日本の戦後文学を読んでいると、実際には日本を舞台にしているにもかかわらず、その向こう側にアメリカが見えてくる作品がある。登場人物がアメリカへ行くわけでもなく、物語そのものがアメリカ社会を描いているわけでもない。それでも、自動車、オートバイ、道路、音楽、コーヒー、服装、会話の仕方、男女の距離といった細部を通して、日本とは少し違う生活の感覚が伝わってくる。
そのことを考えるとき、私には片岡義男と村上春樹という二人の作家が思い浮かぶ。
二人を「アメリカの影響を受けた日本人作家」という一言でまとめることはできる。しかし、それではあまりにも大ざっぱである。二人の作品に現れるアメリカは、同じものではないからだ。
片岡義男の小説に感じられるアメリカは、道路の向こう側にあり、オートバイや自動車とともに移動する。それに対して村上春樹の文学では、アメリカは必ずしも遠くにある国として登場しない。音楽や小説や言葉のリズムを通して、日本で暮らしている人物の内側にまで入り込んでいる。
同じアメリカを見ていながら、片岡義男はそこへ向かって走り、村上春樹はそこから言葉を取り込み、日本語の文学そのものを組み替えていったように見える。
この違いを考えると、戦後の日本人にとって「アメリカ」とは何だったのかも、少し違って見えてくる。
高校生だった私に片岡義男が運んできたアメリカ
私は高校生の頃、太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介、川端康成といった作家とともに片岡義男を読んでいた。
現在から考えると、この組み合わせは少し不思議に見えるかもしれない。しかし当時の高校生にとって、文学史上の作家と同時代の人気作家が明確に別々の棚に存在していたわけではない。書店の文庫本の棚には過去と現在が同時に並んでいて、こちらもそれほど厳密に区別せずに読んでいた。
そのなかで片岡義男は、太宰や三島とは明らかに違った方向へ私を連れていった。
そこにあったのは、自分の内面を掘り下げていく文学というより、外へ向かって移動していく感覚だった。道路があり、オートバイがあり、自動車があり、海があり、音楽があり、男女が出会う。人間の心理を長く説明するよりも、人物がどこにいて、何をして、何を身につけ、何に乗っているのかによって、その人の生き方が伝わってくる。
以前の記事「片岡義男の小説が運んできた、昭和のアメリカ」でも考えたように、そこにあったのは現実のアメリカそのものというより、昭和の日本人がアメリカに重ねていたイメージだった。
自由、移動、乾いた風景、個人主義、男女の対等な距離、そして日本の生活とは少し違う軽さ。
もちろん、現実のアメリカ社会がそのような単純な場所でなかったことは言うまでもない。人種問題も貧困も政治的対立もあり、アメリカを自由な社会としてのみ捉えることはできない。
しかし文化は、必ずしも外国の現実をそのまま輸入するわけではない。外国について断片的に得た情報から、その時代の人々が自分たちなりの外国像を作り上げることがある。
片岡義男の作品に現れるアメリカは、そのような「日本から見たアメリカ」の一つだったのだと思う。
片岡義男のアメリカは「風景」として見える
片岡義男を考えるとき、私が特に重要だと思うのは、アメリカ的なものが目に見える形で現れやすいことである。
オートバイ、自動車、ジーンズ、道路、海岸、飲み物、音楽、カメラといったものが、単なる小道具ではなく人物の生き方と結びつく。
たとえばオートバイは、ある地点から別の地点へ移動するためだけの機械ではない。それに乗るという行為そのものが、一人でいること、自分で行き先を決めること、都市から離れること、誰かと出会い、また別れることとつながっていく。
自動車も同じである。
日本の文学では、家や学校や会社といった固定された場所が人間関係の舞台になることが多かった。しかし自動車の中では、人は家庭にも会社にも完全には属していない。
移動している途中にいる。
この「途中にいる」という感覚は、片岡義男の文学に感じるアメリカを理解するうえで重要なのではないかと思う。
そこでは人間は共同体から少し離れ、自分自身の意思で動くことができる。
だから片岡義男が描いたアメリカ的世界は、思想として説明される前に風景として見える。
道路の向こうへ行けそうだという感覚そのものが、一つの自由を表していた。
村上春樹のアメリカは、少し違う場所にある
村上春樹にも、アメリカ文化との深い関係がある。
村上は1979年に『風の歌を聴け』でデビューし、その後、小説を書く一方で翻訳を継続してきた。新潮社の著者紹介でも、スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーヴァー、トルーマン・カポーティ、レイモンド・チャンドラーなど、多くの英語圏作家を翻訳してきたことが確認できる。
本人も翻訳について「主として現代アメリカ小説」を長年訳してきたと述べており、アメリカ文学との関係は単なる読書上の趣味ではなく、作家活動のもう一つの大きな柱になっている。
ここからすでに、片岡義男との違いが見えてくる。
片岡義男の作品では、アメリカ的なものが外側の世界として見えやすい。それに対して村上春樹の場合、アメリカ文学は日本語の文章を書く行為そのものにまで入り込んでいる。
『パリ・レビュー』のインタビューでも、村上文学とアメリカのポピュラー文化との強い関係が論じられ、村上自身がフィッツジェラルド、カポーティ、カーヴァーなどを翻訳してきたことが語られている。
つまり村上春樹にとってアメリカとは、物語のなかに登場させる外国文化である以前に、文章を作るための一つの言語的経験でもあったと考えることができる。
「アメリカを見る」のと「アメリカを通して日本語を書く」の違い
ここに二人を比較するうえで最も興味深い違いがある。
片岡義男の場合、日本の若者がアメリカ文化を見る。
村上春樹の場合、アメリカ文学を通して日本語そのものを見る。
もちろん、この区別は完全なものではない。片岡義男にも言葉への鋭い感覚があり、村上春樹の作品にも自動車、音楽、服装、食べ物など具体的な生活文化が数多く登場する。
それでも、重心は違うように思える。
片岡義男を読むと、人物が何に乗り、どこへ行き、どのように人と関わるのかという外側の動きが印象に残る。
村上春樹を読むと、日常生活のなかに音楽や外国文学や料理や酒が自然に入り込み、それらが人物の孤独や記憶や喪失と結びついている。
アメリカが「向こう側」にあるのではない。
すでにこちら側の生活に入り込んでいる。
これが二人の大きな違いではないだろうか。
片岡義男には道路があり、村上春樹には部屋がある
二人の違いをかなり単純化するなら、片岡義男には道路があり、村上春樹には部屋がある、と表現することもできる。
ただし、これは作品を二分するための分類ではない。二人の文学に漂う方向性を考えるための比喩である。
片岡義男の人物は移動する。
道路を走り、都市を離れ、海へ向かい、別の場所へ行く。その移動のなかで男女が出会い、関係が生まれ、やがてそれぞれの方向へ進んでいく。
一方、村上春樹の人物には、部屋で音楽を聴き、料理をし、本を読み、電話を受け、何かを考えている姿がよく似合う。
そこにもアメリカ文化は存在する。
しかしそれは巨大な星条旗のように目立って存在するわけではない。レコードや小説やウイスキーの名前として、あるいは文章の呼吸として、静かに日常へ埋め込まれている。
この違いは、戦後日本におけるアメリカ文化の受け入れ方の変化とも重なっているように思う。
アメリカが「憧れ」から「日常」へ変わっていく
戦後しばらくの日本にとって、アメリカは圧倒的に大きな存在だった。
政治や軍事だけではなく、映画、音楽、ファッション、家電、自動車、食生活などを通して、アメリカ式の生活は豊かさや新しさと結びついて見えることがあった。
しかし高度経済成長を経て日本が豊かになり、1970年代から1980年代へ進むにつれ、アメリカ文化との距離は少しずつ変化していく。
外国映画を見ることも、ロックやジャズを聴くことも、ジーンズを履くことも、コーヒーを飲むことも、特別な行為ではなくなっていった。
アメリカ文化は、遠くから眺めるものだけではなく、日本の日常生活の一部になっていく。
片岡義男と村上春樹の違いは、この変化を考える材料にもなる。
片岡義男の世界では、まだアメリカ的な生活様式そのものに新鮮さがある。
オートバイで移動すること、男女が互いに自立していること、乾いた会話を交わすこと、持ち物や服装によって個人のスタイルを示すことが、それまでの日本的生活とは違うものとして見える。
ところが村上春樹になると、それらの文化はすでに説明する必要さえないほど生活の内部へ入っている。
ジャズを聴く人物が出てきても、それだけで「アメリカ人のような人物」を意味するわけではない。
アメリカ文化を取り入れているという意識さえ薄くなり、日本の日常のなかに異文化が普通に存在している。
それは日本がアメリカ化したという単純な話ではなく、文化の境界そのものが曖昧になったということなのだろう。
音楽の役割も二人では少し違う
音楽は、二人を比較するときにも興味深い。
片岡義男の世界では、音楽はオートバイや自動車や服装と同じように、生活のスタイルを構成する要素として見えてくる。
何を聴いているかは、その人物がどのような世界に属しているかを示す。
これに対して村上春樹の作品では、音楽は人物の記憶や時間とより深く結びついていく。
一つの曲を聴くことによって過去が戻り、失われた人物や時間が現在へ入り込んでくる。
したがって同じアメリカ音楽であっても、それが物語の中で果たす役割は必ずしも同じではない。
片岡義男では音楽が「どのように生きるか」というスタイルに近づき、村上春樹では「どのように記憶するか」という内面に近づいていく。
こう考えると、外側と内側という二人の違いが、音楽の扱いにも現れているように見える。
二人とも「日本から逃げた作家」ではない
アメリカとの関係を強調しすぎると、もう一つの誤解が生まれる。
片岡義男も村上春樹も、日本的なものを嫌い、アメリカへ逃げようとした作家だったという見方である。
これは単純すぎると思う。
むしろ二人が行ったのは、外国文化を利用して日本を違う角度から見ることだったのではないだろうか。
外国を見ることによって、自分が暮らしている社会の特徴が見えてくることがある。
日本の家族、日本の男女関係、日本の会社、日本の集団、日本語の文章。
そのなかにずっといると当たり前に見えるものでも、別の文化と比較すると急に輪郭が現れる。
片岡義男が描く男女の距離や移動の自由さが新鮮に感じられたのは、それを読む側が同時に日本社会の人間関係を知っていたからである。
村上春樹の文章が従来の日本文学と違って感じられたのも、それ以前の日本語小説の文体が読者の中に存在していたからだろう。
アメリカは日本を消すために使われたのではなく、日本を別の角度から見るための鏡になったのである。
片岡義男の「軽さ」と村上春樹の「軽さ」
二人には、もう一つ共通して語られやすい言葉がある。
それが「軽さ」である。
片岡義男の文章や人物関係には、従来の日本文学にあった重苦しい心理説明とは違う軽さを感じることがある。
村上春樹も、デビュー当時から、それまでの純文学とは異なる会話や文章のリズムを持った作家として受け止められてきた。
しかし、この二つの軽さも同じものではない。
片岡義男の軽さは、人物を過度に共同体へ縛りつけないところから生まれているように思う。
人は出会うが、永遠に相手を所有しようとはしない。
場所を離れれば、関係も変化する。
その軽さは、移動することのできる身体の軽さでもある。
一方で村上春樹の軽さは、深刻な問題を深刻な言葉だけで語らないことにある。
孤独や喪失や死といった重い題材があっても、文章そのものが必要以上に感情を説明しない。
日常的な行動や音楽や食事の描写の間から、少しずつ重いものが現れてくる。
だから表面が軽いからといって、内容まで軽いとは限らない。
この点でも二人は似ているようで違っている。
アメリカを描きながら、二人が描いていたのは日本だった
結局のところ、片岡義男と村上春樹が描いてきたものを「アメリカ文学的」とだけ呼ぶと、大切なものが抜け落ちてしまう。
二人が書いていたのは日本語であり、その読者の多くも日本で暮らしていた。
だから作品に現れるアメリカ的なものは、常に日本との関係のなかで意味を持つ。
片岡義男の道路が魅力的に見えるのは、日本社会の固定された人間関係から離れられる可能性を感じさせるからである。
村上春樹の人物が一人で音楽を聴き、料理をし、自分の時間を守る姿が印象に残るのも、日本社会における集団と個人の関係を私たちが知っているからだろう。
アメリカを描くことによって、二人はむしろ「日本人が個人として生きるとはどういうことなのか」を別々の方法で考えていた、と見ることもできる。
ここで二人は意外なところで近づく。
片岡義男の人物も、村上春樹の人物も、集団の中心で大声を上げる人物ではない。
自分の好きなものを持ち、自分の時間を持ち、必要以上に他人へ入り込まない。
その人物像には、戦後日本が少しずつ発見していった「個人」というものが映っているように思える。
道路の向こうにあったアメリカと、すでに自分の中にあるアメリカ
高校生だった私に、片岡義男の小説はそれまでとは違う方向の風景を見せた。
そこには道路があり、オートバイや自動車があり、音楽があり、海があった。
それはアメリカそのものではなかった。
昭和の日本から見たアメリカだった。
しかし若い読者にとって、現実のアメリカと完全に一致している必要はなかったのだと思う。
重要だったのは、自分が暮らしている場所とは違う生き方があるかもしれない、と想像できることだった。
村上春樹になると、そのアメリカはさらに近くなる。
外国へ向かって走る必要さえない。
アメリカ文学を読み、翻訳し、ジャズやロックを聴き、その感覚を日本語の文章へ持ち込むことで、国境は文学の内部で越えられていく。
だから二人が描いた「アメリカ」の違いを一言で表すなら、片岡義男のアメリカは道路の向こう側に見えるアメリカであり、村上春樹のアメリカはすでに自分の内側に入り込んでいるアメリカなのかもしれない。
前者には、まだ知らない世界へ出ていく魅力がある。
後者には、外国文化と日本文化を分けること自体が次第に難しくなっていく時代の感覚がある。
そして二人のあいだにあるこの違いは、単なる作家の個性だけではなく、戦後の日本人とアメリカ文化との距離が変化していった過程とも重なっている。
かつてアメリカは、海の向こうにある巨大な外国だった。
やがて映画や音楽や商品を通して身近になり、さらに文学や言葉の中へ入り込んでいった。
片岡義男と村上春樹を続けて読むと、その変化が二人の作品の向こう側に見えてくる。
文学とは、作家が物語を作るだけのものではない。
一つの時代が外国をどのように見ていたのか、そして外国を見ることによって自分たち自身をどのように見直したのかを残すものでもある。
片岡義男と村上春樹が描いた二つの「アメリカ」の間には、昭和から平成へと移っていった日本人の感覚の変化も、静かに記録されているように思う。


