1970年代後半から1980年代にかけて、「角川映画」という言葉には、単なる映画会社の名前以上の響きがあった。
映画館へ行けば角川映画があり、書店へ行けば角川文庫が積まれている。テレビでは映画の宣伝が流れ、ラジオからは主題歌が聞こえてくる。そして映画に出演した若い俳優が、そのまま時代を象徴するスターになっていった。
現在から振り返れば、これは「メディアミックス」と呼ばれる販売戦略として説明できる。しかし、当時の若者が感じていたものは、もう少し大きかったのではないだろうか。
角川映画は、本を読むこと、映画を見ること、音楽を聴くこと、そして新しいスターに憧れることを、一つの青春文化へまとめてしまったのである。
『犬神家の一族』から始まった角川映画
角川映画の出発点とされるのは、1976年に公開された市川崑監督の『犬神家の一族』である。KADOKAWA自身も、この作品を角川映画の第1作として位置づけている。
原作は横溝正史だった。
角川書店は映画を公開するだけではなく、原作となる文庫本も大規模に販売した。そして有名になったのが、
「読んでから見るか、見てから読むか。」
という宣伝だった。
この発想は、現在では珍しくない。小説が映画化され、映画の公開に合わせて書店に原作本が並ぶことは、ごく普通に行われている。
しかし1970年代半ばには、出版社が自ら映画製作へ本格的に進出し、映画と出版を一体として売っていく方法は画期的だった。国立国会図書館も、1975年に角川書店社長となった角川春樹が映画と文庫本を組み合わせた戦略によってベストセラーを生み、出版界に大きな影響を与えたと整理している。
重要なのは、本が映画の「原作」にとどまらなくなったことである。
映画を見て横溝正史を読み始める人がいる。横溝正史を読んでいた人が映画館へ行く。書店と映画館の間を、読者と観客が往復するようになった。
角川映画は、映画ファンだけを相手にしていたのではなかったのである。
映画そのものより「角川映画を見ること」がイベントになった
その後、角川映画は急速に存在感を強めていく。
『人間の証明』が1977年、『野性の証明』が1978年、『戦国自衛隊』と『蘇える金狼』が1979年、『復活の日』が1980年に公開された。さらに1981年には『セーラー服と機関銃』、1983年には『探偵物語』『時をかける少女』『里見八犬伝』、1984年には『Wの悲劇』などが続いた。現在KADOKAWAが角川映画50周年企画で代表作として並べている作品を見るだけでも、その集中ぶりが分かる。
もちろん作品の内容はまったく違う。
ミステリーがあり、青春映画があり、アクションがあり、SF(Science Fiction・科学的想像を基礎とするフィクション)がある。
それでも、そこには共通する雰囲気があった。
大きな広告、印象的なコピー、耳に残る音楽、華やかな出演者。そして「今度の角川映画は何だろう」という期待感である。
映画を見るという行為そのものに、お祭りのような性格が加わっていた。
現在なら、大作映画の予告編はインターネットで何度でも見ることができる。出演者の情報も、作品の評判も公開前から大量に手に入る。
しかし当時は違った。
テレビのコマーシャル、映画雑誌、書店のポスター、新聞広告などから断片的な情報を受け取りながら公開を待つ。その時間そのものが映画体験の一部だった。
角川映画は、この「待つ時間」を非常にうまく演出したのである。
薬師丸ひろ子が象徴した新しいスターの誕生
角川映画を若者文化として考えるうえで、薬師丸ひろ子の存在は欠かせない。
薬師丸ひろ子は『野性の証明』のオーディションをきっかけに映画デビューし、1981年の『セーラー服と機関銃』で人気を決定的なものにした。KADOKAWAも同作品について、主演だけでなく薬師丸が歌った同名主題歌も大ヒットし、社会現象となったと説明している。
ここに角川映画の特徴がよく表れている。
映画がヒットする。
主演俳優が人気になる。
主題歌も売れる。
原作小説も読まれる。
これらが別々の出来事ではなく、一つの大きな流れとして動いていた。
『セーラー服と機関銃』という題名を聞けば、映画の場面だけではなく、薬師丸ひろ子の姿や歌声まで一緒に思い出す人は少なくないだろう。
映画と音楽とスターの記憶が分離していないのである。
その後、原田知世が主演した大林宣彦監督の『時をかける少女』も、角川映画を象徴する青春映画となった。現在でもKADOKAWAは同作品を「青春SF映画の金字塔」と位置づけている。
角川映画は完成したスターを映画に出演させるだけではなかった。
映画そのものがスターを誕生させる場所になっていたのである。
角川文庫を持つことも若者文化だった
角川映画を映画だけから考えると、その魅力の半分しか見えてこない。
当時の角川書店には「文庫」というもう一つの強力なメディアがあったからである。
1970年代には文庫市場の競争が激しくなり、講談社文庫、中公文庫、文春文庫などが相次いで登場した。そうした環境の中で角川書店は、映画と文庫を結び付けることで独自の位置を築いていった。
映画館で見た作品の原作を、帰りに書店で買う。
あるいは文庫を先に読み、その映像を想像しながら映画館へ行く。
この往復が成立したことは大きい。
文庫本は比較的安く、小さく、学生でも持ち歩けた。
電車の中で読める。学校や大学へ持っていける。喫茶店でも読める。
映画は数時間で終わるが、本は自分の手元に残る。
したがって角川映画の文化は、映画館の中だけで完結しなかった。
映画を見た後も、文庫本という形で日常生活の中へ持ち帰ることができたのである。
現在の若者文化がスマートフォンの中に存在するとすれば、当時の若者文化の一部は文庫本やレコード、カセットテープの中に存在していたと言ってもよいだろう。
なぜ角川映画には「青春」の記憶が残るのか
興味深いのは、角川映画のすべてが青春映画だったわけではないことである。
『犬神家の一族』はミステリーであり、『人間の証明』は社会派サスペンス、『戦国自衛隊』は異色のアクション映画、『復活の日』は壮大なSF作品だった。
それにもかかわらず、角川映画そのものを「青春時代の記憶」として語る人がいる。
おそらく、作品の中に青春が描かれていたからだけではない。
角川映画を見ていた側が若かったからである。
中学生や高校生だった人もいる。
大学生だった人もいる。
就職したばかりだった人もいるだろう。
映画を見るために友人と街へ出かけ、映画が終わればレコード店や書店へ寄る。喫茶店で映画について話すこともあったかもしれない。
その一連の行動まで含めて、一つの記憶になっている。
だから数十年後に映画の題名を目にすると、物語だけではなく、その映画を見た頃の自分まで思い出す。
文化の記憶とは、作品だけからできているのではない。
作品に接した場所や、一緒にいた人、その頃聞いていた音楽、自分が何歳だったかという個人的な記憶が重なってできている。
角川映画には、その力が特に強かったのではないだろうか。
「メディアミックス」という言葉だけでは説明できない
角川映画は、日本における本格的なメディアミックスの先駆けとして語られることが多い。KADOKAWA自身も、初期10年間について、小説・映画・主題歌を連動させ、ベストセラー作家やスターを生み出していった時代として説明している。
確かにビジネスとして見れば、それは非常に合理的な仕組みだった。
一つの作品を、本だけで売らない。
映画だけでも売らない。
音楽、俳優、広告まで含めて、一つの大きな市場を作る。
現在の映画、アニメ、ゲーム、音楽などで当たり前になった仕組みの原型を見ることができる。
しかし、角川映画が人々の記憶に残った理由を販売戦略だけで説明するのも不十分だろう。
戦略が優れているだけなら、ここまで作品名が世代の記憶として残るとは限らない。
そこには市川崑、佐藤純彌、深作欣二、相米慎二、大林宣彦といった監督たちが作った映画そのものの力があり、薬師丸ひろ子や原田知世のような新しいスターの魅力があり、主題歌があり、そして角川文庫があった。
それぞれが独立した商品でありながら、全体として一つの時代の空気を作った。
これこそが角川映画の強さだった。
私たちは映画だけを見ていたのではなかった
1976年の『犬神家の一族』から始まった初期角川映画の黄金期について、KADOKAWAは1976年から1986年までの10年間を一つの時代として振り返っている。
わずか10年ほどである。
しかし、その10年間に作られた作品の題名を並べると、日本の1970年代後半から1980年代前半の文化史そのものを見ているようにも感じられる。
なぜ角川映画は若者を惹きつけたのか。
映画が面白かったから。
スターが魅力的だったから。
広告がうまかったから。
原作小説と映画を結び付けたから。
どれも正しい。
しかし、もう一つ理由を付け加えるなら、角川映画は若者に「次の作品を待つ楽しみ」を与えたからではないだろうか。
次はどんな映画なのか。
誰が主演するのか。
どんな音楽が流れるのか。
原作はどんな小説なのか。
その期待が、映画館、書店、レコード店、テレビ、ラジオをつないでいた。
今では一台のスマートフォンの中で完結してしまう情報や娯楽を、私たちは街のいくつもの場所を歩きながら探していた。
だから角川映画を思い出すとき、映画のスクリーンだけではなく、当時の書店や映画館、レコード店、街の風景まで一緒に浮かんでくる。
角川映画が若者を惹きつけた時代とは、映画が若者文化の中心にあり、本と音楽と街がまだ強く結び付いていた時代でもあったのである。

