リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

 「太宰治を知っていますか」と尋ねれば、小説をほとんど読まない人でも、その名前くらいは聞いたことがあるだろう。『人間失格』を思い浮かべる人もいれば、中学校の国語で読んだ『走れメロス』を思い出す人もいる。作品を一冊も読んでいなくても、「心中した作家」「暗い作家」「破滅的な人生を送った人」といった断片的な人物像まで知っている人は珍しくない。

 もちろん、「誰でも知っている」という言い方を文字どおり受け取ることはできない。日本人全体を対象に太宰治と織田作之助の知名度を比較した大規模な無作為調査があるわけではないからである。それでも、現在の出版状況や作品へのアクセス数、教科書への掲載状況などを見るかぎり、太宰治と織田作之助の社会的な知名度にかなり大きな差があること自体は否定しにくい。

 では、「織田作之助を知っていますか」と尋ねたらどうだろう。

 文学好きなら、『夫婦善哉』の作者としてすぐに名前が出るかもしれない。しかし一般には、作品名を聞いたことはあっても作者までは知らないという人もいるだろう。ところが文学史の本を開けば、太宰治と織田作之助は、坂口安吾や石川淳らとともに「無頼派」と呼ばれる戦後文学の作家として近い位置に並べられている。

 そもそも無頼派とは、同じ綱領を掲げ、同じ雑誌を中心に活動した正式な文学結社の名称ではない。敗戦後の既成道徳や文学的権威に背を向けるような姿勢を見せた作家たちを、後世の文学史が一つのまとまりとして呼んだ言葉である。したがって太宰と織田が同じ無頼派だからといって、その作風や人生、読者層まで似ていたわけではない。

 それでも文学史上では近い場所にいる二人が、八十年近く後の社会ではこれほど異なる知名度を持っている。この差を単純に「太宰の方が優れた作家だったから」と説明してしまえば話は簡単だが、おそらくそれでは重要なものを見落としてしまう。文学作品が後世に残るかどうかは、その文学的価値だけで決まるわけではなく、学校教育、出版、映画やテレビ、地域文化、さらには作者自身の人生の語られ方まで含めた巨大な仕組みの中で決まっていくからである。

太宰治には、人生の違う時期に何度も出会う

 太宰治の知名度を考えるうえで、まず見逃せないのが『走れメロス』である。

 現在の中高年世代にとっても若い世代にとっても、『走れメロス』は国語教材として非常に馴染みの深い作品であり、その教科書採録の歴史は1950年代までさかのぼる。つまり日本では何十年にもわたり、中学生になると一定数の子どもたちが学校という制度を通して「太宰治」という名前に出会う仕組みが続いてきた。

 ここで重要なのは、『走れメロス』そのものが太宰治を有名にしたと単純に考えないことである。太宰がすでに重要な作家だったから教材として選ばれ、その教材化によって次の世代が太宰を知り、その知名度がさらに出版や研究を支えるという循環が起きたと考える方が自然である。人気が教科書掲載を生み、教科書掲載がさらに人気を強化するという相互作用であり、この循環が数十年続けば、一回限りのベストセラーとはまったく違う文化的な強さを持つことになる。

 しかも太宰との出会いは、中学校で終わらない。

 『走れメロス』で知った太宰が、数年後には『人間失格』の作者として再び現れるからである。友情と信頼を描く『走れメロス』と、「恥の多い生涯を送って来ました」という言葉から始まる『人間失格』を比べれば、同じ作家の作品とは思えないほど印象が違う。しかしその違いこそが、太宰の知名度を支える強みになっている。

 中学生のころには友情を描く作家として太宰に出会い、その後、自意識や孤独、人間関係の息苦しさといった問題に向き合う年代になると、『人間失格』や『斜陽』を通してもう一度太宰に出会う読者もいる。一人の作家が、人生の異なる時期に異なる作品によって何度も読者の前へ戻ってくるのである。

 この「入口の多さ」は数字にも表れている。青空文庫の2022年年間アクセスを見ると、テキスト版では『人間失格』が約41,000、『走れメロス』が約20,000であるのに対し、『夫婦善哉』は約2,000にとどまる。閲覧形式によって数字は変わるものの、『人間失格』と『夫婦善哉』の間には十倍を大きく超える差が見られる。

 もちろん、青空文庫の利用者は日本国民全体を無作為に抽出した標本ではないから、この数字から「太宰の知名度は織田の二十倍だ」と結論することはできない。しかし少なくとも、現在のオンライン上で古典文学に接触する人々のあいだで、太宰作品への接触量が圧倒的に多いことは分かる。

 しかも太宰には一冊だけが突出しているのではなく、『人間失格』『斜陽』『走れメロス』という性格の異なる作品が、それぞれ独立した入口として存在している。ここに織田作之助との大きな違いがある。

太宰治は、作者自身まで「物語」になった

 さらに太宰には、作品とは別のもう一つの強力な入口がある。それが「太宰治という人物」である。

 文学研究として作品を読むなら、主人公と作者本人を単純に同一視するべきではない。『人間失格』の大庭葉蔵を、そのまま太宰治本人だと考えるのは乱暴である。しかし社会の中で作家のイメージが形成される過程では、作品と作者の人生はしばしば混ざり合う。

 自殺未遂、薬物への依存、女性関係、文学者との対立、そして最後の入水という太宰の人生へ、『斜陽』や『人間失格』の世界を重ねると、作者自身の人生まで一つの文学作品のように見えてくる。とりわけ1947年の『斜陽』は「斜陽族」という言葉まで社会に生み出し、その翌年には『人間失格』が発表され、その直後に太宰自身が亡くなる。

 この出来事の並びには、偶然とはいえ強烈な物語性がある。作品を書き終えた作家が、その作品の余韻の中へ自ら消えていったように見えてしまうからである。

 人は小説の細部を忘れても、物語を覚えている。そして太宰治の場合、その物語は作品の中だけではなく作者自身の人生にも存在した。死後の知名度を考えるなら、この「作者そのものが語られ続ける構造」は無視できないだろう。

 ただし、ここにも注意が必要である。太宰の人生が劇的だったから現在まで人気が続いた、と直接証明できる研究があるわけではない。より慎重に言えば、太宰の人生が作品と結びついて繰り返し語られてきたことが、彼の名前を忘れにくくする一つの要因になった可能性が高い、というところまでである。

織田作之助は、有名になる前に死んだわけではない

 これに対して、織田作之助についてしばしば生まれやすい誤解がある。それは、「有名になる前に若くして死んだ作家」というイメージである。

 実際にはそうではない。

 織田は1913年に大阪で生まれ、1947年1月10日、33歳で亡くなったが、その前年には『世相』などによってすでに売れっ子作家となっていた。したがって、織田は無名のまま死んだのではなく、戦後文学の表舞台へ出たところで急死したのである。

 そして、この「出たところ」という時間が重要だった。

 織田が亡くなった1947年に、太宰は『斜陽』を発表し、翌1948年には『人間失格』を残して亡くなる。現在の私たちが「太宰治」と聞いて思い浮かべる代表作と作者像のかなりの部分が、この最後の一年半ほどのあいだに集中して形成されたのである。

 織田作之助にも、その後さらに十年、あるいは二十年の執筆時間があったなら、別の代表作が生まれた可能性も、新しい読者層を獲得した可能性もある。しかしこれは反実仮想であり、証明することはできない。確実に言えるのは、織田が売れっ子になった直後に亡くなったため、その人気を複数の代表作や長期的な作家像へ展開する時間をほとんど持てなかったということである。

 太宰も38歳という若さで亡くなっているから、単純に「長生きした太宰と早死にした織田」という比較にはならない。むしろ重要なのは、二人が死ぬまでの数年間に何を残したかというタイミングの違いなのである。

『夫婦善哉』は織田作之助を有名にし、同時に「大阪の作家」にした

 織田作之助には、『夫婦善哉』という強烈な代表作がある。

 1940年に発表されたこの作品は織田の出世作となり、1955年には豊田四郎監督、森繁久彌と淡島千景主演で映画化された。映画『夫婦善哉』は日本映画史でも高く評価され、出演した二人の代表作として語られるほどの作品になった。

 普通に考えれば、これほど強い代表作を持つ作家なら、その名も太宰と同じくらい知られていてよさそうに思える。

 しかし、ここに少し皮肉なことが起きる。

 『夫婦善哉』は、あまりにも見事に「大阪の物語」だった。

 大阪大学の斎藤理生による研究でも、『夫婦善哉』が織田作之助を「大阪の作家」として印象づけ、そのイメージが後世まで強く残ったことが論じられている。もちろん、大阪を書いたこと自体が文学的な弱点なのではない。むしろ織田文学の魅力は、法善寺や道頓堀、上町台地、食べ物、商売、男女関係、金銭感覚といった具体的な土地の感触が作品の中に染み込んでいるところにある。

 人物たちは人生の意味について大仰な哲学を語るより、食べ、働き、惚れ、金に困り、それでも翌日を生きている。

 太宰の人物が「なぜ自分は人間とうまく生きられないのか」と内側へ沈んでいくとすれば、織田の人物は「それでも明日は腹が減る」と街へ出ていく。その違いは文学として非常に面白い。

 ところが文化の記憶という面では、具体性の強さが別の作用を持つことがある。太宰が描いた孤独、自意識、自己嫌悪は、東京でも大阪でも北海道でも、あるいはインターネット社会に生きる若者でも自分自身の問題として読み替えやすい。一方、織田作之助の大阪は具体的であるがゆえに、「大阪文学」「大阪もの」という棚へ分類されやすい。

 本来なら、織田は大阪という場所を通して普遍的な人間を書いた作家である。それでも受容する側が作品を「大阪の話」として整理してしまえば、作家のイメージまで地域に限定される可能性がある。

 ただし、これも「大阪の作家と見なされたから全国的な知名度が低くなった」と因果関係を断定することはできない。言えるのは、「大阪の作家」という強いイメージが、織田作之助の受容の仕方を長く規定してきたというところまでである。

『夫婦善哉』という作品だけが歩いていったのか

 もう一つ、織田作之助には興味深い現象がある。

 『夫婦善哉』という言葉そのものが、作者を離れて一人歩きできるほど強いのである。

 映画として知った人もいれば、大阪の法善寺周辺の文化からその名前を知った人もいる。しかし「夫婦善哉」という言葉を知った人が、必ずそこから「織田作之助」まで戻ってくるとは限らない。

 これに対して、『人間失格』と聞けば太宰治、『走れメロス』と聞いても太宰治という結びつきはかなり強い。しかも一つの作品から作者へ戻ると、その先に『斜陽』や『女生徒』など別の作品があり、そこから再び「太宰治」という作家像が強化されていく。

 『夫婦善哉』は織田作之助という作家を世に出した作品でありながら、あまりに作品自体の生命力が強かったため、その題名だけが作者から離れて文化の中を歩いてきたようにも見える。

 ただし、これを事実として断定するには、「『夫婦善哉』を知っているが織田作之助を知らない人がどれほどいるか」という知名度調査が必要になる。現段階では、これはあくまで文化的な現象を説明する仮説である。しかし少なくとも、代表作が有名になれば作者も同じ割合で有名になるとは限らない、という問題を考えるきっかけにはなる。

有名な作家ほど優れた作家なのか

 ここまで考えてくると、太宰治と織田作之助の話は、二人だけの問題ではなくなってくる。

 私たちは文学史を眺めるとき、現在でも有名な作家ほど「昔から特別に優れた作家だった」と無意識に考えがちである。しかし知名度は文学的価値だけから生まれるわけではない。学校の教科書に載るか、安価な文庫として何十年も流通するか、映画やテレビで繰り返し作品が紹介されるか、代表作が複数存在するか、作者本人の人生に語りやすい物語があるかといった条件が重なり、その結果として私たちはある名前を「誰でも知っている作家」と感じるようになる。

 そこには、心理学でいう反復接触の問題も関係している。人間は同じ対象に繰り返し接触すると、その対象を認識しやすくなり、親近感を持ちやすくなることが知られている。文学でも、学校で名前を見て、書店で再び見て、映画やテレビでまた見れば、その作家は文化の中でますます「知っていて当然の存在」になっていく。

 そして一度その状態になると、人気はさらに人気を呼ぶ。

 売れているから文庫が残り、文庫が残っているから新しい読者が読み、読者が多いから映像化され、映像化されるからさらに名前が知られる。文学的価値とは別に、「記憶されやすい作家がさらに記憶されやすくなる」という自己増殖的な循環が生まれるのである。

 太宰治はまさにこの循環に入った作家だったと考えることができる。

 もともとの文学的人気が教科書や文庫を支え、教科書や文庫が次世代の読者を生み、その巨大な読者層が『人間失格』『斜陽』『走れメロス』という複数の代表作を維持し、その上に太宰本人の劇的な人生まで重なった。

 一方の織田作之助も、決して忘れ去られた作家ではない。作品は現在も刊行され、研究も続いている。1024年にも新しい傑作選が刊行され、2026年7月にも新たな作品集が出版されている。大阪では文学碑や顕彰活動もあり、『夫婦善哉』も読み継がれている。

 したがって、「太宰は残り、織田は消えた」と考えるのは正確ではない。

 太宰は日本社会全体の共有記憶に深く入り込み、織田は文学史と大阪文化の中に濃く残ったのである。

作家の知名度とは、名前を呼ばれた回数なのかもしれない

 そう考えると、太宰治と織田作之助の知名度差は、文学作品の優劣を示す成績表には見えなくなってくる。

 むしろそれは、一つの社会がその作家の名前を何度思い出す仕組みを持っていたかという「文化的記憶の履歴」なのではないだろうか。

 太宰治という名前は、中学校の教室で呼ばれ、書店の文庫棚で呼ばれ、映画や舞台で呼ばれ、若者の孤独を語る文章の中で呼ばれ、作家の破滅的な人生を語るたびにまた呼ばれてきた。一度呼ばれた名前が次の機会を生み、その機会がさらに次の世代へ名前を渡していく。

 織田作之助という名前も大阪では何度も呼ばれてきた。しかし、日本全国で、しかも十代から大人になるまで何度も同じ名前に出会う仕組みという点では、太宰ほど巨大な反復回路を持たなかった。

 その小さな差が、一年や十年ではなく、八十年近く積み重なった。

 だから現在の知名度は、文学者に対して後世が与えた最終成績ではない。優れた作品だから残った部分もあれば、残る仕組みに入ったからさらに評価された部分もある。その二つを完全に切り分けることは難しい。

 そして、そこまで考えたとき、織田作之助は急に面白い作家になる。

 私たちはそこで、「知られていない作家」を発見するだけではないからである。

 なぜ自分は太宰治を知っていて、織田作之助を知らなかったのか。

 その問いをたどっていくと、教科書、出版社、映画、地域、文学史、読者の記憶という巨大な仕組みが見えてくる。そして最後には、私たちが「名作」や「有名な作家」と呼んでいるものが、作品そのものだけで作られているわけではないことにも気づかされる。

 文学史とは、優れた作品を順番に並べた一覧表ではない。

 そこには、何度も名前を呼ばれた作家と、同じ時代に確かに読まれていたのに、次第に呼ばれる回数が減っていった作家がいる。

 太宰治と織田作之助のあいだにあるのは、単なる人気の差ではない。

 それは、社会が文学をどのように記憶し、どのように忘れていくのかという、もっと大きな問題なのである。

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太宰治はなぜ高校生の心に入り込むのか

~高校時代に読んだ太宰治を、六十代になった今から考える~

高校生のころ、私は本格的に文学を読むようになった。

小学生のころは、学校から与えられた課題図書を読む程度だった。中学生になると、朝日新聞の「天声人語」を読むようになり、文章を通して社会や時代について考える機会が増えた。そして高校生になると、書店の文庫本の棚から本を選び、太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介、川端康成といった作家を読むようになった。

そのなかに太宰治がいた。

いま振り返ってみると、太宰という作家には、高校生という年代の読者を引き寄せる何かがある。

それは、単に文章が読みやすいからでも、暗い物語だからでもない。

高校生という、自分が何者なのかまだ確定していない時期に抱きやすい感情と、太宰の文章が描いている人間の不安定さが、どこかで重なるからではないだろうか。

太宰治は1909年に青森県に生まれ、本名を津島修治という。戦後には『斜陽』や『人間失格』などを発表し、1948年に39歳を目前にして亡くなった。国立国会図書館は、太宰を戦後に『斜陽』『人間失格』などを書き、「無頼派」などと呼ばれた作家として紹介している。

しかし、太宰を読むという経験を、その波乱に満ちた私生活だけから説明してしまうのは、少し違うように思う。

高校生だった私が向き合っていたのは、作家の伝記ではなく、まず文章だったからである。

高校生は、大人でも子どもでもない

高校生という時期は、不思議な年代である。

子どもとして扱われることに抵抗を覚える一方で、大人として社会の中に自分の位置を持っているわけでもない。

将来について問われる。

進学するのか。

何を学ぶのか。

どんな仕事をするのか。

自分には何ができるのか。

しかし、その問いに答えられるほど、自分自身のことを理解しているわけではない。

友人との関係も変化する。

人からどう見られているのかが気になる。

自分だけが周囲とうまくかみ合っていないように感じることもある。

他人から見れば些細な出来事であっても、本人にとっては大きな問題になる。

おそらく、こうした時期に太宰の文章を読むと、大人になってから読む場合とは違った形で言葉が入ってくる。

太宰の作品には、堂々と世界を説明する人間よりも、世界とうまく折り合えない人間がしばしば現れる。

自分を肯定できない。

他人とうまく付き合えない。

人からどう見られているかを過剰に意識する。

自分の弱さを自覚しながら、その弱さから簡単には抜け出せない。

このような人間像は、完成された大人の姿とはかなり遠い。

だからこそ、まだ自分自身が完成していない高校生には、妙に近く感じられるのかもしれない。

「弱い人間」が文学の主人公になる

高校生になるまでに接する物語では、努力する人、勇気のある人、困難を克服する人が肯定的に描かれることが多い。

もちろん、それ自体に問題があるわけではない。

しかし実際の人間は、それほど単純ではない。

努力できないこともある。

逃げることもある。

嫉妬する。

見栄を張る。

人に好かれたいと思いながら、人との付き合いに疲れる。

自分のことを理解してほしいと思いながら、本当の自分を見られるのは怖い。

太宰の文学には、そうした人間の矛盾がある。

ここに、高校生だった私たちの世代を含め、若い読者が引き寄せられる理由の一つがあるのではないかと思う。

文学のなかでは、立派ではない人間も主人公になれる。

自信のない人間にも言葉が与えられる。

迷っている人間にも物語がある。

これは、十代の読者にとって意外に大きな発見である。

文学は、優れた人間だけを書くものではない。

むしろ人に見せたくない感情まで文章にすることができる。

太宰を読むことによって、そんな文学の一面を知ることになる。

自己嫌悪をここまで文章にしてよいのか

太宰の作品を考えるとき、「自己嫌悪」という言葉は避けて通れない。

ただし、太宰の文学を「自分を嫌っている人の文学」とだけ整理してしまえば、あまりにも単純である。

重要なのは、自己嫌悪そのものよりも、それを文章として外へ出していることである。

普通なら隠したくなる感情を、文学として読者の前に置く。

格好の悪さ。

弱さ。

臆病さ。

虚栄心。

他人への依存。

そして、自分自身に対する疑い。

こうした感情は、多かれ少なかれ誰の中にもある。

高校生であれば、なおさら自分と他人を比較する機会が多い。

勉強のできる人。

運動のできる人。

友人の多い人。

異性に好かれる人。

将来の目標がはっきりしている人。

そうした周囲と比較しながら、自分は何者なのだろうと考える。

そのとき太宰の文章には、

「人間は、それほど立派なものではない」

という感覚が流れているように見える。

それは励ましではない。

人生の解決策でもない。

けれども、自分だけが不完全なのではないという感覚を、文学によって知ることはできる。

「道化」という感覚

太宰文学を考えるうえで、もう一つ重要なのが、人前で演じる自分と、本当の自分との距離である。

代表作『人間失格』は1948年に雑誌『展望』で連載され、同年に筑摩書房から刊行された。作品では主人公・大庭葉蔵の手記という形式が用いられている。

この作品について詳しい内容をここで追うつもりはないが、太宰文学に表れる「人前で自分を演じる」という感覚は、高校生にも理解しやすいものだと思う。

学校では、誰もがある程度の役割を持っている。

明るい生徒。

真面目な生徒。

面白い生徒。

優秀な生徒。

おとなしい生徒。

教師から見た自分と、友人から見た自分も違う。

家庭にいる自分とも違う。

そして本人自身が考えている「自分」とも違う。

人間は、社会のなかで多少なりとも役割を演じて生きている。

大人になれば、それを社会性として受け入れることもできる。

しかし高校生くらいの年代では、

「周囲に見せている自分は、本当の自分なのだろうか」

という疑問が生まれやすい。

太宰の文学が若い読者に響く理由の一つは、この「外側の自分」と「内側の自分」のずれを、非常に鋭く文章にしているところにあるのではないか。

太宰の文章には、読者との距離が近いところがある

文学作品には、読者が少し離れた場所から眺めるように読む作品もある。

風景や人物を客観的に描き、世界そのものを構築していく小説である。

それに対して太宰の文章には、ときに読者のすぐ近くから語りかけてくるような感覚がある。

大きな思想を正面から掲げるというより、

「実は私はこうなのだ」

「こんなことを考えてしまう」

という、人間の内側から始まる。

そのため読者は、作品を外から観察するだけでは済まなくなる。

自分にも似たところがあるのではないか、と考えてしまう。

私は高校生のころ、太宰だけを特別な作家として読んでいたわけではなかった。

三島由紀夫も読んだ。

芥川龍之介も読んだ。

川端康成も読んだ。

また、片岡義男や三田誠広のような、当時の空気を感じさせる作家も同じ本棚の中にあった。

古典的な文学と同時代の文学を、いまのように明確に分類して読んでいたわけではない。

書店の棚に文庫本が並んでいて、そこから一冊を取る。

その一冊が次の一冊へつながっていった。

そのなかで太宰には、他の作家とは少し異なる、人間の弱い部分への近さがあったように思う。

三島由紀夫とは違う入り口

高校時代に読んだ作家のなかで、三島由紀夫と太宰治を並べて考えると、その違いは興味深い。

三島の文章には、文章そのものの完成度や美しさを意識させられるところがある。

美、身体、思想、死。

高校生だった私には理解しきれない部分も多かった。

それでも文章の力は感じた。

一方、太宰の場合は、まず人間の側から入ってくる。

弱さ。

恥。

孤独。

自己嫌悪。

他人との距離。

三島を読んで、

「こんな文章があるのか」

と思うとすれば、太宰を読んだときには、

「人間はこんなことまで書いてよいのか」

と感じる。

少なくとも現在の私には、その違いが見える。

高校時代には、そこまで整理して読んでいたわけではなかった。

ただ本を読み、何かを感じ、次の本へ進んでいた。

文学とは本来、そのようにして身体の中に入ってくるものなのかもしれない。

高校生だった私は、太宰をどこまで理解していたのか

六十代になった現在から高校時代の読書を振り返ると、一つ注意しなければならないことがある。

それは、当時読んだ本を、現在の知識によって「理解していたこと」にしてしまわないことである。

高校生だった私は、太宰が生きた昭和前期の社会を十分に理解していたわけではない。

戦前と戦後の価値観の変化。

地主階級をめぐる社会背景。

当時の文学状況。

太宰自身の複雑な人生。

そうした背景を体系的に勉強してから読んだわけではなかった。

読めたところまで読んだ。

感じられたところまで感じた。

おそらく、それが実際の読書だった。

しかし、だから価値がなかったわけではない。

むしろ文学との最初の出会いは、それでよいのではないかと思う。

すべてを理解してから文学を読むことなど、そもそもできない。

分からないところを残しながら読む。

何十年か経ってから、以前とは別の意味が見えてくる。

それも読書なのである。

太宰の人生と作品を同一視しない

太宰治について語ると、どうしてもその生涯が話題になる。

複雑な人間関係。

心中未遂。

酒や薬物をめぐる問題。

そして1948年の死。

確かに、太宰の人生と作品は無関係ではない。

国立国会図書館や山梨県立文学館の略歴を見ても、その人生が作品形成と深く関係していたことは分かる。

しかし、作者の人生を知れば作品がすべて説明できるわけではない。

さらに危険なのは、

「太宰は苦悩した人生を送ったから、作品も優れている」

というように短絡させることである。

苦しんだから文学者になれるわけではない。

破滅的に生きることに文学的価値があるわけでもない。

太宰の作品が残った理由は、その人生の激しさだけではなく、それを言葉に変える文学的な技術があったからだろう。

高校生が太宰を読むときにも、この二つは分けて考えた方がよい。

太宰の生き方をまねる必要はない。

しかし、太宰が書いた人間の弱さについて考えることはできる。

作品を読むとは、作者の人生を肯定することではないのである。

なぜ今も若い読者に読まれるのか

太宰治の『人間失格』や『走れメロス』などは、現在も電子化され、青空文庫などを通じても読むことができる。青空文庫の過去のアクセスランキングでも、『人間失格』『走れメロス』『斜陽』など複数の太宰作品が上位に入っており、デジタル環境になっても継続して読まれていることがうかがえる。

太宰が生きていた昭和と、現在の高校生が生きる令和では、社会環境は大きく違う。

私が高校生だったころには、もちろんスマートフォンもインターネットもなかった。

本を探す場所は、まず書店や図書館だった。

現在は作品名を検索すれば、解説も感想も作者の経歴もすぐに出てくる。

しかし、人間そのものがそれほど簡単に変わったとは思えない。

人からどう見られているのか。

自分は何者なのか。

人間関係の中で、どこまで自分を出してよいのか。

他人に合わせている自分と、本当の自分とのどちらが自分なのか。

こうした問いは、昭和の高校生にも、令和の高校生にも存在する。

むしろ現在は、SNS(Social Networking Service・インターネット上で人と交流し情報を発信するサービス)によって、他人から見える自分を常に意識しやすくなった。

プロフィール。

写真。

短い文章。

「いいね」の数。

他人の生活。

他人の評価。

そうしたものに囲まれた現代では、「他人に見せている自分」と「自分自身が感じている自分」との距離は、むしろ意識されやすくなっているのかもしれない。

そう考えると、太宰文学が古くならない理由も少し分かる。

時代は変わっても、人間が他人の目を意識することは変わらない。

太宰を読むことは、自分の弱さを肯定することではない

太宰を若いころに読むことには、一つ注意すべき点もあると思う。

弱さを描いた文学を読むことと、弱さそのものを美化することは違う。

孤独を描いた作品を読むことと、孤独であることを価値ある生き方として選ぶことも違う。

自己嫌悪を文章として読むことと、自分を否定し続けることも違う。

文学は人生の処方箋ではない。

太宰を読めば悩みが解決するわけでもない。

むしろ文学は、

「人間には、こういう感情もある」

と示してくれるものではないだろうか。

そして、それに名前を与えてくれる。

漠然と感じていた不安。

自分でも説明できなかった違和感。

人には言えなかった恥ずかしさ。

文学の中でそれに似た感情を見つけると、

「これは言葉にできるものなのだ」

と分かる。

文学が人生の答えを与えるのではなく、問いに言葉を与える。

私が現在、文学について考えるときに重要だと思うのは、その点である。

六十代になった今、太宰を考える

高校生だったころと現在とでは、私自身が生きてきた時間がまったく違う。

仕事をし、社会の仕組みを知り、科学や医学、経済、政治、技術など多くの分野の本も読むようになった。

文学だけを読んできたわけではない。

むしろ成人後の読書は、分野を限定せず広がっていった。

それでも高校時代に文学を読んだ経験は残っている。

その意味を現在から考えると、文学は「正しい人間像」を教えるものではなかったのだと思う。

太宰治の文学もそうである。

人間は弱い。

しかし、強い部分もある。

善良なこともあれば、ずるいこともある。

人を求めながら、人から離れたいと思う。

自分を理解してほしいと思いながら、自分を知られることを恐れる。

人間は矛盾している。

十代のころは、その矛盾を自分自身の問題として感じる。

年齢を重ねると、それが自分だけではなく、人間そのものの問題だったのだと少しずつ分かってくる。

太宰治の文学が高校生の心に入り込む理由は、そこにあるのかもしれない。

高校生に人生の答えを教えるからではない。

むしろ逆である。

自分でもまだ説明できない問いがあることを、そのまま文章にして見せる。

だから若い読者は、その中に自分の一部を見つける。

そして何十年も経ってから読み返せば、今度は高校生だった自分の姿まで、その文章の向こう側に見えてくる。

本を読むということは、作品を読むだけではない。

かつてその本を読んだ、自分自身を読み返すことでもあるのだと思う。


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