地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

駅前を見ただけでは、その町の現在は分からない

 地方の町を訪れ、駅を降りた瞬間に「ずいぶん寂れた町だ」と感じることがある。駅前広場には人影が少なく、かつて銀行や衣料品店、食堂などが並んでいた商店街にはシャッターを下ろした店舗が目立ち、少し歩いただけでは日用品を買う店さえ見つからない。ところが、そこから数km離れた国道や主要県道へ出ると風景は一変し、大型スーパー、ドラッグストア、ホームセンター、家電量販店、衣料品店、飲食店、携帯電話ショップ、ガソリンスタンドなどが並び、広い駐車場には絶えず車が出入りしていることがある。

 かつて駅は「町の玄関」であり、その周囲が町の中心であることはほとんど疑われなかったが、現在の地方都市では、行政上の中心地と住民が日常的に利用する生活の中心地が一致しない場合が珍しくない。駅前だけを見れば衰退しているように見える町でも、数km離れた幹線道路沿いでは盛んに消費活動が行われており、この違いを理解するには、単純に「地方の人口が減ったから」と考えるだけでは十分ではない。

 重要なのは、人口が何人いるかだけではなく、その人々が毎日どのように移動し、どこを通り、どこで時間とお金を使っているのかということである。町の商業は人口分布だけで決まるものではなく、人の移動経路によって形を変えるため、地方の駅前と国道沿いの明暗は、日本人の生活様式そのものが変化してきた結果として捉える必要がある。

鉄道の時代には駅が人の流れを独占していた

 鉄道が主要な交通手段だった時代には、駅前が栄える理由は非常に明快だった。通勤する人も、学校へ通う学生も、買い物に出る人も、遠方へ出かける人も駅を通り、朝から夜まで一定量の人の流れが生まれていたため、その途中に商店、食堂、銀行、映画館、旅館などが立地すれば自然に客を取り込むことができたのである。

 鉄道そのものに商業を繁栄させる特別な力があったわけではなく、駅前が強かった最大の理由は、多くの人がそこを必ず通過していたことにある。その意味では、駅は巨大な交通装置であると同時に、人を集約する装置でもあった。

 ところが自動車が家庭へ普及すると、この構造が徐々に崩れていった。自宅から勤務先へ車で向かい、帰宅途中にスーパーへ寄り、ドラッグストアで日用品を買い、子どもを迎えに行ってから帰宅するという生活であれば、1日の間に駅前を1度も通らないことも珍しくなく、駅が不便になったというより、住民の生活経路そのものから駅が外れていったのである。

地方では、自動車が生活の中心的な交通手段になった

 この変化は印象論だけではなく、国の交通統計にも表れている。国土交通省が行った2021年の全国都市交通特性調査では、地方都市圏の通勤者が利用する代表的な交通手段のうち自動車が75.6%を占め、鉄道は4.2%だった。一方、三大都市圏では自動車が35.2%、鉄道が37.6%となっており、地方都市と大都市では日常生活を支える交通手段が大きく異なっている。

 2021年は新型コロナウイルス感染症の影響を受けた特殊な年でもあるため、この数字だけを使って地方都市全体を説明することはできないが、それ以前の調査でも地方都市における自動車利用の増加傾向は長期的に確認されている。したがって、地方の商業構造を考えるうえでは、「駅から何分か」という距離よりも、「自動車でどれだけ入りやすいか」「日常の移動経路上にあるか」という条件の重要性が高まったと考える方が現実に近い。

 車で買い物をする世帯にとっては、駅前商店街を歩いて複数の店を回るより、スーパー、ドラッグストア、衣料品店、飲食店などが集まった場所へ車で行き、短時間で用事を済ませる方が便利な場合が多い。雨の日でも荷物を長く持ち歩く必要がなく、米、飲料水、トイレットペーパー、灯油などの重い商品やかさばる商品も運びやすいため、車を利用する生活と郊外型店舗の形態は非常に相性がよいのである。

人口が増えた以上の速度で市街地が広がった

 商業の郊外化を考える場合には、交通手段だけでなく、住宅がどこに建てられてきたのかも重要になる。日本の地方都市では高度経済成長期以降、既存の駅前だけに住宅が増えたわけではなく、郊外へ向かって一戸建て住宅地や団地が広がり、市街地そのものが横方向へ拡大してきた。

 国土交通省の分析では、県庁所在地について1970年から2010年までの変化を見ると、人口は約2割増加した一方で、DID(Densely Inhabited District・人口集中地区)の面積は2倍以上へ拡大している。つまり人口が2倍になったわけではないのに、人々が暮らす市街地の面積は大きく広がったのであり、これは地方都市が次第に低密度で広い都市へ変わってきたことを意味している。

 その結果、駅から徒歩圏に住むことが必ずしも一般的ではなくなり、郊外住宅から職場、学校、病院、商業施設へ自動車で移動する生活が成立した。そこで幹線道路が整備されれば、その道路沿いに店舗が進出し、店舗が増えれば周辺の利便性が高まり、さらに住宅が立地するという相互作用が生まれるようになる。

 もっとも、ここには単純な一方向の因果関係があるわけではなく、住宅が増えたから店舗が進出した場合もあれば、大型店の進出によって周辺の居住価値が上昇した場合もあり、道路整備という第3の要因が住宅と店舗の双方を呼び込んだ場合もある。したがって、「住宅が増えたから国道沿いが栄えた」と一方向に説明するより、住宅、道路、商業施設が互いに影響しながら現在の都市構造を形成したと考える方が科学的には正確である。

駅前の土地と郊外の土地では、店を造る条件が違う

 国道沿いの商業施設が増えたもう1つの理由は、土地の使いやすさにある。歴史の長い駅前には、細かく分割された土地、小さな店舗、住宅、狭い道路などが複雑に入り組んでいる場合があり、そこへ数千平方mの売り場と数百台規模の駐車場を備えた施設を造ろうとすれば、多数の土地所有者との調整や建物の移転などが必要になることがある。

 これに対して郊外では、まとまった農地、工場跡地などを利用できる場合があり、大きな敷地を確保しやすい。そこへ店舗と平面駐車場を一体的に整備し、幹線道路から直接出入りできる構造にすれば、自動車利用者にとって使いやすい店舗を造ることができる。

 もちろん、すべての駅前で土地が細分化され、すべての郊外で土地を容易に取得できるわけではなく、区画整理が進んだ駅前もあれば、郊外でも農地転用や土地利用規制によって開発が難しい地域があるため、この違いはあくまで一般的な傾向として理解する必要がある。それでも、国が既成市街地の再整備において敷地の共同化や集約化を重要な課題としていることからも分かるように、既存中心市街地の土地を大型商業施設向けに再編するには、郊外の未利用地を開発する場合とは異なる難しさがある。

国道は現代の「駅前通り」になった

 こうして考えると、国道沿いが栄える現象は、昔の駅前商店街とは全く異なる出来事ではないことが分かる。人が集まる交通経路の近くに商業施設が集積するという原理は変わっておらず、人の移動手段が鉄道から自動車へ変わった結果、商業の立地場所も駅前から道路沿いへ移動したのである。

 ただし、国道沿いの店舗をすべて同じものとして扱うこともできず、研究では、広域交通を利用する人を相手にする「通過交通型」のロードサイド商業と、周辺住宅地の住民の日常需要を支える「地域生活型」のロードサイド商業が存在することが示されている。

 幹線国道沿いに並ぶガソリンスタンド、ファミリーレストラン、ホテルなどは、地域住民だけでなく遠方から来る交通を取り込む可能性がある一方、住宅地に近い道路沿いのスーパーやドラッグストアは、その地域で暮らす住民の日常生活に密着している。この2つを区別すると、「なぜ人口の少ない町にも大きな店舗が成立する場合があるのか」が理解しやすくなる。

店の客は、その町の住民だけではない

 大型店舗の経営を考える場合、行政区域の人口だけを見ても十分ではなく、ある町の人口が3万人だったとしても、その店舗へ隣の市町村から車で15分、20分、30分程度で来られるのであれば、実際の潜在顧客は町内の3万人だけではない。

 商業施設が成立するかどうかは、単純化すれば「商圏内に何人いるか」「そのうち何人が来店するか」「どの程度の頻度で利用するか」「1回の買い物でいくら使うか」という組み合わせによって決まる。そのため、自治体人口が少なくても、複数の市町村から交通が集まる国道沿いであれば、比較的大きな商圏が形成されることがある。

 また消費者が店を選ぶときには、距離だけでなく、売場面積、品ぞろえ、価格、営業時間、駐車場、道路からの入りやすさ、周辺店舗の集積などが同時に影響するため、駅前の店の方が直線距離では近くても、駐車場を探す必要があり、複数の店を歩いて回らなければならないのであれば、数km離れた大型商業施設の方が利用しやすいこともある。したがって、商業施設にとって重要なのは単純な距離ではなく、消費者が感じる総合的な移動負担と店舗の魅力度との関係なのである。

「大型店は安いから強い」だけでは説明できない

 郊外型店舗の競争力については、価格の安さだけが注目されがちだが、それだけでは現在の消費行動を十分に説明できず、大型店舗が提供している大きな価値の1つは、商品そのものではなく「時間」である。

 かつての商店街では、魚は魚屋、肉は肉屋、薬は薬局というように、店を移動しながら買い物をすることが普通だったが、スーパーやショッピングセンターでは食品、日用品、衣料品などを同じ場所で購入できる。さらに周辺にドラッグストア、100円ショップ、飲食店、クリーニング店などが集積すれば、1回の外出で複数の用事を処理できる。

 特に共働き世帯や子育て世帯では、買い物に使える時間そのものが限られているため、30分や1時間で複数の用事を終えられることには大きな価値があり、その意味で郊外型商業施設は「商品を売る場所」であるだけでなく、「生活に必要な時間を節約する場所」でもある。

駅前の衰退は、人口減少だけでは説明できない

 地方の駅前商店街が衰退した理由として最もよく挙げられるのは人口減少だが、人口だけでは説明できない地域も多い。同じ自治体の中で駅前の店舗が閉店する一方、国道沿いには新しいドラッグストアやスーパーが開業しているのであれば、地域内の消費そのものが完全に消滅したわけではなく、消費される場所が変わった可能性を考える必要がある。

 実際、地方都市を対象とした都市地理学や都市計画学の研究では、郊外への住宅地拡大、大型商業施設の進出、自動車利用の増加とともに、中心市街地の商品販売額や歩行者通行量が低下した事例が報告されており、駅前商業の衰退と郊外商業の成長が同時に起こり得ることが確認されている。

 ただし、「地方経済が駅前から国道沿いへ移動した」とだけ表現するのも正確ではなく、実際には人口減少によって市場そのものが縮小している地域もあり、所得の変化、インターネット通販の普及、周辺自治体への消費流出なども影響している。そのため、地方都市で起きていることは、地域経済全体の縮小と、残された消費の場所が中心部から郊外へ移動する現象とが、同時に進んでいる場合があると考える方が適切である。

国も「郊外への無秩序な拡散」を問題としてきた

 国道沿いへの大型店舗進出は市場の力だけで自由に進んできたわけではなく、日本の都市計画制度とも深く関係している。特に1990年代から2000年代にかけて、大型商業施設が郊外へ進出し、中心市街地の空洞化が各地で問題となったことから、国は都市機能の無秩序な拡散を抑える方向へ政策を転換した。

 2006年の都市計画法改正では、床面積1万平方mを超える店舗、映画館、アミューズメント施設などの大規模集客施設について、立地できる地域が従来より制限された。これは国自身が、商業施設をはじめとする都市機能が郊外へ無制限に広がれば、道路、公共交通、行政サービスなどを効率的に維持することが難しくなると認識したことを意味する。

 一方、大規模小売店舗立地法は、既存の小規模商店を大型店から直接保護する法律ではなく、大型店の立地によって生じる交通、駐車場、騒音など、周辺の生活環境への影響を調整する制度である。そのため、大型店舗の立地については「中心市街地を守る制度」と「生活環境を調整する制度」を区別して考える必要があり、地方商業の変化は市場原理だけでなく、時代ごとの都市政策にも左右されてきたのである。

自動車社会は便利だが、高齢化すると弱点も現れる

 国道沿いに商業施設が集まる都市構造は、自動車を自由に利用できる住民にとって非常に便利であるが、この仕組みには、多くの住民が自分で車を運転できるという大きな前提がある。

 自宅からスーパーまで数km、病院までさらに数km、市役所や銀行も別方向にあるという地域では、車を運転している間は便利でも、高齢になって免許を返納すると生活の自由度が急激に低下する可能性がある。徒歩では遠く、鉄道駅も近くなく、路線バスの本数も少なければ、郊外型の便利さがそのまま不便さへ変わることもある。

 この問題を背景として、国は現在「コンパクト・プラス・ネットワーク」という考え方を進めており、これは住宅、医療、福祉、商業、行政などの都市機能を一定の拠点へ誘導し、それらを公共交通で結ぶことで、人口減少と高齢化が進んでも生活サービスを維持しようとする考え方である。

 ただし、この政策がそのまま「昔の駅前商店街を復活させる」という意味ではない。鉄道駅が生活拠点になる地域もあれば、病院、市役所、バスターミナルなどを中心として新しい拠点が形成される地域もあり、人口規模や交通網によって最適な形は異なるため、高齢化によって駅前が再び重要になる可能性はあるものの、かつての商店街がそのまま復活するとは限らないのである。

国道沿いが栄えていても、地域経済が強いとは限らない

 ここでもう1つ注意したいのは、国道沿いに多くの店が並び、駐車場が車で埋まっているからといって、その自治体の経済が健全であるとは限らないということである。大型チェーン店の売上が好調でも、仕入れや利益の一部が地域外へ流れることがあり、周辺の小規模商店が減少している可能性もあるうえ、その店舗が隣接自治体から多くの利用者を集めているのであれば、駐車場の混雑だけを見ても、その町の住民所得や人口動向までは分からない。

 反対に、駅前に人が少ないからといって、その町全体の経済活動が消滅しているとも限らないため、駅前という1地点から都市全体を判断するのではなく、住宅地、幹線道路、商業施設、病院、行政施設などを含めて、人とお金がどのように移動しているのかを見る必要がある。

駅前から国道沿いへ~変わったのは町ではなく「人の流れ」である

 地方で駅前より国道沿いの方が栄えている町がある理由を一言で説明すれば、商業の中心を決める「人の流れ」が変わったからである。しかし、その背景には単なる自動車の普及だけではなく、市街地の郊外化、住宅地の拡大、幹線道路の整備、大きな土地を利用しやすい郊外の条件、商圏の広域化、買い物時間を短縮したい消費者の行動、そして都市計画制度の変化が重なっている。

 鉄道中心の時代には駅が人を集約し、その人の流れに沿って商業が集まったが、自動車中心の地方都市では、人々は駅を経由せず、住宅地から職場、学校、病院、スーパーなどを直接結ぶようになり、その移動経路となる国道や主要県道の沿道に商業施設が集積したのである。

 その意味では、国道沿いの商業地は昔の駅前と正反対の存在ではなく、人が通る場所に店が集まるという原理自体はほとんど変わっておらず、人が通る場所だけが駅前から道路へ移動したと考えることができる。

 地方の町を訪れたとき、静かな駅前だけを見て「この町は衰退した」と判断するのは早く、数km先の国道へ出れば、夕方にはスーパーの駐車場へ車が集まり、ドラッグストアでは日用品が売れ、飲食店では家族が食事をしているかもしれない。その光景もまた、その町の現在である。

 そして国道沿いを走っていて、大型店舗の看板が突然連続して現れる場所に出会ったなら、そこを単なる郊外の商業地と見るだけでは少し足りない。その道路には通勤、買い物、通院、子どもの送迎、外食という住民の日常生活が重なっており、現代の地方都市では、駅前のロータリーよりも国道の交差点の方が、その町の暮らしの中心を雄弁に語っている場合があるのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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 地方の町を車で走っていると、ときどき不思議な感覚に襲われる。昔そこに何があったのかはもう思い出せないのに、新しく建ったドラッグストアの姿だけは妙にはっきり目に入ってくるのである。広い駐車場に大きな看板、明るい店内には薬だけでなく、牛乳、卵、パン、冷凍食品、菓子、洗剤、ティッシュ、化粧品、酒まで並び、かつて「薬を買う場所」だったはずのドラッグストアは、いつの間にか町の小さな生活百貨店のような存在になった。

 しかも興味深いのは、日本全体では人口減少が続いているにもかかわらず、ドラッグストア市場はなお拡大していることである。経済産業省の商業動態統計によれば、2025年のドラッグストア販売額は前年より5.5%増え、店舗数も3.6%増加した。人口が減れば店も減るという単純な関係では説明できない現象が、現実には起きているのである。

 ただし、ここで一つ慎重にならなければならない。日本全体で人口が減る一方、ドラッグストアの店舗数が増えているという事実と、人口が減っている市町村ほどドラッグストアが増えているという事実は同じではない。後者を証明するには市町村単位の人口推移と店舗数を重ねて分析する必要があり、全国統計だけからそこまで断定することはできない。また、商業動態統計のドラッグストア調査は、原則として50店舗以上を有する企業、またはドラッグストアの年間販売額が100億円以上の企業を対象としており、全国のすべての店舗を数えたものではない。それでも、人口減少社会のなかでドラッグストアが食品や日用品の販売を拡大し、小売業における存在感を強めていること自体は、現在の地方の暮らし方を考えるうえで十分に興味深い。

 住民の立場から見れば、新しいドラッグストアは歓迎すべき存在に見える。薬を買えるだけでなく、食品も日用品もそろい、夜まで営業していて駐車場も広い。スーパー、薬局、化粧品店、酒屋を別々に回らなくても、一つの店でかなりの買い物が済むのだから、忙しい家庭にも、自動車を利用できる高齢者にも便利である。

 それでは、ドラッグストアが増えた町は本当に「便利な町」になったのだろうか。この当たり前に見える問いを少し疑ってみると、地方の商業が静かに組み替えられている姿が見えてくる。

薬を売る店で、なぜ食品を買うようになったのか

 昔ながらの薬局を思い浮かべれば、現在のドラッグストアの姿はかなり違って見える。店の奥には医薬品が並んでいるが、入口近くでは飲料や菓子が山積みになり、冷蔵ケースには牛乳や豆腐、冷凍ケースには食品が並んでいる。店舗によっては酒や生鮮食品まで扱っており、もはや「薬を売る店」という説明だけでは実態を表せない。

 数字を見ると、この変化が単なる印象ではないことが分かる。2025年のドラッグストアの食品販売額は、前年より9.1%増加し、食品は販売額全体のおよそ3分の1を占めるまでになった。ドラッグストア市場の成長を支えている商品群の一つが、薬ではなく食品なのである。

 ただし、食品販売額の増加を、そのまま購入数量の増加と考えることはできない。総務省の消費者物価指数によれば、2025年の全国の食料品価格は前年比6.8%上昇しており、ドラッグストアの食品販売額9.1%増にも物価上昇の影響が含まれていると考えられる。仮に販売商品の価格が一律に6.8%上昇したとすれば、販売数量に相当する増加率は約2.2%にとどまる計算になる。ただし、これは異なる統計を組み合わせた概算であり、実際の販売数量が2.2%増えたことを示すものではない。商品構成や値引き率の違いもあるため、消費者が以前より多くの商品を購入したのか、別の店から購買先を移したのかを知るには、さらに詳しいデータが必要になる。

 また、ドラッグストア全体の販売額が5.5%増加した一方で、店舗数も3.6%増えていることを考慮する必要がある。販売額を店舗数で割った単純な1店舗当たり販売額の増加率は約1.8%であり、市場拡大のかなりの部分が店舗網の拡大と関係していることが分かる。この約1.8%も物価上昇の影響を含む名目上の数字であり、既存店の販売数量や利益が同じ割合で増加したことを意味しない。人口減少社会でドラッグストアが成長しているという事実は確かでも、その成長の中身は慎重に見なければならないのである。

 それでも、ドラッグストアが食品を重視する理由は理解しやすい。牛乳や卵、飲料、菓子、冷凍食品などは日常的に購入されるため、消費者を繰り返し店へ呼び込む力がある。食品を買いに来た人が洗剤を買い、化粧品を買い、必要になれば医薬品も買うようになれば、一つの店舗で複数の需要を取り込むことができる。

 流通分野の研究でも、食品カテゴリーの購入とドラッグストアへの継続利用との間に関連があることが示されている。食品は単に売上を作る商品であるだけでなく、顧客との接点を増やし、「またこの店へ来る」という習慣を形成する役割を持つと考えられる。ただし、食品を購入したから継続利用するようになったのか、もともとその店をよく利用する人が食品も購入しているのかについては、関連性と因果関係を区別する必要がある。

 この変化を地域の側から見ると、さらに別の意味が現れる。住民一人が一か月に使えるお金には限りがあり、人口が減ったからといって一人の人が二倍の歯磨き粉を使ったり、三倍の牛乳を飲んだりするわけではない。その状況でドラッグストアの食品や日用品の販売が伸びれば、これまでスーパー、薬局、化粧品店、酒屋などに向かっていた消費の一部が移動している可能性を考える必要がある。

 もっとも、地域の消費総額が常に一定というわけでもない。物価が上がれば販売金額は増え、世帯数や年齢構成が変われば購入する商品の種類も変化する。観光客や近隣自治体からの買い物客が流入することもあれば、逆に住民が地域外へ買い物に出かけることもある。したがって、ドラッグストアの売上増加を、そのまま地元の個人商店から奪った売上と見なすことはできない。

 地方の商店が減る背景には、人口減少、経営者の高齢化、後継者不足、消費者行動の変化、自動車社会への移行など多くの要因があり、そこへ大型小売業やチェーン店との競争が加わっていると考える方が現実に近い。実際、中小企業庁の商店街実態調査でも、経営者の高齢化に伴う後継者問題は商店街の大きな課題として挙げられている。

 したがって、ドラッグストアの増加を地域商業衰退の直接的な原因と決めつけることも、衰退と無関係だと考えることも適切ではない。薬、食品、日用品、化粧品など、かつて複数の店が分担していた役割を一つの店舗に集め、広い商圏から客を集めるという経営の仕組みが、人口減少社会の消費環境に適応している可能性があるのである。

「一軒で全部買える」という便利さ

 仕事を終えた夕方、車を停めて店に入り、風邪薬を買い、牛乳を買い、洗剤を買い、翌朝のパンまで買って帰ることができれば、その便利さを否定する理由はない。一つの店舗で必要な買い物が終われば、移動時間や店を探す時間を短縮できる。価格や品ぞろえも希望に合っているなら、消費者にとって合理的な選択である。

 しかし、「一軒で多くの買い物が済む」という便利さには少し皮肉な性質がある。一軒で買い物が完結するほど、二軒目や三軒目へ行く必要がなくなるからである。

 かつて町には、薬は薬局、肉は肉屋、魚は魚屋、酒は酒屋、日用品は雑貨店というように、それぞれ別の役割を持つ店が存在していた。それを昔の美しい風景として無条件に懐かしむ必要はなく、営業時間が短かったり、品ぞろえが少なかったり、価格が高かったりした店も当然あった。それでも、多くの異なる店が存在するということは、町のなかに複数の商売と複数の選択肢が存在することでもあった。

 ドラッグストアは、それらの役割の一部を一か所へ集約する。消費者個人から見れば移動する必要が少なくなって便利になる一方、町全体から見れば、利用される店舗の種類が減ったり、特定の店舗への依存が強まったりする可能性がある。ここに「個人にとっての便利さ」と「町全体の便利さ」が必ずしも一致しない理由がある。

 家から五分のところに大型店が一軒ある町と、十分以内に性格の違う店が五軒ある町では、どちらが便利なのだろう。価格や移動時間を重視すれば前者かもしれないが、商品の選択肢や専門性を重視すれば後者かもしれない。さらに唯一の大型店が撤退したときのことまで考えれば、答えは変わってくる。

 もっとも、五軒の店が存在していても、必要な食品を扱う店が一軒しかなければ、食料品の供給という点では決して強い町とはいえない。反対に、同じ業態のドラッグストアが三軒あっても、それぞれが食品や日用品を取り扱っていれば、一軒が閉店した際の代替先になり得る。店の種類が多いことと、生活に必要な機能が十分に確保されていることも、厳密には同じではないのである。

 つまり、便利さとは店の数だけでは測れず、業態の種類だけでも測れない。何が買えるのか、いくらで買えるのか、どれだけの時間をかけて行けるのか、そして特定の店がなくなっても生活が続けられるのかという、複数の条件によって決まるのである。

「増えた店」だけを見ていると、町の変化を見誤る

 町を観察するとき、人は新しくできたものには敏感だが、静かに消えていったものには意外と気づかない。新しいドラッグストアの大きな看板は目に入るが、その数年前に閉店した小さな薬局や酒屋、化粧品店、食料品店のことは時間とともに忘れられていく。そうなると町の記憶には、「ドラッグストアが増えた」という変化だけが残りやすい。

 しかし、本当に地域を分析しようとするなら、増えた店だけを数えても十分ではない。十年あるいは二十年という時間のなかで、どの種類の店が増え、どの種類の店が減ったのかを同時に見る必要がある。もし薬局、酒屋、個人商店、小型スーパーなどが減る一方でドラッグストアが増えている地域があるなら、そこでは単純に店舗が増えたのではなく、地域消費の受け皿となる業態が変化した可能性がある。

 大規模小売店の出店が周辺の既存店に与える影響については国内でも実証研究が行われている。大阪府と兵庫県の長期データを用いた研究では、大型店の出店が既存小売店の売上や存続に負の影響を及ぼす場合があることが確認されている。ただし、その影響は既存店の種類や規模、新規出店店舗との距離、商圏の条件などによって異なる。この研究結果を、そのままドラッグストア固有の影響や全国すべての地域に当てはめることはできない。

 さらに、同じ時期にドラッグストアが増え、個人商店が減っていたとしても、それだけで前者が後者を閉店に追い込んだとは証明できない。経営者の引退や後継者不足によって店舗が減少する一方、残された需要を取り込む形でチェーン店が進出してきた可能性もある。逆に、新規出店による価格競争が既存店の経営を難しくした可能性もあり、どちらの説明が実態に近いかは地域ごとの調査によって判断する必要がある。

 だからこそ、「ドラッグストアが増えた町」を見るときには、それを犯人探しにしてはいけない。むしろ、消費者がどの店を選ぶようになり、各店舗の売上や経営環境がどのように変化し、その結果として地域の商業構造がどう組み替えられたのかを見る方が有益である。

 消費者が便利で安い店を選ぶことは合理的であり、店側がその需要に応えることも合理的である。しかし、個々の判断が合理的であっても、その積み重ねが十年後の町にとって望ましい結果をもたらすとは限らない。市場というものの興味深さは、まさにそこにある。

高齢社会でドラッグストアが担うもの

 ドラッグストアと高齢社会の関係も単純ではない。「高齢者が増えたからドラッグストアが増えた」と因果関係を決めつけることはできず、店舗立地には人口密度、交通量、競合状況、土地価格、物流条件、企業の出店戦略など多くの条件が影響する。

 それでも、現在のドラッグストアが高齢社会で担える役割は大きい。医薬品だけでなく、衛生用品、介護関連商品、食品、日用品などを扱い、調剤を行う薬局を併設する店舗であれば、医療機関を受診したあと処方箋に基づく薬を受け取り、そのまま生活用品や食品まで買って帰ることができる。

 ただし、ドラッグストアが存在することと、処方箋に基づく調剤を受けられることは同じではない。一般用医薬品の販売と処方箋調剤では必要な資格者や店舗の体制が異なり、薬剤師の配置、調剤受付時間、在宅患者への対応などにも違いがある。地域の医療や健康を支える機能を評価するなら、ドラッグストアの店舗数だけでなく、実際にどのようなサービスを利用できるかまで確かめる必要がある。

 そして、この便利さにはもう一つ重要な条件が潜んでいる。店まで行けなければならないのである。

 地方のドラッグストアには、幹線道路沿いに大きな駐車場を備え、自動車での来店を前提としている店舗が少なくない。車を運転できる人にとっては非常に便利だが、運転できなくなったとき、同じ店が突然遠い場所へ変わる可能性がある。

 農林水産省の農林水産政策研究所は、店舗までの直線距離が500メートル以上あり、自動車を利用することが困難な65歳以上の人を「食料品アクセス困難人口」として推計している。2020年には全国で約904万人、65歳以上人口の25.6%がこの条件に該当した。75歳以上に限ると約566万人で、75歳以上人口の31.0%に相当する。

 この推計では、対象となる店舗に食料品スーパーやコンビニエンスストアだけでなく、ドラッグストアも含まれている。ただし、2015年以前の推計にはドラッグストアが含まれていなかったため、異なる年の数字を単純に比較することには注意が必要である。また、500メートルという基準は直線距離であり、実際の道路に沿った徒歩距離や坂道、歩道の整備状況、横断歩道の位置などをすべて反映しているわけではない。したがって、この904万人という数字は一定の統計上の条件に基づく推計であり、買い物に困っている人のすべてを数えたものではない。

 それでも、この数字が示しているのは、店が存在することと、その店を利用できることが同じではないという事実である。

 六十代では車で五分の大型店を便利だと感じていた人が、八十代になって免許を返納すると、その店へ行く交通手段を失うかもしれない。そのとき、以前なら歩いて行けた小さな商店がすでになくなっていれば、「大型店がある便利な町」は、その人にとって「買い物へ行きにくい町」に変わる。

 もっとも、買い物の方法は自家用車と徒歩だけではない。家族による送迎、公共交通、移動販売、宅配、ネットスーパーなどが利用できれば、店舗までの距離が長くても生活を支えられる場合がある。反対に、店舗が近くても道路環境が悪かったり、必要な商品が販売されていなかったりすれば、十分な便利さは得られない。

 したがって町の便利さを考えるなら、「店があるか」という問いだけでは足りない。「誰が、どのような交通手段で、その店へ行けるのか」、さらに「行けない人にはどのような代替手段があるのか」まで考える必要がある。

安さが示しているのは、所得よりも買い物行動かもしれない

 ドラッグストアの大きな魅力の一つが価格であることは間違いない。食品や日用品が安く売られていることも多く、家計にとってその恩恵は大きい。物価が上昇し、日々の食費や生活費への負担感が強まる状況では、少しでも安く購入できる店舗が選ばれるのは自然なことである。

 しかし、ここから「ドラッグストアが多い町は所得が低い」と結論づけることはできない。店舗立地には所得以外にも人口、交通量、地価、物流、競合店舗、商圏人口、企業ごとの出店戦略など多数の要因が関係しているため、店舗数だけから住民の経済状態を推測すれば誤った結論に到達する危険がある。

 また、低価格の商品が目立つからといって、店舗内のすべての商品が他店より安いとも限らない。集客力の高い食品を安く販売し、医薬品や化粧品、日用品などを組み合わせて収益を確保する経営方法も考えられる。消費者の側でも、牛乳はドラッグストアで買い、生鮮食品はスーパーで買うというように、商品ごとに購入先を使い分けることがある。

 このような行動を考えると、一回の買い物で支払う金額だけでなく、移動にかかる時間や燃料費、複数の店を回る手間まで含めて便利さを考える必要がある。食品が数十円安くても、そのために長い距離を移動するなら、家計全体で見た利益は小さくなるかもしれない。反対に、通勤や通院の帰り道に買い物を済ませられるなら、多少価格が高くても合理的な選択になる場合がある。

 地域分析として興味深いのは、所得そのものより「住民がどのような買い方を選んでいるか」である。一つの店舗で食品と日用品をまとめて買いたいのか、安さを重視するのか、専門店を使い分けるのか、車で遠くまで買い物へ行くのか、近所の店を頻繁に利用するのか。こうした小さな選択が積み重なり、その町で成立する店舗の種類を変えていく。

 店は単に商品を置いている建物ではない。その町に暮らす人が、何を買い、どこまで移動し、何を一度に済ませ、何に時間とお金を使うのかという日常行動と、それに対応する企業の経営判断によって存在している。そう考えると、ドラッグストアの看板は人口統計とは別の意味で、地域生活を読むための一つの手掛かりになる。

店が増えても、町の機能が増えたとは限らない

 町の変化を考えるうえで重要なのは、ドラッグストアが増えること自体ではなく、それによって地域全体で利用できる生活機能がどのように変わるかという点である。

 ドラッグストア同士が競争すれば、価格が下がり、品ぞろえが充実し、営業時間も便利になる可能性がある。しかし、どれほど立派なドラッグストアが三軒あっても、それだけで本屋、衣料品店、飲食店、電器店などの役割まで満たせるわけではない。店舗数の増加が、生活に必要な機能の種類の増加につながるとは限らないのである。

 もっとも、同じ業態の店舗が増えることと、生活機能が単純に減ることも同じではない。ドラッグストア一軒でも、食品、医薬品、日用品、衛生用品など複数の役割を担うことができ、同じような店が複数存在すれば、一軒が閉店した際の代替先になる可能性もある。重要なのは業態の種類だけでなく、実際にどのような商品やサービスが利用でき、それらが地域のどこに、どれほど安定して供給されているかという点である。

 十軒の店があっても九軒が似たような品ぞろえなら、数字の上では店が多い町でも、生活上の選択肢は意外に狭いかもしれない。反対に店舗数が少なくても、スーパー、飲食店、医療機関、衣料品店、ホームセンターなど異なる機能が確保されていれば、町の生活には一定の多様性が残る。ただし、店舗の種類が多くても、住民が利用できない場所に集中していたり、必要な商品が十分に供給されていなかったりすれば、その多様性をそのまま便利さと評価することはできない。

 チェーン店の増加が商業空間を均質化させる可能性については、都市計画や商業研究の分野でも議論されている。全国どこへ行っても同じ看板、似た建物、似た商品構成が現れることで、買い物の安心感や効率性は高まる一方、土地ごとの商業景観の違いは小さく見えるようになる。ただし、景観の均質化と住民の生活満足度の低下は同じものではなく、慣れた店があることに安心感を覚える人もいれば、地域独自の店が残ることに価値を見いだす人もいる。

 ここでも「チェーン店は悪い」という話にする必要はない。チェーン店が成長するのは、それを利用する消費者に価格、品ぞろえ、営業時間などの明確な利点があるからであり、問題は便利さそのものではなく、地域全体の機能が特定の企業や少数の店舗へ偏りすぎていないかという点にある。

 ドラッグストアが増えた町は、便利になっていないわけではない。ただ、町全体の便利さがあらゆる面で向上したというより、「ある種類の便利さが非常に強くなった」と考える方が正確かもしれない。

「便利な一軒」がなくなったとき

 大型店舗へ買い物機能が集まることには、もう一つ見落とされやすい問題がある。その店がなくなったときである。

 地方都市では、大型店が撤退したあと地域住民の買い物環境が悪化した事例が実際に研究されている。兵庫県高砂市の大型商業施設の撤退を対象とした研究では、調査回答者の九割を超える人が、撤退によって買い物の困難度が高まったと回答している。ただし、これは調査回答者についての結果であり、市全体の住民が同じ割合で困難を感じたことを意味するものではない。また、この事例を全国のドラッグストアにそのまま当てはめることもできない。

 それでも、生活機能を少数の店舗へ集中させれば、その店舗が撤退した際の影響が大きくなるという構造は理解しやすい。商売である以上、どんな店舗も永遠に存在する保証はない。人口が減り、競争環境が変化し、企業が出店戦略を変更すれば、昨日まで町の中心だった大型店が閉店することもある。

 ここに「効率」と「冗長性」の違いがある。

 冗長性とは、同じ役割を果たす手段が複数存在し、一つが失われても全体の機能を維持できる性質である。同じような商品を扱う店が複数存在する町は、競争の激化という問題を抱える一方、一軒が閉店しても別の店で買い物を続けられる可能性がある。反対に、一つの大型店ですべてを済ませられる町は非常に効率的でも、その一つへの依存が高ければ、撤退したときの影響が大きくなる。

 この考え方は、単なる印象論ではない。商業環境の研究では、店舗の立地や規模に基づく充足度に加えて、地域の利便性が少数の店舗へどの程度依存しているかを安定度として評価する方法も提案されている。店舗が近くにあるという現在の便利さだけでなく、その便利さが一部の店舗に集中していないかを測ることには、理論的な意味があるのである。

 ただし、店舗数が多ければ必ず安定するとも限らない。複数のチェーン店が同じ経営環境の悪化に直面すれば、短期間に相次いで撤退する可能性がある。逆に、店舗が少なくても、経営が安定した店に加えて移動販売や宅配などの代替手段が整っていれば、住民の生活機能を維持できる場合もある。地域の強さは、単なる店舗数ではなく、代替手段の確保と、その持続可能性によって決まる部分が大きい。

 町の便利さを考えるなら、今日の買い物がどれほど楽かだけでなく、その便利さが十年後にも残っているかという視点が必要なのである。

町の便利さは、どのように測ればよいのか

 ここまで考えてくると、「ドラッグストアが増えた町は本当に便利になったのか」という問いに答えるためには、店舗数だけではなく、いくつかの異なる指標を組み合わせる必要があることが分かる。

 第一に必要なのは、店舗の供給量である。人口一万人当たりの小売店舗数や、一定範囲内に存在する食品販売店舗数などを調べれば、住民に対してどれほどの店舗が存在するかを把握できる。ただし、人口当たりの店舗数は人口減少によって分母が小さくなるだけでも増加するため、実際の店舗数の変化と区別しなければならない。

 第二に必要なのは、店舗の種類ではなく、実際に利用できる生活機能の把握である。食品、医薬品、衣料品、日用品、医療関連サービスなどをどこで利用できるのかを調べれば、見かけ上の店舗数だけでは分からない商業機能の偏りを確認できる。特にドラッグストアの場合、食品の取り扱い範囲や調剤機能の有無は店舗によって異なるため、同じ業態として一括りにしない方が実態を捉えやすい。

 第三に重要なのが移動時間である。自動車で五分の距離と徒歩で五分の距離は同じではなく、自動車を利用できない高齢者にとっては、近くに見える店でも到達することが難しい場合がある。住民の居住地から店舗までの徒歩時間、自動車移動時間、公共交通の利用可能性を分けて調べれば、誰にとって便利になり、誰にとって不便さが残っているのかを明らかにしやすい。

 第四に考えるべきなのは、買い物の経済的負担である。単に商品の価格を比べるだけでなく、移動にかかる燃料費や交通費、所要時間、まとめ買いによる負担などを含めて考えれば、店舗の低価格戦略が実際の生活費にどの程度の利益をもたらしているのかを、より現実的に評価できる。

 第五に必要なのが、店舗撤退への耐久力である。例えば、町で最も多く利用されている食品販売店舗が閉店したと仮定し、その前後で住民の買い物先までの移動時間がどの程度増えるかを計算する。そうすれば、現在の便利さだけでなく、その便利さがどれほど特定の店舗に依存しているのかも評価できる。

 このような分析を御宿町、いすみ市、勝浦市、大多喜町などの地域で行うなら、現在のドラッグストアの店舗数を調べるだけでは不十分である。十年から二十年程度の人口推移と小売店舗の開閉店、年齢別人口、自動車利用の状況、公共交通、食品販売機能の分布などを組み合わせることで、地域商業の変化をより客観的に捉えられる。

 その際、国勢調査や経済センサスなどの公的統計を利用することは有効だが、業態分類の変更や調査対象の違い、自治体の境界、統計の公表時期などにも注意する必要がある。また、店舗の出店と既存店の撤退が同じ地域で起きていても、それだけで因果関係を確定することはできない。出店地域と条件が似た非出店地域を比較するなど、人口や交通条件の変化を考慮した分析を行うことで、初めて影響をより厳密に検討できる。

 もちろん、町の暮らしやすさのすべてを数字に置き換えられるわけではない。店員との会話を楽しみにしている人、顔なじみの店で相談できることに安心感を覚える人、誰にも気兼ねせず大型店で買い物を済ませたい人など、便利さの感じ方はそれぞれ異なる。統計が示すのは生活環境の一面であり、住民の経験や満足度と照らし合わせることで、その意味がより明確になる。

 重要なのは、「大型店が増えたから発展している」「個人商店が減ったから衰退している」と最初から結論を決めることではない。どの機能が増え、どの機能が減り、その変化が誰に利益をもたらし、誰に負担を生じさせているのかを、できるだけ公平に確かめることである。

ドラッグストアの駐車場から、町の未来を見る

 夕方になると、地方のドラッグストアの駐車場には次々と車が入ってくる。会社帰りの人、高齢の夫婦、子どもを乗せた家族が店へ入り、食品や薬や日用品を買って帰っていく。その風景を見れば、ドラッグストアが地域生活の一部を支えていることは理解できる。

 だから、ドラッグストアを地方衰退の象徴として描くのも正しくない。むしろ人口が減り、高齢化が進み、買い物行動が自動車中心になった地域社会に適応しながら、薬、食品、日用品を供給する店舗として、現在のドラッグストアは経営上の合理性を備えた存在と考えられる。

 しかし、合理的な店舗が増えることと、町全体が豊かになることは同じではない。

 薬も買える。食品も買える。洗剤も買える。夜まで営業していて駐車場も広い。それでも別の場所では本屋がなくなり、衣料品店がなくなり、食堂が減り、個人商店が閉じていくのだとすれば、私たちは単純に「不便な町から便利な町へ」移動しているのではなく、「多様な町から効率的な町へ」移動しているのかもしれない。

 ただし、その変化が実際に起きているかどうかは、地域ごとの店舗構成や住民の利用実態によって確かめなければならない。ドラッグストアが増えたことで生活必需品の購入先が増え、以前より便利になった人もいるだろうし、徒歩圏内の商店がなくなって不便になった人もいるだろう。同じ町のなかでも、年齢、居住地、移動手段、生活習慣によって評価は異なるのである。

 効率的な町は暮らしやすいが、効率だけを追求した町は、何か一つが失われたときに思いがけない弱さを見せることがある。一方、多様な店舗が残っていれば必ず豊かで安定した町になるわけでもなく、経営を維持できない店舗が増えれば、その多様性自体が持続しなくなる。地域に必要なのは、効率と多様性のどちらか一方を選ぶことではなく、日常の便利さを確保しながら、生活機能を持続させることである。

 だから地域を見るときには、ドラッグストアが何軒あるかだけを数えてはいけない。その周囲で何が消えたのか、どの種類の店が残っているのか、誰が車で来ているのか、車を使えなくなった人はどこで買い物をしているのか、そして十年後にも同じ生活が可能なのかまで考える必要がある。

 ドラッグストアの増加は、それだけで町が発展した証拠にも、衰退した証拠にもならない。

 それは、人口が減っても暮らしは続き、人が減っても買い物はなくならず、限られた需要と変化する生活習慣に合わせて商業の仕組みそのものが静かに組み替えられていることを映す、一つの風景なのだろう。

 次に新しいドラッグストアを見つけたとき、「またできた」とだけ思わず、その広い駐車場の向こう側まで少し眺めてみるとよい。そこには新しくできた店だけではなく、消えていった店、変わっていく住民の生活、車を降りた後の高齢者の暮らし、そしてこれからその町がどのような場所になろうとしているのかまで、ぼんやりと映っているのかもしれない。

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