『Hot-Dog PRESS』が作った1980年代の青年文化
1980年代の若者文化を振り返ろうとすると、音楽なら松田聖子やサザンオールスターズ、YMO(Yellow Magic Orchestra・日本のテクノポップを代表する音楽グループ)、自動車ならソアラやプレリュード、ファッションならDCブランド(Designer and Character Brands・デザイナーやブランドの個性を前面に出したファッションブランド群)といった名前が次々に出てくる。
しかし、その時代を実際に生きた若者が、何を格好いいと思い、どんな服を着て、どんな店へ行き、どんな音楽を聴き、異性とどう付き合えばいいと考えていたのかを知ろうとすると、個々の商品や流行だけを並べても十分ではない。
そこには、若者に向かって「いまはこれが格好いい」「こういうものを知っている男になったほうがいい」と教える媒体が存在していた。
その一つが、講談社の『Hot-Dog PRESS』だった。
『Hot-Dog PRESS』は1979年に創刊された若年男性向けの情報誌である。ファッション、音楽、商品、遊び、恋愛など、若い男性の生活に関わるさまざまなテーマを扱い、1980年代から1990年代にかけて大きな存在感を持った。とりわけ後年まで語られるのが、「デート・マニュアル」としての側面である。
だが、『Hot-Dog PRESS』を単なる恋愛指南雑誌として片づけてしまうと、この雑誌が1980年代の若者文化に果たした役割のかなりの部分を見失う。
この雑誌が若者に教えていたのは、女の子との付き合い方だけではなかった。
むしろ重要だったのは、若い男性に対して「青年としての生活様式」そのものを提示したことである。
若者が自分で情報を探さなければならなかった時代
現在なら、服を買おうと思えばインターネットで検索できる。レストランを探すことも、映画の評判を調べることも、知らないブランドについて調べることも難しくない。
SNS(Social Networking Service・インターネット上で情報を発信し交流するサービス)を開けば、他人が何を着て、何を食べ、どこへ出かけているのかまで大量に流れてくる。
1980年代には、そのような情報環境は存在しなかった。
もちろんテレビも新聞もラジオもあった。しかし、それらは若者一人ひとりに向かって、「今度のデートではどこへ行けばいいのか」「どんな服を着ればいいのか」「どんな時計を持つと格好いいのか」まで教えてくれる媒体ではない。
そこで大きな役割を果たしたのが雑誌だった。
『POPEYE』『MEN'S CLUB』『平凡パンチ』『週刊プレイボーイ』など、それぞれ性格の異なる雑誌が若者に情報を届けていた。そのなかで『Hot-Dog PRESS』は、商品情報とファッションと恋愛と遊びを比較的近い場所に置いた。
ここが重要だったと思う。
服は服、音楽は音楽、自動車は自動車、恋愛は恋愛というように、それぞれを独立した趣味として扱うのではない。それらを一つに組み合わせて、「こういう生活をする若者が格好いい」というモデルを作ったのである。
つまり雑誌を一冊読むことによって、自分がまだ知らない世界の輪郭を見ることができた。
その意味で雑誌は情報源であると同時に、若者にとって一種の教科書でもあった。
『Hot-Dog PRESS』は「青年になる方法」を教えていた
少年から青年へ移るとき、人は急に大人になるわけではない。
高校生や大学生になったからといって、どんな服を選べばいいのかが突然分かるわけでもなければ、女性との付き合い方が分かるわけでもない。レストランの選び方も、自動車の知識も、時計やオーディオや酒についての知識も、最初から持っているわけではない。
家庭や学校が教えてくれる範囲にも限界がある。
学校は数学や国語を教えてくれるが、デートでどこへ行けばよいのかまでは教えてくれない。
親から受け継ぐ生活文化もあるが、1980年代の若者が求めた新しいファッションや音楽や都市文化について、親世代が必ずしも詳しかったわけではない。
その空白を雑誌が埋めた。
『Hot-Dog PRESS』を読むという行為には、単に新商品を知ること以上の意味があったのではないか。
そこには「大人になる前の予習」という側面があった。
何を着るのか。
何を持つのか。
どこへ行くのか。
何を聴くのか。
そして女性とどう付き合うのか。
現在から見ると奇妙に思えるほど、1980年代にはこうした事柄を雑誌から学ぶ文化が成立していた。
「モノを知っていること」が青年の教養だった
1980年代の青年文化を考えるうえで、もう一つ見逃せないものがある。
それは商品について知っていることそのものが、一種の教養になっていたことである。
時計、スニーカー、ジーンズ、ジャケット、オーディオ、自動車、バイク、カメラ。
ブランドや型番を知り、違いを説明できることには、それなりの意味があった。
現在から見ると単なる消費文化のようにも見える。
実際、批判的に考えれば、『Hot-Dog PRESS』を含む若者雑誌が消費を刺激する役割を果たしていたことは否定できない。格好いい若者になるためには、この服、この時計、この店、この自動車が必要だというメッセージは、企業の商品販売とも極めて相性がよかった。
しかし、そこだけで評価すると1980年代の青年文化を単純化しすぎる。
雑誌を読んだからといって、紹介された商品をすべて買えるわけではなかった。
むしろ、多くの若者にとって雑誌に載っている商品は「見るもの」でもあった。
高校生ならなおさらである。
高価な時計や自動車を購入できるわけではない。それでも写真を眺め、メーカー名を覚え、いつか欲しいと思う。その過程で、自分なりの好みが形成されていく。
消費とは、必ずしも購入だけではない。
何を欲しいと思うかもまた文化なのである。
『Hot-Dog PRESS』は、その「欲しいと思うもの」の体系を作る雑誌でもあった。
ファッションは服ではなく、自己紹介だった
1980年代の若者向け雑誌にとって、ファッションは重要なテーマだった。
しかし、そこで扱われていたファッションは単に防寒のための衣服ではない。
どんな服を選ぶかによって、その人がどんな人物なのかを表現する。
現在ならごく普通の考え方に見えるが、若者が自分自身のアイデンティティーを商品やブランドによって表現する文化が急速に広がった時代として1980年代を見ると、その意味はかなり大きい。
雑誌は商品を紹介しながら、同時に人物像を提示する。
この服を着る男。
この靴を履く男。
この音楽を聴く男。
この自動車に乗る男。
そこから、一つの青年像が作られていく。
そして読者は、それをそのまま真似する場合もあれば、自分には合わないと思う場合もあっただろう。
重要なのは、比較する対象が与えられたことである。
人は何もないところから自分のスタイルを作ることは難しい。
誰かが示した型を見て、それを真似したり、少し変えたり、ときには拒否したりしながら、自分の好みを作っていく。
雑誌は、そのための巨大な見本帳だった。
デートまで「方法」が必要になった
『Hot-Dog PRESS』について現在まで最も強く記憶されているのは、やはり恋愛やデートを扱った記事だろう。同誌が若者の「デート・マニュアル」として一時代を築いたことは、後年の紹介でも繰り返し言及されている。
なぜ恋愛にマニュアルが必要だったのだろう。
考えてみれば不思議である。
好きな人がいれば話しかければよい。二人で行きたい場所へ行けばよい。それだけなら、雑誌が教える必要はない。
しかし1980年代になると、デートは単に男女が会う行為ではなくなっていた。
どこで待ち合わせるのか。
どんな店へ行くのか。
何を着ていくのか。
どのように誘うのか。
どんな話題を選ぶのか。
都市化と消費社会の発達によって選択肢が増えた結果、逆に「正解が分からない」という状況が生まれた。
選択肢が少なければ、人はそれほど迷わない。
選択肢が増えると、選ぶための情報が必要になる。
『Hot-Dog PRESS』が支持された背景には、この構造があったのではないかと思う。
携帯電話のなかったデート
ここには現在との決定的な違いもある。
携帯電話もスマートフォンも普及していない時代のデートでは、待ち合わせそのものが現在より重い意味を持った。
約束した場所へ決められた時間に行かなければならない。
相手が遅れても、外出してしまえば簡単には連絡できない。
現在のように「10分遅れます」とメッセージを送ることもできない。
後年、『Hot-Dog PRESS』のデート文化を振り返る記事でも、こうした携帯電話以前の待ち合わせ事情が紹介されている。
この違いは単なる技術の差ではない。
人間関係の作り方そのものが違っていた。
相手の行動がリアルタイムで見えない。
既読もない。
位置情報もない。
だから雑誌が提供する「どう振る舞えばいいのか」という情報には、現在とは違う切実さがあった。
都市を知らない若者に、都市を教えた
もう一つ、『Hot-Dog PRESS』のような雑誌の重要な役割として考えたいのが、東京を中心とする都市文化を全国へ運んだことである。
これは1980年代の雑誌文化全体にいえることでもある。
地方に住んでいても雑誌は買える。
東京の店へすぐ行くことはできなくても、その店が存在することは知ることができる。
原宿、渋谷、青山、六本木といった地名が、単なる地理上の名称ではなく、ファッションや音楽や遊びと結びついた文化的記号になっていく。
これは、片岡義男の小説を通して昭和の若者が「アメリカ」を想像したことと、どこか似ている。
実際のアメリカへ行かなくても、小説、映画、音楽、雑誌を通してアメリカを想像できる。
同じように地方の若者は、東京に住んでいなくても雑誌を通して東京を想像することができた。
その東京が現実の東京と完全に一致していたかどうかは、それほど重要ではない。
重要なのは、雑誌のなかに「行ってみたい世界」が存在していたことである。
北方謙三という、もう一つの顔
『Hot-Dog PRESS』の文化を考えるとき、商品やデートだけでは語れない人物がいる。
作家の北方謙三である。
北方は1980年代から長期間にわたり『Hot-Dog PRESS』で若者の人生相談を担当した。後年、新潮社も北方の若者へのメッセージを語る際、この連載を代表的な仕事の一つとして振り返っている。
ここにも、この雑誌の性格がよく表れている。
若者が知りたかったのは服や自動車だけではなかった。
恋愛、仕事、将来、自信のなさ、人間関係。
青年期には、いくらでも悩みが生まれる。
その相談に対して作家が答える。
雑誌は商品カタログであると同時に、人生について考える場所でもあった。
もちろん、そこで示される男性像には明らかに時代性がある。
強い男、決断する男、女性をリードする男。
現在の価値観から見れば違和感を持つ部分もあるだろう。
しかし、それも含めて1980年代なのである。
文化を振り返るということは、現在の価値観に合う部分だけを選んで懐かしむことではない。
当時どのような男性像が支持されていたのかを見ることも、時代を理解するためには必要だ。
『Hot-Dog PRESS』は本当に若者文化を「作った」のか
ここまで書いてくると、一つ疑問が生じる。
本当に『Hot-Dog PRESS』が若者文化を作ったのだろうか。
雑誌が若者に命令し、その通りに若者が行動していたという説明なら単純すぎる。
若者文化は雑誌だけから生まれたものではない。
テレビ、ラジオ、映画、レコード、ファッションブランド、自動車メーカー、百貨店、広告、大学、繁華街、ディスコなど、無数の要素が相互に影響していた。
雑誌はその一部である。
しかし、雑誌にはそれらを一つの誌面に集める力があった。
音楽を聴き、自動車に乗り、服を選び、女性とデートする。
本来別々だった行為を一つのライフスタイルとして編集する。
ここに雑誌の大きな力があった。
だから「作った」という言葉を、何もないところから文化を発明したという意味で使うのは適切ではない。
むしろ社会のなかに生まれていたさまざまな欲望や流行を集め、それを「これが現在の若者だ」という形に編集し、再び若者へ返した。
その循環によって文化を強めた。
それが『Hot-Dog PRESS』の役割だったのではないかと思う。
情報が少なかったから、雑誌の影響力が大きかった
現在は情報が多すぎる時代である。
検索すれば何万件もの情報が出てくる。
動画を見れば誰かが商品を紹介している。
SNSを開けば無数のファッションを見ることができる。
その代わり、一つの媒体が若者全体の価値観に強い影響を与えることは難しくなった。
1980年代は逆だった。
情報源が現在より限られていたため、一冊の雑誌が持つ影響力は大きかった。
本屋へ行き、雑誌を買い、最初のページから最後のページまでめくる。
興味のない記事まで目に入る。
これはインターネット検索との大きな違いである。
検索では、自分が知りたい情報を探す。
雑誌では、自分が知ろうとも思っていなかった情報に出会う。
ファッションの記事を読むつもりだったのに自動車の記事を読み、音楽の記事を読み、作家の文章を読む。
その偶然性が、一人の若者の興味を広げていく。
雑誌文化には、そのような力があった。
1980年代を美化する必要はない
だからといって、雑誌の時代が現在より優れていたと結論づける必要はない。
情報を得る方法についていえば、現在のほうが圧倒的に便利である。
地方に住んでいても海外の情報を直接調べることができる。商品価格を比較し、利用者の評価を読み、自分に合ったものを選択できる。
1980年代の雑誌が示した価値観には、商業主義もあった。
高価な商品を持つことが格好よさと結びつきやすく、男性と女性の役割にも固定的な考え方が残っていた。
誰もが雑誌の提示する青年像に当てはまったわけでもない。
そこを忘れて1980年代を「良い時代だった」とだけ語れば、単なる懐古趣味になってしまう。
それでも『Hot-Dog PRESS』を振り返る意味があるとすれば、そこには現在とは違う「青年になる仕組み」が見えるからである。
一冊の雑誌のなかに、青年の世界があった
1979年に創刊された『Hot-Dog PRESS』は、2004年にいったん休刊した。その後2014年にデジタル媒体として復活したとき、想定された読者の中心は、かつて若者として雑誌を読んでいた世代だった。
この事実は象徴的である。
若者のための雑誌だったものが、年月を経て、その若者たち自身の過去を呼び戻す媒体になった。
雑誌のページに載っていた服の多くはもう流行ではない。
紹介された店も、自動車も、オーディオも変わった。
デートの方法も変わった。
待ち合わせ場所で相手を30分待つような経験さえ、スマートフォンの時代には少なくなった。
それでも雑誌を開いた経験が消えるわけではない。
なぜなら、そこに載っていたのは商品だけではなかったからだ。
「大人になったらこんな生活をしてみたい」
「こんな服を着てみたい」
「こんな場所へ行ってみたい」
という、まだ経験していない未来が載っていた。
若者向け雑誌とは、未来の生活を先に見るための媒体でもあったのである。
『Hot-Dog PRESS』が作った1980年代の青年文化とは、特定のファッションやデート方法だけではない。
情報を集め、モノを選び、都市に憧れ、異性との関係に悩みながら、自分がどんな大人になりたいのかを考える文化だった。
一冊の雑誌のなかに、青年になるための世界がほとんど丸ごと入っていた。
いま同じ役割を一冊の雑誌に求めることは、おそらく難しい。
だからこそ『Hot-Dog PRESS』を振り返ることは、一つの雑誌を懐かしむだけではなく、若者が雑誌によって自分の未来を想像することのできた時代そのものを振り返ることになるのだと思う。

