リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

~日本文学でありながら、国境を越えて読まれる理由を考える~

日本の作家でありながら、世界の多くの国で名前を知られている作家がいる。村上春樹である。

村上春樹の作品は、現在では50を超える言語に翻訳され、アジア、ヨーロッパ、北米をはじめ、さまざまな地域で読まれている。日本で人気のある作家が外国語に翻訳されること自体は珍しくないが、村上春樹の場合は、単に「日本の有名作家が海外でも紹介されている」という段階を越えている。国によって読者層は異なり、作品の受け止め方も違う。それでも長く読み継がれ、新作が出れば世界各地で話題になる作家になっている。

なぜなのだろう。

日本文化への関心が高いからなのか。翻訳に恵まれたからなのか。文章が読みやすいからなのか。それとも、世界の読者が共感できる何かが作品の中にあるからなのか。

おそらく、そのどれか一つでは説明できない。

村上春樹の小説には、日本で書かれた文学でありながら、日本社会について詳しい知識を持たなくても作品の中へ入っていける特徴がある。その一方で、物語の中心には孤独や喪失、自分が自分であることへの違和感、他人との距離といった、人間が国籍に関係なく抱きうる感情が置かれている。

そして、そこには音楽があり、食事があり、仕事があり、恋愛があり、都市生活がある。極めて日常的な生活が続いていると思うと、そのすぐ隣に説明のつかない世界が開く。

この現実と非現実の混ざり方に、村上春樹が世界で読まれる理由の一つがあるのではないかと思う。

日本を説明しなくても読める日本文学

外国文学を読むとき、その国の歴史や宗教、社会制度についての知識がないために、作品へ入りにくいことがある。

私自身、高校生のころにフランス文学やロシア文学へ挑戦したことがあるが、作品そのものの難しさに加えて、そこに描かれている社会の仕組みや階級、宗教観、人物の複数の呼び名などが理解を難しくした。

その経験から考えると、村上春樹の小説には、外国人読者にとって比較的入りやすい部分があるように思う。

登場人物は音楽を聴く。食事を作る。コーヒーを飲む。本を読む。仕事をする。誰かからの電話を待つ。失われた人を思い出す。

もちろん舞台は日本であり、日本社会の中で人物は生活している。しかし、それらの日常は、日本にしか存在しないものではない。

ニューヨークでもロンドンでもパリでも、あるいは上海でもソウルでも、人は一人で食事をし、音楽を聴き、誰かを思い出す。

つまり、村上作品には、読者が自分の生活から物語へ入っていける入口がある。

外国文学を読むときに必要になることのある「まずその国を理解しなければならない」という壁が、比較的低いのである。

だからといって、村上春樹の文学が日本的でないということではない。

むしろ重要なのは、日本社会の中にいる人物を描きながら、そこに普遍的な生活感覚が存在していることではないだろうか。

西洋文化の影響だけでは説明できない

村上春樹については、しばしば「西洋的な作家」という評価がなされる。

実際、作品の中にはジャズやクラシック音楽、ロックなどが頻繁に登場する。外国文学への言及も多く、本人自身が英語圏文学から強い影響を受けてきたことも知られている。

しかし、「西洋的だから西洋でも読まれた」と考えるだけでは、説明としては不十分である。

もし外国文化を取り入れるだけで世界的な作家になれるのであれば、同じことをしている作家は世界中に数多く存在するはずだからである。

村上春樹の場合に興味深いのは、西洋文化を異物として描くのではなく、日本の日常生活の中へ自然に置いているところだと思う。

登場人物がジャズを聴いていても、それは外国文化を紹介するためではない。クラシック音楽について語っていても、教養を示すためだけに登場するわけではない。それらは人物の生活の一部として存在している。

考えてみれば、現在の私たちの生活そのものがそうである。

日本人がアメリカの音楽を聴き、ヨーロッパの映画を見て、外国製のコンピューターを使い、海外の情報に日常的に接する。

同時に、外国の人々も日本のアニメや小説に触れ、韓国の音楽を聴き、世界中の文化を混ぜながら生活している。

現代社会では、文化はすでに国境できれいに分かれてはいない。

村上春樹の小説は、そうした時代の生活感覚をかなり早い段階から文学の中に取り込んでいたのではないかと思う。

孤独は国境を越える

しかし、文化的に入りやすいというだけなら、村上作品がこれほど長く世界で読まれている理由にはならない。

もっと重要なのは、物語の中心に置かれている人間の問題である。

村上春樹の小説には、孤独な人物がしばしば登場する。

ただし、その孤独は社会から完全に排除された人間の孤独とは限らない。

仕事を持っている。住む場所もある。恋人や配偶者がいることもある。日常生活も送っている。それでも、どこか世界と完全にはつながっていない。

周囲と普通に会話をしながら、自分だけが少し別の場所にいるように感じる。

誰かを失った記憶が残っている。

過去の出来事から完全には離れられない。

自分は何者なのかと考える。

この感覚は、日本人だけのものではない。

むしろ、都市化が進み、人間関係が複雑になった現代社会では、多くの国の読者が理解できる感情ではないだろうか。

大勢の人に囲まれていても孤独を感じることがある。

SNS(Social Networking Service・インターネット上で人と交流し情報を発信するサービス)で多くの人と接続していても、心の距離が縮まるとは限らない。

社会が便利になれば、人間の孤独が自動的に消えるわけでもない。

むしろ、社会との接続が増えるほど、自分自身の内側にある孤独がはっきり見える場合もある。

村上春樹の小説には、そのような現代人の感覚が繰り返し現れる。

だから読者は、作品の舞台が日本であっても、自分自身の問題として読むことができるのだと思う。

日常のすぐ隣に、別の世界がある

村上春樹の小説を特徴づけるものの一つが、現実と非現実の境界の曖昧さである。

主人公は普通に生活している。

朝起きて、食事をし、音楽を聴き、仕事をする。

ところが、その日常の中に突然、説明のできない出来事が入り込んでくる。

現実には存在しないような場所へ行くこともある。夢と現実の境界が曖昧になり、不可解な人物と出会うこともある。

しかし、それらは完全なファンタジー世界として切り離されてはいない。

あくまでも現実の続きとして現れる。

昨日まで普通だった世界の床板が一枚外れ、その下に別の世界があることに気づくような感覚である。

この構造もまた、国境を越えやすい。

特定の宗教や神話について詳しい知識を持っていなくても、「今、自分が見ている世界だけが本当なのだろうか」という感覚は理解できるからである。

人間は現実の中で生きているが、頭の中では常に記憶や想像、夢と一緒に生きている。

過去に起きたことを現在の出来事のように思い出すこともある。

存在しない未来について不安になることもある。

現実だけで人間の内面を説明することはできない。

村上春樹の小説は、その内面を異世界や夢のような形にして見せているとも考えられる。

音楽が作品の中に流れている

村上春樹の作品について語るとき、音楽を無視することはできない。

ジャズ、クラシック、ロックなど、多くの音楽が作品の中に登場する。

興味深いのは、この音楽が世界の読者をつなぐ共通の記号になることである。

日本語の文章は、外国の読者が読むためには翻訳されなければならない。

しかし、作品の中に登場する音楽そのものは翻訳する必要がない。

日本の登場人物が聴いている曲を、アメリカの読者も知っているかもしれない。ヨーロッパの読者も同じ演奏家を聴いているかもしれない。

すると、日本語で書かれた小説の中に、読者がすでに知っている世界が現れる。

これは作品への距離をかなり縮める。

また、音楽は単なる固有名詞ではなく、作品の時間や感情を作る役割も持っている。

文章を読みながら、読者の頭の中では音が鳴る。

本来、文字だけで作られている小説の中に、音楽によるもう一つの層が生まれる。

この感覚も、村上作品の独特な読みやすさと世界性に関係しているように思う。

翻訳されても残りやすい文章

世界文学として広がるためには、当然ながら翻訳が必要になる。

村上春樹の作品が多くの言語で読まれているということは、作品そのものの魅力だけでなく、それを別の言語へ移した翻訳者の仕事があって初めて成立する。

ただ、それと同時に、村上春樹の文章には、他言語に移しても一定の骨格を保ちやすい特徴があるのではないかとも思う。

文章は比較的明確で、過度に古典的な日本語表現に依存していない。

難しい修辞を幾重にも重ねるというより、比較的平明な文章を積み上げながら独特のリズムを作る。

もちろん、日本語で読む場合と英語やフランス語で読む場合とが同じであるはずはない。

翻訳は必ず何かを変える。

しかし、孤独や喪失という主題、人物の会話、音楽、食事、都市生活、現実と異世界の境界といった作品の大きな構造は、言語が変わっても比較的残りやすい。

さらに、村上春樹自身が長く翻訳を行ってきた作家であることも興味深い。

自分の文章を書く一方で、別の言語で書かれた文学を日本語へ移す仕事を続けてきた。

一つの言葉を別の言葉に移すと何が残り、何が失われるのかを、作家自身が経験してきた。

それが自分の文章にも何らかの影響を与えていると考えるのは、不自然ではないだろう。

本当に「無国籍」なのか

村上春樹については、「無国籍的な文学」という表現が使われることがある。

確かに、世界中の読者が入りやすいという意味では理解できる。

しかし、完全に国籍のない文学というものが本当に存在するのだろうか。

村上春樹は日本語で書いている。

日本社会の中で生きてきた。

東京をはじめ日本の都市も作品に登場する。

日本の歴史や社会と関係する作品もある。

したがって、日本性がないから世界で読まれると考えるのは適切ではない。

むしろ、村上作品の特徴は、日本の中にいながら世界と接続しているところにあるのではないか。

その姿は、現在の日本人の生活そのものにも近い。

私たちは日本語で暮らし、日本の社会制度の中で生活している。しかし同時に、外国の音楽を聴き、海外の映画を見て、世界中の情報に接している。

完全に日本だけで閉じた生活でもなければ、国籍を失った生活でもない。

村上春樹の文学は、その中間にある現代人の感覚を早い時期から描いていたのだと思う。

説明されないことが残る

村上春樹の作品を読んでいると、最後まで説明されないことが残る。

なぜあの出来事が起きたのか。

あの人物は何を意味していたのか。

なぜあの場所へ行かなければならなかったのか。

すべてが論理的に整理され、読者に答えとして提示されるとは限らない。

この点は評価が分かれる。

余韻と考える読者もいる。

曖昧だと感じる読者もいる。

謎が残ることで作品について考え続ける人もいれば、結末がはっきりしないことに不満を持つ人もいる。

世界で読まれている作家だからといって、すべての読者が同じように高く評価しているわけではない。

これは当然のことである。

世界的人気と文学的評価は別であるし、販売部数と作品の完成度も同じではない。

村上作品には、同じような人物設定やモチーフが繰り返されるという批判もある。

孤独な人物、失われた誰か、音楽、料理、猫、井戸、地下空間、夢、別世界。

長く読み続けている読者から見れば、また同じ世界が現れたと感じることもあるだろう。

しかし、その反復そのものが「村上春樹らしさ」を作っているとも言える。

音楽家が新しい曲を作っても、その人の音だと分かるように、文学にも作者固有の世界がある。

数ページ読めば村上春樹だと分かる。

それほど明確な作家性を持つことは、世界中に固定読者を作るうえでも大きな力になる。

世界で読まれるのは、世界を書いているからではない

村上春樹が世界で読まれる理由を考えていくと、少し逆説的なことに気づく。

世界を説明しているから世界で読まれるのではない。

国際政治を書いているからでもない。

世界各地を舞台にするからでもない。

むしろ、一人の人間の内側を書いているから世界へ広がっているのではないかと思う。

誰かを失った記憶。

自分は何者なのかという問い。

他人と完全には理解し合えない感覚。

社会の中に居場所を持ちながら、どこか違和感が残ること。

過去から離れたつもりでも、突然その記憶が戻ってくること。

これらは国籍を問わない。

人間であることそのものに関係する。

文学が国境を越えるとき、本当に読者をつなぐものは異国情緒だけではない。

「この感覚は自分にも分かる」

という瞬間である。

日本人の登場人物が感じている孤独を、別の国の読者が自分自身の孤独として読む。

日本の都市で起きた物語が、外国の読者の人生と重なる。

そのとき小説は、日本文学でありながら日本だけのものではなくなる。

世界文学とは何なのか

村上春樹について考えていると、最後には「世界文学とは何か」という問いに行き着く。

世界文学とは、国籍を失った文学ではない。

どこの国のものでもなくなることでもない。

むしろ、一つの土地、一つの言語、一人の作家から生まれた物語が、別の土地にいる人間にも届くことなのではないだろうか。

村上春樹は日本語で書く。

翻訳者がそれを別の言語へ移す。

アメリカの読者が読む。

中国の読者が読む。

ヨーロッパの読者が読む。

しかし、それぞれの読者がまったく同じ村上春樹を読んでいるわけではない。

日本人には当たり前に見える場面が、外国の読者には強い日本性として感じられるかもしれない。

逆に、日本人には特別ではない音楽や生活の描写が、外国の読者にとって親近感を生むこともある。

同じ文章でも、読者の経験によって意味は変わる。

文学は、作者が一つの正解を世界へ配るものではない。

読者が自分自身の人生を持ち込むことで、一つの作品が何通りもの意味を持つ。

そこに文学が国境を越える本当の力があるのだと思う。

日本から世界へではなく、人間から人間へ

では、村上春樹はなぜ世界で読まれるのか。

日本文化への関心もあるだろう。

翻訳の力も大きい。

文章の読みやすさも関係している。

音楽や都市生活の描写が国境を越えやすいことも理由の一つである。

しかし、その中心にあるのは、人間の孤独と喪失、自分自身への違和感ではないだろうか。

誰かを失うこと。

誰かを求めること。

世界とうまくつながれないこと。

それでも日常を続けていくこと。

その感覚を、日本の作家が日本語で書き、それを別の国の読者が自分の問題として読む。

そのとき文学は、日本から外国へ輸出される商品というだけではなくなる。

一人の人間から、別の一人の人間へ言葉が届く。

それが翻訳文学なのだと思う。

村上春樹が世界で読まれているという事実は、文学というものが、国境や言語の違いを越えて人間の内側へ入っていくことができることを示している。

世界のどこかで、一人の読者が本を開く。

そこには日本で書かれた物語がある。

けれども読み進めるうちに、その人が見ているのは遠い日本だけではなくなる。

いつの間にか、自分自身の孤独や記憶や喪失を読んでいる。

おそらく、村上春樹が世界で読まれる最大の理由は、そこにあるのだと思う。

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太宰治はなぜ高校生の心に入り込むのか

~高校時代に読んだ太宰治を、六十代になった今から考える~

高校生のころ、私は本格的に文学を読むようになった。

小学生のころは、学校から与えられた課題図書を読む程度だった。中学生になると、朝日新聞の「天声人語」を読むようになり、文章を通して社会や時代について考える機会が増えた。そして高校生になると、書店の文庫本の棚から本を選び、太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介、川端康成といった作家を読むようになった。

そのなかに太宰治がいた。

いま振り返ってみると、太宰という作家には、高校生という年代の読者を引き寄せる何かがある。

それは、単に文章が読みやすいからでも、暗い物語だからでもない。

高校生という、自分が何者なのかまだ確定していない時期に抱きやすい感情と、太宰の文章が描いている人間の不安定さが、どこかで重なるからではないだろうか。

太宰治は1909年に青森県に生まれ、本名を津島修治という。戦後には『斜陽』や『人間失格』などを発表し、1948年に39歳を目前にして亡くなった。国立国会図書館は、太宰を戦後に『斜陽』『人間失格』などを書き、「無頼派」などと呼ばれた作家として紹介している。

しかし、太宰を読むという経験を、その波乱に満ちた私生活だけから説明してしまうのは、少し違うように思う。

高校生だった私が向き合っていたのは、作家の伝記ではなく、まず文章だったからである。

高校生は、大人でも子どもでもない

高校生という時期は、不思議な年代である。

子どもとして扱われることに抵抗を覚える一方で、大人として社会の中に自分の位置を持っているわけでもない。

将来について問われる。

進学するのか。

何を学ぶのか。

どんな仕事をするのか。

自分には何ができるのか。

しかし、その問いに答えられるほど、自分自身のことを理解しているわけではない。

友人との関係も変化する。

人からどう見られているのかが気になる。

自分だけが周囲とうまくかみ合っていないように感じることもある。

他人から見れば些細な出来事であっても、本人にとっては大きな問題になる。

おそらく、こうした時期に太宰の文章を読むと、大人になってから読む場合とは違った形で言葉が入ってくる。

太宰の作品には、堂々と世界を説明する人間よりも、世界とうまく折り合えない人間がしばしば現れる。

自分を肯定できない。

他人とうまく付き合えない。

人からどう見られているかを過剰に意識する。

自分の弱さを自覚しながら、その弱さから簡単には抜け出せない。

このような人間像は、完成された大人の姿とはかなり遠い。

だからこそ、まだ自分自身が完成していない高校生には、妙に近く感じられるのかもしれない。

「弱い人間」が文学の主人公になる

高校生になるまでに接する物語では、努力する人、勇気のある人、困難を克服する人が肯定的に描かれることが多い。

もちろん、それ自体に問題があるわけではない。

しかし実際の人間は、それほど単純ではない。

努力できないこともある。

逃げることもある。

嫉妬する。

見栄を張る。

人に好かれたいと思いながら、人との付き合いに疲れる。

自分のことを理解してほしいと思いながら、本当の自分を見られるのは怖い。

太宰の文学には、そうした人間の矛盾がある。

ここに、高校生だった私たちの世代を含め、若い読者が引き寄せられる理由の一つがあるのではないかと思う。

文学のなかでは、立派ではない人間も主人公になれる。

自信のない人間にも言葉が与えられる。

迷っている人間にも物語がある。

これは、十代の読者にとって意外に大きな発見である。

文学は、優れた人間だけを書くものではない。

むしろ人に見せたくない感情まで文章にすることができる。

太宰を読むことによって、そんな文学の一面を知ることになる。

自己嫌悪をここまで文章にしてよいのか

太宰の作品を考えるとき、「自己嫌悪」という言葉は避けて通れない。

ただし、太宰の文学を「自分を嫌っている人の文学」とだけ整理してしまえば、あまりにも単純である。

重要なのは、自己嫌悪そのものよりも、それを文章として外へ出していることである。

普通なら隠したくなる感情を、文学として読者の前に置く。

格好の悪さ。

弱さ。

臆病さ。

虚栄心。

他人への依存。

そして、自分自身に対する疑い。

こうした感情は、多かれ少なかれ誰の中にもある。

高校生であれば、なおさら自分と他人を比較する機会が多い。

勉強のできる人。

運動のできる人。

友人の多い人。

異性に好かれる人。

将来の目標がはっきりしている人。

そうした周囲と比較しながら、自分は何者なのだろうと考える。

そのとき太宰の文章には、

「人間は、それほど立派なものではない」

という感覚が流れているように見える。

それは励ましではない。

人生の解決策でもない。

けれども、自分だけが不完全なのではないという感覚を、文学によって知ることはできる。

「道化」という感覚

太宰文学を考えるうえで、もう一つ重要なのが、人前で演じる自分と、本当の自分との距離である。

代表作『人間失格』は1948年に雑誌『展望』で連載され、同年に筑摩書房から刊行された。作品では主人公・大庭葉蔵の手記という形式が用いられている。

この作品について詳しい内容をここで追うつもりはないが、太宰文学に表れる「人前で自分を演じる」という感覚は、高校生にも理解しやすいものだと思う。

学校では、誰もがある程度の役割を持っている。

明るい生徒。

真面目な生徒。

面白い生徒。

優秀な生徒。

おとなしい生徒。

教師から見た自分と、友人から見た自分も違う。

家庭にいる自分とも違う。

そして本人自身が考えている「自分」とも違う。

人間は、社会のなかで多少なりとも役割を演じて生きている。

大人になれば、それを社会性として受け入れることもできる。

しかし高校生くらいの年代では、

「周囲に見せている自分は、本当の自分なのだろうか」

という疑問が生まれやすい。

太宰の文学が若い読者に響く理由の一つは、この「外側の自分」と「内側の自分」のずれを、非常に鋭く文章にしているところにあるのではないか。

太宰の文章には、読者との距離が近いところがある

文学作品には、読者が少し離れた場所から眺めるように読む作品もある。

風景や人物を客観的に描き、世界そのものを構築していく小説である。

それに対して太宰の文章には、ときに読者のすぐ近くから語りかけてくるような感覚がある。

大きな思想を正面から掲げるというより、

「実は私はこうなのだ」

「こんなことを考えてしまう」

という、人間の内側から始まる。

そのため読者は、作品を外から観察するだけでは済まなくなる。

自分にも似たところがあるのではないか、と考えてしまう。

私は高校生のころ、太宰だけを特別な作家として読んでいたわけではなかった。

三島由紀夫も読んだ。

芥川龍之介も読んだ。

川端康成も読んだ。

また、片岡義男や三田誠広のような、当時の空気を感じさせる作家も同じ本棚の中にあった。

古典的な文学と同時代の文学を、いまのように明確に分類して読んでいたわけではない。

書店の棚に文庫本が並んでいて、そこから一冊を取る。

その一冊が次の一冊へつながっていった。

そのなかで太宰には、他の作家とは少し異なる、人間の弱い部分への近さがあったように思う。

三島由紀夫とは違う入り口

高校時代に読んだ作家のなかで、三島由紀夫と太宰治を並べて考えると、その違いは興味深い。

三島の文章には、文章そのものの完成度や美しさを意識させられるところがある。

美、身体、思想、死。

高校生だった私には理解しきれない部分も多かった。

それでも文章の力は感じた。

一方、太宰の場合は、まず人間の側から入ってくる。

弱さ。

恥。

孤独。

自己嫌悪。

他人との距離。

三島を読んで、

「こんな文章があるのか」

と思うとすれば、太宰を読んだときには、

「人間はこんなことまで書いてよいのか」

と感じる。

少なくとも現在の私には、その違いが見える。

高校時代には、そこまで整理して読んでいたわけではなかった。

ただ本を読み、何かを感じ、次の本へ進んでいた。

文学とは本来、そのようにして身体の中に入ってくるものなのかもしれない。

高校生だった私は、太宰をどこまで理解していたのか

六十代になった現在から高校時代の読書を振り返ると、一つ注意しなければならないことがある。

それは、当時読んだ本を、現在の知識によって「理解していたこと」にしてしまわないことである。

高校生だった私は、太宰が生きた昭和前期の社会を十分に理解していたわけではない。

戦前と戦後の価値観の変化。

地主階級をめぐる社会背景。

当時の文学状況。

太宰自身の複雑な人生。

そうした背景を体系的に勉強してから読んだわけではなかった。

読めたところまで読んだ。

感じられたところまで感じた。

おそらく、それが実際の読書だった。

しかし、だから価値がなかったわけではない。

むしろ文学との最初の出会いは、それでよいのではないかと思う。

すべてを理解してから文学を読むことなど、そもそもできない。

分からないところを残しながら読む。

何十年か経ってから、以前とは別の意味が見えてくる。

それも読書なのである。

太宰の人生と作品を同一視しない

太宰治について語ると、どうしてもその生涯が話題になる。

複雑な人間関係。

心中未遂。

酒や薬物をめぐる問題。

そして1948年の死。

確かに、太宰の人生と作品は無関係ではない。

国立国会図書館や山梨県立文学館の略歴を見ても、その人生が作品形成と深く関係していたことは分かる。

しかし、作者の人生を知れば作品がすべて説明できるわけではない。

さらに危険なのは、

「太宰は苦悩した人生を送ったから、作品も優れている」

というように短絡させることである。

苦しんだから文学者になれるわけではない。

破滅的に生きることに文学的価値があるわけでもない。

太宰の作品が残った理由は、その人生の激しさだけではなく、それを言葉に変える文学的な技術があったからだろう。

高校生が太宰を読むときにも、この二つは分けて考えた方がよい。

太宰の生き方をまねる必要はない。

しかし、太宰が書いた人間の弱さについて考えることはできる。

作品を読むとは、作者の人生を肯定することではないのである。

なぜ今も若い読者に読まれるのか

太宰治の『人間失格』や『走れメロス』などは、現在も電子化され、青空文庫などを通じても読むことができる。青空文庫の過去のアクセスランキングでも、『人間失格』『走れメロス』『斜陽』など複数の太宰作品が上位に入っており、デジタル環境になっても継続して読まれていることがうかがえる。

太宰が生きていた昭和と、現在の高校生が生きる令和では、社会環境は大きく違う。

私が高校生だったころには、もちろんスマートフォンもインターネットもなかった。

本を探す場所は、まず書店や図書館だった。

現在は作品名を検索すれば、解説も感想も作者の経歴もすぐに出てくる。

しかし、人間そのものがそれほど簡単に変わったとは思えない。

人からどう見られているのか。

自分は何者なのか。

人間関係の中で、どこまで自分を出してよいのか。

他人に合わせている自分と、本当の自分とのどちらが自分なのか。

こうした問いは、昭和の高校生にも、令和の高校生にも存在する。

むしろ現在は、SNS(Social Networking Service・インターネット上で人と交流し情報を発信するサービス)によって、他人から見える自分を常に意識しやすくなった。

プロフィール。

写真。

短い文章。

「いいね」の数。

他人の生活。

他人の評価。

そうしたものに囲まれた現代では、「他人に見せている自分」と「自分自身が感じている自分」との距離は、むしろ意識されやすくなっているのかもしれない。

そう考えると、太宰文学が古くならない理由も少し分かる。

時代は変わっても、人間が他人の目を意識することは変わらない。

太宰を読むことは、自分の弱さを肯定することではない

太宰を若いころに読むことには、一つ注意すべき点もあると思う。

弱さを描いた文学を読むことと、弱さそのものを美化することは違う。

孤独を描いた作品を読むことと、孤独であることを価値ある生き方として選ぶことも違う。

自己嫌悪を文章として読むことと、自分を否定し続けることも違う。

文学は人生の処方箋ではない。

太宰を読めば悩みが解決するわけでもない。

むしろ文学は、

「人間には、こういう感情もある」

と示してくれるものではないだろうか。

そして、それに名前を与えてくれる。

漠然と感じていた不安。

自分でも説明できなかった違和感。

人には言えなかった恥ずかしさ。

文学の中でそれに似た感情を見つけると、

「これは言葉にできるものなのだ」

と分かる。

文学が人生の答えを与えるのではなく、問いに言葉を与える。

私が現在、文学について考えるときに重要だと思うのは、その点である。

六十代になった今、太宰を考える

高校生だったころと現在とでは、私自身が生きてきた時間がまったく違う。

仕事をし、社会の仕組みを知り、科学や医学、経済、政治、技術など多くの分野の本も読むようになった。

文学だけを読んできたわけではない。

むしろ成人後の読書は、分野を限定せず広がっていった。

それでも高校時代に文学を読んだ経験は残っている。

その意味を現在から考えると、文学は「正しい人間像」を教えるものではなかったのだと思う。

太宰治の文学もそうである。

人間は弱い。

しかし、強い部分もある。

善良なこともあれば、ずるいこともある。

人を求めながら、人から離れたいと思う。

自分を理解してほしいと思いながら、自分を知られることを恐れる。

人間は矛盾している。

十代のころは、その矛盾を自分自身の問題として感じる。

年齢を重ねると、それが自分だけではなく、人間そのものの問題だったのだと少しずつ分かってくる。

太宰治の文学が高校生の心に入り込む理由は、そこにあるのかもしれない。

高校生に人生の答えを教えるからではない。

むしろ逆である。

自分でもまだ説明できない問いがあることを、そのまま文章にして見せる。

だから若い読者は、その中に自分の一部を見つける。

そして何十年も経ってから読み返せば、今度は高校生だった自分の姿まで、その文章の向こう側に見えてくる。

本を読むということは、作品を読むだけではない。

かつてその本を読んだ、自分自身を読み返すことでもあるのだと思う。


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三島は右、大江は左。それだけで二人を理解できるのか

三島由紀夫と大江健三郎。

戦後日本文学を代表する作家として、この二人ほど対照的に語られやすい人物も少ない。

三島由紀夫。

天皇。

日本文化。

自衛隊。

楯の会。

1970年11月25日の市ヶ谷での行動と自決。

一方、大江健三郎。

戦後民主主義。

広島。

核兵器。

平和。

憲法。

1994年のノーベル文学賞。

このように並べれば、

三島=保守・右翼 大江=リベラル・左派

という構図が成立するように見える。

政治的位置を大きく整理するなら、この違いを無視することはできない。

しかし、それだけで二人を比較すると、非常に重要な部分が見えなくなる。

なぜなら二人とも、

「敗戦後の日本とは何なのか」

という同じ巨大な問題から出発しているからである。

三島は、戦後日本によって失われたものを見ようとした。

大江は、敗戦後に獲得されたものを守り、さらに徹底しようとした。

三島は、

日本文化、

天皇、

歴史、

身体、

死、

国家、

へ向かった。

大江は、

民主主義、

個人、

核、

広島、

沖縄、

少数者、

へ向かった。

方向は大きく異なる。

しかし二人とも、

経済的に豊かになれば、それで戦後日本は完成する、

とは考えなかった。

だからこの二人を比較する意味は、

どちらが正しかったかを決めることではない。

同じ戦後日本を見ながら、なぜこれほど異なる答えへ到達したのか。

そこを考えることにある。

1 二人は同じ「戦後作家」でも世代が少し違う

三島由紀夫は1925年生まれである。

大江健三郎は1935年生まれである。大江は1994年にノーベル文学賞を受賞し、2023年に87歳で亡くなった。ノーベル財団も1935年1月31日生まれ、2023年3月3日没としている。

二人の年齢差は10歳である。

この10年は大きい。

三島は敗戦時に20歳だった。

大江は10歳だった。

つまり三島には、

戦前から戦後へ、自分自身の青年期の途中で世界が断絶した

という経験がある。

一方、大江の場合には、

敗戦後の新しい日本で青年期を形成した

という側面が強い。

大江自身も1994年のノーベル賞講演で、第二次世界大戦中、四国の山村で少年時代を送っていたことから語り始めている。

この世代差は、二人の戦後観を考える重要な前提になる。

2 三島にとっての戦後~「何かが失われた」という感覚

三島の文学や評論を読むと、

戦後日本に対する強い違和感が繰り返し現れる。

もちろん三島を、

「昔の日本へ戻りたかっただけの作家」

と整理することはできない。

三島自身は西欧文学を深く読み、非常に近代的な小説技法を使った作家でもある。

しかし政治・文化論では、

日本の歴史と文化が、

戦後の社会の中でどのように連続するのか、

という問題を強く意識した。

その代表的な文章の一つが『文化防衛論』である。

同書は1969年に刊行され、戦後文化が成熟し学生運動も激しかった時期に、「最後に護られねばならぬ日本」をめぐって展開された評論・対談などを収録している。

三島にとって重要だったのは、

日本が経済成長することだけではない。

日本が日本であり続けるとはどういうことなのか

という問題だった。

3 大江にとっての戦後~「新しく始めることのできる日本」

一方、大江にとって戦後は違う意味を持った。

大江は戦後日本の民主主義を、自分自身の思想形成に深く関係するものとして受け止めた。

その背景には、

敗戦、

戦争体験、

広島・長崎、

日本国憲法、

といった問題がある。

大江は1994年のノーベル賞講演を「Japan, the Ambiguous, and Myself」、日本語では一般に『あいまいな日本の私』として知られる題で行った。そこでは、日本が近代化の中で西洋との関係に引き裂かれ、戦後には民主主義と非軍事化を新しい方向として選んだことについて論じている。

つまり大江にとって戦後は、

失われた伝統を回復する時代

というより、

戦前とは異なる原理によって日本を作り直す可能性

を持った時代だった。

ここに三島との大きな分岐がある。

4 しかし二人とも「戦後日本はこれでよい」とは考えなかった

この違いだけを見ると、

三島は戦後を否定し、

大江は戦後を肯定した、

と整理したくなる。

しかし、それも単純すぎる。

大江は戦後日本の現実を無条件に肯定したわけではない。

核兵器。

広島。

沖縄。

国家。

少数者。

こうした問題について、戦後日本が掲げた民主主義や平和主義を本当に実現しているのかを繰り返し問うた。

東京大学の大江健三郎文庫には、原稿・関連資料・書誌情報が保存されており、大江の文学と公共的活動を研究する基盤になっている。 つまり大江も、

現実の戦後日本

と、

戦後日本が掲げた理念

の間に大きな距離を見ていた。

その点では三島と共通している。

二人とも、

現実の日本に満足していなかった。

違ったのは、

何を基準に現実を批判したのか

なのである。

5 三島は「失われた連続性」から戦後を批判した

三島の戦後批判を大きく整理すれば、

戦後によって、

歴史、

文化、

天皇、

国家、

身体、

死、

といったものの意味が切断されたのではないか、

という問題になる。

三島の天皇論は、単純に戦前の政治制度をそのまま復活させようという議論と同一ではない。

『文化防衛論』を中心とする三島の天皇論については、天皇を文化概念として捉える側面が研究されている。

三島にとって天皇は、

単なる行政権力者というより、

日本文化の歴史的連続性を象徴する存在

として重要だった。

ここを理解しないと、

三島=天皇制支持

という政治ラベルだけになってしまう。

6 大江は「戦後民主主義の未完成」から日本を批判した

大江の場合は逆方向である。

大江が基準にしたのは、

民主主義、

個人の尊厳、

平和、

核への抵抗、

などだった。

戦後日本がそうした理念を掲げた以上、

現実の日本もその原理へ近づくべきだ、

と考える。

だから大江にとって問題なのは、

戦後によって伝統が失われたこと

というより、

戦後が掲げた理念が十分に実現されていないこと

だった。

つまり二人の批判は、

三島~

「戦後によって何を失ったのか」

大江~

「戦後が約束したものを本当に実現したのか」

という違いとして考えることができる。

7 三島にとって「天皇」は何だったのか

三島を語る場合、天皇の問題を避けることはできない。

しかし、

三島は天皇を政治的独裁者にしようとした、

と単純化するのも適切ではない。

三島の政治・文化論における天皇は、

日本の歴史、

祭祀、

文化、

共同体、

と結び付いた存在として考えられている。

彼が問題視したのは、

戦後日本が、

経済、

消費、

生活水準、

という方向では豊かになる一方、

自分たちが何を共有する国家なのかを説明できなくなること

だった。

ここで天皇が、

文化的な統合原理として現れる。

もちろん、この考え方には多くの批判があり得る。

日本文化を一つの原理へまとめることが可能なのか。

文化的多様性をどう扱うのか。

天皇を共有しない人々はどう位置付けられるのか。

こうした問題は残る。

8 大江にとって「民主主義」は何だったのか

大江にとって民主主義は、

単なる政治制度ではなかった。

戦後を生きる人間の基本的な価値に近い。

大江はノーベル賞講演でも、日本が戦後に民主主義と非軍事化を自らの新しい道として選んだことを重視している。

ここには三島との鮮明な違いがある。

三島は、

戦後制度だけでは日本の文化的根拠を支えられない、

と考える。

大江は、

戦後民主主義こそ、過去の破局を繰り返さないための重要な原理だ、

と考える。

二人は同じ「戦後」を、

ほぼ逆方向から評価したのである。

9 文化勲章辞退に表れた大江の立場

1994年、大江はノーベル文学賞を受賞した。

同じ年、日本国内では文化勲章の授与を辞退したことでも大きく注目された。

当時報じられた理由は、自分は戦後民主主義の人間であり、民主主義に勝る権威や価値観を認めないという趣旨のものだった。

この行動は、

大江が単に政治について発言する作家だったのではなく、

自分自身の公的な立場についても、戦後民主主義との整合性を意識していた

ことを象徴する出来事として読むことができる。

三島が天皇を文化的な中心として考えたのに対し、

大江は国家的・天皇的権威より民主主義の価値を優先した。

ここでは両者の違いが極めて鮮明になる。

10 しかし三島も単純な「国家権力礼賛」ではない

ここで三島についても注意が必要である。

三島を、

国家権力を無条件に支持した作家

とするのは正確ではない。

三島は戦後日本の国家そのものに強い不満を持っていた。

その不満の対象には、

日本国憲法、

安全保障、

自衛隊の位置付け、

対米関係、

などがあった。

つまり三島は、

当時の日本国家を守ろうとしたというより、

当時の日本国家を不完全なものとして批判していた

のである。

だから三島の国家観は、

現状維持型の保守主義

とも少し違う。

11 三島事件~文学と政治が最終的に重なった瞬間

1970年11月25日、三島は楯の会の会員4人とともに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地へ入り、東部方面総監を拘束し、自衛隊員に向けて演説した後、自決した。毎日新聞の写真資料にも同日の事件が記録されている。

三島の最後の声明文「檄」は全集にも収録されている。国立国会図書館のレファレンス事例でも、その所在が確認されている。

ここでは三島の文学、

身体、

死、

国家、

政治、

が一つの行為へ重なった。

だから三島を読む場合、

文学作品と政治行動を完全に切り離すことも難しい。

しかし逆に、

すべての小説を1970年の自決から逆算して読むことも危険

である。

三島文学は政治思想だけでは説明できないからである。

12 大江は「行動する文学者」だったが、方法は三島と正反対だった

大江も文学だけに閉じこもった作家ではない。

核兵器。

広島。

沖縄。

憲法。

社会問題。

などについて長期間公的発言を続けた。

しかし方法は三島と大きく異なる。

大江が選んだのは、

文章。

講演。

市民運動。

社会的発言。

といった方法だった。

三島の場合には、

最終的に身体そのものを政治的表現へ変えた。

大江の場合には、

言葉と市民社会の中で主張し続けること

を選んだ。

この対照は非常に大きい。

13 「身体」の三島と「言葉」の大江

三島文学を考える上で身体は重要である。

三島自身、肉体鍛錬を行い、

身体、

美、

死、

行為、

を結び付けていった。

彼には、

言葉だけでは現実へ到達できない、

という感覚が強くなっていったと読むことができる。

一方、大江は極めて言語的な作家である。

複雑な文章。

自己検証。

引用。

歴史。

政治。

文学。

を通して問題を考える。

大きく整理すれば、

三島は、

言葉を身体と行動へ近づけようとした作家

であり、

大江は、

言葉によって世界の複雑さを引き受け続けようとした作家

と見ることもできる。

ただしこれは比較のための整理であり、二人の全作品をこの一点へ還元することはできない。

14 三島の「明晰さ」と大江の「あいまいさ」

文章の方向にも興味深い違いがある。

三島は、

美。

死。

天皇。

文化。

国家。

といった概念を、

非常に強い輪郭を持たせて提示する傾向がある。

大江は逆に、

矛盾。

曖昧さ。

複数の声。

弱さ。

周縁。

を残そうとする。

1994年のノーベル賞講演で、大江が自ら選んだ言葉が、

「ambiguous」~あいまいな

だったことは象徴的である。

大江は、日本を一つの明確な本質によって定義することそのものへ慎重だった。

ここにも三島との差が見える。

15 三島は「日本とは何か」を一つの中心から考えようとした

三島にとって、

日本文化には何らかの中心が存在する。

歴史。

伝統。

天皇。

古典芸能。

武士的倫理。

そうしたものを通して日本を考える。

だから三島の思考は、

中心を探す思考

だと言える。

日本とは何か。

何を守れば日本なのか。

何が失われれば日本ではなくなるのか。

という問いである。

『文化防衛論』という題名そのものが、

守るべき文化が存在する

という前提に立っている。

16 大江は「中心から外された人」から日本を考えた

大江の文学には、

周縁に置かれた存在が繰り返し現れる。

社会から外れた人。

弱い人。

障害を持つ人。

地方。

広島の被爆者。

国家の中心的物語から外れる人々。

大江は、

日本の中心とは何か

という問いより、

中心から見えなくなっている人間は誰か

という方向へ向かう。

ここに三島との根本的な違いがある。

三島は中心を回復しようとする。

大江は中心によって消されるものを見ようとする。

17 広島~大江が戦後日本を見る重要な場所

大江の思想と文学を考える上で、広島は極めて重要である。

『ヒロシマ・ノート』などを通じて、大江は被爆者や核兵器の問題を長期間考え続けた。

大江にとって広島は、

過去の一事件

ではない。

近代国家。

戦争。

科学。

核。

人間の尊厳。

を問い続ける場所である。

ここから大江の平和・核に関する社会的発言もつながっていく。

三島が、

日本文化の断絶

を戦後の核心問題として見るとすれば、

大江は、

戦争と核の経験を経た国家が、どうすれば再び人間を犠牲にしない社会になれるのか

を重要な問題とした。

18 二人の「日本」はどちらも単純な現状肯定ではない

ここまでを見ると、

三島は日本を愛した。

大江は日本を批判した。

という対立に見えるかもしれない。

しかしこれも違う。

三島は現実の日本を激しく批判した。

大江も日本社会を批判しながら、日本語で日本社会について書き続けた。

つまり二人とも、

現実の日本と、自分が望む日本との距離

に苦しんだ作家である。

違うのは理想像だった。

三島~

文化的連続性を回復した日本。

大江~

戦後民主主義をより徹底した日本。

という方向である。

19 二人とも「経済成長だけでは人間は満たされない」と考えた

戦後日本は高度経済成長によって急速に豊かになった。

生活水準が向上する。

消費社会が拡大する。

都市化が進む。

しかし三島も大江も、

経済成長だけで日本社会の問題が解決した

とは考えなかった。

三島には、

豊かさの中で文化的中心が失われる、

という危機感があった。

大江には、

経済的繁栄の背後に、

広島、

沖縄、

核、

社会的弱者、

などの問題が残されるという意識があった。

したがって二人は、

政治思想は反対でも、

高度成長社会への違和感

という点では意外に近い。

20 三島は「強さ」を、大江は「弱さ」をどう見たか

二人の文学を比較すると、

人間の強さと弱さに対する視線にも違いがある。

三島の作品では、

美しい身体。

意志。

決断。

死。

英雄性。

といったものが強い魅力を持つ。

もちろん三島文学には弱い人間も多く登場するが、その弱さと理想的な美との緊張が作品を生む。

一方、大江文学では、

弱さ。

傷。

障害。

失敗。

周縁。

を抱えた人間が重要になる。

大江は、

弱さを克服して完全な人間になる、

という方向だけではなく、

弱さを抱えたまま他者と生きる可能性

を探る。

ここにも二人の戦後的人間像の違いがある。

21 「個人」を重視する点では意外に共通している

それでも二人には重要な共通点がある。

どちらも、

国家や社会の中へ完全に溶け込んだ人間

を描いた作家ではない。

三島の登場人物も、

社会から孤立する。

欲望を抱える。

美への執着を持つ。

自分だけの世界を作る。

大江の登場人物も、

社会の中で葛藤し、

個人として選択を迫られる。

二人とも、

近代的な「個人」の孤独を描いた作家

なのである。

ここを見ると、

三島=集団主義、

大江=個人主義、

と単純には分けられない。

22 なぜ作家が政治について語ったのか

現在では、

小説家は文学だけを書けばよい。

政治は政治学者へ任せればよい。

という考え方もある。

しかし三島と大江の時代には、

文学者が社会問題について公に語ることは現在ほど珍しくなかった。

それは、

戦後日本において作家が、

人間、

社会、

国家、

歴史、

について考える公共的知識人でもあったからである。

三島と大江は、その意味で二人とも、

戦後型知識人としての作家

だった。

思想は反対でも、

「作家は社会について語る資格と責任を持つ」

という点では共通していたと見ることができる。

23 三島の行動は文学によって正当化されるのか

三島について語る場合、一つ慎重に区別しなければならない。

優れた文学を書いたこと

と、

政治行動が正しかったこと

は別である。

文学的価値によって、

1970年の行動を政治的に正当化することはできない。

逆に、

政治的立場に反対だから文学作品にも価値がない、

ということにもならない。

ここは重要である。

作品の評価と政治行動の評価は、関連させながらも区別する必要がある。

それをしなければ、

三島支持=文学評価、

三島批判=文学否定、

という不毛な二択になってしまう。

24 大江の政治的発言も文学的権威だけで正しいとは言えない

これは大江についても同じである。

ノーベル文学賞を受賞したからといって、

大江の政治的主張が自動的に正しいわけではない。

文学的才能。

社会分析。

政治判断。

は別の能力である。

したがって大江の、

核。

憲法。

沖縄。

国家。

についての主張も、

内容それ自体によって検討されるべき

である。

この区別をしなければ、

ノーベル賞作家だから正しい、

という権威主義になってしまう。

二人を公平に比較するためには、

三島についても大江についても、

作家としての評価と政治的評価を分ける必要がある。

25 二人は本当に「正反対」だったのか

ここで記事の題名へ戻ろう。

三島と大江は、

戦後日本を正反対の方向から考えた二人

なのか。

大きな政治的方向としては、

確かに非常に遠い。

天皇。

憲法。

軍事。

戦後民主主義。

国家。

について、二人の立場には大きな隔たりがある。

しかし、

問題意識の深い部分では共通点もある。

二人とも、

戦後日本とは何か

を問い続けた。

二人とも、

経済成長だけでは社会を評価しなかった。

二人とも、

文学を社会から隔離しなかった。

二人とも、

国家と個人の関係を考えた。

二人とも、

戦後日本に何らかの「欠落」を感じていた。

ただし、その欠落の名前が違った。

26 三島が見た欠落、大江が見た欠落

整理すると分かりやすい。

三島が見た欠落は、

歴史的連続性。

文化的中心。

天皇。

国家としての自立。

身体と行為。

だった。

大江が見た欠落は、

民主主義の徹底。

戦争責任。

被爆者への視線。

核への抵抗。

少数者や周縁への視線。

だった。

つまり、

二人は違う日本を見ていた、

というより、

同じ日本の中で、違う欠落を見ていた

と考える方がよい。

27 三島は過去から未来を作ろうとした

三島の方向を簡潔に表すなら、

過去との連続性を取り戻すことで未来を作ろうとした

と言える。

古典。

伝統。

天皇。

武士。

身体。

そうした歴史的・文化的資源を現代へ取り戻す。

もちろん単純な復古ではない。

三島自身は極めて近代的な作家だったからである。

むしろ、

近代化した日本が、

それでも日本として何を保持できるのか

を問う。

これは、

過去を使って未来を考える方法だった。

28 大江は戦後の理念を徹底することで未来を作ろうとした

大江の場合は違う。

敗戦後に日本が掲げた、

民主主義。

平和。

個人の尊厳。

を、

不十分だから捨てるのではなく、

不十分だからこそ徹底する

方向へ向かう。

過去の日本へ戻るのではない。

戦後日本が始めたものを完成に近づける。

だから大江の未来像は、

戦後の否定

ではなく、

戦後民主主義の自己修正

に近い。

ここが二人の決定的な分岐である。

29 現代から見ると、どちらの問いもまだ終わっていない

三島が問いかけた、

日本文化とは何か。

国家として自立するとは何か。

歴史と現代をどう接続するのか。

という問題は、現在も消えていない。

一方、大江が問い続けた、

核兵器。

戦争。

民主主義。

個人の尊厳。

少数者。

という問題も消えていない。

つまり二人の「答え」は違っても、

二人が設定した問いそのものは現在にも残っている。

これが、二人が今も読まれる大きな理由の一つだろう。

30 二人の対立を「右対左」に閉じ込めない

三島と大江を比較するとき、最も簡単なのは、

右翼対左翼。

保守対リベラル。

天皇対民主主義。

という図式である。

しかし、それだけでは文学評論として浅い。

なぜなら、

三島の文学には個人の孤独や欲望がある。

大江の文学にも国家や共同体への強い関心がある。

二人とも西欧文学の強い影響を受けながら日本について考えた。

二人とも戦後日本を国際社会の中から見ている。

つまり、

単純な日本主義対西洋主義

でもない。

二人の思想はもっと複雑である。

31 「どちらが正しかったか」ではなく、「何が見えたか」を比較する

思想家や作家を比較すると、

最終的に、

どちらが正しいか

を決めたくなる。

しかし文学を読む場合、それだけが目的ではない。

三島の視点から見ると、

戦後日本の、

文化的断絶。

歴史。

国家。

身体。

という問題が見える。

大江の視点から見ると、

戦後日本の、

民主主義。

被爆。

弱者。

核。

周縁。

という問題が見える。

つまり、

違う思想を読むことによって、同じ社会の違う部分が見える。

ここに二人を並べる意味がある。

32 三島だけを読む危険、大江だけを読む危険

三島だけから戦後日本を見ると、

伝統や国家の問題はよく見える。

しかし、

国家によって傷つけられる人、

少数者、

戦争被害、

という問題が弱くなる危険がある。

一方、大江だけから見ると、

民主主義、

平和、

弱者、

という問題はよく見える。

しかし、

共同体の歴史、

伝統、

国家的帰属、

文化的連続性、

といった問題を十分に説明できない場合がある。

だから、

二人を並べる。

賛成するためではない。

一人の視点によって見えなくなるものを、もう一人によって補うためである。

33 現代の分断社会に二人を読む意味

現在の社会では、

自分と同じ意見だけを読むことが容易になっている。

SNSでは、

自分が賛成する人をフォローする。

反対する人を遮断する。

似た思想の情報が集まる。

その結果、

相手の考えがなぜ成立するのか

を理解する機会が減る。

三島と大江を同時に読むことには、

この問題への一つの意味がある。

二人は簡単には統合できない。

どちらか一方を選べば済むわけでもない。

だからこそ、

両方を読んで、自分の中に矛盾した問いを残す。

それ自体が教養の一つの形になる。

結論~二人は「違う日本」を望んだのではなく、「日本の違う欠落」を見ていた

三島由紀夫と大江健三郎。

政治的位置から見れば、

二人は確かに遠い。

三島は、

日本文化、

天皇、

国家、

歴史、

身体、

を通して戦後日本を問い直した。

大江は、

民主主義、

広島、

核、

個人、

弱者、

を通して戦後日本を問い直した。

三島は戦後によって失われたものを見た。

大江は戦後が約束しながら実現できていないものを見た。

この違いを一言で整理すれば、

三島は「戦後以前との断絶」を問題にし、 大江は「戦後理念と戦後現実との断絶」を問題にした

と言えるかもしれない。

三島は、

過去との連続性を取り戻そうとした。

大江は、

戦後民主主義をさらに前へ進めようとした。

一人は過去を見た。

もう一人は未来を見た。

と表現したくなる。

しかし、それも完全には正しくない。

三島も未来の日本を考えていた。

大江も過去の戦争を繰り返し振り返った。

つまり二人とも、

過去・現在・未来の関係をどう結び直すか

を考えた作家だった。

そして二人とも、

現実の戦後日本へ強い違和感を持っていた。

高度経済成長。

豊かな生活。

消費社会。

それだけでは、

人間はどう生きるのか。

国家とは何か。

日本とは何か。

という問いには答えられない。

この点では、二人はむしろ同じ場所に立っていた。

そこから、

三島は、

文化、

天皇、

身体、

死、

へ進んだ。

大江は、

民主主義、

核、

個人、

弱者、

へ進んだ。

だから二人を読む時に重要なのは、

「三島と大江のどちらを支持するか」

だけではない。

より重要なのは、

なぜ同じ戦後日本を見て、二人はこれほど違う答えへ進んだのか

を考えることである。

そしてさらに、

現代の私たちは、

三島が見た問題と、

大江が見た問題の、

どちらをすでに解決したのだろうか。

文化と歴史。

民主主義と個人。

国家の自立。

核と戦争。

共同体。

少数者。

これらの問いを見る限り、

二人が考え続けた「戦後」は、

完全に過去になったとは言いにくい。

三島由紀夫と大江健三郎を同時に読む意味は、

正反対の思想のどちらかを選ぶことではない。

互いに相手が見なかった日本を、二人の視線を重ねることで見ること。

そこにあるのではないだろうか。

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現在の伝統芸能の立ち位置と、日本文化・文芸における役割を考える

令和の現在、漫才や落語は、日本の話芸・演芸の中でも比較的高い知名度を維持している。

漫才師や落語家はテレビ番組、ラジオ、動画配信、ポッドキャスト、出版、俳優業などにも進出し、劇場に足を運ばない人にも存在が知られている。特に漫才は、賞レースやテレビ番組を通じて若い世代にも接点が多い。落語も寄席、公演、独演会だけでなく、映像や音声の配信、入門書、漫画、ドラマなどを通して比較的触れやすい環境にある。

一方、講談、浪曲、能、狂言については、名前を知っていても実際に公演を見たことがない人が少なくない。

これらの芸能は、現在も演者が活動し、定期公演も行われている。しかし、漫才や落語と同程度に日常的な文化として認識されているとは言いにくい。

それでは、講談、浪曲、能楽、狂言は、現代の日本社会において衰退しつつある芸能なのだろうか。それとも、日本文化や文芸を理解するうえで、今なお必要な存在なのだろうか。

本稿では、伝統芸能を無条件に称賛する立場にも、「古いから不要」と切り捨てる立場にも立たず、それぞれの現状と文化的な役割を検討する。


1.漫才と落語が現代社会に適応しやすい理由

講談、浪曲、能、狂言の現状を考える前に、なぜ漫才と落語が比較的人気を保ちやすいのかを整理する必要がある。

漫才の大きな強みは、短時間で内容が伝わりやすいことである。

二人または複数人の会話を中心に進み、現代の日常生活、芸能、社会問題、家族関係などを題材にできる。数分から十数分で一つの作品が完結するため、テレビ番組や動画配信との相性がよい。

落語も、演者一人で複数の人物を演じ分ける古典的な話芸でありながら、言葉によって場面を想像させるという構造が明確である。

古典落語には江戸時代や明治時代の生活を背景とした噺が多いが、登場人物の欲、見栄、勘違い、夫婦関係、貧困、酒、仕事、人付き合いといった題材は、現代人にも理解しやすい。新作落語によって現代社会を直接描くこともできる。

つまり、漫才と落語は、伝統性を持ちながらも、現代の言葉、生活感覚、メディア環境に接続しやすいのである。

これに対し、講談、浪曲、能、狂言は、それぞれ独自の語り方、節、身体表現、歴史的背景を持つ。その独自性が文化的価値となる一方、初めて接する観客にとっては理解の壁にもなりやすい。


2.講談の現状――復活の兆しはあるが、芸能全体の拡大とは限らない

講談は、演者が釈台と呼ばれる机の前に座り、張り扇で釈台を打ちながら、歴史上の事件、武将、侠客、裁判、仇討ちなどの物語を語る芸能である。

国立劇場の文化デジタルライブラリーは、講談を、主として歴史にちなんだ物語を一人で読み聞かせる芸と説明している。戦いの場面などでは「修羅場」と呼ばれるリズミカルな読み方が用いられる。また、現在では外国の物語や現代を舞台にした新作も演じられている。

講談は本当に復活したのか

近年、講談は以前より注目されるようになった。

著名な講談師の独演会が人気を集め、テレビ、ラジオ、出版、動画などで講談が紹介される機会も増えている。講談協会と日本講談協会は、それぞれ定席、若手の研鑽会、初心者向けの会、寺院や演芸場での公演などを継続している。2026年にも両団体は多数の公演を予定しており、講談が実演芸能として現在も継続していることは確認できる。

ただし、一部の人気講談師に注目が集まることと、講談という分野全体の観客層が大幅に拡大することは、同じではない。

人気演者の公演は満席になっても、その観客がほかの講談師や若手の公演へ継続的に足を運ぶとは限らない。また、都市部では公演を選べても、地方では講談を直接鑑賞する機会が限られる。

したがって、現在の講談については「消滅寸前の芸能」とするのも、「完全に復活した」とするのも正確ではない。

より妥当なのは、特定の演者を中心として社会的な認知が高まり、再評価の機会が生じている一方、芸能全体の安定的な観客基盤については、なお課題が残るという評価である。

講談の文化的な意味

講談の重要性は、単に歴史上の出来事を紹介することではない。

講談は、史実をそのまま説明する歴史学ではなく、史実、伝承、脚色、人物評価を組み合わせて物語を構成する。そこでは、忠義、名誉、正義、恩義、出世、失敗、復讐、親子関係など、日本の物語文化で繰り返し扱われてきた価値観が表現される。

そのため、講談を聴くことは、歴史的事実を学ぶこととは異なる。むしろ、日本人が歴史上の人物や事件をどのように物語化し、感情移入してきたのかを知る手掛かりになる。

一方で、講談の内容をそのまま史実と受け取ることには注意が必要である。

講談は芸術的な語り物であり、史料に基づく歴史解説ではない。現代において講談を生かすには、物語としての魅力を保ちながら、史実と創作の違いを必要に応じて示す工夫も求められる。


3.浪曲の現状――存続しているが、接触機会が著しく少ない

浪曲は、浪曲師の語りと節に、曲師による三味線の伴奏を組み合わせる芸能である。

物語を語る部分と、旋律を付けて歌う部分が交互に現れ、演者の声、節回し、三味線、物語の展開が一体となって観客の感情に働きかける。

かつて浪曲は、寄席、劇場、ラジオ、レコードなどを通じて広く親しまれた。しかし、現在の大衆文化の中では、落語や漫才に比べて接触機会が少ない。

浪曲は消えたわけではない

浪曲は、現在も浅草木馬亭をはじめとする会場で定期的に上演されている。

日本浪曲協会は、木馬亭の定席、広小路亭、新宿亭、企画公演などを実施しており、2026年にも複数の公演が組まれている。夏の企画公演では、古典的な題材である忠臣蔵と、ミュージカルや喜劇的な構成を組み合わせる試みも行われた。

これは、浪曲が過去の形式をそのまま保存しているだけではなく、新しい演出や題材を取り入れながら存続を図っていることを示している。

一方、現在の浪曲には明確な弱点がある。

第一に、テレビや日常的な娯楽番組で触れる機会が少ない。

第二に、「浪曲」という名称を知っていても、どのような芸能なのか説明できない人が多いと考えられる。

第三に、浪曲師だけでなく、三味線を担当する曲師の育成も必要である。浪曲は一人の演者だけで完結する芸能ではないため、演者と伴奏者の双方が継承されなければならない。

浪曲が現代人に届きにくい理由

浪曲の特徴である節回しは、慣れていない人には独特に聞こえる。

また、義理、人情、忠節、親子の別れ、任侠、苦難からの再起といった古典的な題材は、現代の価値観から距離がある場合もある。

しかし、この距離は、浪曲に価値がないことを意味しない。

むしろ浪曲は、人間の感情を論理的に説明するのではなく、声と音楽によって増幅する芸能である。現代の映画音楽、ミュージカル、アニメーション作品、朗読劇などにも、物語と音楽を結び付けて感情を動かす構造がある。

浪曲は、それを一人の語り手と一人の曲師によって行う、極めて凝縮された舞台表現と見ることができる。

浪曲の課題は、芸そのものの力が失われたことより、その力を初めての観客が知るまでの入口が少ないことである。


4.能楽の現状――高い文化的評価と、低い日常的接触頻度

能楽とは、能と狂言を合わせた名称である。

能は、謡、囃子、舞、面、装束などによって物語や人物の感情を表現する。狂言は、主として台詞と身体表現によって、人間の失敗や欲望、主従関係、夫婦関係などを喜劇として描く。

文化庁によると、能楽は14世紀頃に大成し、能は様式化された簡素な表現によって人間の感情を繊細に表す。一方、狂言は庶民生活の中のさまざまな笑いを描く。能楽は1957年に重要無形文化財に指定されている。

さらに、能楽は国際連合教育科学文化機関、すなわちUNESCO(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization・国際連合教育科学文化機関)の無形文化遺産として位置付けられている。UNESCOは、能楽が能と狂言から構成され、面、装束、小道具、音楽、舞踊的な動きを統合した演劇であると説明している。

公演制度は存在するが、誰もが身近に見られるわけではない

現在も全国の能楽堂、寺社、文化施設、学校などで公演や普及活動が行われている。

公益社団法人能楽協会は、公演情報の提供、全国の能楽堂の紹介、入門企画、地域公演などを実施している。歴史的な場所や世界遺産などを会場とした特別公演も行われており、能楽を地域の歴史や観光と結び付ける活動も見られる。

しかし、公演が継続していることと、一般国民が日常的に能楽へ接していることは別である。

能には、古語、謡独特の発声、象徴的な動作、ゆっくりした進行、事前知識を要する物語が多い。初見では、登場人物の関係や物語の意味を十分に理解できない場合がある。

また、能楽堂の分布や公演回数には地域差がある。都市部の観客と地方の観客とでは、接触機会に差が生じやすい。

したがって、能楽は公的・国際的には高く評価されている一方、現代日本人の日常的な娯楽として広く普及しているとは言いにくい。

「分かりにくさ」は欠点なのか

能の分かりにくさは、しばしば弱点として語られる。

確かに、娯楽作品として見た場合、事前知識がなければ理解しにくい芸能は、広い観客層を獲得しにくい。

しかし、すべての文化芸術が、初見で即座に理解できなければならないわけではない。

能は、台詞や動作を最小限に抑え、観客の想像力によって物語を成立させる。舞台装置も簡素であり、時間、場所、現実、夢、死者の記憶などが、舞と謡によって表現される。

この構造は、説明を増やす現代の映像作品とは反対の方向を向いている。

能は、少ない表現から多くを読み取る文化である。日本文学に見られる余白、暗示、象徴、沈黙、無常観といった要素を、身体と音によって表現している。

能を保存する意味は、古い演目を残すことだけではない。意味を直接説明し過ぎず、観客の想像力に委ねる表現形式そのものを残すことにある。


5.狂言の現状――伝統芸能の中では比較的入りやすい

狂言は能楽の一部でありながら、能とは異なる性格を持つ。

能が神、亡霊、武将、女性の悲しみ、執念、救済などを扱うことが多いのに対し、狂言では、主人と使用人、夫婦、僧侶、農民、欲深い者、怠け者などが登場する。

題材は古くても、人間関係の構造は現代と大きく変わらない。

知ったかぶりをする人物、仕事をさぼる人物、立場の強い者を出し抜く人物、夫婦の力関係に悩む人物など、狂言に登場する人間像は現代人にも理解しやすい。

狂言は「古い笑い」だけではない

狂言には、現代の会話とは異なる言葉や型がある。しかし、物語の基本構造は比較的明快であり、能よりも初心者が入りやすい演目が多い。

また、声の出し方、誇張された動作、反復、勘違い、立場の逆転など、現代の喜劇やコントにも通じる技法が用いられる。

この意味で、狂言は、漫才やコントと伝統芸能を結び付ける入口になり得る。

ただし、狂言についても、学校鑑賞会や能楽堂での公演を除けば、日常的に触れる機会は多くない。名称は知られていても、演目や演者については一般に十分知られているとはいえない。

狂言を広めるには、漫才やコントとの類似点だけを強調するのではなく、狂言独自の言葉、身体表現、間、型を伝える必要がある。

現代の笑いに近付け過ぎれば、狂言である必然性が失われる。一方、伝統的な形式を説明なしに提示するだけでは、新しい観客が入りにくい。

この両者の均衡が重要になる。


6.四つの芸能に共通する現在の問題

講談、浪曲、能、狂言には、それぞれ異なる歴史と表現形式がある。しかし、現代における課題には共通点も多い。

6-1.観客の高齢化だけで説明することはできない

伝統芸能の問題として、しばしば観客の高齢化が挙げられる。

しかし、高齢の観客が多いこと自体は問題ではない。高齢者が文化を支えることには大きな意味がある。

問題は、特定の世代が離れた後に、次の世代が継続的に入ってくる仕組みが弱いことである。

一度だけ学校行事で鑑賞しても、その後に自分で公演情報を調べ、料金を支払い、会場へ行く人は限られる。

鑑賞体験を将来の観客形成につなげるには、初回鑑賞、二回目の鑑賞、定期的な鑑賞という段階を設計する必要がある。

6-2.公演情報が一般層に届きにくい

伝統芸能の公演情報は、協会や劇場のウェブサイト、専門誌、会員向け案内などに掲載される。

すでに関心を持つ人には届いても、関心を持つ前の人には届きにくい。

一方、漫才や落語は、出演者がテレビや動画に登場し、演者を知った後に公演へ足を運ぶ経路が形成されている。

講談、浪曲、能、狂言でも、演者の人物像、修業、演目の背景、舞台裏などを伝えることで、芸能そのものへの関心を育てる余地がある。

6-3.後継者だけでなく周辺技術の継承が必要

無形文化財は、建物や美術品とは異なり、人間が技術を体得し、実演することで存在する。

文化庁も、無形文化財を人間の「わざ」そのものと説明し、保持者や保持団体の認定、伝承者養成事業への助成、国立劇場などでの研修を行っている。

能楽であれば、演者だけでなく、囃子方、地謡、面、装束、楽器、舞台などが必要である。浪曲であれば、浪曲師と曲師の双方が必要になる。

つまり、伝統芸能の継承は、有名な演者を育てれば完了するものではない。

道具を製作・修理する技術、教える人、劇場を運営する人、公演を企画する人、記録を残す人まで含めた文化的な生態系を維持しなければならない。

6-4.正確な観客統計が十分ではない

伝統芸能について議論する際には、統計上の限界にも注意が必要である。

文化庁は文化芸術全般の鑑賞活動を調査しているが、調査区分によっては伝統芸能が一つの項目にまとめられ、講談、浪曲、能、狂言の観客数を個別に比較できない場合がある。

近年の文化に関する調査では、会場鑑賞、メディア鑑賞、文化活動への参加などが調べられているものの、個々の伝統芸能について、全国の観客数、年齢構成、再来場率を継続的に測定するには限界がある。

そのため、「若者に人気が出ている」「完全に衰退している」といった評価は、個別の公演の盛況や報道だけからは判断できない。

今後は、チケット販売、公演回数、会場規模、配信視聴、観客属性、再来場率などを、分野ごとに継続して把握する必要がある。


7.日本の文化・文芸に、これらの芸能は本当に必要なのか

伝統芸能の必要性を考える際、「昔からあるから守るべきだ」という説明だけでは不十分である。

長く続いた文化であっても、現代社会との接点を完全に失えば、公的支援の妥当性について疑問が生じる。

反対に、観客数や市場規模が小さいという理由だけで不要と判断することも適切ではない。

文化の価値は、現在の売上や人気だけでは測れないからである。

7-1.日本語の表現可能性を保存する

講談、浪曲、能、狂言は、それぞれ異なる日本語の使い方を持っている。

講談には、物語を前へ進める調子と、場面を緊張させるリズムがある。

浪曲には、語りと歌の中間に位置する節がある。

能には、言葉を引き延ばし、音と身体によって意味を重ねる表現がある。

狂言には、台詞、反復、誇張、間によって笑いを生み出す仕組みがある。

これらが失われることは、単に古い演目が上演されなくなることではない。日本語によって物語や感情を表現する方法の一部が失われることである。

7-2.文学作品の背景を理解する

日本の近代文学や現代文学は、伝統芸能と無関係ではない。

作家が直接能や狂言を題材にする場合だけでなく、幽霊、夢、語り手、因縁、無常、仇討ち、義理、人情、滑稽、主従関係など、伝統芸能によって繰り返し表現されてきた構造が、文学作品にも受け継がれている。

能楽は、人形浄瑠璃文楽、歌舞伎、さらに現代の芸術活動にも影響を与えてきたと文化庁は説明している。

伝統芸能を知ることは、過去の文学だけでなく、映画、演劇、漫画、アニメーション、ゲームなどに見られる日本的な物語構造を理解する助けにもなる。

7-3.人間の感情を異なる速度で見る

現代の娯楽は、短時間で強い刺激を与える方向へ進みやすい。

動画は短くなり、物語の展開は速くなり、視聴者が途中で離れないように、次々と情報が提示される。

それに対して能は、動作を遅くし、沈黙や余白を作る。講談は、語り手が言葉だけで場面を構築する。浪曲は、一つの感情を節によって長く引き延ばす。狂言は、単純な行き違いを型と反復によって展開する。

これらは、現代の娯楽とは異なる時間感覚を観客に経験させる。

文化の多様性とは、題材や登場人物の多様性だけではない。表現の速度、情報量、感情の伝え方が複数存在することでもある。

7-4.現在の価値観を相対化する

伝統芸能には、現代から見れば受け入れにくい価値観も含まれている。

身分制度、家父長制、忠義、自己犠牲、復讐、女性観、障害や病気の描写などについて、現代の倫理観と一致しない内容もある。

しかし、過去の作品に現代の価値観と異なる部分があるからといって、作品そのものを排除すれば、過去の社会がどのような価値観によって成り立っていたのかを理解しにくくなる。

必要なのは、古い価値観を無批判に肯定することではない。

当時の社会背景を説明し、現代との違いを検討しながら鑑賞することである。

伝統芸能は、過去を美化するためではなく、過去と現在の差を考える材料としても必要である。


8.公的支援はどこまで正当化できるのか

文化芸術基本法は、国が能楽、文楽、歌舞伎、組踊などの伝統芸能について、公演や保存への支援を行うことを定めている。

また、文化芸術推進基本計画では、文化芸術の担い手への支援、子どもの鑑賞機会、国際発信、地域文化の振興などが政策課題として位置付けられている。

公的支援には一定の合理性がある。

伝統芸能は、市場原理だけに任せると、観客数の多い分野や著名演者の公演へ資金が集中しやすい。後継者育成、道具の修理、古い演目の復元、地方公演、学校公演などは、短期的には採算が取りにくい。

一方で、公的支援を行えば、それだけで文化が生き残るわけではない。

観客がほとんどいなくても制度だけで維持する状態が続けば、芸能は社会から切り離された保存対象になってしまう。

したがって、公的支援には、次のような条件が必要である。

第一に、技術と演目を正確に継承すること。

第二に、初めての観客が理解できる解説や字幕を整備すること。

第三に、地方や若年層が鑑賞できる機会を増やすこと。

第四に、配信、音声、記録映像などを活用し、劇場外からも接触できるようにすること。

第五に、観客数だけでなく、育成された演者、公演地域、学校での体験者、再来場率などを用いて政策効果を検証することである。

伝統文化への支援は、「重要だから支援する」という循環論法ではなく、何を残し、誰に届け、どのような結果を目指すのかを明示する必要がある。


9.現代化はどこまで許されるのか

伝統芸能を存続させる方法として、新作、現代語訳、他分野との共同制作、漫画やアニメーションとの連携、動画配信などが提案される。

これらは新しい観客を呼び込む可能性がある。

実際、講談では現代を舞台にした作品や外国の物語も演じられている。浪曲でも古典的題材と新しい舞台表現を組み合わせる企画が行われている。

しかし、現代化には限界もある。

能の動きを速くし、講談を通常の朗読に近付け、浪曲の節を減らし、狂言を現代のコントとほぼ同じにすれば、理解はしやすくなるかもしれない。

その一方で、それぞれの芸能を成立させている型や技法が失われる。

重要なのは、伝統的な本体を変えることと、観客への入口を広げることを区別することである。

本公演では伝統的な形式を守りながら、事前解説、字幕、短時間の体験公演、関連映像、入門講座などを用意する方法が考えられる。

また、伝統的な演目とは別に、新作や他分野との共同制作を行うこともできる。

保存と創造は、どちらか一方を選ぶ関係ではない。異なる目的を持つ活動として、並行して行うべきである。


10.四つの芸能を同じ方法で振興する必要はない

講談、浪曲、能、狂言を「伝統芸能」という一つの言葉でまとめると、それぞれの違いが見えにくくなる。

講談は、歴史、文学、朗読、地域史との連携に向いている。

浪曲は、音楽、演劇、歌謡、物語表現との連携に可能性がある。

能は、美術、文学、宗教史、身体表現、国際文化交流との結び付きが強い。

狂言は、喜劇、演劇教育、言語表現、子ども向け鑑賞との相性がよい。

したがって、すべての芸能に同じ普及策を当てはめるべきではない。

講談には歴史講座と公演を組み合わせる方法が考えられる。

浪曲には曲師の役割を含めた音楽的な解説が必要になる。

能には演目のあらすじ、人物関係、面、装束、舞台構造の事前説明が有効である。

狂言には、短い演目や体験型のワークショップが入口になりやすい。

それぞれの芸能が持つ強みを分析し、異なる観客層へ届ける必要がある。


11.伝統芸能は、人気芸能と競争する必要があるのか

講談、浪曲、能、狂言の価値を論じる際、漫才や落語と観客数を競わせる考え方には限界がある。

漫才や落語が広く人気を得ることと、講談や能楽が存続することは両立する。

すべての文化が同じ規模の観客を持つ必要はない。

小規模な観客によって支えられる芸術であっても、独自の表現技法を維持し、次世代の創作へ影響を与えるなら、文化的な意味がある。

ただし、「少数の理解者がいればよい」と閉鎖的になることも望ましくない。

伝統芸能の側にも、初めて見る観客へ説明し、自らの価値を社会へ伝える責任がある。

観客に理解を要求するだけでなく、観客が理解できる経路を設計する必要がある。


結論――保存すべきなのは古さではなく、異なる表現の可能性である

現在の講談、浪曲、能楽、狂言は、消滅しているわけではない。

演者、関係団体、劇場、文化行政、観客の努力によって、公演、育成、普及活動が継続されている。

講談には、一部の演者を通じた再評価の動きがある。

浪曲は、限られた会場を中心としながら、定席や新しい企画を維持している。

能楽は、重要無形文化財およびUNESCO無形文化遺産として高い評価を受け、全国で公演や普及活動が行われている。

狂言は、人間の普遍的な滑稽さを描く芸能として、現代の観客にも比較的接近しやすい可能性を持つ。

一方で、四つの芸能はいずれも、一般社会との接触機会、次世代観客の形成、地方での鑑賞環境、担い手と周辺技術の継承という課題を抱えている。

これらの芸能を必要とする理由は、単に「日本の伝統だから」ではない。

講談は、歴史を物語として語る技術を残している。

浪曲は、声、音楽、物語によって感情を増幅する技術を残している。

能は、沈黙、余白、象徴、身体によって人間の記憶や執念を表現する技術を残している。

狂言は、言葉、型、間によって人間の愚かさを笑いに変える技術を残している。

これらは、日本の文学、演劇、音楽、映像、漫画、アニメーションなどの基層を理解するうえでも重要である。

しかし、保存とは、昔の形式を社会から隔離して保管することではない。

伝統的な技法を正確に継承しながら、現代の観客が接触し、理解し、批評し、必要であれば新しい創作へつなげられる状態を作ることである。

漫才と落語が人気を持つ令和だからこそ、講談、浪曲、能、狂言を同じ人気競争の尺度だけで評価してはならない。

これらの芸能が残しているのは、古い物語だけではない。

人間を語り、歌い、舞い、笑うための、現代とは異なる方法なのである。

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本を読む人間として始まったわけではなかった

振り返ってみると、私は幼い頃から本ばかり読んでいた子どもではない。

小学生の頃に読んだ本といえば、学校から指定された課題図書が中心だった。夏休みになると、感想文を書くために本を読む。自分から書店へ行き、棚の中から一冊を探し出して読むというより、まず読むべき本が先に決められていた。

課題図書には、子どもが自分では選ばない本に触れられるという意味がある。しかし、当時の私にとって、読書はまだ自発的な楽しみというより、学校生活の一部だった。

本を読めば、読書感想文を書かなければならない。

何を感じたのか、どこが印象に残ったのかを、原稿用紙の升目に合わせて書く。実際に深い感動があったかどうかより、感想として成立する文章を作ることの方が先にあったようにも思う。

私は、最初から読書家だったわけではない。

後年の自分から過去を振り返り、幼い頃から文学に親しんでいたように話を整えることもできる。しかし、それは正確ではない。

私の読書は、課題として与えられた本を読むところから始まった。

文学は、まだ遠くにあった。

中学生の私が読んだ『天声人語』

中学生になると、新聞の『天声人語』を読むようになった。

『天声人語』は、朝日新聞の朝刊に掲載されてきたコラムで、その起源は1904年にさかのぼる。掲載が中断された時期や名称の変遷はあるものの、長く日本の新聞コラムを代表する存在の一つとして読まれてきた。

中学生の私は、その長い歴史を意識して読んでいたわけではない。

一回の文章は長すぎず、時事問題、社会、歴史、文化、季節の話題などが、限られた文字数の中でまとめられていた。学校の教科書とは違い、その時に社会で起きていることが文章の題材になっていた。

一つの出来事から別の話題へ移り、最後には最初の話へ戻ってくる。短い文章の中に引用や比喩が置かれ、時事的な事実と書き手の見方が組み合わされる。

その論調にいつも賛成していたわけではない。

当時は、賛成や反対を明確に判断できるほど、政治や社会を理解してもいなかった。それでも、出来事をただ知らせる新聞記事とは異なり、出来事をどう読み、どのような言葉で捉えるかという文章の働きを知った。

小学生の頃、文章は課題図書の感想を書くためのものだった。

中学生になると、文章は社会について考えるためのものになった。

文学を読む前に、私は新聞の短いコラムを通じて、文章の形に触れていたのである。

後になってブログで政治、経済、地域社会、文化について書くようになったことを考えると、この時期の経験は小さくなかったのかもしれない。

一つの出来事だけを孤立させず、その背景や別の問題とのつながりを考える。短い話題から、より大きな社会を見ようとする。

その方法を、十分に自覚しないまま『天声人語』から学んでいたように思う。

高校生になって、ようやく文学へ入った

私が本格的に文学を読むようになったのは、高校生になってからである。

太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介、川端康成。

日本文学の名著と呼ばれる作品を、少しずつ読むようになった。

学校の授業や文学史の中では、彼らはすでに評価の定まった作家だった。しかし、高校生の私は文学史上の位置づけを確認するためだけに読んでいたのではない。

むしろ、なぜこれほど多くの人が読み続けているのかを知りたかった。

太宰治の作品には、人間の弱さや自己嫌悪、他人からどう見られるかという不安が、隠されずに書かれていた。

三島由紀夫の文章には、美しさと緊張感があり、その思想や人生を十分に理解できなくても、言葉そのものに強い力を感じた。

芥川龍之介の作品は比較的短いものが多かったが、その短さの中に、人間の利己心、矛盾、不安、残酷さが凝縮されていた。

川端康成の作品では、説明し尽くされない感情や、情景の背後に残る沈黙が印象に残った。

もちろん、高校生の私が、これらの作品を深く理解していたとは思わない。

年齢を重ねてから読み返せば、当時は見えていなかったものが多くあるはずだ。

しかし、文学はすべてを理解してから読むものではない。

よく分からない部分があっても、言葉や場面だけが記憶に残ることがある。作品全体の意味はつかめなくても、そこに自分の日常とは違う世界が存在することは感じられる。

高校生の私にとって文学は、知識として理解する対象というより、まだ自分では言葉にできない感情に触れる場所だった。

新潮文庫と角川文庫の棚

当時の読書を思い出すと、個々の作家だけでなく、新潮文庫や角川文庫の存在を抜きにすることはできない。

新潮文庫の歴史は古く、最初の創刊は1914年で、ドイツのレクラム文庫にならい、海外の名著を一般読者へ普及させる意図を持って始められた。戦後には昭和文学を中心とする文庫として再出発している。

角川文庫は1949年に創刊され、第1回配本にはドストエフスキーの『罪と罰』が含まれていた。1950年には現在につながる小型の判型へ改められ、戦後の文庫本普及に大きな役割を果たした。

しかし、高校生だった私が、そのような出版史を考えて文庫本を選んでいたわけではない。

書店の棚に並んでいる本を見て、題名、作家名、表紙、裏表紙の紹介文などを手掛かりに選んだ。

文庫本は単行本よりも小さく、比較的購入しやすかった。

一冊を鞄に入れて持ち歩くことができる。読んだ本を本棚に並べれば、自分がどのような本を読んできたのかが背表紙によって見える。

現在では、検索すれば作品のあらすじも評価もすぐに分かる。読者の感想を読み、内容を比較してから購入できる。

当時は、店頭で偶然目に入った本を手に取ることが多かった。

よく知らない作品を買い、読み始めてから、自分に合うかどうかを知る。

外れることもあった。

最後まで読めない本もあった。

それでも、書店の棚には、自分がまだ知らない考え方や人生が無数に並んでいるように見えた。

名著と同時代の文学を一緒に読む

高校生の頃に読んだのは、近代日本文学の名著だけではなかった。

当時読まれていた片岡義男や三田誠広の作品も手に取った。

文学の読書歴を語るとき、後世に評価された名作だけを並べると、実際の読書生活とは違うものになる。

現実の読書は、文学史の順番には進まない。

太宰治を読んだ次に、片岡義男を読む。

芥川龍之介の短編を読んだ後で、当時書店に並んでいた現代小説を読む。

古典的な作品と流行している作品が、同じ読者の中で混ざり合う。

片岡義男の小説には、車やオートバイ、音楽、男女の関係、都市的な生活など、当時の若者にとって新しく見える世界があった。

日本を舞台にしながら、どこかアメリカ文化の影響を感じさせる軽さや映像的な感覚があった。

太宰や三島とは違う。

しかし、違うからこそ読んだ。

文学には重い人生論や苦悩だけでなく、時代の空気、生活様式、会話、服装、乗り物、音楽なども含まれる。

三田誠広は、1977年に『僕って何』で第77回芥川賞を受賞している。自己とは何かという問いを題名そのものに掲げた作品が、当時の若い世代の感覚と重なる時代だった。

私は、後世に残る作品だけを選別して読んでいたのではない。

その時代に生きながら、その時代に売られ、その時代に話題になっている本を読んでいた。

それは、昭和という時代を、文学を通じて同時進行で読むことでもあった。

フランス文学とロシア文学で立ち止まる

日本文学を読むようになると、次第に海外文学にも関心が向いた。

フランス文学やロシア文学にも挑戦した。

しかし、ここで私の読書が順調に広がったわけではない。

途中で挫折した作品も少なくなかった。

海外の名作は、題名も作家名もよく知られている。文学を読むのであれば、一度は通らなければならないようにも感じられた。

ところが、実際にページを開いてみると、簡単には入っていけない。

国の歴史、社会階級、宗教、政治、家族制度、恋愛観など、日本の高校生にはなじみの薄い背景がある。

登場人物の名前を覚えるだけでも苦労することがある。特にロシア文学では、一人の人物が複数の呼び名で呼ばれることがあり、物語の関係を追うだけでも集中力を要した。

長編作品では、物語がすぐに動くとは限らない。

人物の思想や社会状況について長い記述が続く。読んでいる間は理解したつもりでも、少し間を置くと誰が誰だったのか分からなくなる。

文学史上の名作であることと、当時の自分が読み通せることは別問題だった。

フランス文学にも同じ難しさがあった。

洗練された恋愛や心理を描いた作品であっても、その背後には階級社会や当時の道徳、宗教、結婚制度がある。

言葉だけを追っても、人物がなぜそのように行動するのかを十分に理解できない。

私は、名作だから読めるのではなく、読む側にも経験や背景知識が必要なのだと知った。

最後まで読めなかった本は、読書歴の失敗として忘れられがちである。

しかし、挫折したこともまた読書の一部である。

本には、読むのに適した時期がある。

高校生の自分には難しかった本が、成人してから読むと理解できることもある。反対に、若い時に強く響いた作品が、後年にはそれほど響かないこともある。

読書は、作品だけで決まるものではない。

読む人間の年齢、経験、知識、生活状況によって変わる。

高校生には難しかったスタンダール『恋愛論』

フランス文学の中でも、特に記憶に残っているのが、スタンダールの『恋愛論』である。

スタンダールは『赤と黒』『パルムの僧院』などで知られるフランスの作家である。『恋愛論』は1822年に刊行され、恋愛を心理、社会、文化、階級など複数の面から考察した作品である。恋愛によって相手を理想化していく精神の働きを「結晶作用」と表現したことでも知られている。

私は、この本を高校生の頃に読もうとした。

題名だけを見れば、恋愛について説明した本である。

高校生にも身近な題材のように思える。

しかし、実際には簡単な恋愛指南書ではなかった。

人はなぜ恋をするのか、恋する相手をどのように理想化するのか、恋愛と虚栄、社会、身分、習慣がどのように結びついているのか。

その分析は抽象的で、歴史的・社会的背景も含んでいた。

当時の私には難しかった。

文章を追っても、スタンダールが何を分類し、何を証明しようとしているのか、十分には理解できなかった。

恋愛という題材を扱っているのだから、感情的に分かりやすい本だろうと思っていた。しかし、そこで論じられていたのは、単純な恋の喜びや悲しみではない。

恋愛を観察し、分類し、心理の働きとして分析する文章だった。

高校生の私は、恋愛についての経験も、当時のヨーロッパ社会についての知識も乏しかった。

恋愛における理想化や虚栄といわれても、それを自分の経験と結びつけることができない。

名著とされる本を手に取ったものの、読み進めるほど、自分の理解が追いついていないことを感じた。

私は途中で挫折した。

しかし、『恋愛論』を読み通せなかったことは、不思議に記憶に残っている。

容易に読めた本よりも、歯が立たなかった本の方が、後になって思い出されることがある。

それは、自分の外側に、まだ理解できない広い世界があることを知らせるからだろう。

高校生の私には、『恋愛論』は早すぎた。

けれども、早すぎる本に出会ったこと自体には意味があった。

本は、いつでも読者に合わせて分かりやすく書かれているわけではない。

理解できない文章に出会い、自分の知識や経験の不足を知ることも読書なのである。

雑誌によって社会へ出ていく

小説や文庫本とともに、『朝日ジャーナル』『文藝春秋』『サンデー毎日』などの雑誌も読んだ。

これらは性格の異なる媒体だった。

『朝日ジャーナル』は1959年に創刊され、1992年まで発行された週刊誌で、報道、解説、評論を掲げ、戦後日本の政治、社会、思想を論じる媒体の一つだった。

『文藝春秋』は菊池寛が1923年に創刊した月刊総合誌で、文学だけでなく政治、社会、人物論、座談会などを広く扱ってきた。創刊号には芥川龍之介や川端康成らも寄稿している。

『サンデー毎日』は1922年4月2日に創刊され、『週刊朝日』と並ぶ日本の初期の週刊誌の一つである。

私は、それぞれの雑誌を体系的に比較研究していたわけではない。

小説とは異なる文章を読みたかった。

政治、社会、文化、事件、教育、人間について、新聞記事よりも長く、書籍よりも早く論じる文章が雑誌にはあった。

雑誌には、その時代の熱があった。

後から歴史書を読めば、出来事の原因と結果が整理されている。しかし、その時代に発行された雑誌では、まだ結論が出ていない問題が扱われている。

何が正しいのか分からない。

社会がどこへ向かうのかも分からない。

書き手の主張には偏りもある。

しかし、未確定な時代の中で、人々が何を問題だと考えていたのかが見える。

文学が人間の内面を読むものだとすれば、雑誌は、その人間が生きている社会を読むものだった。

私は、小説から社会へ、社会からまた小説へと行き来するようになった。

学生時代には理系雑誌へ

学生時代になると、読むものは理系雑誌へ広がった。

文学から理系へ転向したというより、関心の対象が増えたといった方が正確だろう。

文学は、人間の感情や行動を言葉によって描く。

理系雑誌は、自然、技術、医学、数学、機械などの仕組みを説明する。

一見すると、この二つは遠く離れている。

しかし、私にとっては、どちらも知らない世界を文章によって理解しようとする行為だった。

文学作品を読むときには、登場人物がなぜそのように考え、行動したのかを追う。

科学や技術の記事を読むときには、現象がなぜ起こり、どのような仕組みで成り立っているのかを追う。

対象は違っても、「なぜ」を考えることは共通している。

学生時代の読書では、楽しみだけでなく、学習や専門知識の獲得という性格が強くなった。

分からない用語を調べる。

図や数式を読み直す。

一度では理解できない説明を、前のページへ戻って確認する。

フランス文学やロシア文学で感じた「分からなさ」と、理系雑誌で感じる「分からなさ」は性質が違う。

しかし、理解できない文章の前で立ち止まるという経験は同じだった。

文学での挫折も、無駄ではなかったのかもしれない。

成人してから、ジャンルの境界がなくなった

成人してからは、特定のジャンルに限らず、あらゆる分野の本を広く読むようになった。

文学、政治、経済、歴史、科学、医学、宗教、社会問題、資格、技術、実用書。

仕事や生活の中で必要になった本もあれば、純粋な関心から読んだ本もある。

高校生の頃には、文学を読むことに、一種の背伸びがあった。

名著を読まなければならない。

有名作家を理解しなければならない。

難しい本を最後まで読まなければならない。

成人後は、そのような義務感が少し薄れた。

必要な本を読む。

関心を持った本を読む。

難しければ、関連する入門書を先に読む。

途中で読むのをやめることもある。

一冊の本をすべて理解しなくても、必要な部分から何かを得ることができる。

読書に対する考え方が柔軟になった。

一方で、広いジャンルを読むことには問題もある。

一つの作家を長く追い続けることが難しくなる。

次々に別の分野へ関心が移り、知識が断片化する。

文学作品をゆっくり味わうより、必要な情報を探す読み方が増える。

多くの本を読んでも、それぞれの内容が深く残るとは限らない。

広く読むことと深く読むことは、必ずしも両立しない。

それでも、さまざまな分野を横断して読むことで、一つの問題を一つの視点だけで見ない習慣が生まれた。

医療の問題には、医学だけでなく、経済、倫理、家族、制度が関係する。

地域社会の問題には、人口、交通、産業、行政、教育、文化が関係する。

人間の生活は、学問の分類どおりには分かれていない。

文学、科学、社会、実用の本を分けずに読んできたことは、複数の視点を結びつける基礎になったと思う。

昭和の読書は、書店と紙の中にあった

昭和の読書を思い返すと、本に出会う場所は限られていた。

書店、図書館、学校、新聞広告、雑誌の書評、友人や教師の紹介。

自分が知らない本は、存在しないのと同じだった。

現在のように、作家名を検索すれば著作一覧が出てくるわけではない。読者の感想や評価をすぐに読めるわけでもない。

地方では、書店に置かれる本の種類にも限界があった。

取り寄せには時間がかかる。

外国文学の背景を知りたいと思っても、関連資料を簡単に集めることはできない。

その不便さを美化する必要はない。

情報が少ないために、理解できないまま終わった本もあったはずである。

スタンダールの『恋愛論』も、現在なら作品解説、時代背景、「結晶作用」の意味などを調べながら読むことができる。

高校生だった当時は、難しいと感じても、その難しさを解くための手掛かりを簡単には得られなかった。

しかし、情報が少なかったからこそ、一冊の本を長く手元に置くこともあった。

分からなくてもページをめくる。

途中でやめても、本棚に残しておく。

何年か後に、もう一度開く。

本は、すぐに答えを出す道具ではなく、理解できないまま自分のそばに存在するものでもあった。

平成、本を探す方法が変わった

平成になると、読書を取り巻く環境は大きく変化した。

大型書店が増え、書店の品ぞろえは広がった。

やがてインターネットが普及し、書名や作家名を検索して本を探せるようになった。オンライン書店を使えば、近くの書店にない本も購入できる。

昭和には「本が見つからない」ことが問題だった。

平成以降は、「本が多すぎて選べない」ことが問題になった。

書評や読者の感想を読んでから購入できるようになったことは便利だった。

一方で、他人の評価を先に知ることによって、自分だけの印象で作品と出会う機会は減ったかもしれない。

作品のあらすじを詳しく知りすぎれば、読む前から理解したような気持ちになることもある。

情報が増えれば、読書が必ず深くなるわけではない。

選択肢の増加は、一冊の本へ集中する時間を奪うこともある。

平成の読書は、入手の自由を広げると同時に、注意を分散させる時代でもあった。

令和、読む側から書く側へ

令和の現在、文章を読む環境はさらに変わった。

紙の本だけでなく、電子書籍、ウェブ記事、電子資料、個人ブログなど、さまざまな形で文章を読める。

スマートフォン一台で、多くの文章へ接続できる。

そして、読むだけでなく、個人が文章を公開することも容易になった。

私はいま、自分が読んできた本、使ってきた機械、聴いてきたラジオ、暮らしてきた時代について文章を書いている。

小学生の頃、課題図書を読んで感想文を書くことから始まった。

中学生では『天声人語』を読んだ。

高校生では太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介、川端康成を読み、片岡義男や三田誠広を読んだ。

新潮文庫と角川文庫の棚を眺めた。

フランス文学やロシア文学に挑み、途中で挫折した。

スタンダールの『恋愛論』は難しく、最後まで十分には理解できなかった。

『朝日ジャーナル』『文藝春秋』『サンデー毎日』から社会を読んだ。

学生時代には理系雑誌を読み、成人してからは、ジャンルを限定せず幅広い本を読んだ。

そして今度は、自分が文章を書く側にいる。

もちろん、読むことと書くことは同じではない。

多くの本を読んだからといって、優れた文章を書けるとは限らない。

しかし、これまで読んだ文章は、自分の中に残っている。

文章のリズム。

場面の始め方。

一つの事実から考えを広げる方法。

人間を簡単に善悪で決めつけない視点。

理解できないものを、理解できないまま抱えておく姿勢。

それらは、一冊の本から直接教えられたものではない。

長い読書の中で、少しずつ形づくられたものだと思う。

読み通せなかった本も、読書遍歴に含まれる

読書歴を語るとき、人は読み終えた本を並べたくなる。

何を読破したか。

どの作家を理解したか。

どれほど難しい本を読んだか。

しかし、本当の読書遍歴は、もっと不完全なものである。

読み始めたまま、途中でやめた本がある。

内容をほとんど覚えていない本がある。

当時は感動したのに、なぜ感動したのか説明できない本がある。

難しくて理解できなかった本がある。

読み終えたつもりでも、実際にはほとんど分かっていなかった本もある。

フランス文学やロシア文学での挫折も、スタンダールの『恋愛論』を読み通せなかったことも、私の読書遍歴から除く必要はない。

むしろ、そこで初めて、本には自分の理解を超えるものがあると知った。

すべてを理解できると思うことの方が危うい。

文学は、簡単に答えを与えるものではない。

人間の感情や社会は複雑で、一度読んだだけでは理解できない。

年齢を重ねても、完全に理解できるとは限らない。

だからこそ、もう一度読む意味がある。

三つの時代を通じて残ったもの

昭和、平成、令和を通じて、読書の環境は大きく変わった。

昭和には書店の棚から本を選び、紙の文庫本を持ち歩いた。

平成にはインターネットで本を探し、遠くの書店やオンライン書店から購入できるようになった。

令和には電子書籍やウェブ上の文章を読み、自分自身もブログや電子書籍を通じて文章を発表できる。

本の形は変わった。

本を探す方法も変わった。

読む速度や、文章へ向き合う時間も変わった。

それでも、人が文章を読む理由の根本は、それほど変わっていないのかもしれない。

自分とは違う人生を知りたい。

自分の中にある感情を言葉にしたい。

世界がどのようにできているのかを知りたい。

過去の人が何を考えていたのかを知りたい。

自分が一人ではないことを確かめたい。

文学は、人生の問題を解決してくれるわけではない。

病気、仕事、家族、孤独、老いといった現実は、本を読んだだけで消えるものではない。

しかし文学は、自分だけが抱えていると思っていた感情が、別の時代、別の国、別の人間にも存在していたことを教えてくれる。

答えを与えるというより、問いに言葉を与えてくれる。

それが文学の役割なのだと思う。

課題として始まった読書が、人生の一部になるまで

小学生の頃、私は課題図書を読む程度だった。

その時点では、読書がその後の人生にこれほど長く関わるとは思っていなかった。

中学生で新聞のコラムを読み、高校生で文学に出会った。

名著を読み、流行作家を読み、文庫本を買った。

外国文学に挑み、挫折した。

雑誌を読み、社会へ関心を広げた。

理系雑誌を読み、自然や技術の仕組みを知ろうとした。

成人してからは、ジャンルを越えて本を読んだ。

振り返れば、読書の対象は変わり続けている。

しかし、知らないものを文章によって知ろうとする姿勢は変わっていない。

読み終えた本だけが、自分を作ったのではない。

理解できなかった本も、途中で閉じた本も、書店で手に取っただけの本も、自分の中に何らかの痕跡を残している。

高校生には難しかったスタンダールの『恋愛論』も、その一冊である。

内容を十分に理解できなかった。

それでも、理解できない本が世界には存在することを教えてくれた。

そして、いつかもう一度開けば、当時とは違うものが見えるかもしれないと思わせた。

課題として始まった読書は、やがて自分から本を選ぶ読書になり、社会を知る読書になり、専門を学ぶ読書になった。

そして令和の今、それは、自分が生きてきた時代を文章として残すための読書へつながっている。

昭和に開いた一冊の文庫本も、平成に探した専門書も、令和に読む電子書籍も、すべてが同じ形で記憶に残るわけではない。

けれども、読み終えて本を閉じた後、自分の人生や社会について少し考える時間が残るなら、その読書は無駄ではなかった。

本を読む人間として始まったわけではない私が、長い時間をかけて本を読む人間になった。

それが、昭和、平成、令和を通じた、私の読書遍歴である。

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