが、

心は自然に静かになり、

無益なことをせず、

自分の身を守り、

他人へ余計な苦労をかけないようになる、

と書く。

そして最後に、

「老いて、智の、若きにまされる事」

と明言する。

これは兼好の老年観を考える上で非常に重要である。

老いを全面的な衰退とは見ていないからだ。


11 老化と成熟は同じではない

第百七十二段から読み取れるのは、

能力には年齢によって異なる方向性がある

ということである。

若者には、

身体的活力、 情熱、 冒険心、 恋愛感情、 競争心、

がある。

老年になると、その一部は弱くなる。

しかし代わりに、

慎重さ、 平静、 距離感、 判断力、

が形成される場合がある。

ただし、ここで重要なのは、

老いれば自動的に賢くなる、

とは書けないことである。

年齢を重ねても、

欲深い人はいる。 見栄を張る人はいる。 感情的な人もいる。

だから、

老化は生物学的に進むが、成熟は自動的には進まない。

老化と成熟を分けて考える必要がある。


12 第百四十段~死後まで所有し続けようとしない

第百四十段では、財産について非常に明確な考えが示されている。

「身死して財残る事は、智者のせざる処なり」

と始まり、必要以上に物を蓄え、死後に財産を残して争いを起こすことを批判する。

そして、

誰かに譲りたい物があるなら、

生きているうちに譲るべきだ

とする。

現代では相続制度が整備されており、財産を残すこと自体が悪いわけではない。

したがって、

財産を全部処分すべきだ、

という教訓へ単純化することはできない。

しかし、

人生後半において、

何を所有し続けるのか。 誰に何を渡すのか。 自分が死んだ後まで管理できると思っていないか。

という問いは、現在でも現実的である。


13 成熟とは「増やすこと」だけではない

現代社会では、人間の成長を「増加」で考えがちである。

知識を増やす。

資格を増やす。

収入を増やす。

財産を増やす。

経験を増やす。

人脈を増やす。

しかし人生の後半では、逆方向の能力も重要になる。

物を減らす。

役割を減らす。

責任を渡す。

人間関係を整理する。

仕事量を調整する。

これは「衰える」という意味ではない。

むしろ、

限られた時間と能力を重要なものへ集中させる作業

と考えることができる。

第百四十段や第百五十一段には、こうした「減らすこと」の思想につながる部分がある。


14 第百八十八段~すべてをやろうとすると何も成し遂げられない

兼好は、

「一事を必ず成さんと思はば」

と述べる。

何か一つを本当に成し遂げようとするなら、

他のことが壊れることを惜しまず、

人に笑われることも恐れず、

すべてと引き換えにするくらいでなければ、

大事は成し遂げられないという。

そして、登蓮法師が雨の中でもすぐに教えを聞きに走った逸話を紹介する。

「雨がやんでから」と待っている間に、自分も相手も死ぬかもしれない。

だから今行く。

という話である。

これは老後論そのものではない。

しかし、

時間には限りがある

という『徒然草』の人生観と強くつながっている。


15 「いつか」は存在しないかもしれない

第四十九段と第百八十八段を合わせて読むと、兼好の時間感覚がよく分かる。

老いてから始めよう。

雨がやんでから行こう。

暇ができてからやろう。

そう考えているうちに、機会そのものが失われることがある。

これは現代でも同じである。

人生後半になると特に、

「いつか」の意味が変わる。

若い頃の一年と、高齢になってからの一年では、心理的にも実際の選択可能性の面でも重みが違う場合がある。

だからこそ、

重要なことは先延ばししない

という兼好の感覚は、現代でも十分に考える価値がある。


16 老後は「第二の青春」でなければならないのか

現代では、

第二の人生、

第二の青春、

人生100年時代、

といった表現が使われる。

高齢になっても活動し続けることを肯定する言葉であり、それ自体には意味がある。

しかし、そこに一つの危険もある。

活動的であることだけが、良い老後なのか。

たくさん旅行する。

働き続ける。

資格を取る。

人付き合いを増やす。

趣味を増やす。

これらを行うことは自由である。

しかし、やらない自由もある。

『徒然草』から読み取れるのは、

人生には前へ出る時期と、引く時期の両方がある

という考え方である。


17 成熟には「引く力」が必要になる

若い時代には、前へ出る能力が重要になる。

仕事を覚える。

競争する。

家庭を作る。

責任を引き受ける。

地位を築く。

しかし人生後半には、

別の能力も重要になる。

人に任せる。

後継者へ渡す。

自分が中心でなくても構わないと思う。

役割を減らす。

過去の成功から離れる。

この能力を、

「引く力」

と考えてみてもよいだろう。

これは社会から消えるという意味ではない。

必要な時には経験を提供する。

しかし、常に自分が主役である必要はない。

第百七十二段の「無益のわざを為さず」という老年像には、こうした節度との接点がある。


18 ただし「静かに生きること」を強制してはいけない

ここで逆方向の誤解も避けなければならない。

『徒然草』を使って、

高齢者は大人しくしているべきだ。

新しいことを始めるべきではない。

若者の社会へ口を出すべきではない。

という結論を出すのは適切ではない。

これは中世の年齢規範を現代へそのまま移植することになる。

現代社会では、

高齢になっても働くこと、

政治活動を行うこと、

学ぶこと、

恋愛すること、

新しい技術を使うこと、

すべて本人の自由である。

古典から得られるのは行動規則ではない。

自分がその行動をなぜしているのかを考える視点

である。


19 「若さ」と「老い」を対立させない

第百七十二段は、若者を完全に否定しているわけでもない。

若者には若者の特徴がある。

情熱がある。

身体的活力がある。

新しいものへ向かう力がある。

一方で、老年には老年固有の可能性がある。

静かさ。

経験。

節度。

判断。

問題は、

どちらが優れているか、

ではない。

人生の段階によって、価値のある能力が変わる

ということである。

老年を若さの劣化版として見る必要はない。

同時に、老年を自動的に「賢さ」の象徴にする必要もない。


20 高齢社会では「経験」も更新しなければならない

現代社会では、兼好の時代にはなかった問題もある。

社会変化が非常に速い。

技術が変わる。

職業が変わる。

家族形態が変わる。

制度も変わる。

したがって、

「長く生きているから分かる」

だけでは通用しない場合がある。

経験には価値がある。

しかし、過去の経験が現在にも通用するかどうかを検証する必要がある。

ここに現代型の成熟がある。

経験を持っていることではなく、経験を必要に応じて修正できること

である。

これは『徒然草』そのものに書かれているわけではない。

しかし、第百七十二段の「智」を現代へ応用するなら、単なる経験年数ではなく、自己修正可能な判断力として読み直す方が現実的である。


21 令和時代に読み替える五つの視点

ここまでを現代の人生へ応用するなら、五つに整理できる。

第一に、

時間を無限だと思わない。

第四十九段と第百八十八段が示すように、重要なことを無期限に先送りしない。

第二に、

若さを人間の唯一の価値にしない。

第百七十二段は、老年に若者とは異なる価値があり得ることを示す。

第三に、

役割を減らすことを失敗と考えない。

人生後半では、拡大より選択が重要になる場合がある。

第四に、

所有を整理する。

第百四十段のように、死後まで所有へ執着するのではなく、生きている間に整理しておくという考え方には現代的意味がある。

第五に、

年齢に応じて自分を更新する。

若い頃に作った自己像を最後まで維持し続ける必要はない。


22 兼好を現代の「老後コンサルタント」にしてはいけない

それでも、『徒然草』を現代の老後指南書にするのは危険である。

兼好の価値観には、

中世の社会制度、

宗教観、

身分秩序、

男女観、

年齢規範、

が反映されている。

特に第七段や第百十三段、第百五十一段にある年齢感覚を、そのまま現代社会へ適用することはできない。

古典を読む意味は、

「昔の人の言うことは正しい」

と従うことではない。

逆に、

「昔だから間違っている」

と捨てることでもない。

重要なのは、

異なる時代の価値観を使って、現代の常識を照らし直すこと

である。


23 『方丈記』との違い~同じ「無常」でも論点は違う

『徒然草』と『方丈記』は、ともに中世文学として「無常」と結び付けて語られることが多い。

しかし、同じ内容ではない。

鴨長明の『方丈記』では、

災害、

社会的不安、

住居、

生活規模、

隠遁、

などが重要になる。

一方、『徒然草』では、

人間の欲望、

時間の使い方、

年齢、

芸能、

人付き合い、

見栄、

所有、

身の処し方、

などが細かく観察される。

したがって、両作品を現代へ読む場合も分けた方がよい。

『方丈記』が、

変化する社会の中で、生活をどう再構成するか

を考える素材になるとすれば、

『徒然草』は、

変化する自分自身を、どう受け入れて生き方を変えるか

を考える素材になる。

この違いは重要である。


結論~成熟とは「昔の自分を維持すること」ではない

『徒然草』に描かれる老年像は、決して一枚岩ではない。

第七段では、長生きへの執着に厳しい。

第四十九段では、重要なことを老後まで先送りする危険を語る。

第百十三段では、年齢に似合わない振る舞いを見苦しいと見る。

第百四十段では、死後まで財産へ執着することを批判する。

第百五十一段では、五十歳以後も世俗の営みに執着することへの厳しい意見を紹介する。

そして第百七十二段では、老年には若さとは異なる「智」があることを認める。

第百八十八段では、命が有限だからこそ、大切なことを今行う必要があると示す。

これらを合わせると、兼好の老年観は単なる「老いの肯定」でも「老いの否定」でもない。

見えてくるのは、

人間は年齢とともに生き方を変える必要がある

という思想である。

若い頃と同じように競争する必要はない。

若い頃と同じ欲望を持ち続ける必要もない。

若い頃と同じ役割を維持する必要もない。

かといって、

社会から消える必要もない。

何も学ばなくなる必要もない。

静かに生きることを強制される必要もない。

大切なのは、

自分の時間、

身体、

能力、

役割、

人間関係、

所有、

そして残された可能性を見直しながら、

その時点の自分に合った生き方へ更新していくこと

なのだろう。

老化は、誰にでも起こる。

しかし成熟は、自動的には起こらない。

年齢を重ねただけでは、人は成熟しない。

自分が変わったことを認め、

昔の自分にしがみつかず、

必要なものを残し、

不要なものを手放し、

本当に大切なことへ時間を使う。

その選択ができたとき、

老いは単なる衰退ではなくなる。

『徒然草』を令和の高齢社会で読む意味があるとすれば、

「何歳まで生きるべきか」

という答えを求めることではない。

むしろ、

年齢を重ねた自分を、若い頃の延長として生き続けるのか。 それとも、変化した自分に合わせて人生そのものを作り直していくのか。

その問いを、自分自身へ返してくれるところにあるのではないだろうか。

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