伊丹十三について語ろうとすると、いつも一つの困難にぶつかる。俳優、映画監督、エッセイスト、商業デザイナー、テレビ制作者、雑誌編集者、イラストレーター。肩書を並べれば並べるほど、かえって彼が何者だったのか分からなくなるのである。多才だった、という言葉でまとめることもできる。しかし、それでは伊丹十三という人物の輪郭を十分に捉えたことにはならない。
むしろ彼の仕事を長い時間軸で眺めてみると、そこには一つの共通した姿勢が見えてくる。伊丹十三は、生涯にわたって「人間が日常をどのように生きているか」を見続けた人だったのではないか。
食べること、着ること、買うこと、車を運転すること、人と話すこと、子どもを育てること、病院へ行くこと、葬式を出すこと。私たちの生活は、そのような無数の行為によってできている。しかし普通、それらについて深く考えることはない。毎朝コーヒーを飲むとき、なぜこの器を使うのかとは考えない。店で物を買うとき、売る側と買う側との間にどのような心理が働いているかを分析したりもしない。葬式に参列すれば周囲に合わせて頭を下げ、決められた順序に従って動く。それで日常生活は問題なく進んでいく。
伊丹十三は、そこで立ち止まることのできる人だった。
なぜ人間は、この場面でこのように振る舞うのだろう。なぜこちらの国では自然に見える仕草が、別の国では不自然に見えるのだろう。なぜ便利なはずの道具が、使い方ひとつでみっともなく見えるのだろう。なぜ誰もが当然だと思っている習慣に、これほど妙なところがあるのだろう。
この「なぜ」が、伊丹十三の文章と映画を貫いている。
彼の初期のエッセイを読むと、そのことがよく分かる。外国へ出かけても、彼の関心は名所旧跡だけに向かわない。むしろレストランで人がどのように注文するのか、料理をどう食べるのか、車をどう扱うのか、服をどう着るのかといった、ごく普通の生活の細部へ向かっていく。そこで彼は、日本と外国の違いを大上段から論じるのではなく、目の前で起きている小さな出来事から考え始める。
一見すると、それは趣味や生活作法の話に見える。けれども、読み進めていくと、その向こう側から社会が姿を現す。食べ方には階級意識や家庭教育が現れ、服装には身体に対する感覚が現れ、サービスの仕方には人間関係についての社会的な考え方が現れる。車の扱い方一つをとっても、その国の道具観や公共意識が透けて見える。
伊丹十三が優れていたのは、こうした細部を単なる雑学として終わらせなかったことである。小さな生活習慣から、その背後にある大きな構造を感じ取っていた。
おそらく彼にとって、文化とは美術館や劇場の中だけにあるものではなかった。文化は食卓にもあり、商店にもあり、台所にもあり、道路にもあり、家族の会話にもある。人間が長い時間をかけて身につけてきた振る舞いそのものが文化なのである。
だから伊丹十三の文章には、独特の「見る速度」がある。
多くの人が何も考えず通り過ぎるところで、彼だけが速度を落とす。そして眺める。少し角度を変えて見る。外国と比べてみる。過去と比べてみる。自分の感覚を疑いながら、それでももう一度見る。そのうち、それまで平凡だった風景の中から妙なものが浮かび上がってくる。
この力は、後年の映画にそのまま受け継がれていった。
『お葬式』という題名を改めて考えてみれば、それだけでも伊丹十三の映画が普通ではなかったことが分かる。葬式は誰にでも関係する。しかし、映画の題材として考えれば華やかではない。主人公が世界を救うわけでもなければ、壮大な歴史が展開するわけでもない。親族が集まり、僧侶を迎え、慣れない儀礼を行い、周囲に気を遣いながら故人を送り出す。
ところが、そこには驚くほど多くの人間の姿がある。悲しみながらも段取りを気にする人がいる。作法を知らず戸惑う人がいる。世間体を考える人がいる。専門家に任せるしかないこともある。厳粛であるはずの場に、どこか滑稽さも入り込んでくる。
伊丹十三は、その矛盾を見逃さなかった。
人間は、悲しいときでさえ完全に悲しみだけの中にはいられない。お腹も減るし、電話も鳴るし、金のことも考えなければならない。人生の重大事のすぐ隣に、どうでもよい日常が存在している。そこに人間のおかしさがある。
伊丹映画のユーモアは、人を上から笑うものではない。むしろ、人間という存在そのものが持っている不格好さを見つめるところから生まれている。
『タンポポ』も同じである。ラーメン一杯という極めて日常的な対象から、伊丹十三は一つの世界を作り出した。食べることは誰もが毎日繰り返している。それにもかかわらず、いざ真正面から眺めてみると、そこには欲望も技術も美意識も競争もある。料理する者と食べる者がいて、上手な者と下手な者がいて、知識を誇る者もいれば、ただ純粋においしいものを食べたい者もいる。
ラーメンを描きながら、結局は人間を描いているのである。
『マルサの女』では税金という、普通なら映画から最も遠そうな世界を題材にした。『スーパーの女』では食品スーパーの売り場が物語の舞台になる。伊丹十三にかかると、税務署もスーパーも、一つの社会として見えてくる。そこには独自の言葉があり、慣習があり、専門知識があり、権力関係があり、善意も悪意も欲望もある。
彼が特別だったのは、非日常的な出来事を見つける能力ではなく、日常そのものの中に劇を見つける能力だったのだろう。
では、なぜ伊丹十三にはそれができたのか。
一つには、彼が「編集する人」だったことが大きいように思う。
編集という仕事は、何もないところからすべてを生み出す仕事ではない。すでに存在しているものを見つけ、選び、順序を与え、並べ直すことによって、新しい意味を生み出す仕事である。写真を一枚選ぶ。文章の位置を変える。余計なものを捨てる。二つの出来事を隣に置く。ただそれだけで、世界の見え方が変わる。
伊丹十三は商業デザインや編集の仕事を経験していた。その感覚は、後の文章にも映画にも深く残っている。
彼は、生活の中から素材を拾ってくる。食事を拾う。服装を拾う。車を拾う。葬式を拾う。税金を拾う。スーパーを拾う。そして、それらをいつもとは少し違う場所に置いてみせる。
すると読者や観客は、「こんなものが面白いのか」と驚く。
けれども伊丹十三が面白いものを発明したわけではない。もともとそこにあったものを、私たちが面白いと気づく位置まで動かしたのである。
ここに、彼が日常生活を「文化」に変えることができた理由がある。
文化という言葉には、ときとして大げさな響きがある。文学、絵画、音楽、思想。長い歴史を持つ作品だけが文化であるかのようにも感じられる。しかし、文化をもう少し広く捉えるならば、人間が繰り返してきた生活の型もまた文化である。
家族がどこに座って食事をするか。人前で何を恥ずかしいと思うか。祝い事のときに何を食べるか。客にどう接するか。死者をどのように送るか。
そうしたものは、誰か一人が決めたわけではない。無数の人間が長い時間をかけて作り、次の世代へ渡してきたものである。
伊丹十三は、それを見ていた。
だから彼が洋服について書けば、それは単なるファッションの話ではなくなる。料理について書けば、単なるグルメ談義ではなくなる。外国について書いても、単なる旅行記にはならない。
伊丹十三の文章には、美意識と同時に倫理があるからである。
どの服が格好いいかということだけではなく、人間は物をどう扱えばよいのか。どの料理がおいしいかということだけではなく、食べるという行為をどのように楽しむべきなのか。どこの国が優れているかということではなく、自分たちはなぜこのような振る舞いをしているのか。
その問いは、最後には自分自身へ戻ってくる。
彼は外国を使って日本を見た。そして日本を語りながら、人間そのものを見ていたのである。
そこには、伊丹十三特有の距離感がある。
完全に外側へ出るのではない。しかし、中に埋没もしない。
日本人として日本の生活を知りながら、ほんの少しだけ外側へ立ってみる。その半歩ほどの距離から眺めると、日常の奇妙さがよく見える。
考えてみれば、優れたエッセイストにはこの距離感が必要なのだろう。
生活に近すぎれば、すべてが当たり前になってしまう。遠すぎれば、生活の温度が失われる。
伊丹十三は、その中間に立っていた。
だから彼の文章を読んでいると、「自分も見たことがある」と思うのに、「そんなふうに考えたことはなかった」と感じる。
これは、非常に不思議な読書体験である。
未知の世界を教えられたのではない。むしろ、自分が毎日暮らしてきた世界を改めて見せられている。
本当の意味での観察とは、そこにあるものを発見することだけではないのかもしれない。見慣れすぎて見えなくなったものを、もう一度見えるようにすることである。
伊丹十三は、それができた。
そして、その能力は単なる知識の豊富さから生まれたのではない。彼には、自分自身の感覚を信用する強さがあったのだと思う。
世間では普通とされている。しかし、自分には何となくおかしく見える。
多くの人が気にしていない。しかし、自分には気になる。
普通なら、そこで自分の感覚を引っ込めてしまう。みんなが何も言わないのだから、たぶん自分の方がおかしいのだろう、と考える。
伊丹十三は、そこで考えることをやめなかった。
この違和感はどこから来るのだろう、と掘り下げていった。
その姿勢が、彼の文章に独自の切れ味を与えた。
文化を見るということは、結局、違いを見ることでもある。
美しいものと美しくないもの。自然な振る舞いと不自然な振る舞い。合理的な仕組みと不合理な仕組み。品のある態度と品のない態度。
伊丹十三は、その境界線に敏感だった。
もちろん、その判断には彼自身の好みもあった。すべてが普遍的な基準だったわけではない。それでも彼の文章が今なお魅力を失わないのは、結論そのものよりも、物事を見る過程が面白いからである。
何となく感じる。
よく見る。
比較する。
考える。
言葉にする。
この繰り返しによって、日常の風景に意味が生まれていく。
伊丹十三が教えてくれるのは、文化とは最初から立派な姿で存在しているものではないということなのかもしれない。
文化は、生活の中に沈んでいる。
食卓にも、道路にも、衣服にも、店にも、家族の会話にも、人間の癖にも沈んでいる。
しかし、それはあまりにも近くにあるため、普通は見えない。
伊丹十三は、その沈んでいるものを一つずつ拾い上げた。
そして文章にし、映像にした。
すると、それまで何でもなかった行為が、急に興味深いものに見えてくる。
自分が箸を持つ手まで気になってくる。店員との会話まで気になってくる。スーパーの商品棚の並び方まで気になってくる。葬式の席で人々がどのように振る舞うのかまで見えてくる。
世界が少しだけ濃くなるのである。
だから伊丹十三の仕事を「生活文化」と呼ぶだけでも、まだ十分ではないように思う。
彼は、生活を文化へ格上げしたわけではなかった。
もともと生活の中に文化があることを発見し、それを私たちにも見えるようにした。
おそらく、そこに伊丹十三という人のもっとも大きな才能があった。
特別な場所へ出かけなくても、人間について考える材料は目の前にある。大事件が起こらなくても、社会は毎日の暮らしの中に現れている。難しい思想書を開かなくても、人間が何を大切にしているかは、その人の食べ方や話し方や物の扱い方に現れる。
伊丹十三は、そうした小さな事実を軽く扱わなかった。
それどころか、小さな事実の方が人間について多くを語ることを知っていた。
伊丹十三が見ていたのは、遠いところにある「文化」ではない。
毎朝起きてから夜眠るまで、私たちが無意識のうちに繰り返している、その生活そのものだった。
そして彼の文章や映画に触れたあと、私たちは少しだけ以前とは違う目で、自分の暮らしを見るようになる。
それこそが、伊丹十三が日常生活を「文化」に変えたように見える、本当の理由なのだろう。
彼は日常を別のものに変えたのではない。
日常の中に、最初から文化があったことを見つけたのである。


