リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

太宰や三島とは違う場所から、高校生だった私の前に現れた世界~

高校生になって本格的に文学を読むようになったころ、私の本棚には、性格のかなり違う作家たちが並んでいた。

太宰治がいた。

三島由紀夫がいた。

芥川龍之介や川端康成もいた。

その一方に、片岡義男もいた。

現在から振り返ると、この組み合わせはいささか不思議にも見える。

太宰治や三島由紀夫を日本文学の流れの中で読みながら、同じ時期に片岡義男の小説も読んでいた。

しかし、高校生だった当時の私にとって、それはそれほど不自然なことではなかった。

書店に行けば、新潮文庫や角川文庫などの文庫本が並んでいた。

そこでは、文学史上の評価が定まった作家と、その時代を生きている作家とが、同じ「本」として目の前にあった。

私は文学史を体系的に勉強してから読書を始めたわけではない。

まず本があり、それを読んだ。

その中の一人が片岡義男だった。

そして片岡義男の小説には、太宰や三島とはまったく違う方向から、当時の私たちの前に届いてくるものがあった。

それを一言で表すなら、「アメリカ」だったのだと思う。

ただし、それはアメリカという国について説明する本ではなかった。

地理でも、政治でも、歴史でもない。

オートバイ。

自動車。

音楽。

道路。

海。

男女の関係。

服装。

会話。

そうした断片を通して伝わってくる、生活の感触としてのアメリカだった。

「外国」ではなく、生活のスタイルとしてのアメリカ

片岡義男は1939年東京生まれの作家で、早稲田大学法学部を卒業した。1974年に『白い波の荒野へ』で本格的に小説家として活動を始め、1975年には『スローなブギにしてくれ』で第2回野性時代新人文学賞を受賞している。サーフィン、オートバイ、ジャズなどを作品に取り込み、若い読者から支持された作家だった。

片岡義男の作品に触れたとき、そこにあったアメリカは、学校で習うアメリカとは違っていた。

学校で外国について学ぶときには、国土、人口、産業、歴史、政治制度などが中心になる。

それは必要な知識である。

しかし、小説が運んでくる外国は違う。

どんな車に乗るのか。

どんな音楽を聴くのか。

どんな服を着るのか。

どんな場所で人と出会うのか。

男と女はどのような距離を取るのか。

道路は単なる移動のための施設なのか、それともそこを走ること自体に意味があるのか。

片岡義男の小説に接することで、「外国」というものを、制度や統計ではなく生活の形式として感じることができた。

高校生だった私にとって、それはかなり新しい感覚だったように思う。

オートバイという道具

片岡義男という作家を語るとき、オートバイは避けて通れない。

公式サイトでも、1970年代半ばから1980年代後半にかけて、片岡がオートバイの登場する小説やエッセイを数多く書き、それらの多くが角川書店から文庫化されたことが紹介されている。作品に影響を受けて実際に二輪免許を取った読者も少なくなかったとされる。

しかし、片岡作品のオートバイは、単なる機械としてだけ読んでも十分ではないだろう。

速いか遅いか。

何馬力あるか。

何ccなのか。

そうした性能だけの問題ではない。

オートバイに乗ることで、街から街へ移動する。

一人で走る。

誰かと出会う。

風景が流れる。

目的地そのものより、そこへ向かう途中の時間が重要になる。

オートバイという機械が、人間の行動範囲と感覚を変える。

そのような描かれ方に、片岡義男らしさがあったのだと思う。

今の私は自動二輪車について、性能、安全性、維持費、積載性といった現実的な面から考えることも多い。

しかし高校生のころに文学の中で出会ったオートバイは、それとは別の存在だった。

それは実用品である前に、どこかへ行くことができる機械だった。

そして「どこかへ行ける」という感覚自体が、若さと強く結びついていた。

道路の向こうにあるもの

片岡義男の作品世界について考えると、「移動」という言葉が浮かんでくる。

道路を走る。

島へ行く。

海へ向かう。

街から別の街へ移る。

そこには、家や学校や会社といった固定された場所とは違う時間が流れている。

若いころには、この「移動すること」そのものに特別な意味がある。

まだ自分の生活圏が狭い。

経済的にも自由ではない。

社会的な立場も定まっていない。

だからこそ、道路の向こう側に別の世界があるという感覚は強い。

これは、当時のアメリカ文化に対する距離感とも重なっていたように思う。

昭和の日本にとって、アメリカは近いようで遠かった。

映画がある。

音楽がある。

自動車がある。

ファッションがある。

雑誌にもアメリカ文化が入ってくる。

しかし、現在のようにインターネットで現地の日常をほぼ同時に見ることはできなかった。

だからアメリカは、情報として知っていても、まだ想像する余地の大きい国だった。

片岡義男の小説は、その想像の中に道路を一本通したようなところがあった。

太宰治とはまったく違う世界

高校生だった私が読んでいた作家を、現在の目で比較すると興味深い。

太宰治の場合、人間の内側へ向かう。

弱さ。

自己嫌悪。

孤独。

他人との距離。

自分をどう見せるか。

そうした内面的な問題が読者を引き込む。

片岡義男の場合には、むしろ外側へ向かう感じがある。

道路がある。

オートバイがある。

音楽がある。

海がある。

街がある。

そこへ出ていく。

もちろん、これは単純な二分法ではない。

太宰にも外の世界はあり、片岡義男にも人物の内面はある。

しかし、高校生だった私に届いた印象としては、かなり違った。

太宰を読むと、自分の内側を見る。

片岡義男を読むと、自分のいる場所の外を見たくなる。

同じ文学でも、読者を動かす方向が違う。

その両方が同じ時期に読めたことは、今考えると面白い。

三島由紀夫とも違う

三島由紀夫については、文章そのものの美しさや緊張感が印象に残る。

美。

身体。

死。

思想。

高校生の私には理解しきれないものが多かった。

それでも、文章には力があることを感じた。

片岡義男の文章から感じたものは、それとはまた違った。

もっと軽い。

ここで言う「軽い」は、価値が低いという意味ではない。

むしろ、重々しく意味を説明しすぎないということである。

人物がいる。

物がある。

会話がある。

移動がある。

場面が進む。

そこから読者が空気を感じ取る。

若いころには、この軽さそのものが新鮮だった。

文学というと、難しいもの、深刻なもの、高尚なものを想像しやすい。

しかし、片岡義男を読むと、日常の道具や若者文化も小説になる。

オートバイが出てきてもいい。

自動車が出てきてもいい。

ポピュラー音楽があってもいい。

男女の日常的な関係を書いてもいい。

文学と生活の間に、それほど高い壁を置かなくてもいいことを示す作家だったのではないかと思う。

「軽さ」を「浅さ」と取り違えない

片岡義男について考える際、注意したいことがある。

それは、作品にオートバイや海や音楽や男女の関係が出てくるからといって、それを単純な「若者向けのおしゃれな小説」とだけ見ることだ。

時代の流行を取り入れた作品は、後から見ると軽く評価されやすい。

しかし、流行していたものを書くことと、浅いことは同じではない。

むしろ、その時代に人々が何を欲し、どのような生活に憧れ、何を格好いいと思っていたかを記録することになる。

昭和の若者文化を考えるとき、文学史の代表作だけ読んでいても見えない部分がある。

その時代の人が実際に書店で買っていた本。

電車の中で読んでいた本。

友人同士で話題にした作家。

映画になった作品。

音楽と一緒に記憶されている物語。

そうしたものもまた文化である。

片岡義男は、まさにその場所にいた作家の一人だった。

『スローなブギにしてくれ』という時代

片岡義男を代表する作品の一つが『スローなブギにしてくれ』である。

片岡は同作で1975年に第2回野性時代新人文学賞を受賞した。後に1981年には映画化もされ、片岡作品が文学だけでなく当時の映画文化とも結びついていった。

ここで重要なのは、作品の細かな内容を紹介することではない。

私自身の読書体験として確定していない場面を、読んだ記憶として作るべきではないからだ。

むしろ考えたいのは、「スローなブギ」という言葉が成立した時代の空気である。

ブギという音楽用語。

英語を含んだ題名。

軽さ。

速度感。

それでいて「スロー」という逆方向の言葉。

タイトル自体に、当時の若い文化の感触がある。

昭和の日本文学の題名として考えると、太宰や三島の作品名とは明らかに違った空気をまとっている。

そこには、日本文学でありながら、すでにアメリカ文化が自然に混ざっていた。

『彼のオートバイ、彼女の島』

もう一つ象徴的なのが『彼のオートバイ、彼女の島』である。

同作は1977年に単行本として刊行され、1980年に角川文庫に収録された初期のオートバイ小説で、1986年には大林宣彦監督によって映画化された。

このタイトルも実に片岡義男らしい。

「彼」。

「彼女」。

「オートバイ」。

「島」。

大きな思想を示す言葉は一つもない。

しかし、この四つを並べるだけで、何かが始まりそうな気配がある。

若い男女。

移動する機械。

日常から離れた場所。

タイトルだけでも、閉じた部屋より外へ向かう感覚がある。

高校生のころというのは、不思議なものである。

実際には自由に使えるお金も少ない。

車もない。

場合によってはオートバイもない。

遠くへ自由に旅行できるわけでもない。

だからこそ、本の中にある移動は大きな意味を持つ。

自分は動けなくても、物語の人物は走っていく。

小説とは、その意味でも移動するための道具だった。

昭和のアメリカは、少し遠かった

いまアメリカ文化に触れることは難しくない。

動画を見る。

音楽を聴く。

地図を見る。

街を歩く映像を見る。

現地のニュースを見る。

一般の人の日常生活まで知ることができる。

翻訳も簡単になった。

しかし、昭和の時代は違った。

外国について知るためには、本や雑誌、新聞、映画、音楽、ラジオなどが大きな役割を持っていた。

私自身、中学生のころにはBCL(Broadcast Listening・海外放送や遠距離放送の受信を楽しむ趣味)で短波放送を聞いていた。

短波ラジオから入ってくる外国の声は、インターネット以前の世界への窓だった。

片岡義男の小説も、別の方法で世界への窓になった。

ラジオが外国から実際に飛んでくる電波を受信するものだったとすれば、小説は外国文化を一度作家の感覚の中に通し、物語として読者へ渡すものだった。

同じ「アメリカ」でも、そこには違う距離感があった。

アメリカそのものではなく、「片岡義男のアメリカ」

ここは重要な点だと思う。

片岡義男の小説を読んで感じるアメリカを、現実のアメリカそのものだと考える必要はない。

作品の中のアメリカ文化は、作家が選び取ったアメリカである。

音楽。

自動車。

オートバイ。

道路。

ハワイ。

服装。

言葉。

生活の形式。

つまり、片岡義男という作家の感覚を通過したアメリカだった。

これは文学として当然のことである。

小説は旅行案内でも社会調査でもない。

作家が世界のどこを見るかによって、同じ国でもまったく違った姿になる。

だから片岡義男を読んで「アメリカを知った」というより、

「アメリカ文化を素材として、日本語の小説がこんな世界を作ることができるのか」

と知った、と考えた方が正確なのかもしれない。

男女の関係にも違う空気があった

片岡義男の小説を語る際、車やオートバイだけに注目すると、もう一つ重要な要素を落としてしまう。

男女の関係である。

もちろん、作品ごとに設定は違う。

一括して語ることはできない。

ただ、私が高校生のころに触れていた従来の文学作品と比べると、片岡作品には男女の距離にも別の空気があったように思う。

過剰に運命的ではない。

大げさな悲恋だけでもない。

男と女が出会い、話し、離れ、また動いていく。

そこに車やオートバイや音楽や場所が入り込む。

人間関係だけを世界の中心にせず、生活のさまざまなものと並列に置く。

その描き方もまた、当時「アメリカ的」と感じられた理由の一つだったのかもしれない。

ただ、いま読み返せば、男女観については昭和という時代の価値観が見える部分もあるだろう。

文学作品は、その時代から完全に自由ではない。

だから昔の作品を現在読む意味は、懐かしさだけではない。

どこまでが普遍的で、どこからが時代特有なのかを見ることにもある。

文庫本の棚にあったアメリカ

片岡義男と角川文庫との関係も、私のような世代の読書体験を考えるうえでは重要である。

公式サイトによれば、1970年代半ばから1980年代後半に書かれたオートバイを扱う多くの作品が、角川書店から文庫として刊行された。

高校生にとって、文庫本という形は大きかった。

単行本より小さい。

持ち歩ける。

比較的手に取りやすい。

そして書店の棚に何冊も並んでいる。

文学作品との出会いは、必ずしも学校の推薦図書から始まるわけではない。

隣に並んでいたから手に取る。

表紙や題名が気になる。

一冊読んだので次の一冊へ行く。

そうした偶然がある。

検索してから本を買う現代とは、少し違う。

先に答えがあるのではなく、棚の前で出会う。

片岡義男の小説が運んできたアメリカも、私にとっては、その文庫本の棚から始まったのだと思う。

「憧れ」という言葉だけでは足りない

昭和のアメリカ文化を語るとき、「アメリカへの憧れ」という言葉でまとめられることが多い。

確かに、その側面はあっただろう。

しかし、それだけでは少し単純すぎる。

憧れには、現実を知らないことによる想像も含まれる。

また、アメリカ文化を取り入れながら、日本人の側で独自に変形していくこともある。

音楽もそうだった。

ファッションもそうだった。

自動車文化もそうだった。

文学も同じである。

片岡義男の小説は、アメリカ文学をそのまま日本語に移したものではない。

日本人の人物が日本語の小説の中で動き、その背景にアメリカ文化の断片がある。

つまり、昭和の日本がアメリカをどのように受け止めたのか、その一つの形を見ることができる。

そこが面白い。

現在から読むと、何が変わるのか

高校生だったころ、私はそこまで分析して片岡義男を読んでいたわけではない。

ただ読んでいた。

そして、そこに他の作家とは違う雰囲気を感じていた。

現在なら、もう少し距離を取って考えることができる。

なぜオートバイだったのか。

なぜ道路だったのか。

なぜアメリカ文化が魅力を持ったのか。

なぜその作品を高校生が読んだのか。

そして、その「格好よさ」は時代が変わっても残るのか。

おそらく、残る部分と残らない部分の両方がある。

車種や服装や音楽は変わる。

社会における男女の関係も変化する。

アメリカへの距離感も変わった。

しかし、

「ここではない場所へ行きたい」

という気持ちは、それほど変わっていないのではないか。

若いときほど、その感覚は強い。

片岡義男の小説には、それを道路やオートバイという具体的な形にする力があった。

「昭和のアメリカ」を読んでいた

いま振り返ると、私は高校生のころ、片岡義男の小説を通してアメリカそのものを読んでいたわけではなかったのだと思う。

読んでいたのは、

昭和の日本人が想像したアメリカ

だった。

そして、さらに言えば、

片岡義男という作家が日本語で作り出したアメリカ

だった。

そこには道路があり、オートバイがあり、海があり、音楽があり、若い男女がいた。

それは現実そのものではない。

しかし、文学が作る世界として確かに存在した。

太宰治が人間の弱さを通して私を内側へ向かわせたとすれば、片岡義男は外の世界へ視線を向けさせた。

三島由紀夫が文章というものの強さを感じさせたとすれば、片岡義男は生活そのものも文学の材料になることを見せた。

文学は一種類ではない。

人間の深い苦悩を書くこともできる。

美や死について書くこともできる。

そして、オートバイで道路を走る若者を書くこともできる。

高校時代の本棚の中では、それらが同時に存在していた。

それが私の実際の読書だった。

本の中から聞こえていたエンジンの音

現在では、昭和のアメリカ文化を知ろうと思えば、資料はいくらでも探すことができる。

当時の映像も見られる。

音楽もすぐに聴ける。

古い自動車やオートバイの情報も検索できる。

片岡義男の著作についても、公式サイト「片岡義男.com」で全著作の電子化が進められている。紙の本が書店から姿を消しても、作品そのものは新しい媒体へ移されている。

媒体は変わった。

しかし、読書の記憶は検索結果とは少し違う場所に残っている。

高校生だった私が文庫本を手に取ったころ、ページの向こうには、自分の日常とは違う世界があった。

道路が伸びている。

その先に海がある。

エンジンがかかる。

音楽が聞こえる。

そして誰かが、ここではない場所へ走っていく。

もちろん、それは現実のアメリカではなかった。

けれども、昭和という時代の日本に暮らしていた若い読者にとって、それは確かに「外の世界」の一つだった。

本は、ときに場所を運んでくる。

そして片岡義男の小説が私たちの前に運んできたものの一つが、あの時代の「アメリカ」だったのだと思う。


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太宰治はなぜ高校生の心に入り込むのか

~高校時代に読んだ太宰治を、六十代になった今から考える~

高校生のころ、私は本格的に文学を読むようになった。

小学生のころは、学校から与えられた課題図書を読む程度だった。中学生になると、朝日新聞の「天声人語」を読むようになり、文章を通して社会や時代について考える機会が増えた。そして高校生になると、書店の文庫本の棚から本を選び、太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介、川端康成といった作家を読むようになった。

そのなかに太宰治がいた。

いま振り返ってみると、太宰という作家には、高校生という年代の読者を引き寄せる何かがある。

それは、単に文章が読みやすいからでも、暗い物語だからでもない。

高校生という、自分が何者なのかまだ確定していない時期に抱きやすい感情と、太宰の文章が描いている人間の不安定さが、どこかで重なるからではないだろうか。

太宰治は1909年に青森県に生まれ、本名を津島修治という。戦後には『斜陽』や『人間失格』などを発表し、1948年に39歳を目前にして亡くなった。国立国会図書館は、太宰を戦後に『斜陽』『人間失格』などを書き、「無頼派」などと呼ばれた作家として紹介している。

しかし、太宰を読むという経験を、その波乱に満ちた私生活だけから説明してしまうのは、少し違うように思う。

高校生だった私が向き合っていたのは、作家の伝記ではなく、まず文章だったからである。

高校生は、大人でも子どもでもない

高校生という時期は、不思議な年代である。

子どもとして扱われることに抵抗を覚える一方で、大人として社会の中に自分の位置を持っているわけでもない。

将来について問われる。

進学するのか。

何を学ぶのか。

どんな仕事をするのか。

自分には何ができるのか。

しかし、その問いに答えられるほど、自分自身のことを理解しているわけではない。

友人との関係も変化する。

人からどう見られているのかが気になる。

自分だけが周囲とうまくかみ合っていないように感じることもある。

他人から見れば些細な出来事であっても、本人にとっては大きな問題になる。

おそらく、こうした時期に太宰の文章を読むと、大人になってから読む場合とは違った形で言葉が入ってくる。

太宰の作品には、堂々と世界を説明する人間よりも、世界とうまく折り合えない人間がしばしば現れる。

自分を肯定できない。

他人とうまく付き合えない。

人からどう見られているかを過剰に意識する。

自分の弱さを自覚しながら、その弱さから簡単には抜け出せない。

このような人間像は、完成された大人の姿とはかなり遠い。

だからこそ、まだ自分自身が完成していない高校生には、妙に近く感じられるのかもしれない。

「弱い人間」が文学の主人公になる

高校生になるまでに接する物語では、努力する人、勇気のある人、困難を克服する人が肯定的に描かれることが多い。

もちろん、それ自体に問題があるわけではない。

しかし実際の人間は、それほど単純ではない。

努力できないこともある。

逃げることもある。

嫉妬する。

見栄を張る。

人に好かれたいと思いながら、人との付き合いに疲れる。

自分のことを理解してほしいと思いながら、本当の自分を見られるのは怖い。

太宰の文学には、そうした人間の矛盾がある。

ここに、高校生だった私たちの世代を含め、若い読者が引き寄せられる理由の一つがあるのではないかと思う。

文学のなかでは、立派ではない人間も主人公になれる。

自信のない人間にも言葉が与えられる。

迷っている人間にも物語がある。

これは、十代の読者にとって意外に大きな発見である。

文学は、優れた人間だけを書くものではない。

むしろ人に見せたくない感情まで文章にすることができる。

太宰を読むことによって、そんな文学の一面を知ることになる。

自己嫌悪をここまで文章にしてよいのか

太宰の作品を考えるとき、「自己嫌悪」という言葉は避けて通れない。

ただし、太宰の文学を「自分を嫌っている人の文学」とだけ整理してしまえば、あまりにも単純である。

重要なのは、自己嫌悪そのものよりも、それを文章として外へ出していることである。

普通なら隠したくなる感情を、文学として読者の前に置く。

格好の悪さ。

弱さ。

臆病さ。

虚栄心。

他人への依存。

そして、自分自身に対する疑い。

こうした感情は、多かれ少なかれ誰の中にもある。

高校生であれば、なおさら自分と他人を比較する機会が多い。

勉強のできる人。

運動のできる人。

友人の多い人。

異性に好かれる人。

将来の目標がはっきりしている人。

そうした周囲と比較しながら、自分は何者なのだろうと考える。

そのとき太宰の文章には、

「人間は、それほど立派なものではない」

という感覚が流れているように見える。

それは励ましではない。

人生の解決策でもない。

けれども、自分だけが不完全なのではないという感覚を、文学によって知ることはできる。

「道化」という感覚

太宰文学を考えるうえで、もう一つ重要なのが、人前で演じる自分と、本当の自分との距離である。

代表作『人間失格』は1948年に雑誌『展望』で連載され、同年に筑摩書房から刊行された。作品では主人公・大庭葉蔵の手記という形式が用いられている。

この作品について詳しい内容をここで追うつもりはないが、太宰文学に表れる「人前で自分を演じる」という感覚は、高校生にも理解しやすいものだと思う。

学校では、誰もがある程度の役割を持っている。

明るい生徒。

真面目な生徒。

面白い生徒。

優秀な生徒。

おとなしい生徒。

教師から見た自分と、友人から見た自分も違う。

家庭にいる自分とも違う。

そして本人自身が考えている「自分」とも違う。

人間は、社会のなかで多少なりとも役割を演じて生きている。

大人になれば、それを社会性として受け入れることもできる。

しかし高校生くらいの年代では、

「周囲に見せている自分は、本当の自分なのだろうか」

という疑問が生まれやすい。

太宰の文学が若い読者に響く理由の一つは、この「外側の自分」と「内側の自分」のずれを、非常に鋭く文章にしているところにあるのではないか。

太宰の文章には、読者との距離が近いところがある

文学作品には、読者が少し離れた場所から眺めるように読む作品もある。

風景や人物を客観的に描き、世界そのものを構築していく小説である。

それに対して太宰の文章には、ときに読者のすぐ近くから語りかけてくるような感覚がある。

大きな思想を正面から掲げるというより、

「実は私はこうなのだ」

「こんなことを考えてしまう」

という、人間の内側から始まる。

そのため読者は、作品を外から観察するだけでは済まなくなる。

自分にも似たところがあるのではないか、と考えてしまう。

私は高校生のころ、太宰だけを特別な作家として読んでいたわけではなかった。

三島由紀夫も読んだ。

芥川龍之介も読んだ。

川端康成も読んだ。

また、片岡義男や三田誠広のような、当時の空気を感じさせる作家も同じ本棚の中にあった。

古典的な文学と同時代の文学を、いまのように明確に分類して読んでいたわけではない。

書店の棚に文庫本が並んでいて、そこから一冊を取る。

その一冊が次の一冊へつながっていった。

そのなかで太宰には、他の作家とは少し異なる、人間の弱い部分への近さがあったように思う。

三島由紀夫とは違う入り口

高校時代に読んだ作家のなかで、三島由紀夫と太宰治を並べて考えると、その違いは興味深い。

三島の文章には、文章そのものの完成度や美しさを意識させられるところがある。

美、身体、思想、死。

高校生だった私には理解しきれない部分も多かった。

それでも文章の力は感じた。

一方、太宰の場合は、まず人間の側から入ってくる。

弱さ。

恥。

孤独。

自己嫌悪。

他人との距離。

三島を読んで、

「こんな文章があるのか」

と思うとすれば、太宰を読んだときには、

「人間はこんなことまで書いてよいのか」

と感じる。

少なくとも現在の私には、その違いが見える。

高校時代には、そこまで整理して読んでいたわけではなかった。

ただ本を読み、何かを感じ、次の本へ進んでいた。

文学とは本来、そのようにして身体の中に入ってくるものなのかもしれない。

高校生だった私は、太宰をどこまで理解していたのか

六十代になった現在から高校時代の読書を振り返ると、一つ注意しなければならないことがある。

それは、当時読んだ本を、現在の知識によって「理解していたこと」にしてしまわないことである。

高校生だった私は、太宰が生きた昭和前期の社会を十分に理解していたわけではない。

戦前と戦後の価値観の変化。

地主階級をめぐる社会背景。

当時の文学状況。

太宰自身の複雑な人生。

そうした背景を体系的に勉強してから読んだわけではなかった。

読めたところまで読んだ。

感じられたところまで感じた。

おそらく、それが実際の読書だった。

しかし、だから価値がなかったわけではない。

むしろ文学との最初の出会いは、それでよいのではないかと思う。

すべてを理解してから文学を読むことなど、そもそもできない。

分からないところを残しながら読む。

何十年か経ってから、以前とは別の意味が見えてくる。

それも読書なのである。

太宰の人生と作品を同一視しない

太宰治について語ると、どうしてもその生涯が話題になる。

複雑な人間関係。

心中未遂。

酒や薬物をめぐる問題。

そして1948年の死。

確かに、太宰の人生と作品は無関係ではない。

国立国会図書館や山梨県立文学館の略歴を見ても、その人生が作品形成と深く関係していたことは分かる。

しかし、作者の人生を知れば作品がすべて説明できるわけではない。

さらに危険なのは、

「太宰は苦悩した人生を送ったから、作品も優れている」

というように短絡させることである。

苦しんだから文学者になれるわけではない。

破滅的に生きることに文学的価値があるわけでもない。

太宰の作品が残った理由は、その人生の激しさだけではなく、それを言葉に変える文学的な技術があったからだろう。

高校生が太宰を読むときにも、この二つは分けて考えた方がよい。

太宰の生き方をまねる必要はない。

しかし、太宰が書いた人間の弱さについて考えることはできる。

作品を読むとは、作者の人生を肯定することではないのである。

なぜ今も若い読者に読まれるのか

太宰治の『人間失格』や『走れメロス』などは、現在も電子化され、青空文庫などを通じても読むことができる。青空文庫の過去のアクセスランキングでも、『人間失格』『走れメロス』『斜陽』など複数の太宰作品が上位に入っており、デジタル環境になっても継続して読まれていることがうかがえる。

太宰が生きていた昭和と、現在の高校生が生きる令和では、社会環境は大きく違う。

私が高校生だったころには、もちろんスマートフォンもインターネットもなかった。

本を探す場所は、まず書店や図書館だった。

現在は作品名を検索すれば、解説も感想も作者の経歴もすぐに出てくる。

しかし、人間そのものがそれほど簡単に変わったとは思えない。

人からどう見られているのか。

自分は何者なのか。

人間関係の中で、どこまで自分を出してよいのか。

他人に合わせている自分と、本当の自分とのどちらが自分なのか。

こうした問いは、昭和の高校生にも、令和の高校生にも存在する。

むしろ現在は、SNS(Social Networking Service・インターネット上で人と交流し情報を発信するサービス)によって、他人から見える自分を常に意識しやすくなった。

プロフィール。

写真。

短い文章。

「いいね」の数。

他人の生活。

他人の評価。

そうしたものに囲まれた現代では、「他人に見せている自分」と「自分自身が感じている自分」との距離は、むしろ意識されやすくなっているのかもしれない。

そう考えると、太宰文学が古くならない理由も少し分かる。

時代は変わっても、人間が他人の目を意識することは変わらない。

太宰を読むことは、自分の弱さを肯定することではない

太宰を若いころに読むことには、一つ注意すべき点もあると思う。

弱さを描いた文学を読むことと、弱さそのものを美化することは違う。

孤独を描いた作品を読むことと、孤独であることを価値ある生き方として選ぶことも違う。

自己嫌悪を文章として読むことと、自分を否定し続けることも違う。

文学は人生の処方箋ではない。

太宰を読めば悩みが解決するわけでもない。

むしろ文学は、

「人間には、こういう感情もある」

と示してくれるものではないだろうか。

そして、それに名前を与えてくれる。

漠然と感じていた不安。

自分でも説明できなかった違和感。

人には言えなかった恥ずかしさ。

文学の中でそれに似た感情を見つけると、

「これは言葉にできるものなのだ」

と分かる。

文学が人生の答えを与えるのではなく、問いに言葉を与える。

私が現在、文学について考えるときに重要だと思うのは、その点である。

六十代になった今、太宰を考える

高校生だったころと現在とでは、私自身が生きてきた時間がまったく違う。

仕事をし、社会の仕組みを知り、科学や医学、経済、政治、技術など多くの分野の本も読むようになった。

文学だけを読んできたわけではない。

むしろ成人後の読書は、分野を限定せず広がっていった。

それでも高校時代に文学を読んだ経験は残っている。

その意味を現在から考えると、文学は「正しい人間像」を教えるものではなかったのだと思う。

太宰治の文学もそうである。

人間は弱い。

しかし、強い部分もある。

善良なこともあれば、ずるいこともある。

人を求めながら、人から離れたいと思う。

自分を理解してほしいと思いながら、自分を知られることを恐れる。

人間は矛盾している。

十代のころは、その矛盾を自分自身の問題として感じる。

年齢を重ねると、それが自分だけではなく、人間そのものの問題だったのだと少しずつ分かってくる。

太宰治の文学が高校生の心に入り込む理由は、そこにあるのかもしれない。

高校生に人生の答えを教えるからではない。

むしろ逆である。

自分でもまだ説明できない問いがあることを、そのまま文章にして見せる。

だから若い読者は、その中に自分の一部を見つける。

そして何十年も経ってから読み返せば、今度は高校生だった自分の姿まで、その文章の向こう側に見えてくる。

本を読むということは、作品を読むだけではない。

かつてその本を読んだ、自分自身を読み返すことでもあるのだと思う。


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本を読む人間として始まったわけではなかった

振り返ってみると、私は幼い頃から本ばかり読んでいた子どもではない。

小学生の頃に読んだ本といえば、学校から指定された課題図書が中心だった。夏休みになると、感想文を書くために本を読む。自分から書店へ行き、棚の中から一冊を探し出して読むというより、まず読むべき本が先に決められていた。

課題図書には、子どもが自分では選ばない本に触れられるという意味がある。しかし、当時の私にとって、読書はまだ自発的な楽しみというより、学校生活の一部だった。

本を読めば、読書感想文を書かなければならない。

何を感じたのか、どこが印象に残ったのかを、原稿用紙の升目に合わせて書く。実際に深い感動があったかどうかより、感想として成立する文章を作ることの方が先にあったようにも思う。

私は、最初から読書家だったわけではない。

後年の自分から過去を振り返り、幼い頃から文学に親しんでいたように話を整えることもできる。しかし、それは正確ではない。

私の読書は、課題として与えられた本を読むところから始まった。

文学は、まだ遠くにあった。

中学生の私が読んだ『天声人語』

中学生になると、新聞の『天声人語』を読むようになった。

『天声人語』は、朝日新聞の朝刊に掲載されてきたコラムで、その起源は1904年にさかのぼる。掲載が中断された時期や名称の変遷はあるものの、長く日本の新聞コラムを代表する存在の一つとして読まれてきた。

中学生の私は、その長い歴史を意識して読んでいたわけではない。

一回の文章は長すぎず、時事問題、社会、歴史、文化、季節の話題などが、限られた文字数の中でまとめられていた。学校の教科書とは違い、その時に社会で起きていることが文章の題材になっていた。

一つの出来事から別の話題へ移り、最後には最初の話へ戻ってくる。短い文章の中に引用や比喩が置かれ、時事的な事実と書き手の見方が組み合わされる。

その論調にいつも賛成していたわけではない。

当時は、賛成や反対を明確に判断できるほど、政治や社会を理解してもいなかった。それでも、出来事をただ知らせる新聞記事とは異なり、出来事をどう読み、どのような言葉で捉えるかという文章の働きを知った。

小学生の頃、文章は課題図書の感想を書くためのものだった。

中学生になると、文章は社会について考えるためのものになった。

文学を読む前に、私は新聞の短いコラムを通じて、文章の形に触れていたのである。

後になってブログで政治、経済、地域社会、文化について書くようになったことを考えると、この時期の経験は小さくなかったのかもしれない。

一つの出来事だけを孤立させず、その背景や別の問題とのつながりを考える。短い話題から、より大きな社会を見ようとする。

その方法を、十分に自覚しないまま『天声人語』から学んでいたように思う。

高校生になって、ようやく文学へ入った

私が本格的に文学を読むようになったのは、高校生になってからである。

太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介、川端康成。

日本文学の名著と呼ばれる作品を、少しずつ読むようになった。

学校の授業や文学史の中では、彼らはすでに評価の定まった作家だった。しかし、高校生の私は文学史上の位置づけを確認するためだけに読んでいたのではない。

むしろ、なぜこれほど多くの人が読み続けているのかを知りたかった。

太宰治の作品には、人間の弱さや自己嫌悪、他人からどう見られるかという不安が、隠されずに書かれていた。

三島由紀夫の文章には、美しさと緊張感があり、その思想や人生を十分に理解できなくても、言葉そのものに強い力を感じた。

芥川龍之介の作品は比較的短いものが多かったが、その短さの中に、人間の利己心、矛盾、不安、残酷さが凝縮されていた。

川端康成の作品では、説明し尽くされない感情や、情景の背後に残る沈黙が印象に残った。

もちろん、高校生の私が、これらの作品を深く理解していたとは思わない。

年齢を重ねてから読み返せば、当時は見えていなかったものが多くあるはずだ。

しかし、文学はすべてを理解してから読むものではない。

よく分からない部分があっても、言葉や場面だけが記憶に残ることがある。作品全体の意味はつかめなくても、そこに自分の日常とは違う世界が存在することは感じられる。

高校生の私にとって文学は、知識として理解する対象というより、まだ自分では言葉にできない感情に触れる場所だった。

新潮文庫と角川文庫の棚

当時の読書を思い出すと、個々の作家だけでなく、新潮文庫や角川文庫の存在を抜きにすることはできない。

新潮文庫の歴史は古く、最初の創刊は1914年で、ドイツのレクラム文庫にならい、海外の名著を一般読者へ普及させる意図を持って始められた。戦後には昭和文学を中心とする文庫として再出発している。

角川文庫は1949年に創刊され、第1回配本にはドストエフスキーの『罪と罰』が含まれていた。1950年には現在につながる小型の判型へ改められ、戦後の文庫本普及に大きな役割を果たした。

しかし、高校生だった私が、そのような出版史を考えて文庫本を選んでいたわけではない。

書店の棚に並んでいる本を見て、題名、作家名、表紙、裏表紙の紹介文などを手掛かりに選んだ。

文庫本は単行本よりも小さく、比較的購入しやすかった。

一冊を鞄に入れて持ち歩くことができる。読んだ本を本棚に並べれば、自分がどのような本を読んできたのかが背表紙によって見える。

現在では、検索すれば作品のあらすじも評価もすぐに分かる。読者の感想を読み、内容を比較してから購入できる。

当時は、店頭で偶然目に入った本を手に取ることが多かった。

よく知らない作品を買い、読み始めてから、自分に合うかどうかを知る。

外れることもあった。

最後まで読めない本もあった。

それでも、書店の棚には、自分がまだ知らない考え方や人生が無数に並んでいるように見えた。

名著と同時代の文学を一緒に読む

高校生の頃に読んだのは、近代日本文学の名著だけではなかった。

当時読まれていた片岡義男や三田誠広の作品も手に取った。

文学の読書歴を語るとき、後世に評価された名作だけを並べると、実際の読書生活とは違うものになる。

現実の読書は、文学史の順番には進まない。

太宰治を読んだ次に、片岡義男を読む。

芥川龍之介の短編を読んだ後で、当時書店に並んでいた現代小説を読む。

古典的な作品と流行している作品が、同じ読者の中で混ざり合う。

片岡義男の小説には、車やオートバイ、音楽、男女の関係、都市的な生活など、当時の若者にとって新しく見える世界があった。

日本を舞台にしながら、どこかアメリカ文化の影響を感じさせる軽さや映像的な感覚があった。

太宰や三島とは違う。

しかし、違うからこそ読んだ。

文学には重い人生論や苦悩だけでなく、時代の空気、生活様式、会話、服装、乗り物、音楽なども含まれる。

三田誠広は、1977年に『僕って何』で第77回芥川賞を受賞している。自己とは何かという問いを題名そのものに掲げた作品が、当時の若い世代の感覚と重なる時代だった。

私は、後世に残る作品だけを選別して読んでいたのではない。

その時代に生きながら、その時代に売られ、その時代に話題になっている本を読んでいた。

それは、昭和という時代を、文学を通じて同時進行で読むことでもあった。

フランス文学とロシア文学で立ち止まる

日本文学を読むようになると、次第に海外文学にも関心が向いた。

フランス文学やロシア文学にも挑戦した。

しかし、ここで私の読書が順調に広がったわけではない。

途中で挫折した作品も少なくなかった。

海外の名作は、題名も作家名もよく知られている。文学を読むのであれば、一度は通らなければならないようにも感じられた。

ところが、実際にページを開いてみると、簡単には入っていけない。

国の歴史、社会階級、宗教、政治、家族制度、恋愛観など、日本の高校生にはなじみの薄い背景がある。

登場人物の名前を覚えるだけでも苦労することがある。特にロシア文学では、一人の人物が複数の呼び名で呼ばれることがあり、物語の関係を追うだけでも集中力を要した。

長編作品では、物語がすぐに動くとは限らない。

人物の思想や社会状況について長い記述が続く。読んでいる間は理解したつもりでも、少し間を置くと誰が誰だったのか分からなくなる。

文学史上の名作であることと、当時の自分が読み通せることは別問題だった。

フランス文学にも同じ難しさがあった。

洗練された恋愛や心理を描いた作品であっても、その背後には階級社会や当時の道徳、宗教、結婚制度がある。

言葉だけを追っても、人物がなぜそのように行動するのかを十分に理解できない。

私は、名作だから読めるのではなく、読む側にも経験や背景知識が必要なのだと知った。

最後まで読めなかった本は、読書歴の失敗として忘れられがちである。

しかし、挫折したこともまた読書の一部である。

本には、読むのに適した時期がある。

高校生の自分には難しかった本が、成人してから読むと理解できることもある。反対に、若い時に強く響いた作品が、後年にはそれほど響かないこともある。

読書は、作品だけで決まるものではない。

読む人間の年齢、経験、知識、生活状況によって変わる。

高校生には難しかったスタンダール『恋愛論』

フランス文学の中でも、特に記憶に残っているのが、スタンダールの『恋愛論』である。

スタンダールは『赤と黒』『パルムの僧院』などで知られるフランスの作家である。『恋愛論』は1822年に刊行され、恋愛を心理、社会、文化、階級など複数の面から考察した作品である。恋愛によって相手を理想化していく精神の働きを「結晶作用」と表現したことでも知られている。

私は、この本を高校生の頃に読もうとした。

題名だけを見れば、恋愛について説明した本である。

高校生にも身近な題材のように思える。

しかし、実際には簡単な恋愛指南書ではなかった。

人はなぜ恋をするのか、恋する相手をどのように理想化するのか、恋愛と虚栄、社会、身分、習慣がどのように結びついているのか。

その分析は抽象的で、歴史的・社会的背景も含んでいた。

当時の私には難しかった。

文章を追っても、スタンダールが何を分類し、何を証明しようとしているのか、十分には理解できなかった。

恋愛という題材を扱っているのだから、感情的に分かりやすい本だろうと思っていた。しかし、そこで論じられていたのは、単純な恋の喜びや悲しみではない。

恋愛を観察し、分類し、心理の働きとして分析する文章だった。

高校生の私は、恋愛についての経験も、当時のヨーロッパ社会についての知識も乏しかった。

恋愛における理想化や虚栄といわれても、それを自分の経験と結びつけることができない。

名著とされる本を手に取ったものの、読み進めるほど、自分の理解が追いついていないことを感じた。

私は途中で挫折した。

しかし、『恋愛論』を読み通せなかったことは、不思議に記憶に残っている。

容易に読めた本よりも、歯が立たなかった本の方が、後になって思い出されることがある。

それは、自分の外側に、まだ理解できない広い世界があることを知らせるからだろう。

高校生の私には、『恋愛論』は早すぎた。

けれども、早すぎる本に出会ったこと自体には意味があった。

本は、いつでも読者に合わせて分かりやすく書かれているわけではない。

理解できない文章に出会い、自分の知識や経験の不足を知ることも読書なのである。

雑誌によって社会へ出ていく

小説や文庫本とともに、『朝日ジャーナル』『文藝春秋』『サンデー毎日』などの雑誌も読んだ。

これらは性格の異なる媒体だった。

『朝日ジャーナル』は1959年に創刊され、1992年まで発行された週刊誌で、報道、解説、評論を掲げ、戦後日本の政治、社会、思想を論じる媒体の一つだった。

『文藝春秋』は菊池寛が1923年に創刊した月刊総合誌で、文学だけでなく政治、社会、人物論、座談会などを広く扱ってきた。創刊号には芥川龍之介や川端康成らも寄稿している。

『サンデー毎日』は1922年4月2日に創刊され、『週刊朝日』と並ぶ日本の初期の週刊誌の一つである。

私は、それぞれの雑誌を体系的に比較研究していたわけではない。

小説とは異なる文章を読みたかった。

政治、社会、文化、事件、教育、人間について、新聞記事よりも長く、書籍よりも早く論じる文章が雑誌にはあった。

雑誌には、その時代の熱があった。

後から歴史書を読めば、出来事の原因と結果が整理されている。しかし、その時代に発行された雑誌では、まだ結論が出ていない問題が扱われている。

何が正しいのか分からない。

社会がどこへ向かうのかも分からない。

書き手の主張には偏りもある。

しかし、未確定な時代の中で、人々が何を問題だと考えていたのかが見える。

文学が人間の内面を読むものだとすれば、雑誌は、その人間が生きている社会を読むものだった。

私は、小説から社会へ、社会からまた小説へと行き来するようになった。

学生時代には理系雑誌へ

学生時代になると、読むものは理系雑誌へ広がった。

文学から理系へ転向したというより、関心の対象が増えたといった方が正確だろう。

文学は、人間の感情や行動を言葉によって描く。

理系雑誌は、自然、技術、医学、数学、機械などの仕組みを説明する。

一見すると、この二つは遠く離れている。

しかし、私にとっては、どちらも知らない世界を文章によって理解しようとする行為だった。

文学作品を読むときには、登場人物がなぜそのように考え、行動したのかを追う。

科学や技術の記事を読むときには、現象がなぜ起こり、どのような仕組みで成り立っているのかを追う。

対象は違っても、「なぜ」を考えることは共通している。

学生時代の読書では、楽しみだけでなく、学習や専門知識の獲得という性格が強くなった。

分からない用語を調べる。

図や数式を読み直す。

一度では理解できない説明を、前のページへ戻って確認する。

フランス文学やロシア文学で感じた「分からなさ」と、理系雑誌で感じる「分からなさ」は性質が違う。

しかし、理解できない文章の前で立ち止まるという経験は同じだった。

文学での挫折も、無駄ではなかったのかもしれない。

成人してから、ジャンルの境界がなくなった

成人してからは、特定のジャンルに限らず、あらゆる分野の本を広く読むようになった。

文学、政治、経済、歴史、科学、医学、宗教、社会問題、資格、技術、実用書。

仕事や生活の中で必要になった本もあれば、純粋な関心から読んだ本もある。

高校生の頃には、文学を読むことに、一種の背伸びがあった。

名著を読まなければならない。

有名作家を理解しなければならない。

難しい本を最後まで読まなければならない。

成人後は、そのような義務感が少し薄れた。

必要な本を読む。

関心を持った本を読む。

難しければ、関連する入門書を先に読む。

途中で読むのをやめることもある。

一冊の本をすべて理解しなくても、必要な部分から何かを得ることができる。

読書に対する考え方が柔軟になった。

一方で、広いジャンルを読むことには問題もある。

一つの作家を長く追い続けることが難しくなる。

次々に別の分野へ関心が移り、知識が断片化する。

文学作品をゆっくり味わうより、必要な情報を探す読み方が増える。

多くの本を読んでも、それぞれの内容が深く残るとは限らない。

広く読むことと深く読むことは、必ずしも両立しない。

それでも、さまざまな分野を横断して読むことで、一つの問題を一つの視点だけで見ない習慣が生まれた。

医療の問題には、医学だけでなく、経済、倫理、家族、制度が関係する。

地域社会の問題には、人口、交通、産業、行政、教育、文化が関係する。

人間の生活は、学問の分類どおりには分かれていない。

文学、科学、社会、実用の本を分けずに読んできたことは、複数の視点を結びつける基礎になったと思う。

昭和の読書は、書店と紙の中にあった

昭和の読書を思い返すと、本に出会う場所は限られていた。

書店、図書館、学校、新聞広告、雑誌の書評、友人や教師の紹介。

自分が知らない本は、存在しないのと同じだった。

現在のように、作家名を検索すれば著作一覧が出てくるわけではない。読者の感想や評価をすぐに読めるわけでもない。

地方では、書店に置かれる本の種類にも限界があった。

取り寄せには時間がかかる。

外国文学の背景を知りたいと思っても、関連資料を簡単に集めることはできない。

その不便さを美化する必要はない。

情報が少ないために、理解できないまま終わった本もあったはずである。

スタンダールの『恋愛論』も、現在なら作品解説、時代背景、「結晶作用」の意味などを調べながら読むことができる。

高校生だった当時は、難しいと感じても、その難しさを解くための手掛かりを簡単には得られなかった。

しかし、情報が少なかったからこそ、一冊の本を長く手元に置くこともあった。

分からなくてもページをめくる。

途中でやめても、本棚に残しておく。

何年か後に、もう一度開く。

本は、すぐに答えを出す道具ではなく、理解できないまま自分のそばに存在するものでもあった。

平成、本を探す方法が変わった

平成になると、読書を取り巻く環境は大きく変化した。

大型書店が増え、書店の品ぞろえは広がった。

やがてインターネットが普及し、書名や作家名を検索して本を探せるようになった。オンライン書店を使えば、近くの書店にない本も購入できる。

昭和には「本が見つからない」ことが問題だった。

平成以降は、「本が多すぎて選べない」ことが問題になった。

書評や読者の感想を読んでから購入できるようになったことは便利だった。

一方で、他人の評価を先に知ることによって、自分だけの印象で作品と出会う機会は減ったかもしれない。

作品のあらすじを詳しく知りすぎれば、読む前から理解したような気持ちになることもある。

情報が増えれば、読書が必ず深くなるわけではない。

選択肢の増加は、一冊の本へ集中する時間を奪うこともある。

平成の読書は、入手の自由を広げると同時に、注意を分散させる時代でもあった。

令和、読む側から書く側へ

令和の現在、文章を読む環境はさらに変わった。

紙の本だけでなく、電子書籍、ウェブ記事、電子資料、個人ブログなど、さまざまな形で文章を読める。

スマートフォン一台で、多くの文章へ接続できる。

そして、読むだけでなく、個人が文章を公開することも容易になった。

私はいま、自分が読んできた本、使ってきた機械、聴いてきたラジオ、暮らしてきた時代について文章を書いている。

小学生の頃、課題図書を読んで感想文を書くことから始まった。

中学生では『天声人語』を読んだ。

高校生では太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介、川端康成を読み、片岡義男や三田誠広を読んだ。

新潮文庫と角川文庫の棚を眺めた。

フランス文学やロシア文学に挑み、途中で挫折した。

スタンダールの『恋愛論』は難しく、最後まで十分には理解できなかった。

『朝日ジャーナル』『文藝春秋』『サンデー毎日』から社会を読んだ。

学生時代には理系雑誌を読み、成人してからは、ジャンルを限定せず幅広い本を読んだ。

そして今度は、自分が文章を書く側にいる。

もちろん、読むことと書くことは同じではない。

多くの本を読んだからといって、優れた文章を書けるとは限らない。

しかし、これまで読んだ文章は、自分の中に残っている。

文章のリズム。

場面の始め方。

一つの事実から考えを広げる方法。

人間を簡単に善悪で決めつけない視点。

理解できないものを、理解できないまま抱えておく姿勢。

それらは、一冊の本から直接教えられたものではない。

長い読書の中で、少しずつ形づくられたものだと思う。

読み通せなかった本も、読書遍歴に含まれる

読書歴を語るとき、人は読み終えた本を並べたくなる。

何を読破したか。

どの作家を理解したか。

どれほど難しい本を読んだか。

しかし、本当の読書遍歴は、もっと不完全なものである。

読み始めたまま、途中でやめた本がある。

内容をほとんど覚えていない本がある。

当時は感動したのに、なぜ感動したのか説明できない本がある。

難しくて理解できなかった本がある。

読み終えたつもりでも、実際にはほとんど分かっていなかった本もある。

フランス文学やロシア文学での挫折も、スタンダールの『恋愛論』を読み通せなかったことも、私の読書遍歴から除く必要はない。

むしろ、そこで初めて、本には自分の理解を超えるものがあると知った。

すべてを理解できると思うことの方が危うい。

文学は、簡単に答えを与えるものではない。

人間の感情や社会は複雑で、一度読んだだけでは理解できない。

年齢を重ねても、完全に理解できるとは限らない。

だからこそ、もう一度読む意味がある。

三つの時代を通じて残ったもの

昭和、平成、令和を通じて、読書の環境は大きく変わった。

昭和には書店の棚から本を選び、紙の文庫本を持ち歩いた。

平成にはインターネットで本を探し、遠くの書店やオンライン書店から購入できるようになった。

令和には電子書籍やウェブ上の文章を読み、自分自身もブログや電子書籍を通じて文章を発表できる。

本の形は変わった。

本を探す方法も変わった。

読む速度や、文章へ向き合う時間も変わった。

それでも、人が文章を読む理由の根本は、それほど変わっていないのかもしれない。

自分とは違う人生を知りたい。

自分の中にある感情を言葉にしたい。

世界がどのようにできているのかを知りたい。

過去の人が何を考えていたのかを知りたい。

自分が一人ではないことを確かめたい。

文学は、人生の問題を解決してくれるわけではない。

病気、仕事、家族、孤独、老いといった現実は、本を読んだだけで消えるものではない。

しかし文学は、自分だけが抱えていると思っていた感情が、別の時代、別の国、別の人間にも存在していたことを教えてくれる。

答えを与えるというより、問いに言葉を与えてくれる。

それが文学の役割なのだと思う。

課題として始まった読書が、人生の一部になるまで

小学生の頃、私は課題図書を読む程度だった。

その時点では、読書がその後の人生にこれほど長く関わるとは思っていなかった。

中学生で新聞のコラムを読み、高校生で文学に出会った。

名著を読み、流行作家を読み、文庫本を買った。

外国文学に挑み、挫折した。

雑誌を読み、社会へ関心を広げた。

理系雑誌を読み、自然や技術の仕組みを知ろうとした。

成人してからは、ジャンルを越えて本を読んだ。

振り返れば、読書の対象は変わり続けている。

しかし、知らないものを文章によって知ろうとする姿勢は変わっていない。

読み終えた本だけが、自分を作ったのではない。

理解できなかった本も、途中で閉じた本も、書店で手に取っただけの本も、自分の中に何らかの痕跡を残している。

高校生には難しかったスタンダールの『恋愛論』も、その一冊である。

内容を十分に理解できなかった。

それでも、理解できない本が世界には存在することを教えてくれた。

そして、いつかもう一度開けば、当時とは違うものが見えるかもしれないと思わせた。

課題として始まった読書は、やがて自分から本を選ぶ読書になり、社会を知る読書になり、専門を学ぶ読書になった。

そして令和の今、それは、自分が生きてきた時代を文章として残すための読書へつながっている。

昭和に開いた一冊の文庫本も、平成に探した専門書も、令和に読む電子書籍も、すべてが同じ形で記憶に残るわけではない。

けれども、読み終えて本を閉じた後、自分の人生や社会について少し考える時間が残るなら、その読書は無駄ではなかった。

本を読む人間として始まったわけではない私が、長い時間をかけて本を読む人間になった。

それが、昭和、平成、令和を通じた、私の読書遍歴である。

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