リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

 「太宰治を知っていますか」と尋ねれば、小説をほとんど読まない人でも、その名前くらいは聞いたことがあるだろう。『人間失格』を思い浮かべる人もいれば、中学校の国語で読んだ『走れメロス』を思い出す人もいる。作品を一冊も読んでいなくても、「心中した作家」「暗い作家」「破滅的な人生を送った人」といった断片的な人物像まで知っている人は珍しくない。

 もちろん、「誰でも知っている」という言い方を文字どおり受け取ることはできない。日本人全体を対象に太宰治と織田作之助の知名度を比較した大規模な無作為調査があるわけではないからである。それでも、現在の出版状況や作品へのアクセス数、教科書への掲載状況などを見るかぎり、太宰治と織田作之助の社会的な知名度にかなり大きな差があること自体は否定しにくい。

 では、「織田作之助を知っていますか」と尋ねたらどうだろう。

 文学好きなら、『夫婦善哉』の作者としてすぐに名前が出るかもしれない。しかし一般には、作品名を聞いたことはあっても作者までは知らないという人もいるだろう。ところが文学史の本を開けば、太宰治と織田作之助は、坂口安吾や石川淳らとともに「無頼派」と呼ばれる戦後文学の作家として近い位置に並べられている。

 そもそも無頼派とは、同じ綱領を掲げ、同じ雑誌を中心に活動した正式な文学結社の名称ではない。敗戦後の既成道徳や文学的権威に背を向けるような姿勢を見せた作家たちを、後世の文学史が一つのまとまりとして呼んだ言葉である。したがって太宰と織田が同じ無頼派だからといって、その作風や人生、読者層まで似ていたわけではない。

 それでも文学史上では近い場所にいる二人が、八十年近く後の社会ではこれほど異なる知名度を持っている。この差を単純に「太宰の方が優れた作家だったから」と説明してしまえば話は簡単だが、おそらくそれでは重要なものを見落としてしまう。文学作品が後世に残るかどうかは、その文学的価値だけで決まるわけではなく、学校教育、出版、映画やテレビ、地域文化、さらには作者自身の人生の語られ方まで含めた巨大な仕組みの中で決まっていくからである。

太宰治には、人生の違う時期に何度も出会う

 太宰治の知名度を考えるうえで、まず見逃せないのが『走れメロス』である。

 現在の中高年世代にとっても若い世代にとっても、『走れメロス』は国語教材として非常に馴染みの深い作品であり、その教科書採録の歴史は1950年代までさかのぼる。つまり日本では何十年にもわたり、中学生になると一定数の子どもたちが学校という制度を通して「太宰治」という名前に出会う仕組みが続いてきた。

 ここで重要なのは、『走れメロス』そのものが太宰治を有名にしたと単純に考えないことである。太宰がすでに重要な作家だったから教材として選ばれ、その教材化によって次の世代が太宰を知り、その知名度がさらに出版や研究を支えるという循環が起きたと考える方が自然である。人気が教科書掲載を生み、教科書掲載がさらに人気を強化するという相互作用であり、この循環が数十年続けば、一回限りのベストセラーとはまったく違う文化的な強さを持つことになる。

 しかも太宰との出会いは、中学校で終わらない。

 『走れメロス』で知った太宰が、数年後には『人間失格』の作者として再び現れるからである。友情と信頼を描く『走れメロス』と、「恥の多い生涯を送って来ました」という言葉から始まる『人間失格』を比べれば、同じ作家の作品とは思えないほど印象が違う。しかしその違いこそが、太宰の知名度を支える強みになっている。

 中学生のころには友情を描く作家として太宰に出会い、その後、自意識や孤独、人間関係の息苦しさといった問題に向き合う年代になると、『人間失格』や『斜陽』を通してもう一度太宰に出会う読者もいる。一人の作家が、人生の異なる時期に異なる作品によって何度も読者の前へ戻ってくるのである。

 この「入口の多さ」は数字にも表れている。青空文庫の2022年年間アクセスを見ると、テキスト版では『人間失格』が約41,000、『走れメロス』が約20,000であるのに対し、『夫婦善哉』は約2,000にとどまる。閲覧形式によって数字は変わるものの、『人間失格』と『夫婦善哉』の間には十倍を大きく超える差が見られる。

 もちろん、青空文庫の利用者は日本国民全体を無作為に抽出した標本ではないから、この数字から「太宰の知名度は織田の二十倍だ」と結論することはできない。しかし少なくとも、現在のオンライン上で古典文学に接触する人々のあいだで、太宰作品への接触量が圧倒的に多いことは分かる。

 しかも太宰には一冊だけが突出しているのではなく、『人間失格』『斜陽』『走れメロス』という性格の異なる作品が、それぞれ独立した入口として存在している。ここに織田作之助との大きな違いがある。

太宰治は、作者自身まで「物語」になった

 さらに太宰には、作品とは別のもう一つの強力な入口がある。それが「太宰治という人物」である。

 文学研究として作品を読むなら、主人公と作者本人を単純に同一視するべきではない。『人間失格』の大庭葉蔵を、そのまま太宰治本人だと考えるのは乱暴である。しかし社会の中で作家のイメージが形成される過程では、作品と作者の人生はしばしば混ざり合う。

 自殺未遂、薬物への依存、女性関係、文学者との対立、そして最後の入水という太宰の人生へ、『斜陽』や『人間失格』の世界を重ねると、作者自身の人生まで一つの文学作品のように見えてくる。とりわけ1947年の『斜陽』は「斜陽族」という言葉まで社会に生み出し、その翌年には『人間失格』が発表され、その直後に太宰自身が亡くなる。

 この出来事の並びには、偶然とはいえ強烈な物語性がある。作品を書き終えた作家が、その作品の余韻の中へ自ら消えていったように見えてしまうからである。

 人は小説の細部を忘れても、物語を覚えている。そして太宰治の場合、その物語は作品の中だけではなく作者自身の人生にも存在した。死後の知名度を考えるなら、この「作者そのものが語られ続ける構造」は無視できないだろう。

 ただし、ここにも注意が必要である。太宰の人生が劇的だったから現在まで人気が続いた、と直接証明できる研究があるわけではない。より慎重に言えば、太宰の人生が作品と結びついて繰り返し語られてきたことが、彼の名前を忘れにくくする一つの要因になった可能性が高い、というところまでである。

織田作之助は、有名になる前に死んだわけではない

 これに対して、織田作之助についてしばしば生まれやすい誤解がある。それは、「有名になる前に若くして死んだ作家」というイメージである。

 実際にはそうではない。

 織田は1913年に大阪で生まれ、1947年1月10日、33歳で亡くなったが、その前年には『世相』などによってすでに売れっ子作家となっていた。したがって、織田は無名のまま死んだのではなく、戦後文学の表舞台へ出たところで急死したのである。

 そして、この「出たところ」という時間が重要だった。

 織田が亡くなった1947年に、太宰は『斜陽』を発表し、翌1948年には『人間失格』を残して亡くなる。現在の私たちが「太宰治」と聞いて思い浮かべる代表作と作者像のかなりの部分が、この最後の一年半ほどのあいだに集中して形成されたのである。

 織田作之助にも、その後さらに十年、あるいは二十年の執筆時間があったなら、別の代表作が生まれた可能性も、新しい読者層を獲得した可能性もある。しかしこれは反実仮想であり、証明することはできない。確実に言えるのは、織田が売れっ子になった直後に亡くなったため、その人気を複数の代表作や長期的な作家像へ展開する時間をほとんど持てなかったということである。

 太宰も38歳という若さで亡くなっているから、単純に「長生きした太宰と早死にした織田」という比較にはならない。むしろ重要なのは、二人が死ぬまでの数年間に何を残したかというタイミングの違いなのである。

『夫婦善哉』は織田作之助を有名にし、同時に「大阪の作家」にした

 織田作之助には、『夫婦善哉』という強烈な代表作がある。

 1940年に発表されたこの作品は織田の出世作となり、1955年には豊田四郎監督、森繁久彌と淡島千景主演で映画化された。映画『夫婦善哉』は日本映画史でも高く評価され、出演した二人の代表作として語られるほどの作品になった。

 普通に考えれば、これほど強い代表作を持つ作家なら、その名も太宰と同じくらい知られていてよさそうに思える。

 しかし、ここに少し皮肉なことが起きる。

 『夫婦善哉』は、あまりにも見事に「大阪の物語」だった。

 大阪大学の斎藤理生による研究でも、『夫婦善哉』が織田作之助を「大阪の作家」として印象づけ、そのイメージが後世まで強く残ったことが論じられている。もちろん、大阪を書いたこと自体が文学的な弱点なのではない。むしろ織田文学の魅力は、法善寺や道頓堀、上町台地、食べ物、商売、男女関係、金銭感覚といった具体的な土地の感触が作品の中に染み込んでいるところにある。

 人物たちは人生の意味について大仰な哲学を語るより、食べ、働き、惚れ、金に困り、それでも翌日を生きている。

 太宰の人物が「なぜ自分は人間とうまく生きられないのか」と内側へ沈んでいくとすれば、織田の人物は「それでも明日は腹が減る」と街へ出ていく。その違いは文学として非常に面白い。

 ところが文化の記憶という面では、具体性の強さが別の作用を持つことがある。太宰が描いた孤独、自意識、自己嫌悪は、東京でも大阪でも北海道でも、あるいはインターネット社会に生きる若者でも自分自身の問題として読み替えやすい。一方、織田作之助の大阪は具体的であるがゆえに、「大阪文学」「大阪もの」という棚へ分類されやすい。

 本来なら、織田は大阪という場所を通して普遍的な人間を書いた作家である。それでも受容する側が作品を「大阪の話」として整理してしまえば、作家のイメージまで地域に限定される可能性がある。

 ただし、これも「大阪の作家と見なされたから全国的な知名度が低くなった」と因果関係を断定することはできない。言えるのは、「大阪の作家」という強いイメージが、織田作之助の受容の仕方を長く規定してきたというところまでである。

『夫婦善哉』という作品だけが歩いていったのか

 もう一つ、織田作之助には興味深い現象がある。

 『夫婦善哉』という言葉そのものが、作者を離れて一人歩きできるほど強いのである。

 映画として知った人もいれば、大阪の法善寺周辺の文化からその名前を知った人もいる。しかし「夫婦善哉」という言葉を知った人が、必ずそこから「織田作之助」まで戻ってくるとは限らない。

 これに対して、『人間失格』と聞けば太宰治、『走れメロス』と聞いても太宰治という結びつきはかなり強い。しかも一つの作品から作者へ戻ると、その先に『斜陽』や『女生徒』など別の作品があり、そこから再び「太宰治」という作家像が強化されていく。

 『夫婦善哉』は織田作之助という作家を世に出した作品でありながら、あまりに作品自体の生命力が強かったため、その題名だけが作者から離れて文化の中を歩いてきたようにも見える。

 ただし、これを事実として断定するには、「『夫婦善哉』を知っているが織田作之助を知らない人がどれほどいるか」という知名度調査が必要になる。現段階では、これはあくまで文化的な現象を説明する仮説である。しかし少なくとも、代表作が有名になれば作者も同じ割合で有名になるとは限らない、という問題を考えるきっかけにはなる。

有名な作家ほど優れた作家なのか

 ここまで考えてくると、太宰治と織田作之助の話は、二人だけの問題ではなくなってくる。

 私たちは文学史を眺めるとき、現在でも有名な作家ほど「昔から特別に優れた作家だった」と無意識に考えがちである。しかし知名度は文学的価値だけから生まれるわけではない。学校の教科書に載るか、安価な文庫として何十年も流通するか、映画やテレビで繰り返し作品が紹介されるか、代表作が複数存在するか、作者本人の人生に語りやすい物語があるかといった条件が重なり、その結果として私たちはある名前を「誰でも知っている作家」と感じるようになる。

 そこには、心理学でいう反復接触の問題も関係している。人間は同じ対象に繰り返し接触すると、その対象を認識しやすくなり、親近感を持ちやすくなることが知られている。文学でも、学校で名前を見て、書店で再び見て、映画やテレビでまた見れば、その作家は文化の中でますます「知っていて当然の存在」になっていく。

 そして一度その状態になると、人気はさらに人気を呼ぶ。

 売れているから文庫が残り、文庫が残っているから新しい読者が読み、読者が多いから映像化され、映像化されるからさらに名前が知られる。文学的価値とは別に、「記憶されやすい作家がさらに記憶されやすくなる」という自己増殖的な循環が生まれるのである。

 太宰治はまさにこの循環に入った作家だったと考えることができる。

 もともとの文学的人気が教科書や文庫を支え、教科書や文庫が次世代の読者を生み、その巨大な読者層が『人間失格』『斜陽』『走れメロス』という複数の代表作を維持し、その上に太宰本人の劇的な人生まで重なった。

 一方の織田作之助も、決して忘れ去られた作家ではない。作品は現在も刊行され、研究も続いている。1024年にも新しい傑作選が刊行され、2026年7月にも新たな作品集が出版されている。大阪では文学碑や顕彰活動もあり、『夫婦善哉』も読み継がれている。

 したがって、「太宰は残り、織田は消えた」と考えるのは正確ではない。

 太宰は日本社会全体の共有記憶に深く入り込み、織田は文学史と大阪文化の中に濃く残ったのである。

作家の知名度とは、名前を呼ばれた回数なのかもしれない

 そう考えると、太宰治と織田作之助の知名度差は、文学作品の優劣を示す成績表には見えなくなってくる。

 むしろそれは、一つの社会がその作家の名前を何度思い出す仕組みを持っていたかという「文化的記憶の履歴」なのではないだろうか。

 太宰治という名前は、中学校の教室で呼ばれ、書店の文庫棚で呼ばれ、映画や舞台で呼ばれ、若者の孤独を語る文章の中で呼ばれ、作家の破滅的な人生を語るたびにまた呼ばれてきた。一度呼ばれた名前が次の機会を生み、その機会がさらに次の世代へ名前を渡していく。

 織田作之助という名前も大阪では何度も呼ばれてきた。しかし、日本全国で、しかも十代から大人になるまで何度も同じ名前に出会う仕組みという点では、太宰ほど巨大な反復回路を持たなかった。

 その小さな差が、一年や十年ではなく、八十年近く積み重なった。

 だから現在の知名度は、文学者に対して後世が与えた最終成績ではない。優れた作品だから残った部分もあれば、残る仕組みに入ったからさらに評価された部分もある。その二つを完全に切り分けることは難しい。

 そして、そこまで考えたとき、織田作之助は急に面白い作家になる。

 私たちはそこで、「知られていない作家」を発見するだけではないからである。

 なぜ自分は太宰治を知っていて、織田作之助を知らなかったのか。

 その問いをたどっていくと、教科書、出版社、映画、地域、文学史、読者の記憶という巨大な仕組みが見えてくる。そして最後には、私たちが「名作」や「有名な作家」と呼んでいるものが、作品そのものだけで作られているわけではないことにも気づかされる。

 文学史とは、優れた作品を順番に並べた一覧表ではない。

 そこには、何度も名前を呼ばれた作家と、同じ時代に確かに読まれていたのに、次第に呼ばれる回数が減っていった作家がいる。

 太宰治と織田作之助のあいだにあるのは、単なる人気の差ではない。

 それは、社会が文学をどのように記憶し、どのように忘れていくのかという、もっと大きな問題なのである。

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 本屋の平台に、著者名の見えない三冊の本が並んでいるところを想像してみたい。

 一冊目の題名は『こゝろ』。二冊目は『先生の遺書』。三冊目には『親友を裏切った男の告白』とある。じつは三冊とも本文は一字一句同じで、夏目漱石の『こゝろ』だったとしたら、私たちは本当に同じ本として手に取るだろうか。

 『こゝろ』という題名からは、何が起こる小説なのかほとんど分からない。それに対して『先生の遺書』なら、誰が死ぬのか、なぜ遺書を残したのか、その遺書には何が書かれているのかという疑問が生まれる。さらに『親友を裏切った男の告白』まで説明されれば、明治の古典というより、友情と恋愛と罪悪感を描く心理小説のように見えてくる。

 ここから一つの妙な疑問が生まれる。

 私たちが「近代文学は古い」と感じているとき、本当に古いのは本文なのだろうか。それとも、題名、表紙、作者名、教科書で読んだ記憶、「日本文学の名作」という重々しい肩書まで含めた、本の周囲にあるものなのだろうか。

 もし本文をまったく変えず、題名だけを2026年の新刊らしく付け直したなら、突然読んでみたくなる近代文学はあるのか。

 これは単なる改題遊びのようでいて、突き詰めるとなかなか厄介な問題である。なぜなら題名は、本の内容を知らせる名札であると同時に、読者が作品を見る方向を決める最初のレンズでもあるからだ。

本は第一行から始まっているわけではない

 小説を読むという行為を考えると、私たちは本文の第一行から突然作品世界へ入るわけではないことに気づく。その前に題名を見て、作者名を知り、表紙の絵を眺め、帯があればその言葉を読み、文庫なら出版社やシリーズ名まで目にしている。

 文学理論では、こうした本文を取り巻く要素を考えるために「パラテクスト」という概念がある。フランスの文学理論家ジェラール・ジュネットは、題名や作者名、序文、表紙などを、本文そのものとは区別しながらも、本が読者の前に現れ、受け取られるための重要な領域として論じた。彼の比喩を借りれば、そこは作品の内部でも外部でもない「敷居」のような場所である。

 この考え方が面白いのは、作品の意味が本文だけから生まれると考えなくてよくなるところにある。

 たとえば何の情報もなく、「ある男が長いあいだ他人を恐れ、自分を道化として演じ続け、次第に社会との関係を失っていく小説」を読んだ場合と、表紙に大きく『人間失格』と書かれた状態で読む場合では、同じ文章であっても、読者の構えは完全には同じではないだろう。

 題名はまだ物語が始まっていない段階で、読者の頭の中に小さな仮説を作る。「この話はこういう話なのではないか」という予測である。そして私たちは、その予測を持ったまま本文へ入っていく。

 これは文学理論だけの想像でもない。1981年に発表された文章理解の実験では、文章にその主題を示す題名が付いていることで、一定の条件では読後の自由再生、つまり何を思い出せるかが増えることが示された。翌1982年に報告された別の実験では、一つの文章に異なる題名を与えると、それぞれの題名と関係する内容が相対的によく記憶されるという結果が得られている。

 つまり題名は、文章の上に置かれた飾りではない。少なくとも、読者がどこに注意を向け、何を記憶するかには影響し得る。

 さらにSara BartlとErnestine Laheyが2023年に発表した研究では、Amazon.comの書評から構成された約5800万語という大規模なコーパスを調べ、読者が題名を手掛かりとして作品についての期待を形成していることを示す証拠が得られている。これは題名を実験的に変更して販売数を比較した研究ではないため、「題名を変えれば売れる」という因果関係を証明するものではない。しかし、読者が本文を読む前から題名によって何らかの期待を作っている、というこの記事の出発点を支える研究ではある。

 そう考えると、近代文学の題名だけを変えてみるという遊びは、少し違って見えてくる。

 改題とは看板の掛け替えではない。同じ家に、別の入口を作ることなのである。

『こゝろ』を『先生の遺書』に変える、という思考実験の意外な落とし穴

 そこで最初に夏目漱石の『こゝろ』を考えてみたい。

 現代の編集者なら、この小説を『先生の遺書』と題して売り出すのではないか。そう考えると、なかなか魅力的である。『こゝろ』より何が起こるか分かりやすく、秘密と死の気配もある。書店で初めて見る人には、こちらの方が強い題名かもしれない。

 ところが、この改題案には大きな問題がある。

 それは、すでに漱石自身が考えていた題名なのである。

 漱石は『心』の自序で、もともとはいくつかの短篇を書き、それらをまとめて『心』とする予定だったと説明している。そして、その最初の一篇として書き始めたものが『先生の遺書』だった。ところが書いているうちに予想以上に長くなり、それ一篇だけで単行本にすることになったため、「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」という三つの部分に分け、全体には当初の『心』という題を残したのである。

 つまり、2026年の私たちが「もっと内容の分かる題名にしたら売れそうだ」と思って『先生の遺書』を提案すると、1914年の漱石に「それはもう考えた」と言われてしまう。

 しかも、この事実は単なる文学史の小話ではない。

 ここには、題名というものの二つの働きがきれいに現れている。

 『先生の遺書』は非常に具体的である。読者は、先生が何かを書き残すことを知った状態で物語へ入る。一方、『心』あるいは現在一般に『こゝろ』と表記される題名は、ほとんど何も説明してくれない。

 初版をめぐっては表記自体も興味深く、1914年の単行本は『こゝろ』として書誌に登録されている一方、漱石自身の自序では『心』と表記され、初版本の装丁にも「心」と「こゝろ」が併存している。少なくとも、現在の私たちが固定された一種類のロゴのように考えるほど単純な題名ではなかった。

 それでも作品を読み終えてみると、『先生の遺書』より『こゝろ』の方が不思議に大きく見える。

 先生の心だけではない。「私」の心があり、Kの心があり、妻の心があり、親と子の心があり、明治という時代の終わりを前にした人間の心まで、その短い題名の中へ吸い込まれていくからである。

 『先生の遺書』は作品の入口としては強い。しかし『こゝろ』は、出口に立ったときに初めて大きくなる題名なのだ。

 もし本を買わせることだけを目的にするなら、前者が有利な場面はあるかもしれない。しかし、読み終えたあとまで作品を支える題名としては後者の方が強い可能性がある。

 ここで早くも、「売れる題名」と「残る題名」は同じではないのではないか、という問題が現れる。

もし『舞姫』が『ベルリンで彼女を捨てた』だったなら

 森鴎外の『舞姫』は1890年、『國民之友』に発表された。

 ところが、まだ作品を知らない現代の読者が『舞姫』という二文字を見たとき、そこから物語の内容をどこまで想像できるだろう。

 日本舞踊の話かもしれない。芸者や舞妓を描いた小説だと思う人がいても不思議ではない。少なくとも、ドイツへ留学した若い日本人官僚がベルリンで一人の女性と出会い、恋愛と出世、個人的幸福と国家・組織への帰属の間で揺れ、結局彼女を置き去りにして帰国する物語だとは、題名だけではほとんど分からない。

 そこで、2026年の出版社が本文だけ渡され、作品名を自由に付けてよいと言われたとする。

 『ベルリンで彼女を捨てた』

 そんな題名が付いていても、それほど不思議ではない。

 少し刺激的にするなら、『出世のために恋人を捨てた男』でもよいかもしれない。

 もちろん、どちらも文学史上の題名としては耐え難いほど俗っぽい。しかし、書店の新刊台に置くマーケティング上の言葉だと考えれば、恐ろしく内容が分かりやすい。恋愛小説として読むこともできるし、キャリアと人生の選択をめぐる小説として読むこともできる。「明治文学を勉強する」という構えがなくても、人間関係の物語として本を開ける。

 ただし、その瞬間に重大なことが起こる。

 同じ文章なのに、物語の中心が移動するのである。

 『舞姫』という題名なら、読者の視線は自然にエリスへ向かう。しかし『ベルリンで彼女を捨てた』なら、豊太郎の選択と責任が前面に出る。『出世のために恋人を捨てた男』とまで言えば、読者は第一頁を開く前から豊太郎を裁き始めるだろう。

 題名を分かりやすくした結果、物語の解釈が一つの方向へ狭められてしまう。

 これこそ、題名が読者の注意を方向づけるという研究結果と重なる部分である。ただし、ここには注意が必要で、『舞姫』を実際に複数の題名で読ませ、解釈や購買行動の違いを測定した実験があるわけではない。したがって「必ず読み方が変わる」と断定することはできない。

 それでも、題名が読者の期待形成や記憶に影響し得るという実証研究を踏まえれば、「改題によって作品の見え方が変わる可能性がある」という推論には十分な根拠がある。

 そして、その可能性こそが少し怖い。

 売りやすくすることと、作品を豊かに読むことが、同じ方向を向いているとは限らないからだ。

『羅生門』には現代風の題名が必要ない

 では、古い文学ほど現代風の題名に変えた方がよいのか。

 そう単純でもない。その好例が芥川龍之介の『羅生門』である。

 『羅生門』は1915年11月の『帝国文学』に発表され、『今昔物語集』の説話を素材にした作品である。

 この作品を内容の分かる題名にするなら、『生きるために悪人になる夜』くらいは考えられるだろう。もう少し刺激的にするなら、『死体の髪を抜く老婆に出会った夜』でもよい。

 確かに何が起こるかはよく分かる。

 しかし、題名として本当に『羅生門』より強いだろうか。

 巨大な門があり、夕暮れがあり、荒廃した都があり、二階には死体が転がっている。『羅生門』という固有名詞には、作品をまだ知らない人にとっても何か薄暗い響きがある。それが何なのか分からないからこそ、気になる。

 しかも三文字である。

 短く、覚えやすく、視覚的な像を持ち、意味を説明しすぎず、作品を読み終えたあとには場所そのものが倫理的境界のように見えてくる。

 これは現代のコピーライターが考えても、なかなか作れない題名である。

 つまり近代文学の題名が古いという仮説そのものが、ここで崩れる。

 古い作品には古い題名が付いているのではない。百年以上経っても強い題名と、内容を知らなければ入口が見えにくい題名が混在しているだけなのである。

『人間失格』を変えようとすると、たいてい弱くなる

 さらに決定的なのが太宰治の『人間失格』である。

 作品は1948年6月から8月にかけて『展望』に発表された。

 この題名を、現代の読者に分かりやすくしようとしてみる。

 『社会になじめない僕の告白』

 『人が怖くて道化を演じ続けた』

 『誰にも本当の自分を見せられなかった』

 内容との関係だけを考えれば、どれも完全に間違っているわけではない。しかし並べてみると、『人間失格』の恐ろしさが際立つ。

 四文字しかない。

 しかも「この主人公は人間として失格したのだ」と説明しているようでいて、誰が誰を失格と判定したのかは書かれていない。主人公自身なのか、社会なのか、周囲の人間なのか、それとも題名を読んだ私たちなのか。

 その曖昧さの中に、読者自身まで巻き込まれる。

 もし『社会になじめない僕の告白』なら、読者は「そういう人の話なのだ」と一歩離れたところから見ることができる。ところが『人間失格』と言われると、「人間として合格とは何なのか」という問いが、読む側にも返ってくる。

 説明を増やした瞬間に、作品が小さくなるのである。

 これは題名について考えるうえで重要な逆説だろう。

 商品について情報を増やせば、普通は買う側の不確実性が減る。しかし文学の題名では、不確実性を消しすぎることが魅力を消す場合がある。

 優れた題名には情報だけではなく、空白が必要なのかもしれない。

では、題名を変えれば本当に売れるのか

 ここまで読むと、「それなら古典を現代風に改題して売ればよい」という話になりそうだが、科学的にはそこまで言うことはできない。

 これは重要なので、線を引いておきたい。

 題名が読者の期待を形成すること、文章の記憶や注意に影響することについては実証研究が存在する。しかし、『こゝろ』を『先生の遺書』に変えれば販売部数が何%増えるのか、『舞姫』を『ベルリンで彼女を捨てた』にすれば若者の購入率が上がるのか、といった近代文学を対象とした比較実験は確認できない。

 したがって、この記事の「売れそう」という言葉は仮説である。

 ただし、本の中身以外の情報が読者の関心に影響することについては、別の研究から手掛かりがある。Alain d’Astous、François Colbert、Imene Mbarekが新刊への関心を実験的に調べた研究では、著者や出版社の評判、表紙の魅力度など複数の要因が読者の関心に影響することが確認されている。題名そのものを改題して比較した研究ではないため、その結果を題名の効果へ直接置き換えることはできないが、「読者は本文だけを見て本を選んでいるわけではない」という点では重要な示唆を与える。

 つまり科学的に言えるのは、「題名を変えれば売れる」ではない。

 より慎重に言えば、題名は読者の期待形成や記憶を方向づけ得る。そして、本への関心は本文以外の情報にも影響される。したがって、題名を変えることで作品への入口が変化し、その結果として手に取る読者の層や関心が変わる可能性は十分に考えられる、というところまでである。

 それ以上は、まだ実験してみなければ分からない。

 だが、この「分からない」という部分こそ、案外面白い。

 同じ『舞姫』を千人に見せ、半分には『舞姫』、残り半分には『ベルリンで彼女を捨てた』という題名を付け、どちらを読みたいと思うか、その後どの人物を中心に記憶しているかまで調べたなら、一つの立派な文学心理実験になるだろう。

 近代文学は、研究し尽くされた古い標本なのではない。読み手を変え、入口を変えれば、まだ新しい実験のできる対象でもある。

「若者が近代文学を読まないのは題名のせい」とは言えない

 もう一つ、誘惑に負けてはいけない推論がある。

 近代文学が現代の読者、特に若い読者から遠く感じられるのは、題名が古いせいだ、と考えることである。

 これは現時点では証明されていない。

 近代文学への距離感には、旧字体・旧仮名遣い、語彙、文体、歴史的背景、学校教育での扱われ方、読書習慣、作品の長さ、入手方法、映像作品やSNS(インターネット上で人と情報を共有するサービス)との時間競争など、さまざまな要因が考えられる。その中から題名だけを取り出し、「これが原因だ」と言うことはできない。

 ただ、逆のことも言える。

 本文だけを原因だと決めることもできないのである。

 読者は本文へ到達する前に、すでに多くの情報に触れている。題名があり、装丁があり、作者の肖像写真があり、「文豪」という呼び名があり、「高校国語で習った」という記憶があり、場合によっては「名作だから読まなければならない」という義務感まで付いてくる。

 本当は嫉妬や恋愛や裏切り、孤独、貧困、野心、恐怖といった極めて生々しいものを書いた作品が、「日本近代文学」という透明なケースに入れられた瞬間、博物館の展示物のように見えることがある。

 作品を保存するために作った額縁が、作品から読者を遠ざけることもあるのではないか。

 ここから先は、科学的に確立された結論ではない。しかし、題名や表紙といったパラテクストが読者の受容に関係するという研究を踏まえれば、十分検討する価値のある仮説である。

改題すると作品が「分かりやすくなりすぎる」

 それにしても、近代文学を現代風に改題する作業を続けていると、奇妙な傾向に気づく。

 新しい題名は、だいたい説明的になる。

 『こゝろ』は『先生の遺書』になり、『舞姫』は『ベルリンで彼女を捨てた』になる。『羅生門』なら『生きるために悪人になる夜』となり、『人間失格』なら『社会になじめない僕の告白』になる。

 確かに分かりやすい。

 ところが分かりやすくなるほど、小説が小さくなっていく。

 作品には本来、複数の入口がある。『こゝろ』を恋愛の物語として読むこともできれば、友情と罪悪感の物語としても、世代交代や明治の終焉をめぐる物語としても読める。ところが『親友を裏切った男の告白』という題を与えた瞬間、その巨大な作品世界の中から「裏切り」という一本の道だけが太くなる。

 しかも「先生がKを裏切ったからKは自殺した」とまで単純化すれば、作品が意図的に残している不確定性まで消してしまう。先生自身はKの死の理由を完全に知っているわけではなく、その分からなさを抱えながら罪責感を深めていく。その曖昧さこそ、小説の重要な部分なのである。

 題名を売れるようにすることは、作品の説明書を書くことではない。

 説明しすぎれば、まだ読んでいない本を先に解釈してしまうことになる。

もしかすると、変えるべきなのは題名ではない

 そう考えていくと、この思考実験は意外な場所へたどり着く。

 近代文学を現代の読者へ届けるために、本当に題名を変える必要があるのだろうか。

 『こゝろ』はそのままでよい。

 その代わり、帯にこう書く。

 「先生は、なぜ親友への罪を何十年も抱えていたのか。」

 『舞姫』も変えない。

 ただし、「ベルリンで恋人を置き去りにした若きエリート官僚の告白」と紹介する。

 『羅生門』なら、「生きるためなら、人はどこまで悪くなれるのか」と問いかければよい。

 そうすれば百年以上生き残ってきた題名そのものを壊さず、現代の読者に物語への入口だけを差し出すことができる。

 これはジュネットのいうパラテクストを考えると、むしろ自然な方法でもある。本というものは、題名だけで読者へ届くわけではない。表紙、帯、紹介文、版型、デザインといった複数の入口を持っている。

 ならば、作品の名前を変えてしまう前に、その周囲を変えることができる。

 そして、おそらくこちらの方が文学に対して誠実である。

売れる題名と、百年残る題名

 最初の問いに戻ろう。

 タイトルだけ変更したら売れそうな近代文学はあるのか。

 たぶん、ある。

 少なくとも『舞姫』のように、題名から現代の読者が内容を想像しにくい作品には、別の題名を与えることで新しい読者が興味を持つ可能性はある。『こゝろ』についても、『先生の遺書』という具体的な題名の方が、初めて見る人には物語を想像しやすいかもしれない。

 ただし、それによって実際の販売部数が増えるとまでは、現在の研究から断言できない。

 それより興味深いのは、題名を変えてみることで、元の題名がなぜ残ったのかが見えてくることである。

 『人間失格』を現代風にしようとすると、どうしても元より弱くなる。『羅生門』も変えない方がよい。そして『こゝろ』は、一見何も説明していないようで、読み終わったあとには『先生の遺書』よりはるかに広い場所を占めている。

 売れる題名は、読む前に強い。

 優れた題名は、読んだ後にも強い。

 その二つは重なることもあるが、必ずしも同じではない。

 そして近代文学の面白さは、百年前の作者たちが、現代のマーケティング理論など知らなかったにもかかわらず、ときに恐ろしく強い題名を残しているところにある。

 もし今日、『人間失格』という新刊が、作者名を伏せて本屋の平台に置かれていたらどうだろう。

 おそらく私たちは、一瞬見る。

 四文字しかないのに、少し嫌な感じがする。

 自分とは関係のない人間の話だと思いたいのに、題名の方からこちらを見ているような気もする。

 そして、もしかすると手に取る。

 百年近く経ってもそういう力を持つ題名なら、それを現代風に変える必要などないのだろう。

 むしろ「タイトルを変えたら売れるのではないか」と考えるこの実験が最後に教えてくれるのは、反対のことなのかもしれない。

 名作の題名は、作品を売るための包装紙ではない。

 読み始める前には入口であり、読み終わったあとには作品そのものの一部になる。

 だから題名を変えてみると、作品の古さではなく、題名が百年生き残ってきた理由の方が見えてくるのである。

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小説から表紙を外し、作者名を消し、作品名も伏せる。登場人物の名前や地名のように作品を特定できそうな手掛かりまで隠して、本文だけを読者の前に置いたとする。それでも私たちは、ときに「これは太宰治ではないか」「この硬質な感じは芥川龍之介に近い」と感じる。

ところが、なぜそう思ったのかと尋ねられると、説明は急に難しくなる。太宰らしい、芥川らしい、川端らしいという感触はたしかにあるのに、それを言葉にしようとすると、作品の題材、作家の人生、思想、あるいは誰もが知っている有名な一節へ逃げ込みたくなる。しかし、それでは作者について知っている情報から文章を読んでいるだけであり、文章そのものから作者を見分けたことにはならない。

そこで、もう少し意地の悪い実験を考えてみたい。

作家について何も教えられず、ある程度の長さをもった文章だけを渡されたとき、それでも作者を推定できるのだろうか。そして、もしそれが可能なら、作家の名前は文章のどこに隠れているのだろう。

これは文学好きの遊びのように見えるが、実は「計量文体学」と呼ばれる研究分野が長いあいだ取り組んできた問いでもある。文章を意味や思想だけでなく、語彙、品詞、助詞、句読点、文の長さなど、数えることのできる特徴として捉え、そこから作者や時代、ジャンルによる違いを調べていく研究である。

つまり、「文体には作家の個性が現れる」という昔からの文学的直感を、数字の側から確かめようという試みなのである。

作家は「何を書くか」より、「どう書いてしまうか」に現れる

作者を判別しようと考えたとき、最初に思いつくのは語彙だろう。ある作家は古風な言葉を好み、ある作家は日常的な口語を多用し、またある作家は漢語を好む。それだけでも文章の印象は大きく変わるから、使われた単語を調べれば作者を見分けられそうに思える。

しかし、語彙には厄介な問題がある。

作家はいつも同じ題材を書いているわけではない。戦争を扱った作品と恋愛を扱った作品では当然使われる名詞が変わり、歴史小説を書けば、その作家が普段ほとんど使わない言葉まで大量に登場する。これでは、作者を判別しているのか、作品のテーマを判別しているのかが分からなくなってしまう。

そこで著者識別の研究では、むしろ作品内容から少し離れた、地味な特徴が重要視されてきた。

一文をどのくらいの長さで終えるのか。「は」と「が」をどのように使うのか。接続詞をどの程度挟むのか。どのような品詞の後に読点を置きやすいのか。名詞、動詞、助詞がどのような順序で並ぶのか。句点や読点をどの程度使うのか。

こうした特徴を一つだけ取り出しても、作品の意味はほとんど分からない。しかし大量の文章から繰り返し測定すると、その作家が文章を組み立てるときの傾向が少しずつ姿を現す。

特に研究上よく利用されてきたものの一つが、助詞や前置詞などに代表される「機能語」である。物語の内容を直接表す名詞ほど題材に左右されにくく、しかも文章中に頻繁に現れるため、作者の特徴を測る材料として都合がよい。

ただし、ここで注意しなければならない。

機能語や句読点に作者の特徴が表れるからといって、それらが純粋に「作者だけ」を反映しているわけではない。近年の研究では、機能語の使い方にも、小説なのか評論なのか、学術論文なのかブログなのかといった文章ジャンルの違いが現れることが確認されている。

つまり、文章から取り出した特徴の中には、作者、時代、ジャンル、題材、語り手など、複数の要因が重なっている。

ここが本物の指紋と文体の「指紋」が違うところである。

人間の指紋は本人が小説を書こうが手紙を書こうが変わらない。しかし文体は作品によって揺れる。それでも完全に自由に変わるわけでもない。その変わる部分と、なぜか残ってしまう部分との境界に、私たちが文体と呼んできたものがあるのかもしれない。

太宰治を太宰治にしているのは、「太宰らしい言葉」だけではない

太宰治を例にすると、この問題はいっそう分かりやすくなる。

太宰の文章には、読者へ直接話しかけてくるような近さがある。告白するように語ったかと思えば、急に自分自身を笑い、自嘲と誇張の間を揺れながら文章が進んでいく。文学を読む側から見れば、それを「太宰らしい語り」と呼ぶことができる。

ところが計量的に文章を見ると、その感覚の背後にもっと小さな特徴が見えてくる。

尾城奈緒子と金明哲による研究では、太宰治、芥川龍之介、菊池寛、坂口安吾、織田作之助の作品を比較し、読点の打ち方を含む文章上の特徴が分析されている。その中で太宰には、動詞、副詞、普通名詞などさまざまな品詞の後に読点を置く傾向があり、比較した作家たちより読点の用い方が多様であることが報告されている。

ここで興味深いことが起きる。

読者は太宰を読んで、「この文章には独特の呼吸がある」と感じる。一方、文章を数量化した研究では、その呼吸の一部が、読点をどこに置くのかという具体的な特徴として現れてくる。

もちろん、太宰文学が読点の数で説明できるわけではない。

『人間失格』の痛切さも、『斜陽』の寂しさも、『走れメロス』の速度も、句読点を数えれば理解できるという話ではない。文学作品の意味や感情は、それほど単純ではない。

しかし、私たちが「この文章には太宰独特のリズムがある」と感じていたものの一部分について、数字によって別の角度から説明できる可能性がある。

数字は文学の代わりになるのではない。

これまで「何となく」としか言えなかった感触の一部を、別の言葉に翻訳してくれるのである。

本当に作者が問題になった小説を、文章から調べた研究もある

著者識別は、既に作者が分かっている作品を分類するだけの技術ではない。文学史の中で実際に作者が問題となった作品へ応用された例もある。

その一つが、菊池寛の『受難華』である。

この作品については、横光利一による代筆ではないかという説があり、その背景には川端康成の証言などもあった。しかし証言とは別に、文章そのものを比較することで、この問題へ近づこうとした研究がある。

柳燁佳と金明哲による研究では、菊池寛と横光利一の作品群に加え、『受難華』の連載各回を対象に分析が行われた。使われたのは、読点をどこに打つのか、品詞がどのような順序で現れるのか、文節がどのような構造を取るのかといった文章上の特徴であり、それらを複数の統計的方法と機械学習によって比較している。

その結果、この研究では、『受難華』の各回を菊池寛の作品とみなす結論が示された。

ここには、文学研究として少し奇妙で魅力的な光景がある。

日記を探すのでもなく、編集者への手紙を発見するのでもない。証言者を探し出すのでもない。残された文章そのものから、作者についての統計的証拠を取り出すのである。

もちろん、統計分析は法廷で提出される筆跡鑑定のような絶対的な証明ではない。分析対象や比較作品、選んだ特徴、使用する手法によって結果が影響を受ける可能性はある。

それでも、作品の内部に残された無数の小さな文章上の癖が、作者を考えるための新しい証拠になることは確かである。

作家が作品へ署名する場所は、原稿の最後だけではないのかもしれない。

では、作家名を消せば「かなり当てられる」のか

ここまで読むと、答えは簡単に「できる」と言いたくなる。

しかし、科学的にはもう一つ重要な条件を付けなければならない。

たとえば、「この文章は太宰治、芥川龍之介、菊池寛、坂口安吾、織田作之助の5人のうち誰のものか」と尋ねられる場合を考える。このとき、本当の作者が5人の中に必ずいると分かっているなら、比較は比較的行いやすい。

著者識別では、このような問題をclosed-set(閉集合型・正しい作者が候補の中に必ず含まれている条件)として考える。

ところが、作品だけを渡されて、「日本文学史上のすべての作家の中から作者を見つけなさい」と言われたら事情はまったく違う。候補の中に本当の作者が含まれている保証さえないからである。このようなopen-set(開集合型・正しい作者が候補の中に存在するとは限らない条件)の著者識別は、はるかに難しい。

五つの扉の中から一つを選ぶ問題と、出口の見えない長い廊下から一枚の扉を探す問題くらい違う。

したがって、「作家名を消しても文章だけから作者を当てられる」という言葉を、そのまま無制限に一般化することはできない。

より正確には、候補となる作家がある程度限定され、それぞれについて十分な比較作品が存在し、ジャンルや時代などの条件も適切にそろえられているならば、文章の統計的特徴から作者をかなりの程度識別できる、と考えるべきである。

ここまで条件を付けても、この結果は十分に面白い。

なぜなら、人間が無意識に行ってきた「この文章はあの作家らしい」という判断の少なくとも一部が、測定可能なものとして現れるからである。

数行だけ渡されても同じように当てられるわけではない

もう一つ重要なのが、文章量である。

一般に文章が短くなるほど、作者固有の統計的特徴を安定して推定することは難しくなる。

考えてみれば当然である。

ある作家が平均すれば短い文を書くとしても、一文だけなら非常に長い文章を書くこともある。普段は読点を頻繁に使う作家でも、偶然取り出した数行にはほとんど読点がないかもしれない。文章が十分に長ければ、そのような偶然は平均化されていくが、数行だけでは偶然の影響が大きい。

したがって、

「この一文を読んだだけで太宰治だと分かった」

という文学的な読書体験と、

「一定量の匿名文章を複数作家の作品群と統計的に比較し、太宰作品である可能性が高いと判定した」

という科学的な著者識別は、似ているようでまったく違う。

前者は読者の経験と直感を楽しむ文学クイズになり得る。

後者では、比較する文章量、候補作家、特徴量、学習データ、判定方法などをそろえなければならない。

文学の「勘」と科学的な「判別」は、同じ入口から始まっても、途中から別の道を歩くのである。

さらに厄介なのは、一人の作家が一人ではないことだ

もし文章に作者の指紋があるなら、同じ作家の作品はすべて同じ場所へ集まるはずだと考えたくなる。

ところが、文学はそこでも単純な答えを拒む。

二十代の作家と五十代の作家が同じ文章を書くとは限らない。長編小説、短編、随筆、新聞連載でも文体は変わる。語り手が少年なら少年らしく書き、老人なら老人らしく書こうとする。作家自身も他の作家から影響を受け、ときには意識的にそれまでとは異なる文章を試みる。

太宰治についても、作品の時期による文体変化が数量的に研究されている。

太宰の前期作品を分析した研究では、品詞、助詞、記号など複数の特徴から作品を比較すると、1935年前後を境として文体上の変化が現れることが報告されている。さらに、前期の後半では読点頻度が増えるなど、同じ太宰作品の内部でも文章上の特徴が一定ではないことが示されている。

つまり、「太宰治」という一つの不動点が存在するわけではない。

太宰自身も時間の中を移動している。

そう考えると、「文体の指紋」という表現より、むしろ「歩き方の癖」と考えた方が近いのかもしれない。

人間は、若いころと老いたころでは歩く速さが変わる。疲れている日もあれば、急いでいる日もある。それでも長い時間その人を見ていれば、足の運び方や身体の重心に、その人らしさが残っている。

文章も同じなのではないだろうか。

一つひとつの作品は変化しても、大量の文章を並べて眺めると、言葉を運ぶときの重心が少しずつ現れてくる。

本当に実験するなら、正解率より「間違い」が面白い

では、実際に作家名を消して実験するとしたら、どのようなことができるだろう。

複数の近代作家から作品を選び、作者名、作品名、章題など作者を直接推測できる情報を除く。さらに文章量をそろえ、一文の長さ、文長のばらつき、読点や句点の頻度、助詞、品詞の並び方などを測定する。

すると、それまで文学として読んでいた文章が、多数の数値をもったデータとしても眺められるようになる。

太宰作品はある方向へ集まり、芥川作品は別の場所へ集まり、菊池作品はさらに違う場所へ分布するかもしれない。もちろん完全に分離するとは限らず、境界付近にはどちらとも判定しにくい作品が現れるだろう。

そして、実はそこが最も面白い。

もし太宰作品なのに芥川作品に近いと判定された文章があったなら、単に「機械が間違えた」で終わらせる必要はない。その作品が書かれた時期、作家同士の影響関係、語り手の設定、作品のジャンルなどを調べることで、文学史的な理由が見つかる可能性がある。

もちろん、本当に単なるモデルの誤判定である可能性もある。

だからこそ面白いのである。

統計モデルの結果は、文学作品についての最終判決ではない。むしろ「なぜこの作品だけここへ来たのだろう」という新しい問いを作る装置になる。

数字が文学を終わらせるのではない。

数字がうまく説明できなかったところから、次の読解が始まる。

人間の読者と計量分析は、違うものを見ている

同じ匿名文章を、人間にも読ませてみたらどうなるだろう。

文学を長く読んできた人なら、統計分析より簡単に作者を当てられるかもしれない。文章の皮肉、感情の距離、語り手と読者との関係、全体を覆う緊張感など、数えにくい特徴を同時に受け取ることができるからである。

しかし、人間には別の弱点もある。

作家をよく知っているほど、文体以外の情報に引きずられやすい。

自殺、病気、故郷、戦争、家庭といった、その作家を連想させる題材が現れれば、「これは太宰らしい」「これは漱石らしい」と考えてしまうかもしれない。そこで判断しているのは文体ではなく、文学史の知識である可能性がある。

一方、計量分析は人間とは違った手掛かりを見る。

人間なら読み飛ばしてしまうほど頻繁に現れる助詞、句読点、品詞の配列などを、何百、何千という文章の中から繰り返し測ることができる。

だから、人間と機械のどちらが文学を「正しく」読めるのかという二者択一で考える必要はない。

人間が感じているものと、数量分析が捉えているものは必ずしも同じではない。

その二つを重ね合わせたとき、これまで「文体」という一語で済ませていたものが、少しずつ分解されて見えてくるのである。

作家の名前を消すと、かえって作家が見えてくる

結局、「作家名を消しても文章だけで作家を当てられるのか」という問いに、無条件の「はい」と答えることはできない。

候補作家が限定されているか。比較に使える十分な作品があるか。文章量は十分か。ジャンルや時代はそろっているか。同じ作者の文体変化をどう扱うのか。

こうした条件によって判別の難しさは大きく変わる。

それでも、条件を適切に設定すれば、語彙、助詞、品詞、句読点、文の長さなどに表れる統計的特徴から、作者を一定程度識別できることは、これまでの計量文体学研究によって示されてきた。

しかし、この問いの面白さは「人工知能や統計なら作家を当てられる」というところにはない。

むしろ逆である。

作者名を消し、作品名を消し、文学史の知識までできるだけ遠ざけたあとに、それでも残ってしまうものは何なのか。

作家本人さえ意識していないかもしれない助詞の選び方。

どこで息を継ぐのか。

どこに読点を置くのか。

一文をどこまで伸ばして、どこで切るのか。

その一回一回は偶然に見える。

しかし、一人の作家が何十万、何百万という文字を書いたあとには、無数の小さな選択が積み重なっている。その集積を私たちは昔から、説明できないまま「この人らしい文章」と感じ取ってきた。

計量文体学は、その感覚を数字へ置き換えて文学を解体しようとしているのではない。

むしろ、「らしさ」という曖昧な言葉の内部に何があるのかを、別の窓からのぞいている。

そう考えると、作家の名前を消すという実験は、作家を消すためのものではない。

名前を消したあと、それでも文章の中に残っているものを探す実験なのである。

作家が作品に署名するのは、原稿用紙の最後だけではないのかもしれない。

名前をすべて消したあとにも、句読点の一つ、助詞の一つ、一文を終える場所の一つ一つに、本人さえ気づかなかった小さな署名が残っている。

そして読者は、それを数字で測るよりずっと前から、「文体」と呼んでいたのである。

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「文豪」と呼ばれる作家と呼ばれない作家の違いは何か

夏目漱石を「文豪」と呼んでも、ほとんど違和感はない。森鴎外にも、芥川龍之介にも、その言葉はよく似合う。川端康成や谷崎潤一郎についても、おそらく多くの人が同じように感じるだろう。

ところが、時代を少し下ってみると事情が変わってくる。

松本清張を文豪と呼ぶ人はいるだろうが、「社会派推理小説の巨匠」と呼ぶ方が普通かもしれない。星新一なら「ショートショートの神様」、司馬遼太郎なら「国民的作家」、赤川次郎なら「ベストセラー作家」という言葉が先に浮かぶ。村上春樹ほど世界的に読まれている日本人作家であっても、「文豪・村上春樹」と書けば、どこか少し大げさな響きを感じる人は少なくないだろう。

この違いは、単純に作品の質だけで説明できるものではない。

そもそも「文豪」とは文学上の資格ではない。国家試験があるわけでもなければ、文学賞のように選考委員会が認定するものでもない。ある作家が何冊売れば文豪になるという基準もなく、芥川賞を取れば文豪になれるわけでもない。それなのに私たちは、ある作家については自然に「文豪」という言葉を使い、別の作家についてはほとんど使わない。

そこには、日本人が文学をどのように記憶し、後世へ残してきたのかという、作品そのものとは別の仕組みが隠れている。

「文豪」は生前の人気だけでは生まれない

作家にとって、売れることは重要である。しかし、売れた作家がそのまま文豪になるわけではない。

日本文学史を振り返れば、生前に圧倒的な人気を得た作家は数え切れないほどいる。その時代の新聞や雑誌を賑わせ、多くの読者を熱狂させたにもかかわらず、現在では文学史の専門書を開かなければ名前に出会わない作家もいる。その一方で、生前の販売部数だけを見れば必ずしも最大級ではなかった作家が、百年後には「日本を代表する作家」として語られていることもある。

つまり、人気と文学史上の地位は、同じものではない。

ベストセラーは「その時代にどれだけ読まれたか」を示すが、文豪という評価には「その時代が終わったあとにも読まれたか」という、もう一つの時間軸が加わる。

ここに文豪という言葉の面白さがある。

作家本人が亡くなったあと、新刊が出なくなり、新聞にもテレビにも本人が登場しなくなる。それでも作品だけが残り、新しい世代の読者に読み直される。社会の価値観が変わってもなお、そこに別の意味が見いだされる。その繰り返しのなかで、作家は少しずつ「同時代の人気作家」から「文学史上の人物」へ変わっていく。

文豪とは、ある意味では時間によってつくられる称号なのである。

教科書に載ると、作家は「国民の記憶」になる

夏目漱石を読んだことがない人でも、夏目漱石という名前は知っている。

芥川龍之介の作品を一冊も買ったことがない人でも、『羅生門』や『蜘蛛の糸』という題名を聞いたことがあるかもしれない。森鴎外なら『舞姫』、太宰治なら『走れメロス』が学校教育を通して記憶されている。

ここで重要なのが国語教科書である。

文学作品が教科書に採用されるということは、単に作品が教材になるというだけではない。毎年、何十万人、何百万人という子どもたちが、その作家の名前を見ることになる。それが何十年も続けば、実際にその作家の本を読む人よりはるかに多くの人が、その名前だけは知っているという状態が生まれる。

これは非常に大きな力を持つ。

文学は本来、読もうとした人が書店や図書館で出会うものである。しかし教科書に入った作品だけは違う。本人の意思とは関係なく、ほぼ全国民が一度はその作家と出会うことになる。

こうして漱石や芥川は、「読書をする人が知っている作家」から、「日本人なら名前を知っている作家」へと変わっていく。

文豪というイメージには、この国民的共有記憶がかなり深く関係している。

「全集が出る」という特別な出来事

かつて日本の家庭の本棚には、文学全集が並んでいることが珍しくなかった。

世界文学全集、日本文学全集、現代文学全集。革張り風の装丁を施された重厚な本が、応接間の本棚を一段まるごと占領している。全部読んだ家庭がどれほどあったかは別として、それを所有すること自体が、ある種の教養の象徴でもあった。

そこで名前を連ねる作家は、単に「面白い小説を書いた人」ではなくなっていく。

全集とは、その作家の仕事を保存する装置だからである。

一冊の小説なら絶版になることがある。流行作家なら、時代が変われば書店から姿を消す。しかし全集が編まれ、研究者が作品を整理し、書簡や日記まで収録されるようになると、作家は個々の作品を超えた「研究対象」になる。

夏目漱石全集、森鴎外全集、芥川龍之介全集という言葉には、どこか文化財のような響きがある。

作家本人の原稿だけではない。年譜が作られ、書簡が集められ、作品の初出が調べられ、研究論文が書かれる。それらが積み重なることで、一人の作家を中心に巨大な知識の体系が形成されていく。

文豪とは作品を書いた人であると同時に、死後も読み解かれ続ける人なのだ。

作家の人生まで「物語」になる

文豪と呼ばれる作家には、奇妙なほど強い人物像が付随していることが多い。

漱石には神経衰弱や英国留学の孤独があり、鴎外には軍医としての顔がある。芥川龍之介には若くして死を選んだ知識人という像があり、太宰治には破滅的な人生そのものが作品と重なるような印象がある。三島由紀夫に至っては、その最期を文学から完全に切り離して語ることが難しい。

もちろん、本来なら作品と作家本人の人生は別のものである。

しかし文学史は、必ずしも作品だけを保存しない。

「この人はどんな人生を送り、なぜこの作品を書いたのか」という物語まで一緒に保存する。その結果、作家自身が一つの文化的キャラクターになっていく。

学校で名前を覚え、写真を見る。年表には出生と死去が記され、文学館には書斎が再現され、愛用の万年筆まで展示される。かつて生身の人間だった作家は、少しずつ歴史的人物へ変わっていく。

この変化が十分に進んだところで、「作家」という呼び名の前に「文豪」という二文字が置かれるようになる。

文豪という言葉には、作品への敬意だけではなく、その人物がすでに「歴史の側」に移ったことを示す響きも含まれているのである。

なぜ現代作家は文豪と呼ばれにくいのか

そう考えると、現在活躍している作家が文豪と呼ばれにくい理由も見えてくる。

たとえば村上春樹は、日本国外でも極めて広く読まれ、多数の言語に翻訳されている。日本文学史に残る可能性という意味では、すでに重要な作家であることを否定するのは難しい。それでも「文豪」という呼称には、まだ微妙な距離がある。

その理由の一つは、私たちと同じ時間を生きているからだろう。

新刊が出れば書評が掲載され、インタビューも行われ、読者は作品について賛否を語る。その作家はまだ「評価が確定していない現在の人物」である。

文豪には、どこか銅像のようなところがある。

現在進行形の人間には似合いにくい。

文学史という長い廊下の奥に立ち、何世代もの読者がその作品を読み終えたあとでもなお名前が残っている。そんな時間的距離が生じたとき、初めて文豪という言葉が違和感なく馴染んでくる。

だから、今日「人気作家」と呼ばれている人のなかから、百年後の文豪が生まれる可能性は十分にある。ただし、それを現在の私たちが確定することはできない。

純文学だから文豪になるわけではない

もう一つ興味深い問題がある。

文豪という言葉には、どうしても純文学的な響きがまとわりつく。しかし、文学史に残るために純文学でなければならないという決まりはどこにもない。

江戸川乱歩は探偵小説を書いた。松本清張は推理小説を通して社会を描いた。司馬遼太郎は歴史小説によって、多くの日本人の歴史観にまで影響を与えた。星新一は短い物語のなかに未来社会の構造を閉じ込めた。

彼らの影響力は決して小さくない。

それでも「文豪」という呼称の中心には、長い間、近代文学史と学校教育が置いてきた正統的な文学の系譜がある。

つまり、文豪は純粋に作品の文学的価値だけで決まるのではなく、「文学史という物語のなかで、どの位置に置かれたか」にも左右される。

文学史そのものが一つの編集作業なのである。

無数に存在した作家のなかから何人かを選び、近代文学の始まりを語り、自然主義を説明し、白樺派、新思潮派、無頼派、戦後文学へと線を引いていく。その線の上に何度も名前が登場する人ほど、後世から見ると巨大な存在に見える。

反対に、膨大な読者を持ちながら、その文学史の線から少し外れている作家は、「大作家」にはなっても「文豪」と呼ばれにくい。

ここには評価というものの、少し不思議な性質が表れている。

売れた作家と残った作家

文学の世界には、「売れた」という評価と「残った」という評価がある。

二つは重なることもあるが、同じではない。

ある時代に百万人が読んだ作品が、五十年後にはほとんど読まれなくなることがある。一方、発表当時には限られた読者しか持たなかった作品が、何十年もかけて評価を高めることもある。

文学には、出版された瞬間には分からない価値がある。

社会が変わると、作品の意味まで変わるからだ。

たとえば、ある時代には恋愛小説として読まれていた作品が、後世には女性の社会的立場を描いた作品として読み直されることがある。家族小説が、当時の家制度を記録した社会史的資料に見えてくることもある。未来を描いた小説が、数十年後には驚くほど現実的な社会批評として読めることさえある。

優れた文学は、読者が変わるたびに別の顔を見せる。

文豪になる作家とは、その再読に耐え続けた作家だとも言えるだろう。

「文豪」は出版社と書店にもつくられる

もちろん、作品が残るためには、それを読める状態にしておかなければならない。

文学史に残った作家の作品が現在でも容易に読めるのは、出版社が何十年にもわたって文庫を再版しているからである。旧字体を新字体に直し、注釈を加え、解説を付け、新装版を作る。著作権が切れれば電子化され、無料で読める作品も増えていく。

つまり名作は、自然に残っているわけではない。

誰かが残しているのである。

出版社、編集者、研究者、書店、図書館、教師、評論家、そして読者。その無数の人々が「これは次の世代にも読む価値がある」と判断し続けた結果として、作品は百年後まで運ばれていく。

この仕組みを考えると、「文豪とは誰か」という問いは、そのまま「私たちはどの文学を残してきたのか」という問いに変わる。

文豪ではないから、文学的価値が低いわけではない

ここで最も注意したいことがある。

文豪と呼ばれない作家が、文豪より劣っているわけではない。

むしろ「文豪」という言葉は、文学作品の価値を測る精密な物差しとしてはかなり曖昧である。

大量に読まれた作家、特定のジャンルを完成させた作家、若者文化を変えた作家、文章表現に革命を起こした作家。その重要性は、それぞれ違う尺度で測らなければならない。

赤川次郎を漱石と同じ物差しで測る必要はないし、星新一を鴎外と同じ方法で評価する必要もない。

むしろ文学史を面白くするのは、その違いである。

数十ページを費やして人間の内面を描く作家もいれば、数ページの物語で文明そのものを風刺する作家もいる。歴史を巨大な物語として描く人もいれば、家庭の食卓に置かれた小さな茶碗から一つの時代を描く人もいる。

文学は一種類ではない。

だから文豪という称号も、文学の頂点を示すランキングだと考えない方がよい。

百年後、誰が文豪になっているのだろう

結局のところ、文豪と呼ばれる作家と呼ばれない作家を分けているのは、作品の質だけではない。

作品が長期間読まれたこと、学校教育に取り込まれたこと、文学史のなかに位置づけられたこと、全集や文庫として保存されたこと、研究の対象になったこと、そして作家自身の人生まで含めて後世に語り継がれたこと。そうしたいくつもの条件が重なったところに、「文豪」という存在が生まれる。

だから文豪とは、作家が自分一人でなるものではない。

作家が作品を書き、読者が読み、批評家が論じ、出版社が残し、教師が教え、次の世代がもう一度読み直す。その長い共同作業の果てに、いつの間にか一人の作家の名前の前へ「文豪」という二文字が置かれる。

そう考えると、文学史は少し違って見えてくる。

私たちがいま何気なく読んでいる作家のなかにも、まだ「文豪」と呼ばれていない未来の文豪がいるかもしれない。そして反対に、現在は巨大に見える作家が、百年後にはほとんど読まれていない可能性もある。

その判定を下すのは、文学賞の選考委員でも、出版社でも、評論家でもない。

最後に決めるのは、時間である。

本棚から本棚へ、世代から世代へと作品が渡され、それでもなお誰かがページを開く。その小さな行為が百年ほど積み重なったとき、一人の「作家」は、いつしか「文豪」になっているのである。

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太宰治はなぜ高校生の心に入り込むのか

~高校時代に読んだ太宰治を、六十代になった今から考える~

高校生のころ、私は本格的に文学を読むようになった。

小学生のころは、学校から与えられた課題図書を読む程度だった。中学生になると、朝日新聞の「天声人語」を読むようになり、文章を通して社会や時代について考える機会が増えた。そして高校生になると、書店の文庫本の棚から本を選び、太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介、川端康成といった作家を読むようになった。

そのなかに太宰治がいた。

いま振り返ってみると、太宰という作家には、高校生という年代の読者を引き寄せる何かがある。

それは、単に文章が読みやすいからでも、暗い物語だからでもない。

高校生という、自分が何者なのかまだ確定していない時期に抱きやすい感情と、太宰の文章が描いている人間の不安定さが、どこかで重なるからではないだろうか。

太宰治は1909年に青森県に生まれ、本名を津島修治という。戦後には『斜陽』や『人間失格』などを発表し、1948年に39歳を目前にして亡くなった。国立国会図書館は、太宰を戦後に『斜陽』『人間失格』などを書き、「無頼派」などと呼ばれた作家として紹介している。

しかし、太宰を読むという経験を、その波乱に満ちた私生活だけから説明してしまうのは、少し違うように思う。

高校生だった私が向き合っていたのは、作家の伝記ではなく、まず文章だったからである。

高校生は、大人でも子どもでもない

高校生という時期は、不思議な年代である。

子どもとして扱われることに抵抗を覚える一方で、大人として社会の中に自分の位置を持っているわけでもない。

将来について問われる。

進学するのか。

何を学ぶのか。

どんな仕事をするのか。

自分には何ができるのか。

しかし、その問いに答えられるほど、自分自身のことを理解しているわけではない。

友人との関係も変化する。

人からどう見られているのかが気になる。

自分だけが周囲とうまくかみ合っていないように感じることもある。

他人から見れば些細な出来事であっても、本人にとっては大きな問題になる。

おそらく、こうした時期に太宰の文章を読むと、大人になってから読む場合とは違った形で言葉が入ってくる。

太宰の作品には、堂々と世界を説明する人間よりも、世界とうまく折り合えない人間がしばしば現れる。

自分を肯定できない。

他人とうまく付き合えない。

人からどう見られているかを過剰に意識する。

自分の弱さを自覚しながら、その弱さから簡単には抜け出せない。

このような人間像は、完成された大人の姿とはかなり遠い。

だからこそ、まだ自分自身が完成していない高校生には、妙に近く感じられるのかもしれない。

「弱い人間」が文学の主人公になる

高校生になるまでに接する物語では、努力する人、勇気のある人、困難を克服する人が肯定的に描かれることが多い。

もちろん、それ自体に問題があるわけではない。

しかし実際の人間は、それほど単純ではない。

努力できないこともある。

逃げることもある。

嫉妬する。

見栄を張る。

人に好かれたいと思いながら、人との付き合いに疲れる。

自分のことを理解してほしいと思いながら、本当の自分を見られるのは怖い。

太宰の文学には、そうした人間の矛盾がある。

ここに、高校生だった私たちの世代を含め、若い読者が引き寄せられる理由の一つがあるのではないかと思う。

文学のなかでは、立派ではない人間も主人公になれる。

自信のない人間にも言葉が与えられる。

迷っている人間にも物語がある。

これは、十代の読者にとって意外に大きな発見である。

文学は、優れた人間だけを書くものではない。

むしろ人に見せたくない感情まで文章にすることができる。

太宰を読むことによって、そんな文学の一面を知ることになる。

自己嫌悪をここまで文章にしてよいのか

太宰の作品を考えるとき、「自己嫌悪」という言葉は避けて通れない。

ただし、太宰の文学を「自分を嫌っている人の文学」とだけ整理してしまえば、あまりにも単純である。

重要なのは、自己嫌悪そのものよりも、それを文章として外へ出していることである。

普通なら隠したくなる感情を、文学として読者の前に置く。

格好の悪さ。

弱さ。

臆病さ。

虚栄心。

他人への依存。

そして、自分自身に対する疑い。

こうした感情は、多かれ少なかれ誰の中にもある。

高校生であれば、なおさら自分と他人を比較する機会が多い。

勉強のできる人。

運動のできる人。

友人の多い人。

異性に好かれる人。

将来の目標がはっきりしている人。

そうした周囲と比較しながら、自分は何者なのだろうと考える。

そのとき太宰の文章には、

「人間は、それほど立派なものではない」

という感覚が流れているように見える。

それは励ましではない。

人生の解決策でもない。

けれども、自分だけが不完全なのではないという感覚を、文学によって知ることはできる。

「道化」という感覚

太宰文学を考えるうえで、もう一つ重要なのが、人前で演じる自分と、本当の自分との距離である。

代表作『人間失格』は1948年に雑誌『展望』で連載され、同年に筑摩書房から刊行された。作品では主人公・大庭葉蔵の手記という形式が用いられている。

この作品について詳しい内容をここで追うつもりはないが、太宰文学に表れる「人前で自分を演じる」という感覚は、高校生にも理解しやすいものだと思う。

学校では、誰もがある程度の役割を持っている。

明るい生徒。

真面目な生徒。

面白い生徒。

優秀な生徒。

おとなしい生徒。

教師から見た自分と、友人から見た自分も違う。

家庭にいる自分とも違う。

そして本人自身が考えている「自分」とも違う。

人間は、社会のなかで多少なりとも役割を演じて生きている。

大人になれば、それを社会性として受け入れることもできる。

しかし高校生くらいの年代では、

「周囲に見せている自分は、本当の自分なのだろうか」

という疑問が生まれやすい。

太宰の文学が若い読者に響く理由の一つは、この「外側の自分」と「内側の自分」のずれを、非常に鋭く文章にしているところにあるのではないか。

太宰の文章には、読者との距離が近いところがある

文学作品には、読者が少し離れた場所から眺めるように読む作品もある。

風景や人物を客観的に描き、世界そのものを構築していく小説である。

それに対して太宰の文章には、ときに読者のすぐ近くから語りかけてくるような感覚がある。

大きな思想を正面から掲げるというより、

「実は私はこうなのだ」

「こんなことを考えてしまう」

という、人間の内側から始まる。

そのため読者は、作品を外から観察するだけでは済まなくなる。

自分にも似たところがあるのではないか、と考えてしまう。

私は高校生のころ、太宰だけを特別な作家として読んでいたわけではなかった。

三島由紀夫も読んだ。

芥川龍之介も読んだ。

川端康成も読んだ。

また、片岡義男や三田誠広のような、当時の空気を感じさせる作家も同じ本棚の中にあった。

古典的な文学と同時代の文学を、いまのように明確に分類して読んでいたわけではない。

書店の棚に文庫本が並んでいて、そこから一冊を取る。

その一冊が次の一冊へつながっていった。

そのなかで太宰には、他の作家とは少し異なる、人間の弱い部分への近さがあったように思う。

三島由紀夫とは違う入り口

高校時代に読んだ作家のなかで、三島由紀夫と太宰治を並べて考えると、その違いは興味深い。

三島の文章には、文章そのものの完成度や美しさを意識させられるところがある。

美、身体、思想、死。

高校生だった私には理解しきれない部分も多かった。

それでも文章の力は感じた。

一方、太宰の場合は、まず人間の側から入ってくる。

弱さ。

恥。

孤独。

自己嫌悪。

他人との距離。

三島を読んで、

「こんな文章があるのか」

と思うとすれば、太宰を読んだときには、

「人間はこんなことまで書いてよいのか」

と感じる。

少なくとも現在の私には、その違いが見える。

高校時代には、そこまで整理して読んでいたわけではなかった。

ただ本を読み、何かを感じ、次の本へ進んでいた。

文学とは本来、そのようにして身体の中に入ってくるものなのかもしれない。

高校生だった私は、太宰をどこまで理解していたのか

六十代になった現在から高校時代の読書を振り返ると、一つ注意しなければならないことがある。

それは、当時読んだ本を、現在の知識によって「理解していたこと」にしてしまわないことである。

高校生だった私は、太宰が生きた昭和前期の社会を十分に理解していたわけではない。

戦前と戦後の価値観の変化。

地主階級をめぐる社会背景。

当時の文学状況。

太宰自身の複雑な人生。

そうした背景を体系的に勉強してから読んだわけではなかった。

読めたところまで読んだ。

感じられたところまで感じた。

おそらく、それが実際の読書だった。

しかし、だから価値がなかったわけではない。

むしろ文学との最初の出会いは、それでよいのではないかと思う。

すべてを理解してから文学を読むことなど、そもそもできない。

分からないところを残しながら読む。

何十年か経ってから、以前とは別の意味が見えてくる。

それも読書なのである。

太宰の人生と作品を同一視しない

太宰治について語ると、どうしてもその生涯が話題になる。

複雑な人間関係。

心中未遂。

酒や薬物をめぐる問題。

そして1948年の死。

確かに、太宰の人生と作品は無関係ではない。

国立国会図書館や山梨県立文学館の略歴を見ても、その人生が作品形成と深く関係していたことは分かる。

しかし、作者の人生を知れば作品がすべて説明できるわけではない。

さらに危険なのは、

「太宰は苦悩した人生を送ったから、作品も優れている」

というように短絡させることである。

苦しんだから文学者になれるわけではない。

破滅的に生きることに文学的価値があるわけでもない。

太宰の作品が残った理由は、その人生の激しさだけではなく、それを言葉に変える文学的な技術があったからだろう。

高校生が太宰を読むときにも、この二つは分けて考えた方がよい。

太宰の生き方をまねる必要はない。

しかし、太宰が書いた人間の弱さについて考えることはできる。

作品を読むとは、作者の人生を肯定することではないのである。

なぜ今も若い読者に読まれるのか

太宰治の『人間失格』や『走れメロス』などは、現在も電子化され、青空文庫などを通じても読むことができる。青空文庫の過去のアクセスランキングでも、『人間失格』『走れメロス』『斜陽』など複数の太宰作品が上位に入っており、デジタル環境になっても継続して読まれていることがうかがえる。

太宰が生きていた昭和と、現在の高校生が生きる令和では、社会環境は大きく違う。

私が高校生だったころには、もちろんスマートフォンもインターネットもなかった。

本を探す場所は、まず書店や図書館だった。

現在は作品名を検索すれば、解説も感想も作者の経歴もすぐに出てくる。

しかし、人間そのものがそれほど簡単に変わったとは思えない。

人からどう見られているのか。

自分は何者なのか。

人間関係の中で、どこまで自分を出してよいのか。

他人に合わせている自分と、本当の自分とのどちらが自分なのか。

こうした問いは、昭和の高校生にも、令和の高校生にも存在する。

むしろ現在は、SNS(Social Networking Service・インターネット上で人と交流し情報を発信するサービス)によって、他人から見える自分を常に意識しやすくなった。

プロフィール。

写真。

短い文章。

「いいね」の数。

他人の生活。

他人の評価。

そうしたものに囲まれた現代では、「他人に見せている自分」と「自分自身が感じている自分」との距離は、むしろ意識されやすくなっているのかもしれない。

そう考えると、太宰文学が古くならない理由も少し分かる。

時代は変わっても、人間が他人の目を意識することは変わらない。

太宰を読むことは、自分の弱さを肯定することではない

太宰を若いころに読むことには、一つ注意すべき点もあると思う。

弱さを描いた文学を読むことと、弱さそのものを美化することは違う。

孤独を描いた作品を読むことと、孤独であることを価値ある生き方として選ぶことも違う。

自己嫌悪を文章として読むことと、自分を否定し続けることも違う。

文学は人生の処方箋ではない。

太宰を読めば悩みが解決するわけでもない。

むしろ文学は、

「人間には、こういう感情もある」

と示してくれるものではないだろうか。

そして、それに名前を与えてくれる。

漠然と感じていた不安。

自分でも説明できなかった違和感。

人には言えなかった恥ずかしさ。

文学の中でそれに似た感情を見つけると、

「これは言葉にできるものなのだ」

と分かる。

文学が人生の答えを与えるのではなく、問いに言葉を与える。

私が現在、文学について考えるときに重要だと思うのは、その点である。

六十代になった今、太宰を考える

高校生だったころと現在とでは、私自身が生きてきた時間がまったく違う。

仕事をし、社会の仕組みを知り、科学や医学、経済、政治、技術など多くの分野の本も読むようになった。

文学だけを読んできたわけではない。

むしろ成人後の読書は、分野を限定せず広がっていった。

それでも高校時代に文学を読んだ経験は残っている。

その意味を現在から考えると、文学は「正しい人間像」を教えるものではなかったのだと思う。

太宰治の文学もそうである。

人間は弱い。

しかし、強い部分もある。

善良なこともあれば、ずるいこともある。

人を求めながら、人から離れたいと思う。

自分を理解してほしいと思いながら、自分を知られることを恐れる。

人間は矛盾している。

十代のころは、その矛盾を自分自身の問題として感じる。

年齢を重ねると、それが自分だけではなく、人間そのものの問題だったのだと少しずつ分かってくる。

太宰治の文学が高校生の心に入り込む理由は、そこにあるのかもしれない。

高校生に人生の答えを教えるからではない。

むしろ逆である。

自分でもまだ説明できない問いがあることを、そのまま文章にして見せる。

だから若い読者は、その中に自分の一部を見つける。

そして何十年も経ってから読み返せば、今度は高校生だった自分の姿まで、その文章の向こう側に見えてくる。

本を読むということは、作品を読むだけではない。

かつてその本を読んだ、自分自身を読み返すことでもあるのだと思う。


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はじめに――二人を同列に裁くための比較ではない

太宰治と東出昌大。

一人は昭和前期を代表する小説家であり、もう一人は平成から令和にかけて活動する俳優である。生きた時代も職業も社会的環境も異なり、両者を単純に同一線上へ並べることはできない。

それでも、二人の人物像には、ある共通した問いを投げかけたくなる部分がある。

二人とも、女性を引きつける魅力を持ち、女性に対して柔らかく接し、相手の孤独や感情に敏感だったと考えられる一方、その私生活によって身近な女性を深く傷つけた人物でもある。

では、女性の気持ちを察し、優しい言葉をかけ、一時的に相手を救うことができる人は、本当に「優しい人」なのだろうか。

また、複数の人間に愛情を感じることと、一人の人間に対して責任を負うことは、両立するのだろうか。

本稿では、太宰治の文学作品そのものの評価はいったん脇に置き、確認できる伝記的事実と、東出昌大本人の発言や公表された経緯をもとに、二人の女性への接し方を検討する。

ただし、本人の内心を第三者が完全に知ることはできない。そのため、「心から優しかった」「本当は冷酷だった」と断定するのではなく、二人の言葉と行動の間に生じた矛盾を通して、人間への愛とは何かを考えたい。


1.「優しい人」という評価の難しさ

人を優しいと評価するとき、私たちは異なる性質を一つにまとめてしまいがちである。

たとえば、次のような人物は、いずれも日常的には「優しい人」と呼ばれる可能性がある。

相手の話をよく聞く人。

孤独な人に寄り添う人。

困っている人に手を差し伸べる人。

相手を否定せず、希望を与える人。

しかし、これらは必ずしも同じ性質ではない。

相手の感情を察する力は、共感性である。

相手を一時的に安心させる振る舞いは、情緒的な優しさである。

一方、自分の行動が相手の将来に及ぼす影響を考え、約束や生活を守ることは、責任を伴う優しさである。

情緒的には非常に優しくても、長期的な責任を引き受けられない人は存在する。

むしろ、他者の悲しみに敏感であるがゆえに、その場で相手を拒絶できず、関係を曖昧にした結果、かえって相手を深く傷つけることもある。

太宰治と東出昌大を考える際には、この区別が重要になる。

二人の問題は、まったく優しさを持たなかったことではない。

相手の心に近づく力と、その相手に対する責任との間に、大きな隔たりが生じたことにある。


2.太宰治は女性に優しかったのか

太宰治、本名・津島修治は、1909年に青森県の大地主の家に生まれ、1948年に山崎富栄と玉川上水へ入水した。

その生涯には、複数の女性との関係や心中未遂、結婚生活、婚外関係が存在する。1930年には田部シメ子と心中を図り、太宰だけが生き残った。1939年には石原美知子と結婚し、家庭を持ったが、戦後には太田静子や山崎富栄との関係を持った。最終的には1948年、山崎富栄とともに亡くなっている。山梨県立文学館も、太宰が石原美知子と結婚した後、三鷹で生活し、最晩年に山崎富栄と入水した経過を紹介している。

この経歴だけを見れば、「女性への優しさ」を語ること自体が不適切に思えるかもしれない。

実際、太宰の行動によって傷ついた女性がいたことは否定できない。

田部シメ子との心中では相手だけが亡くなり、太宰は生き残った。妻と子どもがいる時期にも、太田静子や山崎富栄との関係を持っている。太宰がどのような主観的苦悩を抱えていたとしても、その行動が周囲に与えた負担や苦痛は、文学的才能によって帳消しにはならない。

それでも、太宰がなぜ女性から愛されたのかを考えるならば、単に容姿や作家としての名声だけでは説明しきれない。

太宰には、他人が隠している弱さや羞恥を察知し、それを否定せずに受け止める力があったと考えられる。

社会的には弱い立場にある人、周囲から軽視されている人、自分に自信を持てない人に対し、上から訓戒するのではなく、自分も同じ弱さを持つ人間として接する。

その態度は、相手にとって大きな救いになり得る。

太宰は、立派で強い人物として女性を導いたのではない。

むしろ、自分の弱さ、罪悪感、孤独、恐怖を隠しきれない人物として女性の前に立った。そのため女性の側も、自分の弱さを隠さずに済んだのではないか。

ここに、太宰特有の優しさがあった可能性がある。

ただし、それは相手の人生を安定させる優しさではない。

相手の心へ深く入り込む一方で、その関係を現実生活の中でどのように維持するかについては、きわめて不安定だった。

太宰の優しさは、孤独な人間を一時的に救う力を持っていたが、同時に相手を自分の不安定な世界へ巻き込む危険も持っていたのである。


3.太宰治の優しさは「同情」だったのか

太宰の女性への態度を考える際、重要なのは、彼が女性を一方的に保護される存在として見ていたとは限らないことである。

太宰自身が、精神的にも生活上も他者の支えを必要としていた。

したがって、女性との関係は「強い男性が弱い女性を守る」という単純な構造ではなかった。

むしろ太宰は、相手の女性に慰められ、世話をされ、経済的・精神的に支えられる側でもあった。

この関係では、太宰が与える優しさと、太宰が受け取る献身とが複雑に絡み合っている。

相手の苦しみを理解し、優しい言葉をかけたとしても、その優しさが相手の献身を引き出す働きをした可能性も否定できない。

本人が意図的に相手を操作したと断定することはできない。

しかし、意図がなかったとしても、結果として相手が太宰の生活や感情を支え続け、自分自身を消耗させたならば、その関係は無条件に美しいとはいえない。

ここで区別すべきなのは、悪意の有無と、責任の有無である。

悪意がなければ、人を傷つけても責任がなくなるわけではない。

太宰は、女性を軽蔑していたから傷つけたのではないだろう。

むしろ、女性を必要とし、愛情を感じ、相手の悲しみにも反応していた可能性が高い。

しかし、愛情を感じることと、相手の人生を守ることは同じではない。

太宰は人の苦しみには敏感だったが、自分が他者に与える苦しみを長期的に制御する力には乏しかった。

この点に、太宰の優しさの真実と限界がある。


4.東出昌大の女性への優しさ

東出昌大についても、「優しい人物か、そうでない人物か」という二択では捉えにくい。

東出は2020年、自身の婚姻中の交際をめぐる問題について公の場で謝罪した。

会見では、仕事上・私生活上の「おごり」や「慢心」があったと認め、妻と子どもから「様々な幸せを奪った」という趣旨の発言をしている。また、妻に対して消えない傷を負わせたことを認めた。

同年8月には離婚が公表され、元妻との連名の文書で、今後は子どもたちの親として成長し、協力する関係を築きたいとの意向が示された。

この事実から目を背けたまま、「東出昌大は女性に優しい」と論じることはできない。

婚姻中の交際は、配偶者との信頼関係を損なう行為である。しかも、本人が傷を与えたことを認めている以上、「本当は優しい人だから」という理由で問題を相対化すべきではない。

一方、その後のインタビューや映像で見られる東出の対人態度には、他人を直ちに排除せず、相手の立場や失敗を受け入れようとする性質がうかがえる。

山での生活に移った後も、東出は俳優仲間や地域の人々、取材者、旅の同行者と関係を築いてきた。狩猟や共同作業を通じて、人間だけでなく動物の命や自然との関係を考える姿勢も語っている。2024年の長時間インタビューでは、山で暮らし、動物の命を受け取りながら生活することを通じて、社会や生き方について考える様子が紹介された。

2024年には元俳優の女性との再婚と妊娠を公表し、2025年には子どもの誕生を報告した。

さらに2026年のインタビューでは、幼い娘に「自分で生きる力」を身につけてほしいという趣旨を語り、家族や生活について以前とは異なる視点を示している。

ただし、これらは現在の生活や本人の発言を示すものであって、過去の行動が清算されたことを意味するわけではない。

人が変わったかどうかは、本人の自己説明だけでは判断できない。

長い時間の中で、どのような責任を負い、同じ過ちを繰り返さず、周囲との関係を維持しているかによって判断されるべきである。


5.東出昌大の「優しさ」は、相手を拒まないことなのか

東出昌大の対人姿勢には、他者を強く裁かない性質が見える。

人の失敗や矛盾を受け入れ、自分自身の過去についても完全に取り繕わず、批判されることをある程度引き受けようとする。

こうした態度は、周囲の人間に安心感を与えることがある。

特に、失敗や弱さを抱えた人にとって、自分を一方的に評価しない人物は魅力的である。

太宰治の場合と同様に、東出も「正しさによって他人を指導する人物」というより、矛盾を抱えた一人の人間として相手に接する。

だからこそ、女性を含む周囲の人々が近づきやすいのかもしれない。

しかし、相手を拒絶しないことは、常に優しさになるわけではない。

曖昧な関係を続けること。

相手の期待を否定しないこと。

その場の気持ちを優先し、将来の境界線を明確にしないこと。

これらは短期的には相手を傷つけない行為に見える。

だが、長期的には複数の人間の期待を膨らませ、より深い傷を生む場合がある。

本当の意味での優しさには、ときに相手を拒むことも含まれる。

自分が責任を負えない関係を始めないこと。

相手の期待に応えられないとき、それを明確に伝えること。

現在の関係を守るために、別の可能性を断つこと。

こうした行為は、その瞬間には冷たく見える。

しかし、長期的には相手の尊厳と人生を守る。

東出の過去の問題は、女性への感情がまったくなかったことではなく、感情と責任との境界を適切に管理できなかった点にあったと考える方が妥当である。


6.太宰治と東出昌大の共通点

太宰治と東出昌大を比較すると、いくつかの共通点が浮かび上がる。

第一に、二人とも、自分を絶対的な正義の側に置く人物ではない。

自らの弱さや過ちを、程度の差はあっても公の場にさらしている。

第二に、他者の弱さを受け入れやすい。

立派な人間だけを評価するのではなく、失敗した人、孤独な人、社会の規範から外れた人とも関係を築く。

第三に、他人を引きつける情緒的な力を持っている。

相手に「自分は理解されている」「この人の前では無理に強くならなくてよい」と思わせる力である。

第四に、その優しさが境界の曖昧さと結びついている。

相手を拒絶できない。

自分の欲望を制御できない。

複数の人間に対して、それぞれ異なる形で愛情を示す。

その結果、一人ひとりに対する責任が不十分になる。

もっとも、二人の間には大きな違いもある。

太宰が生きた時代には、現在ほど男女関係や婚姻上の責任が公に検証される環境はなかった。一方、東出は報道、テレビ、動画配信、ソーシャルメディアによって私生活上の行動が広く共有される時代を生きている。

また、太宰の人生はすでに完結しており、残された資料からしか評価できない。

東出の人生は現在も続いている。過去の失敗の後に、どのような人間関係を築き、家族や子どもへの責任を果たしていくかは、今後も変化し得る。

したがって、東出に対する最終的な人物評価を現時点で固定することは適切ではない。


7.「人間を愛する」ことと「一人を愛する」こと

太宰と東出について考えると、愛には少なくとも二つの方向があることに気づく。

一つは、人間一般に対する愛である。

人間の弱さを理解すること。

失敗した人を排除しないこと。

社会的に立派ではない人にも、尊厳を認めること。

もう一つは、特定の一人に対する愛である。

約束を守ること。

欲望を抑えること。

相手の生活を壊さないこと。

病気、育児、経済、老いなど、現実の負担を分担すること。

前者の愛は広く、柔らかく、魅力的である。

後者の愛は狭く、地味で、しばしば忍耐を必要とする。

人間一般を愛しているように見える人が、一人の配偶者や家族を守れない場合がある。

反対に、広く人間愛を語らなくても、一人の人間に対して長年責任を果たす人もいる。

太宰治は、人間の弱さそのものを愛した人物だったのかもしれない。

自分を含め、不完全で、臆病で、矛盾し、罪を犯す人間に強い関心を持っていた。

しかし、その広い人間愛は、身近な一人ひとりの生活を守る力には必ずしも転換されなかった。

東出昌大にも、他人を排除せず、人間の矛盾を受け入れようとする姿勢が見られる。

だが、過去には、身近な人に対する責任よりも自分の感情や関係を優先し、その結果として家族を傷つけた。

二人に共通しているのは、人間への愛がなかったことではない。

むしろ、人間への関心や愛情が強かった一方で、それを一人の人間に対する持続的責任へ変換することが難しかった点ではないか。


8.心からの優しさは、免罪符にはならない

ここで最も注意しなければならないのは、「本当は優しい人だった」という評価を、行動上の責任を軽くするために使わないことである。

人を傷つけた人物にも、優しい面はある。

家族を裏切った人が、友人には親切であることもある。

複数の女性を傷つけた人が、それぞれの女性に対して一時的には真剣な愛情を感じている場合もある。

人間は、善人か悪人かのどちらかに完全に分類できる存在ではない。

しかし、複雑な人間性を認めることと、責任を曖昧にすることは別である。

太宰に女性への心からの優しさがあったとしても、妻や関係した女性が受けた苦しみは消えない。

東出に他者への柔らかなまなざしがあったとしても、婚姻中の行動が元妻や子どもに与えた影響は消えない。

本心が優しかったかどうかは、倫理的評価の一要素にすぎない。

最終的に問われるのは、その優しさが、相手の尊厳と生活を守る行動になったかどうかである。


9.それでも二人の優しさを考える意味

では、なぜ二人の優しさを検討する必要があるのだろうか。

それは、人間を単純に断罪するためでも、反対に美化するためでもない。

私たち自身の優しさにも、同じ危うさが潜んでいるからである。

相手の話を聞いているから、自分は優しい。

相手を否定しないから、自分は愛情深い。

その場で相手を喜ばせたから、自分は人を大切にしている。

私たちは、そのように考えやすい。

しかし、本当の優しさは、相手の目の前で柔らかく振る舞うことだけではない。

相手がいない場所でも約束を守ること。

自分の欲望によって相手の生活を壊さないこと。

自分が責任を持てない期待を抱かせないこと。

自分の行動の結果を、後から他人のせいにしないこと。

そうした目立たない行動の積み重ねによって、優しさは初めて信頼になる。

太宰治と東出昌大は、相手の痛みに近づく力を持った人物だった可能性がある。

だが、人の痛みに近づくことと、その人を傷つけないことは同じではない。

この矛盾こそ、二人を考えるうえで最も重要な点である。


おわりに――愛とは感情ではなく、持続する責任でもある

太宰治にも東出昌大にも、女性に対する情緒的な優しさは存在したと考えられる。

相手の弱さを否定せず、孤独に寄り添い、社会的な評価とは別の場所で一人の人間を見る力である。

その優しさが演技や虚偽だけだったと断定する根拠はない。

おそらく二人は、それぞれの時点では本当に相手を愛し、助けたいと思ったこともあったのだろう。

しかし、心からの感情があることは、必ずしも正しい行動を保証しない。

愛情が真剣であっても、相手を傷つけることはある。

悪意がなくても、裏切りは裏切りとして残る。

人間への愛が広くても、身近な一人への責任を果たせなければ、その愛は不完全である。

太宰治と東出昌大を通して見えてくるのは、優しさの美しさよりも、むしろ優しさの難しさではないか。

相手の心を理解するだけでは足りない。

相手の将来を考え、自分を抑え、約束を守り、必要であれば距離を置く。

愛とは、激しい感情や美しい言葉だけではない。

愛とは、自分の自由を一部制限してでも、相手の尊厳と生活を守ろうとする、持続的な責任でもある。

太宰治と東出昌大は、人間を愛する力を持ちながら、その愛を安定した責任へ変えることに苦しんだ人物として見ることができる。

だからこそ二人は、私たちに問いかける。

人を愛するとは、その人の心に近づくことなのか。

それとも、その人を傷つけないよう、自分の生き方を律することなのか。

おそらく本当の愛には、その両方が必要なのである。

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