リベラル文庫(九条レオン)

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高齢者は新聞に回帰すべきだ(九条レオン)

高齢者は新聞に回帰すべきだ

高齢者は新聞に回帰すべきか~SNS時代の情報偏りと、新聞・公的情報を組み合わせる意味

はじめに

 インターネットやスマートフォンは、現代生活に欠かせない情報基盤になった。医療、行政、交通、防災、金融など、必要な情報を検索して取りに行く場面では、紙媒体よりも速く、詳しく、便利なことも多い。したがって、本稿の目的はインターネットを否定したり、新聞を万能な媒体として持ち上げたりすることではない。

 一方で、SNS(Social Networking Service・ソーシャル・ネットワーキング・サービス)や動画サイトを中心に情報を得る生活には、本人が意識しないうちに接触する情報が偏る可能性がある。自分が興味を持った情報に似た内容が繰り返し表示され、感情を強く刺激する情報ほど目に入りやすくなり、興味のない分野に触れる機会が減っていくからである。この問題は高齢者だけに生じるものではないが、健康、金融、詐欺、防災など、判断を誤った場合の損失が大きい問題を抱える年代では、特に生活防衛の観点から考える必要がある。

 本稿で考えたいのは、「高齢者はネットをやめて新聞に戻るべきか」という単純な二者択一ではない。より重要なのは、個人に最適化されやすいネット情報だけに依存せず、新聞、公的機関の一次情報、複数の報道機関など、性質の異なる情報源を意識的に組み合わせることである。その中で紙の新聞は、情報の一覧性、偶然的な接触、編集過程、地域情報などの特徴を持つ一つの有力な手段として位置づけることができる。

 結論を先に述べれば、高齢者だから新聞を読まなければならないという科学的根拠はない。しかし、SNSや動画だけに情報源を偏らせず、新聞を含む複数の信頼できる情報源に日常的に触れる習慣には合理性がある。重要なのは「新聞を信じること」ではなく、自分の情報環境そのものを意識して設計することである。

第1章 高齢者の情報環境は大きく変わった

 高齢者とインターネットの関係は、この十数年で大きく変化した。「高齢者はインターネットをあまり使わない」というイメージは、少なくとも60代や70代前半には当てはまりにくくなっている。総務省の通信利用動向調査では、2024年調査で60~64歳のインターネット利用率は93.0%、65~69歳は87.9%、70~79歳でも69.8%に達している。一方、80歳以上では33.1%であり、年齢による差も非常に大きい。

 ここで注意しなければならないのは、「60歳以上」を一つの集団として扱わないことである。現在の60代前半と80代では、就労状況、スマートフォン利用経験、情報収集方法、認知機能、社会関係などが大きく異なる。さらに「高齢者」という言葉自体にも一律の定義があるわけではない。高齢社会対策でも65歳以上を一律の集団として扱うことの限界が指摘されており、日本老年学会と日本老年医学会からは75歳以上を高齢者とする考え方も提案されている。したがって、本稿で「高齢者」と表現する場合も、60代から80代以上までが同じ情報行動を取るという意味ではない。むしろ、年齢そのものよりも、どのような情報源を利用し、どの程度デジタル環境に慣れ、情報を確認する習慣を持っているかを見る必要がある。

 一方、新聞の発行部数は長期的に減少している。日本新聞協会によれば、2025年10月時点の加盟日刊紙の総発行部数は2,486万8,122部で、1世帯当たり0.42部まで低下した。かつて多くの家庭で新聞が日常的な共通情報源となっていた時代から、情報源が個人ごとに分散する時代へ移ったことは確かである。問題は新聞離れそのものではない。購読費、文字の読みづらさ、生活時間、速報性などを考えれば、新聞を読まなくなることには合理的な理由もある。本当に考えるべきなのは、新聞が日常生活の中で担っていた「自分が探していなかった情報にも触れる仕組み」を、現在の情報環境でどのように確保するかである。

第2章 ネット中心の情報環境で偏りが生まれる仕組み

2-1 選択的接触~人は見たい情報を選ぶ

 人間には、自分の考えや関心に合う情報を選びやすい性質がある。これはSelective Exposure(選択的接触・自分の態度や関心に合う情報へ接触しやすくなる現象)と呼ばれる。さらに、自分が既に持っている考えを支持する情報を高く評価し、反対する情報を避けやすい傾向はConfirmation Bias(確証バイアス・既存の信念を裏付ける情報を重視する認知傾向)として知られている。

 SNSや動画サービスでは、過去にクリックした内容、視聴時間、フォロー関係、検索履歴などに応じて情報が推薦される。利用者にとって便利な機能である一方、自分が関心を持った分野と似た情報が次々に提示されるため、情報接触の範囲が狭くなる場合がある。

 Bakshy、Messing、Adamicが2015年に発表したFacebookの大規模研究では、反対の政治的立場を持つ情報への接触が、友人関係の構成、Facebook側の情報選択、利用者本人のクリック行動によって減少することが示された。ただし、この研究で重要なのは、アルゴリズムだけが原因だったわけではないことである。本人が何をクリックするかという選択も大きな役割を持っていた。したがって、「アルゴリズムに操られている」と考えるだけでは問題を正確に理解できない。情報の偏りは、本人の関心、交友関係、検索、クリック、共有、そしてプラットフォーム側の推薦が組み合わさって形成される。対策もアルゴリズム批判だけでは不十分であり、自分自身の情報選択を点検する必要がある。

2-2 感情を刺激する情報は拡散しやすい

 SNSでは、怒り、恐怖、驚き、不安など、人の感情を強く動かす内容ほど反応を得やすい。反応が増えれば共有やコメントも増え、さらに多くの人の目に触れる可能性が高くなる。このため、正確だが地味な情報よりも、強い断言や刺激的な表現が目立ちやすいという問題が生じる。

 Vosoughi、Roy、Aralが2018年に発表したTwitterの大規模分析では、虚偽情報は真実の情報よりも速く、広く拡散する傾向が確認された。研究では新奇性など、人間側の反応が拡散に重要な役割を果たしていることも示されている。ただし、「SNSを使えば必ず偽情報にだまされる」という意味ではない。多くの利用者は偽情報を共有しておらず、利用者の行動や情報リテラシーによる差も大きい。それでも、「医者が隠している真実」「誰でも儲かる」「今だけ」「政府が発表しない事実」といった強い物語は、冷静な検証より感情を先に動かしやすい。健康、金融、防災などでこうした情報に接した場合には、内容そのものよりも「なぜ自分は今、強く反応したのか」を一度確認することが重要になる。

2-3 情報の「偶然性」が減る

 紙の新聞を開くと、政治、国際、経済、社会、文化、スポーツ、地域など、自分が検索しなかった情報も同じ紙面上に現れる。これはIncidental Exposure(偶然的接触・自ら探していなかった情報に偶然触れること)と呼ばれる情報行動につながる。ネットにも偶然の情報接触はあるが、表示される内容が過去の行動によって個人化されるほど、「偶然に見えるが自分の関心に近い情報」が増える可能性がある。新聞の紙面には、少なくとも利用者一人ひとりの閲覧履歴によって記事配置が変更されないという違いがある。

 ただし、ここでも注意が必要である。偶然に異なる情報が目に入るだけで、判断力が自動的に改善するわけではない。研究でも、偶然的なニュース接触が知識や寛容性を高める場合と、明確な効果が確認できない場合の両方が報告されている。重要なのは「目に入ったか」だけではなく、それを読み、比較し、検討したかである。

第3章 高齢者は本当に偽情報に弱いのか

 高齢者と偽情報の関係については、単純化を避けなければならない。Guess、Nagler、Tuckerが2019年に米国のFacebook利用者を分析した研究では、65歳を超える層は若年層よりフェイクニュースサイトの記事を共有する傾向が高く、最若年層と比較すると平均共有数には大きな差があった。しかし、この研究には非常に重要な条件がある。調査対象者の90%以上はフェイクニュース記事を一件も共有していなかった。つまり、「高齢者ほど共有割合が高い」という相対的な差と、「高齢者の大多数が偽情報を共有している」という主張は全く異なる。相対リスクだけを強調して絶対的な発生頻度を示さなければ、実際以上に危険が大きく見えてしまう。

 さらに、その後の研究では別の側面も見えている。2024年に公表された31実験、参加者1万1,561人、25万件を超える判断を統合した研究では、年齢が高い参加者ほどニュースの真偽を識別する能力が高い傾向が確認された。これは「高齢者は若者より偽情報を見抜けない」という単純な図式を否定する重要な知見である。

 一見すると二つの研究は矛盾するように見えるが、実際には測定しているものが違う。「情報を正しいと判断する能力」と「Facebookなどで情報を共有する行動」は同じではない。誤情報を疑っていても共有する人はいるし、正しいと思っても共有しない人もいる。したがって、高齢者の情報リスクを年齢だけで説明することはできない。デジタル機器への習熟度、情報源確認の経験、健康や金融への関心、孤立の程度、利用しているSNS、知識、認知機能など、複数の要因が絡む。高齢者を「だまされやすい人」と一括することは、科学的にも社会的にも適切ではない。

第4章 判断の偏りが実害につながる領域

4-1 詐欺

 高齢者にとって特殊詐欺は現実的な脅威である。2025年版高齢社会白書によれば、2024年中に認知された特殊詐欺について、法人を除いた被害認知件数の65.4%を65歳以上が占めている。ただし、この統計をそのまま「インターネット利用が高齢者を詐欺被害に遭わせている」と解釈することはできない。特殊詐欺には固定電話を入口とする手口も多く、ネットを使わない高齢者も被害に遭う。一方で、SNS型投資詐欺やロマンス詐欺など、ネットを入口とする詐欺も深刻化している。ここから導くべき結論は、「高齢者はネットを使わない方がよい」ではなく、電話、SNS、広告、電子メールなど情報経路を問わず、高額な金融判断をその場で行わない仕組みを作ることである。

4-2 健康情報

 健康情報では、単純で強い断言が特に危険である。医学では、治療効果や副作用は年齢、疾患、薬剤、生活歴などによって異なるため、本来は確率や条件を含めて判断する必要がある。ところが、「これだけで治る」「病院では教えない」「薬はすべて危険」といった説明は複雑な医学情報より理解しやすい。理解しやすさと正しさは同じではないため、健康に関する重大判断では、SNSや動画だけで結論を出さず、医療機関、公的機関、学会などの情報を確認する必要がある。

4-3 災害情報

 災害時には情報不足と強い不安が同時に発生するため、偽・誤情報が広がりやすい。2024年の能登半島地震でも、SNS上で事実確認されていない救助要請や情報が拡散し、救命・救助活動への影響が問題になった。

 災害時に重要なのは新聞だけではない。むしろ緊急段階では、自治体、消防、警察、気象庁、政府などの一次情報が優先される。新聞やテレビは、その後に被害の全体像、行政対応、支援制度、交通、医療などを整理して把握する手段として有効である。

4-4 投資情報

 投資についても、SNS上の広告や著名人を装った勧誘などが問題となっている。こうした詐欺は金融商品の内容だけでなく、「有名人も参加している」「今しか買えない」「限定された人だけに紹介している」といった心理的圧力を利用する。対策として重要なのは、自分がその商品を欲しいかどうかより先に、販売者が誰なのか、金融商品取引業者として登録されているか、どのような仕組みで利益が発生するのかを確認することである。理解できない投資に即日で資金を移さないという手順は、新聞を読むかどうかにかかわらず有効である。

第5章 新聞には何ができるのか

5-1 新聞の価値は「正しいこと」ではなく構造にある

 新聞も誤報する。新聞社によって編集方針も異なり、同じ出来事でも見出し、記事量、論点の置き方には差がある。したがって、新聞を「正しい情報だけが載っている媒体」と理解するのは誤りである。

 それでも紙の新聞には、ネットの個人最適化とは異なる構造的特徴がある。第一に、一つの紙面に複数分野のニュースが並ぶ。第二に、自分の閲覧履歴によって記事そのものが入れ替わるわけではない。第三に、記事を掲載するまでに記者、デスク、編集部など複数の工程を通過する。第四に、発行主体が明確であり、訂正や検証を行う制度が存在する。日本新聞協会の新聞倫理綱領でも、正確で公正な報道や、誤りがあった場合の速やかな訂正が掲げられている。もちろん、これは新聞の内容が常に正しいことを保証する制度ではないが、発信者が不明なSNS投稿との重要な違いではある。

5-2 新聞を読めば反対意見に触れられるとは限らない

 新聞には多様な記事が載るが、特定の新聞だけを読み続ければ、それ自体が選択的接触になる可能性がある。社説や政治報道には新聞社ごとの編集姿勢が表れるため、「新聞を読むだけで政治的偏りがなくなる」とは言えない。したがって、新聞を偏り補正に使う場合には、事実記事と社説を区別し、重要な争点については必要に応じて異なる報道機関や公的資料も確認する方がよい。新聞の本当の利点は、自分と異なる思想を必ず提示してくれることではなく、自分が検索していなかった分野を含め、一定範囲のニュースを毎日一覧できることにある。

第6章 新聞を「信じる」のではなく「使う」

 新聞を情報防衛に利用するのであれば、全部の記事を読む必要はない。むしろ短時間で情報の全体像を確認する道具として使う方が現実的である。一面では、その日の主要な社会的論点を確認する。見出しだけで賛否を決めず、本文を読み、「誰が」「何を」「いつ」「どの範囲で」述べているのかを確認する。その後、社会面や地域面に目を通せば、詐欺、防災、医療、交通、地域行政など、自分から検索しなかった生活情報に触れることができる。

 また、事実記事、解説、社説を分けて読むことも重要である。事実記事は何が起きたかを伝え、解説は背景や意味を説明し、社説は新聞社としての意見を示す。これらを同じ種類の情報として受け取らないことが、新聞を批判的に利用する基本になる。社説を読む場合も、賛成するために読む必要はない。「主張は何か」「根拠は何か」「反対するとすればどのような理由があるか」と考えれば、自分の意見を検証する材料になる。新聞は答えを教えてもらう道具ではなく、考えるための材料として使う方がよい。

第7章 科学的には新聞回帰より「情報源の多様化」が重要

 ここまで見ると、ネット中心の情報環境に偏りが生じる可能性は研究によって相当程度支持されている。しかし、そこから直ちに「紙の新聞を読めば判断の偏りが改善する」と結論づけることはできない。

 科学的に証明するためには、例えば高齢者を複数の集団に分け、「新聞を読む群」と「読まない群」で、一定期間後の誤情報識別能力、衝動的判断、異なる意見への寛容性、詐欺への抵抗力などを比較する必要がある。現在知られている代表的な研究は、SNS上の選択的接触や誤情報共有を分析したものであり、「新聞購読によって判断エラーがどの程度減少するか」を直接測定した研究ではない。

 一方、より直接的な効果が確認されている方法もある。高齢者を対象としたデジタル・メディアリテラシー教育では、短時間の教育によってニュースの真偽識別成績が大きく改善した研究がある。また、情報を共有する直前に「これは正確だろうか」と意識させるだけでも、誤情報の共有が減ることが複数の実験で確認されている。こうした結果から考えると、最も合理的なのは「新聞かネットか」を争うことではない。ネットを利用しながら、新聞や公的資料など個人最適化されていない情報源を組み込み、情報を共有・購入・契約・投資する前に正確性を確認する習慣を持つことである。

第8章 3か月の「情報環境改善実験」をしてみる

 新聞を生活に取り入れる効果を確かめたい場合には、「新聞を一生読み続ける」と決める必要はない。3か月程度の実験として試してみればよい。ただし、「新聞を読んだら気分が良くなった」という感覚だけで評価すると、本当に効果があったのか判断しにくい。

 例えば開始前の1か月間に、自分が一日に利用する情報源の数、SNS上の記事を内容確認せず共有した回数、強い怒りや不安を感じた情報をその日のうちに共有した回数、投資・健康情報について一次情報を確認した割合などを記録する。その後3か月間、毎日10~15分程度新聞を読み、公的機関の情報も必要に応じて確認し、同じ指標を記録する。新聞の読み方は、一面の主要見出しを確認し、社会面と地域面からそれぞれ一つの記事を読み、余裕があれば解説記事を見る程度でよい。重要なのは読む量ではなく、自分が普段検索しない分野に一定時間触れることである。

 この実験で、情報源の種類が増え、衝動的な共有が減り、一次情報を確認する割合が上昇するのであれば、その人にとって新聞を取り入れる意味があったと判断できる。逆に明確な変化がないのであれば、新聞以外の方法で情報環境を改善すればよい。

第9章 生活防衛の標準手順を作るなら何を入れるべきか

 健康、金融、防災など、誤判断の損失が大きい分野について家庭内のSOP(Standard Operating Procedure・標準作業手順)を作ること自体には合理性がある。しかし、科学的根拠から考えると、「必ず新聞を確認する」という手順にする必要はない。

 より実用的なのは、「SNSや動画だけで重大な判断をしない」「公的機関または信頼できる報道機関の情報を一つ以上確認する」「高額な契約、投資、送金はその日のうちに決めない」「強い怒りや不安を感じた情報ほどすぐに共有しない」「健康上の重要判断は医師や公的医療情報を確認する」という手順である。例えば投資広告を見た場合には、その場で送金せず、金融庁などで事業者を確認する。健康情報であれば、動画一本で治療を変更せず、医療機関や公的情報を確認する。災害情報であれば、SNS投稿だけを根拠にせず、自治体、消防、警察、気象庁などの一次情報を確認する。新聞はこうした手順を補う情報源として利用できる。重要なのは、新聞を確認したから安全になるのではなく、「一つの情報だけで判断しない」という構造を生活の中に作ることである。

第10章 地域でも「情報の確認手順」を共有する

 詐欺、災害、健康情報などは個人だけで完全に防ぐことが難しい。自治会、老人クラブ、サークル、家族などで、怪しい情報が出たときにどこを確認するかを共有しておくことには意味がある。例えば地域で話題になった情報について、新聞記事だけでなく自治体や警察などの公的資料も確認する。SNSで災害情報が急速に広がっている場合には、転載する前に発信元を確認する。投資や健康に関する情報で不安になった場合には、一人で判断せず家族や専門家に相談する。こうした習慣の方が、「新聞を読んでいるから大丈夫」と考えるより安全性は高い。

 紙の新聞は、地域面を通じて地元行政、犯罪、防災、交通、医療などに偶然接触できる点で、地域の情報共有と相性がよい。新聞を共同体の唯一の情報源とするのではなく、公的情報と組み合わせた確認手段として活用するのが現実的である。

第11章 結論~新聞回帰ではなく「情報環境の再設計」を

 インターネットは高齢者にとっても不可欠な社会基盤になった。60代では9割以上、70代でも約7割がインターネットを利用しており、「高齢者はネットを使わない」という時代ではない。

 一方で、SNSや動画を中心とした情報環境には、本人の選択、交友関係、推薦機能などが組み合わさり、自分と似た情報へ接触し続ける可能性がある。感情を強く刺激する情報や偽情報が拡散しやすいことも、大規模研究によって示されている。そのため、自分が見ている情報が世の中全体を代表しているとは限らないという認識を持つことが重要である。ただし、この問題を「高齢者は判断能力が低い」と説明してはならない。高齢者ほどニュースの真偽識別能力が高いことを示す研究もあり、年齢そのものではなく、利用している情報環境、デジタル経験、情報確認習慣などを見る必要がある。

 新聞には、個人ごとの閲覧履歴に左右されず複数分野の記事が配置されること、編集や訂正の仕組みが存在すること、地域情報へ日常的に接触できることなどの利点がある。そのため、SNSや動画だけで情報を得ている人が新聞を生活に取り入れることには、情報源を多様化する方法として十分な合理性がある。

 しかし、「新聞を読めば偏りが治る」「高齢者は必ず紙の新聞に戻るべきだ」というところまで、現在の科学的根拠から断定することはできない。新聞も編集方針による偏りを持ち、一紙だけを読み続ければ別の選択的接触が生じる可能性があるからである。

 目指すべきなのは新聞への回帰そのものではない。新聞、公的機関、複数の報道機関、インターネットを適切に組み合わせ、自分の情報環境を意図的に多様化することである。重大な健康判断、投資、契約、災害時の行動については、一つのSNS投稿や動画だけでは決定せず、一次情報を確認し、必要なら専門家や家族とも相談する。

 情報社会では、「何を知っているか」と同じくらい、「どのように情報を得ているか」が判断を左右する。便利だから同じ情報源だけを使うのではなく、ときには自分が検索しなかった情報に触れ、自分と異なる見方を確認し、感情が強く動いたときほど結論を急がない。そのための一つの道具として新聞を利用する。高齢者に必要なのは、過去の情報生活への単純な回帰ではない。新聞の長所とネットの長所を組み合わせながら、誤情報や過度な個人最適化に左右されにくい情報環境を、自分自身で再設計することである。

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