三島は右、大江は左。それだけで二人を理解できるのか
三島由紀夫と大江健三郎。
戦後日本文学を代表する作家として、この二人ほど対照的に語られやすい人物も少ない。
三島由紀夫。
天皇。
日本文化。
自衛隊。
楯の会。
1970年11月25日の市ヶ谷での行動と自決。
一方、大江健三郎。
戦後民主主義。
広島。
核兵器。
平和。
憲法。
1994年のノーベル文学賞。
このように並べれば、
三島=保守・右翼 大江=リベラル・左派
という構図が成立するように見える。
政治的位置を大きく整理するなら、この違いを無視することはできない。
しかし、それだけで二人を比較すると、非常に重要な部分が見えなくなる。
なぜなら二人とも、
「敗戦後の日本とは何なのか」
という同じ巨大な問題から出発しているからである。
三島は、戦後日本によって失われたものを見ようとした。
大江は、敗戦後に獲得されたものを守り、さらに徹底しようとした。
三島は、
日本文化、
天皇、
歴史、
身体、
死、
国家、
へ向かった。
大江は、
民主主義、
個人、
核、
広島、
沖縄、
少数者、
へ向かった。
方向は大きく異なる。
しかし二人とも、
経済的に豊かになれば、それで戦後日本は完成する、
とは考えなかった。
だからこの二人を比較する意味は、
どちらが正しかったかを決めることではない。
同じ戦後日本を見ながら、なぜこれほど異なる答えへ到達したのか。
そこを考えることにある。
1 二人は同じ「戦後作家」でも世代が少し違う
三島由紀夫は1925年生まれである。
大江健三郎は1935年生まれである。大江は1994年にノーベル文学賞を受賞し、2023年に87歳で亡くなった。ノーベル財団も1935年1月31日生まれ、2023年3月3日没としている。
二人の年齢差は10歳である。
この10年は大きい。
三島は敗戦時に20歳だった。
大江は10歳だった。
つまり三島には、
戦前から戦後へ、自分自身の青年期の途中で世界が断絶した
という経験がある。
一方、大江の場合には、
敗戦後の新しい日本で青年期を形成した
という側面が強い。
大江自身も1994年のノーベル賞講演で、第二次世界大戦中、四国の山村で少年時代を送っていたことから語り始めている。
この世代差は、二人の戦後観を考える重要な前提になる。
2 三島にとっての戦後~「何かが失われた」という感覚
三島の文学や評論を読むと、
戦後日本に対する強い違和感が繰り返し現れる。
もちろん三島を、
「昔の日本へ戻りたかっただけの作家」
と整理することはできない。
三島自身は西欧文学を深く読み、非常に近代的な小説技法を使った作家でもある。
しかし政治・文化論では、
日本の歴史と文化が、
戦後の社会の中でどのように連続するのか、
という問題を強く意識した。
その代表的な文章の一つが『文化防衛論』である。
同書は1969年に刊行され、戦後文化が成熟し学生運動も激しかった時期に、「最後に護られねばならぬ日本」をめぐって展開された評論・対談などを収録している。
三島にとって重要だったのは、
日本が経済成長することだけではない。
日本が日本であり続けるとはどういうことなのか
という問題だった。
3 大江にとっての戦後~「新しく始めることのできる日本」
一方、大江にとって戦後は違う意味を持った。
大江は戦後日本の民主主義を、自分自身の思想形成に深く関係するものとして受け止めた。
その背景には、
敗戦、
戦争体験、
広島・長崎、
日本国憲法、
といった問題がある。
大江は1994年のノーベル賞講演を「Japan, the Ambiguous, and Myself」、日本語では一般に『あいまいな日本の私』として知られる題で行った。そこでは、日本が近代化の中で西洋との関係に引き裂かれ、戦後には民主主義と非軍事化を新しい方向として選んだことについて論じている。
つまり大江にとって戦後は、
失われた伝統を回復する時代
というより、
戦前とは異なる原理によって日本を作り直す可能性
を持った時代だった。
ここに三島との大きな分岐がある。
4 しかし二人とも「戦後日本はこれでよい」とは考えなかった
この違いだけを見ると、
三島は戦後を否定し、
大江は戦後を肯定した、
と整理したくなる。
しかし、それも単純すぎる。
大江は戦後日本の現実を無条件に肯定したわけではない。
核兵器。
広島。
沖縄。
国家。
少数者。
こうした問題について、戦後日本が掲げた民主主義や平和主義を本当に実現しているのかを繰り返し問うた。
東京大学の大江健三郎文庫には、原稿・関連資料・書誌情報が保存されており、大江の文学と公共的活動を研究する基盤になっている。 つまり大江も、
現実の戦後日本
と、
戦後日本が掲げた理念
の間に大きな距離を見ていた。
その点では三島と共通している。
二人とも、
現実の日本に満足していなかった。
違ったのは、
何を基準に現実を批判したのか
なのである。
5 三島は「失われた連続性」から戦後を批判した
三島の戦後批判を大きく整理すれば、
戦後によって、
歴史、
文化、
天皇、
国家、
身体、
死、
といったものの意味が切断されたのではないか、
という問題になる。
三島の天皇論は、単純に戦前の政治制度をそのまま復活させようという議論と同一ではない。
『文化防衛論』を中心とする三島の天皇論については、天皇を文化概念として捉える側面が研究されている。
三島にとって天皇は、
単なる行政権力者というより、
日本文化の歴史的連続性を象徴する存在
として重要だった。
ここを理解しないと、
三島=天皇制支持
という政治ラベルだけになってしまう。
6 大江は「戦後民主主義の未完成」から日本を批判した
大江の場合は逆方向である。
大江が基準にしたのは、
民主主義、
個人の尊厳、
平和、
核への抵抗、
などだった。
戦後日本がそうした理念を掲げた以上、
現実の日本もその原理へ近づくべきだ、
と考える。
だから大江にとって問題なのは、
戦後によって伝統が失われたこと
というより、
戦後が掲げた理念が十分に実現されていないこと
だった。
つまり二人の批判は、
三島~
「戦後によって何を失ったのか」
大江~
「戦後が約束したものを本当に実現したのか」
という違いとして考えることができる。
7 三島にとって「天皇」は何だったのか
三島を語る場合、天皇の問題を避けることはできない。
しかし、
三島は天皇を政治的独裁者にしようとした、
と単純化するのも適切ではない。
三島の政治・文化論における天皇は、
日本の歴史、
祭祀、
文化、
共同体、
と結び付いた存在として考えられている。
彼が問題視したのは、
戦後日本が、
経済、
消費、
生活水準、
という方向では豊かになる一方、
自分たちが何を共有する国家なのかを説明できなくなること
だった。
ここで天皇が、
文化的な統合原理として現れる。
もちろん、この考え方には多くの批判があり得る。
日本文化を一つの原理へまとめることが可能なのか。
文化的多様性をどう扱うのか。
天皇を共有しない人々はどう位置付けられるのか。
こうした問題は残る。
8 大江にとって「民主主義」は何だったのか
大江にとって民主主義は、
単なる政治制度ではなかった。
戦後を生きる人間の基本的な価値に近い。
大江はノーベル賞講演でも、日本が戦後に民主主義と非軍事化を自らの新しい道として選んだことを重視している。
ここには三島との鮮明な違いがある。
三島は、
戦後制度だけでは日本の文化的根拠を支えられない、
と考える。
大江は、
戦後民主主義こそ、過去の破局を繰り返さないための重要な原理だ、
と考える。
二人は同じ「戦後」を、
ほぼ逆方向から評価したのである。
9 文化勲章辞退に表れた大江の立場
1994年、大江はノーベル文学賞を受賞した。
同じ年、日本国内では文化勲章の授与を辞退したことでも大きく注目された。
当時報じられた理由は、自分は戦後民主主義の人間であり、民主主義に勝る権威や価値観を認めないという趣旨のものだった。
この行動は、
大江が単に政治について発言する作家だったのではなく、
自分自身の公的な立場についても、戦後民主主義との整合性を意識していた
ことを象徴する出来事として読むことができる。
三島が天皇を文化的な中心として考えたのに対し、
大江は国家的・天皇的権威より民主主義の価値を優先した。
ここでは両者の違いが極めて鮮明になる。
10 しかし三島も単純な「国家権力礼賛」ではない
ここで三島についても注意が必要である。
三島を、
国家権力を無条件に支持した作家
とするのは正確ではない。
三島は戦後日本の国家そのものに強い不満を持っていた。
その不満の対象には、
日本国憲法、
安全保障、
自衛隊の位置付け、
対米関係、
などがあった。
つまり三島は、
当時の日本国家を守ろうとしたというより、
当時の日本国家を不完全なものとして批判していた
のである。
だから三島の国家観は、
現状維持型の保守主義
とも少し違う。
11 三島事件~文学と政治が最終的に重なった瞬間
1970年11月25日、三島は楯の会の会員4人とともに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地へ入り、東部方面総監を拘束し、自衛隊員に向けて演説した後、自決した。毎日新聞の写真資料にも同日の事件が記録されている。
三島の最後の声明文「檄」は全集にも収録されている。国立国会図書館のレファレンス事例でも、その所在が確認されている。
ここでは三島の文学、
身体、
死、
国家、
政治、
が一つの行為へ重なった。
だから三島を読む場合、
文学作品と政治行動を完全に切り離すことも難しい。
しかし逆に、
すべての小説を1970年の自決から逆算して読むことも危険
である。
三島文学は政治思想だけでは説明できないからである。
12 大江は「行動する文学者」だったが、方法は三島と正反対だった
大江も文学だけに閉じこもった作家ではない。
核兵器。
広島。
沖縄。
憲法。
社会問題。
などについて長期間公的発言を続けた。
しかし方法は三島と大きく異なる。
大江が選んだのは、
文章。
講演。
市民運動。
社会的発言。
といった方法だった。
三島の場合には、
最終的に身体そのものを政治的表現へ変えた。
大江の場合には、
言葉と市民社会の中で主張し続けること
を選んだ。
この対照は非常に大きい。
13 「身体」の三島と「言葉」の大江
三島文学を考える上で身体は重要である。
三島自身、肉体鍛錬を行い、
身体、
美、
死、
行為、
を結び付けていった。
彼には、
言葉だけでは現実へ到達できない、
という感覚が強くなっていったと読むことができる。
一方、大江は極めて言語的な作家である。
複雑な文章。
自己検証。
引用。
歴史。
政治。
文学。
を通して問題を考える。
大きく整理すれば、
三島は、
言葉を身体と行動へ近づけようとした作家
であり、
大江は、
言葉によって世界の複雑さを引き受け続けようとした作家
と見ることもできる。
ただしこれは比較のための整理であり、二人の全作品をこの一点へ還元することはできない。
14 三島の「明晰さ」と大江の「あいまいさ」
文章の方向にも興味深い違いがある。
三島は、
美。
死。
天皇。
文化。
国家。
といった概念を、
非常に強い輪郭を持たせて提示する傾向がある。
大江は逆に、
矛盾。
曖昧さ。
複数の声。
弱さ。
周縁。
を残そうとする。
1994年のノーベル賞講演で、大江が自ら選んだ言葉が、
「ambiguous」~あいまいな
だったことは象徴的である。
大江は、日本を一つの明確な本質によって定義することそのものへ慎重だった。
ここにも三島との差が見える。
15 三島は「日本とは何か」を一つの中心から考えようとした
三島にとって、
日本文化には何らかの中心が存在する。
歴史。
伝統。
天皇。
古典芸能。
武士的倫理。
そうしたものを通して日本を考える。
だから三島の思考は、
中心を探す思考
だと言える。
日本とは何か。
何を守れば日本なのか。
何が失われれば日本ではなくなるのか。
という問いである。
『文化防衛論』という題名そのものが、
守るべき文化が存在する
という前提に立っている。
16 大江は「中心から外された人」から日本を考えた
大江の文学には、
周縁に置かれた存在が繰り返し現れる。
社会から外れた人。
弱い人。
障害を持つ人。
地方。
広島の被爆者。
国家の中心的物語から外れる人々。
大江は、
日本の中心とは何か
という問いより、
中心から見えなくなっている人間は誰か
という方向へ向かう。
ここに三島との根本的な違いがある。
三島は中心を回復しようとする。
大江は中心によって消されるものを見ようとする。
17 広島~大江が戦後日本を見る重要な場所
大江の思想と文学を考える上で、広島は極めて重要である。
『ヒロシマ・ノート』などを通じて、大江は被爆者や核兵器の問題を長期間考え続けた。
大江にとって広島は、
過去の一事件
ではない。
近代国家。
戦争。
科学。
核。
人間の尊厳。
を問い続ける場所である。
ここから大江の平和・核に関する社会的発言もつながっていく。
三島が、
日本文化の断絶
を戦後の核心問題として見るとすれば、
大江は、
戦争と核の経験を経た国家が、どうすれば再び人間を犠牲にしない社会になれるのか
を重要な問題とした。
18 二人の「日本」はどちらも単純な現状肯定ではない
ここまでを見ると、
三島は日本を愛した。
大江は日本を批判した。
という対立に見えるかもしれない。
しかしこれも違う。
三島は現実の日本を激しく批判した。
大江も日本社会を批判しながら、日本語で日本社会について書き続けた。
つまり二人とも、
現実の日本と、自分が望む日本との距離
に苦しんだ作家である。
違うのは理想像だった。
三島~
文化的連続性を回復した日本。
大江~
戦後民主主義をより徹底した日本。
という方向である。
19 二人とも「経済成長だけでは人間は満たされない」と考えた
戦後日本は高度経済成長によって急速に豊かになった。
生活水準が向上する。
消費社会が拡大する。
都市化が進む。
しかし三島も大江も、
経済成長だけで日本社会の問題が解決した
とは考えなかった。
三島には、
豊かさの中で文化的中心が失われる、
という危機感があった。
大江には、
経済的繁栄の背後に、
広島、
沖縄、
核、
社会的弱者、
などの問題が残されるという意識があった。
したがって二人は、
政治思想は反対でも、
高度成長社会への違和感
という点では意外に近い。
20 三島は「強さ」を、大江は「弱さ」をどう見たか
二人の文学を比較すると、
人間の強さと弱さに対する視線にも違いがある。
三島の作品では、
美しい身体。
意志。
決断。
死。
英雄性。
といったものが強い魅力を持つ。
もちろん三島文学には弱い人間も多く登場するが、その弱さと理想的な美との緊張が作品を生む。
一方、大江文学では、
弱さ。
傷。
障害。
失敗。
周縁。
を抱えた人間が重要になる。
大江は、
弱さを克服して完全な人間になる、
という方向だけではなく、
弱さを抱えたまま他者と生きる可能性
を探る。
ここにも二人の戦後的人間像の違いがある。
21 「個人」を重視する点では意外に共通している
それでも二人には重要な共通点がある。
どちらも、
国家や社会の中へ完全に溶け込んだ人間
を描いた作家ではない。
三島の登場人物も、
社会から孤立する。
欲望を抱える。
美への執着を持つ。
自分だけの世界を作る。
大江の登場人物も、
社会の中で葛藤し、
個人として選択を迫られる。
二人とも、
近代的な「個人」の孤独を描いた作家
なのである。
ここを見ると、
三島=集団主義、
大江=個人主義、
と単純には分けられない。
22 なぜ作家が政治について語ったのか
現在では、
小説家は文学だけを書けばよい。
政治は政治学者へ任せればよい。
という考え方もある。
しかし三島と大江の時代には、
文学者が社会問題について公に語ることは現在ほど珍しくなかった。
それは、
戦後日本において作家が、
人間、
社会、
国家、
歴史、
について考える公共的知識人でもあったからである。
三島と大江は、その意味で二人とも、
戦後型知識人としての作家
だった。
思想は反対でも、
「作家は社会について語る資格と責任を持つ」
という点では共通していたと見ることができる。
23 三島の行動は文学によって正当化されるのか
三島について語る場合、一つ慎重に区別しなければならない。
優れた文学を書いたこと
と、
政治行動が正しかったこと
は別である。
文学的価値によって、
1970年の行動を政治的に正当化することはできない。
逆に、
政治的立場に反対だから文学作品にも価値がない、
ということにもならない。
ここは重要である。
作品の評価と政治行動の評価は、関連させながらも区別する必要がある。
それをしなければ、
三島支持=文学評価、
三島批判=文学否定、
という不毛な二択になってしまう。
24 大江の政治的発言も文学的権威だけで正しいとは言えない
これは大江についても同じである。
ノーベル文学賞を受賞したからといって、
大江の政治的主張が自動的に正しいわけではない。
文学的才能。
社会分析。
政治判断。
は別の能力である。
したがって大江の、
核。
憲法。
沖縄。
国家。
についての主張も、
内容それ自体によって検討されるべき
である。
この区別をしなければ、
ノーベル賞作家だから正しい、
という権威主義になってしまう。
二人を公平に比較するためには、
三島についても大江についても、
作家としての評価と政治的評価を分ける必要がある。
25 二人は本当に「正反対」だったのか
ここで記事の題名へ戻ろう。
三島と大江は、
戦後日本を正反対の方向から考えた二人
なのか。
大きな政治的方向としては、
確かに非常に遠い。
天皇。
憲法。
軍事。
戦後民主主義。
国家。
について、二人の立場には大きな隔たりがある。
しかし、
問題意識の深い部分では共通点もある。
二人とも、
戦後日本とは何か
を問い続けた。
二人とも、
経済成長だけでは社会を評価しなかった。
二人とも、
文学を社会から隔離しなかった。
二人とも、
国家と個人の関係を考えた。
二人とも、
戦後日本に何らかの「欠落」を感じていた。
ただし、その欠落の名前が違った。
26 三島が見た欠落、大江が見た欠落
整理すると分かりやすい。
三島が見た欠落は、
歴史的連続性。
文化的中心。
天皇。
国家としての自立。
身体と行為。
だった。
大江が見た欠落は、
民主主義の徹底。
戦争責任。
被爆者への視線。
核への抵抗。
少数者や周縁への視線。
だった。
つまり、
二人は違う日本を見ていた、
というより、
同じ日本の中で、違う欠落を見ていた
と考える方がよい。
27 三島は過去から未来を作ろうとした
三島の方向を簡潔に表すなら、
過去との連続性を取り戻すことで未来を作ろうとした
と言える。
古典。
伝統。
天皇。
武士。
身体。
そうした歴史的・文化的資源を現代へ取り戻す。
もちろん単純な復古ではない。
三島自身は極めて近代的な作家だったからである。
むしろ、
近代化した日本が、
それでも日本として何を保持できるのか
を問う。
これは、
過去を使って未来を考える方法だった。
28 大江は戦後の理念を徹底することで未来を作ろうとした
大江の場合は違う。
敗戦後に日本が掲げた、
民主主義。
平和。
個人の尊厳。
を、
不十分だから捨てるのではなく、
不十分だからこそ徹底する
方向へ向かう。
過去の日本へ戻るのではない。
戦後日本が始めたものを完成に近づける。
だから大江の未来像は、
戦後の否定
ではなく、
戦後民主主義の自己修正
に近い。
ここが二人の決定的な分岐である。
29 現代から見ると、どちらの問いもまだ終わっていない
三島が問いかけた、
日本文化とは何か。
国家として自立するとは何か。
歴史と現代をどう接続するのか。
という問題は、現在も消えていない。
一方、大江が問い続けた、
核兵器。
戦争。
民主主義。
個人の尊厳。
少数者。
という問題も消えていない。
つまり二人の「答え」は違っても、
二人が設定した問いそのものは現在にも残っている。
これが、二人が今も読まれる大きな理由の一つだろう。
30 二人の対立を「右対左」に閉じ込めない
三島と大江を比較するとき、最も簡単なのは、
右翼対左翼。
保守対リベラル。
天皇対民主主義。
という図式である。
しかし、それだけでは文学評論として浅い。
なぜなら、
三島の文学には個人の孤独や欲望がある。
大江の文学にも国家や共同体への強い関心がある。
二人とも西欧文学の強い影響を受けながら日本について考えた。
二人とも戦後日本を国際社会の中から見ている。
つまり、
単純な日本主義対西洋主義
でもない。
二人の思想はもっと複雑である。
31 「どちらが正しかったか」ではなく、「何が見えたか」を比較する
思想家や作家を比較すると、
最終的に、
どちらが正しいか
を決めたくなる。
しかし文学を読む場合、それだけが目的ではない。
三島の視点から見ると、
戦後日本の、
文化的断絶。
歴史。
国家。
身体。
という問題が見える。
大江の視点から見ると、
戦後日本の、
民主主義。
被爆。
弱者。
核。
周縁。
という問題が見える。
つまり、
違う思想を読むことによって、同じ社会の違う部分が見える。
ここに二人を並べる意味がある。
32 三島だけを読む危険、大江だけを読む危険
三島だけから戦後日本を見ると、
伝統や国家の問題はよく見える。
しかし、
国家によって傷つけられる人、
少数者、
戦争被害、
という問題が弱くなる危険がある。
一方、大江だけから見ると、
民主主義、
平和、
弱者、
という問題はよく見える。
しかし、
共同体の歴史、
伝統、
国家的帰属、
文化的連続性、
といった問題を十分に説明できない場合がある。
だから、
二人を並べる。
賛成するためではない。
一人の視点によって見えなくなるものを、もう一人によって補うためである。
33 現代の分断社会に二人を読む意味
現在の社会では、
自分と同じ意見だけを読むことが容易になっている。
SNSでは、
自分が賛成する人をフォローする。
反対する人を遮断する。
似た思想の情報が集まる。
その結果、
相手の考えがなぜ成立するのか
を理解する機会が減る。
三島と大江を同時に読むことには、
この問題への一つの意味がある。
二人は簡単には統合できない。
どちらか一方を選べば済むわけでもない。
だからこそ、
両方を読んで、自分の中に矛盾した問いを残す。
それ自体が教養の一つの形になる。
結論~二人は「違う日本」を望んだのではなく、「日本の違う欠落」を見ていた
三島由紀夫と大江健三郎。
政治的位置から見れば、
二人は確かに遠い。
三島は、
日本文化、
天皇、
国家、
歴史、
身体、
を通して戦後日本を問い直した。
大江は、
民主主義、
広島、
核、
個人、
弱者、
を通して戦後日本を問い直した。
三島は戦後によって失われたものを見た。
大江は戦後が約束しながら実現できていないものを見た。
この違いを一言で整理すれば、
三島は「戦後以前との断絶」を問題にし、 大江は「戦後理念と戦後現実との断絶」を問題にした
と言えるかもしれない。
三島は、
過去との連続性を取り戻そうとした。
大江は、
戦後民主主義をさらに前へ進めようとした。
一人は過去を見た。
もう一人は未来を見た。
と表現したくなる。
しかし、それも完全には正しくない。
三島も未来の日本を考えていた。
大江も過去の戦争を繰り返し振り返った。
つまり二人とも、
過去・現在・未来の関係をどう結び直すか
を考えた作家だった。
そして二人とも、
現実の戦後日本へ強い違和感を持っていた。
高度経済成長。
豊かな生活。
消費社会。
それだけでは、
人間はどう生きるのか。
国家とは何か。
日本とは何か。
という問いには答えられない。
この点では、二人はむしろ同じ場所に立っていた。
そこから、
三島は、
文化、
天皇、
身体、
死、
へ進んだ。
大江は、
民主主義、
核、
個人、
弱者、
へ進んだ。
だから二人を読む時に重要なのは、
「三島と大江のどちらを支持するか」
だけではない。
より重要なのは、
なぜ同じ戦後日本を見て、二人はこれほど違う答えへ進んだのか
を考えることである。
そしてさらに、
現代の私たちは、
三島が見た問題と、
大江が見た問題の、
どちらをすでに解決したのだろうか。
文化と歴史。
民主主義と個人。
国家の自立。
核と戦争。
共同体。
少数者。
これらの問いを見る限り、
二人が考え続けた「戦後」は、
完全に過去になったとは言いにくい。
三島由紀夫と大江健三郎を同時に読む意味は、
正反対の思想のどちらかを選ぶことではない。
互いに相手が見なかった日本を、二人の視線を重ねることで見ること。
そこにあるのではないだろうか。

