リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

 1980年代の若者文化を振り返ると、音楽なら松田聖子やサザンオールスターズ、YMO(Yellow Magic Orchestra・日本のテクノポップを代表する音楽グループ)、自動車ならトヨタ・ソアラやホンダ・プレリュード、ファッションならデザイナーズブランドやキャラクターズブランドといった名前が次々に浮かんでくる。しかし、その時代を生きた若者が、何を格好いいと思い、どんな服を着て、どんな店へ行き、異性とどう付き合えばよいと考えていたのかを理解しようとすると、個々の商品や流行を並べるだけでは十分ではない。

 そこには、若者に向かって「いまはこれが格好いい」「こういうものを知っている男になったほうがいい」と、生活の選択肢や価値観を提示する媒体が存在していた。テレビやラジオ、映画、レコード、広告などがそれぞれ異なる形で若者文化に影響を与えていたが、さまざまな情報を一つの誌面にまとめ、読者が自分の生活に取り入れられる形で紹介していたのが雑誌だった。

 その代表的な存在の一つが、講談社の『Hot-Dog PRESS』である。

 1979年に創刊された『Hot-Dog PRESS』は、若い男性を主な読者とする情報誌として、ファッション、音楽、商品、スポーツ、遊び、恋愛など、青年期の生活に関わる幅広いテーマを扱った。後年にはデートや恋愛の指南記事が特に強く記憶されるようになったが、同誌の役割をそれだけで説明すると、1980年代の青年文化の重要な部分を見落としてしまう。

 『Hot-Dog PRESS』が提示していたのは、女性との付き合い方だけではなかった。どんな服を選び、何にお金を使い、どこへ出かけ、どんな趣味を持ち、どのような男性になろうとするのかという、若い男性の生活様式そのものだったのである。

『POPEYE』への対抗から始まった若者情報誌

 『Hot-Dog PRESS』の成り立ちを考えるうえで欠かせないのが、1976年に創刊された『POPEYE』の存在である。『POPEYE』はアメリカのファッションやスポーツ、生活文化などを積極的に紹介し、若者が新しいライフスタイルを知るための情報誌として独自の位置を築いていた。『Hot-Dog PRESS』も、こうした雑誌文化の広がりを背景に、対抗する形で登場した。

 1979年の創刊当初は、男子高校生や大学生を主な対象として、アメリカ文化やファッション、音楽などを紹介する性格が強かった。最初から恋愛マニュアルを中心に作られていたわけではなく、読者の関心や社会の流行に応じて編集内容を変えながら、商品選び、都市での遊び方、男女関係などを扱う媒体へと発展していった。

 刊行形態にも変化があった。創刊時は月刊だったが、1981年6月には月2回刊へ移行している。発行頻度を高めたことは、それだけ新しい情報を継続的に届ける編集体制へと変化したことを意味する。ただし、それがどの程度読者数の増加や購買行動に結びついたかについては、発行部数や販売資料などによる別の検証が必要である。

 重要なのは、『Hot-Dog PRESS』が一貫して同じ内容を掲載していたわけではないという点だ。1970年代末のアメリカ文化への関心、1980年代前半の商品やファッションへの関心、さらに恋愛やデートの指南を求める読者の需要など、時代ごとの変化を誌面に取り込みながら、雑誌そのものも姿を変えていった。

 つまり、雑誌が一方的に若者文化を作り出したのではなく、社会に存在する流行や読者の関心を編集部が読み取り、それを再び若者へ提示するという関係が成立していたのである。

若者が雑誌から生活の情報を得ていた時代

 現在であれば、服を買おうと思えばインターネットで商品を検索できるし、レストランを選ぶ際には営業時間や価格、利用者の評価まで調べられる。知らないブランドの歴史や自動車の性能についても、必要な情報を比較的容易に得ることができる。SNS(Social Networking Service・インターネット上で情報を発信し交流するサービス)や動画配信サービスでは、他人がどんな服を着て、どんな場所へ出かけ、何を楽しんでいるのかを日常的に見ることもできる。

 1980年代には、そうした情報環境は一般には存在しなかった。テレビ、ラジオ、新聞、映画などの情報源はもちろんあったし、友人や先輩、店員との会話から新しい情報を得ることもできた。しかし、特定の商品を比較し、ファッションを学び、デートに適した店を探し、異性との付き合い方について考えるための情報を、現在のように個人が必要に応じて検索できたわけではない。

 そこで重要な役割を果たしたのが、書店で購入できる雑誌だった。『POPEYE』『MEN'S CLUB』『平凡パンチ』『週刊プレイボーイ』など、性格も読者層も異なる男性向け雑誌が存在していたが、『Hot-Dog PRESS』は商品情報、ファッション、音楽、遊び、恋愛といった複数の分野を比較的近い場所に置き、若い男性の生活を総合的に扱う媒体の一つとなった。

 服について知りたいと思って雑誌を開いた読者が、自動車やオーディオの記事を読み、さらにレストランや映画、恋愛についての記事にも目を通す。もともと興味を持っていた分野とは異なる情報に触れることで、読者の関心が広がっていく可能性があった。こうした情報との出会いは、目的を決めて検索する行為とは異なる雑誌の特徴だった。

 ただし、現在のデジタル媒体にも、推薦機能などを通じて予期しなかった情報に出会う仕組みは存在する。雑誌だけが偶然の発見を可能にしたわけではない。違いがあるとすれば、雑誌では編集者が選び、一定の順序と組み合わせで配置した情報を読者が受け取るのに対し、現在は検索履歴や利用者の関心などに応じて提示される情報の比重が大きくなっていることである。

 その意味で、1980年代の雑誌は単なる情報の入れ物ではなかった。編集者が選んだ商品の組み合わせや記事の並び方そのものが、若者に向けた一つの生活提案になっていたのである。

『Hot-Dog PRESS』は「青年になる方法」を教えていた

 少年から青年へと成長するとき、人は年齢に応じて突然大人の知識を身につけるわけではない。高校生や大学生になったからといって、自分に似合う服が分かるわけでも、女性との付き合い方やレストランの選び方、自動車や時計についての知識が自然に備わるわけでもない。家庭や学校、友人関係を通じて学べることは多いが、その範囲には個人差があり、親の世代が若者の新しいファッションや都市文化について詳しいとも限らなかった。

 そのような場面で、雑誌は学校とは異なる学習の機会を提供していたと考えられる。何を着ると格好よく見えるのか、どんな商品が評価されているのか、初めてのデートではどこへ行けばよいのか、どのような会話や振る舞いが好ましいとされているのか。『Hot-Dog PRESS』は、こうした生活上の疑問に対して、具体的な商品や場所、行動の例を示していた。

 社会学では、人が家庭、学校、友人、メディアなどとの関係を通じて価値観や行動様式を身につけていく過程を「社会化」と呼ぶ。青年期に読む雑誌も、その社会化に関わる媒体の一つと考えることができる。雑誌の記事を通して、それまで知らなかった生活様式や男性像に触れ、自分が将来どのような生活をしたいのかを考える機会が生まれるからである。

 もちろん、雑誌を読んだからといって、誰もがその内容を実行したわけではない。もともとファッションに関心のある若者が雑誌を選んでいた可能性もあれば、雑誌で知ったことから新しい興味を持つようになった場合もあっただろう。読者の価値観が雑誌を選ばせたのか、雑誌が読者の価値観を変えたのかという二つの方向は、簡単には切り離せない。

 それでも、『Hot-Dog PRESS』を読むことに「大人になる前の予習」という側面があったという解釈には、十分な合理性がある。読者は誌面に登場する商品や人物像を見ながら、自分に似合うものと似合わないもの、手に入れたいものと興味を持てないものを選び分けていた。雑誌は答えを与えるだけでなく、自分の好みを考えるための比較対象を提供していたのである。

「モノを知っていること」が一つの教養だった

 1980年代の若者文化を考えるうえで見逃せないのが、商品について詳しいこと自体に価値が置かれていたという側面である。時計、スニーカー、ジーンズ、ジャケット、オーディオ、自動車、バイク、カメラなどについて、メーカーやブランド、型番、性能の違いを知り、それを説明できることが、仲間同士の会話や自己表現の一部になる場合があった。

 商品に詳しいことが必ずしも社会的評価につながったわけではないが、趣味の集団や友人関係のなかでは、知識が一種の教養として機能することがある。例えば、同じ腕時計でも価格だけでなく、製造技術やデザイン、ブランドの歴史を知ることで見方が変わるし、自動車についても、単に移動手段として見るのか、性能や造形、メーカーの思想まで含めて評価するのかによって、その意味は異なってくる。

 こうした現象は、社会学でいう文化的な差異の形成とも関係している。フランスの社会学者ピエール・ブルデューが論じたように、人々の趣味や文化的選択は、単なる個人的な好みにとどまらず、他者との違いを示す働きを持つことがある。どの商品を所有するかだけでなく、何を知り、どのような違いを理解し、それをどう評価するかも、自分がどのような人物であるかを表す材料になり得る。

 ただし、商品を通じて自分らしさを表現する文化が1980年代に突然生まれたわけではない。1960年代の『平凡パンチ』をはじめ、それ以前の男性向け雑誌にも、ファッションや消費を通して新しい男性像を提示する役割があった。『Hot-Dog PRESS』の特徴は、こうした既存の雑誌文化を引き継ぎながら、1980年代の若い男性に向けて、商品知識と生活情報を幅広く結びつけた点に求めるべきだろう。

 また、雑誌に掲載された商品を読者がすべて購入できたわけでもない。特に高校生にとって、高価な腕時計や自動車、オーディオ機器は、現実に買うものというより、写真を眺め、名前を覚え、将来手に入れたいと思う対象だったはずだ。商品を実際に購入することと、その商品に憧れ、価値を感じることは同じではないが、後者も人々の好みや消費への関心が形成される重要な過程である。

 『Hot-Dog PRESS』は、何を買うかを教えるだけでなく、何を欲しいと思うか、その対象をどのような基準で評価するかを考える材料も提供していた。商品を知ることは、まだ経験していない大人の生活を想像することにもつながっていたのである。

ファッションは服ではなく、自分を表現する方法だった

 1980年代には、ファッションを通じて自分の個性や所属する集団を表現する文化が、若者向け雑誌や広告などによって広く可視化されていた。デザイナーズブランドやキャラクターズブランドの存在感が高まり、衣服が単に身体を保護するものではなく、どのような価値観を持ち、どのような人物として見られたいかを示す手段にもなっていた。

 雑誌で紹介されるジャケットやジーンズ、靴、腕時計などは、それぞれ独立した商品である。しかし、写真や文章によって組み合わせられることで、一つの人物像を表現する材料になる。この服を着て、この靴を履き、この音楽を聴き、この自動車に乗る男性というように、複数の商品が結びつくことで、読者は個々の商品以上の生活のイメージを受け取ることができた。

 ここには、雑誌の編集という行為の重要な特徴がある。商品そのものはメーカーが生産するが、それをどのような生活の場面に置き、どのような人物にふさわしいものとして紹介するかは、雑誌の編集によって変わる。高価な商品が必ずしも魅力的に見えるとは限らず、比較的安価な衣服でも、組み合わせ方や着こなしによって異なる印象を与えることができる。

 読者は、その提案をそのまま受け入れることもあれば、自分には似合わないと感じたり、別の雑誌や友人の意見と比較したりすることもあっただろう。雑誌が示した男性像がすべての若者の理想だったわけではないが、何を選ぶかを考えるための見本を提供していたことには意味がある。

 ただし、こうした自己表現の機会は、誰にでも同じように開かれていたわけではない。ファッションに使えるお金、住んでいる地域の店舗、友人関係、学校の規則などによって、実際に選べる服や商品には大きな違いがあった。雑誌が紹介する都会的な生活と、読者が現実に送っていた生活との間には、距離が存在した可能性もある。

 その距離があったからこそ、雑誌は日常をそのまま映すものではなく、少し先にある理想の生活を見せる媒体になっていたとも考えられる。

デートまで「方法」を学ぶ時代だった

 『Hot-Dog PRESS』について、後年まで特に強く記憶されているのが、恋愛やデートを扱った記事である。同誌は若者のデート・マニュアルとして知られるようになったが、なぜ男女の付き合い方について、雑誌による具体的な指南が求められたのだろうか。

 恋愛は本来、相手との関係のなかで進んでいくものであり、必ずしも決まった手順に従う必要はない。しかし、初めて異性を誘うときや、二人で出かける場所を選ぶときには、経験が少ないほど不安を感じやすい。どこで待ち合わせるのか、どんな服を着るのか、どの店へ行くのか、会話が途切れたらどうするのかといった問題は、若者にとって決して小さなものではなかった。

 1980年代には、都市の飲食店や商業施設、映画館、ドライブスポットなど、デートに利用できる場所や娯楽が多様化していた。もっとも、デートと消費文化の結びつきはそれ以前にも存在しており、1980年代になって初めて生まれたものではない。むしろ、選択肢が広がるなかで、どのような場所や振る舞いが望ましいとされるのかを、雑誌が分かりやすい形で提示するようになったと考えたほうが自然である。

 選択肢が増えることは自由を広げる一方で、選び方が分からない人にとっては負担になる場合もある。ただし、恋愛マニュアルが支持された理由を選択肢の増加だけに求めることはできない。異性からの評価に対する不安、友人同士の競争や同調圧力、男性が女性を誘い、デートを主導するという当時の性別役割の考え方など、複数の要因が関係していた可能性がある。

 さらに、恋愛やデートを扱う記事は、ファッション、飲食、自動車、娯楽などの商品情報とも結びつきやすかった。男性がデートのために服を選び、店を調べ、場合によっては自動車を購入するという構図は、商品を販売する企業にとっても魅力的だったはずだ。読者の情報需要だけでなく、広告や販売促進との関係も、雑誌が恋愛情報を積極的に扱った背景として検討する必要がある。

 したがって、『Hot-Dog PRESS』のデート・マニュアルは、若者の恋愛不安を解消するための情報であると同時に、恋愛を商品や都市での消費行動と結びつける文化的な仕組みでもあったと考えられる。

携帯電話が普及する前のデート

 1980年代のデートを現在と比較すると、通信手段の違いも見逃せない。日本では1985年にショルダーホン、1987年に携帯電話のサービスが登場したが、当時は高価で、一般の高校生や大学生が日常的に持ち歩く通信手段ではなかった。多くの若者にとって、外出先で自由に連絡を取り合うことは、現在ほど容易ではなかったのである。

 例えば、駅前で午後1時に待ち合わせをすると約束した場合、相手が遅れても、現在のようにスマートフォンで簡単に連絡を取ることはできなかった。公衆電話や固定電話を利用する方法はあったものの、相手も外出していれば連絡がつかないことがあり、約束した時間と場所の意味は現在より大きかったと考えられる。

 待ち合わせ場所を正確に決め、そこまでの交通手段や所要時間を調べ、相手が遅れた場合にどうするかを考えることも、デートの準備の一部だった。店の場所や営業時間についても、事前に雑誌やガイドブックなどで確認する必要があり、外出してから必要な情報を検索できる現在とは、行動を決める順序そのものが異なっていた。

 ただし、携帯電話がなかったことによって、人間関係が必ず深くなったとか、恋愛が現在より真剣だったと結論づけることはできない。連絡が難しいことで生まれる緊張や期待があった一方、行き違いや不便さも存在したはずである。

 それでも、こうした通信環境の違いを考えると、デートの場所や段取りを事前に教える雑誌の記事が、当時の若者にとって実用的な意味を持っていたことは理解しやすい。『Hot-Dog PRESS』が提供していた情報には、現在ではスマートフォンによって容易に得られるものも少なくなかったのである。

地方の若者に東京の都市文化を伝えた

 『Hot-Dog PRESS』のような全国的に流通する雑誌には、都市文化を地方の読者へ伝える役割もあったと考えられる。これは同誌だけに限らず、1980年代のファッション誌や音楽誌、情報誌全体に見られる特徴の一つである。

 地方に住む若者にとって、東京の原宿、渋谷、青山、六本木といった場所は、必ずしも気軽に出かけられる地域ではなかった。しかし、雑誌を通して店の名前や街並み、ファッション、音楽、遊び方などを知ることはできた。実際に行ったことがなくても、その街がどのような場所なのかを想像し、自分もいつか訪れてみたいと思うことは可能だった。

 そうした都市への憧れは、地方の若者が東京へ進学したり、就職したり、旅行したりする際の期待にも関係していたかもしれない。ただし、『Hot-Dog PRESS』がどの程度地方の若者の行動や価値観を変えたのかについては、地域別の販売部数や当時の読者調査などを確認しなければ判断できない。雑誌が地方で購入できたことと、地方の若者全体に強い影響を与えたことは、区別する必要がある。

 それでも、雑誌の誌面に登場する都市が、現実の地理的な場所であると同時に、文化的な憧れの対象にもなっていたという見方には意味がある。原宿は単に東京都内の一地域ではなく、特定のファッションや若者文化を連想させる名前になり、六本木もまた、夜の娯楽や大人の都市生活と結びつく場所として語られていた。

 この関係は、片岡義男の小説や映画、音楽を通して、実際には訪れたことのないアメリカの生活を想像することにも似ている。現実のアメリカと作品のなかのアメリカが必ずしも一致しないように、雑誌が描く東京も、実際に生活する人々が経験する東京のすべてではなかった。

 それでも、雑誌には自分が住んでいる場所の外側に、まだ知らない生活が存在することを伝える力があった。そうした意味で、『Hot-Dog PRESS』は都市の流行を紹介するだけでなく、地方の若者が都市の文化を想像するための窓の一つだったのである。

北方謙三が示した、もう一つの男性像

 『Hot-Dog PRESS』の文化を考えるとき、ファッションや商品、デートだけでは説明できない重要な存在がある。作家の北方謙三である。

 北方は1986年1月から2002年6月まで、同誌で人生相談「試みの地平線」を連載した。読者の恋愛や仕事、将来への不安、人間関係などについて、作家としての独自の人生観から答えるものであり、1980年代後半以降の同誌を特徴づける連載の一つとなった。

 この連載が興味深いのは、若者の悩みに対して、単に役に立つ情報を提供するだけではなく、どのような姿勢で人生に向き合うべきかという価値観を提示していたことである。商品を選ぶ方法やデートの段取りとは異なり、人生相談には一つの正解があるとは限らない。それでも、読者は作家の言葉を通して、自分の弱さや迷いを考え直したり、理想とする男性像を思い描いたりすることができた。

 北方の回答には、決断力、自立、覚悟、行動力などを重視する、硬派で男性的な価値観が強く表れていた。そのような男性像は、当時の一部の読者にとって魅力的だったと考えられるが、すべての若者に共有されていたわけではないし、現在の価値観から見れば、男女の役割や男性らしさについて違和感を持つ部分もあるだろう。

 ここで重要なのは、過去の価値観を現在の基準だけで単純に肯定したり否定したりすることではない。1980年代には、男性に対してどのような強さや振る舞いが期待されていたのか、そして若者自身がそれをどのように受け止めていたのかを考えることである。

 「試みの地平線」は、『Hot-Dog PRESS』が商品や娯楽の情報誌であると同時に、若い男性の生き方や価値観についても語る媒体だったことを示している。服や自動車の選び方を教える雑誌のなかに、人生について考えるための文章も存在していたのである。

1980年代の男性像と変わり始めた社会

 『Hot-Dog PRESS』が提示した青年像を理解するためには、雑誌そのものだけでなく、当時の日本社会の変化にも目を向ける必要がある。1980年代は、消費文化が広がる一方で、男女の社会的な役割や働き方についても変化が進んでいた時期だった。

 1985年には男女雇用機会均等法が成立し、翌1986年に施行された。ただし、当初の法律は現在の制度とは異なり、募集・採用や配置・昇進などについて努力義務が中心となっていた。法律が成立したからといって、男女の働き方や社会的な立場が直ちに平等になったわけではないが、女性の就業機会や社会参加をめぐる議論が重要性を増していたことは確かである。

 その一方、男性向けの恋愛記事では、男性が女性を誘い、店を選び、デートを主導するという構図がしばしば見られた。このような考え方は、当時の社会に残っていた性別役割の意識と関係していたと考えられる。ただし、誌面がその価値観をそのまま反映していたのか、読者に対して積極的に広めていたのかについては、個々の記事を詳しく分析する必要がある。

 また、1980年代全体を後半のバブル景気と同じものとして捉えることにも注意が必要だ。一般にバブル景気とされるのは1986年末から1991年初めにかけての時期であり、1979年の創刊当初や1980年代前半の若者文化を、バブル期の消費行動だけで説明することはできない。

 『Hot-Dog PRESS』が存在感を強めていった時代には、経済状況や社会制度、男女関係をめぐる価値観がそれぞれ変化していた。雑誌はそうした変化から独立して存在していたのではなく、社会の動きを取り込みながら、当時の男性に向けた生活の提案を続けていたと考えるべきだろう。

雑誌が紹介する生活と、読者の現実は同じではなかった

 ここで一つ注意しなければならないのは、『Hot-Dog PRESS』が描いた生活を、そのまま1980年代の若者全体の生活だと考えてはいけないということである。

 雑誌の主要な対象は若い男性であり、女性の経験や価値観を同じ程度に反映していたわけではない。また、若い男性のなかでも、高校生、大学生、就業している人では、所得や自由に使える時間、生活環境に大きな違いがあった。東京の流行を身近に感じられる読者がいる一方、掲載された店や商品に簡単には接することのできない地方の読者もいただろう。

 例えば、雑誌で高級な自動車や腕時計が紹介されていても、それを現実に購入できる若者は限られていたはずだ。デートに利用できる店や施設についても、地域や所得によって選択肢は異なっていた。したがって、雑誌の誌面に現れる消費文化と、若者の日常的な消費行動を同一視することはできない。

 また、異性との恋愛やデートを重視しない若者もいれば、雑誌が示す男性像を好まない若者もいただろう。『Hot-Dog PRESS』が描いたのは、当時の青年文化のすべてではなく、若い男性を中心とする特定の市場に向けて編集された生活像だったのである。

 しかし、この点は雑誌の文化的な価値を否定するものではない。むしろ、現実の若者の生活と雑誌が示す理想との間に距離があったことこそ、雑誌を読み解くうえで重要なのかもしれない。手の届かない商品や、まだ経験したことのない都市生活を誌面で知り、それに憧れること自体が、若者の意識や好みを形成する一つの過程だったと考えられるからである。

『Hot-Dog PRESS』は本当に青年文化を作ったのか

 ここまで考えてくると、最も重要な問いに戻ることになる。『Hot-Dog PRESS』は本当に1980年代の青年文化を作ったのだろうか。

 雑誌の編集部が流行を決め、読者がその指示に従って商品を購入し、行動していたという説明では、当時の文化の複雑さを捉えきれない。若者文化は雑誌だけから生まれたものではなく、テレビ、ラジオ、映画、音楽、自動車メーカー、ファッションブランド、百貨店、広告会社、大学、繁華街、ディスコなど、多くの要素が相互に関係しながら形成されていた。

 また、雑誌の影響力を考える場合には、発行部数と実際の読者数、さらに読者の行動への影響を区別する必要がある。『Hot-Dog PRESS』については、最盛期の発行部数が約70万部に達したとする資料もあるが、発行部数は実売部数や読者数と同じではない。一冊を複数人で読む場合もあれば、購入してもすべての記事に目を通すとは限らないため、発行部数だけで青年文化への影響の大きさを測ることはできない。

 さらに、雑誌を読んだ若者が特定の服を好むようになったとしても、それが雑誌の影響なのか、友人やテレビ、広告などの影響なのかを簡単に判断することはできない。もともと流行に敏感な若者が雑誌を好んで読んでいた可能性もあるため、雑誌と若者の価値観に関係が見られるだけでは、直接的な因果関係が証明されたことにはならない。

 厳密に検証するのであれば、1979年から1989年までの誌面を年代別に調べ、ファッション、商品、恋愛、音楽、人生相談などに割かれたページ数の変化を分析する必要がある。広告の割合や掲載された商品を調べ、同時代の『POPEYE』や『MEN'S NON-NO』などと比較すれば、『Hot-Dog PRESS』の独自性もより明確になるだろう。当時の読者への聞き取りも参考になるが、数十年前の記憶には変容が生じる可能性があるため、その点にも配慮が必要である。

 こうした資料が十分にそろっていない以上、『Hot-Dog PRESS』が若者文化をどの程度変化させたかを数量的に断定することは難しい。しかし、雑誌が当時のファッションや商品、都市生活、恋愛に関する情報を選び、一つの生活様式として編集していたという点は、実際の誌面内容から確認できる。

 したがって、『Hot-Dog PRESS』が青年文化を「作った」という表現は、何もないところから流行を発明したという意味で理解するべきではない。社会のなかに生まれていた流行や欲望、価値観を選び、それを分かりやすい形にまとめて若者へ届けることによって、既存の文化を広めたり、強めたりする役割を果たしたと考えるのが妥当だろう。

 雑誌が社会の流行を取り込み、その誌面を読んだ人々が商品や生活様式に関心を持ち、その反応が再び編集内容に反映される。『Hot-Dog PRESS』の文化的な役割は、このような雑誌と読者、そして社会との相互作用のなかにあったのではないだろうか。

情報源が限られていた時代の雑誌の力

 現在と1980年代を比較するとき、情報量の違いは確かに大きい。現在では、商品、店、観光地、音楽、映画などについて大量の情報を検索し、複数の情報源を比較することができる。しかし、1980年代には、個人が必要な情報へ直接アクセスする手段が限られており、雑誌やテレビなどの既存メディアが情報を選んで届ける役割は現在より大きかったと考えられる。

 もっとも、情報源が少なかったという理由だけで、一冊の雑誌が若者全体に強い影響を与えたと結論づけることはできない。実際の影響力には、雑誌の販売規模や読者層、競合媒体の存在、読者からの信頼、友人同士の情報交換など、さまざまな要因が関係する。1980年代にも複数の雑誌が存在し、若者の関心は決して一つの媒体に集中していたわけではなかった。

 それでも、書店で雑誌を購入し、ページを順番にめくっていく経験には、現在とは異なる情報との接し方があった。ファッションの記事を読むつもりで買った雑誌に、知らなかった自動車や音楽、作家の文章が載っていることがあり、そうした出会いを通して関心が広がる可能性があった。

 現在のインターネットにも偶然の情報との出会いはあるが、雑誌の場合は、編集者が何を掲載し、どのような順序で読ませるかを考えて構成していた点に特徴がある。一冊の雑誌には、異なる分野の情報を一つの世界観にまとめる編集上の力が存在していたのである。

 そのため、雑誌を読むことは、単に知識を増やすだけの行為ではなかった。自分がまだ知らない商品や場所、人間関係について知り、そこから新しい生活の可能性を想像する行為でもあった。『Hot-Dog PRESS』は、そうした役割を担った若者向け雑誌の代表的な存在の一つだった。

1980年代を美化する必要はない

 『Hot-Dog PRESS』のような雑誌を振り返るとき、現在とは違う情報の得方や、若者が持っていた憧れに魅力を感じることはあるだろう。しかし、そのことと、1980年代の社会が現在より優れていたという評価は別である。

 情報を調べる便利さについていえば、現在のほうがはるかに多くの選択肢を持っている。地方に住んでいても、海外の商品や文化について直接情報を得ることができ、価格を比較し、利用者の評価を読み、自分に合ったものを探すことができる。かつては雑誌を通してしか知ることのできなかった店や地域についても、現在ではさまざまな情報源を利用できる。

 また、1980年代の男性向け雑誌には、商品を所有することと格好よさを結びつける商業主義的な側面や、男女の役割を固定的に捉える価値観も存在していた。高価な商品を買えることが魅力的な男性の条件であるかのように描かれれば、それに応えられない読者に劣等感を与える可能性もある。恋愛の方法を一つの型として提示することも、読者の不安を和らげる一方で、特定の振る舞いを正解として押しつける働きを持つ場合があっただろう。

 さらに、誌面に登場する都会的な生活が、1980年代の若者全体の日常だったわけでもない。経済力や地域によって生活の選択肢には違いがあり、雑誌で紹介される価値観から距離を置く若者も存在したはずである。

 文化を振り返る際には、懐かしさと歴史的な評価を区別する必要がある。自分が若かった時代の記憶は、その後の経験によって美化されることもあれば、特定の場面だけが強く残ることもある。『Hot-Dog PRESS』を評価するうえでも、当時の読者がどのような思いで雑誌を開いていたのかを理解しつつ、その背後にあった商業的な仕組みや社会的な制約にも目を向けなければならない。

 それでも同誌を振り返る意味があるとすれば、そこには現在とは異なる、若者が自分の将来を想像するための情報環境が見えてくるからである。

若者の雑誌から、かつての若者の雑誌へ

 1979年に創刊された『Hot-Dog PRESS』は、1980年代から1990年代にかけて若い男性向けの情報誌として展開したが、2002年7月から10月にかけて一時休刊し、同年11月には月刊誌として再出発した。その後、2004年12月号を最後に紙媒体としての刊行を終了している。

 しかし、雑誌の名前がそこで完全に消えたわけではなかった。2010年には、かつての読者世代を主な対象とする『OYAJI Hot-Dog Press』が期間限定のウェブ媒体として登場し、2014年6月にはデジタル雑誌として再び復刊した。

 2014年の復刊時に興味深かったのは、対象とする読者がかつての若者ではなく、40代を中心とする男性になっていたことである。1979年に高校生や大学生だった読者は、その時点ですでに50代前後になっており、1980年代後半から1990年代に同誌を読んでいた世代も、中年期を迎えていた。

 若い男性に向けてファッションや恋愛、商品選びを教えていた雑誌が、年月を経て、その読者たちの現在の生活や悩みを扱う媒体として再登場したのである。この変化は、単に雑誌のブランドを再利用したというだけでなく、読者と雑誌の関係が時間とともに変わっていくことを示している。

 かつての読者は、若いころには新しい情報を得るために雑誌を開いていたかもしれない。しかし、年齢を重ねてから同じ名前の雑誌を見るときには、そこに現在の生活に役立つ情報だけでなく、自分が若かった時代の記憶も重ね合わせることになる。

 雑誌に載っていた服や自動車、店の多くは変わり、デートの方法も通信手段も大きく変化した。それでも、雑誌を読みながら未知の商品に憧れたり、大人の生活を想像したりした経験は、読者の記憶のなかに残り続けることがある。

 『Hot-Dog PRESS』の復刊は、雑誌そのものだけでなく、その雑誌を読んでいた世代が年齢を重ねたことを映し出す出来事でもあった。

一冊の雑誌のなかに、青年の未来があった

 『Hot-Dog PRESS』が1980年代の若者に提供していたものを改めて考えると、それは単なる商品情報や恋愛指南ではなかったように思う。もちろん、実際の誌面には商品を販売するための広告があり、流行を紹介する記事があり、読者の興味を引くための企画もあった。雑誌は商業的な出版物であり、そこから切り離して考えることはできない。

 しかし、読者にとって雑誌が持っていた意味は、必ずしも編集部や広告主の意図だけで決まるものではない。高価な自動車を買うことができなくても、その写真を眺めて将来の生活を想像することはできたし、東京の店へ行ったことがなくても、いつか訪れてみたいと思うことはできた。恋愛の経験が少ない若者にとって、誌面に書かれたデートの方法は、そのまま実行するための指示ではなく、まだ知らない男女関係について考える材料だったかもしれない。

 雑誌が示した生活様式を読者がすべて受け入れたわけではなく、実際にどの程度の影響を与えたのかを厳密に測定することも難しい。それでも、ファッション、音楽、商品、都市生活、恋愛、人生相談といった異なる情報を一つにまとめ、若い男性が自分の将来を考えるための材料として提供していたことは、『Hot-Dog PRESS』という雑誌の特徴だった。

 そこに掲載されていたのは、すでに読者が経験している日常だけではなかった。「大人になったらこんな服を着てみたい」「いつかこんな自動車に乗ってみたい」「知らない街へ出かけてみたい」「自分もこんな生活をしてみたい」という、まだ実現していない未来の姿でもあった。

 若者向け雑誌とは、そのような未来の生活を先に見るための媒体でもあったのだろう。

 『Hot-Dog PRESS』が1980年代の青年文化を形づくったというのは、同誌が当時の若者の価値観を一方的に決めたという意味ではない。社会のなかに存在していた流行や商品、都市への憧れ、男女関係をめぐる考え方を集め、それらを一つの生活様式として編集し、読者へ提示することで、若い男性の自己形成に関わる情報環境の一部を担っていたということである。

 現代では、一冊の雑誌がファッションから人生相談までをまとめて引き受ける必要性は、以前ほど大きくないかもしれない。必要な情報は検索でき、商品や店の評価は比較でき、さまざまな人の生活を映像や文章で知ることができる。その便利さを考えれば、雑誌の時代に戻る必要はない。

 それでも、一冊の雑誌を開けば、自分の知らない商品や街、音楽や生き方に次々と出会い、そこから少し先の自分を想像できた時代があった。

 『Hot-Dog PRESS』を振り返ることは、単に懐かしい雑誌を思い出すことではない。情報の得方が現在とは異なっていた時代に、若者が何を知り、何に憧れ、どのような大人になろうとしていたのかを考えることでもある。

 そして、その一冊のなかには、若者がまだ経験していない未来の生活が、さまざまな形で描かれていたのである。

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