リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

片岡義男の小説が運んできた昭和のアメリカ

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太宰や三島とは違う場所から、高校生だった私の前に現れた世界~

高校生になって本格的に文学を読むようになったころ、私の本棚には、性格のかなり違う作家たちが並んでいた。

太宰治がいた。

三島由紀夫がいた。

芥川龍之介や川端康成もいた。

その一方に、片岡義男もいた。

現在から振り返ると、この組み合わせはいささか不思議にも見える。

太宰治や三島由紀夫を日本文学の流れの中で読みながら、同じ時期に片岡義男の小説も読んでいた。

しかし、高校生だった当時の私にとって、それはそれほど不自然なことではなかった。

書店に行けば、新潮文庫や角川文庫などの文庫本が並んでいた。

そこでは、文学史上の評価が定まった作家と、その時代を生きている作家とが、同じ「本」として目の前にあった。

私は文学史を体系的に勉強してから読書を始めたわけではない。

まず本があり、それを読んだ。

その中の一人が片岡義男だった。

そして片岡義男の小説には、太宰や三島とはまったく違う方向から、当時の私たちの前に届いてくるものがあった。

それを一言で表すなら、「アメリカ」だったのだと思う。

ただし、それはアメリカという国について説明する本ではなかった。

地理でも、政治でも、歴史でもない。

オートバイ。

自動車。

音楽。

道路。

海。

男女の関係。

服装。

会話。

そうした断片を通して伝わってくる、生活の感触としてのアメリカだった。

「外国」ではなく、生活のスタイルとしてのアメリカ

片岡義男は1939年東京生まれの作家で、早稲田大学法学部を卒業した。1974年に『白い波の荒野へ』で本格的に小説家として活動を始め、1975年には『スローなブギにしてくれ』で第2回野性時代新人文学賞を受賞している。サーフィン、オートバイ、ジャズなどを作品に取り込み、若い読者から支持された作家だった。

片岡義男の作品に触れたとき、そこにあったアメリカは、学校で習うアメリカとは違っていた。

学校で外国について学ぶときには、国土、人口、産業、歴史、政治制度などが中心になる。

それは必要な知識である。

しかし、小説が運んでくる外国は違う。

どんな車に乗るのか。

どんな音楽を聴くのか。

どんな服を着るのか。

どんな場所で人と出会うのか。

男と女はどのような距離を取るのか。

道路は単なる移動のための施設なのか、それともそこを走ること自体に意味があるのか。

片岡義男の小説に接することで、「外国」というものを、制度や統計ではなく生活の形式として感じることができた。

高校生だった私にとって、それはかなり新しい感覚だったように思う。

オートバイという道具

片岡義男という作家を語るとき、オートバイは避けて通れない。

公式サイトでも、1970年代半ばから1980年代後半にかけて、片岡がオートバイの登場する小説やエッセイを数多く書き、それらの多くが角川書店から文庫化されたことが紹介されている。作品に影響を受けて実際に二輪免許を取った読者も少なくなかったとされる。

しかし、片岡作品のオートバイは、単なる機械としてだけ読んでも十分ではないだろう。

速いか遅いか。

何馬力あるか。

何ccなのか。

そうした性能だけの問題ではない。

オートバイに乗ることで、街から街へ移動する。

一人で走る。

誰かと出会う。

風景が流れる。

目的地そのものより、そこへ向かう途中の時間が重要になる。

オートバイという機械が、人間の行動範囲と感覚を変える。

そのような描かれ方に、片岡義男らしさがあったのだと思う。

今の私は自動二輪車について、性能、安全性、維持費、積載性といった現実的な面から考えることも多い。

しかし高校生のころに文学の中で出会ったオートバイは、それとは別の存在だった。

それは実用品である前に、どこかへ行くことができる機械だった。

そして「どこかへ行ける」という感覚自体が、若さと強く結びついていた。

道路の向こうにあるもの

片岡義男の作品世界について考えると、「移動」という言葉が浮かんでくる。

道路を走る。

島へ行く。

海へ向かう。

街から別の街へ移る。

そこには、家や学校や会社といった固定された場所とは違う時間が流れている。

若いころには、この「移動すること」そのものに特別な意味がある。

まだ自分の生活圏が狭い。

経済的にも自由ではない。

社会的な立場も定まっていない。

だからこそ、道路の向こう側に別の世界があるという感覚は強い。

これは、当時のアメリカ文化に対する距離感とも重なっていたように思う。

昭和の日本にとって、アメリカは近いようで遠かった。

映画がある。

音楽がある。

自動車がある。

ファッションがある。

雑誌にもアメリカ文化が入ってくる。

しかし、現在のようにインターネットで現地の日常をほぼ同時に見ることはできなかった。

だからアメリカは、情報として知っていても、まだ想像する余地の大きい国だった。

片岡義男の小説は、その想像の中に道路を一本通したようなところがあった。

太宰治とはまったく違う世界

高校生だった私が読んでいた作家を、現在の目で比較すると興味深い。

太宰治の場合、人間の内側へ向かう。

弱さ。

自己嫌悪。

孤独。

他人との距離。

自分をどう見せるか。

そうした内面的な問題が読者を引き込む。

片岡義男の場合には、むしろ外側へ向かう感じがある。

道路がある。

オートバイがある。

音楽がある。

海がある。

街がある。

そこへ出ていく。

もちろん、これは単純な二分法ではない。

太宰にも外の世界はあり、片岡義男にも人物の内面はある。

しかし、高校生だった私に届いた印象としては、かなり違った。

太宰を読むと、自分の内側を見る。

片岡義男を読むと、自分のいる場所の外を見たくなる。

同じ文学でも、読者を動かす方向が違う。

その両方が同じ時期に読めたことは、今考えると面白い。

三島由紀夫とも違う

三島由紀夫については、文章そのものの美しさや緊張感が印象に残る。

美。

身体。

死。

思想。

高校生の私には理解しきれないものが多かった。

それでも、文章には力があることを感じた。

片岡義男の文章から感じたものは、それとはまた違った。

もっと軽い。

ここで言う「軽い」は、価値が低いという意味ではない。

むしろ、重々しく意味を説明しすぎないということである。

人物がいる。

物がある。

会話がある。

移動がある。

場面が進む。

そこから読者が空気を感じ取る。

若いころには、この軽さそのものが新鮮だった。

文学というと、難しいもの、深刻なもの、高尚なものを想像しやすい。

しかし、片岡義男を読むと、日常の道具や若者文化も小説になる。

オートバイが出てきてもいい。

自動車が出てきてもいい。

ポピュラー音楽があってもいい。

男女の日常的な関係を書いてもいい。

文学と生活の間に、それほど高い壁を置かなくてもいいことを示す作家だったのではないかと思う。

「軽さ」を「浅さ」と取り違えない

片岡義男について考える際、注意したいことがある。

それは、作品にオートバイや海や音楽や男女の関係が出てくるからといって、それを単純な「若者向けのおしゃれな小説」とだけ見ることだ。

時代の流行を取り入れた作品は、後から見ると軽く評価されやすい。

しかし、流行していたものを書くことと、浅いことは同じではない。

むしろ、その時代に人々が何を欲し、どのような生活に憧れ、何を格好いいと思っていたかを記録することになる。

昭和の若者文化を考えるとき、文学史の代表作だけ読んでいても見えない部分がある。

その時代の人が実際に書店で買っていた本。

電車の中で読んでいた本。

友人同士で話題にした作家。

映画になった作品。

音楽と一緒に記憶されている物語。

そうしたものもまた文化である。

片岡義男は、まさにその場所にいた作家の一人だった。

『スローなブギにしてくれ』という時代

片岡義男を代表する作品の一つが『スローなブギにしてくれ』である。

片岡は同作で1975年に第2回野性時代新人文学賞を受賞した。後に1981年には映画化もされ、片岡作品が文学だけでなく当時の映画文化とも結びついていった。

ここで重要なのは、作品の細かな内容を紹介することではない。

私自身の読書体験として確定していない場面を、読んだ記憶として作るべきではないからだ。

むしろ考えたいのは、「スローなブギ」という言葉が成立した時代の空気である。

ブギという音楽用語。

英語を含んだ題名。

軽さ。

速度感。

それでいて「スロー」という逆方向の言葉。

タイトル自体に、当時の若い文化の感触がある。

昭和の日本文学の題名として考えると、太宰や三島の作品名とは明らかに違った空気をまとっている。

そこには、日本文学でありながら、すでにアメリカ文化が自然に混ざっていた。

『彼のオートバイ、彼女の島』

もう一つ象徴的なのが『彼のオートバイ、彼女の島』である。

同作は1977年に単行本として刊行され、1980年に角川文庫に収録された初期のオートバイ小説で、1986年には大林宣彦監督によって映画化された。

このタイトルも実に片岡義男らしい。

「彼」。

「彼女」。

「オートバイ」。

「島」。

大きな思想を示す言葉は一つもない。

しかし、この四つを並べるだけで、何かが始まりそうな気配がある。

若い男女。

移動する機械。

日常から離れた場所。

タイトルだけでも、閉じた部屋より外へ向かう感覚がある。

高校生のころというのは、不思議なものである。

実際には自由に使えるお金も少ない。

車もない。

場合によってはオートバイもない。

遠くへ自由に旅行できるわけでもない。

だからこそ、本の中にある移動は大きな意味を持つ。

自分は動けなくても、物語の人物は走っていく。

小説とは、その意味でも移動するための道具だった。

昭和のアメリカは、少し遠かった

いまアメリカ文化に触れることは難しくない。

動画を見る。

音楽を聴く。

地図を見る。

街を歩く映像を見る。

現地のニュースを見る。

一般の人の日常生活まで知ることができる。

翻訳も簡単になった。

しかし、昭和の時代は違った。

外国について知るためには、本や雑誌、新聞、映画、音楽、ラジオなどが大きな役割を持っていた。

私自身、中学生のころにはBCL(Broadcast Listening・海外放送や遠距離放送の受信を楽しむ趣味)で短波放送を聞いていた。

短波ラジオから入ってくる外国の声は、インターネット以前の世界への窓だった。

片岡義男の小説も、別の方法で世界への窓になった。

ラジオが外国から実際に飛んでくる電波を受信するものだったとすれば、小説は外国文化を一度作家の感覚の中に通し、物語として読者へ渡すものだった。

同じ「アメリカ」でも、そこには違う距離感があった。

アメリカそのものではなく、「片岡義男のアメリカ」

ここは重要な点だと思う。

片岡義男の小説を読んで感じるアメリカを、現実のアメリカそのものだと考える必要はない。

作品の中のアメリカ文化は、作家が選び取ったアメリカである。

音楽。

自動車。

オートバイ。

道路。

ハワイ。

服装。

言葉。

生活の形式。

つまり、片岡義男という作家の感覚を通過したアメリカだった。

これは文学として当然のことである。

小説は旅行案内でも社会調査でもない。

作家が世界のどこを見るかによって、同じ国でもまったく違った姿になる。

だから片岡義男を読んで「アメリカを知った」というより、

「アメリカ文化を素材として、日本語の小説がこんな世界を作ることができるのか」

と知った、と考えた方が正確なのかもしれない。

男女の関係にも違う空気があった

片岡義男の小説を語る際、車やオートバイだけに注目すると、もう一つ重要な要素を落としてしまう。

男女の関係である。

もちろん、作品ごとに設定は違う。

一括して語ることはできない。

ただ、私が高校生のころに触れていた従来の文学作品と比べると、片岡作品には男女の距離にも別の空気があったように思う。

過剰に運命的ではない。

大げさな悲恋だけでもない。

男と女が出会い、話し、離れ、また動いていく。

そこに車やオートバイや音楽や場所が入り込む。

人間関係だけを世界の中心にせず、生活のさまざまなものと並列に置く。

その描き方もまた、当時「アメリカ的」と感じられた理由の一つだったのかもしれない。

ただ、いま読み返せば、男女観については昭和という時代の価値観が見える部分もあるだろう。

文学作品は、その時代から完全に自由ではない。

だから昔の作品を現在読む意味は、懐かしさだけではない。

どこまでが普遍的で、どこからが時代特有なのかを見ることにもある。

文庫本の棚にあったアメリカ

片岡義男と角川文庫との関係も、私のような世代の読書体験を考えるうえでは重要である。

公式サイトによれば、1970年代半ばから1980年代後半に書かれたオートバイを扱う多くの作品が、角川書店から文庫として刊行された。

高校生にとって、文庫本という形は大きかった。

単行本より小さい。

持ち歩ける。

比較的手に取りやすい。

そして書店の棚に何冊も並んでいる。

文学作品との出会いは、必ずしも学校の推薦図書から始まるわけではない。

隣に並んでいたから手に取る。

表紙や題名が気になる。

一冊読んだので次の一冊へ行く。

そうした偶然がある。

検索してから本を買う現代とは、少し違う。

先に答えがあるのではなく、棚の前で出会う。

片岡義男の小説が運んできたアメリカも、私にとっては、その文庫本の棚から始まったのだと思う。

「憧れ」という言葉だけでは足りない

昭和のアメリカ文化を語るとき、「アメリカへの憧れ」という言葉でまとめられることが多い。

確かに、その側面はあっただろう。

しかし、それだけでは少し単純すぎる。

憧れには、現実を知らないことによる想像も含まれる。

また、アメリカ文化を取り入れながら、日本人の側で独自に変形していくこともある。

音楽もそうだった。

ファッションもそうだった。

自動車文化もそうだった。

文学も同じである。

片岡義男の小説は、アメリカ文学をそのまま日本語に移したものではない。

日本人の人物が日本語の小説の中で動き、その背景にアメリカ文化の断片がある。

つまり、昭和の日本がアメリカをどのように受け止めたのか、その一つの形を見ることができる。

そこが面白い。

現在から読むと、何が変わるのか

高校生だったころ、私はそこまで分析して片岡義男を読んでいたわけではない。

ただ読んでいた。

そして、そこに他の作家とは違う雰囲気を感じていた。

現在なら、もう少し距離を取って考えることができる。

なぜオートバイだったのか。

なぜ道路だったのか。

なぜアメリカ文化が魅力を持ったのか。

なぜその作品を高校生が読んだのか。

そして、その「格好よさ」は時代が変わっても残るのか。

おそらく、残る部分と残らない部分の両方がある。

車種や服装や音楽は変わる。

社会における男女の関係も変化する。

アメリカへの距離感も変わった。

しかし、

「ここではない場所へ行きたい」

という気持ちは、それほど変わっていないのではないか。

若いときほど、その感覚は強い。

片岡義男の小説には、それを道路やオートバイという具体的な形にする力があった。

「昭和のアメリカ」を読んでいた

いま振り返ると、私は高校生のころ、片岡義男の小説を通してアメリカそのものを読んでいたわけではなかったのだと思う。

読んでいたのは、

昭和の日本人が想像したアメリカ

だった。

そして、さらに言えば、

片岡義男という作家が日本語で作り出したアメリカ

だった。

そこには道路があり、オートバイがあり、海があり、音楽があり、若い男女がいた。

それは現実そのものではない。

しかし、文学が作る世界として確かに存在した。

太宰治が人間の弱さを通して私を内側へ向かわせたとすれば、片岡義男は外の世界へ視線を向けさせた。

三島由紀夫が文章というものの強さを感じさせたとすれば、片岡義男は生活そのものも文学の材料になることを見せた。

文学は一種類ではない。

人間の深い苦悩を書くこともできる。

美や死について書くこともできる。

そして、オートバイで道路を走る若者を書くこともできる。

高校時代の本棚の中では、それらが同時に存在していた。

それが私の実際の読書だった。

本の中から聞こえていたエンジンの音

現在では、昭和のアメリカ文化を知ろうと思えば、資料はいくらでも探すことができる。

当時の映像も見られる。

音楽もすぐに聴ける。

古い自動車やオートバイの情報も検索できる。

片岡義男の著作についても、公式サイト「片岡義男.com」で全著作の電子化が進められている。紙の本が書店から姿を消しても、作品そのものは新しい媒体へ移されている。

媒体は変わった。

しかし、読書の記憶は検索結果とは少し違う場所に残っている。

高校生だった私が文庫本を手に取ったころ、ページの向こうには、自分の日常とは違う世界があった。

道路が伸びている。

その先に海がある。

エンジンがかかる。

音楽が聞こえる。

そして誰かが、ここではない場所へ走っていく。

もちろん、それは現実のアメリカではなかった。

けれども、昭和という時代の日本に暮らしていた若い読者にとって、それは確かに「外の世界」の一つだった。

本は、ときに場所を運んでくる。

そして片岡義男の小説が私たちの前に運んできたものの一つが、あの時代の「アメリカ」だったのだと思う。


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