リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

本棚に並んだ百科事典は、家庭の風景の一部だった

 昭和の家庭を写した古い写真を眺めていると、居間や応接間の本棚に、同じ装丁の分厚い本が何十冊も並んでいる光景に出会うことがあるが、それは特別な研究者や読書家の家に限ったものではなく、会社員や商店を営む家庭などにも見られた百科事典であり、現在ではほとんど目にすることがなくなったこの大きな本の集合体が、かつては家庭で知識を得るための重要な道具だった。

 もちろん、昭和のすべての家庭に百科事典が置かれていたわけではないが、百科事典が決して一部の富裕層だけの商品ではなかったことは販売実績からも分かり、平凡社が1961年に刊行した『国民百科事典』は「一家庭一百科」を掲げて販売され、当初の予想を大きく超えて4年間で約100万セットが売れたとされているため、少なくとも高度経済成長期の日本で、家庭向け百科事典という商品が大きな市場を持っていたことは確かである。

 それほど多くの家庭が百科事典を購入した背景には、単なる読書需要だけではなく、「子どもが何かを知りたくなったとき、自宅で調べられる環境を用意しておきたい」という教育への期待があり、本棚いっぱいに並んだ百科事典は、その家がどれほど頻繁に利用していたかとは別に、知識や教育を大切にしたいという家族の意識を目に見える形にした存在でもあったと考えることができる。

分からないことがあれば、本棚へ向かう時代だった

 インターネットが存在しなかった時代、テレビを見ていて知らない外国の名前が出てきたり、新聞に聞いたことのない歴史上の人物が登場したりしても、その場ですぐ詳しい説明を得る方法は限られており、図書館へ出かけるか、学校の先生や詳しい人に尋ねるか、あるいは家庭にある辞書や百科事典を開くしかなかったため、百科事典を家に置くことには、膨大な知識を所有するという以上に、「疑問を持った瞬間に、自宅の中で答えを探し始めることができる」という実用的な意味があった。

 子どもが「月はなぜ光っているのか」と尋ね、親も正確な答えを知らなかったとしても、一緒に百科事典を開いて「月」や「太陽」の項目を探すことができ、その途中で宇宙飛行や惑星、重力といった別の記事が目に入れば、本来調べようとしていた疑問から別の興味へ進んでいくこともあったため、百科事典は単に正解を取り出すための道具ではなく、ページをめくる途中で知らなかった世界へ入り込む装置でもあった。

 現在の検索では、自分が知りたい言葉を入力すれば、その言葉に関係する情報が瞬時に表示されるため、目的の答えへ到達するという点では圧倒的に効率がよいが、百科事典をめくる行為には、目的の記事へ向かう途中で別の項目が視界に入り、その寄り道から新しい関心が生まれるという独特の性質があり、効率という尺度だけでは測りにくい知識との付き合い方がそこには存在していた。

高価な本を買うことが「教育への投資」と考えられた

 百科事典は決して安価な商品ではなく、1961年に刊行された『国民百科事典』全7巻は1万円で販売されていたが、当時の平均的な給与水準と比較すると家計にとって決して軽い支出ではなかったため、それでも大量に売れたという事実は、百科事典が単なる本としてではなく、長期間使える教育用品として受け止められていたことを示している。

 その後に刊行された大型百科事典にはさらに高価なものもあり、何十巻にも及ぶ百科事典一式は、現在の感覚でいえば気軽に購入する本というより、家庭が一度決断して買う耐久消費財に近い存在であり、学習机やピアノなどと全く同じものだったとは言えないものの、「子どもの将来のために家に置いておく」という意味では、教育環境を整えるための支出という性格を持っていた。

 こうした高額商品を家庭に販売するため、訪問販売や分割払いも広く用いられ、百科事典の販売方法をめぐるトラブルが社会問題になったことから、1970年代には行政による対応も進められ、訪問販売や割賦販売に対する消費者保護制度が整備されていったため、百科事典は出版文化だけではなく、戦後日本の消費社会や消費者保護制度の歴史とも意外なところで結び付いている。

百科事典は、インターネットの登場と同時に消えたわけではない

 百科事典が家庭から姿を消した理由として最も分かりやすいのはインターネットの普及だが、実際の変化はもう少し段階的であり、紙の百科事典が突然インターネットに置き換えられたのではなく、その途中にはCD-ROM(読み出し専用光ディスク)などを使った電子百科事典の時代が存在していた。

 1990年代には、それまで何十冊もの本に収められていた百科事典が電子媒体に収録されるようになり、平凡社『世界大百科事典』などでもCD-ROM版が登場したことで、紙の百科事典を棚から取り出して索引を引く代わりに、パソコンから言葉を入力して検索するという新しい利用方法が生まれたが、この段階ではまだ百科事典そのものを購入し、自分の手元に置いて利用するという基本構造は残っていた。

 その後、日本では1990年代後半からインターネットが急速に家庭へ広がり、世帯のインターネット利用率は1997年にはまだ1割未満だったものが、2000年代初めには大幅に上昇していったため、家庭で何かを調べる行為そのものが、本棚や電子百科事典の中から情報を探す方式から、外部の巨大な情報空間へ接続して必要な情報を取り出す方式へ急速に変わっていった。

大きく変わったのは「知識を持つ」ことの意味だった

 紙の百科事典の時代には、家庭で必要になるかもしれない知識をあらかじめ本として購入し、家の中に保管しておくことに合理性があり、百科事典だけではなく、国語辞典、漢和辞典、英和辞典、地図帳、家庭医学事典、料理全集など、さまざまな情報を本という形で所有することが、ごく自然な生活習慣として成立していた。

 ところがインターネットが普及すると、知りたいことが生じた瞬間に外部の情報へ接続できるようになったため、「いつ使うか分からない情報をあらかじめ自宅に置いておく」という必要性が急速に低下し、これは音楽を聴くためにレコードやCDを何枚も所有していた時代から、配信サービスを通じて必要な曲へその都度アクセスする時代へ移った変化と似ている。

 この違いは単なる媒体の変化ではなく、知識の価値の置き場所そのものを変えたものであり、以前は「どれだけ多くの情報を自宅に持っているか」に意味があったのに対し、現在は「必要になった情報へどれだけ早く到達できるか」が重要になったため、何十冊もの百科事典を所有する価値は相対的に小さくなった。

紙に固定された知識は、更新速度の競争で不利になった

 百科事典には、もう一つ避けることのできない弱点があり、それは一度印刷されると内容を書き換えることができないことで、歴史上の出来事や数学、古典文学のように短期間では大きく変化しない分野では問題になりにくいものの、政治、企業、科学技術、医療、スポーツ記録、社会制度など、数年で状況が変わる分野では、刊行された瞬間から少しずつ情報が古くなり始める。

 紙の百科事典でも改訂版を刊行することはできたが、何十巻もの内容を編集し直して印刷し、再び販売するには長い時間と大きな費用が必要だったのに対し、デジタル化された百科事典では内容を継続的に修正することが可能になり、現在のオンライン百科事典には定期的に項目が更新されるものもあるため、百科事典そのものが完全に消滅したというより、「一度完成した本を長期間使うもの」から「継続的に更新される情報サービス」へ姿を変えたと考えたほうが実態に近い。

 さらに一般のウェブ検索では、その日に起きた出来事についても短時間で情報を得られるようになったため、最新情報を必要とする場面では紙の百科事典が対抗することは難しくなり、この更新速度の差が、家庭に大型百科事典を置く必要性を大きく低下させたことは、百科事典衰退の中でも比較的はっきりした要因だと考えられる。

「家が狭くなったから百科事典が消えた」とは言えない

 大型百科事典が場所を取ることも、現在の家庭で敬遠される理由としてよく挙げられるが、ここには注意が必要であり、日本の住宅全体を統計的に見ると、1住宅当たりの延べ面積は1970年代以降、長期的にはむしろ増えているため、「昔より住宅が狭くなったので百科事典を置けなくなった」と単純に説明することはできない。

 ただし、一戸建てと都市部の共同住宅では事情が大きく異なり、限られた収納空間の中で何十冊もの百科事典を置くには相当な場所が必要になるうえ、デジタル情報ならほとんど物理的な空間を使わずに膨大な情報を利用できるため、問題は住宅が全国的に狭くなったかどうかではなく、「同じ収納空間を使うなら、年に数回しか開かない可能性のある百科事典に大きな場所を割く必要があるのか」という相対的な価値の変化にあったと考えたほうが合理的である。

 さらに、大型百科事典は重量もあり、引っ越しの際には運搬の負担になり、情報が古くなってから古書として売ろうとしても購入時のような価値が残っているとは限らないため、購入した当時には「長く使える知識の財産」と考えられたものが、何十年か後には処分しにくい大量の本になってしまう場合もあり、このような物理的な負担とデジタル情報の利便性との差も、百科事典を新たに購入する動機を弱くしたと考えられる。

教育も、情報を「探す」だけでは足りない時代になった

 学校教育の変化も、百科事典をめぐる環境の変化と深く関係しており、以前の調べ学習では図書館や百科事典から必要な項目を見つけ、その内容を整理することが中心だったのに対し、現在では検索によって膨大な情報を得られるようになったため、複数の資料を比較し、誰が発信した情報なのか、いつ作成されたものなのか、根拠が示されているのかを確認しながら、情報の信頼性そのものを評価する能力が重要になっている。

 これは百科事典が衰退した直接の原因というより、情報環境が変化したことによって教育も変化したと考えるほうが自然であり、出版社や編集者が内容を整理した百科事典を読む時代には、読者はある程度整理された情報を受け取ることができたが、インターネットでは政府機関や大学、専門家による資料と、個人の意見、広告、誤った情報などが同じ画面に現れることもあるため、情報を見つける能力以上に、その情報を選別する能力が求められるようになった。

 したがって、検索が便利になったから学ぶことが簡単になったとは必ずしも言えず、答えに到達する速度は速くなった一方で、その答えを信用してよいのかを自分で判断する責任は以前より大きくなったと見ることもできる。

百科事典のページをめくる「寄り道」は、本当に失われたのか

 紙の百科事典を懐かしむとき、よく語られるのが、目的の項目を探している途中で全く別の知識に出会う楽しさであり、たとえば恐竜について調べようとした子どもが、近くに載っていた古代文明の写真に興味を持ち、そこからエジプトやメソポタミアの歴史を読み始めるというような経験は、百科事典を順番にめくる構造だからこそ起こりやすいものであった。

 情報科学では、このように探していなかった有益な情報へ偶然出会うことは、セレンディピティ、つまり偶然から生まれる有益な発見の一つとして研究されているが、この現象は紙の本だけに存在するわけではなく、インターネットでも検索結果の関連項目、リンク、動画の推薦、オンライン図書館などから予想外の情報に出会うことがあるため、「紙の百科事典では偶然の発見があり、インターネットでは失われた」と単純に結論付けることはできない。

 それでも両者には性質の違いがあり、百科事典では隣り合うページという物理的な配置によって、自分の過去の関心とは無関係な情報が突然視界に入ることがあるのに対し、現在のデジタルサービスでは利用者の検索履歴や閲覧傾向に近い情報が提示される場合も多いため、偶然の発見そのものが消えたのではなく、その仕組みが変化したと考えるほうが適切なのだろう。

百科事典が消えたのではなく、百科事典という形が消えた

 ここまで考えてくると、家庭から百科事典が消えたという現象を、「人々が知識を求めなくなった」と解釈するのは明らかに間違っており、実際には私たちが日常的に接している情報量は百科事典全盛期とは比較にならないほど増え、かつてなら図書館まで行かなければ確認できなかったことを、現在では自宅や外出先から数秒で調べられるようになっている。

 つまり、失われたのは百科事典が担っていた機能そのものではなく、その機能を何十冊もの本として家庭の中に置いておくという形式であり、1960年代には「一家庭一百科」という言葉が成立したほど価値のあった知識の所有が、電子百科事典を経て、インターネット上の検索やオンライン情報サービスへ移動した結果として、本棚に並ぶ百科事典は役割を終えていった。

 その変化は技術の進歩として見れば合理的であり、検索速度、情報量、更新性、収納効率のどれを比べてもデジタル情報は非常に優れているが、その一方で、かつては子どもが疑問を持つと本棚へ歩いて行き、重い1冊を引き抜き、家族の目の前でページをめくりながら答えを探すという、知識を得る行為そのものが家庭の中で目に見える光景として存在していた。

消えたのは、知識が置かれていた「風景」なのかもしれない

 現在では、誰かがスマートフォンを見ていても、その人が歴史について調べているのか、地図を確認しているのか、買い物をしているのか、あるいは動画を見ているのかは外からほとんど分からないが、百科事典が本棚に並んでいた時代には、「この棚の中には、自分たちがまだ知らないことが入っている」という事実が家族の目に見える形で存在していた。

 情報量だけを比較すれば、現在のほうが圧倒的に豊かであり、数十巻の百科事典では到底収録できなかった膨大な知識にいつでも接続できるため、百科事典がなくなったことを単純に文化の衰退として語ることはできないが、それでも昔の百科事典を懐かしく感じる人がいるのは、紙の手触りや豪華な装丁だけではなく、「分からないことがあれば調べてみる」という家庭の姿勢が、本棚いっぱいの背表紙となって目に見えていたからなのかもしれない。

 百科事典の歴史を振り返ると、そこには高度経済成長期の教育熱、訪問販売を中心とした消費社会、電子化の始まり、インターネットの急速な普及、そして情報を所有する社会から必要なときにアクセスする社会への移行が重なっており、そう考えると、百科事典のある家をほとんど見なくなったという身近な変化は、単に1種類の本が売れなくなったという話ではなく、日本の家庭が「知る」という行為をどのように変えてきたのかを映し出す、小さな社会史として見ることができる。

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 駅で人を待つという行為は、いつの間にかずいぶん正確なものになった。電車を降りたらスマートフォンを取り出して「今着いた」と送ればよく、相手がまだ移動中なら「あと5分」、すでに駅にいるのなら「改札の右側にいる」と返事が来るので、昔のように相手が本当に来るのか、どこで待てばよいのか、あるいは何かあって来られなくなったのかと考えながら、時計と改札口を交互に見つめ続ける必要はほとんどなくなった。

 連絡手段として考えるなら、これは明らかな進歩であり、駅の伝言板が姿を消したことで不便になったとは言いにくい。現在の方が速く、確実で、予定変更にも対応しやすく、すれ違いや長時間の待ちぼうけも減らせるのだから、伝言板などなくても困らないという結論になるのが自然である。しかし、待ち合わせを単なる情報交換ではなく、誰かが現れるまでの時間を含めた一つの経験として考えると、失われたものは伝言板という設備そのものではなく、その周囲に存在していた独特の時間だったのではないかと思えてくる。

伝言板は、スマートフォンが突然消したものではなかった

 駅の伝言板という仕組みは、日本では20世紀初めから使われていたとされ、同じ駅で会う約束をした人どうしが、直接連絡できない場合に情報を残すための簡単な通信手段として長く機能してきた。しかし、その役割が弱まり始めたのはスマートフォンの登場後ではなく、もっと早い時期であり、家庭の電話や公衆電話が広く普及し、さらに1980年代から1990年代にかけてポケットベルや携帯電話などの個人向け通信手段が広がっていく過程で、伝言板に頼らなければならない場面そのものが少しずつ減っていった。

 それに加えて、伝言板が本来の待ち合わせ連絡以外の落書きに使われたり、大きな駅では伝言板の前に人が滞留することで通行の妨げになったりするなど、管理や旅客動線の面での問題も生じていたため、伝言板の撤去を単純に「携帯電話が普及したから」と一つの原因だけで説明することはできない。電話、公衆電話、ポケットベル、携帯電話、PHS(簡易型携帯電話システム)へと通信手段が増え、駅自体も人が長く滞在する場所から効率よく通過する場所へと性格を変え、その中で利用価値が低下した伝言板が少しずつ姿を消し、やがてスマートフォンが待ち合わせの方法そのものを大きく変えた、と考える方が実態に近い。

 つまり、伝言板の消滅は一つの新技術によって古い道具が駆逐されたという単純な話ではなく、通信技術、都市の混雑、駅の管理、そして人々の生活習慣が何十年もかけて変化した結果だったのである。

「会えるかどうか」が少しだけ分からなかった時代

 携帯電話が一般的になる以前の待ち合わせには、現在よりはるかに多くの不確実さが含まれていた。午後2時に駅の改札口で会うと約束していても、相手が予定の電車に乗れたのか、家を何時に出たのか、途中で何か起きたのかをすぐに知る方法はなく、約束の時間を10分過ぎれば「少し遅れているだけだろう」と考え、20分を過ぎれば「何かあったのだろうか」と気になり、30分を過ぎるころには「今日は来ないのかもしれない」とまで考えることになるが、その判断を裏づける情報はほとんどなかった。

 そこで駅の伝言板が役に立ち、「先に行きます」「30分ほど遅れます」「駅前の喫茶店にいます」と書き残しておけば、本人どうしが直接つながっていなくても、駅という公共の場所を経由して意思を伝えることができた。考えてみれば不思議な仕組みであり、電話回線も電波も使わず、同じ場所を訪れるという約束だけを前提に、情報を時間差で受け渡していたのである。

 もっとも、その方法は決して確実ではなく、相手が伝言板を見るとは限らず、名前だけでは誰に宛てたものか分からない場合もあり、書かれた文字が消されたり、別の書き込みに紛れたりすることもあった。それでも人々は、その程度の不確かさを含んだまま待ち合わせをしており、いまから振り返れば頼りなく見える仕組みでも、当時はそれが普通の待ち合わせの一部だった。

待つ人は、駅そのものを見ていた

 不確かな待ち合わせには不便も多かったが、その不便さゆえに、待つ時間には現在とは少し違う質感があった。相手がまだ来ないと分かっても、現在のように到着時刻を確認する手段は限られているため、改札口から出てくる人の顔を眺め、電車が到着するたびに人の流れへ目を向け、時計を確認してから再び階段やホームの方向を見るということを繰り返すことになる。

 そのため、誰かを待っている人は、自然に駅そのものを見ていた。旅行鞄を持って歩く人、仕事帰りの会社員、友人を見つけて手を振る学生、何度も腕時計を確認する人、急ぎ足で改札を抜けていく人などを、観察しようと思っていなくても目にすることになり、待ち合わせは一人の人物を待つ時間でありながら、同時に多くの知らない人々が行き交う社会の中に身を置く時間でもあった。

 現在では、待ち合わせ場所に着いた瞬間からスマートフォンを見ることが多く、相手が遅れていると分かれば、ニュースを読んだり、動画を見たり、SNS(インターネット上で人同士が交流するサービス)を眺めたりして時間を使えるため、待つこと自体をあまり意識せずに済む。これは退屈や不安を減らすという意味では大きな利点だが、その一方で、待っている場所を見続ける必要もなくした。

 待合空間を使った行動実験では、スマートフォンを使用できる人の方が、使用できない人より周囲の知らない人との交流が少なくなる傾向が確認されており、別の研究でもスマートフォンの存在によって他者への視線や自然な笑顔が減る可能性が示されている。もちろん、これらの研究をそのまま昔の駅の待ち合わせへ当てはめることはできないが、個人端末が目の前の公共空間への注意を弱める可能性があるという点では、記事の中で描かれる変化とよく一致している。

伝言板には、知らない人の事情まで見えていた

 駅の伝言板には、現在の通信手段とは大きく異なる特徴があり、それは本来なら個人的な連絡である文章が、誰にでも読める公共の場所に書かれていたことである。「先に映画館へ行っています」「急用ができたので帰ります」「いつもの店で待っています」といった言葉を読んでも、書いた人も宛てられた人も知らないため、その事情を正確に理解することはできないが、それでも、その短い文章の向こう側に誰かの約束があり、遅刻があり、予定変更があり、ときにはすれ違いがあることだけは想像できた。

 もちろん、個人的な連絡が第三者の目に触れる仕組みは、現在の感覚からすれば決して理想的とはいえず、個人宛ての情報が本人の端末へ直接届くようになったことは、確実性やプライバシーの面から見ても大きな進歩である。しかし、その進歩によって、私たちは他人の生活の断片を偶然目にする機会まで少なくした。

 現在のメッセージは送り手と受け手を最短距離で結び、その途中にいる人には見えないように設計されているが、駅の伝言板は送り手と受け手の間に公共空間を挟み、そこを通る無関係な人々にも、そのやり取りの痕跡を少しだけ見せていた。通信技術として比べれば現在の方が圧倒的に優れているが、人の生活が公共空間へどれだけにじみ出していたかという点では、伝言板には現在とは異なる性格があった。

待つ時間は、本当に無駄だったのか

 現代の技術は、待ち時間をできるだけ減らし、あるいは待っている間にも別のことができるようにする方向へ進んできた。電車の遅れはスマートフォンで確認でき、店の順番待ちは通知で知らせてもらえ、荷物がどこまで届いているのかも分かり、待ち合わせの相手が遅れているなら、その理由や到着予定時刻まで数秒で知ることができるので、昔よりも予定を調整しやすくなったことは間違いない。

 行動科学の研究でも、リアルタイムの到着情報を与えられた人は、情報を持たない人より待ち時間を短く感じたり、不安や苛立ちが小さくなったりする傾向が確認されている。これは交通機関の待ち時間を調べた研究であり、人との待ち合わせを直接測定したものではないが、「あとどのくらい待つのか分からない状態」と「あと5分と分かっている状態」では、同じ5分でも心理的な負担が異なるという考え方を支持している。

 数理的に考えても、待ち合わせの負担は単純な待ち時間だけで決まるものではなく、すれ違う可能性、予定変更による損失、何分待つのか分からない不確実性などが組み合わさって生じる。携帯電話やスマートフォンは、このうち待ち時間そのものを必ずしもゼロにはしないが、相手の状態を知らせることで不確実性を大きく減らし、結果として待つ人の心理的負担を小さくする。

 それでも、効率の悪い時間がすべて無価値だったのかと考えると、少し違うようにも思える。人を待ちながら考え事をしたり、駅前の店を眺めたり、知らない街を少し歩いたり、次の電車から相手が現れるかもしれないと思いながら改札口を見つめたりする時間は、何かを生産する時間ではなかったが、だからこそ予定の間に偶然入り込んだ余白として存在していた。

 現在なら、その余白はすぐにスマートフォンによって埋められることが多いが、以前は埋めるものが少なかったからこそ、待つ時間そのものを過ごしていた。便利さとは時間を短縮するだけではなく、ときには時間の感じ方や、その時間の中で人が何を見るのかまで変えるものであり、待ち合わせはその変化が表れやすい日常行動の一つなのである。

「着いたよ」という連絡が変えた再会の瞬間

 現在の待ち合わせでは、駅に着けば「着いたよ」と送り、相手から「あと3分」と返事が来れば、互いの状況はほぼ分かってしまう。さらに「改札を出た」「右側にいる」「赤い看板の前にいる」とやり取りを続ければ、実際に顔を合わせる前から相手との距離は少しずつ縮まっているため、再会の瞬間は、長い不確かさが突然終わる場面というより、すでに予告されていた出来事の最終確認に近くなる。

 携帯電話が一般的でなかった時代には、約束の時間が近づくにつれて、本当に来るだろうかという小さな緊張が生じ、改札口から相手が現れた瞬間に、その不確かさが一気に消えるという経験があった。単に知人と合流しただけでも、「ちゃんと会えた」と感じることが現在より少し強かった可能性はあるが、この点について、昔と現在の待ち合わせを直接比較し、再会時の喜びや達成感を数量的に測定した研究が十分にあるわけではないため、事実として断定するより、日常経験から考えられる一つの仮説として扱う方が適切である。

 それでも、不確実性が小さくなれば、それが解消される瞬間の心理的変化も小さくなるという考え方自体は不自然ではない。待ち合わせから失われたものがあるとすれば、それは不便さそのものではなく、相手が現れるまで残っていた小さな不確実性と、それが一瞬で消える感覚だったのかもしれない。

伝言板が消えたことは、駅の役割が変わったことでもある

 駅は本来、列車に乗り降りするための場所だが、かつての駅には、それ以外のさまざまな役割が重なっていた。人を待ち、新聞を買い、大きな時刻表を見て、駅員に道を尋ね、ときには伝言板に文字を残すというように、移動だけではなく、情報を得たり、人と連絡したりする行為まで駅という公共空間に集まっていた。

 しかし、家庭の電話や公衆電話、ポケットベル、携帯電話を経てスマートフォンが普及すると、それらの機能の多くが少しずつ個人の手の中へ移っていった。ニュースは画面で読み、地図も画面で確認し、時刻表も乗換案内も表示され、待ち合わせの連絡まで画面の中で完結するようになったことで、駅が情報の拠点として果たしていた役割の一部は小さくなった。

 鉄道の制度上も、駅には利用者に必要な情報を提供する設備が求められているが、その手段が伝言板でなければならないわけではなく、時代に応じて案内表示、放送、電光掲示、通信サービスなどへ置き換わることに問題はない。したがって伝言板の消滅は、制度によって一斉に廃止されたというより、利用価値や管理上の必要性が変化した結果として理解する方が自然である。

 これは単に駅が昔より味気なくなったという話ではなく、社会の機能の一部が公共空間から個人端末へ移動したという、より大きな変化の一部でもある。私たちは以前より多くの情報を持つようになったが、その情報の多くは自分だけの画面に表示されるため、同じ場所にいる知らない人と共有するものは逆に少なくなった。

 同じ駅に大勢の人が集まっていても、それぞれが別々のニュースを読み、別々の相手と連絡を取り、別々の画面を見ているという光景は、物理的には近くにいながら、情報の上では互いに独立している現代の公共空間の姿を、そのまま表しているようにも見える。

便利になったのに、なぜ少し懐かしいのか

 それでも、駅の伝言板を知っている世代が古い駅の写真を見ると、妙に懐かしい気持ちになることがあるが、それは黒板やチョークそのものが恋しいからではないのだろう。伝言板を見ることによって、その周囲にあった時間の流れまで同時に思い出すからではないだろうか。

 相手が来るのか分からず時計を何度も見た時間、電車が着くたびに人の流れを眺めた時間、伝言板に自分の名前がないか確認した時間、そしてようやく相手を見つけてほっとした瞬間までが、一枚の黒板の記憶と結びついているため、伝言板そのものが消えたというより、その時代特有の待ち方まで一緒に消えたように感じられる。

 技術は不便を取り除いていくが、不便を取り除いたとき、その不便の周囲に偶然存在していた経験まで一緒に消えることがある。固定電話しかなかった時代には電話をかける時間を考え、手紙が主要な連絡手段だった時代には返事を何日も待ち、写真がフィルムだった時代には撮った写真がうまく写っているか現像するまで分からなかったが、それぞれの不便さの中には、現在では短くなった期待や不安や想像の時間が存在していた。

 駅の伝言板もまた、そのような不便さの周囲に生まれていた経験の一つだったのだろう。

失われたのは伝言板ではなく、「分からない時間」なのかもしれない

 駅の伝言板がなくなったことで、待ち合わせは間違いなく便利になり、すれ違いは減り、急な予定変更にも対応しやすくなったのだから、社会全体として見れば昔の仕組みに戻る理由はほとんどない。それでも、何も失われなかったと言い切るのは少し違うように思える。

 失われたのはチョークで書かれた文字でも黒板でもなく、相手が来るのかどうか分からないまま、その場所に立って待つという時間だったのではないか。情報がないから周囲を見渡し、知らない人々の流れを眺め、ときには伝言板に残された誰かの事情を想像しながら、約束した相手が現れるまでの時間そのものを過ごしていたが、その曖昧な時間は、常に誰かとつながり、すぐに答えが届くようになった現在では、ほとんど必要とされなくなった。

 ただし、その変化を「昔の方が良かった」と考える必要はない。昔の待ち合わせには、長時間待たされる不便も、すれ違って会えない危険も、相手に何かあったのではないかと心配し続ける時間もあり、現在の通信技術はそれらを大きく減らしたのであるから、得られたものの方が実用上ははるかに大きい。

 それでも、便利になることと、何一つ失わないことは同じではない。駅の伝言板が消えた歴史を振り返ると、技術が一つの不便を解決するとき、その不便と結びついていた行動や感覚まで静かに変えていくことがあり、待ち合わせの場合、それは「何分後に来るか分からない人を、その場所で待つ」という時間だったことが見えてくる。

 いま駅で人を待っている人の多くはスマートフォンを見ており、その画面には相手があと何分で到着するのかまで表示されることがあるが、それは安心でき、合理的で、昔よりはるかに便利である。一方で、ときには画面から目を上げて改札口を眺めてみると、何十人もの人が通り過ぎる中から、自分が待っていた一人が現れるという出来事が、本来は少し特別なものであったことに気づくかもしれない。

 駅の伝言板があった時代も、スマートフォンの時代も、人が誰かを待つという行為そのものは変わっていないが、その間に流れている時間の質だけは、技術と社会の変化に合わせて静かに変わってきたのである。

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かつて電話番号は、頭の中に住んでいた

 少し前まで、人の頭の中にはいくつもの電話番号が住んでおり、自宅の番号、会社の番号、親しい友人の番号、実家の番号、よく利用する店の番号まで、意識して暗記した覚えがなくても、何度もダイヤルしているうちに指と記憶の両方へ染み込み、数字の並びを見れば相手の顔が浮かび、受話器を取る前から、これから始まる会話まで何となく想像できたものである。

 ところが現在、家族の携帯電話番号さえ正確には言えないという人は珍しくなく、スマートフォンの連絡先に名前を登録しておけば、数文字入力するだけで目的の相手を呼び出せるため、番号そのものを覚えておく必要がほとんどなくなり、誰かに電話をかけるという行為から「数字を思い出す」という過程が消え、代わりに私たちは相手の名前を検索し、画面に表示された名前や写真を選ぶようになった。

 この変化だけを見れば、人間の記憶力が低下したようにも見え、以前なら何十もの電話番号を覚えていた人が、現在では家族の番号すら思い出せないことがあるのだから、そう感じるのも不思議ではないが、記憶研究の立場から考えると、ここで「昔の人より現代人の記憶力が悪くなった」と結論づけるのは早く、私たちは記憶することそのものをやめたのではなく、覚えておく必要のある情報と、外部へ預けても困らない情報とを以前とは違う形で分けるようになった可能性がある。

人間は昔から、頭の外にも記憶を置いてきた

 人間は、もともとすべての情報を頭の中だけで管理してきたわけではなく、紙の住所録、手帳、辞書、百科事典、地図、図書館といった道具は、いずれも人間の記憶を外部から支える装置であり、電話帳が紙だった時代にも、すべての電話番号を暗記していたわけではなく、頻繁に使う番号だけを覚え、それ以外は必要になった時に調べていたのである。

 認知科学では、このように本来なら頭の中で処理する仕事の一部を、道具や環境へ委ねることを「認知的オフローディング」と呼び、買い物を忘れないようにメモを書くことも、予定をカレンダーへ登録することも、計算を電卓へ任せることも、その広い意味では同じ仕組みであり、スマートフォンは人間が昔から行ってきたこの仕組みを、非常に高速で大規模なものへ変えた道具と考えることができる。

 決定的に変わったのは、外部に保存された情報へ戻るまでの時間であり、紙の電話帳ならページをめくる必要があり、辞書なら目的の項目を探さなければならなかったが、スマートフォンでは数秒で必要な情報へ到達できるため、情報そのものを完全に覚えておく価値は相対的に低くなり、「必要になった時にどこを探せばよいか」「どのような検索語を使えばよいか」という別の知識が、以前より重要になってきた。

答えそのものより、答えへ戻る道筋を覚える

 インターネットと記憶を研究した実験では、後から情報へ再びアクセスできると分かっている場合、その情報自体よりも「どこに保存されているか」という情報を覚える傾向が示されたことがあるが、この分野のすべての実験結果が同じ強さで再現されているわけではないため、「インターネットを使えば必ず記憶力が低下する」と考えることはできないものの、外部へ保存できる環境が、人間の覚え方に影響を与えるという方向性については研究が続けられている。

 この変化は日常生活を振り返ると分かりやすく、ある歴史上の人物が生まれた年を正確に覚えていなくても、その人物の名前さえ分かれば数秒で確認できるため、年号そのものを記憶しておく必要性は以前より低くなった一方で、人物名をどのように入力すれば必要な資料へたどり着けるのか、どの情報源を信頼すべきなのか、複数の情報が食い違った時にどう確認するのかという能力は、以前より重要になっている。

 つまり、現代社会では「答えをそのまま覚えておく能力」だけでなく、「答えへもう一度たどり着く能力」が大きな意味を持つようになったが、検索できるから何も覚えなくてよいわけではなく、人間が何かを考える時には、比較したり関連づけたりする材料がある程度は頭の中に存在していなければならないため、知識を完全に外部へ預けてしまえば、その場で深く考えることは難しくなる。

道を覚えなくなったのか、道の探し方を覚えたのか

 電話番号と似た変化は道順にも起きており、以前なら、初めて訪れる場所へ行く前に地図を広げ、駅から何本目の道を曲がるのか、交差点にどの店があるのかを確認しながら、頭の中に大まかな地図を作ってから出かけ、実際に歩きながら何度か道を間違えるうちに、その土地の位置関係が少しずつ身体感覚と結びつき、やがて案内がなくても歩けるようになった。

 現在では、GPS(Global Positioning System・全地球測位システム)を利用した地図アプリが、その都度どちらへ進めばよいかを教えてくれるため、街全体の構造を理解していなくても目的地へ到着でき、GPSによる案内を多く利用する人ほど、一部の空間記憶課題で成績が低い傾向を示した研究もあることから、自分で経路を考えず逐次案内に従う場合には、その道について形成される記憶が弱くなる可能性が指摘されている。

 ただし、ここでも因果関係を単純化することはできず、GPSを使うから空間認知能力が低くなるのか、もともと道を覚えるのが得意でない人ほどGPSを多く使うのかを完全に切り分けるのは容易ではないうえ、すべての利用者に同じ変化が生じるわけでもないが、それでも、現代の移動が「経路そのものを覚える」ことから「必要な時に経路を呼び出す」ことへ変わってきたという点は、日常感覚としても理解しやすい。

思い出すという行為が、記憶を作っていた

 それでは、なぜ昔の電話番号だけが何十年たっても記憶に残っていることがあるのだろうか。その理由を考えるうえで重要なのが「検索練習」と呼ばれる考え方であり、これは情報を何度も眺めるだけでなく、一度見えない状態にして自分の力で思い出そうとする行為そのものが、その後の記憶を強くするという現象である。

 学生が教科書を何度も読み返すだけの場合より、内容を閉じて自分で答えを思い出す練習を行った方が長期的な記憶が残りやすいことも、この仕組みと関係しており、昔の電話では、番号を押すたびに相手の数字を自分の記憶から取り出さなければならず、最初は紙を見ながらかけていたとしても、何度も使ううちに紙を見ずに思い出すようになり、そのたびに記憶が強化されていったと考えられる。

 現在は名前を画面上で選べば電話をかけられるため、この「数字を思い出す」という過程そのものがほとんど存在せず、そのため、昔の番号が残り、現在の番号が残らないという現象には、単なる年齢や懐かしさだけでなく、情報を何度も自分の記憶から取り出したかどうかという違いも関係している可能性がある。

忘れることは、必ずしも損失ではない

 外部へ記憶を預けることには別の側面もあり、実験研究では、情報を外部へ保存することで、その情報を内部に保持する負担が軽くなり、その後に学習する別の情報を覚えやすくなることがあり、この現象は「保存による記憶促進効果」と呼ばれている。

 人間の注意や作業記憶には限界があるため、すべてを同時に頭の中へ置いておくことはできず、明日の予定を忘れないよう頭の中で繰り返し続けるより、カレンダーへ登録してしまえば、その間は別の問題について考えることができるため、同じように、電話番号をすべて記憶しなくてもよい環境は、その分だけ認知的な負担を減らす可能性がある。

 この意味では、「覚えなくなった」という現象を直ちに能力の低下と考える必要はなく、機械に任せられる仕事を機械へ渡し、人間は別の仕事に注意を向けるという行動は、限られた認知資源を配分するひとつの戦略と考えることができる。

私たちは人を、数字ではなく文脈で思い出している

 現在、誰かを思い出す時に、その人の電話番号が最初に浮かぶことはほとんどなく、以前の職場で一緒だった人、学校で知り合った人、ある仕事を通じて付き合いが始まった人というように、私たちは相手との関係や出来事を手掛かりとして、その人物を思い出すことが多い。

 ただし、「電話番号を覚えなくなった代わりに、人間関係をより多く覚えるようになった」とまで断定できる科学的証拠があるわけではなく、電話番号を記憶しなくなったことと、人間関係の記憶が増えたことが直接的な交換関係にあると証明されているわけでもないため、SNS(Social Networking Service・人と人との交流を支援するインターネットサービス)の普及によって関わる人数が増えたことや、連絡手段そのものが変わったことなど、複数の要因が絡んでいると考えるべきである。

 それでも、私たちが相手を識別するために使う手掛かりが変化していることは実感しやすく、電話番号という数字の列ではなく、名前、顔写真、勤務先、学校、過去の会話、メッセージ履歴といった複数の文脈を通じて相手へたどり着く仕組みが、日常の中へ深く入り込んでいる。

検索できる社会ほど、頭の中の知識も必要になる

 すぐに検索できる社会では、暗記の価値が低下したように見えることがあるが、本当に何も覚えなくてよい社会になったわけではなく、むしろ膨大な情報の中から正しいものを選ぶためには、ある程度の基礎知識を自分の中に持っていなければならない。

 たとえば、検索結果に2つの異なる説明が表示された時、その違いを判断するためには、その分野について最低限の知識が必要になり、年代や人物、制度、科学用語の基本的な関係が頭に入っていれば、「この説明は時代が合わない」「この数字は桁がおかしい」「この情報源は別の問題を扱っている」と気づくことができるが、何も知らなければ、検索結果を比較することさえ難しい。

 その意味では、インターネットは記憶を不要にしたのではなく、記憶の役割を変えたと考える方が適切であり、細部をすべて暗記する必要性は下がった一方で、情報を評価するための基礎知識や、異なる事実を結びつける理解は、むしろ重要になっている。

電話番号の向こうに残っているもの

 数十年前の自宅の電話番号を今でも覚えている人がいるなら、その数字を一度、頭の中でゆっくり読み上げてみるとよく、そこから蘇ってくるのは数字だけではなく、電話機が置かれていた場所、受話器の重さ、家の中に響いた呼び出し音、家族が電話に出る声、誰かからの連絡を待っていた時間まで、一緒に思い出されることがある。

 電話番号は単なる数字だったはずなのに、何度も使い、何度も思い出し、その番号を通じて誰かと話した経験が重なることで、いつの間にか生活の記憶と結びつき、だからこそ昔の番号は、何十年たっても不意に口から出てくるのである。

 現在の私たちは、電話番号そのものを覚える必要をほとんど失ったが、そのことが人間の記憶力全体の低下を意味するとは限らず、むしろ情報を自分の力で何度も思い出し、その情報と長い時間をともにする機会が減ったという変化が起きているのかもしれない。

 電話番号を覚えなくなった私たちが何を記憶するようになったのかという問いには、まだひとつの確定した答えはないものの、科学的に比較的確かに言えるのは、私たちが記憶を失ったのではなく、何を自分の中に残し、何を外部へ預け、必要になった時にどう取り戻すかという、記憶の使い方そのものを変えつつあるということである。

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家の中にあった「よそ行き」の部屋

 昭和の住宅を思い浮かべると、家族が毎日使うわけでもないのに、なぜか家の中でもっとも立派に整えられた部屋があったことを思い出す人は少なくないだろうが、そこには深く腰を沈めるような重いソファが向かい合い、その間には磨かれた低いテーブルが置かれ、壁には風景画や書が掛かり、灰皿や花瓶だけが不自然なほど整然と並んでいて、子どもがそこで寝転がったり、おもちゃを広げたりすれば「そこは遊ぶところではない」と叱られたものの、では誰がいつ使うのかと問われると家族自身にもよく分からないことがあり、その部屋こそ、かつて多くの住宅に存在した応接間である。

 居間には新聞が置かれ、座布団が乱れ、食卓には湯飲みが残されていたのに、応接間だけはいつも時間が止まったように整っていたのは、その部屋が家族のための場所ではなく、家の外からやって来る誰かに見せるための場所だったからであり、会社の上司や同僚、取引先、学校の先生、親戚、近所の人などを家の中へ迎えながら、洗濯物や食卓、子どもの持ち物といった生活の核心部分までは見せないための中間地点として機能していたことを考えれば、応接間とは単なる来客用の部屋ではなく、家庭と社会の間に置かれた一種の緩衝地帯でもあった。

 ところが現在、新築住宅の間取り図を眺めても「応接間」という文字を見ることはほとんどなくなり、その代わりに広いリビングやリビング・ダイニング・キッチン、収納、家事空間、在宅勤務用の作業場所などが目立つようになったうえ、客が来れば家族が普段過ごしているリビングへ案内し、少し改まった相手であれば、そもそも家へ呼ばずに喫茶店やホテルのラウンジで会うことも珍しくないため、日本人はある時突然応接間を捨てたのではなく、住宅の使い方と人間関係のあり方を少しずつ変えた結果として、「客のためだけに1室を確保しておく」という住宅のつくり方を選ばなくなっていったのである。

応接間は近代日本の「社会への窓」だった

 日本人が客を迎えるための特別な空間を持つようになったのは、洋風住宅が広がった近代以降に突然始まったことではなく、それ以前の日本家屋にも客を迎えるための座敷という場所が存在しており、床の間には掛け軸や生け花が置かれ、客は上座へ案内され、家の主人はその向かい側や下座に座るというように、部屋の中の位置関係そのものが客と主人の社会的関係を表していたことから、客間とは単なる空間ではなく、人間関係を目に見える形にする装置でもあった。

 明治以降、西洋式の生活様式が広がると、こうした座敷文化に椅子とテーブルを使う応接室が加わり、明治30年代ごろから大都市の中流住宅に現れ、大正期から昭和前期にかけて都市の俸給生活者の住宅へも広がっていったうえ、戦後になると持ち家を建てる世帯が増え、応接間や応接セットは「きちんとした家」を象徴するものとして受け入れられるようになったため、家の広さや家具の立派さと同じように、その家庭がどの程度社会的に安定しているかを示す記号にもなっていった。

 高度経済成長期の家庭では、テレビ、冷蔵庫、自動車といった耐久消費財が豊かさの象徴になったが、住宅にも同じような価値観が入り込み、立派な玄関、床の間のある和室、客用の座布団、客用の食器、そして応接セットが「ひとかどの家庭」を形づくっており、実際に1970年の国民生活に関する世論調査では応接セットを所有する世帯は19.6%だったものが、1984年の全国消費実態調査では「応接セット3点以上」の普及率が40.6%まで上昇していることからも、戦後の所得上昇とともに応接文化が広がっていったことがうかがえる。

 もっとも、この数字は応接間そのものの普及率を示すものではなく、リビングなどに応接セットを置いていた家庭も含まれるため、「1984年には4割の家に応接間があった」と考えることはできないものの、応接家具の所有率が1970年から1980年代にかけて上昇した事実は、来客のための空間や家具を家庭内に用意することに一定の価値が置かれていたことを示す補助的な手掛かりにはなる。

応接間は「狭くなったから」消えたわけではない

 応接間が消えていった理由として、しばしば「住宅が狭くなったから」という説明がなされるが、この言い方は統計的には注意が必要であり、確かに都市部の小住宅や集合住宅では床面積の制約が強く、独立した応接間を確保することが難しい場合が多かったとしても、日本の住宅全体を長期的に見ると、戦後一貫して住宅が狭くなってきたわけではない。

 持ち家1戸当たりの平均延べ面積は、1973年には約103平方メートルだったものが1998年には約123平方メートルまで拡大しており、専用住宅全体でも1993年の約88平方メートルから2000年代には92平方メートル前後まで増え、その後はやや縮小傾向が見られるものの、2023年でも平均は約91平方メートルであることを考えると、少なくとも「昔より住宅が狭くなったため応接間がなくなった」と単純に説明することはできない。

 むしろ重要なのは、住宅が広くなった時期でさえ、その増えた床面積が応接間には向かわなかったことであり、以前なら客のために1室を確保していた家庭が、その空間を広いリビング、子ども部屋、収納、家事空間、仕事部屋などへ配分するようになったと考える方が実態に近く、つまり応接間が消えた本質的な理由は床面積そのものが減ったことではなく、限られた住宅空間の中で何を優先するかという価値判断が変わったことにある。

戦後住宅は「客」より「家族」を中心に設計された

 この価値判断の変化は、戦後の住宅政策や住宅設計にもはっきりと現れており、戦後の公共住宅では、限られた床面積の中で独立した客間を確保することよりも、食事をする場所と寝る場所を分ける「食寝分離」や、家族が日常生活を送りやすい間取りを整えることが重視された。

 1950年代には2DK、すなわち2つの居室とダイニングキッチンを組み合わせた住宅が広がり、さらに1960年代後半には3LDK、すなわち3つの居室にリビング・ダイニング・キッチンを組み合わせた形式も標準的な住宅設計として登場したが、ここで重視されたのは客のために一室を残しておくことより、食事、睡眠、団らんといった家族の日常生活をどのように配置するかという問題であり、住宅の中心は次第に「外から来る人」から「毎日そこで暮らす人」へ移っていった。

 こうした流れを考えると、応接間が減ったことは偶然ではなく、戦後の住宅設計そのものが家族生活の合理化を優先する方向へ進んでいたため、独立した接客空間を持つことは次第に住宅計画上の優先順位を下げていったのである。

応接セットの数字にも衰退の兆しが現れた

 応接文化が大きく変化したことは、その後の家具の普及率からもうかがうことができ、1984年には40.6%だった「応接セット3点以上」の普及率は1999年には28.3%まで低下していることから、1980年代を頂点として応接家具の存在感が弱まっていったことが分かる。

 もちろん、家具の所有率が下がったからといって、それだけで独立した応接間が減ったと証明することはできないが、少なくとも「客を迎えるために専用の家具を揃えておく」という生活文化が弱まっていったことは読み取ることができ、住宅の中で接客機能がリビングへ吸収され、家族が普段使うソファやテーブルで客を迎えるようになれば、独立した応接セットを所有する必要も小さくなるため、家具統計と住宅文化の変化は互いに矛盾しない。

「家に来る客」そのものも変わった

 もっとも、応接間の減少を住宅設計だけで説明すると、もう1つの大きな変化を見落とすことになり、それは人が他人の家を訪ねる機会そのものが以前より少なくなったことである。

 かつては会社の同僚や上司が家庭を訪れ、学校の教師が家庭訪問をし、近所の人が何かの用事で玄関を開け、親戚が立ち寄ることも珍しくなかったが、電話、携帯電話、電子メール、SNS(Social Networking Service・インターネット上で人と交流するサービス)が普及すると、用事を伝えるためだけに相手の家を訪問する必要性は大きく低下し、仕事上の連絡は職場やオンラインで済ませることができ、友人にはメッセージを送り、親戚とは電話や映像通話で話せるようになったため、人間関係そのものがなくなったわけではなくても、その関係を維持するために家庭を訪問する必要は以前より小さくなったのである。

 総務省の社会生活基本調査でも、「交際・付き合い」に使う時間は1996年以降、長期的に減少する傾向が確認されており、とりわけ若い世代では友人や知人と同じ場所で過ごす対面的な交際の減少が見られるが、これは家庭訪問そのものを直接測定した数字ではないため、「客が家に来なくなった」と統計だけで断定することはできないものの、対面での交際機会そのものが減り、通信手段によって人間関係の維持方法が変わったことは、応接間の必要性を低下させる方向に働いたと考えるのが自然である。

喫茶店は「外に出た応接間」になったのか

 人と直接会う必要がある場合でも、現在では家を使わなければならない理由はほとんどなくなっており、仕事の相談なら喫茶店、友人との会話ならファミリーレストラン、少し改まった相手ならホテルのラウンジというように、家庭の外には人と会うための場所が数多く存在しているため、かつて住宅内部に必要だった接客機能の一部を、社会の側が引き受けるようになったと考えることもできる。

 この変化を経済的に見ると、応接間はかなり特殊な設備であり、年に何度使うか分からないにもかかわらず、そのために数平方メートル以上の床面積を確保し、家具を置き、掃除をし、来客のたびに茶菓子を用意し、場合によっては食事を準備しなければならないため、応接間を持つということは空間だけでなく、相応の時間と家事労働まで家庭内に抱え込むことを意味する。

 一方、喫茶店やファミリーレストランを利用すれば、必要なときだけ飲食代を支払えばよく、掃除も給仕も後片付けも不要になるため、家庭内で固定的に接客空間を「所有」する方式から、必要なときだけ外部の接客空間を「利用」する方式へ移行したと見ることは、経済的には十分合理的である。

 ただし、「応接間が減った分だけ喫茶店利用が増えた」という直接的な統計があるわけではないため、喫茶店を「町の応接間」と呼ぶのは厳密には統計的事実というより社会変化を説明する比喩だが、それでも家の内部にあった接客機能の一部が外部施設へ移ったという見方は、現在の生活様式を理解するうえでは有効だろう。

共働き化も、家で客を迎える意味を変えた

 家庭の中で来客を迎えることは、客を部屋へ通せば終わりではなく、その前後に掃除、茶菓子の準備、給仕、食事の用意、後片付けといった家事が発生するため、応接間という文化は実際には家庭内のかなり大きな労働によって支えられていた。

 現在では共働き世帯が大きく増えており、2025年には、妻が64歳以下の世帯で共働き世帯が1254万世帯であるのに対し、男性雇用者と無業の妻からなる世帯は358万世帯となっているため、共働き世帯は後者の約3.5倍に達しており、家庭の中に来客対応のための時間を恒常的に確保することは、以前より難しくなっている。

 もっとも、共働き世帯が増えたから応接間がなくなったという直接的な因果関係を示す統計があるわけではないものの、来客対応に伴う時間と家事負担が相対的に重くなる方向へ社会が変化したことは確かであり、共働き化は独立した接客空間を家庭内に維持する必要性を弱めた背景要因の1つと考えることができる。

「家へ入れる人」の範囲も変わった

 応接間が消えていった背景には、誰をどこまで家の中へ入れるのかという人間関係の距離感の変化もあり、現在では宅配便の配達員や営業担当者を居間まで通すことはほとんどなく、近所の人が訪ねてきても玄関先で用件を済ませることが多いが、これは単に人間関係が希薄になったというより、住宅を個人や家族の私的な領域として捉える意識が以前より明確になった結果と考えることができる。

 以前の地域社会では、近所の人が家族構成や勤務先を知り、子どもがどこの学校へ通っているかまで知っていることが珍しくなく、家庭と地域社会の境界は現在ほど明確ではなかったため、人が家を訪ね、玄関を上がり、お茶を飲みながら話をすることも日常生活の延長として受け入れられていた。

 ただし、プライバシー意識の高まりが直接応接間を減らしたと示す統計は乏しいため、ここは住宅史や社会意識の変化から導かれる解釈として扱う方が適切だが、それでも仕事上の相手とは外で会い、親しい友人なら最初からリビングへ通し、それほど親しくない人とは玄関や外部施設で対応するという関係が一般化すれば、その中間地点として存在していた応接間の役割が小さくなるという説明には合理性がある。

「客用」という考え方そのものが縮小した

 住宅の中から消えていったものを見渡してみると、応接間だけが特別だったわけではなく、かつて多くの家庭には客用の布団、客用の湯飲み、客用の座布団、客用の食器があり、普段はほとんど使わない物を、いつ来るか分からない誰かのために押し入れや食器棚の中へ長期間保管していた。

 そこには、家庭とは家族だけのために存在する場所ではなく、社会の人間関係を受け止める場所でもあるという発想があったが、現在では収納空間そのものが貴重になり、年に数回しか使わない物を持ち続けるより、必要なときに用意したり、外部のサービスを利用したりする方が合理的だと考える家庭も増えており、泊まり客が来れば近くのホテルを利用してもらうという選択も、その延長線上にある。

 つまり、家庭が社会のために一定の余白を常に残しておくという考え方が弱まり、その分だけ自分たちの日常生活へ空間や費用を振り向けるようになったのであり、「客用」というカテゴリーの縮小と応接間の消滅は、同じ社会変化の異なる表れだったと考えることができる。

家の間取りは、社会の変化を数字より先に映す

 住宅の間取りは、単なる建築上の都合だけで決まるものではなく、その時代の人々が誰と暮らし、誰と会い、何を所有し、どのような人間関係を大切にしているのかを静かに映しており、客間が広かった時代には家庭と地域社会や仕事社会との接点が今より濃く、子ども部屋が増えた時代には家族の中でも個人の空間が重視されるようになり、大きなリビングが住宅の中心になった時代には格式や体面よりも日常生活の快適さが重視されるようになった。

 だから昭和の住宅と現在の住宅の間取り図を並べて眺めれば、日本社会の変化がある程度見えてきて、かつて玄関近くに置かれていた応接間が姿を消し、その分だけリビングが広くなり、収納や子ども部屋、家事空間、仕事用のスペースが増えているとすれば、それは住宅の主人公が、いつ来るか分からない客から、毎日そこで暮らす家族へと移ったことを意味している。

それでも「人を迎える家」は消えていない

 もっとも、応接間が消えたからといって、人を家へ招く文化そのものがなくなったわけではなく、現在でも友人を家へ招き、大きなダイニングテーブルを囲んで食事をしたり、庭とリビングをつなげて休日を一緒に過ごしたり、アイランドキッチンの周囲で料理をしながら会話を楽しんだりする家庭はある。

 ただし、そこで行われているのは、かつての応接間とはかなり異なる形のもてなしであり、昔の応接間では客と主人は向かい合い、家族の日常生活はできるだけ見せないことが礼儀だったのに対し、現在のリビングでは家族が普段過ごしている空間そのものへ客を迎え入れ、一緒に食べ、一緒に話し、ときには一緒に料理までするため、以前の客間が「生活を見せずに客を迎える場所」だったとすれば、現在のリビングは「生活の一部を共有することで客を迎える場所」へ変わったといえる。

 この違いは、客との関係が格式を重んじるものから親密さを重んじるものへ変化したことを示しており、立派なソファに背筋を伸ばして座り、茶托に載せられた湯飲みを前に会話するより、同じテーブルでコーヒーを飲みながら話す方が、現在の人間関係には自然なのである。

応接間が消えたあとに見えてくるもの

 こうして振り返ると、応接間が日本の住宅から消えていったのは、単に家が狭くなったからでも、現代人が人付き合いを嫌うようになったからでもなく、住宅が広くなった時期でさえ応接間の優先順位は下がり、その一方で戦後住宅政策は家族の日常生活を中心に設計され、応接家具の普及率は1980年代を頂点に低下し、対面的な交際は減少し、共働き世帯は増え、通信技術や外部の接客施設が家庭内の応接機能を部分的に代替するようになったという複数の変化が同時に重なった結果だと考える方が妥当である。

 つまり応接間の消滅は、単一の原因から説明できる現象ではなく、住宅設計、労働、家事、通信、人間関係、消費行動、プライバシー意識といった複数の変化が同じ方向へ作用した結果として理解する方が適切であり、その中でももっとも大きかったのは、家というものの意味そのものが変わったことである。

 かつての家には、家族が暮らす場所であると同時に、その家の主人が社会の中でどのような立場にあるのかを示し、外から来た人を受け止める役割があったため、応接間はその象徴として必要だったが、現在では家は社会に向かって開かれた舞台というより、家族が社会から戻り、私的な時間を過ごす場所としての性格を強めている。

 昔の家の写真を見ると、薄暗い応接間の中に、重そうなソファや磨かれたテーブルが写っていることがあり、そこに実際にどれほど多くの客が座ったのかは分からないものの、その部屋の存在そのものが、当時の家族が社会とどのようにつながっていたのかを静かに物語っている。

 そして現在、同じ広さの場所には、家族全員が座れるソファがあり、テレビがあり、子どもの玩具があり、あるいは仕事用の机が置かれているかもしれず、1つの部屋が消えただけなのに、そこから見えてくる日本人の暮らしは大きく違っていることを考えれば、応接間の消滅とは住宅の間取りの変化というより、日本人が「誰のために家をつくるのか」を変えてきた歴史なのである。

 かつては家の中に、家族のためではなく、いつ来るか分からない誰かのために空けておく場所があったが、その部屋がなくなった今、私たちは以前より人を迎えなくなったのではなく、誰を家へ入れ、誰とは外で会い、どこまで自分たちの日常を見せるのかを自分で選ぶようになったのであり、応接間とは、その選択を家の壁と扉に任せていた時代の名残だったのかもしれない。

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いつの間にか、街で時計を探さなくなった

 駅へ急いで入り、改札を抜けたところで顔を上げ、ホームの時計を見て「あと3分ある」と確認するという行動は、かつてはごく普通のものだった。腕時計をしている人でさえ駅では駅の時計を見たし、商店街や銀行、公園、学校、役所などにも大きな時計があり、人は自分の時計を持っているかどうかにかかわらず、街の中に置かれた時計を使いながら1日を過ごしていたが、現在では時間を知りたいと思った瞬間に、多くの人が頭上の時計を探すのではなく、無意識のうちにポケットや鞄からスマートフォンを取り出すようになっている。

 もっとも、日本中の街から時計が一斉に減っていることを示す全国的な統計があるわけではないため、「街から時計が消えている」という言葉を、そのまま数量的な事実として受け取ることはできない。しかし、少なくとも鉄道駅では象徴的な変化が現れており、東日本旅客鉄道は2021年11月から、一部の駅で利用者向け時計の撤去を始め、約500駅を対象として長期的に時計の数を見直す方針を示しているが、その理由として挙げられているのは、老朽化、保守や更新にかかる費用、利用状況の変化などであり、その背景の1つとして携帯電話やスマートフォンの普及も位置づけられている。

 鉄道は時刻によって動くものなのだから、駅から時計を減らすという話には一見すると矛盾があるようにも思えるが、制度面から見ると、駅に掲示すべき運賃表や列車時刻表については法令上の位置づけがある一方、利用者が見る壁掛け時計そのものをすべての駅に設置しなければならないという義務はなく、つまり駅時計は、鉄道運行そのものを成立させる設備というより、利用者が時間を確認するための補助的な設備であり、利用者の多くが自分の端末で正確な時刻を知ることができるようになれば、維持費をかけて多数設置する必要性は相対的に低下する。

 この変化を見ていると、私たちは、いったいいつから腕時計や街の時計ではなく、携帯電話やスマートフォンで時間を見るようになったのだろうかという1つの疑問が浮かんでくる。

腕時計を最初に追いやったのはスマートフォンではなかった

 現在の感覚から考えると、腕時計を見なくなったのはスマートフォンが急速に普及した2010年代からだと思いたくなるが、実際には変化はそれよりかなり前から始まっており、腕時計に最初の大きな影響を与えたのはスマートフォンではなく、折り畳み式を中心とした従来型の携帯電話だった。

 2004年に携帯電話利用者を対象として行われた大規模な調査では、普段時間を確認する方法として携帯電話を挙げた人が85.8%に達した一方、腕時計を挙げた人は33%で、さらに2005年に行われた別の調査でも、携帯電話を挙げた人は87.1%、腕時計を挙げた人は33.8%となっており、2つの調査はほぼ同じ傾向を示している。

 ただし、これらの数字を「2004年には日本人の85.8%が携帯電話で時間を見ていた」と解釈するのは正しくなく、調査対象は日本人全体から無作為に選ばれた人々ではなく、携帯電話向けサービスを利用していた人たちであり、携帯電話の利用に慣れた人が多く含まれている可能性が高いため、統計学的には選択の偏りを考慮する必要がある。それでも、2004年と2005年という近接した2つの時点で、1万人を超える規模の調査がほぼ同じ結果を示していることから、少なくとも当時の携帯電話利用者の間では「時間を確認するときには携帯電話を見る」という行動がすでに広く定着していたと考えるのは妥当である。

 したがって、歴史の流れを単純に「腕時計からスマートフォンへ」と考えると、重要な中間段階を飛ばしてしまうことになり、実際には、2000年代前半に「腕時計から携帯電話へ」という最初の変化が起こり、その後2010年代に「携帯電話からスマートフォンへ」という2つ目の変化が重なったと考えたほうが、実際の統計とよく一致する。

2000年代、時間は腕からポケットへ移った

 20世紀の後半まで、外出中に好きな瞬間に時間を知るためには、腕時計には明確な意味があった。駅や学校、役所、公園などには時計があったものの、それはその場所まで行かなければ見ることができず、どこにいても手首を見るだけで時刻を確認できる腕時計は、文字どおり「時間を持ち歩くための道具」だった。

 しかし携帯電話が生活必需品になると、この前提が崩れ始め、人は電話をするために携帯電話を持ち歩くようになったが、その端末には時計も付いており、目覚まし、予定表、カレンダーなどの機能まで備わっていたため、それまで腕時計、目覚まし時計、手帳などに分かれていた時間管理の役割が、少しずつ1台の機械に集まり始めたのである。

 経済的に考えても、この変化には合理性があり、腕時計の主要な役割を「外出先で現在時刻を知ること」と考えれば、すでに毎日持ち歩いている携帯電話が同じ機能を果たすようになった時点で、時間を知るだけのためにもう1つ道具を持つ必要性は低下するため、携帯電話は腕時計の機能を部分的に代替する存在になった。

 ただし、人々が腕時計そのものを嫌うようになったわけではなく、必要性が変わったのであり、時刻確認のための必需品だった腕時計は、徐々に服装の一部、仕事上の身だしなみ、趣味や収集の対象、高級品としての価値を持つものへと役割を広げていったのであって、技術の変化とは、古い道具を完全に消し去るだけではなく、その道具が持つ意味を変えることでもある。

2010年代、スマートフォンが時間の意味を変えた

 2000年代には携帯電話が腕時計の役割を部分的に代替したが、2010年代にスマートフォンが急速に普及すると、その変化はさらに大きくなった。全国の15歳から79歳を対象として人口構成を考慮して行われた継続調査では、携帯電話所有者のうちスマートフォンを使用する割合は2010年には約4%だったものの、2015年には5割を超え、2019年には8割を超え、2021年には9割を超えるまでになった。

 この数字の推移を見ると、スマートフォンが特殊な機器から社会の標準的な携帯端末へ変わったのは、おおむね2010年代だったことが分かるが、重要なのは、スマートフォンが単に従来型携帯電話を高性能化しただけの道具ではなかったということであり、画面を見ると現在時刻だけでなく、電車の発車時刻、乗換方法、目的地までの所要時間、予定、天気、地図、店の営業時間、家族や友人からの連絡まで同時に確認できるようになり、「今何時なのか」という情報が、それだけでは独立して完結しなくなった。

 たとえば午前10時25分に駅へ向かっている人がいるとすると、以前なら時計を見て10時25分だと確認し、乗る予定の電車が10時30分発なら「あと5分ある」と頭の中で計算したが、現在では乗換案内を開けば、どの電車に乗ればよいのか、何分後に発車するのか、何番線なのか、目的地には何時に着くのかまで一度に表示され、遅延が起きていればその情報まで更新されることがある。

 この変化によって、人は単に時計を見る回数を減らしたのではなく、「現在時刻を確認したあと、自分で予定と照合し、残り時間を計算する」という作業の一部まで機械に任せるようになり、腕時計が主として「現在」を示す道具だったのに対し、スマートフォンは「現在」と「次の行動」を結びつけて示す道具になったのである。

「今、何時?」という質問はなぜ聞かれなくなったのか

 以前は街中で知らない人に「すみません、今何時ですか」と尋ねることも珍しくなかったが、現在ではそうした場面を見かける機会はかなり少なくなったと感じる人が多いだろう。ただし、「人々が時間を尋ねる回数が何年間で何%減少した」という全国的な長期統計があるわけではないため、この変化を数量的な事実として断定することはできない。

 それでも、ほとんどの人が時刻を確認できる端末を持ち歩く社会では、他人に時間を尋ねる必要が減ること自体は合理的に説明でき、これは、時間を知る行為が公共空間や他人に依存するものから、個人が自分の端末で完結できるものへ移ったという変化でもあり、かつて街の時計や他人の腕時計から得ていた情報が、個人の手の中に移ったとも言える。

 待ち合わせの方法も同じように変わり、以前なら「午後3時に駅前の時計台の下で」と決め、午後3時になっても相手が現れなければ、時計を見ながら5分、10分と待つしかなかったが、現在では「今着いた」「あと5分」「反対側の改札にいる」と互いに連絡できるため、待ち合わせ時刻を1分単位で厳密に決めなくても成立する場面が増えている。

 ここで興味深いのは、私たちが「午後3時」という絶対的な時刻だけを見るのではなく、「あと5分」「到着まで12分」「次の電車まで3分」という相対的な時間を直接知らされる機会が増えたことであり、これを人間の時間感覚そのものが完全に変化したとまで言うには心理学的な検証が必要だが、少なくともスマートフォンによって、現在時刻から残り時間を自分で計算する必要のある場面が減ったことは確かである。

それでも腕時計は消えていない

 携帯電話とスマートフォンがこれほど普及しても、腕時計は消滅しなかった。2026年に全国の20歳から69歳、1,100人を対象として行われたインターネット調査では、腕時計またはスマートウォッチを所有している人は64.5%、普段使用している人は45.5%となっており、時刻確認のために腕時計が絶対に必要ではなくなった現在でも、およそ半数近くが日常的に使用している。

 ただし、この数字も日本人全体を完全に代表する数字として扱うべきではなく、調査対象に20歳未満と70歳以上は含まれておらず、インターネット調査でもあるため、統計学的には一定の偏りが存在する可能性があるが、それでも「スマートフォンが普及したから腕時計はほとんど使われなくなった」という単純な説明が成り立たないことは分かる。

 さらに年代による違いも大きく、60歳代では腕時計を使う人の割合が比較的高い一方、20歳代や30歳代では腕時計を持っていない人も少なくなく、この差には、現在の年齢だけでなく、外出時には腕時計を着けるという習慣をどの時代に身につけたのかという世代経験の違いも影響している可能性がある。

 そして現在では、腕時計をめぐって興味深い逆転も起きており、かつて携帯電話によって腕から追い出された情報端末が、スマートウォッチという形で再び手首へ戻り、時刻だけでなく歩数、心拍数、運動量、睡眠、電子決済、メッセージ通知などを表示するようになったため、腕時計が携帯電話に負けたというより、時計そのものが情報端末へ変化しながら生き残ったと考えたほうがよい。

駅の時計は、なぜ減らすことができるのか

 駅時計の変化を考えるとき、制度面から見た位置づけも興味深く、鉄道では列車時刻表など利用者に必要な情報を掲示することが求められているが、利用者向けの時計をすべての駅に設置することまでは法令で義務づけられていないため、駅時計は運行上絶対に必要な設備というより、利用者が時刻を確認するための補助的な役割を持つ設備と考えることができる。

 そうであれば、ほぼすべての利用者が自分で時刻を確認できる端末を持つようになった社会では、利用頻度の低い時計を修理し、更新し、電源設備を維持し続けるよりも、その数を減らすという経営判断が生まれることは不自然ではなく、つまり駅時計の減少は、単なる技術変化だけではなく、利用者行動の変化と維持管理費の問題が重なった結果でもあり、「スマートフォンが普及したから時計が不要になった」という単純な1対1の因果関係では説明できない。

 ここは重要であり、古くなった設備を更新するには費用がかかり、その設備を利用する人が以前より少なくなれば、同じ数を維持する経済的な合理性は下がっていくため、技術の普及は時計撤去の直接的な唯一の原因ではなく、「撤去しても利用者への影響が以前ほど大きくない」という環境を作った要因の1つと見るのが最も客観的である。

街から消えているのは「共有された時間」なのかもしれない

 ここまでの話は統計や制度によってある程度確認できる事実だが、そこから先にはもう1つ別の見方があり、それは、街から失われつつあるのは時計そのものではなく、多くの人が同じ時計を見るという経験なのではないか、という見方である。

 かつて駅のホームでは何十人、何百人という人が同じ時計を見て電車を待ち、学校の教室では先生も生徒も壁に掛かった1つの時計を見ながら授業の終わりを待ち、商店街や公園でも、その場所にいる人々が同じ針の位置から時刻を知っていたのであり、そこでは時計は単なる機械ではなく、その場にいる人全員に共通する時間を示す存在でもあった。

 これに対してスマートフォンの時刻は完全に個人的なものであり、同じ駅に立っていても、人々は同じ時計を見るのではなく、それぞれの画面を見ており、しかも画面に表示されるのは時刻だけではなく、ある人には乗換案内、ある人には仕事の予定、ある人には家族からの連絡というように、同じ場所、同じ時刻にいながら、別々の情報の世界を見ている。

 この意味で、公共時計が減るという現象は、社会全体の情報の受け取り方が変化したことを象徴しているようにも見え、以前は駅や街が人に情報を与えていたが、現在では人が自分の端末を通じて必要な情報を取得するようになり、時間もまた公共空間に掲げられたものから、個人が持ち歩く情報へ変わったのである。

人はいつからスマートフォンで時間を見るようになったのか

 最初の問いに戻ると、「何年から日本人は腕時計ではなくスマートフォンを見るようになった」と1つの年を特定することはできないが、それでも複数の調査と普及の推移を重ねると、大きな流れはかなり明確に見えてくる。

 2000年代前半には、携帯電話利用者の間で携帯電話を時計代わりに使う行動がすでに広く定着しており、2010年代にスマートフォンが急速に普及すると、その行動はさらに一般化し、さらに2020年代には、東日本旅客鉄道が利用状況や保守負担などとともにスマートフォンの普及を時計見直しの背景として挙げるほど、携帯端末による時刻確認は日常的な行動になっている。

 したがって、この約20年間に起きたことを「腕時計がスマートフォンに負けた」と表現するだけでは、変化の本質を捉えきれず、時間は腕からポケットへ移っただけではなく、「今何時なのかを知るための情報」から、「次に何をすればよいのかを判断するための情報」へと役割を広げ、私たちは時計そのものを見る機会を減らしながら、以前より細かく時間に導かれる生活を送るようになった。

 いつの日か、昔の駅の写真を見た子どもが、ホームの中央に掛けられた大きな丸時計を指さして、「どうしてこんなに目立つ場所に時計があるの」と不思議そうに尋ねる時代が来るかもしれず、そのとき初めて、私たちは街の時計が持っていた意味に気づくのだろうが、それは単に何時何分かを知らせる機械ではなく、その場所にいる人々が同じ方向へ顔を上げ、同じ時刻を見ながら動くための、静かな共通点でもあったのである。

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本を選ぶとき、私たちは本だけを見ているわけではない

 読むつもりのなかった本を、なぜか買って帰ったことがある。書店を歩いていて、それまで表紙さえ知らなかった1冊の前で足が止まり、その横に置かれた小さな手書きの紙を読んだ瞬間に「少し読んでみようか」と思ってしまうことがある一方、インターネットで本を探しているときには、レビューの内容や件数を確認しながら、「自分に合う本だろうか」と慎重に判断していることも多い。

 どちらも知らない本を選ぶための手掛かりであることに違いはないが、書店員の手書きPOP(Point of Purchase Advertising・店頭で購買を促すための広告表示)とネットのレビューでは、購入へ向かう心理の働き方が同じとは限らない。手書きPOPでは、ひとりの書店員が選んだ言葉を通じて本への関心が生まれることがあるのに対し、ネットでは、多数の読者が残した評価や感想をまとめて確認することで、「自分が読んでも大きく期待を外さないだろうか」と判断する材料を増やすことができる。

 そもそも、本は購入前に品質を完全には確かめられない商品である。食品のように味見することは難しく、家電のように性能表だけを比較して価値を判断することもできず、実際に読み進めてみなければ、自分にとって面白いのか、役に立つのか、心に残るのかは分からない。そのため私たちは、本そのものだけではなく、書店員の推薦、帯の言葉、レビューの内容、読者の評価といった周辺情報を利用して、読むために時間とお金を使う価値がありそうかを判断しているのである。

手書きPOPには「誰かが選んだ」という痕跡が残る

 書店員の手書きPOPには、出版社が制作した広告とは異なる魅力がある。文章は数行しかなく、文字も必ずしも整っているわけではなく、情報量だけを比べれば出版社の帯や紹介文のほうが多いことさえあるのに、それでも手書きの言葉に目を止める人がいるのは、そこに「この本を読んだ誰かが、自分の言葉で薦めようとしている」という痕跡を感じ取るからなのかもしれない。

 たとえば、「今年読んだ中で、最後の30ページがいちばん忘れられなかった」と書かれていたとしても、そこには作品の詳しい内容も、客観的な評価基準も示されていない。それでも、その30ページに何が書かれているのかを確かめたくなるのは、POPが作品をすべて説明するのではなく、むしろ説明しきらないことによって読者の想像の中に小さな空白を残し、その先を知りたいという気持ちを呼び起こす場合があるからだろう。

 店頭広告に関する研究では、POPの設置が商品棚への注目や商品を手に取る行動などに影響することが示されており、手作りPOPについても、購買行動に一定の効果が生じる可能性が報告されている。ただし、「手書きだから書店員への信頼が必ず高まり、その結果として本が売れる」という一連の因果関係が、あらゆる書店で科学的に証明されているわけではないため、ここでは手書きPOPを万能な販売手段と考えるよりも、本への注意や関心を生み出すひとつの装置として捉えるほうが現実に近い。

 さらに書店では、POPの文章だけでなく、その本がどこに置かれているかという空間そのものが推薦として働くことがある。大量の本の中から1冊を選び、表紙が見えるように置き、その横に言葉を添えるという行為には、「この本を少し見てほしい」という店側の選択が現れるため、客は本そのものだけでなく、その本が選ばれているという状況まで含めて受け取ることになる。

ネットレビューは、多数の読者の経験を一度に見せる

 ネットのレビューには、手書きPOPとは異なる強みがある。ひとりの書店員の感想ではなく、何十人、何百人、ときにはそれ以上の読者が残した評価や感想をまとめて確認できるため、自分より先に読んだ人たちが、どこを評価し、どこに不満を感じたのかを短時間で知ることができる。

 オンラインレビューと購買行動については、多数の研究をまとめたメタ分析でも一定の関係が確認されており、レビューの肯定的・否定的な内容、レビュー件数、情報の詳しさ、投稿者への信頼などが、購入意向や商品の評価に影響することが示されている。さらに書籍そのものを対象にした研究でも、レビューの数や長さ、肯定的な評価と否定的な評価、表示される順序などが、購入意向に影響し得ることが報告されているため、「ネットレビューが本を買う判断材料になる」という記事の前提には、かなり強い実証的な裏付けがある。

 ただし、評価が高ければ必ず購入につながるわけではなく、レビュー同士の意見が大きく食い違っていたり、低い評価の中に自分にとって重要な欠点が書かれていたりすれば、むしろ購入を思いとどまることもある。この点でネットレビューは、単純に本を売るための装置ではなく、「買ってもよい理由」と「買わないほうがよい理由」を同じ画面上に並べる仕組みでもあり、レビューを読み始める前には買うつもりだった人が、読み終えたころには購入をやめているということも十分に起こり得る。

「大勢の評価」だからといって、そのまま真実とは限らない

 ネットレビューには多数の意見が集まるという利点がある一方で、その数字や文章を無条件に「世の中の本当の評価」と考えることにも注意が必要である。レビューを書く人は、すべての購入者から無作為に選ばれているわけではなく、非常に満足した人や強い不満を抱いた人ほど投稿する可能性もあり、投稿者の構成そのものに偏りが生まれることがある。

 さらに、すべてのレビューが完全に独立した自然な感想とは限らず、事業者が関与する広告や、利益関係を十分に明らかにしない投稿が問題になることもある。日本では2023年10月1日から、広告であることを隠して消費者に表示するステルスマーケティングが景品表示法の規制対象となっており、レビューだから自動的に中立な第三者の意見だと考えてよいわけではない。

 したがって、ネットレビューを見るときには、平均点だけを信じるよりも、評価件数がどの程度あるのか、極端に似た文章が並んでいないか、具体的な長所と短所が書かれているか、自分と似た目的を持つ読者がどのように評価しているかを見るほうが、判断材料としては有効である。

書店は「偶然の発見」に強いが、ネットにも発見はある

 手書きPOPとネットレビューの違いを考えるとき、「書店では発見し、ネットでは確認する」と単純に二分するのは分かりやすいが、現実はもう少し複雑である。実際の書店では、棚を歩きながら眺めるブラウジングによって、当初は探していなかった本に出会うことがあり、書店の空間構成や本の配置が、立ち止まる、触れる、手に取る、読むといった行動に影響することも研究されているため、実店舗に「偶然の発見」を生みやすい性質があることは確かである。

 しかし、ネットでも未知の本と出会うことはできる。検索結果だけではなく、「この本を見た人はこちらも見ています」「この本を買った人はこちらも読んでいます」といった推薦機能、ランキング、特集、SNS(Social Networking Service・インターネット上で人と人が交流するサービス)上での紹介などによって、存在を知らなかった本へたどり着くことがあるため、ネットを単なる「確認の場所」と考えるのも正確ではない。

 それでも両者には傾向の違いがあり、書店では棚を歩いている途中に予想外の本が視界へ飛び込んでくるという物理的な偶然が起こりやすいのに対し、ネットでは自分の検索履歴や過去の閲覧、他の利用者の行動などを基にした推薦を通じて新しい本に出会うことが多い。つまり、どちらにも発見はあるが、その発見が生まれる仕組みが異なっているのである。

手書きPOPは「関心を生む」、レビューは「判断を揺らす」

 両者の違いを、あえて単純なたとえで表すなら、手書きPOPには、それまで存在しなかった関心を生み出す働きがあり、ネットレビューには、すでに生まれている関心を強めたり弱めたりする働きがあると考えると分かりやすい。ただし、これは実際に0、1、2という尺度で測定された数理モデルではなく、購買心理の違いを説明するための比喩である。

 書店で偶然見つけた本について、「こんな本があったのか」と初めて関心を持つ場面では、POPが最初のきっかけになる可能性がある一方、すでに題名を知っている本についてネットで複数の感想を読み、「これは自分にも合いそうだ」と感じれば購入意向が強まり、逆に「期待していた内容とは違いそうだ」と分かれば購入意向が弱まる。この違いは、POPとレビューのどちらが優れているかという問題ではなく、購入までの異なる段階で、それぞれ別の役割を果たしていると理解するほうが適切だろう。

情報量が多いほど、人を動かすとは限らない

 情報量だけを比較すれば、ネットレビューは手書きPOPを圧倒している。何百人もの評価を読み、肯定的な意見と否定的な意見を比べ、自分と似た立場の読者を探すことさえできるが、それにもかかわらず、店頭で目にした数行の手書きPOPが、その場で本を手に取らせることもある。

 その理由のひとつとして考えられるのは、平均値のような集約された数字と、具体的なひとりの言葉では、人が受け取る情報の質が異なることである。100人の平均評価が4.2だと聞けば、多くの人から支持されているという情報は得られるものの、その100人がどのような場面で、どのような気持ちで本を読んだのかまでは見えてこない一方、「この本を読んで電車を乗り過ごした」と書かれた言葉からは、たった1人の経験であっても、読書に夢中になった具体的な情景を思い浮かべることができる。

 だからといって、1人の書店員の言葉が100人の評価より信頼できるという意味ではなく、両者は異なる種類の情報を与えている。多数のレビューは判断のばらつきを見渡すのに向いており、個人の推薦文は、その本を読む経験を具体的に想像させるのに向いている可能性があるため、人は状況に応じて両方を使い分けているのである。

失敗したくない本と、偶然出会いたい本

 本を選ぶ目的によっても、参考にしたい情報は変わってくる。仕事で必要な専門書や資格試験の参考書のように、「目的に合わない本を買いたくない」という気持ちが強い場合には、複数のレビューを確認し、内容の難易度や対象読者、長所と短所を比較することが合理的であり、1人の熱い推薦だけで決めるよりも、複数の情報から判断したほうが失敗を減らせる可能性が高い。

 一方、小説やエッセイのように、読む前から正解が決まっているわけではない本では、予想していなかった1冊との出会いそのものに価値がある場合があり、そこで「この本を読んでほしい」という書店員の短い言葉が、検索では起こりにくかった選択を生み出すことがある。

 つまり、手書きPOPとネットレビューの違いは、片方が感情的で片方が合理的だという単純な区別ではなく、未知の本に近づくときに、どの程度の不確実性を受け入れようとしているかという違いでもある。失敗を減らしたいときには情報を集め、思いがけない本と出会いたいときには、ある程度の偶然を受け入れるという、本を選ぶ側の目的によっても判断の仕方は変わってくる。

日本では「ネットで本の価格を比較する」とは限らない

 ネット書店について考えるときには、日本独自の制度にも注意が必要である。日本では、一定の書籍や雑誌について著作物再販制度(著作物再販売価格維持制度・出版社などが定めた価格で販売できる制度)が認められているため、一般的な新品書籍については、家電のように店ごとの本体価格を比較して最安値を探すという買い方にはなりにくい。

 そのためネットで本を選ぶ際には、価格そのものよりも、在庫の有無、配送条件、電子版の存在、中古本の価格、レビュー、関連書籍などが比較の対象になりやすい。もちろん中古本や一部の電子書籍、洋書などでは価格差が生じることもあるが、日本の新刊書籍全般について「ネットでは価格を比較して買う」と説明するのは正確ではない。

知らない本を買う瞬間には、少しだけ「賭け」が残る

 本を買う楽しさには、読んでみなければ本当には分からないという不確実性が含まれている。あらゆるレビューを読み、内容を細かく調べ、自分に合わない可能性をできる限り減らしてから購入することもできるが、情報を集めれば集めるほど、本との出会いから偶然性が少しずつ薄れていくという側面もある。

 手書きPOPが今も書店に残っている理由のひとつは、この偶然を完全には消さないところにあるのかもしれない。そこには何千件ものデータはなく、平均評価も示されていないことが多いが、ひとりの書店員が限られたスペースの中で言葉を選び、「この本には何かがある」と客に伝えようとしているため、その言葉を見た人は、情報を比較するというよりも、「そこまで薦めるなら少し読んでみよう」と判断することがある。

 それに対してネットレビューは、読んだ人の経験を数多く集めることで、不確実性を小さくする手助けをしてくれる。読む時間にも使えるお金にも限りがある以上、この仕組みには大きな価値があり、現代の本選びにとって欠かせない存在になっているが、それでもレビューを何件読んだとしても、自分がその本をどう感じるかを完全に予測することまではできない。

本を選ぶということは、最後には自分で不確実性を引き受けること

 ネット書店では大量の本を検索でき、レビューを読み、在庫や配送条件を確認し、短時間で注文することができる。それでも実際の書店へ行き、棚の前を歩き、本を手に取る人がいなくならないのは、本を選ぶという行為が、必要な情報を検索して最適解を求めることだけでは完結しないからだろう。

 検索は、知っている本を探すことには非常に強く、推薦機能は未知の本との出会いまで広げてくれる一方、実際の書店には、自分が探していなかった本が突然視界へ入り、その横に置かれた短い言葉によって立ち止まるという、物理的な空間ならではの偶然がある。そして、その偶然の出会いを家へ持ち帰るべきか迷ったときには、今度はネットレビューを調べ、多くの読者の経験を参考にすることもできる。

 書店員の手書きPOPとネットレビューは、どちらか一方が優れているのではなく、異なる種類の不確実性を埋めている。手書きPOPは「こんな本がある」という気づきを与え、レビューは「この本は自分に合うだろうか」という判断を助けることがあり、ときにはその順序が逆になることもあるため、両者を完全に分けることはできない。

 結局、知らない本を前にしたとき、私たちは本そのものだけを選んでいるのではなく、書店員の言葉、他の読者の経験、自分自身の興味を重ねながら、「この1冊に時間を使ってみる価値があるだろうか」と判断しているのである。研究や統計はその判断を助けてくれるが、最後のページまで自分がどう感じるかを保証することはできず、だからこそ本を買うという行為には、どれほど情報が増えた時代になっても、誰かの言葉を参考にしながら最後には自分でページを開いてみるという、小さな賭けが残り続けるのである。

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