リベラル文庫(九条レオン)

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芥川賞と直木賞はそもそも何のための賞なのか

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 毎年、夏と冬になると「芥川賞」「直木賞」という言葉がニュースに現れる。文学にそれほど関心がない人でも、この二つの名前は知っているだろう。受賞者が記者会見を開き、書店には受賞作を積み上げた棚ができ、ときには作品そのもの以上に、受賞した作家の経歴や人物像が話題になる。日本には数多くの文学賞が存在するが、芥川賞と直木賞ほど、文学の世界を越えて社会的な関心を集める賞は多くない。

 ところが、改めて考えると少し不思議である。なぜ日本には、これほど有名な文学賞が二つ並んで存在しているのだろうか。芥川賞は純文学、直木賞は大衆文学やエンターテインメント小説を対象とする、という説明はよく知られている。しかし、それだけでは両賞の違いは分かっても、なぜ二つの賞が作られたのか、そもそも文学賞にはどのような役割が期待されていたのかという疑問には十分に答えられない。

 その答えを探すには、1935年に行われた第1回の授賞よりも、さらに一年さかのぼる必要がある。1934年4月、『文藝春秋』の随筆欄「話の屑籠」で、菊池寛はすでに二つの文学賞の構想を書いていた。直木三十五を記念する賞を大衆文芸の新進作家に、芥川龍之介を記念する賞を純文芸の新進作家に贈りたいというのである。

 つまり、芥川賞と直木賞は、一つの文学賞を後から二種類に分けたものではない。構想された段階から、異なる二つの文学領域に新しい書き手を送り出す制度として考えられていた。ただし、その目的は才能の発掘や文学の発展だけではなかった。そこには亡くなった友人への思いと、雑誌を盛り上げようとする出版事業上の発想も重なっていたのである。

二つの賞は、二人の作家の死をきっかけに生まれた

 芥川賞と直木賞の成立を考えるうえで、中心となる人物は芥川龍之介でも直木三十五でもない。『文藝春秋』を1923年に創刊した作家であり、出版人でもあった菊池寛である。菊池は自ら小説や戯曲を書くだけでなく、作家が作品を発表する場を作り、雑誌を通じて読者と結び付けることにも力を注いだ人物だった。

 芥川龍之介は1927年に亡くなり、直木三十五も1934年に世を去った。二人はいずれも菊池と親しく、『文藝春秋』とも深い関係を持っていた。芥川は創刊号から「侏儒の言葉」を連載し、直木も小説だけでなくさまざまな文章を同誌に寄稿していた。現在の私たちは、芥川を近代日本文学の代表的な作家として、直木を大衆文芸の歴史に名を残した作家として認識している。しかし、当時の二人は、文学史の中に収められた過去の人物ではなく、雑誌に文章を発表し、読者の評価を受けながら同時代の文壇を生きていた作家だった。

 1934年4月、直木を失った直後の菊池は、『文藝春秋』の「話の屑籠」に、直木を記念する賞金を大衆文芸の新進作家に贈り、同時に芥川を記念する賞金を純文芸の新進作家に贈るという構想を記した。その段階では、まだ実施が正式に決まっていたわけではないが、二つの賞を同時に設けるという基本的な方向性はすでに示されていた。

 翌1935年1月号の『文藝春秋』で、菊池は両賞の実施を正式に表明する。その趣旨について、亡くなった友人を記念するとともに、無名あるいは無名に近い新進作家を世に出したいと説明し、受賞者には賞を与えるだけでなく、その後の作家としての進展についても文藝春秋社が援助するという考えを示していた。

 ここで注目すべきなのは、すでに名声を確立した大家の業績を表彰することよりも、これから活躍する可能性のある作家を発見し、社会に紹介することが重視されていた点である。ただし、これは創設時に表明された理念であり、すべての受賞者に対して同じような継続的支援が実施されたことまで意味するわけではない。創設者が何を目指したのかという問題と、その理念が実際にどこまで実現したのかという問題は、区別して考える必要がある。

菊池寛は、雑誌の宣伝も目的としていた

 芥川賞と直木賞の歴史を語るとき、しばしば強調されるのは、菊池寛が亡くなった友人を記念し、新人作家を育てようとしたという側面である。もちろん、それは重要な事実だが、菊池自身の言葉をたどると、もう一つ見落とせない目的が存在していたことが分かる。

 1934年4月の「話の屑籠」で、菊池は二つの賞の構想について、芥川と直木を失った『文藝春秋』を盛り上げるために、亡き友人たちの名前を使おうとしているという趣旨を率直に書いている。さらに1935年10月には、芥川賞と直木賞について「半分は雑誌の宣伝にやってゐるのだ」と明言したうえで、残る半分には二人の文学者の名を顕彰し、新進作家の台頭を助けたいという公正な気持ちがあると説明している。

 この発言は、両賞の成立を理解するうえで非常に重要である。ただし、菊池が述べた「半分」を、創設目的の正確な割合を示す数値として受け取るべきではない。ここで読み取れるのは、文学的な理念と雑誌の宣伝という商業的な目的が、創設者の中でともに意識されていたということである。

 出版社にとって、新しい作家や作品を発見することは文化的な活動であると同時に、出版事業を継続させるためにも重要な意味を持つ。話題になる作品が生まれれば雑誌を手に取る読者が増え、その収入が次の編集活動を支えることにもつながる。一方、新人作家にとっては、自分の作品が雑誌に掲載され、編集者や読者に知られることが、次の執筆機会を得るきっかけになる。

 つまり、優れた作品を紹介することと、出版事業を活性化させることは、必ずしも対立する目的ではない。文学作品が読まれることで出版社の事業が支えられ、その事業によって次の作品が世に出るという相互関係が成立し得るのである。もちろん、商業的な成功が文学的な価値を保証するわけではなく、逆に文学的な価値が高ければ必ず売れるというわけでもない。しかし、作家、出版社、読者が継続的に結び付くためには、文化的な評価だけでなく、作品を届けるための経済的な仕組みも必要になる。

 菊池寛の構想には、亡き友人を顕彰すること、新しい作家を世に出すこと、そして雑誌を盛り上げることという複数の目的が存在していた。芥川賞と直木賞を単なる文学的理想の産物として描くよりも、文学と出版事業の両方を理解していた菊池が生み出した制度として捉える方が、その成立過程を正確に説明できるだろう。

文学賞は、作家を世に出すための仕組みでもあった

 1930年代の文学の世界を考えるとき、現在との大きな違いは、作品を発表し、広い読者に届ける方法が限られていたことである。インターネットも電子書籍も存在せず、作家を志す人が自分の作品を広く公開するためには、雑誌や書籍などの出版媒体を通じて読者に届けることが重要だった。才能のある書き手であっても、編集者に作品を見いだされ、発表の機会を得られなければ、多くの読者に存在を知ってもらうことは難しかった。

 文学の世界において、作品の価値が認められることと、その作品が読者に届くことは同じではない。どれほど優れた小説であっても、読者が存在を知らなければ読むことはできず、出版されても膨大な作品の中に埋もれてしまうことがある。そこで重要になるのが、どの作品に注目する価値があるのかを読者に伝える仕組みであり、文学賞にはその役割を担う可能性がある。

 芥川賞と直木賞の特徴は、公募によって未発表の原稿を集める新人賞ではないという点にもある。現在の芥川賞は、雑誌や同人雑誌に発表された新進作家による純文学の中・短編作品を対象としている。一方、直木賞は、新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本から、長編小説や短編集を対象として選考する。作家自身が両賞に応募するのではなく、すでに発表された作品の中から候補作が選ばれる制度である。

 現在、両賞を主催しているのは公益財団法人日本文学振興会であり、創設時の文藝春秋社による事業とは運営主体の形が異なっている。日本文学振興会は1938年に設立され、2010年に公益財団法人へ移行した。現在も文藝春秋は運営に深く関わり、候補作を絞り込む予備選考には、同会から委嘱された文藝春秋の編集者が中心的な役割を果たしている。その後、作家などからなる選考委員会の討議によって、受賞作が決定される。

 この仕組みを考えると、芥川賞と直木賞は、単に優れた作品に賞を与えるだけの制度ではないことが分かる。すでに出版の世界に姿を現している作品を改めて評価し、候補作や受賞作として社会に紹介することで、作品と読者が出会う機会を広げる仕組みでもある。

 ただし、文学賞がすべての才能を公平に発見できると考えることもできない。候補作の選定には編集者の判断が関わり、最終選考には選考委員それぞれの文学観が反映される。また、そもそも作品が雑誌や書籍として発表されなければ、選考対象になりにくいという制度上の条件も存在する。文学賞は才能を発見するための重要な手段ではあるが、あらゆる作品の価値を漏れなく判定する仕組みではないのである。

なぜ芥川賞と直木賞の二つが必要だったのか

 では、なぜ菊池寛は一つの文学賞ではなく、二つの賞を構想したのだろうか。その直接的な理由は、1934年4月に示された構想から読み取ることができる。純文芸の新進作家には芥川龍之介の名を冠した賞を、大衆文芸の新進作家には直木三十五の名を冠した賞を設けるというものであり、当初から二つの異なる文学領域を対象にする考えだった。

 もっとも、そこから菊池が文学全体の序列化を避けることを明確な目的としていたとまでは断定できない。創設時に確認できるのは、純文芸と大衆文芸のそれぞれに賞を設けようとした事実であり、その背景にある文学観のすべてが説明されているわけではない。それでも、結果として両賞が異なる文学的領域を顕彰する仕組みとなったことは重要である。

 純文学と大衆文学の違いを説明する際、純文学は文章表現や人間の内面を重視し、大衆文学は物語の展開や読者の楽しさを重視するといわれることがある。しかし、これは一般的な傾向を説明するものであって、両者を厳密に分ける定義ではない。純文学にも物語としての面白さがあり、エンターテインメント小説にも高度な文章表現や人間理解が求められる。実際の作品は、さまざまな要素を組み合わせて成立しているのである。

 また、純文学の方が大衆文学より文学的に優れているという関係が、二つの賞の制度によって定められているわけでもない。どのような作品を高く評価するかは、文学の目的や読者の関心によって異なり、一つの基準ですべての小説を評価することには限界がある。

 現在の芥川賞が新進作家の純文学作品を対象とする一方、直木賞は新進作家に加えて中堅作家も対象としていることから、両賞は作家としての経験や出版歴の面でも性格が異なる。芥川賞では、それまで一般にはほとんど知られていなかった書き手が受賞することがあり、直木賞では、すでに複数の著作を発表し、一定の読者を持っている作家が受賞することもある。

 こうした違いを踏まえると、二つの賞が並んで存在していることには、異なる性格の作品や作家を、それぞれ社会に紹介するという意義があると考えられる。これは菊池が明言した創設目的そのものというよりも、創設時の構想と現在までの制度の発展から導かれる解釈である。

芥川賞と直木賞では、作品が読者に届く道筋も違う

 両賞の違いは、受賞作が読者に届けられる方法にも表れている。現在、芥川賞の受賞作は『文藝春秋』に全文が掲載される一方、直木賞の受賞作は『オール讀物』に一部が掲載される。これは両賞の対象作品の形態とも関係している。

 芥川賞は雑誌や同人雑誌に発表された中・短編作品を対象としているため、受賞作品を雑誌に改めて全文掲載することができる。受賞のニュースを見て興味を持った読者は、作品が掲載された雑誌を購入し、一冊の中で小説そのものを読むことができる。受賞によって作家の名前が知られるだけでなく、それまで文学雑誌を読んでいなかった人が、作品に触れる機会を得ることにもつながる。

 一方、直木賞の対象となるのは、すでに単行本として出版された長編小説や短編集である。作品の分量が多いため、受賞作の全体を一冊の雑誌に掲載することは一般的ではなく、興味を持った読者は受賞作が収録された単行本を手に取ることになる。そのため、直木賞の受賞は、既刊書の再評価や販売促進と結び付きやすい側面がある。

 この違いは、出版市場における両賞の働き方を考えるうえでも興味深い。芥川賞には、雑誌を通じて新しい作家や作品を広く紹介する性格があり、直木賞には、すでに書籍として流通している作品への関心を高める性格がある。ただし、両者の効果が完全に分かれているわけではなく、芥川賞の受賞作が単行本として売れることもあれば、直木賞の受賞によって、それまで知られていなかった作家の名前が広まることもある。

 両賞はいずれも文学的な評価と出版流通を結び付ける仕組みだが、作品が選ばれる段階と読者に届けられる経路には、それぞれ異なる特徴が存在しているのである。

「受賞作なし」が存在することの意味

 芥川賞と直木賞には、一般的な競技大会とは異なる特徴がある。それは、候補作品が存在していても「受賞作なし」という判断が認められていることである。

 陸上競技のように、記録によって順位が決まる大会では、原則として参加者の中から最も速い選手や最も高く跳んだ選手を決めることができる。しかし、文学作品の評価はそれほど単純ではない。文章表現、構成、人物描写、独創性、読後の印象など、複数の要素が評価に関わり、その重要性についても選考委員の判断が一致するとは限らない。

 ただし、「受賞作なし」という制度が存在することだけで、文学の価値は数値化できないという結論が直接導かれるわけではない。文学賞では、候補作を相互に比較するだけでなく、受賞にふさわしいと判断できる水準に達しているかどうかも問題になる。候補作の中で相対的に最も高く評価された作品があっても、それを受賞作として選ぶべきかどうかは別の判断なのである。

 実際、両賞の長い歴史の中では、候補作に対する評価が分かれたり、受賞にふさわしい作品がないと判断されたりした結果、受賞作なしとなった回が存在する。受賞作を必ず選ぶという形式を採らないことは、賞の評価基準を維持するうえでも意味があると考えられる。

 さらに、選考委員による選評は、作品がどのような観点から評価されたのかを知るための資料にもなる。同じ作品について、ある選考委員が独創性を高く評価し、別の選考委員が構成上の問題を指摘することもある。そうした意見の違いを読むことで、文学作品に対する評価が一つの固定された尺度だけでは成立していないことが見えてくる。

 文学賞の選考は、作品の優劣を決めるだけでなく、その時代の作家や批評家が小説に何を求め、どのような表現を評価していたのかを記録する場にもなっているのである。

文学賞を受賞すると、本当に売れるのか

 文学賞には作品の認知度を高める役割があるとしても、受賞によって販売部数がどの程度増えるのか、作家としての活動がどこまで広がるのかという問題は、別に検証する必要がある。

 実際に、芥川賞受賞作の中には大きな商業的成功を収めた作品が存在する。例えば、1976年に第75回芥川賞を受賞した村上龍の『限りなく透明に近いブルー』は、受賞をめぐる報道などを背景に、同年末までに130万部が発行された。また、2004年に第130回芥川賞を受賞した綿矢りさの『蹴りたい背中』も、130万部を超える大きな話題作となった。

 これらは、文学賞による注目と出版上の成功が結び付いた事例として重要である。しかし、発行部数と実際の販売部数は同じではなく、受賞作が大量に発行されたという事実だけで、その増加分のすべてが文学賞によって生じたと証明できるわけでもない。作品自体の魅力、著者の経歴、報道の規模、出版社の広告や増刷、社会的な話題性など、複数の要因が重なっているからである。

 また、成功した作品だけを取り上げると、文学賞の商業的効果を過大に評価する危険がある。受賞しても期待したほど販売が伸びない作品や、一時的に注目されても、その後の作家活動が必ずしも安定しない場合も考えられる。文学賞を受賞したという事実と、長期的に読者を獲得し続けることは、同じではない。

 受賞そのものの効果を統計的に検証するには、受賞作品だけでなく、最終候補になりながら受賞しなかった作品についても、受賞発表前後の販売動向を比較する必要がある。さらに、受賞前からの売れ行き、広告活動、作家の知名度などの違いを考慮しなければ、文学賞がどの程度の影響を与えたのかを正確に推定することは難しい。

 ただし、作品を購入する読者の立場から考えれば、文学賞が一定の役割を果たすことは理論的に説明できる。読者は購入する前に、その作品が自分にとって面白いかどうかを完全に知ることはできない。また、出版される作品のすべてを読み比べることも現実的ではないため、書評や知人の推薦、文学賞の受賞歴などを手掛かりに読む本を選ぶことになる。

 文学賞は、読者が作品を探す際の判断材料を提供することができる。しかし、受賞したことは、その作品がすべての読者にとって優れているという保証ではない。文学賞の価値は、読者の代わりに最終的な評価を決めることよりも、数多くの作品の中から新たな一冊に関心を向けるきっかけを作る点にもあるのだろう。

芥川賞や直木賞の受賞作は、本当に名作なのか

 文学賞が作品を社会に紹介する仕組みだとすれば、次に考えたくなるのは、受賞作と文学史に残る名作との関係である。芥川賞や直木賞を受賞した作品は、その時点で高く評価された作品ではあるが、必ずしも何十年も読み継がれることを保証された作品ではない。

 受賞時には大きく報道されても、時代の変化とともに読まれる機会が少なくなる作品はあるだろう。一方で、文学賞とは直接関係なく、長い年月にわたって読者を獲得し続ける作品も存在する。ある時代の選考委員が高く評価することと、後世の読者や研究者がその作品を文学史上どのように位置付けるかということは、必ずしも一致しない。

 そもそも、文学作品の評価は時間とともに変化する。発表当時には斬新だった表現が後の時代には一般的になることもあれば、当時は十分に評価されなかった作品が、社会の価値観の変化によって新たな意味を持つこともある。作品そのものは変わらなくても、それを読む人間の社会や文化的な背景が変われば、作品から読み取られるものも変化するのである。

 そう考えると、文学賞は未来の文学史を確定させる制度というより、その時代の選考委員が、現在発表されている作品の中から評価に値すると判断した作品を社会に示す制度だと理解できる。受賞したという事実には歴史的な意味が残るが、その作品が後世まで名作と評価されるかどうかは、長い時間の中で改めて問われることになる。

 この点で、過去の受賞作品を読み返すことには独特の面白さがある。作品そのものを楽しむだけでなく、当時の文学者がどのような表現に注目し、何を新しい文学の可能性として評価していたのかを知ることができるからである。文学賞の歴史をたどることは、受賞作家の名前を並べるだけでなく、日本社会が時代ごとに小説へ何を求めてきたのかを考えることにもつながる。

二つの文学賞が九十年以上続いてきた理由

 1935年に始まった芥川賞と直木賞は、2026年現在、創設から九十年以上の歴史を持つ文学賞となっている。この間、日本の出版市場は大きく変化し、文学作品の発表方法や読者が情報を得る手段も多様化した。それでも両賞は、毎年夏と冬に選考が行われる文学界の代表的な行事として、社会的な注目を集め続けている。

 特に近年は、紙の出版物を取り巻く市場環境が厳しくなっている。2025年の国内出版市場では、紙の出版物全体の推定販売金額が前年比で減少する一方、電子出版市場は増加しており、出版物の種類や媒体によって動向は異なっている。紙の書籍については前年をわずかに上回ったものの、紙の雑誌は減少しており、単純にすべての本が同じ割合で売れなくなっているわけではない。

 現在はインターネット上でも文学作品を発表でき、読者自身が作品を探したり、感想を発信したりすることも容易になった。かつては雑誌や出版社を通じることが広い読者と出会うための重要な経路だったが、現在では出版の世界に入る前から読者を獲得する作家も存在する。その意味で、文学賞だけが新しい才能を発見し、作品を社会へ届ける役割を担っているわけではなくなった。

 しかし、作品の発表や流通の手段が増えたことは、読者にとって本を選ぶことが簡単になったという意味ではない。むしろ、選択肢が増えれば増えるほど、その中から何を読むべきかを判断するための情報が重要になる。文学賞には、多様な作品の中から一定の評価を受けたものを示し、普段はその分野の小説を読まない人にも関心を持ってもらう役割が残されている。

 また、芥川賞と直木賞は、単に作品を選ぶだけでなく、発表そのものが定期的な文化行事として社会に定着している点にも特徴がある。候補作が発表され、選考結果が報道され、選考委員の評価が紹介され、受賞作が書店に並ぶという一連の流れが、半年ごとに繰り返される。こうした継続的な報道と販売の仕組みが、両賞の社会的な知名度を維持する一因になっていると考えられる。

 もちろん、九十年以上続いてきた理由を、制度の優秀さだけで説明することはできない。文藝春秋という出版社の事業基盤、新聞やテレビなどの報道、書店の販売活動、受賞作家自身の活躍、そして長年の蓄積によって形成された賞の知名度など、複数の要因が関係している。長く続いているから優れた制度であると直ちに結論付けるのではなく、どのような社会的条件によって継続してきたのかを考えることが必要だろう。

 それでも、文学賞の発表が読者にとって新しい作品と出会う機会になっていることには意味がある。普段は純文学を読まない人が芥川賞の受賞をきっかけに作品を手に取ったり、特定の作家の読者だった人が直木賞を通じて別の作品に関心を持ったりすることは、文学と社会との接点を広げる働きだと捉えることができる。

 文学賞は、作家のためだけの制度ではない。作品を選び、社会に知らせ、読者が新しい一冊と出会う理由を生み出すという点では、読者のための制度でもあるのである。

文学賞には、評価と商業性が共存している

 芥川賞と直木賞の歴史を振り返ると、文学的な価値と商業的な利益の関係についても考えさせられる。菊池寛は、亡くなった友人を顕彰し、新進作家の台頭を助けたいという目的を掲げる一方で、雑誌の宣伝という目的も隠していなかった。この二つの目的を併せ持っていたことは、文学賞の価値を否定する理由にはならない。

 そもそも、文学作品が読者のもとへ届くためには、原稿を編集し、印刷や流通の仕組みを整え、作品の存在を知らせる人々の活動が必要になる。現在では電子的な流通や個人による発表も可能になったが、それでも読者に作品を知ってもらうための活動や費用が不要になったわけではない。文化的な価値が広く共有されるには、それを支える社会的・経済的な仕組みが必要なのである。

 一方で、文学賞が出版事業と結び付いているからこそ、選考の公正さや透明性が重要になる。受賞作の販売が出版社や書店の利益につながる可能性がある以上、読者が賞の評価を信頼できるかどうかは、制度の存続にも関係する。現在の芥川賞と直木賞は公益財団法人日本文学振興会が主催し、選考委員による討議で受賞作を決定しているが、それだけであらゆる利害関係や評価上の偏りが存在しないと証明できるわけではない。

 文学賞を客観的に見るためには、商業的な目的があるという理由だけで批判することも、権威ある賞だから公正な評価が保証されていると考えることも避けなければならない。重要なのは、どのような作品を対象とし、誰が評価に関わり、どのような過程を経て受賞作が決定されるのかを理解したうえで、実際の成果や影響を検証することである。

 そのように考えると、芥川賞と直木賞は、文学と出版事業がどのように結び付き、長期にわたって制度を維持してきたのかを知るための興味深い事例でもある。創設時の理念が現在までそのまま維持されているという単純な話ではなく、出版環境や社会の変化に応じて役割を変えながら、基本的な仕組みを受け継いできた制度として見ることができる。

死者の名前を使って、未来の作家を世に送り出す

 芥川賞と直木賞の成立には、最後に一つの興味深い逆説がある。二つの賞は、すでに亡くなった作家の名前を記念することから生まれたが、その賞が対象としたのは過去の作品ではなく、これから活躍する可能性を持つ新しい書き手たちだった。

 芥川龍之介は1927年に、直木三十五は1934年に亡くなったが、菊池寛は二人の名前を記念碑の中に残すだけではなく、新たな文学作品が生まれる場へ結び付けた。芥川の名前を純文芸の新進作家へ、直木の名前を大衆文芸の新進作家へと引き継ぐことで、亡くなった二人の存在を、その後の文学の発展と結び付けようとしたのである。

 実際に、1935年の第1回芥川賞では石川達三の「蒼氓」が選ばれ、直木賞では川口松太郎の「鶴八鶴次郎」「風流深川唄」などが受賞の対象となった。その後も両賞は、新しい時代の作家や作品を紹介し続けてきた。受賞した作家の経歴や作品の評価はさまざまであり、受賞後の成功も一様ではないが、九十年以上にわたって数多くの作品が両賞を通じて社会に紹介されてきたことは確かである。

 もちろん、芥川賞や直木賞を受賞しなければ優れた作家になれないわけではなく、両賞を受賞した作家だけが日本文学の未来を作ってきたわけでもない。文学は、賞とは無関係に作品を書き続ける人々や、それらを読む読者によっても支えられている。文学賞は、そうした広い文学活動の中に存在する一つの制度なのである。

 それでも、亡くなった二人の作家の名前が、新しい作品を評価し、社会へ紹介する制度の中で使われ続けていることには、文化の継承という意味を見いだすことができる。過去の文学者の名前が、単なる歴史上の記号になるのではなく、現在の作品を通じて繰り返し読者の前に現れるからである。

 では、芥川賞と直木賞は、そもそも何のための賞なのだろうか。

 優れた文学作品を評価し、表彰するためという答えは正しい。しかし、それだけでは、二つの賞が誕生した理由も、長い年月にわたって続いてきた背景も十分には説明できない。創設時の菊池寛が構想していたのは、亡き友人の名を顕彰し、新しい作家を世に出すとともに、『文藝春秋』という雑誌を盛り上げることだった。文学的な価値、作家の発掘、出版事業の活性化という目的が、最初から重なり合っていたのである。

 そして現在の両賞には、作品を評価することに加えて、出版された作品と読者を結び付け、文学について社会が関心を向ける機会を作るという役割もある。受賞作が長く読み継がれるかどうか、受賞によって作家の活動がどこまで広がるかは、個々の作品や作家によって異なるが、文学賞が新しい作品に人々の目を向けさせる仕組みであることは変わらない。

 芥川賞と直木賞の存在意義は、過去の名作を顕彰することだけでも、その時点で最も優れた小説を決定することだけでもない。まだ広く知られていない作家や作品に注目する機会を作り、次の読者へと結び付けながら、文学が社会の中で読み継がれていく過程を支えるところにもある。

 亡くなった二人の作家の名前を残しながら、その名前の下で新しい作品が選ばれ続ける。文学と出版事業の双方を理解していた菊池寛が生み出した制度は、九十年以上を経た現在も、日本の文学と読者を定期的に結び付ける役割を担っている。

 芥川賞と直木賞が半年ごとに選んでいるものは、その時点で高く評価された作品であると同時に、これから読者に知られ、読まれていく可能性を持つ作品でもある。その意味で、二つの賞は過去の文学者を記念する制度でありながら、現在の作品を通じて、日本文学の「次の時間」へと目を向けさせる制度でもあるのだ。

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