リベラル文庫(九条レオン)

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岩波文化と文春文化~出版社は日本人の「考え方」をどう作ってきたのか

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出版社は本を売っているだけなのか

 本屋の棚には、岩波書店、文藝春秋、新潮社、講談社、中央公論新社、筑摩書房、河出書房新社など、多くの出版社の名前が並んでいる。私たちは通常、本を著者名や題名、内容への関心によって選ぶが、長い読書生活を続けていると、「岩波らしい本」「文春らしい本」という感覚を持つことがある。同じ歴史上の出来事や社会問題を扱っていても、出版社によって題材の選び方、著者の顔ぶれ、説明の方法、読者への問いかけ方が異なるように感じられるのである。もちろん、出版社が刊行する書籍を一つの思想や編集方針で説明することはできず、岩波書店にも思想的立場の異なる著者が存在し、文藝春秋も多様な政治的見解や社会観を持つ人々の文章を掲載してきた。また、出版社の性格は創業時から現在まで不変だったわけではなく、社会情勢、出版市場、編集者、経営環境、読者層などによって変化してきた。

 それでも、どの著者を選ぶか、何を古典として残すか、どの問題を社会へ提示するか、どの程度の専門性を読者に求めるかという編集上の選択が長期間積み重なれば、出版社には一定の文化的特徴が形成される。読者も出版社の過去の実績から内容を期待し、その期待が次の編集方針に影響を与えるため、出版社の文化とは編集者が一方的に作るものではなく、著者、読者、社会との相互作用によって形成されるものでもある。本稿では、このような編集文化の違いを便宜的に「岩波文化」と「文春文化」と呼ぶが、これらは確立された学術上の分類ではなく、両社の出版活動を比較するための分析上の概念である。したがって、岩波書店のすべての出版物が岩波文化の特徴を持ち、文藝春秋のすべての出版物が文春文化の特徴を持つという意味ではない。

 本稿の目的は、両社のどちらが優れているか、どちらの思想が正しいかを判定することではなく、出版社が何を知識として選び、どのような形で読者に届け、その活動が日本の読書文化や社会認識にどのような影響を与えてきたと考えられるかを検討することである。その際には、歴史的資料によって確認できる事実と、出版物の特徴から推測される編集文化、さらに読者への影響に関する仮説を区別する必要がある。出版社が一定の編集方針を持っていたことと、その編集方針が読者の思考を実際に変化させたことは同じではないからである。

1 岩波書店は知識を社会へ広げる出版社として出発した

 岩波書店は1913年、岩波茂雄によって創業された。創業当初から学術、思想、文学、芸術などを重視し、日本の近代的な出版文化において重要な位置を占めるようになった。その出版活動を理解するうえで特徴的なのは、書籍を単なる販売商品としてではなく、知識や文化を社会へ伝え、将来へ継承する媒体として位置付けてきたことである。もっとも、岩波書店だけが文化的価値を重視していたわけではなく、他の出版社も文学、学問、思想の普及に貢献しており、岩波書店も市場や経営上の制約から自由だったわけではない。出版事業である以上、刊行物が読者に購入されなければ事業を継続できず、編集上の理念と経済的な成立可能性は常に調整される必要があったが、その歴史を見ると、市場で売れるかどうかとは別に、学術的価値、文化的意義、長期的な保存価値を重視する姿勢が繰り返し現れている。この特徴を具体的に示すものが、1927年に創刊された岩波文庫である。

2 岩波文庫~出版社が「古典」を選ぶということ

 岩波文庫は1927年に創刊され、古今東西の古典や価値ある良書を厳選し、学生用、携帯用の廉価な書籍として広く普及させる方針が掲げられていた。高価な全集や専門書としてしか接することが難しかった作品を、比較的手に取りやすい形で提供しようとする試みだったが、ここで重要なのは、文庫が単に書籍を小型化した商品ではないということである。膨大な文学作品、思想書、歴史書などの中から、何を刊行し、何を再刊し、どの翻訳を採用し、どのような解説を付けるかを出版社が判断することは、読者が何を重要な作品として認識するかに影響し得る。

 プラトン、カント、夏目漱石、古典文学、歴史書、哲学書、社会科学の著作などを一つの出版シリーズに収めることは、読者に対して知識の領域や学習の道筋を提示することでもある。もちろん、何を古典と評価するかは時代や社会によって変化し、出版社の選択だけによって決定されるものではないが、長期間にわたる刊行と再刊の積み重ねが、古典に接する機会を提供してきたことは確かである。岩波文庫の重要性は、古典の内容を保存したことだけではなく、読者が過去の思想や文学にアクセスするための経路を整備し、その結果として、日本の教養文化を支える仕組みの一つになった点にある。

3 岩波文庫は読者に知的努力を求める

 岩波文庫に収められた著作には、現代の一般読者にとって容易ではないものが少なくない。古い日本語、外国語から翻訳された哲学的概念、歴史的背景の知識を必要とする作品、詳細な注釈を備えた古典などがあり、こうした書籍は読み始めれば直ちに理解できるとは限らず、用語を調べ、解説を読み、時には繰り返し読むことを求める。この特徴からは、読者を情報の消費者としてだけではなく、知識を獲得する学習者として想定する編集姿勢を読み取ることができ、難しい内容をすべて平易な言葉へ置き換えるのではなく、原典の複雑さをある程度保持し、その理解に必要な手がかりを提供するという方向性が見られる。

 ただし、岩波文庫のすべてが難解なわけではなく、親しみやすい文学作品や比較的短い随筆も刊行されているうえ、難解な書籍を刊行すること自体が優れた編集の証拠になるわけでもない。説明が不十分で理解しにくいことと、対象そのものが高度であることは区別しなければならないが、それでも、読者が知識を得るために一定の努力をすることを前提とした出版活動が、岩波文庫の重要な特徴の一つであることは否定しにくい。ここには、読書を娯楽や情報収集にとどめず、自己形成や教養の獲得と結び付ける発想が見られる。

4 岩波新書~専門知を一般社会へ届ける仕組み

 1938年に創刊された岩波新書は、岩波書店のもう一つの重要な出版事業である。専門研究の成果を、専門家以外の読者にも理解できる形で提供することを目指したシリーズであり、政治、経済、歴史、科学、教育、社会問題、文化など、幅広い分野を扱ってきた。大学の専門書は学問分野ごとの高度な知識を前提としている場合がある一方、新聞や一般向けの記事は、多くの読者へ情報を届けるために紙幅や時間の制約を受けやすい。新書はその中間に位置する出版形式として、一つのテーマを一定の分量で体系的に説明する役割を果たしてきた。

 例えば、人口減少という問題を考える場合、新聞記事では最新の人口統計や行政施策が取り上げられることが多いが、体系的な新書では出生率の変化、人口移動、労働市場、家族制度、地域経済、社会保障などの関係を整理し、現象の背景を理解するための枠組みを提供できる。岩波新書の特徴は、こうした専門的知識と一般読者との間に橋を架けることにあり、専門家の研究をそのまま掲載するのではなく、一般読者が問題の構造を理解できるよう編集する点にある。その意味で、岩波新書は専門知を公共的な知識へと変換する仕組みの一つだったと評価できる。

 ただし、岩波新書だけがこの役割を果たしてきたわけではない。中央公論新社の中公新書、講談社のブルーバックス、文藝春秋の文春新書なども各分野の知識を一般社会へ普及させてきたため、岩波新書の歴史的意義は、このような新書文化の形成に早い段階から参加し、長期間にわたって学術的な知識を提供し続けてきたことにある。

5 『世界』~敗戦と知識人の社会的責任

 1946年、岩波書店は総合雑誌『世界』を創刊した。創刊の背景には、第二次世界大戦での敗戦と、日本の知識人が戦争を防ぐことができなかったという深い問題意識があった。岩波書店の社史によれば、岩波茂雄は、日本に優れた知識人が存在しながら国家が戦争と敗北へ向かうことを阻止できなかったことを痛恨の問題として捉えており、知識や学問が社会から切り離されたままでは同じ過ちが繰り返されるのではないかという反省が、『世界』創刊の重要な背景となった。

 ここでは、学問の成果を専門家の内部にとどめるのではなく、政治や社会に関する公共的な議論へ結び付けることが意識されていた。平和、民主主義、憲法、外交、人権、教育、社会制度などについて、研究者、思想家、評論家らが論じ、その議論を一般社会へ届ける媒体として『世界』が位置付けられたのである。『世界』は戦後の平和主義やリベラルな論壇と深い関係を持ち、全面講和論、安全保障政策、憲法問題などをめぐる議論でも重要な役割を果たしてきたが、その政治的立場を岩波書店のすべての出版物へ当てはめることはできない。

 また、『世界』が社会的議論の重要な場であったことと、その議論が国民の政治意識をどの程度変化させたかは別の問題であり、後者を明らかにするには、当時の発行部数、読者層、他の雑誌や新聞との論争、世論調査、政治過程との関係などを調査する必要がある。それでも、学術的知識を社会的課題と結び付けようとする姿勢が、戦後の岩波書店を特徴付ける重要な要素だったことは、歴史的資料から確認できる。

6 岩波文化は「理念や構造から現実を見る」

 ここまでの岩波文庫、岩波新書、『世界』の特徴を整理すると、岩波文化には原典、概念、歴史、制度、理論などを通じて現実を理解しようとする傾向が見られる。社会問題に直面したとき、目の前で何が起きたかという事実だけではなく、その出来事を理解するために必要な歴史的背景や制度的条件を確認しようとする姿勢である。例えば、地方自治体の財政問題を考える場合、特定の首長の発言や事業の失敗だけでなく、地方税制度、地方交付税制度、人口構造、公共施設の維持費、自治体の歳入構成などを検討し、個別の出来事をより大きな制度や構造の中へ位置付ける。

 この方法の強みは、一時的な感情や事件の印象に左右されず、問題の背景を長期的、体系的に考察できることにあるが、一方で抽象的な理念や制度の説明に重点を置きすぎると、現実の意思決定に関わる個人の動機、利害関係、組織文化、偶然の出来事などが十分に捉えられない危険もある。さらに、民主主義、平和、人権などの理念を重視することと、具体的な政策の妥当性を科学的に検証することは同じではなく、望ましい理念を掲げていても、その実現手段が有効であるかどうかは財政、経済、法律、行政能力、社会的影響などの条件によって判断する必要がある。したがって、岩波文化を「正しい考え方」と定義することは適切ではなく、より客観的には「理念、資料、歴史、制度、体系を重視して社会を理解する編集傾向」と位置付けることができる。

7 文藝春秋は自由な言論と文学から始まった

 文藝春秋は1923年、菊池寛による雑誌『文藝春秋』の創刊から始まった。創刊号には芥川龍之介、川端康成、横光利一らが参加し、3000部が短期間で完売したことが同社の歴史に記録されている。菊池寛は創刊に際して、依頼されて文章を書くことに飽き、自分の考えを自由に述べたいという趣旨を表明しており、この精神は文藝春秋が現在まで自社の出版文化を説明する際にも重視しているものである。

 岩波書店が学術、思想、文化の普及を重要な出発点としていたのに対し、文藝春秋は文学者の自由な発言と、書き手の個性を生かす雑誌文化から発展したという違いがある。ただし、両社の創業理念を単純に対立させることはできず、岩波書店も自由な学問や言論に関わってきたし、文藝春秋も知識や文化を社会へ届ける役割を担ってきた。また、創業時の理念がその後のすべての出版活動を規定したわけでもないが、それでも岩波書店が知識や作品の価値を前面に置いた出版活動を象徴するのに対し、文藝春秋の創刊には書き手の個性や自由な発言を重視する特徴が見られる。この違いは、その後の編集文化を考えるための一つの手がかりとなる。

8 文春文化は「人間から社会を見る」

 文藝春秋の出版活動を理解するうえで重要なのが、人間そのものへの関心である。文学者、政治家、経営者、官僚、芸能人、スポーツ選手、歴史上の人物など、具体的な個人の経験や行動を通じて社会を描く編集方法が広く用いられてきた。文藝春秋の採用資料でも、創業者菊池寛の雑誌作りの原点として人間への強い関心が語られており、これは同社の編集文化を理解するうえで参考になる一次資料である。

 例えば政治問題を扱う場合、選挙制度や行政制度そのものを説明するだけではなく、誰がどのような判断をしたのか、どの人物が対立したのか、政策決定の背景に何があったのか、当事者は何を語ったのかという切り口が用いられることがある。経営問題についても同様であり、企業の財務構造や市場環境だけではなく、経営者の意思決定、社内の権力関係、創業者の人生、組織内の対立などから企業の動向を説明することができる。

 このような編集方法は、抽象的な社会問題を具体的な人物や出来事に結び付け、読者が理解しやすい形で提示する利点がある。人間の経験や感情に触れることで、制度や統計だけでは捉えにくい社会の側面が見えてくる場合もある一方、人間に注目することは必ずしも正確な社会分析を保証するものではなく、印象的な証言や劇的な対立が取り上げられることで、社会問題の構造的原因が見えにくくなる場合もある。したがって、文春文化の特徴は制度を軽視することではなく、人物や出来事を社会理解への入口として活用する傾向にあると考える方が適切である。

9 『文藝春秋』~文学と政治が交わる場所

 雑誌『文藝春秋』は、文学者による自由な発言を出発点としながら、次第に政治、経済、社会、歴史、人物論などを扱う総合誌へ発展した。文学作品、政治家の回想、歴史研究、経営者の証言、社会評論などが同じ媒体に掲載されることによって、異なる分野の読者が共通の言論空間に接することが可能になった。この特徴を理解するうえでは、文学と政治が完全に分離した領域ではないことが重要である。政治も経済も法律や制度によって動くと同時に、具体的な人間の判断や行動によって動き、文学は人間の心理や葛藤を描き、政治評論は制度や権力の問題を扱うが、双方には人間社会を理解するという共通点がある。文藝春秋の総合誌としての発展は、こうした異なる領域を同じ出版媒体の中で結び付けるものであった。

 ただし、文学と政治を横断することは文藝春秋だけの特徴ではなく、中央公論など、近代日本には文学、思想、政治、社会問題を横断してきた総合雑誌が存在した。したがって、文藝春秋がこの編集形式を独占的に生み出したと考えるのは正確ではなく、その特徴は総合誌文化の中で、書き手の個性、当事者の証言、人物への関心を重要な編集上の資源としてきた点にある。

10 芥川賞・直木賞~出版社が文学の評価に関わる仕組み

 文藝春秋の出版史で重要なのが、1935年に制定された芥川龍之介賞と直木三十五賞である。菊池寛が亡くなった芥川龍之介と直木三十五を記念して設けた文学賞であり、現在も日本文学の世界で大きな知名度を持つ。文学賞には作品を評価する機能だけでなく、読者の注意を特定の作品や作家へ向ける機能があり、受賞作や候補作が報道され、書店で紹介され、読者が手に取ることによって、それまで広く知られていなかった作家や作品が社会的な注目を集めることがある。

 ここには、出版社や文学賞が文化的な価値の形成に関わる仕組みが見られるが、文学賞の選考は個別出版社の編集部が単独で決めるものではなく、選考委員による審査などを通じて行われるため、文学的評価と販売促進の効果も区別する必要がある。岩波文庫が過去の文学や思想の中から何を継承するかという選択に関わってきたとすれば、芥川賞や直木賞は現代の文学作品や作家に注目を集め、将来の文学史に残る可能性を持つ作品を社会へ紹介する役割を担ってきた。ただし、岩波文庫にも同時代の作品を評価する機能があり、文藝春秋も過去の文学や歴史的著作を出版しているため、両者の違いは排他的なものではなく、それぞれの代表的な出版活動に見られる重点の違いである。

11 「古典化」と「人物化」という二つの編集機能

 ここまでの比較を整理すると、岩波文化には作品や知識を歴史的な文脈に位置付け、体系的に継承する方向性が見られる一方、文春文化には人物や出来事に焦点を当て、その経験や行動を通じて時代を描く方向性が見られる。これを便宜的に表現すれば、岩波文化は「古典化」、文春文化は「人物化」という編集機能によって特徴付けられるが、古典化と人物化は学術的に確立された両社の分類ではなく、本稿で比較のために用いる概念である。

 古典化とは作品や思想を長期的な文化的価値の中へ位置付け、後世の読者へ継承することであり、人物化とは社会や時代の問題を具体的な個人の経験や行動によって説明することである。両者は対立するとは限らず、歴史上の人物を深く理解するためには、その人物が生きた時代の制度や思想を調べる必要があり、一方で抽象的な制度が社会に与えた影響を理解するには、その制度の下で生きた人々の経験を知ることが有効である。したがって、古典化と人物化は社会を理解するための異なる入口であり、相互補完的な関係にあると考えられる。

12 「理念の岩波、現実の文春」という比較は以前から存在した

 岩波書店と文藝春秋を比較する見方は、本稿だけの独自の発想ではない。1996年には毎日新聞社編『岩波書店と文藝春秋―『世界』・『文藝春秋』に見る戦後思潮』が刊行されており、この書籍の紹介では、戦後日本の言論界を代表する両社について、「理念の岩波」と「現実の文春」という対比が提示されている。この事実は、両社の編集文化を理念と現実という視点から比較することが、従来から存在してきた出版史的な問題設定であることを示している。ただし、同書が存在するという事実だけで、その対比の正しさが科学的に証明されるわけではなく、本稿もこの先行する見方を参考にしながら、歴史的事実と分析上の仮説を区別して検討するものである。

 「理念の岩波、現実の文春」という表現は印象的だが、理念と現実は本来対立するものではない。理念は現実を評価するための基準になり得る一方、現実の分析によって理念そのものが修正される場合もある。また、岩波書店が現実の社会問題を扱ってこなかったわけではなく、文藝春秋が理念や思想を論じてこなかったわけでもないため、両社が扱う題材や思考方法には大きな重なりがある。したがって、この対比は両社の本質を断定するものではなく、代表的な編集傾向を把握するための概念として使用する必要がある。

13 岩波文化は体系、文春文化はエピソードなのか

 両社の違いをさらに抽象化すると、岩波文化は「体系」、文春文化は「エピソード」を重視する傾向があると整理できる。体系とは個別の事象を複数の概念や因果関係の中に位置付け、全体の構造として理解することであり、エピソードとは具体的な出来事や人物の経験を通じて問題を描くことである。例えば、企業の不祥事を分析する場合、体系的な方法では企業統治、法令遵守、内部監査、報酬制度、組織構造、業界の競争環境などを検討する一方、エピソードを重視する方法では経営者の発言、内部告発者の証言、現場での意思決定、組織内の対立などに注目する。

 前者は問題の構造を理解するうえで有効であり、後者は具体的な意思決定や組織の実態を把握するうえで有効であるが、体系的な説明だけでは現実の人間の行動を十分に説明できない場合があり、個別の証言だけでは制度的な原因を見落とす場合がある。このため、両者の方法にはそれぞれ長所と限界があり、重要なのは社会問題に応じて適切な分析方法を組み合わせることである。なお、こうした編集傾向を客観的に検証するには、両社の刊行物を一定期間収集し、人物中心の記事、制度分析、歴史研究、理論的考察、文学作品などの割合を比較する必要がある。現時点の本稿はそのような大規模な内容分析を行ったものではないため、体系とエピソードの違いは定量的に実証された結論ではない。

14 「正しさ」と「面白さ」は対立するものではない

 出版物を評価する際には、内容の正確性、論理的整合性、資料の信頼性と、読者の関心を引き付ける表現力を区別する必要がある。正確な内容であっても読者に伝わらなければ社会的な影響は限定されるし、面白い内容であっても事実に反していれば誤解を広げる可能性がある。岩波文化では理論、資料、歴史的背景、専門的概念などを前面に出す傾向が見られる一方、文春文化では人物、証言、事件、対立、人生などを通じて読者の関心を喚起する方法が比較的目立つ。

 しかし、岩波書店が正確性だけを重視し、文藝春秋が面白さだけを重視しているという理解は不適切である。両社とも内容の信頼性と読者への訴求力を必要としており、その程度は媒体や個別の作品によって異なるため、両社の違いは「正しさと面白さ」の対立としてではなく、「どのような方法で読者に社会を理解してもらうか」という編集上の重点の違いとして考える方がよい。岩波文化を「原理、資料、体系から考える傾向」、文春文化を「人物、証言、物語から考える傾向」と整理すれば、一方だけに正確性や優越性を認めることなく比較できる。

15 岩波文化の弱点~理念が現実から離れる危険

 理念や体系を重視する思考方法には、目の前の出来事に左右されず、問題を長期的、構造的に理解できるという強みがあるが、その方法にも限界がある。例えば、民主主義、平和、人権、社会的公正といった理念は政策を考えるうえで重要な基準になる一方、実際の政策では財政制約、安全保障、雇用、地域差、行政能力、法制度、国際関係など、多くの条件が相互に関係する。理念が望ましいということと、その理念を実現するために選択された政策が有効であるということは同じではなく、ある政策が社会的に望ましい結果を生むかどうかは、具体的な実施条件や副作用を検討しなければ判断できない。

 また、特定の理論的枠組みへの依存が強くなると、現実の事象をその枠組みに合わせて解釈し、都合の悪い証拠を軽視する危険も生じる。この問題は岩波書店に固有のものではなく、思想的立場や理論を重視する言論全般に共通するため、重要なのは理念を持つこと自体を問題視するのではなく、理念と実証的な検証を相互に結び付けることである。理論は現実を理解するための道具であり、現実のデータによって修正される可能性を常に持たなければならない。

16 文春文化の弱点~人物が制度を隠す危険

 人物や事件に注目する編集方法は、読者の関心を引き付け、社会問題を具体的に理解させる利点を持つ一方、複雑な問題を特定の人物の成功や失敗に還元してしまう危険もある。例えば、地方自治体の財政が悪化した場合、首長の政策判断や行政幹部の責任を検証することは必要だが、人口減少、税収の構造、地方交付税制度、公共施設の老朽化、社会保障費の増加などが主要な原因である場合、特定の人物の能力や判断だけで財政問題を説明することはできない。企業の不祥事についても同様であり、経営者の責任を検証するだけでは、組織内部の情報伝達、監査制度、評価制度、業界慣行などの問題を見落とす可能性がある。

 人物中心の記事では、対立や裏切り、失敗、意外な証言などが強調されることがあり、こうした情報には報道上の価値があるものの、印象的な出来事が全体の実態を代表しているとは限らない。したがって、人物や事件の報道を社会分析へ利用する際には、個別の証言を一次資料や統計、制度的背景と照合する必要があり、これは文藝春秋に限らず、人物報道や事件報道を中心とするメディア全般に求められる検証方法である。

17 岩波文化と文春文化は社会を見る二つの方法である

 理念や制度を重視する方法と、人物や経験を重視する方法は、本来、相互に排除し合うものではない。社会は制度によって構成されると同時に、その制度の下で生活し、意思決定する人々によって動いている。例えば、人口減少が進む地域の医療体制を考える場合、医療法に基づく制度、地域医療構想、医療従事者数、人口構成、患者の受療動向、医療機関の経営状況などを調べる必要がある一方、実際に医療を受ける住民、働く医師や看護師、病院経営者、自治体職員の経験を理解することも重要である。

 統計上は医療機関が存在していても、交通手段のない高齢者にとって利用が難しい場合がある一方、住民の個別の不満だけから地域全体の医療不足を判断することもできない。制度と現場、統計と証言の双方を検討することで問題をより立体的に理解できるため、岩波文化と文春文化は優劣を競う二つの思想ではなく、社会を異なる角度から観察する編集方法として理解できる。

18 戦後日本における岩波書店と教養の関係

 戦後日本では、岩波書店の出版物を読むことが、学問や教養への関心と結び付けられる時期があった。岩波文庫、岩波新書、『世界』、『思想』などは、大学、研究者、学生、教員、知識人などの読書文化と深い関係を持ってきた。このことは、出版社の名前が単なる企業名を超えて一定の文化的イメージを持つようになる現象として理解でき、岩波書店の出版物に接することが、学問への関心や知的な活動と結び付けて認識される場合があったのである。

 ただし、「岩波を読むことが教養の記号だった」という評価には時代や社会階層による違いがあり、すべての日本人がそのように認識していたわけではなく、大学教育を受けた人々や特定の知的共同体の中で、その意味が強かった可能性がある。また、岩波書店が教養文化を一方的に形成したともいえず、学校教育、大学制度、新聞、図書館、他の出版社、読書会なども教養文化の形成に関わってきた。岩波書店は、こうした広い文化的環境の中で重要な役割を果たした出版社の一つと評価するのが適切である。

19 文藝春秋が形成した人物・事件報道の文化

 文藝春秋は総合誌『文藝春秋』に加え、『オール讀物』、『週刊文春』、文春文庫などを展開してきた。1930年には『オール讀物』の前身となる媒体が刊行され、1959年には『週刊文春』が創刊された。その後、1969年に大宅壮一ノンフィクション賞が創設され、1974年には文春文庫が創刊されており、これらの出版活動によって、文学、人物、事件、政治、社会、ノンフィクションなど、幅広い分野を扱う出版文化が形成された。特に人物の証言や事件の背景を重視する編集方法は、社会の公式な説明だけでは見えにくい情報へ読者の関心を向ける役割を果たしてきた。政治家や経営者など、社会的影響力を持つ人物の行動を検証することは、権力に対する監視機能とも関係する。

 一方で、社会的関心を集めることと公共的な意義があることは必ずしも一致せず、人物の私生活や個人的な対立を扱う場合には、知る権利、プライバシー、名誉、報道の必要性などを比較衡量する必要がある。したがって、文春文化を評価する際には、調査報道による権力監視という側面と、人物や事件に対する読者の好奇心を満たすという側面を分けて考えることが重要である。

20 出版文化を理解するための社会学的視点

 出版社が文化的価値の形成に関わるという考え方には、社会学的な理論上の根拠がある。フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、文学や芸術などの文化生産を、著者、出版社、批評家、教育機関、読者などが相互に関係する社会的な場として分析した。このような文化生産の場では、作品の価値は内容だけで決まるわけではなく、誰が書いたか、どの出版社が刊行したか、誰が評価したか、教育機関でどのように扱われたか、読者がどのように受け止めたかなど、多くの要因によって文化的な評価が形成される。

 岩波文庫が古典を刊行することも、芥川賞や直木賞が作品に注目を集めることも、こうした文化的価値の形成と関係する。出版社や文学賞には、作品を社会へ流通させるだけでなく、作品への評価や関心を高める可能性があるが、出版社が特定の作品を刊行しただけで、その作品の価値が自動的に決まるわけではない。作家、批評家、読者、大学、図書館、書店、報道機関などの相互作用が必要になるため、この理論的視点から考えると、出版社は文化の価値を独占的に決定する存在ではなく、文化的な価値形成に参加する複数の主体の一つである。

21 メディアは人々の「注目する問題」に影響を与える

 出版社と読者の関係を考えるうえでは、メディア研究におけるAgenda-setting(アジェンダ・セッティング・議題設定)の概念も参考になる。これは、メディアがある問題を繰り返し取り上げたり、大きく扱ったりすることで、人々がその問題を重要だと認識する程度に影響を与える可能性を説明する考え方である。例えば、ある雑誌が長期間にわたって人口減少、社会保障、教育格差などを特集すれば、その読者がそれらの問題に接する機会は増える一方、人物の不祥事や政治的対立を繰り返し取り上げる媒体では、読者が特定の人物や事件へ注意を向ける機会が増える。

 ただし、メディアが何を重要な問題として提示するかということと、読者がその問題についてどのような結論に到達するかは別であり、ある問題に注目するようになった読者が、編集部の主張に賛成するとは限らない。さらに、読者はもともと関心のある媒体を選ぶ傾向があるため、岩波書店の本を読む人が体系的な説明を好む場合、それは岩波書店の出版物によって形成された好みなのか、もともと持っていた好みに合う書籍を選んだ結果なのかを区別しなければならない。したがって、出版物が読者の注意や認識に影響する可能性は理論的に支持されるが、岩波書店や文藝春秋が読者の思考様式をどの程度変化させたかについては、別途、実証的な検討が必要である。

22 出版社が読者を作るのか、読者が出版社を選ぶのか

 出版社と読者の関係を考える際に最も注意すべきなのは、因果関係の方向である。出版社が特定の編集方針を継続すると、それに関心を持つ読者が集まり、長期間の読書を通じて知識や関心が変化する可能性があるが、もともと特定の関心や価値観を持つ読者が、その期待に合う出版社を選んでいる可能性もある。例えば、社会制度を体系的に理解することを好む人が岩波新書を選び、人物の証言や事件の背景に関心を持つ人が文藝春秋の媒体を選ぶ場合、読書傾向と考え方の間には関係が見られるだろうが、その関係だけでは出版社の出版物が考え方を形成したとは断定できない。

 さらに、学校教育、家庭環境、職業、年齢、所得、学歴、政治的関心、他のメディアへの接触なども読書傾向と社会認識に影響するため、出版社の影響を考える場合には、こうした要因も含める必要がある。実際の関係は出版社が読者へ一方的に影響する単純なものではなく、出版社が編集方針を提示し、読者がそれを選択し、その反応を出版社が把握して次の刊行物へ反映するという循環的な過程として理解できる。この意味で、「出版社が読者を作る」という表現は文化的影響を説明する比喩としては有効だが、科学的には「出版社と読者が相互作用を通じて、一定の読書文化を形成してきた」と表現する方が正確である。

23 日本人全体への影響を語るには限界がある

 岩波書店と文藝春秋はいずれも長い歴史と知名度を持つ出版社であるが、そのことだけを根拠に、日本人全体の思考様式を形成したと断定することはできない。出版社の影響を受ける程度は、その出版物をどの程度読んだかによって異なり、同じ本を読んでも読者の年齢、教育歴、職業、生活環境、関心などによって受け止め方が変わる可能性がある。さらに、日本人の社会認識は出版社だけで形成されるわけではなく、学校教育、家庭、新聞、ラジオ、テレビ、インターネット、職場、地域社会、政治的な出来事などが複合的に影響する。

 したがって、岩波文化や文春文化が日本人全体に及ぼした影響を数量的に評価するためには、読者数、読書頻度、読者属性、媒体への接触期間、社会的態度などについて代表性のある調査が必要である。本稿ではそのような調査を実施していないため、両社が日本人全体の思考をどの程度形成したかについて具体的な割合や因果効果を示すことはできないが、それでも両社が日本の出版史や言論文化の中で重要な位置を占めてきたことは歴史的に確認できる。したがって、両社の編集文化を考察することには、日本の読書文化や社会認識の一側面を理解する意義がある。

24 影響力を数理的・統計的に検証するには何が必要か

 岩波文化と文春文化の違いを印象論にとどめず、実証的に評価するためには、まず編集文化を測定可能な指標へ置き換える必要がある。例えば、一定期間に刊行された書籍や雑誌記事を対象として、内容を「学術・理論」「制度分析」「歴史研究」「人物評伝」「事件報道」「証言」「文学作品」などに分類し、両社の刊行物における各分類の割合を比較すれば、編集上の重点がどの程度異なるかを数量的に確認できる。

 ただし、両社全体を単純に比較するだけでは適切な結果が得られるとは限らない。岩波新書と『週刊文春』では、出版社の違いだけでなく、書籍と週刊誌という媒体の性格、想定読者、刊行頻度、記事の長さなどが異なるため、比較する場合には岩波新書と文春新書、総合誌『世界』と『文藝春秋』など、ある程度機能が近い媒体を選ぶ必要がある。また、戦前、戦後、高度経済成長期、平成期、令和期など、時代による変化も考慮しなければならない。

 さらに、編集文化の違いが確認できたとしても、それだけでは読者への影響は証明できない。読者への影響を検証するには、読書前後の認識の変化を追跡する調査や、もともとの関心、教育歴、年齢、職業などを考慮した統計分析が必要になる。例えば、岩波新書を継続的に読む人が社会問題を制度や統計から理解する傾向を示したとしても、それが読書による変化なのか、もともとそうした考え方を好む人が岩波新書を選んだ結果なのかを検討しなければならない。

 また、発行部数や販売部数は媒体が社会へどの程度到達したかを考える参考資料にはなるが、読者の思考を変化させた程度を直接示すものではない。一冊の本が複数人に読まれる場合もあれば、購入されても十分に読まれない場合もあるため、出版物の社会的影響力は、刊行規模、読者への到達、内容の特徴、読者の反応、態度や知識への変化という複数の段階に分けて評価する必要がある。

25 「岩波的知識人」と「文春的知識人」という分類

 戦後日本の言論文化には、社会問題を原理や制度から論じる知識人と、人物や事件から社会を描く書き手の双方が存在してきた。前者には研究者、思想家、専門家、評論家などが含まれ、歴史的資料、理論、統計、制度の分析を通じて社会問題を説明する方法を重視する傾向がある一方、後者には作家、記者、ノンフィクション作家、人物評論家などが含まれ、当事者の経験、具体的な出来事、人物の行動、組織内部の証言などを通じて社会を理解しようとする傾向がある。

 これらを便宜的に「岩波的知識人」「文春的知識人」と呼ぶことはできるが、実際に二つの明確な集団が存在したという意味ではない。同じ研究者が人物を中心とした文章を書く場合もあれば、記者が制度や統計を用いて体系的に問題を分析する場合もあり、知識人の活動領域も特定の出版社に限定されない。同じ著者が異なる出版社から著作を刊行することもあり、思想や分析方法が出版社の境界と一致するわけではないため、この分類は個人の属性を確定するものではなく、社会問題を説明する際の方法論の違いを理解するための補助的な概念として扱う必要がある。

26 岩波と文春を政治的な左右だけで分類できない理由

 岩波書店と文藝春秋の違いを「岩波は左、文春は右」と説明することがあるが、このような分類は両社の出版活動全体を説明するには不十分である。確かに『世界』は戦後日本の平和主義やリベラルな論壇と深く関係してきた一方、文藝春秋の媒体には保守的な政治思想を代表する論者が多く登場した時期や領域もある。しかし、岩波書店は政治思想だけでなく、古典文学、哲学、数学、自然科学、歴史、辞典など幅広い分野を扱っており、文藝春秋も文学、歴史、政治、経済、社会、ノンフィクションなど多様なジャンルを刊行してきた。

 さらに、政治的な左右という分類そのものも一元的ではなく、経済政策、社会保障、外交、安全保障、文化政策、個人の自由など、何を基準にするかによって評価が変わる。政治的立場を比較するのであれば、出版社全体を一括して分類するよりも、特定の雑誌、時期、テーマ、執筆者、編集方針などを対象とする方が適切であり、岩波文化と文春文化の比較において重要なのは、政治的な位置付けだけではなく、どのような情報を選び、どのような方法で社会を説明するかという編集上の特徴である。

27 出版社は読者の関心を形成すると同時に、読者に選ばれる

 出版社が特定のジャンルや編集方法を継続すると、その内容に関心を持つ読者が集まり、読者は過去に読んだ本や雑誌の経験から出版社への期待を形成し、その期待が次の購入や購読へ影響する。例えば、岩波新書である分野を学んだ読者が同じシリーズの別の書籍を購入することや、文藝春秋の雑誌で興味深い人物記事を読んだ人が関連する書籍やノンフィクション作品を購入することがある。

 このような継続的な読書によって、読者の知識、関心、情報を選ぶ基準が変化する可能性があると同時に、出版社は売れ行きや読者の反応を把握し、刊行するテーマや書き手を選択していく。つまり、出版社は既存の読者へ商品を届けるだけでなく、読者が新しい問題へ関心を向ける機会を提供している一方、読者も自分の関心や価値観によって出版社を選び、その選択が出版社の活動に影響するため、出版社と読者の関係は一方向の教育や誘導ではなく、相互選択と相互作用の過程として考えるべきである。

28 岩波と文春の読者は本当に別なのか

 岩波書店の本を読む人と、文藝春秋の出版物を読む人が明確に二つの集団へ分かれているとは限らず、実際には両社の出版物を読み、状況に応じて異なる情報源を使い分ける人もいると考えられる。例えば、政治制度を理解するために岩波新書を読み、政治家の意思決定について『文藝春秋』の証言記事を読むという方法は十分に成立し、歴史的背景を岩波文庫で学び、同じ時代を生きた人物について文春文庫のノンフィクションを読むこともできる。

 ただし、両社の読者がどの程度重複しているかについて、本稿では具体的な統計資料を示していないため、両社の読者に大きな重なりがある、あるいは明確な違いがあると断定することはできない。重要なのは異なる出版文化を一人の読者が利用できるという点であり、体系的な知識と具体的な証言を組み合わせることによって、一つの媒体だけでは捉えにくい社会の側面を理解できる可能性がある。

29 出版社の編集は「何を重要とするか」を選択する

 出版社の役割を考える際には、内容そのものだけでなく、何を重要な情報として選択するかという問題がある。ある出版社が古典、学術、制度、歴史を重視するなら、読者はそうした領域の知識へ接する機会を得る一方、人物、証言、事件、文学、ノンフィクションを重視する出版社では、具体的な人間の経験や行動に関心を向ける機会が増える。

 編集とは単に文章を校正し、見出しを付ける作業ではなく、何を掲載し、何を掲載しないか、誰に執筆を依頼し、どの順番で読者へ提示し、どのような背景説明を加えるかという一連の判断である。この判断は読者が接する情報の範囲や順序に影響する可能性があるが、出版社が選択した情報を読者がそのまま受け入れるとは限らず、読者は内容を批判的に読み、他の情報と比較し、独自の判断を行うことができる。したがって、出版社は社会を見る枠組みを読者へ提供することはできるが、読者の考え方を完全に決定する存在ではない。

30 インターネット時代に出版社の役割は変化した

 インターネットの普及によって、読者が知識や情報へアクセスする方法は大きく変化した。現在では古典の一部を電子的に読むことができ、学術論文や公的統計、専門家の解説、当事者の発言などにも直接接する機会が増えている。かつて出版社が担っていた情報へのアクセス経路の一部は、大学、行政機関、研究者、個人の発信者、デジタル媒体などへ広がっており、出版社を経由しなければ入手しにくかった情報の中にも、現在では直接確認できるものがある。

 一方で、情報へのアクセスが容易になったことは、情報の正確性を判断しやすくなったことを意味しない。大量の情報が流通する中では、資料の信頼性、著者の専門性、事実と意見の区別、研究結果の限界などを判断する必要があり、ここで出版社の編集機能は新たな意味を持つ可能性がある。単に情報を届けるだけではなく、重要な論点を整理し、信頼できる資料を選び、必要な順序で説明し、読者が問題を体系的に理解できるようにする役割であるが、こうした役割は出版社だけが担えるものではなく、大学、図書館、研究機関、報道機関、専門家、独立した編集者なども同様の機能を果たしている。

 したがって、インターネット時代に出版社の役割が以前より重要になったと一概に断定することはできず、情報の流通構造が変化する中で、出版社がどのような付加価値を提供できるかが問われていると考えるべきである。

31 岩波も文春もデジタルメディアへ展開している

 岩波書店は、雑誌『世界』に関連するウェブ媒体「WEB世界」などを通じて、紙の書籍や雑誌以外にも情報を発信している。文藝春秋も「文春オンライン」をはじめとするデジタル媒体を展開し、従来の雑誌や書籍とは異なる経路で読者へ情報を届けている。このような変化は、出版社の影響力が紙の媒体だけでは測れなくなったことを示しており、出版物の販売部数に加え、デジタル記事の閲覧、会員による購読、電子書籍の利用、外部の情報発信媒体による紹介など、読者との接点は多様化している。

 一方で、媒体が紙から画面へ移ったとしても、何を選び、どのように説明し、誰へ届けるかという編集上の判断がなくなるわけではない。ただし、デジタル媒体では閲覧数、検索からの流入、読者の反応、広告収入、購読継続率などが編集判断へ影響する可能性があるため、紙の時代の編集文化がそのまま維持されるとは限らない。岩波文化や文春文化の現在の姿を検証するには、歴史的な出版方針だけではなく、デジタル媒体における記事の選択、見出し、配信方法、収益構造なども対象にする必要がある。

32 AI時代に編集文化はどのような意味を持つのか

 AI(Artificial Intelligence・人工知能)の発展によって、文章の要約、情報の分類、検索、翻訳、文章生成などが容易になっており、この変化は従来、出版社や編集者が担ってきた業務の一部にも影響すると考えられる。例えば、大量の資料を整理し、関連する論点を抽出し、読者に分かりやすい説明文を作成する作業は、人工知能を活用することで効率化できる場合がある。

 しかし、情報を処理することと、何を重要な問題として選択するかを判断することは同じではなく、どの著者に発言の機会を与えるか、どの論点を社会へ提示するか、どの資料を信頼するか、どの程度の裏付けを求めるかといった問題には、価値判断や編集責任が関わる。もっとも、これらの判断が人工知能には原理的に不可能だと断定することも適切ではなく、人工知能も一定の基準に基づいて情報を評価し、分類や推薦を行うことができるため、問題はその基準を誰が設定し、どのように検証し、誤りが発生した場合に誰が責任を負うかという点にある。

 この観点からは、人工知能の発展によって編集文化の価値が必ず高まるとも、出版社の役割が必ず失われるともいえず、情報処理の効率化と、人間による編集判断や検証責任の関係が再構成される可能性がある。今後の出版社にとって重要なのは、単に文章を生産する能力ではなく、資料の信頼性を確認し、複数の見解を適切に扱い、読者に必要な文脈を提供する能力になると考えられるが、これは今後の出版産業に関する合理的な見通しであり、確定した将来像ではない。

33 出版社への信頼はどのように生まれるのか

 岩波書店と文藝春秋には編集文化の違いがある一方、長期間の出版活動によって一定のブランドを形成してきたという共通点がある。読者は本を購入する際、すべての内容を事前に検証できるわけではないため、著者の経歴、書評、出版社の評判、過去の読書経験などを参考にして判断する。例えば、ある分野について学ぼうとするとき、これまでに信頼できる書籍を刊行してきた出版社の新刊を選ぶことや、過去に興味深い記事を読んだ雑誌について次号も購入しようと考えることがある。

 こうした行動には出版社が持つ評判や編集実績が関係するが、出版社のブランドが内容の正確性を保証するわけではない。著者、編集者、刊行時期、テーマによって品質は異なり、歴史ある出版社の刊行物にも誤りや偏りが含まれる可能性があるため、出版社への信頼は情報を選ぶ際の参考にはなるものの、個別の内容を検証する必要性をなくすものではない。

34 出版社の偏りを理解することが読書を深める

 出版社の編集文化を理解することは、その出版社の本を無条件に評価することではなく、どのような資料が選ばれ、どのような視点が強調され、どのような問題が十分に扱われていない可能性があるかを意識することに意味がある。岩波書店の出版物を読む場合には、原典や資料がどのように解釈されているか、理論が現実のデータと整合しているか、異なる見解が適切に検討されているかを確認することが重要である一方、文藝春秋の出版物を読む場合には、証言がどのような資料によって裏付けられているか、特定の人物の経験が社会全体を代表しているか、人物中心の説明によって制度的な背景が見えにくくなっていないかを考える必要がある。

 もちろん、これらの検証方法はどちらの出版社にも共通して適用できる。岩波書店の本にも証言の検証が必要であり、文藝春秋の記事にも統計や理論の検討が必要であるため、出版社の違いを理解することは、あらかじめ評価を決めるためではなく、読者自身が情報の特徴や限界を把握するための手がかりとなる。

35 令和の読者に必要なのは複数の視点を組み合わせる力である

 現在では、一つの問題について多様な情報源を利用できる。例えば、社会保障制度について理解したい場合、体系的な新書で基本的な仕組みを学び、政府の公的資料で制度の内容を確認し、新聞や雑誌の記事で政策をめぐる議論を把握し、当事者の証言から生活上の影響を考えることができる。このとき重要なのは単に多くの情報を集めることではなく、事実と意見、一次資料と二次資料、個別の経験と集団全体の傾向、相関関係と因果関係を区別することである。

 また、複数の出版社を読めば自動的に偏りがなくなるわけでもなく、異なる出版社が同じ情報源を利用している場合や、同じ誤りを共有している場合もあるため、情報源を比較する際には出版社名の違いだけでなく、資料の独立性、調査方法、検証可能性、反対意見の扱い、結論の根拠などを確認する必要がある。岩波文化が象徴する体系的な知識の理解と、文春文化が象徴する具体的な人物や出来事への関心は、そのような情報の比較と検証に役立つ二つの方法として捉えることができる。

36 岩波文化と文春文化は何を日本社会へ残したのか

 岩波書店の出版活動には、古典へのアクセスを広げ、専門的な知識を一般社会へ届け、歴史や思想、制度について体系的に考える機会を提供してきたという特徴があり、岩波文庫、岩波新書、『世界』などはその代表的な媒体である。一方、文藝春秋の出版活動には、文学者や社会的に影響力のある人物の発言を伝え、文学賞を通じて作品へ注目を集め、人物の証言や事件を通じて社会問題を描いてきたという特徴があり、『文藝春秋』、『週刊文春』、文春文庫、芥川賞、直木賞などがその代表的な事例である。

 これらの活動は日本の読書文化や言論文化の一部を形成してきたと評価できるが、岩波書店が体系的思考を生み出したわけでも、文藝春秋が人物中心の社会理解を独自に生み出したわけでもない。両者の方法は、それ以前から存在する学問、文学、新聞、雑誌、教育などの文化的伝統とも結び付いている。また、出版社の文化的影響は刊行物の種類や発行部数だけでは測れず、どのような読者に届き、どのように理解され、教育や社会的議論の中でどのように利用されたかによって変わるため、両社が日本人全体の考え方を直接形成したと断定することはできない。しかし、長期間にわたって異なる編集方法を提示し、日本の読者が社会へ接するための複数の経路を整備してきたことには、重要な文化的意義がある。

結論~出版社は「本」だけでなく、社会を見る方法を提供してきた

 岩波書店と文藝春秋は、いずれも百年を超える歴史を持ち、日本の出版文化において重要な役割を果たしてきた。岩波書店は1913年の創業以来、古典、学問、思想、専門的知識などを社会へ届け、文藝春秋は1923年の雑誌創刊以来、文学、人物、事件、証言、ノンフィクションなどを横断する出版文化を発展させてきた。両社の違いを政治的な左右だけで説明することはできず、むしろ重要なのは、社会を理解する際にどのような情報や分析方法を重視するかという編集文化の違いである。

 岩波文化は原典、概念、歴史、制度、体系などを通じて社会を理解する方法を象徴している一方、文春文化は人物、証言、事件、人生、物語などを通じて社会を理解する方法を象徴している。ただし、これは両社の代表的な編集傾向を整理したものであり、すべての出版物に当てはまる分類ではない。体系的な理解には社会問題の背景や因果関係を整理できるという強みがあるが、抽象的な理論だけでは現実の人間の行動や組織内の意思決定を十分に捉えられない場合がある。一方、具体的な人物や出来事に注目することは社会の現実を身近に理解するうえで有効だが、個別の経験を社会全体へ一般化したり、制度的な原因を見落としたりする危険もある。したがって、岩波文化と文春文化は対立するものというより、社会を見る二つのレンズとして考えることができ、制度や歴史を理解する視点と、人物や現場を理解する視点を組み合わせることで、社会問題をより多面的に検討できる。

 ただし、「出版社が日本人の考え方を作った」という表現については慎重な検討が必要である。出版社の編集方針が読者の知識や関心へ影響する可能性には、社会学やメディア研究の理論的な根拠があるが、岩波書店や文藝春秋が日本人全体の思考様式をどの程度変化させたかについては、読者調査、出版物の内容分析、時系列データ、因果関係を検証する研究などが必要である。出版社は読者へ情報を一方的に与えるだけの存在ではなく、読者も自分の関心や価値観に合う書籍を選び、その反応が出版社の編集方針に影響する。日本の出版文化は、出版社、著者、読者、教育機関、報道機関、社会情勢などが相互に作用する中で形成されてきたのであり、その意味で岩波書店と文藝春秋は、日本人の思考を一方的に決定してきたのではなく、社会を理解するための異なる方法を長期間にわたって提示し、日本の読書文化や言論文化の形成に寄与してきた出版社と評価するのが適切である。

 インターネットと人工知能の発展によって、知識や情報へ接する経路はさらに多様化しているが、何を読むか、どの資料を信頼するか、どのような順序で理解するか、異なる見解をどう比較するかという問題がなくなるわけではない。むしろ、情報源が多様化した社会では、読者自身が編集上の選択や情報の偏りを理解し、複数の資料を検証する力が重要になる。岩波を読み、文春を読み、そして両者を比較する過程で、読者は本の内容だけでなく、自分自身がどのような情報を重視し、どのような方法で社会を理解しているのかを問い直すことができる。

 出版社の歴史とは、単に書籍や雑誌が刊行されてきた歴史ではなく、何が知識として評価され、どのような物語が人々の関心を集め、社会の出来事をどのような方法で理解しようとしてきたのかという、日本の知的文化の歴史の一部でもある。岩波文化と文春文化を比較する意義は、どちらか一方の優位性を示すことではなく、体系と経験、理念と現実、資料と証言、制度と人間という異なる視点を理解し、それぞれの強みと限界を認識することである。出版社は本を出版してきただけではない。読者が社会を理解するための枠組みを提供し、その枠組みは読者や時代との相互作用を通じて受け継がれ、変化してきた。岩波文化と文春文化の歴史は、そのことを考えるための重要な手がかりなのである。

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